「政治的エリートに属する人が自分で自分を選択するとすれば、それに属さない人は自分で自分を排除していることになるからである。このような自己排除は、恣意的な差別どころか、われわれ古代世界の終わり以来享楽している最も重要なネガティブな自由(リバティー)の一つ、すなわち政治からの自由に、本当に実質とリアリティーを与えるものであろう。」(ハンナ・アレント著『革命について』 志水速雄訳 ちくま学芸文庫)
「植木屋が木から落ちるのは当たり前だ」と父は言ったそうだ。そのとおり。しかしつづけて、「そんな仕事についているのがわりいんだ」と言うのには、うなずけない。単にそれは、差別だろう。父、そして母もそうだが、私が大学に通うために上京し、卒業して植木職人をやっているということを、親戚や近所の人に言うことが恥ずかしくてできないのだ。それは禁句になっているようだが、私が親戚に「何やっている?」ときかれれば、平気な様子で「植木屋」と答えると、父母は渋い顔にうつむくが、驚いた表情をみせた親戚はすぐにも「それはいい仕事だね」と応じてくる。もともとは村長をやっていたような家系であっても、田舎の人たちは自らが土をいじってきているので、本来は違和感は生じない。ただ子供の頃ヤギの乳搾りが仕事だった父も、そして県下の進学高校を卒業した私も、そうした世界から離脱して官僚的なピラミッド・コースに参入したはずだという世間体があるので、それを崩してくるような現実を隠そうとする習性がでてくるのだ。しかも、父母がもっている植木屋のイメージはよくない。かつて、父の勤め先の大学や理事長の邸宅の庭手入れをしている植木職人に、自宅の角に何を植えたらいいかときいて言われたとおりヒマラヤスギを植え、それがでかくなりとんでもない目にあったこととか、松の手入れをしてもらったら、それ一本で何万円もとられたとか、で、口達者な者のインチキ仕事なんではないかと思っている。去年、私の職場が新宿区のケーブルテレビで紹介されて、そのDVDを両親にみせたら、私と一緒に仕事をしている職人さんが、まさに理事長宅出入りの職人とそっくりな北島三郎似のものだから、やはりいかにもな、という受けとめ方をしたようだ。私はその偏見を否定しはしない。実際、職人世界は卑屈な閉鎖性で世間と対置し自己を守ってきていることが見られるからである。誤解されてもしょうがない。値段ひとつ、オープンにしない風潮がなお残っている。しかしそう堂々としない(――本当は堂々としたほうが受けはいいのだが、それに伴う対処の仕方に知恵をまわすことを怠ってやろうとしない。)のは、そうもできない過去を背負っている、まさに差別の現実があったからだと、これまた了解しえるのである。しかし、自由競争的な市場原理は、オープンでないものを淘汰していくだろうから、そんな不要な差別は解消されていくだろう。つまり両者の溝は、自然的に埋められていくだろう。が、それはあくまで、市場経済的な形式上でのことである。問題は、その向こうにあるのだ。
私が見た感じでは、経済構造上の転換が、ヒトの身体的な価値観を即応的に変えていくようになるとは思えない。私のプチブル的な育ちは、国家(官僚)主義的なヒエラルキーと、それに結びついた給与体系をもった資本(市場)主義の価値観を注入(教育)してきたけれども、私がそれを自己否定するとき、私は根本的に破壊され尽されるわけではない。まだ正確にはわからないけれども、16歳で自己懐疑的に発病した私は、7歳から15歳までの自分を打ち消して、それ以前の、記憶としては思い返せない幼児期の価値観を取り返そうとしているのである。
外務官僚だった佐藤優氏には、次のような発言があるが、私がやっていることも、そのような「文学」的な営みである。
<私の著書の中でまともなものは、二〇〇二年以前の回想だけです。要するに、時間がそこで止まっていて、過去に経験したことをどうやって自分で納得するかというのが、残りの人生の課題だと思っているのです。さまざまな「トランス」をしながら、そのことについて考えている。>(佐藤vs柄谷「国境を越える革命と宗教」『中央口論』2011.1月号)
フランスの詩人ランボーは、「時計がとまった」と言った(『地獄の季節』)。私も、16歳で時計がとまっている。それ以降は、余生なのだ。身を切るような。記憶のない幼児期を回復する運動思考といっても、それは病気になり、官僚路線から脱落し、仕事もせず、そして木から落ちる、という営みとして現象してくる。しかしこの余生があったおかげで、私は人生のはじめから官僚路線に参入していることから排除され自身でもそんなことを思いもつかない庶民階級的な価値観を見ることができたのである。いや正確には、私自身子供のころの遊び相手は、石屋さんや農家のせがれ、そして近所の工場勤めの息子たちであったから、学びなおすことができたのだ。そこは、卑屈な閉鎖性でガードされているとしても、そこにある価値は、官僚・市場的なものよりも人間的であり、マシである。つまりベストではないかもしれない。しかしマシであることを認めることからはじめることは、ヒトが自由であることを認めること、その価値を理念的に前提としていくという思想の営みなのだ。どういうことか?
とにかく動けないので、一日中椅子に座って、本を読んですごしている。午前中は、国家試験になっている「森林インストラクター」の試験問題集などを勉強している。森林知識的なものはいいとしても、そこでのレクリエーション活動知識とかとなると、官僚たちが相当無理して作った問題だというのが見えてくる。山(森)での集団的な活動には、自然と自分との関係、他者と自分との関係、そして自分自身との関係を考えさせてくれるもので、ゆえに余暇を超えた生涯教育的な良き推奨に値する価値、なのだそうだ。事実そうだとしても、それをだいだいてきに、つまり上から教えるとは、そういう啓蒙の仕組みを作るとはどういうことなのか? 息苦しい話しだし、実は子供は、そんなお膳立てされた経験からは何も記憶しない。あるいは記憶されるものは、その啓蒙とは違ったものになろう。あるいは、最近では大企業が森林保全の活動広報にだいぶ参入しているし、地域復興と結びついたNPO的な活動も盛んになってきているようだ。すでに余生を生きているような私からすると、こんな雁字搦めでは森(山)にはいっていく気がしなくなる。山(森)がいいのは、それがアジールだからではないのか? つまり、そこに自由があったからではないのか? 世間からも、法からものがれて、その庇護からも離れて。事実的にはすでにその山林の所有権が制度化されているとしても、発想の、思想の自由として、その身体的な自由の余地が現今の思想から排除されていく傾向があるのは、ヒトの生活を行き詰まらせないだろうか? 病院のベッドにずっと寝かせられていると抜け出したくなる身体の自由は、森から抜け出したサル=ヒトの集団の、その価値の習性であるかもしれないではないか? 国家官僚制と定住の技術体系が結びついているとしたら、そのたかが1万年ほどで形成された価値よりも、数百万年とつづいた遊動の生活の価値観のほうが、身体的に根強いのではないだろうか? さらには、この性懲りもない習性=自由を、たかが数百年の市場(資本)主義の価値がくつがえせるわけもないのではないだろうか? ならば、われわれは、この自由を認めるところからはじめるほかはないのではないのか? それが、より自然に、その観念に近く、近づいていく、回復していく運動思考なのではないのか? すでにわれわれは、そんなサル=ヒトの幼児期のことを思い出すことはできないけれども。
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