2010年10月22日金曜日

野球、サッカー、そしてダンス


桑田 そうですね。ぼくが飛田穂洲の思想を表現するにあたって「絶対服従」という言葉を使ったのには、理由があります。野球は監督の指示に従ってプレーしますから、絶対服従のスポーツではあるのですが、じつは試合で絶対服従がどれだけ生きるかというと、生きないんです。言われたことしかやらない、言われたこと以外をやると怒られるわけですが、じつはそれでは勝てないんです。
 なぜなら野球では、1球1球状況が違って、飛んでくるボールの速さや角度も違えば、風もあり、打順、点差、さまざまな要因で、なにもかもが変わってくる。だから本当は、自分で考えて動ける選手じゃないと、首脳陣からの信頼は得られないんですよ。でも、練習では絶対服従で、自分の言うことをきく選手をつくっているわけだから、試合に勝てるわけがない。勝てないから猛練習をする。また勝てない。これは悪循環ですよね。」(桑田真澄 平田竹男著『野球を学問する』 新潮社)

野球界が抱える問題を根底から考えてみたいと早稲田大学の大学院で研究し、首席で卒業したという元巨人軍の桑田真澄選手。私と同世代の桑田氏によれば、その研究の端緒とは、先輩や指導者からの「いじめ、体罰、無意味な長時間練習」という体験であり、いわば「悪しき精神主義、根性主義」がどうして成立していったのか問うことだったという。私はまず桑田氏のその態度に敬服する。同時に、父親当人は野球などしたこともないのに、ジャイアンツのV9に感化され、長嶋選手にあこがれ、漫画『巨人の星』の一徹親子よろしく、我が子とマンツーマンで野球と取っ組みあう父子関係をもった最後の世代であるかもしれないながら、少年時代には清原選手のように、封建的というよりはより民主的な『ドカベン』を面白くテレビ観賞してきたわれわれ世代だからこそ、問いかけはじめられた疑問なのではないか、とも思う。そう私が振り返るのは、高校での野球生活で、私自身が桑田氏のような疑問に苛まれ、はややる気が崩壊していた、という経験があるからである。高校の頃の私は、昼に起きて登校し、部活の野球だけをやって帰宅し、夜には漠然と芽生えた疑問がなんなのかと、哲学書や文学書などを朝方まで読み続ける、という生活を続けたのである。いや夜学の早稲田文学部にいき、卒業後も夜勤務などをしてしのいでいた私は、27歳ぐらいまで、そんな昼夜逆転の回り道生活をしていたのだ。まがりなりにも疑問をはらすのに、10年近くの歳月がかかったのだ。ただ私に懐疑を抱かせたのは、桑田氏が体験した「絶対服従」的な部活生活ということではなく、あくまで、それと戦後(?)民主主義的な在り方への落差においてであった。つまり、軍隊生活的な中学の野球部から、私はその数年前に甲子園に初出場して世間を騒がせた公立の進学校の野球部にはいったわけだが(山際淳司著『スローカーブを、もう一球』角川文庫、のモデル高校)、そこはすでに、桑田氏がPL学園で自ら勝ち取っていった練習のような、民主的な自主トレだったのである。(…しかしそれは、甲子園出場をなしえた監督のなせる方針だったかもしれない。きくところによると、いまは猛練習だという)――なんだこの生ぬるい練習は、と先輩たちをみておもいながらも、先輩たちは強かった。入部してすぐの関東大会では、横浜のY高をやぶり、東京の創価を破り、そして決勝では、同じ群馬代表の、いまはプロ野球西部ライオンズの監督をしている渡辺投手ひきいる前橋工に1-0でおしくも負けた。その後、打倒渡辺対策のバッティングピッチャーにかりだされた私は、肩を壊したが……。しかし、おそらく桑田氏も、その野球体験はただ封建社会的なものだけだったわけではもはやなかっただろう、とおもう。いわば、われわれは、『巨人の星』と『ドカベン』を、「一身にして二世を経る」(福沢諭吉の言葉、だと思うが…)、ような体験として出くわしたのである。

私はいやだった、封建社会も、民主主義も。その絶対服従も、要領のよさも。世間も、官僚も。

桑田氏の対談相手であり、サッカーJリーグの創設にも携わったという平田氏は、「おそらくサッカー界は、野球の軍国主義的なやり方をすごく否定してきた」のであり、「言ってみれば、野球を反面教師にがんばってきたつもり」なのだという。しかしその過程で捨ててきてしまったものがあり、「絶対服従はいけないが、礼儀正しさとか、丁寧さとか、日本人として守らなければならないものまで捨ててはいけない」、と。

作家の村上龍氏がインタビュアーになるテレビ番組「カンブリア宮殿」で、元サッカー日本代表監督の岡田氏は、リスク(責任)を負って監督から言われたこと以外の個人判断を選手に実践させていく、その苦労のことにふれられていた。日本は文化伝統的に、個人が大人しくなってしまう、という話のなかで。対して村上氏は、松井選手の切り替えしセンタリングを落ち着き払ってシュートを決めた本田選手をほめ、しかし勝敗を決めるのは、そのような個人の才能だったり、経験だったり、ひらめきだったりするんですね、と返答していたようにおもう。私も、あのゴール前であわてずにきちんとボールを「止めて、蹴る」、という基本を実行できた本田選手に新しさを見出したが、しかしそれは、今までだったらあわててはずしてたんですが、と村上氏も伝統(個人のひ弱さ)をふまえて前置きしたように、私はむしろ、今まで(伝統)があったからこそ、あの個人が生まれたのだ、と理解する。城選手の急いたボレーシュートの失敗があったからこそ、本田選手の基本技が新しい伝統として創造されてくるのだ。つまりまた、そのように個人の緊張がなければ、伝統は継承されないのだ、と。

一人親方として仕事をすることが多い植木屋の技術とてそうである。系列にはいって言われた仕事だけをこなしているのならば楽だが、状況の変化に弱くなる、つまり個人でどう動くか、という鍛錬を積むことができていなければ、単に倒産してしまう。かといって、そこに入らなければ、選ばれなければ、信用を得なければ、年を越せる仕事量にありつけない。つまりやはり失業してしまう。この個人と組織集団(系列)の緊張の中でこそ、技術が生き、生きた個人の間にだけそれは継承される。

歴史とは、固有名の連続、持続、ということではないだろうか?

岡崎 ……ピナやマースといった固有名が消えたあとも、それが継承できる形式になりえていたかどうか。もしそれが、既成のジャンルには回収されえないようなものであったならば、むしろ、それが固有の形式をもっていたかどうか、本当に表現ジャンルとして(本人なしでも)自律していたかどうかが問われる。亡くなってしまうとはっきりわかりますね。確かにそれは影響を与えただろうけれど、本人たちがもっていた過激さは失われてしまう。回収できる影響しか残らないということがある。>(「ピナ・バウシュ追悼・身体技法の継承と制度化」 浅田彰+岡崎乾二郎+渡邊守章 『表象04』所収)

伝統あるヨーロッパや南米のサッカーチームが強いのは、かの地の子供たちが草サッカーで名前を引き合いにだし、成りきって実演するための固有名を幾人も抱え込んでいる、ということではないだろうか? カズ、ナカヤマ、ナカタ、……この連なりが多くなるほど、逆にいえば、そこに名を残そうとする個人が持続的に発生し、積み重なればなるほど、日本サッカーの伝統が反復創造されてくる、ということではないのだろうか?

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