2015年12月26日土曜日

世界での戦い方(2)

以下は、最近、指導している小学生のサッカークラブでの、小学1年生の子供とともにパパコーチとして加入してきたコーチの質問メールへの、応答である。

*****     *****     *****

2年生大会ごくろうさまです。
低学年にいくほど、運動能力の高い子が多いチーム、つまりはサッカーを意志的に選択した、そう親が意欲した子供たちが集まるすでに強いチームが勝つ傾向になるのは、いかんともしがたいのではないか、という気がします。いま6年の一希世代から、中野区の〇桜小から落〇S.C.にいく子がでてきたわけですが、我が家の場合、その理由は〇〇君と同じユアサS.C.で公園サッカーを学んでいたからということもありますが、当初は「安かったから」だと女房は言っていましたが。ただそうやって運動能力高い子が下の学年にいくほど集まってきているようなので、コーチの方が探究心と冷静さを失わず辛抱強く子供についていけば、結果がでてくるとおもいます。ただいまの練習・試合経験習得の速さだと、チーム として全員底上げされて強くなれるのには、6年夏までかかってしまう感じです。つまり、そこらへんでおそらく脳みそが進化するので、それまでバラバラの理解だったことが、急に統合的になって、サッカーらしい試合になってくる。しかしこの自然成長性は、コーチングによって、落〇の環境でも、1年は早めることはできると感じています。
たとえば、スクールなどに通って、足もとのボールコントロールなどすでに 秀でていた☆君でも、本年度の全日本予選中、サッカーをまだはじめていませんでしたね。センター バックをやらせて、キックオフでもどされたボールを受けて、前に3人いてもドリブル突破を試み、奪われて失点。しかもつづけざま。2分で2失点です。すぐにサイドバックにいた6年の★君とポジション交代しましたが、他のメンバーとの当時の最適解として、☆君を3-1-2-1のアンカーの部分でフリーマン的にやらせたのも、☆君がなおサッカーの理解で動くよりも、自分のやりたいことを優先させるだろうと、その怖さがつきまとっていたからですね。 いま新宿代表にいって、サッカーらしい話のもとに訓練されている最中でしょう。しかしそれでも、全日本がリーグ戦になったので、新5年は来年の1年で、相当いける経験をつませられるはずです。ただ、5年主体で勝ちなどCリーグでものぞめないし、意味もないとおもいます。サッカーを理解させるように、考えさせるように経験を豊富化していけば、勝手にぎゅっと成長するときは一気にいくとおもいます。それが、落〇にとっては、はじめての実験になるとおもいます。まあ、低学年時の ボールコントロールの技術の差が歴然とあるので、Aリーグの上位チームとの差を埋められるようになるには、中学・高校と続けられていけるよう、サッカーが本当に好きになったかどうか、ということになるのだとおもいます。

というのが、オフサイドやポジショニングといった個別理解と、サッカー全体の理解との、子供の成長の中での関連です。6年ぐらいに、一気にわかる、という感じです。それまでは、なんとなくです。「集散」もよく言ってきましたが、6年ぐらいの実際の試合になると、相手チームの闘い方に特徴もでてきますので、もっと個別ケースで指導というより、戦術的な話として、選手に距離感を伝えていくことになってきました。相手がボールを保持しているときも、連携でプレスをかけないと奪えなくなってくるので。「羊飼いの犬」の例で伝えてましたが。

*ただ、とりあえず息子がもうじき落〇S.Cを卒業する今は、もっとサッカーを大枠で整理してみたくなります。サッカー界も、 ヨーロッパに追い付き追い越せとやってきた明治期以降の日本の思想史の型を反復しています。先週のTV「フットブレイン」で、手倉森監督が、「ジュニアユースでは勝ちをめざすのはよくないとする風潮があるけど、それでいいのか」と問うていましたね。岡田監督も、子供優先の「プレイヤーズ・ファースト」には批判的です。なぜなら、それはJリーグ発足以前の日本のサッカーにもどってしまうからですね。そこで、もっとサッカーも本腰をいれてと、ヨーロッパの監督を呼んで、サッカーを勉強し、集団的・組織的になったから、アジアの優等生として勝てるようになった――とそこまでは、1930年ぐらいまでの日本の歴史の反復ですね。かつて日本はそこで誤解し、世界でも戦えると玉砕した。今 回全日本予選 がヨーロッパのサッカー文化として、トーナメント(当たって砕けろ) からリーグ戦になったのも、サッカー協会の人が、敗戦から学ぼうとしている人達の考えを継承しているところがあるからだとおもいます。ただ、サッカー界で、その世界大戦での敗北が起きるのは、これからですね。現世代がワールドカップにいけなかったら、もう10年は最低でもいけないのではないか。しかも、そこからきちんと分析し、自分たちのサッカーを作っていかないと、ずっと駄目でしょう。テニスみたいに個人競技なら時折天才でても、集団スポーツではありえないでしょう。しかし、スペインでも、前回の勝者ドイツでも、勝てなくなった時期を深刻に受け止め、原因分析し、そこでの方針を信じて育成年代から立て直したからですね。シャビや、ゲッチェなどは、その第一世代といわれている 。だから方向性は、サッカーでのエリート教育を受け入れなくてはならない。が、そのとき、後発国の日本は、暗記主義的な勉強を反復しがち。また、ヨーロッパのサッカー界では、12歳以下の、国籍、地方を違えての選手移籍は禁止してますが、それは犬などのペットも3か月は母犬と一緒にさせておかないと大人になっても躾けができない、という科学的事実をふまえているからで、決して子供優先だからではないとおもいますが、それでも、人(子供)はホームシックになってしまうという事実から対策をねる。イスラム国が、いくら「ヨーロッパに追いつけ追い越せ」という世界枠自体を破壊しようとも、西洋の民主主義が、ある種の科学的事実性に依拠しているので、テロでは無理なんですね。その枠を 受け入れたうえで、じゃあ自分たちをどう守るか、戦うか……と、岡田監督は、四国で実験している、その問題設定自体は、正当であるとおもいます。私としては、サムライの理想美は、カンフーやドンパチではなく、居合い抜き、相手が先に手をだしたら防戦的に、相手より早く一気に仕留める。が、これだと、世界ではつまらないと、日本の柔道も、自分からしかけないと警告をもらうとルール修正されていますね。だけど、私としては、このつまらなさに居直るべきだとおもっています。そういう意味で、広州を破ったサンフレッチェ広島の闘い方、および、戦後70年の原爆からの 復興をアピールした監督の采配に共感しますね。

長くなりました。

――――― 上は次のメールへの応答―――――

〇〇コーチ
ほかみなさま


 低学年はじめての8人制ブロック大会、、とりあえず試合が成立、大過な
く終了してほっとしておりますが、やはり、大敗はいやだなぁ、と日に日に
悔しさが募ってきました・・・というのは冗談ですが、あんまり大敗が続くと、
子供も嫌になってしまわないか、そこはまじめに心配しています。
(落合地域最強と思われる落△ですら、ビトーリアAには大敗なのもちょっと
 ほっとしたようなビックりしたような感じですね)

 次回、年度内にもう一回試合のチャンスがあるなら、年単位の目標と
次回大会の個別具体的目標のイメージを持っておきたいと思いました。

 かといって、何をどこまで、どの段階で教えたり、ヒントを提供したりする
か、については、正直言って経験則以外のなにもありません。

 しかし、私自身小学生の時は、監督に怒られないようにするのに必死で、
当時は、監督の怖さ(とそれを回避したい子供の必死さ)で試合に勝てる
時代でした。万が一、この経験を落〇にあてはめるとなると、私も怖くなれ、
ってことになりかねません(笑)
 他方で、現在の自分のサッカー観は、大学生の時に形になったものが
多いので、常々、小学生に伝える言葉にするのは難しいなと思っていた
りもしています。
(余談ですが同じ7BのトラストのHPでたまたま大学の一つ先輩の
 書き込みを見つけましたが、やはり私の考えもかなり近いです。)
http://kawakami-office.jp/?page_id=181 

 今後必要そうなことを思いつくままにあげてみようとおもいますが、
この辺って、現在の高学年の子たちって、いつごろ通過してますか?
また、通過すればよかったとお考えですか?

・オフサイドを理解する
・ポジションが何となくきまる
・ディフェンスの基本のポジショニングを理解する
・複数人でのディフェンス(カバリング)を理解する

・ドリブルで行きたい方向にいける
・ドリブルが得意な子でも大ゲームだとあまり抜けなかったり、少々抜いた
 ところで点には必ずしも直結しにくい現実を知る
・パスを狙った味方に出せる
・味方が走った先にパスを出せる
・ダイレクトパスを選択肢に持つ
・ドリブルと比較したパスの利点(速い飛ぶ疲れない)を理解する

・サッカーは相手より一点多く点を取る種目であると理解する
・集散(攻めはワイドに深く、守備の網は絞る)を理解する
・自分、チームの長所、短所を自覚する
・プレー時に常に複数の選択肢を持ってチョイスする
・相手選手と駆け引きする(自分のしたいことだけしてても通じなくなる)

2015年12月6日日曜日

世界での戦い方

「このイメージなるものは、恐らく、シュルレアリスムから継承した遺産なものと見なしておりますが、それにはただちに若干の修正を施さねばならず、私はその修正に必要不可欠なものと見なしておりました。つまり、私は唯一の正しい想像作用から生まれた、正しいイメージこそが問題なのだということをはっきりと主張したのでした。…(略)…私はある時点まで、この観念を強固にするためにのみひたすら努力を重ねてまいりました。そしてその時点とはすなわち、メンデレーエフの驚くべき才能の賜物である元素の周期表が、それまで私に欠けていたひとつの鍵をもたらしてくれた時のことであり、ついに、この周期表が、詩にはその本来の性質として、可能性や客観性のみならず、また必然性もあるのだという主張の根拠を私に与えてくれたのでした。私の確信――単純にして逆説的な――は、次のような事実に基づいたものでした。すなわち、世界を公正している様々な要素は、ひとつひとつ数えあげることが可能であり、それらの構造は緊密で、不連続ではあるが回帰性をもち、構造の型(パターン)は少ない。従って、現に存在しているか、あるいは可能と考えられるそれらの組み合わせは、たとえそれが既知のものであろうと、想像によるものであろうと、あるいは演繹に基づくものであろうと、必然的に繰り返し現われるはずである。つまり結果的にみれば、様々な事物や観念やイメージの世界がもつ、原則として際限のない多様性にもかかわらず、もろもろの反映や幻影、反響や反射、贅言などがつくる必然の網の目が歴史や風土、生活様式や文化とともに変化しながらも、詩の素材、生地そのものを構成するに違いない、ということなのでした。」(『斜線』ロジェ・カイヨワ著 中原好文訳 講談社学術文庫)

イスラム国への対処をめぐるプーチン・ロシアとトルコとの駆け引き。事件化された時点では、ただ領空に侵入していただけのロシア機をトルコ側が撃ち落としたのだから、最初にしかけたのはトルコの方、な感じになっているが、そのロシア戦闘機の攻撃対象たるシリア領土内のイスラム国側には、トルコが同胞として支援しているトルクメン人が共闘していたわけだから、すでにしかけていたのはトルコ側だったともいえる。パラシュートで脱出降下している最中のロシア兵を地上から銃撃するという国際規約を無視し、救助にむかったヘリを撃墜したのも、トルクメン人だったという。そしてそのヘリ爆撃に使われた重火器は、イスラム国を暗黙に支援していたアメリカのアメリカ製のものだったという。(田中宇の国際ニュース解説
プーチンは、日本の柔道の「引き分け」という考え方のユニークさを喚起するような発言をどこかでおこなっていたが、こうした小競り合いをみていると、それはあくまでオリンピック競技での柔道、お互いがしかけあわないと警告を受けるという規則が付加された――で、むしろ戦わないで「引き分け」ることを理想としたような、日本本来の柔道の精神=原理とは、別物であるように感じる。そしてむろん別物なのだろうが、それはヨーロッパの原理からもずれた位置にあるだろうロシアが、そのヨーロッパの精神を嫌でも自覚的に取り入れながら、なんとか「引き分け」にもっていこうと必死になって防戦している姿にもみえる。

NHK特集の「奇蹟のレッスン 最強コーチが教える、飛躍の言葉」をテレビでみていて、こんな疑問を感じた。「なんで、近代において<子供の発見>をしなくてはならなかったヨーロッパにおいて、こんな子供への洞察と愛情に満ちた指導法が実践しえるのだろうか?>……その第一回目は、フットサルの日本代表監督をも勤めるスペイン人、ミゲル・ロドリゲス氏が、東京のとある少年サッカーチームを指導しにいくといったもの。第二回目は、テニス界でトップ選手をたくさん輩出しているスペインのテニス協会から、その育成の総責任者が、横浜のテニス・スクールに教えにくるというもの。サッカーでは、書店にいけばはっきりするが、もうだいぶヨーロッパからの育成ノウハウが過剰なくらい入り込み、でまわっている。ヨーロッパ・クラブの下部組織へ単身乗り込んでその指導法を体験し、日本に伝道していこうとする若い人たちも多くなってきている。テニスでは、まだそこまでいっていないのだろう。子供たちを教えるそのやり方に、日本のスクール・コーチは驚いていた。まずは、子供たちを楽しくさせながら技術を身に付けさせていくその練習メニュー。「私の練習は、反復動作ばかりで、子供たちはつまらなかったでしょうね。」と、そのつまらなさに耐えていくのを基本とするような、いわゆる日本的作法の延長での実践だったのだろう。テニスのことを知らない私がみても、こんな練習がありうるのか、ほんとに大人がおもいついたのか、子供たちを勝手にテニスボールとラケットで遊ばせていて、そこにあったアイデアを大人が盗んで方法化したのではないか、というような感想をもった。サッカーでは、すでにそうした楽しくさせながら覚えさせる方法は、マニュアル化されている。そして、スペイン育成責任者の、子供と向かい合う真摯な毅然とした態度。投げやりになるような子供には、日本だと、「やる気のない奴はでていけ!」という方向にいきがちだが、なぜその子がそんな態度をとるのか、それをまず探るように、子供の目をみつめ問いかけて行く、あわてない、落ち着いた探究心と対話。そのやりとりから、子供に練習や試合へ集中していかせる言葉を導き出し後押ししていくやさしさ。私にも、とても真似できそうもない指導実践だった。だからなおさら、なんでヨーロッパの歴史から、このような実践が生まれているのか、不思議だったのである。日本の場合は、わかりやすい。子供優先といって園庭状態になるか、逆に理不尽な暴力主義になるか、その両極端をぶれ動く。ヨーロッパ宣教師が驚いたぐらいの子供優先の江戸時代と、明治以降の即席的なエリート養成教育とその延長での戦後の軍人官僚系譜のスパルタ教育の普及、その二系列の原理=精神の混在。それが一人の指導者の中でも混然となっている。
サッカーの育成上の理論レベルでは、以上の混在が、つぎのような論理過程を踏んでいるだろう。――<子供に甘い>(江戸倫理)⇒<子供優先>⇒<プレイヤーズ・ファースト>(欧米原理)。つまり、日本の精神原理が、翻訳的な介在を通ることによって不分明、混然的となり、ゆえにそれが、先進的なヨーロッパの原理なのだと勘違いされて普及促進の指針となっている。いわば、実は間違った、誤認した自己満足、自己確認でしかないのだが、戦時・戦後とスパルタ的な教育がひどかったので、元の地がヨーロッパの衣装に変えて回帰しているような状態。が、おそらく、ヨーロッパの育成原理は、日本の現状とは似て非なるものであろう。また、それを目指すというとき、本当は、何を意味してしまうのか、捉えておく必要もある。

<レディー・ファースト>、と置き換えて考えてみればいい。これは本当に、女性尊重なのか? ヨーロッパの生活慣習を身近な経験として知っているわけでもない私には、なんとも判断できない。たしかに、女性の人権を認めようという民主主義的な動きは向こうからでてきた。日本はまだそのレベルにも、認識にも達していない、という意見が正当性をもつ一面もあるだろう。ヨーロッパのサッカー協約では、12歳以下の子供の地域外・他国からのクラブ移籍が認められていないそうだ。しかし、これは本当に、子供のことを思ってなのか? ペットの犬でも、生まれて3か月は母犬と一緒にすごさせないと、躾けの聞くペットに育たない、ということから、それ以前に売りにだしてはいけない、とされているようだ。そしてこれも、犬やペット、動物のことをおもってなのか?

おそらくプーチンは、こうした善悪判断もつきかねるヨーロッパの原理を受け入れながら、それを逆手にとって防戦することで、その原理へ違和を表明している。レディー・ファーストなり、プレイヤーズ・ファーストなり、その民主主義的な原理が手ごわいのは、それがより根源的な人間の事実性、科学的な法則性に依拠しているからだろう。明白な原理的対立を謳うイスラム国でも、その法則性を無視して世界に君臨することは難しいだろう。

さてでは、われわれは? 日本人は? たしかワールドカップ・ブラジル大会での結果を受けてこのブログでも発言したとおもうが、ゴール(ゴッド)を、勝ちを目指さないのが日本の文化的なメンタリティーである。サムライ・ブルーというなら、その侍の理想は、刀を抜かないこと、相手がしかけてきたときだけ、後出しになりながらも相手より素早く刀を抜き去って一撃でしとめる、その居合い抜きの技術が美の極地でなかったか? お互いが強者というか賢者なら、お互いが隙をみせず、睨み合いのまま時がすぎ、そのまま引き分け、というのが究極の闘い、ということではなかったか? 私は、サッカー日本代表選手は、その侍の原理化した本来理想なメンタリティーの在り方を学ぶために、柔道を体験させたほうがいのではないかとおもう。もちろん、オリンピック競技としての柔道ではなく、日本の柔道である。そんな戦いは、つまらないかもしれない。居合い抜きより、カンフーだろう、世界は。しかし、そのつまらなさに居直れない限り、日本がこの善悪判断つきかねる世界で、生き延びていくのは、サッカーの試合、そのランク付け世界だけでなく、困難になってくるように思われる。

2015年11月15日日曜日

覚悟について

「とはいえ、私の場合には、白状してしまえば、地獄の消滅は明晰と公正というただそれだけの道を通して実現された方がなおよかったと思う。そしてとりわけその際私が望みたかったのは、虚勢からにせよ、くやしまぎれにせよ、あるいはまた絶望からにせよ、昔から存在し、近寄ることのできない死者たちの逗留地の代わりに、身近にあって、是認すべき、折衷的な代替物を考え出す想像力というものが、このようにして錯乱したり、なかば自己放棄したりし、その結果、恐るべき、そして脅威を孕んだ反対物としての姿を取って出現することがないようにということだった。ところで、消滅した地獄の代替物は、今度は挑発者としての相貌をおび、かつてのようにこの世の不正の埋め合わせをするものであることをやめてしまったのである。たとえそれが、想像力というこの野蛮でもあり、豊穣でもある力、恐らくもしそれが一定の方向に導かれさえすれば豊穣なものとなり、それが自らの暴虐性に委ねられれば、世界を荒廃へと導くことになるであろう力、私にしてみれば、なんらの刺激も必要としないとさえ言えるようなこの激しい力に平衡を保たせることを目的としたはずみ車のような具合にでしかないにせよ、もはやこの地獄の代替物はこの世で犯された不正に対する補正力を失ってしまったのである。」(ロジェ・カイヨワ著/中原好文訳『斜線 方法としての対角線の科学』「地獄の変容」 講談社学術文庫)

木の上から落ちて、命拾いて以来、久しぶりに、高木の枝おろしを2・3日つづけた。一日だけの作業なら、あったかもしれない。が、3日となると、しかも太枝はロープでの吊るし切りになるケヤキの剪定をやったのは、たぶん、4年ぶりくらいだろう。幹自体はそれほど太くはなかったので、腕はまわる、枝はつかめなくとも、抱き着いてのぼれる、体力が心配だけど、試してみるよ、と元請けの会社にOKしたのだった。で、結果は、真向いのアパートの電灯のプラスチックカバーを破損、裏のお寺の塀の瓦一枚を破損。一現場で二つもものを壊したのは、はじめてのことだったろう。一日めの、一本目は無事終了させたが、二日目となると、すぐに疲労を感じ始める。神経的な体力の目減りを感ずる。20メートル以上もあるてっぺんで、親指より幾分太いが、長さは4・5メートルはある枝をおろすのに、真下にしかない植え込み地の隙間を狙って投げようか、と最初考えたが、やはり大事をとろうと、ロープで吊るしておろすと判断。が、地面にもう少しで届く、というところで、棒のような枝にはロープの輪っか部分にひっかかりがないものだから、すっとはずれる。枝先が地面に当たって弾んで、枝元が剣道の竹刀のように、ゴミ袋で一応は養生してあった電灯へコツン、ひび割れた。そして同じ木、二日目、もう一つのてっぺんの枝を、吊って失敗したのなら、やはり投げれるものは空き地めがけて投げおろそうとほうると、途中、幹にあたって方向かわり、養生していた毛布の脇へ斜めに突き刺さり、瓦の端がかける。手元をしていた団塊世代の職人さんは、木上でショックをあたえないために、私が作業を終えるまで黙っていてくれたが、さすがに二回目の破損となると、精神的ショックを受ける。以前だったら、私が自費で修理するか、下請けのこちらもちだったろう。が、もうこういう作業を頼める人もいず、私も死にぞこないのようなものだと元請け社長もわかっているから、「物損でよかったよ。人だったら大変だからね。」と慰めるだけ。というか、年明けには、またクレーン車入れない場所での、人力ケヤキ伐採があるので、逃げられても困る、との計算もあったかもしれない。

もはや、木上では、余裕がなかった。以前ならできた、まわりの景色をめでることもない。途中、気を抜くと、そのまま足がすくみ、体が萎縮してしまって、身動き不能、へなへなとなりそうな気がした。幹に足を巻き付けながら、頭上の枝をつかみ、自分の体重を懸垂の要領でもちあげていくときには、気合をいれて吠えないと、恐怖心におしつぶされそうになる。下見で予想していたよりも、よじ登る個所が多かった。しかし一番おそれていたのは、のぼっている途中で、ぎっくり腰になること。二日目終了時には、やはり腰がぴりぴりしてきたので、ここ二年ほど通っている近所の整体師のところでマッサージを頼もうとしたのだが、予約できなかった。少なくとも、そこに通ってからは、年に一度はなっていたぎっくり腰からは解放されていた。二か所破損させたとはいえ、無事な体で生還できたのが、何よりだった。

