2010年2月12日金曜日

土建業と犯罪事件から


「すなわち、沖縄本島側の文化は九州の縄文につながるが、先島諸島の下田原式土器(約三○○○年前)は南方起源のものと考えられている。両地域のつながりが強くなるのは歴史時代になってからだといわれている。もっとも、大陸側をまわれば沖縄と先島はつながらないわけではない。しかし、山立て航海の障壁は縄文時代には歴然と存在したのである。」(小山修三著『縄文学への道』 日本放送出版会)

仕事と遊びの区別をつけない、だったか、区別がつかない、だったかは忘れたけれど、人類学者の中沢新一氏が、「仕事術」とかいうどこかの新聞特集記事で、日本人の特性としてそう述べていた。その区別のないところに、日本人の古代文化からの習性の残存がうかがえるのだというような。それは、「労働条件(時間)」のことなど意に介せず、仕事中毒と呼ばれてしまうくらい熱心に仕事をする人の在り方を念頭において、それへの近代的な批判評価を反転させていく、積極的な介入の見方、だったかもしれない。だとすれば彼ら労働者は、その区別「を」つけない意識的な人たち、ということかもしれない。がそのへん、私が土建業という仕事柄、常に念頭においてしまうのは、その区別「が」つかない、遊び熱心なほうの、いわば無意識的な人たちである。たまに解体現場などで、迷彩服のような作業着で、ケラケラ笑いながらやっている若い衆たちがいる。どこかの右翼団体系列の下っ端なんだろうか? 街路樹の剪定作業現場でも、ダンプの荷台に仲良く三人が並んで腰掛けて、足をぶらぶらさせながら談笑し、そのまま大通りを移動していくのをみかけたことがある。「あれでとおるんだ、いいなあ」とは、わが社の馬鹿者だが、「あんなんになってほしくねえな」とは、その仕事してるんだか遊んでるんだかわからない現場の若者たちをみて、私が入りたてのころ、親方がもらした言葉であるのだけど。現場監督や責任者がそんなんだと大変になる。平然と、夕刻の5時直前に大仕事をやろうといいだす。その時刻まで、段取りがあわず仕事が暇なようにぶらぶらさせていたのにである。ならばなんではじめから今日それをこなすような段取りをつけててきぱきこなしていかせなかったのか?「おもしろくなくちゃ、仕事なんかやってられねえだろ?」こっちはだからこそ、さっさとやって帰りたいんだが……。が、要領を考えない、いやそれが遊ぶほうへ逆転している馬鹿者たちには、そんなダラダラした残業時間が貴重な仲間との時間なようなのだ。そしてほんとうに、そういう価値に無意識に生きている者たちは、そんな「仲間」のために人生や命をもさしだすのだ。そういう世界というか社会に今もって生きているのである。
一昨日だかのニュースでも、宮城県の石巻市で、18歳の若者が、年下の仲間を連れて、元恋人の家に押し入り彼女の家族や友人を殺す、という事件がおきている。テレビのニュースで、その若者の携帯ブログが映されていたが、そこには天皇マークの中に「大和魂」という文字の入ったロゴがトップに貼り付けられていた。現場へ向う途中のダンプのなかで、その事件を切り出してみると、運転していた団塊世代の職人さんが、被害者の苗字と同じ知り合いが石巻市にいるという。「親類だったら、土建屋だとおもうよ。」と言う。実際今日の新聞をみてみると、首謀者は「解体工」、被害者の若者は「建設作業員」とある。とはいえ、私がこの事件のことを切り出したのは、助手席側に座る二十歳の若者とその仲間たちが、似たような情念と人間関係の世界にいるような気がしたので、反応を確かめようとおもったからなのだった。つい先日も、その若者は、自分の友人と知り合いの女性を結びつけるための仲介者となり、表裏を使い分ける巧みな口さばきをみせていた。でその石巻市の事件から男女のもつれ話になり、口達者という確認のあとで、オレオレ詐欺の新種の手口のことをその若者が切り出し、「おまえやってたろう?」と私が突っ込むと、「いや、ちょっと……」と口をすべらしたのだった。

