2017年3月25日土曜日

夢のつづき(2)


「古代人は脳の内部から発光するこの光のイメージのことを、よく知っていたようです。トゥカノ族をはじめとするアマゾン河流域のインディアンたちが、幻覚性植物を服用することで体験し、家の壁やさまざまな装飾品の上に描いたのとまったく同じ図形を、考古学者たちは早くも旧石器時代の遺跡から発見してきました。そればかりではありません。このパターンは世界中に見出すことができるのです。…(略)…これは人間が自分の脳の内部から出現してくる光のイメージを、幾何学的なパターンとして表現したものなのです。自分の内部からわきあがってくるこのようなパターンについて、人類はずいぶん古いころから豊かな体験と知識をもっていたようです。…(略)…眼球の中に出現する同じような光のパターン発生の現象は、ハッシシやメスカリンなどを吸引した時ばかりではなく、高熱を出した時にも、白昼夢を見ている最中にも、あらわれることがわかってきました。」(中沢新一著『カイエ・ソバージュ』「第四部 神の発明」「第一章 脳の森の朝」/講談社)

このブログでも取り上げた東浩紀氏編集の『ゲンロン 4』の対談において、東氏が、まず情報量の多さにおいて、柄谷氏より中沢氏のほうが圧倒していてそれだけでも勉強になる、という趣旨の発言をしていたので、私もその著作は未読だったので、読んでみた。内容の表面上においては、やはり柄谷氏と中沢氏の思考は似ている。が、たとえば一神教においてモーゼの評価をどうするかで、二人が決定的な差異をみせていることからも伺えるように、やはり、似て非なるもの、なのだろう。が、それはあとで考えよう。

今日は、中沢氏がその著作で論じていた、「内部視覚」とか、「内部閃光」と呼ばれるものについて、私も今年の「初夢」に続いた「夢のつづき」と言うブログでどうもそういう類いの現象に触れていたのかもしれないので、さらに書き留めておきたくなった。

私は、そんな現象がすでに研究されていることは知らなかった。ただ、何かすでにあるだろうとおもっていた。中沢氏の話が、真実かどうか、私にはわからない。が、私の「眼球の中に出現する同じような光のパターン」について、関心が向かうのだ。

最近、寝ざめの朝に、こんな経験をした。
夢をみていて、これが夢だな、と気づいたので、寝る前にやっている訓練のように、目を開けるのではなく、目を閉じたまま眼球だけをあけて、あげてみた。すると、夢の映像がボロボロと崩れていきながら、緑色の輝きの中に、上の図のような模様が現れてきたのだ。中沢氏の著作の中での引用紹介では、p502にあるトゥカノ族の「基本パターン」8に似ている。中沢氏の著作を読んで気になり始めたから、ストーリ性ある夢のつづきとして、そのような模様の夢を見たのかもしれない。が、それは異様に輝いていた。それがおそらくは一月近くまえ。

次に、1週間ほどまえ、次の図、ヨットのような絵文字をみた。やはり、夢だな、と気づいて、その夢が崩れて、浮き上がって来たのが、やけに白く輝いた背景の中での絵文字群だった。群というのは、もっとたくさんあったからで、それが日本語の縦列とか、英語の横文字とかの秩序よく並んでいたのではなく、バラバラな向きで散らばっていたのだ。私は、これは記号というより、文字なのではないか、と夢の中でおもった。目前に広がっているので、ひとつひとつの形ははっきりしない。そこで、中央付近にあったヨットのような形の文字に目を凝らした。下のほうが、2線であったか、□であったか見取れなかった、というより、目覚めてすぐに書き留めなかったので、そのとき、2線か□と記憶したのか、今はおもいだせなくなってしまっている。ただ、ヨットの帆が、斜めになっていたのだけははっきりしている。

寝入る前に広がる紫色のまだら模様を目を凝らしてみれば、格子模様や、指紋のような波だったり、色々あるようだが、よく見取れない。

こうした内部視覚が伺える領域は、夢の映像をみる脳の領域とは違っていると私は推察している。それは、「眼球の中に出現する」ような感じで、ゆえに「視覚」的だ。夢は、脳裏に、という感じで、脳みその中だ。しかしその2領域は連動している。私の見た印象では、荒い視覚模様が下地で、それが夢の複雑な映像を連想構築していく感じだ。基本的には、印象画の点描の原理に似ている。が、その点から画像への移行のどこかで、処理する領域が変わる。スイッチが入れ替わる。

私が、そう見える、そう感じる夢を見ているのかもしれないのだとしても。

2017年3月18日土曜日

サッカーIQテスト10問

本年度、新宿区の最後の11人制サッカー大会で、プロあがりの監督率いる強豪クラブ・チームを延長・PK戦の末破り優勝する。15年振り、不良ヤンキーたちで優勝した初大会25年前を含め3度目となる。昔と違い、単に活発な子どもたちが集まればなんとかなる時代ではなくなっている。逆に言えば、運動能力のそれほどない子どもたちの集まりでも、サッカーの知識・理解度が深まれば、強豪チームに張り合えるようになることが証明されたといっていいだろう。新宿界隈の上手な子どもたちがみな集まってくるような相手チームなので、判官びいきからか、応援はみな私たちに集まっていた。しかし、来年度からは、関わる小学校の生徒数、入部している子どもたちの減少を見越して、新体制でのぞむことになる。私は引退した監督に代わって、連盟理事に派遣される。そうした立場から、今後どう常勝チーム、いや負けないチーム体制に固めていくのかが、作業になる。



*****

(1) 弱い奴が強い相手を倒すことを、相撲では金星という。では、サッカーではなんという?

(2) ジャイアント・キリングとは、サッカーだけの話ではありませんね。たとえば、君たちのおじいさんをたどっていくと、巨大なマンモスを追いかけて日本列島にやってきたおじいさんに出会います。そしてもしそのおじいさんがマンモスにやられていたら、君たちはここにいませんね。では、おじいさんたちは、どうやってマンモスを倒してきたのでしょうか?


(3) サッカーでも、マンモスをみんなといっしょに落とし穴や崖に誘導して突き落とし、身動きを封じてから仕留めるように、ボールを持った強い相手をまずはワナの方へ誘導します。では、サッカーでは普通、そのワナはどこといわれる場所にしかけるでしょうか?


