2008年8月26日火曜日

日本プロ野球と中国オリンピック


「封建的」と「アジア的」という対概念をなすこれらの言葉は、マルクス主義の歴史理論において世界認識を左右してしまうほどのきわめて大きな意味合いを持っているにもかかわらず、そのような問題意識はいまだに一般的なものとなってはいない。ここで「封建制」=前近代とされる図式は、いうまでもなくスターリンによる史的唯物論のいわゆる「五段階発展説」からアジア的生産様式が排除されたことに由来しており、いいかえればその悪しきスターリニズムの影響力は、今日の世界でもなお深く影を落としているといわざるを得ない。本来的にはこの「封建制」こそが、商業ギルドや職人団体などの独立した「政治的市民共同体」を自由都市において育み、その結果としてトータルな西欧近代市民社会を開花させることとなったにもかかわらず、正統派マルクス主義はそれとはまったく逆に、「封建制」を前近代と見なし、例えば本来「アジア的」社会であるはずのロシアも中国も、この「封建制」のカテゴリーで理解してきたのである。この問題性についての最近の論考としては、柄谷行人の「革命と反復:第三章 封建的とアジア的と」……(石井知章著『K・Aウィットフォーゲルの東洋的社会論』社会評論者)

中国でのオリンピックで惨敗してきた日本代表の主将宮本選手は、韓国戦での最後の球を韓国人右翼手が倒れるようにして捕球した様をみて、「思い」の強さが違った、と涙まじりに告白していた。技術的に日本の選手が劣るということはないのだから、精神面が反省の対象とされてくる、のだろう。というか、私は要は、やる気がおきなかっただろうとおもう。無理やりモチベーションをあげようとしたが、どうも無理だった、ということだ。そしてそれは、プロとして、あるいは人並みなプロとして、当たり前なのではなかろうか? アメリカでのメジャー選手がこないのはむろん、そこに仕事をしにいっている日本選手も同様、仕事を休んでまでお国のために時間を犠牲にすることが、どれだけ自分をして失業の憂き目を惹起させてくるのか……いまや日本のプロ野球選手はそうした世界市場的な競争の中に放り込まれているのだ。サッカーのワールドカップでさえ、もはや国別対抗の大会には意義が薄れ、選手も乗り気にならなくなっているというのに。当初は辞退していたジダンはどうしてもとフランスに呼ばれ、あげくフィールド上でおまえのアルジェリアの姉ちゃんは売春婦だろうとか言われて退場のはめになる。なんで、自分の仲間(移民)たちを抑圧排除しようとする国家のために働かなくてはならないのだろう? 韓国人選手は、オリンピックで金メダルをとれば徴兵制が免除されるから動機の強さが違うのだというが、そもそも、オリンピックに誘致されること自体が徴兵制なのだ。それは、自分の仕事を台無しにする、そういう現実的な情勢の中に各個人が放り投げられているのが歴史の先端なのだ。いつから、いやどうしてアマチュアの大会に日本のプロ野球選手が全面的に協力させられるようになったのだろう? おそらくは、官僚的になった2流の元選手たちが暗躍しはじめたのだろう。東京にオリンピックをもう一度などと、先端の切っ先が見えないお偉いご老人方が線香花火を打ち上げようとする政治的動きと連動して。私は、オリンピック帰りの野球選手には、負けを恥に変えようとする国民世論に対し、もっと常識的に憤ってほしいとおもう。泣いているほうが恥である(「世間に申し訳ない」、ということか?)。自分が仕えているのは誰=何なのか、はっきりとした自覚をもっていれば、こんな転倒した事態は生じない。公共工事だからといって、素直に赤字を引き受けて受注する会社があるだろうか? そのことが会社の体力を奪ってしまうとわかっているのに。……しかしオリンピックの成功に必死な中国ではどうだろう? (近代)国家としてのまとまりの実現を証してみせなくてはならなかった中国では? 韓国が朴政権下、ソウルから釜山までの高速道路を建設したときには、国のためにとやらされたいくつもの企業が倒産したそうだ。

オリンピック騒ぎあとの雨つづきで仕事を休み、中国関連の映画を二つみてみた。『天安門、恋人たち』と、『いま、ここにある風景』。どちらも相当解釈的な邦題らしく、原題は『頤和園』、『Edward Burtynsky; Manufactured Landscapes』。中国での民主化の動き、と産業化の生態、とでもいおうか。そしておそらく、原題が上のように意訳されていること自体が、根本的なところでわからないから、鑑賞者の日本人にはわからないだろう、と忖度されたからではなかろうか? 前者の映画をみて、いったいなんで「天安門(民主化)」がおき、おこした(参加した)若者たちが何を望んでいたのかは不明のままであるだろう。それは、始め(動機)も終わり(結末)もないような断片の提示であり、断片的な時間(流れ)の羅列である。後者をみて、なんでそこまで大規模的な開発がおこなわれ、世界の(リサイクル)ゴミが山というより山脈として積まれているのかわからない。まさに、「いまここにある」ものとして、理由もなく圧倒されるだけだ。しかし最近、「アジア」観点にかかわるものを読んでいた私には、わかるかも、という期待=読解が想念されてきた。たとえば、前作で、ベルリンにいった天安門参加者の中国の女性は、なんで民主的な友(欧米人との交流)の目前で、突然屋上から飛び降り自殺したのだろう?(そしてこの問いは、どうして中国にとどまった主人公の女性がセックスを安易に繰り返すのだろう、という疑問とパラレルになる。)映画監督自身、あの事件後を生きるあの世代の精神の混乱を描きたかった、というくらいだから、映画自体からは、その動機を推し量ることはできない。そこにあるものとして投げ出されているだけだ。が、そこで私に見えてきたのは、民主的なデモが繰り広げられるベルリンという都市の中で、あの中国の女学生を死へと追いやったものとは、自身に流れる民主の時間と、ヨーロッパに流れる民主の時間との差異のせり上がり、だったのではないか、ということである。ヨーロッパ近代文学的な、といおうか、男との三角関係、などではない、ということは、映画からもはっきり推し量られる。セックスは、個人の自由=欲望を発現させてくれるものではないのだ。同様、中国にとどまった主人公も、個の実現、としてセックスを実践しているわけではない、そのようには全くみえない。ゆえに、全裸のセックス描写が中国では初だとされても、チャタレイ婦人のようなスキャンダラスにはなれない。この映画が中国権力側から問題視され、監督が5年の活動禁止を受けたのは、まさに「天安門」という民主化の題材に触れているからであり、それが、中国の現今の不安定をリアリズム的に露呈させてしまう可能性があるからだろう。そしてそのように、この主人公=女が描写されている、ということなのだ。つまり、本来中国とは、男など何人も受け入れようが揺るがない悠久な女帝の庭=頤和園(…これは清末の西太后の避暑地の庭園のこと)であるはずなのに、もはや揺らいでいる、その帝国としてのバランスを欠いて混乱している、という表明になっているからである。(――西太后の庭園建設=奔放によって清が滅んだともいえるように、今の中国もオリンピックの開催によって云々という寓意もが成立するだろう)。そしてなお推論的にいえば、この映画がその混乱を反映することができたのも、「天安門」事件の主導者ではない一般の者を主人公に据えたからだろう。この事件のとき学生だった私が当時記事とうから受けた印象のひとつは、その指導者の男や女たちは、まるで帝王的な考え方をしているな、というものだった。たしか指導者の女性のひとりは、民主化実現のためのある段階では「血が必要だ」と言っていた(そういうドキュメンタリー映画があったような……)。ベルリンでの女性の自殺は、そんな女帝的強さをもてない末端の中国人女性の内にもある<「民」という観念>と、欧米社会に底流する<「民主」という制度>との葛藤に耐え切れなくなったからではないか、という気がしたのである。

