2012年3月9日金曜日

技術の差異

「おそらく、「疎外」は克服されない。「疎外」は、人間の「手」が歩行の手段という「自然」から解放=疎外され、技術が手の代補であり、原発もその技術の連鎖の果てに出現したものである限り、まぬがれることができないものなのだ。原発だけが特権的に危険なわけではなく、プロメテウスが神から盗んで人間に与えたという火が、すでに「危険」なのである。/それゆえ、農業が危険であれば、自動車も飛行機も危険だろう。それらは、結局、リスクの多寡に還元されてしまう。反原発の思想は、そのことを踏まえて出発しなければならない。」(すが秀美著『反原発の思想史』 筑摩書房)

きちんと体系的な知識教養があるわけではない私は、スガ氏の上のことばを注意深くきいた。ここでいう「注意」とは、その解答が教養理解的に正しいかどうかの真偽、そして、その教養理解の枠を越えて、どれくらい思考を策動させてくれるかという検討、ということである。前者のような他愛ない疑義をもさしはさむ必要があると感じるのは、たとえばスガ氏がベンヤミンの「複製技術」にまつわる「アウラ」という概念を端的に誤読しているという芸術家(たち)からの指摘をきかされたときがあるからである。スガ氏は「複製技術」作品にアウラはないと言っているが、ベンヤミンはあるといっているんだよ、とアーティスト系の会合できかされたのである。そういう間違いが、ここでもあるような匂いがする、ということだ。しかし、教養のない私には、その真偽をここで確認することはできない。それゆえ、後者にうつって考え検討してみる。

上引用の理解が正しいとすると、「日本の大転換」でみせた中沢新一氏のような、生態圏には相容れない放射能物質を発生させるウラン(太陽の破片)を用いた原子力技術と他の技術との差異を考慮する理解前提は、欺瞞的、ということになるだろう。スガ氏の中沢氏への批判は、要はその欺瞞によって(つまり確信犯的に)、「ニューエイジ」的な神秘が、超歴史的な連続性が導入され、神道と仏教を混淆した日本文明の生成と似ている脱原発社会の原理がたてられてしまう、というところにあるのだろう。またそこに差異を認めるか否か、という理解態度の違いは、低線量被曝をめぐって、生命はずっと放射能とつきあってきて免疫機構も培われている、とする科学者と、いや生命はようやくのこと宇宙時間的な放射性物質を生態圏から排除してかろうじて自らの循環構造を保って生き延びているのだ、という科学者、との違い、とも平行しているようにみえる。「手」という人間特異的な技術上の問題(差異)だけでなく、生命という免疫技術の進化(歴史)自体の連続と変化(差異化)をみる立場、ということでである。しかしこの科学的な真偽は、私素人ではなくとも、決着がつけられるような問題ではないのではないか、というのがこのブログでの主張であった。「神秘」というなら、どっちも神秘だ。ならば肝心は、その差異のあるなしが、どのように思考の有意義をみせてくれるか、という注意力だろう、ということだ。そこの技術に差異はないとするより根源的な思考と、そこに差異をみる作為(欺瞞)的な思考の両者は、まず何を明確にしようとし、何を実践させようとしているのか?

とりあえず私は、そこの技術に差異を認める言葉のほうに説得力を感じているので、こちらのほうを考えたい。というか、スガ氏が指摘するような問題は、今回はじめてでくわした、知ったようなものなので、なおよく考えられない。私がこの差異ということで想起するのは、「スコップで掘った土と、ユンボで掘った土は違う」といった中上健次氏の言葉である。植木屋として植え穴を掘っていると、この差異には日々直面する。もちろん「スコップ」も道具だけれども、「手」に近い道具である。ユンボとなると、そうは感じない。なにせ掘りすぎる、余分な土がですぎる、土の塊がでかいので、現場の見た目がまさに荒廃した感じになる、低周波の音がうるさい……こうした差異は、技術のあり方として程度の違いで、考慮する必要もないことなのだろうか? しかし私は、親方やそのほかがすぐに「ユンボ」を導入し、人力での作業を忌避し、それが作業効率も悪いというのを尻目に、密かにスコップ作業で仕上げている。実は、人力を前提にしかるべきときにそれを導入することを段取っておいたほうが効率もいい、早く作業はおわる。最近も、わざわざ親方の息子がレンタルしたユンボをほぼまったく使わずに、計画以上に団地まわりの移植作業をおわしてきた。「ユンボ、ユンボ」と口だけ達者なもう一人の作業員を相手にせず、ただひたすら一人で穴をほり、植えてきた。体力も能力もない口先連中、職人などではぜんぜんない。……私がこの例でいいたいのは、同じ人間の技術でも、その延長に理論原理的にはあるとしても、そこには差異がある、ということはこういうことだ、こういうふうに存在していることがありうる、ということである。だから、原発とそれ以外の差異、ということも、ありうる、説得的、と感じている、ということである。

