2011年8月13日土曜日

科学・社会・人間

「…それは数学基礎論といって、非常に専門的技巧を要するのですが、その仮定を少しづつ変えていったのです。そうしたら一方が他方になってしまった。それは知的には矛盾しない。だが、いくら矛盾しないと聞かされても、矛盾するとしか思えない。だから、各数学者の感情の満足ということなしには、数学は存在しえない。知性のなかだけで厳然として存在する数学は、考えることはできるかもしれませんが、やる気になれない。こんな二つの仮定をともに許した数学は、普通人にはやる気がしない。だから感情ぬきでは、学問といえども成立しえない。」「…それはアイシュタインが光の存在を否定しましたから。それにもかかわらず直線というふうなものがあると仮定していろいろやっていますね。物理の根底に光があるなら、ユークリッド幾何に似たようなものを考えて、近似的に実験できますから、物理公理体系ですが、光というものがないとしますと、これは超越的な公理体系、実験することのできない公理体系ですね。それが基礎になっていたら、物理学が知的に独立しているとは言えません。…(略)…何しろいまの理論物理学のようなものが実在するということを信じさせる最大のものは、原子爆弾と水素爆弾をつくれたということでしょうが、あれは破壊なんです。ところが、破壊というものは、いろいろな仮説それ自体がまったく正しくなくても、それに頼ってやってたほうが幾分利益があればできるものです。もし建設が一つでもできるというなら認めてもよいのですが、建設は何もしていない。しているのは破壊と機械的操作だけなんです。だから、いま考えられるような理論物理があると仮定させるものは破壊であって建設じゃない。破壊だったら、相似的な学説があればできるのです。建設をやって見せてもらわなければ、論より証拠とは言えないのです。」(『対話 人間の建設』岡潔・小林秀雄著 新潮社)



書店にいくと、原発事故後、それに関連した色々な書籍が山積みされてある。といっても、そうした現象も東京など大都市圏だけで見られることなのかもしれないが。そうしてあったなかのひとつ、スチュアート・ブランド著『Whole Earth Discipline 地球の論点』(仙名紀訳 英治出版)を手にしてみた。かつて、アート系のグループに参加して、その作者の'68年の名著『Whole Earth Catalog』と類したものを作ろうというプロジェクトに関わったことがあったので、そのタイトルからこれはなんだろう、とおもったのである。読んでみて、びっくりした。原書がフクシマ原発事故の数年前に書かれたものということもあるが、ゆえになおさら、それ以前の原発推進派の論の立て方がこういうものかと知って。日本で翻訳出版されたのは事故後であるのだが、訳者はあとがきではそのことに敢えてなのかまったくふれない。……「本書の魅力は、人類が直面している難問に多面的に取り組み、その解決を図ろうという壮大な発想と、取り組み方を克明に分析しているところにある。彼がとくに力を入れているのは、「原発」「遺伝子組み換え」「地球工学」など、一般的にはタブー視されていることだ。その根源には、気候変動がもたらす危機感がある。彼は「反核」から「親核」に変節するのだが、そのぶれを告白して恥じない。」と、その作者のカリスマ性を強調するのみである。しかし、当人個人の魅力のことなほぼ全く知らない門外漢の者がこれを読むと、その現代の先端実用科学を評価していくこの言論を、もうどう受けとめていいのか、頭が混乱、思考停止になるばかりである。おそらくフクシマ以前に読んだのなら、この混乱はなかっただろう。それぐらい、フクシマ以前と以後とでは、思考の在り方を変えてしまう何かが起きた、ということなのか? 訳者が言及しないのも、できない、ということなのか? 作者本人がフクシマの原発事故に関し、どう対応しているのかは知らない。ただ、作者が評価して説き、日本での実行にも言及してみせる核燃料リサイクルや高速増殖炉の技術に関する箇所などを読むと、作者が本当に調べて書いているのかさえ、疑問におもえてくる。事故後、われわれ凡人でもが知ってしまったひとつには、そうした政府権力側の説くリサイクル美談が、実はすでにして実際的に破綻し、いくつもの事故を起こしており、ほんとうに実践してしまったら恐ろしいだろう、ということがある。そしてその程度のことは、ちょっと調べればわかってしまうはずのことなのだが、本書のように楽観的なのはどうしてなのか、凡人には不可解になるのである。そしてそのいま誰の目にも明らかになった一事が、なお凡人には無知なままの、「遺伝子組み換え」や「地球工学」といった分野での作者の意見をも、疑わしく覚えさせてしまう。それとも、フランスのジャック・アタリ氏が説くように、フクシマの事故は自然災害と東電のミスであって、原子力技術自体には問題がない、ということだろうか?(日本人が原子力を扱うにしては無能だとしても、もっと無能かもしれない人間が手に取るかもしれない、という人間的現実は考慮する必要がない、ということだろうか?) 本書では、放射能の閾値に関しての議論にも言及がある。どうも低線量でも用心する<予防原則>という考え方はヨーロッパのものであって、しかもそれは医学的態度、というより、哲学的に前提とするべき基本態度、としてあるようだ、ということが知れる。ビル・ゲイツやロックフェラーの活動を肯定的に紹介する作者が、むしり低線量は体にいいのだ、と受け入れるアメリカ側のそれ、と見て取れる。となると、哲学の背景には政治・経済的利害関係があるとするのが一般だとする教養にたてば、この両者の背後には、ロスチャイルドvsロックフェラーという2大勢力の争いがあるのか、ゆえに作者は原発推進側の資料しか受け入れていなのか、そう操作されているということなのか、とも勘ぐりたくなってしまう。

一昨日、原発批判の映画監督・鎌仲ひとみ氏と、福島県で活動している小児科医の山田真氏との講演・対談をきいた。鼻血や下痢をする子供の症状を放射能と結びつけて発言するのには慎重になるべきだと山田氏は説きながら、現在福島県で一番問題なのは、医学的な真実いかんよりは、社会的な差別なのだ、と指摘する。「東京の山谷地区と似てきているんです」という。大阪の釜ヶ先はいつのまにかその地域に入ってしまうような地続きだが、東京の山谷は隔離されて別世界だ。そしてその別世界で、人々がマスクをせず普通に生活している。おそらくマスクをしないのは、ここが普通だとおもいたい意識のゆえなのではないか、と言う。放射能が危ないとか、避難したほうがいいとかは、現地では口にできない。そんなことをいうのは郷土のことをおもっていないからだ、と戦時中の日本での非国民のような雰囲気があるのだ。地産地消ということで、学校の給食もみな福島県産だ。そうしたことに疑問を述べる教師は、いま次から次へと強制退職させられている。鎌仲氏も、阿蘇山で福島県の子供たちを受け入れてキャンプをしている知人の話しとして、その子供たちが、「俺たちは死ぬんだ」「結婚して子供をうむことはできない」、ともらすという。それは被曝で差別された広島の人々と同じだと。まず本当のことを知り、危険でもたくましく生きていくことが可能だ、という広島の人たちの話しを福島で設ける企画をやろうかと考えているという鎌仲氏に対し、山田氏は「だからそれは、安全神話を説く人たちと同じことに…」「いや安全じゃないけど生きていける……」、そう二人が口ごもる場面もみられた。実際、鎌仲氏のアイデアは、氏がボケとして批判する山下教授の、自身が被爆者でもあるだろう長崎出身者の説法と似てくるのである。真実(科学)はわからない。数年後からしても、その症状が放射能が原因かどうかわからない、となお議論延々となるようなのだから、それはわかるわからない、という科学の問題ではなく、社会の問題なのだろう。だからそれは、いわゆる科学に依拠しない、社会的、人間的態度として、その対処を考えていかなくてはならない。が、それは簡単明解なことなのではないだろうか? 思いやりをもつこと、単にそれだけではないのだろうか? 権力側が思いやりを持つ、とはどういうことだろうか?

