2011年12月17日土曜日

この日本で、誰ができるだろう? (中上健次と民衆)

「有力な豪族の連合を基礎として成立した古代王朝は、やがて集権化の傾向を強めて、直接的な支配の範囲を拡大する。豪族たちも、中央の権力を背景として領主化して、広大な土地と人民とを所有するようになる。群小の古代的な氏族はしだいにこれに抵抗する力を失って解体し、領主のもとに直属する民衆となり、公民となった。久しく氏族の閉鎖性の中に眠りつづけてきたかれらは、こうしてしだいにその氏族の核を離れ、白日のもとに解放された。しかしその解放は、同時により強力な政治的支配への従属を意味した。民衆は、自由のよろこびを獲得するとともに、また新しい時代へのおそれを抱かずにはいられなかった。そのよろこびとおそれとのうちに、古代歌謡の世界が成立する。」(『白川静著作集9』「詩経」 平凡社)


私が学生の頃よく読んだといえるのは、柄谷行人のほうであって、中上健次ではなかった。しかし二十も半ば過ぎから新宿の植木職人として働きはじめてからは、その職場の環境から、中上氏の小説世界がリアルにみえはじめた。当時の学生時の読み方といえば、記号論的読解やエクリチュールといった方法が主で、私もそれに類した中上作品論を書いたこともあったが、よくいって秋行の「空虚(がらんどう)」さと自分の「空虚」さを重ねあわせているのがマシな程度で、空々しいものだった。しかし東京に残存しているような新宿の世界に、紀州の田舎で展開されていたその作品の主人公たちが影のように付きまとい始めたのである。親方の家族は、まさに女(姉)たちがしゃべりまくる世界だし、そこに出入りする職人たちは、祖父の世代が博徒や岡引、若い衆たちも『地の果て――』以降の中上作品に出てくるチンピラくずれや、地元でのチーマーとかに通じる徒党を組むものたち。私はいま中上氏が生きていたなら、オレオレ詐欺の世界を描くだろう、と想像する。とにかくも、私は氏の作品を、唯物論だの物語論だのではなく、まずは普通のリアリアズムが基調素材な作品として読めないかと苦心してきた。そういう考慮を抱懐している者として、前回ブログで言及した守安敏司氏の『中上健次論』は、まさに作品の主人公への対等な共感から発せられているが故に、私には新鮮だったのである。

<漁師の多くは体に入れ墨をいれていた。幼い私がその理由を聞くと、漁師は、もし海で死んで「土左衛門」になっても、この入れ墨で身元が判明するからだ、と教えてくれた。次の夏、昨年同じ漁師仲間だった人が船に乗っていないので聞くと、去年の秋に船から落ちて死んだ、と言う。こともなげに死んだと言う。/日頃優しい漁師が、船上で漁になると目の色が変わり喧嘩腰になる。酒が入ると、暴力はいけませんよと生ったるいことを教えられていた私がびっくりするような大立ち回りもいくどか目にした。/生活の糧を大自然の海に求めて毎日を暮らす。漁があるかないかはまったく運任せの博打のようなものである。こうした優しくまた気性の荒い漁師の生きかたを見て以来、私はスポーツと称して魚釣りをやる人間を基本的に好きになれないのだ。…(略)…繰り返すが、私は中上と同じ風景を体感していたことになる。風景だけでなく、中上の作品の登場人物の語り口調、例えば私が海岸でひとり本などを読んでいる時に、漁師の子どもが、「敏司君、何しとるん。海に入ろらい。」と誘ってくれる口調とまったくと言っていいほど同じであるのだが、その口調にも、また私の接した気性の荒い漁師たちとよく似た中上作品の登場人物の姿にも、私は表しようのない親しみを感じてしまうのである。>(守安敏司著『中上健次論』解放出版社)

その守安氏の、中上氏の知友である柄谷氏への批判は辛辣である。要は、柄谷は事実(作品年代順)をに反して自分の都合のいい切り口を物語っているにすぎない、ということである。中上の全集を読み通したわけでもない私には、守安氏の編年的な読みは勉強になるけれども、ではその守安氏は、何を言いたいのか? 他人の揚げ足取りではなく、自分が中上作品を通して読者に訴えたい意味はなんなのだろうか、と思ってしまった。なんで中上論を書いてみたくなったか、その原因はわかる。ではその結果として、何がでてくるのか? 生産的なものは? ……そうなれば、たとえ事実(史実)では証明できなくとも、抽象力という方法論によって、作品という素材を前方へ編集しなおして呈示する、という柄谷氏の読み方のほうが、たとえ間違っていても生産的であるかもしれない、となる。たしかに柄谷氏は、部落問題を一向宗起源説で切り、秀吉の刀狩りをヨーロッパと資本主義的なスパンにおいて同時代的と捉えうる「市民(自治)」の去勢と読んだ。部落史も、日本史も、事実的にはそうではない、という。しかし、『刀狩り』(岩波新書)で論証した藤木氏も指摘しているように、それはもともと「象徴的」な統制の仕方だった。つまり、藤木氏はあくまで「象徴的」にすぎず、全面的な展開とは言い難い刀狩りだったと言う。が、「象徴的」であるがゆえに「去勢」として重要なのであって、たとえそれが顕在(全般)的に事実とはいえないにせよ、以後そういう方向(サンス)で意味(センス)をもっていってしまった、というところに歴史の潜勢力があった、と抽象(読解)するならば、この精神分析的な柄谷氏の方法論は是であろう、というのが私の公平な意見である。また、小説家の端くれとして私が言うなら、作品を通時(編年・事実)的に読解することに依拠するだけでは人間の創造力を、あるいは潜在力を把握しきれない、とおもう。この作品を書き始めたならば、すでにその作品では書き得ないものにもまたすぐに突き当たってくるので、次の作品は並列的に派生してくるのではないか、と私は経験する。これでは書き得ないものをこの作品のなかに書き込もうという無限運動的な反復として、プルーストやジョイスがいたのかもしれないが、また小説の起源はその書くことの不可能性につきまとわれてそれを手放さず、と『ドン・キホーテ』やなんやかやが生れた、というのは文学教養のイロハでもあるだろう。

それにしても、中上氏の作中の共同体や、主人公や、『地の果て――』いこうで登場した若者たちの世界は、今はもうないのだろうか? 現実性が希薄で、残っていたとしても、もう意味(潜勢力)など持ち得ない代物なのだろうか?……どうも私には、そうはみえない。だから、中上作品の素材を、現在から将来へ向けて、そのセンス(方向・意味)を抽出して編集呈示したくなるのだ。たとえば、リビアでカダフィがたおれた。民衆兵士がひきずりまわした。気に食わない奴をやっちまえ、生意気だった女を犯しちまえ……と統制がきかない社会になっている、と報道で読むと、私は自分の職場の世界を連想してしまう。おそらく彼らが、カダフィにつくかつかないかは偶然で、思想的にはどちらでもよい、がそれゆえに、上からの統制がゆるんだ途端に、アナーキックな衝動が赤ん坊の泣き叫びのように発散されるだろう。日本でもその可能性は十分ある。しかしその世界の人間が価値とするものは、右左で思想化するならば右になろうが、それは上からの言うことに服従する、ということではなくて、たとえば、太平洋戦争が終ったとわかっていても、生き残った若者たちが小船にのって日本刀を武器に敵の艦船へ向けて出撃していって捕まった、というような人たちの価値である。私は、そんな史実もあったのだという映像をみたとき、その出撃まで、おそらくもはや先輩後輩程度の階級しかなくなったその生き残った若者たちの間で、どんな会話がなされて決行されたかが、聞こえてくるようだった。それはとても、勇ましい会話ではないのだ。国は負けたけどさ、そんなことじゃなくて、俺たちはさ……泣く泣く意地を張ってみせる突撃なのだ。赤ん坊がまだない我を張るように。が、彼らは列記とした大人である。それは気まぐれではなくて、もっと堅固な価値なのだ。そうとする仲間、共同体である。私の知っている範囲から推定すると、オレオレ詐欺も、地方から東京にでてきた見ず知らずの若者をアルバイトとしてやとって悪いことをするのは危険なので、そうした共同価値が生きている世界の仕業である。地方での者がかかわるとあっても、先輩後輩関係が生きていて、秘密を守っているかどうかが監視でき、簡単にはばっくれることができない付き合いがなくてはならないだろう。そこでの価値は、暗黙に資本主義世界に対抗している。騙し取って受けとった配分を、みんな遊ぶ金に費やしてしまうとしても。もちろん、私が言っているのは下っ端の使われる人たちの世界のことである。しかし、カダフィをたおしたのが「民衆」だというなら、私にはそれも「民衆」、いやそれこそアラブ革命の「民衆」の近傍に位置する者たちに思えてくるのである。彼らは、一度立ち上がったら、引き返せない、殺されるので。戦うしかない、泣く泣く意地を張って。そういうことを、この日本で、誰ができるだろう?

2011年12月9日金曜日

テクノロジーとカタストロフィー


「十六世紀末の日本の刀狩りによせる研究者たちの通念は、およそ次のようなものであった。豊臣秀吉の政権は、分裂していた戦国の国家の軍事統合に成功して、すべての暴力装置を集中独占すると、その力を背景に、武装解除をめざして、農村からあらゆる武器を徹底的に没収し、民衆を完全に無抵抗にしてしまった、と。/この見方は、いま、ほとんど国民の通念ともいえるほど根強く、「強大な国家、みじめな民衆」という通念は、十七世紀以後の徳川政権というアジア的な専制国家像を形づくるのに、決定的な影響を与えてきた。しかし、民衆の徹底した武装解除という奔放なイメージは、刀狩り研究の大きな欠落と空白に支えられて、じつに自在であった。だが、この通念ははたして事実であったか。「みじめな民衆」像ははたして実像であったか。」(藤木久志著『刀狩り――武器を封印した民衆――』 岩波新書)



七歳になる息子と一緒にその赤ん坊の時からのビデオクリップをみていてびっくりした。これまでも毎年2回くらいは、その私のHP上にも一希のプロフィールとしてアップしてある映像を息子はみてきたはずなのに、あたかもいまはじめて見るように見入り、5歳の頃に撮った自身がダンスをする姿をみて、げらげら笑いこけながらも、「こんなの見たくない! こんな格好つけ<いっちゃん>はいやだよ、もうやめてよ!」と言い出したのである。たしか半年ほどまえは、そんな反応もなく、素直にそれが自分なのかと受け入れていたのに。私は、親が子のビデオや写真をとりまくっているこのデジタル社会の環境の中で、子供はどう自身の記憶とつきあっていくのだろうかといぶかっていた。覚えたくもない思い出の暗記過剰になって、自分がおかしくなっていくのじゃないだろうかと心配もしていた。とくにその推定は、私の学生時代の教養の中でも、たとえば音楽家の坂本竜一氏と文芸批評家の柄谷行人氏などが、テクノロジー(シンセサイザー)が感性を解体するとか話していたので、科学技術の変革によって制度としての感性も変容していくのだ、とされていた延長にもあたるので、憂慮は知的な正当性を得ているとおもっていた。が今回の息子の様をみていて、それはどうも違うようだぞ、しかも、最近の自分の意見もこのブログなどで展開してきたように、サル的にというか人類的にというか、むしろ変わらない部分のほうが大きいのではないか、と思い当たったのだった。どうも、少なくとも人間は、自分という何かを維持していくために、都合よく本当に忘却してしまうようにできているのではないか、と。七歳の一希の自己嫌悪は、思春期に特有の、たとえばテープレコーダーの自身の声を聞いて違和を覚えるとかの症状と同じものなのだろうか? 「我は他者なり」というような存在論的次元への自意識化というような。…たしかに存在論的な、といえるのかもしれないが、どうももっと身体規制的な、つまりは遺伝的な生存本能に近いようなものにみえる。つまり自分を狂わすのではなく、あくまで健全な育成である。が、私はそこから、ベックがいった「全的なカタストロフィー」という意味のことを考えた。HP上の観覧記で倉数茂氏の『私自身であろうとする衝動』(以文社)の感想でその言葉にふれて、気になっていたからだろう。



私はそこで、今回の大震災や原発惨事を、かわいそうだが運が悪かったのだ、とみなされるしかないとする確率論的な社会観の是認は、悲惨を他人事としてみられることですんだ(戦後)平和ボケ時代の延長のままなのではないか、しかし我々は、もう他人事(部分的な)としてすまされない我が事(全的な)の事態として受容せざるをえない時代に転換してしまっているのではないか、といった。山城むつみ氏の『ドストエフスキー』を引用しながら、モーセの時代のように、と。つまり、ベックの認識背景にも、実はそんな平和ボケに回収されてすんでしまうのではない、「全的なカタストロフィー」が前提とされているのだから、と。しかし、「全的」とはなんだ? モーセが感受したものは、その現場・地域においての話じゃないか? 今回の震災や原発事故だって、日本だけのものじゃないか? かわいそうだが仕方のないこと、と募金やエールが飛んでくるのではないのか? テレビやパソコンで世界中の悲惨が受信できようと、そのテクノロジーの社会自体が、まさに平和ボケでしかありえない我々の感性を規定してしまっているのじゃないか?……



つまり、ここで、一希の出番なのだ。どんなにデジタルなテクノロジーが人間(子供)の脳髄を暗記過剰にさせようと、人間(子供)は忘れてしまう。それがなかった昔と同じように。つまり、あのモーセが世界を感受したように。この本源(健全)的な身体規制において、部分というのはありえない、のだ。今ここが、全的に更新されていくのである。もし一希(子供)が世界(他の地域や他の悲惨)と交わるとしたら、この一点においてである。というか、その一点でしか合点できない。子供に戦争の悲惨さや社会の恐さなどを説教しても理解されないのはそのためだ。一希は津波で死んでいった人々の映像をみても他人事である。しかし彼は、なぜか深く理解している。まさに当事者と同じ者として。忘れるのは、むしろその深い理解のためかもしれない。しかし忘れるとは、それを懐深くしまいこむことだとしたら? 大切なものとして。「全的なカタストロフィー」とは、それゆえ、「今ここの更新」という一点において感受される世界体験のことだろう。私にもそんな能力があるはずなのだが、平和ボケのほうが大きいのだろう。が、忘れていたその体験が、今回呼び覚まされたのではないか、ということなのだ。実際、3.11以降、気分的にそれ以前と同じではいられない。この変な感覚が、そのうち平和な日常感覚にもどっていくような気がしない。どこか、関節がはずれたようなのに、その箇所がまだつかめていないような……四十肩で生活している感じに似ている。(「腕があがらんが、どこか変だなあ」、と。)これは、私だけではないだろう。



一希のげらげら笑いを見ての「今ここ」と「世界」という飛躍的な概念連結の連想……ときたところで、今日、というかさっき、守安敏司氏の『中上健次論』(解放出版社)を読み終える。「今ここ」の肯定、といえば、やはり中上健次か、ということで。その守安氏の柄谷批判は、冒頭引用した、藤木氏の『刀狩り』論の構えと似ている。つまり、藤木氏が、秀吉の刀狩りによって民衆が骨抜きにされたというのは史実ではない、とするように、柄谷が中上作品に読んだ、一向一揆の部落起源説に対するまずは事実的な是正批判からの開始である。



<繰り返されるこの柄谷の主張は、完全な誤りである。もともと、当時、細工とは河原者と呼ばれた賤民であった人々が一向宗徒となり、信長と戦い、敗北し、後に、穢多や皮(革)田と呼ばれたのである。つまり、被差別部落になったのである。言いかえれば、賤民でなかった良民が一向宗になり、被差別部落とされた資料は、現在までのところ一切存在しないのである。故に、被差別部落が「近世市民革命」(近世に市民が存在したかどうかは、ばからしくて問う気にもなれないが)の敗北で成立し、「浜村孫一」の敗北で成立したとするのは決定的な誤謬である。…(略)…また、超時代的に言ったとしても、被差別部落民がそうでない地域と比して、特別温かかったり、冷たかったりするわけではない。ここに至っては、ある種、柄谷の差別性すら感じてしまうが、そんなことは、常識的に考えても判断のつくことである。>(前掲書)


柄谷氏の言説が説得的なのは、その文脈が、たとえば、日本ではデモが少ないじゃないか、といういかにもわれわれが首肯せざるをえない現実との関連において形成されてくるからである。やはり一揆から「刀狩り」され江戸体制で確立された制度的感性がなお我々を支配しているのかな、と。しかし「民衆(市民)」とが、中上の作品にでてくるような、「今ここ」しか知らないような馬鹿みたいな主人公だったらどうだろう? あるいは、守安氏が「はじめに」で触れてみせる、<また私の接した気性の荒い漁師たちとよく似た中上作品の登場人物>のような者たちだったら? 『刀狩り』の藤木氏は、それが実際に武器をとるということよりも、むしろ尊厳を骨抜きにさせていくための「象徴的な行為」としてあったと指摘しているが、人間<(作家)の歴史(作品)>にとって重要なのは、「事実」ではなく、それ以前的に「今」をどうするかという意味や思想であったとしたら? なんで「今」デモがないのか? 私自身は、そんな柄谷氏の認識前提自体に懐疑的だが、次回のブログは、守安氏の中上論を中心に、そこら辺について追求してみよう。

2011年11月26日土曜日

論理と実践

「小出裕章の間違った行動提起については、彼一人の問題ではないので、きちんと批判しておきたいと思います。/問題は三つあります。/まず第一に、この行動提起は、問題を極端に個人化してしまっているということです。消費者が買うか買わないか、買いましょう、と言っているだけなのです。ここでは、放射能汚染の全体が見落とされています。あらためて言うまでもないことですが、物流には起点と終点があり、起点とは生産者、終点とはごみと下水の処理です。消費者が何かを買うということは、起点での農業・水産業を可能にし、終点でのごみ・下水処理を要請します。放射性物質を含んだ食品を買うといことは、それを生産するために消費者以上に被曝する人々がいて、被曝しながらの作業を継続させてしまうということです。そして放射性物質を含んだ食品を食べる人々は、使わなかった野菜くずや食べたあとに排泄する屎尿を、地域の公共施設に負担させます。ごみ焼却や下水処理といった作業の従事者は、福島から遠く離れた場所で思いがけない被曝労働を負わされてしまうことになる。そうした作業全体が「責任を引き受けるべき老人」によって担われているかというと、そうではありません。現場で働く若者たちは、小出氏らが勝手に引き受けようとしたもののために、望まない被曝労働を強いられるのです。」(矢部史郎著「3.11以前と以後」『atプラス10』太田出版)

科学的と称される事実をめぐる真偽ではなく、それを引き受けた(「解釈」した)者の態度(実践)が潜在させている論理(展開)の現実(実際)を批判する矢部氏の上記引用のような発言は、今回の事態の最中で、私にははじめて触れた発想で、説得的であると感じた。低線量は「安全か、危険か」というような二者択一を迫る科学に対しても、その二項対立の中では「危険」の立場に分類されてしまうとしても、問題としているのが原子力を扱う社会のあり方自体への批判なのであるから、たとえ低線量が安全である、とするのが科学だとしても、それを批判する構えは変わらない。氏が事故以前の著書『原子力都市』で抽出してみせたのは、原子力を扱うということが、どれほど社会を管理していくものになるのか、原子力技術とが、徹底的な社会管理の対策技術なのだ、ということだ。そして今回の事故で、「私たちはみな原子力に関する知識などまったくない、しかし、原子力政策というものがどういうものであるかはみな知っている」ようになってしまった。科学的真偽ではなく、それを成立させてきた権力のカラクリに私たちは直面しているのだ。確かに、私たちは放射能が恐いというよりは、こんなにもいい加減な国家運営の下で現在も進行・侵食形で生きさせられていることが恐いのではないか? 原発に反対する本音は、国家を止めてくれ、ということなのだが、それがどんなことかよくわからないので、原発を止めてくれ、と言っているのではないか?

