2016年6月9日木曜日

育成と日本――サッカー協会「Technical news」より

「 ハイレベルな選手が自動的にハイレベルな環境へと引き上げられる育成システムをもつスペインでは、指導者の役割は日本とは大きく異なっています。彼らの目的は、1年ごとにチームとしての結果を残すことであり、個々の選手を”化けさせる”ことではありません。
 たとえば、「メッシを(上のカテゴリーに)飛び級で引き上げた」と紹介される指導者はいても、「メッシを育てた」と紹介される指導者は現れません。…(略)…
 対照的に、日本では「才能を発掘した」と紹介される指導者よりも、「育てた」と言われる指導者のほうが圧倒的に多く存在します。選手たちには「恩師」と慕う指導者がいて、「あの人に教えてもらったからこそ」と育成年代を振り返ることがきわめて多い。つまり日本には、育成年代の指導によって選手を”化けさせている”指導者が存在するのです。」(村松尚登著『サッカー上達の科学』 講談社ブルーパック)

小学生サッカー・チームのコーチをやるということで、サッカー協会指定のD級ライセンスなるものを取得していると、定期的に、「Technical news」なるものが送付されてくる。今回vol.73は、JFAの新会長に就任した田嶋幸三氏が、「育成日本復活」なる標語を掲げているので、各年代別の代表監督の対談などが収められている。まずは、田嶋氏の挨拶から引用を列記していく。

「FIFA U-20ワールドカップの4大会連続不出場、すばらしいサッカーを展開し世界でも認められてきたU-17日本代表(U-16日本代表/当時)が残念ながらアジア予選で敗れたことなどもあり、あらためて日本サッカーを立て直す必要性を感じています。」「20年前に皆さんと一緒に取り組んでいたときの「世界に追い付き、追い越せ」という気持ちが薄れてきているのかもしれません。もう一度、目先の勝負だけでなく、皆で世界を意識し、一丸となって世界を目指しませんか。そうでなければ、代表チームも世界から遠ざかっていってしまいます。日本サッカーは、今が踏ん張り時です。ここで、Jリーグのアカデミーも、高体連も、クラブユース連盟も、中体連も、大学も、U-12も、どの年代も、男子も女子も、グラスルーツも、皆で世界を意識した気持ちを持ち、日本サッカーの発展のためにもう一度挑戦しようではありませんか。」(「ごあいさつ」)

森山(U-16代表監督) ただ、今のサッカーに限らず若い世代の課題として、コーチに言われないとできないとか、やれと言われたことはできるけれども、そうではないことはできないなどがありますが、そういう部分はすごく物足りなく感じます。特に下の年代になればなるほど色濃くあるように思います。」
内山(U-19代表監督) リーグ戦もトレセンも携わってきた中で、懸念していることが一つあります。各チームがスタイルを持っているけれど、どこも結果重視ですね。(イビチャ・)オシムさんが「今日の結果を求めたら、明日の日本はなくなるぞ」と言っていました。リーグ戦をやっていくことはいいけれど、もう少しそれを司る全体観が必要だと思います。余裕を持った環境に整えてあげないと、たぶん良い選手は生まれません。毎週毎週戦って、選手のことに関わり、ましてや選手は18歳。サッカー以外の問題もあるし、プロとメンタルもまた異なる。そういうものを抱えて、「世界を勉強しろ」なんて言うのはなかなか難しい。結果を求められてくる雰囲気がすごく強い。この環境を解いてあげないと難しいと思います。」 
手倉森(U-23代表監督) 今言われたように、本当に勝つことだけに行きがちかなと思っています。もちろん、プロのJリーグだから勝たなければいけないのですが、勝つための工夫ということに対して、少し幅が足りないのかなというふうに、客観的に今は見ています。…(略)…自分の中では勝つこともあるけれど育てなければいけないというのもあります。思い切ってこの選手を使ってみようというのがうまくいって、育てながら勝つことが究極だと思います。そういう幅のある指導者というのがなかなか出てこないですね。」/「自分であれば、勝つために育てなければいけない、育てれば勝てるという、このフレーズがあった方がいいのではないかと思います。今の社会では、監督だったらもう勝たなければ駄目。勝っていればいい。けれど、あの監督、あの指導者は良い選手を育てるとか、こういう選手を育てるとか、そういうことが以前は多かったと思います。自分はそっちの方が格好良いと思いますね。」(「各カテゴリ―日本代表監督対談」)

