2020年4月26日日曜日
買い物
『かりにそうだとしても、ちよにやちよに、むしたコケにもぐりこんで、生きのびていくっていうじゃないか、チェっ!』島原は、にぶい咳をした。あげた手はまた、コートのポケットに突っ込んで、下を向いて、歩いていく。信号待ちの人混みがばらければ、ひらいた傘の間隔はひろがり、まばらになった。『カンブリア紀から生きてるってからな。クマムシみたくすがた隠して、陰であやつりつづけようってか。けなげなもんだな、ウィルスといっしょに消毒しちまえばいいじゃないか。微生物も無生物も、細菌も、芋虫も!』ぺっとまた、まえに広くなったすき間をうめでもするように、勢いよくツバを吐いた。『そういえば、』と、また頭に渦巻く考えをすすめた。『さっきもニュースで大統領が言ってたってな。(アパートを出る前までみていたテレビのことを思いだした。)感染者に消毒を注射してしまえってな。(それからふと、子供のころの、青い空を思いだした。林に囲まれた瓦屋根の向こうの、青い空。少し、薄雲のまとまりがあるかもしれない。そこに、ヘリコプターの音が聞こえてくる。低空で飛んでくるそのばたばたというエンジン音は、先に流されていたであろう、「外に出ないでください」というアナウンスのこだまも呼びおこしてきた。ヘリコプターが屋根すれすれに走りすぎると、白い霧のようなかたまりが上空で発生し、花火のように消えた。爆音が、史郎の住む家の真上でおきたときには、少し音が遠ざかったあとで、ばらばらという雨音が屋根をたたいた。)ああやって、ばらまいちまえばいいじゃないか! アメリカ毛虫を殺したみたく、どうしてまたやらないんだ? スペインじゃやってるって話しだぜ。爆弾みたく、アメリカシロヒトリを、いやヒロヒトリを、ヒトリヒトリを、あいつもこいつも、みんないっぺんに、殺菌しちまえばいいじゃないか!』
島原史郎は、歩くのもままならなくなった妻にたのまれて、買い物へと外にだされたのだ。4月にはいってから、妻は咳き込みはじめた。熱はないので、近所のかかりつけの医院にみてもらった。レントゲンでは、肺炎をおもわせる影はないが、心臓が肥大していて、肺を圧迫し、そのために呼吸が苦しくなるのだろうという。詳しい検査はしたほうがいいが、症状が激しくないのならば、いまは病院にはいかないほうがいいという。
そのうち、史郎にも咳の症状がでてきた。『けっ、おれにもとりつきはじめたってわけか、イボイボの王冠が? めいよなことさ、にわかキングだとしても、分身の術で繁殖していくクマムシ・テンノウだとしても! コケのむすまで培養してやるさ、さあやってきやがれ、子どもたちよ、王子さまよ!』そして足を止めると、大きく腕を伸ばして、深呼吸のように、息を吸い込んだ。細かい雨粒が、鼻の穴の下をくすぐった。ごぼっ、と、また咳こんだ。『まあ70日もすれば、かってに自滅していくって話もあるけどな。感染した一億総赤子たちも、しょせんは人為の即席ザーメン、お湯いれ3分いっちょあがりで、自慰みてえなもんで想像妊娠したんだろう。それとも自家受粉の近親相姦か? いやミツバチってのは、同じ花の蜜はすわないし、花のほうだってあたしゃもう犯されましたって、色かえて知らせてやるってじゃないか。草に木をついだボタンかい? 地べたにはいつくばって生きる雑草に寄生して、汁吸ってのさばって冠を咲かせて70日、またかえります、あなたのもとへ、草むすかばねとなりはてて、シャクにさわるかシャクヤクさん、いいきなもんだね海ゆかば、山ゆかば、ウサギおいしいふるさとにホバリングするオスプレイ、ばたばたばた、自然にかえる、おのずからかえる、死んでもあなたについていくってか!』
島原はまた足を止めて、空をみあげた。スロットマシンのような灰色のビルが、灰色の曇り空ととけあっているが、雲に切れ間ができて、うす日がにじみだしていた。この役所のある駅前は、再開発がすすんで、名前の知れた私立大学のキャンパスなどが誘致されてきた。斜めにスライスされてあるような、この地区のランドマークとなったビルも、新しく建て替えが決まっている。投資の対象になっているだけではないかといわれる、タワーマンションもできあがった。通り抜けてきたかつては路地のような道も、きれいに拡張ずみだ。そのあたらしくなった大通りの西側には、戦時中、スパイを養成していた警察学校があった。跡地には病院ができて、残った敷地は区民の災害避難所のために、ひらけたままにした公園とするか、開発するか、という議論がある。その開発途中の広場を右手に抜ければ、駅へと向かう直線の幹線道路となって、雑居ビルに入る店の幟や看板の彩りのにぎわいが目にとびこんでくる。駅からは、猥雑な臭いもする大通りを逃げるようにまたいだ、歩道橋がかけられた。まばらだった人は、駅や繁華街のビルの隙間にすいこまれるように集まってきて、重なる。雨にぬれた桜並木は黒くひかって、さしてきた日の光は、ではじめた緑の葉を輝かせた。『ちきしょう、マスクマンどもめ…』島原は、人混みのなかへとはいっていった。『ひかえひかえひかえ! コロナマンの登場だぞ、そんな使い捨てだの手作りだので、おれのばらまくバイキンをふせげるとおもうのか? この菌タマが目にはいらぬのか!(肩を切って、歩きはじめる。)へっ、いい子いい子しててえやつらはしてりゃあいい。おとなしく、ひきこもってろ、マスクの繭のなかでまどろんで、いつまでもサナギマンでいればいい。みにくい蛾となったおれはコロナ鱗粉を世界に羽ばたかせて、ばたばた、ばたばた、太陽までのぼりつめる。地球では日食がおきる。モスラの影がドクロマークのように大地にきざまれる。黒点が、最大になる。コロナが最大規模で舞い上がり、最大の太陽風が地上にふりそそぐ。すべての生き物たちが、最大の光の風に感謝する。あまてらすおおみ神になったおれは、みなから、すべてから祝福されもとめられる命の源、菌タマになったのだ。アーメン、ザーメン、もっとふれぇ……え~い、やんじまったのか?』天気雨となったのか、細い針のような流れが頬をさした。火照った顔に、気持ちよいすがすがしさがはしった。がすぐに、それは寒気にかわった。ごぼっ、ごぼっ、と島原は咳きこんだ。アーケード通りの入り口にあるカステラ屋に並んでいた客が、あとずさりした。『けっ、そりゃてめえらにはむりだろうよ、ひきこもりの訓練うけてるわけじゃねえしな!(島原はコートの袖で、口をぬぐった。)サナギにもなれないで、よちよち、でてきたってわけか。パパママボクの3人で休暇養成してたって、虐待DVなんでもござれにしかならんしな、いい気味なもんだ、なにが核家族だ、核爆弾だ、角さん助さんだ、見ろ肛門の門どころ、そこにナニがある? 見てみろってんだ、なんにもねえじゃねえか!』駅から街のほうへと出てくる人はちらほらだった。またまばらになった歩道の赤っぽい敷石の上に、ぺっとツバをとばした。『地下鉄にサリンばらまいた連中は理科系だったからな、だからなんもねえご託にはまっちまったんだろう。ウサギ小屋からいっぽでればジャパン・アズ・ナンバーワン。わんわん、犬みてえに吠えてたしな、うるさくってしょうがねえ。世界を瞑想の冥途につれてってやるからヘッドギアつけろって、無からの創造か? しょせん、ガスじゃ拡散しても感染しねえしな、無謀だったんだよ。必要なのは、サティアンじゃない。工場じゃない。培養人間だ。自然栽培だ。高利貸しみたくどんどん増やして、指数関数的な増加だ、利子だけでも支援します、吸ったぶんだけ吐き出してください、もっと、もっと、もっとまき散らすんだ!(ちっと舌打ちをして、突き当りを左に折れた。)ない袖はもうふれねえからな。ジャパン・アズ・ナンバーゼロ。振り出しにもどる。いやマイナスにふくれあがった借金にまみれて、身ぐるみもはがされて、文無しの文盲が文句も言えずに門前払いされていく、出し抜け政府から、世界政府とやらから、おまえがだ、おまえもだ、おまえも、おまえも、おもえも!(すぐにまた右手に折れると、ちょっとした人だかりにあたった。妻からいわれたスーパーは、すぐ目のまえだった。)……おれは、金をもって、買い物にきたんだっけか……』
