「ともあれ、私たちは「外国人化」している、あるいは「女性化」しているという事態は、ずっと以前からそうだったんです。ただし、一〇年前、フリーター労組を準備していたころは、このことの意味の全体がまだよくわかっていなかったのかもしれない。…(略)…いまようやくそのことの肯定的な側面、積極的な意義が、見えてきたような気がします。私自身がそれを確信できたということです。/ 「三・一ニ」を考えるとき、私がある意味でとても解放的な気分になっているとすれば、それは、「日本人ではない者になる」ということの肯定的な力を感じているからだと思います。この力が、あの日私の背中を押して、被曝被害から護ってくれたのです。」(矢部史郎著『3・12の思想』 以文社)
「しかしこれはすでに私たち日本人の”自尊心”の問題なのだ。今後ふたたび私たちが、ずるずると原発への依存に戻るようなことになれば、私たちはもはや「日本人であること」を誇りに思うことはできなくなる。…(略)…要するに、核のトラウマが一国の防衛戦略を決定づけているわけで、自由主義的な立場からすればこれほど非合理的でセンチメンタルな判断もないだろう。しかし私は、これを矜持ある選択と考える。軍備の放棄と核の拒否こそは、「日本人としての私」を思うとき、そのプライドの中核をなすものだ。」(「斉藤環の東北」毎日新聞・夕刊2012.7.18)
一希が同級生をいじめているのを、たまたま早く帰宅したさいに目撃することになったので、最近のその話題にふれてみたいとおもう。
当初は、こう考えていた。団地に遊びにくる子供世界をみてみると、ドラエモン世界でのジャイアンのような、古典的なボスがいるわけではない。むしろ、いじめる側といじめられる側がころころ反転する。これは、たとえば、あるものがあるオモチャをもっていると、その子がボスになり、ちがうオモチャではまた違う子がえばりだし、「貸してあげない」と持たざるをものをいじめだす。たとえ流行のおもちゃがあるとしても、それぞれが面白いおもちゃをもっているので、ころころボスがかわる。つまり、なお中流的な階層社会とテクノロジーの進展状況が、不透明ないじめ世界を作っているのだろう。携帯やネット世界に子どもたちが参加してくれば、単一メディアから支配的な影響を受けるというあり方でもなくなるので、親が何を言ってもつうじなくなるエイリアンのような存在になるのかな、と。ただ大枠の流れは、1980年代に経済力を謳歌した日本体制化で発生した「校内暴力」、その封じ込め抑圧の結果としての「いじめ」への転換、潜伏化、という情勢はかわっていないのだろうな、と。が、実際に自分の子がいじめているのをみて、そんな認識ではすまなくなった。父親としてだからどうするのか、と実践を突きつけられるからである。私は学校の先生や教育委員会の者たちのように、見て見ぬ振りをしなかっただろうか? 私が、あれはいじめだったのだ、と気づいた、あるいは、考えなおしたのは、翌日になってからである。集団で下校した子どもたちから少し離れて、二人の男の子がいた。ひとりのその仕草から、私は彼がそれまでもうひとりの子の首根っこあたりをつかんでふりまわしていたのだろうと推論した。みな同じ学帽なので誰かはわからなかったが、私はある一希の友人にみえた。その数日前、保護者会の席上、クラスの足の悪い子がいじめにあっているという報告を受けたと女房がいい、それが誰かと一希に尋ねると、その友人の名前があがったのを耳にしていたので、そう先入観したのかもしれない。が、次の瞬間、その子が一希であるとわかったのである。そのときはもう、二人は仲良しのような振舞いにもどっていた。私は息子を目にしたうれしさに自転車の呼び鈴をならしたが、一希は気づかなかった。私は「いじめ」という連想のことなど忘れて、コンビニによった。そして団地のエレベーターに乗る際、二人にまたおいついたのだった。一希はその、運動より勉強ができそうで、大人しいが女の子にもてるという友達をエレベータにのせまいと通せんぼしていた。「パパがのれないよ」というと、さえぎる手をおろして中にいれ、こういうのだった。「きみは自殺しそうな人、だいじょうぶか!」額に粒汗をいくつもかいている彼は、いかにも苦しそうか、苦しそうなふりをしていた。「この暑さじゃな」と、私は、暑くて死にそう、というやりとりを二人はしたんだな、と思った。先の階でエレベータを降りる私は、その子の頭をなでて、息子と外にでた。
が翌日の仕事中、何をきっかけにかは忘れたが、ふとその時のこと、エレベータを降りるときのその子の目の表情を思い出し、あれは「いじめ」だったんだな、暑くてかいた汗じゃない、いじめられるのが嫌で冷や汗をかいていたんだ、いじめられているのが見つかったかもしれない恥ずかしさ、気後れと、気づいてくれとあきらめながらも訴えてくる葛藤をもった目だ。おそらく一希は、弱々しいが、バレンタインのチョコレートをクラスで一番もらうというその友達に、嫉妬のような気持ちを抱いているのだろう。そして私は、それが「いじめ」だと瞬時には認識しながら、ゆえに見たくないと否認の作業を無意識にも続けてきたのだ。今はっきりとわかった以上、このまま黙って見すごすのは学校側や教育委員会のものたちと同じになってしまう。しかし、どう息子に話かけたらいい?
……いじめ自体は、子どもの世界でも大人の世界でも、人の集まるところなら自然発生的に生じずる事象にすぎないだろう。しかしここでいう自然とは幼児、ということと同義になり、大人はその社会的意味、効果を前もって了解し、それでもやるぞと責任主体的な残酷さに自覚的だろう。だから問題なのは、そのまま大人、というより、中・高生になってしまうことにある。幼児のまま、面白おかしくすごしていいればいい、それが生きることの普通だ、という意識のままに、である。まがりなりにも、真剣という理念的切断線が生に介入している運動部のシメ、それに近いジャイアンのような古典的ボスの暴力とも違う。人間的に小さいままの、幼いままのふるまい。一希が、夕食まえ、小鳥のピータをつかまえていやがって鳴くにまかせている時をとらえて、「おまえきのう〇〇くんをいじめていただろう」ときりだす。「おまえは、自分がいじめていることを知っていて、だからいじめられるものは自殺するというニュースのまねをして、〇〇くんは自殺するんだ、といったんだろ?」一希は否定して、はぐらかすようにふざけはじめるが、どういえば実践的な説得力をもつのだろうか? 私は、一希が磔にされたイエスに興味をもって、ほんとうにこんな神さまいるの? と問うてくる力を信じて付け足す。「汝の欲せざるところを人にほどこすことなかれ。自分がいやがることを他のひとにやってはいけない、というのがイエスの教えだよ。自分がそうでないとおもっても、相手がいやがっているなら、それはいじめなんだよ。人間はピータ君じゃない。ほんとに死んじゃったら、どうする? いっちゃんは、牢屋にはいるんだからね。」……私は、自分が「リトル・ピープル」になったような気がした。いまはとにかくも、「いじめ」を認識した、という一事を、女房ともに、家庭内で共有してみるだけでよいだろう。問題がもう少し大きくなったとしたら、そのときは担任クラス側と共有していく手立てを試みればいいだろう。しかしその時でも、なんと力のない言葉であるだろう。父親的な権威がまるでない。いやあるのだが、やはり一希は女房をしかりとばす私をおそれて恐縮するのだが、説得的な力がない、というか、その論理が自分でも空々しい。イエスの力を借りるとは! だからその現実的な効能(牢屋)のことを付け足すのだが、私は、宮台氏の、「良いことはもうかる」という世俗論理が説得力をもつとはおもっていない。そんな言葉に説得される人間など信用できるのか? 自分の息子に、そんな人間になってほしくない。
が、父親権威的な論理力の幼児(母子)関係への介入・切断の希薄さ、その歴史的・時代情勢的言説の布置が、自然をのさばらせている、幼児のいじめのまま、中・高生へと、果ては大人になってからの幼児虐待への心情へとつながっているのではないか? ――そして、反原発運動の一面の潮流として、そのような自然ののざばり、ゆきすぎた自然を感じるのである。冒頭で引用した二つのもののうち、私の心情に近いのは斎藤氏のほうである。”恥じをしれ!” それが、厚顔無恥な総理官邸への私の抗議の言葉だ。そしてそういう日本人としての一面もが、官邸前でのデモにも集結していることを私は推論している。
2012年7月8日日曜日
「愚民」の在り方(3)――渡辺京二ノート
「異邦人たちが予感し、やがて全体的関連としての有機的生命、すなわち古き日本の死は、個々の制度や文物や景観の消滅にとどまらぬ、ひとつの全体的関連としての有機的生命、すなわちひとつの個性をもった文明の滅亡であった。…(略)…問題は個々の事象ではなく、それらの事象を関連させる意味の総体なのだ。そして文明とはそういう意味の総体的な枠組みを指す以上、たとえ超高層ビルの屋上に稲荷が続けられようとも、また茶の湯・生花の家元が不滅の生命を誇ろうとも、それらの事象はチェンバレンが「若き日本」と呼ぶ新たな文化複合、つまり新たな寄木細工の一部分として、現代文明的な意味関連のうちに存在せしめられているに過ぎない。文化は生き残るが、文明は死ぬ。かつて存在していた羽根つきは今も正月に見られる羽根つきではなく、かつて江戸の空に舞っていた凧はいまも東京の空を舞うことのある凧とおなじではない。それらの事物に意味を生じさせる関連、つまりは寄木細工の表す図柄がまったく変化しているのだ。新たな図柄の一部分として組み替えられた古い断片の残存を伝統と呼ぶのは、なんとむなしい錯覚だろう。…(略)…死んだのは文明であり、それが培った心性である。民族の特性は新たな文明の装いをつけて性懲りもなく再現するが、いったん死に絶えた心性はふたたび戻っては来ない。たとえば昔の日本人の表情を飾ったあのほほえみは、それを生んだ古い心性とともに、永久に消え去ったのである。」(『逝きし世の面影 日本近代素描Ⅰ』 葦書房)
「忠教がここで説いているのは「君、君たらずとも、臣、臣たるべし」という隷従的忠誠であるかに見えるし、彼自身、主人にそむけば七逆罪を負うて地獄に堕ちるとも言っている。しかしそれはそういう恐怖心に前近代人忠教がかられることもあったというだけのことで、彼の真意は、主人が主従間の相互敬愛という暗黙の合意を破り棄てていても、いや破り棄てているからこそ、従者たるわれらがその合意にあくまで忠実であることが、主人が不正、われらが正義という顕然たる事実を公示することになるのだというにあった。/ つまり、主人がいかに不当な仕打ちをしても、われら従者の義務を守るというのは、主人に対する強烈な面当てでありいや味であって、そういう主人であっても機嫌よく奉公するのが彼の誇りであり強情であった。主人が主人らしくしてくれないので、徳川家を去るというのでは話は帳消しである。主人の咎は従者の離反によって相殺されてしまう。…(略)…再び言う。にもかかわらず忠節を尽くせと言うのは、忠教の徳川家に対する奴隷的服従を示すのではなく、まさにその反対である主に対する自尊の気概のあらわれであった。この自尊の気概に屈折が秘められているのは否定できない。…(略)…しかし、そういう屈折を通してさえ表現されるものは、日本の主従制を貫徹する相互的誠実という暗黙の合意だった。暗黙の合意など情緒的で低級であり、契約であればこそ理性的で高級だなどというのは、人間のことも世の中のこともわからずに、頭脳に詰めこんだ出来合いの「近代的」観念で物事を裁断するある種の「研究者」だけが信じている妄念といわねばならない。(『日本近世の起源 戦国乱世から徳川の平和へ』 洋泉社)
「北が土俗的な思想家であったか、それとも土俗的なものを否定する近代的な思想家であったかという、論者の見解が従来まったく対立して来た問題についても、いまやわれわれは正確な断案をくだすことができる。彼はその思考の論理性において、疑いもなく土俗的なものを拒否する思想家であった。彼が天皇制共同体主義的な思考に生理的な不快を感じないではいられなかったこと、村落共同体の低部にひそむ伝統的心性に一度も関心をそそられなかったことなどを見ても、彼と土俗との関係はあきらかである。彼の社会主義とは、すでに見たように一面においては、個人のあらゆる可能性の無限の羽ばたきを求める近代主義的志向の表現であった。/ ところがいっぽう、社会主義とは彼にとって、<共同社会>主義を意味した。そしてこの、西欧型市民社会は人間にとってのわざわいである、人間の住みうる社会は共同社会であるべきだという感覚から逃れえなかった点、いや逃れえなかったどころか、その感覚を核心として全政治思想を組み立てざるをえなかった点で、彼はまぎれもない土俗的な思想家であった。いうなれば、彼は日本の土俗の深奥から発する主題に、もっとも近代的な手法で解決を与えようとした思想家であったろう。つまりそれは、土俗のただなかから発する欲求の未開な土俗性をそぎとって、その普遍性を最高に近代的なものとして実現させようとする作業といってよい。日本基礎民の反市民社会的な心性を社会主義革命に導く戦略は、そういう彼の、土俗的要求を人類史的普遍性の回路に組みこもうとする捨て身の戦略なのであった。」(『北一輝』 ちくま学芸文庫)
