2021年1月9日土曜日

状況と選択(2)


今日の毎日新聞の書評で、三浦雅士氏が『ブルデュー『ディスタンクシオン』講義』を紹介するにあたり、――「投票集計の状況は不正選挙を疑わせなくもないが、アメリカの主要日刊紙は認めない。選挙は民主主義の根幹。かりに大勢に影響がないにしても徹底的に調査するのがジャーナリズムの責務。それをしないのはおそらく外国からの圧力(引用者註…中国のことになるのだろう)などではない。トランプ大統領に対する「ディスタンクシオン」が働いているのだ。/高学歴、高収入、高趣味の知識人たち、いわゆるアメリカ東部エスタブリッシュメント(官僚や新聞記者もそうだ)にとって、不動産で財を成したトランプは政治家としてかなり異質であり、はじめから毛嫌いの対象だった。トランプはポピュリスストであり潜在的なファシストだと貶すことが、この階層にとっての身分証明になった。かくして現実を直視せず、不都合な事実には目をつむるようになったのではないか、と疑われる。」、と発言している。

私も、選挙途中の折れ線グラフからみても怪しむのは当然、とこのブログでも表明し、オリーブの会の党首の、一部では第三者によって選挙投票機の怪奇さが実証されているのだから「徹底的に調査」すべき、との動画にリンクをはった。ただ、こうも推論した。アメリカ議員や官僚の多くが結果を疑っていたとしても、真実を推すか混乱回避をとるかとなったならば、後者をとるという、理性的な選択をしたのだろう、と。そしてトランプ自身が結果を甘受する声明をだしながら、「それでも地球は動く(それでもバイデンは不正だ!)」といったガリレオのように、いったん理性的に、引き下がったのではないか、と。真実を受け入れてもらえるぐらいの動きを実現できなかったのは、なお力不足だったのだから。しかしもし、トランプの信念が宗教情熱的なものであるならば、イエスのように、熱心な信者を獲得し、復活をとげることもあるかもしれない。が、それには、これからエスタブリッシュメント側がしかけてくるのかもしれない、暴行や借金裁判、それがいいがかり魔女裁判であっても、乗り越える、逃げ切ることができなければならないのだから、困難な茨の道になるのだろう。

がここで私がいいたいのは、アメリカのことではない。「高収入」かもしれないが、もはや「高学歴」「高趣味」ではない、むしろバカ丸出しでチンピラ爺さんのような跡取り政治家たちで一杯の、日本での話である。それも、庶民の世間でのお話だ。

