2022年12月31日土曜日

『対論 1968』(笠井潔・絓秀実・外山恒一著 集英社新書)を読む


 「対論」を行なっている笠井潔氏と絓秀実氏の作品は、1980年代後半頃の早稲田大二文の学生であった時から、読んではいる。が当時、その二氏が活動家だったということは知らなかった。あくまで、文学なり思想的な営みの延長として受容していた。それどころか、早稲田大の文学部の講師として、絓氏が授業を持っていたということにも私は気づかなかった。四年生のとき、文芸創作科の講師としてジャーナリズム専門学校からやってきた渡部直己氏の講義を受けていた時、柄谷行人氏の「探究」とともに面白く読んでいた「文学の隠喩」というタイトルで文芸誌連載していたその絓当人がこれまでは授業担当していたのか、とはじめて気づいたのだ。

そもそも、私は大学を相手にしていなかった。夜学を選んだのも、大学には行く気はないが、読書時間という暇が欲しかったからだった。私の現在進行形的なジャーナリズム界に関わる書籍の読書は、浪人中出版された柄谷行人氏の『探究Ⅰ』からだった。高校受験の延長で古典ともなった近代文学は読んでいたが、意識的に読み始めたのは小説ではなかった。中上健次の作品も、柄谷経由だった。自分の分裂病的常態を言語化整理・克服するために、野球馬鹿から読書世界に入っていったので、直接的な自己意識化以外のことをやる余裕はなかった。ただ、考えていた。そして直接的な言語化だけではすまない自己意識の方が大きかったので、書くことの主要は小説になり、卒論も創作を提出した。

 

そうしたなかでも、当時はまだ自治会も学園祭もあったのだから、政治活動する学生とは触れていただろう。新入生のクラスには、授業がはじまる前にビラを配り、教壇に立って、政治的な何かの話をしたあとで、席に着いた一年生のもとへ意見を聞いて回る姿があった。私の所にも、硬い表情をした女性が来て、何か質問をしてきたことがあった。その一つ一つに、司馬遼太郎だのの、引用で答えていた。で何かの質問に、柄谷の作品から引用して答えたところ、突然その女性は目を見開いて表情が変わり、「あなたは柄谷を読んでいるのか?」と聞いてきた。「読んでちゃわりいのか?」と、長い尋問を打ち切りたいような口調で返したとおもう。彼女は口ごもり、そして先生が来たので、教室をあとにしただろう。この「対論」の知識からしても、彼女は革マル派、ということになるのだろうか? その後も、構内で彼女を見かけて目があって話しかけたそうな雰囲気に会うこともあったが、私はうざったく感じていただろう。

といっても、私も絓氏と同じく旧制中学から高校になった地元の進学校出身だったので、いわゆる左翼的な活動をする生徒たちと無縁だったわけではない。群馬の高崎高校は、学生運動盛んな当時において一番過激な高校の一つだった、と国語の教師は発言していた。その名残りは、君が代斉唱で拍手をしたり、国旗掲揚で背を向けたりといった、意志表示をする生徒が幾人かでることに現れてもいたのだろう。そしてそういう生徒たちは、先生たちからも意識の高い者と評価され、一般の学生にも一目置かれていたと思う。で大半は、当時同窓生でもある総理の中曽根が講演に来たときなどは、全校生との記念撮影時には、「いなごの大群」(あとでの中曽根の表現)のごとくその現役総理の身の周りに寄り付いていったものだった。佐藤優氏が、浦和高校のことで、すでにそこの優等生たちに官僚的な振る舞いがあるのだと指摘していたと思うが、私もそこが鼻についたことだった。早稲田大では学費値上げ反対闘争とかで、試験の中止が幾度かあったが、そうした認識の延長で、大学に居る必要もなく感じる私には、一般の学生も意識高い学生も同じであって、親が払うってのだから払わせておけばいいだろう、敵はまず親だろう、そこまで本当に嫌ならば、払わないで退学していけばいいだろう、と思っていた。

 

大学卒業後、だめ連の集会にも参加したことがあるが、それを主催する中心人物の二人が、二文の同級生であったことなども、私は知らなかった。

 

私がこのような本を読むのは、以上のように、いわば「知らない」からだが、そこには、覚えられない、という事態もがはらまれている。私は、たしか絓の『革命的な、あまりに革命的な』の作品だったか、ベンヤミンの割れた壺の破片の復元の比喩を喚起させながらも、重箱の隅をほじくっているようでもある、と感想をこのブログでか綴った覚えがある。何も知らない者にとっては、小熊英二氏の『1968』でもまずは必要だと。しかし知識以前に、もっと根源的なわからなさ、があるような気がする。左翼運動の諸党派の違いの、どこに意義があるのかわからない、といおうか。自民党の派閥の系譜がよく覚えられないのとも似ているが、もっと根底でわかりにくい。それは、「労農派」と「講座派」の違いが、私には、いつもこんがらがってしまうのに近い。そこには、人脈だけでなく、なんでそこで、その認識で明確な差異が線引きされるのかが腑に落ちてこない、という感覚がつきまとうからだろう、と思われる。

 

たとえば、柄谷は、労農派なのか、講座派なのか? 私には、そういう党派的用語(区別)を使用するならば、両方ともに、としてしか理解できないからである。宇野弘蔵の影響が強いからといっても、その日本把握には、講座派的な認識があるとしか思えず、その線引きに、本当に真理把握のための枢要があるのか疑念を抱いているのだろう。

 

佐藤優と池上彰の左翼概説史の新書も読んだ。その二人がこの新書を上梓したのは、どうもまた左翼の暴力性が若者に浸透し、影響力をもって惹起してくるのではないか、という危惧によるようである。それは杞憂だろう、と思っていたが、私がこのブログで書いた『NAM総括』の感想に、著者の吉永剛志氏が自身のブログで私を“糾弾”しているのを目にすると、もしかして杞憂ではないのかも、と思い始めた。とくにコロナ災害やウクライナでの戦争にまつわる左右両陣営ともにの同じ暴力肯定(コロナ統制とゼレンスキー・ウクライナ頑張れ)への世論迎合と相まって、私にもその危惧が共有されてきていると感じる。

 

この「対論」は、ロシアの侵略ではじまったウクライナでの戦争までは射程にはいっていないが、「暴力」の再評価、という視点を大きくだしているといえよう。

 

<我々を苦しめている空虚感や不全観は、親たちの世代が本土決戦に日和見を決め込んで延命し、擬制の「平和と繁栄」を謳歌してきたからではないのか。すでに全共闘運動は戦後民主主義/戦後平和主義/戦後啓蒙主義の三位一体を攻撃していた。こうした全共闘の戦後批判を徹底化し、異次元に飛躍させるものとして革命戦争論は提起されている。>

<アメリカでも西欧でも日本でも、「68年」の時点で群衆化が著しかったのは大学キャンパスだった。しかし資本主義の21世紀的な変貌の結果、階級社会の本丸としての労働者階級は解体、全社会的な規模で群衆化が進行し始めた。それは一方で2011年以降の国際連続蜂起をもたらしている。他方で群衆の政治的ロマン主義は、ナチズムに組織された過去を反復するように、今日ではトランピズムに代表される右翼ポピュリズムと新排外主義に動員されつつある。群衆の政治が機械原因論の呪縛を越えることができるかどうかも、「68」から持ち越されてきた課題といえる。>(笠井「反復と逸脱――「68年」から持ち越されたもの」)

 

私には、「本土決戦」というあり得た歴史の現実性と、赤軍派に行くような学生たちの現実化した暴力を同じ文脈で捉えてみせる思考にははっとさせられるが、そのままでは容認できない検討の余地を感じる。笠井は、「どんなわけで、日本にだけ“転向論”が生まれたのか?」と問うているが、それこそ、広義の意味で、天皇制があるからなのではないか。いまテレビで、スマホで簡単に転職できます、という宣伝が大量に流されているが、それでも、日本人の多くは、一度所属してしまった場所からの転属に、強いわだかまりを抱くだろう。だから、世間知のない若いヤンキー系の人ほど、それをふっきるように、ばっくれる、という行動にでる。がそれも、帰属しているところからの離脱に裏切っていくような圧力がかかって、負い目を感じさせられる現状があり、最近の言葉でいう「同調圧力」というその無意識的な制度性は、相も変わらずであろう、と私は講座派的に認識する。だから、その帰属先へと矛を向け返す、「本土決戦」から本土攻撃へのような転回は、地続きであるとするような、同じ文脈としては把握できないのではないか、と感じる。やはり、柄谷がマクベス論で示したように、言葉を使うインテリ環境に偏重された観念性の、主体を越えてやってしまうという関係の現実性の向きの方が強いだろうと認識する。どこか体育会系運動部の閉鎖関係からくる暴力性と類比的なところがあっても、運動部では、死ぬまで殴る、とは行きにくいだろう。こいつとは考えが違う、という前提が、そこではないだろう。あくまで、先輩後輩でも仲間のままなので、手加減が生じる。

 

*現今ウクライナは「本土決戦」をやっているが、硫黄島の戦いのようなマリウポリの防衛では、日本人のように玉砕はしなかった。この<投降と決戦続行>と、日本の<玉砕と決戦放棄>との対比で、どちらが「暴力」を貫徹し回避しているのかは、一概には把握できないということにならないだろうか?

 

しかし笠井・絓両氏とも、「そもそも自分たちのことを知識人とか」「思ってもいない」ということだ。私は『NAM総括』の感想で、組織創立のそもそもから、中心(柄谷、知識人)において分裂があって、それが金太郎飴の構造となって、どこを切っても「知識人と大衆」ともいうべき温度差が貫いており、そこの亀裂が拡大波及した、というもう「一つの見通し」(岡崎乾二郎)をあげた。それは言い換えれば、柄谷からの距離、イロニー、茶化しが「高幹部」となるべき人たちの間にあったこと、その一般参加者には知り得ない事態が根本の原因にあったのではないか、という示唆である。絓は、NAMの中堅幹部であったろうような私のような人物がいて柄谷(組織)は大変だったろう、と言ったそうだが、それに参加していたはずの自身は、どこにいたのか? その私への発言こそが、私のもう「一つの見通し」が正しいのではないかとの傍証を与えている。少なくとも、ネット・メールでの炎上を恐れることもなく、一般の会員とともにその間で言動返答していたのは、柄谷と岡崎氏だけだった。もちろん、この見立てには、いわゆる「知識人と大衆」という枠組みは破棄されており、その上で、他に言いようがないので、積極的に関わるプロジェクトの人≒知識人と傍観的な参加者≒大衆、という既存用語を使用したのである。柄谷も岡崎も、大衆とともにあることを厭わなかった。「知識人」ではないという絓は、どこにいたのか?

 

この「対論」でははっきりと言及しているとは言えないが、そもそも当時の柄谷の言論思想に、両氏には異議があった、と推定はできるだろう。とくには、最近になって、立場の違いが開いてきた、ということであるのかもしれない。柄谷が柳田を引用したり、9条を前面に出したり、戦後民主主義に依拠しているようにみえたり、災害ユートピアを喚起させる交換Dなどの概念を作ったり、という点であるかもしれない。しかし、絓も天皇制の問題など、「憲法を改正して天皇条項を破棄すればいいだけの話」というように、その改正を前提にするならば、9条を抽出してそこを擁護し押し出す、ということは、戦後憲法の成立事情に伴う天皇と9条はセット、という問題規制は実践的には意味をなさない。単に、実際的な改革順番の問題になるだけだ。柄谷自身は、天皇を肯定するとも発言していないだろう。朝日新聞に書評を書いていても、だから戦後民主主義の枠でいいのだ、とも言っていないだろう。言わない、ということは日和見ではあるが、実践的に必要な段取り戦術なのかもしれないではないか。また、柳田と交換D(災害ユートピア)の問題は、フロイトの理論仮説と関わってくるだろうが、絓は確か、フロイトの理論は「ほら話」だ、と説いていたと思う。私には、そうした認識のあり方に、柄谷に対する茶化し、同時に、かつて柄谷が、絓と渡部はなんであんなにも上機嫌なんだ、と批判していたところに伺える洞察がその「ほら」認識にも当てはまってくるのではないか、という気がしている。

 

柄谷は、『世界史の構造』でであったか、民主主義は封建制から生れる、というような認識を示し、職人の親方と資本主義の社長は違うんだ、みたいな文脈を導入していたと思う。活動なり政治運動のことなど全く知らない私がNAMに参加したのは、自分の病気を治癒していくに役立った著作活動をしてくれた人へ恩義を感じたからである。その人物がやるというのなら、「いざ鎌倉へ」と、私ははせ参じたのだ。このブログでも言及したが、大澤真幸氏が考察した鎌倉時代の天皇への謀反のあり方にこそ社会変革可能性の道筋があると私も感じる。戦後憲法の天皇条項を削除しても、広義の天皇制の問題はなくなりはしない。が、もう天皇の名によってごまかすことができないことによって、その問題がより露呈する。そのとき、それは否定すべきものであると同時に、生かすべき自分たちの素材であることが、はっきりするだろう。

 

9条は、切腹である。日本人は、これをもって、戦争する世界や人間と戦う、と決めたのではないか?