「この個の意味を、当時の思想家や批評家はほとんど誤読した。彼らはそれを近代的な主体意識をもった人民(あるいは市民)とか、知識人的な個我とかいったふうに読み、見当ちがいな批判をなげつけたのである。だがその後の吉本氏の思想の展開に照らしてみれば、このような独占社会に実存する個とは、政治行動のレヴェルに登場するときかならずその時の政治的イデオローグの虜囚とならずにはおかない法則的必然から生活大衆をどこで断ち切るかという、要の一点をおさえたときに生まれたイメージであって、このとき想定されていた個とは、知識的に上昇する自然過程のなかにあるような近代的な個我ではなく、逆に独占状況のなかで自己の生活の根拠へのみ突きかえされざるをえないような、もっとも基底的な生活民の存在のしかたを表象していたのである。そしてそれが個としてイメージされるのは、国家権力に対して真に倒立するのは、労働者階級とか農村部落民とかいった「共同幻想」的なレヴェルの集団ではなく、生活者としての個だけであるという、氏の特異な、そして今日の思想にとって本質的な意味を持つ理解にもとづいていたのである。…(略)…これは古典的な階級闘争論を転倒するまったく異端的な見解であって、労働者の闘争だから価値があり、小市民の闘争だから劣っているといった先験的な常識はここではまったく排除されている。つまりこのような見かたからすれば、労働者であれ農民であれ小市民学生であれ、階層としては等価であり、それらの闘争の優劣はただそれぞれの生活の根拠に立って現実にどのように自力で闘ってみせるかということにおいてしか判定されないということになる。ブントは自分の小市民学生的根拠において倒れるまで闘っているからいいのであり、自分自身を労働者階級を指導する前衛などと錯覚しないところが相対的に評価できるのだ、と吉本氏は考えたのである。そして、ブントが闘って力尽き革共同の古典的な批判に屈して分解をとげたとき、氏はその共闘を解除して単独者の位相にもどった。」(「六〇年安保と吉本隆明・谷川雁」 『民衆という幻像』所収 ちくま学芸文庫)
「チッソのいいぶんを成心なく検討してみれば、彼らは被害者に対して、「被害はお気の毒に思う。何とかしたいとも思う。しかし、被害者に対する企業の責任・補償ということになれば、資本制における利害観念と法体系によって処理しないわけにはいかない。したがって、補償は一種の商取引、交渉ごとである」といっているのであることがわかる。資本制社会において、当然の常識である。水俣漁民のこの世の人間的道理が対立している相手は、チッソ資本の悪逆ではなく、近代資本制社会を組織している論理そのものなのである。その論理からすれば、水俣漁民のこの世の人間的道理とは、近代市民社会の組織法則からとりのこされた封建的遺民の世迷い言にすぎない。/ 水俣漁民にとって、人間的道理は実在する。自分の息子がとなりの息子にけがを負わせれば、自分は何もかも打ち棄てて、とりあえず詫びと見舞いにかけつけねばならぬのである。日常の生活圏ではそうあるものが、話が経済とか社会とか政治とかいう上位構造に移れば、なぜそうでありえないのか。水俣病患者・家族は、その理由を絶対に理解することはできない。近代市民社会が、その制度のなかに生活民、ことに下層民を統合しえなかったという歴史的事実が、ここに横たわっている。その非力を補って生活民を統合したのは、天皇制である。そして、生活民が近代市民社会の論理によっては統合されず、天皇制によってはじめて国家に統合されたという事実は、これまで戦後民主主義のイデオローグたちの嘆きと軽蔑の的となってきた。水俣病患者・家族の人間的道理とは、彼らにとっては痛烈な皮肉でなければならないが、まさに近代市民社会の論理によって統合されない「前近代的」生活意識の表現であった。それは言葉をかえれば、村共同体の論理と心情といってよい。そこでは共同体の利益は相互扶助によって維持され、共同体に災いをもたらしたものは罰せられ、追放される。チッソは当然罰せられ、災いは償われるべきである。患者はこの村共同体権利の回復を、公権力たる裁判所に求めたともいえる。もちろん、裁判所がチッソをさばくのは、そういう論理によってではない。患者は裁判のそもそもの第一回から、自分たちの欲求がけっして裁判によっては表現されぬことを直観した。裁判は彼らの仮装形態にすぎない。真の欲望の表現形態を求めて、にじり寄る一歩にすぎない。…(略)…この世の常ならぬ苦しみをうけた彼らは、どこへ向って血路を開けばよいのか。「銭は一銭もいらん。会社のえらか順から、死人の数だけ有機水銀ば飲んでくれれば、それでよか」。この有名な言葉は結局は言葉である。怨といい、呪殺といい、何かおどろおどろしい地獄絵的な様相で、患者の欲求を描きあげようというのは、その当人の好みではあっても、真実には遠い。前掲の言葉は、ひくにひけぬ断崖に追いつめられた下層民の腹のすわりを示したものである。孤立の中で放った「勝負!」のひと声である。そう読むべきである。良識とか秩序とか共同社会の利益とかにからめて、圧服させようとするものに対し、こちらはそういうものによって無拘束であること、勝負はどちらかが倒れるまでの真剣勝負であることを言い切ったものである。すなわち、抑圧された下層生活民のアナーキーな情念が噴出しているのだ。/ 村共同体は、患者を出した家をきびしく差別した。相互扶助の生活規範は、患者の家には適用されなかったのである。村共同体の本質は、このとき、患者には明らかになったといっていい。人間的道理といい、ふつうの人間のつきあいといい、きわめて容易に解体される性質のものであった。人間が人間に対して狼にならない世界は、単なる村共同体の倫理によって、保証することはできない。彼らが裁判において表現したかった欲求は、村共同体の倫理に基底をおきながらも、結局はそれらを止揚する方向に向わざるをえない。彼らの欲求は、ひとつの仮装からもうひとつの仮装へと試行を続けつつ、真の表現を求め続けているのだ。」(「現実と幻のはざまで」『民主という幻像』所収 ちくま学芸文庫)
「西欧的理解における政治が、貴族の民主主義的伝統にもとづく、利害の調整の体系だとするならば、東洋的理解における政治は、郷村の共同体的伝統にもとづく、夢と欲望の体系と規定できる。それゆえに、東洋では、政治は徒党の非行という性格を帯びるのだともいえる。…(略)…郷村的日常において、人びとは義務と慣行に縛られ、家主となり子を生み、老いて死んで行く。徒党の情念的共同とか夢とかは、若衆組の時期に仮に許される道楽にすぎない。その道楽に固執するものは、政治あるいは宗教として、日常に縁のない上層へ疎外される。しかし、郷村的日常で生を終える人びとに、情念的共同の夢がないのではない。道楽としての夢想的共同への指向を生み落したのは、ほかならぬ郷村の生活原理としての日常的共同なのだから。彼らは日常を破壊する夢想を、政治として日常の圏内から逐いやる。だが、逐いやられたものは、彼の魂の亡霊である。専制政治の織りなす諸事件を、一遍の劇のごとくに娯しみ喝采するのは彼らである。だからこそ、郷村は専制権力の鏡なのだ。/ 西欧的近代は、郷村の共同を分断してマスとしての個の世界をつくりだした。情念的共同を求める衝迫の根拠をとりはらった。政治は徒党の非行ではなく、個別利害の集合を管理する技術となった。だが、その世界でも、人びとは日常の理法に縛られ、親となり、老いて死んで行く。そのなかで感情の飢えは、ことに人と人とをつなぐ感情の飢えは、声もあげずにどこへ消え去るのか。/ 在る生きかたの夢、人間の或るありかたの夢を全社会的に拡張しようとする集団は、いかなる思想や倫理を掲げようとも徒党である。私は彼らの行動を非行としての政治と要約した。ひとが言葉と感情の通じる相手を見いだしたとき、それが徒党の始まりであるのはかなしいことだ。徒党から非行としての政治への回路はどこで絶たるべきなのか。ピョートルの事績はそう、われわれに問うているように見える。」(「非行としての政治」『民衆という幻像』 ちくま学芸文庫)
「学問には方法が必要だろう。だが私には、方法など何の必要もなかったのである。私にはただ解かねばならぬ課題があり、それに経験が強いた志向をもって立ち向っただけだった。私は昭和維新の雰囲気のうちに育った少年であり、中学三年のとき異郷大連で敗戦を迎え、引揚げ後昭和二十三年には共産党に入った。十七歳であった。昭和三十一年、党から離れたとき私は、昭和初期のユートピズムが戦後革命の衝迫に変形された「物語」の意味を、自分なりに読み解かねばならず、その読解の方向を見出す手がかりをはっきり自覚するには、なお十年の月日を要した。/ その方向とは要するに、従来蒙昧ないし狂乱の発作とみなされてきた大衆の右翼的情念を、究極的な共同性の夢ににじりよる革命的衝迫として読みとこうとするものだった。ただし、私はそれを単純に肯定したのではない。私の視線はアンビヴァレントですらあった。にもかかわらず、私は魅入られるようにその主題に関わらずにはおれなかった。前途の私の思想史的な仕事は、いささかも”研究”の意味を吹くむものではなく、自分が生きのびるための思想的根拠を、文章の形で探りかつ確かめようとしたものにほかならない。/ その種の私の文章はすべて二十年前の所産である。そしてこの二十年のうちに、私たちをとり巻く社会と思想の文脈は根本的に変質した。情念的な大衆など、どこへ行けばお目にかかれるというのか。共同性への夢がカラオケとオウムに化けたなどと言っても、しゃれにもならない。/ 私はそういう時代の崩壊のかたちを予感していた気がする。その予感にせかれて、ある種の共同性の幻を追わずにおれなかったこの国の民の悲しい衝迫を、書きとどめておきたかったのかもしれない。だが、この国の民は滅びた。民などもはやこの国にはいない。」(「日本近代思想史と私」『民衆という幻像』所収 ちくま学芸文庫)
「忠教がここで説いているのは「君、君たらずとも、臣、臣たるべし」という隷従的忠誠であるかに見えるし、彼自身、主人にそむけば七逆罪を負うて地獄に堕ちるとも言っている。しかしそれはそういう恐怖心に前近代人忠教がかられることもあったというだけのことで、彼の真意は、主人が主従間の相互敬愛という暗黙の合意を破り棄てていても、いや破り棄てているからこそ、従者たるわれらがその合意にあくまで忠実であることが、主人が不正、われらが正義という顕然たる事実を公示することになるのだというにあった。/ つまり、主人がいかに不当な仕打ちをしても、われら従者の義務を守るというのは、主人に対する強烈な面当てでありいや味であって、そういう主人であっても機嫌よく奉公するのが彼の誇りであり強情であった。主人が主人らしくしてくれないので、徳川家を去るというのでは話は帳消しである。主人の咎は従者の離反によって相殺されてしまう。…(略)…再び言う。にもかかわらず忠節を尽くせと言うのは、忠教の徳川家に対する奴隷的服従を示すのではなく、まさにその反対である主に対する自尊の気概のあらわれであった。この自尊の気概に屈折が秘められているのは否定できない。…(略)…しかし、そういう屈折を通してさえ表現されるものは、日本の主従制を貫徹する相互的誠実という暗黙の合意だった。暗黙の合意など情緒的で低級であり、契約であればこそ理性的で高級だなどというのは、人間のことも世の中のこともわからずに、頭脳に詰めこんだ出来合いの「近代的」観念で物事を裁断するある種の「研究者」だけが信じている妄念といわねばならない。(『日本近世の起源 戦国乱世から徳川の平和へ』 洋泉社)
「北が土俗的な思想家であったか、それとも土俗的なものを否定する近代的な思想家であったかという、論者の見解が従来まったく対立して来た問題についても、いまやわれわれは正確な断案をくだすことができる。彼はその思考の論理性において、疑いもなく土俗的なものを拒否する思想家であった。彼が天皇制共同体主義的な思考に生理的な不快を感じないではいられなかったこと、村落共同体の低部にひそむ伝統的心性に一度も関心をそそられなかったことなどを見ても、彼と土俗との関係はあきらかである。彼の社会主義とは、すでに見たように一面においては、個人のあらゆる可能性の無限の羽ばたきを求める近代主義的志向の表現であった。/ ところがいっぽう、社会主義とは彼にとって、<共同社会>主義を意味した。そしてこの、西欧型市民社会は人間にとってのわざわいである、人間の住みうる社会は共同社会であるべきだという感覚から逃れえなかった点、いや逃れえなかったどころか、その感覚を核心として全政治思想を組み立てざるをえなかった点で、彼はまぎれもない土俗的な思想家であった。いうなれば、彼は日本の土俗の深奥から発する主題に、もっとも近代的な手法で解決を与えようとした思想家であったろう。つまりそれは、土俗のただなかから発する欲求の未開な土俗性をそぎとって、その普遍性を最高に近代的なものとして実現させようとする作業といってよい。日本基礎民の反市民社会的な心性を社会主義革命に導く戦略は、そういう彼の、土俗的要求を人類史的普遍性の回路に組みこもうとする捨て身の戦略なのであった。」(『北一輝』 ちくま学芸文庫)
