ここのとこ例年、初夢を書くことからこのブログが始められてきたように思うが、今年は、そんな記憶に残るような夢をみることもなく、正月の朝をむかえた。しかし、一緒に目覚めた一希が、最初は見た夢を覚えていない、といっていたのが、布団の中でじゃれあっているうちに、ふと「あっ、おもいだした」という。話すところによれば、前を赤ちゃんがハイハイしているのだが、なかなかおいつけない。みんなで歩いていて、おいつこうとしてもおいつけないでいるうちに、森に出て、そこにトイレがあるので、おしっこをした、というのである。「そのときオネショしちゃったのかなあ」と。つまり、オシメをしている赤ちゃんを卒業して早くお兄さんになりなさいと「みんな」から重圧を受けている自分が、なんとか赤ちゃんを追い抜こうとしているがそれができずに、森に迷い込んでしまう、あるいは、森という立小便をゆるされるような空間に逃げ込むことで、安心感(トイレ)をみだした、が、その安心が実はおもらししてしまうという現実という不安でもあるので、その葛藤の強さに目が覚めた、ということかもしれない。小学2年生にして、自分を分裂しはじめることができるのかな、と私はおもった。そして私が夢を見れない(思い出せない)のは(それはたぶん、たいした夢でもないので…)、現実の日常生活自体の内に、夢から目覚めさせるような緊張感が挿入されてしまったからだろう。あの震災と原発事故で。仕事納めの年末から仕事はじめの年始までの空白の時間、私は脱力と突然せりあがってくるおぞましさの感覚に陥ってしまう。しかし今年は、そんな年の区切りを味わうにしては、すでにしてゆるめられない緊張と高揚が内心に巣食ってしまったのだ。
<あれから数ヶ月、特に原発事故の長期化がもたらした日本の「分断」による諸影響は計り知れない。そもそも、今回の震災はその被害が広範であったがゆえに、逆に日本社会分断の危機を孕んでいた。つまり、津波に襲われた東北地方東部と茨城県、そして計画停電や水質汚染の恐怖に断続的に襲われ続けている東京周辺、最後に被害が軽微だった北海道及び西日本といった具合に、地方ごとに異なる震災の被害度合いによって人々の生活感覚が分断されてしまう可能性が高かった。そしてそれが、原発事故の長期化によって現実のものとなってしまった。もちろん、震災の影響による企業倒産など、経済的には既にその被害は全国的なものとなりつつある。しかしそれ以上に、生活実感のレベルでの分断のほうが強い力として今の日本社会を支配しているように思える。>(前掲書)
私も冒頭で引用した宇野氏の実感と認識に同感する。ゆえに東京に住んでいる私が、「日常と非日常の混在」という場所にいることにも肯えるが、そこが、あるいはそこからそこを、「分断されつつある社会をつなぐ」ための「想像力」を発揮しうる特権的な場所であるとは考えない。むしろ私はその初夢を覚えさせなかった「日常と非日常の混在」という日常を生きさせられることになった私が、これまで抱えてきた時間こそが、やはり私の考える場所なのだ……正月の休みの内にして、私の中には、様々な時間が同期して蠢いているのがわかってくる。子ども時代の記憶、人生の流れを切断していったようないくつもの記憶群、独身時代の葛藤、現在の家族との時間、気遣ってしまう子どもの将来の時間……それらの時間は、その時々の情念を伴っている。私は、それらを統合することもできずに、そのことがこの際といように自覚させられた自己の無能を、苦虫を噛むようにして、今をにらみながら、自分たちがばらばらにならぬようなんとか統御している……あくまで、私の考える、想像力を発揮させうる場所とは、この自己(事故)状態だ。それら統合できない自分たちを、キャラと呼んでもいいかもしれないが、データベースと化した、つまり、通時的機能をもった自己物語群(歴史)が共時的に並列化したそれを、自由意志的に引き出せるわけではない。ゆえに私には、宇野氏の提言は、どこか呑気に、あるいは、リアルな道筋というより、期待を表明しているもののように思えるのである。おそらく私は、宇野氏からすれば、なお「仮想現実(外部)」を信じている、とされる時代遅れな思考態度、ということになるのだろう。氏の言う「いま、ここ」とは、いわゆる「現在」という曖昧な実感と同義のように思えるが、私が前回ブログで言及した中上氏にみる「今ここ」とは、むしろ出来事性としてしかないものなので、それを思考として持続的に使用するには、理念的に仮想しなくてはならず、実践としては、反復的になるほかはない。しかも、その理念(出来事)は、ありふれた日常的な出来事、常々反復されていることとして想定されるのである。(キルケゴールのイエスのように。)――私のこうした認識的立場は、デリダが精神分析を得意点的な学術としたように、あるいは、ラカンがそうであるよに、あるいは、そこからカントに系譜的にさかのぼってとされるような、一時代の教養的前提であるかもしれない。それ(外部)を信仰するか否か、という二者択一的な厳しさゆえに「転向」が問題ともなるだろう。宇野氏の認識枠には、そうした問題は生じない。ただ私としては、たとえば、認識と実践を同一化させたがる傾向にある柄谷氏のような偏狭さは、まさに実践とが自己統御を超えた外部性とかかわらざるを得ないがゆえに、もっと我慢する、いい加減になっていい、とする立場だということだ。
