2024年5月13日月曜日

映画『悪は存在しない』と『PERFECT DAYS』


 千葉劇場で、上記の映画を立て続けに見ることになった。

はじめに見ていたのは、『悪は存在しない』(濱口竜介)の方。でどちらの映画も冒頭、樹木の枝の重なりを、下から見上げるように写し、モノクロで提示しているところに、まず比較が動き始めた。が『悪は―』の樹木はアカマツやカラマツの林、『PERFECT-』の方は、常緑樹、という違いがある。そしてどちらも、孤独な男が主人公である。


 浅田彰が、濱口の前作『ドライブマイカー』を評して、いわば「広島」を使う凡庸さ、口の聞けない主人公の取り扱い方の平凡さを、批判していた。私は、浅田が引用参照してみせたより過激な映画のことを知らないが、この浅田の切り口自体が凡庸であると感じた。結局浅田は、PC的観点を批判してきながら、自身も「前衛」という理想差異の基準仮説から、平準的に受容されえる人々を裁いているのだ。世間的には右翼的なメディアに発言の隙間を見出したりしても、やはりジジェクのいう「今日の「左派」」なのだろう。(「大規模な社会的連帯を目指す代わりに、将来味方になりそうな者さえ偽りの道徳に基づく厳格な基準によってふるい落とし、あらゆる場所に性差別や人種差別を見出すことで、新たな敵を作り続けている人々」(『戦時から目覚めよ』NHK出版新書)

 

ヴェンダースの『PERHECT-』も、リベラル的なインテリ階層から、PC的観点によって批判されていた。車に乗って高速で行く清掃員はいないはずだし貧しくない、結局はきれいに東京を撮影しただけだ、と。この差異無限というか、無間地獄というか、悪循環というか……。現場で生活してきた私は見知っているが、工事現場などのガードマンで、仕事をしなくても生活できていける相当なお金持ちの高齢者がいたりするのだ。頭を下げ、怒らない。そうした彼に何があったのか知らないが、それはまさに、『PERFECT-』の主人公のようだろう。

 

濱口の『悪は存在しない』からはじめよう。前作『ドライブ-』で撮った広島は、たそがれの中の広島であり、原爆ドームだった。それは、もう広島という象徴が終わることを意味、暗示していた。私たちはその後、核先制攻撃も辞さないというプーチンの戦争に直面した。この悪の世界の中を、人間は生き延びられるのか、そこで生きるとはどういうことか? 濱口は、まずはその問い自体の前提を、もう一度自然に返してみることで相対化しようとした。『悪は―』の冒頭での、枯れ枝が目立つ山林のモノクロ風景は、そのことを暗喩している。その見上げられた森林のシルエットは、荒廃的である。そもそも、アカマツの林とは、すでに人間が開拓し、荒れ地になっていることの証左なのだ。そして自然の推移でも、日が当たらなくなった下枝は枯れてゆき、ゆえに、上に大きく、横に広がろうとして、木は成長する。そして各枝も、日が当たるように求めて伸びるので、原則的には、各枝は他の枝の邪魔をしない、が自然でも、時折はそうした他を邪魔してくる枝は発生する。が時間がたてば、邪魔された方の枝や樹木は枯れてなくなるので、一つの樹木の中だけでなく、森全体が安定的な共存状態になる。

が、庭などの狭い空間で木を維持するとなれば、本来10メートルや20メートルになる木を、3・4メートルの高さに反復・維持しなくては、という無理な必要が生じる。だから枝を剪定するわけだが、枝を切れば、木は生き延びようと反発し、自然的とは言えない無秩序的な枝の出方をするようになる。

日本の植木職人の技術とは、日が差さない枝は枯れる、という自然の法則的な現実(公理)を、先回り的に踏襲していくことなのだ。マニュアル的に、切除する枝には、名前がついている。交差枝、絡み枝、立枝、徒長枝、など。その機能的に名付けられた枝は、どれも他の枝を邪魔し、将来的には、下枝を枯らしてしまう枝である。木を大きくするならば、そのままでいい。が、小さいままで自然形を維持したいのなら、下枝(低い位置にある枝)が枯れてしまうのは、その実現が妨げられることになるので、自然の公理を仮説的に受け入れ、つまり枯れる枝と見切りをつけて、でかくさせていく枝を前もって剪定していくのである。下手に手入れすればするほど、切除すべき枝がたくさん生えてくる、となる。だから、素人あとの手入れは、ばさばさ切る必要がでてくるが、上手な人のあとだと、必要な枝だけで構成されているので、どこに手を入れていいのか、判断に悩み、考える時間が多くなるのだ。

 

