「日本の文化は「道」。これで終わりというゴールがない。僕が20代を過ごした欧州では、なにかを習得するのは目的を果たすため、という考え方だった。物を作る時も同じで、作るのは使ってもらう、つまり売るという目的がある。日本の場合はその目的がはっきりしない。だからPRや競争が苦手なんだと思う。」「日本のサッカーの良さは、決められたことを丁寧に遂行できるところ。ただ、競争に勝ち抜くという意識は弱い。だから相手を出し抜くような創造的なプレーがうまくない。それを生み出すのは技術ではなくて「間」や「タイミング」。相手がこうするからこうしようではなくて、相手のプレーを自分たちが意図した方へ仕向けないといけない。この課題を克服すれば日本はもっと強くなる。」(中田英寿発言「サッカー日本代表へ」 朝日新聞朝刊2013/4/29)
職場に、新しい人がはいってきた。30歳後半で、それまで私塾を開いて先生をやっていたそうだ。だからというか、一服のときに、子どもの勉強の話になってきた。「今でしょ」と、お笑いの一発芸になっている塾講師のいる東進予備校は、コマーシャルをみていると、他の先生の言うこともちょっとちがうね、いいね、と私が言うと、もともとその予備校は、これまでの詰め込み式の教育に反発する講師たちが集まって作った予備校なのだそうだ。その教育の過程で頭のおかしくなったような子が自分の塾にやってきていたのだという。勉強させるというよりも、もっとそれ以前のことからはじめなくてはならなくなると。学生の頃は、中東や北アフリカの方をひとりでまわってきた経験もしているそうだから、現況批判的な眼識があるのだろう。東進予備校で講師もしている出口汪氏の論理ドリルの話になって、論理というけど、それは言葉のうわっつらのつながりのことじゃなくて、一神教的な宗教のようなものだから、ドリルじゃどうしょうもないところはあるね、と私がいうと相槌をうち、「信仰みたいなものですからね」と返答してくる。そんな彼、すでに子どもはいないが結婚生活をしている彼が、まだ給与も安いだろう植木職の世界に、会社のホームページでの応募を見て、初心からはじめてみる決意をしたということになる。奥さんもまずはたまげて、だいぶ話し合い、了解してもらった、ということだった。
私は町の植木屋が、職安やホームページで勤務者を募集しはじめた、という話を親方の息子からきいたとき、いわばその判断は、地域や私人的な関係を切り捨てより匿名的な一般・抽象関係にはいっていくことを是とする、つまり資本主義的な構造が強いてくる力に押し流されていくほうを選択したのだな、とある意味批判的な問題意識をもたされた。実際、3代目になる息子は、知っている人とやっていると疲れる、とその具体性のある関係から逃げたい、という思いを吐露していた。なりゆきから敷衍すると、よそ者の他人だったら、もっと気遣いなく傍若無人に扱えて楽になるな、ということになる。知らない者のことなど考えなくてすむ、自分のこと、その利害だけを心配していればいい、と居直れるようになる。現時代趨勢の、自己責任という欺瞞に依拠した新自由主義的な資本イデオロギーに暗黙にのっかっていこう、という態度である。しかも、本人は世襲制という非自由主義的な旧体制に安住しているのだから、その自己欺瞞はなおさらだ。しかし、そうしてなんだか変な単独人が職場にはいってきてみると、やはりその趨勢におされた判断はよかったのかな、とも思い直されてくる。いわばネットという新テクノロジーを介して、単独的であったよそ者たちが編集されてくる、という感じだ。その職場でのという具体的結びつきが、より横断的になれば、たとえば他の植木屋や産業でも、批判問題意識をもった人たちが渡り合えるような世界として世の中が再編されてくれば、だいぶ日本の閉鎖的な社会も風通しのいい見晴らしのきく世の中にかわっていくだろうと。
が、肉体労働をしてこなかった人にとって、やはり植木屋さんはきつい。剪定された枝をダンプに積み込む作業をしていても、、その束を三回ほど肩にかついで運んだだけで、息切れがしてくるようだ。そして、頭で批判的な意識を抱いていても、体はやはり言われたことにハイハイ即答して動いてしまう、という日本人の習性が身についてしまっている。いわば会社人間だ。私自身もそうだが、反射的に、せかせかと動かされてしまう。そうすると、その視野の狭くなる動きは、自身のケガや第三者への事故へと現場作業は結びついてしまう。「慣れるまで、急いじゃだめですよ。早くしろ、といわれても、ゆっくりやって怒られているくらいじゃないと」と言い聞かせるようになる。しかも彼は、一つ一つ新聞記者のようにメモをとりながら仕事を覚えようとしている。書いて覚えるのは覚えたことにならないからそれじゃだめなんだけど、とアドバイスしたくもなるが、いまはまだ好きにさせている。が、親方の息子と一緒に仕事をするようになれば、そうした個々人の身体(くせ)を拘束させるような、きつい言葉が一言で飛ぶだろう。その罵声や批判の内には、せっぱつまったところでこそ成立する技術、という職人現場で継承されてきた態度要請というものが詰まってはいるのだが、親方ではなくその息子が無邪気にいうとき、その批判の意味は逆転して、人の自由度を奪う、という字義通りの実践結果しかうまないのである。一挙手一投足、その職の全体性が要請してくる体の動きに個々人をあてはまらせる、そんな社会・人間関係にはもはやいない、というまさに職の全体性を意識しなおせている、年の功ある親方とちがって、若い息子は全体がみえず、その場の効率性だけでしかものが言いえていない。だから、イントネーションがちがうのである。その含蓄を欠いた若造の言葉を、妻をもつ大人の人間が、耐えていけるだろうか? あるいは、その関係をうまく変えて、見晴らしのいいものに作っていくことができるだろうか? 親方と私は、そうやって、関係を作り直してきたものとおもう。親方はだいぶ若造だったインテリの私から、学んできたはずだ。
それは、ユダヤ人の教えにあるような実践だった。最大の復讐は誠実であるということである、というような。あるいは、イロニーの最終形態は真面目である、という哲学の箴言にあるような。つまり、私にとって、怒られ嫌味を言われてもどこふく風とニコニコしていたのは、ソクラテスやイエスのような世の中を変えていく復讐実践だったのである。
彼に、そんな息の長い知的体力があるだろうか? そして私は、どう支援していくべきなのだろうか?
