2019年3月27日水曜日

家/定住と庭/遊動性――中谷礼仁著『未来のコミューン』を読む

母の部屋
「このように器物を収納するナンドは、同時に産室、寝床、性の営み、そして死の場所として用いられ、同時に豊穣を祈るナンド(先祖)神が祀られていた。そこでは者とモノとの交感が行われたのである。これは先のインドネシアにおける高倉と同様の性格を持った空間ではないのか。つまりインドネシアでは垂直的関係において現れた化モノ空間が、日本の民家では、ナンドに着目するとわかるように、平面=水平に展開していったのである。」(中谷礼仁著『未来のコミューン 家、家族、共存のかたち』インスクリプト)

群馬の実家が、まさに中谷氏の指摘する、日本民家に明確な間取りをなぞっていることに驚かされる。いや正確には、両親が住んでいるうちに、そうなってきた、と言うべきだろう。市中の長屋住まいから市外の平屋へ越してきたのが私の幼稚園のとき。そしてオモテ東から子供部屋(ウラがトイレ風呂)、中央広間応接室、西オモテが台所(ウラが両親寝室)、玄関は西のオモテ、にあったその家が、父の親戚の甘楽町の大工によって二階建てに増築されたのが小学4年のとき。その改築に悲しくなった私は、平屋の間取りと何かしらの詩を創作して、新築の二階天井裏にいまだに隠したままだ。が、玄関が東のオモテ側に移動したことにより、その対角線となった西ウラが、まさに中谷氏のナンドになった。いや当初は単に両親の寝室のままであったが、そこに神棚がつき、子供の上京に伴い二階の空き室が父の書斎兼寝室となったため、ウラのオクは、母が寝起きするだけでなく、不使用となったモノどもの物置と、徐々になっていったのであった。歩くのもままならなくなった母はいま、所せましと積み込まれた家具や荷物の隙間に、動物の巣に住まうように、寝床をしきっぱなしにして暮らしている。中谷氏の著作は、まず私に、そんな母の姿を想起させ、その連想から、氏が柳田国男を受けて追求する「家の作り手、あるいは住み手の意志に関係なく、避けがたく現われてきてしまう家の根源的構成」を納得するのだった。

が、その納得はまだ、あくまで真実への過程であるだろう。

私は、同じく柳田を受けて日本の先祖(固有)信仰と、人類的な双系性と遊動性について考察した柄谷行人氏の「世界史の構造」の一説をも想起していた。――「定住は、死者の処理を困難にする。アニミズムでは一般に、死者は生者を恨む、と考えられる。遊動生活の場合、死者を埋葬して立ち去ればよかった。しかし、定住すると、死者の傍らで共存しなければならない。それが死者への観念、および死の観念そのものを変える。定住した共同体はリニージにもとづき、死者を先祖神として仰ぐ組織として再編成される。こうした共同体を形成する原理が互酬交換である。」(『世界史の構造』岩波書店)

つまり疑問はこうなる。――<家とは、定住によるものなのか? (原)遊動によるものなのか?> 柄谷氏の、人が定住した理由は、どこか即物的であるようにきこえる。「死者」とは、腐臭を発する異物であり、ゆえにそこから逃走(遊動)し、てっとりばやく取得できる獲物とは魚であるゆえに、その漁具は重く、ゆえに最初の定住地は河口であろう、となる。この唯物論的な着想は、中谷氏の考察からは、想像しにくい。インドネシアの高倉への中谷氏の洞察からは、定住が、むしろ死者からの逃走ではなく、腐臭を超えた共存を志向していることを示している。母の姿をまず思い起こした私としては、中谷氏の方に分があるように理解したいが、しかし、死者とは、先祖とは、誰であろうか? 今でこそ、先祖といえば、両親をおもうかもしれないが、そこまで長生きしたものは、昔はマレだったはずだ。一番の多くの死者とは、赤ん坊、そして産みの若い母、女房であったろう。となると、両者はなお、記憶を共有したといえるには一緒にすごした時間が少ない他人に近い存在なのではないだろうか? 長生きしたマレな存在だけが死者として特別に埋葬=共存された、ということだろうか? とにかくも、彼/彼女を埋葬したところが、定住した河口付近であったならば、洪水で流されて、家も流されて、どこに埋めたのかわからなくなってしまう。だから、土を盛り、家を高くする……となれば、この人の作法は、やはり柄谷氏の考察から受け取れるような、即物的、唯物論的な洞察ではない、きわめてヒューマンな考えを私がすすめているゆえに、ということになるだろうか? このヒューマンさをさらに推し進めれば、定住とが、物理的対応処理ではなく、死者と一緒にいたいがために、敢えてそこにとどまった、ということになるのだが……。つまり、原遊動性、というよりは、原定住性、である。遊動していても、定住(家)が、反復されてくるのだ。この視点は、坂口安吾の「家」をめぐるエセーでの考察に近い。が原遊動性にしろ原定住性にしろ、それは生というよりは、死の欲動、タナトゥスの範疇ではあるだろう。