濱口は、人間悪を、自然悪の中において、まず相対化してみようとした、ように見える。人の悪は、そんなにも悪いのか、と。枯れる、ということが悪であるならば、自然にも悪はあるではないか、と。が、現在を動かしている資本は、すでに昔開発され荒れ地となった山を自然なものと勘違いし、そこをレクリエーションな享楽的な場所として再開発しようとする。その山に住んでいる住民も、実は地元の人などというものではなく、都会からの移住民である。だから、その対立は、開発対再開発の対立にしかならず、自然に見えた移住民は、そのことの自覚を持つゆえ、あらたな悪への全面対決する根拠をもつことができない。地域で便利屋を営む男の孤独、妻になんらかの理由で先立たれてしまった男の孤独には、個人的な心理次元をこえた、社会的な苦悩、人々の影がつきまとう。

 

凡庸な、平凡に見える普通の人々の暮らしの中に、その心奥に、現実の複雑さがあるのだ、と静かに提示してみせる手腕は、『ドライブ・マイ・カー』を継承している。

 

ヴェンダースの『PERFECT-』となれば、都会のど真ん中の自然である。東京は渋谷の公園の樹木だ。ここでは、自然は自然だが、自然そのものではないことは、自明的になろう。が、ヴェンダースは、そこにこそ、自然の発芽を認めたのだ。これも理由は定かではないが、お金持ちの出自からドロップアウトし、都会のトイレを清掃して回る孤独な男は、公園の片隅で発芽したモミジの若木を採集して、盆栽のように育てている。それは、アカマツやカラマツで占められる、自然遷移途中の山林の、荒廃したシルエットよりも、常緑樹の樹冠で覆われた公園のシルエットの方がずっと人の感性に良い、善である、という提示の仕方と比例している。主人公は、そのシルエットを、アナログのカメラで、白黒で撮影するのが趣味である。さらに、現像された写真は、どれもがいい、というわけでもなく、感性的にそぐわないのは破り捨てられ、良い、と思われたものだけが、年月をシールされたステンレス製の缶の中に整理・保存される。この孤独な都会の人の営みにこそ、自然があるのではないか? 樹木も、年輪を刻むではないか? ヴェンダースが、都会の中の、センスの良いトイレをロケ地に選択したのにも、同じような洞察があるだろう。

 

公園も、主人公の住むアパートも、神社の近くにあるか、その敷地にある。毎朝、竹ぼうきで道を履く人のその箒の音が、目覚まし時計のようである。男は、昼食の、いつもと同じサンドイッチと牛乳を、神社の境内でとる。鳥居をくぐったところで、頭をさげる。同じようにベンチに座ってサンドイッチを食べるOLと、目があってどぎまぎする。そんな毎日の、同じような繰り返しの中に、人々の暮らしの中に、現実の複雑さが濃縮されている。

 

影は、重なると、濃くなるんですかね? と、孤独な男が静かに想いをよせていたスナックの女性の元夫と、会話をする。なりますよ、と孤独な男が答える。影が重なるのに、濃くならないわけがない、変わらないなんてことが、あるわけがない! 男は激高したように言い、同意してみせた元夫と、影踏みの遊びで、たわむれもする。

 

常緑樹の樹冠ではいっそうはっきりするのだが、一本の木の枝がそうであるように、木と木もぶつからない。だから、お互い住み分けたような輪郭を作る。だから、葉と葉、枝と枝、木と木の間に隙間ができて、そこから日が差すようになっている。ヴェンダースは、この「木漏れ日」に注目した。そういう表現のある日本語に注目した。若木や陰樹の低木が育つのは、この木漏れ日による。舞踏家の田中泯のホームレスとしての起用も、彼の経歴存在に、木漏れ日としての希望を見たからではないか?

 

人々の影の重なりは、濃くなる、そうなって変わるはずである。人々の重なりである社会も、変われるずである。言い換えれば、悪の重なりは、さらなる悪(再開発)は、善を再生させることもあるのではないか? 隙間から漏れる日差しいう善が、悪と共存するように生まれているのではないか、ということだろう。もはや私たちは、悪から逃れられない。みなが「チッソは私である」であり、アイヒマンなのだ。そこに、自然という絶対的差異としての理想基準をもってくるのは、無自覚な偽善にすぎない。再開発しかないのだが、それでも、木漏れ日のような善が私たちを射し、悪を改善し共生しうる道が、技術があるのではないか? (日本の植木職人の手入れ技術のような? 庭という人為世界を認めた上で、自然の公理をふまえた定理を導き出す実践。)「悪は存在する」からこそ「PERFECT」な日々になるのではないか?