(4) サッカーは狩猟民、狩りをすることで食料をとっていたヨーロッパ人の間で生まれたものなので、田んぼや畑で食料を栽培していた農耕民の日本人にはなかなかゴールを仕留める決定力がない、とか世の中では言われています。しかし、お米を食べられるようになる2千年前よりもっと前までは、もちろん日本人も何万年と狩りをしていたので、その習性はもう君たちの遺伝子に本能として眠っていると考えられます。では、その狩りの本能は、相手がボールを持っている守備の時と、自分たちがボールを持っている攻撃の時と、どっちの時がよく発揮されると考えられますか?


(5) 攻撃の時とは、相手から奪ったボールをゴールへと運んでいる間のことですね。その間とは、ゴールという一つの目標を達成していくための筋道、と言えるでしょう。では、守備が本能によるとしたら、攻撃とは、人間のどんな能力が発揮されやすい、あるいは目標達成のためにどんな能力が必要とされる、ということになるのでしょう? その能力を表す言葉を知っていますか?


(6) 理屈、理性、筋道をつけていく論理力とは、問題を解決していく能力のことです。真実は一つ、と名推理力を発揮していく名探偵コナン君の得意なスポーツが、一つのゴールへと突き進んでいくサッカーであるのは、どちらもが事件、問題を解決していこうとする考え方として共通しているところがあるからですね。では、サッカーにおいて、その問題とはなんですか?


(7) 目標達成の邪魔をする相手がいるので、その邪魔をどかそうと工夫して選手は動かなくてはなりませんね。つまりそうやって、サッカーの動きは生まれていく、生まれてくると考えられます。サッカーでは、その動きのことを、○○○○を作る動き、とも呼んでいますね。つまりは、そのサッカーの動きを産み出すおおもと、原動力と考えられるそのカタカナ四文字のサッカー用語とはなんですか?


(8) スペースを空けて、埋める――その二つの動きがサッカーの基本原理に見えるのは、電気を流す、止める、という0と1、オンとオフという二つの基本言語だけで複雑な現象を産み出しているコンピューターの世界に似ています。そしてゴールは中央にあるので、それを守ろうと真ん中ほど邪魔する相手選手がたくさんいるのがその世界の筋になりますね。つまり、そこにはいかせるスペースを作りにくい。それゆえ、攻撃もまず人があまりいないサイドから侵入し、中央に密集した相手選手の間隔をあけようとするのが普通になります。が、守備のチームも相手をサイドへと誘導し、攻撃のチームもサイドへと相手を誘導する、これは矛盾ではないですか? いわゆる、このサイドの攻防の問題は、あらかじめ想定されるケモノ道のような筋道ですね。そのため、サッカーの監督は、発生する矛盾をあらかじめ目に見えるよう想定して問題解決のためのイメージを選手が持ちやすいよう、試合前に選手たちへと提示しておく設計図を描きます。この設計図のことを、サッカーではなんと呼んでいますか?


(9) システム、フォーメーション、単純には、形と呼ばれるもの。なんで人間の営みには、それが重要なのですか?

(10)たとえば、ここに棒が落ちていたとして、君はそれをどうしますか? 漢字の一のような形のものを手に、どう使おうとするでしょうか? この形のもので、サッカーはできますか? 丸いボールのような形のものでなければ、難しいですね。つまりそれは、この棒という形の弱点かもしれません。では、強味はなんでしょう? 君は、これを使って、何ができますか? 他の人をたたく? たしかに武器の剣になりますね。それから? 地面に絵を描く。できますね。地面を突っつけば、穴を掘ることもできますね。木の幹や、他のものを叩いて色々な音をたててみたらどうでしょう? 音楽もかなでられますよ。つまり、できない、やりにくいというその形が持っている限定、弱点が、今度は様々な想像力、そして創造力を産み出してくれます。不自由を受け入れることが、人間に自由を与えるのです。自由にやってごらん、そういわれるほど、人はどうしていいかわからなくなるものです。そして人間という形自体が、一つの限定、不自由ですね。四足の獣たちより足は遅いし安定していません。脳みそがたくさんなので頭が大きく、それを細い首で支えるだけで、肩こりや腰痛にもなってしまいます。しかし、その獣たちになかった大きな脳みそゆえに、私たちはあらかじめイメージし、問題を想定し、矛盾を解決していくことができたのです。そしてそうやって、君たちはいま、ゴールの前に迫っている。囲碁のようにスペースを陣取りながら、将棋のように王手をしている。記憶の大きさと計算の早さが進歩した今の科学技術では、もう囲碁も将棋も、人間はコンピューターにかなわなくなっています。けれども、コンピューターにできることは、王手までなんですね。論理的に詰みの筋道を開発していくまで、です。将棋なら王手で終わりですが、サッカーでは、ゴール前まできてフリーでシュートをしても、本当に入るかどうかわかりません。王手しても、本当に王様が取れるかどうかは、やってみるまでわからないのです。そこに、人間とコンピューターとの違いがあるのかもしれません。君たちはでは、この違いに、どんな意味を認めますか? そもそも意味があるとおもいますか? コンピューター・ロボットの鉄腕アトムは、自分が人間として認められなかったことを悲しみ、人類を救うために空のかなたへと消えてゆきました。サッカーをする君たちは、そのサッカーという人の営みを通して、どんなことを考えていけるでしょうか? イメージできるでしょうか? 


<Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...>


僕らの上には空だけ
想像してよ、
すべてのみんなが今日を生きている……
(ジョン・レノン「イマジン」)


*その後の情勢については、2019.2.10「世界システム論で読む少年サッカー界」

2017年2月24日金曜日

ジュビちゃん

「山極 遺伝的有効個体数というのがありますが、実は最近のゲノム研究で衝撃的な発見がなされました。狩猟採集生活から農耕へ移ったとき、世界の人口は八00万人くらいいただろうと言われています。そのときでも、人類の遺伝的有効個体数は一万人にすぎなかったというのです。それはチンパンジーの約一0分の一です。今チンパンジーは世界に――といってもアフリカだけですが――三0万頭くらいしかいません。ゴリラはおそらく六万~一0万頭だろうと思います。しかし彼らの有効個体数は人間の一0倍あるのです。つまり、遺伝的に非常に多様なわけです。これから人類の一0倍くらい個体数を増やしても遺伝的に劣性にならないのです。人間は今七0億人いるわけですが、それが有効個体数一万人であるということは、遺伝的にいかに均質な、危ない状態にあるかということになります。それを今共存させているのは、まさに文化的多様性なのです。それがあるからこそ、ここまで増えたと言っても過言ではありません。それを意識しなくてはいけないのではないでしょうか。
中沢 それはとても「有効」ですね。文化的多様性をどう実現するか。今はそれがとても乱暴なやり方で、反グローバリゼーションなどのかたちを取りながら出てきています。それは時代遅れと言って否定するようなものではなく、人類が現代の事態に古くからのやり方でもなんとか対応しようとしているのだろうとも思います。しかし、それを超えていくものが必要です。「人類の自然」というテーマはそこにつながっていくとき、初めて意味を持つでしょう。
山極 世界にはものすごく多様な自然がある。そしてそれぞれの自然に寄り添いながら、いろいろな儀礼が昔から行われてきた。日本も南北に長い島で、かつ二000くらいの島がありますから、そういうところでいろいろな祭礼や冠婚葬祭がそれぞれの伝統に沿って行われています。その多様性が日本をつくっている。世界規模で言えばもっとそうで、日本はその縮図のようなものです。そういうものをきちんと見直す必要があるのかもしれません。
中沢 食の多様性なんてのもありますよ。全国の魚彼岸や市場を歩いてみると、あまりの多様性に驚かされます。そういう多様性はものすごく重要になってくると思います。」(「人類の自然」中沢新一+山極寿一 『現代思想』3月臨時増刊号 青土社)

常用で手入れに入っている新宿のお寺に、今時季になると、渡り鳥のジュビタキがやってくる。公園とかの人の出入りが頻繁にあるところに飛んで来るのは雌の方で、雄は林の中にいがちなのだそう。山手通り沿いにあるこの寺に顔をだすのも雌の方で、鶯色の体に尾だけがオレンジと目立つ色立ち。メジロよりひと回り大きい。雄の方は羽が濃い青のもっと派手な小鳥らしいのだが、見たことはない。

飛んで来て顔を出すと言っても、警戒心は普段から見かけるヒヨドリやムクドリ、あるいはメジロやシジュウガラ、セキレイなんかよりも用心深い。ウグイスほどではない。が、一月も同じところに居座って、移植のための穴掘りや、グランドカバーのタマリュウを植えつけていれば、用心が薄れるのか、ふと気づくとすぐそこ、2メートルほど離れた庭石や垣根の柱に止まってこちらを見ていたりする。虫を食べるというから、土を掘り返しているこちらの隙をうかがっているのかもしれない。とはいえ、同じく地中の芋虫の類を狙っているムクドリ、ヒヨドリなどは、人がいる間は近づいてこないのが普通だ。そう比べてみれば、人懐こいと言えるし、また事実、なんだか心の通う交流がはじまってきそうな感じになるのである。鳴き声に慣れてくると、すぐに近づいてきたのがわかる。
「ジュビちゃん、きたね?」
名前のジュビタキとは、火焚き、ということだそうで、シュ、シュ、という短く切る音が、火打石をこする音に似ていることからくるそうだ。朝の9時ころにちょこっとだけ挨拶するように姿をみせてどこかへいき、午後の3時ごろにまた現れて、お寺のあちこちを飛び回って餌をさがしているふう。1時間を超えるくらいは、私たちのまわりをうろちょろしているのではないだろうか?

佐渡の朱鷺も、農作業をしている地元の人の間には降りて来て田んぼの餌をついばむそうだが、観光客の前には現れない、と聞いたことがある。ジュビちゃんも、私だとわかって、安心して活動をはじめているふう。メジロなどもよく私たちの近くにあるウメやツバキの花のミツを吸いにくるけれども、こちらに関心があるようにはみえない。ハトのなかには人なれしているのもいて、脇を平然と通り過ぎていったりもするけれど、自分の欲求のことしか考えていないようで、お互いの心が通える、という感じにはならない。それはカラスと同じだろう。

が、私たち、と言っても、一緒に仕事をしている職人さん、自分の作業に夢中なのか、あまりジュビちゃんには関心がない様子。ハトの卵やカラスの赤ちゃんにさえ人道的な思いやりを見せる団塊世代の人物なのだが、ここ数年は急に老化が目立ってきて、落ちてきた仕事量を作業時間で補おうとするかのように、ひたすら与えられた仕事に没頭する。60歳を過ぎたころに腰痛手術を受けていったんはこの植木屋を退職したが、結局その間、シルバー人材で植木仕事をやっているのだからと、親方が呼び戻した。実際は、後を継いでいる自分の息子に愛想つかして若い人材がみなやめて人手不足になったからだろうが、そんな人聞きの悪い話を受け入れる職人さんではない。娘さんによると、またここで、というよりも私と一緒に仕事をするのが嬉しくてしょうがないらしく、朝からニコニコして出勤していくようになったという。けれども、若いときには過激に飲み歩いた人だ、体にガタがきている。腰痛手術のための検査で心臓が悪いとわかり、不整脈がなくなるまで手術が延期にもなったりしたようだ。昼食時に飲む薬を忘れると、顔に浮腫みがではじめ、ほんとうに妖怪のような風貌になる。そんな事情も知らずに、夕方が近づくにつれどこか顔が崩れていく印象を受け、帰りの5時の時には両目がコブでふさがれた状態で現れたときには肝がつぶれた。仕事が忙しくて病院に行く暇もなく薬切れ状態なのだという。もちろん、仕事はもやは忙しいどころか暇でしょうがない。親方とのマンツーマンでやっていたときの強迫観念から抜け出せないので、自分から病院で休むとは言えないのだ。今もこのお寺で親方ともいっしょにやっているとき、一服の缶コーヒーを飲み終えるやさっそくと作業をはじめる。5分も休まないだろう。煙草に火をつけたばかりの親方は一瞬驚いたような嫌な顔をするが、もう何もいわない。親方よりか5歳以上は年上だろう70歳に近いその職人さんの後姿は、今を生きているのか、過去を生きているのかわからない。物忘れが2・3か月ごとに進化していく、という気がする。自分でも気づいたのか、「認知症かなあ」と漏らしたこともある。そしてそうふと自覚する時のなかで、おそらく職人さんは、この毎日が最後になるかもしれない、と噛みしめただろう。そうしてまた、過去の習性に忘我してゆく。その一つ作業に埋没してじっとしている姿には、しかしだから、今日を生きている喜びが刻まれている。その刻印の微かな威光が、親方を黙らせるのだ。