家が、死者を埋葬する=共存するモノ置き(ナンド)として根源的な機能を働かせてくる、としたら、それは第一には死者のためのものであろう。ならば、生者は、どこにいるのか? それは、著作中の民家の間取りスケッチでも記されているように、土間=ニワ、ということになる。日本の古語として、ニワとが、漁場としての近海であり、作業場=狩り場としての山であり、家(定住地)から見晴らせる広々とした空間のことであった。かつてはニワが<日和>として書かれたのは、これから漁や狩場へと、海や山へと出かけるために、まずは天気を見る行為があったからだ。その行為と空間とが一体化した作法のことを、ニワ、と呼んだのだろう、それは今でも、ここは俺のニワだ、という庶民の慣用からこそ知れてくるのである、というのが私の庭をめぐる考察だった。

中谷氏のこの著作のエピローグは、「庭へとつづく小径」と付記され、精神障害等をかかえた当事者たちの地域活動「べてるの家」、その東京での活動拠点たる池袋の家の改造の模様がつづられている。いま私の実家は、母と、統合失調症の兄が暮らしている。かつて、母は、この「べてるの家」の活動のことを知って、私にその東京での活動報告会に参加し説明をきいてきてくれ、と頼んだのだった。私はそこに出向いていった。ただ私は、北海道に兄を送り出して生活=自立させることには反対だった。いま、母のいるナンドと、垂直的な対角線上にある子供部屋で、兄が暮らしいる。発作が起きるとどうなるかわからない、殺してしまうかもしれないと電話口でいう兄に、私は、その時はとにかく逃げて、家から出ていくんだ、と助言する。物片づけが苦手な女房の荷物で「ポルターガイスト」状態となった2LDKの我が家でも、母に向かって発作のように暴れ出す息子に向かって、「早く外にいけ、しばらく散歩してこい!」と私は怒鳴ることになる。中谷氏が、「べてぶくろ」でやったことは、家と庭を当事者に即してつなげることだった。

家と庭、死者と生者、ナンドと子供部屋……うまく結べる作法を、私は身につけることができるだろうか?

2019年3月3日日曜日

柄谷行人著『世界史の実験』を読む――平和条約を前に(4)

おそらくこのコンパクトな形をもった新書(岩波新書)は、柄谷氏の著作のなかで、一番難解な書物かもしれない。なにせこれまで単行本としてまとめ出版された諸著作群が、短く横断されてまとめられているのである。一冊の単行本として提出された作品でさえ、証明というよりは、状況証拠的に積み上げられていく引用の編集によって説得的な論理の体裁を保っていたというのに、さらにそれを簡約的にまとめあげているのである。だからこの作品の提示の作法は、もはや状況証拠の集積ではない。そんな長さは許されていない、というよりは、氏は自身の洞察=抽象力を手短に語れるほどに、余裕がでてきている、という印象なのだ。しかし、氏の横断=連想が、単に羅列されていくだけのようにはみえず、やはり説得的な論理をもっているように受け止められる。ではどうやって、次のテーマから次のテーマへと移行されていくのか? 私は、氏が「語」っているといった。私には、一種の話芸でもって、移動していくようにみえたのである。しかも、ユーモアというよりは、江戸的な諧謔性、庶民的な笑いによってである。この横断技術を、トランスクリティークと呼んでよいのか、私は知らない。