映画の最後、ベルリンで自殺した女性の言葉が紹介される。――「愛するのは自由だが、死はみなに訪れる。光を求めていれば、闇を恐がることはない」。冒頭で引用した著作の次の言葉を対応させてみよう。――「……中国の「民主」とは人民を恐れた専制統治階級が自らの専制統治を擁護するために「与えた」ものであり、こうした「民主」を実行する「開明専制」とはもともと「封建的」(=「アジア的」)意識を構成する一部であるに過ぎないと指摘している。それはウィットフォーゲルの言葉でいえば、人々が権力との闘いの中で勝ち取ったものでなく、専制的支配者から「恩恵」として与えられた「乞食の民主主義(Beggars’Democracy)であることを意味している。こうしたコンテクストでいえば、断固たる反専制の立場が依拠すべき政治的価値が、仮に「自由」であっても「民主」ではないにもかかわらず、劉は専制主義を容易に正当化し得る「民主」の論理に批判の根源的拠りどころを求めてしまったのだといえる。だが、まさにウィットフォーゲルが『東洋的専制主義』の末尾で強調したように、「結局、全体主義的敵との闘いで犠牲を甘受し、予想されるリスクを賭ける意志は、二つの単純な争点――隷属性と自由――の正しい評価にかかっているのである。」

2008年8月14日木曜日

息子とアナーキズムと上州人


「……今日の関東地方の北部の気質と関東地方南部のそれとの間に、かなりちがいがみられる。関東地方南部のそれは、主に江戸時代以降の変化をつうじてつくられたものであり、北部のものがもとの形をうけつぐものであろう。
 つまり、鎌倉武士の気風は、今日の茨城県や群馬県の北部の人びとにうけつがれているのである。関東地方には、広い平野が広がり、今日の平野部には東京を中核とする都市化がすすみつつある。
 都会風の気質をもつ人間が、しだいに古い気質の人間を関東平野から追っていくようにみえる。そして、近代化によりしだいにみられなくなった「上州人」や「水戸っぽ」といった言葉で思い浮かべる骨っぽい人間が本来の関東人なのである。」(武光誠著『県民性の日本地図』文春新書)

やっとお盆休み。休日の第一日目は、息子の一希の自転車の練習。が、補助輪なしではすぐには乗れず、ふらふらして恐いものだから、5分もたたぬうちにふてくされてやる気をなくす。座り込んで動かない。ちょうど新聞で乗れるようになるための練習とかの記事を読んだところで、そこには2・3時間程度の練習でできるようになるとあるし、知り合いの同じ年中組みの子どもなども、「練習して乗れるようになった!」と喜んでいたので、じゃあこの休み中に乗れるようにでもなれば、やたらこの辺では多い坂道を一希をのせてえいやこいやとこぐこともなくなると期待していたのだが……。情けなくて怒り心頭してくるのだが、こちらが自制していても、「おらあノハラ・シンノスケだ!」とかわけのわからぬクレヨンしんちゃんのギャクを真似して反抗するだけなので、怒り爆発するまえにとすぐに打ち切り。で、ならば他人の指導にあずけようと、午後には神宮外苑のサイクリング教室に参加させようと電車でいったのだが、今日は日曜でも祭日でもないのでやっていないのだった。しょうがないので、バッティングセンターで涼んでいると、「パパ打ってみろ」と言う。400円で20球。10球を越えてくると、もう腰がよくまわらなくなる。それでも、もう少しでホームラン、というあたりを3発ははじきだす。ああ疲れた、と休んでいると、「また打ってみて」というので、じゃあこんどは120kmぐらいのスピードにあげて打ってみよ、とやってみたのだが、もう体が動かないのだった。少し休んでから球場を出たところで、今度は自分がやってみたい、と言い出した。せっかく自分からやる気をだしたのだからと、また引き返してチケットを買って、いざ打席に立ってみると、「やらない」と言い出す。恐くなったのだろう。「自分でやるといったことは、やるんだ」と語気を強めても、やだといって外にでていく。しょうがないので自分が打つと、もう腕がまわらないのだった。まわりでは一希の運動能力をほめてくれる人も多いが、初めてのことを率先してやる冒険心と勇気がないから運動部タイプではないだろう、慣れるまでやるには好き嫌いが移り気すぎだし。セミプロぐらいまでの技術を身につけたいなら、もうひたすらボールで遊んでいなくてはならない年齢だ。一番手というより、他人がやっているのをみてからやる二番手、補佐タイプだろう。サッカーでも、フォワードにはなれない、よくて司令塔的なミッドフィルダー。知恵は発達している。幼稚園でも、年長クラスの2階に侵入するのに、のろまの友達を選んで一緒にいって、みつかれば自分はすぐに逃げて他の子がおこられるように仕組むのだそうだ。「かしこい」、ともよく言われるが。……言語能力をふくめて、子どもが先天的に技術を獲得習得していく能力を備えている、といっても、社会で生きるとは、好きな選択だけができるわけではあるまい。自発的にこれをやる、という本能(子ども)的な選択のうちに、何を教えるかが既定された既成の社会を塗り替えていくような批判性(新しい社会)が含まれているとしても、自転車が乗れないのでは、字が読めないのでは、と基礎(義務)的な条件の欠如が生きることを困難(障害)にさせないだろうか? まあ、自転車に乗ることぐらいは、もう少し背が大きくなって力がつけば、いやでも乗れるようになるだろうけど。

