2025年4月11日金曜日

冥王まさ子著『南十字星の息子』(河出書房新社)を読む


だいぶ以前、若いころに、冥王まさ子の作品をいくつか読んではいた。その時の感想は、インテリ女性であるはずの知性と、少女感性的な作品との間隔の大きさだった。作品タイトルやペンネームからして、どうなっているのか、彼女の中身がわからない。

今回、この遺作となった作品を読んでみたいと思ったのは、彼女がシュタイナーなどのスピリチュアリズムな考えに傾倒していったようなので、それはどうしてなのか、という疑問からだった。離婚した元夫の柄谷行人の、『力と交換様式』において、スピリチュアリズムとは商品交換が趨勢な時代おいて派生してくる宗教なのだ、とするような記述に触れたとき、その物言いは、岡崎乾二郎著の『抽象と力』、そしてかつての妻への批判的論破の意図が背景にあるのでは、と感じた。自身の妻を失ってよりスピリチュアルな原理を思考していくことになっている私は、ならば、その妻だった作家の最期の作品を読んでみようと思ったのである。

 

それは、驚くべき作品だった。

知性と、少女的な感性の感覚が、内省的に摘むぎとられた認識の言葉によって橋渡しされ埋められているからだけではない。この作品自体が、彼女の最期を予定していたかのようなスピリチュアルな啓示のように提出されていたことになってしまうことを、読者に突きつけているからである。

 

話は、高校生と小学生の二人の息子を持つインテリ夫婦のもとへ、ホームステイのためにやってきたオーストラリアの高校生が、夫婦仲を離婚へと決定させる関係の現実を露呈させてまた帰国していくという、年末年始をはさむひと月ほどの経過を綴っていったものである。

 

夫婦の関係には、ジェンダー問題が、と言っても日本的な現状に集約される切り口によって背景化されている。そしてその背景の問題を見えやすくするためか、夫婦の設定は抽出変形化され、私事的な批難を超えて文学的に昇華されている。夫は、父を戦争で失っていてお母さん子で、京都で育っている。妻の方は、母親を思春期に亡くしており、継母との関係がうまくいかなかった回想をもつ。戦争の後遺症が、日本の男女関係を大きく規定しており、責任主体としての「父の不在」なマザコン家族という「悪循環」を再生産させていく社会意識構造をうむ。敗戦が去勢された男たちの仕事への動機、「傷ついた男のナルシズム」となり、家族や男女関係にエネルギーを注げない男たちに女の方も批判できないでいることが自己確認される。だからむしろ、女たちはそんな男たちを庇護する「母親」のようになってしまうのだと。「動かざること巌のごとし」の厳格な夫、子どもの教育に殴ることも辞さない巌に献身的になってしまうのも、愛ではなく「恐怖だけだったのではないか」と未央子は気づくようになる。

 

が、息子たち、子どもたちの存在が、そうした社会意識、世間知を異化するように設定されている。この作品には、二つの三人兄弟がある。「この家族は息子が三人だ」と巌の友人が指摘した、父も子供のような、通俗的な世界のもの、それともう一つが、オーストラリアから来たエマニュエルを含めた三人兄弟なのである。巌は、姉二人の、長男末っ子だ。エマニュエルも、オーストラリアでは年齢の離れた三兄弟の次の四人目末っ子な十六歳である。その末っ子が、ある意味、「インディビジュアル」であることを志向させる異文化からの長男として、この家族にやってくるのである。そしてやはり、「この家族には父親がいない」と認識する。だから、長男の邑人が「父親の役までつとめ」るようになるのだと。

 

この子どもたち三人は、そんな社会意識を見抜いていながら、そこに葛藤しながら、実はまったく違う原理で認識し、動いていることが作品の最期で示される。次男(三男)の都夢は、帰国していったエマニュエルを、「ただの人じゃない」、「ぼくたちの家族にぴったり」、「いればいいっていうんじゃないんだよ、一度来ればずっといることになるんだよ」、と言う。長男(次男)の邑人は、「お母さんはまだニュートン力学で考えてる」、「ああなったからこうなる、って時間の順序で考えてるでしょう。それじゃ何もわかったことにならない」、「表面はばらばらに見えるものが本当はどこかでみんなつながっていて、何か一つが動くときは他のことも同時に動きだすようにエネルギーが働いているものなの」、と説明する。その説明を、未央子は了解し、「すべての中心にエマニュエルがいる」、「自分の夢がエマニュエルを引き寄せたのだ」と思わずにはいられない。

 