 

少なくともヴェンダースは、その影の中の、それを通した光、絶望(孤独)の中の希望、悪の中の善を、この日本のど真ん中に見つけだせる、と提示してみせたかったのだろう。それが、真実であるかどうかは、わからない。私がわかるのは、私もまた、都会を走る車の中での、あの必死に泣くのをこらえて微笑もうとする男と同じ現実を生きている、ということだ。

 

2024年5月4日土曜日

『チッソは私であった 水俣病の思想』(緒方正人著 河出文庫)

 


「父、植民地のお代官だったのだ、水俣でしか通用しない知性だ」(2006.9.11

「父の友達は皆体を悪くしている、それが水俣だ、みんな自分に向かったからだ、うちの父だけが外にむけて、発散させた。(私が被害をうけた、と)」(2006.10.5)

 「一九五九年に「漁民一揆」でチッソに押しかけたときでも、自転車やバイクを排水溝に放り込んだり窓ガラスを叩き割ったりしただけです。命に関わる一番大事なところでは、いつも殺されても殺さなかった。これは事実です。

 なぜそういうことができたのか考えさせられますが、それはこういうことじゃないかと思います。魚を毎日たくさん獲って、それで自分たちが生き長らえる。魚によって養われ、海によって養われている。一年に二、三遍は鶏も絞めて食って、あるいは何年かに一遍は山兎でも捕まえて食っている。そういう、生き物を殺して食べて生きている。生かされているという暮らしの中で、殺生の罪深さを知っていたんじゃないかと思います。このことがなによりも加害者たちと違うところです。…(略)…

 では、なぜ闘いが必要だったのかということですが、おそらく、そのような水俣の漁民や被害者たちの精神世界からの呼びかけこそ、闘いの最も肝心なところではなかったのか。つまり、命の尊さ、命の連なる世界に一緒に生きていこうという呼びかけが、水俣病事件の問いの核心ではないのかと思っています。その問いは決して加害者たちだけに向けられたものではなくて、それこそあらゆる方向に発せられていると思います。」

 

「小さいときに親父を殺されて、チッソをダイナマイトで爆破してやりたいと思っていた自分が、今、チッソに対してほとんど恨みを持っていません。そして私は、チッソや行政の人たち、あるいは水俣被害者が拡がっていく当時、特にチッソ擁護に加担したといわれる人たちを含めて、ともに救われたいと思います。

 私は、今、水俣病患者として水俣病を語っているわけでもなくて、水俣病患者として生きているわけでもありません。私の願いは、人として生きたい、一人の「個」に帰りたいというこの一点だけです。水俣病事件の四十年、戦後五十年、私たちを支配し、まるで奴隷下に置くかのようなこの「システム社会」が肥大化してきて、自分の命の源がどこにあって、どういうふうに生きていくのか、もうわからん如なってしもうたそのときに、生まれ育った不知火の海と、そこに連なる山々や天草の島々、その連なる世界の中に、自分ひとり連なって生かされているという実感をともなって感じたとき、本当に生きているという気がするわけです。」

 

「私は一九九五年にアウシュヴィッツに行って来ましたが、以前からドイツとポーランドを訪れたいと思っていました。それは、自分がもしドイツにその時いたとしたら同じことをしたじゃなかろうかという気持ちがあったからです。自分がヒットラーの親衛隊の一員であったりドイツ軍だったり、或いは一般市民であったりしても同じことをしたんじゃないか。水俣病のことを考えても、チッソの中にもし自分がいたとしたら同じことをしたんじゃないか。…(略)…

 私は以前は、戦争と水俣病とは別の問題だと思っていたし、長崎や沖縄の問題とも別の問題だと思っていたんです。ところがどうもそうじゃないと思うようになったんですね。実は私も決してまともな男じゃなく、昔家出したこともあるし、右翼に拾われて熊本に二年ばかしおったこともあるし、患者の運動に参加し、そこで逮捕されたりいろんなこともありましたけども、そうやっていく中で、やっぱり本当の自分というのはなんだろうかと思うようになったんです。それまでは、そんなこと考えないでおったんです。ところがその問いが始まってから、今まで持ちあわせとったのがボロボロ崩れ落ちていく。恐くはありましたけども、命を懸けてでもそのことを知りたいと思ったんですね。ですから水俣病の事から、実は戦争の問題を考えるようになり、沖縄や広島・長崎の問題も少しわかるようになり、様々な社会事件や薬害事件や、日本国内だけじゃなくて、あちこちで起きる民族同士の対立の問題や宗教戦争や、いろんなことを考えるようになりました。ですから、水俣病事件というのはチッソを問うていたという言い方もありますけども、おのれが問われていた気がします。このことが水俣病に遭遇した自分の体験の中で一番気付かされたことだと思います。ですから、たしかに私の小さいころの親父は、非常に苦しんで目の前で狂って死んでいきましたけども、そのことが少し自分の中で意味をもってきたという気がしているわけです。」

 

※ 映画「ピアノ・レッスン」を受けて、その背景となる暴力の反復構造と、私たち身内のことに思いをはせていたとき、アートのパンフレットだとおもっていたものが、カレンダー形式の一日一行日記であると気づいた。息子が、三歳、四歳の時のものである。