シー、シー、と灯篭の傍らにうずくまってタマリュウを植えこんでいた私の近くで、静かな鳴き声がする。
「うん? ジュビちゃん?」 私は顔をあげて目をきょろっとする。園路を仕切る割竹の囲いにとまったその姿が写った。
「あれっ、鳴き声を変えたの?」 発情期を迎えた時の鳴き声だろうか?
すると、背後で黒松の手入れをしていた職人さんが応答した。
「ああ、じゃあ、さっきからいたんだね。わからなかったよ。」
私は作業着の胸ポケットから携帯電話を取り出して、カメラモードにした。
「ジュビちゃ~ん、動かないでね。」 何枚か、シャッターを切った。その音にも、ジュビちゃんは驚かないで、ずっとこちらを見ていた。松の手入れを終えられる目どがついたのだろう、だから職人さんは、周りの気配にも気付いたのだろうか。北風はなお強く、ジャンパーのフードを被った職人さんのうつむいた表情は見えなかった。ジュビちゃんは声もたてずにじっとしている。

私自身、小鳥たちのさえずりに耳をそばたてはじめられたのは、ここ数年になってからだろう。公共工事を息子に任せ、親方と私たちは昔なじみの仕事に引きこもってからだ。ある意味、のんびりとした時間を過ごしている。その急かされない時間の中で、50歳を迎える今年がやってきて、はじめて私はジュビタキと仲良くなった。何年も前から気になって野鳥図鑑なども買って調べていたけれど、ジュビキタスなどと間違って覚えたままだった。もう違う。しかしこの違いは、私が毎日を噛みしめ始める歳に入って来た、ということなのだ。だからおそらく、忙しく働いていても、そのふとした時間の緩みの中で、私は小鳥たちのさえずりに耳を澄ますことだろう。

ジュビちゃんは、それを知らせるためにやってきたのかい? 今日の風変わりな不思議な呼びかけは、そういうことなんだね? 自分がまだ、それを受け入れる喜びからはほど遠いことはわかってるよ。だから、そんな神妙な目を向けたまま、じ~っと見つめないでおくれよ。

*ジュビタキではなく、正しくは、ジョウビタキ。野鳥図鑑見ながら書いての読み間違え。下は、オス。新宿消防署の手入れしている時、署長の社宅の庭で。

2017年2月9日木曜日

「保育園落ちた日本死ね!」――山城氏の「ベンヤミン再読――運命的暴力と脱措定」を読む

「長期日本に滞在し、新聞であれテレビであれ現地の言論を注意深く見ている人はおそらく知っているでしょうが、日本は韓国人も当惑するくらい「北朝鮮関連の言説」が溢れている場所です。ほとんど毎日のように目にします。それもとても否定的な形で。
 そのような新聞記事やテレビ番組、そして関連書籍を見てみると、報道の目的が事実の「伝達」にあるというより、事実の「消費」にあるという感じがします。つまり、それは単純な情報として存在するというより、現在の日本社会を構成する核心にある装置のひとつとして作動しているという結論にたどり着く。日本という国家が北朝鮮によってようやく存在しているのかと思われるほどです。
 韓国における言論と日本の関係もそれと似ているのではないかと思われます。もちろん、日本と北朝鮮の関係を、韓国と日本の関係と単純に比較はできない。しかし、「危険な存在」として相手を消費しているという点ではかなり似ていると言わざるをえません。このような関係を普通「敵対的共存」と表現するのですが、このような敵対感が作動するところでは常識が絶対化され、「あえて確認しなくてもわかるという論理」が横行します。そしてそのような雰囲気は大体民族感情と結びついており、それについて疑うこと自体がとてつもない非難を受けるリスクをもたらすので、気軽に異議を唱えることさえ難しい。」(『世界文学の構造 韓国から見た日本近代文学の起源』 曺泳日著 高井修訳 岩波書店)

久方ぶりの腰痛悪化で欠勤したのを幸いに、久方ぶりに文芸誌(『新潮』2月号)に掲載された山城むつみ氏の論考、「ベンヤミン再読――運命的暴力と脱措定」を図書館で読むことができた。このベンヤミンのエセー「暴力批判論」は、最後節で引用されているデリダの『法の力』とともに、私も興味深く読んだことがあるが、直観的なイメージ理解のままでいる感じで、どこか脳みそに歯がゆさのようなものとして刺さったままだった。だから、微細な読みを行うのが常の山城氏がどのように読解したのか、興味津々で早く読んでみたかったのである。さらに、山城氏のことだから、文芸批評にかこつけて、今の風潮を隠喩したジャーナリスティックなものにもなっているのだろう、と予測された。今そのタイトルに「再読」とあると気づいて、なぜ今「再読」なのか、と問うてみれば、やはりクリティカルな批判を意図していたのだろうな、と確認せざるをえない。実際、私には、どうやら世界中を巻き込んでいるらしいトランプ現象や、まさに舞台の書き割りのごとく次の幕開けが準備されてくる小池劇場という民主主義政治(議論)への誘惑に抗して書かれたもののように読み取れた。

基調的な構えは、ドストエフスキーを論じた小林秀雄を読み込む前作と同じものだろう。
なお対岸的に伺える戦争の暴力も、今ここの私と直結している日常にいつでも惹起しうるものとして存在している、という切り口だ。一文もコピーしてこなかったのでここで何も引用できないが、しかし今度のこの論文は、もっと暴力が間近に迫っているのではないか、という時事認識に急かれて再読され筆を起こされた、という気がする。

