2023年7月15日土曜日

中上健次ノート(6)


 6  羽衣の思想

 

  大澤真幸は、大国間の戦争状況となった世界情勢をめぐり、次のように指摘している。

 

<戦争は一般に、いかにも崇高そうな理念や大義をかかげて遂行される。が、そうした理念や大義は、たいてい、もっとも現実主義的な目的を覆い隠す「口実」や「アリバイ」でしかない。侵略相手国にある地下資源(たとえば石油)が大きな富をもたらしうるとか、その国を軍事的な拠点とすることが戦略上、きわめて有利になるとか、といった現実主義的で、利己的な理由が戦争にはある。だが、それを公言するわけにはいかないので、戦争遂行者たちは理念主義を標榜してきた。従来、戦争とはこういうものであった。

 だが、ロシアのウクライナへの侵攻に関しては、現実主義と理念主義との関係が、逆転している。戦争へと駆り立てている真の動機は、述べてきたように「文明」に関連した理念主義的なものである。しかし、それを覆い隠すように、NATO云々といったような現実主義的な目的が公言されているのだ。>(「1章 ロシアのウクライナ侵攻」『この世界の問い方 普遍的な正義と資本主義の行方』(朝日新書)

 

 かつてこれまでの戦争は、経済利害が主要な真の動機であって、それを隠すために大義名分が説かれてきたのに、現今ではその関係が「逆転」し、価値(大義)を守ることが真の動機になって、それを隠すために利己的な話があからさまに吹聴されている、と。

つまりは、資本主義の趨勢よりも、一国を超えた思想価値の共有をめぐる戦いになっているのが真相だ、と。マルクス主義的に言えば、下部構造よりも上部構造の方が現実有意になっている、ということだろうし、キリスト教的に言えば、人はパンのみに生くるにあらず、という人間が精神であることの露呈、ということになるのだろう。

 

しかしこの逆転は、突然起こったわけではない。むしろ、論理過程として推察できる。できるのではないか、ということが、まさに中上健次の作品を通して考察されてきているのだ。

その推察は、2014年から2016年の間、1年ごとに1巻が発行されてきた、河中郁男による『中上健次論』(鳥影社)<第1巻><第2巻><第3巻>による。

 

河中はそこで、中上の作品の推移を、敗戦後日本における資本主義の発展段階に重ね合わせて説いている。その段階とは、マルクスの『経済学批判要綱』による。まずは第一段階、共同体が力を持っている時代、長屋住まい(路地社会)での醤油の貸し借り、お隣のものと自身のものとの区別も曖昧な物々交換が強い時代。初期中上作品は、この世界が理想化されていると指摘される。そして第二段階、「人格的独立性」が中心となる、いわば近代民主主義の時代。『岬』や『枯木灘』での秋幸は、その枠の中で葛藤することになる。第三段階とは、「自由な個性」、つまり「自由な労働力」と「資本」が出会うことによって生まれた資本主義の時代、ということになる。『地の果て――』でフリーター(「自由な労働力」)となった秋幸は、その現実を自覚することになる。

 

<第三の段階が、「資本」/「労働力」の関係によって、進展していく「資本主義」の段階である。第二の段階は、「資本主義」の土台を作り出すのであるが、第三の段階の進展とともに、第一の段階である共同体的人間関係が完全に壊れるのであり、第一の段階と第二の段階で、生産の基盤であり、生産手段でもあった「土地」=「自然」は崩壊させられるのである。

 先に述べたように「土地」=「自然」は、生産の基盤であり、生産手段であった。しかし、「土地」=「自然」は、もう一つの記号論的な意味を持っている。それは、「理性」=「理念」対「自然」=「土地」という近代的関係、つまり、マルクスの第二段階で、同一性の与件となるということである。「土地」とは、記号論的にいえば、ラカンの「統一的な身体のイマージュ」と同じ位相であり、それは「理性」=「理念」の与件となる「自然」=「土地」として、「人間」が「人間」として存在することの同一性を最終的に保証する基盤なのである。つまり近代的な意味で「人間」の同一性を保証するのは、「理念」であるとともに「自然」=「土地」なのである。