「この個の意味を、当時の思想家や批評家はほとんど誤読した。彼らはそれを近代的な主体意識をもった人民(あるいは市民)とか、知識人的な個我とかいったふうに読み、見当ちがいな批判をなげつけたのである。だがその後の吉本氏の思想の展開に照らしてみれば、このような独占社会に実存する個とは、政治行動のレヴェルに登場するときかならずその時の政治的イデオローグの虜囚とならずにはおかない法則的必然から生活大衆をどこで断ち切るかという、要の一点をおさえたときに生まれたイメージであって、このとき想定されていた個とは、知識的に上昇する自然過程のなかにあるような近代的な個我ではなく、逆に独占状況のなかで自己の生活の根拠へのみ突きかえされざるをえないような、もっとも基底的な生活民の存在のしかたを表象していたのである。そしてそれが個としてイメージされるのは、国家権力に対して真に倒立するのは、労働者階級とか農村部落民とかいった「共同幻想」的なレヴェルの集団ではなく、生活者としての個だけであるという、氏の特異な、そして今日の思想にとって本質的な意味を持つ理解にもとづいていたのである。…(略)…これは古典的な階級闘争論を転倒するまったく異端的な見解であって、労働者の闘争だから価値があり、小市民の闘争だから劣っているといった先験的な常識はここではまったく排除されている。つまりこのような見かたからすれば、労働者であれ農民であれ小市民学生であれ、階層としては等価であり、それらの闘争の優劣はただそれぞれの生活の根拠に立って現実にどのように自力で闘ってみせるかということにおいてしか判定されないということになる。ブントは自分の小市民学生的根拠において倒れるまで闘っているからいいのであり、自分自身を労働者階級を指導する前衛などと錯覚しないところが相対的に評価できるのだ、と吉本氏は考えたのである。そして、ブントが闘って力尽き革共同の古典的な批判に屈して分解をとげたとき、氏はその共闘を解除して単独者の位相にもどった。」(「六〇年安保と吉本隆明・谷川雁」 『民衆という幻像』所収 ちくま学芸文庫)
「チッソのいいぶんを成心なく検討してみれば、彼らは被害者に対して、「被害はお気の毒に思う。何とかしたいとも思う。しかし、被害者に対する企業の責任・補償ということになれば、資本制における利害観念と法体系によって処理しないわけにはいかない。したがって、補償は一種の商取引、交渉ごとである」といっているのであることがわかる。資本制社会において、当然の常識である。水俣漁民のこの世の人間的道理が対立している相手は、チッソ資本の悪逆ではなく、近代資本制社会を組織している論理そのものなのである。その論理からすれば、水俣漁民のこの世の人間的道理とは、近代市民社会の組織法則からとりのこされた封建的遺民の世迷い言にすぎない。/ 水俣漁民にとって、人間的道理は実在する。自分の息子がとなりの息子にけがを負わせれば、自分は何もかも打ち棄てて、とりあえず詫びと見舞いにかけつけねばならぬのである。日常の生活圏ではそうあるものが、話が経済とか社会とか政治とかいう上位構造に移れば、なぜそうでありえないのか。水俣病患者・家族は、その理由を絶対に理解することはできない。近代市民社会が、その制度のなかに生活民、ことに下層民を統合しえなかったという歴史的事実が、ここに横たわっている。その非力を補って生活民を統合したのは、天皇制である。そして、生活民が近代市民社会の論理によっては統合されず、天皇制によってはじめて国家に統合されたという事実は、これまで戦後民主主義のイデオローグたちの嘆きと軽蔑の的となってきた。水俣病患者・家族の人間的道理とは、彼らにとっては痛烈な皮肉でなければならないが、まさに近代市民社会の論理によって統合されない「前近代的」生活意識の表現であった。それは言葉をかえれば、村共同体の論理と心情といってよい。そこでは共同体の利益は相互扶助によって維持され、共同体に災いをもたらしたものは罰せられ、追放される。チッソは当然罰せられ、災いは償われるべきである。患者はこの村共同体権利の回復を、公権力たる裁判所に求めたともいえる。もちろん、裁判所がチッソをさばくのは、そういう論理によってではない。患者は裁判のそもそもの第一回から、自分たちの欲求がけっして裁判によっては表現されぬことを直観した。裁判は彼らの仮装形態にすぎない。真の欲望の表現形態を求めて、にじり寄る一歩にすぎない。…(略)…この世の常ならぬ苦しみをうけた彼らは、どこへ向って血路を開けばよいのか。「銭は一銭もいらん。会社のえらか順から、死人の数だけ有機水銀ば飲んでくれれば、それでよか」。この有名な言葉は結局は言葉である。怨といい、呪殺といい、何かおどろおどろしい地獄絵的な様相で、患者の欲求を描きあげようというのは、その当人の好みではあっても、真実には遠い。前掲の言葉は、ひくにひけぬ断崖に追いつめられた下層民の腹のすわりを示したものである。孤立の中で放った「勝負!」のひと声である。そう読むべきである。良識とか秩序とか共同社会の利益とかにからめて、圧服させようとするものに対し、こちらはそういうものによって無拘束であること、勝負はどちらかが倒れるまでの真剣勝負であることを言い切ったものである。すなわち、抑圧された下層生活民のアナーキーな情念が噴出しているのだ。/ 村共同体は、患者を出した家をきびしく差別した。相互扶助の生活規範は、患者の家には適用されなかったのである。村共同体の本質は、このとき、患者には明らかになったといっていい。人間的道理といい、ふつうの人間のつきあいといい、きわめて容易に解体される性質のものであった。人間が人間に対して狼にならない世界は、単なる村共同体の倫理によって、保証することはできない。彼らが裁判において表現したかった欲求は、村共同体の倫理に基底をおきながらも、結局はそれらを止揚する方向に向わざるをえない。彼らの欲求は、ひとつの仮装からもうひとつの仮装へと試行を続けつつ、真の表現を求め続けているのだ。」(「現実と幻のはざまで」『民主という幻像』所収 ちくま学芸文庫)
「西欧的理解における政治が、貴族の民主主義的伝統にもとづく、利害の調整の体系だとするならば、東洋的理解における政治は、郷村の共同体的伝統にもとづく、夢と欲望の体系と規定できる。それゆえに、東洋では、政治は徒党の非行という性格を帯びるのだともいえる。…(略)…郷村的日常において、人びとは義務と慣行に縛られ、家主となり子を生み、老いて死んで行く。徒党の情念的共同とか夢とかは、若衆組の時期に仮に許される道楽にすぎない。その道楽に固執するものは、政治あるいは宗教として、日常に縁のない上層へ疎外される。しかし、郷村的日常で生を終える人びとに、情念的共同の夢がないのではない。道楽としての夢想的共同への指向を生み落したのは、ほかならぬ郷村の生活原理としての日常的共同なのだから。彼らは日常を破壊する夢想を、政治として日常の圏内から逐いやる。だが、逐いやられたものは、彼の魂の亡霊である。専制政治の織りなす諸事件を、一遍の劇のごとくに娯しみ喝采するのは彼らである。だからこそ、郷村は専制権力の鏡なのだ。/ 西欧的近代は、郷村の共同を分断してマスとしての個の世界をつくりだした。情念的共同を求める衝迫の根拠をとりはらった。政治は徒党の非行ではなく、個別利害の集合を管理する技術となった。だが、その世界でも、人びとは日常の理法に縛られ、親となり、老いて死んで行く。そのなかで感情の飢えは、ことに人と人とをつなぐ感情の飢えは、声もあげずにどこへ消え去るのか。/ 在る生きかたの夢、人間の或るありかたの夢を全社会的に拡張しようとする集団は、いかなる思想や倫理を掲げようとも徒党である。私は彼らの行動を非行としての政治と要約した。ひとが言葉と感情の通じる相手を見いだしたとき、それが徒党の始まりであるのはかなしいことだ。徒党から非行としての政治への回路はどこで絶たるべきなのか。ピョートルの事績はそう、われわれに問うているように見える。」(「非行としての政治」『民衆という幻像』 ちくま学芸文庫)
「学問には方法が必要だろう。だが私には、方法など何の必要もなかったのである。私にはただ解かねばならぬ課題があり、それに経験が強いた志向をもって立ち向っただけだった。私は昭和維新の雰囲気のうちに育った少年であり、中学三年のとき異郷大連で敗戦を迎え、引揚げ後昭和二十三年には共産党に入った。十七歳であった。昭和三十一年、党から離れたとき私は、昭和初期のユートピズムが戦後革命の衝迫に変形された「物語」の意味を、自分なりに読み解かねばならず、その読解の方向を見出す手がかりをはっきり自覚するには、なお十年の月日を要した。/ その方向とは要するに、従来蒙昧ないし狂乱の発作とみなされてきた大衆の右翼的情念を、究極的な共同性の夢ににじりよる革命的衝迫として読みとこうとするものだった。ただし、私はそれを単純に肯定したのではない。私の視線はアンビヴァレントですらあった。にもかかわらず、私は魅入られるようにその主題に関わらずにはおれなかった。前途の私の思想史的な仕事は、いささかも”研究”の意味を吹くむものではなく、自分が生きのびるための思想的根拠を、文章の形で探りかつ確かめようとしたものにほかならない。/ その種の私の文章はすべて二十年前の所産である。そしてこの二十年のうちに、私たちをとり巻く社会と思想の文脈は根本的に変質した。情念的な大衆など、どこへ行けばお目にかかれるというのか。共同性への夢がカラオケとオウムに化けたなどと言っても、しゃれにもならない。/ 私はそういう時代の崩壊のかたちを予感していた気がする。その予感にせかれて、ある種の共同性の幻を追わずにおれなかったこの国の民の悲しい衝迫を、書きとどめておきたかったのかもしれない。だが、この国の民は滅びた。民などもはやこの国にはいない。」(「日本近代思想史と私」『民衆という幻像』所収 ちくま学芸文庫)
ユーロ・サッカーから――世界とコーチング
おしゃべりが多いと、その日のサッカーの練習を中止された一希たち。若いコーチが一人にディヘエンスのやり方を教えている間、ボールに腰掛けた一希が仲間と気ままに話しはじめたのをみて、中年コーチが切れたのだった。それは個人的に突発的な怒りであっても、人間的な倫理から発したものだったろう。しかしそこであそこまで怒鳴り散らすのには、まだ理解できない子どもたちなのだった。コーチも説教をしながら、あまりにきょとんと無邪気な表情を目の当たりにしてそのことに気づく。おそらく、まだ親が死んでもその葬式でふざけていられる年齢なのだ。自転車に乗っていても、交差点を右左もみずにすーっと走っていく。死が恐いという社会的観念が希薄なので、<真剣>にやれといっても、自分の態度になお区別が生じていないのだ。3年生も終わりごろになれば、自然成長的に解消されるだろう。だから私は特別に問題ではない、とおもっていた。しかし母親たちがそうはいかない。この一事を伝え聞いて、メールで話し合い、「しめてください」と過剰な反応をしめしはじめる。コーチ会のほうでも、父兄の話をないがしろにするわけにもいかないので、「ふざけは怪我のもとだから」と話をずらしてかわす対応をしたようだ。しかし若いヘッドコーチがまたなにかのさいに、40分間の説教をしたときくと、「この暑い時期に給水もさせずにそんな長時間も」という異議が父兄会の部長から申し出される。「そんな話は通用しないからほっとけ」と私がいっても、部長の異議自体に批判的な女房はなおごちゃごちゃやりたがる。意見内容がちがっても、ヒステリックに騒ぐこと自体が問題をこじらせるのだ。20年やっているクラブ組織にとって、こんなことぐらいは経験ずみなはずだ。若いコーチも、10年子どもたちをみてきているのだから。しかし、原発事故後の世評をみてみても、そんな真っ当な意見は神経質な声に掻き消される。女たちの場当たり的な反応を、世論やメディアが後押ししているような状況なので、彼女たちは強気なのだ。大塚英志氏は特に放射能におびえたこの母親たちの対応を「ファシズム」の発生と類比的に捉えているが(『愚民社会』)、そういう徴候もあろうかとおもう。
ユーロ・サッカーをみていて、イタリア代表のストライカー、バロッテリについて、「成長中」という解説がなされるのが気になった。それはサッカーの経験知とかいうことではなく、試合中に人の悪口をいわないとか、喧嘩しないとか、裸にならないとか、そういった話なのだった。おそらく我々日本人としては、二十一歳にもなる男にまだそんな「成長」が許容されていることに驚くというより、あきれてしまだろう。ならば、日本でならどうなるのか? おそらく、そんなサッカー選手は追い出されてフィールド上にはいないだろう。ならば、笑われているのは、我々のほうなのではないだろうか? 彼は、移民の子だ。その家庭内は、荒れていたかもしれない。そういうところで育った子どもは、容易には精神的に安定しないだろう。大人になるには、それだけの時間差があるのだ。それを受け入れること。サッカーに参加するとは、そうした世界の多様性、内に発生する他なる現実との共存の意志と理念をもつ、ということではないだろうか。よく日本の理想とするサッカーとして、正々堂々とフェアに美しく戦うことだというふうなモデルが呈示されたりするが、その純粋道徳とが、ひとりよがりな暴力に反転すること、したということは、世界史の中での日本国家自体が証明してしまったことではないだろうか? フィジカルが強い、当たりが強いこと、そのほかの文化圏では当たり前なサッカーが卑怯なのではなくて、その在り方自体が多様な世界を、他者の存在を許容している対応であり、共存の平和性を担保・実証しているものなのではないか?