しかし私は矢部氏の論理態度を説得的と感じるけれども、その実践態度に疑問を覚えてしまう。これは論理的反駁といった疑義ではなくて、理論的な社会運動を体験したことからくる印象である。つまり、論理的に反駁してみせることが、実践的に正しいのか、ということだ。もう少し原理的に言うと、その筆者に潜在的な思考の型を抽出して問題露呈することが必要なことであったとしても、それをそのまま実践過程に結び付けて批判してみせることが、現実実際上いいことなのか、意義あることなのか? それは、自己の知的優越さを論証して競うメディアの中だけの議論なのではないか、ということだ。たとえば、氏は言う。<結果として、小出氏らの主観的な「決意」は、政府が号令する「食べて応援」を容認し、追随するものだと思います。それは原子力国家を論難しているように見えて、実質的には、原子力国家との対決を回避しているのです。いま東北・関東の母親たちが子どもを連れて避難し、あるいは公園や学校を計測し、全国の親たちが学校給食を監視し、ごみ焼却場に問い合わせ、食品検査や土壌検査を独自に進めている、そうした実質的な戦争状態があるかたわらで、小出氏らはただなげやりに「食べるしかない」と言うのです。彼がこの問題について矢面に立って闘うことはないでしょう。彼らは批判的ポーズをとるだけであって、偽の、口先だけの、戦争ごっこに興じているのです。>――しかし実際、「母親」たちはその小出氏から活力をもらって実践しているのではないだろうか。近所で講演をしてもらうこと等でネットワークを作ったりしているのではないだろうか? だとしたら、というか、私のまわりではそう見えるのだが、小出氏の実践が「意味のない」こととは思えない。知的議論上無効だと論駁されても、実践的に意味のないことなどあるのか? どうなっていくのかが不透明なのが社会なのであってみれば、それはこうなるという論理展開の想定(潜在)は、実際にはその論理上の中だけに必要な手続きである。社会での自他の言動は、どう展開されてどんな意味をもたされていくのかわからない。それを肯定というよりは、その想定外を想定している気構え(寛容と緊張)が持てない論理態度は、実践態度として弱いのではないか? 矢部氏は、「フランス現代思想」は核の脅威のもとで営まれたのであり、そのことがドゥルーズやガタリの「国家装置」や「管理社会」という概念提起させたのだと指摘している。なるほど、と私は思う。同時に、このエセーでの結末文、<テレビや新聞がどんなに国民的号令をかけても、彼らはもう相手にしません。「専門家」の権威を信じていないし、性別に絡めた道徳的な非難中傷などまったく怖れません。それは、都市が教育し都市住民が獲得した、ハビトゥスであり知性なのです。こうした人々が、これからの戦争状態のなかで主導的役割を果たす前衛になるでしょう。彼女・彼らは粛々と放射線を測定し、被害の実態を告発し、避難民となり、避難民と結合していくのです。>……この物言いに、私は「分子革命」あるいは、「マルチチュード」といったフランス思想を連想する。つまり、なにか小さなロマンチズムである。文体上の期待、といおうか。むろんこの読後感は、論理的反駁などといったものではなく、単に私が氏の文体から感じた類推にすぎない。

この間の日曜日、「なかのアクション」主催の飯田哲也氏の講演をきいてきた。そこで飯田氏が呈示してくれた資料にびっくりさせられた。それは、「緊急災害対策本部」があの3月11日22時35分現在にネット上で公開していた随時速報で、おそらく現場の吉田所長からファクスされてきたものをそのままあげたものなのではないかというのだが……〔東京電力(株)福島第一原発 緊急対策情報〕〇2号機のTAF(有効燃料頂部)到達予想 21時40分頃と評価。炉心損傷開始予想:22時20分頃 RPV(原子炉圧力容器)破損予想:23時50分頃〇1号機は評価中――専門家が2号機にいわれたこの三つの情報をみれば、ネット上で公開された時刻には、すでに燃料棒が露出し溶融をはじめ、あと一時間ちょっとで圧力釜も壊れる、と評価報告を受けているのだから、何が起きてもおかしくないと思うのだそうだ。にもかかわらず、斑目班長は爆発はないと総理に断言し、翌朝ヘリで一緒に上空視察。無知の恐さ知らず、というのだろうか? 現場責任者からすれば、死ぬのは俺たちだけでいいからあとは来るな、といったはずなのに、一番の責任者が二人もそろって現れたのにはびっくりしたことだろう。しかし、いまなおこんなわけのわからないことが進行中なのだ。私は、ドストエフスキーの『白痴』での、ムイシュキンと花瓶のエピソードのことを思い出してしまう。君はパーティーでその花瓶を割ってしまうのではないかね、と言われたムイシュキンは、本当に割ってしまうような強迫観念にかられて、そして本当に割ってしまうのである! 私はこの挿話がどんな意味をもっているのか、心理学上もどんな心的規制が働いているとされるのか知らないが、やけにリアルに読めたのである。おばかな日本国家が、本当にもう一度やってしまうのではないかと怯えながら、本当にやってしまうのではないかと推論してしまうのである!

2011年11月19日土曜日

人と体制

「からからと鈴懸の枯葉転がれる 音をし聞きて 冬の喪に入る

枝伐られて すぐに葉繁れる鈴懸よ 斬られし腕の生えるごとし」(坂口弘著『常しえの道』 角川書店)

住んでいる団地の欅5本を、自分で切ることになる。もう7階まで頂上の枝が届き始めたその様を、これからどう伸びていくのだろうと、6階に住む部屋からデッサンしていた木だ。今年にはいってまもなくに銀杏から落ちたさい、それを余め知らせるように壁からはたと落ちた絵の枝だ。息子の誕生日に買った青い手乗りインコが、不吉に騒ぐようだったら、どうしようかとおもっていた。また逆に、この青い鳥は私を守るために遣わされたはずだから、落ちることもないだろう、とおもっていた。仕事も怪我で満足にできない時分、息子の友達づてで、団地の草刈に呼ばれたのだった。なんだ植木屋さんか、20年もやっているんだって、ならば角の欅が坂下の団地のBSアンテナの障害になっているから剪定予定になっているんだ、だから見積もりに参加できないか、と声をかけられたのだった。親方は、7万円とだした。団地の緑化委員はそれを見てたまげて、いや住人の申し出だからと低く見積もる必要はないですからと再度要求し、じゃあ10万円と……しかし、よその業者は、人力ではのぼれず、ユニックもはいらず、おまけに高圧線上に枝がかかっているから、鳶に頼んで足場をかけるとかで、その一本で80万円以上の話なのだった。私としては、あの角のはのぼれる、しかし他のものはのぼれないと親方に報告しておいた。緑化委員の人も、苦情のある角の欅を短く剪定するのはいいとしても、他のを伐れというのなら、裁判で受けてたつ、とかいう話だったのだが、こんなに見積もりが安いのならと、5本ではいくらになるのかという理事会の話になって、いくつかの業者の見積もりと比較しても、でかいのは一本あたり十分の一近く、全体の金額でも比較にならない位なので、全部やってもらおう、枯葉の苦情がひどいから、葉の落ちるまえに、という話になったのだった。自然樹形で縮約するような剪定は無理だし無意味なので、一度寸胴切りにしてから仕立て直す、ということにする。それならできるかな、とまだ地下足袋は足の腫れがひききっていないので履けず、運動靴でのぼっていく。見た目ではよく読めなくとも、二連のハシゴを木によりかけた段階で、すぐ終る、とみえてくる。3日で全部の作業をおわらす。結局、親方をふくめた手元二人をつけて、すべて一人でのぼって切り下ろしたのだった。無事安全に作業をおえたとき、ピー太くんに感謝した。

こういう作業をしていると、かならず、「なんで切るんだ」「商売のためか」「ばかものめが!」と声をあらげたり嫌味をいってきたりする人がでてくる。原発作業員よりも、「ただちに」死ぬ確率は高いのだし、それは見ればわかるだろうとおもうのだが、いわゆるヒューマンな人たちには、同情の余地はないのだろう。自然というものに対する理念的な思い違い、自然(樹木)を剪定する技術にたいする無知、そういう理論的に簡単に反駁できるような議論はおいとくとして(「里山」がまったく自然ではなく、手を入れたものであることを考慮すればすぐに理解できること――)、問題なのは、切ってしまうという体制側の人間として、目の前の下っ端労働者がいる、ということである。この労働者の顔をまえに、単に「ばか」と言ってすませられるような態度なら、そうした人たちの反動を食らうだけだろうから、(左翼)実践としてはそれこそ「ばか」な観念インテリになってしまうだろう。しかし、<体制>と<人(労働者)>を分けて実践するような理論(やり方)を具体的に考えて整理し、それを区分け不能であらざるをえない現実の中で実践してみることは、複雑に錯綜した運動であるように思われる。しかしそうした理論的なおもいやりがないと、末端の労働者はすぐに観念の偽善(言葉が浮ついていること)に気づくし、意地(死ん)でも理念とそれに寄りかかる者たちを攻撃するだろう。それは、なお福島原発の現場にとどまり作業をおこなっている者たちに、商売のためか、利権のためか、「ばかものめが!」と嫌味を飛ばすことが世の中でどんな実践になりうるのか、と考えてみればわかるだろう。

……しかし、東京の植木屋さんの仕事も、庭木の手入れというより、こりゃ除染作業だな、と日々おもうようになる。雨どいの下だの、小学校の芝生養生シートとかに検出されてくる線量率の報道に接していると、あまり事故現場30キロ圏内とかわらない。そういうところを、マスクもせず、箒やブローで埃をもうもうと噴き上げて掃除しているのだから、若い人の間では、数年後になんか症状がでそうな状態だ。しかしそのときでも、われわれ労働者の被曝が話題になることはないだろう。むしろ、体制に屈従するしかないバカな怠け者だからだろう、とおもわれるのだろうか?

*東京の都の許認可を受けて営業している植木残財処理場では、チップにした木材のはけ口が流通ストップしているために、残財の山となっている、と捨て場にいってきた職人が言っている。どうも、普段は牛の敷き藁や堆肥としてリサイクルされるようになっているのだが、牛が被曝するというので、東京のそれは引き受ける農家なり業者がいなくなっているのだ。都がどういう対策を考えているのかわからないが、牛ではないヒトであるわれわれは、それでも住民の苦情処理のためにと、せっせとあいかわらぬ除染剪定をしている、ということになるのである。

2011年11月3日木曜日

科学と文体

「母親は、人生の意味を失ったりはしていない。「死因は真性白血病」と書かれた死亡診断書を見せながら「私は原発には絶対反対です。ソ連の原発はすべて閉鎖してやりたいです……」と言う。「私の娘は助からなかったけれど、どうか他の子供たちは助けてやって下さい。私もこれからは他の子供たちを助けていきたいと思っているのです」と言った。私ははっとして彼女の顔を見る。とても今子供を亡くした親の言葉とは思えなかったのだ。でもそのような思いなしには、娘の死が犬死になってしまうと考えたに違いない。娘が浮かばれないのだ。娘の尊厳を守るためにも、悲しみを克服するためにも、人は他の人々の悲しみと希望とつながろうとする。」(広河隆一著『チェルノブイリ報告』 岩波新書)


「どうやって新しいネコを見つけたお話ししましょう。私のワーシカがいなくなってしまったの。一日待ち、二日待ち、一ヶ月待った。私はひとりぼっちになるところだったよ。話し相手がいなくなるところだった。村を歩き、ひとさまの庭でネコを呼んでみた。「ワーシカ、ムールカ……ワーシカ! ムールカ!」。私は歩きに歩き、二日間呼びつづけた。三日目に店の近くにネコがすわっておりました。目を見つめ合いましたよ。ネコもうれしそうだったが、私もうれしかった。ネコはことばがしゃべれないだけなんですよ。「さあ、おいで、うちに行こう」。すわったまま「ニャー」。なんとかして説得しようと思った。「こんなところにひとりでいてどうするんだい? オオカミに食われちまうよ、殺されちまうよ。おいで、私のうちには卵やサーロ〔豚脂身のベーコン〕があるよ」。私が先にたって歩くとネコがあとからついてくる。「ニャー」「お前にサーロを切ってあげようね」「ニャー」「ふたりでくらそうね」「ニャー」「お前の名はワーシカだよ」「ニャー」こうして私らもうふた冬もいっしょに越したんですよ。」(『チェルノブイリの祈り 未来の物語』スベトラーナ・アレクシェービッチ著・松本妙子訳 岩波書店)

子供の誕生お祝いにと、インコを買った。青い鳥だ。ピー太くん、と呼んでいる。生まれたてから育てたので、今は手乗りになっている。子供はすぐに手でつかもうとするので嫌がってなかなかよりつかないが、私とは、朝食のトーストをいっしょに食べ、夕食ではこちらの箸の上にのってバランスをとっている。なんでまた急に小鳥を飼うことにしたのかは知らないが、女房の子供の頃になにかあったのかもしれない。寝言で、鳥に「ごめんね」とあやまっていた。私も父親が好きなので家にはいつもい、今でも実家では飼われているが、自分が可愛がって育てた、という記憶はない。ある時の文鳥は、やたら増えていったという記憶と、あるときは青大将にみんな飲み込まれてしまって、鳥籠の巣の中で、腹を膨らました蛇がどぐろを巻いて寝ていた、という思い出がある。しかしこう中年の大人になってから飼ってみると、言葉が通じない、だけど擦り寄ってくる、気まぐれだけど他意がない、というようなところからか、人あいてよりもずっとこちらの感情を移入できるようなきがしてくる。先月の志村動物園のテレビで、震災写真としても印象に残った、瓦礫のなかにうずくまって泣き叫んでいる若い女性の写真、傍らに赤い長靴……のは、実は肉親等が亡くなったからではなく、自閉症的だった自分と出遭って一緒に暮らすことになった捨て犬がいなくなって、というのだった。私は一瞬拍子抜けしたが、小鳥を飼ってからは、むしろなおさらそれ故に、と思うようになっている。幸いその犬は無事で、数キロ先の流された家の前で、ずっとその女性を待っているところを保護されたのだそうだ。……緊急避難ということで、飼い牛を置き捨てて逃げなくてはならなかった原発事故現場の農家の気持ちとはどんなものだろう?

低レベル放射能は危険視しなくていい、積算100ミリシーベルト未満に憂う必要はない、という臨床医、現場の医者の意見もある。その一人である東大病院の中川恵一氏の『放射線のひみつ』(朝日出版)を読んでみる。その主張の依拠するところには、疫学的統計事実だけではなく、生態的な文脈もがあるようである。――「しかし、私たちの細胞は、放射線によるダメージに「慣れて」います。そもそも、生命が地球上に誕生した38億年前から、私たちの祖先はずっと放射線をあび続けてきました。放射線によるDNAの切断は、突然変異を誘発する原因の一つですが、突然変異が起らなければ進化が起りません。自然放射線の存在は、進化の原動力とも言えるかもしれません。」

こうなると、やはり素人は不安になってくる。放射性物資の存在が限りなく消滅し、やっと低レベルな放射線量になったからこそ、その地球の表面にだけ生態圏ができ、われわれ生物が生きていることができる、というのも事実だからだ。「慣れて」いるのも事実かもしれないが、その影響がなくなってきたから我々は生きている、というのも事実だろう。どっちが<科学>なのだろうか? どっちの真実も科学なのだろうか? 事実としては、どっちも信用できそうだ。ならば、なのに、どうしてこうも対応(実践)の物言いが正反対になってしまうのだろうか? その現実(錯綜)を前に、不安と混乱にならない人がいるだろうか?

私、あるいは我々が、どう生きたいのか、その倫理・思想的な立場、前提(原理)があらかじめ決められていないと、事実もまた扱うことができない、ということの確認なのかもしれない。「事実というものはない、あるのは解釈だけだ」といったニーチェの近代批判の哲学にあるような。しかしまた、思想とは、そう明確な内容にあるものではないとしたら? 私の読んだ感じでは、つまりその文体から判断すると、意見が正反対な、低レベル放射線を問題視する小出氏とそうはさせまいとする中川氏は似ており、これまたそう意見が正反対な武田氏と山下氏が似ている。前者たちは誠実だが、後者たちにはいかがわしきところがみえる、というのが私の文学的判断である。前者には思想があるが、後者にはない、といってもいい。それは言っている内容や論理からくるのではなく、その物いいの力、感触からくる。読書量の少ない人たちはそのような判断の仕方をしないのかもしれないが、世間ではみなそうやって人を洞察しているはずだ。つまり言っていることではなく、その言い方によって。だから私は、言葉に誠実な小出氏と中川氏の両方をとる。反原発の立場をとりながら、放射能におびえない、ということだ。そしてその静かな覚悟、受容とは、つまり受苦的な思想とは、原発事故で愛娘や愛ネコをうしなった母親やおばあさんの、あの冒頭引用した言葉の姿勢に近いものなのではないだろうか?

2011年9月21日水曜日

口先と存在(デモと現実)

「夢の中で息子の声が響いたということは、父親には、こどもの身体に火が燃え移ったことよりも恐ろしいことだった。だからこそ、夢は耐え切れず破れたのだ。父親は目覚めると駆けつけて炎を消しただろう。だが、彼の内側に飛び火して燃えているその恐ろしいものがそれで消えたはずはない。息子の声はなおも父親の胸を抉るものとしてくすぶり続けただろう。ならば、夢から飛び火したそれは、蝋燭から息子に火が移ろうとしていた現実よりもリアルな出来事ではないか。ドストエフスキーの「おかしな男」も言う。「彼らはわたしをからかう、だってそりゃ夢にすぎないじゃないか、と。だが、この夢がわたしに大文字の真理を告げ知らせてくれたのであれば、夢であるかないかなど、どちらだって同じではないか」。ちなみに、ここで「真理」とは「おのれみずからのごとく他を愛せよ」なのである。」(山城むつみ著『ドストエフスキー』 講談社)

子供たちはキラキラしている。日曜日のサッカー練習から帰ってくると、一希は突然声をあげて泣きはじめた。ミニゲーム練習直後のミーティングで、いつのまにかディフェンダーをまかされてしまうチームメイトの男の子から、ずばずばと欠点を指摘されたのだ。いつもおとなしい彼の、突然の口火は、一希をびっくりさせただろう。その前日の試合は、監督からじきじきに、20年来使っているという黄色いキャプテンマークを託されて望んだのだった。しかし低学年とはいえ背も大きく、ひとりひとりが自分の役割とボールへの執着を覚えはじめている新宿のクラブチームとの戦いは、さんざんだった。一勝ニ敗。簡単にドリブル突破ができないことに直面すると、一希の足は呆然としたように鈍くなる。守備にも走らなくなる。そうなれば、常に自陣に追い込まれ、シュートの応酬だ。後半はキーパーにまわさせる。中心選手がいなくなったチームメイトは、なんとかパスをまわしはじめてサッカーらしくなってくるが、前に進んでいかない。シュートの応酬はさらに増える。キーパーとして一希は相当はねかえした。そして自分のいないフィールドで、今まで活躍を抑えられていた他の子どもがなんとかシュートを決める。ベンチコーチを任された父親としては、そうやって一人一人がゴールを決め、一皮向けて成長していく環境を作ってやる。しまいにはベンチに控えさせられて、「俺をださせてくれ!」と訴えはじめた一希を、若いコーチが出場させてやる。やっと切れがもどって決勝点を決める。しかしまた、一希のドリブルがはいると、チームとの連携がその分遅くなり、なおさらドリブルも思い通りにいかなくなると、力を抜いて足が止まる。「交代させるぞ!」私はおもわず叫んでいた。この身体的怒りはどこからくるのだろう? サッカーをやったこともない私が、サッカーコーチや父兄からベンチを任されたのも、自分の子供をえこひいきせず、他の子供たちと公平にみられる「大人」であるからだろう。しかしその公平的な感覚が、どこからくるのか、と内省してみると、それは私にも覗けないおぞましい世界からやってくるようにおもえる。

一希はいわば、自分の足元しかみえないいまの身体的くせと、他の子供の身体との連携をどうするかでとまどっている。すぐボールのまわりで団子になる(他の子のボールを横取りしにいく)その様を、後でみていたおとなしい子に指摘されたのだ。泣きじゃくる一希にむけて、私はいう。「弱い子は、よくみえているんだよ。口先でいっても、人の心は動かないよ。人をなめていはいけない。いっちゃんはキャプテンに選ばれたんだよ。」……しかし実は、私はこの言葉を女房に向けて投げていた。二人の性格に似ているところがあるからかもしれない。口先がうまく都合がいいというか……。私は、女房と市民活動への関わりの自己欺瞞を指摘していたのである。いまおまえが、子供の給食の放射能がどうの、東北支援がどうの、公園の草っパラや生活クラブでの活動がどうの、といっても、ではおまえの当初の反応、初動体制はどうだったか? 私がフクシマ原発は爆発するかもしれないと、団地トイレの自然換気口をハンカチと新聞紙で目張りしているのをバカにし、しかも4月に入るやそのハンカチを私への嫌がらせのように登校する子供にもたせ、家での団欒で子供がプールの水を抜く前にみんなでヤゴ捕りやったというのを聞いてびっくりして女房に確かめると「だからなに? 心配なら自分で抗議にいけ」と無関心。が、だいぶあとで、関わる市民グループの間でも問題化したのか、なんだかおまえが一番口だけ達者係りなようだ。しかし、他の人たちはみえているんだぞ、それがどんな動機からきているのかを。親方の息子は、女房を評そうとして口をにごらせたことがあった、私は推論した、言いたかったのは、「お嬢さんなんですね」、ということだったろう。おまえが生活クラブにいるのも、その階層にいることでなにか回復させたい自己があるからなのだ。自分が水俣病をおこしたチッソの役員の娘であり、通産官僚族の親類世界にいたことがまず自らの身体反応を作っているのだ。おまえが事故当初、東電びいきな判断をしていたのは、自分のそんな子供時代の何かが壊されるからなのだ、そしてその破損を修復するために、市民左翼的な階層に参加しえている、根源的な反応(身体のくせ)をごまかすために、原発事故の事象を利用して騒いでいる……そのことを、「お嬢さん」ではない参加者たちは見抜いている。人をなめてはいけない。しかしまた、現に大学での「お嬢さん」階層に属しているエリート旦那の奥さんがたは、おまえがそこにいることに違和を抱いているだろう。おまえの自意識がどうであれ、もはやおまえは末端の労働者の女房なのだ。そう存在してしまうことと、自分がありたいこととの意識とのズレを自覚できないとき、人はイデオロギー(口先)に染まる(陥る)のである。――「運動の指導者になりたい人たちはたくさんいます。この人たちはテーマは何でもよいのです。人をたくさん集めて何かをする大衆運動が好きなのです。これは、集団行動するサルの習性ですから、人がこのようにするのは当然で、非難すべきことではありません。」(槌田敦著『エコロジー神話の功罪――サルとして感じ、人として歩め』 星雲社)