島原史郎は、コートに突っ込んでいた左手をだした。その手には、妻からわたされた買い物のメモ用紙がある。とうふ、なっとう、もち、ヨーグルト、料理酒、トマト……右手の方も、コートからだした。無造作に折りたたんでいた布製のバックがひろがった。犬のようなウサギのような2匹がシーソーで遊んでいる白地の絵が、茶色の下地に描かれている。フランス語で、なにやら書かれていた。それを手さげて、店のなかへとはいっていった。まえの客が、自動ドアをくぐったすぐ右側のテーブルに置かれた消毒液をつけて、手をぬぐった。島原はいっしゅんためらうように体の動きをとめたが、後ろからはいってきた客の気配におされるように、消毒液のはいったボトルの頭を押して、手提げ袋を手首にまでずらして、ぬるっとした液体を片方の手のひらで受けた。両手をあわせ、ぶきようにこすってなでまわす。開いたままの自動ドアをくぐると、右側にエスカレーターが、左側にはパン屋があるのだと気づいた。くねったような通路が、商品の積みおかれたにぎやかさのうちへつづいていく。手提げをもっていたほうの腕を、肘を曲げたまままわしてみた。肩が痛んで、よくまわらなかった。「五十肩じゃねえよな……」気おくれするようにそうつぶやきかけたところで、咳がのどのところまでせりあがってきた。曲げた肘をそのまま口にもっていくと、ごぼっ、ごぼっとこぼれた。熱があるようだった。そのまま通路をまがって、棚が列をなして並んでいる店の奥へと向かう。何が、どこにあるのか、わからない。商品棚にうずもれるようにして、何度もおなじところをさ迷う。時間だけが、すぎていった。……
ようやく買い物をおえた島原は、駅前の通りにもどることはせず、店の前からつづく路地道の中にはいっていった。居酒屋や小さなレストランが、ひと一人が肩をこすりあわせてすれちがえるほどの道幅を、占領している。そこを抜けると、アーケードの中側の商店街にでる。小綺麗に展示された商品の華やかさをすり抜けてよぎり、すぐにまた路地にはいった。普段よりは人通りは少ないとはいえ、人工的な輝きの中からビル間にもれてくる日の光だけの世界にでると、薄暗く、さびれた雰囲気の中に取り残されたような感じになる。がその音の消えたトンネルのような隙間の向こうには、明るい透明な日光が注いでいる。そこは来たときに通った大通りで、燦然と輝きはじめた日の光をさえぎるように桜が枝葉をひろげていて、その下、信号待ちをする人混みができていた。一番後ろについて、横断してからまた信号をまつ。品物をいれた手提げ袋はおもたかった。肩の方へかけなおした。このままアパートへ帰って休みたかったが、大通り沿いにある本屋へ立ち寄ることにする。広い自動ドアをくぐると、四角い柱を囲むように、新刊本がうず高く山積みされている。親子連れが多いような気がした。絵本のコーナーに集まっていくようだった。新刊の棚をぐるっとまわったあとで、入り口の方へもどってエスカレーターにのった。2階には、分野にわかれて、専門的な書籍が集められている。何年か前にこの本屋はあたらしくなって、棚に置かれる本の種類が広がったような気がする。人文系の本棚のまえに、島原は立った。見覚えのある著者の名前が目に飛び込んできた。平積みにされたその白い本は、『世界史の抗争』と題されていた。
2020年4月25日土曜日
新型ウィルスをめぐる(5)
なかなかやってこないアベノマスク。今朝の新聞によると、不良品おおく、いったん配布停止するとか。アベ君自身は、毎日それを愛用しているようだが、そのマスク姿をテレビでみかけるたびに、子供のころきいた、マスクの歌をおもいだしてしまう。
〈コンコンクシャンの歌;https://youtu.be/-q5oA7RZUGI
リスさんがマスクした、ちいさいちいさいマスクした……アベノマスクは、せこいせこい、というべきか。
とにかく、新型ウィルスに対する私の見方はかたまってきたが、まずその根拠として参考になってきたwebの紹介。
・<ロックダウンのフランスでの日本人報告>
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200419-00071953-gendaibiz-int
・〈フランス在住ヒロユキさんの報告〉
https://youtu.be/b50dWx0Hqy4
・〈ロックダウンという愚行〉 https://indeep.jp/this-is-real-lockdown-uk-and-non-lockdown-sweden/
・〈ワクチンの副作用可能性〉
https://tanakanews.com/200416corona.htm
・〈消毒手洗いの副作用〉 https://indeep.jp/perfect-spanish-disinfection-could-suggest-perfect-doomsday/
・<苫米地氏の科学対処からの解説>
https://youtu.be/FOKWM6xtiqo
*要は、ロックダウンのような行き過ぎた、過激な対策は、発生源たる武漢以外の都市・国でやっても意味がない、ということ。ただ、その意味のなさを大衆に説得していくというより、慣れさせていくために、自粛要請だのなんだのという強権的な宣伝は必要なのだろう。いわば、やってもあまり意味がなかったといやでも納得してもらう過程として。しかし、それでも、パニック的に、行き過ぎた消毒手洗いの履行や、商売の停止要請がだされて、取り返しがつかないかもしれない間違った政策がなされてしまったわけだ。これから急造された実験不十分なワクチンなどが奨励でもされると、余分な危険性が増すのだろう。私としては、資本がストップし、地球環境もよくなってきているのだから、この線で、個人・家計的なエコノミー、本来的な経済の意味を回復していけるよう中長期的に構造を変えていく方向で構想をねっていくべき、とおもう。が、そうはならず、おそらく、これからも間違った政策と、パニックと、なぜかは知らないが政治的な強権発動の世界的続行が、ウィルス問題をこえた、とんでもない、人類やその世代の生物たちにとって、壊滅的な事態を引き起こすような気がする。経済より命が大事だろう、という話になっているが、ヒトの営みを否認した生命の存続に、どんな意味があるというのか? ただちに死んでしまうのならともかく、現状、本能は、そうなっていない。これまで人類は、そして今でも貧しい国々の人々などは、死と隣あわせで生きてきた。日本のような戦後平和な国でも、たとえばビルの足場を組むような職種の人などは、自分の命というより、自分のミスひとつでみずしらずの人を殺してしまうかもしれないという緊張をメンタルコントロールして生きてきたはずだ。そして哲学するとは、ソクラテスが言ったように、死への準備、だったはずだ。
