2015年3月10日火曜日

イスラム国の人質(4)――「川崎国」での中学生惨殺事件に寄せて

「私は、国体なるものの本質とその戦後における展開の軌道を見通し得たと信じる。問題は、それを内側からわれわれが破壊することができるのか、それとも外的な力によって強制的に壊される羽目に陥るのか、というところに窮まる。前者に失敗すれば、後者の道が強制されることになるだろう。それがいかなる不幸を具体的に意味するのか、福島原発事故を経験することによって、少なくとも部分的にはわれわれは知った。してみれば、われわれは前者の道をとるほかない。その定義上絶対的に変化を拒むものである国体に手を付けることなど、到底不可能に思われるかもしれない。しかしながら、それは真に永久不変のものなどではない。というのも、すでに見たように、「永遠に変えられないもの」の歴史的起源は明らかにされているからである。それはとどのつまり、伊藤博文らによる発明品(無論それは高度に精密な機械である)であるにすぎない。三・一一以降のわれわれが、「各人が自らの命をかけても護るべきもの」を真に見出し、それを合理的な思考によって裏づけられた確信へと高めることをやり遂げるならば、あの怪物的機械は止まる。なぜならそれは、われわれの知的および倫理的な怠惰を燃料としているのだから。」(白井聡著『永続敗戦論』 太田出版)

中学1年の少年が犠牲となった、川崎市での事件は、私には衝撃だった。その子が、息子の一希のように思えたからだ。新聞に張り付けられたその笑顔写真とともに、誰からも好かれた人気者で、その感性は島根県の小島の村落自然のなかで、村人の爺さん・婆さんたちから可愛がられて育まれたものだろうとの記事を読んで。一希はむろん住んでいるのは東京の大都会の真っただ中だか、父親は雨天中止の植木職人で、かつての長屋アパートの隣人だった爺さん・婆さんに今でも可愛がられて、週に三度はそちらのお宅で夕食を食べてくる。そうして育った天真爛漫的な子が、都会の人間関係に傷ついてくる……そして、その原因を作ったのが、脱サラした父親なのだ。その子の父親は、漁師になろうと川崎から島根県の小島へと渡ったのだった。この第一歩の問題を、問題としてとらえて記事にする論考を私は知らないが、資本社会に雁字搦めにされて擦れてくる人間関係、無駄に廃れて疲労していく自分を刷新しようと、自然により近い農業を中心とした営みに転身していく人たちは他にもたくさんいただろう、そして特には、ある知的方面によって、その思想的意義を説いて推奨していなかっただろうか?

私は、この事件の最初の記事を読んで、まずは上のように、犠牲者の父親との関係のことを思ったのだった。それから、この事件の有様を新聞とうで追ううちに、自分が当初想像した以上の深刻さを湛えているのではないかと思うようになった。ゲームセンターで知り合った不良グループが、イスラム国をまねて「川崎国」と自称していたこと、東南アジア系の移民の子が多かったので、「ハーフ軍団」と呼ばれていたこと、その殺し方も、カッターナイフで首を斬首する気配があったこと……しかし私に書く衝動を引き起こしたのは、これらなお真偽定かではない社会学的表象ではない。私はふと、首を切られた上村少年が、そうなると知っていたがゆえに、むしろ自ら殺されに出向いたのではないか、と気づいたからだ。

彼は、同じ中学へ通ういわゆる「普通」の少年たちとも仲がよかった。事件の引き金は、この普通の仲間たちが、おそらくは勇気をだして、殺人にいたってしまうことになる不良グループのリーダーの家へ、友をいじめるな、と抗議しにいったことだとされる。不良グループとはちがう他のコミュニケーションツール(ライン)に入って「ちくって」いたことを知った18歳のリーダーは、そこで制裁を考えるようになったようだ。上村少年は、「殺されるかも」ともらしていたそうである。しかしにもかかわらず、なんで、逃げなかったのだろう? 自分を応援してくれる「普通」の友人たちに付き合いを限定していく、そういう振る舞いや駆引きはできなかったのだろうか? 事態が深刻になる以前に、どうして一方と手を切り、普通にならなかったのだろうか? 私はそこで、彼の自然な感性をおもったのだ。彼が、相反する二つのグループとの交流をつづけたのは、「平和」を願ったからではないだろうか? なんで、同じ人間なのに、お互いが反目しあうのか? なんで、あっちの人が好きで、こっちが嫌いと分かれるのか? 人種や、自分のような貧乏で片親のような境遇がそれを生むのだろうか? 僕は、みんなと仲良くしたい。それは、できないのだろうか?

私のそのような想像は、当然のように、後藤さんの姿を呼び起した。少年の父は、後藤さんのように脱サラして、真の人間関係を求めた。その子も、偽りのない、区別のない平和な関係を求めて、覚悟して、自分を殺すかもしれないグループの所へと出向いたのだ。……

一希は、どうなるだろう? 区の代表サッカーチームに入った息子は、その新しい人間関係を、悩みながら構築しはじめている。その素材のなかには、自分の自然的な感性とすでに都会ずれしている者たちとの思考の違い、アパートに住んでいるか持ち家か、父親の職業や収入、どれくらいDSをもっているか、携帯電話は?……とう、いろいろ混入してくる。その混在のなかで、お笑いスタンスでごまかし、道化的な立場をとっているようだ。むろんこのポジションは、上村くんのように、トリックスターの位置、どっちつかずのイエス的両義性、ゆえにいかがわしいと生贄の子羊にされやすい構造化にある。
そして2年後、3・11の地震でヒビの入った11階だての築40年以上はなるこの団地は、団地住民の町会上は、建て替えが決まって、立ち退きをせまられることになる。実の祖父・祖母だけでなく、昵懇の爺・婆も、もう亡くなるかもしれない。サラリーマンよりずっと両親と同じ部屋にいることが多かった息子、それゆえに、人間的感情の豊かさとその起伏も人より大きく育った一希は、自分の願望を、自然的な感性を、どのように折り畳んで成長していくだろうか?

イスラム国の人質(3)で、10年前騒がれた「自己責任」風潮とはちがう、それを変えていかせようとするイデイロオギー的転換が権力側によって企まれているのではないか、と私は推論したが、それを冒頭引用した白井氏が自身のブログでより正鵠に分析記述してくれている。とはいえ、私は、氏が分析する戦後の「国体」の有様については賛同できるが、それが明治政府によって意図どおり創作されたものとすること、またその近代的起源から、個人の「命をかけても護るべきもの」への発見へと至る論理には、なお疑問である。後藤さんや上村くんは、「命をかけて」願ったのかもしれない。が、その個人の平和希求と、国体的な位相は、論理文脈としてつながらないとおもうからだ。実践的には、国家には、やはりそれに準ずる集団的なものでなければ、論理としても、対置できないとおもう。出自がちがうのだ。つまり、伊藤博文を中心とした明治インテリの創作で、国体が成ったのだとは、私は考えない。

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