お盆明けに、また支援団体の運転手役として、こんどは福島県にゆくことになった。自分で作った作物を放射能検査しなくてはならない農家をまわって、その話しをきき、バザーへの仕入れをする活動だそうだ。「まず福島県にいってください」と山田氏は説く。人との交流じたいが、そこを隔離差別することから防ぐだろう。

2011年7月30日土曜日

時のなかの親子

「どのみち、経済は今の規模では回らなくなります。経済が回らなくなれば不幸になるならば、僕らにはもはや未来はありません。/ところが、実際にはそんなことはありません。市場経済の規模が縮小したとしても、便益も、幸福度さえも実際には上げられます。そのためには、今までの自明性の地平を掘り崩して現在の自明性を前提とした単なるライフスタイルの選択ではなく、自明性を支えるソーシャルスタイル全体を変えるということについて合意形成をしていく必要があります。」(『原発社会からの離脱 自然エネルギーと共同体自治に向けて』宮台真司×飯田哲也著 講談社現代新書)



九死に一生を得るような体験が、どのように自分を変化させているのか、判然とはしがたい。津波で家も職も失った人は、たしかに生活は激変したが、ではどう自分自身が変わったのかとなると、うまく把握できないのではないかとおもう。震災まえに木から落ちて骨折し、最近やっと職場復帰しても、年間管理の公共作業からはじかれた状況は半失業状態であるような私など、現実に被災し生活基盤を失った人たちと比較するのは見当はずれな前提なのかもしれない。しかしなぜか、私には、私の今の状況が、私を超えた時代をおそう気分のような気がしてくるのである。このまま、今までのままではだめだ、と気付かせてくれている時に対して、どのように向き合うのか、どこに向うのか、どのように向うのか……その時から微熱のように湧き出てくる問いが、またその時の中に飲み込まれていって自身の身悶えを封じ、意識を憂鬱にさせてくる。しかしそれは、身動きが不能、ということではない。時は、自縛の縄が緩んできていることを教えてくれたので、身悶えして解こうとしているのだ。しかし、本当に解けたとき、どうするのか? ……親方は、私と年上の職人が怪我で休んでいるあいだ、他の例年の管理作業も断ったそうだ。元請けからはやったほうがいいと言われたそうだし、おそらく系列のほかの会社が手伝いにくる体制が敷かれたことだろう。それを敢えて断る、ということには、親方の息子を含めた残りの若者たちだけでは無理がある、とする判断もあったかもしれないが、それよりも、「いやだ」、という身体的な感覚のほうが強かったのだろう、と私は予測する。「いやだ」というのは、元請けの支配や、系列への依拠を潔しとしないことや、自分の会社が弱体しているときに他の系列会社に仕事をふって助けてやることのデメリットの計算、というこれまでの会社どうしの通例的なかけひき、とは別に、もう今までのやり方では「だめだ」、ではなく、「いやだ」ということ、もうそんなかけひきめいたことじたいがやりたくない、ということを含んでいたのではないかと推測する。一緒に働いて今を築いてきた自分より年上の職人への後ろめたさ、というのもあるかもしれない。ということは、意識せずとも、その時を身に受けているのである。がその結果、仕事は民間の、少ししかない。惰性を半分きるだけで、そうなる。足の怪我の傷みが消えていない私は、若者へのワークシェアリングとしてか、週休3日が前提。暇をいいことに、部屋で寝転んで本を読んでいる、労災で暮らしていたときとかわらない、というか、収入もそれと似たようなもの。しかし、これが来年もつづいたら? ……30歳になる親方の息子だったら、どう対応するだろう? たぶん、元請けの要請されるままにやるだろう。役所仕事に精を出してきたからか、ゼネコンを真似する元請けの真似なのか、入りたての若者が仕事の態度でおかしいと、仕事おわってから事務所に残して、反省文という作文を書かせる。中卒での者が東大での官僚のような発想をすることのおかしさ。日本の社会はどこを切っても金太郎飴みたいなものだ、との事例が目前で反復されている事態の将来性は? 敗戦後のどさくさに紛れて地歩を築いた一代目から、3~4代目のほぼ100年がたっている、というのが日本の会社の多くなのではないか? つまり、ヒューマンスケールで終る。人も会社も。で、どうするというのか?


今日は雨で、息子のサッカー大会は中止になった。3年生をまじえたこのまえの大会ではぼろ負けだったが、こんどのは2年生だけだから、ぶっちぎりで優勝するだろうと期待していた。しかしそう期待する私の心性に、高度成長期の親から挿入された官僚(エリート)競争主義の慣性がある。競争は必要だが、それが経済(進路・就活)に結ばれて重ねあわされると、人格をそこなう。不幸がやってくる。一希はいま、大会ように母親が作っていた弁当をもって、サッカー仲間と小学校の遊び場へいっている。まだ、サッカー小僧にはなれず、その場のおもしろさに釣られてちゃらんぽらだ。面白いほうへいく。しかしそれは、雨でよく家にいる職人の子供たちにはありがちなことで、だから、ちょっとしたことで学校にもいかず、進学もたいしたこととは考えなくなる。今に満足、親といる幸福を覚えてしまう。人間味はあるが、いざ社会にでてその有様に直面してくると、反動的に適応しようとする。しかし、頑張りの根と、世の中や人間への認識、おそらく社会的なもの、社会のなかの人間を動かしているものへの、認識の根本がわからない。人がよすぎるようになるのだ。それで、いいのだろうか?