2013年4月21日日曜日
子どもとゴール
「今の子どもが二十歳を迎えるころ、この日本は、世界はどのようになっているでしょうか?/ かつてはいかに速く正確に計算ができ、いかに記憶ができるかが、優秀な人間とされてきました。でも、今やそれらはコンピューターの仕事となり、人間はコンピューターのできない仕事を受け持つようになるのです。その時必要な能力が、自分でものを考え、他者とコミュニケーションを取ることができる力です。グローバル社会においても何よりも大切なのが論理力です。」(『出口汪の日本語論理トレーニング』出口汪著 小学館)
「いま、東京大学が九月入学制に変えようという動きを進めています。これは、東京大学の当事者がどれくらい意識しているかは別として、教育を新・帝国主義の現代に適応させようとする動きなのです。/ これまでの日本の教育システムは、非常に特殊でした。端的に述べると、後進国型の教育システムをとっていました。後進国というのは、なるべく早く外国語のわかる外交官を育て上げて外交交渉をしないといけない。また、なるべく早く税務署長をつくって国の税収を上げないといけない。そのために国家はどうするか。記憶力のいい若者を集めてくるのです。そして促成栽培で、事の本質を理解しなくてもいいからともかく暗記させる。暗記したことを再現できる官僚を養成する。明治以来、東京大学を頂点とする日本の教育システムは、そういう後進型の詰め込み式で、それは戦後になっても変わっていません。その結果、いま日本の官僚が恐ろしく低学歴になっている。」(『人間の叡智』佐藤優著 文春新書)
残念ながら、一希は4年生トレセンからもれてしまった。技術的には第二グループの10人目前後くらいに位置しているかな、とみえていたので、私としてもちょっとショックだった。親バカの目だったのかな、ともおもうが、監督や、すでに自分の息子が上級の代表選手に選ばれていた親からも「大丈夫」と言われていたので、今でもそれがなぜなのか、サッカー経験のない私には、ボールタッチの妙技や微妙さのことはわからないので、理解できない。おそらく、各チームの中心選手で落ちたのは一希だけだろう。モチベーションの高い子たちと一緒に練習することで、もうひとつ上の真剣さをしってもらいたいと考えていた私には、本当に残念だった。
が、私自身が、テストが終わった直後に一希に言ったことはこんなことだった。「おまえ、下が人工芝で気持ちがよかったから、たおれてもすぐに起き上がらなかっただろう。あんなとこをテストコーチにみられたら、二度とおまえのほうをみてくれないよ。一度でバッテンつけられておわりだ。一次テストの試合でも、点をとられて『どんまい!』と仲間に声をかけるのはおかしくないかい? なんで、自分でゴール前に猛然と防ぎにいかなかったんだ? まるでひとごとじゃないか? そんなやる気があるのかどうかわからない選手を、わざわざ代表を選んでいくセンターの練習に参加させるとおもうかい? 元気にやるのと、真剣にやるのとはちがうんだぞ。……」
実際、ちょうど落選の結果がわかった練習日、こんなことがあった。練習途中、校庭の遊具周辺が新しい人工芝に変えられているのを上級生が発見した。おそらく一希はそこによっていく6年生をみて、「新しくかわったんだ」とみなを誘うような声をあげた。私はその様を背中で聞いていて、次にどんなことが起こるか想像していた。するとまだ2年生、この4月からは3年生になる男の子が、自分の友達の名をコーチには気づかれないように低いがしっかりした声でよびつけた。「〇〇、いくな!」それを聞いて、コーチが皆を呼びつけて言う。「△△が面白いこといったから許してやるよ。まだ2年生だぞ。おまら、わかるか?」 友の名を呼んだ彼は、入団テストのある他の区の強豪チームにも入っていた。ボールさばきは、もう上級生なみだ。彼は、いわばサッカーを選択した子だった。だから、下級生の練習が終わったあとも、私から上級生の練習にも参加していいといわれていたので、そのまま居残っていたのである。去年の今ごろ、一希もコーチからそう言われたが、一希は友達と公園へ遊びにいくことを選んだのだった。その選択の差は、技術的な面だけではなく、それを支える精神面にこそあらわれていた。一番最初に校庭の人工芝に近づいた6年生は、テクニックと視野の確保に優秀さがみられる子だが、区代表にあたる6年トレセンにはもれてしまっていた。一希も、落選の判定は、そういうところにあったのかもしれない。
しかしそこで、やはりインテリの私は迷ってしまうのだった。「いくな!」と友の名を呼ぶその選手の様には、もう子どもらしさがないというか、その目的に即した”賢さ”はいいのだろうか、とおもったのだった。練習がおわったあと、あの6年生は、待ってましたとばかりに、人工芝に飛び込んで寝ころび、その感触を味わった(コーチからはあきれられた)。そうした、目的に拘束されない逸脱した、発散した好奇心を、抑えつけていくことが、果たしてよいことなのだろうか? 一希は、なお通学や行楽でも、寄り道がおおく、目的地にはなかなかつかない。大人の私は、怒鳴ってばかりである。そして怒鳴りながらも、迷っている。サッカーがいくら視野を広くとって情報処理をするスポーツだといっても、それはゴールという目的にそくした論理の中に拘束されている。しかし生きるとは、そのゴール自体を自分で見つけ、あるいは作り、そして変えていくものなのではないだろうか? 実際、優秀なサッカー選手が、この世界や現実上で、目的を見出しあるいは創造し、視野を広くもち情報をとってこられる応用力をもてるかどうかは怪しい。しかし親としは、というか私としては、あくまで現実や世界で生きていくための縮約モデルテストとして、子どもにサッカーを、あるいは一希がサッカーを選んでくれたことをまだよしとし、そのサッカーを通して、その論理力、情報処理能力を養ってもらいたいと考えるのである。ならば、サッカー自体が目的と限定されてしまうとき、子どもがそう選択し真剣になってしまうとき、本末転倒が発生するだろう。サッカー・ゴールしかみえなくなってしまえば、多様な世界が消されてしまう。しかも、このブログでも指摘してきたように、サッカーとは、現在の資本論理世界の中で、一番の大衆集約力を持つ領域なのである。それを鵜呑みにすることは、それしか見ない、見えない人間になってしまうとは、資本主義の論理以外を知らない、他の世界を想像できなくなってしまう大人に育ってしまうことである。それは、私がサッカーをやらせる、それを通して子ども(たち)に知ってもらいたい、培ってもらいたい事柄、能力とは正反対のものである。
そういう意味では、順調に受かるより、落選したほうがよかったのかな、と思い直している。一希は自分で納得しないことは、やろうとしない。意味がわからなければ、その練習をするのもぐれてしまう。だから、アホなのか、ともみえてしまう。というか、奥手なのだろうと私はおもっている。だから、急がば回れ、で、あちこちに目移りするスキゾ・キッズのままではすまないよう、週に一度は冒頭引用の出口氏の論理ドリルをやらしている。女房の九九・漢字の暗記訓練で泣かされていない時をみつけて、すでに勉強ぎらいになっている息子にやらせるのは難題だ。
トレセンに落ちた一希が、自身でもショックだったのは、一緒に風呂にはいっているとき、「俺、落ちた」と一言いって落とした涙でわかるけれども、そんなことに頓着しないように、相変わらず元気にやっている。このあいだも、全日本予選の6年生大会に、キーパーとして出場し、猛烈なシュートを何度もあびながら、後ろから大声で指示をだしていた。それでいい、とおもうのは、やはり親バカということなのかもしれないが。
*似たようなことを以前書いたなと思い出しふりかえってみたら、「ユーロ・サッカーから――世界とコーチング」という「http://danpance.blogspot.jp/2012/07/blog-post.htmlのブログがあった。その差異とも銘記するよう参照した。
「いま、東京大学が九月入学制に変えようという動きを進めています。これは、東京大学の当事者がどれくらい意識しているかは別として、教育を新・帝国主義の現代に適応させようとする動きなのです。/ これまでの日本の教育システムは、非常に特殊でした。端的に述べると、後進国型の教育システムをとっていました。後進国というのは、なるべく早く外国語のわかる外交官を育て上げて外交交渉をしないといけない。また、なるべく早く税務署長をつくって国の税収を上げないといけない。そのために国家はどうするか。記憶力のいい若者を集めてくるのです。そして促成栽培で、事の本質を理解しなくてもいいからともかく暗記させる。暗記したことを再現できる官僚を養成する。明治以来、東京大学を頂点とする日本の教育システムは、そういう後進型の詰め込み式で、それは戦後になっても変わっていません。その結果、いま日本の官僚が恐ろしく低学歴になっている。」(『人間の叡智』佐藤優著 文春新書)
残念ながら、一希は4年生トレセンからもれてしまった。技術的には第二グループの10人目前後くらいに位置しているかな、とみえていたので、私としてもちょっとショックだった。親バカの目だったのかな、ともおもうが、監督や、すでに自分の息子が上級の代表選手に選ばれていた親からも「大丈夫」と言われていたので、今でもそれがなぜなのか、サッカー経験のない私には、ボールタッチの妙技や微妙さのことはわからないので、理解できない。おそらく、各チームの中心選手で落ちたのは一希だけだろう。モチベーションの高い子たちと一緒に練習することで、もうひとつ上の真剣さをしってもらいたいと考えていた私には、本当に残念だった。