そんなふうに、以前よりは、勇気がなくなっているようなのに、変な落ち着きがあるのに気付く。木から落ちた時、仕事を替えようか、というような気も生じたのに、今はむしろ、そういう仕事をしているのだから仕方ない、という諦めというよりは、静かな了解だ。あのとき、父は言っていたと兄は報告していた、「そんな仕事をしているのだから当たり前だ」と。それを伝え聞いたとき、私はイラっとした。大学まで出ているのに事務仕事をやらず、ひねくれてそんな仕事をしているからだという、いわば差別の表現と思ったからである。が、いまは受け止め方がちがっている。父親は、百姓でだ、子供の頃、ヤギの乳しぼりをよくしてたと、孫の一希のまえで、牛の乳しぼりを実演してみせもする。私の思い出のなかでは、河川敷のグランドの草を、繁みにしゃがみながら、ひたすら鎌を振るう父親の姿の印象が焼き付いている。たぶん、父は、そうした人たちの生活を知っていて、だからむしろ、それを肯定して発言していたのだ、「当たり前」とは差別ではなく、否が応でもそうあってしまう覚悟のことだったのだろうと。

私は以前、出自が違うインテリでの私は、どんなにその職業をやって技術を身に付けたことになろうと、自分が職人になることはありえないのだ、という、中野重治的な、階級無意識的な思想を自覚として書いていた。職人とは技術の所持如何ではなく、その社会で生きていた技術の総体、つまり生活の態度に在るのだと。が、いまは、訂正しなくてはならない。私でも、なってしまうもののようだ、と。私がどんなに本を読み、頭に思想を膨らまそうと、身体の思考がそう動かなくなりはじめている。物事の判断、日常的な対処、そして世間、世界を騒がせる事件に対して、まず私の体からにじみ出るような判断、想い、処理が発生してくるようだ。幼少期や青春時代に刻まれた骨格的な判断ではなく、大人になってから身についていった体臭のような判断。それは決して消極的なものではないようだ。しかし、積極的なものなのかどうか、わからない。骨に滲みていくようなものなのかもわからない。それは、死を恐れているかもしれない。勇気が若いときよりよりなくなっているかもしれない。しかし、死を受け入れているような判断。死とともに生きているような静かな感じ。こんなんでいいのか、私にはわからない覚悟のようなもの。

2015年11月10日火曜日

杭打ち問題

「ミレニアム・ブリッジの騒動は二〇〇〇六年一〇日、その開通日に起きました。この橋の建設は新世紀の幕開けを記念するプロジェクトの一つでしたので、当日はエリザベス女王のテープカットでオープンしました。ところが、橋を渡る群衆が数百人に達したところで、橋は明らかに揺れはじめました。初日は約九万人押しかけ、常時二〇〇〇人くらいの歩行者があったそうですから、橋は揺れ続けていたことでしょう。…(略)…強い力が橋を周期的に揺さぶり、それが橋の固有振動、つまり橋が最も敏感に反応する周期の振動と共鳴することで大きな揺れが生じたというだけなら、話は簡単です。それは、東日本大震災の揺れが首都圏の高層ビルの固有振動と共鳴して、それを大きく揺るがしたのと原理は同じです。…(略)…しかし、ミレニアム・ブリッジ事件の本質は別のところにあります。そもそも、橋と共鳴するような大きな力がなぜ生じたかということこそが問題なのです。…(略)…歩く人を振動子と見なすのは、かなり荒っぽい見方かもしれません。しかし、同期現象の面白さは、モノを選ばず、リズミックにふるまうものなら何にでも出現するというところにあります。人の歩行には意識の介入が大きく影響するのではないかと思われるかもしれません。しかし、ミレニアム・ブリッジの上で、歩行者は他人の足の動きや全体状況を眺めてそれらに影響されたわけではないでしょう。メトロノームの振り子がその場その場での台の揺れを「感じ」ながら機械的にそれに反応したように、歩行者はただ足元の揺れに機械的に反応して、バランスを保つため体勢を取ったに過ぎないのでしょう。」(蔵元由紀著『非線形科学 同期する世界』 集英社新書)

ビル建築の基礎・杭工事におけるデータ偽装とかいう問題は、施工者の旭化成建材だけではなく、他の業者でもそうした偽装があるのではないか、と調査するような方向がでてきている。

この事件での当初の私の反応は、もともと杭を地中深くまで垂直に掘っていくなんて、そもそも可能なことなのかが、疑問だった。むろん、今のテクノロジー段階で、そこだけを純粋にみるのならば、可能ではあるだろう。が、私が考慮するのは、それを支える現社会体制化において、ということである。たとえば、ボーリング調査といったって、杭打ち工事をする全ての個所をやってみて、地下の岩盤地層の深さを知っていこうとするわけではないだろう。金をかければ、今ならボーリングではなく、エコー調査のようなやり方もあるかもしれない。また、いざ工事中、ドリルの刃がすり減ってしまっていて、ちょっと固くなってきた地盤をこれ以上掘り下げることはできなくなってしまった、という場合だってあるかもしれない。がそんなとき、せっかく何段とつなげた鉄杭を抜いて、新しい刃に取り換えよう、なんてことをしえるのだろうか? とおもう。植木屋でも、木を植えたさい支柱をするが、役所の仕様では、何センチの杭のうち、何十センチを地中に埋める、とか決まっているが、とてもまともに掘れたものではない。コンクリのゴミや石は埋まってるし、水道や排管にもぶつかったりする。そういう場合は、上を切るか、一度取り出して下を切って、よくついておくか、になる。一般の民間家庭での植栽の場合は、マニュアル的にやるというよりは要は倒れなければいいので、はじめからそんな強迫はない。まあこれでだいじょうぶだろう、と経験的に判断するだけだ。もちろん、建物の基礎工事は、そんなのではすまないだろうが、程度の違いはあれ、最後はそうなってしまうのではないか、と予測していた。

テレビの取材で、現場の基礎杭工事をやっているというオペレーター(機械操作者)が、こうインタビューに答えていた。「実際に、設計書が雨でぬれたり汚れたりで読めない、提出できる代物ではなくなるとか、風でとばされるとかはあることです。設計どおりの深さに固い地盤がでてこない場合だってあります。だけどそれでも、建物は倒れないものだとおもっていました。」と。

私は、それが正直な現場の話なのではないかとおもう。技術的には可能であっても、社会体制的に、それを可能にさせてくれるようになっていない。ドリルの刃を替えてくれ、その分工期遅らせてくれ、とは、たとえ言える人がいたとしても、そうにはならないだろう。

いや、杭を打つだけではない、抜くほうはどうなんだ? 植木の支柱取り換えでも、新しく打つよりも、古いのを抜くほうが大変な場合も多い。たまに公園工事で土を掘り返していると、以前の建物の布基礎の塊が、そのまま残っているのにでくわす。コンクリートも腐食するから、そのままでは、陥没の危険がでてくるだろう。高層建築物の建て替えなどのときは、本当に、地中何十メートルだか打ち込まれた鉄筋コンクリートの杭を、きちんと抜いて、きちんと転圧しながら埋め戻しているのだろうか? それも、私には怪しい。

しかし、私たちは、そうした怪しさを前提にした社会に住んでいる。欠陥とされる高額な商品を購入してしまって、その直接的な施工・管理会社を訴えたくなる住民の気持ちはわかるような気もするが、自分には、縁もない階層の話だから、もし自分が宝くじにでもあたってマンション買って、そういう破目になっても、「別に倒れないなんだろ? 住めるじゃん。家賃や月賦をだいぶ下げてもらったりでいいんじゃないか」、という反応になるのではないだろうか?

しかし、現場の人間も、購入者も、そんな開き直りをするわけにはいかない。せせこましく社会に適応しようと、バランスをとる。あくまで、人間の常識とか知恵とかに従うのではなく、今の利害計算、収支のバランスシートで動かされる。そうして、意識しない同期が、社会を揺さぶってゆく。揺さぶる大きな力になってゆく。むろんその力は社会をマシな方向へ変えるものではなくて、それを維持するように働くことで、我々と社会との橋梁を壊してゆくものになるのであろう。

2015年11月2日月曜日

代表戦をめぐって

「……世界では数え切れないほどの戦争が繰り返し起きている。それをいま、私たちはテレビやインターネットを通してどこにいても見ることができる時代に生きているわけだが、こと「日本の戦争」に関しては言えば、70年前にさかのぼることになる。そのため、私たち日本人が「戦争」というテーマで何かしら議論しようとするときには、つい「モノクロ写真の戦争イメージ」をもとに考えてはいないだろうか。…(略)…残念ながら、私たちの生活を豊かにしている最先端技術の活用によって、軍事兵器は想像をはるかに超えるスピードで進化を遂げている。ロボットや無人機など新型兵器の登場により、既存の「戦争のルール」も急速につくり変えられているのである。ニューズウィーク日本版(2013年4月9日号)では、「未来の戦争」と題してその脅威を特集した。主なトピックは、「無人機」と「サイバー攻撃」である。…(略)…私たちが「戦争」のことを語るときも、そのイメージを常に最新版に「アップデート」しておかなくてはならない。」(伊藤剛著『なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか ピースコミュニケーションという試み』 光文社新書)

あす、都大会がはじまる。一希の所属する新宿の代表チームも、なんとか第七ブロックで4位にはいって、その出場を果たした。1位、2位は、どちらも地元を超えたクラブチーム。3位は、小中高と一貫のサッカーでは名門の私立小学校のクラブだ。こちらも確かにいくつかの地元クラブから優秀な選手が集まっているとはいえ、時代の流れのなかでは、分が悪いどころか、存在意義さえが危うくなっている。おそらく、日本でも最後の代表形式をもつ少年クラブなのではないか? Jリーグができて、サッカーのレベルの底上げが、小学校単位のクラブから地元をこえた専門スクール系のクラブを中心になされるようになってからは、そこへ代表をおくるクラブチーム数自体が減少してきたのだ。かつては、運動能力の高い子がゴールめがけてドリブルをしかけ、駄目ならパス、その偶然の数珠つなぎのようなやり方でも勝てたものが、いまは能力がそれほどではなくても、低学年より一貫した方針と体系でサッカーを学んだきた者の集団のほうが強くなり、ゆえに運動・身体能力の高い子どもたちがよりいっそうそうしたチームに集まってきて、成績上位はそんなチームが独占することになる。私立小学校のチームが強いのも、もともとが専門クラブと類型的だったからだろう。きくところによると、成績が校内50番以内でないと、サッカーをさしてもらえないそうだ。運動力任せではなく、賢くやるサッカーが日本でも普及してきて、ゆえに、親やコーチの話をよく聞ける優等生チームのほうが成績も上位になっていく。

日本代表でもそうだが、代表チームとは即席的な寄せ集めだ。そこに子供を送るチームは、パパコーチやその出自のチームがほとんどで、おそらく、練習メニュー自体が古い。単純に、ボールタッチ、ボールコントロールを低学年時に習得させるノウハウを確立・保持していない。だからむしろ、運動能力任せの古風な選手たちが集まってくる、といえるかもしれない。そして体系的に教わってきてないとは、思考や態度もエスタブリッシュメント、体制的になっていない、やんちゃなまま選ばれてくる。代表コーチは、そんな6年時にあつまってくる子供たちを短期的にまとめあげていかねばならないのだから大変だ。ボールコントロールの基礎的な練習から、道具の整理整頓などメンタル的なことまで、一から練り上げていくようなものだ。チームとしてのサッカーなど、なかなか機能しない。それでもここまでこれたのは、代表という枠が暗黙に強いてくる結束力のようなもののおかげかもしれない。ゆえに、重圧がすごい。都大会出場を決める決勝リーグ戦など、足がガチガチ、震えていただろう。最低限のノルマが都大会出場と、かつてだったならばまだ通用していたといえる前提を背負わされたまま、挑戦者とわりきってやってきたチームの猛攻を、なんとか0点におさえて引き分け、獲得した出場権だった。予選リーグでは、私が率いたチームが、はじめて新宿代表と0対0のまま後半に突入したチームだったが、そのときも、同じ新宿区のチームに負けるわけにはいかないと、1点をとるまでは相当追いつめられていた。このままあと何分かいけば、あの子たちは折れてしまうのではないか、と対戦コーチの私が心配しはじめた。息子の一希はその日、頭が痛いと、風邪で欠席。朝グランドで、代表コーチにそのことを告げた際のコーチの顔の表情から、「ああ切られたな」とおもった。予選リーグで、相手は代表に4選手を送り込んでいる格下のチームとはいえ、どちらも無敗できて激突する、リーグ優勝をかけた大事な試合だ。そこに、いない、しかも、自分の所属しているチームが相手なのに。一つだけ駒として不足しているとみえる左サイドバックを、それまでは3人で補っているような感じだった。まずは守備のしっかりしている選手からはいり、後半、様子をみながら、ドリブルで駆け上がれる一希か、ミドルパスが持ち味のもう一人か、と見極めながら、選手起用をしていたきらいがあったけど、一希欠場となってからは、その3人一組の線が消えて、フォワードから2人をもってきて、対処するようになった。

もともと一希は、なお一線級の相手チームで通用するような運動能力や脳みそ・メンタルの成長をしていない。私が監督でも、怖くて使えないだろう。だからといって、チーム戦力にはいっていない、ということではないから、いつでも準備しておけよ、とアドバイスしている。「おまえの出番は、2対0で負けていて、残り5分のとき。それを逆転しようとするときだぞ」と。ベンチでは、交代選手に水筒をもっていって声をかけるなど、いい働きをしている。皆からも、ムードメーカーとして信頼された、中心選手の一人なのだ。サッカーの技術的・戦術的な理解力の成長は、続けていけば解決されていくだろう。言われたことを疑問を抱かないまま素直に実行するよりも、自分の頭の力で理解してから進んでゆく、「遅れた者が先にゆく、ようになるんだよ」とも言っている。が、女房がそうはさせないのだった。「能力がないのだから、サッカーなんか選んでいるのがおかしい。立ってるだけなのは、あんたがフォワードやらしてまえに立ってろと言ってたときのクセが抜けないからだ。だからディフェンスができないんだ。あなたのためにサッカーをやっている!」……女房だけではないのだが、おそらく、母親は、自分の腹を痛めて産んできたからだろう、だから我が子に過保護になるのは仕方がない。しかしそのなんでもかんでもな過干渉、癒着を断ち切る文化・制度が機能しなくなっている。フェミニズム的観点を日本に普及させた上野千鶴子氏は、そこにある問題を、江藤淳、あるいは江藤氏が参照引用した小島信夫などで女を排除した「<母ー子>問題として論じてみせたけど、私には、そうした社会学的枠組みよりも、より人間と自然との根源的な関係性が問われているような気がしてならない。もう一度、文化の発生現場にもどって、それがなんで人間に必要であるのか、理解しなおす状況にあると。参照対象として想起するならば、ヘミングウェイ、あるいは、三島由紀夫かもしれない。もちろん、マッチョな志向ではないのだが…。

「夢をあきらめないでください。誰でも、僕のようになれます。」とは、イチローや本田選手とう、プロになった選手がいうことだ。村上龍、北野武など、はこうしたきれいごとは子供に迷惑がかかるだけと批判し、もっと現実をみつめたアドバイスを、と説くが、私は、イチローや本田選手のほうが、科学的事実にもとづいた信念だとおもっている。人間にとって、能力差など、大した差ではないのだ。「自分は、バロテリやカカといった選手の運動・身体能力を超えることはできませんよ、それは絶対的な差ですよ、でも同じ人間なんで、大差ない、自分の他の能力や持ち味で対抗してレギュラーを奪うことはできるんです。」というような発言は、ホッブズが説いた、「人間は狼である」・「万人による万人の闘争」といった、代表選出で政治体制を築けるといった民主主義の基調にある原理認識と同等だ。人間には、羊と狼がいるのではなく、みなが狼なんだ、だから、弱い狼でも、2・3匹でよってたかって強いやつを退治することは可能だ、そんな程度の差だ、だからまた、一匹一匹が他の一匹を妬むことができるような差でもあり、他人との競争が発生するんだ、お互いが疑心暗鬼になって闘争が常に潜在している、それが自然状態であり、ゆえに人間にとって自然は戦争状態なのだ。これを回避するには、自分が自然として持っている妬み闘争する能力を自然権(自由)として捉え返して、多数意見的に合議された体制にその各人の能力=自然権(自由)を譲りわたしたほうがよい……。私がイチローや本田選手のようなプロ選手になれる能力を持つのは事実だが、そこまでその一事をやっていくほど好きではない、闘争をつづけることには疲れてしまう、平和が欲しい、ゆえに、私はその自分の能力をプロ選手として集められた代表制度にあずけて観戦に身を引くので、もうイチローや本田選手を妬むことはない。むしろ、その一事を、闘争を続行している人間として、彼らを尊敬するだろう。

子離れができず、なお我が子と一心同体と勘違いして、子供の競争がそのまま親同士の闘争となって、妬みうずまく自然状態。自意識=他人意識が未熟な子供たちは、実はレギュラーからはずれても、あんまり気にしていず、チームと一体となっている感覚、遊び感覚のほうを楽しんでいたりする。子離れ=親離れ、つまり自立とは、発達した自分の妬み競争能力を、超越的な主体、制度に譲り渡すこと、自身の内部においては、自分をコントロールしえる超越論的な主体、自我をもつことであるだろう。が、もうその必要性が、母親にして感じられない。あるいはその主体が、これまでの目に見えない文化制度、慣習だったものが、ブランド幼稚園から大学まで、就職先までと、目に見える世俗の表象にすがりつくようになっているのだ。その世俗にもまれている父親たちは、そのブランドの体たらくを知っているし、もうどうしょもないともわかっているが、それに代わりうる価値ある文化、制度を知っているわけではない。だから、女房に強い文句もいえず、影で、おやじの会などの飲み会で、ぶつぶつぼやいているだけだ。親子(母子)の癒着が断ち切れないことからくる犯罪が、このところ多くみえるのも、気がかりだ。かといって、代表戦(国家間戦争)も、時代錯誤になって、機能していない。だから、その機能不全の論理構造がそのまま延命して、以下のような、新しい戦争の表象に更新されるのだろうか?

<「自衛隊無人偵察機、南シナ海沖で国籍不明の無人機と交戦」
 ああ、またかと思う。最近では、毎月のように自衛隊と海外軍隊の交戦が報じられる。さすがに数年前、自衛隊が創設以来初の交戦をしたというニュースが流れた時は、日本中が大騒ぎになった。ついに「戦争」が始まった、と。…(略)…だけど、その戦争は人々が恐れた「戦争」とはまるで違うものであることがわかった。はるか南シナ海で、数機の戦闘機が交戦するだけ。結局、宣戦布告も終結宣言もなく、数日で「戦争」は終わった。
 当初、交戦による犠牲者は自衛隊員だと発表されていたが、それは自衛隊が委託した民間軍事会社の社員であることがわかった。彼もまた日本人だったが、自衛隊員ではない民間人を靖国神社に合祀するのかといった議論が一部では盛り上がった。
 それから、時々こういった「交戦」のニュースを聞くようになった。だけどもう誰も「戦争」とは呼ばない。特に最近は無人機の配備が増えて、各国の兵士たちが命を落としたというニュースも聞かない。「交戦」はすっかり、自然現象の一つのようになっていた。…(略)…しかし、僕たちの毎日の生活の何かが変わったわけではない。>(古市憲寿著『誰も戦争を教えられない』 講談社+α文庫)

2015年10月12日月曜日

今の気分

「それに<戦争>は人間の知性がよく制御できるものではないようです。先ほども言ったように、原初の人間にとって日々の生存が闘いであって以来、人間は<戦争>をやめたことはないのです。いやむしろ戦争の歴史のなかから現在の<人間>が形成されてきたのかもしれません。そして戦争は概念規定できる、つまり知性によって把握できるとなると、そのように手なずけられたはずの「戦争」は、きっと次の戦争によって反故にされてしまうでしょう。だから戦争をまともに考えようとするなら、自分が戦争から超越していると、つまり自分が<戦争>を免れていると思わないほうがよいのです。戦争はもちろん人間が火付け役になりますが、そしてひとは平和の秩序のなかでは戦争をひとつの考察の対象にすることもできるし、戦争を企てることもできますが、いざ戦争が起こると、ひとはいつも「こんなはずではなかったのに」と思いながら、すでに<戦争>のさなかにいてしまうのです。」(西谷修著『夜の鼓動にふれる 戦争論講義』 ちくま学芸文庫)

夢のなかでも、戦争をみるようになってしまった。……日本に越境してきたロシアの軍用輸送機のようなジャンボ機を、日本が撃ち落としてしまって、これからロシアが復讐攻撃にでてくるのではないかとなった。総理大臣は逃亡し、責任を主体する代表者がいなくなってしまった。誰もなりたがらない。その状態に乗じて、ゲリラ人民とみなされてしまう日本元国民は虐殺されてもおかしくない、そう戦争をしかけてくるのではないか、とみながおびえはじめた……そんな情勢を、まるで映画のように自分は見ている。そしてもちろん、自分も人民の一人としておびえていて、目が覚める。

山場にさしかかった子供のサッカー大会で忙しく、神経もそちらですり減らしているというのに、9.11以降から、腹の底に居座ったような気持ち悪さが、やはり抜けきらない。自分の個人的な鬱とは別に、時代的な鬱、どこか無力・脱力感を誘う気持ち悪さ。だからまた個人的な鬱とは別に、つまり自分の子供の頃のことが原因であろう病とは別に、自分の子供のためにも、頑張らねば、鬱に負けてはいけない、と元気をだそうとする。そしてそれ、その気持ちが今度は一般化した方向へと知性化されて、若い者に任せるみたいな態度はよくないな、中年の自分がまずしっかりしなくちゃな、という意識を昇らせてくる。一希がもう来年は中学生だからだろうか、若者の働き口の社会問題も他人事ではなくなってきて、なおさらそんな意識が強くなるのだろう。青春期が戦争状態で奪われる、なんて事態にならないでほしい、と願わずにはいられなくなる。が、今度はそこまで思いがいくと、そこに個人的な鬱が重なってくる。自分もまた、すでに、戦争を生きてきていて、というか、死ねなかった生き残りの感覚で今まで在ったではないか、という思いにさいなまれるのだ。三島由紀夫や大江健三郎のような、戦争を子供のころに体験して、遅れてきたと実感できる世代だけではなく、高度成長期に生まれたのちの世代でも、やはり校内暴力や引きこもり、いじめなどで、その戦争体験が挿入されている、その個人の人生で受けた鬱、それ以降の生とは、上引用の西谷氏の言う「死ぬことのできない」世界の生存、3.11の大災害を生き延びた人々も、それはもはや単なる自然災害で納得できない複雑さ、気持ち悪さを心の底に抱え込んで生きて行かねばならないだろう。

「<アウシュヴィッツ>と<ヒロシマ>のところで、そこに露呈した生存の状況が、人間が「死ねない」ということの<現実>なのだという話をしました。昔から人は死を恐れてきたわけですが、ここでは人は死ぬことができず、それが無限の<災厄>なのだ、と。そしてそれが<災厄>だったのは戦争のためですが、「死ぬことができない」人間が<死>を見失うという状況は、<世界戦争>以後<人間>の基本的な生存状況になりました。」(上同)

「けれどももし核戦争が起こって全世界が破壊され、人類が一挙に死滅してしまうなら、そんな簡単なことはありません。数十分のうちに地上から人間がひとりもいなくなってしまうとしたら、万事解決です。人間がいなくなれば、地球の荒廃を嘆く者はだれもいないし、人類の滅亡に涙する者もいないでしょう。それに、それまで人間が苦しみながら解決できなかったあらゆる問題は、いっきに解消されます。人間がもういないのだから問題もありません。だから核戦争で人類がほんとうに滅亡するとしたらもって瞑すべし、こんな気楽なことはありません。ところがそうはいかない。そんなことでは人間は死ねないのです。」(上同)

しかし、気持ち悪いとばかりもいってられない。この4月からはじまった全日本予選はリーグ戦なので、まだ終わらず、長い闘い。大人の自分でもモチベーションを維持するのが大変で、神経がへとへとになっている。その体調の悪さと、時代的な気持ち悪さとが合い重なって、仕事も鬱と戦いながらやっているような状況で、毎日が、ほんとに生き延びている、いや死ねないでいる、といった感覚。テレビのニュースをみても、暗いものばかり。日本ラグビーが勝っても、喜ぶ気力もおきない。それは、自分だけの気分だろうか?