私は、こんな光景を連想した。
「保育園落ちた日本死ね!!!」――そんなツイートに共感してリツイートしたとある若奥さんは、世の中を変えてくれることを期待して、今回の選挙で、次期総理とも召された小池百合子に投票した。が、その当選と就任の同時期に、彼女のツイートは、警察機構のコンピューターにテロと検索・選択されてしまった。我が子は保育園に入れたが、自分はそのツイートに共感した他の奥さんがたとテロを共謀したという容疑で拘束される可能性があるという。「保育園」というキーワードを出汁にして仲間を募り、緊迫したアジア情勢の緩和を支援してくれているトランプ・アメリカとの同盟強固化を阻止しようとする北朝鮮側の扇動に加担しているというのだ。一緒に検挙される女性の中に、北朝鮮の工作員を疑われる人物がいたのである。小池総理は、同盟国としての断固たる立場を明確にするためにも、この事件の背後として、前総理の安倍晋三、さらには小泉純一郎元総理にまでさかのぼって調べるという。拉致被害者の日本国への召還自体に、現事件の伏線となる裏取引の疑いが出てきたからだ。総理大臣自身が日本の独立を裏切り、そのことで沖縄からの米軍引き揚げの時期を引き延ばして基地維持の予算を上積みさせ、日米両国に多大な不利益を被らせてきたのである。小池総理は、この事件を、かつて日本をロシアに向かわせずアジア・アメリカ対策に専念させるよう工作したゾルゲ事件にもたとえている。マスメディアは、イスラム国立ち上げへの資金流出が私的メール問題で発覚し逮捕された、アメリカのヒラリー前国務長官や、その自国への裏切り行為を暗黙容認していたオバマ元大統領を議会に参考人招致したトランプ政権の手腕と同等なものだと勝馬に乗って総理を称賛している。スパイ容疑として明日にも検挙されるかもしれない彼女は、我が子の寝顔を見て錯乱する。なんでこの私がこんな目にあわなくてはならないのか? 彼女の人となりによっては、我が子を自ら手がげる「運命的暴力」に迫られ、神はなんでそんな仕打ちをするのかと苦悶した、アブラハムとイサクのような関係に入ることだろう。――家庭内暴力に行き詰まって息子の首に手をかけた父親、介護に疲れて母親に手をかけた娘……、たしか、そんなシチュエーションを取材したドキュメンタリーな書籍も最近出版されていたように思うが、それらは、単に、私事的な事件だろうか? 彼ら・彼女たちは、子どもが登校拒否を誘発させるような学校に当たったり、両親の福祉施設への入居や手当がもれたりで運が悪かっただけなのか? 私は、私事的な言動=言葉(つぶやき)による暴力が、国家的な暴力(戦争)に引き出されうる可能的現実を誇張して描いてみせた。山城氏は、私事的な事件を一般的な解決として逃げるのではなく(つまり選挙で小池氏に期待して投票し政治に参加したような気になること、あるいは中東の現実のように自暴自棄的な犯罪・自爆・テロリズムに走ること)、単独的に引き受けることによってのみ、「暴力=戦争」を「脱措定」しうる道が開けうる、その論理的道筋を明示しようとする。その引き受けは、イサクに手をかけることを赦されたアブラハムのようにはいかず、殺めることになってしまうかもしれず、果ては、デリダが示唆したように、アブラハムの「神的暴力」こそが「ホロコースト」として顕現してしまうのかもしれないのだ。我々は、暴力から、戦争から逃れられない。が、それを脱白させうる論理、いや国家(民主主義・代表制)という戦争機械を不備にさせていくのは、各自・各部品がその具体的な場所を、部位を、単独的な苦悶で闘争することによってだけである。わが子を保育園に送ろうとする彼女が、錯乱と煩悶のうちに殺めたその苦悶の道筋によってだけ、暴力を、戦争を発現させない機械不備、論理破綻が連鎖するかもしれないのだ。……

……恐ろしい話だ。現象的にはとても容認できない話である。ばかばかしくも聞こえる。が、内在論理として本当だとしたら? 人間とは、そういうものだとしたら? それが説得的なのは、子を持つ親なら、身に覚えがあるからだ。アブラハムとイサクのような関係のおぞましさを、日々味わい、おののいて「もしも――」と想像してみない親がいるだろうか?

2017年1月28日土曜日

夢のつづき

「死因は脳内出血で、真帆が奄美に着いた日の午後十時ごろ亡くなったと思われた。寝間着に着換えて寝る支度を整えたところで倒れたらしい。享年八十七。島尾のいない人生を二十年四か月生きたのちの死だった。」(『狂う人 「死の棘」の妻・島尾ミホ』 梯久美子著 新潮社)

夕飯を食べ終えれば、すぐに寝床に就く。8時過ぎくらいが普通だ。その日はまだ食卓の片づけもままならぬうちに、女房と一希の勉強なるものが始まったので、そそくさと寝室に入った。さっそくいつものいがみあいがはじまり、よくあるように一希が逃げるようにしてあちらの扉を閉めこちらの襖を開け蒲団にもぐりこんでくる。が、いつもと違い、今回は女房ぶつくさいうだけで追いかけて来ず、しばらくして、買い物にか外に出ていった。すぐにも、一希の寝息が聞こえてくる。私は、いつもの不眠のままだ。一時間ほどしてからだろうか、突然一希の「ママやめろよ!」という叫び声が聞こえてくる。「痛いって。それ以上やると、骨が折れるよ!」はっきりと聞き取れるいつもの寝言がはじまったのだろうと思いながらも、まるで目覚めているような切迫さなので、少し不安になって、窓際に寝ているはずの一希の方へ寝返りを打ってみた。驚いたことに、一希は立ち上がっておびえているのだ。「やめろ! 違うよ、それ以上は骨がつぶれるんだよ、やめて!」薄い暗闇の中で、息子は身もだえていたかもしれない。「いっちゃん、だいじょうぶだよ」私はおどおどしながら声をかける。すると私の方へやってきて、隣の蒲団にもぐりこみ、「違うんだよ、ママがおさえてるんだよ、それ以上やったらおれちゃう……」と、また少しづつ声が小さくなっていって寝入っていった。夢というより、迫害妄想か? もともと、感受性が強いようだ。母親とも、愛憎入り組んだ複雑な感情を抱懐している。いまだに、抱っこされにいったりする。癒着と乖離の言動やりとりには、論理がすっとんでいるから、理性的に折り合いをつけていく作業は、母子ともに成立しないだろう。が、それでも、以前よりはだいぶ女房の自制は効いてきている。おそらく、反抗期の年頃の息子を抱えた他の母親たちとの語らいから、自分を振り返る時間が多くなるのだろう。執着的な信念と重合した自尊心を損壊させない自らのペースで、女房が一生懸命自らを変えようとしていることが、私には洞察できた。突発的な一撃で不幸に合わなければ、自然二人の折り合いはついていくだろう。……私が、寝付けない夜を見つめている間、後から寝床に入る二人はすやすやと眠ってゆく。

