2025年2月24日月曜日

金魚の餌やり

 


家には、金魚がいる。千葉に引っ越してきてからの二年で、二匹亡くなってしまったので、一番大きかったのが、一匹のこっている。朝の餌やりに水槽に近づくだけで、いやリビングの灯を点けただけで、水面に浮上し、ガラスの側面に顔を近づけて、口をぱくぱくさせてうろうろする。人に餌付けられた池の鯉と同じだ。子どもが中学生の頃からの生きものだから、もう5年以上になるのか。それが金魚にとっては、長生きになるのかどうか、知らない。

妻の生地の熊本旅行のため、一週間くらい家をあけることになった。となると、餌やりができなくなる。子どもの頃の記憶では、そういう場合、近所どうしで頼みあったりしていた記憶があるが、もうそういう付き合いなどあるはずもなく、どうしようかと考えたが、今は自動機械での餌やりができるのだった。その電池式の装置を買ってきて設置して、一月ほど様子をみて、ちゃんと働くのを確認できてから、旅に出たのだった。

 

が帰宅してからも、何かと面倒なので、装置をそのままにしていた。そうしていると、なんだか、金魚が、よそよそしくなるのだった。たまに、水槽にこちらの顔を近づけて覗いてみても、反応が鈍い。手ずから餌をやらないと相手にしてくれないのか、現金だな、とか思いながら、ふとこれは、人の話にもなるのではないか、と思えてきた。

 

ラカンの精神分析哲学にみられる人の精神階層は、人が人から育てられる、ということの不可避性からもたらされる現実性だ、という指摘がある。そこに生じざるをえない、いないいないばー、の赤ちゃんが受苦する反復現象事態、おおくは母が現れたり消えたりすることになるかもしれないが、経験を超えた事態としては「主人」として定義しえるそれが、抑圧と享楽を本源的に規定しているのだ、と。だからこの「主人」とは男性的であり、この原抑圧的な始原が、男女という性差を事後的に派生させることで二極構造として安定化させ、本当の抑圧を見えにくくさせを完成させるのである。

 

主人が餌やりに顔をださなくなると人間的でなくなる、金魚は関心を抱いてくれない、「現金」だな、と私は思った、というこの連想には、さらに歴史的な根拠がある。この人の精神構造は、貨幣を媒介にした資本構造のからくりとも結びつくからである。

 

たとえば、売春の労働条件が改善されても、売春婦への差別(「軽蔑」――中上健次)は残る。なぜ? 根底にある階級闘争、矛盾、敵対が、そこ(改善)にはないからである。これだけ3Kとも呼ばれていた肉体労働で人が足りないのに、そこには労働者とされるものは流れない。差別されているからである。マルクスのいう階級闘争も、それを担うとされるプロレタリアートとは、肉体労働者のことである。労働条件が改善されればもう闘争の必要がなくなる精神・頭脳労働階層とは違う位相の闘争を、肉体労働者、売春婦は強いられるのだ。それは、原抑圧される始原において、排除されてしまう多型倒錯的なと精神分析では解釈される欲動の群れと構造的に重なるのだ。

 

しかしそうした現実は、やはり歴史的な事態ではなかろうか。売春が、貨幣と結びついて歴史的に派生してきたものであるように。だからラカンの言う精神構造も、あくまで、資本下の構造にすぎない。しかし、トランプに平身低頭して迎合するイーロン・マスクの振る舞いをみても、資本は情けない。だからといって、再台頭してきた父権まるだしのそんな男たちに牛耳られていくしかないとするのは、もっとうんざりすることだ。

 

それなら、人が人を育てることをやめて、AI使った哺乳装置などで大人にしてしまえば? そうなると、人が本源的にもっているかもしれない人智を超えた能力が薄れ消えてしまうのではないか、と想像力を発揮した漫画として、竹宮恵子の『テラへ…』などを連想する。

 

熊本から帰って、熊本出身の、高群逸枝を読み始めている。母権性があったなどとは史実に反するの一言で片づけられてしまったように見える彼女の本は、そんな事実指摘をこえて、詩人の洞察力に満ちている。

2025年2月16日日曜日

山田いく子ダンス年譜――補足


 いく子自身が鑑賞し収集したパンフのファイルの中から、本人参加のパンフがみつかってきたので、年譜に追加した。

また、2001年の『小ダンスだより夏』のタイトルが、「太陽が殺した」とわかった。

 

<補足箇所 >

    1981年 9月発表会のパンフ追加。

    1988年 6月の博品館公演での、パンフを追加。

    1989年 9月発表会のパンフ追加。

    2000年 6月発表会のパンフ追加。

    2000年 9月「事件、あるいは出来事」のパンフ追加。

    2001年、「小ダンスだより・夏」のタイトル「太陽が殺した」とそのパンフ追加。

    2002年 12月の、舞踏家協会20周年記念『伝統と創造』の江原組の公演には、いく子も参加しているとわかった。そのパンフも追加。


ダンス&パンセ: 山田いく子ダンス年譜

2025年2月9日日曜日

陣坂

 