<だが最もナイーブな次元のアナーキズム、つまり悪い制度を駆除しさえすれば、組織的な努力なくして善なる人間の性が自動的に民主主義的な社会を創って行くだろうという想定への批判にはなっている。/わたしにとって現代におけるその例はノーム・チョムスキーです。彼にとっては先天的な言語構造の認識が、そのまま彼のアナーキズムを形成しています。つまり先天的、生得的な人間の性がアナーキスト社会を形成していくという考え方です。だから必要なことは、ただ悪い抑圧的制度を廃棄するのみである。わたしはチョムスキーの合衆国分析には、まったく賛成しています。だが、彼の思考にはオルタナティブな組織構築の必要性についての認識が欠落しています。>(「マイケル・ハート「コモン」の革命論に向けて」『VOL 03』以文社)

北海道は洞爺湖で開かれたサミット、先進国家の長たちの会合に反対・抵抗する運動(家)等の理論的支柱ともいえる哲学・思想家のひとりは、その運動紹介の特集雑誌のインタビューで、上のように述べている。私が参加していたNAMという左翼団体も、無組織的なアナーキズムへのマルクス・レーニン主義的な組織的批判、という面(文脈)をもっていたが、その運動の中で目立っていたものの中には、むしろアナーキスト的な面の強い人もおおかったとおもう。しかし思想的にはともかく、私はこの反サミットにつらなる運動を傍観するにつけて、やはりなにかわからなさ、違和感をもつのだった。それは、欧米の運動家たちのそれは、なにか習慣伝統的であるのにたいし、日本のそれは、やはりインテリ的な無理=技巧があるな、という感覚である。サッカーのサポーターにみられる、アウエーというもののあるなし、の違いといおうか。知識教養的にも、向こうの知識人の亡命とは、日本の国内旅行のような地理感覚というし、要はこの地域でやばくなったヤクザ者が他の地域のヤクザ組織に囲われて難を逃れて時をすごす、ようなものだったのではないか、と思えるのである。そうした地域対立と横断のきいた範疇(伝統)の延長上に、現今のアナーキズムな対抗運動ものっかっているような気がするのである。だから、日本でその伝統に落ち着いた運動家形態となると、私にはかつて「大陸浪人」と呼ばれて、アジアの地域を運動的に渡り歩いた人物群=ネットワークに思えるのである。日本にもきた魯迅や孫文といった中国の革命の志士と往来していたような、思想的には右翼系の在り方である。日本ではもうその系譜が具体的に残っているのかしらないが、欧米ではある、ということなのではないかとおもえるのだ。また日本の左翼運動が浮いているようにみえるのもそのためだ、と。ならば、のっかる文脈を大陸浪人のような系譜に移さないかぎり、特集雑誌でも志向提起されたような、より庶民大衆を巻き込んだものにはならず、ただ一部のインテリの嗜好をでないだろう、とおもえるのである。思想内容的だけでみるならば、それでかまわん、ということでいいのかもしれないが。

が、その特殊(文化・地域)的文脈をのぞいても、やはり私にはインタビューを受けた『マルチチュード』の作者の展開には違和感を持つのだった。つまり、「ナイーブ」は、よくないのだろうか? と。私は気質的には、率先しての行動派というよりは風見鶏的であり、単独個人派というよりは組織集団的である。アナーキズムよりマルクシズム、ということになろう。が、むしろそれゆえに、というか、実際アナーキスト的な運動参加者たちをみてきて、むしろその「ナイーブ」さに、右翼系列の権力手先になるようなチンピラ・職人にも相似的にある「白痴」性に、なにか積極的なものを認めるのである(以前のテーマパークでもこの感想にはふれた)。この感覚は経験的な推論であり、直感であって、論理展開されたものではない。最近、サヴァンとかいう、知的障害・自閉性障害とされるものの驚くべき能力のことがクローズアップされたりしているが、その不思議さへの感覚と似ているかもしれない。まわり(社会)のことがみえない遅れたものの純粋さに覗える得体の知れないもの、である。精神障害者の右翼系の私の兄と、左翼系の運動参加者との表情は、薬でぼってりしてきたからか、むろんサヴァン的な特殊能力はないけれど、似ている。ダウン症の人たちの顔がみな似てくるように? かつての学生運動のことについて、博徒系職人が言っていた、「純粋じゃなかったら、説得力ないよ。東大でのやつが打算を抜きでやってるからいんじゃないのか」という第三者的な認識が、私の思考の中では交差する。社会の進歩とは、豊かさ=創造性=多様性のことではないだろうか? 逆に言えば、多様なものを生み出す条件が社会の理念ではないのだろうか? ならば、そこにむけて、どう「彼ら」とつきあう、共存したらいいのだろうか?

……と、そう直観的には思えても、いざ息子の一希と一緒にいると、やはり怒り心頭であり、本当にそんな直感、先天まかせでいいのか、という気がしてくる。そしてこの短気さは、ある面、「上州」という地域性の影響(伝統)を受けているかもしれない。東京から地元に帰って同期会にでもでれば、その言葉が荒いのに気づく。常に喧嘩してるみたいだ。これは関東特有のローム層(赤土)は米作に適していない環境だったので、「誠実で根気づよく義理人情にあつい生活態度が求められ」たからだとされる。――「群馬弁は荒っぽい。それに対応するように群馬県民の気質も荒いが、その素朴さがまわりの者に安心感を与え、人をひきつける。『県民性の日本地図』)」……自然も、社会も厳しい。おそらくは、これからますます。「短気」は一希にも受け継がれているようだが、この継承は、吉とでるのか凶とでるのか?