「私がインストラクターを務めたライセンスコースで、ベルギー協会が施策の一つとして、U-14以下のリーグでは指導者、選手の勝利至上主義を戒めるために順位表をなくしたという事例を紹介した際、ある受講者から「日本でもやりましょう!チームの勝った負けたはどうでもよくて、個人を育てることに力を注ぎましょう!」という意見をもらいました。
 われわれ日本人は、どうしても針が一気に傾く習性を持っています。チームの勝利か個人の育生か、結果か内容かなどなど。しかし、サッカーの本質を分かっているサッカー強国の人々は、試合は勝つためにやるもの、そのために戦うもの、その上で個人が育つように仕組みを整えるということを行っているのです。彼らのトレーニングや試合におけるピッチ上の厳しさ、タフさ、熱など、そうしたものをなくして、われわれが施策だけをコピーしていては、間違いなく絵に描いた餅になってしまいます。」(影山雅永「ヨーロッパ視察報告 ヨーロッパにおける指導者養成とユース育成の改革 第1回 はじめに)

Jリーグでは、育成の取り組みを格付けすべく、ベルギーの民間企業が開発したシステムを利用するという。その会社の昨年度の評価とは、――「指導者個人の手法に頼る部分が大きいこと、経験が蓄積されていないことが、日本の育成の課題として浮き彫りになった」(朝日新聞・夕刊6/3)

この評価とは、戦争後、日本の軍隊・官僚システムに対して分析・指摘されてきたことと似ている。強い個性と能力をもった指揮者がいなくなると、年功序列的に地位についたものが、前の経験則など考慮のほか、単に慣例的な突撃攻撃を繰り返すだけ……。しかし、まさに私の所属するチームがその通りで、そのことに気づいている私自身がいかんともできないのだった。能力があり訓練された個人が揃うクラブチームに、1対1の「突撃攻撃」をしかけてもやられるだけ。サイドへの追い込みと、カバーの対応が戦術として意図されていなければ、ボロボロだ。去年はそれだけでもブロックで40位以下から一気に10位ぐらいへと成績をあげた。それを見ていたはずのコーチは、訓練された相手をリスペクトすることもなく、性懲りもないアプローチ、「なにぼけっとしてる! つっこめ!」と怒鳴りちらしている。子供たちが狩猟の本能で、集団的に相手をサイドにおいこみ獲物を奪うタイミングを図るようになってきているのに、習性=育成がぶち壊しだ。見るにみかねたパパコーチのひとりが、「1対1の数珠つなぎじゃだめでしょ」と分析メールを提出してくるが、理解できないだろう。「サッカーは個人だ、たとえばネイマール」と、ブラジル帰りのコーチは言っていたのだが。私としては、全戦惨敗の結果になり、子供たちも自信をなくし、ベンチコーチの面面もパニックになってくるだろうとの予想通りになってきたので、少しは勝利に向けてマシな、持続的な体制を構築しようと、時期を見計らっている。私は若者を、特攻隊員にしたくない。が、ばかばかしい。できればやめたい。

先日のキリンカップ、対ボスニア戦、ロスタイムの中での最後のチャンス、浅野選手がラストパスとしてだされたボールをさらに中にいた清武選手へと折り返して、シュート・チャンスを潰してしまった。ワールド・カップを初めて決めた試合での、野人・岡野選手の姿を彷彿と重ね合わせてしまった視聴者も多いのではないだろうか? 岡野選手にはまだチャンスがまわってきて、最後に決めて、めでたしになったのだが、その前の弱気を、中田選手から怒鳴られていた。今回は、清武選手が、すぐに浅野選手を呼びつけた。が、中田選手みたいに強くは言えなかっただろう。清武選手自身が、そうだったのだから。そんな弱気な自分を変えるために、ヨーロッパへと出る決心をしたのだから。浅野選手自身、自分にショックだったろう。まさか、自分がこうになるとは……。それは自分というよりも、なにか集団的な、文化的な無意識が出てしまうのだろうとおもう。サンフレッチェでなら、蹴っただろう、が、代表でのあの土壇場となると、なぜか遠慮してしまう、代表の集まりなんだから、俺が決めなくても他にいる、もっとすごい先輩がいる……他の世界の個人が、そう考える、優等生的な自己合理化が無意識に発動されることはないだろう。ハリルホジッチには、不可解なラストパスに対するラストパスであっただろう。

浅野選手は変われる選手だろう。一気にスランプになるとしても。が、個人が変わっても、そういう控えめな個人を産出している日本はそう簡単には変わらない。しかしそう考えれば、変えていいのだろうか? と思えてくる。私は、控えめな人のほうが好きだ、文化を感じる。が、この世俗的な世界で生存していかねばならない、としたら、やはり、グループ戦術で、専守防衛なショート・カウンター、居合い抜きの技芸を磨いたほうがいいだろう。

関連;「日本少年サッカーにおける文化的現状」・「世界での戦い方