 しかし、土地開発は、地盤を削り取り、「土地」の同一性を破壊し、幾層にも重なった地層が現れる。つまり、「理性」=「理念」対「自然」=「土地」という、システムの同一性を構成するもの、そして、そのことによって「人間」=「主体」の同一性を保証する関係が、根底から崩れ去ってしまったのだ。

 一般的な問題として考えていくとするなら、こうした「理性」/「自然」という「人間」の与件となるものが壊されてしまっているということ――そのことが「土地」が削りとられたという象徴的な意味なのだ。>(「路地の消滅・あるいは資本の到来」<第2巻>p481)

 

河中は、戦後思想や文学を批判的に検討するにあたって、こうした時代段階によって、批評家のパースペクティブが規定されてしまっているということを詳述する。その論理は説得力があるが、一方で、河中自身の論考自体が、中上の『地の果て――』が書かれた1980年代、いわばジャパン・アズ・ナンバーワンと称揚されたバブル資本主義の時代区分までに規定されているのではないか、と現段階からみて思わざるを得ない。バブルがはじけた以降の21世紀に入って、まず2001年の9.11事件・紛争が象徴するように、資本を規制していく国家の暴力性の発動がそれ以降顕著になり、さらに、コロナ・パンデミックから今回のウクライナでの戦争勃発によって、一国を超えた帝国的基盤をもった共同国家群の価値思想が、資本主義の「享楽」イデオロギーを抑え込んでいるとも伺えるからだ。国を超えたコロナ規制により利己的な資本活動は世界的にストップし、大気汚染で見られなかった青空が垣間見えた地域も出現し、ウクライナ戦争への世論動員は、生よりも価値のある大義(=死)を推奨しているかのようだ。

しかしこの事態は、河中個人というよりも、それが依拠しているマルクスの認識をも問わざるを得ない。本当に、第三段階としての資本主義は、「家父長」的な「古代共同体」を「崩壊」させたのか、と。父という位相の意味的機能の変遷として言えば、第一段階は「荒くれとしての父」、第二段階が「理念=規範としての父」、第三段階が「享楽としての父」とされる。戦後の日本は、まずは敗戦の混沌を生き抜くために、次には高度成長を経て安定した社会を導くために、最終的にはバブル期の楽しめと吹聴してくるような父権的イデオロギーの三段階を忠実になぞってきた。そして『経済学批判要綱』のマルクスが説くように、最後の段階に達したいま、そこまでの基盤となるものが破壊され、家族形態的にも機能不全となってしまった、古き共同体は崩壊してしまった、ように見え、そう指摘する言説は私たちには受け入れやすい。

が現在進行している戦争のイデオロギー的な様は、その段階説的な認識に疑問符をつけてくる。ユーラシアの、ロシアや中国といった文明大国の父権専制主義的な価値思想と、アングロサクソン系の資本主義の「自由」な価値思想とが現に衝突している状況は、エマニュエル・トッドの家族人類学的な考察、文明中心の共同体家族の価値と、その周辺地域での核家族の価値の残存説の方に、むしろ説得力を与えている。いや日本での批評状況を見ても、2001年前後にNew Association Movement として社会活動を始めた柄谷行人は、その組織の解散間際、地域通貨運動という経済活動に現を抜かすと見えたメンバーたちをばか呼ばわりし、国家の力への抵抗の方にこそ運動の比重を置き換えようとした。が当時は、それでもなお、資本・国家・ネーションの「三位一体」の強調という程度だった。が、最近作の『力と交換様式』(岩波書店)で説かれることとは、資本主義の構造的力は貨幣的な交換の「力」によって相対化され、さらに、他の核家族的な互酬・贈与交換の力、国家共同体的な略取・再分配の力等が、資本主義の力をも超えていく可能性として示唆されているのだ。つまり三つの発展「段階」なのではなくて、それは、三つの現勢的な対等な「力」なのであり、社会とは、その組み合わせであり、三つのベクトル的な力の均衡によってその性格が変わるのであると。もしかして、資本主義が懐かしき共同体を破壊したといっても、それはユーラシア大陸の西端と東端、つまり、ヨーロッパと東アジアだけで、文明の中心地は、資本主義こそを食い物にし、その家父長的な力はびくともしていなかったのではないか、と推察してみたくもなるのである。

