2022年2月22日火曜日

家族のまわり


月曜日の昨日は、千葉市の空き家となっている実家の、整理にいってきた。

若社長の仕事はやらないと親方に言ってあるので、できた暇を利用して、改装工事前の下準備だ。やらないといけないことがたくさんある。家は物置と化しているし、遺品整理もまだなのだそう。女房の大叔父には絵描きだった人もいたということで、その人の描いた油絵や、それなりの値をだして購入したのだろう絵画も飾ってあるままだ。

女房が部屋の整理をしている間、私は、のびほうだいの芝庭の一角に、車がとめられるよう、芝に埋まったコンクリ平板やレンガを掘り起こし搔き集めて、即席の駐車場を作った。それまでは路駐。あとひと月はかかるだろうという向かいの新築中の工事にはいっている業者のダンプや職人の車も路駐してあるので、こちらのリフォーム工事と重なり始めると、路地道は通行できなくなってしまう。そうなるまえにと、芝を抜き、土を均し、転圧し、なんとか一台分は駐車できるスペースを確保した。ありあわせの材料も、ちょうどそこで使い切った。もう一台か二台は突っ込めるが、あとは大工さんが、コンパネで養生でもしてやれるだろう。といっても、そのためにもまだやることが結構あるので、何日かは通うことになる。

腰と背筋がまだ固まっている。今朝は、近所の公園までの散歩や運動をやめて、家の前でのラジオ体操とストレッチだけにしておいた。

 

そもそも、千葉へと移ることが現実的になってきたのは、私の仕事の件以上に、女房の態度が変わってくれたからだ。息子が小学生の低学年まで、東中野の長屋のようなアパートで暮らしていたのだが、そのとき隣部屋のお世話になった老夫婦の行き場がなくなるかもしれないというので、一緒に過ごせる物件がないかと女房はさがしていたのだが、こだわる東京の不動産は高すぎるし、狭いし日当たりもわるいものばかりで、と諦めたのだった。そう言う言葉尻をとらえて、いまがチャンスとばかり、移るぞ、と私がつけ込んだ。

 

千葉の家なら、植木いじりの好きな老夫婦の鉢も、そのまま持っていけるだろう。日当たりも良好だ。が、気兼ねして、多分は来られないだろう、と女房は言う。がまた、老夫婦は、年がいってからの再婚で、奥さんのほうは、息子が田舎の方で一緒に暮らそうと申し出ているが、旦那さんのほうは、独り身だ。だから、オータン、と息子が呼んでいる旦那さんをこちらで引き取る可能性はあって、引き取ってやりたいのだ、と女房は言う。もう八十過ぎのじいさんだ。現実味があるのか、私には不安だ。

 

大学には行かず、警察官になることを選んだ息子は、とりあえず、寮にはいって訓練を受ける。府中のほうと遠いが、オータン、バータンの見守りはできるだろう。しかも、本職なんだから、心強い。息子は、じいちゃん・ばあちゃん子なのだ。もう寝泊まりしてくるということはなくなったが、今でも、月に一度は遊びにいく。

 

「本当の祖父母ではないんですよね?」と、息子と少年サッカーチームに関わっていたころ、よくまわりの若奥さんたちから驚かれていたものだ。親戚でもない他人に子供もあずけ、お風呂もいっしょに入れさせている……私自身は、驚かれたことに驚いたが、考えてみれば、そうだよな、とすぐに思い直した。が、別段なにがあるわけでもないし、高じてきた女房の暴力からの逃げ場がなかったら、息子はつぶれてしまう。東中野のアパートから、駅前開発のためにお互い皆が立ち退きを迫られて、離れ離れになってからも、息子はオータン・バータンのもとへと頻繁に通った。避難しにいった。私たち夫婦二人は、そうとう助かっているはずだ。お互い年いってからの結婚・出産とはいえ、子育ては、夫婦ふたりきりで、できるものではない。

 

東中野アパートの大家さんとも、まだ連絡がつく仲だ。湘南かどこかの老人ホームに夫婦二人で移っていった。大家さんも、赤ん坊の息子をたらいのお風呂にいれるのを手伝ってくれた。もともと、結婚前から私がひとりでそこに住んでいたわけだが、どういうわけか、たぶん、私はそういう感じの人から、関係にはいられやすいのだろうか? 立ち退きで団地に移ってから知り合い、団地から引っ越したあとでもなお、挨拶仲のつづいている老夫婦がいる。いや、床屋さんだった旦那のほうは、亡くなってしまった。奥さんだけが、独り身でくらしている。女房がときおり、電話をして気にかけている。私もときどき、仕事の行き帰りなど、道端で会って挨拶する。老夫婦の床屋を私が選んだのは、団地のすぐ近所ということもあるが、よそよそしすぎず、かといってずけずけはいりこんでくることもなく、他人との関係に、やさしい距離が感じられたからではないか? たぶん、みな、どこか傷をおっている。私自身は、そうした関係を作ってくるだけだが、女房が、それを持続させているということだろう。私だけだったら、場所が変われば、そこで関係は終わってしまっただろう。

 

千葉からの帰り道、息子がバイトするガソリン・スタンドによった。バイトの息子本人が注入するのならば、リッター20円安くなるそう。が、夕方だったので、店は混雑していた。明るい、元気な息子の声が、スタンドにはいってくる車を誘導する。家では、陰鬱気なときが多いのに、ここでは生き生きしていて、さわやかな好青年だ。注入係が息子ひとりでのやりくりになっているようなので、息子は手が離せない。かわりに、事情をきいた年増の従業員がやってきて、ガソリンをいれてくれる。

 

スタンドをあとにするとき、息子は私たちふたりに、手を振ってきた。その表情には、これから社会にでていく若者の不安もうかがえる。が、やはり、じいちゃん・ばあちゃん子によくみかけられる、人懐こいやさしさがあふれている。交番勤務の、いいおまわりさんになるのではないか? そんな感じがすると同時に、いまの日本の社会や組織が、そんな若者の純朴さや期待を、裏切らずに受け入れ育てていける寛容さをもっているだろうか、との心配がよぎる。

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