たとえば、氏は、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」を、ラテン語の様相に近い関西弁に訳し直すことを提案する。<思うわ、ゆえに、あるわ>、と。(「わ」とは「われ」という主語が語尾についたものだという説をふまえて。)しかも、そう言った次章のタイトルが、「何か妖怪」なのだ。こんな駄洒落を許していいのか?
とくに私は、柳田国男から抽出する柄谷氏の「固有信仰」が、どうして氏が説く「交換D」=互酬交換の高次元での反復と結びつくのかが不透明だった。この作品では、その結びつきが、「双系性」という概念を媒介することで示されている。「固有信仰」には、「双系」的な原初の家族形態にあった人倫が内在系譜されているのである、と。これは証明というよりは、柄谷氏の洞察である。強いて言えば、エマニュエル・トッドの家族人類学的な実証への言及によって、その洞察が裏付けされているともいえるが、強いとは言えない。補助線として引用されてくるいくつかの文献も、日本特殊の文脈だけではない問題性を開眼させるが、論証的というよりは論説的である。むろん柄谷氏は、問題にしている事柄が実証できる範疇にはなく、抽象力によってだけ把握できるものだということを強調してきたわけだが、それが独断ではないと提示するには、なんらかの説得的な技術が必要とされるだろう。これまでは、これでもかというぐらいの引用の集積とその編集の技術だった。が、今作においては、次ような話術なのだ。

<彼(註―柳田)は直観的に、父系でも母系でもないようなものがあったと考えていたようである。そして、彼がいう固有信仰は、そのことと深く関連しているといえる。それについては後述する。>

「…ようなもの」が「…ようである。」と「いえる」を「後述する。」――この記述は、主観的な推論を断言に言い換えて、その言い換え(断言)によってできた「関連」についての証明は、後回しにする、ということだ。つまり自身の推論についての証明は問うてはおらず、棚上げされたままである。ならば、後述の証明というか、状況証拠の提示は、氏の洞察自体を照明してくるわけではないのだ。が、こんな差異を超えて、氏の語りは説得的に継がれていく。一般の読者が、この話芸で説かれる論を、納得的に理解するようになるのかは、私にはわからない。その内容自体は、分厚い著作群によって提示されてきたまとめなのだから。

私には、そしてこのブログを読んできている人からしたら、しかし柄谷氏の今回のテーマ連結は、理解しやすいものであろう。とくには、トッドと柄谷氏の論議の類義性を提示してきたものなどには、親しみやすいはずである。(例;エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(3)――柄谷行人著『遊動論』と)しかしゆえに、日本的土壌を批判してきた柄谷氏が、双系的現実の色濃い日本を、理念的に肯定しはじめているのだろうか、と疑問に思えてくるのである。が、それは私自身に対してもそうなのだ。おそらく私の身近な日常世界での実践は、以前同様、モダニスト的、主体的である。無主体的、無責任的な、しょうもない習慣連中と戦うことになるので。柄谷氏が今作で触れた「夫婦喧嘩」でもそうである。そして、負け続ける、という双系的現実! その屈辱の中で、私が考え、このブログでも追及していることを、『世界史の実験』の言葉で言い換えれば、次のようなものである。

(1)「くりかえすと、互酬原理(交換様式A)は、フロイトの言葉でいえば、「抑圧されたものの回帰]」として生じた。したがって、それは反復強迫的である。だが、定住によって「抑圧されたもの」とは、原父のようなものではなくて、「原遊動性」である。その回帰は、不平等を許さない兄弟同盟を作り出す。そして、それが国家の出現を妨げる。したがって、氏族社会は、上から禁止によって縛られた抑圧的な社会なのではない。それは、原父のような専制的権力あるいは国家の出現を決して許さない誇り高い社会なのだ。」――私は問いたい、なんで、「国家の出現を決して許さない」社会は、「誇り高い」のですか?