そうした認識的な前提をカッコにいれれば、私は宇野氏の「リトル・ピープル」の時代認識を首肯しえる。たとえば、子どものサッカーチームのコーチをするにつけても、そこには小さき父たちの闘争(日常)しかない。まだサッカークラブにははいっていないが、運動能力の高い、一希と同じ小学校の子どもたちの話をきくにしても、「〇〇ちゃんはね、センタリングが得意なんだ。いっちゃんが望んでいるところがどこだかわかって、そこにどんぴしゃにあわせてくるんだよ。やっているのは、空手だよ。〇〇ちゃんは、キックボクシングやってる。〇〇ちゃんは、レスリング。〇〇ちゃんは、英語の塾にいっているよ。この4人がいっしょにサッカーやったら強力なんだけどな。」――スポーツといえばみんなが野球をやっていたような時代、星一徹―飛馬親子のような父が子にスパルタ的に強靭な物語(「巨人の星」)を教えてきた時代……それが反面教師にしかならないという反省からある今の自分が、子どもにそれを反復できるわけもなく、またさせられるような環境ではないのである。サッカークラブに入っている子どもでさえ、様々な塾に通っている。そこでは、ボールを追うという動機自体を作っていくことがコーチングとなる。ゆえに、エリート的な専門技術としてサッカーを志向させる親たちがいる子供たちのクラブとは、差がついてしまう。かといって、その差を埋めるべく、サッカーという民主的育ちの若いコーチたちをだしおいて、かつての野球クラブのようなワンマン的な指導法を実践する気にもならず、なおサッカー小僧になりきれない一希にも、無理な自主トレでしごこうとも思えない。いや自身の習性からは、そうやってしまうのだが、すぐにこれではだめだと目前の現実認識がおこり、修正につぐ修正で、かつてのワンマン教育からは後退につぐ後退のような試行錯誤がつづくのだ。そしてこっちがそう後退戦をしているのに、わが女房はこりずに突撃をつづける、甘やかしてはいけない、と。元旦早々、見れない夢の続きのように、九九の暗記ができない子どもを女房は足蹴にしはじめる。いい加減私は耐え切れず、女房を突き飛ばすと、「こんど足蹴にしたら、俺がおまえをぶんなぐる!」と宣言する始末。まったく、「リトル・ピープル」な時代である。
しかし、そんな時代を超えて、革命(=民衆・日常)はやってくるのだと私には思えるのだ。それは宇野氏が期待するような、内側からの変革としてではない。外部からの、戦争的な事態としてやってくる。この日本でも、暴動はありうる。一希は、いつもふざけているようにみえる。クラスの係りも、お笑い係だという。私は、このふざけが、真剣さと裏腹であることを洞察している。(子どもは、すべてをギャクにしてしまえる能力がないだろうか?)。どこか、マラドーナみたいだ。クラブチームに子どもをいれるのは、真剣さを学ぶためだ、というのが親としての私の言い分なのだが、真剣になる時とふざけていい時とのヒエラルキーを決定するのは、その基準とはなんであろうか? ふと私は思い出す、まだ5歳ころの街の祭りで、近所の公園の噴水の中に、真っ裸になって風呂のようにつかった一希をみて、母子家庭のヤクルトおばさんが、「ここまでやらしちゃ駄目なのよ! 親がとめないとだめなのよ!」と叫んでいた場面を。歯止めのきかない世界……それは理念的な日常とは似て非なるものだが、その暴力がリセットさせた世の中に、偏差としての理念が反復されて刻印されている……つまり、意識的には反復しえないが、無意識にそうしてしまうものとして、それは実現される。ならば、意志的には、人は無力なのだろうか? なんとか、できないのか? 私が、震災後のここ数ヶ月、苦虫を噛んだようにどこかイライラしているのは、おそらく、そんな思いにかられているからである。もちろん、私の認識態度が正当であるかはわからない。だから、以上のように、より若い人の著作を暇あるときに読んで、自己の内で議論を闘わせているのだ。その自信のなさ自体が、「リトル・ピープル」であることをあかすとしても。
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