私の女房は、持病の悪化でか、心臓肥大し、肺が圧迫されて呼吸が困難な状態だ。こんな状態でコロナウィルスにやられたら、まず無理だろう。息子も、若い奴らは症状がでない、といわれていても、アトピーのためか、すぐに風邪をひき発熱し学校を休んでいた身の上だから、一般論があてはまるかわからない。おそろしいことだ。しかしその個人的な感情と対処と、大きな構造とその中での考えや心の持ち方の問題は、別のことだ。自分の内でのそんな区別、メンタルコントロールが、パニックをふせぐ。野球のバッターが、ストレート5割カーブ2割フォーク1割つり球1割とか、脳を整理コントロールしてピッチャーに向かうことができるように。そうしながら、試合全体の流れにのまれないよう対処していくように。頭を整理しきれずボール球に手をだして三振し、その個人の結果が、試合の流れを決定づけてしまう、ということがある。チームとして、そういう個人と全体の関係性があると共有していれば、その三振を流れに結びつかせないよういっそう個々人が注意し、声だけでもだしあって、お互いを鼓舞しあう……私のこのブログも、そんな注意喚起と鼓舞の一環かもしれない。
70日たてばこの人口ウィルスは活動をおえる、と観察報告する学者もいるそうだ。ボタンがじきにシャクヤクにもどってしまうように、ヤマザクラは1000年生きても園芸品種のソメイヨシノは100年の寿命になってしまうようにか。説得力はあるが、今回の事態は、ウィルス騒動があろうがなかろうが、そのうちやってきたであろう世界構造の成れの果てが、より早くきてしまっているのでは、ということだろう。だから、そんなことで一喜一憂しててもしょうがない。
このコロナ騒動で、カミュの『ペスト』なり小松左京の『復活の日』などの文芸書が売れているそうだ。私が連想したのは、ドストエフスキーの『罪と罰』のエピローグである。誰か他にもいないのか、とスマホ検索したら、山口県在住の町医師の方がヒットしてきた。
「静かな日」;http://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2020/03/post-d7f21e.html
「エピローグ」や『復活の日』のようにならないことを祈るが、私が啓発されてきた柄谷行人氏が、ここ数年の朝日新聞書評でいってきていることは、人類は近いうち絶滅する、ということだろう。それを本当のこととして受け止めて、はじめて希望がみだされるかもしれない、と。近いうちとはいつか? 無農薬リンゴを開発した木村秋則氏が、宇宙人に口止めされていたその絶滅の年月を、取り巻きに酒をのまされてもらしてしまったという話によると、2030年代だそうである。そんな神秘的な話が、リアリティーをもってきている、という状況だろう。そして本当に、そういうものだとして、死を準備して生きたほうが、より充実した、意味のある人生をおくれることだろう。
2020年4月20日月曜日
ひる
あさ、書き終えたブログをアップして、本を読み始めたひるまえ、ようやく妻がおきてきた。いつもなら、まず一番に窓際で寝ている息子の布団をはいで、おこそうとするのだが、テレビをつけて、食卓の椅子に腰かけたまま、ぼうっとしている。顔が、まだ青白い。数日まえのよる、寝入ろうとした妻は、とつぜん咳きこみはじめたのだ。息ができないようだった。寝るのがつらくなったように、布団からでると、トイレへいって出てき、静かになった。おそらく、洗濯機などを置いた狭い玄関口にある丸椅子に腰かけて、休んでいるのだろう。洗面所と背中あわせのクローゼットを通して、タンクに水がたまってゆく勢いある音が、寝室にも響きつづけた。がしばらくして、妻のこま切れになった促音のような咳がひっきりなしになって、低音なリズムに落ち着いていった水の流れは背景にかわり、執拗な反復音が、家の中に緊張感を走らせた。
引き戸をあける重い響きがおこる。息子の、心配そうな声がきこえる。
「だいじょうぶなの?」それから間があって、「顔が、真っ白、死人みたい。コロナじゃない?」「そうかもね。」と妻がこたえる。また間があったあとで、「死なないでね。」
息子はそれだけをいうと、またリビングにもどっていった。どうも、音を低くして、テレビをみていたようだ。スピーカーからもれてくる幾人もの声が消えて、布団にもぐりこむ気配がつたわる。息子のあとからダイニングの方へいった妻が、蛇口をひねってコップに水をくみ、喉に流しこむようにして飲む。二人はさきほどまで、ののしりあいながら勉強をしていた。まだ声変わりしたばかりとわかる息子の割れたままのような声音は、ガラスの破片の切っ先のように部屋を仕切る壁にささってきた。ならば妻のヒステリックではあるが甲高くも落ち着いた重い声は、切っ先をさえぎる鉄の楯であろうが、その防御の道具は武器となって相手を押しまくり、体当たりとなって倒しねじ伏せ組み敷きはじめる。その母親としての本気度に、息子は勝ったことがない。だから、相手が防御をゆるめた隙をねらって、手や足の一撃がでる。二人の間で、おさまりがきかなくなる。たいがいの場合は、息子がトイレへ逃げるか、外へとでていく。「死なないで」といったそんな息子の声は、まだ母親に甘えている子供の泣きべそのような音色があった。
ワイドショーでの話しあいのした、布団にくるまった息子は動かない。妻も、いまは咳をしていない。熱は、ないという。味覚もあるし、とくべつに背中や胸が痛いということもない。たぶん、肝炎だからなのかもしれない、と咳きこんだ翌日に答えていた。風邪気味での体調不良じたいは、年末からつづいていた。三月にはいって、ウィルスの致死性のおもった以上の高さがあきらかになりはじめてきたころ、自分はすでにかかっているからもうかからないだろうとおもう、とのようなことを言い始めた。そんなわけがない、と私は言った。ならば地域センターでの活動で接したじいさんばあさんたちにうつって、誰かひとりくらいは重症になっているだろう、それがないということは、誰も感染などしていないということだろう……。
テレビでは、韓国での一日の感染者数が、一桁になったということを伝えている。妻は、肝炎だといった。マスクを国民に配った総理と同じ難病指定の病気を抱えていた妻は、去年暮れの検査で、肝炎の気があると指摘され、再検査の指示をだされていたのだという。その大学病院では、新型ウィルス患者の受け入れはしていなかったが、自身の病状の悪化は、正常性バイアスになっていくような自己憐憫が、もう通用しないことを、妻に意識させているようだった。アメリカでは経済再開への段階が組まれはじめ、韓国では一桁となったという報道にも、楽観的な妻の強気な性格の葛藤に、とくべつな影響をあたえていないようにみえる。顔は青白いが、以前よりはだいぶよいようには見える。しかし調子がよければ、ぺちゃくちゃとなにかコメントをしゃべりはじめるのだが、口を結んだまま、椅子にすわって、じっと映像をみている。
