2014年1月6日月曜日

夢からの指針

宮台 重要な部分だけを繰り返させて頂きます。グローバル化の中で日本ないし日本国民たちが生き残るのに必要なエートスがあります。このエートスは、共同体ないし中間集団で育ち上がることで身につく心の習慣です。ただし心のクセという意味ではなく、何に価値コミットメントを抱くのかという共同体的な徳を中核にします。/ 日本の国民共同体が存続するために必要な徳、すなわち内から湧き上がる力は、恐らく代々継承されてきたものだけでは足りない。強度も種類も足りない。場合によって一部を取り替える必要もある。その場合、僕たちはどうしたら良いのか。…(略)…
関口 宮台先生から中間集団を育てるというお話がありました。私はそれに関連して、地方の政治を育てていく可能性、地方の政治を変えていかなければならないと考えております。/ 地方の政治が特に県会議員であったり、市議会議員であったり、結局国会議員の選挙の手足になってしまっております。やはりこういう状況でありますと、いつまでたっても本当に、地方分権だと、権限よこせと言っても、日本は変わらないなと私は思っております。/ そこで、ささやかですが、私は春の統一地方選挙に向けて、自分自身が立候補するわけじゃないんですが、政治文化を変えるために、言葉の力を信じて、戦っていこうと思っています。言葉の力を信じるというのは、私自身が小室先生の本の言葉に感銘を受けて突き動かされたというところから出発しています。ですから、先ほど、伝えるだけではだめだというお話がありましたけれども、その伝えたその先に人を動かしていけるようなその言葉を自分自身もしっかり言っていけるように、それに足る力を付けていきたいなと思っております。」(『小室直樹の世界 社会科学の復興をめざして』 橋爪大三郎編)

ここのとこ例年、年初めのブログは初夢を記述していたようにおもう。が今年は、そう書きたくなるような実存的な雰囲気のある夢をみなかった。精神が安定しているのだろう。今朝みた夢も、その雰囲気には、おぞましさはなかった。……場所はおそらく、小学生時代の通学路だ。暗い頭上の空に、UFOが現れて、白い光を射してくる。それに当たったものが、選ばれた者として、地球を脱出し、新しい星の世界へと運ばれていくようだ。どうも地球はもう終末が近いようだ。高校までの友達、皆から疎んじられていたが有名私立大学へ進学しいまは旅客機の機長になっているという友人が空に運ばれていった。選ばれた者は、白い光を呼び込む装置をもっているらしい。私はたまたまその装置を手にした。そして、白い光によってUFOの内部へと連れていかれた。そこで、中年の白人女性がなにか声をかけてきた。私は、「選ばれた者ではないのですが」と言った。しかしそれでもいいらしい。私はほっとして、UFOというより、すでに乗り合いバスのようになっている車内の広い窓から、外をみた。雪景色のなかの道路を、バスが走って行った。私の座る前には、息子の一希がいる。二人でこれから新しい星の世界へ向かうということに、私は冷静だった。故郷を去っていく感じと、故郷にいるという感じが同居していたようにおもう。だから、落ち着いていたのだな、と今おもう。バスからみる雪景色とは、正月に実家の群馬へと帰っていった伊香保温泉への鉄道・バス旅行の影響だろう。そして、UFOと選ばれた者たち、という主題は、私の今の読書傾向が反映されている。

つまり、神秘主義と現実政治、この二つの相反した読書興味がどう生成してきたのか、このブログを読み返してみないと私にはもうわからなくなってしまったが、きっかけはやはり、木から落ちて命拾いし、同時に、3.11からの大災害があったからだろう。そして、もし「現実政治」方向での関心を要約してみるのならば、冒頭引用での宮台氏のような問題意識になる。バブル期に青春を迎えた私世代の、経済的な豊かさが豪語されていたなかでの心の空虚さ、その状況をまずは整理し頭を落ち着かせていかせるための読書探究、整理できてから解決へむけての実践活動……その試みは、私にとっては柄谷行人氏のNAMへの参加ということだった。だから、最近になって小室直樹氏のような学術者を知り、柄谷氏の思考の原型がすでにそこにあるのを知って、おそらく立場は国家主義的なものへの容認の強度において実践的レベルで違いが明瞭になってくるだろうけれど、私にはその右寄りとされる小室氏の思想は受容しやすいものだった。どちらも、数学から経済、そして哲学・思想領域へと移動してきているところからしても、その両者の思考態度に原理的な親近性があるのは伺える。またもし、私が戦後のすごい思索者、私がおもうすごい思想家をあげるとするならば、もうひとり、渡辺京二氏となるだろう。渡辺氏への着眼は、近代主義者を実践的には志向することになるだろう柄谷(小室)氏に対するアンチテーゼ的な位置といおうか。前近代的なモチベーションの現実性を、NAM失敗後の私にしっかりと気づかせてくれたのは氏の論考である。(柄谷氏もNAM後、前近代的な封建精神を民主主義の核、最近の言葉で置き換えるなら、遊動民的な倫理としてクローズアップしてくるのだが…)

そんな私にとって、結婚とがNAMプロジェクトの延長だった。共同体をつくること。個的にバラバラバにされ、心理的にもスポイルされてきた私(たち)にとって、もはや性的動機は空虚だった。空々しく、関心はながつづきしない、読書のほうがいい…それはルソーの『エミール』によれば、そうやって童貞を人為的に世間風潮にあらがって延長(差延・教育)させていくことがヒューマニズム、隣人愛を涵養させていく方法なのだったが、おそらく実験的にはその結果、女性とまともに話もできない頭でっかちの男たちができあがってしまったのである。NAMでもその運動への批判的視点として、恋人や女友達がいないインテリの集まり、落ちこぼれの集まりではないかという内側からの指摘があったりした。つまり私(たち)は、それほどまでに落ちぶれてしまった、しかし、そこから、人間のはじまりからやりなおさねばならなかった、少なくとも私は、その墜落した地点から一からつくっていこうとおもい企てたのである。解散後、結婚していった私の友人たちも多い。彼らが果たして、それをNAMプロジェクトの延長として意識し考えているかどうかはわからない。子供がうまれる。どうなにを教育、養育していくのか? 教科書はなんだ? それら自体、作っていかなくてはならない……と考えさせられるだけでまさにNAMの延長になってくる。私(たち)の親から受けた教育上の価値は、反面教師としての消極的な道具にしかならない。積極的につくっていくためには?

しかし、親の意識や時の風潮がどうであれ、身体的に躾けられるのは、そんな戦後教育やその価値ではない。私の世渡りをへたくそにさせる義理堅さ、頑固さ、従う価値への筋へのこだわり、といった体=心の強度は、どうも群馬上州の環境的な要因に思えてならない。もちろん、群馬のエリート高校へ入学し、そのエリート予備軍の頭のいい立ち回りにショックと嫌悪を覚えたのだから、一概に地方ゆずりとはいえない。おそらく父親の子供への体罰的な反応、いわば義理人情に厚いという地方気質の極端さが、私の行動規範の一つになっていったのだろう。そして、私が意識的に何を子どもに教えようと、やはり、私の子への身体的反応が、一番に息子に感染していくように感じられる。

冒頭の宮台氏の言葉に応じた関口慶太氏は、私と同じその群馬の高々出で、また私と同じく藤岡市出身だそうだ。まあ、東大の法学部卒業なのだが。彼が小室氏を師事し、地元を意識する政治実践へと駆り立てているのも、その地方に涵養され残存している「エートス(内発的な力)」なのかもしれない。