『沖縄の未来』(芙蓉書房出版)という大田昌秀氏との討論のなかで、佐藤優氏はこの土建業ということに関連し、こう述べている。――「……ところがエリートというのは別の陣営にもいるんです。今日の新聞にも書きましたけれども、土建エリート、建設業、これは実際に金を持ってきて、それを配分して人々の胃袋を満たすことができるわけです。ところがこの構造が続かないというのは十数年前から明らかになっているんです。小泉改革が出てきたのも土建政治と決別しないとならないと、この構造的な要請なんです。」「ですから土建政治、基地依存型の政治から抜け出すことを、これは人が考えてくれないです。自分たちで考えない。そのために今、大田さんが言っていることをどうやって保守陣営の中に仲間をつくって、どうやって土建屋に仲間つくって、沖縄の利権構造をつくるかということです。」「この土建業の転換というのは現実的に考えると土建業者を基盤とする政治家からやっていくことしかできないんです。」……「農業」へと転換できないかと示唆する大田氏は、沖縄(琉球民族)を日本(大和民族)から分離してみるアメリカの見方、「北緯30度の境界線」という見方が、言語学的、生物学的にも指摘されていることをふまえた上で、次のように軍事的観点を強調する。――「……すなわち、日本人の中には朝鮮半島が三十八度線を境に二分されてしまって可哀想だ。しかるに日本は、ドイツや朝鮮半島のように二つの異なった国に分断されずにすんで、幸いだったという人たちがいる。しかし、彼にいわせると、朝鮮半島を南北に二分する線引きをなしたのは、当の日本人に他ならない、というのです。要するに、この三十八度戦自体、戦時中に日本軍部が配下部隊の防衛範囲を定めるために区分したもので、それが、戦後に日本軍を武装解除するために連合軍が「暫定的な境界線」と定めて、三十八度線以北は共産主義の朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)と、以南は民主主義の大韓民国(南朝鮮)に分割して、今日に至っているというわけです。
 そこで私は朝鮮半島の事例にならい、軍事的側面から北緯三十度線についてチェックしてみました。すると、何とさる太平洋戦争では、北緯三十度線以北は「天皇のおわします日本固有の皇土」で、以南はそうではない新付の領域と位置付けられていることが分かりました。すなわち北緯三十度線以北の皇土防衛の担当部隊は「本土防衛軍」と称されていたのに対し、それ以南の防衛部隊は、「南西諸島守備軍」、すなわち「沖縄守備軍」として明確に区分されていたことが判明したのです。
 このような背景もあって、沖縄を占領した歴代の米軍司令官らは、しばしば、「沖縄人は、日本人ではない」と公言するしまつでした。……」

しかし、古代文化的、その精神的価値側面からみると、冒頭引用の小山修三氏の『縄文学への道』から示唆されるように、そう区分できるものでもない、ということになる。このテーマパークの「金魚すくいと義」で紹介した副島隆彦氏も、「沖縄とか、東北の田舎に行けば、まだ、義の思想が、生き残っているかもしれない。」と述べてもいる。いわば、それはあの仕事と遊びの区別がつかない、近代的な見方からすれば、わけのわからないいい加減な世界というか社会の価値である。そしてそれが、オレオレ詐欺のような事件をおこす文化的な伏線にもなっているのかもしれないのである。ならば、たとえば建設業から農業への転換とは、どういうことだろうか? 農作業というものが、コンベアーの流れ作業とは違うが、勤勉でないとできない、というイメージがある。私は実際に農作業をやったことがないのでわからないが、農業に伴う灌漑工事という、土木事業自体が、中央集権的な権力の統制なくして成立しないものでもあるのだから、両者に親近性があるともいえるのかもしれない。が、その権力規制の末端において、それを裏切る犯罪的な価値が社会や世界観としてなお残存しているようなのである。おそらく、こうした価値継承の潜在構造をもみすえないかぎり、世のいわゆる経済的な構造転換なるものも、うまくいかないのではないか、と推論される。

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