2022年12月24日土曜日

考える葦


人間は考える葦である、我思う故に我在り、とは、文字通りな意味でそうなんだな、と思う。すなわち人は、考えられなくなったら、死んでしまうのだ。ダンサーは体を動かすことで、絵描きは絵を描くことで、物書きは物を書くことで、考えている。踊れなくなる、描けなくなる、書けなくなることは、そのままで死に直結する。踊らなくとも、描けなくとも、書かなくとも生きていられて在るのなら、その人はダンサーでも絵描きでも物書きでもなかった、ということだ。そういう職についているかどうかは、関係がない。そしてそういう風に、人間は生きている。すなわち、考えている。どんな人間でも。そこには、なおジャンルとして定かでもなく、また世間に公認される必要もない仕草もあるだろう。しかしどんな人間でも、考えることをやめてしまうことは、死へと直結する。考えるゆえに我あり、なのだ。


朝は近所の公園で、近所のお年寄りたちと、ラジオ体操をやることからはじまる。体力や筋力を落とすと仕事にならないからと、早朝自主トレをやってたら、重なってしまった。しかしきちんとラジオ体操第二までやると、体がほぐれる。

ラジオ体操というと、その起源から、国家主義がどうの近代化がどうのと、教条主義的な話がでてきそうだが、もはやそんな起源を生きているわけでもない。集まるのは10人ほどの半分以上は女性で、体操の音楽が流れている間も、まだ若い奥さんが散歩させている子犬と戯れている。

私が野球をやってたということも知れて、近辺のソフトボール大会にも人が足りないとかりだされた。そのまま居住地区の、地域の発達障害者も交流する80歳すぎの牛乳屋さんが監督する年寄りアパッチ野球団みたいなチームにも入った。そのついでということなのか、もう若手がいないということで、市だか区のスポーツ推進委員とかにも、来春からなるそうだ。準公務員だそうである。ゲートボール大会時の設営とかだそうだ。防犯夜回り隊員にもなった。他に暇な人もいないだろうからと、言われたままやっている。この衰退していく国家の末端組織がさらにどうなっていくのか、違った線が出てきて蘇生していく道筋ができていくのか、興味もわく。

自主制作した植木屋開業のチラシのおそらく意図どおり、奥さん側から電話が入り、全てのお客さんがよろこんでくれて、来年もお願いしますと言ってくれた。「あの人仕事してないのかね?」とラジオ体操のおばあさんたちは噂していたが、たぶん、来年の秋口からは、さらに近所からのお客が増えて、それなりに忙しくなりそうだ。「初老」「都」「女房」などが戦術的なキーワードだった。そのチラシをわが女房にチェックしてもらったとき、そんな言葉はいらない、とか文句を言われたが、商売事務的な広告だったら今どきは詐欺かとも疑われるだろうから自己紹介的なアットホームな感じの方がいいのだ、と押し切った。内のかみさんがね、という刑事コロンボのノリと言おうか。家計を夫が仕切るマッチョな家庭からはアホかと思われても、そのチラシの文を面白く思ってくれるかかあ天下的なご家庭とは、金銭関係を超えた信頼が作りやすいだろう。商売や会社人間の価値に固まった人との間からは、希望へ導く可能性の隙間はないだろう。

ネクタイの意味がわからず、満員電車にも生理的に乗れなかった者の、隙間探しの延長だ。

まだ歩ける範囲でしかチラシ配りもしていないから、春が近くなったら、今度は自転車でいける範囲、そしてモノレール沿いを探索してこよう。

しかし手入れするような庭をもっているのは、みなお年寄り世代だ。アパート暮らしの人もいれば、若い世代の建売住宅みたいのには、トネリコみたいな木が一本植えてあったりするだけだ。そもそも庭手入れ自体の時期が、初夏と秋口から年末までの半年あまりでしかない。下請け産業にはかかわりたくはない。東京は新宿の前の職場に残っていたら、代々木の外苑前だかの再開発にかり出されることになるだろう。あのイチョウ並木が気持ちよい散歩道になるのは、ギンナンが落ちる前に、下請けの職人が木に登って、一つ一つ落として処理しているからである。私も登った。臭いが体にこびりつき、地下足袋はカビてきてしまう。私がとりあえずそんな産業から解放されても、時代が止まったままの発想はそのままだ。その再開発に反対する人も、現存の快適さがどう維持されているかは考慮しない。誰が嫌なおもいをしてその快適さを作っているのか。もちろん、土建会社の社長たちは、稼ぎ場所だと暗躍しているのだろう。

だから未来へ向けて、違った切り口から、隙間をこじ開けなくてはならない。おそらく時期をみて、自分の電子出版物を利用した仕掛けを作るだろう。また、生活クラブ関連の映画観賞の会合でも、参加を続けて欲しいと声をかけられている。年頃のお子さん抱えた奥さんなどは、やはり深刻だ。いや私だって、息子がなお社会人としての特訓がはじまったばかりなのだから、たぶん深刻な事態なのだ。国の治安を守る先生からは「進退」のことを示唆されたらしい。息子は、ワールドカップのサッカー試合が見られないのに文句を言ったんではないだろうか。冬休みになり今日にも帰ってくるはずだが、中学時代の友達五・六人を引き連れてこの千葉に帰宅するそうだ。友人たちはみな学生だから、今どきの学生が何を考えさせられているものなのかも、様子を探ってみよう。


現金稼ぐ仕事としては暇だが、自分の作業はもう時間がない。おそらく人は一つの時間、歴史しか生きられないから、もう自分の枠を突き詰めていくしかない。いま既に盲目の最中に巻き込まれているとしても、それを受け止める子供の感性が衰弱しているだろうし、それを洞察していく体力も時間もないだろう。だからなんとか、自分が受け取ったかぎりのバトンに、自分が生きた時代への考察を刻みこんで、次の時代、歴史にわたしていける仕事をしたいものだ。

2022年12月17日土曜日

引用;秋山清著『昼夜なく アナキスト詩人の青春』(筑摩書房 1986年)

 


『昼夜なく アナキスト詩人の青春』より「下落合、上高田」

 

<ことのついでに、その頃親しみを持っていた乞食村の人々のことを、ここで少し語ってみよう。ちょうどいい機会だし、彼らについて何かを語る人は、めったにあるまいから。

 上落合の火葬場に近い、北向きの崖の中途に彼らの集団があった。

 私が山羊と共に住んでいたのは、東洋ファイバーKKという堅紙工場と墓地との間の五百坪の空地、そこを所有しているのは万昌院という寺で、吉良上野介や大岡越前などの墓があり、賤ヶ岳の七本槍の一人糟谷裕典や水野重(十)郎佐衛門や歌川豊国などの墓石もあった。友だちが遊びに来ると、よく垣根を越えてそこに案内したものだった。その墓地の向うで、北側が急な崖になってるあたり、小径の両側に沿って小さい家が十六、七軒あった。

 毎日のように夕方から出て歩く私は、自転車でない日は、墓地裏の彼らの住宅の中を通って崖の上に出ることにしていた。夜もそこを通る人は全くなかったが、私は上り下りするので、いつしか顔なじみになり、その中央のあたりに据えられた木の風呂に「まだ誰もはいってはいないから」といってよく誘われた。けぎらいしたのではなかったが、こっちは元気な身体、彼らの仲間は故障の人が多く気の毒で、一番風呂を誘われても、とうとう行かなかった。

 ついでに言えば、ここの人々は落合の火葬場の乞食権(そんな言葉があるかないか)を自分たちのモノにして、そこの入口の左右に女や子どもが毎日並んで、出る人、入る人に、例の「戴かせてやって下さいまーし」と連呼していた。私など多少の顔見知りが通っても、まるで見知らぬ人のようにしていた。これもついでに言って置けば、有楽町や当時はまだ在った数寄屋橋の袂や銀座通のデパートの松屋の前にも彼らは出ばっていたが、目が合ったとてけっして知っている人らしくは振舞わなかった。さすがという他はない。集落の下まで松葉杖をついてヨタヨタ来た男が、崖のすぐ下から、いきなりそれを肩にかついでさっと上へ行くことなどにも、いつの間にか驚かなくなった。つづめていえば、仲よしになったということであろう。さすがにその集落には電灯はついていなかった。

 夜更けてその道を上ってゆくと、小屋同士大きい声で、話していたこともあった。

 私の「山羊飼育」は一九三四年(昭和九)の三月から三年間に及んだが、思い出して語るとなれば、自分だけの記憶に於て数かずのことが温存されている。総じて苦しいこと楽しいことで一ぱいだ。中でもこの集落の連中とのその奇妙な往来は、語ればきりがない。わが家に届け物に来る十六、七の近所の米屋の小僧さんがいた。曰く、「あの集落の連中は皆特等か一等米です。二等なんか届けたら叱られますよ。金持ちですからね」

 一寸しゃれた話だ。その乞食さんたちに米代を借りに行ったこともあったのだから、ぼくにもなかなかしゃれたところがある。夜になってから集落の中の小径を行き帰りしても、文句を言われなかったのだから。小屋の中から「乳屋の兄さんネ」といわれて「そうだよ」といって通った。

 その集落に大きなバクチが立つという話も時々きいたが、これがそうなのか、ということにはたった一度だけ出遭ったと思う。

 北は立木のある崖でその下は「バッケの原」という湿地、西は私の家と五百坪ほどの畑と山羊の場所、その次が墓地、その東が彼ら一党の巣。ある日、外から自分の家の木戸をはいろうとすると、集落の者がいそいで来て何やらいった、と「すみません」と崖の上に行ってしまった。墓地の中にも、僕の家との境にも、彼らの小屋のまわりにも、見かけぬ者どもがいて、人を寄せつけまいとしていた。

 日暮れが近くなって、東中野駅へゆく途中の、早稲田通りの交番の巡査が来て、「今日、何か気がつかなかったか」といった。そして、「今日大きなバクチがあったそうだ」といった。

 たまにそういうことがあるというのである。その時は、集落を中心として四方八方に、そして遠く見張りが立つ。やがてその見張りはいなくなるという。事の真偽はともかく、私は一度だけそんな経験をした。

 山羊をやめて近くに引っ越したのは一九三七年(昭和十二)の夏のはじめだった。私は詩をかくことがあり、乞食村、火葬場、バッケの原(これらは落合、上高田にわたり、その中心に当たるところに彼らの集落がある、ともいえる)、そして上高田をよく歩き、このあたりを(風景詩という意味ではなく)詩にかいてやろうという気になった。ある日、火葬場に座っている女と子どもたちを描いてから、そう思いたった。そのあたりの眺めとともに、そこに居る人間たちの少しちがった風景を、と思い立ったのである。

 

 門の両側にすわって

 年よった女 膝から下のない男 子供。

 みんな汚れてくろい顔だ。

 あごひげを垂らしたのもいる。

 雨が南風にあおられてパラパラ落ち

 煙突から煙が突きおとされるように散っている。

 電気ガマのモーターがごうごうと渦まく。

 門のなかは玉砂利の広場に自動車が充満し

 控所は紋つきの女やフロックや羽織袴や。

 東京市淀橋区上落合二丁目落合火葬場。

 出入する自動車目がけて

 彼らはうたうように呼びかける。

 ――供養にいただかせてやって下さいまーし。

 自動車が通りすぎると 私語し ほがらかにわらい

 口汚く子どもをののしり

 菓子をほおばる。

 型のごとき蓬頭襤褸のなかに

 炯々とひかる目をもち

 たくましく健康でさえある。

早春(一九三六年>

…(略)…

<いい忘れたが、数軒の寺、火葬場、豚飼いの屋敷跡、私のいた崖の外れの山羊小屋、それにこの諸君を加えて、何か歴史の時代にふさわしいハナシが書き残されそうな気さえする。今そこには寺と火葬場を残して、何もなくなった。湿地のバッケの原もいつしか、平屋建ての都営住宅となっている。また、あの北向きの崖のあたりには十階建てくらいのマンションというやつが背くらべをしている。>

2022年12月6日火曜日

大澤真幸著『この世界の問い方 普遍的な正義と資本主義の行方』(朝日新書)を読む

 


理論的な考察を、具体的な実践での方向へと思考実験してくれる、これまでのインテリではきわめて稀な作業提示に思う。これまでは、具体性を敢えて見えないように捨象した抽象論か、逆に抽象論からの道筋からは飛躍的におもえる社会事象論を説いていくような日本知識人の態度が大半だったとおもう。

 あるいは、NAM挫折後、佐藤優氏のように、はじめからパフォーマティブな言論の構えで実践的な世界と関わっていくような態度となった。

 

が、大澤氏は、一般の知的大衆にもわかりやすいように、理論考察と実践知との結びつき、いわば手品の種明かしをみせながらのように論を作っていく、のは、おそらくその態度自体に、これまでの知識人への批判的実践が潜まれているのだろう。

 ※

大澤氏の論理手順は、どのテーマ(現歴史的事象)にあっても、(1)現状認識とその分析、(2)そこから導き出すリアリズム的実行解、(3)それを乗り越えていくべき「ほんとうの意味」=方向の在り方の提示、というものであるようにみえる。

 

私は、(1)の段階には、同調とともに、だいぶ啓発された。ただし、プーチンのロシア現状においては、私の文学的な想像力においての認識とは異にする所がある。(3)についても、共感する。が、(3)へと成りゆかせるための(2)の現実実行解において、大澤氏とは違う見解をもち、また論理的に矛盾を抱え込んでいる箇所があるのではないかと、指摘する。

 

     実行・実践といっても、様々というか、いくつかの位相があるだろう。一番身近な実践は、まさに自身の具体的な現場での話になるから、試行錯誤でもあるし、言ってはいけない次元のものもでてくる。だからそこは私は言わないが、ここでは、あくまで、国民大衆がどうするか、という、大枠仮想での実行・実践解、という話の位相である。

 

まず(1)。私が一番はっとさせられたのは、次の記述。

 <戦争は一般に、いかにも崇高そうな理念や大義をかかげて遂行される。が、そうした理念や大義は、たいてい、もっとも現実主義的な目的を覆い隠す「口実」や「アリバイ」でしかない。侵略相手国にある地下資源(たとえば石油)が大きな富をもたらしうるとか、その国を軍事的な拠点とすることが戦略上、きわめて有利になるとか、といった現実主義的で、利己的な理由が戦争にはある。だが、それを公言するわけにはいかないので、戦争遂行者たちは理念主義を標榜してきた。従来、戦争とはこういうものであった。

 だが、ロシアのウクライナへの侵攻に関しては、現実主義と理念主義との関係が、逆転している。戦争へと駆り立てている真の動機は、述べてきたように「文明」に関連した理念主義的なものである。しかし、それを覆い隠すように、NATO云々といったような現実主義的な目的が公言されているのだ。>(「1章 ロシアのウクライナ侵攻」)

 

しかし、この「逆転」を正確に認識するがゆえに、大澤氏の現状説明は、陰謀説に近接する。世のいわゆる陰暴論も、資本主義(資源獲得だのの)がどうのという現実が問題(犯人)なのではなくて、資本家(金持ち階級)が仕掛けてくる「文明」支配の悪だくみが本当の問題(犯人)なのだとしているからである。そしてその支配のやり方は、社会主義的な中国並みのテクノロジーを使った管理統制だ、とする。となると、そこも、アメリカ資本主義自体が、中国の権威主義的資本主義に成っていくのだと認識する、「2章 中国と権威主義的資本主義」もまた、陰謀説に近づいていることになる。違うのは、資本家を、システム構造からくる仮像とみるか、実体(人格)としてみるかという、マルクスが指摘していたような一般的な錯誤を把握しているかどうかの違いでしかなくなる。

 

ジジェクは、コロナ禍での論考において、もし陰謀説が本当なら、それは資本家が資本主義の問題点をマルクス主義から学んだからだ、というような記述をしていた。私は唖然とした。資本主義がやばいのでは、と認識するのに、あるいは単に感ずるのに、マルクスなど読まなくても、誰でも、わかるだろう、感じざるを得ないだろう、ずいぶんと頭でっかちなインテリなんだな、とおもった。この点も、大澤氏は、正確にと私には思われる認識を示してくれる。

 

<基底部にある不安は、資本主義そのものが持続可能なのか、ということへの懐疑である。今日、多くの人々が、資本主義が永続できる、ということに関して確信を持てずにいる。富裕層にしても同じである。資本主義は死につつあるのではないか、という不安が広く分け持たれているのだ。

 このような不安が浸透し、蔓延しているということを示す証拠はたくさんある。あまりにもあからさまな証拠は、国連が掲げているSDGs(持続可能な開発目標)である。なぜ、わざわざ「持続可能」ということが目標とされなくてはならないのか。誰もが、普通にこのままシステムを運営していけば、持続できないこと、破局に至ることを知っているからだ。>(「2章 中国と権威主義的資本主義」)

 

ともかく、問題は、資本主義のメカニズムからくる。<プーチンの究極の「敗因」は、戦いを、階級闘争として実行できなかったことに、つまりきわめて暴力的な文明の衝突としてしか実行できなかったことにある。>――私は、ここに、もっと深刻な認識、というか、文学的な想像力を介在させる。

 

比喩的にいえば、プーチンが、三島由紀夫みたいに、追い込まれていた(?)らどうなるのか? 三島は、切腹した。つまり、自らの命を無理やり日本人に贈与してみせることで、柄谷風に言えば、交換Cとは違う交換Aの存在を喚起させることで、その彼の死後生きる我々に、本当のことを考えろ、真剣に考えてみろ、とたじろがせるような負債感情というか、いったい何故腹なんか切ったんだという謎かけ、敗戦後に成長しはじめた思考を停止させてしまうような衝撃を与えた。

 

これと同じ覚悟を、プーチンが持っていたらどうなるのか? どちらも、若い頃のひ弱な体を無理やりマッチョに鍛えたりして、似ているし。

 

つまり、プーチンが、無意識化において、次のような思考に追い立てられているとしたらどうなのか? 人類よ、本当に、真剣に考えてくれ、地球環境以前に、人間の尊厳とは何なのか? 西洋が作った文明が本当に善であったのか、立ち止まって反省してくれ。もう一分待つ。もう待てん。あなたがたに、真剣に考えてもらうために、私はわがウクライナとモスクワを西洋文明の核によって自爆する。ロシアは、命をささげる! 人類は、わがロシアの命を無駄にするか? 考えてくれ! ほんとうに、考えてくれ!