 

※ マルクス自身がこの三段階説に集約されてゆく思考のみを展開していたわけではないようなのは、マルクスの『十八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』(白水社)という最近の翻訳・出版物からも示唆される。そこでの序で、アウグスト・ウィットフォーゲルは、マルクスの『経済学批判要綱』は、「アジア的復古」という観点に関し、「一時的に後退」しているのだと認識している。

 あるいは田上孝一によれば、もともとソ連や中国のあり様を「国家資本主義」と呼んできたのには「上部構造を主要な規定要素として含」んでしまうがゆえに「マルクス的観点から逸脱」した話なのであり、「資本主義によく似た独特の抑圧社会」として理解した方が現実に適っていたのだ、と指摘している。(『99%のためのマルクス入門』 晶文社)

 

大澤真幸の認識も、そのような感慨を背景にしているだろう。

 

が、河中の考察がより一層の推察を教示するのは、マルクスの認識を、ラカンの精神分析によって解読し、さらに、そこに東洋思想の在り方を引き付け重ね合わせて思考提示してみせたことである。

 

もし資本主義による自然への搾取が、その外的な現象、環境破壊だとか生命の生存条件への脅威として理解され、それはよくないよね、と理念的な実践を指嗾するに終わるなら、その思考は、戦後理念への、大江健三郎への批判として始まった中上の作品や意図を全く無視することになる。<中上文学を(再)開発文学の視座から捉えた>と宣伝される渡邉英理の『中上健次論』(インスクリプト)は、ジェンダー問題も含めいわゆるリベラリズム的な思想へと中上の作品を還元してしまう趣の強いものだが、その参照文献に、河中への言及はない。しかし中上が、いわゆる昔なら「左翼」、いまなら「リベラリズム」と称されるような思想態度を嫌悪し、軽視していることはあちこちの文章から散見しえる。

未完となった『大洪水』では、日本の商社で働く会社員やその妻たちが、熱帯での日本や中国企業による開拓・開発の現状を告発するが、その運動に加担を迫られた鉄男は、彼ら彼女らのよき活動が、それぞれの性倒錯、いわばラカン的な分析対象となるような享楽的な精神の在り方に由来していることを洞察する。鉄男自身、現場での、赤土が剥き出しになったジャングルの様をみて、心を痛める。が、彼は、そのエコロジカルな活動を劣等として退ける。それは、その行動が偽善になるからではない。彼は、開発側の貴族的な階層の者たちの間に潜り込んで戦っている。鉄男が認識しているのは、そんなチンケな性倒錯で、さらなる強大な性倒錯で開発を推し進めているその階層の人間たちには敵わない、戦えない、という現実なのだ。偽善的な卑小な悪で、豪傑な、善悪を超越していくような複雑怪奇な倒錯の現実を撃つことは出来ない。その階級にやりこめられないで、動きを封じ込めるのは、それよりも大きな、複雑な錯綜を編んで作り上げた倒錯、大きな器をもった精神でなければ、太刀打ちできない、ということなのだ。それが見えていない善意には、現実読解と実践へ向けての知的な力が不足しているのではないか、と鉄男は懐疑しているのである。

 

ニーチェは、深淵を覗き込むものは、自らが深淵に呑み込まれないように、怪物と闘う者は、自らが怪物とならないよう用心しなくてはならない、と説いた。その思想は、だから深淵に近づかず、怪物を排除すればいい、ということではない。深淵を回避するためには自らそれを覗き込み、怪物と闘うには自らが怪物的な精神の力を持つ必要があるのであり、ゆえにこそ、怪物に成りきってしまわないよう、ミイラ取りがミイラにならないよう注意せよ、ということなのだ。

 

