バイデンの話によれば、プーチンがウクライナへ侵攻することはわかっていたというのだから、戦争に本当に反対であるならば、防げたはずである。ウクライナのNATO加盟という議題を棚上げし、ロシアに譲歩すればよかったのだから。が、ほっといた。ウクライナ側も、プーチンの本気度をわかっていたようなのに、戦争を受けてたった。
欧米各国は、侵攻がはじまってから、武器は支援する、とか言っている。
サッカー日本代表の本田圭佑が、それは変だろうと疑義を呈するツイートをして、炎上がおきた、とニュースになっていたが、私は本田とそこでは同じ意見だ。犠牲者がでてから協議に応じる、とは、なんなんだ?
状況が進展するなかでの発言なので、言い方が面倒になるから誤解されて炎上しているようだが、ニュースで受け取るかぎりでの本田の論理とは、以下のようなものだろう。
①ウクライナは侵攻されるまえに譲歩すべきだった。
②侵攻され犠牲者がでてから協議に応じる、とは、すでに犠牲になった人はなんだったのか?
③欧米各国も、そうなってはじめて武器供与とかいっているが、それは、他人事としてみている、ということではないのか? もう、死んでるんですよ? と。
で、次に、日本も中国との問題があるから他人事ではないんですよ、とつけ加える。
私も、むしろ前提的に、隣人との関係を考慮するが、そこにおいて、本田選手と同じような認識・態度なのかは、不明だ。
が、日本政府側は、この戦争を契機に、これが現実だ、平和ボケの民衆よ目を覚ませ、世界の出来事は他人事ではないんだぞ、防衛力を増強するぞ、9条なんかじゃ日本を守れないだろう、と出ている。
そしておそらく、反戦運動の大勢も、隣人への怯えから、ロシアが侵攻する戦争には反対、ということで、暗黙に、中国が侵攻する戦争には反対、イコール、欧米列強その他のウクライナ支援の戦争には賛成、日本を守る防衛強化に賛成、と心理的になっていく普通の人たちの参加が多くなっていくのでは、と考える。
そんな応酬に、現実などない、リアル・ポリティクスなどない、とこのブログで再三言ってきた。人間の現実とは、カントからフロイト、マルクス、そしてラカンへの認識系譜の線で理解していく教養を、私は受け入れている。彼らのリアル・ポリティクスとは、自己妄想の堂々巡り、悪の連鎖・循環だ。
もし、ウクライナがロシアを撃退したとしよう。ジャイアント・キリングだ。がそれは、問題をなおさら根深く拡大するだけではないか。悪の循環が反復されるだけだ。ならば、どちらかといえば、負けるべく負けるほうが、弱いほうが、譲歩しなくてはならない。犠牲にならなければならない。
サッカーだって、相手が強いとわかっていたら、勝ちなどめざさず、引き分けを狙うじゃないか。本田の感覚も、そういうものだろう。が、戦争は、ゲームではない。フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」にも記述があるように、国家という父権主義的な枠組みのみでなく、資本主義という経済活動さえもが、実は、不合理な男気で駆動している。
もうそろそろ、中高生対象の、『進撃の巨人』論を無料電子出版するけれど、作者の諌山氏はよく考えている。そこからすれば、もう、いまのデモ標語は、「戦争反対」ではなく、「人間反対」となるだろう。みんながマンに、つまりマッチョになりたがっている。Mankind、男ってやつに取り込まれていく人類。哲学上は徹底的に批判され、日常的にも空回りがみえてきたけれど、なお私たちは、その亡霊にとりつかれている。
プーチンが、進撃の巨人たるエレンよろしく、「地鳴らし」を発動しないことを願うばかりだ。が、その首を落とさないかぎり終わらない、と漫画のようになるとは、つまり相変わらずの茶番としての反復によって、しぼんでいた亡霊がまた息を吹き返し世界を席巻しはじめる、ということだろう。
どうやったら、この悪循環から、抜け出せるのか?
諌山氏とは違った解として、オードリー・タン氏の言葉を引用しておわる。
「私の成長期において、男性ホルモンの濃度は八十歳の男性と同じレベルでした。そのため、私の男性としての思春期は未発達な状態でした。二十歳の頃、男性ホルモンの濃度を検査すると、だいたい男女の中間ぐらいであることがわかりました。このとき、自分はトランスジェンダーであることを自覚しました。
私は十代で男性の思春期、二十代で女性の思春期を経験しましたが、今述べたように一回目の思春期のときは、完全に男性になるということはなく、喉仏もありませんでした。また、男性としての感情や思考を得ることもありませんでした。二十代で迎えた二度目の思春期には、完全ではないけれどバストが発達しました。結局のところ、私は男女それぞれの思春期を二~三年ずつ経験しているのですが、一般的な男性や女性ほど、完全に男女が分離しているわけではありません。そのため、行政院の政務委員に就任する際、性別を記入する欄には「無」と書きました。」(『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』 プレジデント社)
参照ブログ;
ダンス&パンセ: 普遍論争――世界での戦い方(3) (danpance.blogspot.com)
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