が、私自身が、テストが終わった直後に一希に言ったことはこんなことだった。「おまえ、下が人工芝で気持ちがよかったから、たおれてもすぐに起き上がらなかっただろう。あんなとこをテストコーチにみられたら、二度とおまえのほうをみてくれないよ。一度でバッテンつけられておわりだ。一次テストの試合でも、点をとられて『どんまい!』と仲間に声をかけるのはおかしくないかい? なんで、自分でゴール前に猛然と防ぎにいかなかったんだ? まるでひとごとじゃないか? そんなやる気があるのかどうかわからない選手を、わざわざ代表を選んでいくセンターの練習に参加させるとおもうかい? 元気にやるのと、真剣にやるのとはちがうんだぞ。……」
実際、ちょうど落選の結果がわかった練習日、こんなことがあった。練習途中、校庭の遊具周辺が新しい人工芝に変えられているのを上級生が発見した。おそらく一希はそこによっていく6年生をみて、「新しくかわったんだ」とみなを誘うような声をあげた。私はその様を背中で聞いていて、次にどんなことが起こるか想像していた。するとまだ2年生、この4月からは3年生になる男の子が、自分の友達の名をコーチには気づかれないように低いがしっかりした声でよびつけた。「〇〇、いくな!」それを聞いて、コーチが皆を呼びつけて言う。「△△が面白いこといったから許してやるよ。まだ2年生だぞ。おまら、わかるか?」 友の名を呼んだ彼は、入団テストのある他の区の強豪チームにも入っていた。ボールさばきは、もう上級生なみだ。彼は、いわばサッカーを選択した子だった。だから、下級生の練習が終わったあとも、私から上級生の練習にも参加していいといわれていたので、そのまま居残っていたのである。去年の今ごろ、一希もコーチからそう言われたが、一希は友達と公園へ遊びにいくことを選んだのだった。その選択の差は、技術的な面だけではなく、それを支える精神面にこそあらわれていた。一番最初に校庭の人工芝に近づいた6年生は、テクニックと視野の確保に優秀さがみられる子だが、区代表にあたる6年トレセンにはもれてしまっていた。一希も、落選の判定は、そういうところにあったのかもしれない。
しかしそこで、やはりインテリの私は迷ってしまうのだった。「いくな!」と友の名を呼ぶその選手の様には、もう子どもらしさがないというか、その目的に即した”賢さ”はいいのだろうか、とおもったのだった。練習がおわったあと、あの6年生は、待ってましたとばかりに、人工芝に飛び込んで寝ころび、その感触を味わった(コーチからはあきれられた)。そうした、目的に拘束されない逸脱した、発散した好奇心を、抑えつけていくことが、果たしてよいことなのだろうか? 一希は、なお通学や行楽でも、寄り道がおおく、目的地にはなかなかつかない。大人の私は、怒鳴ってばかりである。そして怒鳴りながらも、迷っている。サッカーがいくら視野を広くとって情報処理をするスポーツだといっても、それはゴールという目的にそくした論理の中に拘束されている。しかし生きるとは、そのゴール自体を自分で見つけ、あるいは作り、そして変えていくものなのではないだろうか? 実際、優秀なサッカー選手が、この世界や現実上で、目的を見出しあるいは創造し、視野を広くもち情報をとってこられる応用力をもてるかどうかは怪しい。しかし親としは、というか私としては、あくまで現実や世界で生きていくための縮約モデルテストとして、子どもにサッカーを、あるいは一希がサッカーを選んでくれたことをまだよしとし、そのサッカーを通して、その論理力、情報処理能力を養ってもらいたいと考えるのである。ならば、サッカー自体が目的と限定されてしまうとき、子どもがそう選択し真剣になってしまうとき、本末転倒が発生するだろう。サッカー・ゴールしかみえなくなってしまえば、多様な世界が消されてしまう。しかも、このブログでも指摘してきたように、サッカーとは、現在の資本論理世界の中で、一番の大衆集約力を持つ領域なのである。それを鵜呑みにすることは、それしか見ない、見えない人間になってしまうとは、資本主義の論理以外を知らない、他の世界を想像できなくなってしまう大人に育ってしまうことである。それは、私がサッカーをやらせる、それを通して子ども(たち)に知ってもらいたい、培ってもらいたい事柄、能力とは正反対のものである。
そういう意味では、順調に受かるより、落選したほうがよかったのかな、と思い直している。一希は自分で納得しないことは、やろうとしない。意味がわからなければ、その練習をするのもぐれてしまう。だから、アホなのか、ともみえてしまう。というか、奥手なのだろうと私はおもっている。だから、急がば回れ、で、あちこちに目移りするスキゾ・キッズのままではすまないよう、週に一度は冒頭引用の出口氏の論理ドリルをやらしている。女房の九九・漢字の暗記訓練で泣かされていない時をみつけて、すでに勉強ぎらいになっている息子にやらせるのは難題だ。
トレセンに落ちた一希が、自身でもショックだったのは、一緒に風呂にはいっているとき、「俺、落ちた」と一言いって落とした涙でわかるけれども、そんなことに頓着しないように、相変わらず元気にやっている。このあいだも、全日本予選の6年生大会に、キーパーとして出場し、猛烈なシュートを何度もあびながら、後ろから大声で指示をだしていた。それでいい、とおもうのは、やはり親バカということなのかもしれないが。
*似たようなことを以前書いたなと思い出しふりかえってみたら、「ユーロ・サッカーから――世界とコーチング」という「http://danpance.blogspot.jp/2012/07/blog-post.htmlのブログがあった。その差異とも銘記するよう参照した。
2013年4月7日日曜日
贈る言葉
「サッカーはまた、ルールがアバウトである一方、一度試合が始まってしまうと、監督や選手がタイムを要求するということはできないため、作戦とか監督・コーチの指示といったものが機能する範囲は、きわめて限られる。逆に言うと、選手が自分の判断だけでゲームを動かす度合が非常に高い。…(略)…つまり野球の試合というのは、監督を頂点とする頭脳集団によって動かされており、選手は与えられた役割の中で「いい仕事」をすることを求められるのだと言って過言ではない。ルール上、そのようになっているのだ。/ このことが、集団で規律正しく動くことを好む日本人の感性に合っていたのだ、という見方は、決して皮相ではないであろう。」「このように、リスクを自分で背負い、チャレンジする勇気が、個々の選手に求められるのがサッカーなのであるが、サッカーの持つこうした特性こそ、行き過ぎた集団主義とマニュアル文化に汚染された日本人が、もっとも苦手とする分野ではないだろうか。日本のサッカーがなかなか強くならない原因は、まさにこの点にあるのだ。」(『野球型vs.サッカー型 豊かさへの球技文化論』 林信吾・葛岡智恭著 平凡社新書)
父親がアル中のため施設に入院したということで、実家のある田舎へ見舞いにいく。精神障害を抱えた人や、薬物依存になってしまっている人、前科者の更生、とう幅広く受け入れている病院だそうだ。「若い女の子が多いな」、「風呂にはいると、入れ墨をしている人も多いよ」、「いい社会勉強だ」と、もうじき80歳に近くなる父は言う。当初は入院措置をとろうとする母や弟には反対していたが、アルコールをたって血色や肉付きもよくなってきているのをみて、ほっとする。近所の知り合いでも、同じくアル中でその病院に入院措置をとった方がいたのだが、途中で自殺をしてしまったそうだ。私は、父も山に隔離されることで気が持たなくなって、そう追いこまれてしまうのではないかと心配だった。いや、それは心配といえるのだろうか? 田舎から、ふるさとから逃げてきて、その精神分析的な対象になるようなおぞましき世界から脱出している自分が……なお自分は、そこに生還できる気がしない。高校生になって間もなく引きこもり始めた私に、仕事のストレスで気のふれた父が「なんで学校にいかないんだ?」と焦点の飛んだ瞳で子供部屋にまで声をかけにきたとき、「あっちへいけ!」と私をして蹴とばさせた世界は、なお実家に生々しい痕跡を残している。あの家で、父は私に、何を教えてきただろう?
だから逆に、いつまでも東京の両親のもとから仕事場へ通う若い者たちのこともよくわからない。私はまた、職場で一人の従業員となった。一人は酔っぱらってでてきて親方の息子と喧嘩になりやめ、もう一人の若い子は、「あんたにはついていけない」とその息子に言い置いてやめていくことになった。一挙手一投足あげつらわれ個人の尊厳をつぶされ、神経質で陰険な現場のありさまにばかばかしくなり、その師弟関係にストレスがかかっていやになっていく気持ちはわかるが、それを真に受けてしまう自分の感受性が問題ではないのか? やることがあって積極的にやめていくのならともかく、そのままでは、自分も、自分と他人との関係も変えていく試みや技術も知らないままじゃないか? いやそうやって、みなまわりの人は逃げていったのだ、いやなところから。私はいつもとどまっている、取り残されてきた。どこでも。しかしどこに? 私は、逃げてきたのではないだろうか? いつまでもたかの知れた職場に居残っていることこそが野球部仕立ての奴隷根性ではないのか? 私の息子には、そんな根性で苦しんでほしくない。……上手な子は、より強いしっかりした
組織のチームへと地域をこえて移っていく。まるでプロ仕様のように。一希は、残っている。私の判断は、私の退行世界にひきずられているのだろうか?