スコップでの土堀りは、腰痛にいい。木にばかりのぼっていると、おそらくその微妙なバランスのとり方が姿勢に負担をかけて、腰にくるようだ。人には尻尾がないからだろう、と今ではおもっている。サルは、尻尾を上手に枝に巻きつけて、木上でエサをとったりしている。尻尾のない人には、もはや無理がたたるのかもしれない。決して重いものをもつから、というわけではない。しかし、「手」が解放されて土の上を直立歩行するようになった人間は、重い脳髄を骨盤で支えなくてはならない。それ(立つ、歩く)だけで、すでに無理な姿勢なのかもしれない。スコップでの穴掘り、足の裏を痛めないように角を丸めたスコップの尻に片足を乗せて土に刺す、蹴る、という人体への余分な負荷は、ぎっくり腰で力が抜けたような状態を、しゃきんとさせてくる。スコップで足を蹴るとき、人体はどうしても垂直的な姿勢になって重力を利用した力の入れようになるからかもしれない。無理(姿勢)を正す筋肉が補強されてくるからだろうか? ……しかし私はこの腰痛(日常)が、骨折という事故(震災・原発災害)よりもより根源的ではないのか、と前回ブログで述べた。それらに差異はない、もっと根本的に問うてみる必要がある、ということも可能(説得文脈をもつ)かもしれないが、そこにある差異から、後者(ユンボ、原発)を嫌悪してもいいのではないのか? いやそれは嫌悪という趣味の問題であって、思想ではない、とスガ氏は言っているのだろうか?……そうした錯綜を、スガ氏の『反原発の思想史』を読みながら、近いうちに整理してみたいとおもっている。日本の事情にも教養の不足しすぎている私には、自分の言葉がどこからきているのか、その見当と検討をしていくためにも、スガ氏の作業は、とても役に立つのではないかと思っている。

2012年2月23日木曜日

腰痛とともに

「本書の一番はじめに、「寝相」について触れました。寝相にも人それぞれに「癖」があり、疲れ方も人それぞれです。寝ているときには、局部的に疲れがたまり無意識のうちにとくに緊張しているところが、ゆるみやすい体勢になろうとする。/このそれぞれの疲れのパターンを野口さんは「偏り疲労」と呼びました。/それぞれの人が集中したり緊張したりするときの、姿勢・動作のバランスのとり方に違いがあるために、疲れ方にも「偏り」が生まれるのです。/腰椎は五つありますが、そのなかにとくに姿勢や動きの焦点になる腰椎があります。/人によってどの腰椎をとくに使うかという「癖」がある。それぞれの腰椎の運動特性が、身体のさまざまな働き――内臓の働き方やさらには心の動きの傾向や特性にもつながっていると見通したわけです。」(片山洋次郎著『骨盤にきく』 文芸春秋)
木から落ちて1年がすぎた、ということになる。まだ痛みがあるので、最近起きたこと、という事実を確認できるのだが、もうだいぶな過去のような気分のうちにいる。しかしそれは、忘れられるような、遠い話になったというわけではない。以前と同じような心持ではもう作業はできない。今年にはいっての東京都は中野区の街路樹剪定で、人がひとり木から落ちて死んだそうだ。役人たちは、安全帯を二つつけさせるだの、昇り降りするときにもつけながらを徹底させるだのと、なおさら事故の確率をあげて統計上は隠蔽させる形式的な対応にてんやわんやになっているんだそうだが、昔のようにヘルメットをかぶらずに男気試し、みたいな環境ではないのだから、過剰な対策は人災を引き寄せるだけだ。立って歩く人はつまずく。そういう確率で、事故をゼロにするなんてのはできやしないのだから、役人(責任者)が努めるのは、安定した作業環境を維持し、事故に騒ぐことではなく、腹を決めることだろう。そして起ったことは起ったこととして、その後のケアをきちんと保証することだ。しかし、原発事故後の労働環境と官僚対応を筆頭に、もはやそんな肝の据わった現実対応はどこかへ追いやられてしまったようだ。ならば、一介の労働者として、どう身をまもっていけばよいのか?
骨折した足の痛みは、今年にはいってとくに消えていっているのが実感できる。寒くなるとうずく、とかもいわれていたが、そんなこともない個人的特性なようで、私の足は全快するだろう。子どもとのサッカーでも、ほぼ差し障りなく一緒にできるようになってきた。だからそれよりも私が気がかりなのは、腰痛のほうである。一昨年だか再発したのがやっとなおってきたとおもったら、またちょっとしたぎっくり腰になって我慢生活を強いられている。骨折した私に代わって、高木の剪定作業をやり遂げてくれた団塊世代の職人さんは、その作業終了後すぐに入院し、腰の手術を受けた。腰痛とは縁のない活気な人だとおもっていたら、そのまま術後も回復がかんばしくなく、1年たった今でも復帰の目処はたっていない。仕事量も以前ほど多くはないので、そのままリストラを勧められているようなものでもある。この慢性的、日常的な事態のほうが、実はどうも深刻なのではないか? 事故はおこる、注意していても、魔がさすことは防ぎきれない。それはしょうがないと諦めもつき、頑張りもやりなおせるが、その底流に常に潜んでいる、持続的、蓄積的な痛みにはどう対処したらよいのか? 大震災のあとで、日常の貴重さを思い知らされたというが、私も、大骨折のあとで、腰痛の深刻さを思い知らされた、というべきか。そしてしかも、この腰痛の在り方が、その人個人の「身体のさまざまな働き――内臓の働き方やさらには心の動きの傾向や特性にもつながっている」というのが冒頭引用著者の言葉である。私の感受性、思考、行動の型が、私の骨盤の型によって規制される、というのである。だから整体的な実践としては、その「体癖」を知って、その部位の腰椎をやわらかくしていく体操が大切、ということになる。
私は野口整体の影響を受けた片山氏のその考え方にリアルさを覚えるが、いかんせん、自分がいったいどんな型の種類にはいるのか、判然としない。当初は腰椎3番に負担がかかるものかな、ともおもったが、腰椎1番や5番の種類にもおもえてくる、というか、どれもぴんとはこない。なかなか診断が素人には難しい、ということか。最近はスポーツでも、4スタンス理論とかいって、一つの教え(投げ方、打ち方)を誰にでもあてはめていくこれまでの指導法と違った、その人個人の筋肉特性の型に応じたやり方を肯定していく方法論がでてきたりしているが、私もその考え方に賛成だ。というか、きちんと洞察力のあるコーチなら、野球ならバットグリップの位置を肩の位置にとかの、正統的なスタンスを押し付けていてもその子にはだめだ、とかの認識が生じるはずである。自然な感じがいい。大リーガーのフォームをみよ。みな個性的ではないか? 無理は、スランプの周期を早め、怪我を誘発するだろう。怪我(事故)は人を落胆させ(ゆえに逆に頑張りを反発させる)。が腰痛は、むしろ人の意識を集中させる。それは高揚ではないが、なにか、人の生活や生き方を少しづつ変えていかせるような、微妙な偏差を私にもたらしくてくる。ならば、日常的な腰痛自体が、骨折後に現象されてきた官僚的な社会振舞いへの地に足着いた抵抗感覚になってくるのではないのか?
今日は雨で、仕事は休みだ。以前は、それは天の恵み、という感じがした。しかしあの大震災・原発事故後、もはやそれが同じ雨ではありえなくなっている。同じ自然現象としてあのときのシュールさをよみがえらせだぶらせてくる、そんな潜在意識を透きこまれたようなのだ。しかも、4年以内に東京直下型70%以上などと脅されている。窓からみえる雨模様が、自分をほっとさせない、奇妙な身構えを実感させてくるのだ。これが日常なのか? これは、日常なのか? 椅子に座った腰の痛みに耳をすましながら、その真贋をさぐっている、そんな私の感じが、パソコンのキーボードを打つ動きとともに今ある。