河中の中上論における東洋思想的な観点導入が意義をみせるのは、この地点においてである。彼はこの観点において、フロイト、ラカンに対し、ユングの考えを対置させる。フロイト理論はあくまで近代的な個人の意識構造や欲望の構造を対象にしたものであり、ラカンはポスト・モダンなそれ、対しユングは、前近代的な個の意識構造や欲望を対象とし、それは村落共同体の思想なのであり、その分析の構えと思想に同型的に適うものとしてユングは、「東洋思想」に関心をもったのだ、と。河中によれば、ユングが当時対象としていたのは、<極めて特殊な戦時体制の下での人間の意識形態であり、「個」は平和時には機能していた近代的な「個人」としてではなく、「個」を集団の中に埋没させる非近代的な意識体制を取らざるを得なかったのであり、抑圧されていた非近代的な「個」に対応する潜在意識内容が、被分析者に現れたのである>と、仮説される。

 

しかしここで、エマニュエル・トッドの家族人類学の知見を図式的に展開してみよう。中国において、文明としての共同体家族とその価値が成立したのは紀元前後である、とされる。ならば、それ以前は、核家族的だったのである。となれば、この文明化の過程で、核家族的な「自由」の価値と、共同体家族的な父権の価値との間で、近代個人ともみまがう精神葛藤があったのではないか、とも推察される。「東洋思想」とは、この葛藤(戦争)における、核家族的な価値の敗北を合理化して納得させていくものとして生み出され、受容普及していったのではないか、と。たしかに当時、資本「主義」と呼べる経済拡大はなかったかもしれない。が、柄谷の交換様式論をふまえれば、交換Cの形態として趨勢だったとは言いえるのが文明化ということに孕まれた時期であったろう。強度な貨幣経済の前提がなかったら、官僚への賄賂社会も成立しない。そんな社会が全面を覆い、個の自由は圧殺された。そこでは、深い諦念の、絶望の思想が湧出する。

 

現今のウクライナはどうか? ポーランドからウクライナ西部にかけては、トッドによれば、核家族的な価値思想が残っている地域である。そこが、タタールの軛の再来として、文明の、つまりは父権原理の強力な共同体家族の価値思想との闘争に見舞われている。が中国の地ではすでに、紀元前後にはその問題に現実的な決着がついていた。この時差は、河中がユングの思考を戦時下の特殊と仮説したのとはむしろ逆で、フロイト的な精神分析が説得性をもつ時代の方こそが特殊的な一時期であり、人類の歴史は、やはり文明化の方向へと、つまりは、世界の中国化、専制的な中央集権化の方向性へと一般的に進んでいるのではないか、そして庶民は絶望し、その精神的荒廃をなだめるために、深い諦念を前提にしたような「東洋思想」がその地では普遍化されたのではないか?

 

しかし、そこでの「東洋思想」は、オリュウノオバの言葉に伺われる、親鸞の思想、いわんや悪人をや、という「日本的自然」な枠の中においてあるのものではないだろう。中上の未完の大作群の射程からすれば、皇帝に対し天皇だ、善人じゃなくて悪人こそ救われるんだ、とは、弱者の強がりな言葉にしかすぎなくなるだろう。それは、極悪人が颯爽としている『水滸伝』でも読めば明白なことである。中上はあくまで、「日本的自然」では把握できない現実に、精神に、他者に直面したのだ。その他者的な現実を、馬琴の『八犬伝』のように、勧善懲悪な卑小な思想に還元することはできない。浜村龍造ではたりない、と認識を深化させているのだ。日本には、王も、父も、大文字の他者はいない。いや見えていなかった。見ないようにしている、天皇が、富士山が、悪人をやという考えが、それを直視することを妨げている。それは、目の前の状差しにかかって、くしゃくしゃになった手紙=letter=文字のようにあった。読みやすい仮名文字が隆盛となっていく時代過程の中で、より埋没され意識されなくなった漢字。われわれが、自ら見えないようにしている中国との関係がなければ、日本は、日本語は存在していない、日本人は、考えられないのだ、と。

 