「ちょうどいまの日本の感染者数と死者数が、韓国でのピーク時のとほぼ同じだ。1万数千人の感染者と、2百人をこえるくらいの死者数だ。いや、人口が日本の半分くらいなら、率は韓国のほうが相当たかかった、ということか。検査数が違うとしても、流れはわかる。これから日本が、下火になっていくかね?」ひとりごとのように、妻のかわりなように、私は言ってみる。指数関数的に増加していくという計算予測どおりに事態が推移していったこの一週間だともいえるが、まだ身近に実感はなかった。近所の公園では、休校で退屈に疼いた子供たちがあふれ、付き添いの親もめだち、にわかにジョキングする人たちも増えた。テレビでみる東京の繁華街での閑散さと、住宅街近辺の喧騒との落差は、ふと足をとめて考えてみれば、非現実的でもある。棺桶であふれたニューヨークやイタリアのような状況になるまえにと、先週のうちに床屋へいき、マッサージをしてもらった。自粛要請の発令があっても、経営者の気概のようなものがまさっているようにみえる。自己破産するかともらしていた草野球仲間の焼き鳥屋さんも、いつもどおり、夕刻5時には店をあけていた。体調のすぐれない女房が夕食を作れないため、そのオカズを買いにでかけたときにやっているのに気づいて、焼き鳥を買ってきたのだ。息子はうまい、と、もも串のタレを頬張った。
住む団地より坂をくだっていった職場の途中にある火葬場が、普段よりいそがしく稼働しているようにはみえない。植木手入れにはいっているお寺の客殿でも、葬儀の回数が多くなったということはない。山手通りを走る車の台数も、減っているようにはみえない。
妻が、やおら立ち上がり、台所へむかった。昼飯しをつくるのは、正常性バイアス、というより、街の店の主人のように、女房の気概なのかもしれない。世の情勢がなんであれ、自分が病にかかるかどうかは別な話だ、だからその怯えと、メディアにあおられて感じる怯えとは、別のものだ。後者が強いものは、自分をたなにあげて他人をみるだろう。しかしこの最中で、日常的に客と接する仕事をつづける人や、妻のように自身の病と向かわざるを得なくなったものは、怯えを忘れることがない。いつも、自分をとおして他人をみる。自分のように、この人も死をおそれているだろう。自分を忘れて、こいつは何やってんだとは考えない。自分の欲せざるもので、他人をせめることができなくなる。
本にまた、目をうつす。図書館での予約貸し出しもできなくなったため、買ったまま読んでいないものを読み始めている。日本近世の仏教思想を考察したものだ。作者のまだ若い女性は、なかなか大学へと就職が決まらず、自殺してしまったときいた。東京の植木職人が以前よく造った朴石の庭をさぐっていくのに、富士塚という溶岩石の築山の技術だけでなしに、その背景となる富士信仰、江戸時代、最大数の民間信仰となったその背後にある仏教界そのものの思想の流れを把握してみたいとおもった。読み始めると、学位取得のために提出した彼女の論文の問いが、生々しいことに気づく。<日本近世において、人はどのように精神の自由を獲得し、いかにして生を超えていったか>(『近世仏教思想の独創』西村玲著 トランスビュー)――富士信仰を大衆的に再興した食行身禄は餓死にのぞんで入定した。彼女の見据えた僧侶普寂は<出定>したという。それは、どんなものなのだろう。
電話が鳴った。兄からだった。
「お、おれ」という。台所からは、麺類のゆであがる匂いがしてくる。「きょうは、雨で休みだろう?」ときいてくる。
「うん。」と返事をすると、「こっちも、ふってるよ。」どこか、どぎまぎした声がふるえている。いつもは、こちらが夕食どきの晩に電話をかけてくるのだが、天気が雨のとき、仕事休みを確認するようにかけてくることがあった。しかし、昨夜にひきつづいての、昼の電話だ。頻繁なのを気おくれしているからかわからなかったが、話しをすすめているうちに、ふるえはやわらいでくる。
「ゴールデンウィークには、かえってくるんかい? おかあさんが、心配してるんだよ。正岐も、かかってるんじゃないかって。」先週、この団地と同じ区の、ここから数キロのところにある総合病院で、集団感染が発生しているとの報道があったのだった。都知事も、クラスターがあったと認識する、と口にしていた。そんなニュースを知って、母は、すにで私たちがウィルスにかかっているのでは、とおそれたのだろう。昨晩の兄の慎吾の電話でも、そんな話しをしていた。
「もう、こないんだろう?」と慎吾はつづける。「おかあさんがさ、心配してるんだよ。だって、近くであったんだろう?」
「近いけど、まわりは、すごくのんびりしているよ。テレビでみると、大変みたいにみえるけど、かわらないよ。感染状況みて、帰るかどうか決めるよ。このままじゃ、たぶん無理だけど、裏の木を、切っておきたいんだよね。」
正岐は、砕石を厚く敷いた駐車場がわりの実家の裏庭、空き地を思い描いた。もともとそこは、大戦で退役してきたもと軍人の男が、くず屋をしていたところだった。死後、冷蔵庫などの家電製品や空き缶の山が、積まれたまま放りだされているようなかたちになった。近所と役所との協議のすえ、父が家の裏にあるそこの敷地を買い受けることにしたのだった。
「おとうさんとこには、まだいけないんでしょ?」認知症になった父は、老人ホームにはいっている。間をおいたあとで、正岐はたずねる。いつもの、形式的な問いになる。昨日も、そうきいたはずだ。「ああまだだよ、」と慎吾は答えたが、そこからは、昨日とはちがう話になった。「だからさ、おかあさんも見舞いにいけないだろう。で最近は調子わるいみたいで、こたつで寝てばっかだよ(と慎吾には、寝起きするのが大変になった母のために、椅子に座っていてもあたれるようにしたテーブル式の炬燵の中で、横になったままテレビをみている先ほどの母の姿が思い浮かんだ。)足がいたいだろう、(いや、そんな母の姿が思い浮かんだのは、ほかのことがあったからだ、と思いあたった。)畑もいけないから、ずっとふたりでいるみたいで、緊張するんだよ。(『そうだ、俺は、いま、緊張している、どうしてだ?』)作業場にいってるときが、息抜きみたいになって……」作業場というのは、精神障害者のために役所が設けた施設のことだった。週に二度ほど、そこに通っていた。商売としての、単純な作業を請け負っていた。時給300円。障害者年金をもらってはいたが、慎吾は、そこに通い続ける数少ない一人だった。『息抜きどこじゃないぞ。むしろ、息苦しいじゃないか!』トイレへいくのに一階へおりたそのもどり、母が見ているテレビでは、東京の街並みをうつしていた。繁華街なのか、大手の企業がはいる街並みなのか、人通りが少なくなったそこは、判然としなかった。傘をさした通行人のすべては、マスクをしている。黒と白のコントラストが、ちらちらする。人並みはまばらだとはいえ、みな忙しそうだった。そのなかに、見覚えのある姿がうつったような気がした。ひとり、マスクをつけていない。傘をささず、暖かくなりはじめた春なのに、冬もののコートをはおっているようにみえる。しかしだぶついた上着の向こうからでも、それが誰であるのか、そのシルエットを、慎吾はわかったような気がした。意識にもたげてきた姿をもういちど奥にもどしていくように、階段を踏みしめた。二階の自室にもどっても、しかしその様子から受けたいやな感じは消えなかった。いたたまれなくなって、なんとかしようと、弟の正岐に電話をかけたのだった。『あいつは、生きていたんだ…あいつが…』
島原史郎は、ぺっと、路上にツバを吐いた。『もしかりにそうだとしてもだ、(腕をあげて、ぐるっと回した。円く描かれた腕のむこう、雨雲がひるの光をさえぎって、白黒のまだら模様ににじませている。島原は、考えつづけた。)