一希は、トレセンに受かっただろうか? そのサッカー・テストの一問めは、面白い。マーカーまでのドリブル・アップのあとで、コーチは次のような問題をだす。「これからチームごとの競争をします。一人が一度はボールにさわって、マーカーまでいってかえってくること。コーチへの質問はなしだよ。作戦タイムは一分。さあ、スタート!」なりゆきから、競争とはドリブルのリレーであって、作戦とは初対面の子同士で編成されたチーム内での順番を決める、ということだろうとほとんどの子、チームが考えドリブル・リレーを開始したが、一希の所属したオレンジチームだけはちがった。スタート地点にボールを一個をおくと、それをみなで手でタッチし、全員でさっさとマーカーまで走ってかえってきたのだ。私もコーチの話すイントネーションの変化から、これはとんち問題だなと察していたけれど、オレンジチームのアイデア解答は笑えた。一希の話によると、各クラブチームのキャプテンが集まっていたとのことで、だから、自己紹介からはじまってコミュニケーションがとれていたのだそうだ。最後のトレーニング問題は、作戦中、しゃべってはいけない、という条件までついたが。
私は、何を教えられるだろう? 父は、私に何を教えてきただろう? 1対1でやってきた野球をとおして? そこで発せられてきた言葉は、私の心には残っていない、とおもう。いや、反面教師なぐらいだろう。しかし、そんな言葉をこえて、父はやさしかった気がする。黙って私を見守るやさしさだ。そんな包容感が、心というより体の髄に残っているような気がする。
川崎フロンターレの中村憲剛選手は、父から、というより中村家の家訓として、こんな言葉をもらっているそうだ。「感謝、感動、感激を感じる人間になれ」、「感謝、感動、感激を感じてもらえる人間になれ」(『幸せな挑戦―ー今日の一歩、明日への「世界」』 角川oneテーマ21)。
私には、どうも息子に贈れるような言葉はないようだ。しかし、父が無意識のうちにそうしてくれたように、やさしく包まれている、という安心感を息子にあたえられないだろうか? そうありたいと、願っている。
父親がアル中のため施設に入院したということで、実家のある田舎へ見舞いにいく。精神障害を抱えた人や、薬物依存になってしまっている人、前科者の更生、とう幅広く受け入れている病院だそうだ。「若い女の子が多いな」、「風呂にはいると、入れ墨をしている人も多いよ」、「いい社会勉強だ」と、もうじき80歳に近くなる父は言う。当初は入院措置をとろうとする母や弟には反対していたが、アルコールをたって血色や肉付きもよくなってきているのをみて、ほっとする。近所の知り合いでも、同じくアル中でその病院に入院措置をとった方がいたのだが、途中で自殺をしてしまったそうだ。私は、父も山に隔離されることで気が持たなくなって、そう追いこまれてしまうのではないかと心配だった。いや、それは心配といえるのだろうか? 田舎から、ふるさとから逃げてきて、その精神分析的な対象になるようなおぞましき世界から脱出している自分が……なお自分は、そこに生還できる気がしない。高校生になって間もなく引きこもり始めた私に、仕事のストレスで気のふれた父が「なんで学校にいかないんだ?」と焦点の飛んだ瞳で子供部屋にまで声をかけにきたとき、「あっちへいけ!」と私をして蹴とばさせた世界は、なお実家に生々しい痕跡を残している。あの家で、父は私に、何を教えてきただろう?
だから逆に、いつまでも東京の両親のもとから仕事場へ通う若い者たちのこともよくわからない。私はまた、職場で一人の従業員となった。一人は酔っぱらってでてきて親方の息子と喧嘩になりやめ、もう一人の若い子は、「あんたにはついていけない」とその息子に言い置いてやめていくことになった。一挙手一投足あげつらわれ個人の尊厳をつぶされ、神経質で陰険な現場のありさまにばかばかしくなり、その師弟関係にストレスがかかっていやになっていく気持ちはわかるが、それを真に受けてしまう自分の感受性が問題ではないのか? やることがあって積極的にやめていくのならともかく、そのままでは、自分も、自分と他人との関係も変えていく試みや技術も知らないままじゃないか? いやそうやって、みなまわりの人は逃げていったのだ、いやなところから。私はいつもとどまっている、取り残されてきた。どこでも。しかしどこに? 私は、逃げてきたのではないだろうか? いつまでもたかの知れた職場に居残っていることこそが野球部仕立ての奴隷根性ではないのか? 私の息子には、そんな根性で苦しんでほしくない。……上手な子は、より強いしっかりした
組織のチームへと地域をこえて移っていく。まるでプロ仕様のように。一希は、残っている。私の判断は、私の退行世界にひきずられているのだろうか?
一希は、トレセンに受かっただろうか? そのサッカー・テストの一問めは、面白い。マーカーまでのドリブル・アップのあとで、コーチは次のような問題をだす。「これからチームごとの競争をします。一人が一度はボールにさわって、マーカーまでいってかえってくること。コーチへの質問はなしだよ。作戦タイムは一分。さあ、スタート!」なりゆきから、競争とはドリブルのリレーであって、作戦とは初対面の子同士で編成されたチーム内での順番を決める、ということだろうとほとんどの子、チームが考えドリブル・リレーを開始したが、一希の所属したオレンジチームだけはちがった。スタート地点にボールを一個をおくと、それをみなで手でタッチし、全員でさっさとマーカーまで走ってかえってきたのだ。私もコーチの話すイントネーションの変化から、これはとんち問題だなと察していたけれど、オレンジチームのアイデア解答は笑えた。一希の話によると、各クラブチームのキャプテンが集まっていたとのことで、だから、自己紹介からはじまってコミュニケーションがとれていたのだそうだ。最後のトレーニング問題は、作戦中、しゃべってはいけない、という条件までついたが。
私は、何を教えられるだろう? 父は、私に何を教えてきただろう? 1対1でやってきた野球をとおして? そこで発せられてきた言葉は、私の心には残っていない、とおもう。いや、反面教師なぐらいだろう。しかし、そんな言葉をこえて、父はやさしかった気がする。黙って私を見守るやさしさだ。そんな包容感が、心というより体の髄に残っているような気がする。
川崎フロンターレの中村憲剛選手は、父から、というより中村家の家訓として、こんな言葉をもらっているそうだ。「感謝、感動、感激を感じる人間になれ」、「感謝、感動、感激を感じてもらえる人間になれ」(『幸せな挑戦―ー今日の一歩、明日への「世界」』 角川oneテーマ21)。
私には、どうも息子に贈れるような言葉はないようだ。しかし、父が無意識のうちにそうしてくれたように、やさしく包まれている、という安心感を息子にあたえられないだろうか? そうありたいと、願っている。
2013年2月23日土曜日
ピータの死
「しかし、学校や学習塾の勉強でいい成績をあげるだけでは、教養は身につきません。/ 他人の気持ちになって考えることができるという共感力や思いやり、自分と違う考えをする人を認めることができる寛容心、自分よりも才能のある人にやきもちを焼かない人間力を持っている人は、尊敬され、信頼されます。そういう大人になるためには、子どものころから教養を身につけるように努力することがたいせつになります。」(『子どもの教養の育て方』佐藤優・井戸まさえ著 東洋経済)
小鳥のピータがなくなった。急に雪の降るような寒い夜がきたので、暖房の切れる部屋で風邪をひいてしまったのかもしれない。体を膨らませて真ん丸くうずくまっている。以前にも似たような症状になったことがあったが、仕事を休んでいた私の体に張り付いているうちに元気を回復した。しかし今回はもっと弱っているのがわかった。子どもの一希も当初いっしょに風邪をひいて学校を休んでいたのだが、よくなって今日は通学するというその朝、ピータは止まり木に立っていることもままならないようで、すぐに籠からだし、毛皮とタオルのベットを作ってやって、そこに寝かせた。出かけ際、まだ蒲団にこもっている息子に、「きょうピータくんが死んでしまうかもしれないよ。早く起きて、みてやって」と声をかけていく。その日の午後3時ごろ、女房からなくなったとメールで知らされる。ちょっとした錯乱が、私の脳髄におこった。植木職人の私が木から落ち骨折してからの2年近くほどの飼育だったとはいえ、もう家族の一員のような存在だった。はっきりとした欠落感が、私をおそってきた。子どものころ飼っていた犬がなくなっても、こんな感情にはならなかった。いや私に、そんな人間がやってこようとはおもえなかった。私は、成長したのだろうか? どうじに、9歳の一希はどうだろうか? と考えた。また新しいインコを買って、といいはじめるのだろうか?