2008年7月15日火曜日

野球から見る対抗運動の実際

「群馬県は明治以降の殖産興業の発達により、製糸工場など女子の仕事場が多く、女性が一生懸命に働くことで男性的(家庭内でも夫のような)意識を持つようになっていったという歴史がある。それが「しっかりしている」という意味も含めて「カカア天下」となるのだろう。女性が一生懸命に働いてくれると、元来怠け者である男は享楽の道へ走りたくなる。あるいは、一発大稼ぎをしたいという男の勝負欲、ギャンブル欲が刺激されてくるのだ。その結果として、伊勢崎オートや桐生オート、前橋競輪に高崎競馬(ニ○○五年で閉鎖)などの公営ギャンブルが栄えた。/こうした、ギャンブルが発達すると、当然のことながら周囲に歓楽街ができ、娯楽が発達していく。群馬県の男性は、家庭は女房がきっちり守ってくれるし、それでいて男を立ててくれるので、外ではカッコつけて遊ぶことができる。それが、傍らから見ていると気っ風の良さや侠気のようにも映るのだ。国定忠治の大親分も、案外そんなところだったのかもしれない。つまり、女房の手のひらの中で上手に遊ばされているのだが、それを知ってか知らずか、男は粋がっているのである。そして結果として男は自分のやりたいことができるということにつながる。」(手束仁著『「野球」県民性』 祥伝社新書)

データとして過去の記憶が並列されて、いつでも取り出しできるようになっている今では、子どもはネットのYou Tube やレンタルショップのTUTAYAなどから、時系列に関係なく好き勝手な配列で気に入ったものをいつでも見ることができる。だから私の子どものころはじまった戦隊シリーズの「ゴレンジャー」と今の「ゴーオンジャー」を見比べるように見ることになる。またテレビでもリバイバルがさかんなようだから、野球漫画なら、NHKで放映されている現今の「メジャー」と、東京テレビで再放送されている「巨人の星」と「ドカベン」を一緒に見てしまうことになる。一徹が飛馬をビンタしてちゃぶ台をひっくり返していると、「なんでぶってるの?」と子どもはきいてき、殿馬を見ては「これが一番好きだよ」とか言ってくる。「メジャー」は筋として見せる場面が多いからか、まだよく受容できないようでもある。が私は当初、まあ今時ならこんなアメリカ舞台を志向する漫画になるのだろうな、とか思っていたのだが、並列的に見せられていることにより、実はこの作品が日本の正当的な野球漫画の系譜を形作っていることに気づかされたのだった。またそれゆえに、前2作に連なる代表作的な位置を獲得しうる人気漫画になることができているのだろう。
ひとことでこの3作の基本となる共通点をいえば、野球に秀でた主人公が、自ら素人の集団の中へ自己を埋没させたところから、エリート官僚的にシステム化された体制へと反逆的になりあがっていく、ということである。これをサッカー漫画の「キャプテン翼」と比べてみると、後者があまりに素直にサッカーエリートとして、すぐにも泥臭くもないヒーローになりきってしまうのが顕著だ、ということがわかる。むろん、前者といえど、物語的な型としては、勧善懲悪であり、貴種流離譚でもある、とより一般化することはできるだろう。が、そうどこの文化歴史からも取り出してこれる一般的なコードとは別に、そうは典型化しえない特殊文化的な趣味があるゆえに、なお庶民共同体的な人気を博している、ということなのではなかろうか?
たとえば「メジャー」の主人公ゴローは、共同体(日本)からははじきだされてしまう個人主義的な志向が強く、自らそのしがらみ世界を切断して世界へと飛びたつ。が、彼がその世界で演じるのは、勝つことだけ、個人の出世だけが全てではない、という遅れた共同体の価値で押し切ることであるかのようだ。彼はアメリカでも、メジャーリーグというエリート組織へは仮病を使って素直には上らず、万年マイナーな選手たちとともに、まずそこで戦いつづけることを選択している。直球勝負しかないアメリカでの彼は、まるで日本刀という価値を振り回しているようにみえる。逆にそこから、日本で浮いてしまったのが、実はあまりに古典的な共同体の価値にこだわり、それを他人におしつけようとしていたからではないか、とあぶりだされてくる。というか、すでに子どもたちの間で、野球をすることがださい、汗臭い根性は流行らない、と思われている通念世界が舞台に選ばれていたのだった。要はゴローという主人公は、民主主義的というより封建的な、どこか古臭い日本人の美学なるものを体現しているのである。
私は、そこから北野武監督の映画群を思い出す。とくにはその「座頭市」。そこでの悪玉の親分は、実は平身低頭している飲み屋の主人だった、という落ちがある。座頭市自身からしてそうだが、ヒーロー(ボス)は隠れたまんまなのだ。「必殺仕事人」のように。戦うときだけ表にでる。そしてえばらないだけではなく、卑屈な姿のままにとどまるのだ。なにが彼を王(キング)にさせないのか? あるいは死後復活のキリストのような英雄にさせないのか? 出る杭はなぜかくも執拗に打たれていることを選ぶのか? それも陰影礼賛ということなのか? 「腰が低くていんだ」とは、職人を評価する言葉として、世にあるもののようである。

子どもの頃から、日本での野球を続けてきたいまは一児の父親であるものとして、私は子どもに野球をやってほしくない、と思っている。それは端的に、奴隷根性を身につけてほしくないからだ。幼稚園も年長クラスになればグローブをはめてピッチング練習をはじめ、小学三年生にもなれば朝5時半には起床して3キロのランニングに、野球などやったこともない父親が投手のバッティング練習にノックをこなす。「誰でも自分のようになれる、夢を捨てるな」とはイチローの言葉だが、運動神経も突出しているわけでもない自分がそれなりにいけたのは、「習うより慣れろ」ということわざにあるように、野球に必要な条件反射が幼少の頃から徹底されてきたからだろう。イチローの脳みそを科学的に調査してみても、それが生来の天分ではなく、のちに獲得された努力の産物であることがわかるそうだ。しかし問題なのは、その何かを成し遂げるために必要な鍛錬と成し遂げていくことからくる自信(自己了解=安心)を培っていくことの厳しさではなく、そこにまといつく暗黙の文化的な価値なのだ。野球部という伝統組織にある封建的な上下関係の厳格さは、ものも言えない卑屈さを身体化させる。たとえそれを継承して実践(宣伝)していく者たちがレギュラーにもなれない二流の選手たちであるとしても(野球に熱心な正選手は後輩になど興味がない―)、そうした虚偽の構造にこそ歴史(持続)の秘訣のようなものがあるようなのだ。「個を捨てて集団(チームプレー)に徹しろ」とか明確な発言になるものだけでなく、暗黙に強制されてくる保守体制のようなもの、そしてその価値宣伝者は努力も怠る能力主義者で、実は恣意的(いい加減)な個人主義者たちである。つまり、最近事件化されて露呈した教育界の官僚的連中のような。レギュラーになる一流選手は、実は出ても打たれない個の強さをもっている。要は価値と実際が逆転しているイデオロギー事態があるということだ。もちろんこれは、サッカー界にも違った見掛けで発生することだろう。野球部は厳しいから民主的なサッカー部にはいった、という監督が、日本代表チームの決定力のなさを嘆くのは、やはり論理的にはおかしなことではないだろうか? むしろ私はだからこそ、息子にはまだサッカー部のほうを選んで欲しくもあるのだ。試合になど負けてもいいから、個人として卑屈さを身につけるな、毅然とした強さを持って欲しいのである。(野茂をはじめとして、メジャーにいった日本の一流選手たちは、実は野球<部>の封建遺制に負けることのなかった相当な個我の強さの持ち主であり、ゆえに決定(反発)力を知っているのだ。)