泣きじゃくる子供と、熱中症で熱があるとその子を抱える母をあとにして、私ひとりで、9/19日の「さよなら原発」のデモにいってくる。人よりも、私には、のぼりの旗がめだった。そのためか、ここは、時代劇によくみる、戦国時代の戦場というか、その歴史に従属している空間であるようにみえてきた。私がここにいることは、何事であろうか? どういうことであろうか? 「福島県の子供たちは、熱中症にもなれないんだぞ。自分のことばかりではなく、パスをだすんだ。」そう子供にいうことで女房に言い聞かせて家をでた私は、のぼりで埋まる空間に埋まっていた。「自分を愛するように隣人を愛せ」……あの怒声、身体の反応、他の子供たちとの公平の感覚は、どこからきたのだろう? 私はその試合中、私が少年野球をしていたときの父との関係を思い出した。監督をしていた私の父親も、むしろ息子には厳格だったほうだろう。ならば、父はなぜそうなのか? 私はこの怒り、不公平感を、三人兄弟のなかで、女の子代わりになっていた私への母のえこひいき――こっそりお菓子をくれるとかの――に原因をさぐっていた。ならばその怒りとは、「私を男としてあつかえ!」ということなのだろうか? 「女(娘)として支配しようとするな!」ということなのだろうか? 女房(娘)とその母との関係は、まさに長女と母とのすさまじき関係であり、あったようである。会えば喧嘩する。その娘を、私よりも10歳以上も年上のその女を、私は「妹」と感じていた。そう暗示したいつかの発言を、女房は理解したと暗示してきたことがあった。つまりわれわれは、親子という縦割りの関係を出た者どうしの、「兄ー妹」という、連帯的な同志関係の感性として築かれたのである。女房の気性の振幅は、だから私が「男=支配」から降りたところからきているのかもしれず(つまり私を「女」として認めろ! あるいは老いへのあがき…)、逆に、それでいて、私が「男=支配」として出現することがあることからの嫌がらせ(こちらに気づかせるためのあてこすり)、ということなのかもしれない。……となれば、身体からの怒りとは、公平を要求する女たちからの怒りなのかもしれない。それが、父という審級を貫いてやってくる。「自分を愛するように隣人を愛せ」。……腰を痛めて原宿駅で脱落した私は、家に帰って寝転びながら、図書館から借りて読みかけの、冒頭引用の山城氏の『ドストエフスキー』を読んだ。そのイエスの「愛」の言葉が、「復活」という現実に結びついているという論理に目が覚めて。この3.11の大災害で、わが子を失った父親の嘆きのなかに、わが子の「復活」が現実でありうることを知って。

<『ヨブ記』にあるのは《邪悪で不正な人々が安逸を貪っているすぐ傍らで、善良で正しく生きようとしている人に災厄が降りかかるというような不公平がこの世に存在するのはなぜなのか》という、この問い以外はすべて神学的なおしゃべりにすぎなくなってしまうような人生の難問だが、『カラマーゾフの兄弟』はこの問いの全重量を《何の罪もないこのこどもに災難が襲いかかるのはなぜか》という一点で支えようとしている。…(略)…《ほかでもないこのイリューシャにこのような不幸が降りかかってこの子が死なねばならないのはなぜなのか》。これはヨブの《なぜ》である。むろん、そこに理由などない。ただの確率的問題があるだけだ。しかし、そんなことは分かっているのだ。分かっていても《なぜ》は消えないのだ。否応なく確率的位相に放り込まれ、それにほんとうに苦しんでいる人は、世界の基底に確率性を見出す洞察で満足したりはしない。…(略)…それは《私のこどもが私のこどもであるのはなぜなのか》と問うことに等しい。親子の愛が問題なのではない。モラルではなくて「存在」が問題なのだ。…(略)…「ぼくは死んだら、いい子をもらってよ、ほかの子を……あの子たちの中からいちばんいい子を自分で選んで、イリューシャと呼んでさ、ぼくのかわりに愛してあげてよ…」(略)…「ほかの子」にはどの子がなってもいい。…(略)…十二人ほどのこどもたちのうちどの子でもかまわないのだ。彼らは今、追善供養のプリンを食べるためにスネギリョフの家に戻ろうとしている。「こどもたち」というルーレットは、アリョーシャを中心に水平に回転している。盛んにはじけ飛んでいる玉もやがては静止するだろう。どの子の上で玉は止まるのか。繰り返すが、どの子でもありうる。しかし、だから賭けるのがルーレットではないか。カルタショフ少年に賭けよう。こどもたちは、ヤシの木のまわりを高速度で回転したトラたちのように、すでに個体性を失ってバターのように流動しているが、それでもカルタショフ「らしい」ひとりの特異性(単数性)は聞き分けられるのだ。ちょうど新生児室の赤ん坊たちはどれも似たりよったりで個体性をほとんど持たず識別不能だが、笑顔ひとつ、泣き方ひとつ、しぐさひとつ、しかめている顔ひとつとってもどれひとつ同じものはなく、それぞれ異なる単数の出来事が不断に感受できるように。カルタショフ「らしい」その「ひとり」が、スネギリョフにおけるイリューシャという固有名のアクシスを寸断し「わが子」という絆を断ち切って介入するならば、そしてスネギリョフとイリューシャとの親子関係を任意の「こども」との関係として全く新しく再組織するような「邂逅」を来たしさえするならば、その場合には、死後に「別の世界」で蘇生などしなくても、「この世界」の中の非ユークリッド的な地点でイリューシャの「復活」は起こるだろう。逆に、たとえこどもたちとスネギリョフが死後のいつか、ふたたび生を受けて死からよみがえり、もう一度、イリューシャと会ってうきうきと語り合えるとしても、平行線が交わるような非ユークリッド的「邂逅」が「この世界」において起っていなかったのなら、死後の世界でのそんな蘇生があっても何の意味もない。こどもには「別の世界」は問題にならない。「この世界」だけが問題だ。こどもが生きている、どんな目的もどんな終わりもない世界が「この世界」なのだ。残忍でありうる力によって善良な彼らは、その善良でありうる力によって残忍さにまみれながらもこのエンドなき世界を、疲れを知らずに動きまわっている。不定冠詞のこども(a child)の場所は定冠詞の世界(the world)だけなのだ。>(前掲書)

2011年9月10日土曜日

自由(=自治・主体)へ向くまえに(=ために)

「ワールドカップの優勝国には、共通点があるのを知ってますか?」「歴代優勝国は、すべて自国の監督が率いているんですよ」「南アフリカでの岡田監督は、土壇場の決断力でチームをベスト16まで持っていってくれた。自国の監督というのは、ワールドカップの結果に関わらず、大会が終っても自分の国に住むわけですよね。代表監督の仕事ぶりによって、自分の価値が上がることもあれば、ひどく傷ついてしまうことだってある。背負うものが、ものすごく重いんです。一生を賭けていると言ってもいいぐらいで。その一方で、外国監督はどうか。そこまでのリスクはないわけです。契約満了となれば、自分の国へ帰っていく。街を歩いていても、指をさされるようなことはないですよね」「ワールドカップという舞台のパラグアイ戦のようなゲームが、最後の最後の土壇場になってくると、メンタルが戦いの成否を分ける。本当の意味でチームがまとまって、心がひとつになっているか。最後の一滴までエネルギーを絞り出せるか、というところにかかってくる。覚悟を持って戦うチームが勝つと思うんです。その覚悟はどこから生まれるのかと言えば、自分が育ってきた国や生まれ故郷への誇り、自分が育ったチームの監督、自分の家族に対する責任、応援してくれる人たちへの感謝といったものです。ワールドカップの優勝国がすべて自国の監督に率いられているのは、自分たちのDNAに訴えかけるような一体感があるからだと、僕は思うんです」(山本昌邦・戸塚啓著『世界基準サッカーの戦術と技術』 新星出版社)

前回ブログを引き継いで言えば、マッカーサーをマレ人とみる民俗学的見方がかつてあったかもしれないとしても、われわれがそんな素直に来客を神としてあがめられる意識を維持しているわけでもなく、むしろ、外人頼みではあまりに情けない、という世俗現実主義なズレの意識をいまや抱え込んでしまうのが、とくには敗戦からの高度成長を成し遂げた日本人の感性として普通であるだろう。しかし、ということはやはり、そのズレには、つけ込まれる弱さがある、ということも確かだ、ということだ。この主体性(決断力)ということに関し、次のような分析整理を引用しておこう。

<ただし、菅首相は、一度だけ、一瞬だけ、レーニンのように振る舞ったときがある。浜岡原発の稼動停止を要請したとき――というより事実上命令したとき、である。このとき、首相は、自分より上位の審級に、停止の許可を求めようとはしなかった。純粋に自分自身で決断し、自分自身によって自分の命令を権威付けたのである。浜岡原発への停止要請によって、国民の脱原発への支持率が一挙に上昇した原因は、この点にある。その瞬間だけ、国民は、新しい第三者の審級が出現し、脱原発へと向けた実効的な行動を許可しているのではないか、と感じたのだ。>……(この箇所への註として)<菅首相が浜岡原発の停止を要請したのは、アメリカ政府からの圧力があったからだ、と述べている者もいる。私には、真相はわからない。いずれにせよ、「総理の中部電力への要請=命令がアメリカの指令に基づいているように感じられた」という事実は、ここでの私の主張を裏付けるものである。確かに、もしほんとうにアメリカ政府の圧力が理由で、首相の要請が発せられたのだとすれば、「首相は上位の審級の意向を顧慮しなかった」という認定は事実に反するものとなろう。この場合、第三者の審級は、言うまでもなく、アメリカである。しかし、仮にそういうことがあったとしても、そのことは一般の国民にはわからないことだ。むしろ、多くの国民は、菅首相が中部電力への要請を表明したとき、首相のところに第三者の審級が降臨しているのを直観したのだ。その上で、その第三者の審級と菅首相とを重ね合わせることがどうしてもできなかった一部の国民は、首相のさらに背後に本当の第三者の審級を――アメリカという形態で――見出そうとしたのである。「アメリカ云々」の噂がかなりの人に説得力があるように感じられたという事実こそ、むしろあの瞬間(だけ)菅首相の身体の場所に第三者の審級が現前しているのを多くの国民が感じていたことの証拠である。>(大澤真幸著「可能なる革命」第3回 『atプラス09』太田出版)

私の情勢認識は大澤氏のものとは違うが、その問題設定は共有することができる。当時のこのブログでも発言したことだが、私は、菅首相の決断は中途半端なものであり、「要請」という他人に下駄をあずけるような形式自体がいかにも日本的な曖昧さをなぞったもの。が、法的にそんな権限が総理にもないというのならば仕方がない、勇断だ、というものだった。(が後に、環境エネルギー政策研究所の飯田氏の指摘によれば、「要請」ではなく、端的に「命令」することも法的には可能だったそうである。)世論調査の脱原発支持率上昇ということにしても、それはそんな首相の決断とは関係なく、被災避難する福島県の人たちの惨状が、関西方面の人にもわかるようになってきたから、というものである。またアメリカの介在、ということに関しても、私は副島氏が、官邸の後にあるホテルから通じた秘密地下通路を行き来し、大統領からの全権委任を受けた〇〇という政治家が様々な支持をだしているのだ、という話も、明治以降の日本の歴史や、現今の他の第3世界や被植民地国の様を想像すれば、十分ありうることだと認識する。しかし、現実の問題とは、そうした事実にはない、あるいは、それではすまされないと認識するがゆえに、私は大澤氏のような問題設定を共有するのである。しかしまた、その現実設定が、事実(裏話)をいかがわしき噂として見向きせずともよい高尚なものだ、ということでは全然ない、と考える。なぜなら実践とは、単に下世話で世俗的な次元においてしかありえないからだ。人々がデモをするのは、政治家の行きすぎた賄賂といった腐敗、官僚や財界人の行きすぎた内輪びいき、自治を阻害する行きすぎた権力行使、こういったありきたりのものに対してだろう。こうした世俗の活動なくして、われわれの精神は健全さを保てない。つまりそこにこそ、逆に現実的なものへのアプローチが実践的につながっている、ということなのだ。
ラカン派の精神科医というべきなのか、斉藤環氏は、次のように発言している。

<しかし人災としての「フクシマ」はそうではない。それは予防可能な人災でありながら、いまだ測定不可能な被害をもたらした。この測定不可能こそが潜在性の領域であり、それゆえこの潜在性は、その意味も定位も定かではないまま「フクシマ」という表記のもとで象徴化される。これこそが潜在性の現実化にほかならない。/「フクシマ」の潜在性は、われわれの「日常というプログラム」を書き換える。この日常の多層性に”放射能というレイヤー”が強制的に挿入されたのである。さきに引用した浅田彰の言葉に戻るなら、この日常の多層性は「フクシマ」によって豊かにされた、と言うべきだろうか。/たとえば「分裂病」のような、完全には予防不可能な潜在性の問題については、そのように言いうるかもしれない。現実的には治療の対象でありながらも、その存在そのものは「肯定」するほかはないということ。逆説的な言い方になるが、こうした肯定のもとにおいて、分裂病の治療という「可能性」について、われわれは考えることができる。/しかし「原発事故」はそうではない。それは予防可能な潜在性の「現実」化にほかならず、まさにその予防可能性において「否定」されなければならないからだ。…(略)…ならば、はたして被災した時間は修復できるのだろうか。最大の処方箋は”政治”しかない。全面的な脱原発へと向けた現実的選択へ踏み切ること。それは科学ではなく思想の選択であり、論理性よりも象徴性を優先させる選択でもある。だとすればそれは、はっきりと政治の領分なのだから。/繰り返し強調してきたように、もはや原発との共存は、少なくともそれを選択することは、この列島においては、分断された時間と破壊された想像力を温存することしか意味しない。だとすれば、何の恥辱も感ずることなしに、そうした選択は不可能である。/ふたたび「未来」を回復するには、われわれにはまだ「時計の針を巻き戻せる」ことを示す以外に手段がない。そのための脱原発であり、かくして「フクシマ」の潜在性は、このうえなく強い否定のもとで象徴化されるべきなのである。>(「”フクシマ”、あるいは被災した時間」『新潮』2011.9月号)

あの宝島社のマッカーサーの広告をみて、もはやイロニーに陥らず、それがなんのことかわからない、その白痴的な健忘症を手に入れたとき、私たち日本人は健全になるだろう。つまり過去から自由になるためには、ひとつひとつの段階をクリアし、日常において自信を回復させていくしかない。被災避難したフクシマの農家が被曝した牛を連れて東京の街中をデモをする。それがまったく健全な道筋であることをわれわれは疑えない、そのように、もはや当事者としてのわれわれが、街中の闘争で勝ち、自信を反復させていけるかが、現実(潜在)的なものの領分(最後の審判=審級)をこの世界に降臨させるのである。

2011年9月2日金曜日

放射能と(再)占領

「チェルノブイリの事故からすでに五年が経過した現在、被害者が何万人に上り、爆発事故のあった半径三〇キロの範囲内だけでなく、その地域のみならず共和国全体がまるごと放射能に汚染されたことが判明している。私は、真実を求めた当時のたたかいがどれほど重要だったか、一九八六年四月のあのころよりはるかにはっきりと見えるようになった。あのとき、たたかいに負けたことで、われわれは自信を失った。過去に何度も繰り返したように、この世で最も尊ばなければならない価値である「人間の命」を、無視してしまったからだ。」(『希望』エドアルド・シュワルナゼ著 朝日新聞社)


前回のブログでも述べたが、福島県からの帰りに、借りた線量計で計った私が住んでいる中野区の上高田団地の一時間あたりの線量率は、0.11から0.13マイクロシーベルトだった。練馬区の東大泉からこの団地まで、だいたいはその間で推移していた。これは、われわれが福島県の夏井川上流地点、福島第一原発事故現場から約40km近辺であろう地点で測定した値0.14に近いということだ。ここ中野区の団地から3kmほどの新宿区の百人町で調査公表している文科賞のデータでは、地上1メートル地点での測定で、0.07マイクロシーベルト毎時くらいとなっている。この差が何なのか、どういう意味をもっているのか、私にはわからない。しかしさらに、新聞で公表している全国の環境放射線量は、東京よりも大阪で高く0.08前後で推移し、愛媛県では0.08以上で推移しているのが最近である。この誰の目にみえる差がどういうものなのか、マスメディアは何も解説してくれない。これでは素人には、ミステリアスJapanである。おそらく、なお何かを隠しているのだろう。前回ブログで紹介した小出氏への質疑応答の中で、原発事故現場の地上亀裂から水蒸気がもれているという情報もあるが、それと小出氏の推定するメルトスルーとは関係があるとおもうかどうか、という質問があったが、小出氏は、そういう情報があることは知っているが、正確にはわからない、という返答であったとおもう。ちなみに、私は知らなかったが、その地下から水蒸気がでている、という報道とは、以下のものかもしれない。<8/17 Russia Today 福島第一・地面から水蒸気が噴き出している>……たしか、7月中での報道では、建屋を覆うシートの対策のことが盛んに広報されていて、1号機では8月中にやるとかいっていたはずで、その鉄骨を組む予行演習の様も放映されていたが、それはどうなったのだろうか? もし、このRussia Todayの報道が真実なら、そんな作業も現場ではできなくなってしまったのだろうか? となれば、むろん、小出氏が主張していたような地下ダム、融けた燃料が地下水に流れて拡散しないように防ぐ工事施工など、なおさらできないということだろう。しかし今さらになって、お手上げとはいえまい。

ペレストロイカに関わったシュワルナゼ元ソ連外相によれば、冒頭引用にあるように、チェルノブイリ事故時の情報開示の是非をめぐる内輪の抗争において、ペレストロイカ派は負けた、と言っている。これは、大統領だったゴルバチョフの認識とは根本的に違う認識なようだ。ゴルバチョフは、旧体制の弊害の露呈を認めたが、当時政府がほんとうに事実関係を知らなかったのであり、情報開示をめぐる守旧派や党官僚たちとの闘争のことは、その自伝では述べていない。だから、その時点で、改革の現実を認めても、すでにそこで負けたのだ、というシュワルナゼのような認識はない。シュワルナゼは、ゴルバチョフをこう評価している。――<人間として、父として、夫として、そして最後に彼の同僚として、私は大統領がフォロス(クリミア地方の大統領の別荘がある村)の宮殿の牢獄に拘禁されるという七十二時間にわたる悪夢を見ていた。彼は非常事態国家委員の囚われ人だった。しかし、彼が帰還し記者会見に姿を見せたとき、私には彼が以前のままの囚われ人であることが分かった。彼は自らの性格、思考、行動様式に囚われたままだった。いま私はきっぱりと断言できる。非常事態国家委員会を育んできたのは、ほかのだれでもない、彼自身なのだということを。彼は自分の不注意と決断力のなさ、賛成したり反対したりぐらつく傾向、人を見る目のなさ、本当の同盟者に対する無関心さ、民主勢力に対する不信感、国民という名の要塞を信じないことなどによって、非常事態国家委員会を育んできたのだ。国民のほうは、彼が導入したペレストロイカによって変わっていたというのに。>(前掲書)

さてわれわれ日本人はどうだろうか? 民主党が政権をとり革命といわれ、フクシマ原発事故が起こり、変わっただろうか? 今日9/2(金)の新聞広告に、見開きすべてを使った宝島社の広告がでている。「いい国つくろう、何度でも」とコピー文句をうたったその広告写真は、パイプくわえたマッカーサーが航空機から降り、まさに日本に上陸しようとしている、あの敗戦を象徴する有名な写真である。これを目にしてびっくりしない日本の大人はいないだろう。こんな広告を作った会社の真意は私にはわからない。広報では、敗戦や災害などの苦境を<不屈の精神と協調性>で乗り越えてきた日本人の歴史を喚起し、<日本人が本来もっている力を呼び覚ましたいと思いました>とある。しかし、写っているのは外国人。裏社会のことに関してよく書籍をだす出版社のことをおもうと、コピーは字義通りとしても、その写真とのずれから、表の意味を素直に受け取るわけにはいかない。素人ブログでも、こんな時期だから復興の力強さというのはわかるけど野田氏とマッカーサーを比べても……という意見になるようだ。つまりどうみても、日本人の感性では、イロニーにしかうつらない。つまりどういうことか? 写真どおり、この震災・原発事故後の日本は、敗戦し、アメリカに占領されようとしている、何度というか、もう一度、ということだ。この広告は、私たち日本人が触れたくない裏の現実を露呈させようとしている(というか、何か知っているのではないか? 近いうち、何か暴露本をだすのではないか?)。民主党代表選挙の得票率の内実をみても、これは菅氏と小沢氏が争ったときの票数と似ている。松下政経塾あがりの、毎朝駅前演説していたという律儀な人で、財務大臣あがり……ほんとに危機を乗り越えようとしているのかわからない、というか、この機に及んでそういう律儀ものを選んだ民主党議員の内訳は、あやしくなるばかりである。私は、原発事故後の負けを認めない菅元総理への不信任決議投票のときの、民主党から破門された松木議員の姿を思い出す。菅氏の煙幕演説で急遽変更され内輪で取り決めた不信任案否決の白札をもって壇上にあがった彼は、突然頭をふってポケットに隠し持っていた青札を入れた。初心どおり、首相へ不信任の票を投げ入れたのだ。私には、隣室で篭城していた小沢氏とともに、これら政治家の姿から、白虎隊や天狗党といった幕末の武士の様を連想した。われわれが松木氏を取り返す、と投票後の民主党執行部の処置に、福島県の子どもを疎開させようと決議案前の衆参議員大会で菅首相に訴えた原口元大臣は言ってみせたが、その気概はなお生きているのだろうか? ソ連では、エリチィンというとんでもない型破りな男がでてきた。ロシアの民衆も、魂をもった者の方を支援したのだ。日本はどうだろうか?……おそらくアメリカをはじめとした支配勢力は、日本国土をこのまま放射能づけにして日本人の行動を不能にさせたままに、いかにわれわれが敗戦で築いた財産を簒奪するかを考えているのだろう。全国に拡散されるままの線量計の数値が、そう物語り始めているようにみえる。

2011年8月28日日曜日

「食べる」vs「食べない」を克服するために 2

昨日27日土曜日、東京は台東区でおこなわれた市民集会に参加してきた。主催は<核・原子力のない未来をめざす市民集会実行委員会>だそうで、その第二回目。講師として、元原子炉設計者の田中三彦氏、子供を被曝から守る福島ネットワークの中手聖一氏、京都大学原子炉実験所の小出裕章氏。前回ブログで、その小出氏が、「食べる」派の論理を訴えているのではないか、と私は示唆したが、ちょうどその集会での資料に、小出氏がチェルノブイリ事故後に書いた文章があった。(1989.1/12)。今回は、どうも生活クラブかなにかの冊子に寄稿したのだろうその「弱い人たちを踏台にした『幸せ』」と題し、「汚染された食べ物を誰が食べるのか」と副題されたその文章を引用・紹介してみることにする。市民集会の講演では、そうしたたぐいの話にはふれていなかったが、その短いエセーは、生活思想といったもので、全文紹介したくなるような話である。なお、その紹介あとに、東和町の菅野氏から購入した『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ)からも、私の心にふれたニ、三の記述を追加しておこう。 (引用中の/は、実際文章上では行変えを意味します。)