2012年1月8日日曜日

仮説物語と世俗の夢

「民主主義は熟議を前提とする。しかし日本人は熟議が下手だと言われる。AとBの異なる意見を対立させ討議のはてに第三のCの立場に集約する、弁証法的な合意形成が苦手だと言われる。だから日本では二大政党制もなにもかもが機能しない、民度が低い国だと言われる。けれども、かわりに日本人は「空気を読む」ことに長けている。そして情報技術の扱いにも長けている。それならば、わたしたちはもはや、自分たちに向かない熟議の理想を追い求めるのをやめて、むしろ「空気」を技術的に可視化し、合意形成の基礎に据えるような新しい民主主義を構想したほうがいいのではないか。そして、もしその構想への道すじがルソーによって二世紀半前に引かれていたのだとしたら、そのとき日本は、民主主義が定着しない未熟な国どころか、逆に、民主主義の理念の起源に戻り、あらためてその新しい実装を開発した先駆的な国家として世界から尊敬され注目されることになるのではないか。」(東浩紀著『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』 講談社

震災前に書かれた文章集の著書に付けられた帯でも上のように引用された東氏は、さらにまえがきで次のようにも述べている。――<もしもいま(*引用者註;震災後のこと)、存分に手を加えるとすれば、筆者はおそらくは、本書を日本論に変えてしまうことだろう。一般意志2.0の実現が、単にルソーのテクストから導けるというだけでなく、また単にこの国の風土に合致しているというだけでもなく、日本がこれから新しい国に生まれ変わるためにこそ必要とされるのだと、そのように軸足を変えてしまうことだろう。」……先のブログでも引用を集めた水野和夫氏もその『終わりなき危機――』で、「日本」こそが「最も恵まれたポジションにいる」と前置きしている。私はこのどこかロマン派的な前提に懐疑と留保を覚えるけれども、明確にしえる文脈が仮説されえるかぎり、その方向で想像力を行き着くところまで押し広げたほうがいいと考えるので、二人の試みについてゆくことは面白かった。また東氏の立場とは、前々回のブログ宇野常寛氏の『リトル・ピープルの時代』の認識前提に重ねていったのと同様、私はおそらく超越的な視点を仮説しているということになるだろうので、東氏とも根底的なところで異議をもつ。が、そこをカッコにいれてみると、また東氏自身がそうした立場への批判を抑えているとおもわれるが、氏の唯物論的な理論、というよりは(むしろそうではなく、というべく)、具体化へと向けられた方策を、とても面白く拝読した。この面白さからみれば、最後に<超越>者的な選民に期待を寄せる、私の立場に近いだろう水野氏の「大きな物語」よりも、東氏の世俗的な知恵のほうが、好ましく感じられるのである。というか、私が認識的には超越者的なモノを理念的に仮構することになるとしても、実践的には、大衆と心中するほうがましだろう、と考えるからだ。それはなにも東氏が著作の最後のほうでローティの「アイロニー」をだしているような高尚な思想性によるのではなく、たとえば、もし雪山でまだ七歳の息子と二人で遭難し、前に進むことをぐずる息子を置いて体力ある私一人で下山すれば助かると認識しえるとき、果たしてその超越(大人)的な認識に従って行動することがいいのか、自分にできるだろうか、と考えてみた場合の結論のようなものである。おそらく私は、たとえ二人で行き倒れても、死ぬまでなんとか二人で打開できる方策をさぐっていくだろう。というか、実際には、それこそが理念的、より大きな我慢を強いるものであることは、幼い子供ふたりで街中を歩いてみればわかるだろう。幾度ぐずって立ち止まり、寄り道を好む子どもを置いて先に行ってしまうことだろう!