「しめて、ほんとうにおとなしくなったら、終わりですよ。」と、一希たちが怒られた次の週にあった試合前、ベンチ監督と話し合う。かといって、そのコーチは子どもたちに優しくすればいいというのではない。むしろ逆で、厳しく突き放せ、といっているのである。「だいじょうぶです。子どもたちは、わかりますよ。ついてきますよ。」と、新宿の選抜チームに何人もの選手を送りだしているクラブの監督は保証する。試合での選手起用をみていても、騒いでいるような子でも、積極的な子、能力を示す子を活用する。覇気のない子、訴えてこない子はベンチのままだ。おかげで、一希は全試合ワントップをはらしてもらっているのだが、4年生相手に、当初は体を当てられて可愛そうなくらいくるくるとまわされて倒されていた。私がベンチコーチだったら、もっと皆平等に近い形での選手起用になり、覇気のない子でもなんとか励ましてモチベーションを高めてやって、とかおもうのだが。それが、甘いということなのだろう。実際、私は中学部活動の野球で、そんなエリート主義的な伝統を変革したことがある。気質的に、結果よりも過程を重視する性向があり、弱いもの、いま在るものでどう強者をいびっていくかの創意工夫のほうがおもしろい。どこか美学的な態度の方が好きなのだろう。楠正成をはやす判官びいきな日本的感性?
一希はとにかく、数少ないチャンスのなかで、1点はとってくる。フォワードしかできないような性格だ。私ではなく、女房似なのだろう。今日も練習を放り出して、女房と雨のなか虫取り講習にいっている。気まぐれ、気分や、というのは、子どもだからというより性格だろう。私はいちおうコーチなので、自分の子どもがいなくても、練習にいくのだが。これは、「やりたくなければやめろ!」と突き放しているのだか、成長の遅れを許容しているのだか。あちこちのイベントに子どもを連れ出しては自分が楽しんでいる女房は、それでも「選抜チーム」に入らなければいかん、と口をとがらせている。そんな都合のいい話が通用するわけがない。技術や仕事をなめてるんじゃないか! と怒鳴りたくなる。一人での練習ができず、仲間と騒いでいないと退屈してやりすごせないものに、専門的な技術が身に付くわけもないだろう。アスリート向きじゃないな、と私はおもっている。だから、サッカー以外の興味も失わないよう許しているのだ。しかし、真剣に、一生懸命やったあとの水はおいしい。このありふれた、うまみもない退屈な日常にこそ「喜び」があるということを知らなければ、どんな商品物資や物語にも充足できず、本当の世界で世界終末(ハルマゲドン)を実現させて精神の満足を試みたバブル期の新興宗教が繰り返されてしまう事態になるだろう。裸足でボロキレを蹴飛ばしているアフリカをはじめ他の世界の子どもたちは、ボールひとつのプレゼントで喜ぶだろう。一希はそのことを理解できるだろうか? 喜びを知っているだろうか? 自己満足ではない、他者と共存しているという喜びである。それは真剣に、一生懸命に渡り合えてこそ見出し得るささいな日常の世界に在るのだ。
2012年6月22日金曜日
「愚民」の在り方(2)
大塚 ただぼくは「土人」を「動員」してまで自分の理想とする「良い社会」をつくろうとは思わないのです。「土人」は考えなくてもいい、システムを改変し、考えなくても自然によりマシなほうに行く社会設計してあげるって、本当は一番ナメた話でしょう。まあ、でもたいていの「土人」はそのほうがいいて思うでしょうね、楽だから。だから「近代」をやり直すチャンスをまたスルーすることに絶望を通り越してあきれている。…(略)…
宮台 大塚さんが土人とおっしゃるのは、僕がよくいう「依存体質」にあたります。詳しくいえば「よく分からない大きなものに平気で依存する習慣」「全体性に無関心なまま平気で依存を継続する習性」です。こうした<心の習慣>は短期的にはどうにもなりません。単に、大塚さんがいわれたように、土人としての自画像を見せることができるだけです。(『愚民社会』 大塚英志 宮台真司著 太田出版)
図書館から上記の『愚民社会』を借りて、最近の対談だけ読んでみる。案の定、浅田彰氏の「土人」(私は「野蛮人」と記憶しているのだが…)発言が言及され、その日本人認識の共有前提の上に議論が組み立てられている。ジャーナリズム的、社会表層的には私も二人と現状認識共有できるところが多々あるけれど、その基本的、前提的な認識、人間や自然に対する理解や信頼といった根源的な認識において、やはり違いがあるのだろうな、と感じる。現在も読み続けている渡辺京二氏の言葉に、次のようなものがあるのだが、むしろ私は渡辺氏の理解に共感する。
<つまり人間には、ものごとのイニシャティヴをとる奴ととらぬ奴とがいる。ことに任ずる少数の人間と、人まかせのほうが気楽という大多数とがいる。これは人間の気質にそういう二種類があって、その結果そういう分岐が生じるのではなくて、もともと集団というものに、そういう役割のちがいを生み出す構造が内包されている、と考えたほうがいい。人が交わって存在せねばならぬ領域すなわち社会は、ひとつの文化制度である。国家は人為的制度だが社会はそうでないと説く学説は、観察の一貫性を欠いている。国家はただ抽象のレヴェルの高い制度というにすぎない。人の交わりが処理せねばならぬ業務を生むかぎり、その交わりは制度としてあらわれる。なぜなら、共同ということからあらわれる業務すなわち運営責任は、ひとつの安定的な様式をとらねばならぬからである。つまり、役割の分化のない集団はない。制度とはその役割の分化のことである。何らかの集団があれば、かならず運営の責任を担うものとそれを人まかせにするものとが生まれるのは、人にそもそも集団から免れたい衝動があるからである。/ 人が集団に属するのは、かならずしも好んでのことではない。それでいて集団の運営にイニシャティヴをとるとすれば、それなりの理由がなければならぬ。それが利得であるか支配欲であるか責任感であるか、それはこの場合、問題ではない。いずれにせよ、それにうながされて責任を引受けるものがあれば、他の成員は心労を免れてよい。集団にはそもそもそういう構造があって、一同を抜かりなく見渡しているものと、何となく窓の外を見ているものとの区別が生じるのである。>(「大衆の起源」『民衆という幻像』 ちくま学芸文庫)
渡辺氏は、旅行先での日常的な人間関係から上のような普遍的認識を導き出す。いわば、働き蟻の生態――3割の真面目蟻をどけても、残りの怠け蟻から3割の真面目蟻が出現する――に似た、類的な人間としての構造を予感するのである。たとえば、現場責任者として作業量も質も高い私が仕事を休んでも、現場は成立する。この「成立」のうちには、作業量や質が落ちる、ということも内包されている。しかしだからといって、その”違い”から私をエリートとして定立し、馬鹿を疎外し、選抜者の社会支配を維持しようとする実践前提は間違いなのである。類的人間個人倫理として。私が現場でどれほど馬鹿を馬鹿扱いしても、それでも「社会」は成立すると信頼している。たしかに、その”違い”のために――馬鹿はその違いを認識できず、というか、これ以上馬鹿扱いされたくないのでその差異はないと言い張って自分を慰めようとする卑小なことしかできない――「客ばなれ」が生じて会社に損害がでるかもしれない。(が、誰でも雇うような小さな庶民経営では、そのこと事態が織り込み済みの、寛容というか、諦めた経営者態度になっている。あるいは、馬鹿の方が支配しやすいので、会社は縮小しても経営者の自己は保てるので、そっちのほうがよい。)…しかしそれでも、残る客もいるほど社会には弾力性があるのだ。ましてや、私個人の人生を超えて長期的にみれば、そんな”違い”は何ほどでもない。10年に一人の天才プレーヤー、100年に一人の天才アーティストが出現したとしても、その五十歩百歩な能力差が意味を持つのは、あくまで短期的・微視的な視野においてである。メッシやイチローの記録が千年後にどう評価されるのか? われわれは、当時としては著名だったかもしれぬ者に彫られたミロのヴィーナスとギリシャ古代の他の発掘物たる皿や壺に、その”違い”に、意味を見出すだろうか? ラスコーの壁画から個人差を認識しようとするか? しかしわれわれは、それを差異なくして受け入れているではないか? その類としての信頼。
渡辺氏が面白いのは、その構造に孕まれる時間差を「大衆の起源」と見つめた上で、将来の時間をも観念してみせることだ。
<戦後のわが国の「大衆」についていえば、私は、彼らが民主的参加なり知的自己啓発なりの方向で、社会の運営・管理にあずかることに希望を見出したことは一度もない。私はただ戦後の過程を、「大衆」が個となる方向でのみ理解している。だが、この過程について考えるとき、私の眼の前に現れるのは「大衆」ではなく、私をふくめての日本人である。そして、現代の日本人を考えるとき私の関心は、彼らの特徴とされる個人主義やら、あるいは個人主義の浸透にもかかわらず根強いとされる共同体指向、いいかえれば他者への「あまえ」やらの表層的な社会心理ではなく、自分のなかの個の深まりへのみ向かう。この個の深化こそ、私にとっての「大衆」問題なのである。私はひとりになりたいからこそ共同的なものを求める。日本の「大衆」もまったく同様だと私は信じる。>(前掲書)
2012年5月15日火曜日
「愚民」の在り方……渡辺京二氏からのノート
ゴールデンウィークに実家に帰って、砕石敷いて駐車場がわりにしている裏の自動車の乗り入れ口を平板とモルタルで整備していると、隣家のおじさんがやってくる。そしてコテを手にして手伝ってくれる。おそらく、地元の進学校をでて上京していったお隣の優等生がなんでこんなことができるかのか、何を東京でしているのか興味をもって近づいてきたのだろう。こちらも自分が何者であるか説明しないと居心地がわるいので、「向こうで植木屋を二十年やっているので、まあプロなんですけどね。」と、まるきりよそ者みたい自己紹介する。おじさんは驚いたが、そのうち砂が一袋100円でこちらは安いが東京は高いだの、生垣作りもするのでホームセンターで買ってきた支柱丸太が600円もして高いねえ、とかお互いうなずきあっているうちに、私は育った地元ではじめて隣人と打ち解けた契機を持てた気がしたのだった。後で鎌を使って雑草取りをしている母は、私が自分の職業を自分からばらしてしまったことを、恐縮したように背中で聞き耳をたてているのがわかる。顔をだした父の話といえば、この連休中に近所で起きた高速バスの事故にふれて、自分も大型の免許を持っている、それは学生を送迎するためだったが、との自慢話。かとおもいきや、事故がなかったのはほんとに幸いだったと脈絡もなく謙虚になる。歳からくる耄碌というよりも、「先生」と呼ばれてきた優越的立場が許していた恣意的な論理ぐせを、隣のおじさんは相手にしない、というより、こういう階層の人はそういうもんだと無言の忍耐で相槌をうって返している。工場勤めだった人だ。家のブロック積みも、川から砂をとってきて、自分で施工したという。近所の多く、私が一緒に野球をしていた友達の父親たちは、そうした町工場の労働者や石屋や農家の人たちだったのである。おそらく子どもの私も、浮いていただろう。いま私は、「人民の中へ」とはいっているかもしれない。しかしそれは、渡辺氏が批判するような左翼知識人というわけからではない。――<民衆をたえず自己のコンプレックスとその倒影としての幻想とのかかわりでしか見れなかった左翼知識人は、こういう部落的共同性への嫌悪を倫理的な悪ないし原罪とみなし、知識人がそういう孤立的な感覚を克服して、民衆の共同性の「やさしさ」と合体することがコミューンの創造につながる、といったふうにストレートに錯覚する。>(「民衆論の回路」『日本コミューン主義の系譜』葦書房)……私は意志的には、むしろプチブルに居直った知識人であろう。が、上のような人民への認識感覚は、内に折り返しておかなくてはならない前提であると考える。ゆえに、自らの上面の観念性に気づかず上辺の居直りしかできそうもないインテリたちには、「下放」を命じたくもなるだろう。