小出裕章氏………<残念ながら、チェルノブイリの事故は、すでに過去形で起ってしまいました。そして、そうであるかぎり、食糧が汚染することももう避けられません。従って、いま私たちに許されている選択は、汚染した食糧はいったい誰が食べるべきなのかというたった一つしかないのです。/日本はいま、世界一の金持ち国ですから、いざ本気になれば、それなりに汚染食糧を国内に入れないようにすることは可能です。でも、日本に入ってこなかったからといって、放射能で汚染した食糧がこの世からなくなってくれるわけではないのです。それは、他の誰かが食べさせられることになるだけです。>

<私的にことになりますが、私は一五年前から、連れ合いと二人で生活するようになりました。でも、この猛烈な差別・選別の競争社会の中で、『わが子』をもつということに強い抵抗を感じ、子供を作らずに長いあいだ二人で過ごしてきました。しかし、さまざまな葛藤の末に子供を作ることを決心し、五年前に太郎を、その後、次郎、三四郎と三人の子供を迎えました。彼らが私たちのところにやってきてから、私は改めて子供の個性の多様さ、そして面白さを知ることができました。(正直いうと、あまり面白すぎて、もう毎日へとへとです。)そして、どの子供もその多様さを尊重しながら、公平に個性を伸ばしたいと、ますます強く望むようになりました。/次郎は、生まれながらにいわゆる先天的な障害を背負って生れました。それは次郎の個性であり、それをただそのまま受け入れて、次郎とともに生きて行くことを私は切望しましたが、残念ながら、私たちが次郎の生命を守れたのはわずか半年しかありませんでした。/一人ひとりの子供たちは、自らの個性を選択して生れて来るわけではないのに、次郎の場合がそうであったように、生物体としての個性の面でも現実の社会はまことに過酷なものです。その上、私たちは、私たち自身に責任がある社会的な面での差別・選別を子供たちの上に何重にも重くのしかけています。>

<チェルノブイリ事故以降、私は自分自身の手で汚染の実態を調べてきましたし、放射能の恐ろしさについても、誰よりもよく知っているつもりです。私は、もちろん、放射能で汚れた食べ物を食べたくありません。しかし、日本という国は、原発を三六基も動かし、一人当たりでは世界平均の二倍以上のエネルギーを浪費している国です。そして、私自身はこのニ〇年、原子力利用に反対してきたとはいえ、いま現在、原子力の電気を利用するこの国に生活している事実を否定できません。また残念ながら、今の私には、日本が拒否した場合の汚染食料を貧しい国々に押しつけることを、具体的に阻止する力も方策もありません。そうであるかぎり、私には放射能で汚れた食べ物を自らが食べる以外の選択はできませんでした。/私は、チェルノブイリ事故以前から、スパゲッティはイタリア屋、チーズはヨーロッパ産を好んで食べました。事故以降、それらが汚染されていることをもちろん私は知っていますが、私はそれらを敢えて避けずに、食べ続けています。原子力を選択するとはどういうことなのかを自分の身体に刻み込むために、そして、その痛みを忘れないことによって一刻も早く原子力を廃絶させるために、私はその選択を続けたいと思っています。/もちろん、一人ひとりの選択は多様であるべきで、すべての人々に私と同じ選択を迫るつもりはありません。当然のことながら、日本の国内で汚染食糧をどう取り扱うかという問題も、とても大切な問題です。しかし、日本の国に汚染食糧を入れないように求めることだけは決定的に間違っていると私は思います。>

<私に手紙をくれた子供たちはどの子もとても深くものごとを考えています。そのすべてをこの紙面で紹介できないのが残念ですが、彼らが出し続けている学級通信にはこんなことも書いてありました。「ぼくたちは、今いろいろなことを考えようとしているけど、おとなになったら、今のおとなみたいに考えなくなるんじゃないかなあと思いました。」私は、全世界の子供たちに、そして原子力を選んだことに責任がない大人たちには、汚染食糧を食べさせたくありません。そのために日本の大人たちはいったい何をすべきなのか、そして何をしてはならないのか、皆さん一人ひとりにもう一度考えて欲しいと思っています。>

明峰哲夫氏(農業生物学研究室)………<「天国」では、人は自然の姿のうち自分に都合のよい部分だけ”つまみ食い”してきました。明るい、温かい、美しい、清い……。「故郷」では生きるためには、自然がみせるすべての姿をそのまま受け入れなければなりません。/人が自然と一体となって生きるには、自然は自分と不即不離の関係にあり、その不都合な部分だけを捨てることはできないという覚悟が必要です。自分の身体の一部が具合悪くなっても、それだけを捨てることができないように。/「3.11」により、土も海も汚染されてしまいました。人は、そこからひとまず退却しなければなりません。けれども、汚染が比較的軽微な周辺地域では、そこにとどまるという選択もあります。「邪悪」なものは徹底して「排除」するという感性は、私たちが「天国」で身につけてきたものです。「故郷」では、「邪悪」なるものも「受容」できる感性が必要です。/ここで大切なことは、何が「邪悪」なのか、「邪悪」をどの程度受け入れるべきかは、基本的にはその人の判断で決めるということです。「天国」では、その判断は政治家や科学者に委ねられていました。「故郷」では、その判断は一人ひとりの人間の選択として行われるのです。ここでもまた人は”胆力”とでもいうべき総合的な判断力と決断力が試されます。/「故郷」の再生。そのためには何よりも種子と、それを播く人が必要です。私たちはまた明日になれば、種子を播き続けなければならないのです。>(「天国はいらない、故郷を与えよ」)

秋山豊寛氏(ジャーナリスト・宇宙飛行士)………<利権集団は、機会さえあれば、自らの利益を拡大しようと狙っています。その集団は、国際的ネットワークに支えられています。今回のレベル7の原発事故にしても、このあと「焼け太り」を狙っているのは確実です。浜岡原発の一時停止などは、あとで二歩前進するための一歩後退にすぎません。「敵強ければ、すなわち退く」という昔ながらの兵法に従っただけ。ノドもとを過ぎて人びとが熱さを忘れるのを待っているのです。…(略)…最大の問題は「経済成長がなければ、豊かになれない」という認識です。現在の世界のシステムが、ほぼ、こうした認識を基本につくられているという意味で、この部分は強敵です。しかも、「成長にはエネルギーが不可欠」という言説が伴っています。/ここで問い直さねばならない基本的テーマが浮かんで来ます。/「私たちは、経済成長がなければ豊かになれないのか」/「豊かさ」を「どのように捉えるのか」は、ここ数十年、基本的な問いかけとして、ことあるごとに登場しました。「ものの消費に基づく経済の成長には限界がある」という問題が提起されたのは、1970年代初めでした。/その後、ソビエトの崩壊や中国の変化など地球表面での「市場」の拡大は続き、「成長の限界」は、まだ「臨界」に達するには余裕があるような空気が支配しています。「原発ルネッサンス」などという言説が隆盛を極めたのは、つい最近のこと。「脱原発」への道のりは、険しく、厳しいのです。/とはいっても、希望はあります。それは、人びとの気づきです。洗脳され、「それしかない」と汚染された脳を清浄化することです。さらに多くの人びとが真の豊かさに気づくことから、「脱原発」は始まるはずです。>

渥美京子氏(ジャーナリスト)………<電力だけでなく、東京の食を担ってきてくれた福島の大地。汚れてしまったから、汚染されていない土地の食べものを買って食べましょうという発想を、私は拒否したい。危険な原発を福島に押し付け、豊かさと便利さを享受してきた東京の人間は、大地の汚染をどう引き受けるかを考えなくてはいけない。もう子どもを産むことのない私は、福島の彼らが作ってくれたものを食べようと決めた。/だが、それは覚悟だけでできることではない。台所に立つたびに、容易なことではないと実感する。私には中学生の息子がいて、できるだけ汚染されていない大地で採れたものを食べさせたいと考えている。キュウリやトマトなら産地を分けて別の皿に盛ればいいが、ご飯はそうはいかない。炊飯釜が2つ必要になる。野菜の煮物は別々の材料を用いて、別々の鍋で作ることになる。/とんでもない手間がかかる。生活に即した実現可能な方法を考えなければ、日々の忙しさにかまけて覚悟倒れになりかねない。放射性物質を除去するための調理方法の研究や、免疫力を上げる食事の工夫も、これからの課題となるだろう。/悲しい現実ではあるが、放射能の時代を生きることになってしまった。現実を見据え、できるかぎりのことをしながら、前向きに生きるしかない。/これ以上、東北人を死なせてはいけない。そのためには、彼の地の恵みに育ててもらったおとなが責任を取るしかない。覚悟して食べるのだ。未来はその延長線上にのみ開かれる。>

*追記報告; 冒頭写真は、福島氏の街路樹。事故後、放射能対策として、新しく植え替えて、その下に、ひまわりを植えたのだろう。庁舎のまわりでは、平均して毎時1~2マイクロシーベルトだったが、排水溝にたまった松の枯葉近くでは、3マイクロを超えていた。

グループが測ってきた放射線量の主な地点のものを、以下にメモしておこう。単位はみなマイクロシーベルト毎時である。:いわき市夏井川河口0.2、ひろの町0.7、夏井川上流0.14、東和町0.3、山際町(福島第一より30km地点)1.68、浪江町(21km地点)9.1―――ちなみに、この10万円ちょっとするという線量計では(東和町で使用のものは100万円をこえるというものだった)、東京の練馬区東大泉近辺で0.1マイクロをこえ、私が住む中野区上高田の団地でも、似たようなものだった。子どもの遊ぶ砂場でも同じ。ただ、団地の建物内に入り風がふくと、その数値が0.13とあがるところが、やはり何かそこにある、というリアりティーを感じさせてきた。



2011年8月22日月曜日

「食べる」vs「食べない」を克服するために

「…まず見捨てられる地域と勝ち組の地域を分けようとする動きが出てくるのでは。分配するパイ、資源が減少する中、仕方ないじゃないかとね。米国では、保守派の草の根運動『ティーパーティー』がそう。現に明暗をはっきり分けるような首長や政治団体が地方の大都市に出てきている。それは日本をより分裂させていきます。」(姜尚中発言 2011.8/19 毎日新聞・夕刊)


昨日、福島県に入り、小名浜のほうからいわき市をとおり、郡山市をかすめ、第一原発事故現場より20km地点の川俣町、そして福島市をみてまわってきた。線量計をもって。グループの目的は、川俣町の隣にある二本松市は東和町のNPO団体「ゆうきの里東和」での農業取り組みの話しを聞き、東京は中野区で行ないたいグループの企画を説明しにいくためである。私はその予備運転手として参加させてもらうことになったのだ。けっこうな雨がふるなか、傘もささず、カッパもきず、20km近辺で立小便をしていると、線量計で放射能を測っていた人たちが、9マイクロシーベルトを超えた、と声をあげてくる。30km近辺では1.68ぐらいだったのが、それ以降の10kmで、どんどんあがっていったということになる。これはさずがに、雨に濡れたりするとやばいのかな、とおもいながら、傘をさすことにした。しかし、計測器の中の数値がかわっても、何もかわらないし、その変化を実感もできないのだから、奇妙な感じだ。恐怖心というより、変なの、と。しかし封鎖するおまわりさんと話して車をUターンさせて走りはじめると、胸が痛くなる感じになる。呑気なようでいて、内心にはストレスがかかっていたのだ。そこにずっといるということはどういうことか? 30km圏内の警戒区域では、ほとんどの民家に人影はない。田んぼ、車道脇、山では草や蔓が繁茂し、このまま1年ほうっておいたら、またもとにもどすには(放射能がなくとも)、何年もかかるだろう。
今の世論の動向はどうだろうか? 私はおおまかには、自己犠牲的に福島の野菜を食べてゆくようなみんな一つにの右側の人たちと、生命第一主義的な近代開明派の個人主義的な左側の人たち、とに分かれてきているようにおもう。いわば、「安全か、危険か」の二分である。しかしこの分裂は、イデオロギー的にあるだけではない。陸前高田市の松の薪をめぐって京都の町との間であったことが象徴しはじめているように、それは東日本と西日本とで分断しはじめているのだ。そのうち、福島の野菜を食べた人たちのウンコが問題になるかもしれない。それが下水を通して処理場にゆき、猛濃度汚泥として堆積していくのだと。そこまでいけば、稲藁だけでなく、東西での人との交流自体が忌避されていくのは時間の問題だ。私は原発事故発生当初、東日本が切り捨てられる形で日本が東西に分断されてゆく可能性がある、とこのブログでも書き、女房からおおげさな妄想だと一蹴されたが、現在の世論動向は、その潜在的であった現実を露呈していく方向に向っている。チェルノブイリ事故からの300km境界という一般的法則を確認するかのようにでてきた静岡県でのお茶っ葉問題から隠見し、岩手県の陸前高田市からもちあがってきた事態は、その顕在化の徴候であり症候なのだ。朝鮮半島が世界的な構造のなかで分断統治されているいように、いまや日本では、北朝鮮のような自己献身的な集団派の東日本と、韓国での口では統一といいながら本心ではどうか知れないような個人主義の西日本との分断、という内政状況になりつつある。世界基軸としてのアメリカ(ドル)の失墜からおこる次なる親分や信用構造を決めていくためのこれからの仁義なき世界大会のなかで、そうした分裂が、諸外国にとって有利に働いていくだろうのはいうまでもない。冒頭にあげた、在日の姜氏の洞察と見立ては、私の認識を妄想ではなく、後押ししていくものと読めた。では、安全か危険か、福島野菜を食うか食わないか、との二分法ではない、どんな実践があるというのか?
京都大学の研究所の小出氏の話は、どうも一般には放射能は「危険」という立場に立つことから「食べない」派のように受けとられている、あるいはそちら側の(教養ある)人たちに受け入れられているように見えるが(「食べる」側は知識教養のない無知な大衆、ともなっているようにみえる……)、私がネット上での発言を聞くかぎりでは、むしろ「食べる」側なように聞こえた。というか事故後出版された書籍では、そう「食べる」べきだと書いているのだそうだ。ラジオ発言などでは、そこらへんは意識的に曖昧にする、というか広範な知的大衆をおもんぱかって口ごもる、という感じだった。といってもこれは、「安全」だから「食べる」、ではない。「危険」でも「食べる」べきだ、ということと私には思えた。しかしそれゆえに、きちんと調べ、情報開示しよう、と。そういう話をきいてこれは具体的実践としてはどうなるということなのかな、と思い浮かんでくるのが、ダイエットのやり方だ、ということだった。商品に値段ラベルだけでなくカロリー表示がされていたりするように、ベクレル表示が印字され、カロリー計算しながら食生活を管理してゆくように、ベクレル計算しながら食品消費をコントロールしてゆくのだ。ここんとこはこれだけのベクレルの肉を食いすぎたから、今月は体を休ませるためにひかえておこう、とか。小出氏が具体的にどうイメージしているのかわからないが、私には話を聞きながらそんな生活が思い浮かんできたのである。それだけどうしょうもない、逃げられない、あとにはもどれない現実なのだと。しかし条件として、と小出氏は書いているのだそうだ。子供たちは巻き込まない。日本の農業をどうすべきか、を考えること、と。
NPO「ゆうきの里東和」では、高額をだして線量計やベクレル測定器を導入している。それだけでは数が足りない、だから時間がかかってしまう、と。理事菅野正寿氏は話す。……手入れをすればするほど放射線率は落ちてくるのです。隣の川俣町では背丈ほどの草でぼうぼうです。それではいつまでたってもそのままです。たしかに刈った草は、畑の脇におくだけだったり、中には深くすきこむことで処理したりする人もいます。できるだけ外にだすように指示してますが。しかしそれでも畑が除染され農作物の線量が落ちるのです。セシウムはアルカリ金属なので、堆肥をまぜれば作物への吸着がさがります。堆肥の放射能が問題となっていますが、家庭菜園ではまとめて使うとしても、畑ではばら撒いて使う程度なのです。農作物のなかにはカリウムがはいっていて、その自然放射線の量も計測されてしまうのですが、それと同等くらいまで落ちるのです。それでも入っていないものが入っている、だから食べないという人たちもいるでしょう。それは消費者の判断に任せます。しかし新聞などが、根菜類は移行係数が高くて放射能物資が多く含まれやすい、などとチェルノブイリでの研究論文かなにかをひっぱってきて書くと、すごい影響がでます。しかし実際に測ってみると、そんなことはないのです。たぶん、チェルノブイリと東和では、土が違うのでしょう。そういう学者もいます。3月25日に政府のほうから種まき中止令がでて、4月12日に解除されました。作っても売れないのじゃ作らないという声もありました。だけどお願いして、種をまきました。そのとき作っていなかったら、いまは売るものがなかったかもしれません。売り上げも、9割ぐらい回復してきました。しかし、福島県ぜんたいでは、3割程度に落ち込んでいるのです。――『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ)でも「次代のために里山の再生を」と書いている菅野氏の話の表情は、物静かだったが、悲壮を押し殺し悔しさが滲み出て来るようにみえた。「じいちゃんばあちゃんと、孫の食卓が別々なんです。」「心の除染も必要なんです。」
東和町のような取り組みは、福島県でもまれなようだ。しかし2年成功が続けば、他の地区も後追いするだろう(しかし高額な線量計やベクレルモニターをそろえるだけでも大規模な支援が必要になる)。しかしまた、自営業的な方々が、数年もちこたえる、というのは大変なことである。そしてここ数年で、世界経済の情勢は激変するだろう。戦時中のように、農家へモノをもって食い物と交換してもらう、放射能入りでも、という時代がくるかもしれない。そのとき、単なる個人主義者のいやしさと、狂乱的な集団主義者のあさましさとが陰険な対立をはじめるのかもしれない。そうはならないためにも、われわれ日本人は、中庸の実践を模索しなくてはならない。世界に開かれた形で。むしろ次なる世界へのヘゲモニー争いで、負けないように、われわれの思想を呈示し率先していけるように。

2011年8月13日土曜日

科学・社会・人間

「…それは数学基礎論といって、非常に専門的技巧を要するのですが、その仮定を少しづつ変えていったのです。そうしたら一方が他方になってしまった。それは知的には矛盾しない。だが、いくら矛盾しないと聞かされても、矛盾するとしか思えない。だから、各数学者の感情の満足ということなしには、数学は存在しえない。知性のなかだけで厳然として存在する数学は、考えることはできるかもしれませんが、やる気になれない。こんな二つの仮定をともに許した数学は、普通人にはやる気がしない。だから感情ぬきでは、学問といえども成立しえない。」「…それはアイシュタインが光の存在を否定しましたから。それにもかかわらず直線というふうなものがあると仮定していろいろやっていますね。物理の根底に光があるなら、ユークリッド幾何に似たようなものを考えて、近似的に実験できますから、物理公理体系ですが、光というものがないとしますと、これは超越的な公理体系、実験することのできない公理体系ですね。それが基礎になっていたら、物理学が知的に独立しているとは言えません。…(略)…何しろいまの理論物理学のようなものが実在するということを信じさせる最大のものは、原子爆弾と水素爆弾をつくれたということでしょうが、あれは破壊なんです。ところが、破壊というものは、いろいろな仮説それ自体がまったく正しくなくても、それに頼ってやってたほうが幾分利益があればできるものです。もし建設が一つでもできるというなら認めてもよいのですが、建設は何もしていない。しているのは破壊と機械的操作だけなんです。だから、いま考えられるような理論物理があると仮定させるものは破壊であって建設じゃない。破壊だったら、相似的な学説があればできるのです。建設をやって見せてもらわなければ、論より証拠とは言えないのです。」(『対話 人間の建設』岡潔・小林秀雄著 新潮社)



書店にいくと、原発事故後、それに関連した色々な書籍が山積みされてある。といっても、そうした現象も東京など大都市圏だけで見られることなのかもしれないが。そうしてあったなかのひとつ、スチュアート・ブランド著『Whole Earth Discipline 地球の論点』(仙名紀訳 英治出版)を手にしてみた。かつて、アート系のグループに参加して、その作者の'68年の名著『Whole Earth Catalog』と類したものを作ろうというプロジェクトに関わったことがあったので、そのタイトルからこれはなんだろう、とおもったのである。読んでみて、びっくりした。原書がフクシマ原発事故の数年前に書かれたものということもあるが、ゆえになおさら、それ以前の原発推進派の論の立て方がこういうものかと知って。日本で翻訳出版されたのは事故後であるのだが、訳者はあとがきではそのことに敢えてなのかまったくふれない。……「本書の魅力は、人類が直面している難問に多面的に取り組み、その解決を図ろうという壮大な発想と、取り組み方を克明に分析しているところにある。彼がとくに力を入れているのは、「原発」「遺伝子組み換え」「地球工学」など、一般的にはタブー視されていることだ。その根源には、気候変動がもたらす危機感がある。彼は「反核」から「親核」に変節するのだが、そのぶれを告白して恥じない。」と、その作者のカリスマ性を強調するのみである。しかし、当人個人の魅力のことなほぼ全く知らない門外漢の者がこれを読むと、その現代の先端実用科学を評価していくこの言論を、もうどう受けとめていいのか、頭が混乱、思考停止になるばかりである。おそらくフクシマ以前に読んだのなら、この混乱はなかっただろう。それぐらい、フクシマ以前と以後とでは、思考の在り方を変えてしまう何かが起きた、ということなのか? 訳者が言及しないのも、できない、ということなのか? 作者本人がフクシマの原発事故に関し、どう対応しているのかは知らない。ただ、作者が評価して説き、日本での実行にも言及してみせる核燃料リサイクルや高速増殖炉の技術に関する箇所などを読むと、作者が本当に調べて書いているのかさえ、疑問におもえてくる。事故後、われわれ凡人でもが知ってしまったひとつには、そうした政府権力側の説くリサイクル美談が、実はすでにして実際的に破綻し、いくつもの事故を起こしており、ほんとうに実践してしまったら恐ろしいだろう、ということがある。そしてその程度のことは、ちょっと調べればわかってしまうはずのことなのだが、本書のように楽観的なのはどうしてなのか、凡人には不可解になるのである。そしてそのいま誰の目にも明らかになった一事が、なお凡人には無知なままの、「遺伝子組み換え」や「地球工学」といった分野での作者の意見をも、疑わしく覚えさせてしまう。それとも、フランスのジャック・アタリ氏が説くように、フクシマの事故は自然災害と東電のミスであって、原子力技術自体には問題がない、ということだろうか?(日本人が原子力を扱うにしては無能だとしても、もっと無能かもしれない人間が手に取るかもしれない、という人間的現実は考慮する必要がない、ということだろうか?) 本書では、放射能の閾値に関しての議論にも言及がある。どうも低線量でも用心する<予防原則>という考え方はヨーロッパのものであって、しかもそれは医学的態度、というより、哲学的に前提とするべき基本態度、としてあるようだ、ということが知れる。ビル・ゲイツやロックフェラーの活動を肯定的に紹介する作者が、むしり低線量は体にいいのだ、と受け入れるアメリカ側のそれ、と見て取れる。となると、哲学の背景には政治・経済的利害関係があるとするのが一般だとする教養にたてば、この両者の背後には、ロスチャイルドvsロックフェラーという2大勢力の争いがあるのか、ゆえに作者は原発推進側の資料しか受け入れていなのか、そう操作されているということなのか、とも勘ぐりたくなってしまう。