 

だとしたら、呑気なことを言ってられない。手順としては、まずゼレンスキーをふざけんな!と叱咤して停戦させて、その上で、みなでプーチンのところへ押しかけて、俺たちがおまえのところになんで来ているのかわかってるよな、と吊るしあげながら、トッドの政治的リアリズム風の認識甘言も加味してなだめもし、とにかく現状停戦させて、時間をかけて実行解をまとめていく、というものだ。

 

大澤氏は、まずウクライナへの全面支援を説く。その上で、「ほんとうの意味」での解決のためには、「ロシア人が、まさにそのヨーロッパの最良の部分を代表する理念を、ヨーロッパ人以上に忠実に実行して」いくことが大事になる、と。

 

今までの現状では、即座に停戦とはなりようがないだろう。タイミングがなければ、それを作らなければ、話し合いははじまらない。ウクライナがヘルソン州の東岸部の一部をもとりかえし、ロシアが劣勢になって小康状態になった時点で、現状容認から示談、という線を示さなければ、戦争は長引くだけだろうし、もしロシアをウクライナ外へ全面追い出してからなら、むしろ話し合いの契機などなくなり、それこそ、核戦争に行くのではないか、と私は懸念する。

 

大澤氏は、以上のような論理段階を経るわけだが、中国・台湾をめぐる情勢をめぐっても、思考の内実は同様だろう。日本は、アメリカが所持する理念の側に立たなくてはならないし、ゆえに、将来ほぼ確実な中国の台湾進攻に対しては、ウクライナへと同様、軍事支援をしなくてはならない、その上で、「ほんとうの意味」での解決のために、アメリカに追随するに終わるだけでなく、資本主義そのものを超克していくことを目指さなくてはならない、と。

 

が、このアジアの件に関し、大澤氏が問うていないことがある。それは、台湾市民の意見である。ウクライナの人々は、選挙世論等で、はっきりと西側の方がいい、と態度表明した、ということが認識され、前提とされうるからその実行解でいいかもしれない。が、台湾の人々は、ゼレンスキー・ウクライナのように、領土防衛のために武器を持って戦うことを是としているのかどうか、大澤氏は問題としていない。台湾の人々の多くが、戦争するくらいだったら、中国に従属してもかまわない、と思っていたら、大澤氏の(2)現実実行解は、前提認識から崩れるのではないか?

 

最近の、台湾における、全国知事選挙なのか、の結果は、西側よりの現政権側より、中国よりの野党側が勝利した、という話になっていると思う。私としても、一般的にいって、アジア人は、あんまり領土のために、だか、国土のために、だか、わざわざ戦うことを好まないのではないか? 西側とは、主体、ひろくは主権の内面的あり方が、やはり違うのではないだろうか? たとえアジアの人々も、自由や平等といった理念に共感しそれを望むとしても、それを手に入れるための手続き、つまり(2)の現実実行解は、変わってくるのではないだろうか?

 

それを間近に、自身のこととして考えてみる思考実験として、「5章 日本国憲法の特質――私たちが憲法を変えられない理由」があるだろう。

 

私は、(1)の現状認識の仮定として、台湾の人々は、戦争を望んでいない、と認識してみる。すれば、(2)の現実実行解として、自衛隊は、中国の台湾侵攻があった場合でも、軍隊として関与しない。軍事的には、台湾を見捨てる、となる。そして(3)の「ほんとうの意味」方向として、世界大戦を実行しようとする中国はじめアメリカとうの世界に対し、不戦の戦いを宣言する。つまり、日本は、世界から孤立しても、もう一度、世界と戦う!

 

大澤氏は、<律儀に九条の理念を実行に移すこと>と言うが、それでは、ウクライナと台湾に軍事支援する、というリアリズム実行解と、まっこうから矛盾してしまうのではないだろうか? その本当の意味へと到達するために軍事実行する、との具体段階に、律儀に実行、という「本当」を繋げることができるのか?

 

私は、こう問うてみる。

 

現代までを生きている、日本人の、誇りとは何か?

 

一つ、負けを覚悟でも、強い相手と戦い、世界大戦を挑んだこと。

二つ、もう、戦争はしない、と誓ったこと。たとえ、押し付け9条だろうが、解釈かえてそれを骨抜きにしようが、その形を守り抜いてきたこと。

 

この、戦うことと戦わないことは矛盾しているが、もう一度世界大戦を不戦の覚悟で挑む、とするならば、矛盾でもなんでもない。私たちの、日本人の誇りに合致することである。

 

大澤氏は、真の愛国者が、普遍主義者、コスモポリタンになるのだ、そうでなければ、説得力をもたない、と説く。が、大澤氏はともかく、誰かに刺された宮台真司氏は、そうした愛国者だったろうか? 少なくとも、外的な言動はそうは思えない。かつて、浅田彰氏が日本人を「土民」と呼んだように、「愚民」と言ってはばからない。だから、右からも左からもうらまれているだろう。大澤氏が言うように、<しかし、どうして暴力が噴出したのか。人は一般に、言葉では説明できないことを求めているとき、暴力に訴える。言葉で表現されているすべてのことに違和感があるとき、人は、暴力によってその違和感を表現するしかない。「それじゃないんだ」と思いつつ、それではないものが何であるかを言語化できないとき、暴力でその不定の欲望を表出することになるのだ。>(「4章 アメリカの変質」)

 

宮台氏を刺した何者かが、映画『ジョーカー』に触発されるような、渋谷をたむろする若者のような大衆たちではないだろう。まず彼の話をきき、理解していなければならないのだから、知的大衆だ。しかし、そこも、言語化できない違和感が暴力として噴出せざるをえない自然過程に呑み込まれているのかもしれない。宮台氏が、ネット番組の「ニコ生深読み」で、ワールドカップ・サッカー日本対ドイツ戦の直前、この著作をめぐって大澤氏らと会談し、その後、刺傷したというのは皮肉なことだ。それは、宮台氏に、なお言語化が不十分だったこと、どこかずれているところがあったことを通知しているからだ。

 

※ 私は、サッカー・ワールドカップのベスト4をかけて、日本と韓国が対戦したらどうなるのだろう? と考えていた。日本人として、どうこの複雑になる心境を整理し、両国のよりよい関係を築いていく論理を導いていったらいいのだろう、と考えていた。実際に試合観戦しながらの、臨場感、情動の最中で、論理の説得性を吟味できたら、と。

 残念ながら、日本は負けてしまった。おそらく、これ以上の勝利には、選手ではなく指導層、大きくはサッカーを日本の国技みたいにできるのか、というところまでいくのだろう。アメフトだのバスケだの色々あるアメリカが、サッカーでも欲を実現するなんて、本気では思えないだろう。

 しかし、私は、今の戦争状況がなかったら、深夜に起きてサッカー観戦をするまでには、いたらなかっただろう。いったいいま、世界で何が起きているのか、を知るために、ワールドカップを見ているのである。

 それは、まだ、終わっていない。眠い。興奮したからか、眠れなかった。優勝は、フランスかなあ。ライオンやチーターが戦っているみたいだ。

 

2022年11月26日土曜日

渡邊英理著『中上健次論』(インスクリプト)を読む


 「中上文学を(再)開発文学の視座から捉え」る、と本の帯にあるので、社会学的な知見を応用させた主題読解論的な評論なのかと思った。が、夢分析していくような緻密な思考軌跡に裏付けられたテクスト読解だった。しかも、言葉遊びに放恣していくのではなく、そこに社会学的な論実もが適格に挿入されて、説得力を増幅していく。

 が、ジャーナリズムや学問世界で生活しているわけでもない私が、よいしょと挨拶していてもしょうがないだろう。以下、気の付いた批判を記述していく。

 

渡邊氏は、これまでの父-子に集約されていくような中上読解から、それを兄たち―動物たち(熊や鳥)―雑草へ、とイメージ連鎖を展開していく。その創発的な想像力を学究として説得性をもたせるために、レヴィストロースの人類学を介在させ、そこから、いわゆる現今のリベラル政治を支援させていくような文学思想的な知見を重ね合わせる。

 

<中上健次の小説(テクスト)は、規範的な近代家族のそれとは異なるクィア家族の親族関係を繰り返し描いた。「このテクストでは、親族関係の語彙は、目眩を起こさせるような多義性、多価性のなかで、その規範化能力を失いはじめているようだ」。乱反射する多義性、多価性は、親族関係の非首尾一貫性と非整合性をあらわとする。このような親族関係の攪乱は、単に安全地帯にあるフィクションという机上の空論としてのみ思考されている訳ではないだろう。「むしろ親族関係が確固不抜のものではなく、可鍛的なものであることを読み解く」文学は、「現代社会で進行している拡大家族や、シングルマザー、養子縁組、ゲイが親となること、国境を越える移動に伴う複層的家族構成などを、単に社会現象としてだけではなく、理論的・文学的に説明し、それらに社会的で心的な生存可能性の根拠を与えるものとなりえる」。その非規範的な家族や親族をめぐる理論的・文学的な説明は、「家族の位置が明瞭ではなく」「親族関係が、もろくて、多孔的で、拡張的な時代」である今日、より一層かけがえのない非規範的な家族や親族の生存可能性をめぐる根拠を提供するだろう。>(第四章「被差別の人類学、賎者の精神分析」 引用中の「」の文は、竹村和子著『アンティゴネーの主張』 青土社)

 

ここには、二重の疑問符がつく。

 

まず第一に、文学が、生存のための根拠になりうるのか? ということ。指針にはなるだろう。が、理論であれ、思想であれ、それが提示しえるのは仮説である。宗教(信仰)とは、その物語・文学的根拠の仮構それ自体をも、無根拠に信じることからはじめられる。聖書の創世記が示すものも根拠であるが、それ自体を信じるところからはじめられるのが信仰生活であろう。理論や文学が根拠になりえると信じるとは、それと同義になるのだから、実は無根拠だと言っているのと、同じにならないのか?

 

しかしとりあえず理性ある現今の人間の営みとして、知見の根拠となるのは、科学である。ゆえに、この引用の前段階に、レヴィストロースの人類学が措定されているのだ。

 

が、この人文科学的な知見は、現在、エマニュエル・トッドの「家族人類学」によって揺るがされている。相当な実証的論理によって、科学的な反措定が提出されているのだ。

 

そのトッドの人類学からみれば、中上が「母系制」と把握していた家族のあり様が、実は、文明化以前の周辺地帯に残存する核家族の惨状なのだ。ヨーロッパのリベラルと現今では一括される民主主義の理想が、文明以前的な原始社会の名残なのである。

 

日本において、核家族を圧制する父権的な共同体家族の浸食は、京都の天皇政治からきているのではなかった。天皇家が父権的になり長子相続になったのは、明治以降である。日本では、それは東国の武家社会からくる。鎌倉時代からといわれ、モンゴルとの戦いの影響も指摘される。熊野へ侵出と神話される「古事記」での神武東征では、そもそも神武天皇自身が4男末子相続的なのだから、核家族を示唆しているだろう。

 

中上の作品で、その東国からの影響は、まず戦国時代の織田信長(武家)と戦ったとされる浜村孫一の伝説と、浄土真宗ということになる。トッドによれば、この宗教が、ヨーロッパでのプロテスタントにあたり、共同体家族への前段階としての、長子相続的な直径家族的思想をもつ。しかし中上の作品から伺われるのは、戦後の高度成長を経たあとの社会にあっても、路地の世界は未分化的な核家族状態だということだ。

※参照;ダンス&パンセ: エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(2) (danpance.blogspot.com) 

 

ならば、戦後の当時にあって、孫一伝説のような神話作用ではなく、具体的な文明の、直系家族的な浸食はどこから来ていると描写されているか?