未央子がいう「夢」とは、作品冒頭の、この世に生まれてくるときに出会い別れた少年とのことである。作中、この夢は、他の女性たちとの会話のなかで、「前世」のエピソードとして変奏される。また自分のセクシュアリティーも、この世ならぬ次元において推論される。――<あたしはあたしよ、男でも女でもないんだよ、と宣言して、友達から軽蔑されたっけ。でも好きになる相手は一貫して男の子だったから、心理学的にもまぎれもなく女なのだ。それともあれは、男の子が好き、というよりは、男になりたい、という願望の表れだったのだろうか。好きになった男の子の動作や口調をまねてばかりいた。魂には男も女もない、と未央子は今も思っている。そこに性差が加わるからややこしくなるのだ。性差にもとづいて何年も母親の役をつとめるうちに、未央子は意識の大半が母親になってしまった。我慢する母親、恐縮する母親、支配する母親、できの悪い母親、苛立つ母親、髪をうらめしく伸ばした母親お化けだ。>

 

夫の巌も、この魂の次元から捉えられている。家事手伝いに来てくれる、婚約者とは前世の縁だったという富子は、夫婦の関係をそう見抜いているらしいのだが、「こういうことはいっちゃいけないんだ」、エマニュエルと未央子との関係も「たとえば、あ、これはいっちゃいけないんだ」と切り上げる。この伏線のようなやりとりは謎のままにしか見えないのだが、前世で会ったものが何度も出会うのには「きっとそうする必要がある」という前提会話があることから推論するに、夫の巌自身が、未央子がエマニュエルに出会うためのきっかけのような存在だと暗示されているのだろう。

 

では、この長男(末っ子)のエマニュエルとは何者なのだろうか? 聖書では、「汝神とともにあり、という意味」だとされる。がタイトルには、「南十字星の息子」とあるから、この含意の方が言いたいことなのだろう。「息子」は、南十字星を天空に伺うオーストラリアから来る。通俗世界、散文的にはそこは「流刑の大陸」ではあるが、「世界の意識の下部」としても未央子には理解されている。この息子の登場は、意識下の、夢の、魂の関係を浮上させた。が、その発見は、夫婦の離縁、家族の破壊を代償させた。未央子は、飼い猫のにゃん太が怪我をしたとき、それを予感する。――<この子は疫病神ではないかしら、悪魔は美形で現れる、という。ころっと魅せられて、賛美しながら人は破滅に向かうのだ。この子はつぎつぎ凶事を起こして、あたしたち一家族を奈落に突き落とすのではないか。まさか、と未央子はもう一度否定する。猫の怪我ぐらいで疑うなんて、あたしはどうかしてる。だが、もっと悪いことが起きそうだという不安は未央子の頭からすぐには離れない。>

 

邑人は、エマニュエルを見送り、母に「ニュートン力学」とは別の原理を説いたあとで、「にゃん太の怪我は関係ない」との以前の発言は嘘で、「本当はあるんだってば」と、どこか肯定的にくつがえす。ということはつまり、エマニュエルは、この世では破壊者だが、だとしても、この世の物理とは違う原理を、魂の次元を発見させる天使、意識下の世界から派遣され、前世で自分とすでに縁もあったかもしれない使者なのだ。

 

が、問題は、それが本当は、なんなのか、ということだ。

 

冥王まさ子は、1995年のこの作品の刊行を見るまえに、動脈瘤破裂で亡くなったそうである。作中、エマニュエルは帰国するさい、みなにプレゼントを渡したそうだが、未央子に何を渡したのかは、未央子に黙らせたままだ。おそらく、この『南十字星の息子』という作品自体が、プレゼントなのである。この世とは違う次元から来たとされた使者は、「疫病神」のように「もっと悪いこと」、作者冥王自身を破壊した。しかしあたかもそれを代償とするかのように、『南十字星の息子』という彼女の意識の下からきた「息子(作品)」をこの世に贈らせたのである。自らの死を知らなかった彼女に、遺言はありえない。突然の死は、この世への、産声をもたらしたのだ。

 

私たちは、この産声、彼女の「夢」を、「意味という病」として退ければいいのだろうか?

