千葉へ移住前の中野区の本屋でこの本をみかけたのは数か月前になろう。
私も、去年、電子出版本の試作として、初めて値をつけてみた『人を喰う話』(摂津正さんとの共著)に、「瀰漫する日本浪曼派――シン・エヴァンゲリオン批判」なる予備考で、橋川文三の『日本浪曼派批判序説』を使用していた。ので、そのタイトルが気になり、手にとってみたのだ。が、その時は購入にはいたらなかった。
著者の杉田俊介という名前をみて、この人はフリーター問題に関して、何か実践をやっていた人ではなかったろうか、という想起がよぎったからである。たしかその件の著作に関し、私はこのブログだったかその前のHPかで、肯定的に感想を綴ったことがある。だから、その後の杉田氏の活動のことはまったく知らなかったので、文学論との関連が結びつかず、ためらったのだ。分厚いし、高いし。
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私自身は、橋川文三の作品は、『-序説』しか読んでいない。シン・エヴァンゲリオンを映画館でみて、これは無邪気に薄められた日本浪曼派的な心情なのではないかと思い、そこで橋川文三にそれを批判する本があったな、読んでみよう、という気になり、柄谷経由のより一般的なロマン派理解で理解できるところでこの映画は切れてしまうじゃないか、と即席的な例解として書いてみたものだ。
私は新宿区の職人街、かつては歌舞伎町などにも鉄砲玉となるような人たちを供給していたような地域の人たちと付き合ってきた。草野球仲間でも、街宣カーで出動する、赤尾敏の愛国党系の右翼団体の家系の親分もいて、そこに関わる若い人たちのことも、深くではないが、肌感覚でわかる。イデオロギーだの、そんな話ではない。
宮台真司が、クリントイーストウッドの映画に出てくる主人公は、平凡でどこにもいる人なんだけど、それがそのままで英雄的な行為をみせる、その逆転の現実を描いているんだ、と講釈していたと思うが、そうした理解に近い。
私は、中学時代まで、「純粋」に野球をやっていた。そこは、軍隊のようだった。が旧制中学からの進学高校に入って、そこで、戦後民主主義のような洗礼を受けた。自主練が中心だった。私の頭は混乱した。今からおもえば、燃え尽き症候群という症状だ。これは、私が息子と一緒に少年サッカーを教えていたときでも、そう陥る子供もいることを確認した。代表チームに選ばれて、仲間と団結した厳しい練習を卒業し、いざ生ぬるい中学部活動や、あるいは技術偏重のテクニカルなクラブ・チームにいくと、不適応になって引きこもり、そのまま学校へも行けなくなる。一身にして二世を経る、という福沢諭吉の認識経験が、そうしたところでも反復されているのだ。
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中島一夫氏の文芸ブログ、「文学は故郷を失ったことなどない」や「アンチ・オイディプスはまだ早い」は、杉田氏の作品への応答などではないかと推察される。書評での紹介をこえて、杉田氏の作品が露呈させてきた問題を引き継いで綴ったような論考である。
杉田氏の問い、<共和制=真の一般意志のために、天皇制なき民主主義を見出すことができるか>――中島氏によれば、三島は、文学がその実践にならない、なれないことを理解していた、と。ベンヤミンの仕事を参照して言えるように、演劇という実践だけが、その回路をもつ。<三島の死とは、いわば演劇実践によって文学の「外」に出ることだった。「死なないですむ」芸道=文学=仮構の「外」にしか、「現実の権力と仮構の権力(純粋芸道)との真の対決闘争もな」いのである。>
演劇は、そういうものなのか? みんなを巻き込んで、場を創造していく。上(天皇)からではなく、下からそこを、真のネーション、共同性を形成していく装置として。一人ひとりがバラバラで虚しくならないように。…が本当に、そんなものがいいのか? 必要なのか? ……三島のその劇的な死にざまは、磔にされた神、という転倒の衝撃と私にはだぶってくる。だから、もし本当に、天皇(日本人の一般意志を収奪しているとされる)が、日本人という枠をこえて、普遍的な神としての超越性を得たいならば、その必要があるというならば、イエスや三島をこえた、よりわけのわからない死に方、「俺だって人間だぞ!」と叫びながら、「人間よ、人間よ、なんで私を見捨てるのか」と独り言ちるような、劇的な結末を迎えなくてはならないのだろう。と、論理図式でなるとおもうのだが、それが、いいのか?
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柄谷行人がNAMをはじめた頃、日本語の表記体系の漢字かな交じり文を、双系性という人類学的な分析概念で解こうとする議論があったが(共同討議「「日本精神分析」再論」(『批評空間』2002Ⅲ―3))、結局のところ、それは日本が「島国」だから、という地理的な要因に収れんしてしまう。だから、と決断=実践として、NAMがはじまった、はじめた、と。そして柄谷は、「大和魂」という言葉を喚起させて、それで実践していくことを肯う対談もどこかで行っていた。
ここでようやく、杉田氏の、最後の章の言葉を引用できる。
<三島もまた現人神への愛憎の先で、天皇制を踏み抜いて誰もが神になるための道を行動的に示そうとした。しかし橋川の場合、三島とは目線が微妙に違う。日本を郷土の寄せ集めとして「くに」=島国として見つめ、それがアジアへと、世界史へと普遍的に開かれていくのを見つめるからだ。そのとき戦死者たちもまた、日本国家のための神ではなく、この地球のため、人類のための神々の一員となる。>
理論的には曖昧な、杉田氏のロマン心情の吐露のような言葉だが、私は共感できる。「アジア」というのは私にはわからないが、中上健次は、日本人の一億総玉砕という思想は、カンボジアはポルポト派の大虐殺と連なっているのだ、と発言していたのを思い出す。現今のウクライナでは、マリウポリ製鉄所をめぐる戦闘などは、硫黄島での戦いを想起させるが、アゾフ大隊の司令官は、SNSで助けてくれと呼びかけて、玉砕はしなかった。これも、すでに他民族からの虐殺経験を幾度も経ざるを得なかった大陸系の倫理感なのだろうと、私は推論する。
橋川は、島国日本という周辺のさらなる周辺の「対馬」という故郷をより緻密にみようとしはじめていたわけだ。その視線の先に夢見られる「くに」では、誰もが神になりえ、地球のため、人類のための一員として生きているだろう。……しかし、夢であってはならないだろう。いまや、テニスの大坂なおみだって日本人だし、100メートル走のサニブラウンだってバスケの八村塁だって、見かけだけでなく、いわゆる日本育ちの心情とは異なっているのではないか。彼らを、いわゆる「在日」の憂き目につぶしてしまうことを繰り返してはならない。それは、夢ではなく、必要な具体性として目に見える。そこを見ないで、あくまで日本育ちの、私なら上州人気質の内在的批判という文脈だけにこだわるならば、雑多なものを文化的に抱擁するだけの「神々の微笑」に頽落してしまうだろう。