2020年4月13日月曜日
あさ
まぶたをあけて目覚めるまえ、ほんのまえのひと時に、いま自分がおきようとしているとの意識に目覚めるときがある。いやそれもまた、眠りのなかでの意識、夢のつづきかもしれないとしても、その私は、目をあけて目覚めようとすることをやめて、瞑ったまま、まぶたの下の瞳だけをゆっくりとあけようとこころみるのだ。すると、うまくいくと、いまみていたであろう夢の画像が、みるみるとあらくなって、点描のざらついた世界があらわれてみえてくることがある。そしてそれにはふた通りの現れかたがあるようで、ひとつは原色的な輝きを背景にした、それこそまばゆいくらいにかがやいた緑や白光のなかで、なにやら、絵文字のような、単純なパターンをもった黒い線描の模様が、くっきりと浮かびあがってくる。パターンは何種類か、おそらくは数十種類はあるようで、もしかしてそれが、生きものたちがはじめて宇宙に放りだされるようにあらわれたとき、その混乱とうかがえた混沌から逃れるために解釈してみせた原記号で、あとからヒトの形として遣わされた私たちの脳みその奥にも蓄積されていて、結局のところ、私たちがみているものは、すべてこの幾種類かの文字記号に焼きなおされて展開されているのではなかろうか、という考えにたどりついたこともあった。その想念は、眠るまえからの観察によっても、みちびかれてきた。眼をつむったまま、瞳だけをあけてみる。光のさえぎられた暗い景色を背景に、モザイクをした模様がばらついているのがみえてくる。それは、目の焦点のあわせどころによってあちこちに揺れ動いているが、暗闇になれてくれば、赤っぽい紫いろに発光した、点の集まりであることが知れてくる。さらによくみれば、といっても、ここからは注意深い訓練が必要になるのだろうが、その点、ドットのひとつひとつが、幾種類かの形、パターンによって編まれているのがみえてくる。暗闇のこの部分の模様の点は、指紋のようなパターンで描かれた点の集合だし、あちらの模様は、音楽のシャープのような記号で小さな点が描かれてある。ではあすこは、と瞳をこらしてみようとしても、目の焦点をあわせようとすることによってその模様たちは波のように動いてしまうから、とらえどころはない。そうこうしているうちに、意識は遠のき、その暗闇のなかの点描が、その模様の形の組み合わせが、緊張のほどけてきた私の記憶からなんらかのイメージを呼び出してあてはめていくのか、れっきとした絵となり画像となり映像となり、そして連想ゲームのように連なり動きはじめ、おそらく、夢の物語へとはいっていかせるのだろう。子供のころから不眠症のある私には、それが眠りにつかせるための、羊を数えていった昔の言い伝えの代わりであった。
今朝は、いや、まだそんな時刻なのかどうかはわかってはいないのだが、その眠りにつくまえのなりゆきの逆の現れかただったようだ。これから目をあけておきると気づいたとき、目をあける反射をかろうじてとめて、ゆっくりと、瞳だけを開いてみる。夢が崩れて、粗く沈んでいき、モノクロの光景があらわれる。その変化をゆっくりとすすめることがうまくいったからか、残像として、さっきまで見ていた夢が、おそらく切りたった山並みの映像が最後だったのだろうと意識されてくる。私はもういちどその画像を確認しようと、脳の緊張のネジを静かにゆるめなおして、点描をなめらかな絵画へともどしてみる。どこの山だろう、なんでこの山をみたのだろう……何度か、ネジの緩み締めのような作業を繰り返しているうちに、意識がはっきりしてきたからか、眠るまえのあの暗闇の中のモザイク模様の世界からでられなくなった。私はあきらめて、観察してみることをやめて、目をあけることにした。しかしすぐにではなく、右目からあけるのか、左目からあけるのか、と自身の癖をつきとめてみようという思わくがおきて、さて、どっちだ、と身構えてみる。それはさらに意識をはっきりとさせてきたので、もう無理だろう、意識せずには目を開けられなくなったのだからと、ふっと目を開いてみたのだった。右だ、と私はおもう。白い光がすっとはいる。もう一度、目をつむってみる。ほんとうは左からか、と目尻の筋肉加減を感じながら、そう思う。同時かなあ、と目を、ゆっくりとぱちくりさせる。飛び込んでくる白い光になれてくる。早朝なのだろう。いつもの時間だ。目覚ましが鳴らなくとも、その10分ほどまえとかに、しぜん体が目覚めるようになっていた。左横向きで寝ているのだから、左目はつぶれるように体重がよぶんかかっているから、右目が開いたのか、とぼんやりカーテンの向こうの白い世界を眺めながらじっとしていた。目覚まし時計がなる。すぐに切る。五分後には、スマホの目覚まし機能が作動することになっている。ここ数年はないのだが、すぐに起きると眩暈があったためと、腰痛ですぐには起きあがれないこともあったため、それらの予防にと、布団の中で正座のように膝を折りたたんで、イスラム教徒が祈るときの姿勢のように上体を折って両腕をのばして、しばらくしている。アラームがなる。人差し指を画面うえでスライドさせて切る。起きあがる。
さて、目を瞑った世界の現象を観察していた意識がなお夢のつづきであるのならば、果たして、いま起きてみた私の意識は、いや私という意識になるだろうそれならば、私はなお、夢をみているのか? 窓の外の光景は、白いままだ。晴れていないからだ。天気ならば、青い空の輝きが飛び込んでくる。昨日の予報どおり、今日は雨なのだろう。濡れたアスファルトの水をはじく自動車のタイヤ音が、部屋を閉めきったままの団地の六階にまでひろがってくる。雨の日は、鳥の鳴き声はきこえない。都心部に近いこの地域なのに、近所には、にわとりをたくさん飼っている家がある。日の出のだいぶ前から甲高く鳴きはじめるのだが、苦情で騒がれたとはきかない。そのにわとりも静かだったから、私も静かに夢の世界を観察できたのかもしれない。
台所にいって、まずはコーヒーの用意をする。沸かし器からはずした水入れの容器に、水道の水をいれる。蛍光灯のスイッチはつけてないが、うす暗やみの中でも、メモリをたしかめずに、蛇口のひねり加減で二杯分ぴったりの量にあわせることができる。私と、女房のぶんだ。同じ部屋に寝ていた妻は、私がトイレをすませ朝食の準備ができはじめるころか、もう少しおそくなってから起きてくるのが常だったが、雨予報だった今日は、弁当をつくる必要もないから、あと二時間は寝ていられるだろうかと、すでに私の気配をうかがっているはずだ。作業着に着替えにまた寝室にもどってくるか、着の身着のままでトーストを食べ、朝刊を読み始めるのか、と。ほぼ昼と夜とが逆転していた。高校へ入学した息子に勉強をさせるために、夜半まで取っ組み合いがつづけられるのだ。ぐったりしたように、二人は眠る。息子は、台所のあるリビングつづきの隣部屋の奥に、布団をひいて寝ている。私が天井に垂木を張ってカーテンを取り付けたが、飯を食いテレビをみ読書する居間の窓際の隅、自分の勉強机や本棚に囲われた下で、芋虫のようにまるまっているだろう。食パンに乳化剤をつかっていない硬いマーガリンをぬって、トースターにいれる。軽いラジオ体操をする。トイレからでてくるころには、コーヒーも、トーストもできあがっている。無駄がない動きになるのは、植木屋で鍛えられた職人の合理性ゆえか。