水野氏の「海から陸へ」という歴史転換という経済史的に大きな物語は、最近でもNHKで「シルクロードの復活」というような特集番組や、副島隆彦氏のような政治学者も説いていたことである。ただ水野氏の重点は、そこで資本主義が行き詰まってしまうのでゆえに今からなんとかしなければ、という話である。一方東氏は、そうした時間軸的な転換を前提とするより、停滞した時間としての空間的常態を認識の枠組みとして捉えることから始めているようだ。この二人の話の前提をまえに、震災・原発事故を見てきた私としては、おもわず次のような想像してもしょうがない想定外的な事態を仮想してしまう。温暖化で南極の氷が解けて新大陸が出現し、ゴールドラッシュ的な移民的新しい歴史がはじまってしまったとしたらどうなるであろう? しかも、あらわになった南極大陸から人類の文明遺跡までもが発掘され、アフリカのサルからヒトへが北へ向っただけでなく海を越えて南へも直接向かっていたことがわかってくるような、人類史を塗り替えるようなことが起きたらどうだろう? インターネット世界は、電気を前提する。その配線や人工衛星を。それが世界のあちこちで寸断・破断・墜落するような災害が発生したらどうだろう? 大事な政治的な決め事まで発電していないと決められないインフラ社会に住むようなことになったら、たしかにクリックしていれば政治参加していることになるのだから、これほど楽なことはないけれど、この怠け癖が危機時の対応を遅らせてしまうのではないか?

というか、東氏の知恵に意義があるのは、それが「夢」だからであろう。「みんなの意見は案外ただしい」という統計的正しさが保証されるのは、そうした数学的な現実が本当の現実として実現されるのは、柄谷氏が新聞書評でも述べていたように、参加者各々が自由な条件にいるときであるという、実現不可能な社会の理想の下においてなのだ。東氏のデータベース(各人の履歴蓄積)としての一般意志2.0が、フロイトが理念(超越)的に仮説した「無意識」と重なるとするのは、正確ではない。形式的に同型な階層としてあるとされるだけであって、データベースと世界(国民)大衆の無意識がぴたりと重なり合うという保証はどこにもないのである。それは、そうしたテクノロジーを信仰する者たちのあいだにだけ存在するだけである。信じられない者たちの間では、そのデータベース自体が疑わしい、依拠することもできない<似非無意識>と想定されてしまうであろう。しかし、フロイトの無意識と同型的であるだけに、それは「否定」できない形として、やっかいな下手物としてわれわれの前にたちふさがってくるとされるのが理論的な実状である、と私は理解する。つまり、東氏の設計する一般意志2.0という無意識は、抑圧された夢、というよりは、理想化された夢である。つまり、精神分析的というより、世俗でいう夢の語意に近いだろう。しかしだからこそ、この震災後において、われわれ読者をして鬱屈させるよりか、どこか楽観的な解放感をもって読める、苦々しい日常を一時でも忘れさせてくれる爽快さ、突き詰めた想像を味あわせてくれるのだ。これは東氏の意図したことではないかもしれないけれど。

しかし私は、やはりこの世俗的な夢のほうが、たとえば、昨年柄谷氏が文芸誌で連載していた「哲学の起源」と題した「大きな物語」よりも、より思考を刺激するのでないかと考える。教養のない私ゆえに、そのギリシア以前の哲学的前提状況を、比喩として現在と重ね合わせる読みしかできないとしても、つまりその真偽(仮説)は検討しようもないが、その構えは、デモにもいかない大衆への脅迫的なエリート意識、悪意に裏付けられている、と感ずる。とくにNAM実践での挫折経験のあとでは、『世界史の構造』の文明史論的枠組み、そしてその派生たるようなギリシア文明論的な「大きな物語」は、眉唾物的な発想として警戒感が強くなる。参考には十分するが、発想自体がいいのか、前作まではともかく、ひきつづく作品と、そして水野氏にも現れた「大きな物語」、大きな流れでのレトリックを、罠にははまるまいとする思いで私は受け入れる。この警戒は、身体的にいかんともしがたいトラウマになっているのかもしれない。しかし逆に、その物語を本当なものとして受け入れるのであれば、「金融空間」にいる現在の流れは変えられないまでも、数十年後の資本主義的行き詰まりを焦点として捉えて、どうそこへ向けて現生活を組織していけばいいだろうか、という実践思考になるのだろうか。つまり私たちが必要としている実践とは、仮説的な時間軸から暫定的な目的地点へむけて、現在をどう待機的に編成していったらよいのか、ということになるだろう。一方、東氏の「一般意志」という現常態から発する実践とは、すでに今から発想され設計されうるもので、その実現(実装)の持続をアップデートとして更新していけたらいい、ということになるだろう。

唯物論的な理論、か、世俗的な知恵、か。いやこの二つの態度は、両立可能なのか? それとも、全く不要なものなのか? 少なくとも、この二つの相対した態度が、われわれが望むと望まずとも、震災事故後には、後戻りできない地点から考えられていることだけは確かだと、私は認識する。