2015年9月20日日曜日

芸術家的応答――侯考賢監督『黒衣の刺客』をみる

「ただでさえ山賊などの多い鈴鹿の山を、飼いならした馬に銀の鞍を置いてお乗りになったのでは、かえって道中の邪魔になろうというので、御馬は宿の亭主に与えられ、座主は裾を引いた長絹の法衣に、檳樃創りの裏なしの草履をはかれ、経超僧都は衵のうえに黒衣をまとい、水晶の珠数を手に持たれたが、もう足も進まないそのありさまを見ては、誰しもこれは落人だなと思わない者があろうはずもなかった。それでも日吉山王権現の御加護によるのだろうか、路上に出会う木樵や草刈などが御手を引き御腰を押して、宮はことなく鈴鹿の山を越えられたのであった。」(「太平記」 『日本の古典15』河出書房新社)

雨つづきの日、ホウ・シャオシェン監督の映画『黒衣の刺客』を見に行く。
上映時間までまだ余裕があったので、紀伊国屋書店に立ち寄る。哲学関連コーナーは、「戦争」にまつわる本が集積されている。もうすぐ戦争が起きるぞ、といわんばかりに。立ち読みで同感した意見は、佐藤優氏の、「もう世界大戦ははじまっているのかもしれません。」というもの。ならばすでに時機を逸しているのかもしれないが、この「戦争」にまつわる特集をのぞいていると私の頭も混乱してきて、三冊ほど買うはめになる。古市憲寿著『誰も戦争を教えられない』(講談社α文庫)、小熊英二著『生きて帰ってきた男』(岩波新書)、西谷修著『夜の鼓動にふれて』(ちくま学芸文庫)。

そうして、映画を観た。
新聞の紹介などでは、物語性は希薄で、映像美でみせる趣向、という論調が目立ったが、私には、これは明確に政治的なメッセージだろう、とおもわれた。現今の、とくには東アジア情勢に対する、いち芸術家の応答だ。それは、単純に、ストーリーをおってみればわかる。
中国は唐の時代。辺境に接する地方では、中央から派遣された節度使(県知事のようなものだろう…)が独立的な動き、勢力をもち始めている(現今の中国も、そうであろう)。中央と地方の平和維持のため、独立的な節度使を暗殺する動きがでてくる。その節度使と従妹であり婚約者でもあった女刺客は、なかなか殺せない。節度使である夫を操ることで権力を維持しようとする正妻は、懐妊した側室を参謀の西洋人らしき男を使って暗殺しようとするが失敗し、影であやつる参謀は殺される。その正妻―西洋人参謀は、辺境に左遷されてゆく女刺客の養父の暗殺も企てていたが、その危うい現場で、遣唐使としてきていた日本人青年の果敢な介入もあって失敗する。女刺客は、節度使を暗殺する密命を辞退し、その現場で出会った日本人青年を、新羅まで送る仕事に同行する。その最後の出発シーンで、はじめて刺客は笑みをみせる。

映画おわって、幕に出演者のリストが流れるさいのバック音楽には、映画中、独立的なシーンとして挿入・演奏されていた、唐の踊りと日本の舞い、いわば唐の楽と雅楽とが融合された音楽がながれていた。ということは、この映画の主張、願いもまた、そういうことだろう。中国、朝鮮、そして日本と、仲良くやれ、いい関係はできるはずだ、われわれはすでに、そうした歴史文脈をもっているではないか、ということだ。

こうした政治的メッセージ性を、映画の物語背後に感じたのは、2003年に日本公開された、張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『HERO(英雄)』以来だ。あれは、中国の天安門事件に対する応答だった。興味深いのは、どちらの著名監督も、「刺客」(テロリスト)をとりあげていることだ。ここには、司馬遷の「史記」以来の、なにか中国の伝統的な文脈があるのだろう。そしてその刺客の視点を通して、現権力を、暴力的・暴言的に批判するのではなく、自分たちの正統的な歴史的振舞いを喚起することで、戒める、権力の方向性を誘導修正させていかせる意図をもつような、どこか冷静・沈着した姿勢を感じさせる。

雨のなか、同じ新宿の通りでは、安全保障関連法をめぐる、反対デモ行進があったようだ。少なくとも、今の私は、とても今の反戦デモみたいなものに参加しようという気が起きない。理由はよくわからないが、気分がおきない。すでに、世界大戦ははじまっているよ。現憲法護持下でも。そしてならば、戦争にはしっかりと参加しなくてはならない。個々人の意志と考えで、参加しなくてはならない。シリアからの難民を受け入れる体制を表明したらどうか、という意見が出ているが、そうした意識が、参戦態度というものだろう。戦争に参加すること、おそらくはどうも、それだけが、人類を反戦させる経験意識を高じさせるのだから。反戦している自分は、戦争には無関与な正当性を握っているという意識で国民の大半がやり過ごすなら、また日本は世界から取り残され、遅れた意識のまま孤立するしかなくなるだろう。というか、そういう、敗戦ではなく、終戦被害者意識が、そのカラクリが、いまのデモに結びついているような気がする。それは、かつての世界大戦でさえ、ひとりひとりが、しっかりと参戦できてこなかったことを意味しているだろう。

われわれは、またその過ちを、繰り返すのだろうか?

関連 ダンス&パンセ2004 11/11

2015年9月2日水曜日

日本少年サッカーにおける文化的現状

「そもそも、日本の文化領域においては、ハイカルチャーだろうとサブカルチャーだろうと、日本に「なる」ことに尽力するよりも、むしろ日本ならざる何かに「変身」することに高い評価が与えられてきた。…(略)…しかも、問題なのは、こうしたモラルも目的もない変身願望がいわゆる「神国」思想と平気で両立することである。日本はしばしば別物になりたがる。しかし、その変身願望の背後には、海に囲まれた日本の同一性が脅かされることは決してないという暗黙の安心感がある。日本が唯一無二であることは厳密に証明するまでもなく、当然の前提として捉えられているから、いくら変身願望を語ってもアイデンティティーの真の危機に見舞われることもない。逆に、この「自然」な唯一無二性に頭までどっぷり浸かってしまえば、むやみに高い自己評価――神国日本――が出現するのも、ある意味で当然のことだろう。したがって、日本以外の何ものかに変身したがることと、日本を無反省のままに唯一無二の神国と考えることは、結局コインの裏表だと言わねばならない。そこに欠けているのは、日本が長年かけて蓄積してきた経験とは何であり、そのストックを現代の課題とどうぶつけていけばよいかを考える、粘り強い「証明」の作業なのである。今日、日本について思考することは、一所懸命に日本に「なる」というアクションを含まねばならない。」(福嶋亮大著『復興文化論 日本的創造の系譜』 青土社)

先月末に、U-12ワールドチャレンジ2015大会が行われ、その準決勝からの試合を、同じ年代の新宿代表の子供たちとみた。準決勝で東京都選抜がバルセロナFCに1-1の末PK戦で勝ち、決勝では、同じくスペインはカタルーニャ地方からきたエスパニョールに0-0のあとPK戦で敗れた。私には、これは東京都選抜を日本育成現状の象徴と考えるなら、バルサに勝ったからといって、とても喜んでいられはしないだろう、というのが第一印象だった。その印象はすぐには言語化されなかったが、トレセン制度から即席的に選んで一週間の仕上げで大会に臨んだ指導者たちも、おそらくそうした危機感をもったのではないか、ということが、大会後の取材記事で想像される。

バルサ以外のチームは、まあ小学生の上手な子たちのチームだな、まだボールコントロールのミスも目立つし、という感じだ。一方バルサだけは、もうプロそのもの、ただそのレギュラーにはなお遠いだけだろう、といった感じだ。1対1での駆引きを含めたボールコントロールのレベルが違う。ミスがほとんどないように見える。これでスピードとパワーがついてチーム戦術的な動きがマスターされたら、とても太刀打ちできず、ボールに触れなくなるんではないか、という恐ろしさ、つまり彼ら子供たちの伸びしろが強く感じられてくるのだ。逆に他のチーム、とくに選抜東京チームは、理屈的にはなおボールコントロールレベルでまだまだなのだから、伸びしろはこちらのほうがあるはずなのに、そういう風な印象を受けない。もうこの子供たちは目いっぱいなんではないか、と心配されてくるのである。東京選抜の子供たちは、本当に必死になって、フィールドを走っていた。しかし、そうした全体的な印象に、躍動していくもの、大人として成長していく落ち着き、子供たち自身には意識できないだろう雰囲気的な何かが、生きていないのである。取材記事によれば、バルサおよび決勝でのPK戦でも、誰一人俺が蹴るといわなかったどころか、失敗を恐れ辞退したり、だったという。おそらく、各自が所属するクラブチームでだったなら、そんなことはなかっただろう。が、こうした重圧下で、彼らの意識を超えて出てきてしまうものがあるのだ。バルサの子たちは、PK戦になったとき、試合途中選手交代をめぐり中断があったのに、ロスタイムが少ないのはおかしいと猛然と主審、審判団へ抗議をはじめた。バルサのコーチは試合後のインタビューでそれを謝罪したが、規則を律儀に推進するよう試合進行する審判団をはじめ、むろん審判に異議など唱えない日本の子供たちとの違い自体は問題ではない。勝ちたいという同じ気持ちが、表にでるか裏に秘められるか、の違いだけだ。そして謙虚なのは、いわば日本文化の地としての表象であり、良さでもあるだろう。が、そうした遠慮、思慮深さ――自分が今感じている重圧ではPKをはずしてしまう可能性があると冷静に自己分析してしまう、ここは代表チームだから俺よりあいつが、あるいは誰が蹴っても、とまわりの空気を読み始めてしまう――、いわば内向的な在り方が、悪い方向で機能していく、させていく世の中の風潮、雰囲気が、各クラブの育成中に、すでにして挿入されてしまっているのだ。(そしておそらく、そうした子を選抜・スカウティングするようになってしまっている。)すべての試合に「負けられない戦いがある」と放映するテレビとうメディアの作る営業方針も、そうした風潮を地固めしているだろう。つまり、技術以前の在り方、いや正確にえば、技術を成立させる私たちの在り方自体が、おかしくなっているのである。
取材記事には、アルゼンチンからのチームのコーチの発言がある。南米、とくにアルゼンチンの選手は、球際で激しく体を入れてとりあう。ボールに足をだすのではなく、まずガツンと体を当ててくるのが習わしだ。が、そんなことは教えてはいないのだ、とコーチは言う。「それがアルゼンチンの文化なんだ」と。バルサの8番、これはこのチームにとって、伝統的にゲームメイクするのに特権的に選ばれた選手がつける背番号だ。今回のチームでは、とても背の小さな、ジャマイカ・レゲエー風の風貌をもった子だった。日本人の感覚では、とてもなぜ彼が中盤の底に選ばれているのかわからない。このわからなさは、こちらがサッカーをよく知らないことからくるだけではなく、バルサが勝ち負けを超えて、こういう持ち味をもった選手をここにおく、というポリシーを一貫させていることからくるだろう。その8番のチャビくん、東京戦で、ファールで勝ち取ったPKを外してしまった。それが、敗因の大きな理由となってしまった。3位決定戦では、ベンチスタートからだった。中盤の底には、6番、シャビではなくイニエスタの背番号をつけた大柄な選手がはいった。一見では、この選手のほうが機能しているようにみえただろう。が後半、チャビくんがはいる。コーチは信頼し、成長させようとしているのだ。試合まえ、ベンチに向かう途中、ずっとチャビくんの肩を抱きながら、優しく何かを語りかけながら歩いていった。その姿は、清水市での草サッカー大会での、生き残った少年団のコーチの指導姿を思い起こさせた。バルサも、いまのポゼッション・スタイルで、はじめから勝てていたわけではなかった。自分たちに何ができるかを検証し、その自覚のもとに子供たちから教え始め、たとえそれで負けても、基本原理・哲学を変えてはこなかったのだ。それが、第一世代的なシャビやイニエスタといった選手で花開いたのである。次には、その育成方に危機感をもったドイツが試みはじめた。それが、その第一世代的なゲッツェで前回のワールドカップを制した。かつては、小学生レベルでは、日本の子供たちは世界に負けていなかった。清水代表も、全勝で遠征から帰って来たのだ。だから問題は、それ以後に開き始める育成制度だと指摘されてきたのだが、そうした問題把握が間違っていることが証明されてしまっているのが昨今だということになる。ワールドチャレンジを戦った西が丘のスタンドには、バルサのスクールに通う子供・父兄ように、特別指定席が設けられていた。東京戦、そんな子供たちが、「バルサ! バルサ!」と応援コールをおくる。もしアルゼンチンからボカ・ジュニアーズのチームが来ていたら、南米コーチのラテンのノリで、踊るような声援や応援歌が聞こえただろうか? しかし、バルサをコールする声援は尻すぼみになる。おそらく子供たちは、東京(日本)相手に戦う自分たちの応援の在り方に、何か奇妙なものを感じ取ったのだろう。日本では、スペインのほかにも、オランダやドイツからのスクールがたくさん営業している。そうした風潮にのっかって、諸外国チームの一員として、日本に対して応援してしまう自分たちの存在のおかしさに、彼らは黙ってしまった、ということになるかもしれない。清水FCの代表チームに選抜されプロになり、ドイツでも活躍し、いまは川崎フロンターレの監督をしている風間氏は、サッカーは「一」を教えられれば、あとは教えなくとも二、三、四と覚えられてゆく(サッカーだけではないが…)、そして最初の「一」とは、技術ではなく、「物事の本質や人間というもの」なのだ、と発言している。スペインで教えられる「一」と、ドイツで教えられる「一」は違うのである。日本の大工や植木屋は、木を切るさい、ノコギリを引いて切るが、欧米では、押して切る。ノコギリの歯自体がそうできてもいる。純粋な技術などないのだ。ボールを奪う際にも、アルゼンチンは体を当てる、教えなくても、そのようにやってしまうようになる。チャビくんが一番評価されている能力は、セカンド・ディフェンダーとしてのカバーリングの予知能力だ。最初にボールを奪いにいったものの後ろにつくポジションニングのすごさ。しかし、ドイツでは1対1を重視するので、基本的にカバーにはいかないのだ。ならば、日本における「一」は? 私たちの原理とはなんだ? そのうち、まさにその「一」に迷ってチャランポラな戦い方をする日本代表チームがでてくるだろう。というか、もう出てき始めている、ということではないか?

私は、スクール的な方向、純粋技術を仮想している現状、その寄せ集め的な、「雑種文化」(加藤周一)をそのまま現状追認していく方向から、良いサッカー、面白いサッカーが出来上がってくるとはおもえない。審判に抗議したり、ファウルまがいのプレーを真剣さの証しとしてとらえて推奨しだす「変身願望」がいいとおもわない。中田英寿やイチローが説くように、謙虚のまま、大人しいままでいい。あんなのはベースボールじゃないと批判されても、イチローはポテンヒットや内安打を技術的に量産しつづけた。こんなのサッカーじゃない、と本場の人たちから言われても続けられる私たちの「一」とはどのようなものだろうか? 縄文時代からでなくとも、日本と総合されてもいい文化的なまとまりの歴史は古い。すでにあるに決まっている。風間氏も、それを当時の清水市の指導者たちに認めたのだ。しかしその在り方は、決して自然(条件、島国だからと)に、自明なものとして発生してきたわけではない。その継承者たちは、世相が風潮に負けて、実際の試合や大会で勝てなくなっても、「語り」つづけている。つまり現状に抗って。敗戦になった戦争を語りつづける生存者のように。あくまで、日本の文化も、いまある自然への抵抗としてだけ反復される。おそらくバルセロナFCも、そうやって自分たちを「復興」してきたのである。

2015年9月1日火曜日

身を以って

「超自我はたんに「父」の内面化としてあるのではない。たとえば、親は子供に攻撃性を抑制するようにきびしくしつけることができるだろう。が、それはしばしば暴力的な人間を育てることになる。逆に、フロイトが指摘したように、非常に寛大な親に育てられた子供が強い倫理観(超自我)をもつことがある。この場合、親は子供に強制しなかったとしても、身を以って子供に示したのである。したがって、フロイトは、超自我は親そのものではなく、親の超自我を規範として形成されると考えた。親が攻撃性を自制するような超自我をもつとき、それは子供に伝わる。また、超自我が個人だけでなく、集団にもありうるのは、そのためである。それが文化=文明だといってよい。」(柄谷行人著「Dの研究[第3回] 宗教と社会主義(承前)」『atプラス』25号)

引き続き「at」を読んでいて、上のような柄谷氏の言葉にであった。親(大人)たちの言う内容ではなく、その身振りや仕草が、つまりは「身を以って」示してしまうことが、子供に継承されていく、と。前々回のブログ「価値について」で、似たようなことを私は言ったが、それは、近代的な現状から、ネガティブな傾きでの言及だった。また、思想の型として、言論内容よりも身振りにこそ歴史を動かしている文化的継承があるとは、考古学でも、民俗学でもとられてきた一つの発想であるとは、教養的なことでもあるだろう。柄谷氏は、その親の身振り=文化を、戦争に反対する、つまりは暴力に訴える行いを「嫌悪」および「恥」と感じるフロイトの文化理解と結合させるのだが、その接合の仕方自体が新しいのかもしれない。私も、「戦争」を、「罪深さを訴えたり、法的・政治的に禁じることによってではない」発想へのとっかかりとして、フロイトのその引用箇所に言及したWEB絵本を息子の一希と一緒に書いたけれど、ここでは、もっと具体的に、ならば親として私は息子にどう振る舞えばいいのか、と思い悩んだ。

厳しくしつけると子供は暴力的になる場合があるのなら、暴力的な親を見て育つと子供はどうなるのだろう? 私は、なお自制的な家庭環境を作れているとは、とても言えないだろう。減っているとはいえ、夫婦喧嘩は絶えない。新宿の代表チームの母親は、グランドわきで叫び散らす女房を大人しくさせようとなだめたりで、ずっと自制的なようにみえる。彼女自身たちも大学でなのか、頭もかしこそう。子供も大人しい。恥ずかしがりやだ。一希といえば、恥も外聞もないように、お笑い芸にいそがしい。他の親たちは、一希が感情表現豊かなのも、まさに親子そろって川の字で寝ているような下層の家庭環境あってこそ、とおもっているかもしれない。一希は、自制的な自分をもてるようになるだろうか? しかし、私よりかもっと暴力的な職人階級の息子たちは、気性の激しさはそのままでも、年相応に大人しくなっていくようにおもわれる。むろんそうなっていくのは、階層の一般的状況ではなくて、各家庭での親の愛情の真実性如何に、その成長の度合いや質が関わっているだろう。最近のドメスティック・バイオレンスとは、共同体的な関係が崩れてきたところによる、社会から孤立した家族関係が誘発しているだろうから、同じ暴力でも似て非なる在り方かもしれない。逆に、一見自制的な良家の子弟は、見かけは節度あっても、それが他者への関与を忌避する偽善の装いになったりもする傾向があるかもしれない。そう想像しえてみて想起するのは、ヨーロッパのサッカー・クラブチームが、ペットの犬でも、かわいいからと生まれてすぐに売りにだすと大人になってからもキャンキャン吠えて躾けられなくなるので、3か月は母犬と一緒にさせておくように、U-12歳のジュニア世代は、地元の子供たちだけを育成し、才能があるからといって外からの子供を受け入れるのは成分的に規制している、資本の技術とは一線を画そうとする科学忠実的な文化であろうとすることである。となると、大切なのは、まさに言語習得以前の、ヒトが生まれてから3年ぐらいまでの子育てだ、その期間愛情をしっかりそそいでやれば、のちの人生の逆境でも乗り切れる人間に勝手に育っていくものなのだ、という通論、科学的というよりは、大衆の自然性を経験的に肯定する吉本隆明氏に近くなる。