 

それは、「枯木灘」において、秋幸が殺した義弟の秀雄とその仲間たちが作る暴走族という集団になる。

 

<現場へもどろうと、一人美智子のアパートの前へ来た。ダンプカーを三方から取り囲むように十五台ほどのオートバイが置いてあるのを知った。秋幸は舌打ちした。一台を足で蹴った。秀雄の仲間がこんなことをやるのだと思った。そう思いむかっ腹が立ち、ダンプカーの運転台のそばにある骸骨のシールを貼った一台を蹴り飛ばした。>

<路地の美恵の家にもどる前に、盆踊りを見に寄ろうと三人で、路地が小高い山に沿ってのびて切れたところにある空地に向かった。その空地は駅からの通りに面していた。ヘルメットをかぶった警察官がいた。骸骨の絵のワッペンを一様に貼ったオートバイが十五、六台、空地に接した通りに置いてあった。>

 

この「骸骨のシール」「骸骨の絵のワッペン」とは、おそらく、関東の暴走族のシンボルである。「スペクター」という。1975年ころが最盛期と言われ、数千台規模の、全国で一番の数を誇った、自然発生的に増殖した暴走族のグループだ。今でもその支流は続いているといわれる。一度、解散寸前の5人までになった。残ったメンバーは、東京は新宿区の職人街育ちの青年たちだった。私の植木職の親方が、その内の一人で、「スペクター」三代目総長となったいまはとび職の親方となっている同級生とともに番長の一人となっていた。任侠もののDVD暴走族シリーズ「スペクター」で、その再起動と動乱の様を伺うことが出来る。また私も一緒に仕事をしたことのある元総長は、たまにテレビにも出演している。

 

「枯木灘」での徹、秋幸と同じ職場の同僚は、この路地の家族のあり様を「かかあ天下」と形容した。この言葉は、とくには関東は上州(群馬)の女性との関係において言われたものだが、これを、「母系制」なりそこからの拡張含意で「クィア家族」と敷衍していくのには、少なくともトッドの科学知見からすれば、早とちりとなるだろう。トッドからすれば、「母系制」なるものがそもそも、父権的な文明浸食への反動形成であり、事後的なものである。ヨーロッパでの「魔女狩り」が、いわば「かかあ天下」においてこそ発生したものだという分析もある。自伝的にも、中上は母親からの教育熱心に支援されてきたわけだが、その事態も、文学思想理論よりも、トッドの歴史考証からの方が説得力を感じる。

※参照;ダンス&パンセ: 屑屋再考案3――トッド・ノート(7) (danpance.blogspot.com)

 

私はこの自身のブログでも、私が30年働いてきた植木職場の家族・人間関係のことをところどころで描写してきたが、21世紀のいまもっても、東京の都心部に、中上的な路地の家族世界の残存が濃厚なのだ。(そこ、私の職場であった植木屋は、檀一雄が居住していた「なめくじ横丁」の三軒隣りであり、近所の皇族の遺体を火葬するに指定されている火葬場の崖斜面は、墓堀りや墓場からでる残留物を独占した「乞食」と呼ばれる人が高度成長期まで暮らしていた。おそらく部落である。地元民はそこを「乞食山」、林芙美子は作中「乞食部落」と呼んでいるが、アナーキスト詩人の秋山清はその居住者たちと交流をもって、エッセーに残している。『昼夜なく―アナーキスト詩人の青春―』筑摩書房。1960年代であるか、11階建ての団地2号に開発されて、私と女房・子供の家族三人は、息子の小学2くらいの時そこに引っ越し、高2の受験をむかえるまで、1号棟の6階で暮らしていた。そこに移ると決まった際には、「え、乞食山に住むの?!」と、地元の職人たちからたまげられた。親方が言うには、もう火葬場の一番強暴な連中はひとりもいない、という話であった。いま、古くなった団地の再開発が問題になっている。)

 

となれば、安易に家族の進化に希望を、あるいは理論的な根拠の前提となる経験的資料をモデル視、理念化するわけにはいかないだろう。トッドがウクライナでの戦争の様を家族人類学的にみていうように、猿から人への葛藤が、始原の核家族価値と文明の共同体家族価値との葛藤の続きが露呈しているということかもしれないのである。

 

(トッドの帰納主義的な理論と、レヴィストロースの演繹的な理論における、理論それ自体にある思考の型問題自体を、柄谷行人の「トランスクリティーク」などから再検討もできるが、ここではそう指摘だけ。)

 

ならば、この科学上でてきた反措定に、どう対応すべきか?

 

渡邊氏は、最終的に「雑草」というイメージ連鎖にたどりついた。しかしもちろん、「雑草」という大区切りの呼び名は近代においてであって、それ以前から、ひとつひとつが名前をつけられている。しかし重要なのは、もともと固有名をもっているよ、ということではない。むしろ、無名であるからこそ、名前をもつような固有性がある、ということなのだ。その思考過程の現実性を提起する論考に、フッサールの現象学と圏論のような数学の先端とを結びつけて、レヴィナスの他者論と結びつけた西郷甲矢人・田口茂著『<現実>とは何か 数学・哲学からはじまる世界像の転換』(筑摩選書)がある。いわば、「雑草」を社会学的な外への知見に重ね合わせるのではなく、その内側から、雑草(無名戦士)という交換可能な存在様態であるからこそ名前が、他者の顔という固有名性が担保されるのだというような回路がありうるのだ(BCCKS / ブックス - 『人を喰う話 2 『進撃の巨人』論』菅原 正樹著 参照)。

 

それは、インテリという著名な言論世界ではなく、インフルエンサーという、素人の、無名的な世界にこそ知の普遍的な在り方があるかもしれない、という、現今のネット上での試行錯誤と私は重なっていると思っている。近代的な大量とは別次元の大量(大衆)の模索。

 

しかし、渡邊氏も、暗黙にはそうした現勢に気付いているだろう。なぜなら、上の事態の科学的論拠とは、西郷・田口氏もそうだが、量子力学なのである。

 

<それは、路地で「凶事が起り、それが続けば、「これは何が悪いのか」と問われるように、原因があって結果がある、一定の「法則」に基づいて一定の結果を得られるニュートン力学的な考え方であり、リアリズムの文法であり物語の権能だと言える。それに対して縁起は…(略)…従来の物理学の「一般法則」があてはまらない揺らぎをはらんだ量子力学の考え方に似る。「縁」による離合集散は、人間にかぎるものではない。人間と人間ならざる者を含む多様な要素が切れながらつながることで構成される偶有的で潜勢力に満ちた世界。>(第八章「生命の縁起、脱人間/人文主義」)


(私が量子力学に関心をもったのは、この渡邊氏の著作では言及されてはいない、河中郁男著『中上健次論』の三部作からである―ダンス&パンセ: 河中郁男著『中上健次論』(鳥影社)と。 (danpance.blogspot.com)。―

そこで説かれる「観点」という概念が、量子力学からきているのでは、と勉強を開始したのだ。) 


しかし……たとえば、いま、プーチンとの交渉で、その縁起、科学的に「量子もつれ」なる事実で戦争をやめるよう説得するとはどういうことなのか? ほとんど、目を合わせて、テレパシーを待つようなことにしかならないだろう。現今の科学現状では、量子論の詰めでは、論理の飛躍があって、神秘主義、スピリチュアリズムになってしまうだろう。いまだに、カントが、スウェデンボルグを認めながらそれを退けねばならないというような事態が続いている。形而上学の復権として、至上命題をプーチンに説くことが現実的なのか?

 

やはり、今の段階では、トッドが示唆するように、おまえ(プーチン)は共同体家族の育ちだからそう権威的になるのはわかるよ、それはこっちがまだ核家族の個人主義的な自由主義観でものを言ってしまうのがしょうがない、というのと同じだよな。だからさあ、そこらへんはお互い理解して、なんとか戦争を早期終結に向ける話し合いをしようじゃないか、と、説得していくほうが、話になるのではないだろうか?

 

私には、現今の科学が示す反措定は、そのように指示しているように思える。

2022年11月7日月曜日

真理とは何か?

 


遺伝子は本当にらせん構造なのか?

とは、最近電子出版形式でまとめてみた論考(「陰謀論者はお客様」)で、アインシュタインに似せて言ってみた問いである。アインシュタインは、観測して始めて物質として見えてくる量子現実に、ならば、月は見てない時は実在していないのか? と問いかけたのだった。まだ私たちにはわからないことがあるから、そう観測されるだけではないか、と。

 で、最近の分子生物学では、遺伝子とされてきたDNAのらせん構造をそう実在する(定在させる)とする見方が科学発見的に揺らぎ始めているようなのである。

 BLUEBACKSシリーズの『遺伝子とは何か? 現代生命科学の新たな謎』(中屋敷均著)の帯には、<「遺伝子はDNA」が揺らぎ始めた! エピジェネティックス、RNAワールドなどの最新研究からみえてきた新しい生命像とは――?>とある。

 文中の作者の比喩を援用するならば、「電話とは何か?」と問うて、受話器のことか、ならばケーブルは? いや電波の基地局は? 交換局は? いや機械を使って人と人とが話すことなのか? ……と、定義自体を見直していかないと、わけがわからない事態になってきている、ということらしい。

 DNAからRNAからタンパク質製造へ、というセントラル・ドグマとされる理解も揺らいできて、その逆コースも事実らしいことがわかってきた。とその知見から、現今のコロナ新型mRNAワクチンも、そのエピジェネティックな遺伝子改変が遺伝していく可能性が指摘されていたわけだが、陰暴論として退けられてきた。しかし新ワクチンを推奨しているウィキペディアの「ヌクレオシド修飾メッセンジャーRNA」というページでも、セントラルドクマの方向で辻褄あわせていこうとする箇所、<さらに、遺伝情報は細胞核にDNA(RNAではなく)として存在し、modRNA(化学修飾されたRNA―引用者註)は細胞核に入ることはない。>という記述には、根拠となる科学論文を提示してください、と「要出典」の註がつけられている。

 

が、そこで私が問いたいのは、その新型コロナウィルスのスパイク・タンパク質の人体内での増殖スピードが、その自然速度では実用化にはならないので、化学修飾したら増殖スピードがあがって実用化の目処がたった、それがブレークスルーのポイントになった、という開発者の伝記的記述をスマホのニュース記事で目にして、その学者の発想はおかしいだろう、ということだった。科学者なら、問うべきなのは、なんで自然ではそのスピードなのか、ということではないのか? なんで、早くする、という合目的性がいきなりでてくるんだ? もちろんそれは、真理を探究する科学者ではなく、人間社会で今使えるものを開発するのが役割である産業技術者、だからだろう。

 

ならば、いやだから、そもそも、新ワクチンは科学の産物じゃない。真理とは、関係ないのじゃないのか?

 私の素人な知見では、いま科学の現状は、量子論延長の物性物理や上の生物学まで、これまでで自明化・単純化された見方・構造を、また複雑に解きほぐして見ていこうとしているように見える。形や構造を決める境界が揺らいでいるというより、そう内と外を想定して理解しようとする見方自体を自然が告発してきているのだ。(昨夜のNHKの特集番組『超・進化論』「(1)植物からのメッセージ」での植物界での生態上の新知見などもそうであろう。)

 

が、現今の、人文知的な、世界認識はどうか?

 

エマニュエル・トッドの最近作から引用すると、――<現在、強力なイデオロギー的言説が飛び交っています。西洋諸国は、全体主義的で反民主主義的だとしてロシアと中国を非難しています。他方、ロシアと中国は、同性婚の容認も含めて道徳的に退廃しているとして西洋諸国を非難しています。こうしたイデオロギー(意識)次元の対立が双方の陣営を戦争や衝突へと駆り立てているように見え、実際、メディアではそのように報じられています。/しかし、私が見るところ、戦争の真の原因は、紛争当事者の意識(イデオロギー)よりも深い無意識の次元に存在しています。家族構造(無意識)から見れば、「双系制(核家族)社会」と「父系性(共同体家族)社会」が対立しているわけです。戦争の当事者自身が戦争の真の動機を理解していないからこそ、極めて危うい状況にあると言えます。>(『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』 文藝春秋)

 

トッド自身は、世界を四等分化するような構造的見方は、デカルト的な単純抽象化(「呪術的宇宙」)だ、と批判し、たしか20通り以上の家族構成を抽出分類していたはずだが(ダンス&パンセ: <家族システム>と<世界史の構造>――エマニュエル・トッド『家族システムの起源』ノート(1) (danpance.blogspot.com))、いまや、四つどころか、二つですんでしまうという……。

 

とりあえず、実践的にそう見ておく必要があるというのはわかる。が、私は、新ワクチンだ、ゼレンスキー・ウクライナ頑張れ(この戦争反対の論理だと、日本も持続する防衛戦争頑張っていいのだ、になってしまうが…)だのにはうんざりしているので、もし人類の文明がなんとか残ったら、の次のことを考えていたい。そのときは、この複雑さの方向へ、自然の理解が更新されるだろうから。というか、そうでないと、希望がないような。そのためにも、今、単純に見える事柄が、複雑怪奇であることを、よく見知っておかなくてはならない。そうでなければ、他人への思いやりも深まらなければ、そこからの実践も更新=反復されない。ニュートンの古典物理学の延長での「自然の遠隔的な「力」」で、現今の更新はできるだろうか(柄谷行人著『力と交換様式』 岩波書店)? それはトッドのかつての批判にあった「呪術」、日本的に言えば言霊ということになってしまうだろう。

 

もしあなたが、実践というものを具体的に考えて、そこにおいて、自然を、世界を考えているのならば、贈与って何? 今の社会で、何をもって贈与というの? 無償で子供を育てるってこと? 親を介護するってこと?(そのことが政治的に何を意味・機能してきてしまうことを意識させられるのか?) お年玉やお歳暮をやりとるする文化慣習のこと? それとも災害時ボランティア? と、そう問わずにはおれないのではなかろうか? 贈与たって、複雑ではないか? 私に言わせれば、単独―普遍的な贈与を社会的に作っていく意志が、意識=言語化が、まずなくてはならない。その営みが、古典物理でできるとは思わない。形式的な反復(指摘)ではなく、実質的な更新=反復が必要なのだ。


 真理は、心臓のように鼓動しているのかもしれない。柄谷はかつて、物を考えるとは、単純に見えることを複雑怪奇なものへ、複雑怪奇に見えるものを単純にしてみせることだ、と言っていたが、私には、今は、単純化に収縮させるのではなく、複雑に膨張させていかないと、逆に物事の真実が見えてこない、更新されないように見える。だから、もっと近づいて、会社の枠だのとっぱらって、社会を、人間をみよ。いや若い人たちほど、もうそういう場所に追い込まれているはずであるし、その場所が、新しくあらざるをえない蠢きを律動させているのではないだろうか?

少なくとも、科学の先端的な現状は、そううかがえさせるのではないだろうか?

