2022年5月21日土曜日

陰暴論をめぐる

 


一番最初の陰暴論とは、マルクス主義だと言われる。

マルクスの『資本論』自体は、世の中の複雑さを複雑なまま理解することは人には困難であるから、構造化できることを抽出し、単純化したものだろう。数字や記号のかわりに、哲学的な概念を用いた、数学的なモデルのようなものだろう。わかりうるところと、不分明な所が区別されて、頭の中が整理される。が、それを文字どおり受け止めて、世界は資本構造によって支配されており、ゆえに、それを人格的に担う資本家をやっつければ世界は変わるはずだ、と考え実践する。そしてそう実行されて、陰謀(革命)が成就されたとしたこともあったわけだ。その過程でも、いや上部構造の政治は政治で独立した原理で動いているのだとか、いまなら柄谷行人の交換論(「世界史の構造」)も、資本はより一般な市場経済原理の交換様式に吸収されて、他の三つの交換原理との組み合わせによって社会のあり方が変わるのだ、と訂正される。同じマルクス主義でもイギリスの経験論に立つエマニュエル・トッドによれば、そんな四象限に単純化した思考も、ヨーロッパは大陸系のデカルト主義なのだ、と批判されるだろう。(ダンス&パンセ: <家族システム>と<世界史の構造>――エマニュエル・トッド『家族システムの起源』ノート(1) (danpance.blogspot.com)

 

いま巷に流布されている陰暴論は、資本家や大企業というより、より一部の(ユダヤ系)金融資本家とつるんだエリート政治勢力が世界を動かしていると考え、それをつぶせ、と言っているのだろう。そうしたエリートが何を企んでいるかといえば、過剰になった世界人口を削減し、デジタル管理できるまでにし、自分たちの思い通りに世界を安定化させる、ということらしい。コロナ・ウィルスやRNAワクチンもその思惑のための実行であり、ロシアとウクライナとの戦争も、デジタル通貨を世界導入するための布石、ということになっているらしい。

 

地政学的には、アメリカがヘゲモニーを持つ一極主義を解体し、多極主義をめざす、そっちのほうが儲かる、と踏まえられているとされる。イデオロギー的には、社会主義であって、アメリカの政治中枢に入り込んだネオコンとはその実働部隊であって、隠れトロッキストだ、と指摘される。ジャーナリストの田中宇によれば、敢えてアメリカに過激な言動をとらせることで自滅を加速させるのが戦略だ、という。ただその企みが全的に機能してくるようになったのは近年においてであって、それまでは現実政治として様々な勢力がせめぎ合うのだから、陰の国家(deep state)が操っているとしているのではないようだ。(米諜報界を乗っ取って覇権を自滅させて世界を多極化 (tanakanews.com))

 

常識的に考えても、私たちは自分自身さえ、一つの主体が支配できているわけではない。オナラや病気をおもえば、とても身体を持つ自我世界をコントロール仕切れているとは言えないだろう。そういう人たちが集まった集団世界を、一つの勢力が思い通りにしている、とはとても想定しにくい。もちろん、日本の村にだって、談合があるのだから、世界にも悪だくみを考えてつるむ勢力はあるだろう。浅田彰と田中康夫の「憂国呆談」でも、世界は多極化への流れがあるのだから、「従米一本足打法」でいつまでもやっているな、と提言されているが、これは自然史過程としてそうなんだ、という認識だろう。(「核シェアリング」妄想に異議あり プーチンを反面教師にすべき習近平【田中×浅田】(田中康夫×浅田 彰) | 現代ビジネス | 講談社(4/5) (ismedia.jp)

 

ロシアの侵攻予測をはずした佐藤優は、これまでは本気にしてなかったが、副島隆彦が説く陰謀説が当たっているのかも、ともらし始めた。((176) 【最新:ロシア・ウクライナ戦争】2022年04月27 東京大地塾【新着】 - YouTube

 

田中宇が、陰謀めいたものが機能しはじめた時期を指摘しているように、もしかして、隠然とした当人たちの思惑を超えて、それが自動的に動き始めてしまったとしたらどうだろう? これだけのネット社会である。世論操作は容易になった。しかし、そこで考慮すべきなのは、SNSでもツイッターに代表されるような状況である。様々な意見、ちょっとした差異で炎上するというのだから、それをひとつの方向へと操作誘導するのは困難なはずだ、と見られるかもしれない。が、ツイッター反応は、反射神経的な、脊髄反応と言われる。私は、『進撃の巨人』はエレンに巣食った始原の有機生命、脊髄を模した軟体微生物のことを想像してしまう。自由な発言に思われても、実は、無意識に支配されている。そして狂暴になる。(BCCKS / ブックス - 『人を喰う話 2 『進撃の巨人』論』菅原 正樹著)

私は、今これ以上ネットの無意識に食われていくことに身の危険を感じるので、ツイッターやインスタグラム等には近寄っていないが、それは、習慣的自然になった言語作用が呼び水となって、当人の無意識をせりあがらせて飲み込んでいかないのだろうか? 私には、気味が悪い。

 

つまり、意識的操作としての陰謀ではなく、その陰謀を巣食わせる心の準備を私たちがしてしまっていたのではないか、ということだ。様々な意見やその差異は混然となってある方向へと雪崩れていく。戦争が非人称的に人を飲み込んでいくように、ネット社会も、人々を飲み込んでいく。無意識のアルゴリズムを私たちは知ることはできないが、それは動きはじめると、性犯罪者のように、発散が果てるまでゆく。戦争も、当人同士の気が済まないと終わらないようだ。食われてしまえば、もう論理(意識)の話ではない。陰謀を信じる者も、信じない者も、ネット技術を媒介にせり上がってきた無意識の津波に飲まれて、行き着くところまでいく。陸にあげられたものは幸いなるかな。

 

次回は、その陰暴論の哲学的な意味(方向)に最近の量子論のニュースをからめて、加藤典洋の『人類が永遠に続くのではないとしたら』を参照しながら、もう少し敷衍していこう。

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