私を作ったのは両親だが、その私は息子とともにある。父親は認知症を発症しはじめた。この時をきっかけに、社会がその時とどう向き合うのか、どこへ向うのか、どのように向うのか、は、子供とともにある私の生活が考えていかなくてはならない。

2011年7月18日月曜日

二つの時間と、ヒューマンスケール

「最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の三月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」という言う人たちがいる。こういう考え方の前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に忘却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。」(柄谷行人著「週刊読書人」 2011.6/17)


木をみておもうことがある。それは、おおよそ、100年を超える樹木となると、どこかヒューマンスケールを超えて存在しはじめる、ということだ。個人主義的に、単にのぼって、切る、というような私がやっているような作業は、それを超えると、できなくなる、あるいは、そのスケールの違う超越的な存在をまえに、畏怖の感じに捉えられ、気を緩めると、振り落とされてしまうような緊張感を覚えるのである。「まだ100年はたってませんね。80年すぎくらいかな。」先週も、新宿の民家にあった欅の木の剪定で、住んでいるおばあさんとそんな話しをした。「ええ。おじいさんが、子供のころ植えたそうですから。」……しかし、私がその欅をみあげながら、骨折した腫れの残る足をさすりながら考えたのは、人の営みはゆえに、100年を超えられない、のではないか、ということである。しかしここでいう人とは、いまの技術体系を支えているような、個人主義的なもの、となるだろう。大昔ならば、樹齢何百年という樹木を相手にできていたはずだ。それは、そのような支援(世代)体制で事にあたるのが前提になっていたからだろう。大正時代くらいまでも、山から庭へ木を移植するのに、何千人という人夫が動員されている。いまは、はした金を設けるために、おまえやっとけ、というような体制である。しかし、戦後植えた小学校の木なども、そろそろ100年を超え始める。しかも、庭木として手入れしているので、傷みもひどい。よく庭の主人が亡くなると、その植木も枯れてなくなるのだとかいわれるが、それはなにも神秘的な話しなどではなく、狭い庭におさまるよう無理な手入れを続けてきたのが原因だろう。庭木もまた、その時代の人の寿命を後追いしだすのである。暑い日差しのなかで、ふた周りも縮小された屋根を覆う欅をながめながら、もう終るのだな、と私は考えていたのである。


避難所のひとつの体育館の床に寝転びながら、周囲に漂う秩序ある静けさを、私は異様なものとして感じたのだった。「災害ユートピア」というよりも、それは想像を超えた事態に直面した人々の諦念ではないか、と。個人的な誤解なのかもしれない。新聞でのある著名人の感想によると、災害後3ヶ月くらいまでは、生き延びたこと、そのことに対応していくことで一生懸命な感じがあるが、4ヶ月めになると、あきらめやら疲労やらで、元気がなくなってくるのだという。単にそういうことなのかもしれない。が私がおもったことは、もっと長い時間でのこと、それと、この短い時間の関係のことである。日本の文化の基底的態度に、あきらめた情感があるのは、こうした大きな自然災害を繰り返し体験したからかもしれない、が、その長期的な習性が、この間近な直後の時間とどうつながっていくのか、というか逆に、この間近な時間が、どのように長期的な時間を作っていくのか、が腑に落ちなくなってきたのである。あの避難所の雰囲気にふれて。ポルトガルの歴史で、ヴェスビオス火山が噴火し、その災害後、大航海にも繰り出していたポルトガル人の気質が、冒険精神から諦め的な淡白さに変質したとかいわれる。外からみれば、そうなのかもしれない。が、中からみれば、その論理は短絡すぎて、なにか欠落があるように感じられてくるのである。いや外国人からみるならば、普通でさえ大人しい日本人の態度は「異様なもの」としてうつっていることでもあるのだから、それは近すぎる見方で、取るに足りない取り越し苦労な思いなのかもしれない。しかし当事者だったら、この諦念を乗り越えていかなくては、トラウマ的傷を乗り越えていかなくては、前にすすめないではないか? そうやって、当事者がこの間近な短い時間を克服してきたとするなら、その超克の時間と、長い文化的な時間、しかもそこで反復習性されてしまう諦念の構造とは、どのような折り合いのもとで構成されているのだろうか? 公的行政単位での話し合いで、被災した県市町村のトップ会談だけでは、当事者として思考力も気力も回復されていないので、被害にあわなかった行政区の人たちの助言と後押しが必要なのだ、と話す被災地の長がいた。こうした、他者的な団体との網目が、持ちつ持たれつの構造を作っていくということだろうか?


先週の毎日新聞で、「ATM窃盗事件25件 原発事故後、半径25キロ圏」と記事がでている。火事場泥棒の被害総額は約4億2千万円だそうだ。副島隆彦氏の、現地入り報告直後の掲示板からの現地レポートを勘案して推論すれば、これは単独の犯罪ではなく、組織犯罪なのだろう。副島氏によれば、事故後、重機をのせた関西ナンバーのトラックが現地へむけて走ってゆくのが目撃されていたという。それは、山口組が阪神大震災の教訓としてマニュアル化していた、災害後対策によるのだという。こうした現象が、「災害ユートピア」的な人の真実を、裏切っているというわけではないだろう。どちらも、真実なのだろう。この位相の違いが現実的に絡み合う時、その時が社会的な項目を形づくりはじめ、次なる時間へと繋いでいく。一つの時間の終りから始められたものが、もう一つの時間の終りに挿入されることで、その終りの内側に始まりが胎動する。しかしそれは、この私には関係していることなのだろうか? ヒューマンスケールを超えていることなのだろうか? しかしそれも、この私とが、あくまで近代的な個人という枠組みから抜け出ようとしなければ、という話しなのだろうか? ならば、私自身は、誰に繋がってゆくだろう?


最近読んだものに、沖縄のユタの話しをきいて腰痛がなおった、という話しがあった。ならば、私は恐山のイタコの話しをきけば、腰痛がなおるかな、と考えたりしている。同時に、そんな考えを抱いてしまう私自身が気力をなくしているからなのか、とも内省する。私はただ、終りがやってくるのを、黙って見ている事しかできないのだろうか、それとも、この終りに、次なる始まりが胎動しはじめているのだろうか?