『資本論』のマルクスの問題意識のひとつに、個人の伝統的共同体からの「切断」と、現実的な運動実践のためには既存諸関係(共同体)からはじめるという漸進的「持続」、というものがあると思う。この「切断」と「持続」という矛盾が、実際どのように関連されてくるのかを私は知らない。たとえば、職人世界では、親方が直接見れる範囲としての5・6人ほどしか人を雇わない、それ以上会社を大きくしないことが意識化されている。それは資本主義と対応した、人員数の多い官僚組織と対立的である。日本が二次大戦に敗北したのはこの大人数の組織化(責任体制)で失敗したからであり、同時にあれだけしぶとく敗戦を続行できたのも、ゲリラ的に活動しうる少人数世界の伝統的堅固さが保持されていたのがひとつの理由だろう。となればこの両者は対立的ではなく、実際にはつながっている。もともと封建遺制的な個人の卑屈さがあるゆえに、責任をひとつひとつ明確にしていく組織体制の形成ができないのだから。実際現場の職人が親方の言うことを文字通り聞くのは、自分で考えて失敗しておこられるのが恐いからなのである。そして状況の変化(現場)に対応しないで文字通り行おうとして失敗するので、やはり怒られてなおさら萎縮していくのだが、ある意味それが手下としてとどめておく支配の手段なのである。これは俗に言い換えれば、自分の手の内でしか動くことを許さないような母―子の関係的であり、一人立ちできていない子どもの集団である。たしかに、そこにある集団的価値は、たとえば「植木屋革命」とか称して、いわばダスキン方式で仕事を拡げようとしていく資本主義的な路線とは対抗的である。が実際には、対抗にもならない弱者の集団なのだ。

私は父親として、息子にこんな弱者にはなって欲しくないのだ。一度その身に染み付いた価値を払拭するのに、どれだけの年月がかかるか……ほとんど、一生を棒に振るような試練になってしまうのだ。

2008年6月22日日曜日

韓国牛肉騒動から


「彼は移民した直後、この美術館の建設現場で働いた。完成した館内に入ったことがないというので、一緒に出かけたんだ。レンブラントやルーベンスの名画より、壁や床に見入っていた。その姿を見て思った。あの壁が彼の作品なんだ。そして、偉大な画家たちも彼のような職人だったのかもしれないと」(ペドロ・コスタ『コロッサム・ユース』/深津純子記事「陰影で映す移民の街」2008.5月・朝日新聞夕刊)

今年4月にいったソウル市庁前の広場が、米国産牛肉の輸入再開をきっかけにした反体制運動の人波で埋まっている。あのがらんとした芝生の広がりを見てきたばかりなので、何万だか何十万人だかになるデモンストレーションがそこで繰り広げられていること、この夜中にもネット生中継でその現場の様が目撃できることに少なからぬ衝撃を受ける。というか、まずは新聞記事程度のことを読んでも、なんで牛肉のことでそんな騒ぎが起きるのか、私が教養不足の日本人にすぎないからか、まったくわからなかったのだ。「豚肉の焼き肉のほうがおいしいんですよ」と、麻浦区の焼き肉やの若旦那が言っていたのを思い出したりした。日本の吉野屋でも、豚丼を代りにだしていたこともふくめて。そして、子供の頃、母親の倹約で牛肉など食べれなかった私には、そのことで友人たちから冷やかされてもいたから(「おまえはすき焼きで豚なのか!」と笑われた…)、別に牛など輸入されてもなくてもどうでもよく、それゆえ他のお客と同様、冷静に吉野屋の牛丼が復活する日を待っていればよかったのだった。そういう大人しい一般の日本人、というべきかもしれぬ私には、お隣の牛肉騒動なるものを理解するのは難しい――ということなのだろうか? そこで、ネット検索して他の人の意見をちょっとさぐってみた。レイバーネットというニュースサイトの安田さんのまとめでとりあえず納得(http://www.labornetjp.org/news/2008/1212907688368staff01/)。つまり、私は若い人のことが遠くなってしまったおじさんの部類になったのだな、と。

しかし、その韓国での騒動事件そのものとしてではなく、それと関連するかもしれぬほかの記事を同じ時期に読んでいて、ではこれとこれとの関係の問題はどうなっているのかな、という疑問はそのままなのだった。

<肥沃な土地を利用し農業や農作物関連製造業が伝統的な主要産業であるこの州は、1980年代より深甚な経済構造の変化を経験する。農産物関連生産は一部の巨大アグリビジネスに集中し、農業人口は減少する。それに代わって巨大小売チェーンに代表されるサービス業や、低賃金の製造業での仕事が増加する。若者はより大きな機会を求めてシカゴなど大都市に去り、高学歴の若者の流出は「頭脳流出」問題となって地域社会に重くのしかかる。そして社会の活力は失われていく。
ラティーノ移民の増加も、実はそんな経済変化と関係しており、なかでも食肉加工業の存在を抜きには語れない。今日、食肉生産シェアの大部分は一部の巨大アグリビジネスが握っている。それらが所有する工場は典型的に大規模であり、工場内は徹底した流れ作業(解体ライン)が敷かれている。労働組合が往時の影響力を失うさなか、効率重視の生産システムは労働環境や条件の悪化を招く。労働者は鋭利な刃物を用い、間断なく解体ラインを流れる家畜相手に一日中同じ作業を繰り返す。(眞住優助著「食肉産業とラティーノ移民」『Mネット』2008.5月号)>

たしか韓国でも、若い世代の就職難・失業状況から、中産階級の「頭脳流出(アメリカやカナダへの移住)」問題が言われていたはずだ。そしてまた、日本でいう3K労働を外国からの移民労働者に任せていることも。ソウルへ行ったときの旅行案内者は、最近になってようやく少しずつ、職業学校をでて肉体労働をする若い人たちがでてきたとも。両班意識のため、体を使う仕事が忌避されがちだとの通説もある。そういう国内事情と、とりあえずこの牛肉騒動という文脈を通して、そのアメリカの牛肉を南米からの移民労働者たちがさばいている、という構造的連関はどうなっているのだろうか? そして、もしその連関が、デモをしている「ネチズン」とも呼称される若い人たちに意識されている場合、その運動主体の在り方はどういうものとして自己理解されているのだろうか? レイバーネットでの安田氏は、「日本では小泉改革とやらにすっかり丸め込まれてしまった若者たちですが、今回の韓国のような新自由主義政策に対する若者の反発は、すでにフランスなどでも表れている世界的な現象」というが、その「反発」はどこからどこへと向おうとしているのだろうか? その「どこから」は、最近の秋葉原での殺傷事件、派遣の現場・現実から若者が起こしたとも言いうる主体の様と、同根のものなのだろうか? 韓国でのソウル市庁前でのデモの要領が安田氏が洞察する「徴兵制」の逆産物のおかげで、日本では運動部的な集団儀礼の契機もなく「まったり」人生の通過ゆえに「どこへ」とはシステム化されえてない、ということなのだろうか?