2022年10月7日金曜日

映画『秘密の森の、その向こう』を観て

 


植木屋開業のちらしを、一件一件自身で歩き回りながら、配っている。草むしりしているおばあさんや、犬を連れた若奥さんに、声をかけながら、家々の間に入っていく。私にとっては、それ自体が文学的な実験であり、探究心でもある。千葉駅周辺でも、まだ舗装されていない路地道や、廃屋になった家も多い。それに、モノレールが走る未来的な雰囲気のある近代都市景観なのに、平日の日中となると、人がいない。いるにはいるが、閑散としている。不思議な感じである。東京でこの規模の都市なら、どこも人でごった返しているのに。

 

駅中心街へ向けての散策は終わって、いまは森林方向へと向きを変えている。雨の中はちらしも濡れてしまうので、お休み。ホリエモン仲間の企業家によると、100枚配って1件の反応があるのが植木屋稼業で、それは業界としては相当いい方なのだそうだ。しかも、たぶん、私のちらしへの反応は、さらによさそうである。この間は手入れしただけでなく、庭作りも示唆してくれた。近所とはいえないのだが、どうも私がひとりで庭と格闘していたのを見知っていたらしい。ただ、まだ始めて三週間くらいか。仕事としては、暇である。

 

ので昨日は、女房を連れて、千葉劇場まで傘をさして40分、映画を見に行った。

 

タイトルは、『秘密の森の、その向こう』。ビデオドットコムの金曜特集で、宮台真司氏が推奨していて、それが駅近でやっているのを知ったのだ。原題は、「プチママン」、「小さなママ」、のようである。

 

話はこうだ。

施設に入っていた祖母が亡くなり、母と父でその部屋の跡片付けをしてから、祖母の家、つまりは娘にとっては母の実家へと向かった。娘は、祖母の突然の死に、さよなら(オルブワー、直訳はまた会おう)を言えなかったことを悔やんでいる。その祖母の家も、荷物を片付けて、引きあげる予定で、翌日にも父と母が、引っ越し作業をはじめる。がその数日後、母が、突然家を出ていき、いなくなってしまった。父(夫)も娘も、母(妻)にはどこか孤独なところがあったと認めるが、その理由はわからない。引きあげ作業を続ける父を家に、娘は実家を潜ませているような森の中へと入っていく。そこで、自分と同じ年ごろの女の子に会う。赤い服の彼女は、枯れ枝を集めて秘密基地みたいな家を作っている。青い服の彼女も手伝う。そして、赤い服の子の家へと誘われる。そこは、母の家、自分が今父と跡片付けしている家とそっくりだった。女の子の名前をきくと、マリオン、と母と同じ名前を告げる。彼女の部屋には、まさに、母が子供の頃書いて家に残していたノートがあった。彼女は恐くて逃げかえるが、タイムスリップを理解し、また翌日森へと向かう。秘密基地の協同作業をしていくなかで、自分が誰であるかの秘密を打ち明ける。私は、あなたの娘だと。マリオンは、つまり未来からきたのか、と問う。後ろの道から来たのだと娘のネリーは答える。そしてある日、祖母が、つまりマリオンの母が亡くなってすぐに、母マリオンは失踪してしまったのだと告げる。なんでなの? と自分が悪いのかもしれないと心配して尋ねるネリーに、小さな母以前の母は、分かる気がする、という。しかしそれは、あなたのせいではない、と。そしてこういうのだ、秘密というのはない、話し相手がいないから、それが隠されて秘密になるのだ、と。子供のマリオンが手術を受けるために都市へと出発する前日、ちょうど母(マリオン)の誕生日の日に、二人は父の了解のもと、実家で過ごす。翌朝のボート遊びで、湖に浮かぶピラミッドの中を潜り抜けたりした二人は、別れを惜しむ。自動車での出発の際に、ネリーは母の母、つまり祖母に「さよなら」を言うことができた。後ろの道から家に戻ると、片付けられて何もなくなった家の床に、母がひとり座って待っていた。二人は抱き合う。マリオン、ネリー、とお互いの名前を呼び合いながら。

 

私には、以上の物語が、量子もつれ、のように見えてきたのである。

 

二つの粒子は、量子的に相関していても、つまりもつれていても、孤独である。秘密基地を作るという協同作業を通しても、その乖離は解消されない。一方の粒子が、非局所的に遠隔操作されても、他方に責任があるわけではないのだ。が、その秘密、謎のあり方、孤独のあり方を了解したとき、二つの同期が共有される。たとえ一方が前回り、他方が後回りといったスピンの向きが逆であっても、二つは同期しているのである。この秘密=孤独への理解、思いやりは、世俗の時空を超絶して、共有されえるのだ。そのとき、二つは、たとえば母と娘といった世俗的役割の関係ではない。それぞれの固有名をもつこの存在として、単独乖離的であるがゆえに、繋がっているのである。

 

ところで、このもつれは、二人だけの関係に当てはまるだけではない。量子レベルの実験は、そう示唆している。だから量子コンピュータは、抱え込めるもつれた粒子の数が多いぶんだけ、計算量が膨大になっていく。が、粒子は、根源的な孤独を抱え込んでいるのが原理である。ゆえに、誰かが神の視点で、統御できるわけではない。アインシュタインが指摘した謎は、秘密のままである。原子爆弾は、この秘密を共有するのではなく、乖離的な方向に引き裂いた。放射性物質のランダムな熱量とは、孤独に彷徨う粒子の悲しみの激しさである。しかし「もつれ」は、自然過程としては、絶対零度に近づいて、つまり熱量(運動量)が冷めたような状態において維持される。

 

戦争は、人を引き裂いて、熱量を沸騰させている。ここでは、思いやりは、成立しにくい。がもつれは、つまり粒子間の同期性は、大量でも可能的であると、科学の基礎研究は示唆している。

 

以上は、ノーベル物理学賞の発表を受けて、その科学から飛躍した、文学的な想像力としておこう。

陰謀論者はお客様

 


本年度のノーベル物理学賞は、量子力学における基礎的な謎に迫った三人に決まった。ということを受けて、量子力学の実用化をめぐる問題を焦点化させた小論考を書いていたのを思い出した。もともと元NAM会員の三人で『全員死んでください』とかになるだろうタイトルの電子出版企画に寄せて書かれたものだが、頓挫してしまったといっていいだろう。その企画過程で、コロナ禍が激しくなり、戦争が起きるやらで、まさに「全員が死んで」いくのではないかというような事態になってしまったから、もうそのタイトルは気が引けてくるし、ジャーナリズム的にも時期外れになってしまっただろう。

 しかし量子力学へのノーベル賞授与を再度のきっかけとして、私の小論を記録に落としておこうとおもった。いま読み返すと、論理的に一貫した言い方になっているのか自分ではわからなくなってしまうのだが(もともと直観的につかんだものを論理として落としていくのが苦手だし)、量子現実自体が、言葉で、また論理的に説明するのが難しいということでもあるから、よしとしてすっとぼけよう。教養のある人は、自身の頭で修正してもらうことにして。

 また、戦争が始まってしまってからの、私の量子論への力点は変わってしまって、それは電子出版として出してみた「進撃の巨人論」に反映されているのだが、昨日、ビデオドットコムで宮台真司氏が推奨していた映画『秘密の森の、その向こう』を千葉劇場でみて、これは存在論的な観点からみた量子力学に見えてきたので、次のブログで、その感想をつづるかもしれない。さらに、以下で添付する論考の視点に返って、いま推奨されているmRNAワクチンのどこにアインシュタインなら問題化するような観点がすっとばされて実用化への道が急がれているのかも、指摘できたらとおもう(まあこれは、素人が専門的なところに首をつっこむので、間違っているのかもしれないが…ただ単純だ)。

 原稿用紙枚数にして60枚くらいで長いが、読む人もいないだろうから、堂々と、貼り付けよう。

 

*****

 

(1)   陰謀論者はお客さま――科学理性と自然過程

 

ビル・ゲイツからはじめよう。

 

ゲイツ氏は、コロナ災害における自身の慈善活動的な行動が、世界的な陰暴論の企てとして受けとられたことに驚き、こう発言している。

 

「このことについて今後1年かけて情報を得て、人々の行動をどのように変化させたのか理解に努めるつもりだ。」(ロイター 2021/1/01/28

 

さすが、Windowsを世界中に普及させた人物である。心内の動揺をコントロールし、顧客からの苦情こそがプログラム改良のアイデアにつながり、市場拡大のチャンスになるかのごとき、非常に理性的な対応をみせている。たしかに、一部の世間に根強いこここそを開拓できれば、ゲイツ氏の理想はまた一歩、実現に近づくだろう。

 

陰謀論者は、お客さまなのだ。

 

しかし、待ってくれ!

わたしたちは、彼のお客さまになりたいのか? させられたいのか? いつのまにか、揺らめく窓のソフトな架空世界に挿入されてしまっているように。

 

ここでの論考は、ゲイツ氏のマイルドな態度に示される理性と、その展開によって合理的に開発されていっているかのような現代の科学技術の在り方の是非と、そこに組み込まれていくことが自明な、いわば自然過程ともなっているわたしたちとの在り方を問題化することにあてられる。

 

日本での思想史的文脈では、廣松渉氏の近代科学批判の仕事を参考にしながら、問題自体を提起していくことを趣旨としたものである。

 

 

地球には、爆発的に増えていく人口を全て養うキャパシティーはない、だから、世界人口が削減されていくのは必至だ――別にこのような意見は、陰謀論者ではなくとも、飲み屋の談義でもでてきそうな話だ。誰もが、暗黙には認めていそうな前提だろう。ゲイツ氏がそこに、科学テクノロジーを実装したスマート・シティー的な理想を上書きするのは、氏の技術者としての経歴からして、おまけみたいな話だ。新型コロナ・ウィルスの拡散や、それを抑える新技術なワクチン接種の普及促進策が、実は、人類削減計画の企ての一環なのだ、とする陰暴論の文脈がなくても、巷談義の延長として理解できる。

 

が、たとえば、ゲイツ氏の促進しようとしているワクチンそのもの、その技術開発が前提としている理性=reasonに問題があったとしたらどうだろう? 開発をすすめていく推論=reasonの在り方自体に問題があるとしたら?

 

結果から考えてみよう。

ワクチンは安全だ、治験なり実際の接種後の、統計調査によって推定できる。が、なんで統計なんだ? 効いてるか効いてないのか、見て、わからないの? 人に近寄って診るのではなく、なんでそんな遠巻きな仕方でしか、結果を知ろうとしないのだ?

 

この素人の疑問には、現在遂行されようとしている科学技術と、それ以前の技術との差異が、浮き彫りにされている。それは、おそらくゲイツ氏が、陰暴論を受け入れる人物その人と対面して意見をきくのではなく、その全体的なものを、遠隔的に分析し、統計的に処理していこうとしていることと同型なのだ。お客の家を訪問して、セールスする営業は時代遅れ、いまや、匿名的なビッグ・データを解析して、ピンポイントでお客さまの端末にアクセスする。

 

なんでそう変わり、どうしてそうなったのだろう?

 

科学の歴史を振り返れば、この統計処理に頼らざるをえなくなる起源が、原子以下のミクロな世界での不可思議さへの直面からきていることが知れてくる。

 

その原子以下の粒子の発見以前、つまりは分子以上のマクロな水準での動きを処理するのにも、統計処理はおこなわれてきた。

複雑なブラウン運動をする分子の集団を、統計的に扱う数式理論が開発された。が、そこでの処理は、あくまで、物質がどう振る舞うかは決定論的にわかってはいるが、数がたくさんになると面倒くさくなるので、まとめて処理してしまえ、という発想だった。

 

が、原子以下、いわば、量子として発見された物質世界はちがう。振る舞い自体が、わけがわからないのだ。今でもそうである。とある条件下での状態や運動量は観測できる。A地点でのその粒子のエネルギー量か位置を、計算で求めることはできる。が、それがB地点に現れるとき、その軌跡はわからない。それどころか、同じ物質としてAからBへと移動したのかさえ、不明なままなのだ。だから、Aに現れて在るのも、Bに現れて在るのも、確実に在るとは言えなくなる。波のように、見えないまま偏在しているようなのが、位置か運動量といったどちらか一方にしぼった観測手段によったときだけ、粒として存在してくる、と解釈される。ただ、実験データの集積から、とりあえず、確率的に、予測的に、つまり数理データ上、そこに在るもの、あそこに出現するものとして扱える概算がたつ。根本はわからないが、統計的な確率分布は確実に存在しているものとして扱える。予測を裏切る確率があるとしても、ミクロな次元での振動、在るとされるものの振る舞いがマクロ的には観測不能であるくらいならば、非在=誤差も気にならない。観測し得たものの見かけ上の連続として、実用的になる。

 

だから、量子論の創始に一躍かったアインシュタインは、こう疑義をしめしたのだ。

 

月は、見ていないときは、存在しないとでもいうのか?

 

 観測するまえは波として非在で、観測してはじめて粒として現れる。

 この不可思議さを、<観測問題>と言っている。そして、波から粒への観測実現を、実用化へと向かわせた科学者集団の用語で、<収縮>、wave function collapse という。しかし謎が解けたわけではないので、理論上、量子論の解釈問題とも言う。

 

この理論のそもそもの根本にこだわったアインシュタインは胡散臭がれ、科学は、ひたすら根本問題を棚上げして、実用的な方向へと走った。

 

 その量子力学と呼ばれることになった科学理論の実用化の、一番の大きな成果が原子爆弾である。

 

 ならば、原子力エネルギーの根本の問題は、原子核が崩壊したときに発生する電磁波、放射能の人体への影響の如何、ということではなく、それ以前の、<観測問題>にこそあるというべきだろう。

 

ここにおいて、本当に、人類は原子力を制御できているのか、管理できるのか、ということが問われてくる。実用と制御実装は別問題、ということは、チェルノブイリやフクシマの原発事故の発生とそれでもの続行というあり様をふりかえれば、状況証拠的には、見えてくる事態だろう。

 

 さらに、状況証拠的には、遺伝子操作ワクチン開発の前提となる、DNAのらせん構造の発見も、アメリカの原子爆弾開発に携わった者の関係、X線写真の利用とう、つまりは量子力学世界の人脈と、その理論と技術の参照ははっきりしている。発見当初は、分子模型の操作という古典的な方法がメインだったとしても、その技術延長の現在では、量子化学の応用なくして分子構造の配列計算は難しい。

 

 アインシュタインにならって、こうも問うてみよう。

 

 DNAは、本当に、らせん構造なの? 観測するから、そうなるという話ではないの?

 

アインシュタインの素人的な疑問に、現代の知見には、いくつか答えが用意されている。

マクロ系では、分子同士が観測しあって収縮するというデコヒーレンス解釈や、ブリコジンの揺らぎによる構造形成や自己形成の指摘である。

 

しかし根源にあるミクロな次元に立ち返れば、波と粒子の二重性をめぐる謎が解明されたわけではない。それどころか、量子コンピューターは、その二重性こそを利用しようとする。アインシュタインが指摘したパラドックスは、相関として理解しなおされた。観測以前状態である波の重なりを粒子的に振り分けて、その遠隔化されたまだ波的であり粒ではない状態の相互作用を利用するのだ。観測できない、を逆利用して、敢えてしないままにしておいて、複数化された非在(波)の世界に、並列的に計算させようとするのである。いわゆるマルチバース、多世界の実際を利用するのだ。そして解を得るとき、その世界(波)を観測して崩壊、wave function collapse させる。

 

本当に、こんなことが、できるんだろうか?