新聞をとってきて居間につづくカーテンをあけると、すぐ脇にある水槽のなかで、金魚が飛び跳ねる。四ひき飼っている。お祭りの金魚すくいでとってこれるような小さなものは、すぐに死んでしまってかわいそうなので、生きのこった一匹と同じにしたので、鮒のようなものばかりだ。魚が泳いでいる、と勇ましい風景になるが、むしろ違和感がなくなってくると、面白くなる。息子が小学生の低学年まで何度か飼ってみた、インコをおもいだす。赤ちゃんから飼育して手乗りにし、放し飼いにしていた。だから、人の動きとはちがう、斜めの動き、斜めの線が部屋の中を横切り、描かれるのだ。水槽の中とはいえ、活発に動き回る魚も、こちらの感性を異化してくれるような、新鮮な線を部屋の隅に描きだす。餌をくれと、水槽の角の水面にみなで顔をあわせ口を突き出しているが、ばらまかれた餌をついばみおわると、底に敷かれたジャリ石や、水槽のガラス面にでもできたコケでも食べてお口直しをするのか、その間、仲間とじゃれあうように、お互いが邪魔をし合い、鬼ごっこでもするように遊びはじめる。その急な、素早い動きは、鳥も魚も獣であることをたしかめさせるが、それゆえにこそヒトを懐かしくさせる、人懐こくさせる共感が、私のほうにこそ芽生えるのだ。異質を意識させるものへの感動が、ヒトである私をして近づかせる。
トーストをのせていたからの皿を流しへ運ぶと、食卓に残したコーヒーカップだけを手に、スマホを確認してみる。パリのニコルから、メールがとどいていた。
Bonjour Masaki san,
Genki
desu ka? kazoku mo genki desho ka? Ima kodomo wa gakko yasumi na su...
Coronavirus, Nihon de sonna ni taihen ja nai, France no yori, Fransu jin shimpai takusan shinimashita. Ima wa minna dôfù shimashita....
Watashi
wa soto ika nai, itsumo uchi imasu.
Kiotsukete....Dewa
mata ne.
Ima Tokyo yuki kire hana iisho. Watashi no nihon go hen! comenasai!
三月の終わりころ、桜が咲いてしばらくたった東京に、雪がふったのだった。その雪と桜のいっしょになった光景を、スマホの写真でとって、フェイスブックに投稿していた。リマからマリオが、しばらくまえまでニューヨークへ家族旅行しておそらく仕事場のある六本木に帰ってきているはずのナポが、いいね!ボタンをクリックしてくれていた。ニコルの娘のナタリも、返信していたかもしれない。そのナタリは最近、フェイスブックを通して、世界のひとびとが一緒になって瞑想をして祈れば、この危機は乗り越えられると訴えていた。タロットカードのようなものをひきだしながら、おそらく家にこもりきりでいる友人たちに、気晴らしのひと時を過ごしてもらえたらと。
食卓のむこうで、息子が寝返りをうつ。いびきがきこえる。すきま風が、音をたてる。車の走りすぎる音が伝わる。金魚がはねる。私は新聞から目をはなして、窓の外をみる。物干しの向こうに、白い雨模様の空がひかる。家々が、かすんでいる。ビルの連なりが、曇り空に重なっている。
目を瞑れば、またあの暗闇のなかで、紫いろの斑世界が広がるだろう。光がロドプシンという色素にあたると、そこに組み合わさっている膜タンパク質をふくんだレチナールが反応し、その形が変化し、紫から黄いろへと変色する化学反応がおきる。目を閉じて暗闇にもどれば、またもとの紫いろにもどる。私が見ているものは、細胞の発光ということなのかもしれない。その細胞の能力は、菌類や藻類にもあるそうだ。私は、他の生きものたちといっしょに、光合成をしているということなのだろうか。新聞を読むという私の行為の本当は、原文字をなぞるというそういうことなのか。
コーヒーを口にしている私は、もはや目をつむらない。まばたきをするだけだ。この目を閉じて開いた瞬間、私が夢の世界から本当の世界へと行き来しているのかどうか、私は知らない。新聞のページをめくる音は、人の暮らす静寂を増していくばかりだ。息子がまた、寝返りをうった。金魚が、はねた。
2020年4月11日土曜日
新型ウィルスをめぐる(4)
あと一週間ほどすれば、世の混乱が、本当に疫病によるものなのか、政治的にしかけられた騒ぎであるのか、身近な経験として推論できるということなのだろう。数理計算的には、4月20日ごろが、メディアをとおしてみられるイタリアやニューヨークでの事態が、日本でも発生してくる、と言われているからである。またそれは、現地からSNSなどをとおして訴えられる、今の日本は2週間まえのこちらに似ている、との先週に数おおく投稿された実感表明とも一致している。
しかしどちらにせよ、世界は、この新型ウィールスによる混乱を、本当の現実として動き始めているようだ。「買いだめしないでください」と政府広報はいうが、昨夜のNHKでも、ロシアとうが、食糧を買い占め蓄積をはじめだしたと報道している。輸入に頼る国は影響がでるだろうと。先週のネット上のニュースでは、すでにアメリカで農業労働者が動けなくなって、生産に滞るようになってきた、との報道があった。田中宇氏などは、アメリカで、すでにそうなるだろうとのメールを配信している。となれば、次の事態は、国際紛争ということに近づいてしまう。
スピリチュアル系のメディアでの指摘では、世界上層部にいるエリート貴族たちは、そうした混乱を敢えておこして、「世界政府」をつくり、理性による徹底的な管理を企んでいる、となる。理性狂信主義、といおうか。
実際に、元イギリス首相が、「一時的」という断りがあるにせよ、そうした「世界政府」を提言する声明をだした。
スピリチュアル系というべき人たち自身の間では、占星術によるのだろうか、4月何日にどことどことの惑星が並列してエネルギーが増幅されるので、その日に国境を越えたみなで、統一的な瞑想儀式を行おう、などとのメッセージが流れた。フェイスブックを通して、フランスの知人女性から、そんな表明が転送されてきたのだが、のちに日本語のサイトもできあがって、流布しているようである。他にも、似たようなのが、いろいろあるようだ。この世界統一願望を、庶民信仰主義、と呼ぼうか。
陰謀論も、民間信仰とも距離をおいた、良識的な知識人の間でも、「世界政府」を射程にいれた提言がでてきている。最近では、朝日新聞によせた大澤真幸氏や、『サピエンス全史』の著者のユヴァル・ノア・ハラリ氏の意見などがそうだろう。あるいは、環境問題とうの地球規模の現実に直面している世界は、全体主義的な強権をもって事態に当たるべきだと主張してきたジジェクのような思想家の意見もその一つになるだろうか。こちらを、悟性尊重主義、とでも呼んでおこう。
つまり、現在、私たちのまえに、三つの「世界(政府)」が提示されている、ようにみえる。ので、教養的に、ラカンの「現実界」(支配者)、「象徴界」(インテリ)、「想像界」(庶民)、という区別や、カントの、「理性」、「悟性」、「感性」、といったカテゴリーもが連想されてきてしまう。
で、私は、どう実践的に「判断」するのか?