2011年7月5日火曜日

「安全か、危険か」を超えていく隙間

武田 福島市長は、おそらく山下さんが100ミリということは、もう事前に聞いてあって、政治的には100ミリって言ってくれることによって福島市民の心の安定を得ようと思ったんでしょう。それで、しかし――。 副島 それで今、逆に福島県に動揺が広がっているんですか。 武田 うん。広がっている。ジワリジワリと。山下さんの言っていることを最初は信用した。福島市の人が僕に送ってくるメールによると、彼は細かく福島市を講演し、住民を説得してまわった。100ミリシーベルト年間は大丈夫だと。それを最初聞いて信じていた人たちは、内閣の参与の小佐古さんが辞めたり、僕が「1ミリ以上は危ないですよ」とか言ったものだから心配し始めた。その波は4月の中旬ぐらいからのことです。心配し出した一つの表れが、郡山市の洗浄作業です。郡山市の人たちが1ミリシーベルト年間を超えてはいけないと思って洗浄を始めたんです。僕はいいことだと思ったけど、このことが周囲に与えた影響が、いいか悪いかという判断は難しい。しかし、庶民はもう少し強いんじゃないか。つまり、かつて有名な労災がありました。ベンジンを使ってスリッパを作る仕事をしていればがんになるということは前から分かっていたけれども、自分はベンジンでスリッパを洗浄しないと生きていけないからベンジンで洗浄したというものです。ぼかにも僕が言う話があります。アルミ缶入りのビールは素晴らしいんだというものです。なぜなら、昔は酒屋の丁稚というのは、重たいビンビールの20本入りケースを運んでいたので、だいたい50歳前後で腰痛になって死んだ。割合と若くして死んだ。しかし、彼らはそれは分かっている。その後、アルミ缶入りのビールができたために、腰痛で死ぬ酒屋の丁稚はいなくなり、その分、寿命が延びた。だから今回の問題は、放射線による害というのを正しく伝えること、主婦が計算できるようにするということが、現地の人たちにとって耐えられないかどうかですね。金持ちしか逃げられないという現実は、まさにその通り。貧乏な人は、どうしてもそこで生きていかなければならない。そういうことはありますからね。……」(副島隆彦vs武田邦彦著『原発事故、放射能、ケンカ対談』 幻冬社)



「今の基準(20ミリシーベルト/年)は、安全か? 危険か?」と帯された上記引用の著作を読んでいても、少しもすっきりしないのは、やはり問題の立て方自体がすでに社会のカラクリにはまっているからではないか、というのが私の理解である。私の理解では、副島氏が科学的根拠として信憑する山下氏の発言にしても、100ミリシーベルト以下は「安全」だと言っているわけではなく、医学的にはわからない、と言っているのが、副島氏自身が根拠として自身HPの掲示板で引用している山下氏の文章からもみてとれ、それはおそらく、顕微鏡で見てもわからない、とかの、現時点の医療技術では突き止めることができない、ということを言おうとしているのだろう、と推論される。がしかし、と山下氏が続けるのは、それでも、原爆を落とされた広島市民や長崎市民のように、福島市民の人々も生きていくことができるのだ、汚染された水を飲み、残留した放射能をあびつづける生活であっても、という社会的な事実が挿入され、ゆえにその教訓として、今の放射能下を生きる人々の人生における自覚の話しに転換されているのである。つまりそれは、あくまで「科学」の話しではなく、むしろ社会の話しなのである。そして、ウルリッヒ・ベック氏の「リスク社会」という呈示によれば、現代は放射能に限らず、副作用社会が前提になっている。そこで事故が起きれば、副作用それ自体において科学的に「安全」な数値などないのであるから、ではいったいどの数値までそれを許容するか、という社会的なコンセンサスの議論が惹起されてくる。平時においてあった前提が、事故時には泥縄式に沸騰するということになる。上の議論のように。つまり、上のケンカ対談は、それ自体がリスク社会の産物であり、症状なのである。ならば問題は、われわれはわれわれを前提とさせているリスク社会そのものから脱することができるのだろうか? という話しになってくるだろう。


昨夜、「なのはなプロジェクト なかのアクション!」主催の、「未来バンク」を運営している田中優氏の「自然エネルギーシフト」への講演をきいてきた。たしかに、自然エネルギー社会が前提させてくるものには、副作用問題は希薄になってくるかもしれない。が田中氏自身が、脱原発から自然エネルギーへ議論を直接うつすことには反対だ、なぜなら、そうするとすぐにその欠点をあげつらう議論に取り込まれてつぶされてしまうからだ(それは副作用、というより、一長一短の話しであるだろう)、だから、それ以前に、現段階での節電、東電の料金体系等をも視野にいれた節電という中間項で現問題が解決できるのだ、ということを示す議論や問題提起を媒介させたほうがいいのだ、と前置きしていたように、われわれもまず、なお「カラクリ」のなかにとどまって議論を煮詰めておく必要があるのだろう、と私も考える。それはひとえに、自分が福島市に生きる子供を抱えた親だったなら、どうしたらいいのか、と想定してみれば、そんな素早く自然エネルギーの話しなどする余裕がなくなるだろうからだ。


しかし、放射能から逃げる、逃げない、という話しだけなら、答えは簡明だ。事実貧乏階級に属しているので、あるいはそこに身を置くことをひとつの思想にしているので、逃げるわけにはいかない、ということだ。3月の事故直後でも、当時の私の知識教養レベルでは、原発が爆発する、ということがどういうことかわからなかっただろう。また今から推論するに、誰もどうなるかわからず、頭には広島・長崎のきのこ雲、原爆のようなイメージしかなかっただろう。そしてそう爆発が大きくならなかったのは、設計ミスのおかげという、不幸中の幸いだったようだ。もしがっちり設計建造されていたものだったなら、原子炉ごと吹っ飛んで、甚大な被害が広範に及んだものと私は思う。とにかくも、原発からの爆風を想像しなくてはならない範囲内に居住していたとしても、私(たち)は逃げ遅れただろう。では、その逃げ遅れた私たち家族が、「安全か、危険か」が騒がれる福島市に残っているとして、私はなにをどう判断するだろうか?