 

実験的には、できている。いや、量子暗号などは、すでに人工衛星間で、実用化されていると指摘されている。

 

しかし、改めて言えば、できること、実用になることと、それを制御し得ていることとは違う。原子力発電について、存在論の哲学者ハイデガーは、管理しつづけなくてはならないことは管理できていないことだ、と言った。

 

ワクチンの打たれた細胞を、間近に見て観察しているわけではなく、机上に転送された匿名集団のデータを解析することによって観測し、あなたもたぶん大丈夫、と診察する、していることになるというのだ。とりあえず、それしかできないからである。

本来なら、みて確認したい事象が、MRI(磁気共鳴画像)などの量子現象を利用した技術レベルではとらえられるような代物ではなくなって、もっと間近で観測しなくてはならない水準にいたっている。

 

コンピューターの開発と同じだ。もっと先へ、とこれ以上回線をミクロにすると、量子のトンネル効果で電子が回線外に染み出して、誤伝達につながってしまう。

 

根本が、原理的に見えない世界にかかわっているからだ。

 

細胞のなかは、さまざまな物質が密になってうじゃうじゃ状態だとされる。細胞内に潜り込んだRNAが動き回り、設計図実現に必要な材料を調達するのは、偶然的な出会いによると言われている。その過密な中での相互作用は、免疫系だけでおこなわれるわけではない。他の、さまざまな系とのぶつかりあいが不可知だとしても想定される。抗体ができたか否かで、そこだけを観測して、ワクチンが効いたかどうかの判定をするというのは、片手落ちになる。だからこそ、このミクロな世界はブラックボックスだといわれ、リアルワールドでの統計的な結果を待ってしか推論も成立しないのだ。

 

生物学的世界のどこに、量子的現実、観測問題といわれるものが出来してくるのかは明らかではない。が、陽子一粒な水素結合で分子化された遺伝子構造のかかわる細胞内の現象は、波の重なり、多様な見えない系の不可視な物質の世界として、量子世界のそれと類同的である。

 

なのに、なんで、そう突っ走るんだ?

 

わからないままのほうが、おもしろいからか?

 

「黙って、計算しろ!」というのが、量子力学の勉強をする学生への叱咤だそうだ。たしかに、わけもわからぬまま丸暗記してテストの成果がでたら、それはそれでもおもしろくなってやめられなくなる、ってのもあるからな。そういうこと?

 

日本への原爆投下も、科学者が試してみたくなったから、ということも、たぶんにあったのではないだろうか?

 

ドイツの学者が開発を断念し、さらに、ドイツの敗戦が決定した時点で、ヒトラーより早く作らなければ大変なことになる、という大義名分はなくなった。ゆえに、犠牲者数を減らし、日本の降伏を早めるために、との理由がもちあがる。その正当性を、認めてもいいだろう。しかし、そんな政治的な判断、マクロ世界のおおざっぱな話ではなく、科学者ひとりひとりの内心、欲望の次元にまで覗き込んでみる必要があるとしたら? そこを問題として、観測対象として把握する必要がでてきているのが現在の世界だとしたら?

 

ドイツや亡命先のアメリカで、原爆開発に携わることになった科学者集団の考え方を、コペンハーゲン学派とも呼ぶのだが、その主導者のニールス・ボーアは、波と粒子の二重性を「相補性」として概念化した。そしてこの概念には、当時の心理学が直面しているものとの形式的な類似性があることを示唆した。心の内も、ミクロな水準へと突き詰められると、<思惟と感情>、<理性と本能>といった古典的な分離が不可能になってしまった。そのさまが、原子物理学が陥った状況と似ているというのである。

 

この心理学的な事態は、文学の世界にも出現し、相互影響が起きた。「意識の流れ」と呼ばれた文学技法の潮流にもなった。「内的独白」とも言う。いわば、超然と明確であった語り手が不明になって、語る主体と語られる対象が曖昧な波のように融解しだしたのである。

 

しかしそれでも、20世紀初頭のその学的世界は、欲望を心の内にあるものへと想定できた。それが、古典物理学的に、つまりは因果的な決定論として、自己の原因だと特定できなくなりはしたが、他者との関係においてはそこにある、とされたのだ。子供がそのおもちゃを欲しがるのは、隣の子供がそのおもちゃを持っているからだと。欲望は、他者との関係にはいるまえは、波として非在であるが、そこに置かれると、粒としてはっきり現れてくる、ということだ。

 

これを、文学作品を分析する概念用語で、「欲望の三角関係」といった。

自己と欲望対象だけでなく、第三者の他者との関係があかるみにだされたのだ。

この第三者は、べつだん、人でなくともよくなった。たとえば、広告とか。消費社会の到来である。

 

しかしこの程度では、まだ物質や心の在り方を明るみにだしたぞ、くらいだ。欲望が原因としてどけられはしたけれども、まだ自己と他者との近接した関係にある。文学分析上の概念で、「近接の原理」という。作品にでてきた登場人物は、遠からず出会い、結ばれるというテクスト論的な現実だ、ともされる。

 

となれば、わたしたちがいま生きている環境とは、だいぶかけ離れた、古くさい、というより、そういうのがあるのはわかるけど、やってられなくなった世界、といおうか。

ガラケーとスマホの違い、みたいな感じだ。

 

わたしたちの欲望はいま、他人と接していようがいまいが、関係ない。コロナ禍においては、外にでるな、テレワークだとかいっている。それでも、こちらからのぞきこむ近くの他者はみあたらなくとも、気にならない。が、逆に、こちら側が、四六時中、のぞかれていることを知っている。心の内どころか、一挙手一投足、後追いされ閲覧されている。そして、しゃにむに、欲望が向こうからやってくる。自己参照された他人のもののような欲望が。広告など見向きもしてなくても、クリックするたびに、次から次へとやってくる。あまりに早いので、さっきのと、こんどのと、同じ欲望なのか、わからない。しかしそんなことを頓着させてくれる暇もないので、とびとびの不連続な欲望の誤差も、気にならない。一貫した自分のものだとしても、いっこうに、さしつかえない。じゅうぶん、実用的だ。これにでもしようと、その情報画面を指で押せば、次の日には、モノとしてやってくる。

 

 これはまさに、量子の世界事態ではないだろうか?

 原因としてあった欲望や動機が、見えない他人相互参照の世界に拡散され、いくつもの波としておそってくる。なんとなくは、その波にせかされているということ、押し流されていることを、感じてはいる。

 

 原子爆弾の開発も、たんに科学者の欲望や好奇心によるだけでなく、戦争という他者との競合的な参照世界に巻き込まれていなかったら、その達成はできなかったのではなかろうか? 技術的に困難なだけでなく、大規模な材料調達と予算規模は、戦争状態でなければ断念されて、可能ではなかったろう。

 

 現今の量子コンピューターやワクチン開発も、そのようないくつもの波=系(システム)の戦争状態下にあり、せかされているとしたら?

 

 ボーアが物理と心理にみた事態が、文学を超えて、マクロ世界をもおおっている。

 

 観測しえないようなミクロな世界と、わたしたちの暮らすマクロな世界とはつながっているのか? そうなってしまったというのだろうか?

 

というより、感染するのだそうだ。

 

<いま考察する系S(システム)の情報を得るための問いの発し方を整理してみると、Sを測定器Oが観測することは、SがA状態か、B状態か、C状態か……という問いへの「イエス・ノー情報の集積」と見なすことができる。問いのタイプはOの構造に由来するから、問いを発する側Oと対象Sの関係は非対称である。しかし、一歩引いて合成系S+Oを別の測定器O‘が測定している状況で見ると、「Oに対してSは……」「Sに対しOは……」のように対等な対称関係に戻せる。すなわち、Sの絶対状態を語るのではなく、あくまで他の系との絡みを語る理論構成になる。ここでSはミクロ系、Oはマクロ系とすれば、ミクロ系の不思議が容易にマクロの不思議に感染することがわかる。>(『量子の新時代』 佐藤文隆/他著 朝日新書)

 

 よくわからないが、情報技術のなかでは、そうなってしまうらしい。

 逆にいえば、消費社会から、この情報化社会で生きることになったわたしたちは、その不思議さから逃れられない。

 

 ならば、こういうことになる。

 わたしたちは、情報を得るために、仕事を、労働をしていることになる。

 

 お金も、情報になっている。

貝殻や金といった希少で貴重な物質から、どこにでもある紙幣の複数系へ、そしてデジタル情報と化したグローバルな世界へ。電子情報が、地球規模になった。

 

わたしたちは、そう加速させているメカニズムのことを、資本主義と呼んでいる。

DNAがらせん構造をもつと観測されたように、世界は、商品という一般形態によって構造化されたと観測される。そう、収縮=wave function collapse している。

 

もう一度、波にもどしてみよう。

 

マルクスは、資本主義下でのヒトの作用を「労働力」といった。これは、「労働」×「時間」で示されうる資本世界への貢献要素、みたいなものだ。古典物理において、「質量」×「速度」で計算される「運動量」が、現実世界での大きな力になっていると考えるような見方だろう。

 

では、「労働」そのものとは何か? マルクスは、そこに、「使用価値」というものを認め、それと「時間」をかけあわせることによって、「交換価値」という剰余が発生しえ、それが資本を増殖させ進展させていかせる原動力ととらえた。が、資本下以前の、「労働」そのものをミクロに観察すれば、さまざまな波が潜在していることが知れてくる。たとえば、災害時のボランティア労働とか、親にたのまれる子供のおつかい、とか。あるいは、生産工場での単純作業コンベア・ラインで、となりの落ち込んでいた同僚を励まして仕事をできるような状態にさせたら? しかしそれら潜在的な状態の群れは、「労働力」という計測のなかでひとからげにされる。観測装置にひっかからぬものとして、排除されているともいえるだろう。

 

「労働」そのものは量子の波のようにあるが、「労働力」という観測が、それを収縮=崩壊させているのである。

 

それだけではない。

マルクスの『資本論』の分析によれば、「労働力」が「剰余」を産み出すメカニズムとは、剰余になっていく「労働力」もがまた産み出されてくる世界である。仕事からあぶれる人々のでることが、構造的に折り込みずみなのである。というか、このミクロな「労働」排除の感染が、マクロ構造として前提とされているのだ。

 

「労働力」とは、計測可能な情報である。それによって、資本世界は、仕事の賃金を計算する。仕事がない、賃金ゼロ、というのも算出結果になる。収入はゼロ、という税申告をし、ゼロを支払わなくてはならない。

 

労働現場自体に、アインシュタインがパラドックスとみた量子的な現実性と、それを糊塗する力学計算が現実化されている。

 

この資本主義下の労働現場の二重性、波(潜在)と粒子(事実)の感染性を活写した文学作品があるという。

1983年に出版された、中上健次の著作『地の果て 至上の時』である。その読解は、河中郁男氏のものを参考にしている。

 

<「秋幸」は、この小説の中で、様々な考えにすぐ染まってしまうという特徴を持っている。それは、彼が「大文字の特殊」=「労働力」であるからであり、「労働力」であるということは、マルクスが言ったように、すべての価値の源泉であるが、それ自体としては「無」である「自由」を持っているということである。現象するものに対して、「秋幸」の根拠は、「無」、つまり、「潜在性」であるがゆえに、「秋幸」は、「不安」であるのであり、そうであるがゆえに、様々な考え方に自分を接続させてしまうのだ。>(『中上健次論 <第2巻>』 河中郁男著 鳥影社)

 

父の経営する材木屋の社員であることをやめて、自らフリーターとなって働くことを選んだ主人公秋幸とは、位置か運動量かといった、どれか一方の「観点」をとらずには計測されなくなった量子としての、電子のようなものだ。秋幸は、局所実在性としての、近接原理が支配する近代文学の法則性から逃れ、非局所性としてのパラドックスを生きるようになる。彼が消えたあとに燃えさかった故郷の炎とは、電子がエネルギー準位を変えて突如ちがう起動場所へと現れるときに放たれる光でもあるだろう。

 

しかし、量子の現実性とは、波であり、つまり「無」であり「潜在性」である。がゆえに、「不安」を抱え込むほかない。

 

ビル・ゲイツを陰謀論者とみたいとおもうものたちは、この秋幸のような、「不安」のなかにいるものたちであろう。

いわば、自分たちが、潜在的な失業者であることを、自覚せざるをえないようなものたちだ。

 

ゲイツは、科学は、理性は、そのものたちを制御しようとする。

しかし、量子的な次元で、それは可能なのか? 技術的にではなく、原理的に不可能であることを暗示させているのが、科学の<観測問題>なのではないのか? そこを無視して進むとは、陰謀というよりは、無謀なのではなかろうか?

 

 それでも、科学理性は突き進む。

 

よかろう。やってみろ!

 

 

(2) 引用参照物語

 

 なぜ量子世界から入らなくてはならないのか?

 

 その疑問への引用からはじめていこう。

 

<では、いまなぜ量子の時代なのか。そしてそれは、どんな広がりをもっているのか。

 量子力学は一九二○年代半ばに築きあげられた。二○世紀後半を彩るエレクトロニクスもIT(情報科学)革命も、みんな量子力学の上に成り立っている。それを支える集積回路は、量子力学によって理論づけられた半導体物理が生みだしたものにほかならない。パソコンも、インターネットも、電子メールも、科学者が量子力学を身につけることなしには登場しなかった、といえよう。

 ただ、いまのエレクトロニクスに使われている量子力学は、その核心をベールの下に隠している、といってもよい。量子力学の中心には、電子は粒子であり波でもある、光は波でもあり粒子でもある、という私たちにとっては不可解至極な部分があるのだが、そのことに見て見ぬふりをすることができた。裏を返せば、二○世紀の科学技術は量子力学の核心部がはらむ知的難題に目をふさいで実用に突っ走った、といってもよいだろう。

 ところが皮肉なことに、その実用の子であるエレクトロニクスがいま、私たちを知的難題に引き戻そうとしているのである。たとえば、電子を一つずつ操ることは、ごまかしが効かないかたちで「電子は粒子であり波である」という現象を私たちに突きつけ、量子力学をきちんと解釈するように迫る。量子が再び、知的探求の最前線に立つ時代に入ったのである。>(『量子の新時代』 佐藤文隆/井元信之/尾関章著 朝日新聞社 2009年発行) 

 

 そうして現在ある産業社会上の科学の在り方に、改めて問題提起をする学者はいる。

 上著作のひとりである、物理学者の佐藤氏である。

 

<このように、及ぶ影響が複雑で大きい「実在」という言葉を、物理学の論文で問うのは熟慮に欠けていたようにも思える。この原稿自体はアインシュタインが書いたものではなく、彼自身EPR論文の記述には不満もあったようである。しかしそれから七十数年経って、本書でも述べるように様々な問題が煮詰まってくると、まさに量子力学は哲学的に実在の意味を問うていると言えるのである。このことは本書の主題でありその広がりを提示するのが目的であるが、それは従来の認識論の線上だけでなく科学制度論に拡大されるべきと思っている。(略)何れにせよEPRは、二〇世紀における科学の変貌を測定する物差しになり得るのである。そして我々は、このように科学の世界に起った現実、社会の中での制度科学と従事者のメンタリティーの変貌といった事柄に着目する感覚が必要だ、と筆者は今考えている。二〇世紀物理学の開拓者であるアインシュタインの量子力学を巡るこの大いなるねじれは二〇世紀の物理学の歴史の描き方の問題とも関連するし、今後の物理学の展開の見通しにも関係してくる。それが本書の動機である。単なるアインシュタイン絡みの歴史秘話ではなく、科学の今後が絡む現実的に重大な問題であると筆者は考えている。>(『アインシュタインの反乱と量子コンピューター』 佐藤文隆著 京都大学学術出版会 2009年発行)