私は、戦前大連で生まれ熊本で在野する渡辺氏の作品を読み知ったのは、前回ブログで引用したものがはじめてである。今回、区立の図書館よりその著作を借りて読むにつき、私の思考を刺激してきたので、その箇所いくつかノートとして書き留めておくことにした。そして次回のブログでは、プチブルジョワインテリへの居直り(ブント)思想家としての、柄谷行人氏の「哲学の起源」問題へと、接続の端緒を随想できたら、と考えている。
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「伝統的風土と反権力の思想のかかわりを考える場合、もっとも注目すべきなのは、この村落共同体、あるいはその亜種としての都市の下町的共同体の住民である。彼らの意識の中核をなしている自然観、人間観、ないしは価値意識は、西欧市民社会を貫徹する論理と決定的に異質だった。だから彼らは、明治新政府が導入した市民社会的諸体系(法や社会制度)を、まったく理解不可能なものとみなし、もしそれとかかわりをもたねばならぬことがあれば、天災のような災厄とあきらめ、出来うることなら、一生それとは無関係に、伝統的な共同体的倫理にしたがって生を終えることを望んだ。/ 彼らのそういう生きかたからすれば、権力の思想と反権力の思想の区別は無意味だった。なぜならそれは、共同体の圏外の住人である特権的エリートの思想分裂であって、共同体内でまどろむような生活が続けられるかぎり、エリートたちの抗争は、彼らの生活に何ら具体的な作用をもたなかったからである。彼らには法とか政治とかの言語を必要としない、いわば自然の言語に属する生活があって、そのなかから追い立てられぬかぎり、政治社会で何ごとが起っていようとも、それは湖底から見た水面のさざなみにすぎなかった。…(略)/ 昭和初期の政治的激動のもつ意味は、このような基底生活民が、その共同体内でのまどろみから揺り立てられて、市民社会の進展する現実と直面させられたことにある。大正中期からはじまった社会の地殻変動は、いわば彼らを包んでいた繭を決定的に破壊したのである。血盟団のテロリストたちの出現は、そのような共同体民の、政治舞台への登場の象徴であった。そしてこのとき彼らが、西欧的革命思想への反対者としてのみでなく、同時に反権力的革命者として現れたことは、革命と風土の関係を考える場合、何よりもまして重要な事実であったように思われる。/ 彼ら右翼的な下層青年たちは、たんに伝統思想の立場から、ヨーロッパ進歩思想を敵視しただけなのではない。彼らはもはや共同体に安住することのできなくなった若者たちであり、彼らを深部で動かしていた衝動は、まぎれもない個への自覚であった。にもかかわらず彼らが、当時支配的であった移入思想としてのデモクラシー、ないし社会主義に同調できなかったのは、そのようなイデオロギーの担い手である都市知識人が、社会的に特権エリートとして存在し、下層青年たちの個への自覚が同時に、共同的なものの再建への熱望であることを、まったく理解しようとしなかったからである。/ 彼らの政治思想的な自覚は、だから本質的は反権力的なものでありながら、権力の国家主義思想のえじきとなるほかはなかった。この悲劇は、日本共同体民の伝統的心性が、反権力の思想回路を設定しそこなったまことに痛恨すべき事例として、今日のわれわれにも示唆的である。戦後市民社会は、明治以来の懸案であった全国民の近代市民的統合を、一見みごとになしとげたように見えながら、深部においては、伝統的な心性がもっともラディカルな革命への衝迫をさそい出すという、矛盾をなおたたえ続けているからである。(渡辺京二著 「風土と反権力」『日本コミューン主義の系譜』 葦書房)
「だがわが国民の庶民たちはもともと、このような分立競合する利害の合理的調整体系としての市民社会的現実に適合的な心的構造をそなえていたわけではけっしてない。「悪事のあらん限りを尽くさざれば一生の損だぞ」というのは、そういう現実に元来は不適合である彼らの悲鳴であった。ながいあいだ共同的小社会の伝統のなかで生きて来た彼らにとって、市民社会のなかで個として漂流しなければならぬというのは恐怖以外の何ものでもなかった。国家を家族として擬制し、天皇を全家族の保護的な家長に比定する天皇制イデオロギーは、このような伝統的な庶民の心性と、結局は彼らがその成員として統合されねばならぬ市民社会的現実とのあいだにおかれた、一種の緩衝装置として機能したということができる。」(「ニ・二六叛乱覚え書」 前掲書)
「しかし彼らの”愛国的”熱狂はなぜ、近代ナショナリズムというよりむしろスパルタ風な古拙なパトリオティズムに似ていたのか。宮武二等卒が「世間に顔出し出来ぬ」という思いで腹を切ったのであることは一点の疑いもない。佐喜が「世間に顔出し出来ぬ」と口に出し、宮武藤吾が同じ思いで腹を切ったとき、彼らを拘束し駆りたてていたものは、近代ナショナリズムなどというのには遠い、部落共同体に対する古風な義務感であったということができる。たとえば村落が洪水なら洪水に見舞われて一村水没の危機に遭遇したとき、川堤に俵を積む義務から逃げるものがあればそれは最悪の卑劣漢である。ほかの悪徳は許されてもこの悪徳は許されない。佐喜の怒りはこのような村落共同体の倫理の表明であったというべきである。すなわち彼ら明治の庶民は村落共同体への義務との類推において国民国家への義務を理解したのであって、彼らの古風なスパルタ的献身の出どころはこのような国家と村落共同体とのいたいけな短絡のうちにあったのである。」(「戦争と基礎民」前掲書)
「明治の国家指導者たちが国民に対して、一視同仁の愛を垂れる倫理的裁断者としての天皇というイメージをふりまかねばならなかったのは、彼らにこの国で資本制を建設するうえで深刻な不安があったからである。その不安は何よりも、この国の基礎民の共同体的生活伝統から来た。資本制を建設するというのは、それを社会構成レヴェルでみれば市民社会の諸システムを導入するということである。彼らは明治の最初の十年間のにがい経験によって、市民社会的諸体系がこの国の基礎民には、神も仏もない異様な論理につらぬかれたものに見えることを否応なく学んだ。日本国家は天皇という神のみそなわす共同体国家だという神話は、事実において基礎民を市民社会的論理の支配する資本制社会に追放する代償だったのである。/ だが、天皇制イデオロギーという安全弁的回路を設定したのは、結果から見れば明治の支配者たちの危険な冒険であった。彼らはその危険さをまったくさとることがなかったが、逆流は大正中期に始まった。この逆流は右翼ラディカリズムの形態をとってあらわれたけれども、その実体は端的にいって<共同性への飢渇>と規定することができる。この共同性への飢えは直接わが国の共同体民の伝統的心性から発したものというより、市民社会的現実の進展のただなかに、共同体から駆り立てられ漂流する個の、特殊に昂進した欲求とみるほうが正確である。したがってそれは、近世の村落共同体や下町共同体において保たれていたおだやかな生活感覚とは異質な、過激さと幻想性を特徴としていた。このような病的に近い飢渇感は、かつてこの国の伝統にはなかったものとさえいうことができる。この飢渇は天皇制共同体神話とのあいだに、おそるべき共鳴をひき起こした。昂進は相互的であった。その共鳴から相互昂進にいたる過程の結果について多くをいう必要はない。それは周知の昭和前期の騒乱へ行き着いたのである。」(「戦後天皇制は可能か」前掲書)
「日本人の男たちは、戦前にくらべ見ちがえるほど家庭を大切にするようになった。しかし彼らが家庭にあつい思いを寄せるほど、家庭は彼らを裏切る。…(略)…今日の同人誌のしろうと小説の三大テーマは、マイホーム建設などをめぐる金の話と、子どもの進学問題と、女房の浮気である。夫が家庭に幻影を付託する度合いに応じて、妻と子どもは個としてつつき出されるのだといってよい。しかし、家庭が共同的なものへの欲求をささやかなりと擬似的にみたしているあいだは、日本人が天皇を必要としないことだけはたしかだ。家庭と共同体的天皇がけっして両立しないということは、日本人が戦争から学んだもっとも尊い教訓である。/ おそらく日本人の意識には、幕藩封建社会から明治近代社会への移行のときに匹敵するような大きく深刻な変化が進行中なのだ。私にはそれが、共同的なものへの幻想を次第に剥ぎ取られて個に還元されて行く過程のようにみえる。個に還元されてつくしたとき、日本人の共同的なものへの欲求は、つきものが落ちたようにきれいさっぱり消え去るのであろうか。逆のように私には考えられる。そのときこそ、共同的なものへの飢えという、わが近代史の底流となって来た欲求は、まったく別な次元で思想的課題となりうるはずである。なぜなら人間は、それがよいことか悪いことかは知らぬが、かならず他者との関係で飢えるからである。私は個的現存と共同的現存との統一が、人類史の本質的課題だということを承認する点で、若かったときと同じようにマルクスの生徒だと思っている。ただそれが未知の思想的領域であるとする点で、私はもはやマルクスの生徒ではあるまい。ただその未知の領域でもあきらかなことがひとつある。天皇はふたたびこの領域に出没することはない。」(「戦後天皇制は可能か」前掲書)
「われわれはなるほど資本制的商品社会から逃れることはできませんけれど、われわれの生の基底、生の実質は商品の貫通力に侵されぬものとして厳存しています。存在するのはいわゆる個性ではありません。個です。おもしろおかしく商品化される差異が個の実質を形づくっているのではなく、ともに人間でありうる共通の基底的実質が、他をもって代置しえぬ個、すなわち孤としてあるゆえにこそ、世界全体・人間全体との意味的な統合なしには生きられぬ個、そういう個こそわれわれの真の現存であります。人類史とはまさにそのような、陽気な暮らしの次元では充足できず、「天地生存の感」を自己のうちに抱え込まざるをえない個の、永久に完結しない課題のあらわれであったのです。」(『なぜいま人類史か』 葦書房)