<ものごとは各々のラングの歴史の水準で捉えなければならないでしょう。明白なことですが、わたしたちがあまりに動転して、それ〔Ça〕をどういうわけか漢字〔caractēre〕という別の名で呼ぶことになったあの文字、名指すとすれば中国の文字のことですが、この文字は非常に古い中国のディスクールから、わたしたちの文字の場合とはまったく異なる仕方で生じてきました。分析的ディスクールから生じたために、ここでわたしが取り出す複数の文字は、集合理論から生じ得るそれとは異なる価値をもっています。それらの使い方は異なりますが、それでも――面白いのはそこです――この使い方には、やはりある種の収束関係があるのです。どのようなディスクールの効果にも長所があります、それは文字によってなされる、ということです。…(略)…今のところは、ただ次のことをあなた方に指摘しておきたいと思います――世界は、世界は分解しつつあります、ありがたいことに。世界は、わたしたちにはもうそれが成立しないのが見えます。何しろ、科学的ディスクールにおいてさえ、世界など微塵もないことは明らかだからです。原子にクォーク〔quark〕というひとつの仕掛けを加えることができるようになったときから、そしてそれがまさに科学的ディスクールの真の歩む道だとすれば、とにもかくにも問題はひとつの世界とは別のものだと悟るべきなのです。>(ジャック・ラカン著『アンコール』 藤田博・片山文保訳 講談社)

 

ラカンは、アルファベットが「市場」という「集合理論」から生じたという歴史を喚起させて、以下上のように、漢字について言及した。漢字が、「分析的ディスクールから生じた」とは、漢字が蒼頡という個人の趣味的な探究から発生した、という逸話を踏まえてのものと思われる。つまりそれは、あくまで個人の、奇怪な倒錯的欲望の産物なのだ。ポスト・モダンな思想立場として決して集団化しない個人特殊な「享楽」の遂行という価値をとるラカンは、その肯定的な例として、伝説的な漢字の成り立ちについて言及したのである。その上で、文字で書かれてはいても普通には読めないジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を持ち上げたのである。

河中は、戦後理念としての「万人の善」が資本主義の進展によって失効させられた世界とは、個々の存在がそれ固有の幻想に閉じこめられ、自分たちが一体どこへ向かっているのか理解できないが、それでも欲求に煽り立てられていくしかない状況になっていることだという。ラカンはそこで、ストア派やブッダの考えに触れ、「欲求自体を断念することが最大の幸福であり、快楽であるという思想に関しての牽制をしている」という。

 

<このことは、ラカンの頭の中に、少なくともそうした道が全くなかったわけではないということを示すものであるが、それでもなお、ラカンは死を賭けて欲求することを倫理とみなす。何故なのか? それは、それがこのポスト・モダンの、ということは「資本主義」の倫理に他ならないからである。そして、そうである限りこの包括的な「資本主義」の倫理から降りることは、倫理的とみなされないからなのである。

 したがって、我々は、この行き詰まりに向き合うしかないのであって、行き詰まりについて考えるしかないのである。>

 

 『千年の愉楽』を書いた中上も、決して「東洋思想」的な「欲求自体を断念」することを受け容れたわけではなかった。むしろ未完の作品群が示唆することは、もっと大きな倒錯、もっと強靱な享楽を、ということであったろう。そしておそらく、その精神的な錯綜の文脈を、アキユキが体現するものであったのだろう。中国の豪傑を乗り越える、日本的な好漢、ドストエフスキーがその後のアリョーシャというロシアの神の造形を念頭に『カラマーゾフの兄弟』を書いたように、『地の果て――』を書いた時点で、日本の神について、しかも、これまでの民俗学的なマレビトにおさまるようなものではなく、もっとリアルな、「現実界」的な神の造形を想像しようとしただろう。むしろそんな創作意欲に煽られて、中上(アキユキ)は、ヴェトナムへと潜入していったのだ。それ自体が、中上の享楽的な倫理、作家の使命によるだろう。

 

 しかし、ここでまた、振り返ってみなくてはならない。秋幸は、かぐや姫であった。『水滸伝』の主人公に匹敵しうるような好漢であったとしても、それが父権の論理によることはありえない。ラカンの「分析的ディスクール」は、「全て」を包括しようとする「大学のディスクール」とは異質な、「全てではない」ものとしての女の享楽を補筆するものだった。中上が最後に書いていた実験的なエクリチュールは、『宇津保物語』に見られるものであったろう。

 

 もう一度、「男と女は五分と五分」という、未完大作群への<ターニングポイント>となった『軽蔑』の真知子の思想を考えてみよう。その言葉を以上の文脈で言い換えてみれば、漢字(男)と仮名(女)は五分と五分、となる。これは皇帝に対し天皇だと言ってみせたような、仮名(女)の側からの強がりにしか聞こえないかもしれない。しかし、目の前に在る漢(中国)の存在を直視する、という認識握持の覚悟をふまえれば、熟考を迫られる。