 

 アインシュタインが若手研究者とともに1935年提出したEPR論文とは、物質が粒子であると同時に波であるという理論解釈にともなうパラドックスを、思考実験として示してみせたものである。1980年代以降に可能になった実験によって、それがパラドックスではないことが実証され、EPR相関として理解しなおされた。ゆえにまた、実用化への「突っ走り」が、加速されて現代にいたっているわけである。

 物理学者の佐藤氏は、そこに、科学者から技術者への「メンタリティーの変貌」を問題化するわけだが、おそらくはどうも、肯定的にみるようである。意識的な自覚を、メタ科学的な理論としても推進していきたい、という立場にみえる。それは、科学者が「もの」という真実実在にこだわっているとしたら、きたるべき科学技術者とは、「こと」という情報処理装置を作ってみせる者たち、ということになろうか。この「こと」の世界観では、EPR問題がはらませるゴミ問題、波としてあったはずの可能世界の消滅(収縮)は、「もの」世界観では廃棄されたエネルギーとして残るはずだから、それはどこにいったのだ、というパラドックスも解消されるという。(『波のしくみ 「こと」を見る物理学』 佐藤文隆/松下泰雄著 講談社BLUE BACKS 2007年発行)

 

 しかし、ニールス・ボーアが量子物理世界と同型とみた人間の心理において、その潜在のままに終わった状態は、後悔、という形で残存する。ああでもあり、こうでもありえた可能性が消えてこの現実となったとき、それが不本意であれば、あのときああしていれば、と心残りが生じるであろう。その残存は、たとえばアウシュビッツでの生存者が、なんで自分が生き残ってしまったのかと自身を責め続け、老年になって突如自殺してしまう、ということにつながる。ということは、多世界を実在としてみる世界で発生する潜在エネルギーのゴミ問題を、「こと(情報)」的世界と見方を変えて消してしまう処方が、人間にとって本当に解決策になっているのか、ということになるだろう。

 

 1994年に亡くなった哲学者の廣松渉氏も、「もの」から「こと」へと、学者の認識態度を変えるべきだ、と説いた人である。

西洋近代的な「物的世界像」から、「事的世界観」への移動を哲学的に基礎づけようとしたのだと言える。

 が、廣松氏の世界への切り口は、アインシュタインらが提起したパラドックスそのものを認めない、観測問題の根本をずらすことにおいてなされる。

 どこにずらしたのか? わたしたちの、日常世界にである。それをパラドックスとして観測するのは、科学者だからではないか、と問題をとらえなおすのだ。

 

<円筒型は見え姿の無限集合であるといっても、そして、それの形成に際しては過去の体験に俟つとしても、一つの見え姿以外は「可能態」(デュナミス)ないし「潜勢態」(ポテンティア)としての見え姿にとどまる。それらはしかじかの視点から現に見られることにおいて「現実態」(エネルゲイヤ)に転化するが、円筒型が円筒型たるかぎり、それはさしあたり可能的、潜勢的な(未在的に既在的な)見え姿の無限集合ないしそのアルゴリズムである。…(略)…

 量子力学的次元での観測対象についても、これと全く同様な論理構成になっている。観測理論のプロブレマティックを劃したとも称されうるあの確率波的解釈をボルンが持出したとき、どのような論理構成になっているか? ボルンは電子という対象が、或るときには粒子的な見え姿(量子的作用)で、また或るときには波動的な見え姿(回析や干渉)で“見える”ということ、このいわゆる粒子性と波動性とを統一的に捉えるべく、波動函数を確率波的に解釈してみせたわけであって、このかぎりでは、それはあの円筒型の場合と同様、しかじかの条件のもとではしかじかの「見え姿」を呈するところの或るものetwas Identischesにほかならないわけである。>

<観測に際して直接的現相を対象化的に措定する者、量子力学的次元を意識していえば、波動函数を定式化する者は、いかに具身の個人であるとはいえ、単なる一私人ではない。“学問的知性の一代表”ともいうべき者、謂うなれば認識論的主観を具現する者として彼が認証されているかぎりで、彼の観測が「観測」として通用geltenするのだということ、このことはもはや駄目押しするまでもあるまい。――単なる一私人が、所与の「見え姿」から対象を措定したり、波動方程式を立てたりしたのであれば、それがいかに能知・所知的な被媒介的形象であるにせよ、「対象」としての認証に値しえないであろう。しかるに、観測に基いた対象措定が間主観的な認証性をもつところから、それが第二次観測に先立っては「可能態的存在」にとどまろうとも、これには対象的存在性が認められうるのである。>……引用中の傍点部分は省略(『事的世界観への前哨』 廣松渉著 筑摩書房 2007年発行)

 

 廣松氏は、普段の生活上にある認識と、量子力学における観測とを、同じ位相において捉える論理を提示する。そのことによって、量子の不可思議さを解消する。そのパラドックスとみられていたものが、生活水準での論理でみれば、「間主観的な認証性」をもっていることが知れてくるので、矛盾ではない、と。だから、むしろ「間主観的な認証性」こそを根拠に実践を導いていかなくてはならない、という展開をしたのであろう。

 

 この思考展開から、廣松氏の晩期の「日中を軸とした東亜の新体制を!」という共同主観的なイデオロギーが発生してくるのであろう。

 

 佐藤氏も、「こと」世界への前哨のように、「もの」から「ものの見方」へと認識を移動させた西田哲学(戦時中の大東亜共栄圏のバックボーンとなってしまった)への親近を表明している。(『物理学の世紀』集英社新書 1999年発行)

 

 いわば、世界を「もの」ではなく、「こと」、情報としてみることへの傾向は、人と世界とのイデオロギー的な関連を暗黙にあとおししてしまうことにならないのか。

 

 アインシュタインの量子論への疑義に沿っていえば、人は月を見なくても生きていく日常生活をもちうるが、月は、観測している科学者において、情報としては見えているのである。しかし、たとえふつうの生活者が、月を観測などせずに生活していようと、たとえば、その情報が、女性には生理として影響をあたえる。海の波はもりあがる。それさえも、情報であると世界観、達観するとは、どういうことであろうか?

 

 この短考が警告するのは、そのことである。

 

 すべてが「こと」に、モノではなく情報になった世界とは、文学の世界になったということでもあろう。

 

 世界は、コトバに、言の場、になったのだ。それは、情報化社会を超えて、「もの」が「こと」として相互参照(リンク)されたネット世界となった現在では、自明な話にもなろう。

 ならば、小説と世界を区別する、テクスト論的な前提は、世界自体に折り込まれてしまう。間テクスト的世界が、共同主観的なリアリズムになってしまうからである。

 

<そうした「読者」として、「わたしたちがすでに知っているどの世界とも単純明快なつながりなど全然もっていないものとして、その作品に対すること」。この教唆もやはり、第二の心得として本書の踏襲すべきものとなる。というのも、多分に時評的なものであると同時に、小説の形態とその技術とにかかわる原理的な視線を手離すまいとする本書にとって、ナボコフによる右の分離指令は、この視線をおおいに鼓舞してくれるのだ。実際、「その世界と他の世界」とは、原理的に分離しているからだ。小説作品という「その世界」に比較されるもっとも広範な「他の世界」として、そこに、現実の「人生」を代入してみればよい。むろん、その代入から等号を導く志向が、いわゆる「リアリズム」の基軸をなすわけだが、このとき、子供にも分かる問題として、たとえば、「ビフテキ」という言葉は食べられず、やや高度なポイントとして、「それから十年後」という言葉を読むのには、一秒も要さない。逆に、「他の世界」でなら一瞬にして把握しうる対象に費やされた、その五行なり十行なり、極端な場合には十頁二十頁なりを読むには、相応の時間がかかる。作中に「私」と名乗り出た一瞬から、その人物は二人(<語る私/語られる私>)であり、よほどの信者でないかぎり、「神の視点」を人生にまで許容する人間はおらず、人生にはそもそも「話者」は存在しない。作中人物が心ひそかに抱くその秘密は、しかし、すでに(読者という他人)に読まれてあり、作中のどこかでたまたま近づきあった赤の他人同士は、人生にくらべればおそろしく高い確率で、その後、何らかの関係をもつ。>(『小説技術論』 渡部直己著 河出書房新社 2015年発行)

 

 量子論的にみれば、「ビフテキ」という言葉は食べられる。もの(粒子)と波(=言)の二重性としてあるとされるからである。十年や一瞬といった時間差も、時計によって把握されるようなものではなくなり、主観的な圧縮や伸長に重きがおかれる。よほどの偏屈者でないかぎり、グーグルやアマゾンが「神の視点」をもっていることを受け入れざるを得ない。わたしたちは、小説など読まなくとも、生まれたときからすでに二人(語る「もの」/語られる「こと」)であるかのようだ。ひそかに抱く秘密が、この世界で、人生で、すでにのぞかれている。赤の他人同士が、フェイスブックなどをとおして、おそろしく高い確率で関係をもってしまうのが、人生だ。小説の世界と人生との区別をつけさせない主観情報論的な世界のなかを、泳がされている。しかもそれが、ミクロからくる物質的現実なのだ。

 

 スマホの電源をいれるいれない、持つ持たない、という話ではない。

 わたしたちは、その圧倒的な電子の世界に生きている。つまり、量子の世界に。ナボコフを参照したこの批評家の世界観は、ニュートンの古典力学のように懐かしく、またうらやましくも感ぜられる。その読解が、間違いというわけでもない。マクロ系では、誤差はあっても、じゅうぶんニュートンの物理で計算可能だからである。

 

 だからむしろ、世界と小説の区別をせず、小説の欲望から世界の欲望を見通そうとしたルネ・ジラールの、テクスト論以前的な古典的読解のほうが、ここでの考察では意義を発散してくれるだろう。

 

<媒体が欲望する主体に接近してゆくにつれて、本体論的病いは絶えず悪化してゆく。その自然的終局は死だ。自尊心の浪費的な力は、自尊家の分裂、次には断片化、最後には完全な崩壊へといたることなく、無限に活動するわけにはいかない。一つにまとまろうとする欲望は霧散する。われわれはいまや決定的な分散状態に到達しているのだ。内的媒介が産み出す諸矛盾は、遂には個人を破壊してしまう。マゾヒズムに引きつづいて、形而上的欲望の最後の段階、自己破壊の段階がくる。この病いに捧げられたドストエフスキーの全登場人物における肉体的自己破壊である。キリーロフの自殺、スヴィドリガイロフの、スタヴローギンの、スメルジャコフの自殺。最後には精神的自己破壊だ。呪縛のあらゆる一切の形式が、その最後の苦悶を形成したのである。本体論的病いの宿命的な結末は、直接的にであろうと間接的にであろうと、常に自殺の形態である。自由に自尊心が選びとられるからだ。

 媒体が接近すればするほど、形而上的欲望に結びついた現象は、それだけいっそう集団的性格を帯びる傾向がある。この性格は欲望の最終段階でこれまで以上にはっきりする。したがってわれわれは、個人的自殺とともにドストエフスキーの中で、集団の自殺あるいはほとんど自殺とも言える状態を見るであろう。>(『欲望の現象学』 ルネ・ジラール著/吉戸幸男訳 法政大学出版局 1971年発行)

 

 そうしてジラールは、『罪と罰』のエピローグ、疫病に侵された人類の絶滅していく悪夢に言及する。

 

<この病気は伝染性のものだが、そのくせ、それは、人間たちをばらばらに切りはなすのである。人間たちをお互いに角突きあわすのだ。各人は真理を所有しているのが自分だけだと信じ、身近な者を観察してはなげくのだ。各人、自分自身の法にしたがって断罪したり許したりする。このような症状の一つ一つはわれわれに無縁ではない。ラスコーリニコフが描いているのは、あの本体論的病いなのだ。こうした破壊のらんちきさわぎをひきおこすのは、その極限期にいたった本体論的病いなのである。細菌学と専門用語の確かな語法が、「ヨハネ黙示録」に通じているのである。>(同上)

 

 他者というもう一項を媒介とした、三角関係としてあった欲望は、その近接の原理という古典物理を内側から破壊してゆく。近くによりすぎて、ミクロな次元にまでゆくと、集団的な性格になってしまうのである。欲望は、統計的に処理するしかなくなる。他者の欲望を欲望するといった消費社会は、のぞかれた心内の欲望が無尽蔵にリンクされた情報社会へと偏向してゆくのだ。「もの」への欲望は、もはやブラックボックスと化した他者との共同参照世界によって回析され、自分のものとも他人のものともしれない「こと」と化す。私の消費という結果は、もはや欲望という原因によるのではない。波のようにあまねく広がった潜在的な欲望世界のなかで、クリックとともに粒子化する「こと」として、わたしのまえに情報化される。次にクリックしたら、ちがうものに、なっているかもしれない。さっきの欲望と、いまの欲望は、同一なのか? そのように、わたしたちが、量子のように振る舞っている。

 

 欲望が、原因が、偏在している世界。

 ラスコーリニコフの悪夢が現すのは、人から人への感染という近接の原理ではもはやない。それは、いきなり遠方でもおこりうる。原因は、波のように、常在しているからである。電子のように、A地点からB地点へと、量子飛躍的に発生していくのだ。世界自体が、ウィルスの環境要因となっている。そこいらじゅうにあった花粉の波が、突如、粒となって猛威をふるいはじめるように。

 

 そのとき、わたしたちが抑えようとすべきなのは、粒なのだろうか? 波なのだろうか?

 

<単に病原体を根絶することで、それを達成することはできない。病原体の根絶は、マグマを溜め込んだ地殻が次に起こる爆発の瞬間を待つように、将来起こるであろう大きな悲劇の序章を準備するにすぎない。根絶は根本的な解決策とはなりえない。病原体との共生が必要だ。たとえそれが、理想的な適応を意味するものではなく、私たち人類にとって決して心地よいものではないとしても――。>(『感染症と文明――共生への道』 山本太郎著 岩波新書 2011年発行)

 

 もはや、ミクロとマクロとの区別が相互作用として、感染的にしかない社会で、自己と世界との区別は意味がなくなってしまうだろう。

 

<いいかえれば意識的領域が強化されるほど抑圧される領域――無意識的領域は広がり、したがってそこで抑えられていたもの、無意識的なものが突発するときの衝撃は強くなる。…(略)…エスは無意識よりさらに根底的です。対して無意識と呼ばれていたものはインフラであり意識を反映して組織されてしまった人為的産物にすぎない。これは必ず破綻する。エスの活動の必然によって。エスの活動とはまさに物質連関そのもののようなものであって自我意識が崩壊しようと、その死が訪れようとかまわない。つまり主体が死んでも持続する。エスの活動、物質連関は主体の輪郭の外に連続しているわけです。ゆえにエスには時間は存在しない。>(「理性の有効期限 理性批判としての反原発」 岡崎乾二郎インタビュー 『述5 反原発問題』所収 論創社)

 

 いま、科学技術が分け入ろうとしている量子世界とは、この物質連関としてのエスの世界のようなものであろう。これ以上の技術の要請とは、電子(陽子)が「主体の輪郭の外」へと、統御しえるものとしての「半導体」や「細胞」の外(内)へと滲み出すぎりぎりのところを超えていこうとすることに他ならない。量子のトンネル効果を制御できるものと、コンピューター開発がなされ、モノがコトでもあり、そうなっていく世界が貫徹されようとしている。イデオロギーは、言葉だけの世界ではない。ネットの書き込みが、実際に、わたしたちを殺しもするのである。それが、自然な物理であり、そういう世界なのだとされることは、一体、どういうことなのだろうか?