 

「断片的なできごとのつみ重ねである日常とはべつに、ひとすじの意味でつながっている世界があって、それは夢と接する地平線から、天空をめぐる星座のようにゆっくりと展けてくるのだと未央子は信じたい。そして自分が壮大な救済物語のただ中にいるのだと。」

 「人と人を、男と女をつなぐものは本当はいったい何なのか。」

 「要約すると、他者の魂に届きたい、という必死の願いが挫折していく過程よ」と未央子は講釈するようにいった。「たぶんそれが愛するということなのだろうけど、相手を間違えることもあるのよ。何が間違えさせるのかを考えているの」

 「愛って何だろう、とぼんやり考えだす。くっついていたいこと、と小さな邑人がいった。ただそれだけかしら。くっついている努力をすること。もう少し真実に近い。でも、なぜくっついていなければならないのか。一人では生きて行けないから? 一人で生きて行けるほど強ければ愛はいらないのか。もし一人で生きて行けなくて、誰かとくっついている努力をしたとして、それが苦痛だけになったとしたら、それでもそれは愛なのかしら。」

 「わたしは周囲の人たちから悪い母親だといわれてきたのよ、子供たちがああだから」「そんなことをいう奴らは殺しちゃえばいい」未央子はぎょっとしてエマニュエルに向き直った。エマニュエルの眼が笑っている。

 

冥王まさ子は、たしかにこの作品で、この現実世界を殺したのだ。そしてその代償として、彼女は死に、この作品がこの世に生まれてき、私たちに届けられた。私の知る限り、この作品をまともに論じた文はない。妻が死に、私は、この作品を手に取った。そして私は、彼女からの贈り物を受け取った。

 

これは、「意味という病」だろうか? そう割り切る時、量子論が単なる情報論として簡単な話になるように、私たちは、割り切れる世界、割り切ってもいい世界に生きているのだろうか? 必要なのは、意味を排し、目の前の敵を切って捨てる(柄谷マクベス論)ことなのか?

 

※もう少し、この世の俗的な話をしよう。私は、早稲田大学文学部文芸科の授業で、夫婦の離縁につながる出来事のことをきかされている。当時柄谷行人は、文芸誌に、「探求Ⅱ」を連載していた。その他者というのはね、女はわからないということなんだよ、当時文芸批評家として駆け出しの講師・渡部直己はそう講義した。その出来事のことは、この遺作では触れられていないが、未央子の、「バーのママとできようと、家にもち込まないかぎり知らぬが仏」との言及で示唆されてはいる。またNAMの芸術系での会議で、岡崎乾二郎は、柄谷さんは面白いんだよ、子供の喧嘩に親がでる、とかいって、相手の子供もぶんなぐるんだよ、と言っていた。このエピソードも作中にあるが、それが母(妻)から見れば、こういう結末だったことは聞かされていない。――<だから巌は都夢が級友にいじめられたと信じたとき、級友を捕まえて殴った。それが学校で問題になると、巌は、おれは正しい、と主張して、あと始末を未央子に押しつけた。だが、都夢に友達がいないと知ったとき、巌は触覚をもがれた昆虫のように判断力を失った。>

どこか、『巨人の星』の星一徹を想起させる。佐藤優によれば、外務省やエリート企業のサラリーマンの間では、すぐこのアニメの話で盛り上がるのだそうである。が、原作漫画の結末は、大リーグボールを投げすぎて引退した飛雄馬が、ライバルと憧れの女性との結婚式を木の陰からこっそりと盗み見ているシーンで終わるんだ、つまりこれは人格破綻者の物語なのだと。柄谷は、私の妻が遺したVHSビデオ、おそらく大阪でのフェミニズム関連の講義で慰安婦問題に関連した責任のあり方をめぐる話のなかで、自分の子育ては「失敗」だったと発言している。一徹ではなく、飛雄馬世代の私としては、子育てにそんな単語がでてくることにびっくりした。親からみれば、私たちは「失敗作」(作中でもでてくる)なのだろう。が、同世代のもと巨人軍の桑田選手は、プロ引退後、早稲田の人間科学部の大学院に入学し、なんで日本のスポーツでは「根性」(作中でもでてくる)とかの精神主義になるのかと歴史的に批判検討した論文を書いて首席卒業している。日本のプロ野球界は、まず野茂が球界から破門されても大リーグ選手のパイオニアになり、イチローは日本シリーズでヤクルト野村監督のような管理野球に負けたことが一番悔しいのだと大リーグにいき、ダルビッシュは張本の強弁と言いあいながら投げ続け、その延長で、ニコニコと楽しそうに野球をする大谷がいる、そう傍系が実質的な中心になって保守改革を続けてきたのだ。

