「勘助は、両親兄姉妹の家庭に囲まれて成長したと思われる。いつ発病したのか不明であるが、青年期の働き盛りを迎えて悪化したのであろう。このとき、父は亡くなり、十五歳年長の兄が当主となり、母を助けて一家を切り盛りしていたのであろう。家族、親類が相談のうえであったのであろう。勘助は心願の旅に出ることになった。勘助を思う旧来からの友情か、行動を共にしたいという大野村の宇左衛門が同行することになったのも、旅立ちには好都合であったのかもしれない。菩提寺で、寺請をお願いしてある時宗安養寺に往来一札の発行を申し出た。弘化四年二月三日往来一札は発行された。勘助二十六歳のときである。出立にあたり家族縁者は路銀その他として相当額の金を勘助に持たせた。勘助が死亡時、宿に預けてあった金が一両二分もあり、連れの宇左衛門出立までの入湯費用、草津までの路銀を勘定に入れると、相当額の金を持参していたことが推測される。この事実は、長浜村の困窮というにはかなり経済的に豊かなこと、また勘助を死出の旅に送るにさいしての家族、縁者の慈悲の愛を物語っている。」(高橋敏著『家族と子供の江戸時代 躾と消費からみる』 朝日新聞社)
帰省して初詣にいったさい、神社の露店として出ていた手相占い師にみてもらった。占いをやってもらうなどとは初めてのことだが、50歳にもなろうとするものが、今さら運勢でもないので、子供といっしょに、その手相の比較、類似と差異点などの話を聞かせてもらえたらと思ったのである。親子ともども、私たちは世間では珍しいという両手マスカケなのである。大人2千円、子供ならその半額でいいですよという話だったが、二人の手相を見比べながらはできないらしい。そこで私から見てもらった。男は左手、ときいていたが、そうではなく、30歳までが左手、それ以上が右手の相に現れるのだそうだということで、両の掌をだして広げてみせる。……あなたは頑固ですが、運命線の下の二重線は、自分の持ち場をしっかりする責任感が強いことを表しています。社長になりますよ。技術系の仕事ですね。職人ですか。九死に一生の事故にあってますね。だけど、運命線自体が二重線になっているところもあるので、生命力つよく、長生きしますね。とくに、今年は、運勢がいいです。そうですね、6月、誕生日ですね、いいことありますよ。ただ頑固者なので、もっと奥さんとコミュニケーションをとったほうがいいですね。……みたいなことを、よく聞き取れない、くぐもった声で独り言のように語る。オデコがだいぶはげてきているが、50代だろうか、どこか副島隆彦氏に似ている。自分が職人系なのは、私の日に焼けた顔と掌のタコを目にすれば推察できるだろうが、「九死に一生」を得ていると言ったのには、びっくりした。女房ともっと話さないとだめだ、というのも説得力があって笑ってしまった。
で、次に、息子。……あなたも長生きして、社長になりますよ。…なにか丸みのおびた道具を使う運動をしていますね。みんなを盛り立てていくような、他の人を華やかにさせるような、クラスでの人気者のような感じですかね。(「お笑い系ですか?」と私がきくと、)ああ、それでもいいですね。だから仲間を大切にしてください。あとトイレ掃除、玄関でみんなの脱いだ靴をそろえるとか、そういうことをするといいですね。責任感がありますね。社長になりますよ。
息子が球技をしているのは、なんとなくの体系と、ズボンの穴ふさぎの継あてに、FIFAの審判マークのワッペンをしているのを見れば推察もできようが、クラスの人気者でお笑い系だという見立ては、同じマスカケでも私と違う意見なので、なんでそう言えるのだろうと思った。子供の方が話が短かったのは、やはり手相が、未来を予測するというよりも、経験原則、統計的なデータの集積からきている知識だからだろうか。息子への語らいのほうが、自信がなさそうだった。ただ、どちらも「社長」になる、とはっきり言うのにはおそれいった。両手マスカケの人は300人から500人に一人の割合だとその占い師が言ったのを私は記憶していたが、息子によれば800人と言ったという。聞き違いが激しいので、息子がネットで調べてると、1000人に一人とある。その確率だとだいぶ珍しいが、その同じ形の中にも、微妙な差異があるのだろう。
で、去年はサッカー試合で忙しく、一度もいけなかった旅行、今年は草津温泉へ一泊してくる。湯の花畑の脇にある神社にお参りすると、そこは「遅咲き」を願うのを主とする神社なのだそうだ。一希も奥手だろうと私はおもっているので、お守りを一つ買ってやったつもりだったのだが、この「遅咲」、50歳以後からの願掛けにいいという説明が掲示してあるのに気付く。「え、俺のほうのことか?」と一瞬おどおどして、「50すぎたらもう余生の準備でいいよ、そんな歳になってから忙しくなるのはいやだなあ」とおもってしまうので、このお守り、息子にはなおさら渡せなくなってしまった。しょうがないので、サッカーコーチ用の私物をいれる手提げ袋につけることにした。一希6年最後のサッカー大会がはじまる。まだ、地元小地域以外でのタイトルがない。というか、一度も勝利したことがない。社長になるよりも一勝を。この最後こそ、と、遅咲になる健闘を願って。
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