で、そうした一般的、あるいは他人事的な外からの問いと事柄が、私の現場で、その身の回りで、どのように内側につながってくるのだろうか? いるのだろうか? というか、正確には、この自分の身の回りがあるから、世界の問題がわからなくなったり考えてみなくてはならなくなったりするのかもしれないけれど……。私の現場とは、「木を見て森をみず」の職人の現場であり、身の回りとは、そこを含めた草野球の人間関係である。最近は若い人の参加が増えて、『ごくせん』とかのテレビドラマ出演者もいる。一昨日のナイター戦では、2点タイムリーの逆転さよならツーベースを打って、これで当分、若者に「オヤジ」扱いされないだろうと胸をなでおろしている。

2008年5月13日火曜日

造園家(職人)の戦争責任と夢


「近代日本の造園界にとって、大東亜戦争とは何だったのであろうか。それはつまり具体的に換言すれば、昭和初期・戦時下での日本造園界における具体的な活動や言説が、時代状況と如何に関わり、そしてどのような内容を含んでいたのか。あるいは戦時下の造園界が、その前後の歴史的展開(明治・大正と戦後)のなかで、どのように位置づけられるのであろうか。さらに現代から見て、如何なる評価や批判が可能だろうか。…(略)…さて、昭和初期・戦時下での造園界を取り上げた研究そのものが、管見のところ、これまで殆ど皆無であったとは言え、学術研究の対象として注目に値しないものでは決してない。いやむしろ既に国内外では、建築や絵画、音楽、映画、文学などの諸芸術分野において、戦争遂行に何らかの役割や歴史的意味の実態解明が進められている現在、冒頭で提示した問題視座から近代日本造園史へ本格的なアプローチを新たに挑むのも有効ではなかろうか。」(市川秀和著「戦時体制下の造園思潮と田村剛の「国民庭園」提唱――近代日本の造園界にとって大東亜戦争とは何だったのか――」・「日本庭園学会誌」2005.12月No.13)

造園家の戦争責任、とかいう話はきいたことがない。そこに積極的に関与し、いまなお『庭』などといった雑誌を刊行している者たちが、公の場でどう内省(自己批判)的に発言してきたのかしていないのかも、私にはわからない。上に引用したほんの数年前の研究誌上からは、他分野では問われてきたことが、造園界ではだんまりを決め込んできたのではないかと疑われる。おそらく、だからなお日本庭園なるイメージが真面目顔で作られてもいるのではないかと、ちょうどゴールデンウィークに帰省した県下で「全国都市緑化」フェアを開催していたので、そこに展示し並べられた造園会社作庭の庭々をみるにつけてもおもってしまうのだった。一度実家の庭を造ってもらおうと、母親が近所の造園屋さんに意見をきいてみたというので、その中央にマキだかマツを植えて云々の話を伝えきかされたただけでも、「ああやめたほうがいいよ。自分がそこらで採ってきた草や安い苗木を勝手に植えてたほうがいいよ。」と、辟易して即座に助言したものである。これが日本の庭だ! というような庭に、いまほんとに心が動かされるとは思われな。私が一目置き知的な興味を覚えるのは、日本の(和風)とされるそのイメージにではなく、それを分解していくような個々の技術であり、それを支えてきた職人階層的な生活世界である。よく庭師とされるような作庭家や研究者、あるいは趣味人は、職人をして「木を見て森を見ず」と、おそらく一緒に彼らと庭園めぐりなどをして細部にばかり目がいってしまうのに出くわしてそう評しもするようだが、その森とやらが相変わらずの日本イデオロギー(物語)だったとしたら、わざわざ見てもしょうがないのではないか? むしろ、そんなお偉い話などにはへいこらするしか知らないような、偏屈なまでにも技術を反復しようとする雇われ職人の愚直さのほうが、そんな森には収まりきれない<夢>を見ているような気がする。だから私には、みちびき手(教育者=媒介者)がうまければの話だが、商売を成立させてきた親方たち(庭師)よりも、言われてきたことをひたすらこなしてきた職人さんのほうに庭を作らしたほうが面白いものができるのではないかと想像するのだ。
ちなみに、私が想起するそんな類の職人さんは、仕事では道具の整理や洗い作業など厳しいが、いざ自分の家や部屋となると、とてつもなく汚い。1970年ぐらいまでの「われらが青春」のノリといおうか、終戦直後に坂口安吾が『白痴』などで描いた、人間と動物が平等に同居しているような裸の現実、といおうか。とにかく、まだ洗っていない食器の山や脱ぎっぱなしの衣類と家財道具の隙間をみつけて、猫と亀と娘と女房が棲息している、という感じだ。そういうところへ、まったく遠慮なく無造作に寄ってけと歓待されても、慣れてなければ足の踏み場をみつけるのにも時間がかかる。どこか、ある種のホームレスの人たちの家に似ている。整理することが精神的にできないゴミのため癖をもつ病気に近い人のような。しかしこの無秩序さの「残存」――というのは、私には、敗戦の隔世的な後遺症、と見えるからだが――には、父親世代が当事者ゆえに逃げてきた責任への無意識的な直面と、それを解決していこうとする息子世代の葛藤が、夢として、ユートピアとして形象されているような気もするのである。いわば、一種のユーフォリア(多幸症)。つまりこれこそが、庭(園)なのではないだろうか? 美しい日本の森(庭)を作ってきた木々の一本一本が見ている夢。酔っ払ってそよいでいる夢。夜半に帰った家の中でまどろむホームレスの心地よさ。この無意識の露呈、その形象化は、美しさとは対極にある異様なものにならないだろうか?
孫世代にあたる私には、なお貧しさの記憶が幼児体験として残っているとしても、すでにプチブル意識であり、前世代までに様式的に復興された家=庭のドアを開けただけで、その内側の荒廃した混沌に、臭いに、嘔吐感、拒絶反応を起こしてしまう。たとえ親の責任(たとえば借金)を子が背負うのは法的には根拠がないとしても、またそうは言い切れない内面的関係が連続性を引き受けているとしても、その引き受け方は違うだろう、異様だろう、と思いたくなる。そして知的な認識としてはその思いが正当であるとしても、それが排他性と結びついて展開されるかぎり、自己の合理化にしかならないだろう。身体的に受け付けなくなった非自己なる先行世代とが、不気味なもの=親密なもの、という精神分析が示唆するような内的現実であるかぎり。あの乱雑さ、人間と人間ならざるものとが家に居候する、その平等的なユートピア=庭園の露呈、その臭いにむせて気(記憶)を失うような幸福感は、つまり歴史を忘却へと誘う異臭でもあるだろう。おそらく、その呪縛から逃れることはできない。まだまだ何世代も。ただ少しずつ、私という一本一本の木々が、それに代りうる新しい夢=森を造っていこうとすることだけが、いつかの、あるいはいつの間にかの刷新を準備する、ということなのではなかろうか?

