2019年7月14日日曜日

父をめぐって(2)

「ドイツ国防軍の将兵は、イギリス、フランス、アメリカと戦い、ソ連とも戦って、敗れた。国防軍の将兵は義務を果たしたのであって、罪はなく、恥じることもない。すべての罪は、ナチスとその党員、親衛隊が行なったことであり、戦争陰謀もユダヤ人の虐殺も、彼らの責任である。こういうふうになっている。だから国防軍は無実(ピュア)なんです。今でも軍があるけれど、軍はピュアである。いくつか信じられていることがある。優勢なソ連軍を前に、国防軍が絶望的な状況で、勇敢に戦った。なぜか。背後に市民がいて、彼らが安全な場所に逃れるために戦ったのだと。だから、正しい戦いであると。これに類する話は日本に少なくて、たとえば満州でソ連が攻めてきたときに、真っ先に逃げたのは軍人で、取り残された民間人はひどい目にあったとか、沖縄戦では、軍は民間人を守るどころか、かえって民間人をひどい目に遭わせたとか、言われている。
 日本で、戦争を企んだり悪事を働いたりしたのは軍であって、軍部に罪がある。そういう戦争の決着をしています。ドイツと違うのです。
 じゃあ、徴兵されて軍人として戦争に従事し、戦場に行った祖父や父親、すべての人びとのことを、どう考えたらいいのか。」(『アメリカ』橋爪大三郎/大澤真幸著 河出新書)

なお生き認知症になっている父の遺書を改めて吟味してみると、無神論になっていることが注目される。「なっている」というのは、父の祖父(私のひい爺さん)の遺訓では、神仏を敬え、とあるからだ。それに比べると、変化がある、ということだ。その遺書が出てきたのが両親の寝室にある神棚の中であり、父が、お盆には必ず実家へ帰り、墓参りをしていたとしても、自分自身が死にのぞみ、坊さんを呼びその仏式での葬式を拒否していこうとしていることに、決意が感じられるのだ。お悔みの金も拒否し、身内での会では「未完成」を流してほしい、と。「未完成」とは、自身がそうだということだろう。そう自覚することの大きな一つの理由が、息子たち(とくに兄と次男の私)を、脱落させてしまった、ということであったろう。そんな息子たちに、母を守れ、というのが、父が一番伝えたかったことで、祖父の遺訓よりも、具体性に富んでいる。なぜそうなるのか?

庭手入れに入っているお寺の本殿に、日々の仕事前、仕事終わりに、団塊世代の職人さんが、そして最近ではもう少し年の若い親方が、頭を下げるようになった。本殿が新しく改築されたのは、もう20年以上まえで、その間、そんな習慣はなかった。石屋さんがそうしているのには数年前に気づいたが、当初からではなかったろう。むしろ当初、と言えるのは、改築の建設を元請けしたゼネコンの現場監督や営業担当みたいなのが、商売上、そうしている、という感じだったはずだ。別に強制されているわけではないので、私は今もって頭をさげず、怪訝に思ってみているだけだが、居心地がわるくなる。神社の手入れにも入っているのだから、そこでもするようになったのか、というと、そんなことはない。団塊世代の職人さんは、もともとそうしたメンタリティー、腰が低いがゆえの尊大さ、夜郎自大な映画での高倉健、黙っていればいい気になりやがっててめえら人間じゃあねえたたき切ったる、という感じなのでそうなってくるのはわかりやすい。が、合理精神(金勘定)で動かざるを得ない唯物的な親方までがそうなったというのは、私には驚きだった。精神的な構造は、どちらもおなじであろう。別に、敬虔な心持になったわけではない。職人さんは、偉そうにみえる礼儀正しさに従ったほうがいいという動機、親方は、仕事も減りもうそこが生活のための金づるになった、という観念から、状況に屈服したのだとおもう。神社に頭をさげないのは、そこが年に数回ほどの手入れのままで生活には支障がないからだ。しかし、なお手入れ仕事を与えてくれているお客様は神様になったのであり、その代表象徴として、お寺の本殿が位置づけられている、ということだ。唯物的には、住職に挨拶していればことたれり、おそらく住職自身が、植木屋の心変わりを奇妙におもっているようにみえる。が、このままそんな空気が強くなると、私は不敬事件を起こした内村鑑三みたくなるのでは、と不安である。

つまり、精神構造の神の位置には、他のものでも代入可能が容易で(信仰ではないので)、それはマッカーサーになったり、アメリカになったり、トランプにもなりうるわけで、それを文学・日本思想史上では、代々日本史では、天皇が持ってこられることが多かったので、天皇制(的メンタリティー)と呼んできたわけだ。私が危惧するのは、もしかして、私の職人現場に出現してきたことが、今の弱体化した日本の態度としても、大勢的なものになっていくのではないか、ということだ。弱気になった心が、自分を庇護してくれる具体的な神(客)にひれ伏してゆく。これはどこか、団塊世代より一回り以上年上な、大江健三郎世代にあたる、父の遺書にも似ている。母(庇護者)を守れ、と自殺を思いながら息子たちに遺言した父に。

