2024年1月20日土曜日

山田いく子リバイバル(2)

 


1993年6月11日公演の、深谷正子ダンスカンパニー『PERMANENT FACE』 草月ホールにも、いく子は参加している。録画を見ても、どれが彼女なのかはわからない。がたぶん、真鍮色の洗面器で顔をずっと隠している何人かのダンサーのうちの、一人なのかもしれない。たしか日記の中で、この振付をめぐってなのか、深谷先生に直談判なような抗議をした様子がうかがえたようにおもう。何か、違和感が噴出してきたのだろう。

 

1994319日公演、深谷正子ダンスカンパニー『Noisy Majority』 STUDIO錦糸町にも、参加したようだ。が、これはVHSのテープが切れてしまっていて、見ることができなかった。が、次の二つの作品を発表したようである。

ソロダンス「フィジカルレッスン」、群舞「くちなしの花はいいました」

 

19941022日 『第1回 HERT BEAT’94 OHBA JAZZ DANCE COMPANY 合同発表会』 砧区民会館ホールに参加している。録画を見ても、どのグループで参加しているのかわからなかったが、最後の主演者のテロップで、「HOLD ME」というグループに参加していると名前がでてきた。また、おまけ動画としての「スナップ」の最初場面に、レストランのボーイのようなファッションに身を包んだグループの2列目で踊っているシルエットが見受けられた。しかし、いく子は、こうしたものに参加して、欲求不満が高まり、孤立と孤独に追い込まれていったのではないかと、私は予測する。いく子の日記には、公演と発表会は違うのだ、という区別がある。この合同発表会は、お嬢さんが家族を呼んで晴れの舞台を見てもらう発表会なのだ。ダンス自体も、音楽にあわせて踊っているだけである。

 

上の3つは、YouTube上には、アップする必要はないだろう。

 

今回アップしたものとしての紹介は、ビデオに年代の表記がなかったので、まず見てみたものからである。

 

タイトルは、『小ダンスだより・冬』、とある。この「夏」バージョンが、20017月とあるから、2000年の冬なのではないかと思われる。おそらく、いく子本人が仲間に声をかけて、場を借り、主催したものと思われる。また、若手を誘って場所を作ってあげたようにもみえる。ここに参加している主要メンバー四人は、いく子の葬儀に参列してくれたり、自宅へ焼香に来てくれたりして、私と今でも顔見知りな関係である。この公演時には、私といく子はまだ出会っていなかったろう。

 

全員、あるいは全部をアップするわけにもいかないので、二番手のいく子のものと、四番手の野村ひはるさん、およびその演舞あとでの若手ダンスへの全員でのコラボレーション模様をアップロードした。当時のダンス界の雰囲気が幾分わかるのでないかと思う。

 

(1)いく子ダンス……鬼気迫るものがある。42歳でこの過激さを維持するのは、体力的に大変なのでは、と推定する。しかし、若い頃の葛藤からは解放され、開き直りがあるのだろう。岸洋子の「希望」という歌にのせての演技には、上でいった「発表会」的なお嬢様意識へのイロニーがあるのだろう。また、自分の過去を突き放していく距離を持った、ということであるかもしれない。1997年9月22日の手紙に、こうある。「幼年期のトラウマがって程、私は若くない。いい年をした中年に向かって、トラウマから説明したってしょうがないって思うのですよ。たぶん先生は早くに結婚してるし子供を生んでるから、家族ってワクで考えちゃうんだろうなって。それはとてもフツーの考えだから、多勢に無勢で抗議したってどうしょもないことだとわかっていても。」

 両手を頭上に振り上げて、そのまま地面に叩きつける型は、たしかトリスタン・ツァラの詩の朗読か何かにあわせて作ったダンスでも、繰り返されていたようだから、いく子が身体化した言語のひとつなのだろう。最後、疲れたように、ただ立ち尽くす姿は、悲痛である。

 

(2)ひはるさんのダンス/他メンバーとのコラボ……いく子とは対照的な、静謐さあふれるダンスである。二人の性格自体が、対照的でもあるが。感動してしまったので、本人に許可を得て、いっしょにアップロードすることにした。

 まず私はたまげた。冒頭の、立ち姿。いったいどんな内的なバランスで、あの説得力ある安定感を存在させることができるのか? 人の内には、さまざまな情念や思いが渦巻いている。野球のバッターなどは、そうした雑念とは別に、またピッチャーの配球も思考しなくてはいけないから、スライダー5割・ストレート3割・フォーク2割とかの力配分・加減をスタンスの内に作る。がダンスには、ボールを打つなどの目的はない。力を、どこに向けて組織していくのか? ゆっくりと、まず指先からか、動きはじめる。それはまるで、内的なエネルギーを、そこから外へと逃げさせながら、静かに、私たちの方へと波立たせるかのようである。その波は、動きは、微妙な体の蠕動とバランスで調整されて、少しずつ大きくなっていっても、常に安定的な周波で私たちに送り届けられる。私には、その静謐な動きから、聖母マリアのイコンが連想されてきた。まるで、天上から再び地上に降りてきたマリアが、人々の苦難に寄り添いながらなだめている、としたら、こんな感じになるのではないか、と。不思議なダンスである、と同時に、ダンス自体の不思議さを、突きつけてくるような舞台である。

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