2018年2月2日金曜日

文士の言葉と、文学の言葉

中上 江藤さんは、ほんとうに土建屋とか左官屋とか植木屋とか、そういう言葉を吐いてるんだもの。
江藤 そのとおりだよ。
中上 僕はそれしかないと思う。
江藤 僕はね、僕は小林秀雄からならった言葉はそれしかないよ。インテリとかなんとか言ってるのは、だいたいにおいておかしい。まともなやつは土建屋や植木屋や左官屋の言葉がわかるやつだ。そういう表現ではなかったかもしれないけれど、僕が小林秀雄にならったいちばん大事なことは、そういうことだった。…(略)…
中上 いつか聴いたんです。江藤さんが、五十いくつになって、夜中に目が覚めちゃうんだというんです。その時、俺はそうだろうなって思った。俺は四十、まだ十年……」(『文学の現在』 江藤淳連続対談 対・中上健次「今、言葉は生きているか」 河出書房新社)

私が植木職人なのに、いろいろ難しいことを言うからか、もと早稲田の古本屋さん、上の江藤淳の本を読めとすすめられる。読んでいるうちに、これは学生の頃、読んだことがあったんだろうなあ、と懐かしい感じが起こる。しかし当時は、上引用の言葉など、理解するにはほど遠いはずだよな、と思われてくる。この引用箇所だけ読まされても、意味はピンとこなかった。家に帰って、寝床で江藤・中上との対談をゆっくり読んでみて、今の私でようやく合点する。そして、私は彼らの立場とは違うことを意識する。私も、たしか四十代で亡くなった中上の歳を超えて、江藤と同じ五十いくつになろうとして、「夜中に目が覚めちゃう」ようになった「植木屋」だが、私の言葉は、彼らのいう「文士」のものではなく、それと区別して、あくまで「文学」の言葉と言おう。

物書きになって、相手と議論(喧嘩)する場合は、「原稿料の二ヵ月分は貯金しろ」という江藤のアドバイスのような言葉、それが「批評」の言葉なんだと中上は言う。それは、小林秀雄が、相撲の批評は、もと関取が現場の実践に即して適格におこなっている、という見方につながっているだろう。逆に、中上は自身の結婚式のとき、両親の手前、肩書きをもっていた友人・柄谷行人に仲人を頼んだのだけど、文学のことなどまったく知らない身内たちの前でとうとうと中上健次論みたいなことを述べ出した言葉の在り方は、まったく批評ではない、という。こうした例から、文士の言葉としての批評は、関取ー土建・植木屋、とかの実地から出てくるもの、生活者の言葉、というものに近いもの、と理解されてくるが、二人の言おうとしていることは、もっと大きく、深い文脈に真意がある。

おそらく、言語学者の、田中克彦氏が追求してきた「マイナー言語」、あるいは「差別としての言語」というような視点を考慮すると、理解が助けられる。たとえば、「天皇」という言葉、これはあくまで、大国・中国への抵抗、身を守る術として案出されてきた弱者の言葉である。万葉の時代、和歌が政治であったのは、当時の日本が、夜中に目覚めた50過ぎの男のつく溜息と同等のような力しか、世界関係の中ではなかったからだ。いや、今でも同じだ、と二人は認識していること、そのことを他の物書きたちは自覚していないことを批判しているのだ。戦争の焼け野原から経済大国になって、人口が1億人を超えている現在まで、あたかも日本語が普遍言語の一つなように錯覚されている、が、たとえば、このまま少子化が進み、人口が5千万人とかになったらどうだろう? そうして国家的な経済力が衰えてきたらどうだろう? インフラを維持するためにたくさんの外国人労働者をいれるならば、社会では英語で家族の中だけで現地(日本)語で、とかになる潜在性はないだろうか? あるいは、政治的駆け引きで負けて、近隣国の属国になり、日本語を話すことが禁止されたり、そうして自分の子どもたちの代では忘れられてしまう言語になってゆく――そうした、日本の歴史的な地政学的現実の覚悟を、二人は説いているのである。

が、江藤・中上は、それゆえに、諦める、を受け入れる、という立場を表明しているということだ。彼らのいう批評の言葉とは、それゆえ「和歌」であって、現状に内向していくものである。それに対し、たとえば、中野重治は、「歌の別れ」を説いた。そもそも、日本の近代文学の萌芽のうちに、現状(社会)を変える、という外向きの志向が存在していた。二葉亭がドストエフスキーに影響されたのも、そのテロリスト的な実践意欲にであって、それが、漱石のいう「明治(改革)の精神」と連なっている。それは文人というより、武人的な系譜からくるものだろう。ドストエフスキー自身は、死刑を赦免されてからの文学活動において、晩年まで、実は若い革命的な運動家たちとの接点を維持しつづけて、ロシア当局自体が監視をつづけていた、というのがわかってきたことだろう。たしかに、ドストエフスキーの言葉は、「マイナー言語」というより、帝国の言葉、の世界である。その実地において、意味が生きてくるのかもしれない。日本の近代文学は、結局は敗者の美学、つまり「歌」になっていった。

私は、二人の認識立場を受け入れる。が、そこからの実践が、50歳をすぎて溜息で終わるのをよしとするような気になれない。弱者の、マイナーな立場であっても、なんとか自分の声を発する、世界にとどけさせるようあがきたい。

もと早稲田の古本屋さん、わざわざわ早稲田の自宅から野方の銭湯やまで通うそうだ。現在では珍しく雰囲気があって、番台のばあさんもいい人だからだそうだ。私も、植木職人としてそうした社会に生きているだろう。が、私はそこから、歌う(嘆く)のではなく、プーチンや習近平と戦える言葉を探したいのだ。相手も、相当な理論武装をしている。それだけでなく、「北朝鮮は雑草食ってでも核開発するんだぞ」、と脅してくる。こっちの首相は、優等生的な当たり障りのない聞き流してすむような言葉だけだ。「北朝鮮は何を考えてるんだ?」とトランプから聞かれたのなら、「私たちもやりましたからね。」となんで脅せないんだ? それが、「文学」の言葉だろう。「文学」が終焉して以降、言説の言葉は、「社会学」、そして今は「政治学」の言葉が流布傾向にあると指摘されている。もと古本屋の亭主は、最近亡くなった西部邁氏にも言及していたが、私の推定では(氏の作品を読んでないので)、彼の言葉は「歌」であって、文学=政治ではないだろう。銭湯やのばあさんが生きている、社会がない。