*庭における日本イデオロギーと呼びえるかもしれない言表についての考察に関連して、10年ほどまえに「東と西」というエッセーを書いているので参照させておきます。また、ダンス&パンセのテーマパークにも、「六本木ヒルズvs旧古河庭園」というのも関連するかもしれないので参照リンクしておきます。

2008年5月10日土曜日

韓日間とフリーターのニヒリズム


「韓日間の問題を解決する方式に疑問を感じはじめたのは、ニ○○一年の教科書問題のときからだった。日本の右翼的思考に反対する「良心的」知識人と市民の存在は、わたしにとって日本を信頼しうる根拠ともなってきた。「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書の採択率を最小限度にとどめることで、韓国のナショナリズムを慎めた人々もまた、彼らであったことは忘れられてはならない。しかし、彼らが韓国の市民団体と連帯するなかで、韓国のナショナリズムには目を塞いでいる構造に、わたしは疑問を抱きはじめていた。さらにその連帯の「運動」、すなわち日本の徹底した「謝罪」をうながす行動は、韓国のナショナリズムを拡大するばかりで、問題の解決へと向かうのではなく、いっそうの対立を招いているようにみえた。そうだとしたら、その問題の意味とはなんなのか?」(『和解のために』朴裕河著・佐藤久訳 平凡社)


私の身の回りで、在日朝鮮・韓国の人たちへ抱く日本人のイメージとは、声がでかい、喧嘩腰で話してくる、といった強そうな民族像である。が実際ソウルの街を歩いていると、出会う人々は優しそうというか、むしろ弱々しそうにみえる。「なんでこれで、日本のサッカーは韓国に勝てず、野球もおいあげられているのかな?」、職人のうちでも話題になった。私より年上の職人さんたちは、子供時代や青年時、すぐ近所にまだ朝鮮人の集落があったようだから、日常的に彼らと触れてきたことがあったようだ。確かにスポーツの世界でみられるような、屈強な精神の集団、といった感じはしない。むしろ、韓流の柔らかさわやかな俳優のイメージである。二十年近くまえに私がいったときも、そんな感想だった。が、釜山はちがった。同じ幼稚園に通った子供を通して知り合った麻浦区の焼き肉屋の若旦那とも、そういう違いの話もしたのだった。「釜山のサラリーマンは、日本でいう、なんかヤクザみたいでしたよ。」というと、げらげら笑いながら、私の言葉を韓国語に訳して母親に伝え、奥さんも「漁民だからかもね」と答えたのだった。「スポーツやる人は、南のほうの人なんじゃないですかね? 日本でも、野球が強いのは、関西以南ですよ。」私が風を切って歩くような二十年前の釜山の背広姿の男たちのことを思い出してそういうと、「かもな」と博徒系の職人さんは言う。私は韓国内にいまだ残っているだろう差別構造のことはまったく知らないが、両班とそうでない者、そして昔の高句麗・新羅・百済といった三国構造の名残なのか、いまでも大まかにその三つの地域にわけられるそこに、なお無意識構造的な原動力があるのではないだろうか、とおもう。北から降りてきた支配民族と、南に追いやられ押し込められてきた原住民的な人たちとの対立もあったときく。そしていまでも、南の人は嘘をついて裏切る、とかのイメージで、就職や結婚差別がある、といわれているようだけど。そしてスポーツ・芸能といえば、差別を受ける側でも実力で参入できる世界だろう。

私が、今はそんなものはない、とされているような旧習的な差別・階級的視点にこだわってしまうのは、やはり植木職人という、遅れているというのか、忘れられている、というか、はじめから覚えられていない、というか、そういう職業世界にいるからだろう。たとえ差別というものがなくなった、とされても、そこで生きられる行動様式は、そうはなくならないのではないかと思う、と同時に、そこにある時差(遅れ)は、むしろ世の中を変えていくエネルギーの溜め池のようなものなのではないかと思えるからだ。こんな感想は、むしろ東京というグローバル都市でこそ見える、あるいは残っているという特権からくるのかもしれない。地方の方がむしろ、慣例的な仕事もなくなり、より共同体的な基盤が過激に壊されてきているかもしれないからである。

今月から、雇用保険なるものに入るようになった。税務署から、会社に圧力がかかったのだろう。公共工事に参入するため株式会社の形式にしたのはもう何年も前になるが、いわば従業員(職人)は実質労働的には社員だが、法的実質としては、日雇い形式、しかし自分で青色申告にでもすれば一人親方(自営業)的、にもなりうるような曖昧な存在だった(源泉徴収もされてないということ)。しかし「曖昧」とは、外側にそんな法的整備がなされてきたためにそう「なった」ということで、内側の論理=現実からは、明確な在り方=立場だったのだろうと思う。その名残が、その保険料を全額会社で負担する、という会社(親方)の行動様態に現れている。法的には、何割かは個人負担で給料から天引きされることになる。奥さんは、「経営がやばくなったら負担してもらうかもしれないけどね。」という。厚生年金も、職人側から申し込めばその手続きをとってやるといわれたが、手取りが減るので誰も申し込んでいない。とにかくも、法など無視している。がそれは、派遣会社の経営陣がとるような資本主義行動なのではなく、労働者との人格的関係からくる。その関係を阻害してくるような外的な規制がわずらわしいのだ。だから、人格(関係)を引き裂く(区別する)ような手続き(手間)を、ばっとさばく(はぶく)という身体的な合理性のほうを選択するのである。それが、区別なく全部払ってやる、という内側には一体感的な、外側には喧嘩腰ともいえる対応になるのだ。これは人を雇い入れるときのことでも覗える。もちろん、広告をだしたりといったことはせず、知り合い、地域づて、あるいは私のような飛び込みで人が時折くるのだが、入るときの条件などないのではなかろうか? 私などからすれば、この人じゃ無理だろう、というような人までが仕事をしにやってくる。が、仕事に入るのはいいが、その労働(当初はさばいた枝の束の運びになるわけだが―)がきつい、とかいうよりも、その人間関係に入るのが難しい、のではないかとおもう。バイト派遣ではいる現場仕事なら孤立していても時間はすぎるが、人格関係のあるところでは、それはきつくなるだろう。たとえば私は、一日に百回くらい「おまえはバカだ」と言われていたのではないかとおもう。ならいったいなんで人を雇ったんだ、という思いが強くなる。しかしそこに法的形式ではなく、人格関係が前提されている、ということは、なにかあるたびごとに、その人間関係が更新されていく、ということなのである。要は、自分が悪いとわかると、反省的な関係が再構築されようとするのである。それは時間のかかること、やめないで持続していくことだけで在りうるような関係である。