(1)夫婦喧嘩を極力おさえて、子供にストレス影響を与えないようにする……地震津波で離縁する、という夫婦はないと思うが、原発事故後のどうするかをめぐって離婚までいった世帯がいる、ということが私にはよくわかる。たとえばわが女房、最近ようやく水を買うのをやめた、事故直後、私があれほど停電と放射能で水がどうなるかわからないからポリタン買ってためておけ、といっていたのを平気で聞かず、結局は松葉杖の私がホームセンターでタンクを買って水の貯め置きをしたのである。そんな呑気だったのに、もうだいじょうぶだという頃になって、女房わざわざミネラルウォーターを買って料理をしはじめ、私が貯め置いたタンクの水は匂いがいやだから使わない、とほざく。ヨウ素はそのうち減るし、セシウムだって沈殿するから下まで使わなきゃだいじょぶだ、俺たち貧乏階級の分を弁えまえろ、といっても、もともとグルメ穣さんだからいうこときかない。けっきょく貯め置きのポリタンはゴールデンウィークあけのベランダ掃除に使うことになった。てなぐあいで、わが女房はいつも遅れてパニックになる。もう逃げる段階はおわったのに逃げようと考え出したり。しかし貧乏人は帰ることを前提にした逃亡などできない、やるときは移住、ということになるので、私は地震と原発被害の少ないところ、しかもツテのあるところをと調べていた。広島から長崎に逃げてしまった人にならないように。すると、熊本県の一部、と群馬県の一部、とでた。というか、ほとんど日本はだめだから、逃げてもしょうがないのではないか、という結果だったが。しかし、私がどう考えても、そのときの女房が呑気なので、実践は伴わない。そこでの軋轢を、子供はじっとみている。小学2年生にもなってオネショがなおらないのも、すさまじい夫婦喧嘩がトラウマになっているのではないかともおもう。その子供をめぐっての教育法にも喧嘩が生じる。女房はママゴンのように宿題をみて、漢字の書き順がどうのこうのとしつこくいって子供も毎晩のように泣かせている。「けっきょく原発事故の原因ってなんなの?」 とたまに女房がきいてくるが、「だからおまえのような教育を子供にしていくからだよ。文字の操作で現実に対処できるとおもう本末転倒な連中が世の中を仕切るからだろ。東大でてそういう世界にいくのと、途中でおちこぼれて引きこもりになるのはコインの表と裏でおんなじだ。宿題など親がみるな。間違ったら先生に直されればいい。叱られるのになれなきゃだめなんだ。いやならそんな宿題やらなくといい!」しかし一昨日も、学校に漢字ノートを忘れたから宿題できないと泣く子供にわざわざ金だして新しいのを買ってきて女房はやらせる。私は子供には、チラシやカレンダーの裏に漢字を書いてだせばいいだろう、といったのだが、なんでこうもいい子ぶりになるのだ? 俺たちは、貧乏人だろ?


(2)くたばる貧乏人はどこまで迷惑をかけられるのか?……100ミリシーベルトでもだいじょうぶだ、安全かはわからないが、安心できる、と説く山下教授の話しをきくと、武士道とは死ぬここと見つけたり、などという「葉隠れ」の言葉を想起してしまう。かつては、知らぬが仏で放射能世界を生きれたかもしれないが、いまはそんなことを説教するのは、人々を聖人か仙人にでも見立てないと通じないだろう。かといって、科学的根拠など呈示できないのだから、不安をぬぐいさることは根底的にできず、その根底自体が新しく定義しなおされる次なる時代にまで待たないといけない、ということなのかもしれない。だから貧乏人にできることは、くたばる、ということだ。武士道、というと格好はいいが、実際には、端の人にだいぶ迷惑がかかるのである。高倉健やとらさんの映画世界では、その迷惑どころは割愛されている。震災前に、私は木から落ちて入院した。その残りの仕事を、団塊世代の職人さんが代わってやって、やりとげたあと腰痛で入院した。(もともとは、福祉老人介護をしていた娘の腰痛検査の付き添いで病院にいったさい、父親のほうが重症だと発見されてしまったのが端緒なのだが……) 私は退院し、仕事に復帰した。その職人さんは、なお通院し、また手術かもしれない。私には労災がおりたが、その先輩職人におりるかどうかはなおわからない。私には貯金があったが、その職人さんはみんな飲んでしまって一銭もない。高度成長とバブル経済と働いてきているので、金の使い道のない私なら、1億円ぐらい貯金できているかもしれない。が、職人さんは一銭もない。仕事柄、たまに公園で暮らす野宿者の近くで作業することがあったが、職人さんのその人たちをみる目つきは、「俺もやりたいな」、という感じに私にはみえた。はじめから、宵越しの銭はもたない、と職人気勢を示すことわざにもあるようの、そのときはくたばればいい、というのが前提(覚悟)にあるだろう。「ずっと働けるわけないんだから、歳とったっとき、どうする気だったんだい?」と親方はきいたらしいが、おそらく親方にもわかっていて、だから、法的な対処などに従えず、ホームレスにさせるわけにもいかないから、毎月の家賃や光熱費たぐいの生活経費ニ十万円相当を、立て替えて支払っているのである。くたばる、とはそういうことをはらみ、相互扶助とはそういうことを意味し……そんな社会をみてきている私には、いわゆる左翼な共同体論を、鵜呑みにして人間現実に適用してみるわけにはいかないのである。

2011年6月27日月曜日

震災被災地へ――陸前高田市

炊き出しボランティア・パキスタンチームの運転手として、震災地・陸前高田市へむかった。 <避難所の中学校>





















山道を抜けたところでいきなりでますよ、と何回かあちこちへ救援にでかけている日本人スタッフの話しだった。近づくにつれ、みたくない、という気持ちがでてくる。海より10kmほどのまだ山中で、ふと木材の集積、そして小川の土手に横たわった自動車にでくわす。





ここまで津波が到達したという地点。というより、山にぶつかったのだろう。山腹の10m近くまで、屋根のだいぶ上まで波をかぶっている。塩水にふれた部分の木の枝は赤茶けている。それでも日本作りの家屋はたおれない。海岸近くでも、ぽつんと立っている蔵をみかけた。まわりは流されて何もないのに、それは石垣基礎も壁もほぼきれいなままだった。



おそらく次に作業しやすいように、道路側に残骸を堆積させている。










流された自動車。









分別され山積みされた木材。








海に向う河口付近。










一本松がみえてくる。

海近辺、災害現場の中は、一般車両は進入禁止。














































高校あと。ぶじ生徒は避難できただろうか? テレビニュースでみると、すぐ裏山にのぼって逃げればとおもったが、逆にすぐ後に山が迫っていると、おそらく人間心理ではそれを登ろうという気はおきず迂回するだろうと思えてくる。とくに、ここからは建物で海はみえなかったろうから、まず校庭に避難、となれば、その後迂回しながら開けた高台にのぼるコースをとるだろう。その1kmほどの途中で津波に襲われれば、逃げようがない。聞けば、生か死かであって、けが人というのはいないという。



避難場所の体育館。

カレーライスの配膳あとで。

この避難所の、理科室を使った厨房で食事を作る若夫婦の話しによると、海近くで食堂を営んでいた自分たちが生き延びたのは偶然だという。避難場所として指定されていた市民体育館に避難していた母親は亡くなったという。自分たちがそこに行かなかったのは、中学生の娘が心配だったので、そっちへ向ったからだと。奥さんは「あんな遠くまで」と最初もらしたそうだ。だから逆に、「生かされている」とも感じるという。内陸商人の考えが自然な肌になっているインドレストラン経営者のパキスタン人とは、帰り際、まさにこれから自分の生活を作っていくためにどんな援助が欲しいか、いくらかかるか、と必死に情報を交換する旦那さんだった。避難所は、子供がかけまわったりしながらも、静かだった。そして規律があり、清潔だった。落成したばかりの体育館や校舎のためというより、そうした努力とノウハウの蓄積がなじんできているのだろう。しかし夜になるにつれ、そのただっ広い避難所で過ごすことの寂しさが漂いはじめるような気がした。当初1000人が、いまは200人ほどになり、近隣地区からのボランティアスタッフもいた厨房の体制も、7月からは、ほんとに津波で家が流されて避難した人たちだけの世界になるという。そっちのほうがいいのだ、家のあるなしが意識の違いをうむので、自分たちだけのほうが居心地よくなるのだとも、旦那さんはいう。外はどしゃぶりに近い雨だったので、涼しかったが、これから暑くなると、どうなるだろうか? 被災・避難者の沈着振りが、想像を超えた出来事に直面したものの、異常な心理にもおもえてくる。