一昨日、原発批判の映画監督・鎌仲ひとみ氏と、福島県で活動している小児科医の山田真氏との講演・対談をきいた。鼻血や下痢をする子供の症状を放射能と結びつけて発言するのには慎重になるべきだと山田氏は説きながら、現在福島県で一番問題なのは、医学的な真実いかんよりは、社会的な差別なのだ、と指摘する。「東京の山谷地区と似てきているんです」という。大阪の釜ヶ先はいつのまにかその地域に入ってしまうような地続きだが、東京の山谷は隔離されて別世界だ。そしてその別世界で、人々がマスクをせず普通に生活している。おそらくマスクをしないのは、ここが普通だとおもいたい意識のゆえなのではないか、と言う。放射能が危ないとか、避難したほうがいいとかは、現地では口にできない。そんなことをいうのは郷土のことをおもっていないからだ、と戦時中の日本での非国民のような雰囲気があるのだ。地産地消ということで、学校の給食もみな福島県産だ。そうしたことに疑問を述べる教師は、いま次から次へと強制退職させられている。鎌仲氏も、阿蘇山で福島県の子供たちを受け入れてキャンプをしている知人の話しとして、その子供たちが、「俺たちは死ぬんだ」「結婚して子供をうむことはできない」、ともらすという。それは被曝で差別された広島の人々と同じだと。まず本当のことを知り、危険でもたくましく生きていくことが可能だ、という広島の人たちの話しを福島で設ける企画をやろうかと考えているという鎌仲氏に対し、山田氏は「だからそれは、安全神話を説く人たちと同じことに…」「いや安全じゃないけど生きていける……」、そう二人が口ごもる場面もみられた。実際、鎌仲氏のアイデアは、氏がボケとして批判する山下教授の、自身が被爆者でもあるだろう長崎出身者の説法と似てくるのである。真実(科学)はわからない。数年後からしても、その症状が放射能が原因かどうかわからない、となお議論延々となるようなのだから、それはわかるわからない、という科学の問題ではなく、社会の問題なのだろう。だからそれは、いわゆる科学に依拠しない、社会的、人間的態度として、その対処を考えていかなくてはならない。が、それは簡単明解なことなのではないだろうか? 思いやりをもつこと、単にそれだけではないのだろうか? 権力側が思いやりを持つ、とはどういうことだろうか?

お盆明けに、また支援団体の運転手役として、こんどは福島県にゆくことになった。自分で作った作物を放射能検査しなくてはならない農家をまわって、その話しをきき、バザーへの仕入れをする活動だそうだ。「まず福島県にいってください」と山田氏は説く。人との交流じたいが、そこを隔離差別することから防ぐだろう。

2011年7月30日土曜日

時のなかの親子

「どのみち、経済は今の規模では回らなくなります。経済が回らなくなれば不幸になるならば、僕らにはもはや未来はありません。/ところが、実際にはそんなことはありません。市場経済の規模が縮小したとしても、便益も、幸福度さえも実際には上げられます。そのためには、今までの自明性の地平を掘り崩して現在の自明性を前提とした単なるライフスタイルの選択ではなく、自明性を支えるソーシャルスタイル全体を変えるということについて合意形成をしていく必要があります。」(『原発社会からの離脱 自然エネルギーと共同体自治に向けて』宮台真司×飯田哲也著 講談社現代新書)



九死に一生を得るような体験が、どのように自分を変化させているのか、判然とはしがたい。津波で家も職も失った人は、たしかに生活は激変したが、ではどう自分自身が変わったのかとなると、うまく把握できないのではないかとおもう。震災まえに木から落ちて骨折し、最近やっと職場復帰しても、年間管理の公共作業からはじかれた状況は半失業状態であるような私など、現実に被災し生活基盤を失った人たちと比較するのは見当はずれな前提なのかもしれない。しかしなぜか、私には、私の今の状況が、私を超えた時代をおそう気分のような気がしてくるのである。このまま、今までのままではだめだ、と気付かせてくれている時に対して、どのように向き合うのか、どこに向うのか、どのように向うのか……その時から微熱のように湧き出てくる問いが、またその時の中に飲み込まれていって自身の身悶えを封じ、意識を憂鬱にさせてくる。しかしそれは、身動きが不能、ということではない。時は、自縛の縄が緩んできていることを教えてくれたので、身悶えして解こうとしているのだ。しかし、本当に解けたとき、どうするのか? ……親方は、私と年上の職人が怪我で休んでいるあいだ、他の例年の管理作業も断ったそうだ。元請けからはやったほうがいいと言われたそうだし、おそらく系列のほかの会社が手伝いにくる体制が敷かれたことだろう。それを敢えて断る、ということには、親方の息子を含めた残りの若者たちだけでは無理がある、とする判断もあったかもしれないが、それよりも、「いやだ」、という身体的な感覚のほうが強かったのだろう、と私は予測する。「いやだ」というのは、元請けの支配や、系列への依拠を潔しとしないことや、自分の会社が弱体しているときに他の系列会社に仕事をふって助けてやることのデメリットの計算、というこれまでの会社どうしの通例的なかけひき、とは別に、もう今までのやり方では「だめだ」、ではなく、「いやだ」ということ、もうそんなかけひきめいたことじたいがやりたくない、ということを含んでいたのではないかと推測する。一緒に働いて今を築いてきた自分より年上の職人への後ろめたさ、というのもあるかもしれない。ということは、意識せずとも、その時を身に受けているのである。がその結果、仕事は民間の、少ししかない。惰性を半分きるだけで、そうなる。足の怪我の傷みが消えていない私は、若者へのワークシェアリングとしてか、週休3日が前提。暇をいいことに、部屋で寝転んで本を読んでいる、労災で暮らしていたときとかわらない、というか、収入もそれと似たようなもの。しかし、これが来年もつづいたら? ……30歳になる親方の息子だったら、どう対応するだろう? たぶん、元請けの要請されるままにやるだろう。役所仕事に精を出してきたからか、ゼネコンを真似する元請けの真似なのか、入りたての若者が仕事の態度でおかしいと、仕事おわってから事務所に残して、反省文という作文を書かせる。中卒での者が東大での官僚のような発想をすることのおかしさ。日本の社会はどこを切っても金太郎飴みたいなものだ、との事例が目前で反復されている事態の将来性は? 敗戦後のどさくさに紛れて地歩を築いた一代目から、3~4代目のほぼ100年がたっている、というのが日本の会社の多くなのではないか? つまり、ヒューマンスケールで終る。人も会社も。で、どうするというのか?


今日は雨で、息子のサッカー大会は中止になった。3年生をまじえたこのまえの大会ではぼろ負けだったが、こんどのは2年生だけだから、ぶっちぎりで優勝するだろうと期待していた。しかしそう期待する私の心性に、高度成長期の親から挿入された官僚(エリート)競争主義の慣性がある。競争は必要だが、それが経済(進路・就活)に結ばれて重ねあわされると、人格をそこなう。不幸がやってくる。一希はいま、大会ように母親が作っていた弁当をもって、サッカー仲間と小学校の遊び場へいっている。まだ、サッカー小僧にはなれず、その場のおもしろさに釣られてちゃらんぽらだ。面白いほうへいく。しかしそれは、雨でよく家にいる職人の子供たちにはありがちなことで、だから、ちょっとしたことで学校にもいかず、進学もたいしたこととは考えなくなる。今に満足、親といる幸福を覚えてしまう。人間味はあるが、いざ社会にでてその有様に直面してくると、反動的に適応しようとする。しかし、頑張りの根と、世の中や人間への認識、おそらく社会的なもの、社会のなかの人間を動かしているものへの、認識の根本がわからない。人がよすぎるようになるのだ。それで、いいのだろうか?


私を作ったのは両親だが、その私は息子とともにある。父親は認知症を発症しはじめた。この時をきっかけに、社会がその時とどう向き合うのか、どこへ向うのか、どのように向うのか、は、子供とともにある私の生活が考えていかなくてはならない。

2011年7月18日月曜日

二つの時間と、ヒューマンスケール

「最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の三月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」という言う人たちがいる。こういう考え方の前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に忘却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。」(柄谷行人著「週刊読書人」 2011.6/17)


木をみておもうことがある。それは、おおよそ、100年を超える樹木となると、どこかヒューマンスケールを超えて存在しはじめる、ということだ。個人主義的に、単にのぼって、切る、というような私がやっているような作業は、それを超えると、できなくなる、あるいは、そのスケールの違う超越的な存在をまえに、畏怖の感じに捉えられ、気を緩めると、振り落とされてしまうような緊張感を覚えるのである。「まだ100年はたってませんね。80年すぎくらいかな。」先週も、新宿の民家にあった欅の木の剪定で、住んでいるおばあさんとそんな話しをした。「ええ。おじいさんが、子供のころ植えたそうですから。」……しかし、私がその欅をみあげながら、骨折した腫れの残る足をさすりながら考えたのは、人の営みはゆえに、100年を超えられない、のではないか、ということである。しかしここでいう人とは、いまの技術体系を支えているような、個人主義的なもの、となるだろう。大昔ならば、樹齢何百年という樹木を相手にできていたはずだ。それは、そのような支援(世代)体制で事にあたるのが前提になっていたからだろう。大正時代くらいまでも、山から庭へ木を移植するのに、何千人という人夫が動員されている。いまは、はした金を設けるために、おまえやっとけ、というような体制である。しかし、戦後植えた小学校の木なども、そろそろ100年を超え始める。しかも、庭木として手入れしているので、傷みもひどい。よく庭の主人が亡くなると、その植木も枯れてなくなるのだとかいわれるが、それはなにも神秘的な話しなどではなく、狭い庭におさまるよう無理な手入れを続けてきたのが原因だろう。庭木もまた、その時代の人の寿命を後追いしだすのである。暑い日差しのなかで、ふた周りも縮小された屋根を覆う欅をながめながら、もう終るのだな、と私は考えていたのである。


避難所のひとつの体育館の床に寝転びながら、周囲に漂う秩序ある静けさを、私は異様なものとして感じたのだった。「災害ユートピア」というよりも、それは想像を超えた事態に直面した人々の諦念ではないか、と。個人的な誤解なのかもしれない。新聞でのある著名人の感想によると、災害後3ヶ月くらいまでは、生き延びたこと、そのことに対応していくことで一生懸命な感じがあるが、4ヶ月めになると、あきらめやら疲労やらで、元気がなくなってくるのだという。単にそういうことなのかもしれない。が私がおもったことは、もっと長い時間でのこと、それと、この短い時間の関係のことである。日本の文化の基底的態度に、あきらめた情感があるのは、こうした大きな自然災害を繰り返し体験したからかもしれない、が、その長期的な習性が、この間近な直後の時間とどうつながっていくのか、というか逆に、この間近な時間が、どのように長期的な時間を作っていくのか、が腑に落ちなくなってきたのである。あの避難所の雰囲気にふれて。ポルトガルの歴史で、ヴェスビオス火山が噴火し、その災害後、大航海にも繰り出していたポルトガル人の気質が、冒険精神から諦め的な淡白さに変質したとかいわれる。外からみれば、そうなのかもしれない。が、中からみれば、その論理は短絡すぎて、なにか欠落があるように感じられてくるのである。いや外国人からみるならば、普通でさえ大人しい日本人の態度は「異様なもの」としてうつっていることでもあるのだから、それは近すぎる見方で、取るに足りない取り越し苦労な思いなのかもしれない。しかし当事者だったら、この諦念を乗り越えていかなくては、トラウマ的傷を乗り越えていかなくては、前にすすめないではないか? そうやって、当事者がこの間近な短い時間を克服してきたとするなら、その超克の時間と、長い文化的な時間、しかもそこで反復習性されてしまう諦念の構造とは、どのような折り合いのもとで構成されているのだろうか? 公的行政単位での話し合いで、被災した県市町村のトップ会談だけでは、当事者として思考力も気力も回復されていないので、被害にあわなかった行政区の人たちの助言と後押しが必要なのだ、と話す被災地の長がいた。こうした、他者的な団体との網目が、持ちつ持たれつの構造を作っていくということだろうか?


先週の毎日新聞で、「ATM窃盗事件25件 原発事故後、半径25キロ圏」と記事がでている。火事場泥棒の被害総額は約4億2千万円だそうだ。副島隆彦氏の、現地入り報告直後の掲示板からの現地レポートを勘案して推論すれば、これは単独の犯罪ではなく、組織犯罪なのだろう。副島氏によれば、事故後、重機をのせた関西ナンバーのトラックが現地へむけて走ってゆくのが目撃されていたという。それは、山口組が阪神大震災の教訓としてマニュアル化していた、災害後対策によるのだという。こうした現象が、「災害ユートピア」的な人の真実を、裏切っているというわけではないだろう。どちらも、真実なのだろう。この位相の違いが現実的に絡み合う時、その時が社会的な項目を形づくりはじめ、次なる時間へと繋いでいく。一つの時間の終りから始められたものが、もう一つの時間の終りに挿入されることで、その終りの内側に始まりが胎動する。しかしそれは、この私には関係していることなのだろうか? ヒューマンスケールを超えていることなのだろうか? しかしそれも、この私とが、あくまで近代的な個人という枠組みから抜け出ようとしなければ、という話しなのだろうか? ならば、私自身は、誰に繋がってゆくだろう?


最近読んだものに、沖縄のユタの話しをきいて腰痛がなおった、という話しがあった。ならば、私は恐山のイタコの話しをきけば、腰痛がなおるかな、と考えたりしている。同時に、そんな考えを抱いてしまう私自身が気力をなくしているからなのか、とも内省する。私はただ、終りがやってくるのを、黙って見ている事しかできないのだろうか、それとも、この終りに、次なる始まりが胎動しはじめているのだろうか?

2011年7月5日火曜日

「安全か、危険か」を超えていく隙間

武田 福島市長は、おそらく山下さんが100ミリということは、もう事前に聞いてあって、政治的には100ミリって言ってくれることによって福島市民の心の安定を得ようと思ったんでしょう。それで、しかし――。 副島 それで今、逆に福島県に動揺が広がっているんですか。 武田 うん。広がっている。ジワリジワリと。山下さんの言っていることを最初は信用した。福島市の人が僕に送ってくるメールによると、彼は細かく福島市を講演し、住民を説得してまわった。100ミリシーベルト年間は大丈夫だと。それを最初聞いて信じていた人たちは、内閣の参与の小佐古さんが辞めたり、僕が「1ミリ以上は危ないですよ」とか言ったものだから心配し始めた。その波は4月の中旬ぐらいからのことです。心配し出した一つの表れが、郡山市の洗浄作業です。郡山市の人たちが1ミリシーベルト年間を超えてはいけないと思って洗浄を始めたんです。僕はいいことだと思ったけど、このことが周囲に与えた影響が、いいか悪いかという判断は難しい。しかし、庶民はもう少し強いんじゃないか。つまり、かつて有名な労災がありました。ベンジンを使ってスリッパを作る仕事をしていればがんになるということは前から分かっていたけれども、自分はベンジンでスリッパを洗浄しないと生きていけないからベンジンで洗浄したというものです。ぼかにも僕が言う話があります。アルミ缶入りのビールは素晴らしいんだというものです。なぜなら、昔は酒屋の丁稚というのは、重たいビンビールの20本入りケースを運んでいたので、だいたい50歳前後で腰痛になって死んだ。割合と若くして死んだ。しかし、彼らはそれは分かっている。その後、アルミ缶入りのビールができたために、腰痛で死ぬ酒屋の丁稚はいなくなり、その分、寿命が延びた。だから今回の問題は、放射線による害というのを正しく伝えること、主婦が計算できるようにするということが、現地の人たちにとって耐えられないかどうかですね。金持ちしか逃げられないという現実は、まさにその通り。貧乏な人は、どうしてもそこで生きていかなければならない。そういうことはありますからね。……」(副島隆彦vs武田邦彦著『原発事故、放射能、ケンカ対談』 幻冬社)



「今の基準(20ミリシーベルト/年)は、安全か? 危険か?」と帯された上記引用の著作を読んでいても、少しもすっきりしないのは、やはり問題の立て方自体がすでに社会のカラクリにはまっているからではないか、というのが私の理解である。私の理解では、副島氏が科学的根拠として信憑する山下氏の発言にしても、100ミリシーベルト以下は「安全」だと言っているわけではなく、医学的にはわからない、と言っているのが、副島氏自身が根拠として自身HPの掲示板で引用している山下氏の文章からもみてとれ、それはおそらく、顕微鏡で見てもわからない、とかの、現時点の医療技術では突き止めることができない、ということを言おうとしているのだろう、と推論される。がしかし、と山下氏が続けるのは、それでも、原爆を落とされた広島市民や長崎市民のように、福島市民の人々も生きていくことができるのだ、汚染された水を飲み、残留した放射能をあびつづける生活であっても、という社会的な事実が挿入され、ゆえにその教訓として、今の放射能下を生きる人々の人生における自覚の話しに転換されているのである。つまりそれは、あくまで「科学」の話しではなく、むしろ社会の話しなのである。そして、ウルリッヒ・ベック氏の「リスク社会」という呈示によれば、現代は放射能に限らず、副作用社会が前提になっている。そこで事故が起きれば、副作用それ自体において科学的に「安全」な数値などないのであるから、ではいったいどの数値までそれを許容するか、という社会的なコンセンサスの議論が惹起されてくる。平時においてあった前提が、事故時には泥縄式に沸騰するということになる。上の議論のように。つまり、上のケンカ対談は、それ自体がリスク社会の産物であり、症状なのである。ならば問題は、われわれはわれわれを前提とさせているリスク社会そのものから脱することができるのだろうか? という話しになってくるだろう。


昨夜、「なのはなプロジェクト なかのアクション!」主催の、「未来バンク」を運営している田中優氏の「自然エネルギーシフト」への講演をきいてきた。たしかに、自然エネルギー社会が前提させてくるものには、副作用問題は希薄になってくるかもしれない。が田中氏自身が、脱原発から自然エネルギーへ議論を直接うつすことには反対だ、なぜなら、そうするとすぐにその欠点をあげつらう議論に取り込まれてつぶされてしまうからだ(それは副作用、というより、一長一短の話しであるだろう)、だから、それ以前に、現段階での節電、東電の料金体系等をも視野にいれた節電という中間項で現問題が解決できるのだ、ということを示す議論や問題提起を媒介させたほうがいいのだ、と前置きしていたように、われわれもまず、なお「カラクリ」のなかにとどまって議論を煮詰めておく必要があるのだろう、と私も考える。それはひとえに、自分が福島市に生きる子供を抱えた親だったなら、どうしたらいいのか、と想定してみれば、そんな素早く自然エネルギーの話しなどする余裕がなくなるだろうからだ。


しかし、放射能から逃げる、逃げない、という話しだけなら、答えは簡明だ。事実貧乏階級に属しているので、あるいはそこに身を置くことをひとつの思想にしているので、逃げるわけにはいかない、ということだ。3月の事故直後でも、当時の私の知識教養レベルでは、原発が爆発する、ということがどういうことかわからなかっただろう。また今から推論するに、誰もどうなるかわからず、頭には広島・長崎のきのこ雲、原爆のようなイメージしかなかっただろう。そしてそう爆発が大きくならなかったのは、設計ミスのおかげという、不幸中の幸いだったようだ。もしがっちり設計建造されていたものだったなら、原子炉ごと吹っ飛んで、甚大な被害が広範に及んだものと私は思う。とにかくも、原発からの爆風を想像しなくてはならない範囲内に居住していたとしても、私(たち)は逃げ遅れただろう。では、その逃げ遅れた私たち家族が、「安全か、危険か」が騒がれる福島市に残っているとして、私はなにをどう判断するだろうか?