現状を考えるための引用

「明確な定義を明かさないグローバリズムの背後に潜んでいる思想をあぶりだしてこそ、現在起きている様々な現象を統一的に理解することが可能となるばかりか、数十年後の世界を予想することができるのである。/数十年後には、理念として無限である「カフカの帝国」が閉じてしまうのである。先進国の中で先頭を走っている日本は、実は「カフカの帝国」以後に備える上で最も恵まれたポジションにいることを自覚することが重要である。/三・一一以後をこのような視点で考えなければならない。被災地・東北の問題は日本全体の問題であり、先進国の問題なのである。残念ながら、今の日本が直面しているのは、「がんばれ日本」で乗り越えられるような生易しい危機ではないのである。」(水野和夫著『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』 日本経済新聞社)

「このように、金利の歴史において前例のないほどに「革命」的な超低金利が実現したのは、その背後に「革命」的に変わろうとしている歴史の断絶があったからである。すなわち、十六~十七世紀の「利子率革命」は、中世と近世を画し、それは同時に「陸の時代」から「海の時代」への転換を示唆していたのである。…(略)…近代資本主義にとって、交易条件の数世紀にわたる持続的な改善と海外市場の拡大こそが、資本蓄積の必要十分条件である。だから、ニ〇世紀初頭に「海の国」となってアジアに進出した米国が、一九七五のベトナム戦争で事実上敗北したことで、利潤極大化原理は「電子・金融空間」で実行されるようになった。/一方、二度にわたる石油危機は、交易条件の趨勢的悪化をもたらした。それを少しでも緩和しようと、先進国は原子力発電への依存度を高めていった。それがニ〇~ニ一世紀の「利子率革命」となって表れている。…(略)…グローバリズム、「海に対する陸のたたかい」、そして「人件費の変動費化は、いずれも同じ根っこを有している。すなわち、これら三つは、ニ一世紀の「利子率革命」をいかに克服するかを共通課題として生じたのであり、これら三つは「利子率」、すなわち資本の利潤率を再び引き上げようとする反「利子率革命」として捉えることができる。…(略)…米「金融帝国」が「帝国」たる所以は、米消費者だけに依存するわけではなく、「帝国」の定義通り、外国に対しても影響力を行使する点にある。米「金融帝国」の狙いは、グローバル化することで世界の金融資本市場で新しいマネーを創出し、そのうえで新興国・途上国の六〇億人の近代化を促すことで、反「利子率革命」(=「空間革命」)を引き起こすことである。…(略)…マネタリスト的世界が成立するのは、「空間」が閉じられているときである。新しい「空間」ができると、一六~一七世紀や二〇~ニ一世紀の現在のように、旧い空間では金利が低下し、新しい「空間」では物価が高騰(新価格体系への移行)するのである。旧い「空間」で旧来のインフレを起こそうとしても無理である。」…(略)…「「価格革命」が収束するときが概ね、新しい「空間」と旧い「空間」が一体化するときである。」

「長いニ一世紀」の「空間革命」がいつまで続くかという問いに答えることは、日本のデフレがいつまで続くのか、そして資源価格高騰に代表される新興国の物価がいつまで上昇するのか、という問いに答えることと等しい。…(略)…長い一六世紀に起きた「価格革命」は、ヨーロッパ大陸が一つの価格体系に収斂していくプロセスであった。「価格革命」が収束に向った一六五〇年後には、次の二つのことが起きていた。一つは、ヨーロッパの先進地域と後進地域の内外価格差がニ対一になったことであり、もう一つは、新興国・英国が先進国・イタリアに一人当たり実質GDPで追いついたことである。…(略)…ニ一世紀の「価格革命」がいつ収斂するかを知るために、一六五〇年前後に起きた二つの現象を二一世紀に適用すると、次のようになる。まず、日本の一人当たり実質GDP(九〇年国際ドル基準)に中国のそれがいつ追いつくかを試算すると、およそニ〇年後ということになる。…(略)…次に、一六五〇年に内外価格差がニ対一とは、第一グループである先進地域・地中海と第三グループの東欧の間の物価格差のことである。そこで二一世紀においては、第一グループ(物価水準が最も高い)ドイツと、インドを比較するのが適当である。/九〇年国際ドルで測ったドイツとインドの内外価格差は、ニ〇〇八年時点で三・四対一である。今度、IMFの見通しに従って、ドイツの物価上昇率〇・五%、インドを同四・〇%とすると、インドの物価水準がドイツの半分に達するのはニ〇ニ四年である。/新興国の生活水準が先進国と肩を並べるのはニ〇年後であり、先進国と途上国の内外価格差がニ対一に縮まるのは一三年後である。アフリカのグローバリゼーションを考慮すると、「価格革命」が収束するのは三〇年から四〇年後となるであろう。/二一世紀の「空間革命」の始点を「利子率革命」が始まった一九七四年とすると、すでに三七年が経過した。ニ〇一一年現在、ようやくニ一世紀の「空間革命」は中間地点に到達したといえる。」