* 陸前高田市から、東北道にのって車で8時間ほどで東京中野区は上高田まで帰ってきてしまう。いま団地の6階から雨のふる窓外をみても、すぐ向こうにある気がしてしまう。往きも帰りも、ほとんどまともに寝ずに、慣れない真夜中の運転だったので、なおさら夢見心地で、現実感がない。ここでもあすこでも。しかし、被災地の人たちは、東京が遠く感じられることだろう。われわれはここを、身近な感じにさせられることができるだろうか? そのように、生きているだろうか? 3月20日すぎには現場にカレーをもって、単独駆けつけたというパキスタン人たちの、他人事とは感じない能力と実践を、私たちはもっているだろうか? また、普段の仕事も休まずボランティアにくりだす日本人スタッフの人たち。なお怪我が完治していないこともあるが、朝帰りを見込んでさっそくまえもって仕事をさぼる段取りの私には、真似できないことである。だけれども、一生懸命ついていこう、身を寄り添うように生きていこうとするのが、この自然に生かされている人間の務めなのだろうと、考えている。

2011年6月9日木曜日

混沌のなかの整理

「ナショナルな諸部門を崩壊の危機から救うために、消費者が、程度の差はあれ「汚染された」食品を消費することを強いられる場合、まったく反対に、消費者という眠れる巨人の力が見出され、試されることになるかもしれない。日本を世界に対して開くこと――新たな日本のコスモポリタニズム――によって、罹災した危機に陥った日本にとってむしろ望ましい、危機を脱する道が拓かれるのかもしれない。政治構造と政治活動がコスモポリタンになれば、ナショナルな利害の促進もそれだけ効果をあげ、グローバルな時代における日本の重要性もますます高まるだろう。/そう考えるならば、日本の社会・経済・政治を根底から揺るがす大事故も、日本が世界に開かれるチャンスに変わるかもしれない。」(ウルリッヒ・ベック著「福島、あるいは世界リスク社会における日本の未来」『世界』7月号)



心身健康であっても、足の怪我で身動きできず、じっとしていなくてはならない不自由さからくる不快な感情はもう脱していいはずなのに、最近はさらに不快が高じて、精神が混沌としている。実家の方で兄と父親で暴力沙汰が高じているだの、保証人をしているペルーの友人のアパートで又貸しがばれそうで立ち退き沙汰になっているだの、足の腫れがなかなかひかないだの、いつ仕事できるのか仕事があるのかだの、知らない間に無意識に考えているのかもしれない。それに世の中の情勢が拍車をかけている、ということか? もういい加減、新聞やテレビ、ネットでの検索閲覧をするのにも鬱に近くなる。不眠も発生する。なんでこうなるのか、自分でもわからない。心身の暴走がはじまったのか?……だから、ちょっと整理してみる。

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まさか、東電の工程表を信じてる人がいたとは。しかも、それが総理大臣だったとは……あれは、何かだせといわれ、ださなくてはならないから何かだした、という代物ではなかったのだろうか? 工程表どおり来年1月に冷温停止になるまで責任を投げない、常識で判断する……と総理は言うのだが。

――素人疑問――

1)水の循環構造とは可能なのか?……ビデオ・ニュースでも、宮台氏と小出氏との間で理解の行き違いがあった。東電の説明をとりあえず理解する宮台氏に対し、それが理解できない小出氏、という構図で。私の理解では、どちらも正しい。こういうことだ。――10の冷却水が必要だとして、もし洩れが1だけであるなら、1循環時にまた1だけ水をたしてまわせばいい、それならば、まあ循環している、といえるだろう。だが、5洩れるとしたら? 1循環ごとに5をたしていくとは、いまの垂れ流しとほとんどかわらない、といえるだろう。東電は穴をふさぐ、とかもいっている。すでに水没しており、水をかけつづけなくてはならない、というのに、そんな作業が可能なのか? ぜんぶ穴をみつけられるのか? せっかく作業員が相当な被曝でやったのに、結局はやらなくても同じだった、とならないのか?

2)燃料はどこに、どうなっているのか?……小出氏の推測によれば、おそらく核燃料は圧力釜から垂れ落ちて、格納容器の底で、「あんぱん」みたいになっているだろうという。だとしたら、いくら水をかけても、冷やしきらない、のではないか? 絨毯みたいにひらべったくなっているのなら、薄いので冷えそうだが。でかいあんぱん状態では、表面だけが冷えて皮のようになるけれど、中はいつまでも溶岩状態のままにおわるのではないか? さらに、福島の原子炉を設計した人たちの対談などを読むと、圧力容器よりも格納容器の方が温度が高い気配があることから、水が燃料を素通りしてどこかにいって、いまもって再臨界状態なのではないか、と推定したりしている。放射能測定器を個人で購入して測定しはじめた友人の考察でも、宇都宮での放射能数値を時間単位で吟味してみると、ふわっとあがる時間帯があったりするので、まだ再臨界がおわっていないのではないか、と推察しているが、あながち間違いでないのかもしれない。だとしたら、これはチャイナ・シンドロームが進行中ということだ。

3)水でいいのか?……3月の末時点で、ISEPの飯田氏は、水では汚染水が増えるだけでむり、石棺するにも崩壊熱が高すぎるので、生コンでも無理だろう、だから、それにかわるスライム状の何かを新開発しなくてはならない、といっていた。というか、ゴルバチョフの回想録を読むと、生コンでやる、ということ自体がアイデアであったらしい。しかも、最初の投入が失敗し、大爆発を起こした、のだと。そしておそらく、そのチェルノブイリの現場に立ち会った学者とヨーロッパで話しあってきた飯田氏の話しをも勘案すれば、ゆえに、次のときは生コンの流し方を工夫して石棺に成功した、ということになる。そしてそのために、現場の近くに似たような状況を作って実験し、それで確認してから実行にうつした、というのである。ならば、もし、生コンにかわるスライム状の何かが開発されても、そのときは失敗してまた爆発する、というリスクをかける、ということを意味してこないか? このままダラダラと放射能を永久に垂れ流していることを選択することは、日本全土で生物が暮らせる環境ではなくなっていく、ことを選んでいるのに等しい。飯田氏は、最近出版の岩波ブックレット『今こそ、エネルギーシフト』のなかでも、循環構造とかよりも封じ込めることに政策を移すべき、そのためにも、メルトダウンを実験して制御ソフトプログラムを作ったりした世界の英知を結集してことにあたるべきだ、と提案しているが、その際にはまた爆発する、というリスクを自覚してやる、ということになるのか? とすると、爆風は同心円的だろうから、〇〇km圏内は再度の避難、とか前もってやらなくてはならなくなるが、そんな時期遅れにだされる避難指示を政府がだせるのか? だまってこそこそやることになるのか?