(1)夫婦喧嘩を極力おさえて、子供にストレス影響を与えないようにする……地震津波で離縁する、という夫婦はないと思うが、原発事故後のどうするかをめぐって離婚までいった世帯がいる、ということが私にはよくわかる。たとえばわが女房、最近ようやく水を買うのをやめた、事故直後、私があれほど停電と放射能で水がどうなるかわからないからポリタン買ってためておけ、といっていたのを平気で聞かず、結局は松葉杖の私がホームセンターでタンクを買って水の貯め置きをしたのである。そんな呑気だったのに、もうだいじょうぶだという頃になって、女房わざわざミネラルウォーターを買って料理をしはじめ、私が貯め置いたタンクの水は匂いがいやだから使わない、とほざく。ヨウ素はそのうち減るし、セシウムだって沈殿するから下まで使わなきゃだいじょぶだ、俺たち貧乏階級の分を弁えまえろ、といっても、もともとグルメ穣さんだからいうこときかない。けっきょく貯め置きのポリタンはゴールデンウィークあけのベランダ掃除に使うことになった。てなぐあいで、わが女房はいつも遅れてパニックになる。もう逃げる段階はおわったのに逃げようと考え出したり。しかし貧乏人は帰ることを前提にした逃亡などできない、やるときは移住、ということになるので、私は地震と原発被害の少ないところ、しかもツテのあるところをと調べていた。広島から長崎に逃げてしまった人にならないように。すると、熊本県の一部、と群馬県の一部、とでた。というか、ほとんど日本はだめだから、逃げてもしょうがないのではないか、という結果だったが。しかし、私がどう考えても、そのときの女房が呑気なので、実践は伴わない。そこでの軋轢を、子供はじっとみている。小学2年生にもなってオネショがなおらないのも、すさまじい夫婦喧嘩がトラウマになっているのではないかともおもう。その子供をめぐっての教育法にも喧嘩が生じる。女房はママゴンのように宿題をみて、漢字の書き順がどうのこうのとしつこくいって子供も毎晩のように泣かせている。「けっきょく原発事故の原因ってなんなの?」 とたまに女房がきいてくるが、「だからおまえのような教育を子供にしていくからだよ。文字の操作で現実に対処できるとおもう本末転倒な連中が世の中を仕切るからだろ。東大でてそういう世界にいくのと、途中でおちこぼれて引きこもりになるのはコインの表と裏でおんなじだ。宿題など親がみるな。間違ったら先生に直されればいい。叱られるのになれなきゃだめなんだ。いやならそんな宿題やらなくといい!」しかし一昨日も、学校に漢字ノートを忘れたから宿題できないと泣く子供にわざわざ金だして新しいのを買ってきて女房はやらせる。私は子供には、チラシやカレンダーの裏に漢字を書いてだせばいいだろう、といったのだが、なんでこうもいい子ぶりになるのだ? 俺たちは、貧乏人だろ?


(2)くたばる貧乏人はどこまで迷惑をかけられるのか?……100ミリシーベルトでもだいじょうぶだ、安全かはわからないが、安心できる、と説く山下教授の話しをきくと、武士道とは死ぬここと見つけたり、などという「葉隠れ」の言葉を想起してしまう。かつては、知らぬが仏で放射能世界を生きれたかもしれないが、いまはそんなことを説教するのは、人々を聖人か仙人にでも見立てないと通じないだろう。かといって、科学的根拠など呈示できないのだから、不安をぬぐいさることは根底的にできず、その根底自体が新しく定義しなおされる次なる時代にまで待たないといけない、ということなのかもしれない。だから貧乏人にできることは、くたばる、ということだ。武士道、というと格好はいいが、実際には、端の人にだいぶ迷惑がかかるのである。高倉健やとらさんの映画世界では、その迷惑どころは割愛されている。震災前に、私は木から落ちて入院した。その残りの仕事を、団塊世代の職人さんが代わってやって、やりとげたあと腰痛で入院した。(もともとは、福祉老人介護をしていた娘の腰痛検査の付き添いで病院にいったさい、父親のほうが重症だと発見されてしまったのが端緒なのだが……) 私は退院し、仕事に復帰した。その職人さんは、なお通院し、また手術かもしれない。私には労災がおりたが、その先輩職人におりるかどうかはなおわからない。私には貯金があったが、その職人さんはみんな飲んでしまって一銭もない。高度成長とバブル経済と働いてきているので、金の使い道のない私なら、1億円ぐらい貯金できているかもしれない。が、職人さんは一銭もない。仕事柄、たまに公園で暮らす野宿者の近くで作業することがあったが、職人さんのその人たちをみる目つきは、「俺もやりたいな」、という感じに私にはみえた。はじめから、宵越しの銭はもたない、と職人気勢を示すことわざにもあるようの、そのときはくたばればいい、というのが前提(覚悟)にあるだろう。「ずっと働けるわけないんだから、歳とったっとき、どうする気だったんだい?」と親方はきいたらしいが、おそらく親方にもわかっていて、だから、法的な対処などに従えず、ホームレスにさせるわけにもいかないから、毎月の家賃や光熱費たぐいの生活経費ニ十万円相当を、立て替えて支払っているのである。くたばる、とはそういうことをはらみ、相互扶助とはそういうことを意味し……そんな社会をみてきている私には、いわゆる左翼な共同体論を、鵜呑みにして人間現実に適用してみるわけにはいかないのである。

2011年6月27日月曜日

震災被災地へ――陸前高田市

炊き出しボランティア・パキスタンチームの運転手として、震災地・陸前高田市へむかった。 <避難所の中学校>





















山道を抜けたところでいきなりでますよ、と何回かあちこちへ救援にでかけている日本人スタッフの話しだった。近づくにつれ、みたくない、という気持ちがでてくる。海より10kmほどのまだ山中で、ふと木材の集積、そして小川の土手に横たわった自動車にでくわす。





ここまで津波が到達したという地点。というより、山にぶつかったのだろう。山腹の10m近くまで、屋根のだいぶ上まで波をかぶっている。塩水にふれた部分の木の枝は赤茶けている。それでも日本作りの家屋はたおれない。海岸近くでも、ぽつんと立っている蔵をみかけた。まわりは流されて何もないのに、それは石垣基礎も壁もほぼきれいなままだった。



おそらく次に作業しやすいように、道路側に残骸を堆積させている。










流された自動車。









分別され山積みされた木材。








海に向う河口付近。










一本松がみえてくる。

海近辺、災害現場の中は、一般車両は進入禁止。














































高校あと。ぶじ生徒は避難できただろうか? テレビニュースでみると、すぐ裏山にのぼって逃げればとおもったが、逆にすぐ後に山が迫っていると、おそらく人間心理ではそれを登ろうという気はおきず迂回するだろうと思えてくる。とくに、ここからは建物で海はみえなかったろうから、まず校庭に避難、となれば、その後迂回しながら開けた高台にのぼるコースをとるだろう。その1kmほどの途中で津波に襲われれば、逃げようがない。聞けば、生か死かであって、けが人というのはいないという。



避難場所の体育館。

カレーライスの配膳あとで。

この避難所の、理科室を使った厨房で食事を作る若夫婦の話しによると、海近くで食堂を営んでいた自分たちが生き延びたのは偶然だという。避難場所として指定されていた市民体育館に避難していた母親は亡くなったという。自分たちがそこに行かなかったのは、中学生の娘が心配だったので、そっちへ向ったからだと。奥さんは「あんな遠くまで」と最初もらしたそうだ。だから逆に、「生かされている」とも感じるという。内陸商人の考えが自然な肌になっているインドレストラン経営者のパキスタン人とは、帰り際、まさにこれから自分の生活を作っていくためにどんな援助が欲しいか、いくらかかるか、と必死に情報を交換する旦那さんだった。避難所は、子供がかけまわったりしながらも、静かだった。そして規律があり、清潔だった。落成したばかりの体育館や校舎のためというより、そうした努力とノウハウの蓄積がなじんできているのだろう。しかし夜になるにつれ、そのただっ広い避難所で過ごすことの寂しさが漂いはじめるような気がした。当初1000人が、いまは200人ほどになり、近隣地区からのボランティアスタッフもいた厨房の体制も、7月からは、ほんとに津波で家が流されて避難した人たちだけの世界になるという。そっちのほうがいいのだ、家のあるなしが意識の違いをうむので、自分たちだけのほうが居心地よくなるのだとも、旦那さんはいう。外はどしゃぶりに近い雨だったので、涼しかったが、これから暑くなると、どうなるだろうか? 被災・避難者の沈着振りが、想像を超えた出来事に直面したものの、異常な心理にもおもえてくる。

* 陸前高田市から、東北道にのって車で8時間ほどで東京中野区は上高田まで帰ってきてしまう。いま団地の6階から雨のふる窓外をみても、すぐ向こうにある気がしてしまう。往きも帰りも、ほとんどまともに寝ずに、慣れない真夜中の運転だったので、なおさら夢見心地で、現実感がない。ここでもあすこでも。しかし、被災地の人たちは、東京が遠く感じられることだろう。われわれはここを、身近な感じにさせられることができるだろうか? そのように、生きているだろうか? 3月20日すぎには現場にカレーをもって、単独駆けつけたというパキスタン人たちの、他人事とは感じない能力と実践を、私たちはもっているだろうか? また、普段の仕事も休まずボランティアにくりだす日本人スタッフの人たち。なお怪我が完治していないこともあるが、朝帰りを見込んでさっそくまえもって仕事をさぼる段取りの私には、真似できないことである。だけれども、一生懸命ついていこう、身を寄り添うように生きていこうとするのが、この自然に生かされている人間の務めなのだろうと、考えている。

2011年6月9日木曜日

混沌のなかの整理

「ナショナルな諸部門を崩壊の危機から救うために、消費者が、程度の差はあれ「汚染された」食品を消費することを強いられる場合、まったく反対に、消費者という眠れる巨人の力が見出され、試されることになるかもしれない。日本を世界に対して開くこと――新たな日本のコスモポリタニズム――によって、罹災した危機に陥った日本にとってむしろ望ましい、危機を脱する道が拓かれるのかもしれない。政治構造と政治活動がコスモポリタンになれば、ナショナルな利害の促進もそれだけ効果をあげ、グローバルな時代における日本の重要性もますます高まるだろう。/そう考えるならば、日本の社会・経済・政治を根底から揺るがす大事故も、日本が世界に開かれるチャンスに変わるかもしれない。」(ウルリッヒ・ベック著「福島、あるいは世界リスク社会における日本の未来」『世界』7月号)



心身健康であっても、足の怪我で身動きできず、じっとしていなくてはならない不自由さからくる不快な感情はもう脱していいはずなのに、最近はさらに不快が高じて、精神が混沌としている。実家の方で兄と父親で暴力沙汰が高じているだの、保証人をしているペルーの友人のアパートで又貸しがばれそうで立ち退き沙汰になっているだの、足の腫れがなかなかひかないだの、いつ仕事できるのか仕事があるのかだの、知らない間に無意識に考えているのかもしれない。それに世の中の情勢が拍車をかけている、ということか? もういい加減、新聞やテレビ、ネットでの検索閲覧をするのにも鬱に近くなる。不眠も発生する。なんでこうなるのか、自分でもわからない。心身の暴走がはじまったのか?……だから、ちょっと整理してみる。

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まさか、東電の工程表を信じてる人がいたとは。しかも、それが総理大臣だったとは……あれは、何かだせといわれ、ださなくてはならないから何かだした、という代物ではなかったのだろうか? 工程表どおり来年1月に冷温停止になるまで責任を投げない、常識で判断する……と総理は言うのだが。

――素人疑問――

1)水の循環構造とは可能なのか?……ビデオ・ニュースでも、宮台氏と小出氏との間で理解の行き違いがあった。東電の説明をとりあえず理解する宮台氏に対し、それが理解できない小出氏、という構図で。私の理解では、どちらも正しい。こういうことだ。――10の冷却水が必要だとして、もし洩れが1だけであるなら、1循環時にまた1だけ水をたしてまわせばいい、それならば、まあ循環している、といえるだろう。だが、5洩れるとしたら? 1循環ごとに5をたしていくとは、いまの垂れ流しとほとんどかわらない、といえるだろう。東電は穴をふさぐ、とかもいっている。すでに水没しており、水をかけつづけなくてはならない、というのに、そんな作業が可能なのか? ぜんぶ穴をみつけられるのか? せっかく作業員が相当な被曝でやったのに、結局はやらなくても同じだった、とならないのか?

2)燃料はどこに、どうなっているのか?……小出氏の推測によれば、おそらく核燃料は圧力釜から垂れ落ちて、格納容器の底で、「あんぱん」みたいになっているだろうという。だとしたら、いくら水をかけても、冷やしきらない、のではないか? 絨毯みたいにひらべったくなっているのなら、薄いので冷えそうだが。でかいあんぱん状態では、表面だけが冷えて皮のようになるけれど、中はいつまでも溶岩状態のままにおわるのではないか? さらに、福島の原子炉を設計した人たちの対談などを読むと、圧力容器よりも格納容器の方が温度が高い気配があることから、水が燃料を素通りしてどこかにいって、いまもって再臨界状態なのではないか、と推定したりしている。放射能測定器を個人で購入して測定しはじめた友人の考察でも、宇都宮での放射能数値を時間単位で吟味してみると、ふわっとあがる時間帯があったりするので、まだ再臨界がおわっていないのではないか、と推察しているが、あながち間違いでないのかもしれない。だとしたら、これはチャイナ・シンドロームが進行中ということだ。

3)水でいいのか?……3月の末時点で、ISEPの飯田氏は、水では汚染水が増えるだけでむり、石棺するにも崩壊熱が高すぎるので、生コンでも無理だろう、だから、それにかわるスライム状の何かを新開発しなくてはならない、といっていた。というか、ゴルバチョフの回想録を読むと、生コンでやる、ということ自体がアイデアであったらしい。しかも、最初の投入が失敗し、大爆発を起こした、のだと。そしておそらく、そのチェルノブイリの現場に立ち会った学者とヨーロッパで話しあってきた飯田氏の話しをも勘案すれば、ゆえに、次のときは生コンの流し方を工夫して石棺に成功した、ということになる。そしてそのために、現場の近くに似たような状況を作って実験し、それで確認してから実行にうつした、というのである。ならば、もし、生コンにかわるスライム状の何かが開発されても、そのときは失敗してまた爆発する、というリスクをかける、ということを意味してこないか? このままダラダラと放射能を永久に垂れ流していることを選択することは、日本全土で生物が暮らせる環境ではなくなっていく、ことを選んでいるのに等しい。飯田氏は、最近出版の岩波ブックレット『今こそ、エネルギーシフト』のなかでも、循環構造とかよりも封じ込めることに政策を移すべき、そのためにも、メルトダウンを実験して制御ソフトプログラムを作ったりした世界の英知を結集してことにあたるべきだ、と提案しているが、その際にはまた爆発する、というリスクを自覚してやる、ということになるのか? とすると、爆風は同心円的だろうから、〇〇km圏内は再度の避難、とか前もってやらなくてはならなくなるが、そんな時期遅れにだされる避難指示を政府がだせるのか? だまってこそこそやることになるのか?

4)世論調査では、3月末ごろで原発賛成6vs反対4ぐらい、4月末で賛成5vs反対5、5月末で賛成4vs反対6、とおおまかに推移している。これはやはり世論操作とかいうよりも、わかりやすい動向にみえる。当初は、震災避難民も、原発事故避難民も、とくには関西・九州方面のひとは区別できなかっただろう。4月になって、なんとなくその区別ができるようになる。5月になると、「えっ、家があるのに帰れなくなるの? あんな宇宙服きて一度かえっておわりなの?」と、その事故後の状況がテレビで繰り返し放映されるようになったので、ならいやだな、となったんではないか、と私は考える。ということはならば、増えた2割の浮動層は、状況によっていつでも賛成にも反対にもなると考えておいたほうがいいのではないか、とおもう。しかも、この割合自体は、たぶん固定的だ。比喩でいえば、反対のデモにまで参加するのはおそらく全国で数万人、これは、大江健三郎の本が売れるような数。そういった層。その周辺に、デモに参加したり大江氏の著作自体は読まないけれどなんとなく良識をもっている知的大衆層。その他の人は、選挙の浮動票と同じで、だいぶかわるとおもう。青森県の原発ある市町村の選挙では、原発維持賛成派の市長が当選した。新聞報道からみるかぎりだけど、その結果ではなく、その中身はまあいいのではないか、と私はおもう。むしろ、単なる反射的反発での反対派の候補が当選しても、市民を説得できるとはおもわない。賛成し推進してきた者だからこそ、原発を止めることができるのではないか、という可能性と説得性を残した選挙内容だったようだから。だから、国がとめるといえば、推進市長は止めるよう住民利害を説得する。ただ、現政府の方針が、これまでの原発推進の方針を堅持する、となったので、このまま本当に推移していくのか? 中間市町村が自己決定できるような問題でもないので、国の方針を変えられるのは、政治家の意志と、国民の声ということになる。世論がこのまま原発反対のウェイトでいくだろうか?

5)マスメディアのなかでは、今回の震災が日本経済に壊滅的な打撃をあたえるようなことはない、というふうにみえる。どこの国際機関か忘れたが、日本のGDP成長率は、今年は0.1%くらいになるが、少しづつ回復していくだろうとみているようだ。ただちょっと専門的な雑誌などにあたってみるとシビアになってくるようだ。近い将来の経済動向の正鵠さを求めるのは無理があるのだろうし、私にはわからないが、4)との関連で、こんなことを考える。「自然エネルギー」の方策は、経済状況いかんによっては、右翼的な反動と合致、混同されてくるのではないか?……「ぜいたくは敵だ!」、「食べられません勝つまでは」、だったか、そんな国民を一丸とさせる戦時中の標語は、震災後の、日本人はひとつに、の世論基調と重なってみえてきてしまう。原発を推進しようにも、金がかかってできない、そんな経済状況でもなくなった、とわかれば、日本人はひとつに、の合言葉にのっかって、エネルギー転換の政策がなされ、経済政策の不手際を、戦時中的な国民操作でごまかし推進させられる、ことも考えられるのではないだろうか? その場合、反原発の世論が高いからといって、市民社会的な自治・自発性が是とされているわけではない。飯田氏には、そうにはならないようにエネルギー政策を転換したい、という意図もあるようだが、政治経済の状況によっては、だいぶこんがらがった事態にもなるのではないだろうか? 自民、民主の大連立の話しは下火になってきたようだが、世論もひとつ、政治もひとつ、となると、まさにファシズムではないか、とおもえてしまう。といっても、被災地の瓦礫の処理さえ国家の発動で処理できずに夏をむかえようとしている今をおもうと、なかなか負けを認めずずるずる何もしない現状をひきのばしている菅総理は、東条英機にみえてきてしまうのだが。早くしないと、大空襲が、原発投下が、と同様、熱中症どころか感染病が被災地で蔓延し、後手後手対策の果てに原発がまたドカン……とならなければいいが。3月末の時点で、佐藤優氏なども、東電の技術者の自負心を傷つけないように、べっこに対策チームを作ってやるのが危機対策の基本だ、と言っていたのだが、まるきり懲りないように東電まかせ、その工程表も信じている、ときている。では、そうならないと、またヒステリックに怒って責任を他人転嫁、とすまそうというのだろうか?


*とにかくも、グローバルな文脈で、世界を相手に大博打を打てる政治家なり、日本世論の動きがでてこないと、これまで自然災害後にみせてきた日本史的な「世直し」を、歴史の気運を、伝統を反復できず、平常どおりのずるずるさでいくところまでいってしまうような気がする。私が憂鬱なのも、そんな気運のためだろうか? この気運を、気勢をかえていくには、どうしたらいいだろうか?

