2023年5月7日日曜日

中上健次ノート(2)


2 侍と暴走族


  中上の作品の物語基軸は、ギリシア古典を背景にもして、父殺しと言うテーマだったと言われる。路地三部作での主人公秋幸が、その悲劇の主人公であると。が、秋幸は父殺しを貫徹できなかった。その様は、父自らが自壊してしまったこととして免罪された。その物語顛末は、ソ連邦の自壊という歴史の様と重ね合わされたり、父の権威の希薄な日本の土壌が想起されたりした。

 がそもそも、「秋幸」という名前自体が、父殺しとは距離のある設定であると推定される。秋に、行ってしまう人、つまりそれは、苗字の「竹原」とあいまって、「かぐや姫」を連想させるからだ。しかも、義父以前の母方兄弟姉妹の苗字は「西村」であるから、それは西方の死(異界)から竹林にやってきた、という構図になる。行幸、という天皇の外遊という言葉をも連想すれば、「秋幸」という名前自体に、貴種流離譚という設定がある。かの国(月)のお姫様、そう仮説してみると、まさに秋幸自身が、主体的に従属者を引っ張っていく男性というよりは、周りの関係や風景、自然に溶け込み染まってしまう受動的な存在とされる女性の性質を多分にもっており、その大事にされた女性的キャラが、なんだかんだと因縁をつけながら既成の縁起にはおさまらないで、ついには、自分を育ててくれた父母からも、路地(地球)からも去って遠くにいってしまうという物語なのである。

さらに、秋幸は、産みの親としての浜村家族に当てはめてみて、はじめて長男として捉えられるのであって、母フサの先家族にあっては、三男の末っ子なのである(次男は生まれてすぐに死んでいると設定されている)。つまり、父権社会での、相続対象者とは言えない。つまり、父を殺す動機として説得力をもつ位置にいない。むしろ、秋幸自身が最後に認識するのは、殺すべきなのは母であり、彼女の価値判断を生起させている大義や筋のないような路地社会である。

 

中上は、その社会を、「母系制」と理解した。だからそもそも、浜村龍造の自殺に父殺しを読み込もうとして当時の歴史と重ね合わせるのには無理があり、日本的な土壌に引き込まれた、という見方の方が正当になろう。ここでいう「日本的な土壌」とは、『地の果て―』にソ連崩壊を読み込んだ柄谷がその後、自身の作品で「日本精神分析」として説いた「双系制」とも言うべき認識前提である。むろん、その日本認識は、丸山眞男が「古層」として説いたようなもの、日本特殊論的な文脈として、マルクス主義の講座派が示してきた既存の教養と重なりもするだろう。

が、最近になって認知されたといっていいだろうエマニュエル・トッドの家族人類学によれば、日本特殊とされた「双系」的土壌とは、文明以前的な人類の家族形態の名残・残存である、となる。欧米近代の核家族が先進的な家族の類型とされてしまったのは、ユーラシアの文明からは周辺地域であったそこが、あとから政治経済的にヘゲモニーを握ってしまった現代において発生した錯誤にすぎない、となる。この周辺性の認識は、柳田國男の日本認識とも重なるとされる。この周辺地域での核家族では、長男から先に独立していくので、女性や末っ子が親の面倒をみたり相続したりすることになる。同性愛も含めて性的にも自由がある。

 

しかしその独立と自由を担保した家族類型も、文明に触れていくことによって変形されてきた。文明社会では、父権が確立し、その相続は長男となり、父が健在なうちは、子供たちはその下にとどまる共同体家族となる。この家族形態は、他の氏族を支配下におくという軍事的な要請によって形成されていったのではないかと示唆される。ゆえに、共同体家族=文明の伝播過程として、直系家族、つまり制度としては封建制となるものが、その中間形態として存在することになる。

 

日本では、この中間形態、封建的な直系家族の定着は、東国から、鎌倉時代の武士政権においてであろうと推測されている。とくには、モンゴルとの軍事的交渉が、その影響として強いのではないかと、推定されてもいる。

 

 つまり、馬に乗って戦う侍が、父系制と父権家族の基盤となるのだ。日本において、父殺しが遡上に乗るとしたら、この文脈においてであろう。

 

中上は、その歴史文脈も、『地の果て―』において刻んでいた。ジンギスカンの末裔との妄想を抱く父、路地では龍造の朋友とされる「ヨシ兄」を殺すその息子、「鉄男」という主人公を導入することによってである。この名前自体に、おそらく、意味がある。鉄とは、文明であり、男とはもちろん父権を意味する。父を銃殺した鉄男が、のちに、シンガポールへと乗り込み、異形の怪物たる中国人と香港で出会うことになるのだ。