目をつむると、赤黒い闇の中で、開いていた瞳の時に焼き付いた物体の残影が、ぼんやりと青白く浮き上がってくる。ず~っと閉じた瞼のなかで瞳を凝らしていると、だんだんとしぼんで消えていこうとするが、また瞼をさらに強く閉じなおして瞳を開き直すと、また青白い強度が復元されて光はじめる。逆に、瞼だけでなく瞳も本当に閉じて目をつむってしまえば、アナログ写真のポジに対するネガのように、闇の領域と光の領域が反転したりする。夜中にトイレにいく。電気を消してもどってくる。閉じた瞼に開いた瞳の内には、黒いスリッパの形が白く輝き、便座の白い丸い形が紫色に滲んでいたりする。これも、本当に目を閉じれば反転した色模様になり、瞳を開き直せば、また消えかけたスリッパの白い三角がはっきりと浮き上がってくる。いつまでこの内奥の光をとどめておけるのだろう? そしてこの光は、どうも外の光景とは関係がないか、切れて在るのかもしれない。夜半に暗闇の中で起きたまま、また目を閉じてみる。するとやはり、光のまだら模様が広がっている。青白いとも、紫っぽいとも、緑がかったともいえるような、小刻みな微光の不均等な集まりだったりする。両の目前に掌をあてて、外の光が瞳に入らないようにして、目をつむってみる。それでもやはり、光はある。ちょうど寝入る瞬間、不均衡な光の粒子のまだら模様が、突然解像度をあげたように集積濃度密にし始めて、記憶作用と連動したような絵を結びはじめるのを目撃するときがある。その絵はそのまま夢として動き始める。寝起きの朝方だったら、動画が急に息切れを起こしたように荒い粒の絵にばらけていって、赤紫色の地味な光のまだら模様にもどっていくのに直面もし、ああ夢が終わってしまうと、意識的に夢を再起動させてやることが、2回ほどならできるようにもなる。

この光と夢のメカニズムが、私の気になるところである。

今日は、一希が午前中部活のサッカーに行っている間を利用して、女房と二人で映画『スノーデン』を見に行った。二人で映画などをみるのは、初めてなのではないだろうか?

*関連マイWEB;http://www.geocities.jp/si_garden/kanokaz.htm

2017年1月7日土曜日

「ゲンロン」をめぐって――トッド・ノート(6)

「――トマ・ピケティやエマニュエル・トッドはどうですか?
 浅田 こちらは逆に実証主義への回帰であって、そういう仕事としては一定の意味がある。…(略)…トッドの場合も、ポピュレーションの歴史社会学ということで幅広い研究を精力的に行ってきたけれど、結局は経験主義でしょう。家族制度・相続制度がそれぞれの社会でア・プリオリな価値観を決定しており、それにフィットしない政治制度はうまく機能しない。というような決めつけは、あきらかに単純すぎます。これを俗化すると、鹿児島県民には男尊女卑の伝統が強く残っているからフェミニズムが根づかないというような議論になってしまう。逆に言えば、そういうものを学問的に体系化してみせたからこそ、トッドの議論は俗耳に入りやすいんでしょう。よくいるじゃないですか、出身地を聞いて、性格や思考様式までわかったようなふりをする人が。」(東浩紀編『ゲンロン4』「マルクスから(ゴルバチョフを経て)カントへ――戦後啓蒙の果てに」)

正月休み、実家に帰って、こたつに入りながら、東氏編集の「ゲンロン4」を読んでいた。上の浅田氏との対談の註で、柄谷氏らが始めたNAMの運動の解散原因が、「事務局が機能不全に陥」いったことのように記述されていたので、その解散の一期前の事務員をしていた私にも他人事でもないのだろうと思い、思い出すことどもをメモしながら、この批評評価論議についての感想も記しておこうという気が起きた。

たしかに、「ゲンロン」註の「事務局」混乱が原因として解釈できる事実はあったのだろうな、とおもう。しかしそれは事実ではあっても、現実ではないような気がする。その真実(=現実)に近づくには、この雑誌での論議でも、「理論信仰」から「運動信仰」へと批評世界がシフトしていった傾向のことが指摘されているけれど、その枠組みを導入した方が近道という気がする。たとえば、京都にあった事務局が東京に移った際の事務局に私はいたのだが、そこは「リロン」的な人たちの活動だったかもしれない。解散間際のドタバタのとき、「スターリン主義者」という言葉で柄谷氏が罵倒したことがあったが、それはまるで「ゲンロン」でヘゲモニー闘争していたような私と、フリーターの運動などでも後に物議を醸したそうな摂津さんのことかな、という気がした。が、その時はすでに次の事務局に移行していたはずなので、もしかしたら、その時の事務局状況のことだったのかもしれない。最後の事務局体制は、あみだ籤で選ばれた新会長とともに「ウンドウ」系と言える人たちなような気がする。当時大学院生だった事務長は、今なお環境保護的な運動を続けている。私がいた時の事務長は、大学の先生をつづけているのではないだろうか。が、私がよく知らずに推論するのは、解散間近のドタバタの中で、運動系の事務局は、そのままこの組織を、極端な言葉でいえば、のっとろうと陰謀を企んでいたのではないか、ということである。そういう事務会議の痕跡を、偶然私が見つけてしまったりしていたのである。おそらく、そのままNAMが続けられていたら、かつての左翼運動ともなんらかの形で人脈的にもつながった、そういう運動系の人たちが中心になっただろう。しかしそれはそれで、真摯な意欲でもあるのだろうと、今はおもう。「今は」、というのは、いわゆる常識しか知らないような私には、そんなことしていいの? という思いのほうが強かったからである。