しかし私の世代より若くなれば、なおさら「父の不在」は顕著になり、ゆえにというべきだろう、妻(母)が歪曲(倒錯)的に強くなる。未央子は、「巌が子供たちを強制し、殴ろうとしたら今度こそためらわずに阻止しよう」と決意もするが、若い世代では、むしろ「強制」し「手を出す」のは、母の方になってくる。私の家庭はすでにそうで、ただ若い夫婦の間にいても晩婚でひと世代上の私は、暴力的に母子関係に割って入って、逆に周りから浮いていただろう。おまえが子供に手をだすのなら俺がおまえをぶんなぐる、と。……だとしても、やはり、しょうもない男たちのジェンダーバイアスの社会を、私たちがなお生きさせられていることに変わりはないだろう。一徹も飛雄馬も、程度の違いであって、同じ思想の中にいるのである。が柄谷は、そのマチスモ(人格破綻)な思想を、唯物論的に肯定しているのだ。そのことを、私は『力と交換様式』の感想、そしてエマニュエル・トッドとの思想比較によっても、このブログで指摘している。

 

さて、今日は、これから、近所の千葉劇場に、モンテッソーリを描いた映画を見にゆく。またそのうち、国立近代美術館に、ヒルマ・アフ・クリント展も見にゆくだろう。これらスピリチュアリズムに通じる女性たちの活躍については、岡崎乾二郎の『抽象の力』から教示されているわけだが、果たして、柄谷交換様式論の力は、この力を論破できていることになるだろうか?

 

2025年4月1日火曜日

大畑凛著『闘争としてのインターセクショナリティ 森崎和江と戦後思想史』(青土社)を読む

 


いく子は自身のダンスに三度、「事件、あるいは出来事」というタイトルをつけている。この言葉は、デリダか誰かの現代思想的なものに触れて、そこから借用してきたアイデアなのかな、と当初推察したりしてもいたが、意味しようとしていることが違うようにみえて、ではその意味したいものは何なのか、ずっと疑問のままだった。

 がこのたび、大畑凛の『闘争のインターセクショナリティ 森崎和江と戦後思想史』を読み、もしかして、こういうことなのか、と違う方向としての意味に気づかされた。

それは大畑が森崎の思想のひとつとして把握してみせようとした、「方法としての人質」にかかわる。

 

この「「関係としての思想」もしくは人質」という考えは、パートナーであった谷川雁と別れたあとの森崎が、「「単独者意識」と「自称近代性」、「植民二世意識」が等号で結ばれ、同時に乗り越えるべきものとして措定」された課題を追及する過程で意識化されてきたものと解かれる。炭鉱から離れ東京へとひとり出立していった谷川とは逆に、森崎は「故郷から引き剝がされ流浪していった流民たちの集合と離散によって編まれていった炭鉱の集団や共同性を、「近代的自我」への根源的批判として受け止め」、「集団の原理」を追及する方を選んだのだと。ここでの「流民」とは、労働組合的に集合化されない、「逃散」していく「未組織労働者」や「女坑夫」たちであり、そこでの「連帯」の模索なのである。そしてその連帯(関係)の在り方として、森崎は、当時起きた金嬉老の、金を取り立てに来た暴力団員を射殺し、「人質」をとって立て籠もった事件から示唆を得たのだ、と。

 

「関係の思想」の内実は、次のように解説される。

 

<「関係の思想」とはある種の相互承認を意味するのではなく、個人的権利すら確立されていなかった時代を知る女坑夫たちの強烈な個としての自尊心と、他人を他人とは割り切れない感覚とが矛盾することなく共存する、彼女たちの特異な倫理性を指すものだった。>

 

森崎にあっては、金嬉老や未組織労働者の「人質になること」が「民衆的連帯」である。しかしここでの「なる」を、活動家としての、インテリの側からの、ブ・ナロード(民衆の中へ)的な共にの意味で理解してはならないのだ。森崎が谷川と別れることには、労働者による女性レイプ事件がきっかけとしてあった。この「なる」は、同じ女性として、「他人を他人とは割り切れない」「身体的感覚」が根底にあるのだ。


 私は著作のここら辺りの記述を読んだとき、いく子の、最近のブログでも引用した、カンピオン監督の映画『エンジェル アット マイ テーブル』の評価の言い方を思い起こした。

 

<女の人が受けとめざるをえない現実、何かをしたいとか突飛したいということじゃなくて、起こってしまうことをかぶってしまわなければならない。抵抗する方法も、また行動するやり方も知らないでいること。身の回りに起きることを、彼女は受けとめていく。…(略)…たぶん彼女たちのために私はパーティを開くのだと思います。>

 