帰宅すると、女房と一希が涙ぐんでいる。女房がでかけている、暖房のきいていない時刻になくなったので、とても寒かっただろうと、ピータをタオルでくるんで、ヒーターの前に寝かせてあたためていた。ピータくんがいないとつまらないな、と夕食時につぶやいていた一希は、寝付く枕元に、棺桶がわりの箱に小鳥の遊び道具だったワインのコルクと飴玉を包んだ銀紙といっしょにその死骸を寝かせて、蒲団にこもった。しばらくして、しゃくりはじめ、大泣きをはじめる。傍らで寝ていた私は、そのままじっとしていた。私が命拾いした2年ほどまえだったならどうだったろう? あのとき、一希は「パパはパンツが梯子にひっかかって助かったんだよ!」と、屈託もなくところかまわず吹聴していた。なお、死の意味が、欠落するということがどういうことかがわかっていない様子だった。それからのこの2年ほどで、成長したということだろうか? 他の小鳥ではなく、ピータという固有名でないとだめになったんだな……いやそういうことではなく、なぜなら、私自身が、愛するものの欠落に泣く、という人間からはほど遠い育ちできたのではなかったろうか? 欠落をいだくほど愛する、それがどんなことか、私は知らないで、教わらないで、子どもから大人へと、その無感動を育んでいったのではないだろうか? 私が成長したのは、そんな自身の成長を否定し、否定していくための教養を青春期いらい数十年をかけて積み立て、結婚し、子どもをもったからではないだろうか?
ファミリー・ロマンスから脱却すること、その冷めた「物語」批判精神をもつこと、学生の頃の教養は、そう若いものに教えていた。いや、その教えが、高度成長期を両親にもつ私のようなアパシー世代には受けがよかったのだ。それは、人間的な意味を教えない親の価値を否定していた、しかしそのことで、批評家の意図には反して親の非人間性、エコノミック・アニマルに通底する反ヒューマニズムを補完していたのだ。世界から逃走=闘争した若者のおおくは、おそらくそのまま孤立し、人間関係を回復する術を身に付けるまでもなく、そんな教養学術も受けつけなくなっているだろう。私がいわゆる脱近代なる批評文学=思想から、親への批判否定はそのままで親を回復する、そんな発想を新しく持つことができたのは、おそらく偶然の境遇によるだろう。そう、私には、ペットが死んで泣く、それは40歳を半ばにして持つことのできた〝新しい感情″だったのである。
そんな意味文脈で、一希はすでに親をこえて育っている、私にできることは、その成長を抑圧しないことだろう。
小鳥のピータがなくなった。急に雪の降るような寒い夜がきたので、暖房の切れる部屋で風邪をひいてしまったのかもしれない。体を膨らませて真ん丸くうずくまっている。以前にも似たような症状になったことがあったが、仕事を休んでいた私の体に張り付いているうちに元気を回復した。しかし今回はもっと弱っているのがわかった。子どもの一希も当初いっしょに風邪をひいて学校を休んでいたのだが、よくなって今日は通学するというその朝、ピータは止まり木に立っていることもままならないようで、すぐに籠からだし、毛皮とタオルのベットを作ってやって、そこに寝かせた。出かけ際、まだ蒲団にこもっている息子に、「きょうピータくんが死んでしまうかもしれないよ。早く起きて、みてやって」と声をかけていく。その日の午後3時ごろ、女房からなくなったとメールで知らされる。ちょっとした錯乱が、私の脳髄におこった。植木職人の私が木から落ち骨折してからの2年近くほどの飼育だったとはいえ、もう家族の一員のような存在だった。はっきりとした欠落感が、私をおそってきた。子どものころ飼っていた犬がなくなっても、こんな感情にはならなかった。いや私に、そんな人間がやってこようとはおもえなかった。私は、成長したのだろうか? どうじに、9歳の一希はどうだろうか? と考えた。また新しいインコを買って、といいはじめるのだろうか?
帰宅すると、女房と一希が涙ぐんでいる。女房がでかけている、暖房のきいていない時刻になくなったので、とても寒かっただろうと、ピータをタオルでくるんで、ヒーターの前に寝かせてあたためていた。ピータくんがいないとつまらないな、と夕食時につぶやいていた一希は、寝付く枕元に、棺桶がわりの箱に小鳥の遊び道具だったワインのコルクと飴玉を包んだ銀紙といっしょにその死骸を寝かせて、蒲団にこもった。しばらくして、しゃくりはじめ、大泣きをはじめる。傍らで寝ていた私は、そのままじっとしていた。私が命拾いした2年ほどまえだったならどうだったろう? あのとき、一希は「パパはパンツが梯子にひっかかって助かったんだよ!」と、屈託もなくところかまわず吹聴していた。なお、死の意味が、欠落するということがどういうことかがわかっていない様子だった。それからのこの2年ほどで、成長したということだろうか? 他の小鳥ではなく、ピータという固有名でないとだめになったんだな……いやそういうことではなく、なぜなら、私自身が、愛するものの欠落に泣く、という人間からはほど遠い育ちできたのではなかったろうか? 欠落をいだくほど愛する、それがどんなことか、私は知らないで、教わらないで、子どもから大人へと、その無感動を育んでいったのではないだろうか? 私が成長したのは、そんな自身の成長を否定し、否定していくための教養を青春期いらい数十年をかけて積み立て、結婚し、子どもをもったからではないだろうか?
ファミリー・ロマンスから脱却すること、その冷めた「物語」批判精神をもつこと、学生の頃の教養は、そう若いものに教えていた。いや、その教えが、高度成長期を両親にもつ私のようなアパシー世代には受けがよかったのだ。それは、人間的な意味を教えない親の価値を否定していた、しかしそのことで、批評家の意図には反して親の非人間性、エコノミック・アニマルに通底する反ヒューマニズムを補完していたのだ。世界から逃走=闘争した若者のおおくは、おそらくそのまま孤立し、人間関係を回復する術を身に付けるまでもなく、そんな教養学術も受けつけなくなっているだろう。私がいわゆる脱近代なる批評文学=思想から、親への批判否定はそのままで親を回復する、そんな発想を新しく持つことができたのは、おそらく偶然の境遇によるだろう。そう、私には、ペットが死んで泣く、それは40歳を半ばにして持つことのできた〝新しい感情″だったのである。
そんな意味文脈で、一希はすでに親をこえて育っている、私にできることは、その成長を抑圧しないことだろう。
2013年2月17日日曜日
暴力(教育)と歴史・「見えること、見えないこと、見たいこと」
「新たに少年サッカーの世界に入ってこられた方は、日本の古いやり方ではなく世界基準の指導方法にしてほしいと思います。長くなさっている方は、20年前、10年前のサッカー界とは違うことを認識してほしいのです。/ ぜひ、子どもの力をひきだすための入り口に立ってください。「なぜできないの?」と「できないのはなぜ?」は一見同じ意味です。でも、前後の言葉をひっくり返しただけで、言われた子どもにとっては180度違うイメージ。叱られた印象になりません。/ 叱ることをやめると、選手へ伝える基本的な情報のひきだしが増えていきます。内容の精度も、表現力も磨かれます。そこさえ確立してしまえば、あとは前進するだけ。子どもたちは毎年変わっていくけれど、経験値がプラスされることでみなさんの指導力はどんどん熟成されていくのです。」(池上正監修 島沢優子著『サッカーで子どもの力をひきだすオトナのおきて10』 KANZEN)
小3の息子の宿題。私はまず勉強や学ぶということを面白くさせること、つづけさせること、が一番だとおもうので、子どもからわからないところをきいてくるまで、何もいわない。同じ食卓で、こちらも勝手に本を読んでいる、そのいっしょにやっていることが大切な布石なのだとおもっている。ところが女房、私がいなくなった間に、せっかく一希が調子よく書いていた作文なども、テニオハがどうの、表現がおかしいなどと重箱の隅をつつくように叱責しはじめる。私は女房をぶんなぐるか部屋を壊してしまいかねないので、蒲団をかぶって歯ぎしりしている。私らの母親世代が、子どもや日本をなんとか貧乏・不安(敗戦)世界から脱出させようと、うるさくママゴンになってきたのは仕方がない。が、そのなれの果てがどうなってしまったかしってしまったわれわれ世代が、性懲りもなく同じ態度で、いや縮小再生産な親子(母子)関係を反復させていることは、いくらなんでもばかげたことだ。母親からさんざん泣かされたあとで、その不安をとりつくろうように、寝る前に本を読んでくれ、パパじゃだめだと哀訴するる一希の声をきいていると、私や私の兄がそうであったように(そして多くの若者たちがそうであったように)、青春時の憂鬱をこじらせて、分裂病(統合失調症)になってしまうのではないかと心配してしまう。不安と安心という矛盾(分裂)心理が同居していないと自己が安定しなくなってしまう、そんなダブルバインドな癖を身に着けさせられている。女房のしつけだが教育だかは、要はそういう身体訓練をしているのである。ただ希望的なのは、なお一希が言い返し反抗をみせていることだ。サッカーの試合でも、もう上級生モードにはいるからコーチも親も外から言わないから、自分たちで考えるように、とパパコーチである私がミーティングで諭しても、それを一番に破るのがコーチの女房なのだが、一希も試合中に「黙ってろ!」とどなりかえす。ヘッドコーチは苦笑いしているそうだ。