しかし、そうした世俗的な思惑の渦みたいなものが、NAMの創立に関してもあったのだな、ということはここに関わりが深まるにつれて見えてきたことだった。そこで見えてきたのは、創立に中心的に関わった誰もこの運動をやりたいとおもっていない、ということだった。それは、この『ゲンロン4』の、浅田氏の発言をみても確認できるだろう。運動に周りを強引に巻き込んだ柄谷氏本人でさえ、自分はこういうことは苦手だからと、早めに他人に任せて元老的な位置に引きこもりたいということだったろう。私自身、組織内の著名人の間での雰囲気は、勤め先の会社で入れ札に行かせられたときに周りの業者からおまえが出す金額はいくらかと探ってくるような嫌な感じと重なって感じられた。私の親方が実は「辞退」と記入してそういう社会とは距離を置いてなんとか独立・自立性を保とうとするように、私にも生理的な辞退が反応になった。近畿大の拠点学部で植木技術の講師ができないかと示唆してきた柄谷氏や、私のことを「ダークホース」とか呼んで当時の現代思想の編集長と引き合わせた岡崎さんや、たしかその岡崎さんの出版祝いの飲み会でトイレにいった私に「批評空間」編集長だった内藤氏がついてきて何か声をかけられたりしたこともあったが、そういうことも私にとっては、馬の耳に念仏、猫に小判みたいなものだ。世の中いやだなあ、とひきこもりたくなる。

「ゲンロン4」の言説の中では、私の意見というか根本にある感じは、フリーターという立場から言論を立ち上げている杉田俊介氏に近いな、という気がする。そしてそうであるがゆえに、この「平成批評の諸問題2001-2016」では言及もされていない、佐藤優氏の出現、がインパクトを持ったのだ。「いやだなあ」とみたがらない政治のリアルから逃げないで、そこでの具体洞察から理論と運動(実践)をつなげてみせている。外務省にいた佐藤氏の柄谷テクストの使用の仕方は、フリーター世界や職人世界で言論的に防戦していた私の読み方とも似ていた。具体的な現場での使用実践である。が、私が佐藤氏に注目したのは、柄谷氏と佐藤氏が対談するまえだ。そしてちょうどどこかの雑誌で二人の対談があったすぐあとぐらいに、NAMを再起動させるかどうかの会議があって、まだNAMパソコンを壊していない新会長も出席し、私も誰もこないだろうのにわざわざ親しい人が場所を作ったのだからと、参加した。もし、私が会議の進捗にびっくりして、再起を前提にしてやっているの? と水を差さなかったならば、その会議の空気として運動系的な方向として再起動していたのだろうか? がここでいいたいのは、その会議の途中、関井光男氏が参入してきて、どうも柄谷氏を具体的にフィードバックする運動組織が再導入できる脈があるのかないのか、情勢をさぐりにきたのではないかということ、ゆえに会議の空気に首肯的であったようだが、そこに私が佐藤優氏の発言を引用してぼそっと言ったことが、とくには関井氏の目の色を変えさせて、その空気を牽制させるような効果を持ったということである。何をいったのかは忘れたが、たぶん、リアルな政治的な話の引用だったろう。一般的にいえば、佐藤氏の着眼点が、旧社会運動的な発想を黙らせてしまったのである。そして、会議の終了間際にあった私の水を差すその発言で、一気に再起動はやらない、となり、新会長もパソコンを壊す決断をするようになったらしい。

こたつの中で読んだのは、他に、『トランプは世界をどう変えるか?』(朝日選書)と謳った佐藤優氏とエマニュエル・トッド氏の文章が並列されているものがある。トッドの分析を私が面白いと思ったのは、NAM解散間際ぐらいだとは最近のこのブログでも書いた。トッド氏の分析も、佐藤優氏と似たようにリアルなものだったのである。佐藤氏は、以前トッド氏を、実証的にも正確でないものがあることを論理の立点にしていると批判している。それを冒頭で引用した浅田氏の発言とあわせてみれば、トッド氏が本当に実証的な経験主義者なのかどうか、揺れがみえてくるだろう。たしかに、トッド氏の言説を通俗的に受ければ、浅田批判はあてはまる。私も、中根千枝の「タテ社会の構造」や丸山眞男の「日本の思想」といった高校の頃の課題図書を想起させて懐かしい、とブログに記述している。が、そうした見解からは、トッド氏のシャリル運動批判のような思考は射程に入れられないだろう。私には、そのジャーナリスティックな分析は、マルクスのドイツイデオロギー批判や、ボナパルティズム分析と同類だと思える。おそらく、去年の推薦図書でトッドの『家族システムの起源』を推した柄谷氏は、そういう受け止め方をしているのではないか? というか、理論から運動へといった柄谷氏が、佐藤優氏とトッドを重視しているところに、批評誌「ゲンロン」の論点は注目していない。つまり、私の今の文脈でいえば、「リアル」なものへの関わり方の変移に、である。

東氏も投票したという小池都知事は、山本七平氏の「空気の研究」や日本の敗戦の教訓ものを政治態度の言説的根底に置いていることをアピールしているようだ。トッドの言説も、その国土の風習的な地をまずは捉えておく、ということで親和性があるだろう。その政治的態度を、理論的な後退戦と自覚しているならば(つまり、単に舌戦で自民党に勝つためにということだけでなく、より高尚な理念へと社会を導くための一段階的な方策として――)、小池氏の実践は先鋭的なのかもしれない。が、そうではないだろう、ということがわかってしまうために、共感はできても支持できない。支持しても暫定的だ、ということになる。そういう世俗立場を導き出すノウハウ本としても、佐藤・トッド氏の言論は存在しているし、それが狭義の批評世界を超えて世俗に影響を与えているし、同時に、理論的な詰め作業にも接続・継承されている、という視点は、「ゲンロン」批評界にはないのだろうか? それとも、あまり教養豊ではない私の、トンチンカンな疑問なのだろうか?

