心身健康であっても、足の怪我で身動きできず、じっとしていなくてはならない不自由さからくる不快な感情はもう脱していいはずなのに、最近はさらに不快が高じて、精神が混沌としている。実家の方で兄と父親で暴力沙汰が高じているだの、保証人をしているペルーの友人のアパートで又貸しがばれそうで立ち退き沙汰になっているだの、足の腫れがなかなかひかないだの、いつ仕事できるのか仕事があるのかだの、知らない間に無意識に考えているのかもしれない。それに世の中の情勢が拍車をかけている、ということか? もういい加減、新聞やテレビ、ネットでの検索閲覧をするのにも鬱に近くなる。不眠も発生する。なんでこうなるのか、自分でもわからない。心身の暴走がはじまったのか?……だから、ちょっと整理してみる。
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まさか、東電の工程表を信じてる人がいたとは。しかも、それが総理大臣だったとは……あれは、何かだせといわれ、ださなくてはならないから何かだした、という代物ではなかったのだろうか? 工程表どおり来年1月に冷温停止になるまで責任を投げない、常識で判断する……と総理は言うのだが。
――素人疑問――
1)水の循環構造とは可能なのか?……ビデオ・ニュースでも、宮台氏と小出氏との間で理解の行き違いがあった。東電の説明をとりあえず理解する宮台氏に対し、それが理解できない小出氏、という構図で。私の理解では、どちらも正しい。こういうことだ。――10の冷却水が必要だとして、もし洩れが1だけであるなら、1循環時にまた1だけ水をたしてまわせばいい、それならば、まあ循環している、といえるだろう。だが、5洩れるとしたら? 1循環ごとに5をたしていくとは、いまの垂れ流しとほとんどかわらない、といえるだろう。東電は穴をふさぐ、とかもいっている。すでに水没しており、水をかけつづけなくてはならない、というのに、そんな作業が可能なのか? ぜんぶ穴をみつけられるのか? せっかく作業員が相当な被曝でやったのに、結局はやらなくても同じだった、とならないのか?
2)燃料はどこに、どうなっているのか?……小出氏の推測によれば、おそらく核燃料は圧力釜から垂れ落ちて、格納容器の底で、「あんぱん」みたいになっているだろうという。だとしたら、いくら水をかけても、冷やしきらない、のではないか? 絨毯みたいにひらべったくなっているのなら、薄いので冷えそうだが。でかいあんぱん状態では、表面だけが冷えて皮のようになるけれど、中はいつまでも溶岩状態のままにおわるのではないか? さらに、福島の原子炉を設計した人たちの対談などを読むと、圧力容器よりも格納容器の方が温度が高い気配があることから、水が燃料を素通りしてどこかにいって、いまもって再臨界状態なのではないか、と推定したりしている。放射能測定器を個人で購入して測定しはじめた友人の考察でも、宇都宮での放射能数値を時間単位で吟味してみると、ふわっとあがる時間帯があったりするので、まだ再臨界がおわっていないのではないか、と推察しているが、あながち間違いでないのかもしれない。だとしたら、これはチャイナ・シンドロームが進行中ということだ。
3)水でいいのか?……3月の末時点で、ISEPの飯田氏は、水では汚染水が増えるだけでむり、石棺するにも崩壊熱が高すぎるので、生コンでも無理だろう、だから、それにかわるスライム状の何かを新開発しなくてはならない、といっていた。というか、ゴルバチョフの回想録を読むと、生コンでやる、ということ自体がアイデアであったらしい。しかも、最初の投入が失敗し、大爆発を起こした、のだと。そしておそらく、そのチェルノブイリの現場に立ち会った学者とヨーロッパで話しあってきた飯田氏の話しをも勘案すれば、ゆえに、次のときは生コンの流し方を工夫して石棺に成功した、ということになる。そしてそのために、現場の近くに似たような状況を作って実験し、それで確認してから実行にうつした、というのである。ならば、もし、生コンにかわるスライム状の何かが開発されても、そのときは失敗してまた爆発する、というリスクをかける、ということを意味してこないか? このままダラダラと放射能を永久に垂れ流していることを選択することは、日本全土で生物が暮らせる環境ではなくなっていく、ことを選んでいるのに等しい。飯田氏は、最近出版の岩波ブックレット『今こそ、エネルギーシフト』のなかでも、循環構造とかよりも封じ込めることに政策を移すべき、そのためにも、メルトダウンを実験して制御ソフトプログラムを作ったりした世界の英知を結集してことにあたるべきだ、と提案しているが、その際にはまた爆発する、というリスクを自覚してやる、ということになるのか? とすると、爆風は同心円的だろうから、〇〇km圏内は再度の避難、とか前もってやらなくてはならなくなるが、そんな時期遅れにだされる避難指示を政府がだせるのか? だまってこそこそやることになるのか?