4)世論調査では、3月末ごろで原発賛成6vs反対4ぐらい、4月末で賛成5vs反対5、5月末で賛成4vs反対6、とおおまかに推移している。これはやはり世論操作とかいうよりも、わかりやすい動向にみえる。当初は、震災避難民も、原発事故避難民も、とくには関西・九州方面のひとは区別できなかっただろう。4月になって、なんとなくその区別ができるようになる。5月になると、「えっ、家があるのに帰れなくなるの? あんな宇宙服きて一度かえっておわりなの?」と、その事故後の状況がテレビで繰り返し放映されるようになったので、ならいやだな、となったんではないか、と私は考える。ということはならば、増えた2割の浮動層は、状況によっていつでも賛成にも反対にもなると考えておいたほうがいいのではないか、とおもう。しかも、この割合自体は、たぶん固定的だ。比喩でいえば、反対のデモにまで参加するのはおそらく全国で数万人、これは、大江健三郎の本が売れるような数。そういった層。その周辺に、デモに参加したり大江氏の著作自体は読まないけれどなんとなく良識をもっている知的大衆層。その他の人は、選挙の浮動票と同じで、だいぶかわるとおもう。青森県の原発ある市町村の選挙では、原発維持賛成派の市長が当選した。新聞報道からみるかぎりだけど、その結果ではなく、その中身はまあいいのではないか、と私はおもう。むしろ、単なる反射的反発での反対派の候補が当選しても、市民を説得できるとはおもわない。賛成し推進してきた者だからこそ、原発を止めることができるのではないか、という可能性と説得性を残した選挙内容だったようだから。だから、国がとめるといえば、推進市長は止めるよう住民利害を説得する。ただ、現政府の方針が、これまでの原発推進の方針を堅持する、となったので、このまま本当に推移していくのか? 中間市町村が自己決定できるような問題でもないので、国の方針を変えられるのは、政治家の意志と、国民の声ということになる。世論がこのまま原発反対のウェイトでいくだろうか?

5)マスメディアのなかでは、今回の震災が日本経済に壊滅的な打撃をあたえるようなことはない、というふうにみえる。どこの国際機関か忘れたが、日本のGDP成長率は、今年は0.1%くらいになるが、少しづつ回復していくだろうとみているようだ。ただちょっと専門的な雑誌などにあたってみるとシビアになってくるようだ。近い将来の経済動向の正鵠さを求めるのは無理があるのだろうし、私にはわからないが、4)との関連で、こんなことを考える。「自然エネルギー」の方策は、経済状況いかんによっては、右翼的な反動と合致、混同されてくるのではないか?……「ぜいたくは敵だ!」、「食べられません勝つまでは」、だったか、そんな国民を一丸とさせる戦時中の標語は、震災後の、日本人はひとつに、の世論基調と重なってみえてきてしまう。原発を推進しようにも、金がかかってできない、そんな経済状況でもなくなった、とわかれば、日本人はひとつに、の合言葉にのっかって、エネルギー転換の政策がなされ、経済政策の不手際を、戦時中的な国民操作でごまかし推進させられる、ことも考えられるのではないだろうか? その場合、反原発の世論が高いからといって、市民社会的な自治・自発性が是とされているわけではない。飯田氏には、そうにはならないようにエネルギー政策を転換したい、という意図もあるようだが、政治経済の状況によっては、だいぶこんがらがった事態にもなるのではないだろうか? 自民、民主の大連立の話しは下火になってきたようだが、世論もひとつ、政治もひとつ、となると、まさにファシズムではないか、とおもえてしまう。といっても、被災地の瓦礫の処理さえ国家の発動で処理できずに夏をむかえようとしている今をおもうと、なかなか負けを認めずずるずる何もしない現状をひきのばしている菅総理は、東条英機にみえてきてしまうのだが。早くしないと、大空襲が、原発投下が、と同様、熱中症どころか感染病が被災地で蔓延し、後手後手対策の果てに原発がまたドカン……とならなければいいが。3月末の時点で、佐藤優氏なども、東電の技術者の自負心を傷つけないように、べっこに対策チームを作ってやるのが危機対策の基本だ、と言っていたのだが、まるきり懲りないように東電まかせ、その工程表も信じている、ときている。では、そうならないと、またヒステリックに怒って責任を他人転嫁、とすまそうというのだろうか?


*とにかくも、グローバルな文脈で、世界を相手に大博打を打てる政治家なり、日本世論の動きがでてこないと、これまで自然災害後にみせてきた日本史的な「世直し」を、歴史の気運を、伝統を反復できず、平常どおりのずるずるさでいくところまでいってしまうような気がする。私が憂鬱なのも、そんな気運のためだろうか? この気運を、気勢をかえていくには、どうしたらいいだろうか?

2011年6月2日木曜日

希望を、筋道をつけてゆける混沌を

「……ペレストロイカ停滞の原因がとりあげられ、問題は改革の道にダムのように立ちふさがっている巨大な党・国家機関にあることが確認された。…(略)…ところがその二日後にわれわれは恐ろしい試練に見舞われ、すべての構想は長期にわたり舞台裏へ押しやられてしまった。/チェルノブイリ原子力発電所の事故は、わが国の技術が老朽化してしまったばかりか、従来のシステムがその可能性を使い尽してしまったことをまざまざと見せつける恐ろしい証明であった。それと同時に、これが歴史の皮肉か、それは途方もない重さでわれわれが始めた改革にはねかえり、文字通り国を軌道からはじき出してしまったのである。/今はわれわれは、この悲劇がどれほどの大きな規模と広がりをもち、健康と家を失った人々のためにさらにどれほどのことをしてやらねばならぬかを知っている。この災厄とその後遺症が、私のソ連大統領在任の最後の日まで、そしてその後も私のどれほどの心労の因となったことか。」(『ゴルバチョフ回想録』ミハイル・ゴルバチョフ著 新潮社)