「私は人がかくもサルに似ているということに希望を見出します。といことの意味は、人間がこの地球上に突然出現した怪物じみた欠陥動物ではないということが、私に希望を与えるという意味です。文化にせよ制度にせよ言語にせよ、いずれも前人間的な基礎、つまり生命的連続性のうえに立つ現象であることに、深い救いを覚えるという意味です。文化は生物的進化の法則から離脱した現象だといいますが、それは生物進化をネオダーウィニズムの突然変異と自然選択の組み合わせとしてイメージするからそうなるので、進化がダーウィニズムの総合学説的枠組みのなかで起って来たということは、いまだ立証されざる仮説、今日破綻しつつある独断にすぎません。そのようなネオダーウィニズムのイデオロギーさえはずせば、文化は地球的進化の法則から離脱した現象などではまったくないことになります。若き科学史家の米本昌平さんは、「生命は合目的である。生命の合目的性は進化の結果としてある。生命の合目的性は進化による結果合目的性である。」といわれています。この進化とは、ネオダーウィニズム的枠組みに固定され狭隘化された進化ではないことはもちろんのことです。」(前掲書)
「何が一番いいかというと、ごたごたいわなくて付き合っていける関係ですね。お互い黙って隣にいる、それで満足だ、ましてや議論して言質をとったりしなくていい。そういう感じですね。もちろん学問的思想的な議論は別ですが、要するに黙っていることのできる関係というのが、私の場合一つの理想として考えられております。ただそういう了解性というものには、あらゆるマイナス性がくっついているもので、これは私がことさらいう必要もございません。でなければ、明治から大正にかけて、青年たちが大挙して村から出るはずがないのです。そんな天国のような村なら、そのまま村におれば良かったわけであります。そしてまた、人類はすでに共同体から離脱したのです。人間というものを宇宙の中に神話論的に位置づけて、一つの秩序をもった共同的な関係にしばりつけた、そういう期間はもう過ぎ去ったわけであります。とすると、後に残るのは「個」しかない。ところがその「個」の世界というのは、現代においては資本制という形で実現されているわけであって、それ以外の存在形態を考えるのは非常にむずかしい。ここに難問があります。/ 共同体論について、私の結論的なことを申せば次のようになりましょうか。人間は共同体という古き衣を脱ぎすて、もう返れない「個」の世界に移動したのである。しかし、かつての共同的な了解の世界というのは、人間の心の中の一つの憧憬として、ある時には血みどろな情念としてなお存在し続けている。そういうものを、どう人間のあり方として再建していけるのか。それはいわゆる「社会主義」になればいいというものでもない。ただどうしようもなく「個」の社会の中で漂流しながら、人間の共同的な関係というものはどういうものであるか、それはどうしたら創り上げることができるのか、ということをたえず課題として持たねばならないのです。これについて、簡単な処方箋というものはございません。むしろわれわれは「個」の世界でもちこたえねばならないのだし、そのもちこたえるということのなかには、人類史を理論的につかみ直して、共同性の歴史的根據をさぐるという仕事も含まれていると思います。」(前掲書)
私は、戦前大連で生まれ熊本で在野する渡辺氏の作品を読み知ったのは、前回ブログで引用したものがはじめてである。今回、区立の図書館よりその著作を借りて読むにつき、私の思考を刺激してきたので、その箇所いくつかノートとして書き留めておくことにした。そして次回のブログでは、プチブルジョワインテリへの居直り(ブント)思想家としての、柄谷行人氏の「哲学の起源」問題へと、接続の端緒を随想できたら、と考えている。
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「伝統的風土と反権力の思想のかかわりを考える場合、もっとも注目すべきなのは、この村落共同体、あるいはその亜種としての都市の下町的共同体の住民である。彼らの意識の中核をなしている自然観、人間観、ないしは価値意識は、西欧市民社会を貫徹する論理と決定的に異質だった。だから彼らは、明治新政府が導入した市民社会的諸体系(法や社会制度)を、まったく理解不可能なものとみなし、もしそれとかかわりをもたねばならぬことがあれば、天災のような災厄とあきらめ、出来うることなら、一生それとは無関係に、伝統的な共同体的倫理にしたがって生を終えることを望んだ。/ 彼らのそういう生きかたからすれば、権力の思想と反権力の思想の区別は無意味だった。なぜならそれは、共同体の圏外の住人である特権的エリートの思想分裂であって、共同体内でまどろむような生活が続けられるかぎり、エリートたちの抗争は、彼らの生活に何ら具体的な作用をもたなかったからである。彼らには法とか政治とかの言語を必要としない、いわば自然の言語に属する生活があって、そのなかから追い立てられぬかぎり、政治社会で何ごとが起っていようとも、それは湖底から見た水面のさざなみにすぎなかった。…(略)/ 昭和初期の政治的激動のもつ意味は、このような基底生活民が、その共同体内でのまどろみから揺り立てられて、市民社会の進展する現実と直面させられたことにある。大正中期からはじまった社会の地殻変動は、いわば彼らを包んでいた繭を決定的に破壊したのである。血盟団のテロリストたちの出現は、そのような共同体民の、政治舞台への登場の象徴であった。そしてこのとき彼らが、西欧的革命思想への反対者としてのみでなく、同時に反権力的革命者として現れたことは、革命と風土の関係を考える場合、何よりもまして重要な事実であったように思われる。/ 彼ら右翼的な下層青年たちは、たんに伝統思想の立場から、ヨーロッパ進歩思想を敵視しただけなのではない。彼らはもはや共同体に安住することのできなくなった若者たちであり、彼らを深部で動かしていた衝動は、まぎれもない個への自覚であった。にもかかわらず彼らが、当時支配的であった移入思想としてのデモクラシー、ないし社会主義に同調できなかったのは、そのようなイデオロギーの担い手である都市知識人が、社会的に特権エリートとして存在し、下層青年たちの個への自覚が同時に、共同的なものの再建への熱望であることを、まったく理解しようとしなかったからである。/ 彼らの政治思想的な自覚は、だから本質的は反権力的なものでありながら、権力の国家主義思想のえじきとなるほかはなかった。この悲劇は、日本共同体民の伝統的心性が、反権力の思想回路を設定しそこなったまことに痛恨すべき事例として、今日のわれわれにも示唆的である。戦後市民社会は、明治以来の懸案であった全国民の近代市民的統合を、一見みごとになしとげたように見えながら、深部においては、伝統的な心性がもっともラディカルな革命への衝迫をさそい出すという、矛盾をなおたたえ続けているからである。(渡辺京二著 「風土と反権力」『日本コミューン主義の系譜』 葦書房)
「だがわが国民の庶民たちはもともと、このような分立競合する利害の合理的調整体系としての市民社会的現実に適合的な心的構造をそなえていたわけではけっしてない。「悪事のあらん限りを尽くさざれば一生の損だぞ」というのは、そういう現実に元来は不適合である彼らの悲鳴であった。ながいあいだ共同的小社会の伝統のなかで生きて来た彼らにとって、市民社会のなかで個として漂流しなければならぬというのは恐怖以外の何ものでもなかった。国家を家族として擬制し、天皇を全家族の保護的な家長に比定する天皇制イデオロギーは、このような伝統的な庶民の心性と、結局は彼らがその成員として統合されねばならぬ市民社会的現実とのあいだにおかれた、一種の緩衝装置として機能したということができる。」(「ニ・二六叛乱覚え書」 前掲書)
「しかし彼らの”愛国的”熱狂はなぜ、近代ナショナリズムというよりむしろスパルタ風な古拙なパトリオティズムに似ていたのか。宮武二等卒が「世間に顔出し出来ぬ」という思いで腹を切ったのであることは一点の疑いもない。佐喜が「世間に顔出し出来ぬ」と口に出し、宮武藤吾が同じ思いで腹を切ったとき、彼らを拘束し駆りたてていたものは、近代ナショナリズムなどというのには遠い、部落共同体に対する古風な義務感であったということができる。たとえば村落が洪水なら洪水に見舞われて一村水没の危機に遭遇したとき、川堤に俵を積む義務から逃げるものがあればそれは最悪の卑劣漢である。ほかの悪徳は許されてもこの悪徳は許されない。佐喜の怒りはこのような村落共同体の倫理の表明であったというべきである。すなわち彼ら明治の庶民は村落共同体への義務との類推において国民国家への義務を理解したのであって、彼らの古風なスパルタ的献身の出どころはこのような国家と村落共同体とのいたいけな短絡のうちにあったのである。」(「戦争と基礎民」前掲書)
「明治の国家指導者たちが国民に対して、一視同仁の愛を垂れる倫理的裁断者としての天皇というイメージをふりまかねばならなかったのは、彼らにこの国で資本制を建設するうえで深刻な不安があったからである。その不安は何よりも、この国の基礎民の共同体的生活伝統から来た。資本制を建設するというのは、それを社会構成レヴェルでみれば市民社会の諸システムを導入するということである。彼らは明治の最初の十年間のにがい経験によって、市民社会的諸体系がこの国の基礎民には、神も仏もない異様な論理につらぬかれたものに見えることを否応なく学んだ。日本国家は天皇という神のみそなわす共同体国家だという神話は、事実において基礎民を市民社会的論理の支配する資本制社会に追放する代償だったのである。/ だが、天皇制イデオロギーという安全弁的回路を設定したのは、結果から見れば明治の支配者たちの危険な冒険であった。彼らはその危険さをまったくさとることがなかったが、逆流は大正中期に始まった。この逆流は右翼ラディカリズムの形態をとってあらわれたけれども、その実体は端的にいって<共同性への飢渇>と規定することができる。この共同性への飢えは直接わが国の共同体民の伝統的心性から発したものというより、市民社会的現実の進展のただなかに、共同体から駆り立てられ漂流する個の、特殊に昂進した欲求とみるほうが正確である。したがってそれは、近世の村落共同体や下町共同体において保たれていたおだやかな生活感覚とは異質な、過激さと幻想性を特徴としていた。このような病的に近い飢渇感は、かつてこの国の伝統にはなかったものとさえいうことができる。この飢渇は天皇制共同体神話とのあいだに、おそるべき共鳴をひき起こした。昂進は相互的であった。その共鳴から相互昂進にいたる過程の結果について多くをいう必要はない。それは周知の昭和前期の騒乱へ行き着いたのである。」(「戦後天皇制は可能か」前掲書)