 

 大江批判から中上の本当の活動が始まることを読み込んでいった河中は、この作品のこの言葉をまともには受けない。

 

<まず、中上が民主主義の原理である平等という概念を信奉していたということはまずあり得ない、「男と女は五分と五分」と考えていたということも多分ない。我々がこれまで読んできた中上健次の男と女の物語は『天狗の松』にしろ、『重力の都』にしろ、五分と五分として向かい合えない、ということに本質があるからである。>

 

しかし中上は、「本質」を目指したのだろうか? 本質に迫り、差別を描写してみせることが本意であったろうか? 中上が、「小説」ではなく、あくまで「物語」という言葉にこだわったのは、分析描写ではすまない実践的な衝迫を抱え込んでいたからだ。差別をなくしたいがゆえに、書き、書いてきたのではなかったのか? 「差別(穴、うつほ)」から「物語」が生まれるとは、つまりは犯罪を書く、ということのうちには、その現場での洞察を超え、それがあってはならない、反復されてはならない、という絶望的な想い、願いが孕まれている。確かに河中がブランショの『来るべき書物』をとりあげ、「物語とは、出来事の報告であり、出来事そのもの」として、中上は兄の死をめぐる精神の「穴」を埋めるべく、終わりなき反復の作業に掻き立てられているだろう。しかしそこには、願いがある。そしてそこでの願いというものは、戦後理念的なものには回収されえない。事件や事故でわが子を亡くした親の真実追求の闘争が、裁判の判決で終わることがないように。その理念は、現場を見ることができていない、絶望の深さを理解できていない。それは悪いことだから繰り返してはいけない、ということではないのだ。人はまた繰り返す、がその底なしの穴を、深淵を覗き込んだ者の内には、ゆえに繰り返させてはならない、怪物になってはならない、という願いと使命とがまた胚胎されてくるのだ。そういうものなのではないのか?

 

となれば、『地の果て――』以降の中上が、『軽蔑』で説き、未完の作品群の背後に潜入させその作品の視点、声、思潮を脱構築させポリフォニックにさせていかせる「五分と五分」という認識とは何なのか?

 

私は、それを思考するヒントを、河中の意図とは別に、河中の中上論から受け取った。

 

<このことを差別一般の問題として考えてみよう。例えば、男女差別と言われているものは二種類に分けることができる。一つは、男という性と女という性との対立としてであり、もう一つは、manwomanとの間の関係としてである。

 人は男と女として向かい合っているとき、相対的であり、相補的である。確かに女性より、男性の体力面が優れていることが多いことから、男性が優位に立ち、女性が下位に立つ場面はある。だが、男性としての社会的役割と女性としての社会的な役割は交換できないものを含むのであって、それは相互的な関係であり、互いに補って一つとなるものである。>(「「牢獄」を出た者/入った者」<第2巻>p370

 

 作品の読解対象となるのは、「manwomanとの間の関係」、つまり、エクリチュールの活動を含めた、あくまで人の文化的な側面での事象である。そこに、「差別」問題が発生する。河中が、文化には回収されない男女の「対立」を上のように言及しても、いや上のような発言こそ、男女「差別」だ! と糾弾されかねない。つまりそれは、やはり「manwomanとの間の関係」の問題として回収されてしまう。

 しかし、私は思うのだが、暗黙には、その男女の交換不能な役割分担による相互補完性において「一つ」、という自然的な事態を、人々は常識として想定せざるを得ない、のではなかろうか? 河中は、いくぶん無邪気な調子で上のように述べるが、しかし、そんな相互補完性のことが、科学的に証明されているわけではないのではないか? だから、おそらく、みな口をつぐむようにして、男女平等、という理念をともかく吐かせられているのではないだろうか?

現在のLGBT問題にしても、遺伝的、ホルモン分泌的な自然身体的な齟齬と、文化的、あるいは後天的な主体性として獲得されていく性との問題がごっちゃにされて主張されている。がごっちゃにされるのは、自然齟齬が自然的であると証明されているわけでもないのだから、その区別を精確に縫い合わせる言説を作れないでいるからではないのか?

