2024年9月10日火曜日

山田いく子リバイバル(19)

 


1994年2月 深谷正子ダンスカンパニ公演『NOISY MAJORITY』より、

フィジカルレッスン」……前回ブログでは、93年の中上健次追悼熊野大学に参加したときの模様を語りだす演舞は「ある日、クチナシの花はいいました」と書いたが、修理されてきたビデオで確認してみると、公演トップのこの作品名のほうだった。


度肝を抜かれた、といく子へ宛てた手紙に幾人かの友人たちが書きよこしていたが、まさに度肝を抜いてくる鬼気迫る作品である。最後は、ニキ・ド・サンファルの銃をぶっぱなした絵画パフォーマンスを呼び起こす。観客も、唖然として、終幕の闇になっても、声も拍手もすることができないように、凍りついている。

しかし、いく子は、このソロ演舞を貫徹することはできなかった。途中、泣いて、断絶しながら、続行する。私(たち)は、この時期、どう彼女が追い込まれているかを、知っている。というか、この振り付けが、私(たち)の彼女の内的なあり様への推察を傍証している。痛々しい。

いく子は、この年の10月には、気分を変えたいかのように、ジャズ・ダンスの練習と公演に精を出す。そして翌年95年11月に、あの音羽での「事件、あるいは出来事」を発表し、その翌年は、作品は発表できていない。ヨーロッパへ旅行し(妹のお金でである)、12月のバレエ・モダンダンス合同発表会で、深谷カンパニーではなく、江原組にて出演する。そして翌年3月、ピナ・ヴァウシュの香港公演を見た直後、不倫関係を破断させ、8月に「レストレスドリーム」、9月には新人コンサートに応募し「I asked to Summer.」を、翌年2月に、「エンジェル・アット・マイ・テーブル」を発表する。

この「フィジカルレッスン」では、のちのいく子の得意技のような振りつけが提出されている。ハンドボールの投げ素振り、あげた両手で床をたたく、そして、音羽での公演でもみせた壁に走ってぶつかりたおれる、という身振りである。


壁に激突しよろめいて倒れる……実はこれは、「水俣病」の症状なのだ。1958年、いく子が生まれた年、新日窒附属病院院長の細川一は、工場内の精留塔ドレーンから採水した廃水を薄めて猫の餌にかけてみるという実験に着手した。400匹目の猫だった。3か月後、壁にぶつかり方向転換し、走り回る、「回走運動」という症状をみせる。それは「水俣病に酷似している」と観察され、その3日後、猫は死んでいったのだ。そしてこれが、病気は父の勤めるチッソの排水が原因であることを証たてる決定的な発見であった(隠されたが)。


ある日、クチナシの花はいいました


この作品で、いく子は、自分が抱える問題を、あからさまな振りで提出した。それはジェンダーであり、セクシュアリティーの問題であった。女を矯正する社会システムのあり様を、毒のあるユーモアやイロニーで批評してみせる。振り付けはミニマリズム的な反復をちりばめるが、強迫症的な執拗さをみせる。最後のあたりで、ダンサーに自分の体をひっぱたかせる、という振りつけをしているが、これはのちに、自身が自身の体を叩き続けるという、自傷行為的な演舞として取り入れられた。

群舞でのいく子は、しっかりしている。というか、実はカメラ内ではあまり踊らず、たぶん、客席に近い場所で、しゃっくりの演技など、なにかやっていたと思われる(写っていないのだ)。のちになっても、彼女はソロで立つには、あまりに傷ついてしまっていて、だから「ソロは嫌いだ」と表明するようになっていったのかもしれない。しかし、この30代半ばにしての苦境と絶望は、彼女の芸術表現の感覚を研ぎ澄ましている。のちの振りとしての素材が発掘発見され、ほぼでそろっている。しかも、その関連は、容易には読解させない密度をもっている。なぜ最後あたりで、いく子は巻き尺で舞台の寸法をはかりはじめたのか? この振りの過程的な関連性は、象徴的というより、寓意的な謎、その意味が直接的には読解不可能な強度をもっている。この強度は、のちの作品にはみられない。がもしかして、結婚・出産後の45歳での作品、ニキ・ド・サンファルの言葉からとった「テロリストになる代わりに」が、この寓意の昇華、転換として回帰してくるような気もする。


今は閉館となった那須のニキ・ド・サンファル美術館に、いく子は男と鑑賞し、美術品を背景に二人の写真を撮っている。そしてその10年後、私と息子がその男の位置に変わったまったく同じ構図で、3人の家族写真が上書きされることになるのである。その男が、いく子のダンスに興味をもったのは決裂後だった。


高校生の頃の日記に、中学の時に女友達と映画『追憶』を見て、その友人から、バーバラ演じるヒロインはいく子に似ている、と言われ、自分でもそう思った、と答えたことが記されている。実際、マルクス主義的な政治運動に関わることになるのだから、まさにそうなっていった、しかも、男との関係でも似たように遍歴した。二十歳頃で味わった失望の中で、出会っただけで別れた男と三十過ぎに付き合い破綻した。この映画は、おそらく40代初めまでの人生を描いただけだが、しかしいく子は、45歳にして新しい男と出会い結婚し、出産したのである。なおつづきがあるのだ。その連綿さは、この映画に入りきれるものではない。というか、この映画自体が、実は男性の脚本と心理過程に依拠している。スマホの『追憶』に関する返信コメントで、ある女性が、女には過去を振り返る余裕なんてない、新しい男によって上書きし忘れていくものだ、だからこれは男性心理の傾向だ、と指摘している。その意見をきいて、私はいく子の上書き旅行という行動も納得でき、小倉千加子の言う、<この世が究極には楽なところであり、まずまず楽しいところであると思わなければ、女性は正気を保って生きていくことはできない。>という言葉が重ねられた。しかし、いく子の問題は、そうしたジェンダー問題に収斂されていくものではない。やはり映画をあげるなら、30歳すぎに見た『ピアノレッスン』、自分の年上の父性的な男性にひかれてしまいながらも心底でそれを破壊させてゆく衝動が、植民地主義的な構造(三世代にわたる暴力の反復)によっているという無意識的な把握にあるのだ。いく子は、『ピアノレッスン』の本当の主人公が、砂浜を足を引きずるようにして白人男のあとを追う現地妻だったことにまでは思い至らなかったろう。が彼女が体を張って重層させてきた傷口から見通そうとした先には、自分をこえた水俣の患者たちの悶えた姿もが透視されている。