いく子にとっての「事件」、「出来事」とは、ゆえに「人質」的である。しかも、いく子は、森崎がその受苦性を積極的に反転させたように、そのタイトルをもった作品で、「リアルにそこに、「こと」が起きる。」(1999.11公演パンフ)、「ここに、コトが起こる。この時、コトを起こす。」(2000.9公演パンフ)と提示するのだ。

 

なぜ、受難が逆転するのか? そこに、「自由」を見出すからなのだ。

 

大畑は、森崎の見出す「人質の自由」を、次のように解説する。長いが引用する。

 

<このように、自由が森崎にとって呪いのごとき言葉でありながら、前節でみてきたように森崎が人質という方法を「民衆的連帯」の文脈においても提起し、「関係の思想」を「私権」意識に支えられてきた戦後民主主義への批判原理としたことを踏まえるならば、人質の自由とは次のように解釈することができる。すなわちそれは、近代的主体を前提とした個の自由を意味するのではなく、自己が不意にもとらえられるという一見まったく真逆の条件に置かれることで、はじめて近代的原理とは異なる関係の自由が編まれえること伝えるものだ。森崎はここで自由の意味そのものを根底的に組み換えながら、自身の近代的自我や個人主義的な感性の乗り越えと解体を、金嬉老(群)との「妥協をゆるさぬとりひき」に見出していた。

 しかし、この人質の自由は、絶えざる緊張関係に自己と他者を置くことで、新しいなにかがすぐさまうみだされることそれ自体を拒否するような性質のものでもある。この自由をえたところで保証されるものはまったくなく、むしろそれは関係の困難さそのものを受けとめることでもある。なにより、この「とりひき」は決して固定的な立場性には還元されない。問うものと問われるものが存在しながらも、それは一元的なものではなく、交差する民族的次元とジェンダー的次元は項目ごとに分別できるようなものでもない。両者の立場は不変(普遍)的で安定したものにはなりえず、この試みはジグザグの蛇行のような軌道を描きながら、いつでも失敗の余地に晒されている。>

 

この記述は、私がはじめていく子に招待されてみた公演、『青空×干渉するものたち』(2001.10)でのいく子のパンフでの、謎々のような言葉と重ねられる。

 

<関係は困難です。

一人で踊った方が、はるかにラクですし自分のタメになるように思いますし、すべての批評を誤魔かしなく受け止めることができます。たぶんそうだと思います。

でも、一人でやってもしょうがないと思うのです。自分のために踊ったってしょうがない。また、誰かのためでもないんです。私が引き受けなければならないのです。

自問が続きます。ここに、立つほかありません。

アメリカにテロが起り、報復がありました。

関係は困難だって、そんな文学的修辞は意味をなしません。

ここに、立つほかありません。>

 

なんという言葉の符合だろうか。

いく子は、「自由」へ向けての「関係の困難さ」を私に見せようとした。いや「人質」になるという「とりひき」を試みたのかもしれない。友へ宛てた手紙のうちには、柄谷行人がはじめた単独者の連帯としての、「可能なるコミュニズム」という言葉を受けて、そんなこともう自分はやってるじゃん、ともらしていたのがある。それは、他の女性ダンサーたちとの群舞や場の形成のことを言っていたのであろう。が、その意味、方向は、実はまったく真逆なのである。柄谷は、谷川雁の、「連帯を求めて孤立をおそれず」を言い換えて、「孤立を求めて連帯をおそれず」と説いた。が、森崎の思想やいく子が暗黙に捉えてきた志向からは、それらはどちらも同じような意味(方向)になる。柄谷用語でいえば、「切断」の思考が前提にあり、その上で理論的に説かれるポスト近代としての上昇(「高次元」、メタレベルに立つ)志向である。が、彼女たちが前提とするのは、「割り切れない」「身体的感覚」なのだ。

 

それが、女性的に特有なものなのかはわからない。森崎は、「からゆきさん」として流浪した天草や島原の女たちへと向かった。

 

    著作の後書きで、まだ京都にあった、「カライモブックスという古本屋」が言及されている。その古本屋はいまは、水俣の、石牟礼道子の住居あとに移っている。私も、チッソ幹部の娘として「植民二世意識」を生きたいく子の生地であるそこを訪れたさい、水俣を案内してもらっていた相思社の女性職員に紹介してもらい、奥田ご夫婦の共著『さみしさは彼方』(岩波書店)を購入させてもらった。こんどは水俣から、フェリーにのって、天草から島原の方へ訪れてみたく思っている。中学時代のいく子の友人ふたりが、そこの出身である。