「松本より一足早く西ドイツ留学を果たした宇野勝は、1971(昭和四六)年二月に日本人で初めて西ドイツサッカー協会公認のデブロム・フットボール・レアラー(サッカー教員の免状)を取得した。帰国後、読売クラブを経て、1973(昭和四八)年から日本蹴球協会の技術職員となった。そのとき立場上、全清水の西ドイツ遠征の橋渡し役を務めているが、一〇戦全勝を果たした全清水の育成の方向性には早くから疑問を感じていた。
「僕は全清水が絶対に勝つと思っていた。たとえば西ドイツではこの年代では指導者が勝たそうなんて意識はなくて、将来どんな選手に育つかしか考えていない。ましてシステムやチーム戦術なんて教えていない。あくまで伸びる指導をする中で勝てればいいという方針だった。
宇野の眼には、清水の指導方針はこれと正反対に映っていた。結果としてこの方針の違いがサッカー先進国とのその後の伸びしろの違いに繋がっていると感じていただけに、宇野はこの頃堀田とそのことでよく議論をしたという。」(梅田明宏著『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五〇年史』 現代書館)
なかなか息子一希との決戦の日が来ない。雨のせいもあるが、運動会とう学校の行事等が重なって、組み合わせが成立しないのだ。そしてとうとう、夏休みがやってくる。強いクラブチームは、その長い休暇を利用して、合宿や全国規模の親善大会に参加する予定を組んでいる。一希の所属する新宿代表チームも、お盆中の一週間ほどかけて、清水市でのサッカー大会に出場する。去年はそういうクラブ事情があちこちで出てきたということが把握されていなかったので、組み合わせ後にそんな新しい流れが出てきたと知ることとなって、組み合わせ日程をやり直すはめになったから、今年は事前アンケートがとられた。そこで、私のいるクラブ内のコーチメールに、以下の日は参加不可能になる、という通知でよろしいですね、という確認メールが新ヘッドコーチからとどく。学校行事、クラブのイベントに重なるからダメ、ということに交じって、中心選手の四名が他のサッカースクールの合宿に参加するため全日本予選日程参加には不可、というものがあった。私は、中心選手だけがチームのメンバーなのではないのだから、試合成立に必要な人数がそろうなら、勝ち負けはともかく、参加するのが原則。しかし、これまでの経験から、夏休み初期の三連休ともなれば家族旅行とうでその人数もそろわない危うさ(試合棄権敗北)があるから、そんな理由で本当に通るのなら、それでもいいでしょう、と返答した。すると、ヤンキーあがりのコーチが、こんな「我見」など聞きたくない、「子供たち」が休むといっているのだから不参加でいいではないか、と応答し、ブラジル帰りのコーチがそのヤンキー・メールに一言も付け加えないで転送してくるという皮肉をきかした仕打ちをしてくる。私は、その二週間ほど前のコーチ会でも、すでに大人の間でも、四十歳前後以下の世代では、「ホーム」という共同主観が崩れているのを確認していたから、またか、との再認識に、怒る気も起きない。一希がクラブを卒業したら、パパコーチの私はコーチとして残るのか? という他のコーチからの問いかけに、「子供がいなくなってから2・3年はつきあう、というのが普通かな、とどこかのクラブのパパコーチが言っていたのを立ち聞きしたんですが、まあそれが、日本人の義理人情ですかね。」と答えた。それに、新宿区の副理事として審判部長を務めている前監督だけが、アハハとこたえた。他のものは? 「いやそんなことないですよ」と、怯えた様子……そこには、それならば自分も子供といっしょにすぐに逃げられないではないか、ということと、重鎮的に睨みを聞かしているような私からまだ解放されないのか、という二重の怯えが読み取れた。ブラジル帰りのコーチは、「もっと代表にいった息子についていってあげたらどうですかね」、ともいう。自分も長男のときにそうしたように。私にとっては、一希がいないあいだ、一希を慕って入部してきた同級生たちを、下手だから、しっかりしていないからという理由で試合にださず(大差になっても)、下級生のほうがうまいから、とバイアスがかかる実践から守ってやる、その一身で留守を守っているのだ。もちろん、一希とともにいなくなっていいのなら、喜んでそうするだけだ。そして、そういう平然とした個人主義が、地域(ホーム)を大切にする欧米や南米の個人と似て非なるものだということを、彼らは知っているのだろうか? あのコーチは、ブラジル社会で、何を見てきたのだろうか? 今でも連絡とりあう友達はいるのだろうか?