が、たとえそうだとしても、それはなお形だけの話であって、その中身が重要なのだ、というのが柄谷氏の言わんとしていることであろう。なぜなら、そうやって育った子供は、互酬的な交換Aの心性を反復するだけであって(それ自体、個人の心身としては健全なものであろう――)、それを”高次元”で、交換Dとして反復するわけではない、とされるからである。われわれの文化=文明自体が、そこまでに一般化されて、つまりは意識的に進歩しているわけではないのだから、自然的には、戦争を封じるような多勢的な子供たちが育ってくるわけではないのである。カント的にいえば、なおわれわれは幼児であって、成熟した大人からはほど遠いのが現状だということだ。

しかし、「高次元」とはなんであろう? 私はその物言いについひっかかるのだが、フロイトの反戦論と結びつけられたそれは、戦争を避けていかせるヒトの関係性として理解できるから、なるほどそれは高尚な交換形態、ということになるのかもしれない。物言いはかわれども、その趣旨は、私が「身を以って」示す価値こそが子供に伝わってしまうと指摘した前々回のブログ「価値について」の以下の言葉と同じなのかもしれない。――<そこでは、子供のころは文字通り長屋住まいで過ごした職人たちがいた。彼らは、隣の家の醤油は我が家のもの、みたいな共同所有を前提にしてきた人たちであり、ゆえに、あとから世の当然となった私的所有が前提の社会から、自分たちが取り残されていることに半ば自覚的である。私は、自他の区別がつかない赤ん坊のようなところのあるそんな意識世界に批判的でもあるけれど、偽物な個人主義としか思えない今の世の風潮よりかは、マシな方向へ向けての前提としてなさねばならない価値の一面だろうと思っている。

つまり、互酬的な交換形態Aは、前提としなくてならないが、それはもっとマシな方へ向けて、ということだ。それが、「高尚」な交換形態Dと同等なのか、正確には私にはわからないが、物言い違えど発想の在り方は同等なようだ。

で、マシな方向へむけて、私自身は、具体的にどうしようというのか? ひとえに、夫婦喧嘩をしないこと(とくに子供のまえでは)。その影響で、力をつけて反抗期にはいった子供が女房をぶっ殺したり、逆に女房が子供を殺したり、といった事態を避けなくてはならない。しかし、こうした具体的な発想のなかに、後退戦がそのままで文化的な頽落というワナにはまってしまう可能性も大だ、ということは自覚しておくべきなのだろう。福島亮大氏の『復興文化論 日本的創造の系譜』(青土社)によれば、結局日本人の文学は、ホモソーシャルな「男どうしの絆」としての「われわれ」をみせただけで、私の特異性にこだわることに傾き、ゆえに「連帯よりも他者化」に精を出すことになると指摘している。ポストモダン風にいえば、文化的な地がスキゾ的、ということであろう。――「昨今では「声に出して読みたい日本語」式のマッチョな声が国民的同質性をでっちあげようとする。こうしたマッチョな声が出てくるのは、それだけ日本近代文学の社会的な「声」――<わたし>の固有性と<われわれ>の連帯性を結び直す声――が幽(かそけ)きものであったことを暗示している。」家族的な互酬関係でさえ、バラバラな方向へのバイアスが強い、集団文化的な他者化、孤立化に負けている、ということだ。私や女房は親である以前に子供だが、高齢な両親との関係というよりは生活を、具体的にどうするのか、ということも問い詰められている。そこでも自然にほったらかしていれば、スキゾ的な無関心な関係に逃走する、しやすい、ということになるだろう。しかし、だからこそ、この一番身近な集団性、連帯性から、つまりは家族からやり直してみよう、というのが、私のNAMプロジェクトだったはずだ。一から「身を以って」やり直してみること、それは後退戦だが、そこまで頽落する必要があったのだ。

2015年8月23日日曜日

日本サッカーの語り

「清水がサッカーの街として本物であれば、サッカーで人が育たないといけない。かつて堀田先生に育てられた次代の清水を担う方々がこれからどういう選択をして、どこまで力を発揮できるか。サッカーの街の力が試されるときに差し掛かっている。日本サッカーの低迷期に清水が果たした役割は凄く大きかったと思う。だけど、今後さらなる飛躍が望まれるいまの時代に、その役割を清水に求める人はいない。少年の数が減り、大都市圏のクラブチームとは圧倒的にパイが違う中でそれでも僕らはこれぞサッカーの街清水という何かをしめさなきゃいけない。…」(梅田明宏著『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー50年史』 現代書館)

東京オリンピックに向け、国立競技場をどう再開発するかの議論をめぐり、大澤真幸氏はその案のひとつ、建築家の磯崎新氏のものを論じるにあたり、まずは民俗学者折口信夫氏の敗戦時の思考を引用することからはじめている(「皇居前広場のテオーロス 祝祭都市構想 プラットフォーム2020に寄せて」『atプラス』25号)。要は、日本が戦争に負けたのは、「日本人の掲げる神道が普遍宗教ではない」からで、逆にアメリカの青年たちは中世の「十字軍における彼らの祖先の情熱をもって、この戦争に努力してゐる」からではなかったか、と。

私は、このブログ上で、日本のサッカーが強くなりにくいのは、ヨーロッパ起源のサッカーにとってゴールとはゴッドであり、それを目指す唯一の真実の道を解明する科学として、神に近づく進歩の信仰として実践されてしまうので、真剣さの位相がちがうからだ、と発言してきた。そして日本の少年サッカーの育成上の現場でも、勝つためのサッカーと、子供優先のプレイヤーズ・ファーストという議論が理論体系的にまとめられないまま分裂していて、集団に一つの真剣さを導入しきれていない、その基本方針的な曖昧さが、父権的な父親存在の希薄さという現在の家族関係的な環境と重なって、目先の結果利益をあげることで自己安心を確保しようとする母親的な在り方の優勢に後押しされて、問題把握されることもなく現状肯定されている、と指摘してきた。静岡の清水FCという地域代表選抜チームが解散に追い込まれていく要因の大きな一つも、顔の見える関係=中間団体的な人間関係(父権的な顔役が睨みをきかせられる――)が、より一般的な価値の平準・均質化にともない(地域性、顔役になりうるような個性、差異の排除――)、素人の親でもが指導に口をだせる、愚痴を言えるようになって、「親で潰された団の指導者が何人も」でてきたことによる。またそうした社会の資本化、一般的な価値形態の普及は、逆に経済的な格差をうむ。「遠征費や金銭的な部分での負担」をおえなくなったり、核家族化、共働きが増えたことで、「やるなら地元の少年団まで、できれば清水FCに入ってほしくないという保護者の声が増えて」くる。もちろんその傾向と、逆に子供に特技を特価させて将来の利益を見込んで先行投資し、スクール系列のクラブの方へ入部させる潮流とは同じ構造の表裏である。

日本の社会的地盤が、もともと父権的には弱く、母系制も強く残存並列したものであるかどうかといった議論はここではどこけておこう。とにかくも、原発事故後に顕著になったように、母親的なヒステリックな声のほうが今の世の潮流で、それを抑え込もうと父権的に振る舞おうとする権力側の議論は浮ついている、という現状認識からはじめる。もちろん、戦後父権的な影響が一定期間続いたのは、長く見ても明治以降、とくには戦時中のスパルタ教育の残存であり、清水FCのような中間団体が成立しえたのも、日本の地盤にあっては、特異な一時期のためであって、そこを象徴的にとりだしても長い目でみれば意味がない、という意見は成立するだろう。が、たとえば、大澤氏が折口氏の引用からはじめたその論評で、基調に置くのは中上健次氏の小説群、とくには、その『地の果て 至上の時』の読解指摘である。

<この小説で、龍造は、秋幸の敵どころか、逆に、秋幸に対して友好的であり、秋幸に敬意を示しさえする。最後に父殺しがなされるべきなのに、あろうことか、龍造は自殺してしまうのだ。このとき、秋幸は「違う」と叫ぶのだが、この言葉の解釈は小説読解の鍵となる。さまざまな解釈があるが、浅田彰・柄谷行人が言うことが、正鵠を射ているように思われる。すなわち、自分がそれに抵抗することによって存在理由を得ていた父的な権威(第三者の審級)が自滅してしまったことの当惑や怒りの表現が、「違う」という叫びである、と。
 父的なものと母的なものの葛藤を、精神分析学はオイディプス・コンプレックスと呼んだ。このことからもわかるように、この葛藤は、近代的な「内面」の条件である。と同時に、これは、近代小説の条件でもある。近代小説は、この葛藤を動力源として、「内面」のドラマを紡ぎだすのだ。
『地の果て 至上の時』は、この葛藤がもはや成り立ち得ないことを最後に示したと解釈することができる。つまり、それは、近代的な個人の「内面」と近代小説の超越論的な条件が崩壊する瞬間を、秋幸とその父龍造とのすれ違った対決を通じて描いているのだ。…(略)…もう一度、浅田彰の見事な要約を引こう。「一方において、父を殺し自らがそれを乗り越えて行くという近代の物語が不可能になったということ、他方において、それに先立つ一見神話的な定型的物語が何度も反復されるしかないということ、この二つは、いわば同じ事態の別の表れである」。>

しかし、こうした指摘は、単に文学作品読解として提示されたのではない。ソ連の崩壊に象徴されるような、歴史的な転換的、特異点として導入されたものである。資本主義の拡大・その一般価値の普及とともに、二項対立な思考枠組みを支えていたともいえる米ソの対立構造がなし崩しになってしまった、ソ連と言う父が自己崩壊(自殺)してしまった、ゆえに、父権的な大きな物語が成立しなくなってしまった、と分析されたのである。ならば、日本の現状の出自を押さえることよりも、世界自体がそうなってしまったのだという大枠の現状から考えることが、より重要になるだろう。そこには、日本が勝てないだけではない、そもそも、勝つこと自体がどういうことなのか、その是非根本が問われてきている歴史があるということなのだ。その地点において、私達がどう振る舞うのか、と問う時、日本の文脈がどうのという話は後退するだろう。が、また、私(たち)は、そこから考えなくてはならず、そこにおいてだけ間近で、より正確に考えられるだろう。
そして私は、子供の付き添いでいった旧清水市で見てきた。生き残った少年団チームのコーチの「語り」を。”指導”ではない、私はまさしく、あれを「語り」として見たのである。先日のブログでも、そう用語した。それはなお感じたことを書いただけであったが、知り合いの健太郎氏がさっそくそこに反応してくれた。――<物語は母が子に語るものとされるけれど、父もしくは男の語る物語、中上的なサーガ(叙事詩)の繰り返しというものは、男が(も)語るものではという気がします。男もすなる物語。琵琶法師の語る平家物語。
浅田氏が指摘する中上氏の反復する物語を語るのは、「オリュウノオバ」としての、母性としてのものである。が、「男もすなる物語」とは、中上氏の『奇蹟』に登場する「トモノオジ」のものだ。私が清水市のコーチから感得したのも、そこにある、どこか哀愁や悔恨を秘めたトーンである。これはコーチングじゃない、もっと深い人間の営みとして、彼らはフィールドに、校庭に立っているのではないか、と。
大澤氏が抽出してくるのも、男の語り、トモノオジの語りの在り方であり、そこに見出される未来へ向けての振る舞いの可能性だ。

<この小説を特徴づけているのは、強烈な悔恨、悔恨の時間だ。「あのときああしていればこうはならなかったのに(タイチは死ななかったのに、イクオは自殺しなかったのに)」という悔恨だ。『千年の愉楽』でも、オリュノオバは、早死にしていく若者たちについて哀惜の感情をもっているが、しかし、それはギリシア悲劇の場合と同じで、最終的には、その帰結を必然化した運命――この場合には高貴にして穢れている「中本の血」――を肯定する感覚に裏打ちされていた。しかし、『奇蹟』の悔恨は、違う。「運命」としての受容が完全に拒否されているのだ。だから、過去を見る目は、決して癒されない悔恨の感情を伴うことになる。
 悔恨するということは、現在のわれわれが、過去に、現実の経路とは別の可能性を、<他なる可能性>を見出している、ということである(「ああしていれば……」)。その<他なる可能性>は、過去においては見えていなかった。少なくとも、現実味のある選択肢としては自覚されていなかった。しかし、現在のわれわれは、それが十分にありえた可能性であることを知っている。ここで、「現在のわれわれ」は、過去から見ると、<未来の他者>であることに留意すべきだ。>

大澤氏は、こうした視点から、磯崎氏の「祝祭都市構想」に期待を寄せる。というか、「現在のわれわれが過去を悔恨するときと同じように、その<未来の他者>(の視点をもったテオーロス)は、彼らにとっての過去にあたる現在のわれわれに、<他なる可能性>があることを発見させる>ことを目的とすべき構想に、つまりはギリシャ時代のオリンピック本来の目的を反復すべくよう努めるべきと提言しているわけだ。私は、磯崎氏の国立競技場再開発からはじまった設計案が、そのような実践と重なり結びつくのかは知らない。しかし私は、清水市での草サッカー大会という一地域の祝祭
を観戦し、そこに残存した悔恨の語りに、なにか未来への可能性を感得してきたのである。

ちなみに、これも同じ知人の指摘で初めて知ったことなのだが、日本サッカー界の「キング」こと三浦和良の家族関係をなぞると、まるでカズ氏が中上氏の主人公・アキユキにみえてくる。私には、磯崎氏の大きな設計物語よりも、カズ=アキユキの匿名的な振舞い=語りのほうが、次なるオリンピックやワールドカップへむけて、脱構築された現状をさらに脱構築的に建設していく可能性があるように感得する。

2015年8月20日木曜日

全国草サッカー大会、清水遠征から

岡小学校の校庭=サッカー場
「少年時代、風間は近所の神社や境内にある木々や石を世界のスター選手に見立ててフェイントでかわしたり、ドリブルで抜いたりした。そんな時間が大好きで、ボールさえあれば何時間でも飽きなかった。風間は当時の指導者たちからサッカーの技術そのものを教わった記憶はほとんどないというが、それよりももっと大事な考えることの大切を学んだという。何よりも遊び心に溢れていた堀田や小花の指導は子どもたちが自由な発想でボールを扱うことの大切さを説いていた。
「要するに当時の指導者は子どもが育んだ発想を潰さなかった。頭ごなしに叱り付けたら可能性は縮まってしまう。そういう知恵みたいなものや発想の柔軟性みたいなものはこのとき身に付けた。…(略)…指導者は子どもに考えさせることを覚えさせれば、あとは子ども自身が好きなものを見付けてやっていく。サッカーは一がわかれば、二、三、四ってわかっていく。でも最初の一がわからないと何もわからない。だけどその一を教えるのは難しい。当時の指導者たちが凄かったところは、それを何もないところから見出したところ。あの方たちは物事の本質や人間というものが本当によく見えていた。そんな部分はいまの自分の中にも生きていると思う。」(梅田明宏著『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五〇年史』 現代書館)

静岡は旧清水市を中心とした草サッカー大会への四泊五日の応援から帰って来た。息子の所属する新宿内藤チームの成績は、256参加チーム中39位というものだったらしい。結果よりも、親としては、一人ひとりが自分の持っている力を全部だしきって、チームとしては持っている以上の120%の力を発揮する子供たちの姿がみたい、「火事場の糞力」みたいな、とは、娘を送り出している父兄の一人と確認しあったことだった。が、なんかそうした頑張りには遠く、「ここまで来て、なにも変わらずに東京まで帰っていく可能性もありますよね」、とも話した方での成り行きだったような。実力相応というよりも、勝ちあがっていった最後2試合はPK戦。運よくここまでいったな、とりあえず、歴代の代表とくらべても3位、と結果は恥ずかしくはない。が、その中身だ。「イツキがベンチからまだまだだぞ!、 と声張り上げても、試合に出てる選手が誰も答えない。人をあげつらうような口ばかり達者で、頭でっかちで、簡単に見切ってあきらめてしまう、そういうのずる賢いっていうんですよ。」と娘を送り出している父兄は言う。「勝ち負けの結果よりも、一生懸命頑張れるチームになってほしいですよね。」と。

日本ではサッカー王国と呼ばれた現静岡市内の清水区にまで長い応援にでかけてみようと思った理由のひとつは、上記引用にもあるサッカー地区の歴史を、肌で感じることができるかな、それで何か見えることがあるかな、という動機だった。見えてきた、といってもいいのかもしれない。おそらくそれは、小学校単位でのクラブチームに残っているのだろう、指導者の姿だった。新宿が宿舎に到着してすぐの練習試合会場及び相手チームの、岡小サッカースポーツ少年団、そして最初の公式ミニカップリーグ戦の会場となったチームの飯田東小のクラブ、両者はいい結果を残しているわけではないけれども、引用した風間氏の指摘した精神が継承されているように見えた。岡小の少し高いだみ声をひびかせながらのコーチ、主審をする自分のもとにいま教えたい選手にビブスを着せて、フィールド中央から全体をみせながら語りかけるような愛情に満ちた姿、飯田小の試合前アップ練習では、コーチが自らキーパーをしながら、放たれたシュートをはじきながらその一球一球を語っていく様子……結果を残していくチームのほとんどは、スクールあがりのクラブチームだ。優勝した新座片山は、ちがうかもしれない。同じ宿舎になった一希は、その名物監督・鬼コーチを間近に見て、「見るからにこわかった」と言っている。食事も、他のチームの子らがふざけあいながらのなかで、一丸と黙々と食べていたそうだ。そこには、子供のひとりひとりの存在を肯定してくれる確固さとしての愛情がある。
新宿の代表チームに欠けているのは、まず技術以前に、それを身に付けていく前提として必要なその愛情、信念、自信だ。自分のやっているプレーに、自信がもててない、これでいいのかな、と不安のなかでやっている。私には、こうした症状は、応援にくるのがほぼすべて母親で、父親の影が薄い、そうした環境要因的なメンタリティーに起因しているようにみえる。それは以前から感じていたものなので、今大会は黙って観戦しているだけでなく、東京ではリーグ優勝を争うチームコーチ然として、声をだそうとおもっていた。女性のヒステリックな悲鳴ではなく、男性の声・トーンを耳にするだけで落ちついてくるだろうと。背番号10がゴール間近でシュートをはずす。メンタル的な問題ではない。ラストパスの角度や相手の体の入れ方からして難易度が高いのだ。が、次の瞬間、「俺はだめだな」というように肩を落とす仕草がみえる。「OKだ! それを続けろ! 次入るぞ!」と声をだす。すると、最終ラインに残っていたキャプテン、チームメイトをあげつらって不平不満ばかり口にだして若い監督からもしぼられているキャプテンがこちらに顔を向けて反応し、つぶやくように繰り返す。「つぎ、はいるぞ。」……10番は、父兄との懇親会のとき、「自分は決定力がないので、それをつけたい」と言っていた。試合中でも、母親があいつがあすこではずすから、とよくこぼしていた。母親のそんな愚痴をきいてすりこまれてしまったのだろう。そしてチーム全体がそんなふうに。だから、その結果のでなかった自分たちのプレーを、いい悪いではなく、ただ肯定していく声の抑揚に、キャプテンはたまげたのだ。そういうチームでも、それなりの賢さと技術があれば、それなりの結果は残せる。しかし、その先に進めるだろうか? なんとなくついていく自己愛的な技術ではなく、殻を破っていくような飛躍していく成長。その頑張りを続けていくためには、心がしっかりしていなくては、結局自分のそのときの限度に直面したとき、これは無理だなと賢く立ち回って、くじけてしまう、ということになっていることにも気付けない。

いま手倉森監督がひきいるオリンピック世代の日本代表、すごく大人しく、黙々と練習する真面目な選手がほとんどだそうだ。だから、監督は敢えて、ユース出ではなく、大学クラブ活動出の遠藤選手をキャプテンに据えたのだそうだ。それだけでは、チーム力が発揮されないだろうと。少年チームにも、似たような症状がつづいていないだろうか? スクールクラブの若いコーチは、なにか若手官僚のようにみえる。情熱的だが、考えている幅が小さくみえる。黙々と真面目に技術習得に集中する環境に欠けているのは、人に共感する、他人と力を広げていく作用だ。その感化する力を、テストの結果だけをめざしていたわけではなかったかつての熱血教師、堀田氏のような存在の雰囲気が、なお清水地区に残っているように感じられた。むろん、人格の大きさが、人々に影響を与えてしまうような世間的社会は、とくに政治の世界では、むしろ排除されてきた不可逆な歴史かもしれない。しかし、肯定的な感化作用を根底で欠如させた合理的な社会には、割り切った人間関係があるだけで、それしか知らず育った子供たちが、この不合理に満ちた世界で、やっていけるのだろうか?