「日本人の男たちは、戦前にくらべ見ちがえるほど家庭を大切にするようになった。しかし彼らが家庭にあつい思いを寄せるほど、家庭は彼らを裏切る。…(略)…今日の同人誌のしろうと小説の三大テーマは、マイホーム建設などをめぐる金の話と、子どもの進学問題と、女房の浮気である。夫が家庭に幻影を付託する度合いに応じて、妻と子どもは個としてつつき出されるのだといってよい。しかし、家庭が共同的なものへの欲求をささやかなりと擬似的にみたしているあいだは、日本人が天皇を必要としないことだけはたしかだ。家庭と共同体的天皇がけっして両立しないということは、日本人が戦争から学んだもっとも尊い教訓である。/ おそらく日本人の意識には、幕藩封建社会から明治近代社会への移行のときに匹敵するような大きく深刻な変化が進行中なのだ。私にはそれが、共同的なものへの幻想を次第に剥ぎ取られて個に還元されて行く過程のようにみえる。個に還元されてつくしたとき、日本人の共同的なものへの欲求は、つきものが落ちたようにきれいさっぱり消え去るのであろうか。逆のように私には考えられる。そのときこそ、共同的なものへの飢えという、わが近代史の底流となって来た欲求は、まったく別な次元で思想的課題となりうるはずである。なぜなら人間は、それがよいことか悪いことかは知らぬが、かならず他者との関係で飢えるからである。私は個的現存と共同的現存との統一が、人類史の本質的課題だということを承認する点で、若かったときと同じようにマルクスの生徒だと思っている。ただそれが未知の思想的領域であるとする点で、私はもはやマルクスの生徒ではあるまい。ただその未知の領域でもあきらかなことがひとつある。天皇はふたたびこの領域に出没することはない。」(「戦後天皇制は可能か」前掲書)
「われわれはなるほど資本制的商品社会から逃れることはできませんけれど、われわれの生の基底、生の実質は商品の貫通力に侵されぬものとして厳存しています。存在するのはいわゆる個性ではありません。個です。おもしろおかしく商品化される差異が個の実質を形づくっているのではなく、ともに人間でありうる共通の基底的実質が、他をもって代置しえぬ個、すなわち孤としてあるゆえにこそ、世界全体・人間全体との意味的な統合なしには生きられぬ個、そういう個こそわれわれの真の現存であります。人類史とはまさにそのような、陽気な暮らしの次元では充足できず、「天地生存の感」を自己のうちに抱え込まざるをえない個の、永久に完結しない課題のあらわれであったのです。」(『なぜいま人類史か』 葦書房)
「私は人がかくもサルに似ているということに希望を見出します。といことの意味は、人間がこの地球上に突然出現した怪物じみた欠陥動物ではないということが、私に希望を与えるという意味です。文化にせよ制度にせよ言語にせよ、いずれも前人間的な基礎、つまり生命的連続性のうえに立つ現象であることに、深い救いを覚えるという意味です。文化は生物的進化の法則から離脱した現象だといいますが、それは生物進化をネオダーウィニズムの突然変異と自然選択の組み合わせとしてイメージするからそうなるので、進化がダーウィニズムの総合学説的枠組みのなかで起って来たということは、いまだ立証されざる仮説、今日破綻しつつある独断にすぎません。そのようなネオダーウィニズムのイデオロギーさえはずせば、文化は地球的進化の法則から離脱した現象などではまったくないことになります。若き科学史家の米本昌平さんは、「生命は合目的である。生命の合目的性は進化の結果としてある。生命の合目的性は進化による結果合目的性である。」といわれています。この進化とは、ネオダーウィニズム的枠組みに固定され狭隘化された進化ではないことはもちろんのことです。」(前掲書)
「何が一番いいかというと、ごたごたいわなくて付き合っていける関係ですね。お互い黙って隣にいる、それで満足だ、ましてや議論して言質をとったりしなくていい。そういう感じですね。もちろん学問的思想的な議論は別ですが、要するに黙っていることのできる関係というのが、私の場合一つの理想として考えられております。ただそういう了解性というものには、あらゆるマイナス性がくっついているもので、これは私がことさらいう必要もございません。でなければ、明治から大正にかけて、青年たちが大挙して村から出るはずがないのです。そんな天国のような村なら、そのまま村におれば良かったわけであります。そしてまた、人類はすでに共同体から離脱したのです。人間というものを宇宙の中に神話論的に位置づけて、一つの秩序をもった共同的な関係にしばりつけた、そういう期間はもう過ぎ去ったわけであります。とすると、後に残るのは「個」しかない。ところがその「個」の世界というのは、現代においては資本制という形で実現されているわけであって、それ以外の存在形態を考えるのは非常にむずかしい。ここに難問があります。/ 共同体論について、私の結論的なことを申せば次のようになりましょうか。人間は共同体という古き衣を脱ぎすて、もう返れない「個」の世界に移動したのである。しかし、かつての共同的な了解の世界というのは、人間の心の中の一つの憧憬として、ある時には血みどろな情念としてなお存在し続けている。そういうものを、どう人間のあり方として再建していけるのか。それはいわゆる「社会主義」になればいいというものでもない。ただどうしようもなく「個」の社会の中で漂流しながら、人間の共同的な関係というものはどういうものであるか、それはどうしたら創り上げることができるのか、ということをたえず課題として持たねばならないのです。これについて、簡単な処方箋というものはございません。むしろわれわれは「個」の世界でもちこたえねばならないのだし、そのもちこたえるということのなかには、人類史を理論的につかみ直して、共同性の歴史的根據をさぐるという仕事も含まれていると思います。」(前掲書)
2012年4月23日月曜日
二つの方向(人類叡智と現実)
「ドストエフスキイが批判者の近代的思考を向こうにまわして民衆の熱狂を擁護したのは、「問題を民衆的精神において解決する」という基本的な立場においてであった。…(略)…彼にとって近東戦争が問題なのは、それが民衆の生活の基部から必然的に生成する幻影とかかわるかぎりにおいてなのである。…(略)…彼は、聖地巡礼がロシア民衆の中に長い伝統を持っており、彼ら巡礼者たちに関する物語が広く民衆の間に流布していることを述べたのち、そのような物語には「ロシア民衆の気持ちからいうと、なにかしら懺悔と浄めの力を持ったものが含まれているのだ」という。彼によれば、農奴解放後の彼らの現実、すなわち「飲酒癖の増加、富農の増加と強化、自分たちを取り囲む赤貧、自分自身の体にしばしば現れる野獣の相」に対する彼らの悲哀が、「より善き神聖なものを求める」渇望を育てていた。…(略)…彼は一見ここで伝統の重さとそれへの随順を説いているようであるが、実はそうではなく、政治思想のもっとも根本的な課題は民衆の意識の底に胎まれている夢想と幻影をどのようにして現世的なものとして実現することができるかということだという前提のもとに、その夢の伝統的な形式を看過すべからざる必須の因子としてとり出してみせているのである。その伝統を賛美するつもりはいささかもないといいながら、随所で彼は事実上賛美に走りがちであり、「多くのことを説明し得る事実」としてどころか、彼の言葉を借りればそれを民衆の「善の探求」の唯一の形式として意味づけている。この場合いわれている「善」とは、せまい意味での倫理的価値ではなく、幸福とか充足とか平安とかをふくむもっと広い意味、要するに「夢」という一語でおきかえるほかないような意味であろうと私は理解する。」(渡辺京二著『ドストエフスキイの政治思想』 洋泉社)
東日本が震源の震災と原発事故を一年にして、それを起点とする言説の潮流は、おおざっぱに相反するニ方向に分岐しだしたようにみえる。原子力発電という近代科学技術の象徴的な頂点のあり方を折り返し点に、脱原発的態度は一致しながらも、それをより近代的なあり方の徹底という方向で乗り越えていく考え方と、前近代的なものの見方・あり方を回復させていくことによって、という方向である。これは、戦前の思想界でなされた、「近代の超克」的議論を連想させる。実際、なんらかの反復的な事態なのだろう。その反復自体を批判していく態度もありえるのだろうが、私は今を生きている者のためにも、様相(衣装)を変えてでもこの反復を整理し理解し、少しでも脳味噌の混乱を慎めていく必要があると考える。「技術」という項目のブログを記述した後に、このような思考整理の文章を書き始めている私自身が、まさに反復潮流をなぞっている。脳力弱いなあ、と自省しながらも、いたしかたないことなのである。
というか、そもそも「近代」の夢とが、この人間個人の、神(伝統・共同体)から自立した自身のコントロールというところにあった、ともいえないだろうか? 自然をコントロールする技術と、自分をコントロールする技術……「できたらいいなあ!」と。ということは、その夢の内には、その内実的な現実とは、それができるほど自分が強くないこと、自立するには弱いということが観念され、ゆえに暗黙には、他の者たちへの依存や共同性が願望されているということになる。ならばその夢が、なにかあるたびに、上のようなニ方向になるのは当然といえる。ただし、近代を徹底する方向でそれを乗り越えてゆく考え方の人なら、もしその実現の暁には、人間は違った夢をみれるだろう、ということが仮説されえる。そうした視点からは、この震災後の民衆の有り様を、相も変らぬ「愚民」と呼びつけ、その在り方を「天皇制」というこの国の規範形式として把握し批判する向きもあるようだ。私はその大塚氏と宮台氏の『愚民論』(太田出版)は読んでいないが、そんな言葉使いをされただけで読む気が失せる。自分も愚民だろうなあ、と思うからである。まだ浅田彰氏の「野蛮人」のほうが気分がいい。
しかしそんな私は、天皇制には反対である。日本国憲法に、その「天皇」という言葉を挿入すべきでない、と考える。まず第一に、テレビでみていると、天皇およびその家族が人間(個人)として可愛そうにみえる。その地位を面白くこなしている皇族もいるだろう。がそれが嫌なとき、降りれるのだろうか? そして第二に、やっぱり人間(個人)は強くなければいかん、とおもうからである。はじめから、つまり憲法的な制度で、あるものを生贄の地位に祭り上げておいて自身の安定を担保としているのはよくない、卑怯だ、と感じるからである。努力してだめだったら仕方がない。いやし方がないうちにも、努力をもって生きていくべきだ、と考える。が、学問が教えているのは、何万年と生きてきた人類は、もう仕方がないとあきらめて、ゆえに権威(共同体)と権力(個人)を分けて治める叡智を培ってきたのだと。しかしヨーロッパ発の近代とは、そんな人類(「野蛮人」)の知恵を捨てて、王様(権威)の首を切りもう一度個人権力に権威をとりもどさせる政治体制を作ることだった、ということである。近代化が中途半端だった日本では、あるいはマッカーサーでさえ、日本の王の首を切らず、人類の叡智に従ってしまった。しかしその結果、神に変わって自然(太陽)をコントロールする人間の科学技術を所持することに耐え切れず、今回のような原発惨事を招いてしまった、ということになるのである。われわれがもっと個人的に強ければ、事故が起きてもおろおろせず、むしろ絶対安全などという神話を信じず対策も実験済みであり、ゆえに初動体制で惨事をふせげただろう……こうも、愚民批判者は考えるかもしれない。それゆえにまず、個人が「天皇制」から脱出する必要がある、と。
ほんとうに「天皇」という権威的象徴がいなくなって、日本という共同性は保てるのだろうか? 個人がばらばらになっても、だいじょうぶなんだろうか? 人類の叡智に反することを現代人がやっても、平気なんだろうか? 権威と権力をわけなくても、われわれはもうだいじょうぶ、それぐらいは強くなっているのだろうか?