とりあえず、米がスーパーからなくなったときがあったというので、近所の業務用スーパーで、秋田こまち10キロを買って、車の中にいれておいた。楽観的、というより、私には現実を認めるのがこわくてネガティブ情報を拒否しているようにみえる女房には黙って、こっそりとだ。それと、非常事態宣言がだされる前にと、草野球仲間の焼き鳥屋さんへ飲みに行く。「いやそこのサミットで感染者出たあとでさ、パートのおばさんたちが帰りがてらに飲みにきたんだよ。もうこわくて。近寄れないし、いなくなってからすぐに消毒したよ。」店をあけるのもこわいし客はこないし、閉めても家賃はかかるから、自己破産も考えているという。だいぶしばらくの間、主人と二人きりで飲んでいたが、その間に、宣言が発令された。発令あとの数時間後、野球仲間の若者夫婦が一組来客した。
床屋にもいきたい。まだそう長くなってはいないのだが、ひどくなるまえにいっとかないと、なおさら行けなくなるような気がするし、店の人もいやだろう。いや、もういやなのか? 来てほしかったりするのか? よくわからない。マッサージにもいく必要がある。ずっと草むしりでしゃがんでいるので、足腰がひきつっている。中国人の若者たちがやっている手頃な値段のところなのだが、すでに2週間まえにいったときには、お客がいなかったような。それも濃厚接触だろうから、どうしよう? せっかくの週末休暇なのだが……。
本当に、実際のところは、なんなのか? まだ東京の新宿・中野の堺に住んでいる私の近辺では、感染者の報告はない。統計的にも、宝くじに当たるかいなか、の確率なのが現状だろう。しかし来週になれば、もっとはっきり、「判断」できるようになるのかもしれない。
2020年4月1日水曜日
桜の木の下で
まだ雪の残った桜の根もとの草を抜いていると、ときおり落ちる雨音のためか、地面をこするフォークの音のためか、ミミズが顔をだして、草地の間をくねりはじめる。地中にそのままいればいいものをと、上から見おろす側はおもっても、代々モグラに追われてきた記憶にあっては、ごく自然なふるまいになるのだろう。雨上がりの晴れ間、アスファルトの道のあちこちで、ひからびて力つきたその姿をみれば、今となっては不合理な習性であるとおもわれてくるが、果たして、上から見おろすヒトとて同じになっているのではなかろうかと、またひとつ、手を入れるのだった。
年度末の公園改修工事のために、毎年の三月彼岸の草取りはしなかった。いやもともとは、そんな行事は、この都心にある寺の手入れにはなかった。一年を通した仕事が減り始めてからいつしか、親方がそんな管理の作業をとりいれたのである。いやもっともともとは、この時期、植木手入れの職人に、仕事などなかった。正月まえの大掃除をかねた庭の手入れをおえて年をむかえれば、垣根の修復がたまにあるていどで、休んでいるのが普通だったという。私がこの職につく三十年近くまえには、もうそうした生活のリズムはなくなっていたが、ついその前まではそうで、高度成長期に植えた樹木がでかくなり、手入れの管理が必要になってきてから、通年という意識が、経済力の見返りにあとおしされて、職人の間にも芽生えたのだろう。雨で仕事が無理なときのほか、休みはなかった。とにかく仕事があるときに稼ぐという勢いは、日銭で生きてきたものたちの気概だったろう。それがはじけた。稼ぎというより、儲けのいい公共仕事への参加に比重をうつしきっていた町場の植木屋はつぶれていった。少なくなったパイの発注をめぐり、秘めやかに激しくなった野丁場の争いを尻目に、昔の習性を捨てきれず生き残った者たちが、引きこもれる草地の間で、身もだえしている。
まだ春になれきれていない草々は、指でつまむだけでも、すっと抜けてくる。彼岸の時期であったら、地にへばりついたロゼッタのままのものが多くて、根からとろうとするのにはむずかしかったろう。がもう少し経ってしまえば、根が横や奥にはりはじめ、力が必要になる。無理にぬくと、コケもごっそりついてくる。いつからか自然に生えてきたコケだ。二十年前、寺を改造したとき、中庭にスギゴケを植えたはずだが、それは根付かなかった。しかしいつの間にか、この境内の真ん中にある、日当たりのいい桜の木の下のまわりに、濃艶な緑の輝きを放つコケのいく種かが生えるようになった。割竹で円形に柵をかたどった植え込みの下草には、タマリュウを仕込んであるのだが、日向が多いためか、なかなか満遍なく育っていかない。その隙間を占領するように、少し日がかげる地帯には、コケが縄張り始める。山手通りに接した喧騒のさなかで、ちょっとしたビロードの絨毯が敷かれるようになったのは、気候の変動のせいもあるのだろう。京都では、コケを保持する朝霧がでにくくなったため、だめになっているときく。アスファルトの地面の隙間にも生えてくるギンゴゲには、カンブリア紀からいるクマムシというのが住んでいるのだそうだ。緩歩動物という一種で、目でみるのはむずかしいくらい小さく、イモムシのような体形らしい。
コケの下からはえている、ツメクサの株もとに、フォークの先をいれて、引き出す。まだ株を増やしていないオヒシバは、指で抜ける。ナズナの赤ちゃんのようなのも、手でつまめる。ハコベやハハコグサといった、春の七草と呼ばれるものも、たまに生えている。カタバミの類いの根には、玉ねぎのような球になった種がいくつもついている場合もあれば、ダイコンのように奥に深いものもある。環境条件によって、生きのびる戦略を変えるのだと、どこかで読んだことがある。どこからか飛んできたのか、ここ最近、キュウリグサが目立つ。まだひとつ所に群生しはじめているだけだが、横におおきくなり、抜くのが面倒になる。中庭にも、よそから飛んできたのだろう、外来もののシダが、敷き詰められた玉石の間に、密生するようになってきている。近所の地主の奥さんが、シダ類が好きで、そこで育てていた胞子がここまできたのかもしれない。が条件のあうのは、日の当たらない中庭だけなようだ。地主宅では、もう増えすぎてこまるからと、鎌で根こそぎしてだいぶ減った。ここではジャリの下から生えてきているので、上っ面をひっかくことができるだけで、どんどん増えていく。しかしその幅広のコケのようなシダを制限しようとしているのは私だけで、団塊世代の職人さんは、親方から言われているわけではないから、そのままにしている。