2015年8月19日水曜日

価値について

「集団の中で価値観は重要だ。価値観を持たない者は何者でもない。それらはあなたをより強く確固たるものにする。私の価値観は、家族と子供の時プレーしていたベレスで植えつけられた。…(略)…子供の時に教えられた価値観というのは、サッカー選手になるかどうかとは関係なく、その後の人生の指針になる。成長した後で変えたり、正しい方向へ向かわせようとするのは難しい。だからこそ、小さい時から道徳を教えなくてはいけない。監督としてサッカーを教えるよりも大事なくらいだ。あなたが子どもたちに示す人生の価値観は、サッカーの実践よりも重要だ。」(『シメオネ超効果』 ディエゴ・シメオネ著 木村浩嗣訳)

夏休みに入って、一希のもとに、つまりこの2LDKの狭い団地部屋に、同じ地域クラブの子供たちではなく、新宿代表の、他の地区、もっと階層のエリート的な地区の子弟が頻繁に遊びにくるようになった。おそらく、気兼ねなく家に入れるのが、珍しいのだろう。同じ団地に住んでいる子の家には、いま父親がいるからだめだとかで立ち寄れなくなったりする。その父親も私と同じ地域クラブのパパコーチなのだが、ふとそうした親たちの仕草、たとえば、新しく買ったデジカメを子供が勝手にいじろうとすると叱ったり、といったところに、私との本当の、実際実践的な、身体的な価値の違いがあるのだな、と気づかされる。父親のパソコンを勝手に友達と使えることなどありえないだろう。だから、そんなパパコーチが、ひとりでドリブルばかりしてないで仲間にパスをだせ、チーム全員で戦って勝利を目指すんだ、と言っても、子供たちは説得力を感じないだろう。子供たちほど、その言っている内容ではなく、その行為が、本当に意味してしまうことに敏感である。サッカーでは、その分野の知識としてパスサッカーをやるようになっても、実際の生活態度において、言葉ではなく、行為が意味してきた価値観を学んでいってしまうだろう。今の風潮なら、私的所有を当然な前提とし、我が物にするよう頭を使う賢さや立ち回りだ。しかしなお小学六年生にすぎない子供たちは、その狭い個人利害、関心に基づいた自分たちへの対応、反応環境が好きではない、それよりこっちのほうが面白い、と我が家にやってくるのだろう。
 しかし、なんで私は、私的所有にこだわらないような感性=価値を体現してしまっているのだろう? 自身はやはり、プチブル出で、少年野球からは集団主義的な価値を教育されてきても、それは頭でっかちなだけになっただけであって、親からは個人主義的な価値を行為指示されてきたとおもう。ただ、進学時や、地元のエリート校に入って顕著に意識されてきたその風潮への違和感、おそらくは我が家にやってくる子供たちが感じるだろう羨望と蔑視の混在した気分に通じるだろうそこに、私は正直に立ち止まって引きこもったのだ。子供部屋に。そこで独学的に意識化したものは、偶然にも、上京して暮らした六畳一間だけの安アパート裏にあった植木職人の家に勤めることになって、実践的に体得されていくことになった。そこでは、子供のころは文字通り長屋住まいで過ごした職人たちがいた。彼らは、隣の家の醤油は我が家のもの、みたいな共同所有を前提にしてきた人たちであり、ゆえに、あとから世の当然となった私的所有が前提の社会から、自分たちが取り残されていることに半ば自覚的である。私は、自他の区別がつかない赤ん坊のようなところのあるそんな意識世界に批判的でもあるけれど、偽物な個人主義としか思えない今の世の風潮よりかは、マシな方向へ向けての前提としてなさねばならない価値の一面だろうと思っている。
それは、社会主義的ということだろうか? 資本主義が私的所有に基づくというのなら。私は、そうした外的な主義主張のことはわからない。ただ、この2LDK団地、林芙美子の作品では乞食村と言及されていたその跡地(追いだし地)に建てられた当時としてはモダンな建物の周辺で、女房の近所づきあいからはじまった生活クラブに入会しているのだから、外的にもそうに近い、ということになるのかもしれない。そしてその女房は、熊本で水俣病を起こした会社の社長の娘だったらしく、その家での価値に反抗し家出したような状態で、そのとき、NAMという左翼運動で知り合い、ということだから、内的に獲得してきている価値でも、外的な価値でも、そうに近くなっている、ということなのかもしれない。ただし、生活上の共同所有社会は、右翼ともいえるので、私の言動は、そう受け取られている向きもあるようだが、私自身は、そうした外的な事柄は理解しずらく、どうでもいい。
そんな偶然、この人生の価値運動は、だから運命的に続いている。一希には、とりあえず、引きこもれる子供部屋は、もうない。
私たちは、どこへゆくだろうか?

2015年7月8日水曜日

サッカースクールと学級崩壊、あるいは、ギリシャ債務問題

「松本より一足早く西ドイツ留学を果たした宇野勝は、1971(昭和四六)年二月に日本人で初めて西ドイツサッカー協会公認のデブロム・フットボール・レアラー(サッカー教員の免状)を取得した。帰国後、読売クラブを経て、1973(昭和四八)年から日本蹴球協会の技術職員となった。そのとき立場上、全清水の西ドイツ遠征の橋渡し役を務めているが、一〇戦全勝を果たした全清水の育成の方向性には早くから疑問を感じていた。
「僕は全清水が絶対に勝つと思っていた。たとえば西ドイツではこの年代では指導者が勝たそうなんて意識はなくて、将来どんな選手に育つかしか考えていない。ましてシステムやチーム戦術なんて教えていない。あくまで伸びる指導をする中で勝てればいいという方針だった。
 宇野の眼には、清水の指導方針はこれと正反対に映っていた。結果としてこの方針の違いがサッカー先進国とのその後の伸びしろの違いに繋がっていると感じていただけに、宇野はこの頃堀田とそのことでよく議論をしたという。」(梅田明宏著『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五〇年史』 現代書館)

なかなか息子一希との決戦の日が来ない。雨のせいもあるが、運動会とう学校の行事等が重なって、組み合わせが成立しないのだ。そしてとうとう、夏休みがやってくる。強いクラブチームは、その長い休暇を利用して、合宿や全国規模の親善大会に参加する予定を組んでいる。一希の所属する新宿代表チームも、お盆中の一週間ほどかけて、清水市でのサッカー大会に出場する。去年はそういうクラブ事情があちこちで出てきたということが把握されていなかったので、組み合わせ後にそんな新しい流れが出てきたと知ることとなって、組み合わせ日程をやり直すはめになったから、今年は事前アンケートがとられた。そこで、私のいるクラブ内のコーチメールに、以下の日は参加不可能になる、という通知でよろしいですね、という確認メールが新ヘッドコーチからとどく。学校行事、クラブのイベントに重なるからダメ、ということに交じって、中心選手の四名が他のサッカースクールの合宿に参加するため全日本予選日程参加には不可、というものがあった。私は、中心選手だけがチームのメンバーなのではないのだから、試合成立に必要な人数がそろうなら、勝ち負けはともかく、参加するのが原則。しかし、これまでの経験から、夏休み初期の三連休ともなれば家族旅行とうでその人数もそろわない危うさ(試合棄権敗北)があるから、そんな理由で本当に通るのなら、それでもいいでしょう、と返答した。すると、ヤンキーあがりのコーチが、こんな「我見」など聞きたくない、「子供たち」が休むといっているのだから不参加でいいではないか、と応答し、ブラジル帰りのコーチがそのヤンキー・メールに一言も付け加えないで転送してくるという皮肉をきかした仕打ちをしてくる。私は、その二週間ほど前のコーチ会でも、すでに大人の間でも、四十歳前後以下の世代では、「ホーム」という共同主観が崩れているのを確認していたから、またか、との再認識に、怒る気も起きない。一希がクラブを卒業したら、パパコーチの私はコーチとして残るのか? という他のコーチからの問いかけに、「子供がいなくなってから2・3年はつきあう、というのが普通かな、とどこかのクラブのパパコーチが言っていたのを立ち聞きしたんですが、まあそれが、日本人の義理人情ですかね。」と答えた。それに、新宿区の副理事として審判部長を務めている前監督だけが、アハハとこたえた。他のものは? 「いやそんなことないですよ」と、怯えた様子……そこには、それならば自分も子供といっしょにすぐに逃げられないではないか、ということと、重鎮的に睨みを聞かしているような私からまだ解放されないのか、という二重の怯えが読み取れた。ブラジル帰りのコーチは、「もっと代表にいった息子についていってあげたらどうですかね」、ともいう。自分も長男のときにそうしたように。私にとっては、一希がいないあいだ、一希を慕って入部してきた同級生たちを、下手だから、しっかりしていないからという理由で試合にださず(大差になっても)、下級生のほうがうまいから、とバイアスがかかる実践から守ってやる、その一身で留守を守っているのだ。もちろん、一希とともにいなくなっていいのなら、喜んでそうするだけだ。そして、そういう平然とした個人主義が、地域(ホーム)を大切にする欧米や南米の個人と似て非なるものだということを、彼らは知っているのだろうか? あのコーチは、ブラジル社会で、何を見てきたのだろうか? 今でも連絡とりあう友達はいるのだろうか?

もし、地域組織とも学校行事とも所属クラブの事情とも関係ない、プライベートなサッカースクールの(合宿)ために、その地域ボランティア組織が運営するリーグ戦には不参加という理由が平然と通る、ということが容認されるならば、その意味は、論理的にどんな展開を予測させるだろうか? 形式的には、その理由は、子供が家族旅行で休むからその日の試合を組むのはやめにしてくれ、それでOK、ということと同じだ。トレセンでも、休んでよいのは、Jリーグのジュニアユースのテストにいくときだけ、とかに限定、念を押されている。そうしなければ、地域とは関係ない、ブランド力ある海外の著名チームの営むスクール等に子供たちが行って開催している練習が不成立になってしまう危うさがあるからだ。そして、現今は、学校よりも進学塾、という傾向と同じで、サッカーをさせる親たちが、目先の、小学生での上達・勝敗結果を見たいがために、年々そのバイアスは強くなっているだろう。そうした先を突き詰めるとどうなるか? 日本代表になった選手の小学生のときのホームチームはボカ・ジュニアーズ、だけどいまそのクラブは、採算がとれなくなったためにアルゼンチンに帰って日本にはありません、とかになるのだろうか? 著名なクラブやスクールを小学生のときから、プロ選手のように父・母が選んでくれるままに渡り歩いて、自分と最後まで戦ってくれた小学校の仲間はいない、それで、ホームという拠り所もなくして、ワールドカップという土壇場で強く戦える代表選手になれるのだろうか? ブランド力や資本力で地域に大店舗参入し、地元の店は閉じ、採算とれなくなるとよそへゆく、残るはさびれたシャッター街……「学校の勉強なんかできるのはあたりまえでしょ!」と女房は宿題をこなして喜んでいる一希を叱るが、ということは、学校よりも塾のほうが価値があるということを暗黙に訴え教えているということ、似たような勉強を二か所でしなくてはならないのならば、どちらかが余暇的に機能しなくては子供の神経・緊張はもたないだろう、だから、昔は塾のほうが余興だったが、今は学校のほうがそうになって、クラス授業が成り立たず、学級が崩壊しているのだ。目先・足先のうまさ、ドリブル、シザーズ、マルセイユ・ルーレット、ドリル、模試、テスト結果。……

わかって、「子供たちのために」、と言っているのだろうか? ……そんな暗黙には言ってはいけない事、あるいは禁じ手を平然とボランティア組織に提出していられる、そこまで共同主観(以心伝心の伝統意識)が崩壊しているとは。新宿区で組み合わせ日程をエクセルで組んでいる元パパコーチだって、もう引退させてくれ! と悲鳴をあげながらやっている。それは、平然とした個人主義者がシニックに見るように、そういうのが好きな権力志向の大人たちがやっているボランティアなどではない。むしろ暴力(権力)的なのだが、それでも、共同主観的にここまでの線まではいい、子供がやめたらぱっといなくなるのではなく2・3年はつきあわなくちゃ、という暗黙の共通理解があればこそやってやれる自発性なのだ。それを平然と踏みにじってOKとするならば、誰がそんな連中のためにやるか、となるのは当然である。日本サッカー協会の組織といえど、現場はそうした戦国時代の石垣みたいなもので、末端で支えているボランタリーな石が抜けてしまえば、一瞬にしてガラガラと崩れ落ちるだろう。一つの区やブロックが崩れたら、他にも伝染してゆくだろう。

     *****     *****     *****     *****

もちろんEUは、この伝染の現実性がわかっている。だから、ギリシャをうまくおさえこみたい。そしてもちろん、ギリシャ国民も、自分たちの借金なるものが、ドイツ資本を中心に仕組まれた高利貸しのサラ金要領だということを見抜いている。地元の店を、職場を、シャッター街化していったカラクリに自覚的である。だから、ならば、民主主義発祥の本場の力、ほんものの民主主義とはどういうものかおもいしらせてやる、とドイツ資本中心の、民主主義が建前のヨーロッパにし返しているのだ。民意の結果を表にださせたくなかったEUは、とりあえず国民投票妨害には失敗した。……とにかくも、わかっているもの同士の、腹の探り合い、駆引きが、成立している。おもしろいサッカーの試合のように。
で、日本人は、自分たちが国に預けている郵便貯金でも金融商品に気兼ねなく投資し、その采配にも民間資本が参入してもOK、と平然とした個人主義を受け入れている日本人は、わかっているのだろうか? これから陥れられる状況は、ギリシャと似てくるかもしれない。ある意味、それは生き延びるために不可避的なことかもしれない。しかし、根こそぎもっていかれるのではなく、自分たちの生活していけるぶんは親分に貢ぐのではなく、確保しなくてはならない。もちろん、黙っていても、もっていかれるだけだ。しかしそれには、わかっていなくてならない。そうでなくては、試合に、駆引きにもならない。ということを、わかって、「子供たちのために」、とあのコーチたちは言っているのだろうか?

2015年6月9日火曜日

へんな現場

副島 安倍晋三と麻生太郎はやはり難しい漢字が読めない。…(略)…
佐藤 そうすると、ある意味、大衆の代表なのですね。
副島 そうです。だからジョージ・ブッシュは、アメリカ財界人の愛すべき代表でした。財界人ボンクラ三代目たちと気持ちが通じているわけです。創業者と二代目までは知恵と才覚があって会社を大きくしたけど、ボンクラ三代目さんたちはボーッとしている。「ボクちゃんたちバカなの。でも、頑張っているから」という感じですね。
佐藤 日本でいえば、JC(日本青年会議所)の雰囲気ですね。」(副島隆彦×佐藤優『崩れゆく世界』 日本文芸社)

今期4月に入ってから、勤め先の植木屋さんが変だ。いや,なお変な症状をみせはじめた、といおうか。一つの会社のなかに、二つの会社があるようだ。三代目の息子が、まるきり別個に活動している。だから、親方・復帰した団塊世代職人・私、というグループと、息子(と、最近仕事中のケガで半年ほど労災手当を受けていた3年目になる40歳近くになる新人が復帰)グループに分かれている。役所仕事関連で、息子が何か大きなしくじりをして、それを親からとがめられてすねた、同時に、役所への書類手続等は息子が引き受けているから、敢えて手を引いてみせることで、会社(親)に圧力をかけているのかな、と推論しているのだが、本当の事情はわからない。団塊世代職人などは、そうした人聞きの悪いことは想像もしないので、ただ親方の段取り上そうなっているとしか感じず、息子とまるきりいっしょにやることがないことに、ホッとしている。とくに、息子が参入してくるまでは私が担当していた練馬の会社の仕事を、また私が担当することになり、その現場には、親方の知り合いづてからか、派遣の労働者が一名手伝いにくるのだが、その人たちも団塊世代になるだろういわゆる年増の日雇い労働者たちで、ために、年齢の近いこちらの団塊世代職人さんが教育係みたいになってくる。そのやりとりが面白く、職人さんも、「まるで漫才やってるみたいだね!」と自評するくらいで、生き生きとした感じを回復している。もしこの現場が三代目息子の取り仕切る場だったら、「この使えねえ奴!」と、地べたを這いずり回ってゴミ拾いする年増の人間を貶める中傷を平気で怒鳴り散らしているだろう。職人さんは聞くにもたえず、自分のことのように心を痛め、いたたまれなくなるだろう。
親方だったら、とりあえず、面と向かっては、渋い顔をしながらも、何も言わないだろう。怠けて平然としているような人だったならば、その人を替えてもらうか、断る手続きを会社に対してとるだろう。今回の相手会社名は「しんせん組」といい、派遣されてくる者たちは、生活保護をもらって労働している人たちのようだ。現場についた私が、「まだ相手からなんの連絡もこないんですけど」、と電話をかけると、その組の人は、「あいつらは、人種がちがうんだよ。連絡とれなくても、ずっとそこにいるだろう。夜中になっても、いつまでもな」と、口先では笑っているが暗黙にこちらを脅しているような微妙なニュアンスで伝えてくる。まるきりの差別。親方は、そういう世界があることを肌で知っていて、そこが、利益合理的な考えだけで動いているわけでもない、微妙な、グレーなゾーンであることに敏感である。そこの曖昧さが、社会の接着剤になっているようだということにも、意識的であるかもしれない。が、息子には、そうしたニュアンス、複雑さ、難しい事柄が理解できない。想像も及ばない。

先週の土曜日にも、こんなことがあった。私がトリマというエンジンの刈込機で生垣を刈りこんでいると、団塊職人さんが、やめろといいにくる。どうやら通り過がりの近所の人が、騒音の苦情を言いに来たらしい。私としては、真向いの隣人はもう起きて活動しているし、騒音もこの家だけだろうとよみ、朝も8時すぎたから、と機械を使いだしたのだった。玄関先に行ってみると、初老の、それなりに大きな会社の管理職はしていたのだろうという人が、「それはおまえたちの都合で言っているだけだろう。そんな権利は実際にはないんだよ。」と、建設会社に住民自治を盾にして、民主主義を代表するような答弁を、おまえたちバカに諭している、といった風で説いている。「うん、うん。だけど建設屋と植木屋はちがうんですよね」とか、あくまで穏やかな口調で、一歩も親方はゆずらない。このまま言い負かされると、土曜日はこのお宅で仕事ができず、午後になっても機械が使えない、という慣例になりかねない。しかしこの穏やかさ、板についた心棒強さは年の功で、若いころはまだそこまではいっていなかった。「土曜日にはこういう仕事をしないよう、やりくりを考えればいいだろう!」と、まるでこちらを子ども扱いでもするような発言を相手は繰り返す。家族でやっているような小さな会社に、そんな融通がきくような呑気さがあるわけがない。土曜日じゃなければ在宅していない、という家も多い。「すいません! 僕が時間まちがえました!」と、私が顔をだす。するとなぜか、その初老の男のトーンはだんだんと小さくなって、「いやこうして口をきつくしていったのは……」と、弁解じみたことを言い残して引き揚げていった。たぶん、眼鏡をかけたインテリ風の私のような顔がでてきたので、以外だったのだろう。バカに諭す、という感じではなくなってしまった。そしておそらく、親方は、その客の変化に、敏感だったろう。「機械を使うな、と言っただろう」と私を叱らずに、そのまま受け入れる。自分や団塊職人の顔ではだめだが、こいつの顔には自分たちにはない効果がある、社会がある、それは使える、と、再びなように確認しただろう。
息子だったら、「だから使うな、と言ったでしょ!」との非難になるだろう。普段は、機械でやる方が作業能率がいいから、と強要していることも忘れて。従業員は、自分での判断では手刈りの方がよい、とおもっているのだが、そういう強要習慣にかられて機械を選択してしまう、そういう立場があるのだ、ということを想像もできずに。

大塚家具で親子問題が起きたときにも、何か日本や世界の動きにある一つの潮流を象徴しているかもしれないな、と思ったものだ。何を価値とするのか、という問題。その価値の、利益に還元できない微妙さ、ニュアンス。それを実現、保守するための実践的方策、妥協、斬新、改革……事態は、表面的には、どちらの陣営がいいのか、一概にはいえない。内面的な論理で、本当は何を、どんな価値を志向しているかが重要で、それは目にみえない、しかも紆余曲折した複雑な動きをとるだろう。三代目たちの認識に、真面目な正当性があっとしても、その価値が理解できていないならば、とんでもない突っ走りがおきるだろう。親の世代たちが結果的には、見た目には追求していたことを、文字通り受け止めて学んで、それを成立させていた微妙なものを感じ取ることができない。言っていることはもっともでも、どこかおかしく、それを説明するのは難しい。
親方の奥さんが癌になるまえは、朝7時半の仕事開始まえに、みなで事務所でお茶を飲んだものだった。そこにあった価値を、それを感得することのない者に、どうやって説明するのだろう? そんな意味もないような慣習を改革するのはいい、しかしそのことでひきうけなくてはならない微妙なものに気づかないで、単に目に見える現場や金銭的な合理性だけで処理するのなら、その改革は、のちに人間や自然の落とし前をつけさせられることになるのだ。そういう感覚。真の価値は、逆襲してくる。その畏れ在る態度を、もっともな理屈で傲慢に振る舞う青年たちに、どう伝えられるだろうか?