しかし私がこんなことを思うのは、私がよそ者としてそこに入り、長らく居続けているという特殊性からくる個人的見解なのかもしれない。私の我慢強さ――それは野球部という軍人的体系を体験してきたこと――や、優しさとみえてくるかもしれない、微動だにしないニヒリズムは、情動の激しい人たちを慎める試金石というか、心のバランスをとる羅針盤のような役割を果たしてきたようにもみえるからである。要は、やりすぎてしまった、とおもわせる……。しかしそのニヒリズムは、たとえば大学を卒業しても就職せず週に3日ほどのアルイバイトで凌ぐことで歳を過ごしていた行動様式は、まずは運動部=軍人社会(中学時代からの野球部の……)から戦後の民主主義社会(旧制中学系の進学高校にみられる左翼的な……)への、「一身にして二世を経る」ような自己挫折を通した内省からきているのだ。よって大学を出ても会社に入らないとのフリーター的選択は、バブル期にいわれた企業戦士にならないこと、つまりは明確な徴兵拒否だったのである。ならばこのニヒリズムは、韓日間にみられる情動的な関係(職人の間にぽかんと置かれたノンポリインテリな……)においても、羅針盤として機能する動かぬ試金石にもなりうるのではかろうか? トラウマを癒すのではなく、その方法的自覚とは、平和主義的な思想にもなりうるのではなかろうか?

2008年4月20日日曜日

植木職人ら9人、ソウルへ2泊3日(3)


板門店へのツアーは休みとのことだったので、職人ら5人で統一展望台へ。写真はそこからみた北朝鮮の眺め。左側が韓国の漢江、右側が北朝鮮の仁川となってその合流先が海、ということらしい。北朝鮮側の山は燃料なり防衛上の観点から禿山となっている。
われわれ5人を運んだワゴン車や展望台では、添乗員役の韓国男性がいろいろガイドしてくれた。国境までの道路や橋がどのように軍事防衛用に設計されているか、とかなのだが、その基調には、貧しく情報に欠乏した北の庶民は少数の権力者に洗脳された被害者である、というものがある。「麻原とその信者たちみたいなものなのですよ」ともたとえて。父親が歌舞伎町のヤクザ者であった息子が、「そうだよ!」というので、「だけど、その信者が人を殺したでしょ?」と私は問うてみる。なにせその車に乗り込んでいる他の男たちの父親も、博徒であったり、満州でサーベルを腰に乗馬していたものだったりしたのである。「お父さん(兵士=被害者)を家で尊敬してましたか?」ときけば、おそらくニヤニヤ笑いながら、そんなわけねえだろ、と答えが帰ってきそうな感じである。だいたい、ほとんど家によりついていなかったということだし。麻原(=天皇)は自身の手で人を殺してないが、信者(=庶民)は自身の手で殺した、前者は、その命令を下すシステムにおいて責任をとりうる形式をもちうるだろう、が、後者は、取替えしのつかないことを犯すのである。しかしそれゆえに、洗脳のシステムに入信しきってしまうともおもわれない。具体的な返り血が、目を覚まさせるだろう。やってしまったならば、もはや責任などとりようがないのだ。逸脱した自己を持ちこたえさせる作法として、その散逸に溺れていく、ということになるのかもしれない。その息子たちが、父親世代から酒の席などできかされてきたのは、人殺しの自慢=快楽話のようであり、ゆえに、なんて悪い親世代=日本人なんだと反面教師的に考えてきているらしいからである。しかしまたその加害の近さゆえに、「被害者」という免罪の言葉に颯爽と飛びつきやすくなる、のではないかと私には思われる。そしてそういう飛びつきやすい人ほど、私にいわせれば、韓国(人)側の洗脳教育にはまっていきやすくなる、ように覗えた。たとえばガイドは、北側の貧しさを、展示品とともに説明してくる。こんなに狭い一部屋に住んでいるのだと。しかし学生時代から10年以上、風呂もトイレもない六畳一間、ウサギ小屋と世評されてきたアパートの一室で過ごしてきた私には、俺よりもいい家じゃん、とか思ってしまう。いやいくら東京の新宿を住みかにしてきた人たちといえど、やはり子供の頃のその職人階層の居住条件として、北朝鮮側と似たような貧しさを体験してきているはずなのだ。私にはそんな説教を韓国人ガイドからされても、日本には高度成長をへて、たくさんキム・ジョンイルがでてきただけのようにしかうつらない。Japan as No.1、もはや世界から学ぶべきことはなにもない、これからは欧米が日本から学ぶべきなのだ! という偉そうな言葉を、私(たち)はウサギ小屋できいていたのである。そしていま、給食費の払えない子供は学校の食膳から追い出されはじめている、どうして、北朝鮮の体制をばかにできるのだろう? 少なくとも、彼らは、自分たちが世界で一番などと現実認識していない。国力もなく孤立した自分たちがどのように生き延びられるかと、見せ掛けの言動操作ひとつでなんとか泳いでいるではないか? そしてその庶民側も、かつては日本(人)がそうであったように、その大半がそんな権力者を信じ、自らの命を捨てて戦うのだろう。戦争にでもなれば、イラクの現状以上に長引くゲリラ戦が予想されないだろうか? そしてだからこそ、アメリカは日本が参戦できるよう合作をつづけているのではないだろうか?
(関連テーマパーク http://www.geocities.jp/si_garden/thema59.html