「もう今月で終わりにしようかとおもってるんだ」と言ったのは、その七十歳になる職人さんだった。納期の迫った工事の作業中、三代目になる若社長が、几帳面な難癖のような指示で、御老体を動かしてゆく。もうすぐ初老にあたる私も、こうこき使われるようなのは、体力的にもメンタル的にも、我慢の限度だった。「親方にいいますよ。若社長の仕事はいりませんから。休みでいいですって。」町場の仕事の方へ舵をきろうとした親方と、役所や企業間同士の仕事の方へ比重を置きたい三代目の間では、対立がおきた。当初は、そのバランスでしのごうと、親方は、役所の入札に自ら参入していくために株式会社にしたその代表取締の地位を、さっさと三十過ぎの息子にゆずったのだった。現場を任せると、しかし若い衆や、中途で採用した列記とした大人でも、人としての扱われ方に我慢しきれずやめていく。腰を悪くしてやめていった団塊世代の職人さんは、そのために呼び戻されたのだった。「会計もべつだ」、と怒りに任せてそう決断したとはいえ、同じ会社のなかでのそのあり方が、実質長くつづくわけはない。自分であつかえる従業員が誰もいなくなった息子が、それでもひとり頑張っていることも目にしている。業者の間では、受けもいい。おそらく、中卒での息子は、いまや造園会社の現場監督でも大卒でが普通となった社会で、異色な存在感をはなっているのだろう。先輩、後輩関係になれ、酒の席でも気勢をあげられる、いまや若者の間では珍しいだろう男気を発揮している。「これからの新宿区は、あいつが仕切っていく」と、私たちにもらした社長もいる。親方も、業界営業のボスたちから、自身の息子がそう認められることをうれしがっている。しかしそう認めた会社の親分たちも、もはや年寄り二人の職人しかいなくなったこちらの実状を知っていくにつれ、自身の認識を修正していかざるをえなくなっているのが、見てとれる。その実状を隠して、虚勢を張って、綱渡りのようなことをしている。番頭として親方から指定されている私の支持がなくなったら、仕事を下請けにだして管理作業だけをやるような位置も維持できなくなるだろう。地元の寺や、神社の手入れ作業から手を切るわけにはいかないからだ。植木職人の立場としては仕事のないこの年度末、仕事をもってきて与えているのだという男気は、私たち老体の身にだけではなく、今や若者の間にも通用しないだろう。私立高校に入学した息子のいる私が、別にやみくもに仕事や金が欲しいようなわけでもなく、これまでの男たちとは違うこと、違う出自であることを、親方は自覚している。とにかく本年度末の公園工事が無事おわり、なお抱えた職人がやめるわけでもなさそうなのにほっとし、お彼岸にできなかった草取りをこの二日でやって、来月の四月からは一週間休みにすると言ったのだった。
淡い色の花を咲かせた枝垂れ桜の頂のほうで、シジュウガラが、甲高い鳴き声をあげている。語尾が長く、つづけざまな、訴えかけるような声音だ。縄張りを主張したり、外敵の侵入を威嚇しているような、緊張感をもった調子には聞こえない。見上げてみると、頂上の枝先にのって、上に小さな嘴をつきだして、鳴いている。それからひとつ下の段に降りてきて、やはり上を向いて鳴いている。もう番いになって子を産む季節なのだろうけれど、異性を呼んでいる声にも聞かれない。シジュウガラにも、カラスと同じで、30種類ぐらいの言葉をもって話していると、テレビでやっていた。違う種の仲間を呼び、巣の下で寝転ぼうとしていた猫をみなで追い出していた。猫の方も、自分が邪魔になっていると理解したように、しょうがないなあとの素振りをして歩いていく。今の鳴き声は、なんだろう? 私には、わからない。
桜の頂には、枯れがはいっていた。根もともよくみると、幹が地に着く辺りに腐りができている。蟻が巣を作るのに出した、粒子状の黄色い土の小山が、いくつか並んでいる。下枝として伸びた太い枝のひとつも、幹から分岐したところで、猿の腰掛になっていくような、透明色のキノコが生えている。ヒトの背丈ほどの辺りの幹は、こぶ病でもわずらっているように、ごてごてしている。前の枝垂れ桜がだめになって、植えかえてから十年以上は経つか。本殿の回収工事のさい、根を傷つけたか、もともとこの地盤の下は、土壌がよくないという話だったか。植え替えたこの桜も、弱ってきている。樹木としては、まだ若いほうだろう。満開の頃には、ライトアップされて、写真をとりにくる人たちが結構いる。去年は、木を活性化させようと、親方自らが木に登り、枝をおろした。しかしそれが裏目にでたように、今年は花づきがわるかった。というより、もう咲いている。葉も、出はじめている。普段は、ソメイヨシノが終わってからで、たしかゴールデンウィークくらいまで楽しめたはずだ。それが、今冬の温暖化のためか、早く咲いたソメイヨシノとおなじように花を咲かせた。しかしその花数は少ない。枝数が少なくなったぶんだけ、なお貧相にみえる。除草にはいるまえ、桜のまわりを溝堀りして、有機肥料をあげた。例年は打ち込み肥料のグリーンパイルだけだが、化成肥料はわるいかもしれない、ということで、粉末状の肥しを根回りに流しこんだ。
四月からは、休みにはいっている。そしてまた少しやれば、五月に向けての長い休みがすぐにくるだろう。実家の方では、施設に入居している認知症の父だけでなく、母もが、歩くのがきつくなっている。どのみち仕事がなくなるのなら、両親に付き添いながら、独り立ちした仕事を一から作っていくのも同じことだろうと、女房にも言って、計画をたてたのだった。が父の様子を見に帰った翌日、東京からの面会は感染の危険を増加させるということで、施設は身内もシャットアウトとなり、自分にあっても、実家のある田舎との間を行き来しずらくなってきた。実際に、これから交通遮断もなされていくのだろう。
本殿の屋根のほうで、ヒヨドリが鳴く。手元には、褐色に成長しきれていない白っぽいミミズが、じっとしている。ゆっくりとではあるが、縞模様が動いている。草に濡れた雨が、じっとりと光って、色彩のめりはりをはっきりさせる。粘り気をもった土が、薄いゴムの入った軍手の指先を、冷たく刺してくる。隣の大通りからは、車の排気音がたえない。いつもの交通量にもどっていることは、たしかめていた。いつもと、変わらないようにみえる。聞こえてくるものも、変わっていないようにおもえる。桜の木の根もとでは、彼岸花の先の長くとがった葉が小さな群れをつくって伸びている。四月に入っての数日の寒さを抜ければ、春の暖かさが夏に向けて勢いをましてゆくだろう。今年の夏は、暑いのかもしれないし、そうでないかもしれない。それでも、秋がき、冬がき、また虫たちが蠢きはじめるだろう。しかし私たちが、同じように蠢きはじめるのか……おそらく、やはりそうなのだろう。たとえ、それが不合理な現実に進化していくものになるとしても、私たちは、身もだえしてゆく。