「「バブルの大きな物語」は、「成長とインフレ」のメカニズムが崩壊したからこそ登場したのであり、それまでのバブルとは性格を異にする。これまで幾度となく発生したバブルは「地理的・物的空間」(実物投資空間)の中で起きたのであるが、「利子率革命」下で生ずるのは、「電子・金融空間」における「バブルなくして利潤なし」なのである。一九七〇年代半ば以降、バブルと実物経済活動の関係において、主客が転倒したのである。/「バブルなくして利潤なし」の資本主義経済は、社会生活を崩壊させることになる。バブルが繰り返し生ずるのは、「大きなバブルの物語」が支配している中で、中間層にバブルに依存してでも「成長」を望む潜在意識があるからであり、その結果、国の借金が増えるだけであれば、現在の社会・経済システムを支えようとするインセンティブは働かなくなるからである。…(略)…「「バブルの大きな物語」は、「海と陸のたたかい」と同時並行で進行する。正確にいえば、「バブルの大きな物語」のもとで進んだ市場化と金融化は、「海の国」がそのたたかいを有利に進めるための手段であった。「陸の国」が地球上の多くの資源を保有する。米国は一九七〇年代の資源ナショナリズムで失った原油の価格決定権を取り戻すために、WTI先物市場をニューヨークに創設(八三年)するなどして、無から有のごとくマネーを生み出す「金融帝国」へと変貌していったのである。/しかし、歴史は思惑通りには進まない。事態は「海の国」の思惑を超えて進行する。その象徴が、二〇〇一年の九・一一であり、〇七年から急増したソマリアの海賊であり、〇八年のリーマン・ショックであった。」

「「海と陸のたたかい」は、新興国においてはいわゆるヘーゲルのいう「大きな物語」となって開花した。先進国は本来、「脱近代化の物語」に向うべきところなのに、現実には未だに成長物語を追いかけている。新興国における「大きな物語」にはモデルが存在するから、BRICsに象徴されるように、「輝く未来」が待っていると皆が確信している。一方、先進国における「脱近代化の物語」は未だ姿かたちもみえないし、それを指向しようとする意思もみられない。日本をはじめ先進国は今でも、「成長」によってさまざまな問題を解決できると信じているからである。…(略)…証券化商品バブルとその崩壊は、日本の土地・株式バブル崩壊がそうであったように欧米の財政事情を悪化させ、福島第一原発事故は名目GDPを増やすことを困難にしつつある。原発事故後、被災した東北が失った分だけ前進するから、そのほかの地域は後退する。九州、沖縄を含めて日本全体で自粛が起きるのは、もはや全員が前進するのは不可能であるという人々の直感の表れである。…(略)…東北地方の再興は、日本の未来の姿でもある。それは少なくとも近代社会の延長線上にはない。二一世紀は「脱テクノロジー・脱成長の時代」であるのは確実であり、それは「共存の時代」となるであろう。自然と人間の共存であり、陸と海の共存である。「定常」で成り立つシステムを構築することが必要である。貯蓄と投資がバランスし、ゼロ成長で持続する社会である。」

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以上の主旨を述べて、水野氏は、次のように待望する。――<そのために望まれるのは、シュミットが『政治神学』(一九ニ三年)で述べた「主権者とは、例外状況にかんして決定をくだす者」の登場である。…(略)…シュミットは、『中立化と脱政治化の時代』(一九ニ九年)において、「根源に立ち返って新たな秩序が生れるであろう」と締めくくっている。この解釈に関して、長尾龍一は「危機に逆上した大衆により終末が始まり、最後に『完璧な知』をもつ大哲学者ないし大神学者が登場して秩序を創生するという趣旨か?」と述べている。/大哲学者であり、大神学者が例外状況において決断をするのである。そして、大哲学者や大神学者が決断する前に必要なのは、「成長教」の呪縛から解放されることである。>

この結論の是非と、引用してきた氏の説く経済政治史的な「大きな物語」の検討は、並列して読んだ東浩紀氏の『一般意志2.0』(講談社)と対比させながら、次のブログで言及していこうと考える。

2012年1月5日木曜日

夢を見れない年

「もし私たちが「想像力」を武器に現実を、「壁」を変えていこうと考えたとき――その武器となるのは存在し得ない<外部>に依存する<仮想現実>的想像力ではなく、<内部>を無限に多重化し得る<拡張現実>的想像力ではないだろうか?/「壁」をビッグ・ブラザー的な擬似人格と「彼」の語る大きな物語ではなく、リトル・ピープルの時代における(ゲーム)システムと(キャラクターの)データベースとして捉えなおしたとき、そこには<革命>ではなく<ハッキング>的に世界を変化させ得る想像力を私たちは手にすることができる。そしてその萌芽は、既に貨幣と情報のネットワークの中に豊富に発見することができるのだ。」(宇野常寛著『リトル・ピープルの時代』 幻冬舎)