2011年6月2日木曜日

希望を、筋道をつけてゆける混沌を

「……ペレストロイカ停滞の原因がとりあげられ、問題は改革の道にダムのように立ちふさがっている巨大な党・国家機関にあることが確認された。…(略)…ところがその二日後にわれわれは恐ろしい試練に見舞われ、すべての構想は長期にわたり舞台裏へ押しやられてしまった。/チェルノブイリ原子力発電所の事故は、わが国の技術が老朽化してしまったばかりか、従来のシステムがその可能性を使い尽してしまったことをまざまざと見せつける恐ろしい証明であった。それと同時に、これが歴史の皮肉か、それは途方もない重さでわれわれが始めた改革にはねかえり、文字通り国を軌道からはじき出してしまったのである。/今はわれわれは、この悲劇がどれほどの大きな規模と広がりをもち、健康と家を失った人々のためにさらにどれほどのことをしてやらねばならぬかを知っている。この災厄とその後遺症が、私のソ連大統領在任の最後の日まで、そしてその後も私のどれほどの心労の因となったことか。」(『ゴルバチョフ回想録』ミハイル・ゴルバチョフ著 新潮社)


まだ骨折したカカトの腫れがひかず、リハビリで筋力増加に励み、家にこもっては読書をしている間に、仕事上の公共仕事としては、3月の年度末がすぎ、5月の入札時期が始まっている。怪我の経過報告がてら元請けの情勢を社長の息子にきいてみると、これまでとれていた仕事がとれず、というか、これまでの通例の管理作業が発注されていないようだ、というのが先月末の返事だった。私の推論では、東京23特区では、震災被害自治体に10億円の協力支援も決めているし、去年の実績で申告した税額が本年度に本当に企業から支払われるのか、その様子をうかがっているのではないか……という感じを、ちょうど今さっき電話をくれた社長にももらしてみると、よくわからないが、とにかく業界では激震が走っている、という。地震や原発事故があろうがなかろうがやってくることが、それを契機に、予定より早くやってきた、ということなのだろう。つまりそれはあくまで、惰性の果て、というよりは、転機として出現してくれた、ということだ。これは天啓なのだ、と私は考える。だから、その天啓的な転機を、あくまで惰性的なシステム体制の延命の方向で支持してはならない、というのが私の立場、になるだろう。そこから、いま、テレビでの国会中継を見ている。自民党の政治家の話しが、うるさい。


佐藤優氏のたとえでいうならば、すでに政治(経済)的な「メルトダウン」がはじまりだしたのだ。それを認めない、ということは、東電的な事態である。今朝の新聞(今は朝日を購読している…)では、不信任案可決なら衆院解散、と前回の民主党内選挙の、菅vs小沢の時と同じように、その一面を読んだなら、態度曖昧な議員には脅しとなるような紙面構成になっている。社会面でも、「復興遅れるばかり」「政争にあけくれないで」「今は選挙どころではない」――という世論の声が見出し紹介されている。たしかに庶民の感想は、そういうものに近いのだろう、とおもう。小沢氏自身は、先月のウォールストリート・ジャーナルへのインタビューでも、危機になると「みんなで仲良く」というのが日本人だが、それは間違っている、と認識表明しているのだから、現状世論と闘うことを宣言している、と言える。だから、その危機を、どのくらいの深刻さで認識しているのか、が実践的な行動への出発点になる、ということだ。


くり返していえば、私はすでに「メルトダウン」ははじまっているのだとおもう。しかしまだ、釜の底が抜けて爆発するという、チャイナ・シンドロームが起きているわけではない。しかし、一刻を争う、ということだ。危険を犯してでも手を打たなければならない。いまの官邸は、東電相手、という狭い領域では筋を通しているようにみえるが、大きくいえば、自民党時代に敷かれた官僚の路線を引き受けていく方向だ。つまり、平常どおり、なのである。これは、あの原発現場では安全などありえない、という現実を引き受けて作業をしているのに、厚労省が「安全管理」の徹底を要請する、などという、工事現場での役人態度を頑なに反復することしかできない、のと同じだ(官僚にはそれくらいしかできない、ということだ)。それが無理なほど深刻だから被曝しているのに、その現実を無視して表向きの体裁、官僚としての国民向け立場保身しか打ち出せていない。だから現場では、すでに法的庇護を超えている作業をしているのに、そのことが是正という建前で隠蔽され、裏で抑圧された形で強行させられるのである。作業員は、二重拘束的な分裂状態に苦しむだろう。これは非常時なのだ、注意して作業をしても、法的以上の被曝をして健康を壊すかもしれない、その時はその労働者と家族の保証はするから頑張ってくれ、労働体制も非常体制でくみ支援強化するから、とリスクを負って官邸中枢が言えない、言ってやらない。平常運営でしかないエリート官僚(東電)体制だから、作業員も半端なことしかできないのだ。それがダラダラきて、転機への芽が、決死の意志がなえ、だから役人同様、小さなエゴからの、ごまかし作業が横行するだろう。


もし、あのチェルノブイリ後の政治状況のなかで、ゴルバチョフ改革派ではなく、共産党国家機関が主導権を握りつづけたらどうなっただろうか? 官僚国家の意志とは、増税と統制である。旧ソ連ではともかく、ペレストロイカという、一国の内政を超えた世界規模での道筋をつけた。たとえその後の経過で、民間(マフィア)上の混沌がやってきても、その道筋がロシア人魂として一貫していくことができたようにみえる。つまり、文化精神的な意味での、アイデンティティーも保たれた。ではいまのこの日本では? とりあえず自民党提出の不信任案が可決されようとされまいと、政治家の意志の足並み乱れは、官僚が体現してしまう国家意志を利するだろう、というような状況だ。投票の結果、というより、その結果の度合い、の中において、どちらの方向に転ぶのかの予想がみえてくるのではないか、と思うのだが……まだ抗辯がおわらない。ながい話しだ。結果をみてから、次の行を書こうとしているのだが……。


いま採決がおわった。私の見たところでは、官僚に<代行>される国家意志へ動く方向へ舵がきられた、とおもう。欠席・棄権が小沢氏本人くらいなら、まだ民主党内に国民を<代表>する政治家意志がだいぶ残るので、両義性を孕んだままで推移することになったのだろうが、彼等30名ほどの政治家が除名されるとなれば、政治情勢はなおさら混沌としてくる。可決されて解散が回避され内閣が政治意志の方向で改造されるか、圧倒的に否決されて民主が一丸的になるのがいい方向性かな、と思っていたのだが……。くり返すが、官僚の国家意志とは、増税と統制である。原発事故のどさくさにまぎれて、ネット規正法のようなものが成立されたことをおもえばよい。そして今回の場合、外交的な敗北である。先月末ころ、朝日新聞だけが一面で、「海外賠償巨額か」と報道していたが、読んでみると、アメリカの原発保険に入ろう、という話しなのだ。つまり、毎年も保険をはらい、ということはソ連が拒否した海外賠償も支払って、さらに廃炉作業でも金をとられる、というか、貢ぐわけだ。そのための増税路線なのだから。ずるずる、というより、みるみる経済的にゆきずまって、国民大衆が米騒動的な騒ぎをおこす場合もでてくるかもしれないが、もちろんそのときは手遅れである。もちろんそれは革命(変革)でもなんでもない。それができなかったことへの回復不可能な取り返しの試みである。そんな騒ぎ=爆発が起きるまえに、事態を深刻に認識し、まだ目に見えてこない段階で危険をおかし、手を打っておけばよかった、という話しなのだが…。


フクシマ以後の日本において、混沌は避けてとおれない。しかしだからこそ、希望のある、筋道のある混沌を作らなければならない。その希望、筋道とは、世界へむけての道理である。地球規模での論理なのだ。そういう物語=文脈、世界への説得力をもってこの日本の事故を開くこと。光の見えない混沌はわれわれを絶望させるだろう。今日の政治的結果が、危機への対処を一手遅らせたことは確かになってくるだろう。現場の作業員は、なおさらずるずると意味もつかめない作業を、「安全」にという標語のもとに、一層の被曝を蓄積させながら、だらだらとやりつづけなくてはならないだろう。(そうしているうちに、また貯蔵プールの方が爆発する、ということも十分ありえる話しだとおもうのだが……。)

2011年5月23日月曜日

自然、をめぐるノート2

「江戸の大地震後一年目といふ年を迎へ、震災の噂もやゝ薄らぎ、この街道を通る避難者も見えない頃になると、何となくそこいらは嵐の通り過ぎた後のやうになつた。当時の中心地とも言うべき江戸の震災は、たしかに封建社会の空気を一転させた。嘉永六年の黒船騒ぎ以来、続きに続いた一般人心の動揺も、震災後の打撃のために一時取り沈められたやうになつた。尤も、尾張藩主が江戸出府後の結果も明かでなく、すでに下田の港は開かれたとの噂も伝わり、交易を非とする諸藩の抗議には幕府の老中もたゞたゞ手を拱いてゐるとの噂すらある。しかしこの地方としては、一時の混乱も静まりかけ、街道も次第に整理されて、米の値までも安くなつた。」(島崎藤村著『夜明け前』 *旧漢字新字に変更


先のブログで、大川周明のことに触れたが、東京裁判で東条英機の頭を叩いて精神病送りになった右翼思想家、というレッテルくらいしか知らないので、もう少し、著作を借りて読んでみた。


<精神復興は、震災このかた随所に唱えらるゝ題目である。而も予の見る処を以ってすれば、其の提唱せらるゝ復興策は、多く第二義に堕して究極の一事に触れない。修身教科書にある如き教訓を電車の中に今更らしく張出しても恐らく無害なれども無益である。真個に精神を復興せんとすれば、常に復興せられるべき精神其者を、徹底明瞭に理解し把持せねばならぬ。予は予の自証する処によって信ずる、精神復興とは、日本精神の復興であり、而して日本精神の復興の為には、先ず日本精神の本質を、堅確に把持せねばならぬと。かくて今日の予にとりて、何者にも優りて神聖なる一事は、日本精神の長養である。又は其の外に発する処に就て云へば、日本国家の成満である。「日本精神研究」『大川周明集』 筑摩書房>


東北大震災後の現在の状況は、関東大震災後の大川の説くところよりは、冒頭引用した、島崎藤村の『夜明け前』の時代状況、江戸末期の方に近似しているだろうと私は思う。それは今回の大地震が、日本列島の地震の終末期たる関東大震災より、地震の活動期に入ったことを示す安政の大地震に相当するものだろう、という自然条件的な前提ということもあるが、より世界史的な事態にたてば、一つの歴史から次の歴史への転換期に相当するだろう、という社会政治的な認識にもよる。環境エネルギー政策研究所の飯田氏によれば、1980年代以降の原発政策は、「安政の大獄」みたいなものだったと発言しているし、そうなると、菅総理は徳川慶喜か? 2年後にまた浜岡原発が稼動するとなれば、評判なお悪くなるだけなのだが、このままではゴルバチョフはおろか、徳川慶喜にも程遠いが……。しかしそれはともかく、この震災後において、東北魂といいながら、日本人の精神的一体化が叫ばれている状況は、大川の認識と重なる。私自身、このブログでもまずそこを喚起した。が、大川の認識実践は、国家に収斂していくものであり、私のものは、それを無化していく方向である。しかし、その文化的一体性をふまえて、そこに他文化との普遍性(自然災害)の回路を想定するがゆえに、個人主義的な考えとも対立する。が国家という枠組みの外圧に対しては、まずもって個人の強さなくして前国家的な一体性を保守することはできない、と考える。しかしもともと大川は、精神的な一体性の時期を、たとえ神代の時代に求めても、そこに国家の成立をも前提するがゆえに、個人の入り込む余地がない、かにみえる。いわば、国体と国家の間にずれがなく、それが一致していると仮構する。大川の考えが、国家機関説になる北一輝のそれとはちがっていても、国家という装置を肯定するところでともに運動するところがでてくるのかもしれない。しかしまたより精神的、純真的あるがゆえに、軍部に近くなりそのイデオロギーとしてみられた、ということなのか? しかし、大川の超越的な認識自体は、そんな機械的な話しではなさそうだ。橋川文三は、彼にみられる不透明さを、山形県という修験道ある特異な文化的土壌で育ったことに推論したいようだ。


<今日の宗教学者は、概ね宗教の起源を呪物崇拝・自然崇拝・トテム崇拝などに求めて居る。此等のものが現に未開人の宗教的崇拝の対象であり、同時に太古の吾々の先祖が逸早く撰び出した神々であつたらうことには私も異存がない。併し人間が此等のものに於て最初に『神』を認めたとすることは、私の到底納得出来ぬところである。…(略)…呪物崇拝が行はれるためには、人間が「自己以上の存在者」又は「存上者」といふ観念を有つて居なければならぬ。…(略)…之を存上者といふ観念に就て考へて見るに、人間が最初に木片や石ころなどによって此の観念を誘発されたとは、何としても信ぜられない。むしろ、日月星辰、乃至は高山大川などの与へる印象が、人間をして自分以上の存在者を認識させるよすがとなり得るであらう。併し人間の心は、日月星辰を仰ぎ、高山大川を望んで、その恩寵や威力を感ずる前に、存上者の観念を誘発すべき一層直接な、且一層有力な印象を、その親によって与へられる。人間の意識のうちにある根本的観念の起源を知るためには、すでに成長した人間に就てでなく、幼い小児に就て之を探し求めなければならぬ。然るに小児は、光と熱を給う太陽の恩恵を感じ、大地を肥やす河川の恩沢を感じ、又は疾風迅雷の威力を恐れる以前に、遥かに直接且深刻に父母の恩恵を感じ、その威厳に畏れる。人間は相当の年齢に達するまでは、殆ど如何なる自然現象に対しても深い注意を払ふものでない。それ故に「神」即ち存上者の観念を最初に人間に与へるのは、呪物でも自然でもなく、乃至は目に見えぬ精霊でもなく、実に父母そのものに外ならない。吾々の生れ出てくるや、母が吾々にとりて唯一の存上者である。吾々の存在は唯だ母だけに頼って居る。稍や長じて吾々は母並に全家族が、父によって庇護されて居ることを知り、更に父に於て存上者を認める。この父母に対する自然的感情が純化されて敬となるのである。故に敬の特質はその宗教的なることに存する。>(大川周明著「安楽の門」前掲書)


いわばこれは、エディプス的認識といえばいいのだろうか? だから、とくに神、超越的認識が母(あるいはその背後に隠れた父)からくる、とするところから、大川個人の幼少期の謎、父に対する言及をいっさい拒否している態度の特異性が問題とされたりする。が、大きく一般化すれば、ファミリーロマンス期のフロイトである。が、分裂病者、医者にとっての他者の出現は、その説ではすまない認識の深化を要請した。私の体験でも、超越的感覚、を知る、ということは、ドストエフスキーの『罪と罰』でのラスコーリニコフのみるネヴァ川の光景、いわばゴッホ的体験からくるので、家族、という擬似自然に収斂していくものではない。それは、そうした自然的自明性を崩壊させてくる感覚である。が、自身精神病に入るような大川にも、実はそうした感覚があったのではないか、と推論される。


<日本歴史では神武天皇以前を神代と呼んで居る。神代といふのは、日本人の生活の一切の部門が悉く神々によつて支配され、神々を離れて生活し得なかつた時代のことである。併し乍ら之は単なる日本の上代だけのことでない。あらゆる民族が一度は神代即ち宗教時代を経過して来た。この宗教時代には、今日吾々が道徳・法律・政治・経済・学問・芸術などと呼ぶ人間生活の特殊の部門が、尚未だ混沌未分の状態にあり、生活全体が神々の支配の下に行はれて居た。然るに時代を経るに従つて、人間生活に於て神々が支配する領域が次第に狭くなつて来た。それは最初神々の支配の支配の下にあつた人間生活の諸部門が、つぎつぎに神々から離れて独立した往つたからである。学問や芸術は言ふに及ばず、…(略)…そして宗教そのものさへ神々を離れて成立つことが、釈尊の仏教によって立証されたのである。従つて仏教は神を説かないから宗教でないの、或は例外の宗教であるのといふ西欧学者の所論は、千古の宗教的天才ともいふべきジョルダノ・ブルーノを瀆神者として残酷極まる火刑に処したり、神に酔へる哲学者スピノーザに無神論者の烙印を捺したりした旧基督教精神の名残とも言ふべきであらう。きゃうな西欧学会の雰囲気の中で、シュライエルマッヘルが「神なくして宗教なし。」とする通説を真向から否定して、設ひ神の観念有たなくとも、宇宙を「一」にして「全」なるものと直観して居る人は、最も善く教育された「多神教信者よりも遙に多く宗教的であり、スピノーザは敬虔なるカトリック信者よりも一層秀でた宗教者であるとしたことは、まさに「群鳥喧しき時、鶴一声」の感に堪えない。>(大川周明著「安楽の門」)


ここでいう「直観」とが、ファミリーロマンスに収斂していかせることを忌避する、ゆえに日本(アジア)人は天皇の赤子論的な右翼言説にも絡め取られない、超越的感覚である、と私は推定する。といっても、スピノザからドイツロマン主義が生れてくるともいわれているようなので、思想史的には単にそういっても説得的ではないのかもしれない。教養不足で言い方がたてられないが、私の理解では、スピノザ的な神の一神教的な厳格化、から汎神論とされる考え、と多神教的な実際生活上の知恵、は両立する。が、この二つを論理的に整合しようとすると、いわゆる三位一体論的な概念組み立てが必要になってくるのかも、という気がする。が、私にはそう理論化する必要もないので、素人趣味のままなのだが。


震災後の情勢は、日本精神を説く一体化、ファシズム的な事態を反復させてくるだろうか? 幕末のあとにはヨーロッパモデルの復古明治が、敗戦後にはアメリカモデルの民主主義があったわけだけど、今回はそうしたものがありそうもない。自然エネルギーのヨーロッパ「緑の党」モデル、というのは人々の精神的支柱になっていくには小さすぎるだろう。ソ連解体後、ロシアではルーブルにかわってマルボローが通貨となり、マフィアが横行し、KGB出身のプーチンの出番となったわけだ。アメリカが日本に求めるTTP政策をめぐって、黒船だ、開国だ、とかとも言われている。少なくとも、日本人は、自分たちの貯蓄を諸外国のお金持ちに流用されないよう気をつけなくてはならない、のが政治の根幹だとおもう。そうでないと、被災者にまわすお金さえ、掬い上げられてしまう。東電や政府批判以上に、世界情勢と外交への目配りと注意が重要になってくるだろう。


*  いつもいっている床屋の老夫婦の話。メイが福島第一原発に勤務していた。その話しによると、地震・津波発生あと、所長が一同をあつめて、津波で家族が心配な人は帰宅していい、と解散させたそうだ。そのとき、爆発する、という危険可能性を現場は認識していたそうだ。そして残ったのが、いわゆるフクシマ50で、ほぼみな下請け労働者だったという。労災もでない、というのが前提認識だったそう。報道では、この50人になったのは、爆発後みたいだが、床屋さんの話しでは、その前ということになる。というのは、メイは、10km圏内に新築したばかりの家に退避していたが、東北電力に勤めていた、老夫婦にとってはもうひとりのメイにあたる親戚から、爆発したらそんなところにいてはだめだから、と電話でいわれ、新潟まで逃げた、そうだから。飼い犬だけもって着の身着のまま出発したが、自動車のバッテリーがあがって立ち往生、渋滞しはじめた避難する住民たちが車をとめて、ブースターでつなぎ、電気を起こしてくれたという。メイには現場にもどるよう指示が届いたが、もういやだ、トラックの運転手でもなんでもする、と覚悟してたが、結局は違う部署にまわされて、栃木にいったという。……こんな床屋談議からも、福島第一の初動作業への疑問がでる。ロシアの専門家は、福島第二原発では抑えられたのにそれができなかったのは、人災だからだ、という主張が強いそうだ(宮崎学のHP)。たしかに同じような地震津波の被害のはずなのに、なんで第一ではベントが失敗(あるいは武藤副社長と現場所長との、するしないの激論が発生)し、第二ではうまくいったのか? 微妙な被害の違いによって、作業の可・不可が左右されるのはわかるが。原発の新旧の違いか? 佐藤優氏によれば、ロシアはとにかく人災にして、自国の原発推進をしたいのだそうだが。……現場所長が記憶を呼び起こして事態を整理できるまでには、作家が思いを意識・言語化するのと同様、だいぶ時間がかかるだろう。またそれが、正確だという保証もない。

* なお、宮崎学HPによれば、現場にいる東電の友人の話しとして、地元では4号機が一番あぶない、のが共通認識だそうだ。そして学者の中には、4号機の貯蔵プールの使用済み燃料が核反応を引き起こしていた、と説く人もいる。ただ副島氏によれば、こんどはまた何号機が危ない、と言い出して、危機をあおって日本人を統制してくるだろう、と予測しているが……。

2011年5月19日木曜日

自然(帝国)、をめぐるノート

「……地球の核やマントルで続けられている太陽圏的な活動の影響は、地殻の表層部につくられてきたささやかな生態圏には、めったに及んでこない。原子核が融合したり分裂する現象は、この生態圏の内部では起らないように、自然は組み立てられている。/しかし原子炉がそこにつくられると、状況は一変してしまう。…(略)…莫大なエネルギーといっしょに、生態圏的自然の内部には、まったく異質な「自然」が出現してしまうことになる。その「自然」は、太陽の内部や銀河宇宙にしか見出せないものであり、地球生命はその「自然」のなかでは、人工的な防護服なしでは生きていることができない。」(中沢新一著「日本の大転換 上」『すばる』2011.6月号)


「……本源的生産要素の商品化の限界は、単純な物理的限界ではなく、歴史性・地理性を帯びている。言い換えれば、労働の背後にある人間の定義、土地の背後にある自然の定義、貨幣の背後にある聖性の定義のいずれもが歴史的・社会的に構築されている社会――「大転換」において市場は、その網の目にともかくも接合されなければならないわけであるが――の底は抜けてしまうことがありうるということこそ、私たちは恐れるべきなのである。」「近代に入り近世帝国が解体するとともに、人間、自然、聖性の定義がゆらぎ始め、その流動化は現在、臨界点に達しつつある。それが世界の<帝国>化の条件を構成しているということだ。」(山下範久著『現代帝国論 人類史の中のグローバリゼーション』 日本放送出版会)


「一神教の成立する以前には、流動的知性にそなわった「流動性」というものに、きわめて大きな意味があたえられていた。この流動性が活発に働いているおかげで、言語というものが、いまあるような構造に進化をとげることができたのであるし、固定化された意味領域の隔壁を越えていく、流動的知性の強度に注目するところから、象徴思考やその表現である多神教の神々が生み出されてきたからである。/横断性をそなえた流動的知性は、日常生活で大きな働きをしている諸領域に特化された知性よりも、はるかに強度をそなえている。そのために、その横断的運動をイメージ化した、動物や植物の領域に向ってメタモルフォーシスをとげていく神々は、人間の持つ力をはるかに凌駕した「超越性」をそなえることになる。大帝国の王たちは、こうした神々を崇拝し、それと一体となることによって、国家の権力にそなわった「超越性」を誇示しようとした。一神教を生みだすことになる民たちは、このような想像界で働く「超越性」を、根底から否定しさろうと試みたのである。」(中沢新一著『緑の資本論』 集英社)


「では、「<他者の他者>への固着」とはどういう意味か。やはり、食の安全の話を例にとれば、メディアに報じられる偽装や汚染は、間抜けでささいな、ほんの氷山の一角で、実はグローバルな食品ビジネス資本と諸政府とのあいだには知られざる密約があって、地球規模の過剰な人口を整理するとか、反抗的な労働者を化学的に去勢するとかいった邪悪な目的のために、汚染/調整された食品がグローバルに供給される体制ができあがっているのだといった陰謀説にとりつかれるようなとき、そこには<他者の他者>の作用、すなわち現実界に潜む不可知の存在の力にたいするオブセッションがあるということだ。/これは荒唐無稽なパラノイアだと一蹴できるものではない。たとえば、右の陰謀説も「食の安全の背後にあるのは、グローバルな食品ビジネスやアグリビジネスの利益追求にともなう暴力なのだ」と言い換えれば、それを単なるパラノイアだと断ずる人の割合はぐっと下がるだろう。さらに言えば、スーパーでものを買うときにいちいち産地を調べ、「中国産」とあれば棚に戻し、「遺伝子組み換え不使用」や「有機栽培」といった表示にこだわったりするときにも、私たちは<他者の他者>への固着を示してしる。/小さな<大文字の他者>は局所的には実質的な秩序をもたらしうるが、それが有効であればあるほど、本来の<大文字の他者>への信憑は回復不可能になる(食の安全について政治家や官僚を本気で頼りにする人はますます減る)。そしてその分だけ<他者の他者>への固着の度合いは増していく。そうしなければ、象徴的秩序の崩壊――それは主体にとって「世界の終わり」として現前する――が食い止められないからだ。」(山下範久著『現代帝国論』)