2015年5月19日火曜日

イスラム国の人質(8)――平和の論理


栗田 二〇一三年夏にシリアのダマスカス郊外で化学兵器が使用された疑いが浮上し、フランスをはじめとする諸国が軍事介入を主張した際も、オバマ政権はイギリス議会での否決や国際的な反戦世論の高揚を考慮して逡巡し、最終的にロシアのプーチンの仲介に助けられるかたちで軍事介入を回避しました。日本のマスコミ等では批判的に語られましたが、中東への新たな軍事介入を思いとどまったことは評価に値するとおもいます。」(「罠はどこに仕掛けられたか」西谷修×栗田禎子『現代思想』3月臨時増刊号 青土社)

⇔ ⇔ ⇔

手嶋 ところが明らかにシリアのアサド政権が「レッドライン」を越えたにもかかわらず、オバマ大統領は”伝家の宝刀”に手をかけようとしませんでした。…(略)…それどころか刀に手をかけるそぶりすら見せなかった。この「オバマの不決断」が中東に出口のない混迷をつくりだしてしまったのです。
佐藤 オバマの躊躇をじっと見据えていたのが”ロシアの半沢直樹”でした。プーチン大統領は、同盟関係のあるアサド大統領を説得して、化学兵器を国際機関に申告させることを約束させました。こうすれば、アメリカがシリアを攻撃する大義名分はなくなってしまう。外交の主導権を久々に超大国アメリカから奪って「倍返し」をしたわけです。」(手嶋龍一×佐藤優『賢者の戦略』 新潮新書)

上記二つの引用は、化学兵器を使用したというシリアの情勢に対し、相反する態度を表明している。上のほうは、単純だ。”平和”を願っている、ということだろう。もちろん、後者の識者だって、そうに決まっている。しかし、「だからこそ」、暴力(軍事介入)を導入しなくてはならない、と説く。後者によれば、イスラム国の出現に対しても、その侵攻はナチスと同じであるから、平和主義外交がそれを助長させ二次大戦の参事を招いてしまった歴史教訓を握持して、地上部隊を一気に導入して叩き潰すという戦術の法則をも無視したオバマ政権は、弱腰として批判されるべき態度となる。ナチスであれ、普通の国家であれ、自らが願う平和を獲得するために暴力を選択したのだから、その平和のための暴力という形において、二人の識者の「賢者の戦略」も変わらないだろう。そこに、実質的な、内容としての差異があったとしても、平和と暴力を結びつける論理の形、その矛盾した複雑さが、凡庸的な人にはわかりずらいということでは、同じだろうからである。それどころか、いつもそんな論理で戦争という歴史が繰り返されているようにみえるのだから、いつまでたっても理解できるようになることとは思われないのである。
 佐藤優氏の発言を掲載したネット上の「インテリジェンスの教室」でも、子供にどう説明すればいいのですか、という母親からの質問がある。それに佐藤氏は、テロに対する子供向けの他人の著作を紹介して、それを参考に、自分の頭でそういう世界の複雑さを考えられるようになるといい、という間接的な返答をしている。しかしまた一方で、実はそれは難しい話ではない、とも。

佐藤: これはわからない話ではない。わかりやすい話なんです。自分たちは絶対に正しいと信じることを世界中に強制して、言うことを聞かないヤツは殺す、あるいは奴隷にする。こういうことを考えている人たちだ。そういうような人たちというのは、どの時代にも世の中には少しはいるものなんですが、そういうような人たちに大手を振って歩かせてはいけないということなんですよ。>(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42643

そんな人たちの程度、内容的実質は問わないとして、やはり形だけみれば、まさに官僚要する国家とは、一般的にそのようなものであろう。国民とは、形式的には奴隷である。また冤罪による死刑という殺人がおこることをおもってみても、イスラム国も、普通とされる国家も、そこで変わるのか? 私たちがつまずくのは、そこに実質的な差がある、という複雑さによるのではない。単純な論理からくるのである。佐藤氏は、同じHP上で、広島市長の単純な平和希求の立場に、プーチン・ロシア側の現実的な評価を対置させる論評も行っているが、このいわゆる平和主義者と現実主義者の相違も、凡庸な私たちには理解するのが難しい。私達は、そういうどちらの立場もある、ということは知っている。無知なのではない。が、その相反する両者が、どうして「平和」という、争いのない静かな状態として一義的に明快であろう目的語に決着しるのか、その論理が腑に落ちないのである。

この論理を、解明的に納得できなければ、私たちは、この戦争に反対なのか、賛成なのか、平和を願っていいのか、駄目なのか、私たちが無力なのか、平和ぼけな能天気なのか、それすら自己確認できない。私自身、佐藤に質問した母親のように、わからない。佐藤氏が直接それに応えないのは(ネットの公開部分だけでは伺えないだけか?――)、答えられないからなのか、それとも、自分なりの答えをもっているのだが言うのがはばかられるからなのか?

おそらく私は、はばからずに、こう言いたいのだ。――「イスラム国がナチスだって? いいじゃないか、やらせれば。俺は死んでやる。」

平和とは、そういうもんなのではないか? 私はこう書いて思うのだが、凡庸な庶民は、実はみなそういう態度が心底にあるのではないだろうか? だから、いわゆる現実主義者の論理が、複雑な、不可解なものに感じられてくるのではないだろうか? 私達の平和の論理が明解なのは、私達が単純で平和ぼけなのではなくて、すでに人類が、諦めている、それくらいの争いの歴史、自然史を抱え込んでいて、それが無意識のうちに沈潜している、そこから、発せられるからではないだろうか? だから現実主義者とは、諦めの悪い奴、心の声は無意識的には聞こえているがゆえに、「だからこそ」、とひねくれた理屈を自身の心に向かって訴え自己催眠させないとやっていけない、そんなある意味、不幸な人々なのではないだろうか? 私が、諦めた非暴力を万人に強制させる、そんなイデオロギーとして言葉をだしているということではなくて、すでに、人類史が、その我々が意識できない自然史が、我々をしてすでに諦めの境地に達しさせている……そう、私には思われるのである。

もちろんそれでも、私は女房はなぐるし、子供が殺されたなら銃をかついで参戦するかもしれない。が、私はすでに、生まれるまえから、この世界の複雑な論理にもまれるまえから、平和を知っているし、おそらくはその実現の手だてにも気づいている。が、わかっちゃいるけどやめられない、その自己肯定のために、明解な論理の内側に、ひねくれた屁理屈が挿入されて、無意識と意識がこんがらがる、ゆえに理解できない、という感覚を覚えさせられる、ということではないか?

2015年5月17日日曜日

イスラム国の人質(7)

「ホッブズが自然状態について最初に指摘するのは、人間の平等である。ただし注意が必要である。これは、「人間には平等な権利がある」とか「人間は差別なく等しく扱われねばならない」といった意味で言われているのではない。そうではなくて、「人間など、どれもたいして変わらない」ということだ。
 確かに他の者よりも腕力の強い人間もいる。少し頭のいい奴もいる。しかしホッブズによれば、そうした違いも、数人が集まればなんとかなる程度の違いでしかない。どんなに腕力が強い人間であろうと、数人で立ち向かえば何とかなる。たとえば寝たきりであろうとも、誰かに依頼して、ある人物をやり込めることが可能だ。人間の能力の差異などは相対的なものに過ぎない。いわゆる「どんぐりの背比べ」ということにである。(國分功一郎著『近代政治哲学 自然・主権・行政』 ちくま新書)

<プレイヤーズ・ファースト>と、子供の自発性を重んじるサッカー・コーチのなかには、試合出場の機会も平等に振り分ける人がいる。実際にはそこまでするコーチはほとんどいないが、むしろ一人だけでもいることによって、その<大義>に誰も異議は唱えにくくなるので、その考えがイデオロギーとして現場を支配する。むろんそのコーチは、冒頭引用にあるホッブズ的認識として、人は誰も大差ないのだから、誰を出場させても同じだ、と考えてそう実践しているわけではない。人間(子供)は平等であるべきだ、という理念(やさしさ)によって、そう行おうとするのである。が、低学年ならば、子供たちの間にある差異をとりあえずカッコにいれて、機会均等、形式的平等を実践しても問題はないし、私もそうすべきとおもうが、やる気も含めた能力差が子供たちの目にも歴然としてきそれを自己意識化してくる中・高学年ともなると、ゆえに生じる偽善という観念が芽生えてくる。あいつ練習にもほとんどこないしやる気ないのに、なんで俺と交代して出るんだ? だから負けたじゃないか。なのに、なんでコーチは勝利をめざして一生懸命やれ、などというのか? 本気でそんなこと言っているのか? 嘘なんじゃないのか、と。むろん、そんなことを口にだせる子供たちはいない。だから、<プレイヤーズ・ファースト>という理念が、負け(現実破綻)の口実として、それを実践する者の責任を棚上げし、子供たちには自発性・自主性の強要として、抑圧的に、つまりはやりたいことと事実やってしまっていることとの乖離を発生させて機能するイデイロギーになるのである。

その実践的な可笑しさを、しかし日本サッカー協会側も気付いているのかもしれない。スポーツ雑誌『Number』874号「日本サッカーへの提言」では、元代表監督の岡田氏とJリーグの村井チェアマンが対談しているが、そこで岡田氏が育成レベルで主張される<ボトムアップ>理論を批判している。

岡田 ええ、自由から自由は生まれません。以前高校サッカーで優勝したチームが選手にスタメンを決めさせていると話題になりましたが、その影響で、今は小学生でも自分たちで選手を決めるチームがあると聞きました。でもそれは無理でしょう? 根底に型があるからこそ、それを破る驚くような発想が生まれてくるわけです。>

岡田氏がそのような考えを強くしたのは、今回ワールドカップの優勝国が、ブラジルではなく、ドイツだったからかもしれな。個人の自由闊達な技でフィールドを切り開いていくと言われるブラジルサッカーではなく、型(頻繁に起こる状況に対するマニュアル的対応)の育成段階からの暗記習得というエリート養成で復帰してきたドイツ。バルセロナなどのジュニアユースの育成に体験・参加しはじめている若いコーチの間でも、指摘されてくることは、日本人がまだその対応の例題を知らないということ、長友や内田選手のレベルでも、個人のアイデアで対処しようとして複雑にやりすぎ、ために連携にミスが発生しやすく逆襲されてしまう、というものだ。彼らはおそらく、育成段階で、その時どうするかの基本例題を教わってこなかったのだろう、だからヨーロッパの選手なら絶対やってはいけないプレーを平気でやっている、と。私が受講したD級コーチ・ライセンスでも、子供たちに自由に判断させて、といっても、判断材料がなくてはだめですよね、その判断材料とは、算数の公式みたいなものですよ、と講義されていた。
しかし、岡田氏がなるほど型(公式)の暗記主義、という欧米に追い付き追い越せとやってきた日本で問題となってきた現実に敏感であったとしても、その型を学び型を破る、という発想は、あくまで日本的なような気がする。たとえば、前回チャンピオンズ・リーグの勝利者ドイツのバイエルン、そこを率いたもとバルサ監督のグラウディオラは、サイドバックが縦に走るという公式を破って、斜めに走らせるという新しい公式を打ち立てている。それはすぐに他のチームに模倣されて使われるようになった戦術だから、まさに公式と言ってもいいだろう。歴史の長い囲碁や将棋では、新しい定石を開発するなど至難の業だが、サッカーはなお余地があるのかもしれない。
そしてこんなとき、かつての日本主義者なら、公式違反だ、そんなのありえないぞ、とあわてふためいた、ということなのだろう。二次大戦中、植民地主義という公式を欧米が勝手に変更してこれからは違う、と戦略を変えてきたのに、その公式を一生懸命学んでまねて、今度はそれを、侵略した領地をもとにもどせだと、都合がいい、いやだ! と。グラウディオラは、「型を破る」つもりで、新しい公式を生み出したのだろうか? おそらく、そうではないだろう。単に、ゴールを、真実を追求しただけなのだ。

これは宮台真司氏が指摘してたことだとおもうが、公式は学べても、それを作っている動機は学べない、と。ヨーロッパでだけ、球を蹴って遊ぶという遊戯が変化・進化し、いまのサッカーという球技に発展した。日本の平安時代の蹴鞠をはじめ、アラブ世界でも、世界中で、似たような遊びはあったという。なのに、なんで、ヨーロッパだけが、フィールドの大きさ、そこで戦う人数、手を使うキーパーの発生、人員の配置……いまなお変化しつづけている。私の考えでは、それはおそらく、キリスト教からくるのだろう。この世界を神(ゴッド)が創ったのなら、でたらめにではなく、一つの真実によって創ったはずだ、ならば、その法則を探せ。ゴールに近づく、ゴッドに近づく真実の法則を追求せよ。つまり、サッカーも、技術ではなく、科学だということだ。

戦術の変化・変更だけなら、なおその動機など学べそうにおもえるかもしれない。が、へとへとになる競技で、交代選手が3名しか認めらていない、というのは、ほとんど不合理なようにおもえる。おそらく、人間の限界に達し、それを超えて出てくる神秘的な姿をみたい、ということなのだろう。だとしたら、それはバレエを観賞することにも似ている。そこで、これからは交代選手を2名にする、と本場が言い始めたらどうだろう? あるいは逆に、フィールドの選手は使徒の数と同じ12名とし、交代は1名とする、とか。そうなったら、私たち日本人の反応はどうだろう? え? なんで? それじゃサッカーじゃなくなるんじゃないの? とか。しかし、サッカー自体が、真実を追い求める上でのひとつの見かけ、にすぎないとしたら? 日本人が、ゴールへの気迫が足りない、決定力が弱い、とされるのも、もともとの動機のあるなしにかかわっているのかもしれない。そのゴールを決めたときの、ヨーロッパ選手の感激表現の有様、裸になってかけまわる……もう、われわれには不可解ではないか?

しかし、このキリスト教的な一神教の発想も、その血みどろの歴史から生まれた国際ルール的な公式も、もう一つの一神教との戦いで、その底が抜けそうになっている。前回ブログで引用した池内氏は、イスラム教内部での宗教改革が必要だ、その自発的な解決が達成されないと、新しい世界秩序の安定は難しいと、その内的・思想的要因に重きをおいて主張している。

民主主義という、形式的平等の押しつけはごめんだ。能力差は、格差はあるじゃないか。だから俺を交代させるな、試合にだせ、とやる気のある能力を持った子が主張しはじめたのかもしれない。が、人間に差があったとしても、たいしたことはない……その現実に根差した、ゆえに万人が万人を妬むことができる狼になるというホッブズ的認識が、民主主義という公式を生み出す道筋を導き出したのである。「型を学んで型を破る」という発想は、あくまでその民主主義という枠の中での、バリエーション、実務的な変更程度にすぎないだろう。が、あたらしい公式自体が必要なのだ。偽善を暴く子供たちの真実の声を受け止める包容力ある根幹のルールが。それが、真実追求の科学精神にあくまでもとづいて探究されるなら、もしかして、また同じことの繰り返しなのかもしれない。ならば、なんのために、というその目的、ゴールをゴッドに重ねることなく、万人が追求しえるコンセンサスが、まずは必要、ということなのかもしれない。しかし、その必要性が文化差異を超えて万人に了解されるまでには、もっと血みどろな歴史が経験されなくてはならないのだろうか?

さて、今日はこれから子供たちのサッカーの試合だ。去年まで、どのチームとやっても10対0や20対0で負けつづけてきたチームが、リーグ戦となった今年度の全日本予選では6戦負けなしだ。リーグ優勝をかけて、残り三試合。このままいけば、息子の一希のいる新宿の代表チームとリーグ1位通過をかけた決定戦を行うことになるだろう。親子対決だ。
私が、息子や子供たちに伝えたいのはサッカーじゃない。好きでやっているサッカーをとおして見えてくる、世界のことだ。

*認識的に落とした、詰めきれなかった部分もあるので、イスラム国の人質(8)も予定。

2015年5月16日土曜日

イスラム国の人質(6)――引用文章


イスラム国にまつわるたくさんの出版物のなかから、目ぼしいとおもったものをいくつか読んでみた。池内恵氏の著作が一番説得力があるかな、と思われたので、その著作からの引用をノートし、そこに関連すると思われる、最近出版の他著作の言葉を参照列記した。
次の<イスラム国の人質(7)>>で、そうした引用から考えられることを書いていこうとおもう。

=====     =====     =====

「アジア・アフリカ会議でネルーや周恩来と並んで脚光を浴び、スエズ運河を国有化し、それに続く英・仏・イスラエルの侵攻に立ち向かったナセルには、アメリカでもソ連でもなく、資本主義でも社会主義でもない第三の道を提示してくれるのではないか、という漠然とした期待が寄せられていた。「非同盟」「第三世界との連帯」こそ日本の取るべき道だと考えた知識人も多かった。…(略)…このようなナセルに投影されていた「夢」がその後のナセルの敗北と死によって失われたことは、アラブ世界に思想的な危機状況をもたらした。思想的危機は「分極化」という形で顕著に現れた。言説空間が、一方でラディカルな現体制批判から急進的なマルクス主義へ向かう流れに、他方で宗教信仰への回帰現象や、そこから動員力を汲み取るイスラム主義へと向かう流れに、激しく分裂したのである。「アラブ統一」や「民族社会主義」のもとに一体性を感じることができた時代は終わり、混迷と対立の時代が到来した。」(池内恵著『現代アラブの社会思想――終末論とイスラーム主義』 講談社現代新書)

「人民闘争を謳うイデオロギーがアラブ世界に希望を与え得た期間は短い。それは「人民勢力」とみなされた世界のさまざまな運動と盛衰をともにした。
 まず、パレスチナでの闘争が挫折したことが大きい。一九六七年を画期として独自の活動を始めたパレスチナ解放運動は各国の政権に封じ込められ、活動の場を転々と移すことになった。アラブ諸国もイスラエルも、「人民勢力」を封じ込めるという点では一致していた。アサド政権のシリアも、影響下にある組織が国外で人民闘争を行うことが国益に適う限り支援したものの、自国内から世界革命が始まることを許すはずもない。」(池内・同上)

「現在、このような「アラブ現実主義」が現実の各国の政治を方向づけていることを、どう評価すればよいのだろうか。「アラブ現実主義」は、現政権の安定を最重要視し、国益を最大限追い求める。それが結果的には生活環境の向上や国防・治安といった面での国民の利益に寄与する、と主張する。
 しかし、「アラブ現実主義」は、思想的分極化の根源にある精神的な空白を満たすには至っていない。そして、国民を支配するという局面では現実主義が標榜されるものの、国民が主体となって現実主義の観点から国政に参与する機会はほとんど与えられていない現状は、「アラブ現実主義」を国民から遊離したものにしている。」(池内・同上)
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「近代はさまざまな価値観を相対化してきた。これまで信じられてきたこの価値もあの価値も、どれも実は根拠薄弱であっていくらでも疑い得る、と。
 その果てにどうなったか? 近代はこれまで信じられてきた価値観に代わって、「生命ほど尊いものはない」という原理しか提出できなかった。この原理は正しい。しかし、それはあまりに「正しい」が故にだれも反論できない、そのような原理にすぎない。それは人を奮い立たせない。人を突き動かさない。そのため、国家や民族といった「伝統的」な価値への回帰が魅力をもつようになってしまった。
 だが、それだけではない。人は自分を奮い立たせるもの、自分を突き動かしてくれる力を欲する。なのに、世間で通用している原理にはそんな力はない。だから、突き動かされている人間をうらやましく思うようになる。たとえば、大義のために死ぬことを望む過激派や狂信者たち。人々は彼らを、恐ろしくもうらやましいと思うようになっている。…(略)…だれもそのことを認めはしない。しかし心の底でそのような気持ちに気づいている。
 筆者の知る限りでは、この衝撃的な指摘をまともに受け止めた論者はいない。ジュパンチッチの本は二〇〇〇年に出ている。出版が一年遅れていたら、このままの記述では出版が許されなかったかもしれない。そう、二〇〇一年には例の「テロ事件」があったからだ。」(國分功一郎著『暇と退屈の倫理学 増補新版』 太田出版)

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「実際、その先に自分の死が待っていることを承知の上で死を恐れずにムハンマドの風刺画を掲載し続けた「シャリル・エブド」の人々がなしたのは確かに自殺の試みではあったが、彼らのその自殺は「何もまして美しい振舞い」と呼ぶに値するものとなったか。…(略)…もしフーコーが存命だったならば、彼の関心をより強く引いたのはむしろシェリフとサイードのクアシ兄弟そしてアメディ・クリバリによる自殺の試みのほうでありその失敗だったに違いない。死を覚悟して彼らが実行した行動は風刺雑誌の人々のそれと同様、自殺の試みだったと言えるが、彼らもまた失敗したと言わざるを得ない。ただしその失敗は「シャルリ・エブド」の人々が陥ったのと同種の失敗ではまるでない。そもそもクリバリとクアシ兄弟には「軽率さ」など微塵もない。事務所の場所を厳密に特定できていなかったということを除けば彼らは綿密に計画を立て、また、女性を二名殺害してしまったということを除けば自己制御を以って逸脱なく計画を実行した。事件は彼らの構想通りに実現した。その意味では彼らは自殺に成功した。しかしその成功が失敗でもある、少なくとも失敗と表裏一体のものとしてある。けっして裕福とは言えない環境で育った三人の若者(クアシ兄弟はとりわけ悲惨な境遇で育ったがクリバリもパリ郊外貧困地区の出身である)が、成功が失敗でしかあり得ないことの初めからわかっている「自由な実践」をそれでもなお字義通り「決死の覚悟で」実現しようとしたのであり、だからこそ彼らの振舞いには誰にとっても胸を打つ何かがあるのだ。」(廣瀬純著「我々はいったいどうしたら自殺できるのか。」『現代思想』3月臨時増刊号「シャルリ・エブド襲撃/イスラム国人質事件の衝撃」所収)


「しかし全体としては、イスラーム主義過激派は行き詰まりに直面しているといえよう。現世を超越した宗教的理想を現世の政治秩序において実現しようとするところに、根本的なジレンマがある。権力を掌握した組織もそうでないものも、理想社会の現実形態をまだ示し得ていない。
 ウサマ・ビン・ラーディンの一派に代表される国際的テロリズム組織の台頭は、イスラーム世界の各国内におけるイスラーム主義の行き詰まりを背景としている。エジプトのジハード団やイスラーム集団、アルジェリアのイスラーム救国戦線といった組織の一部は、それぞれの国での闘争で劣勢に立たされ、アフガニスタンやパキスタンを経由してイギリス・オランダや北米に居を移している。これをイスラーム世界の中でも特に強い宗教意識を持つサウジアラビア人の財力が側面から支援する。異教徒であるアメリカ人の支配する国際秩序を拒絶しその破壊を図ることに、イスラーム主義過激派は新たな使命と存在意義を見出そうとしている。」(池内恵著『アラブ政治の今を読む』 中央公論社)


「また、イスラーム主義過激派の信仰に基づいた行動は、極めて大きな犠牲を許容しうる。実行部隊の個々人どころか組織全体が殲滅されることすら、宗教的な観点からは失敗を意味しないからである。神がみずからに絶対の真理を告げたと信じる立場からは、必ず別の者が後に続くと信じられる。状況を変え、後続の者を触発するためであれば、組織全体の消滅すら選択肢に入ってくる。…(略)…これが例えば共産ゲリラであれば、報復によって組織が一網打尽にされてしまうことが予想されるような行動は取り得ないだろう。あくまで闘争を勝ち抜いて現体制を転覆した後にみずからの手で政権を握ってこそ、目的が達せられると考えるからだ。世間の関心を引くために時に自殺的な作戦を遂行することがあっても、組織そのものの消滅は許容し得ない。一方、民主主義であるアメリカの許容しうる犠牲はいうまでもなく少ない。
 このような極端な「非対称性」により、「戦争」は制御不能に陥りかねない。従来の最低限の「戦争のルール」が無効になるだけでなく、戦場において互いの指揮官が交わすコミュニケーションが不全になることから、予想外のエスカレーションが進み得る。」(池内『アラブ政治…』)
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「一月七日にかけてパリで起きた惨劇から「イラクとシャームのイスラーム国」による日本人人質二名の殺害にいたる事態の展開を前にして、いくつもの歴史的、地政学的コンテクストが衝突し、急速に化学変化を起こし、ドラスティックな融合の段階に入ったのではないかという思いを禁じえない。この渦中にいる誰もが自分が何をしているのか分からない、そんな状況が生まれつつあるのではないか。ちょうど一世紀前、第一次世界大戦の渦中にいた人々が、政治家、軍人、民間人の別なく、何のための戦争なのか、自分たちが何をしているのか、もはや不明の暗闇のなかで戦っていたように。」(鵜飼哲著「一月七日以前」『現代思想』3月臨時増刊「シャルリ・エブド襲撃/イスラム国人質事件の衝撃」所収)
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「……本源的生産要素の商品化の限界は、単純な物理的限界ではなく、歴史性・地理性を帯びている。言い換えれば、労働の背後にある人間の定義、土地の背後にある自然の定義、貨幣の背後にある聖性の定義のいずれもが歴史的・社会的に構築されている社会――「大転換」において市場は、その網の目にともかくも接合されなければならないわけであるが――の底は抜けてしまうことがありうるということこそ、私たちは恐れるべきなのである。」「近代に入り近世帝国が解体するとともに、人間、自然、聖性の定義がゆらぎ始め、その流動化は現在、臨界点に達しつつある。それが世界の<帝国>化の条件を構成しているということだ。」(山下範久著『現代帝国論 人類史の中のグローバリゼーション』 日本放送出版会)