日本のサッカー界は、野球界に代表されるような根性主義、中央集権主義、独占主義に批判的なスタンスではじめられたのだから、最近の柔道界で騒がれた暴力問題とは遠い地点にまできているのかな、とおもっていたら、そうでもないらしい。冒頭引用の池上氏の著作にも、まだ「3分の1」や「半分」が「厳しく叱る」方針のままだ、とある。サッカー週刊誌などでは、「旧態依然の指導を断つ牽引車」とならんとする野球界の桑田氏のような人物がサッカー界にも必要だ、という記事もでる。野球だろうがサッカーだろうが、もちろん柔道だろうが、もう列記としたオトナの世界で、しかも世界競争をしていこうというレベルで、指導者の位置を仕事として引き受ける者が、教え子というより一人前の選手をぶんなぐって指導していくことがありうる、ということにびっくりしてしまう。なんともおぞましい世界だ、とおもうが、国民的英雄な長嶋茂雄氏など、その体罰指導の率先者のようなものだったことをおもいおこせば、われわれはまだこんな世界というか世間に暮らしているのだなあと、得も言われぬ感慨。さらに、相変わらぬ女房のこともが重なってきてまうと、この日本社会なるものに暗澹としてしまう。
癖なんだから、すぐに直らないのはしょうがない。私も、パパコーチとして、だいぶ古い習性がでてしまう。しかし、それがだめだということはいやというほど認識してきたので、まだそれを修正していく正解というのもはっきりしているので、それを理念として、絶えず自己反省しながらやっている。子どもとサッカー部にはいって2年。私も、少しづつ成長してきている、と感じている。が、その成長という前提、正解な基準自体を日本社会は受け入れようとしていない。その傾向が潜在的に強い、ということだろう。戦後民主主義的な教育流行の陰で、しぶとく潜伏している大勢は、ふとしたことで明るみにでる。自民党に返った政権は、なんとかその潜勢力を表にださせて、もっとふてぶてしくやりたい、ということのようだ。文芸評論家の斎藤美奈子氏によると、6年前の教育法改正のとき、文部大臣は「『毅然とした態度』をとった教師や学校が『児童の人権』という観点で非難されたら困るだろう。そのやりにくさを払拭するのが目的だ」といい、現阿部総理も、「学校現場の過度な萎縮を招くことのないよう、体罰に関する考え方をより具体的に示す」と発言したそうだ。つまり、容認できる体罰の指導をする、ということか。斎藤氏は、「『体罰』はなべて暴力で「よい体罰と悪い体罰」があるわけじゃない」と指摘し、「人権を制限し、究極の暴力の否定である戦争放棄に異議を唱える人たちに、暴力を一掃することができるだろうか。矛盾としかいいようがない。」と結語する。
しかし、この「矛盾」、分裂、ダブルバインド……中国に対して強気にでたいのも、この己の「不安(被潜在・鬱屈)」を解消・解放したいがためだろう。そしてその原因を作ったアメリカ(母)に「安心」を求めてよりかかる。その敗戦という癖。戦後民主主義(人権)という「安心」自体が「不安」と一体化してしか意味(自己安定)をもってこないという病。この精神病にとって、「人権」と「暴力」は同時に必要なのである。「矛盾」を抱え込んでいないと己が安定しないのだ。ならば、斎藤氏の批判視点自体が、病の産物である。
私自身、「厳しく叱る」教育(暴力)に対し、叱られて泣いてたら覚えるどころじゃないなんて、見ればわかるじゃないか、なんでそのわかる(科学)ことに依拠して教育をたてなおさないんだ、とおもう。しかし、この中立的、客観的な技術論自体が、歴史的産物であり、この時期の「矛盾」的位相、どちらもがヘゲモニーを確立できないという空白地帯からうまれてくるのだ。私の反省的な冷静さ自体が、熱狂の効果なのである。だとしたら?
私たちは何を見ているのか? 見えないのか? しかし、いや、見たいものがあるだろう? それがたとえ歴史的な空白地帯によってこそ可能な理想でありユートピアであっても、それをこの時代のわれわれが見た、人間には見えるものなのだ、ということを記述し記憶し、後世に伝えること、伝えようとすることには意義があるのではないだろうか?
小3の息子の宿題。私はまず勉強や学ぶということを面白くさせること、つづけさせること、が一番だとおもうので、子どもからわからないところをきいてくるまで、何もいわない。同じ食卓で、こちらも勝手に本を読んでいる、そのいっしょにやっていることが大切な布石なのだとおもっている。ところが女房、私がいなくなった間に、せっかく一希が調子よく書いていた作文なども、テニオハがどうの、表現がおかしいなどと重箱の隅をつつくように叱責しはじめる。私は女房をぶんなぐるか部屋を壊してしまいかねないので、蒲団をかぶって歯ぎしりしている。私らの母親世代が、子どもや日本をなんとか貧乏・不安(敗戦)世界から脱出させようと、うるさくママゴンになってきたのは仕方がない。が、そのなれの果てがどうなってしまったかしってしまったわれわれ世代が、性懲りもなく同じ態度で、いや縮小再生産な親子(母子)関係を反復させていることは、いくらなんでもばかげたことだ。母親からさんざん泣かされたあとで、その不安をとりつくろうように、寝る前に本を読んでくれ、パパじゃだめだと哀訴するる一希の声をきいていると、私や私の兄がそうであったように(そして多くの若者たちがそうであったように)、青春時の憂鬱をこじらせて、分裂病(統合失調症)になってしまうのではないかと心配してしまう。不安と安心という矛盾(分裂)心理が同居していないと自己が安定しなくなってしまう、そんなダブルバインドな癖を身に着けさせられている。女房のしつけだが教育だかは、要はそういう身体訓練をしているのである。ただ希望的なのは、なお一希が言い返し反抗をみせていることだ。サッカーの試合でも、もう上級生モードにはいるからコーチも親も外から言わないから、自分たちで考えるように、とパパコーチである私がミーティングで諭しても、それを一番に破るのがコーチの女房なのだが、一希も試合中に「黙ってろ!」とどなりかえす。ヘッドコーチは苦笑いしているそうだ。
日本のサッカー界は、野球界に代表されるような根性主義、中央集権主義、独占主義に批判的なスタンスではじめられたのだから、最近の柔道界で騒がれた暴力問題とは遠い地点にまできているのかな、とおもっていたら、そうでもないらしい。冒頭引用の池上氏の著作にも、まだ「3分の1」や「半分」が「厳しく叱る」方針のままだ、とある。サッカー週刊誌などでは、「旧態依然の指導を断つ牽引車」とならんとする野球界の桑田氏のような人物がサッカー界にも必要だ、という記事もでる。野球だろうがサッカーだろうが、もちろん柔道だろうが、もう列記としたオトナの世界で、しかも世界競争をしていこうというレベルで、指導者の位置を仕事として引き受ける者が、教え子というより一人前の選手をぶんなぐって指導していくことがありうる、ということにびっくりしてしまう。なんともおぞましい世界だ、とおもうが、国民的英雄な長嶋茂雄氏など、その体罰指導の率先者のようなものだったことをおもいおこせば、われわれはまだこんな世界というか世間に暮らしているのだなあと、得も言われぬ感慨。さらに、相変わらぬ女房のこともが重なってきてまうと、この日本社会なるものに暗澹としてしまう。
癖なんだから、すぐに直らないのはしょうがない。私も、パパコーチとして、だいぶ古い習性がでてしまう。しかし、それがだめだということはいやというほど認識してきたので、まだそれを修正していく正解というのもはっきりしているので、それを理念として、絶えず自己反省しながらやっている。子どもとサッカー部にはいって2年。私も、少しづつ成長してきている、と感じている。が、その成長という前提、正解な基準自体を日本社会は受け入れようとしていない。その傾向が潜在的に強い、ということだろう。戦後民主主義的な教育流行の陰で、しぶとく潜伏している大勢は、ふとしたことで明るみにでる。自民党に返った政権は、なんとかその潜勢力を表にださせて、もっとふてぶてしくやりたい、ということのようだ。文芸評論家の斎藤美奈子氏によると、6年前の教育法改正のとき、文部大臣は「『毅然とした態度』をとった教師や学校が『児童の人権』という観点で非難されたら困るだろう。そのやりにくさを払拭するのが目的だ」といい、現阿部総理も、「学校現場の過度な萎縮を招くことのないよう、体罰に関する考え方をより具体的に示す」と発言したそうだ。つまり、容認できる体罰の指導をする、ということか。斎藤氏は、「『体罰』はなべて暴力で「よい体罰と悪い体罰」があるわけじゃない」と指摘し、「人権を制限し、究極の暴力の否定である戦争放棄に異議を唱える人たちに、暴力を一掃することができるだろうか。矛盾としかいいようがない。」と結語する。
しかし、この「矛盾」、分裂、ダブルバインド……中国に対して強気にでたいのも、この己の「不安(被潜在・鬱屈)」を解消・解放したいがためだろう。そしてその原因を作ったアメリカ(母)に「安心」を求めてよりかかる。その敗戦という癖。戦後民主主義(人権)という「安心」自体が「不安」と一体化してしか意味(自己安定)をもってこないという病。この精神病にとって、「人権」と「暴力」は同時に必要なのである。「矛盾」を抱え込んでいないと己が安定しないのだ。ならば、斎藤氏の批判視点自体が、病の産物である。
私自身、「厳しく叱る」教育(暴力)に対し、叱られて泣いてたら覚えるどころじゃないなんて、見ればわかるじゃないか、なんでそのわかる(科学)ことに依拠して教育をたてなおさないんだ、とおもう。しかし、この中立的、客観的な技術論自体が、歴史的産物であり、この時期の「矛盾」的位相、どちらもがヘゲモニーを確立できないという空白地帯からうまれてくるのだ。私の反省的な冷静さ自体が、熱狂の効果なのである。だとしたら?