すぐ次に続いた文章は以下である。

(2)「例えば、モンテーニュは『エセー』でつぎのようなことを記した。アメリカのインディアン社会では、首長は権力や名誉をもつのだが、誰もがそれを望むわけではない。むしろ首長になることを激しく拒絶する。というのは、首長には数々の重い責務があるからだ。旅行者に、首長の特徴は何なのかと聞かれて、原住民は、それは戦いのときに先頭に立って進むことだと答えた。」――まだ引用著作を捜せていないのだが、しかもそれが柄谷氏の他著作からか、中沢新一氏の著作中だったかわからないのだが、上引用のような人類学的なエピソードで、次のような話があった。その首長の戦闘(戦争)に他の者たちが賛同しないとき、それでも、言い出しっぺの首長はひとり戦いに赴かねばならない。そして、無残に殺されても、その怯まない姿勢を相手は賞賛し、黙って送り出した他の皆も勇気を称えるのだ、と。私は、この冷めた民衆(?)の態度の方こそが考察に値する、と考えるのだ。考えざるを得ないのだ、この屈辱の中で。戦争中、吉本隆明氏は、こんな夢をみたと言っていなかったか、全員突撃の中で、突撃したのは自分だけだった、という。私にも、そういう思いがある。

(3)「夫婦喧嘩」を通してであるが、それは、子供の教育をどうするか(何を子孫に伝えるか)、でおこりやすい。その時の女房(母)の剣幕というか真剣さはすさまじい。私はその様を、女は腹を痛めて子供を産んでくるので、自分の分身であるからであろう、ゆえに身体化された現状の価値にしがみつく、がその価値世界を世渡りしている男は、もうそれではダメだと未だ来ない時間軸で思考を展開しようとし、その観念的な態度を、お産を客観的にしか受けとめられない身体性が補完する。しかも、日本にはエディプス的な契機が乏しい双系的現実下にあるので、なお主客未分化な暴力性が噴出しやすいのだ、と。

以上の(1)から(3)の疑問は、すべて(1)の「誇り」、ということに収れんされる。要は、もし柄谷氏が、その首長(戦士)の「誇り」ということが実は価値の根拠、測定基準であるならば、その根底を検証するに適しているのは、マルクスというよりは、ヘーゲルになろう、ということだ。そして私は、他者である女の現実を考えるに、男である私は直接には無理なので、ヘーゲルに戻ってみようということを、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』を今さらなように初めて読んで、試行し始めたのである(「歴史の終わり」をめぐって(2))。いまは、EUにかかわったコジェーヴを読んでいる。北方領土問題に関し、ロシアのラブロフ外相は、領土と主権は別だということを発言した。アメリカとの関係では、領土は日本でも、本当に日本に主権があるのか懐疑的になりうるとしても、表向きは、日本に主権がある。が、もう、公に、その前提、国土と主権は乖離的であるとする、というのである。ならず者国家はまともに統治できないのだから占領せよ(イラク戦)、原発事故対処できないならこっちでやるぞ(3.11)、と、1648年からのウェストファリア条約体制が崩壊的に変遷してきている、というのが世界システム論的見方である。そうした今の主権(主体)組み換えの世界情勢を根底から把握するためにも、男の論理たるヘーゲルを検証する必要があると感じている。

紙類たち

「本来の意味での伝統、すなわち政治的な価値と現実をもつ伝統はすべて、必然的に口承的または見世物的、すなわち直接的である。文字で書かれたものは、本性上、その物質的な担い手から――それを時間のなかに固定する作者から――切り離されている。…(略)…ブルジョワ支配の時代に欠けているのは、まさしくこの口承伝承に他ならない。」(『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ著 法政大学出版局)

義父の写経(般若心経)
父の遺書
私が30歳の時、書かれたものらしい。
神棚を整理していたら、でてきたそうだ。
弟は、自殺を考えていたのだろうと言う。
遺書の入った封筒の中には他に、以下のものがあった。

徳川家康の遺訓の写し
曾祖父の遺訓の写し
辞世の歌
株わけして培ひおきし白牡丹去年にまさりて咲くぞ嬉しき
母に引き裂かれた息子の教科書群
先送りされていく問題は、どのように咲くのか?