2017年1月1日日曜日

初夢から

「われわれには、「教皇はそう言うが、聖書にはかく言う」という形で、憲法をもって絶対の権威に抵抗したという歴史は、ありそうに見えて実は存在しない。「法」は、ミュンツァーを生み出さず、千年至福的エネルギーで市民革命を追求するという衝動を起させない。というのは「法」はいわば合理性の象徴であり、それは非合理性の”制御”とはなり得ても、それ自体が、何か改革さすか、あるいは自らを破滅さすかの”力”とはなり得ないからである。従って「不磨の大典」をあるいは「平和憲法」を守るという意識自体が、その制御装置がある”力”に破られるか、一部破られているか、いまに全部破られそうだという意識ではあっても、一つの新しい合理性への追求に、一つの非合理性が”力”として作用しているから、その”力”には新しい合理性という新しい制御装置が必要だという意識ではない。」(山本七平『「空気」の研究』 文春文庫)

夜半にトイレに行って時計をみると、三時半すぎ、ということはと思い起こした。「さっき見ていたのが、初夢になるのだな」。寝床にもどって、枕元の電灯をつけて何を見ていたのかメモしようとした。目覚めたそのままで意識化しようとしたわけではなく、すでに日常の意識にもどって無意識に忘れようとした一時のあとだったから、判然としない。ただ奇妙な夢だった。その雰囲気は、『マトリックス』か何かのSF的な映画に似ていた。実際、私達は、黒いスーツを着た相当数の男たちに連行されたのだった。

私達とは、夜勤の荷物担ぎのバイトで仲がよくなったペルーの友達らとである。彼ら数人と、中学の頃の部活動で使っていた、河川敷の野球グランドの淵を歩いていた。土手へと向かう草むらにできた道の向こうから、黒服の男たちが一列に並んで、その土手の坂道を降りてこちらにやってくるのが見えた。警察だということが私にはわかった。「テイコウ、という言葉を使うと、日本ではつかまりますか?」と、隣を歩いていたラファエルが私にきいてきた。警察の男たちが私達の所までくると、ひとりが私に何か尋問し、私達はそのまま土手の方へ連行された。途中、私は私を連れる男に、女房が朝のトレーニングに私が出かけているのを知らないから電話をかけると断り、携帯をかけた。朝の6時5分だった。その横を、キケか誰かが、やはり携帯電話をかけて私を追い抜いて歩いてゆく。それをみて、私はまずいとおもった。警察に誤解されるだろう、そして私が電話をかけているのを見て、彼らは私を裏切者と誤解するだろう、という考えがよぎった。この場面の前で、私達はどこかで、もしかしてペルーの一室で、何か密談らしきものをしていた。「フジモリ」、そんな言葉があったような気がする。

いやそもそもそんな場面の前に、私は、学生の頃住んでいた上落合のおんぼろアパートからどこかに引っ越そうと、東京の街を歩いていた、かもしれない。(この夢は実は、その夜すでに見ていた違う夢なのかもしれない。)若いころから何度かみている、東京駅まえのビル街から、池袋のほうへ抜ける道を歩いている。そしてこれも何度か夢でみている、その駅ホームで迷ったすえにその迷う世間知らずさを隠すような気分で、人混みに流されながら、何番線だかのホームの階段をおり、、埼京線のようなものに乗って、しかし今回の夢では、すでに以前の夢で迷ったことがあるとわかっていたので、その意識をもって、すぐに次の駅で降り、意図どおり池袋の高層ビルの前へと出れたのだった(しかしその街の風景は、実際の池袋とはだいぶ違うが、サンシャインと西武百貨店前を重ねたような映像かもしれない)。以前の夢ではこっちへいってだいぶ遠回りして行ったものだったな、と私は思い起こして、高層ビルの周りを迂回するのではなく、その中を通り抜けていくような道を選んだ。

その夢の場面と一続きだったのかは判然としない。が私は、そうやって都会の街を抜けていく近道を選んで、裏街の路地道のようなところに入ったのだった。そこは、ソウルに行ったときの、オンドルのある旅館へ続く路地の雰囲気に似ていた。まるで茶室のように、その露地路のように枯れ木が風情よく斜に傾いた部屋の脇を通ったとき、新しいアパートはここがいいな、とおもう。ちょっと通り過ぎてから思ったので、私はまたその路地道を引き返した。その場面との一続きだったのかはまた判然としないのだが、私は上落合の古いアパートの自室にたたずんでいた。隣部屋との共同トイレにいけるドアを開けると、隣の部屋の扉が開いていて、私はそれを押して中をのぞいた。蒲団が敷かれていて、髪がぼさぼさの年老いた男が寝ていた。ホームレスだということがわかった。私は彼に何かを言ったかもしれないが、そうして自室に戻り、いまのホームレスが、内山隆氏か、飛騨さんに似ているな、と思った。いや「似ている」と思ったのは目覚めてからで、夢の中では、誰かと受け止めることもなかったとおもう。私が目覚めたのは、この古いアパートのトイレを使用としたからか、思い出せないが、私は目覚めて、トイレに行ったのだった。……

私がなんでそんな初夢を見たのかはわからない。最近の夢は、ここまでストーリ性はなかったとおもう。むしろ、目覚めても夢をみていたことさえ覚えていなくて、だから気にもしていない時のほうが多い。それぐらい、いまは健全に近いのだろうと思っている。今度のも、初夢という縁起がなかったら、小便とともに流し忘れていっただろう。しかし逆に、健全であるからこそ個人的な精神分析的範疇を超えて、どけて、より思考的な、つまりは自分がいま何を考え、考えようとしているのか、その材料の扱い方とかが見えやすくなっているのかもしれない。

本年からは、自然災害だけではなく、人為世界の災害世界にも、当事者として日本本国が参与していくようになる気がする。9.11はなお対岸の火事的であったが、今年からは、そうもいかなくなっていくような気がする。庶民の一人として、無事息災を祈願する。