私たちは何を見ているのか? 見えないのか? しかし、いや、見たいものがあるだろう? それがたとえ歴史的な空白地帯によってこそ可能な理想でありユートピアであっても、それをこの時代のわれわれが見た、人間には見えるものなのだ、ということを記述し記憶し、後世に伝えること、伝えようとすることには意義があるのではないだろうか?
2013年1月4日金曜日
初夢をみれないクリーンな喧騒
コンプレッサがなければ釘うちができない大工さんがでてきているように、ブローがなければ掃除ができない植木屋さんがでてきているかもしれない。と、若い者たちをみていておもう。どちらの機械も、ガソリンや電気で空気を圧縮し、人力とは別の均一なエネルギーを出力させていくものだ。そこにあるのは、手っ取り早く、つまりは効率的に、均一均質なクリーンな空間を出現させる、という発想をもつ。もちろん自然は、つまり木が生え土のある現場は、そんな機械調節の風で隅々まで処理できない。株立ちの刈り込みものの根っこ近辺にはさまった枯葉は、やはり植え込みに体をかがめて小箒などで掃きかかねばとれず、そんな億劫と手間を省くために、人工風で吹かれた落ち葉はエアコンの室外機の裏などに隠される。きれいになればいいだろう、みえなければいいだろう……と書くと、なんだかそんな最近の植木屋さんの掃除も、原発問題にみえてくる。というか、事故後の言論が露呈させてきたことのひとつの典型が、そんな近代的な発想であり、その世俗版の効率主義である。
しかし、元来、植木職人が引き継いできた<庭掃き>とは、きれいになればいいだろう、といった外在的なものではなく、清める、という内在的行為をはらんでいる。むろん、庭を清めるのは、そこが神という世俗を超えた世界へと通じていく場所だからである。<にわ>という古語自体に、そうした神道的意味が受け継がれている。庭掃除とは、だからクリーンな思想によるのではない。その管理方式は、ダスキンとは相容れない思想性を継承しているのである。そんな価値の話、感覚は、若い世代には抜け落ちる。それはとりあえずどうしようもないことだが、それが「しょうがない」ですむ問題かどうかは、何度も問われなくてはならない歴史の反復作業だろうとおもう。
ヨーロッパでの魔法使いが、箒にのって空を飛ぶのは、その問いが、日本にかぎらない、洋の東西を問わないことを示しているだろう。やればいいだろう、というような世俗の価値とは違う、それを超えた価値とつながっていなければ人間の生はもちこたえられない……そのことは新興宗教に走ってしまう個々人の問題だけではなくて、その目先の効率性や清潔さのために、つまりクリーンな考えのために、人類の文明は滅んだことがあるのではないか、エジプトが砂漠になったのも……とこう書くと、まさに若い世代がはまった終末神話と類比的になってしまうのだが、ブローを嫌い、性懲りもなく棕櫚箒で庭土をみがいている、土俵を作っているような掃除をしながら、この手の動きに、リズムに、文明を守っていく反省と知恵の何万年まえからの模倣を透視しているような気になってくる。
きれいはきたない、きたないはきれい、というシェークスピアのマクベスを引用して、赤軍派の内ゲバ闘争を暗に批判しながら人間が抱え込む形式的現実を洞察提示したのは柄谷氏だったが、その今では経験実証的にも理論的にも自明的なそんな正解が、世の中ではまったく無視されて動いていくものだなあ、と周りを見回しておもう。それは、衆院選後の嘉田氏と小沢氏をめぐる内輪もめから女房との夫婦喧嘩まで、まったく人間の、人類の英知が受け継がれていない。クリーンという世俗のイメージに負けた嘉田氏は原発的なクリーン思想をまったく卒業していないことが明白なように(ある種の左翼的グループの抱擁限界、きたなくなれないこと――)、目前の不安にかられて漢字だローマ字だと性急に子供に詰め込む教育に便乗しさわいで、独りで静かに集中するという形式、それさえ体得していればどんな内容でも代入可能になるだろうような身体と脳のあり方を無視していく母親たち。
そんな世俗の喧騒に巻き込まれてか、今年はおぞましき初夢さえみることがなかった。われわれの狂気は、どこに住処をみだすことができるのだろうか?
2012年12月16日日曜日
高速道トンネル天井落下事故から
高度成長期に建てられてから40年ほどがたち、劣化してきたのだろう、このトンネルの型が古かった、とかを事故原因としてきいていると、マークⅠという旧式欠陥のまま運転してきたことが大惨事のもととなった福島第一原発事故のことをおもいおこしてしまう。というか、その経済成長期の発想で作られてきた制度から現物までもが、ガラガラと音をたてて崩れ始めた、しかも日常生活のすぐ隣で、という進行事態の象徴なのではないかと感じてしまう。この崩壊過程のなかで、今日東京都知事と衆院の選挙があるという。そして、「取り戻そう、日本」を標語にする自民党の単独勝利が予想されている。あの元気だった成長期への懐かしい思いからなのか? 復古など、不可能であると誰もが感ずいているはずだというのに。何を期待して、というのだろう?
この瓦解しはじめた古い本体を、修復するにしろ解体するにしろ、それにはとりあえず金がかかる。金がかかるとはどういうことだろうか?