 

しかしこの「対立」の、交換不可能さが曖昧になりやすいのは、男と女をめぐる性差の問題としてそれを思考しようとするから、ということもあるのではないか?

 

たとえば、社会学者の宮台真司は、自分は多動性発達障害者だが、一定の割合でそうした人物が発生してくるということは、自然がそれを必要としているからなのだ、と表明している。これも、科学的に証明根拠のある発言ではないだろう。ダウン症児も一定の割合で発生してくるということは、それが人類社会において、一定の役割を持たされて来るから、かもしれないのである。いや人類社会には、人間だけが暮らしているわけではない。犬や猫や牛など、家畜にされていった動物から、家畜化できない獣まで、みな一定の役割をもってこの自然界に生れてきて「一つ」である、としたらどうなのか? 彼らが、交換不可能な、人間とは「対立」的な存在であることは明白、とは言えるだろう。ならば、男女が、あるいは同性愛者や多様なる性の在り方もが、やはり「対立」であるがゆえに、つまり交換不能であるがゆえに社会として補完的な役割を分担しているのではないか、という疑問は、より納得性をもって導入することができるのではないか? 「男と女の五分と五分」とは、実は、「差別」ではなく、「対立」としての関係を導入させていくメルクマールだったのではないか?

 

秋幸は、かぐや姫として、女でもあるものとして挿入された。が、実は、『地の果て――』では、人間ならざるものとしても、登場させられている。それは、「犬」である。子供の頃の自分の家族関係の位置にいる登場人物として認識される「洋一」が、拾ってきた犬を、「アキユキ」と名づけるのだ。犬は、ひそかに虐待されてもいる。それは犬の人間関係化、つまりは「差別」という問題規制への回収ではあるが、それが人ではないぶん、収まりの悪さを呈してくる。

 

中上は、あちこちの作品で、動物を素材として導入していた。その様は、ほとんど虐待的な関係である。こりゃひどいだろう、と眉を顰めたくなるような描写やあり様だ。しかし、男が、好漢を模した人物が女を嬲るとき、その描写を読むとき、読者は、虐待される動物の様を見させられるような後味の悪さを覚えるだろうか? 女は差別されている、われわれはそう前提して了解してしまう、が動物は、回収できない「対立」があからさまでもあるので、逆に、関係が宙づりにされたまま、何とも言えない居心地の悪さを人に覚えさせてくるのではないだろうか?

 

※ 生田武志は、大江健三郎の小説家デビューにあたっても、動物虐待という人間の位相にとっての収まりの悪さの問題があったことに注目している。<『自選短編』あとがきによれば、「奇妙な仕事」(初稿は劇作品「獣たちの声」)を文芸誌に発表するにあたり、大江健三郎はこの短編と戦争中の犬の強制供出の話を二部構造にしようとした。しかし、「小説を書き始めたばかりの自分の技術ではムリ」だったため、「死者の奢り」(1957)を書いて文芸誌へのデビュー作とした。>(『いのちへの礼儀』筑摩書房)――中上の『地の果て――』の大きな参照作品としてのドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』でも、馬への虐待の描写が強烈な印象を残すだろう。

 

中上は、つまり、女を通して、獣を見、そこに「差別」には回収されずむしろそれを撃ってゆくような潜在力を孕んだ「対立」の関係を重ね合わせたのではないか? それを、「五分と五分」と表現したのではないだろうか? 漢字と仮名という差別構造の向こうに、漢という文明に抵抗しえる「対立」の次元を読み取ったのではないか?

