2017年7月2日日曜日

三つの柳田論―柄谷・大塚・絓/木藤の著作から

「この分析結果は、狩猟民の進出する先々で大型動物は次々に絶滅へと追いやられたというマーティン仮説とは合わない。絶滅は徐々に進んだもので、気候の変化が絶滅速度を速めた可能性も考えられる。…(略)…しかし、最終氷期やその後の間氷期に伴う気候の変動で、こうした大型動物が好みの生息地が大幅に失われたときには、すでに現生人類(ホモ・サピエンス)がヨーロッパの広い地域に進出していたので、その狩猟圧で、それ以前の気候変動のときとは異なり、大型哺乳類の絶滅が引き起こされやすくなった可能性は考えられる。
 一方で、日本で起きた大型哺乳類の絶滅はヨーロッパとは異なっている。ナウマンゾウやヤベオオツノシカのような大型哺乳類は三万~二万年前に絶滅したが、この時期に人口が急増していることが、五四〇〇か所を超える地域から出土した旧石器時代の考古学的証拠が示している。この時期の気候変動は比較的に穏やかだったが、こうした大型哺乳類が絶滅していった。マンモスも中国中部から姿を消してしまったが、アジア象や二種のサイのような大型哺乳類は歴史時代に入ってからも、中国中部の広大な落葉樹林で生き延びていた。」(『落葉樹林の進化史』R・A・アスキンズ著 黒沢令子訳 築地書館)

絓秀実/木藤亮太との共著『アナキスト民族学』(筑摩書房)を読み終える。これで、研究者というよりは、ジャーナリズム界で実践的な意図を持った柄谷氏の『遊動論』、大塚氏の『殺生の民俗学』と、三つの柳田論に触れたことになる。
私自身は、柳田国男について何かを言いえるような教養も見識もない。が、これらの著作は、私自身が今の世の中で生き続けていくための一助になり、その読書を含めた生の在りか、あがきをより前方へと意識化、言語化していくことで、少しは見透しがよくなって生きることが楽になる、そのために、こうして書いてみることを試みるのである。

『アナキスト民俗』と『殺生の民俗学』とは、同時的に出版されているためか、お互いの言及はない。ある意味ではどちらも、それらより前に提出されてある柄谷氏の『遊動論』への応答という向きがある。が、『アナキスト…』が、思想(思考)の系譜・文脈的に緻密な構えによっていることから、以前作『遊動論』だけでなく、同時期大塚氏の『殺生…』もを批判的に相対化しえる視点を既にして含んでいる、とはいえるだろう。大塚氏のこの作品の主張を思考の型で言い換えるなら、狩猟することに生起する「快楽」という「気質」=「科学」から、人類の書かれた歴史を超えた「環境」、つまりは人間をも超えた先史的な射程を孕む思考形態に着地しようとしているもの、と置換できるからである。そうした型の対応が、現在の定型的な思考に位置づけられるのである、と。

<むしろ、それは今日まで続く、ヘゲモニー国家アメリカの没落に対する応接であった。ともかく、「六八年」の「地平」から柳田を再び召還することは、ほぼ無意味である。「客観科学」に依拠することも「生活世界」に依拠することも、ともに相関主義における、ウェイトの置き方の相対的な違いに過ぎないからである。
 ところで、メイヤスーはカントのコペルニクス的転回は、真のそれではないと言う。科学革命が、人間以前の世界――メイヤスーは、それを「原石化」という比喩で語る――つまり「祖先以前性」へのアクセスを可能にしたことに応接しえないからだ。その時、それを脱却するために、超越論的観念論は、一種の神学の様相を呈する場合さえありうる。メイヤスーは、「相関性が乗り越え不可能なものとして提起される際には、超越論的な視点(そして/あるいは現象学的な視点)、または、思弁的な視点という二つの様相がありうる」という。柳田「神学」を問う場合、問題になるのは、後者の「視点」である。>(『アナキスト…』)