「アラブ諸国の問題の根源は、単なる経済発展の後れというよりは、社会システムのあり方や、その改善に欠かせない良好なガヴァナンスの不在といった問題に関わっているという指摘である。この報告書は具体的に、「人権と政治参加などの自由」が制限され、その中でも特に「女性の権利獲得と社会参加」に立ち遅れていること、そして「教育と研究活動の不活発と不全」が著しく、「知」を獲得して利用する条件の整備において不備を抱えている、といった点を、アラブ諸国が人間開発の観点から低位にランクされている原因として特定している。この報告書の作成はUNDPアラブ地域局に参集したアラブ知識人によってなされたものであり、内部からの改革に向けた貴重な試みとして注目すべきだろう。…(略)…経済的には「中進国」の位置を占めるアラブ諸国の問題は、今現在「食べられない」ということではなく、生まれ育った社会において将来に希望を描けない状況にあるのではないだろうか。逆に、現在はより低い所得水準に置かれた国であっても、将来の発展を思い描くことさえできれば、はるかに心やすらかに暮らすことができるだろう。アラブ世界の問題とは、社会システムの硬直化に悩み、将来の凋落を予期する下位の中進国が抱える問題ということになるのではないだろうか。」(池内・同上)
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西谷  …私と二〇年来の付き合いがある知識人にフェティ・ベンスラマがいます。彼は「イスラームとは自分にとってお茶を飲むようなものだ」とかねてから言っていました。人々の生活習慣の基本的なベースとしてイスラームがあり、そのベースを捨てることはできない。それはある教義を選択し信じているというのとは違います。その彼は、今回の事件を受けて、イスラームがグローバル化する世界のなかで、人権や表現の自由といった価値観と連動するようにいかに改革しうるかを、イスラーム世界の宗教指導者に対して問うています。古いテクストに固執するのではなく、そのテクストを今の世界に適合的に解釈していく努力の必要性を語っています。イスラームの名のもとでテロが行われていることは、イスラーム社会の責任でもあるということです。これは西洋化を求めているのではなく、イスラーム内部に自己改革の可能性を見出そうという視点です。」(西谷修×栗田禎子「罠はどこに仕掛けられたか」『現代思想』前掲書)


「単純に、近年の社会意識や思想史の進展の中で、アラブ世界がテロリストを輩出してしまっていること、イスラーム教の教義の特定の解釈の進展によって、テロを助長し正当化する形の理論が形成されていること、それがアラブ世界において一定の信奉者を持ち、それを黙認する一定の人口が存在し、表立って反論できない世論が形成されているという事実を指摘しているだけである。アラブ世界に固有の理念やイデオロギーの展開がいかにしてテロを正当化するに至ったか、それを理解し克服することが、すなわちテロの「種」をなくすための作業である。…(略)…貧困がテロと関係があるとすれば、それは、できてしまった「種」を育てる「苗床」を提供したことにある。アル=カーイダに拠点を提供したアフガニスタンやソマリアは、まさに貧困が蔓延している地域である。…(略)…そしてテロが花を咲かせる「畑」とは、グローバル化した世界全域にほかならない。国際テロリズムはグローバル化に反対するどころか、グローバル化に乗じて資金を活用し、グローバル化によって提供される情報伝達や移動の手段を縦横に駆使してテロを実行する。アル=カーイダのような司令部のレベルでも、末端の実行犯のレベルでも、グローバル化に反対するなどという思想の形成やその表明はなされていない。何よりも重視されているのは、宗教的な規範理念に基づいた価値的・軍事的優位性の回復の希求であり、欧米や日本の反グローバル化論者がみずからの願望を投影して期待するような問題意識をそこに見出すことは困難である。」(池内・同上)

「戦闘員らは、金銭的な代償よりも、崇高なジハードの目的のために一身を犠牲にするつもりで、あるいはそのような高次の目的に関与することに魅力を感じて渡航している、という基本を押さえておく必要がある。少なくとも主観の上では、傭兵ではなく志願兵に近い。志願する目的の普遍的価値や手段の妥当性が、他者から見て承認し得ないものだとしても。そのような個々人の主観や個々人を包む集団の共同主観が前提にあることを認識しなければ、「イスラーム国」のような現象が生じてくる原因を探り、その解消のための適切な方策を考えることはできない。」(池内恵著『イスラーム国の衝撃』 文春新書)

2015年4月11日土曜日

少年サッカーの少子化問題

明日から、全日本少年サッカー大会の地区予選がはじまる。本年度から、サッカー協会の指導により、トーナメント方式から、リーグ戦方式にかわる。その趣旨は、できるだけ多くの子どもたちに試合経験をもたせることと、一試合ごとの内容を受けた修正意識(フィードバック)をもって、一発勝負の発想ではなく、持続的な戦いの考え方を育てていく、というもののようだ。この趣旨には私も賛成だ。日本サッカー協会の人たちは、サッカーの分野での世界標準ということだけを視野に、その理念の実現に一歩でも近づこうと制度変更を考えたのかもしれない。が、もっと大きく、文化的な視野で考えてみても、島国日本では、サッカーに伺えるその大陸的な論理、他者と陸続きに接した世界での付き合い方を、子供のときから教え意識づけてやる必要があるとおもう。

日本では、人生自体が一発勝負的、トーナメント方式だろう。受験に失敗したら、もうそれだけで人生は暗く失敗したようなプレッシャーを暗黙に、つまりは習慣的に受ける。この発想の最たるものが、特攻隊という作戦だろう。死ぬまで戦え、生きて俘虜のはずかしめを受けず、とかなんとか。いまの子供たちも、戦争になったらそれが当たり前、とおもっているかもしれない。が、ヨーロッパでの戦争倫理はそうではないそうだ。まずは死ぬことを前提とした作戦は、軍事プロのたてるものではない、と拒否される。たとえ少なくとも、確率的に生き伸びる道筋を示していなかったら、それは作戦ではないと。また一般の兵士も、まわりの仲間たちの70%が死んでしまったならば、戦いを放棄して投降していい。それが、慣習的であったと。むろん、捕虜への待遇も、国際法的に明記されている。(註*)

そこで子供たちに、「あなた(がた)は、どちらの社会に住みたいですか?」「中学の受験に失敗して、それで君たちの人生は終わりになりますか? 日本は戦争に負けることで、それで終わってしまいましたか? どちらの社会が本当のようにおもいますか?」

といっても、少年サッカーのリーグ戦への変更問題、私は当初、ただそれをJリーグにならって文字通り実行に移すのなら、逆にリーグ戦への趣旨に逆行してしまうのではないか、と危惧していた。私の所属するチームの第七ブロック(新宿・渋谷・目黒・文京・千代田地区)では、約40チームを実力差から三つにわけたのだが(J1からJ3のように)、強いチームは強い者同士で戦い続けることを強いられるので、コーチは負けられないと固定的な先発メンバーを使い続ける傾向がつよまるのでないか、と。しかし最近とどいた予定表をみると、ちょっと複雑なアイデアでその矛盾が揚棄されている。最終的には実力的にA・B・C・Dと4つに分けたリーグ戦のあとで、シード権をもつA1位とB、C・Dの各最下位チームのミニ・トーナメント方式をいれ、そこでの優勝者がまた優勝者どうしの決勝リーグ戦をおこうなうというのだ。都大会代表を決める決勝リーグは、結局はAリーグに選ばれたチーム同志がまた戦うことになるのではないか、という矛盾点も発生するが、上のアイデアだと、コーチはもっと余裕をもって選手起用、チーム作りをできるだろう。「こりゃ東大出の官僚あがりが考えた答案みたいだな。」そうおもいながらも、私は感心した。

が、今度は、そのコーチ体制が問題なのだった。ベンチには、最低3名のコーチが入らなければならず、しかも、サッカー協会が開催するコーチのライセンスを取得したものでなければならない、というのが、3年後くらいを目途にした方針だというのである。私も急きょ、先月、D級のコーチライセンスというのを、チームから2万円ばかりの受講料を払ってもらって取得した。サッカーは各学年別に大会があり、それも重なる時があるのだから、そんなコーチ数を抱えこむことができるチームには限りがある。緊急パパコーチというチームも多いだろう。私が所属するチームでも、今大会をめぐって、子供の人数が増えたので、今回は他チームとの合併でのぞむのではなく、自チームのみで参加しようと意欲していたのに、コーチが、大人の数が足りない! しかも3年後には、みながライセンスを取得していなくてはならない……。おそらく、この協会側の趣旨は、子供へのモンスターペアレント(パパ)の排除と、日本代表へとつなぐ、育成方針の統一化、ということだろう。D級講義でも、どのチームの指導もベクトルをできるだけ同じくすることで、成長の伸びしろをあげていく、と算数的な図が提示されていた。当初、大人が三名ベンチにはいるとは、負傷した子供の対応ということだったが、それがそのまま、指導員ということに拡大されている。これから、子供の数は少なくなる。一緒に参加してくるパパコーチも少なくなってくるだろう。私の所属チームも、もう数年したら、自分の息子・娘がいないパパコーチだけになってき、子供のメンバー自体が試合成立にたりなくなってくるので、合併するのか、続けるのか、考えておく段階に入っている。

自分の息子も少年チームを卒業し、各チーム自体が少子化になる。それでも、サッカー・チームを続ける意味とはなんだろうか? そのすそ野において、維持しようというモチベーションは、なんだろうか?

もちろん、第一は、サッカーが好きだ、楽しい、サッカーをやってきたもの、みてきたものの情熱だろう。それで、ここまでになってきたのだ。こんどのハリル・ジャパンが、ロシア・ワールドカップへむけて、図らずもな期待感を抱かせているが、将来的な体制は厳しいのは目に見えている。底上げ、追い上げ激しいアジアでもそうは勝てなくなり、そうなれば、サッカーに興味を抱く子供たちの数も減るだろう。ならば、好き嫌いという趣味的判断だけではなく、それが必要なのかどうか、在ることにどんな意義があるのか、サッカーをする意味は何か、と論理的に詰めて判断準備しておく必要がでてくる。それは、サッカーを知らない、無関心な他者(たち)を説得する準備であり、他者(たち)と共存することを受け入れた倫理の前提だろうし、そのことこそ、サッカーを通して子供たちに伝えたいことのひとつ、論理力、論理ということの必要性、世界標準、ということではないか?

註*  しかし捕虜への待遇は、国家間での保障に集約されていったもので、ゲリラやテロリストには考慮されない。だから昨今の国家間とはえいない戦争においては、双方とも国際法的に慣習化されたルールを守らない。またそれに従って投降し捕虜になっても、むしろ殺されてしまうほうが慣例化されているかもしれない。もし本当にそうなったら、何が世界基準なのか、ルールなのか、子供にも教えられなくなるだろう。そしてそういうことが、本当に今の世界戦争のなかで起き始めているのかもしれないのである。もう少しその辺を意識化できたら、「イスラム国の人質(6)」と題して書いてみるかもしれない。

2015年3月21日土曜日

イスラム国の人質(5)――『相棒』最終回を読む、その構造と偏差

「相棒」撮影中……私もエキス
トラになっていた、木の上で。
 とはいえ、民芸的なものによる世界の安定というモリス的なビジョンもあまり信じられません。それは「ゼロ年代批評」の言葉にも置き換えれば、アニメやマンガがあれば鬱屈も溜まらない、テロは起きないというような話に聞こえます。実際にそういうことを言っているひともいる。…(略)…自分で作品を作って自分で消費して小さく楽しむ。それはそれでいいんだけど、それだけでは満足できない人間は絶対に出てくる。
 中沢 それはこの三人ともそうですよ。浅田さんもウィリアム・モリスといっているけど、あの生活が周りを覆ったらいやになるでしょう。
 浅田 実際は確かにその通りなんだけど、とりあえず今日の話の路線にこだわっておけば、「死の欲動」や「死に至る悦」の激発を避け、欲望をいかに迂回させ多様化させ長引かせるかという倒錯的な快の技法があるわけですよ。たとえばフーコーは、ラカンの言う「サドとカント」(絶対的な悪と絶対的な善の背中合わせ)のような「死の欲動」と「崇高」に近いところから出発しながら、古代ギリシアとアメリカ西海岸のゲイ・カルチャーを経由することで、そういう別種の「快」と「美」の、また別種の社会関係の発明に向かおうとしたんだと思いますよ。
  サディズムとマゾヒズムの問題はまさに美と崇高の問題ですね。最後に別の補助線を引くとすれば、やはりフロイトの「不気味なもの」に触れるべきだと思います。「不気味なもの」は美にも崇高にも近いものでありながら、そのどちらでもない。>(『新潮』2015.4 特別鼎談「浅田彰 中沢新一 東浩紀 現代思想の使命」)

テレビ朝日の『相棒』最終回というのを、息子の録画で昨夜みた。正義感気取りの傷害事件犯人「ダーク・ナイト」が、相棒の刑事だった、というストーリー。前半はいかにもなストーリーで、これまでの作品とは違い緊張感なくつまらんな、とおもっていたが、模倣犯の男が「俺が本物だ」と主張しはじめるその仕方が繰り返されるうちに、私は面白く感じ始めた。「張り子のトラもトラ」とかいう毛沢東の言葉や、ボードリヤールのシミュラークルとかいう概念が脳裏によぎりはじめる。そして、これはイスラム国のテロリズムを意識して書き換えられて出来上がっていったものなのではないかな、という気がした。

湯川氏や後藤氏に手を下した覆面男「聖戦士ジョン」は、モハメド・エムワジというイギリス人の男であるといわれている。田中宇氏のニュース解析によれば、もともとはテロとは無縁な人だったが、そう疑われてたびたび拘束されることに心境が硬化し、イスラム国へのメンバーに本当になってしまったようだと。しかも、イギリス当局等はその渡航を承知し、わざとテロリストに仕立てあげているのだと。彼(ら)がテロに関与し、計画し、その実行を防ぐも、敢えてやらせるのも、その時の都合次第なのだと。世界の支配体制側は、そうでもやって、自らに都合のいい状況を作ろうとしているのだと。……そうだとして、そうやって体制側にテロに仕立てられた(模倣させられた)モハメド・エムワジは、本当に、オリジナルな、真実の、「聖戦士ジョン」なのだろうか? 権力側が、自らの体制側の者を、杉下右京という正義・原理主義者の「相棒」にすることによって、彼を「ダーク・ナイト」に仕立て、その犯罪が行き過ぎたときに逮捕し、そのことによって、つまり右京の管理者責任を問うことによって、もはやお役目ごめんと警視庁から追い出す、そうしたカラクリのなかで、「ダーク・ナイト」は、「聖戦士ジョン」は、自発性というオリジンを抱え込んでいるといえるのか? 本当のテロリストといえるのか? しかし、偽物ともいえるのか? これは、核爆弾をもっていなくとも「持っている」と言い続ければ、「持っている」と同じ効果があるのだと考えた毛沢東の思想戦略ではないし、ボードリヤールの記号論的解釈にも余りあるだろう。本当は持っていない(偽物な)のだが、自らは知らないあいだに何ものかに(?)「持たされて」、本当に持ってしまった、テロリストになってしまった……というのが実情だとしたら、彼らの内面は、そう強固なものではなく、虚ろであろう。もちろん、これは個人の問題というだけではなく、たとえば、「持ってない」のに「持っている」とされて攻撃された旧イラクのフセイン体制や、そうなってはいかんと、いつのまにか「持って」しまっているだろう北朝鮮のような国家にも当てはまる事情かもしれない。そしてイスラム国は、アルカイダの後釜として、なお利用価値ありとテロを許されている、ということなのかもしれないのである。もちろん最後的に、体制側の意図した通りに結末するのかは怪しいが。――ともかく、個人の話にもどれば、「何ものか」によって「持たされた」と私が言う時、その何ものか、とは、大きくは権力や体制的な世の中、であるといっても、直接的には、たとえば「ダーク・ナイト」なら友人の死ということ、「聖戦士ジョン」なら移民であることによる日常的な軋轢等が色々あったかもしれない、その動機は、複雑でその人の謎、ということになるだろう。

しかし私が、今回の『相棒』を見てこのブログを書きとめておきたくなったのは、そんなストーリ転回から読み取れることではなく、11歳の息子がそのテレビを見たあとでいったこんな言葉に衝撃にも似ている違和感を覚えたからだ。「ママは人ぶんなぐったことある?」……おそらく、「ダーク・ナイト」の殴る蹴るの暴行(それは相手が死ぬまではやらないプロ的なやり口なのだが)、被害者の血まみれの顔、崩れ倒れた身体、そうしたものを見たからだろう。私も、これまでの『相棒』にはなかった、ずいぶんどぎつい映像の反復であり、カットであるな、と差異を感じていた。この差異の感得が、なおさらイスラム国での人質事件からの影響を連想させたのだが。……、つまり、テレビのストーリの中だけでなく、この本当の世界にも、子供にも、こうやって、まさに紛れもなく今の内側の構造が外へと折り広げられて、子供は、そのとき、テレビを超えた、外を感じ取る……子供の自分にはまだよくわからないが、なにか本当のものがあるらしいな、と。現代思想的にいえば、息子は、このテレビドラマから、「リアルなもの」に触れたのだ。もちろん、もし息子が、川崎国での18歳のテロ模倣や、人を殺すまえに学校で飼育していた山羊の首をカッターで切ってみたという少年たちのように、そんな事件を仕出かしたなら、それは構造的には模倣反復したにすぎない。テレビとうメディアの悪影響という話にしかならない。イスラム国のテロ映像自体が、ハリウッドの模倣、影響であり、後藤さんの映像も、テレビや映画の撮影のように、何度も撮り直しカットし、いい画像のものだけで編集したものだとは、そこからの脱走者が発言している。が、そこには、まずこれまでとの差異があるのだ。この最終回の『相棒』は、これまでとは違うのである。イスラム国の衝撃も、どこか違うところがあるからなのだ。その影響を受けて犯した動機のうちには、感性には、構造として制度・習慣化されてはいない、彼らがリアルなものに触れたときに発生しただろう「偏差」が孕まれてしまっているのだ。つまりその偽物(模倣)の内側には、つまりは内(テレビ)から拡張された外(偽物)となって現象した内(面)には、まだ我々には理解できない本当の「外」が懐胎されているのではないか、と。子供の発言の無邪気な抑揚は、不気味ですらある。もし、すでに寝床に入っていた私がそう質問されたなら、「あるよ、ママ」と、女房しかなぐったことがないと答えただろうか? 女房は、子供の質問に答えようもなくおどおどとはぐらかしていたが。

さて、冒頭引用の鼎談は、後藤さんがなお人質中になされたものであるらしい。私は、最近の、というか、NAM以降の浅田氏の言動をほぼ知らないので、氏が何を言うのかな、と興味を持ち、図書館で借りて読んだのだった。相変わらず「イロニック」な、斜に構えたようなスタンスだな、と感じたが、それも、あの9.11のテロ以降、構造的反復性しかないような、縮小再生産的な事態が展開していたといえるのだから、当然かな、ともいえる。ニューアカやその上の年代の日本インテリたちは、ソ連の崩壊時に露呈してきて見えてしまったものは、すでに発言指摘していたのだから、それが衆目にもはっきりしてきたからといって、興ざめるだけだろう。「とりあえず今日の話の路線にこだわっておけば」、と幾度なく自身のスタンスを表明するのではなく限定してみせる浅田氏の態度は、理性的ともいえるし、ずるいともいえる。「とりあえず」オタク(ウィリアム・モリス)でいいというのなら、それは飛行機オタクの美的追求をいったんは明瞭に肯定してみせる宮崎駿氏の『風立ちぬ』の立場を「とりあえず」認める、ということになろう。むろん浅田氏は、それだけではすまない、と知っているのだが、文脈上、ではどうするのか、したいのかは言わないのである。が、そうした振り分けは、頭の中だけでできるのであって、いま私が生きている実践では、混然とする。そこに、暗中模索、真の思考があると私は思うのだが、その混然さを提供できない、ということは、本当はその人が考えていないか、表明するのが怖いのだろう。端から何言われるかもわからんし。私の思想的立場ではなく、考える立場は、東氏に近いものである。

整理すれば、3.11は、なお目覚めていなかった日本大衆には衝撃だったとしても、それは世界を変化させようとした出来事ではなかった。(と原発事故も含めたその災害当初に、私は言っていた。)9.11は、表向きの冷戦構造化で隠されていた、より下部的に動力的な構造――それ自体はソ連の崩壊によって露呈してきた――が在る、という感触を周知にさせるきっかけだった。そしてその後、それが本当だ、世界を、というよりも、資本主義世界を動かしている、表向きの政治以上の、得たいの知れない怪物的な経済的構造があって、それが世界政治や社会の細部までをも振り回してるようだ、と衆目させる構造因的事象が反復された。しかしこの誰もが認めたがらなくてもいつの間にか認めるよう仕立てられてしまう模造的反復の最中で、ささいな、本当に個人心因的かもしれない偏差が導入されてしまったのだ。しかも、あちこちの亀裂として。現在のイスラム国の精神的指導者とされる者も、アルカイダのビン・ラディンのような自発的な首謀者というよりは、イラク戦争時に無暗にひっとらえられて受けた屈辱から、本当のテロリズムに転向していった者たちだとされる。彼(ら)は、仲間(友人)を想う気持ちから、いつのまにかそうなってしまったのかもしれない。杉下右京は、そんな「相棒」に「バカ!」と怒鳴る、叱りつける。しかし構造(体制)を突き破るまでの暴力を育んでしまったのは、この正義の激情=劇場なのだ。右京が管理責任を問われたように、20世紀世界を支配したアメリカ帝国とその追随者たちは、アルカイダやイスラム国のテロリストたちを育てた管理責任を問われるだろうか?