「……私のような想像力をもった人間には、科学者や技術者たちが、まるで一神教的技術の生み出したモンスターに放水を繰り返すことによって、その怒りを鎮めようとしている、自然宗教の神官たちのようにさえ見えた。/ことによると、日本の科学者の思考には、一神教の本質の理解がセットされていないのかもしれない。原子力発電は生態圏内部の自然ではないのだから、それをあたまかも自然の事物のように扱うことは許されない。いわんやそれが「ぜったいに安全である」ことなど、ありえようがないのである。生態圏の自然と太陽圏の「自然」を混同することほど、危険なことはない。」(中沢新一著「日本の大転換 上」)


「選挙で議員が選ばれる。その議員が議会で原発なりダムなりの建設を決める。決定に即して官僚的手続きにしたがって専門家たちがその原発なりダムなりを設計する。もちろん、安全基準などについても、正当な手続きで決められたものを踏まえて設計される。しかし、事故は起こる。専門家は、たとえば「震度6の地震に耐えるためには、これくらいの強度が必要です」といったことには一致した合理的結論を出すことができるが、「この地域に原発なりダムなりを作るにあたって、想定すべき地震は震度6までです」といった判断で一致することは難しいし、そもそもその資格もない。震度6以上の地震が来ることによるリスクを背負うのは彼らではないし、震度6以上の地震に耐える強度にするための追加的コストを払うのも彼らではないからだ。だが他方、その地域を震度7の地震が襲ったならば、その「正当な手続き」に実質的に参加する方法を持たない多くの「一般の」ひとびとが壊滅的な打撃を被ることになるのである。/こういった矛盾は、すでに私たちにとってうんざりするほどありふれた光景になっている。ドイツの社会学者ウリッヒ・ベックは、この状況を「リスク社会」と呼んだが、<帝国>の観点から重要なことは、この「リスク社会」における当事者の多様性が、<帝国>においては活性化させられていることだ。したがって<帝国>においては、高度な技術的判断をともなう統治行為にかかわる問題であればあるほど、意思決定は単一の議会においてではなく、無数の会議において行なわれざるをえなくなり、それに応じてその執行も脱官僚化されざるをえないということである。」(山下範久著『現代帝国論』)


「しかしそれならば、イスラームの人々は別として、資本主義が人類に普遍的な経済システムとしての本質をそなえていると考える人たちが、今日圧倒的なのはどうしたことだ。資本主義のグローバル化は、多神教的なアジアやアフリカの世界をも巻き込んで、地球的な規模で進行しつつある。この資本主義のグローバル化の現象は、資本主義の本質を決定しているそのキリスト教的構造と、矛盾するのではないか。/ここで、キリスト教が一神教の冒険魂に突き刺さった棘をはらんでいる、という事実を思いおこす必要がある。キリスト教が自らの本質を表明した「三位一体」の構造を、「至高の一神教」としてのイスラームは、激しい意志をこめて拒絶した。その概念が、唯一である神の単一性を汚染することを、イスラームはおそれたのである。「三位一体」的思考は、一神教の神の内部構造に、生命的なプロセスをセットするすばらしい効果を持つが、イスラームにとってそれは、一神教の発生の人類的意義を危うくするものであった。/資本主義の普遍性と今日言われていることは、キリスト教のおこなった(イスラーム的なタウヒードの観点からすると)一神教の純正なドグマからの逸脱から発生した経済的現実なのである。その証拠は、「聖霊」の働きにかかわる記号論的思考が、新石器時代以来の「人類的」伝統に根ざしていることのうちにある。」(中沢新一著『緑の資本論』)


「だが実際には、まさにグローバリゼーションにともなう変化として、私たちは人間、自然、聖性に関する定義のゆらぎを経験している。たとえば近年、感情労働の問題が前景化しているのは、感情が人間の本質の一部であって市場の論理になじまないと考えるか、感情も商品化可能な人間の外的属性であると考えるかのあいだの緊張関係の高まりの反映である。遺伝子組み換え作物の問題は、単なる安全性の問題であるだけではなく、むしろ遺伝子が自然の本質(生命の神秘)の一部であって、市場の論理によってそれを操作することをある種の冒瀆であると考えるか、遺伝子も商品化可能な天然資源であると考えるかのあいだの緊張関係であろう。また最近拡大の著しいイスラーム金融においても、「利子」を禁ずるクルアーン(コーラン)に抵触する金融商品の範囲は、個々のイスラーム銀行が擁するシャリーア(イスラム宗教法)評議会でも判断が分かれる。そこにあるのは、超越的な秩序――聖性――の定義をめぐっての見解の分岐である。/さらに言えば、これらの変化とも絡んで、そもそも本源的生産要素の商品化の限界をめぐる物理的限界と倫理的限界との区別も、かならずしも明瞭ではなくなってくる。というのも、いま例示したような倫理的限界をめぐるゆらぎの背景には、近年の情報技術および生命技術の発達が介在しており、たとえば(情報機器によって生を補完された人間としての)サイボーグ化の問題や、クローン技術や遺伝子組み換え技術などを通じてモノ化した――設計の対象となった――生命の問題などは、単に社会的な決めごとの水準での倫理の問題というよりも、そもそも人間とはなんなのか、自然とはなんなのかについての物理的な定義自体のゆらぎをもたらすものだからである。」(山下範久著『現代帝国論』)


「イスラームは長い歴史をかけて、人間の住む世界のすみずみにまで、一貫した原理を浸透させようとしてきたが、そのことがもっとも印象的にあらわれているのが、伝統的なスークに今もおこなわれようとしている商業のあり方なのである。イスラームは一神教の原理に忠実に、貨幣や商品のうちにセットされたシニフィアンの部分を「魔術的」に操作して、そこから不当な利潤を獲得することを、厳に禁じてきた。とりわけそれは、「ニ〇ヤールのリンネル=一着の上着」という、商品交換のもっとも原初的な場面において何気なく作動をはじめ、商品としての貨幣を生み出すばかりか、その貨幣が貨幣を生むようにして、価値増殖の過程がはじまってしまうという、深淵微妙な経済学的分析を深く理解していたかのように、この原初的な場面においてまず、資本主義への道を固く閉ざそうとしてきたのである。…(略)…そこには、人間の自然的知性がつくりだしてしまう世界に対する、一つの透徹した批判システムの作動をみることができる。イスラームとは、その存在自体が、一つの「経済学批判」なのだ。原理としてのイスラームは、巨大な一冊の生きた「緑の資本論」である。」(中沢新一著『緑の資本論』)


「たとえば地震で原発が損傷したというとき、その責任は政治家にあるのか、官僚にあるのか、技師たちにあるのか、それとも住民全員が甘受すべき天災なのか。たとえば国際金融システムの危機にあたって、ある投資銀行は救済されず、別の保険会社は救済されるというとき、その判断はどこまでが市場の論理によるもので、どこから統治の論理によるものなのか。近代社会は、これらの問いに取り憑かれている。/だが、結論から言えば、どの問題をとっても、そのような腑分けは不可能である。仮にむりやり腑分けしたとしても、腑分けされたそれぞれの部分における局所的な対応は、問題全体の解決にかならずしも結びつかない。むしろ大規模で深刻な問題であればあるほど、それは逆効果になりやすい。それにもかかわらず、腑分けが推進されるのは、近代的な社会科学の知が、純粋に分離された自然の秩序と社会の秩序を説明とし、そのパラダイムのなかで、実際の社会組織とその責任系統もまた自然と社会の分離を前提して編成されてしまっているからである。…(略)…ポランニー的不安を再帰的近代化の帰結としてのみ捉えるネガティブな普遍主義には、この自然と社会のふたつの極の解体が世界の終わりに見える。それは極端に言えば、政府が見出した法則は法則である以上、それに対する違反はそもそも存在しないと言い張り、自然と社会のハイブリッドのなかで起きた事故を社会の論理で裁くようなカオス的世界である。たとえば法律に反して事故を起こした原子炉を罰するようなものだ。もっと過去には、法則たるべき王の命に背いた咎で、牛馬に刑罰の鞭が与えられたり、不味いワインの元となるという咎で、特定の品種のブドウの樹が引き抜きを宣告されたりした。ひるがえって人間に刑罰が執行される場合、それは、犯罪者の矯正や更正のためではなく、一時的に乱された自然の秩序の回復を演出するために行なわれた。そういった「前近代的」体制は、理想的な社会などではもちろんない。しかし、人類にとって未曾有のカオス的破滅というわけでもない。」(山下範久著『現代帝国論』)


「このようにアニミズムや多神教のj神々は、どんなに超越的なふるまいをしてみせようと、それはいわば格好ばかりで、じっさいには生態圏の全体性の表現になっている。これらの神々のなかには、毒を出すものもいる。しかしその毒は、人間がうまく処方できれば薬に変えることができる。これらの神々は、生態圏のなかに、その秩序を脅かすような「外部」を引き込んだりしない。その意味では、一神教の神と本質的な違いがある。/一神教はその生態圏に、ほんらいはそこに所属しないはずの「外部」を持ち込んだのである。モーゼの前に現れた神は、無媒介に、生態圏に出現する。そんな神を前にしたら、生身の人間は心に防護服でも着装しないかぎりは、心の生態系の安定を壊されてしまうだろう。」(中沢新一著「日本の大転換 上」)


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*「緑の資本論」として、厳格に一神教であるはずのイスラーム圏(イラン)が、<核>をもとうとしていること、あるいはその素振りは、やはり「自然(人間・聖性)」の定義自体の底が抜ける次の「帝国」段階への流動化を意味してくると同時に、その抵抗とも伺える。アメリカがIAEA、原子力規制委員会、等を通して日本にかけてくる圧力は、パレスチナをめぐる、イスラエルとイランとの駆け引きに間接的に介入することで、ヨーロッパにおける分裂(ユダヤ資本とその反ユダヤ)を促進させるよう誘導していこうとしているのかもしれない。(そうみると、副島氏が今回のフクシマで起こされていることは、ヨーロッパのロスチャイルドとアメリカのロックフェラーの権力・利益争いだ、と分析してみせるのも、そう突飛でもないのかもしれない。がそんな程度の話ではすまない、というのが、上の引用でみてきたことである。)――つまり、世界の次なる帝国過程(根底的なものへの再定義)、への反動である。そしてこの反動自体が、より世界をカオス的にし、つまり、次なる帝国段階を深めている。


*私の自然(アニミズム)観は、原子炉的な自然災害の前では、まさに外部から排除されてしまう。それと折り合う、放射能とうまくつきあっていく、ということは、原理的には不可能である。実際には、可能である。(死ぬまで生きる、ということだから。)また日本人だからといって、一神教的な思考態度がもてない、というわけでもなく(それはどの人間にも可能だ、という前提=脳味噌構造、の原理でもあるわけだから)、単に、そういう強度を受肉化しえない人たちが出世して権力をもってしまう世の中だったから、ともいえる。そしてならば、原発をいっきに廃止することが不可能であり不適切になってしまうなら(つまり、世の中が混乱しすぎる、ということ)、過渡的であれ、一神教的体制を構築する必要がはっきりしてしまった、ということか? しかしそれは、過渡的、ということなのか? チュニジアをはじめとした民衆革命のように? イスラム的な厳格さは、過渡的だった、ということ? ということは、資本主義(三位一体的似非一神教)に抵抗していく「緑の資本」は消費されていく、ということ? ドイツの「緑の党」を中心とした反原発=自然エネルギーの運動自体が、権力者たちの暗黙なる世界利権争いを繰り広げて、次なる帝国段階への混迷を深めていく、ということか? 「自然」なるものの定義が、どのように深化していく、ということなのか?

2011年5月14日土曜日

やまとごころ、をめぐって――佐藤優氏への疑問



「東日本大震災は思想問題でもある。」(佐藤優著『3.11クライシス!』 マガジンハウス)







大地震、原発事故、という緊迫した現在状況のさなかで、私はジャーナリズム世界の思想的一役を担っていたかにみえた佐藤優氏が、どのように発言をしていたのかを詳らかにしなかった。書籍としてその発言がまとめられた上の出版物を読んで、いかにもなるほどな、とおもった。状況を覗わせるような情報収集的な態度や機械的な状況批判ではなく、リアルタイムにそれを分析整理認識し、自己の立場を思想的に対応させていかせるには、その想定外的な非常事態以前に、それに即応できるような思想体制が構築準備されていなくてはならない。佐藤氏はそんなまれな思想家であって、ジャーナリストの枠におさまるような人ではない。ネット上では、「東電からいくらもらったか!」などといういわゆる左翼活動家まがいの駄弁も見受けられたが、氏への批判は、その思想的立場と正面から向き合わなくては話しにならない。


佐藤氏の思想的立場を支える根本的認識は次のようなものにみえる。


<「しきしまの 大和心の をゝしさは ことある時ぞ あらわれにける」


 という明治天皇の御製に、現下の危機をわれわれが克服する鍵がある。/日本人は普段、国家や民族について深く考えず、私生活やビジネスに埋没しているように見える。しかし、日本民族と日本国家の存亡の危機が生じると、日本人一人ひとりの内側から「をゝしさ」すなわちほんものの勇気が湧いてくるのである。今上天皇陛下は、3月16日のビデオメッセージにおいて、「そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています」とおっしゃられた。この「雄々しさ」がまさに明治天皇が御製で詠まれた「大和心のをゝしさ」なのである。>



しかし私の認識では、「やまとごころ」は、「雄々しさ」に結びつくものではない。むしろそれは、「女々しさ」に結びつくのが本意ではないだろうか。単純に広辞苑で調べれば、二番目の意味として勇猛という語感が含意されてくるが、まず一番は、漢才(学)に対する実生活上の知恵・才能のことである。これが古語辞典での説明となれば、なおさらその語感に近づく。本居宣長は、「しきしまのやまとごころを人問はば朝日に匂う山桜花」と詠んだが、その「やまとごころ」の表記とは、漢字(男文字)ではなく、やはりひらがな(女文字)だったのではないだろうか?(ネットでちょっと確認しようとしたがよくわからない…)――大川周明は、関東大震災後に、日本の復興を託し、「日本精神研究」をはじめたそうだが、大川の『日本二千六百年史』を読むと、その歴史が、いわば古事記以後の書かれた歴史の範囲内への想像であることがわかる。しかし、「やまとごころ」の系譜とは、文字として書かれなかった、先史時代からのものなのではないだろうか? つまり古事記の記述を援用していうならば、あくまで天皇(大和朝廷)による伊勢神宮ではなく、より土着の出雲大社の方からである。私の推定では、縄文とされる時代の狩猟・採集民的な倫理感が、弥生とされる大陸渡来的な律令(官僚)大儀に屈服されていくときに滲み出て来る情感が「やまとこごろ」」なのである。ゆえにそれは、個人の名誉に生きた狩猟・採集民の独立・自尊の気概が、敗者という諦念の感情に織り込まれていく屈折した心なのである。そしてここに、黙って従いながらも実は服従をよしとしない根強い精神が涵養され、それが大和朝廷には支配しきれなかった東北地方により明確に残存し、のちの東武士の精神を惹起させてくるのだ。比較文化的には、よくローマの政治的支配に対する、敗北したギリシアの文化的支配、という歴史解釈と類比的だ。また、日本の庭、という概念には、朝廷(庭)という大陸系の概念とともに、にわ(日和)という、土着的な意味が潜在的に受け継がれてきている、というところからも類推されてくる。いま、震災後の困難を耐えていかせているのは、そのような敗戦にも黙って処した土着民の東(あずま)精神である。それは、勇猛果敢という「雄々しさ」よりは、何か諦めたように日々の実務に黙々と取り組む屈折した「女々しさ」なのである。その心境の複雑さが、「やまとごころ」なのだ。


そういう認識からすると、佐藤氏が例としてもちあげる近代文学作品、三浦綾子氏の『塩狩峠』のクライマックスが、あまりに文学ロマン的な創作だということに気付かされる。


<……たったいまのこの速度なら、自分の体でこの車両をとめることができると、信夫はとっさに判断した。一瞬、ふじ子、菊、待子の顔が大きく目に浮かんだ。それをふり払うように、信夫は目をつむった。と、次の瞬間、信夫の手はハンドブレーキから離れ、その体は線路を目がけて飛びおりていた。/客車は無気味にきしんで、信夫の上に乗り上げ、遂に完全に停止した。>


以上の文章の中で、私が気にさわるのは、一瞬、家族の姿が浮かんだ、という挿入だ。ヘミングウェイの『誰がために鐘はなる』や、数年前の、スマップの草薙氏主演の映画『日本沈没』でも、日本人を救うことになる主人公はそんな一瞬に立ち返る。が、そんなことはありえない。私はこのことを、仕事上、なんども経験し、確認している。一服のときや、木に登るまえでなら、そんなときがあるかもしれない。しかし、その日の仕事が命がけになる、とわかっている日の朝などは、作業着を着替えれば、変わってしまうのだ。作業中は、目の前の処理、まわりの状況情報の取得、そんなことで精一杯だ。一つの危機を始末して、幹もとでほっと一息つける瞬間になら、富士山でもみながら息子のことをおもうかもしれない。しかし、作業中に家族のことを思ってしまう人は、危険作業をやる職人、技術者としては不適格だろう。しかも、祭り的に、ある時かぎりだけ、やるのではない。親方などは時々やってきて、「雄々しく」もお手本をみせるようにやっていくとしても、毎日やっている常連職人は、そんな祭り(危機)的なよいしょ態度では、やっていくことができないのである。だから、諦める、死を受け入れる、もう死んだものとして、ただたんたんと、黙々と、実務処理的にこなしていくようになるのである。30メートルの木の上の作業も、部屋掃除する主婦の日常と同じである。それは決して「勇猛」なものでなく、むしろ「女々しい」ものであろう。私はそのように、いま原発事故の最前線で作業をしている男たちのことをおもう。本をみるかぎり、佐藤氏が興味を抱くのは、あくまで前線作業員に指示をだす監督者、専門家エリートのようである。原発現場では88%を占めるという日雇い(日給計算)として雇用される庶民大衆たちのことは考慮にないかのようだ。しかし私からしてみれば、そんなエリート連中のところに、「やまとごころ」があるわけないだろ、とおもうのである。


<少なくとも今後10~15年の中期的展望において、日本が原子力発電から離脱するという想定は非現実的である。それより先の長期的展望においても、原発に依存しないというシナリオを日本がとることはできないと筆者は考える。それならば、将来のために今回の福島第一原発の事故に関しては、ヒューマンファクターを含めた真相究明が国益のための最重要課題だ。/人間は誰でも過ちを犯す。その過ちから学ぶことが重要である。読者の反発を覚悟してあえて言うが、東電と関連会社の社員に刑事免責を与えた上で、真相を語る仕組みを政治主導でつくってほしい。本件は、国民の不満を解消し、時代のけじめをつけるための国策捜査の対象になりやすい。しかし、国策捜査になると関係者が真実を語らない。それでは国益が毀損される。>


たしかに、検察が勝手な仮説的物語を前提に、責任者をつるし上げるのでは、真実は明るみでてこないだろう。しかし私は氏が説くような温情(前提)が、エリートから本当のことをひきだす戦術になるとはおもわない。すでに屈辱的な立場を経験した会社人間は、まずぜったいに口を割ろうとしないだろう。現場の人間は別だ(おそらく現場所長クラスも含む)。彼らは、どんなフレッシャーの下でも、自己で判断をくだす訓練を仕事としている。時間(ゆとり)をあたえれば、自分で整理してくるだろう。が、経営管理側の人間は、意地でも会社を守ろうとするだろう。その意固地だけが、自らを支え、もちこたえさせているだろうからである。こいつらにどのように口を割らせるのか、その手腕は、これまでどおり、同じエリートの検察がよく知っているはずだ。つまりこれまでどおり、あの手この手で逃げ口を封じて吊るし上げればいいのである。ただ勝手な仮説を作るのはやめてほしい。しかし、この捜査は、単に国策的な、国内的な問題として片付けていいものなのだろうか? 佐藤氏は、9.11も「米国人にとって」のカイロス、3.11も「日本人にとって」の特異な事件、と表記する。脱原発社会、というよりは、脱原発(核)世界(9条敗北理念=やまとごころ)をめざすべきと考える私には、福島の事故を国内的に納めておいたほうが国際的な道筋をとれるようになるのか、正面から国際的に問題化したほうがいいのか、その戦術の具体効果のことはわからない。(国際的に問題化すると、すぐにつぶされる、ということも考えられる、ので。)しかし、思想的な問題として、この日本で起きた原発事故が、「日本人にとって」だけの歴史的分水嶺だとは考えない。たしかに、チェルノブイリですでに大惨事が起きている。しかし今回のそれは、自然の驚異的な出来事から発しているのである。単なる人災ではない。まして、「誰でも過ちを犯す」というような話ではない。人間の手に負えない自然が、人間の手に負えない自然まがいの人為の脅威を見せつけたのだ。それは、遺伝子組み換えからクローンといった、今の世界の先端をゆく他の人為技術までの存在基盤の是非を根底から問い直してくるのではないだろうか? われわれは、9.11や3.11といった事件によって、ある種の人たちのやっていることが疑わしいことに気付きはじめている。それは、自然への対処技術を装った、国際的な権力利権構造と一体となった作為である。この自然へ向けた境域における人為の暴圧が、どこまで進むのかを黙って処して見ていることだけしかわれわれにはできない、わけではない、だろう。そしてその処理手続きは、祭り(特異時間)に興奮した猛々しい「雄々しさ」ではなく、「女々しい」台所での包丁さばきに似た、日常的な手際による腑分け(事業仕分け)作業に似るだろう。その実務手際の理想とする、「やまとごころ」をもった社会とは、いま東北の被災者たちがみせている、相互扶助的な連帯、「災害ユートピア」的な、ある意味敗者諦念の情感に支えられているものなのかもしれない。だとしてもそれは、日本国家という境界をこえた、普遍的に開かれた世界受苦的な共感としてあるものなのである、と私はおもう。