この父の病に似た屈折を、村上春樹氏は気づいていたろう。『納屋を焼く』企業家の衝動は、そうした戦後の父たちの感触だろう。そして中国で戦線に参加した実際の村上氏の父は寡黙だった。この父たちを、その屈折を、どう救ったらいいのか、という問いが、冒頭引用の『アメリカ』というタイトルの橋爪/大澤対談のテーマのひとつである。その引用後、橋爪氏は、「二階建て」理論でその父たちの屈折を免罪しようと理屈づけている。要は、一般的な秩序維持のための現実要請を命題としての、軍と徴兵された市民との区別である。が、それが国際的な道徳や論理で正当的であっても、当時、日本の市民が、そう自身を納得させて戦争に参加していたわけではない。ならば、そんな一般的理屈を国際社会に押し出して自身を正当化しようとしても、動機として、持続しない、言えば言うほど空々しくなるだろう。私は、この件では、「日本の場合、全部いいか全部悪いかみたいな構造になってしまったのが苦しいところ」という大澤氏の認識に賛同する。軍と市民の区別は、日本人の心情にそぐわない。しかし、その大澤氏が、広島の原爆記念碑に刻銘された「過ちは繰返しませぬから」という日本語を、読み間違えている。大澤氏は、この主語は原爆を落としたアメリカであって、それを言えなかった日本の弱さを問題とするのだ。が、日本人なら、この主語のない、普通の日本語の主語が、「私たち」であるのは、自明ではないか。日本語としても、もしそれが三人称的な相手だったら、主語ははぶきにくい。私の場合だからこそ省くのが、慣用であり、われわれの曖昧な、優柔不断なメンタリティーである。そこが問われて、なおさらしどろもどろになって、「人類的な観点」でそうした、そうなったという理屈をだすことに追い込められた、ということだろう。が、この主語(主体)がないことを追い詰められてひねり出した論理過程は、実は、ドストエフスキー的に普遍的である。

「私たちは過ちは繰返しませぬから」――道徳常識で考えれば、原爆落とされて、いわばぶん殴られた方が謝っているわけだから、変な話になる、だから、主語は「アメリカ」だと、世界文法的な論理で辻褄をあわせようとする。しかし、右の頬をひっぱたかれたら、左のほっぺをだすのじゃなかったのか……となれば、どうなるのだ? 「過ち」とは何か? 相手から、ビンタ(原爆)を引き出してしまった自分の行いである。それがどんな行いであろうと、とにかく相手が悪いことをした(し返した)のならば、自分が因果的に、悪いことをしていた、と認めるのが、私たちの、子供の頃からの習性になっていたものではないだろうか? 私は、この広島の記念碑の言葉からすぐに思い出すのは、小学生時の学級会での模様だ。委員長だった私が議長で、その週の反省会か何かやっている、とにかく時間をつぶさないといけないので、みなが誰かから何か悪さをされたと訴える、で、「もうしません」と答える。主語はない。みなが、申し合わせたようにそう言って、学級会は終わる。つまり、私が暗黙な主語でも、みなが、悪いのだ。その悪さがもう起こらないように、どうしたらいいか、ということも時折議論がすすむが、悪は、人為的というより、自然的な発生という感じで、深刻さはない。そこにあるのは、みなで、悪を「召還」してしまった、という確認であって、学級会とは、悪魔祓い、日本的に言えば、厄除けのお祓いの儀式である。だからそれは反復可能な構造が想定されているので、「繰り返さない」、「もう」という言葉が付け加わるのだ。――「私たちは、悪を召還させることはもうしません」ということは、欠けているのは、主語ではなく、目的語だ。「私たちは、過ちを、繰り返しません」と言っているのではなく、「過ちをしてしまう私たちは、もう誰々さんに、過ちを繰り返させませんから」、と実際には言っている、言いたいのである。私たちの、循環構造(因果)のなかで。そしてこの「誰々」とは、アメリカ、ということではない。アメリカも含めた「みな」、つまり、「人類」であって、人間とはそういうものだ、という世界観(達観・諦観)なのである。そう観念しているのである。私たちは、過ちのあとで相手に、「すまない」と謝る。やってしまった終わったあとなのに、「すんでない」と言う。考えるとわけがわからず、なら本気で反省しているのか、と怒鳴りたくなるが、このわけがわからないことを考えもせずにやってしまっているのが、私たちなのだ。お客様は神様ですと、宗教的な真剣さはなく、本殿に頭をさげはじめた職人たちのように。おそらく、「すまない」、と祈っているのだ。それは、切腹の心情に類似している。恥を忍んで、神(母)を拝みたおしているのだ。私は、柄谷行人の9条理論を、その切腹の形式論理として理解しているが、心情的には了解できても、今の日本に、それ(切腹=9条実践)ができる実質があるのか疑問である、というスタンスであることは、このブログでも述べてきた。

私はこの形態、父たちの態度・態勢、切腹の形が、特殊的なことではないのはわかっている。それをこれまでの文脈上では、トッドの家族人類学などを使って考証しようとしてきたわけだが、そんな大枠ではなく、もう少し身近な、狭い具体例で突き詰めておきたい。次回はおそらく、三島賞を逃した倉数氏の『名もなき王国』と、三島賞をとった鹿島田真希氏の『ゼロの王国』を比較検討することからはじめるだろう。

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