まだ骨折したカカトの腫れがひかず、リハビリで筋力増加に励み、家にこもっては読書をしている間に、仕事上の公共仕事としては、3月の年度末がすぎ、5月の入札時期が始まっている。怪我の経過報告がてら元請けの情勢を社長の息子にきいてみると、これまでとれていた仕事がとれず、というか、これまでの通例の管理作業が発注されていないようだ、というのが先月末の返事だった。私の推論では、東京23特区では、震災被害自治体に10億円の協力支援も決めているし、去年の実績で申告した税額が本年度に本当に企業から支払われるのか、その様子をうかがっているのではないか……という感じを、ちょうど今さっき電話をくれた社長にももらしてみると、よくわからないが、とにかく業界では激震が走っている、という。地震や原発事故があろうがなかろうがやってくることが、それを契機に、予定より早くやってきた、ということなのだろう。つまりそれはあくまで、惰性の果て、というよりは、転機として出現してくれた、ということだ。これは天啓なのだ、と私は考える。だから、その天啓的な転機を、あくまで惰性的なシステム体制の延命の方向で支持してはならない、というのが私の立場、になるだろう。そこから、いま、テレビでの国会中継を見ている。自民党の政治家の話しが、うるさい。


佐藤優氏のたとえでいうならば、すでに政治(経済)的な「メルトダウン」がはじまりだしたのだ。それを認めない、ということは、東電的な事態である。今朝の新聞(今は朝日を購読している…)では、不信任案可決なら衆院解散、と前回の民主党内選挙の、菅vs小沢の時と同じように、その一面を読んだなら、態度曖昧な議員には脅しとなるような紙面構成になっている。社会面でも、「復興遅れるばかり」「政争にあけくれないで」「今は選挙どころではない」――という世論の声が見出し紹介されている。たしかに庶民の感想は、そういうものに近いのだろう、とおもう。小沢氏自身は、先月のウォールストリート・ジャーナルへのインタビューでも、危機になると「みんなで仲良く」というのが日本人だが、それは間違っている、と認識表明しているのだから、現状世論と闘うことを宣言している、と言える。だから、その危機を、どのくらいの深刻さで認識しているのか、が実践的な行動への出発点になる、ということだ。


くり返していえば、私はすでに「メルトダウン」ははじまっているのだとおもう。しかしまだ、釜の底が抜けて爆発するという、チャイナ・シンドロームが起きているわけではない。しかし、一刻を争う、ということだ。危険を犯してでも手を打たなければならない。いまの官邸は、東電相手、という狭い領域では筋を通しているようにみえるが、大きくいえば、自民党時代に敷かれた官僚の路線を引き受けていく方向だ。つまり、平常どおり、なのである。これは、あの原発現場では安全などありえない、という現実を引き受けて作業をしているのに、厚労省が「安全管理」の徹底を要請する、などという、工事現場での役人態度を頑なに反復することしかできない、のと同じだ(官僚にはそれくらいしかできない、ということだ)。それが無理なほど深刻だから被曝しているのに、その現実を無視して表向きの体裁、官僚としての国民向け立場保身しか打ち出せていない。だから現場では、すでに法的庇護を超えている作業をしているのに、そのことが是正という建前で隠蔽され、裏で抑圧された形で強行させられるのである。作業員は、二重拘束的な分裂状態に苦しむだろう。これは非常時なのだ、注意して作業をしても、法的以上の被曝をして健康を壊すかもしれない、その時はその労働者と家族の保証はするから頑張ってくれ、労働体制も非常体制でくみ支援強化するから、とリスクを負って官邸中枢が言えない、言ってやらない。平常運営でしかないエリート官僚(東電)体制だから、作業員も半端なことしかできないのだ。それがダラダラきて、転機への芽が、決死の意志がなえ、だから役人同様、小さなエゴからの、ごまかし作業が横行するだろう。


もし、あのチェルノブイリ後の政治状況のなかで、ゴルバチョフ改革派ではなく、共産党国家機関が主導権を握りつづけたらどうなっただろうか? 官僚国家の意志とは、増税と統制である。旧ソ連ではともかく、ペレストロイカという、一国の内政を超えた世界規模での道筋をつけた。たとえその後の経過で、民間(マフィア)上の混沌がやってきても、その道筋がロシア人魂として一貫していくことができたようにみえる。つまり、文化精神的な意味での、アイデンティティーも保たれた。ではいまのこの日本では? とりあえず自民党提出の不信任案が可決されようとされまいと、政治家の意志の足並み乱れは、官僚が体現してしまう国家意志を利するだろう、というような状況だ。投票の結果、というより、その結果の度合い、の中において、どちらの方向に転ぶのかの予想がみえてくるのではないか、と思うのだが……まだ抗辯がおわらない。ながい話しだ。結果をみてから、次の行を書こうとしているのだが……。


いま採決がおわった。私の見たところでは、官僚に<代行>される国家意志へ動く方向へ舵がきられた、とおもう。欠席・棄権が小沢氏本人くらいなら、まだ民主党内に国民を<代表>する政治家意志がだいぶ残るので、両義性を孕んだままで推移することになったのだろうが、彼等30名ほどの政治家が除名されるとなれば、政治情勢はなおさら混沌としてくる。可決されて解散が回避され内閣が政治意志の方向で改造されるか、圧倒的に否決されて民主が一丸的になるのがいい方向性かな、と思っていたのだが……。くり返すが、官僚の国家意志とは、増税と統制である。原発事故のどさくさにまぎれて、ネット規正法のようなものが成立されたことをおもえばよい。そして今回の場合、外交的な敗北である。先月末ころ、朝日新聞だけが一面で、「海外賠償巨額か」と報道していたが、読んでみると、アメリカの原発保険に入ろう、という話しなのだ。つまり、毎年も保険をはらい、ということはソ連が拒否した海外賠償も支払って、さらに廃炉作業でも金をとられる、というか、貢ぐわけだ。そのための増税路線なのだから。ずるずる、というより、みるみる経済的にゆきずまって、国民大衆が米騒動的な騒ぎをおこす場合もでてくるかもしれないが、もちろんそのときは手遅れである。もちろんそれは革命(変革)でもなんでもない。それができなかったことへの回復不可能な取り返しの試みである。そんな騒ぎ=爆発が起きるまえに、事態を深刻に認識し、まだ目に見えてこない段階で危険をおかし、手を打っておけばよかった、という話しなのだが…。


フクシマ以後の日本において、混沌は避けてとおれない。しかしだからこそ、希望のある、筋道のある混沌を作らなければならない。その希望、筋道とは、世界へむけての道理である。地球規模での論理なのだ。そういう物語=文脈、世界への説得力をもってこの日本の事故を開くこと。光の見えない混沌はわれわれを絶望させるだろう。今日の政治的結果が、危機への対処を一手遅らせたことは確かになってくるだろう。現場の作業員は、なおさらずるずると意味もつかめない作業を、「安全」にという標語のもとに、一層の被曝を蓄積させながら、だらだらとやりつづけなくてはならないだろう。(そうしているうちに、また貯蔵プールの方が爆発する、ということも十分ありえる話しだとおもうのだが……。)