「権現様の森を抱いた陣ノ坂や竜山の上の方から、重みを帯びた雲がどっしりと町の上に垂れこめてくると、道の埃も落ちついてきて、馬が曳くわだちの音が非常に近々と聞えだす。そのような曇天になると、中空のあたりに、地上の音のさまざまを呼吸して、再びそれを地上へ下すしかけが懸るらしくて、不思議な、暮らしの音のさまざまが、町の上にくり出されて来るのである。」(石牟礼道子著『椿の海の記』「第四章 十六女郎」)

 

幾分だけ長めの、オレンジ鉄道のトンネルを出でみると、水俣は雪国だった。

ホテルに荷物をあずけると、吹雪くようになるなかを、まずは一番の目的である、陣ノ坂とおぼしき場所をめざした。小6のいく子が、松の大木によりかかりながら見つめていた風景をみたかったのである。

グーグルのマップではでてこない。いく子の母が書いたアルバムでの説明書きに「陣、坂」とあったのと、石牟礼の上記述が頼りだった。

山上の神社、権現様はわかったのだが、写真にあった場所らしきものは辺りにない。木がうっそうとしてきて、わからなくなったのだろうか。翌日の、相思社での街案内のコースには入れてもらっていたので、ここは断念して、次の陣内社宅をめざそうとした。今でもチッソの社宅でもあるそこはコースにはいれられない。があきらめかけていたところ、地元の七十過ぎくらいの男性と出会った。事情を説明すると、そういう坂は知らないが、あすこだろうと歩き出す。妻の生まれた西暦を言うと、弟と同じだという。小学校も、第一小学校だから、同級生かもしれない、名前はなんて言うのかと聞かれた。今は出かけてていないというその弟も、チッソに勤めていたのだという。みなばらばらになって、どこかへ行ってしまった、と言う。が雪というより雨が激しくなってきて、その最中を連れていってもらうのも気が引けてきて、しかもどうも遠そうだし、権現神社から離れていくので、違うのではないか、と思い直し、もう一度、二人で写真を見つめなおした。たしかにあすこからは、工場だの小学校だのはこんな風に近くには見えないのかもしれない、となった。引き返し、お礼をいって、わかれることになった。

 

が翌日、雪も溶け、青空がみえるなか、案内された場所は、やはり前日の男性が連れていこうとした見晴らしだったろう。案内者の女性は、二車線のアスファルト車道から目的の坂下にたどり着いたが、男性とあと二百メートルも山道を歩けば、その車道と合流していたのだった。女性は、権現神社のことは知らなかった。が、陣の坂と呼ばれる一つの頂のすぐ下の山上に、山王神社というのがあって、そこに案内してくれた。

 

陣の坂とは、西南の役の事変のなかで、西郷方が陣をかまえた場所の一つなのだろうか。それとも、秀吉の九州攻めのさい、この辺りには水俣城あともあり、陣と名の付く場所がいくつもあるようだから、戦国時代の名残りなのだろうか。水俣病被害者の支援活動をしている相思社も、陣原と呼ばれる地のすぐ下に事務所と考証館を設けている。隣の山では、切り開いた頂上に、高速道路を通すための橋梁工事がおこなわれていた。事件のことに地元の人々はふれたがらないと、神戸出身の案内者は説明していた。加害者側の子息になる妻の話を、地震の時は幼くて記憶にないという彼女は、ずっしりと重い、と千葉に戻ったあとのメールで返信してきた。

 

山のなかには、あちこちに、薩摩街道といわれる獣道のような細い山路が走っている。しかし街道筋とわかるように、犬槙なのか、葉が細く密な樹木が並木として列をなしていた。それが低いアーケードのような、洞穴のような不思議なトンネルを作っていた。

 

案内してもらった翌朝早く、まだ真っ暗闇の中を、掌に入るLEDの懐中電灯を夜道に照らしながら、薩摩街道を過る裏山を通って、また陣ノ坂へと向かった。もう、いく子が寄りかかっていた松の木はない。けれども、写真の背景に伺えた山並みの形や、家々の風景も点景になるから、ほとんどそのままだった。学校のグランドも、その通りであったろう。見ていた視線の先の風景、眼下に広がる街並みや鉄道、煙突の立ち並ぶ工場、その向うの海、島、それらの情景も、昔と同じたたずまいであるだろう。

 

朝日は、まだ東の空を埋める曇天によってさえぎられていたが、空と山に輝きを吹き返させていた。通勤に出るのだろう自動車の赤いテールランプが動くのがわかる。ほのかな明るみのなかで、妹さんが腰かけていた頂上の平たい石には、神石、という誰かが刻んだ白い跡が浮かんでいるのに気づいた。もう一度、いく子が見ていた風景を目に刻んで、手すりのつけられた階段を下りて、駅へと向かった。