 

その鉄男は、暴走族あがりだった。秋幸が『枯木灘』で殺した義弟の秀雄が初代番長だった暴走族を引き継いだのが、鉄男だったと『地の果て―』では龍造の調査として示されている。秀雄を殺して秋幸が獄中にあった時期のことを描いた『聖餐』では、「母よ、死のれ」と歌う、「死のう団」という音楽グループを作る半蔵二世の友人として、「テツオ」は「暴走連の頭」として言及される。

 

ところでその秀雄の暴走族のオートバイには、髑髏のシールが貼ってあったと描写される(『枯木灘』)。おそらくこのマークは、実在した関東の暴走族組織から引用したものである。

 

中上は、1979年の2月3日に放映されたNHKテレビ「ルポルタージュにっぽん」に出演し、「元暴走族の右翼団体の若者たちをリポート」したと全集の年譜にある。私はこの番組は見ていないが、スマホ検索によると、その番組では、在日の元暴走族で右翼になっていった若者の、暴走族の取り締まりが厳しくなったので、右翼という政治的建前があれば街路で騒げるので入団したという発言などがあるらしい。未完となった『異族』での設定を連想させてくる。

 

ともかく、東京に、実際に髑髏のマークを掲げた暴走族があった。「スペクター」と言う。『異族』では、「メデューサ」という暴走族名も紹介されるが、それは「スペクター」から派生したグループの名前だと私は聞いている。今でもその髑髏のステッカーがダンプカーの後ろなどに貼られてあるのを見かけることのできる「スペクター」という暴走族は、未曾有な規模になって、全国的に名を馳せたのである。暴力団なりを系譜にもたず、自然発生的にそこまで膨張していったのだ。(私の植木屋親方がその創成期の番長の一人なので、伝承を聞いている。)

 

オートバイが、馬であり、暴走族とは、それを操る侍の継承として意図されている。天皇の方からではなく、将軍たる東国の方からの影響が、西域の路地にまでやってきた、ということなのだ。そしてジンギスカンを名乗る父を殺した侍が、父権確立した共同体家族たるユーラシア文明の中心たる中国に挑んでいくのである。つまりここには、父殺しというテーマが、日本特殊的文脈においてではなく、皇帝殺し、という、より普遍的な文脈において導入されているのだ。

 

しかし、「中国」というユーラシア文明の中心を目指しているのは「鉄男」だけではない。遺作となった小品では、「アキユキ」は、「ヴェトナム」にいるのだ。

 

<そこでこの地帯は単に、主に北方から、そして副次的には北西から到来した父系原則の前進前線を具現していると考えることができる。歴史資料がこの解釈に何かを付け加えることができるとすれば、それは侵入の年代である。早くも共通紀元前一一一年には中華帝国に征服されたトンキンは、おそらく早期に父系化・共同体家族化された。中国の父方居住共同体家族は、われわれの推定によれば、共通紀元前二世紀から共通紀元八世紀までの間に、明確になったことを想起しよう。ヴェトナム文化はこの家族モデルの開花の間に形成された。それゆえトンキンでこのモデルが支配的であったとしても、驚くことではない。>(『家族システムの起源Ⅰユーラシア』上 p364 エマニュエル・トッド著 藤原書店)

 

そのヴェトナムの中の、「ラー族」の村に、アキユキは潜った。「ラー族」とは、なお狩猟・採集生活を営む少数民族であり、そこの男たちは竹を編む職業にもつく。そこを統一した人びとが、「アメリカ」と「戦争」し、その近代の「核家族」組織を撃退し、共産主義(共同体家族のイデオロギー)の「革命」にもみまわれたのだと、中上は意識している。

 

<ホーチミン(サイゴン)の朝、ただ歩き廻る。/革命(戦争)があった。/戦争(革命)があった。/アキユキ(私)は迷路にことさら踏み込もうと角を曲がる。>(「VCR(カムラン湾)」『全集12』)

 

 姫(娘)という両性的具有性を印字された秋幸は、「母殺し」の系譜の方に潜伏した。芸能に性向してゆく中本一統のようにその血に併呑されることを忌避し、かわしながら、その近接で得た洞察を武器に、共同体家族たる「中華帝国」に支配されたヴェトナムの「路地」をさ迷うのだ。しかしそこは、直系家族下の「路地」ではない。まさに、文明の懐の「前進前線」へと飛び込んでいるのである。 

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