 

『宇津保物語』の主人公は、洞窟の中で、獣たちに育てられたものだった。彼は獣たちに向けて、言葉や文字ではなく、琴を奏でた。そんな始原の物語を、中上の『宇津保物語』は、獣に育てられたなどという話は父が作った「まっ赤な嘘」だと白状するところから語り始められる。小説家的な「本質」の洞察とそれを反復的に物語ろうとすることでそれを超えようとする作家態度の二重性が冒頭から指示されている。

 

< 仲忠の話は都の者なら知らぬものはひとりもなかった。仲忠がその整ったいかにも貴人の顔であるのも父が右大将藤原兼雅、母が清原俊蔭の娘という血筋だったから当然だった。だが時折みせる仲忠の冷たげな顔の表情はその話から出てくるものと噂された。仲忠は北山の山中深く熊が寝ぐらにしていた空洞に幼い頃母と一緒に住んでいた。仲忠が一体何を考えているのか眼が深く翳を帯びて物腰に足音も立てぬようなぬうっとしたところがあった。また仲忠には人の不幸を平然と見ている酷薄なところと、体温のあるものならなにもかも同一だというところとがあった。

   仲忠が琴の名手だとは知られていた。仲忠は帝の前で琴を奏で感涙させたが、何故自分の奏じた琴がこうまで都の人にもてはやされるのか知らなかった。いつも琴を彼は風のように奏し、弦が震えて立つ音がまっすぐ樹々の中心にある霊や花の中心にあるぼうっとかすんだ霊に行きつ戻りつするのを視ていた。霊は琴の音に身を寄せるように震える。音が鳴り始めると自分の手元に物の霊が集り来て乱舞するのが視えた。樹木の花のひとつひとつ築地の手前に置いた石に生え出した苔ら琴を弾く以前はかさとも動かなかった物らが、いま仲忠によって揺られて動き出し空に舞う。仲忠は琴を演奏しながら岩を割って涌きだした清水の音を耳に聴いた。清水は光を眩ゆく撥ねながらその空に舞う者の霊を巻き込んで岩場の陰に入りさらに強い流れの沢に入り込みしぶきをあげる。仲忠の眼は翳り昏かった。>(『全集12』『宇津保物語』「北山のうつほ」p011

 

われわれがこの中上の「宇津保物語」から読み、感じとるべきなのは、「体温のあるものならなにもかも同一だ」とみなす、平等(「差別」)の理念とは別な「酷薄」さという思想内容のみなのではない。むしろその思想を物語としてなぞり、繰り返してゆこうとする文体のほうにこそあるのだ。それはどこか、不気味ではないか。というか、挑発的である。おそらく、この漢字仮名交じりの日本語の中における漢字の散らばりの様と、そこに引率される音が響かせる文体のリズムが、そう感じさせてくるのだ。もしかして、われわれは、言葉の向こうに、獣の咆哮、唸り、地鳴りのような「獣たちの声」を、人間・文明社会への「対立」的な怒りの響きを感じとらねばならないのかもしれない。

 

 中上は、日本語において、文字表記という人の文明の所産に挑戦しようとしている。それは、中国という大文字の他者に突き当たったからだ。書くことの現場において、それは目の前の漢字を直視することの自覚においてだった。この漢字の群れは、ひとりの好漢の享楽によって産出された。その特殊な享楽は、文明によって簒奪されて体系化され、一地域の一般を超えて普遍となっていったかもしれぬ。もちろん、その普遍的な広範と言えども、東洋の一定の地帯においてである。ラテン文字が、西洋の一定の地帯であるように。ラカンが言うように、世界は、一つではない。が、「体温のあるものならみな同一」である、獣を含めたそれぞれの世界は、「五分と五分」として相補い「一つ」ではないか、そう言い張る挑戦的な文体自体を、エクリチュールの運動自体を、中上は実践してみせようとしているのだ。

 

みな同じだ、一つだ、との嘯き、主張は、しかし「昏い眼」によってなされる。まるで狼が、低い姿勢のまま、下から人を睨み返しているように。「男と女は五分と五分」、一匹一匹それぞれの享楽が、差別される側の性の獣性が、訴え突きつけてくるのか? そう「嘘」でも言い張る「真知子」の真実は、深い絶望と諦念を深い歴史において抱えた東洋の地点から、魚や獣たちが舞う竜宮とも願われる深淵から、新世界への、宇宙への原則としてヴェールをかけようとする。彼女の知った真理が、好漢らが跋扈しはじめた文明を告発し挑発する。バタフライを外し、一糸まとわぬ姿になって舞う彼女の裸体には、男たちには見えない獣の衣が羽織られている。自由へと、飛翔する羽衣が。