自己責任論に立脚する近代主義者・小沢一郎氏は、このように言っているという。
<「小沢先生」「なんだ」「日本の政治家として一番やってはいけないことはなんだと思いますか」「そりゃ、天皇制をいじることだ」
天皇は国家の権威を持っている。日本では権力は政治的指導者にある。アメリカでは大統領が権威と権力を兼ねる。たとえば政治指導者がスキャンダルを起こしたとしよう。アメリカは権威も権力も傷がつくだろう。しかし、日本の場合は権威には及ばない。それが日本国を維持させている政体である。であるからには、天皇制にまつわる問題はなにがなんでも原理原則を崩してはならない。>(石川知裕『悪党 小沢一郎に仕えて』 朝日新聞出版)
私は、小沢氏が、教養的な理解で、人類叡智に従い、天皇制をいじるな、と言っているのではないだろう、と予測する。人類叡智に反して作られた欧米の近代政治体制の現状認識から、実用的に言っているのでもないだろう、と思う。おそらく、飼い犬の鳴き声でその家が自分に投票するかどうかわかる、と言うぐらいの職業政治家として、肌で感じ取っていることなのだろうと考える。この「肌」を信じるならば、わかる事実とは、われわれがなお愚民の夢のなかにいるということである。小沢氏自身、こういう危機のときこそ強いリーダーシップ、個人が必要なのになお日本の民度がひくい、というような発言をしている。ということは、天皇制を信じる民衆はなお崩せないが、個人として強くなるよう努力すべし、私も啓蒙的に戦う、ということなのだろう。むろんこの「肌」の位相からは、われわれが「野蛮人=愚民=人類叡智」をほんとうに超克しえる存在なのかは不明である。わかるのは、あくまで、今は無理、ということ、そしてゆえに、みんなで頑張ろうという共同性と、強い個人の待望は、その相反するニ方向は、「寄らば大樹の陰」として両立するということである。
東日本が震源の震災と原発事故を一年にして、それを起点とする言説の潮流は、おおざっぱに相反するニ方向に分岐しだしたようにみえる。原子力発電という近代科学技術の象徴的な頂点のあり方を折り返し点に、脱原発的態度は一致しながらも、それをより近代的なあり方の徹底という方向で乗り越えていく考え方と、前近代的なものの見方・あり方を回復させていくことによって、という方向である。これは、戦前の思想界でなされた、「近代の超克」的議論を連想させる。実際、なんらかの反復的な事態なのだろう。その反復自体を批判していく態度もありえるのだろうが、私は今を生きている者のためにも、様相(衣装)を変えてでもこの反復を整理し理解し、少しでも脳味噌の混乱を慎めていく必要があると考える。「技術」という項目のブログを記述した後に、このような思考整理の文章を書き始めている私自身が、まさに反復潮流をなぞっている。脳力弱いなあ、と自省しながらも、いたしかたないことなのである。
というか、そもそも「近代」の夢とが、この人間個人の、神(伝統・共同体)から自立した自身のコントロールというところにあった、ともいえないだろうか? 自然をコントロールする技術と、自分をコントロールする技術……「できたらいいなあ!」と。ということは、その夢の内には、その内実的な現実とは、それができるほど自分が強くないこと、自立するには弱いということが観念され、ゆえに暗黙には、他の者たちへの依存や共同性が願望されているということになる。ならばその夢が、なにかあるたびに、上のようなニ方向になるのは当然といえる。ただし、近代を徹底する方向でそれを乗り越えてゆく考え方の人なら、もしその実現の暁には、人間は違った夢をみれるだろう、ということが仮説されえる。そうした視点からは、この震災後の民衆の有り様を、相も変らぬ「愚民」と呼びつけ、その在り方を「天皇制」というこの国の規範形式として把握し批判する向きもあるようだ。私はその大塚氏と宮台氏の『愚民論』(太田出版)は読んでいないが、そんな言葉使いをされただけで読む気が失せる。自分も愚民だろうなあ、と思うからである。まだ浅田彰氏の「野蛮人」のほうが気分がいい。
しかしそんな私は、天皇制には反対である。日本国憲法に、その「天皇」という言葉を挿入すべきでない、と考える。まず第一に、テレビでみていると、天皇およびその家族が人間(個人)として可愛そうにみえる。その地位を面白くこなしている皇族もいるだろう。がそれが嫌なとき、降りれるのだろうか? そして第二に、やっぱり人間(個人)は強くなければいかん、とおもうからである。はじめから、つまり憲法的な制度で、あるものを生贄の地位に祭り上げておいて自身の安定を担保としているのはよくない、卑怯だ、と感じるからである。努力してだめだったら仕方がない。いやし方がないうちにも、努力をもって生きていくべきだ、と考える。が、学問が教えているのは、何万年と生きてきた人類は、もう仕方がないとあきらめて、ゆえに権威(共同体)と権力(個人)を分けて治める叡智を培ってきたのだと。しかしヨーロッパ発の近代とは、そんな人類(「野蛮人」)の知恵を捨てて、王様(権威)の首を切りもう一度個人権力に権威をとりもどさせる政治体制を作ることだった、ということである。近代化が中途半端だった日本では、あるいはマッカーサーでさえ、日本の王の首を切らず、人類の叡智に従ってしまった。しかしその結果、神に変わって自然(太陽)をコントロールする人間の科学技術を所持することに耐え切れず、今回のような原発惨事を招いてしまった、ということになるのである。われわれがもっと個人的に強ければ、事故が起きてもおろおろせず、むしろ絶対安全などという神話を信じず対策も実験済みであり、ゆえに初動体制で惨事をふせげただろう……こうも、愚民批判者は考えるかもしれない。それゆえにまず、個人が「天皇制」から脱出する必要がある、と。
ほんとうに「天皇」という権威的象徴がいなくなって、日本という共同性は保てるのだろうか? 個人がばらばらになっても、だいじょうぶなんだろうか? 人類の叡智に反することを現代人がやっても、平気なんだろうか? 権威と権力をわけなくても、われわれはもうだいじょうぶ、それぐらいは強くなっているのだろうか?
自己責任論に立脚する近代主義者・小沢一郎氏は、このように言っているという。
<「小沢先生」「なんだ」「日本の政治家として一番やってはいけないことはなんだと思いますか」「そりゃ、天皇制をいじることだ」
天皇は国家の権威を持っている。日本では権力は政治的指導者にある。アメリカでは大統領が権威と権力を兼ねる。たとえば政治指導者がスキャンダルを起こしたとしよう。アメリカは権威も権力も傷がつくだろう。しかし、日本の場合は権威には及ばない。それが日本国を維持させている政体である。であるからには、天皇制にまつわる問題はなにがなんでも原理原則を崩してはならない。>(石川知裕『悪党 小沢一郎に仕えて』 朝日新聞出版)
私は、小沢氏が、教養的な理解で、人類叡智に従い、天皇制をいじるな、と言っているのではないだろう、と予測する。人類叡智に反して作られた欧米の近代政治体制の現状認識から、実用的に言っているのでもないだろう、と思う。おそらく、飼い犬の鳴き声でその家が自分に投票するかどうかわかる、と言うぐらいの職業政治家として、肌で感じ取っていることなのだろうと考える。この「肌」を信じるならば、わかる事実とは、われわれがなお愚民の夢のなかにいるということである。小沢氏自身、こういう危機のときこそ強いリーダーシップ、個人が必要なのになお日本の民度がひくい、というような発言をしている。ということは、天皇制を信じる民衆はなお崩せないが、個人として強くなるよう努力すべし、私も啓蒙的に戦う、ということなのだろう。むろんこの「肌」の位相からは、われわれが「野蛮人=愚民=人類叡智」をほんとうに超克しえる存在なのかは不明である。わかるのは、あくまで、今は無理、ということ、そしてゆえに、みんなで頑張ろうという共同性と、強い個人の待望は、その相反するニ方向は、「寄らば大樹の陰」として両立するということである。
2012年4月8日日曜日
二つの成長
携帯電話の調子がおかしいので、中野駅前のソフトバンクの支店にいってくる。スピーカーの故障ということで、保険に入っていない私は修理よりも機種交換したほうが安上がりなよう。カメラもレンズが傷だらけで写せない。7万円電話機の2年分割払いも去年終っている、ということで、新しいのに買い換えようとするのだが、店頭にはもう携帯電話はほとんど置いておらず、スマートフォンの時代なのだった。現在一月の電話料金は3千円ほどだが、スマートフォンだと最低は8千円はするという。ディスプレイがむき出しなので、土建仕事ではすぐに汚れ破損してしまうだろう。結局は、在庫であったピンクの電話機を買うことになったのだが。しかし、それを手に入れるのに、4時間近くもかかる。以前よりもカウンター数も店員数も減っていたので、手続きに時間がなおかかるのだ。従業員の質も落ちている。ソフトバンクは、店舗数は増えているように街ではみかける。原発事故以降、政治の時流にうまくのって、この新端末のアメリカ企業からのOS使用許可、国内空き電波への参入獲得、新エネルギー市場への布石準備…とうをみると、なにか裏があるのではないかと勘ぐりたくなるくらいだ。新規に市場参入する新参者のときは規制緩和と叫びながら、自分がそこを独占しはじめる勢いにのると、都合のよい規制を強めてくるだろう、というのが、結局は同じ構造、同じ穴のむじなにすぎない資本下の論理である。この徴候は、すでに末端のサービスに現れている。私は、後輩のときは先輩の悪をあげつらいながら、いざ自分が先輩になると同じことを後輩に繰り返して伝統とやらを受け継いでいった運動部の人間模様を思い出す。脱原発の新エネルギー政策があったとしても、そういうイヤなものの支配下としてある。単に、同じ市場(皿)の中での、もうけ(大きさ)の違うパイの奪い合いをしているにすぎない。その皿を差し出す店が変わらないなら、原発反対を叫ぶよりも、大気圏に精製されていない重油ガスを撒き散らしているという飛行機を飛ばすのをやめよう、といったほうがずっと地球には親切で、資本市場をゆさぶるように思える。
30年ぶりに、母校が甲子園にでた。県立の進学校なので、秀でた選手がいるわけでもないから、まずはミスをなくして四つに組むゲームを作っていくことが大事になる。先制点をとってその流れを序盤では作れたが、4回でのピッチャーの2打者つづけての失投が取り返しのつかないミスとなってしまったようだ。2ストライクと追い込んでからの、高めへのボール球が、中途半端な制球となって強打されたのだ。130km以上のスピードはだせるこの投手は、去年2年生の夏、県予選決勝をかけた試合で、7回に5-0くらいで勝っているときに登板をまかせられたが、ストライクはいらず、押し出しのファーボールをだしたりで逆転を許し、先輩たちを敗退させてしまっている。そんな経験からの成長と、今回甲子園で唯一の明治時代の創立校、そして男子校、そのいかにも時代遅れにもバンカラ古風な応援の様をテレビでみるにつけ、私は複雑な心境になった。この高校生が負けずに成長できたのも、一番は<先輩ー後輩>関係に萎縮されない旧制中学時代のバンカラな自由な校風がなお吹いているからだろう。しかし、こんなガラパコスみたいな時間停止でいいのだろうか? 戦後の運動部で強化された<先輩ー後輩>関係は、軍隊経験によって換骨奪胎された「官僚的」なものである。しかし旧制校から伝承されて残存しているそれとは、「封建的」なものである。後者には、形式的な固形化にはさせない、個人の実力を認める尊厳性が確保されている。年下だからといってそれだけでつぶされない。問答無用ではないのだ。
地元の県からはもう1校甲子園にでて、準決勝までいった高校もある。こちらは私立で、おそらくは学校名を売るために、優秀な選手を集めているところだろう。そのチームの左のエースは、中学まで一緒に野球をやっていた友達の息子だ。今でも、私の父親にその友達から年賀状がとどくのは、母子家庭で生活苦だったその家族を父親が色々と面倒をみてやってからなようだ。子供心での記憶が確かなら、その友達の父親は本物の組員で、抗争事件で殺されたのである。そのため、近所から後指をさされていたときく。校庭グランド横でキャッチボールをしていたのを父親が見て、うまいから入れと誘ったのである。本人は、高校を野球推薦で入ってすぐにベンチ入りし甲子園に出たとおもうが、先輩のいじめにたえられずすぐにやめている(中学時代も、先輩から一番いびられた一人だった)。トラックの運ちゃんをやり、いまは社長だという。数年前、同窓会であったが、肺のひとつをガンで切除しているのに、なお煙草をぷかぷかしている。早死にを厭わないというか、それがどうしたと生きてきたのだろう。だから、父親が生きている間に息子がプロにでもなれればなあ、と旧友のことを思ってしまうのだ。次男のほうは、サッカーをやっているようだ。
サッカーを選んだ一希。というか、私が暗黙に選ばせたのだが。上からの命令ではなく、自らの状況判断で生きていけるように。幼稚園までの公園サッカーを一緒にやっていた年下のうまい子がクラブに入ってきて、チームの力が底上げされた。2年生も3月にはいって、脳神経が少し密になってきたのか成長をみせ、動きが多彩になってきた。3月の新宿区+招待チームの大会では、おしくも予選突破はできなかったが、順当に成長していけば、来年の今頃は優勝争いに参入しているだろう。年下の後輩たちとともに。「この子はね、うまいんだよ。だから試合にだしてよ!」と、先輩たち自らがベンチコーチに入る私に言ってきた。「だけど2年生の大会だから、まず試合に出るのは2年生からだ」と私は答えたが、すぐに先輩のひとりがバテてゴール前でディフェンスの役の振りをして休みはじめたので、そのうまい子に交代させることになる。すでに全体のバランスをみてポジションをとれるので、守備的にも機能し、2試合目では早くもハットトリックを決める。一希も4試合めではハットトリックを決め、チーム内では得点王の実力を発揮する。うまく成長していけば……しかしそれが前提としている社会は、イヤなものは、変わるべきものだろう。子供の成長と、社会(経済)の成長は、どのように交錯しているのだろう? 私はどのように解きほぐし、結びつけていけばいいのだろう?
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