私を見ろ、女としての性の対象を超えて私をみろ、私のやっていることを見ろ、私が在らせられているこの現実をみよ、見る気のない奴は殺してやる、そんな気迫が、この「NOISY MAJORITY」で発表された2作にみなぎっている。

2024年9月7日土曜日

身体と体



「私たちが見出してきたのは、あくまで「脳―身体」というユニット全体によって「自己」は保たれており、「脳―身体」というユニットが環境との関係でその姿を変えてしまえば「自己」のあり方もまた変化するということだった。このような見方を「身体化された自己」(embodied self)と名づけることができる。哲学者のT・フックス(一九五八~)は、脳が身体と結合しており、身体からボトムアップに流れ込む内受容感覚(内臓を始めとする身体の深部に由来する感覚的情報で、自律神経が情報を伝達する)と脳が相互作用することで、私たちが素朴かつ暗黙に感じている「生きている感じ(feeling of being alive)」が生じるとし、これが最も根源的な自己感を生じさせるという。「身体化された自己」の根底にあるのも、この「生きている感じ」に他ならないだろう。/ただし、このような根源的な感覚に裏づけられた自己感については、現状では科学技術の力を借りて拡張できるかどうか不明である。私たちが本省で検討してきたBMIや身体錯覚から読み取れるのは、「生きている感じ」のように内受容感覚に対応するレベルの身体性ではなく、知覚や行為という主体感覚に対応するレベルの身体性なら拡張することができるということである。」(田中彰吾著『身体と魂の思想史』 講談社選書メチエ)


いく子のダンスの軌跡を追っているにつき、どうも現代思想経由でダンスの「身体」と呼称されてきたものが、とくには女性の身体性には当てはまらない、それでは把握しきれないのではないか、と思いはじめた。フォーサイスにいくような、身体の抽象をはばむものを抱え込んだものとして、女性たちのダンス表現が志向されているのではないかと想いはじめたのである。で、上引用の、ニーチェからメルロ=ポンティまでの思想史的な要約もかねた最近の論考を手に取ってみた。そうしたらやはり、引用か所にもあるように、あくまでこれまで言われてきた「身体」の範囲には、限定があった。たとえば、内臓における微生物の動きや、おそらく女性の生理なども、哲学や科学での理解(拡張推定)の外なのだ。


舞踏家の田中泯などは、だからなのか、「身体」とはいわず、「カラダ」と言う(『ミニシミテ』講談社)。彼が注意集中しているのは、身体の動き云々ではなく、内臓の微生物の動きのようなものであることが、この著作からもうかがえる。そして「生きている感じ」は、そこから来るので、知性(頭)の展開からくる「享楽」にあるのではない。


最近では、靴のサイズも、これまでは男の足を基準での象りだったから、女性はそれに違和感を抱いていたのがわかってきたということになって、女性用のサイズというので開発されているそうだ。というと、いや昔から足袋など、個別オーダーがあったではないか、という話がでてきそうだが、そう寸法を測ったって、そこから制作する思考において男性専用に還元されていったろうから、意図的に作成していく研究試行錯誤がなかったら、女性の足を包み込む製品とは言えないだろう。


いやさらに、もうジェンダーなんて枠ではなく、個々のセクシュアリティーの時代なのだから、そうした区別を前提にしてしまうのはおかしいのではないか、という意見も大勢になりそうである。『私の身体を生きる』(文藝春秋)という、女性作家の性告白を集めた論集を読むと、男女体験というより、多型倒錯の露呈のような趣である。が、そうした個人の特異さに対する注視は、現在の言説付置がそうあらしめているからということもあるので、また付置が変われば、注視する点も変わるので、違った発言が露わになろう。いまは特別なことでもないのに、ちょっとした違和感を拡大評価して、実は自分は女でした、体とは違った性でした、と自己表明してしまう人もでてきてしまっているのかもしれない。


とにかく、まだまだ、男女区別を思考するジェンダー領域でも不明なところも多いのだから、きちんと立ちどまって、早まった普遍(個別)化をするべきでないだろう。そうしたリズムスピードこそ、男性思考である。


そして女性のダンスは、ピナ・ヴァウシュを筆頭に、意味を求める表現主義的なものが多かった。一見、抽象性を志向しているようなトリシャ・ブラウンも、カニングハムやフォーサイスと同列に把握していいのか疑問におもえてくる。トリシャは、男性との共同制作で感じたテレパシー現象に興味をもっていた。「生きている感じ」が他世界から来るとは、テレパシーのような、遠隔現象でもあるということだとしたら、子供も産む、という体験自体も、他人事であり、ゆえに、「生きている感じ」と結びついているということになり、そこに、現状科学では把握できない「身体」がありうる、となるのか。そしてその「身体」が、意味を求める、ということなのか?


以上の思いつきを、どう、なにで、詰めていったらよいだろう。