ここのとこ例年、初夢を書くことからこのブログが始められてきたように思うが、今年は、そんな記憶に残るような夢をみることもなく、正月の朝をむかえた。しかし、一緒に目覚めた一希が、最初は見た夢を覚えていない、といっていたのが、布団の中でじゃれあっているうちに、ふと「あっ、おもいだした」という。話すところによれば、前を赤ちゃんがハイハイしているのだが、なかなかおいつけない。みんなで歩いていて、おいつこうとしてもおいつけないでいるうちに、森に出て、そこにトイレがあるので、おしっこをした、というのである。「そのときオネショしちゃったのかなあ」と。つまり、オシメをしている赤ちゃんを卒業して早くお兄さんになりなさいと「みんな」から重圧を受けている自分が、なんとか赤ちゃんを追い抜こうとしているがそれができずに、森に迷い込んでしまう、あるいは、森という立小便をゆるされるような空間に逃げ込むことで、安心感(トイレ)をみだした、が、その安心が実はおもらししてしまうという現実という不安でもあるので、その葛藤の強さに目が覚めた、ということかもしれない。小学2年生にして、自分を分裂しはじめることができるのかな、と私はおもった。そして私が夢を見れない(思い出せない)のは(それはたぶん、たいした夢でもないので…)、現実の日常生活自体の内に、夢から目覚めさせるような緊張感が挿入されてしまったからだろう。あの震災と原発事故で。仕事納めの年末から仕事はじめの年始までの空白の時間、私は脱力と突然せりあがってくるおぞましさの感覚に陥ってしまう。しかし今年は、そんな年の区切りを味わうにしては、すでにしてゆるめられない緊張と高揚が内心に巣食ってしまったのだ。

<あれから数ヶ月、特に原発事故の長期化がもたらした日本の「分断」による諸影響は計り知れない。そもそも、今回の震災はその被害が広範であったがゆえに、逆に日本社会分断の危機を孕んでいた。つまり、津波に襲われた東北地方東部と茨城県、そして計画停電や水質汚染の恐怖に断続的に襲われ続けている東京周辺、最後に被害が軽微だった北海道及び西日本といった具合に、地方ごとに異なる震災の被害度合いによって人々の生活感覚が分断されてしまう可能性が高かった。そしてそれが、原発事故の長期化によって現実のものとなってしまった。もちろん、震災の影響による企業倒産など、経済的には既にその被害は全国的なものとなりつつある。しかしそれ以上に、生活実感のレベルでの分断のほうが強い力として今の日本社会を支配しているように思える。>(前掲書)

私も冒頭で引用した宇野氏の実感と認識に同感する。ゆえに東京に住んでいる私が、「日常と非日常の混在」という場所にいることにも肯えるが、そこが、あるいはそこからそこを、「分断されつつある社会をつなぐ」ための「想像力」を発揮しうる特権的な場所であるとは考えない。むしろ私はその初夢を覚えさせなかった「日常と非日常の混在」という日常を生きさせられることになった私が、これまで抱えてきた時間こそが、やはり私の考える場所なのだ……正月の休みの内にして、私の中には、様々な時間が同期して蠢いているのがわかってくる。子ども時代の記憶、人生の流れを切断していったようないくつもの記憶群、独身時代の葛藤、現在の家族との時間、気遣ってしまう子どもの将来の時間……それらの時間は、その時々の情念を伴っている。私は、それらを統合することもできずに、そのことがこの際といように自覚させられた自己の無能を、苦虫を噛むようにして、今をにらみながら、自分たちがばらばらにならぬようなんとか統御している……あくまで、私の考える、想像力を発揮させうる場所とは、この自己(事故)状態だ。それら統合できない自分たちを、キャラと呼んでもいいかもしれないが、データベースと化した、つまり、通時的機能をもった自己物語群(歴史)が共時的に並列化したそれを、自由意志的に引き出せるわけではない。ゆえに私には、宇野氏の提言は、どこか呑気に、あるいは、リアルな道筋というより、期待を表明しているもののように思えるのである。おそらく私は、宇野氏からすれば、なお「仮想現実(外部)」を信じている、とされる時代遅れな思考態度、ということになるのだろう。氏の言う「いま、ここ」とは、いわゆる「現在」という曖昧な実感と同義のように思えるが、私が前回ブログで言及した中上氏にみる「今ここ」とは、むしろ出来事性としてしかないものなので、それを思考として持続的に使用するには、理念的に仮想しなくてはならず、実践としては、反復的になるほかはない。しかも、その理念(出来事)は、ありふれた日常的な出来事、常々反復されていることとして想定されるのである。(キルケゴールのイエスのように。)――私のこうした認識的立場は、デリダが精神分析を得意点的な学術としたように、あるいは、ラカンがそうであるよに、あるいは、そこからカントに系譜的にさかのぼってとされるような、一時代の教養的前提であるかもしれない。それ(外部)を信仰するか否か、という二者択一的な厳しさゆえに「転向」が問題ともなるだろう。宇野氏の認識枠には、そうした問題は生じない。ただ私としては、たとえば、認識と実践を同一化させたがる傾向にある柄谷氏のような偏狭さは、まさに実践とが自己統御を超えた外部性とかかわらざるを得ないがゆえに、もっと我慢する、いい加減になっていい、とする立場だということだ。