もし、地域組織とも学校行事とも所属クラブの事情とも関係ない、プライベートなサッカースクールの(合宿)ために、その地域ボランティア組織が運営するリーグ戦には不参加という理由が平然と通る、ということが容認されるならば、その意味は、論理的にどんな展開を予測させるだろうか? 形式的には、その理由は、子供が家族旅行で休むからその日の試合を組むのはやめにしてくれ、それでOK、ということと同じだ。トレセンでも、休んでよいのは、Jリーグのジュニアユースのテストにいくときだけ、とかに限定、念を押されている。そうしなければ、地域とは関係ない、ブランド力ある海外の著名チームの営むスクール等に子供たちが行って開催している練習が不成立になってしまう危うさがあるからだ。そして、現今は、学校よりも進学塾、という傾向と同じで、サッカーをさせる親たちが、目先の、小学生での上達・勝敗結果を見たいがために、年々そのバイアスは強くなっているだろう。そうした先を突き詰めるとどうなるか? 日本代表になった選手の小学生のときのホームチームはボカ・ジュニアーズ、だけどいまそのクラブは、採算がとれなくなったためにアルゼンチンに帰って日本にはありません、とかになるのだろうか? 著名なクラブやスクールを小学生のときから、プロ選手のように父・母が選んでくれるままに渡り歩いて、自分と最後まで戦ってくれた小学校の仲間はいない、それで、ホームという拠り所もなくして、ワールドカップという土壇場で強く戦える代表選手になれるのだろうか? ブランド力や資本力で地域に大店舗参入し、地元の店は閉じ、採算とれなくなるとよそへゆく、残るはさびれたシャッター街……「学校の勉強なんかできるのはあたりまえでしょ!」と女房は宿題をこなして喜んでいる一希を叱るが、ということは、学校よりも塾のほうが価値があるということを暗黙に訴え教えているということ、似たような勉強を二か所でしなくてはならないのならば、どちらかが余暇的に機能しなくては子供の神経・緊張はもたないだろう、だから、昔は塾のほうが余興だったが、今は学校のほうがそうになって、クラス授業が成り立たず、学級が崩壊しているのだ。目先・足先のうまさ、ドリブル、シザーズ、マルセイユ・ルーレット、ドリル、模試、テスト結果。……
わかって、「子供たちのために」、と言っているのだろうか? ……そんな暗黙には言ってはいけない事、あるいは禁じ手を平然とボランティア組織に提出していられる、そこまで共同主観(以心伝心の伝統意識)が崩壊しているとは。新宿区で組み合わせ日程をエクセルで組んでいる元パパコーチだって、もう引退させてくれ! と悲鳴をあげながらやっている。それは、平然とした個人主義者がシニックに見るように、そういうのが好きな権力志向の大人たちがやっているボランティアなどではない。むしろ暴力(権力)的なのだが、それでも、共同主観的にここまでの線まではいい、子供がやめたらぱっといなくなるのではなく2・3年はつきあわなくちゃ、という暗黙の共通理解があればこそやってやれる自発性なのだ。それを平然と踏みにじってOKとするならば、誰がそんな連中のためにやるか、となるのは当然である。日本サッカー協会の組織といえど、現場はそうした戦国時代の石垣みたいなもので、末端で支えているボランタリーな石が抜けてしまえば、一瞬にしてガラガラと崩れ落ちるだろう。一つの区やブロックが崩れたら、他にも伝染してゆくだろう。
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もちろんEUは、この伝染の現実性がわかっている。だから、ギリシャをうまくおさえこみたい。そしてもちろん、ギリシャ国民も、自分たちの借金なるものが、ドイツ資本を中心に仕組まれた高利貸しのサラ金要領だということを見抜いている。地元の店を、職場を、シャッター街化していったカラクリに自覚的である。だから、ならば、民主主義発祥の本場の力、ほんものの民主主義とはどういうものかおもいしらせてやる、とドイツ資本中心の、民主主義が建前のヨーロッパにし返しているのだ。民意の結果を表にださせたくなかったEUは、とりあえず国民投票妨害には失敗した。……とにかくも、わかっているもの同士の、腹の探り合い、駆引きが、成立している。おもしろいサッカーの試合のように。
で、日本人は、自分たちが国に預けている郵便貯金でも金融商品に気兼ねなく投資し、その采配にも民間資本が参入してもOK、と平然とした個人主義を受け入れている日本人は、わかっているのだろうか? これから陥れられる状況は、ギリシャと似てくるかもしれない。ある意味、それは生き延びるために不可避的なことかもしれない。しかし、根こそぎもっていかれるのではなく、自分たちの生活していけるぶんは親分に貢ぐのではなく、確保しなくてはならない。もちろん、黙っていても、もっていかれるだけだ。しかしそれには、わかっていなくてならない。そうでなくては、試合に、駆引きにもならない。ということを、わかって、「子供たちのために」、とあのコーチたちは言っているのだろうか?
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