絓/木藤氏によれば、「戦後天皇制は、やはりトーテミズムとして完成した」という「思弁」によっている、とされる。柳田への国民作家的な参照も、その現れなのだ。柄谷氏の「世界史の構造」から「柳田論」への展開自体が、いわば「ディープ・ヒストリー」(神学的思弁)である。逆に、最近のAIの囲碁や将棋での勝利から話題になっている脳みその階層化された神経現象をモデルにした思考が「ディープ・ラーニング」と呼ばれているが、それは「超越論的な視点(現象学的な視点)」、ということになるのかもしれない。
しかし、いま考えていることのあがきを、思想史的な文脈系譜に位置づけてみせることは、内省的に必要な一つの構えであるとしても、あがくこと自体も必要であるかもしれないではないか? 盲目の中の洞察ならぬ、凡庸の中の洞察、といったものも生起するかもしれないではないか? 「ニュー・エイジ」的と絓視点では批判されてきた神秘主義的な思想系譜をもつある種の考え方にも、そう批判してみるだけではすまない思考の種が播かれていることを、岡崎乾二郎氏の「抽象の力」などは教示しているだろう。思考を時間軸で腑分けしてみることや、テキスト間を明解にしてみることを教養不足でできない者でも、自分との思考のあがきで読むことはできる。その凡庸さを内省してみる必要はあっても、やめるわけにはいかない。

たとえば、NAM以降の、柄谷氏の読解に関して、私と絓/木藤氏の『アナキスト…』との間では、違いがあるようだ。『アナキスト…』によれば、柄谷氏は、封建制を批判的な根拠として認める講座派的な構えから、その日本的特殊性を認めない労農派的な思考立場へと転回した、と捉えている(だから、天皇制という日本特殊的な文脈を思考しうる射程もが手離されてしまった、とされる)。が、まず植木職人世界での経験から、私は主従的な封建遺制のなかに、「可能性の中心」があるのではないか、と体感していたところに、NAM以後の封建制を再評価する柄谷氏の言葉を受容したのである。(参照HPブログ)そして封建制が、民主主義(互酬的)なユートピア性を将来させているだけでなく、それが狩猟民的な「遊動」性への反復契機でもあるのだ。つまりは、講座派的な見方の徹底が(それは、父系的な系譜の中に双系的な痕跡をみていく志向となるだろう――)、先史時代的な仮説(神話)をも射程に孕みこんだ最近の「ディープ・ヒストリー」に連なっているのである。だから、私の思考文脈では、大塚氏の柄谷批判の方が正鵠である。狩猟民の世界に、柄谷氏がみる互酬的なユートピア以上に、「殺生の快楽」という「リスク」をみようとしているからである。このブログの冒頭で引用した「落葉樹林の進化史」でも、とくに日本での数万年前での大型哺乳類の絶滅が、純粋に狩猟圧(食うことを超えた快楽の追求)によるのではないか、ということを示唆している。大塚氏によれば山民の狩猟儀式も、アスキンズによれば瓦屋根や樹皮を用いた屋根、イグサの畳など伝統的な和式建築の技巧も、動物や樹木の絶滅後の工夫なのである。ならば、人類の狩猟的な在り方から「可能性の中心」として互酬的なユートピア性を注視してみせることは、やはり片手落ちになってしまうだろう。
しかし、両手ではなく、片手で手探りしているところ、いわばあれからこれ、あれもこれもという「転回」ではなく不器用な徹底だからこそ、次の視点が獲得されてくるのかもしれない。大塚氏は、狩猟から「戦争」へのリスク(非道徳)をみた。そして絓/木藤氏は、この「戦争」を、とくには日本の二次大戦を、「王(天皇)の(象徴的)殺害」への「悔恨」という倫理的位相で了解した。が、「戦争」とが「快楽」であるのなら、それはモラル的な問題、倫理の位相ではなく、美学の範疇になってくるはずである。ゆえに、柄谷氏は、9条擁護の背景に、フロイトの戦争批判の言葉を引き合いにだしてくるのではないか? そのフロイトの引用を、柄谷氏の論からではなく、私の作品(「パパ、せんそうって、わかる?」)にリンク参照させる。そこで、フロイトは要は、戦争は残虐だから反対だ、と言っているのではなく、もうその快楽にあきた、だから嫌になった、と言っているのである。戦争反対の理由は、倫理にあるのではなく、生理的な、好き嫌いの美学、趣味判断によるのだ。柄谷氏が9条に読み込もうとているのも、そのような人類の前線的な趣味である。そしてもしかして、日本の象徴天皇制下でその戦争後も生きながらせられている天皇自身が、そうした理由で、もううんざりしているのかもしれない、ということだ。天皇ファミリーの「お気持ち」は、「退位」どころか、「廃位」なのが無意識かもしれない。

うんざりには、論理的文脈などないだろう。複雑な理由経路はあるだろうけれど、それは系譜的に遡行できるというよりは、遡行を突発的に頓挫させる身体的な反応だ。その「身体」もが、「不死の身体」なるものと同等なものなのかどうか。