4)世論調査では、3月末ごろで原発賛成6vs反対4ぐらい、4月末で賛成5vs反対5、5月末で賛成4vs反対6、とおおまかに推移している。これはやはり世論操作とかいうよりも、わかりやすい動向にみえる。当初は、震災避難民も、原発事故避難民も、とくには関西・九州方面のひとは区別できなかっただろう。4月になって、なんとなくその区別ができるようになる。5月になると、「えっ、家があるのに帰れなくなるの? あんな宇宙服きて一度かえっておわりなの?」と、その事故後の状況がテレビで繰り返し放映されるようになったので、ならいやだな、となったんではないか、と私は考える。ということはならば、増えた2割の浮動層は、状況によっていつでも賛成にも反対にもなると考えておいたほうがいいのではないか、とおもう。しかも、この割合自体は、たぶん固定的だ。比喩でいえば、反対のデモにまで参加するのはおそらく全国で数万人、これは、大江健三郎の本が売れるような数。そういった層。その周辺に、デモに参加したり大江氏の著作自体は読まないけれどなんとなく良識をもっている知的大衆層。その他の人は、選挙の浮動票と同じで、だいぶかわるとおもう。青森県の原発ある市町村の選挙では、原発維持賛成派の市長が当選した。新聞報道からみるかぎりだけど、その結果ではなく、その中身はまあいいのではないか、と私はおもう。むしろ、単なる反射的反発での反対派の候補が当選しても、市民を説得できるとはおもわない。賛成し推進してきた者だからこそ、原発を止めることができるのではないか、という可能性と説得性を残した選挙内容だったようだから。だから、国がとめるといえば、推進市長は止めるよう住民利害を説得する。ただ、現政府の方針が、これまでの原発推進の方針を堅持する、となったので、このまま本当に推移していくのか? 中間市町村が自己決定できるような問題でもないので、国の方針を変えられるのは、政治家の意志と、国民の声ということになる。世論がこのまま原発反対のウェイトでいくだろうか?
5)マスメディアのなかでは、今回の震災が日本経済に壊滅的な打撃をあたえるようなことはない、というふうにみえる。どこの国際機関か忘れたが、日本のGDP成長率は、今年は0.1%くらいになるが、少しづつ回復していくだろうとみているようだ。ただちょっと専門的な雑誌などにあたってみるとシビアになってくるようだ。近い将来の経済動向の正鵠さを求めるのは無理があるのだろうし、私にはわからないが、4)との関連で、こんなことを考える。「自然エネルギー」の方策は、経済状況いかんによっては、右翼的な反動と合致、混同されてくるのではないか?……「ぜいたくは敵だ!」、「食べられません勝つまでは」、だったか、そんな国民を一丸とさせる戦時中の標語は、震災後の、日本人はひとつに、の世論基調と重なってみえてきてしまう。原発を推進しようにも、金がかかってできない、そんな経済状況でもなくなった、とわかれば、日本人はひとつに、の合言葉にのっかって、エネルギー転換の政策がなされ、経済政策の不手際を、戦時中的な国民操作でごまかし推進させられる、ことも考えられるのではないだろうか? その場合、反原発の世論が高いからといって、市民社会的な自治・自発性が是とされているわけではない。飯田氏には、そうにはならないようにエネルギー政策を転換したい、という意図もあるようだが、政治経済の状況によっては、だいぶこんがらがった事態にもなるのではないだろうか? 自民、民主の大連立の話しは下火になってきたようだが、世論もひとつ、政治もひとつ、となると、まさにファシズムではないか、とおもえてしまう。といっても、被災地の瓦礫の処理さえ国家の発動で処理できずに夏をむかえようとしている今をおもうと、なかなか負けを認めずずるずる何もしない現状をひきのばしている菅総理は、東条英機にみえてきてしまうのだが。早くしないと、大空襲が、原発投下が、と同様、熱中症どころか感染病が被災地で蔓延し、後手後手対策の果てに原発がまたドカン……とならなければいいが。3月末の時点で、佐藤優氏なども、東電の技術者の自負心を傷つけないように、べっこに対策チームを作ってやるのが危機対策の基本だ、と言っていたのだが、まるきり懲りないように東電まかせ、その工程表も信じている、ときている。では、そうならないと、またヒステリックに怒って責任を他人転嫁、とすまそうというのだろうか?
*とにかくも、グローバルな文脈で、世界を相手に大博打を打てる政治家なり、日本世論の動きがでてこないと、これまで自然災害後にみせてきた日本史的な「世直し」を、歴史の気運を、伝統を反復できず、平常どおりのずるずるさでいくところまでいってしまうような気がする。私が憂鬱なのも、そんな気運のためだろうか? この気運を、気勢をかえていくには、どうしたらいいだろうか?
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