*実際、アルカイダ(杉下右京)は、過激に走る前イスラム国(相棒)をたしなめたので、そこから内ゲバ的な分裂が発生したのだとも言われている。

杉下右京は、「とりあえず」、去った。ということは? つまり、帰ってくるとしたら、その原理主義者の原理性は、どのように帰ってくるのか? そのとき、我々の知性は、その過去の回帰を、構造的に読み解く素材と知恵を持っているだろうか? 私は先のブログで、この混沌を生む偏差を「古代史」とたとえたのかもしれない。その古代の謎を、読み解けるだろうか? 息子の無邪気な言葉を、不気味さを超えて理解する認識作法を、心得ているだろうか? それがない、まだ持てていない、認識力がない、とは、混沌の苦しみをそのままで味わい尽くさねばならない、ということである。マルクスは言っていたはずだ、知性にできることは、生みの苦しみをやわらげることだけである、と。

私は今、自分の息子が、本当にはどのように生まれてくるのか、おびえはじめている。

2015年3月10日火曜日

イスラム国の人質(4)――「川崎国」での中学生惨殺事件に寄せて

「私は、国体なるものの本質とその戦後における展開の軌道を見通し得たと信じる。問題は、それを内側からわれわれが破壊することができるのか、それとも外的な力によって強制的に壊される羽目に陥るのか、というところに窮まる。前者に失敗すれば、後者の道が強制されることになるだろう。それがいかなる不幸を具体的に意味するのか、福島原発事故を経験することによって、少なくとも部分的にはわれわれは知った。してみれば、われわれは前者の道をとるほかない。その定義上絶対的に変化を拒むものである国体に手を付けることなど、到底不可能に思われるかもしれない。しかしながら、それは真に永久不変のものなどではない。というのも、すでに見たように、「永遠に変えられないもの」の歴史的起源は明らかにされているからである。それはとどのつまり、伊藤博文らによる発明品(無論それは高度に精密な機械である)であるにすぎない。三・一一以降のわれわれが、「各人が自らの命をかけても護るべきもの」を真に見出し、それを合理的な思考によって裏づけられた確信へと高めることをやり遂げるならば、あの怪物的機械は止まる。なぜならそれは、われわれの知的および倫理的な怠惰を燃料としているのだから。」(白井聡著『永続敗戦論』 太田出版)

中学1年の少年が犠牲となった、川崎市での事件は、私には衝撃だった。その子が、息子の一希のように思えたからだ。新聞に張り付けられたその笑顔写真とともに、誰からも好かれた人気者で、その感性は島根県の小島の村落自然のなかで、村人の爺さん・婆さんたちから可愛がられて育まれたものだろうとの記事を読んで。一希はむろん住んでいるのは東京の大都会の真っただ中だか、父親は雨天中止の植木職人で、かつての長屋アパートの隣人だった爺さん・婆さんに今でも可愛がられて、週に三度はそちらのお宅で夕食を食べてくる。そうして育った天真爛漫的な子が、都会の人間関係に傷ついてくる……そして、その原因を作ったのが、脱サラした父親なのだ。その子の父親は、漁師になろうと川崎から島根県の小島へと渡ったのだった。この第一歩の問題を、問題としてとらえて記事にする論考を私は知らないが、資本社会に雁字搦めにされて擦れてくる人間関係、無駄に廃れて疲労していく自分を刷新しようと、自然により近い農業を中心とした営みに転身していく人たちは他にもたくさんいただろう、そして特には、ある知的方面によって、その思想的意義を説いて推奨していなかっただろうか?

私は、この事件の最初の記事を読んで、まずは上のように、犠牲者の父親との関係のことを思ったのだった。それから、この事件の有様を新聞とうで追ううちに、自分が当初想像した以上の深刻さを湛えているのではないかと思うようになった。ゲームセンターで知り合った不良グループが、イスラム国をまねて「川崎国」と自称していたこと、東南アジア系の移民の子が多かったので、「ハーフ軍団」と呼ばれていたこと、その殺し方も、カッターナイフで首を斬首する気配があったこと……しかし私に書く衝動を引き起こしたのは、これらなお真偽定かではない社会学的表象ではない。私はふと、首を切られた上村少年が、そうなると知っていたがゆえに、むしろ自ら殺されに出向いたのではないか、と気づいたからだ。

彼は、同じ中学へ通ういわゆる「普通」の少年たちとも仲がよかった。事件の引き金は、この普通の仲間たちが、おそらくは勇気をだして、殺人にいたってしまうことになる不良グループのリーダーの家へ、友をいじめるな、と抗議しにいったことだとされる。不良グループとはちがう他のコミュニケーションツール(ライン)に入って「ちくって」いたことを知った18歳のリーダーは、そこで制裁を考えるようになったようだ。上村少年は、「殺されるかも」ともらしていたそうである。しかしにもかかわらず、なんで、逃げなかったのだろう? 自分を応援してくれる「普通」の友人たちに付き合いを限定していく、そういう振る舞いや駆引きはできなかったのだろうか? 事態が深刻になる以前に、どうして一方と手を切り、普通にならなかったのだろうか? 私はそこで、彼の自然な感性をおもったのだ。彼が、相反する二つのグループとの交流をつづけたのは、「平和」を願ったからではないだろうか? なんで、同じ人間なのに、お互いが反目しあうのか? なんで、あっちの人が好きで、こっちが嫌いと分かれるのか? 人種や、自分のような貧乏で片親のような境遇がそれを生むのだろうか? 僕は、みんなと仲良くしたい。それは、できないのだろうか?

私のそのような想像は、当然のように、後藤さんの姿を呼び起した。少年の父は、後藤さんのように脱サラして、真の人間関係を求めた。その子も、偽りのない、区別のない平和な関係を求めて、覚悟して、自分を殺すかもしれないグループの所へと出向いたのだ。……

一希は、どうなるだろう? 区の代表サッカーチームに入った息子は、その新しい人間関係を、悩みながら構築しはじめている。その素材のなかには、自分の自然的な感性とすでに都会ずれしている者たちとの思考の違い、アパートに住んでいるか持ち家か、父親の職業や収入、どれくらいDSをもっているか、携帯電話は?……とう、いろいろ混入してくる。その混在のなかで、お笑いスタンスでごまかし、道化的な立場をとっているようだ。むろんこのポジションは、上村くんのように、トリックスターの位置、どっちつかずのイエス的両義性、ゆえにいかがわしいと生贄の子羊にされやすい構造化にある。
そして2年後、3・11の地震でヒビの入った11階だての築40年以上はなるこの団地は、団地住民の町会上は、建て替えが決まって、立ち退きをせまられることになる。実の祖父・祖母だけでなく、昵懇の爺・婆も、もう亡くなるかもしれない。サラリーマンよりずっと両親と同じ部屋にいることが多かった息子、それゆえに、人間的感情の豊かさとその起伏も人より大きく育った一希は、自分の願望を、自然的な感性を、どのように折り畳んで成長していくだろうか?

イスラム国の人質(3)で、10年前騒がれた「自己責任」風潮とはちがう、それを変えていかせようとするイデイロオギー的転換が権力側によって企まれているのではないか、と私は推論したが、それを冒頭引用した白井氏が自身のブログでより正鵠に分析記述してくれている。とはいえ、私は、氏が分析する戦後の「国体」の有様については賛同できるが、それが明治政府によって意図どおり創作されたものとすること、またその近代的起源から、個人の「命をかけても護るべきもの」への発見へと至る論理には、なお疑問である。後藤さんや上村くんは、「命をかけて」願ったのかもしれない。が、その個人の平和希求と、国体的な位相は、論理文脈としてつながらないとおもうからだ。実践的には、国家には、やはりそれに準ずる集団的なものでなければ、論理としても、対置できないとおもう。出自がちがうのだ。つまり、伊藤博文を中心とした明治インテリの創作で、国体が成ったのだとは、私は考えない。

2015年3月2日月曜日

宮崎駿『風立ちぬ』を録画鑑賞――日本技術史の反復と転向(引退)


テレビで初放映されたジブリのアニメ映画、『風立ちぬ』を、昨日ようやく録画でみた。息子の一希は、5分でみるのをやめてしまったようだったのだが、それがなぜなのか、自身でみて合点した。とても小学生の子供には難しいだろう、と。中学生くらいならば、そのロマンチックな一主題に感応して見られるかもしれない。そしてネットでちょこっと映画の感想を検索してみるかぎりは、その範疇でのものがほとんどのようである。私が読んだ感想で「なるほどそうだな」と感心させられた推論は、飛行機の実験に失敗した主人公が、軽井沢と思しきホテルでであうカストルプというトーマス・マンの『魔の山』の主人公と同名の男は、「ゾルゲ」だったろう、というものだ。そしてその指摘は、私の感想、この作品はあきらかに、3.11の地震と原発事故に追いやられて構想させられている、という感じを後押しした。主題的に言えば、自然と、それを主体的に制御すべく人間の技術への姿勢、思想的考察や立場への葛藤、ということだ。そしておそらく、作者の宮崎氏は、図らずも、まさに映画中の時代にしてあったこの問題を、3.11によって受動的に、パッシブに動かされることにより、反復してしまった、またそれゆえの自覚により、引退という結論に至ってしまったのではないか? いわば、日本思想史上にみられた科学・技術者の転向という現実を、自身の内的論理として繰り返し犯してしまった、という責め苦?

日本の科学・技術の思想面を担う人物群が、ノーベル賞をとった湯川秀樹の弟子たちで、彼らがマルクス主義、左翼思想に傾倒していった者たちだったという指摘は、たとえば、最近のネット上では、副島隆彦氏の学問道場でも取り上げられている。が、より緻密にその思想史を考察している著作とは、スガ秀実氏の『反原発の思想史』である。
ジブリの『風立ちぬ』に関わるだろう部分を、物語仕立てになるよう引用列記してみる。

=====以下引用(すが秀実著「武谷三男の技術論と新左翼」『反原発の思想史』 筑摩選書)

「一種の科学主義に基盤を置く社会党・共産党はもとより、社共を批判して登場した日本の新左翼の理論にも、原子力の平和利用といったパラダイムをこえられない限界が、当初からあった。それは、初期新左翼の理論が、先行する戦後主体性論/技術論の摂取という問題系から出発したことに規定されている。」

「新左翼の創設にもっとも影響を与えた理論家の一人であり、革マル派の最高指導者となった黒田寛一の、きわめて晦渋な最初期の代表作『ヘーゲルとマルクス』(一九五二年)は、「技術論と史的唯物論・序説」と副題されているとおり、武谷三男の「技術論」と、特異な主体的マルクス主義者として知られる梯明秀の「物質哲学」との「統一的把握」を問題としたものである。」「『ヘーゲルとマルクス』には、「本書を/戦争の犠牲者たちに/そして いま/ふたたび 戦争を 肯んじない人たちに/――捧ぐ」というエピグラフが掲げられ、本文には、武谷三男の戦時下を推察してであろうか、「『戦力増強』のための生産活動や殺人兵器の研究に対する、良心的な技術者や科学者の『苦悩』」についても、言及されている。」

「意識的適用説は、戦時下の武谷が逮捕、取り調べされた時の「特高調書」に記されており、敗戦直後発表された「技術論」では、先に引用したその定義も含め、調書それ自体が引用されている。このことは、戦中後を一貫する武谷の戦時下抵抗の輝かしいあかしとして、戦後の出発を飾った。
 しかし、中村静治が、武谷の批判対象であった戸坂潤や、武谷の協働者であった内田義彦(経済学者)を引用して指摘するように、それは、「戦時下の技術者運動とのつながりにおいて、さらには所与の生産手段の有効利用という『生産工学』的観点から発想されたもの」(『新版技術論争史』)ではなかったか。そこでは、「主体的」に生産力増強にコミットすることが技術の本質であると言われ、そのことは、総力戦体制に適合するものだった。
 武谷の意識的適用説は、その「転向」の完成だったのである。そして、その転向の論理が、そのまま「戦後主体性論」として、無傷のまま流通していった。言うまでもなく、これは、他の戦時下マルクス主義者において、繰り返し起こったことでもあり、近年の研究でも多くの指摘がある。
 すでに公害問題が大きくクローズアップされ、科学者の反原発論も顕在化していた一九七一年、武谷の忠実な後継者・星野芳郎は「戦後日本思想体系」の一冊として『科学技術の思想』(筑摩書房)を編んだ。星野は、その本と同名の巻頭論文で、公害や労災を克服しうるのは「高度の技術」を必要とするが、資本主義はそのことを阻んでいる、反公害闘争や反労災の闘いこそが「技術発展を促進する」と述べていた。つまり、反核・反原発闘争こそが、原子力の平和利用を促進するというわけである。」

=====引用終わり=====

宮崎氏の『風立ちぬ』が、いわゆる左翼思想に共鳴していることは、いわばソルゲと思しき人物の登場と、おそらくは彼との接触により、主人公二郎が特高から追われてしまう、という設定から推察できる。ただそのセッティングだけでは、むろん、その思想へどんな関係をもっているのかまではわからない。が、二郎は技術者であって、戦闘機を作る設計者である。すでに原子爆弾の開発に携わっていた上記引用の武谷氏でさえ、特高に捕まるぐらいなのだ。映画の主人公が、自身が実際に行っている仕事に、どうも「良心的な技術者や科学者の『苦悩』」を感じていないらしい、としても、それは彼が捕まらなかったから、という物語的な理由ではすまされない。そういう現実・歴史を、日本人が抱え込んできているのだから。宮崎氏は、映画を作るための資料読みで、そんな技術者のこと、技術史のことは知っていたはずである。が、にもかかわらず、少なくとも映画物語の表向きでは、二郎は葛藤しない、というか、作者は頑固にもさせない。主人公二郎は、どこか歴史から超然としている。そしてこの感じ、スタンスは、恋人の菜穂子との関係でもそうである。ネットの感想でも、彼は実は残酷ではないか、というのが多いのもうなずける。「美しいところだけ」をみて、その背後には感知しない。が、本当だろうか? 彼は、純粋に、自身の天命に、夢にまい進しているのだろうか? そうではない、ということが、タバコを吸う、というシーンの反復と、その意味を開陳する恋人同士、その時は夫婦になった二人の最後のシーンではっきりするのだ。

この「タバコ」問題も、日本の医学界をも巻き込んで賛否の議論が発生した。一方は、体に毒なシーンが多いといい、一方は、これは一時代の風景にすぎす、余分な意味をもたせるな、みたいなことをいう。が、このタバコを吸うシーンが反復されること自体が、単なる風景ではなく、意味を持たされていることをしめしている。結核で寝込む妻の隣でタバコを吸っていいか、と夫は尋ね、妻は肯定する。むろんそれは、害があっても肯定する、ということだ。そうやって、二郎は菜穂子を捨てて、ではなく、受動的に捨てられて、仕事に成功していくのである。菜穂子が自ら立ち去っていったのが、可憐であるのか、男のもとに押し掛けたと同様強気なものであるのか、明白ではない。明白なのは、夫の二郎のスタンスが、実はイロニックであるということだ。害があると知っているのに、「美しいところ」だけをみて、それへの対処は頭にはまわらない、というよりも、頑固にものぼらせまいとしているからである。これは、「眠れる美女」だけをめでてみせる川端康成に代表されるような日本浪漫派的なイロニーであって、現代ならば、村上春樹であろう。菜穂子とは、左翼時代を描いていた『ノルウェーの森』の「直子」かもしれない。ともに、その時代を、「風景」としてだけ伺えるように描きながら、その実、裏にある現実や歴史をほのめかしている。いわば、無知の知、ソクラテスのイロニーを装うのだ。戦時中の技術者の歴史・現実を素材にしながらも、ロマンが主題であるかのようにみさせているのも、そのイロニックな手法である。単純に、タバコとは戦争にも連なるような科学や技術のことである。しかしそこに、敢えて、快に通じる美しいものしかみようとしない。作者は、むろんその背後にある毒や害を知っているのである。飛行実験が成功したとき、サナトリウムに帰った菜穂子は、抑圧された者のように回帰し、二郎の幻覚として迫る。この突然の強迫観念の生起こそが、彼が意識的に苦悩を生きていたのではなくて、無意識にそれを追いやっていたことを証しているのだ。そしてそのとき、菜穂子は、あなたは生きて、と言ってくる。あなたは、とは、もはや二郎のことではないだろう。より一般的な問題提起として、科学者・技術者のことになるはずである。主人公二郎の意識を超えて、彼の無意識にこそ当時の現実にもまれた科学・技術者の苦悩が露呈してくるのだから。あるいは、もっといって、その苦悩とは、当時の科学技術の進展の最中でそれを使用して生きざるを得ない、我々自身のはずである。そんなわれわれに、菜穂子は言ってくれるのだ、毒や害のことにもまけず、死んだ私のことなどかまわないで、そのまま生きよ、突っ走れ! と。となると、これはもう、吉本隆明ではないか

そう。宮崎駿氏もまた、その世代に特徴づけられる思想的立場を感受し、創作していたのではないか? ならば、「生きよ」とメッセージのあった『もののけ姫』だったか、のその意味は、この氏の最後の作品からみれば、その意味はだいぶ変わってくるはずである。当時のそれは、いじめられて自殺してしまう少年・少女たちへのエールと読まれていたが……。今回、この映画のキャッチコピーは、「生きねば」、というものだそうである。たしかに、われわれは、放射能にまみれながらも、タバコの害を分煙として区画排除しながらも、生きねばならない。が、この生は、単なる現状肯定(平和利用)とどこがちがうのか? 氏は、当初、この『風立ちぬ』の企画を持ち込まれたとき、「子供」むけのものではない、と拒否していたという。しかし逆に、いわばこの現実を受け入れる、妥協する大人の、生活者の生の視点に焦点をあててみれば、ニーチェ的に過剰な生を礼賛・肯定するかにみえた、『もののけ姫』的な「生」は、むしろ自殺をも肯定して現状を超越していかせる志向こそが本位なのだから、実はまやかし的な期待にすぎなかったのではないか、とおもわれてくる。子ども当事者の苦悩をそのままで肯定するのではなく、あくまで大人的に、もっと生きてみればそれが、当時のことなどたいしたことなどないと気付くものなのだ、と諭していくものとしての「生」、レトリックとしての「生」である。むろんその在り方は、イデオロギー的な欺瞞である。それで、子供の、(当時の、当事者の)苦悩が解決されるわけがない。ただ、言葉である。解決する技術ではないのだ。

しかしおそらく、宮崎氏は、それが欺瞞であると気づいているのだ、暗黙に。この映画を、引退作品として提示するまでになったのは、3.11でひきずりだされた自分の在り方に、その欺瞞的な在り方に、図らずも直面してしまったからなのではないか? 原発に反対、憲法改正に反対しても、その言葉を生み出している深みには、それ(技術と戦争)をそのままでむしろまい進させていかせてしまう論理が、思想がある。その自身が陥っている論理の帰結を、夢として美的に肯定提示することですまされるのか? 飛行機の、原子力の、技術の美しさに魅せられるのは、私の趣味でしかないのか? 人間の問題なのか? 主人公二郎は葛藤しなくても、やはり、宮崎氏には葛藤があることを、「引退」という決断が示してはいないか?

*ジブリの『風立ちぬ』の公式HPでは、二郎が葛藤し、ズタズタに引き裂かれている、と宮崎本人は言っているのだが、私はネット検索で多くみられた鑑賞者と同様、一度みたかぎりでは、そう描写されているようにはみえない。ただ作者自身が引き裂かれているということではないのか、と作品からは読めてくるのである。しかし、作者は、スガ氏が指摘したような技術者の思想的反復、現在の転向問題に連なるような、つまりは毒があってもそれを吸う、放射能があってもそれを開発していかなくてはならない、とするその発想自体の問題・論理性には葛藤を覚えていないようである。だから私は、「図らずも」、この問題群に触れて、「図らずも」、引退=転向してしまった、というのである。また、この作品が3.11と通称される東北大震災の影響のもとにあるとするのは、作中当時の、関東大震災での地震が、津波のように波立つ大地、として描写されていることに端的に示されているとおもうが、その物語から逸脱した突然のカットは、圧巻である。

*飛行機がよくて、原発はだめだ、というのは欺瞞ではないか、という見方の真偽性は、次のような指摘を考慮すればだいぶ納得がいかないだろうか? 化石燃料によるCO2の濃度上昇が地球温暖化を招いているというのが真実であるならば、むろん、重油で飛ぶ飛行機のほうが、原発ゴミの放射性物質拡散の危機という「ただちに害はない」時間軸においてではなく、ずっと近い将来の地球破壊・破滅に寄与している第一の技術産業、しかも、地球を保護している大気の間近に害をまき散らしているという事実。しかし誰も、だからといって航空産業を問題視しない。おそらくは、原子力村よりもずっと世俗的な利害が大きいからだろう。CO2による温暖化説がまやかしだという槌田敦氏は、ゆえに、飛行機も、原発にも反対なようである。

私は、ジブリの映画は一通りはみているが、なにか感性的に好きになれないところがある。やはり趣味的に、村上春樹氏の読後感に似ているように思えるのだ。『風立ちぬ』の冒頭、空にすわれし少年が、夏の積乱雲の向こうから、大きな飛行物体が姿をみせてくる幻覚をみる……そのシーンはいいのだが、あの飛行物体の形、そこでの感性がフィットしない。私は、もっとメタリックなものがいいのかもしれない。が、主人公や飛行機が飛んでる感じ、疾走する感触、空中を浮遊する感じはいい。私もよく、そんな夢をみる。その夢での感じが表現できているのがすごい。が、フロイトによれば、それはマスタベーションの感じであり、ナルシストということなんだそうだ。