 

2022年9月23日金曜日

杉田俊介著『橋川文三とその浪曼』(河出書房新社)を読む


千葉へ移住前の中野区の本屋でこの本をみかけたのは数か月前になろう。

私も、去年、電子出版本の試作として、初めて値をつけてみた『人を喰う話』(摂津正さんとの共著)に、「瀰漫する日本浪曼派――シン・エヴァンゲリオン批判」なる予備考で、橋川文三の『日本浪曼派批判序説』を使用していた。ので、そのタイトルが気になり、手にとってみたのだ。が、その時は購入にはいたらなかった。

 

著者の杉田俊介という名前をみて、この人はフリーター問題に関して、何か実践をやっていた人ではなかったろうか、という想起がよぎったからである。たしかその件の著作に関し、私はこのブログだったかその前のHPかで、肯定的に感想を綴ったことがある。だから、その後の杉田氏の活動のことはまったく知らなかったので、文学論との関連が結びつかず、ためらったのだ。分厚いし、高いし。

 が、スマホで色々読んでいたある時、中島一夫氏の文芸批評ブログで、杉田氏のこの作品について週刊読書人で書評を書いた、とあった。ということは、杉田氏は、もともと文学畑が専門の人なんだなと合点し、もうすぐ引っ越しで図書館に行く暇もなくなるだろうからと、購入することにした。そして自分の問題を整理するためにも、その感想をメモしておこうと考えた。

 

*****

 

私自身は、橋川文三の作品は、『-序説』しか読んでいない。シン・エヴァンゲリオンを映画館でみて、これは無邪気に薄められた日本浪曼派的な心情なのではないかと思い、そこで橋川文三にそれを批判する本があったな、読んでみよう、という気になり、柄谷経由のより一般的なロマン派理解で理解できるところでこの映画は切れてしまうじゃないか、と即席的な例解として書いてみたものだ。

 そもそも、私は、日本浪曼派の親玉だという保田與重郎の作品を理解できたことがなかった。これのどこに、日本的なロマンの問題(心情)があるのかわからない。私にとって、日本近代文学上、日本的ロマンとして共感しうるのは、太宰や安吾といった無頼派系の人の作品=文体からである。私は群馬=上州育ちだから、萩原朔太郎の「帰郷」という詩にある、「まだ上州の山は見えずや」に感応する。そして帰省時に、故郷の山並みの風景姿をみて(いや山に限らず海でもいいと思うが)、なにかほっとする感情を抱くのは、私だけでもないだろう。しかしそれは、もう故郷に心情的には帰れない、無理してまた居住でもしたら頭がおかしくなってしまう、もう自分はそこから切れてしまっている、という感情の方が強いからだ。つまり、一匹狼的な無頼である。そこから、高倉健が出てくるような、任侠映画にある、大衆受けした浪人のロマンがでてくる。私にとっての日本的浪曼とは、そういう文脈理解である。保田じゃない。彼の作品に感応し特攻していったという青年たちとは、やはりインテリの優等生だろう。

 そしてその日本浪曼的な大衆心情は、じっと我慢の子であるが、ついには、黙ってらりゃあいい気になりやがって、てめえら人間じゃあねえ、叩き切ったる、と真珠湾的な奇襲攻撃をしかけ、みなが拍手喝采、溜飲をさげる、ような状態にもなる、と想像するのだ。そしてSNSを通じて大勢になる日本的なポリコレ的揚げ足取りは、そんな大衆になりきれないエリート優等生の裏返されたロマン的心情であり、言行不一致をあげつらう裏返された言霊信仰、物事が文字どおりでないと気のすまない左翼みせかけの右翼、天皇なき天皇制心情である、と私には見える。

 

私は新宿区の職人街、かつては歌舞伎町などにも鉄砲玉となるような人たちを供給していたような地域の人たちと付き合ってきた。草野球仲間でも、街宣カーで出動する、赤尾敏の愛国党系の右翼団体の家系の親分もいて、そこに関わる若い人たちのことも、深くではないが、肌感覚でわかる。イデオロギーだの、そんな話ではない。

 杉田氏の三島由紀夫をめぐる論考を読むと、私には、三島がやはりバカに見えてきてしまう。たとえていえば、甲子園に出場する高校球児たちの感動的な姿をみて、純粋にそういう若人たちがいると本気で思ってしまうようなアホ臭さ。そんな糞真面目な奴いるわけねえだろう。おそらく、三島が実際に徴兵されて軍隊生活を送っていたら、目が覚めたろう。が、純粋ではなく、不真面目であるからといって、真剣さがないわけではないのだ。ブログだかHPだかでも綴ったが、敗戦の通知を受けても降伏せず、小舟を漕いで切り込んでいった末端の若い兵士たちもいたそうだが、私には、ジャングルに潜みながら、もはや上官も死んでただ先輩―後輩関係だけがあるようなグループのなかで、どんな会話がなされたのか、聞こえてくるようだ。俺たちはバカだろう、やるしかねえよな、いやそこまでやらなくても、いやだって、おかしいだろう? わかったよ、と泣く泣く突撃するのだ。彼らは、「天皇陛下万歳!」を叫んで突っ込んでいったのかもしれない、が、そんなのは、他に言うことがないからの口パクの合言葉だ。おそらく大概の若者はそんな言葉は叫ばないだろうが、叫ぶものも、やけっぱちな気合入れだろう。ただ、ヤンキーの、下っ端で生きてきた者の意地があるのだ。

 

宮台真司が、クリントイーストウッドの映画に出てくる主人公は、平凡でどこにもいる人なんだけど、それがそのままで英雄的な行為をみせる、その逆転の現実を描いているんだ、と講釈していたと思うが、そうした理解に近い。

 が、だからといって、三島を非難するわけにもいかない。なぜなら、まさに戦争中が、一番多感な青春時だったからだ。おそらく、その時期に戦争という狂気に呑み込まれたものは、もう、もどれない。いや、もどれなくても、とにかく平和時になって、頭を冷やす時期があった。橋川文三は、あるいは吉本隆明も、頭を冷やしたわけだろう。

 

私は、中学時代まで、「純粋」に野球をやっていた。そこは、軍隊のようだった。が旧制中学からの進学高校に入って、そこで、戦後民主主義のような洗礼を受けた。自主練が中心だった。私の頭は混乱した。今からおもえば、燃え尽き症候群という症状だ。これは、私が息子と一緒に少年サッカーを教えていたときでも、そう陥る子供もいることを確認した。代表チームに選ばれて、仲間と団結した厳しい練習を卒業し、いざ生ぬるい中学部活動や、あるいは技術偏重のテクニカルなクラブ・チームにいくと、不適応になって引きこもり、そのまま学校へも行けなくなる。一身にして二世を経る、という福沢諭吉の認識経験が、そうしたところでも反復されているのだ。

 吉本は、こんな夢を見た、と言ってなかったか。突撃の命令があったので突撃したら、突撃しているのは自分だけだった、と。私も、似た経験をした。純粋だったのだ。が、頭を冷やした。アルバイトでの外国人と一緒に仕事をすることや、東京の職人たちの世界に触れていくことが、そんな純粋さを再考・熟考させた。

 

*****

 

中島一夫氏の文芸ブログ、「文学は故郷を失ったことなどない」や「アンチ・オイディプスはまだ早い」は、杉田氏の作品への応答などではないかと推察される。書評での紹介をこえて、杉田氏の作品が露呈させてきた問題を引き継いで綴ったような論考である。

 

杉田氏の問い、<共和制=真の一般意志のために、天皇制なき民主主義を見出すことができるか>――中島氏によれば、三島は、文学がその実践にならない、なれないことを理解していた、と。ベンヤミンの仕事を参照して言えるように、演劇という実践だけが、その回路をもつ。<三島の死とは、いわば演劇実践によって文学の「外」に出ることだった。「死なないですむ」芸道=文学=仮構の「外」にしか、「現実の権力と仮構の権力(純粋芸道)との真の対決闘争もな」いのである。>

 私には、理論的な話をこえて、中島氏の話はリアルに感ずる。それは、早稲田二文にいた私の、数すくない、付き合いあった友人たちは、みな演劇科だったからだ。文学系は、「純粋」かもしれないが大人しい。演劇系は、活動的で、面白い。ひとり、脚本家としてそれなりに著名となった者もいる。要は、文学は活動的ではない、それを目指している人たち自身が。

 三島の、死への演劇の「最後の五秒」、三島は、若い森田必勝に「むりやり」遂行に追い込まれたのではないか、と中島氏は理論的に推察している。杉田氏の作品では、<三島は今際のきわに「森田お前はやめろ」と叫んだという>話が紹介されている。私には、森田が、ヤンキーの意地で、言葉だけの文学を突き上げたのではないか、と思えてくる。

 しかし、ヤンキーがやけっぱちにせよ「天皇!」と叫ぶとき、それは現場の声であって、「一般意志」ではない。天皇なき民主主義が、本当に必要な「一般意志」であらねばならないのなら、その声以前の心情的なものに、別の言葉を与えなくてはならない。ということは、そうするメタレベルな、超越的な思考立場が必要だ、ということだ。三島は、それがわかっていた、と。だから若者から突き上げられて、むりやりでもその拳を食って、「みやびじゃ」と、演劇を遂行した。……純粋貫徹、言霊一致である。が、いいとは思わない。三島個人はしょうがなかっただろう。戦中派で、もう、もどれない心情破壊を抱え込んでいたのかもしれないから。が、若者を巻き込むべきでなかった。

 

演劇は、そういうものなのか? みんなを巻き込んで、場を創造していく。上(天皇)からではなく、下からそこを、真のネーション、共同性を形成していく装置として。一人ひとりがバラバラで虚しくならないように。…が本当に、そんなものがいいのか? 必要なのか? ……三島のその劇的な死にざまは、磔にされた神、という転倒の衝撃と私にはだぶってくる。だから、もし本当に、天皇(日本人の一般意志を収奪しているとされる)が、日本人という枠をこえて、普遍的な神としての超越性を得たいならば、その必要があるというならば、イエスや三島をこえた、よりわけのわからない死に方、「俺だって人間だぞ!」と叫びながら、「人間よ、人間よ、なんで私を見捨てるのか」と独り言ちるような、劇的な結末を迎えなくてはならないのだろう。と、論理図式でなるとおもうのだが、それが、いいのか?

 

*****

 

柄谷行人がNAMをはじめた頃、日本語の表記体系の漢字かな交じり文を、双系性という人類学的な分析概念で解こうとする議論があったが(共同討議「「日本精神分析」再論」(『批評空間』2002Ⅲ―3))、結局のところ、それは日本が「島国」だから、という地理的な要因に収れんしてしまう。だから、と決断=実践として、NAMがはじまった、はじめた、と。そして柄谷は、「大和魂」という言葉を喚起させて、それで実践していくことを肯う対談もどこかで行っていた。

 たしかに、柄谷の講演は、演劇的だった。はじめて早稲田大の文化祭でその模様を見て、度肝を抜かれたのを覚えている。お行儀が悪い。

 がその解散後、もう一度柳田国男などを再考したりして、日本的現実=自然を、より世界史的な、普遍性の水準で理解しようとする理論営みに入ったわけだ。

 私自身は、このブログでも繰り返してきたように、NAMの終わりごろに知ったエマニュエル・トッドで解析してきた。こっちのほうが、よりもともこうもなくなるだろう。要は、日本は、核家族的な、猿から人へに近い始原の家族形態が多分に残っている周辺的な場所なんだと。その理論を敷衍すれば、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』も、文明的な共同体家族と、ロシアにおける核家族の残存との闘争、葛藤とみえてくる。シンデレラにせよ、三匹の子豚にせよ、エルダー兄弟にせよ、三人兄弟のうち長男ではなく末っ子が救世主的な位置に立つのは、核家族の名残としての想像力であり、文明への抵抗なのだ。『罪と罰』とかなら、グノーシス的な思想や、分離派といった異端宗教の挿入が、それにあたるだろう。

 

ここでようやく、杉田氏の、最後の章の言葉を引用できる。

 

<三島もまた現人神への愛憎の先で、天皇制を踏み抜いて誰もが神になるための道を行動的に示そうとした。しかし橋川の場合、三島とは目線が微妙に違う。日本を郷土の寄せ集めとして「くに」=島国として見つめ、それがアジアへと、世界史へと普遍的に開かれていくのを見つめるからだ。そのとき戦死者たちもまた、日本国家のための神ではなく、この地球のため、人類のための神々の一員となる。>

 

理論的には曖昧な、杉田氏のロマン心情の吐露のような言葉だが、私は共感できる。「アジア」というのは私にはわからないが、中上健次は、日本人の一億総玉砕という思想は、カンボジアはポルポト派の大虐殺と連なっているのだ、と発言していたのを思い出す。現今のウクライナでは、マリウポリ製鉄所をめぐる戦闘などは、硫黄島での戦いを想起させるが、アゾフ大隊の司令官は、SNSで助けてくれと呼びかけて、玉砕はしなかった。これも、すでに他民族からの虐殺経験を幾度も経ざるを得なかった大陸系の倫理感なのだろうと、私は推論する。

 

橋川は、島国日本という周辺のさらなる周辺の「対馬」という故郷をより緻密にみようとしはじめていたわけだ。その視線の先に夢見られる「くに」では、誰もが神になりえ、地球のため、人類のための一員として生きているだろう。……しかし、夢であってはならないだろう。いまや、テニスの大坂なおみだって日本人だし、100メートル走のサニブラウンだってバスケの八村塁だって、見かけだけでなく、いわゆる日本育ちの心情とは異なっているのではないか。彼らを、いわゆる「在日」の憂き目につぶしてしまうことを繰り返してはならない。それは、夢ではなく、必要な具体性として目に見える。そこを見ないで、あくまで日本育ちの、私なら上州人気質の内在的批判という文脈だけにこだわるならば、雑多なものを文化的に抱擁するだけの「神々の微笑」に頽落してしまうだろう。