たとえば、定期点検の検査でさえ、この予算で入札すれば、すぐに何人手間で何日かかる作業かが自動計算される。赤字にならないために、打音検査などはしょれるところははしょる。いやこれは国民の生命のかかった必要不可欠な大事な作業なのだ、省くな、となれば、その負荷を担うのは、単に末端の労働者である。サービス残業でやるのか? やらなきゃ首だと脅されながら? 原発の労働者のことを考えてみればいい。そんな強制などとてもできることではない。私の仕事の公園管理などもうだ。手入れの行き届かない高木は、そろそろ大枝を枯らしはじめている。しかし予算が片手間なら、作業も片手間のことしかできないのである。県道ひとつ隔てて東京都と埼玉県にまたがる森林公園の、埼玉県側の樹上をみあげてみると、人の胴体ほどの太さの枝が中折れてぶらさがり、山桜の立ち枯れの森となっていたりする。その下を、ジョキングや犬の散歩に人々がゆきかっている。現場のことを知っている人は、自分の子供をこんな公園で遊ばせはしないだろう。北風が吹けば、落ちてくる。サービスでできることでもなければ、素人でできることでもない。景気のいいときに乱開発された高層ビルの解体理論はあるだろう。が、金がなければ、その理論は机上のものだ。高速道路にしても、そのうちあちこちで寿命をむかえてくるので、とても予算と人手がまにあわなくなるのでは、と専門家がテレビで発言していた。さもありなん事態である。火事や津波で破壊されることを前提に建てられていた昔の発想のほうが、どれだけ利巧であったことだろう。
しかし、全体では片手間になるといっても、その予算のなかでも、やることはやらねばならない。そうでなければ、単に税金泥棒だ。ところが如何せん、そんな末端作業をやる人たちのなかには、真面目でないものも多い。むろん、ここでいう真面目とは、資本主義的な時間制約のもとで、という意味になるけれども、それさえ誤魔化すのなら、詐欺のようなものになる。私の職場でも、二日酔い、遅刻、さぼり、が多い30代の者が親方から首を宣告されている。「人を減らすぶん、仕事も減らせばいい。また若いものを育てていこう」と、親方は苦渋の選択、腹をくくったようだ。私としては、今さらわかったのか、という感じなのだが、私がノロウィルスにやられて仕事を休んでいるときの成り行きで、カンネンしたらしい。もちろん、首を切るとは、そのものが失業すること、貧困に陥ることである。現在世論では、自由競争的に人を救済しない論と、自由競争自体のシステムを修正して貧困の深刻化にセフティーネットを張ろう、という理論が拮抗しているのかもしれない。その酔っ払いとの仕事で危うく命を落としそうになった自分は、どちらということになるのだろう? 彼は、もともと気の弱い彼は独身ゆえになおさら精神をもちこたえられずに自暴自棄になり、なおさらひどくなっている。私は、身の危険を感じながら、毎日仕事をしなくてはならない。私の本能は、こいつから逃げろ、こんな奴がいる職場から逃げろ、と言っている。しかしここにきて、そいつといつもペアで仕事をすることになる私に、親方のほうから首にしたいと相談してきた。「何かおこされるまえに、きっておきたいんだ」と本能と社会が結びついている親方は言う。私はそれを首肯した。最近も仕事帰りにタクシーに後から突っ込んでいって事故を起こしたのを示談でもみ消している、とちくりながら。首にしたらしたで、私は警戒していなくてはならない。弱い奴は、見かけの暴力的なものにはむかわず、やさしそうなところ、さらにその弱いところをねらってくる。彼は、そんな古典的な犯罪者性格だ。一昔まえなら、下町の長屋倫理で、「酒さえ飲まなければいい人なのに」と庇護されたことだろうに。しかし私は女房にいわねばならない。「子どもが殺されるばあいもあるから、一人のときはぜったいにドアをあけさせるな。チェーンをかけておく癖をつけさせておけ。」と。彼を救うことは、私の身の危険、身内の殺人をも覚悟想定しなくてならないこと。私にとって、私の現場にとって、貧困対策とは、そういうことだ。
そういう現場が、現場の人たちが、日本の天井と地下を支えているのである。支えてきたのである。その支えが、ガラガラと音をたてて崩れ始める。いや崩れているのは構造物だけで、支柱となってきた現場の人間は、その崩壊とも無縁なところに実はいるのかもしれない。私が、そのガラガラという音をきくのも、私が中流階級の意識で育てられてきたインテリ大衆であるからかもしれない。
*ホームページより最新アップ『パパ、せんそうって、わかる?』
この瓦解しはじめた古い本体を、修復するにしろ解体するにしろ、それにはとりあえず金がかかる。金がかかるとはどういうことだろうか?
たとえば、定期点検の検査でさえ、この予算で入札すれば、すぐに何人手間で何日かかる作業かが自動計算される。赤字にならないために、打音検査などはしょれるところははしょる。いやこれは国民の生命のかかった必要不可欠な大事な作業なのだ、省くな、となれば、その負荷を担うのは、単に末端の労働者である。サービス残業でやるのか? やらなきゃ首だと脅されながら? 原発の労働者のことを考えてみればいい。そんな強制などとてもできることではない。私の仕事の公園管理などもうだ。手入れの行き届かない高木は、そろそろ大枝を枯らしはじめている。しかし予算が片手間なら、作業も片手間のことしかできないのである。県道ひとつ隔てて東京都と埼玉県にまたがる森林公園の、埼玉県側の樹上をみあげてみると、人の胴体ほどの太さの枝が中折れてぶらさがり、山桜の立ち枯れの森となっていたりする。その下を、ジョキングや犬の散歩に人々がゆきかっている。現場のことを知っている人は、自分の子供をこんな公園で遊ばせはしないだろう。北風が吹けば、落ちてくる。サービスでできることでもなければ、素人でできることでもない。景気のいいときに乱開発された高層ビルの解体理論はあるだろう。が、金がなければ、その理論は机上のものだ。高速道路にしても、そのうちあちこちで寿命をむかえてくるので、とても予算と人手がまにあわなくなるのでは、と専門家がテレビで発言していた。さもありなん事態である。火事や津波で破壊されることを前提に建てられていた昔の発想のほうが、どれだけ利巧であったことだろう。
しかし、全体では片手間になるといっても、その予算のなかでも、やることはやらねばならない。そうでなければ、単に税金泥棒だ。ところが如何せん、そんな末端作業をやる人たちのなかには、真面目でないものも多い。むろん、ここでいう真面目とは、資本主義的な時間制約のもとで、という意味になるけれども、それさえ誤魔化すのなら、詐欺のようなものになる。私の職場でも、二日酔い、遅刻、さぼり、が多い30代の者が親方から首を宣告されている。「人を減らすぶん、仕事も減らせばいい。また若いものを育てていこう」と、親方は苦渋の選択、腹をくくったようだ。私としては、今さらわかったのか、という感じなのだが、私がノロウィルスにやられて仕事を休んでいるときの成り行きで、カンネンしたらしい。もちろん、首を切るとは、そのものが失業すること、貧困に陥ることである。現在世論では、自由競争的に人を救済しない論と、自由競争自体のシステムを修正して貧困の深刻化にセフティーネットを張ろう、という理論が拮抗しているのかもしれない。その酔っ払いとの仕事で危うく命を落としそうになった自分は、どちらということになるのだろう? 彼は、もともと気の弱い彼は独身ゆえになおさら精神をもちこたえられずに自暴自棄になり、なおさらひどくなっている。私は、身の危険を感じながら、毎日仕事をしなくてはならない。私の本能は、こいつから逃げろ、こんな奴がいる職場から逃げろ、と言っている。しかしここにきて、そいつといつもペアで仕事をすることになる私に、親方のほうから首にしたいと相談してきた。「何かおこされるまえに、きっておきたいんだ」と本能と社会が結びついている親方は言う。私はそれを首肯した。最近も仕事帰りにタクシーに後から突っ込んでいって事故を起こしたのを示談でもみ消している、とちくりながら。首にしたらしたで、私は警戒していなくてはならない。弱い奴は、見かけの暴力的なものにはむかわず、やさしそうなところ、さらにその弱いところをねらってくる。彼は、そんな古典的な犯罪者性格だ。一昔まえなら、下町の長屋倫理で、「酒さえ飲まなければいい人なのに」と庇護されたことだろうに。しかし私は女房にいわねばならない。「子どもが殺されるばあいもあるから、一人のときはぜったいにドアをあけさせるな。チェーンをかけておく癖をつけさせておけ。」と。彼を救うことは、私の身の危険、身内の殺人をも覚悟想定しなくてならないこと。私にとって、私の現場にとって、貧困対策とは、そういうことだ。
そういう現場が、現場の人たちが、日本の天井と地下を支えているのである。支えてきたのである。その支えが、ガラガラと音をたてて崩れ始める。いや崩れているのは構造物だけで、支柱となってきた現場の人間は、その崩壊とも無縁なところに実はいるのかもしれない。私が、そのガラガラという音をきくのも、私が中流階級の意識で育てられてきたインテリ大衆であるからかもしれない。
*ホームページより最新アップ『パパ、せんそうって、わかる?』
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