※※※ 

「君は、アーミッシュを知ってるか?」(…前回ブログ冒頭引用の佐藤×副島対談で言及されたメノナイトという宗派から派生した宗派、とその対談で解説されている)
「いいえ。」
「プロテスタントの一派で、電気などほとんど使わない生活をしていて、アメリカでも数十万規模の都市を作っている。そんな人たちが、トランプへ投票するために、馬車を駆って投票しにいったんだ。」
「今回のアメリカ大統領選は、誰を選ぶか、という以上に、どの価値を選ぶか、ということにもなってますからね。ネット社会を利用して上手く世渡りしていくエリート側につくのか、それに乗り切れない者たちの側につくのか……それだけ、生きる根幹がおびやかされてる状況に、アメリカがなってるってことなんですかね。日本では、そこまでの真剣さは、わかりませんが…」
「わからないんではない! みんなマスメディア、テレビや新聞しかみてないから知らないだけだ。わたしは、Youtubeの安富さんの動画で知った。」
「一月万冊、とかいうのによくでてくる女性みたいな人ですね。」
「銀行員をやめて東大教授になって、いまは長野の山で暮らしながら、馬を飼ったりしている。アーミッシュとともに生活までしている。そういう人が、アメリカの真実を伝えているんだよ。」
「安富さんは、トランプ支持なんですか?」
「いや……(「違う、と言ってましたよ」、と端できいている若奥さんが口添えする。)そうではないけど…」
「ということは、まだアーミッシュの本心までは、わからない、理解できないものがある、ということですか?」
「いやそういうことではなくて…」
「たとえば、このアパートを直してくれた大工さんは、ネットみても、ゲームしかしないでしょうね。(私が年末に早稲田にあるこの話し手のアパートを訪れたのは、その修繕跡をみてみたいためでもあった。大がかりにでなくやってくれる大工さんを知らないかと相談されて、草野球・近所仲間の、私より一回り年下の一人親方を紹介したのである。きさくでヤンキーな彼は、打ち合わせの話ですでに安心感をもったのか、さっそく仕事日を組み、仲間をつれてやってきた。ガラス工事も、と尋ねられれば、すぐに仲間のガラス屋さんに話をつけた。ずるずると、芋づるみたいに、私も知っている職人仲間たちが、アパートを直していったのだった。)――ここの住人の台湾人が、インスタグラムを使ってパフェを営んでいけるのも、まだネットでの商売が過渡期にあるからだと思いますよ。ユーチューブだって、トランプ情報を規制してますよね。そのうち、大手がうま味を下から救い上げるよう操作をしはじめるんじゃないですかね。泳がされているようなもんだとおもうな。下見にきた韓国の若者は、読売新聞の配達しながら知り合ったお宅の日本女性と婚約までいって、下見に、彼女といっしょにお母さんまでついてきたなんて、すごいじゃないですか。人間社会の力でしょ。この力と、ネット社会のどちらがすごいのか? ネット検索して頼んだ大工さんと、地域の職人ネットワークでやってくる大工さんと、どちらがいいのか? トランプ対バイデンの闘いとは、そんな価値の闘いでもあるわけでしょ? だいたい、私がスマホにかえて、グーグルマップ使って街歩きしていると、人に聞けばいいんだ、そこで人とつながる能力がつくんだ、と批判していたじゃないですか? それが、いきなり最新のアイフォンになって、万歩計みたいなアプリまでいれてこれすごい、と……おかしくね?」

私が、以上の対話で言いたいことは、副島×佐藤対談における、次のような副島氏の反省認識である。

<廣松渉は、死ぬ間際に『朝日新聞』に投稿して、大東亜共栄圏というコトバを持ち出して、「東亜の新体制を!」と書いたんですからね。みんなビックリしました。清水幾太郎も死ぬ前に「日本は核保有をすべきだ」と、右翼論調になって私たちを驚かせた。これが、デカルトが大きく解明した帰納法(induction インダクション)の正体です。みんな学者は優秀な人ほどキチガイなんですね。/社会常識がない。生活の知恵がない。普通の庶民だったら知っている世間知というものが無い。欠落している。私は自分を含めて、そう思います。極端から極端に走ってしまう。>(『ウィルスが変えた世界の構造』)

デカルト(外国人)は本当かどうか知らないが、上の対話者、70歳をこえるアパート経営者も、「極端から極端に走ってしまう」。NAM以前から、左翼的な活動に関わっていたときくが、NAMで、創立者の柄谷からつらい目にあわせられたこともあって、それから右翼に転換し、西部氏をもちあげ、最近は村上春樹を愛読する。なんで、わざわざ自分の過去をおおげさに否定していくのか不可思議だが、その振る舞い自体、柄谷の「切断」とかいう左翼インテリ的潔癖だろう。本当に、新しい読書によって「転回」するのなら、まずは、ではなんで今までの自分はそうだったのか、その形式を自省してみる必要があるだろう。「極端から極端に」走る自分の身体的な型を問題化したほうがいい。それがないと、またはまってしまうだけだ。私は、安富氏も、極端から極端に行っているようにみえる。ヒッピー(左翼)とアーミッシュ(右翼)、過激な重なり、ともみえる。トランプ支持者にも、この過激左右の重なりが見え隠れする。が、庶民には、不可思議な運動であり、人生だ。そしてなんで庶民がはまりにくく、極端にいきにくいのかは、常に、他人と接触して、自分が問われているからだ。はまる暇がない。パチンコにはまったりはするが。

しかし、はまる暇がない、ということは、考える暇もない、ということである。が、植木職人の私は、年始早々ひまなので、まだ少し、考える暇がある。たぶん次は、ネット社会というものが、原子力社会であることの定義に、触れられたらと思っている。

修理したアパートの三部屋は、緊急事態宣言のコロナ禍にもめけず、テレ講義による退去を乗り越えて、全て埋まったそうである。

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