そうした認識的な前提をカッコにいれれば、私は宇野氏の「リトル・ピープル」の時代認識を首肯しえる。たとえば、子どものサッカーチームのコーチをするにつけても、そこには小さき父たちの闘争(日常)しかない。まだサッカークラブにははいっていないが、運動能力の高い、一希と同じ小学校の子どもたちの話をきくにしても、「〇〇ちゃんはね、センタリングが得意なんだ。いっちゃんが望んでいるところがどこだかわかって、そこにどんぴしゃにあわせてくるんだよ。やっているのは、空手だよ。〇〇ちゃんは、キックボクシングやってる。〇〇ちゃんは、レスリング。〇〇ちゃんは、英語の塾にいっているよ。この4人がいっしょにサッカーやったら強力なんだけどな。」――スポーツといえばみんなが野球をやっていたような時代、星一徹―飛馬親子のような父が子にスパルタ的に強靭な物語(「巨人の星」)を教えてきた時代……それが反面教師にしかならないという反省からある今の自分が、子どもにそれを反復できるわけもなく、またさせられるような環境ではないのである。サッカークラブに入っている子どもでさえ、様々な塾に通っている。そこでは、ボールを追うという動機自体を作っていくことがコーチングとなる。ゆえに、エリート的な専門技術としてサッカーを志向させる親たちがいる子供たちのクラブとは、差がついてしまう。かといって、その差を埋めるべく、サッカーという民主的育ちの若いコーチたちをだしおいて、かつての野球クラブのようなワンマン的な指導法を実践する気にもならず、なおサッカー小僧になりきれない一希にも、無理な自主トレでしごこうとも思えない。いや自身の習性からは、そうやってしまうのだが、すぐにこれではだめだと目前の現実認識がおこり、修正につぐ修正で、かつてのワンマン教育からは後退につぐ後退のような試行錯誤がつづくのだ。そしてこっちがそう後退戦をしているのに、わが女房はこりずに突撃をつづける、甘やかしてはいけない、と。元旦早々、見れない夢の続きのように、九九の暗記ができない子どもを女房は足蹴にしはじめる。いい加減私は耐え切れず、女房を突き飛ばすと、「こんど足蹴にしたら、俺がおまえをぶんなぐる!」と宣言する始末。まったく、「リトル・ピープル」な時代である。

しかし、そんな時代を超えて、革命(=民衆・日常)はやってくるのだと私には思えるのだ。それは宇野氏が期待するような、内側からの変革としてではない。外部からの、戦争的な事態としてやってくる。この日本でも、暴動はありうる。一希は、いつもふざけているようにみえる。クラスの係りも、お笑い係だという。私は、このふざけが、真剣さと裏腹であることを洞察している。(子どもは、すべてをギャクにしてしまえる能力がないだろうか?)。どこか、マラドーナみたいだ。クラブチームに子どもをいれるのは、真剣さを学ぶためだ、というのが親としての私の言い分なのだが、真剣になる時とふざけていい時とのヒエラルキーを決定するのは、その基準とはなんであろうか? ふと私は思い出す、まだ5歳ころの街の祭りで、近所の公園の噴水の中に、真っ裸になって風呂のようにつかった一希をみて、母子家庭のヤクルトおばさんが、「ここまでやらしちゃ駄目なのよ! 親がとめないとだめなのよ!」と叫んでいた場面を。歯止めのきかない世界……それは理念的な日常とは似て非なるものだが、その暴力がリセットさせた世の中に、偏差としての理念が反復されて刻印されている……つまり、意識的には反復しえないが、無意識にそうしてしまうものとして、それは実現される。ならば、意志的には、人は無力なのだろうか? なんとか、できないのか? 私が、震災後のここ数ヶ月、苦虫を噛んだようにどこかイライラしているのは、おそらく、そんな思いにかられているからである。もちろん、私の認識態度が正当であるかはわからない。だから、以上のように、より若い人の著作を暇あるときに読んで、自己の内で議論を闘わせているのだ。その自信のなさ自体が、「リトル・ピープル」であることをあかすとしても。

2011年12月17日土曜日

この日本で、誰ができるだろう? (中上健次と民衆)

「有力な豪族の連合を基礎として成立した古代王朝は、やがて集権化の傾向を強めて、直接的な支配の範囲を拡大する。豪族たちも、中央の権力を背景として領主化して、広大な土地と人民とを所有するようになる。群小の古代的な氏族はしだいにこれに抵抗する力を失って解体し、領主のもとに直属する民衆となり、公民となった。久しく氏族の閉鎖性の中に眠りつづけてきたかれらは、こうしてしだいにその氏族の核を離れ、白日のもとに解放された。しかしその解放は、同時により強力な政治的支配への従属を意味した。民衆は、自由のよろこびを獲得するとともに、また新しい時代へのおそれを抱かずにはいられなかった。そのよろこびとおそれとのうちに、古代歌謡の世界が成立する。」(『白川静著作集9』「詩経」 平凡社)


私が学生の頃よく読んだといえるのは、柄谷行人のほうであって、中上健次ではなかった。しかし二十も半ば過ぎから新宿の植木職人として働きはじめてからは、その職場の環境から、中上氏の小説世界がリアルにみえはじめた。当時の学生時の読み方といえば、記号論的読解やエクリチュールといった方法が主で、私もそれに類した中上作品論を書いたこともあったが、よくいって秋行の「空虚(がらんどう)」さと自分の「空虚」さを重ねあわせているのがマシな程度で、空々しいものだった。しかし東京に残存しているような新宿の世界に、紀州の田舎で展開されていたその作品の主人公たちが影のように付きまとい始めたのである。親方の家族は、まさに女(姉)たちがしゃべりまくる世界だし、そこに出入りする職人たちは、祖父の世代が博徒や岡引、若い衆たちも『地の果て――』以降の中上作品に出てくるチンピラくずれや、地元でのチーマーとかに通じる徒党を組むものたち。私はいま中上氏が生きていたなら、オレオレ詐欺の世界を描くだろう、と想像する。とにかくも、私は氏の作品を、唯物論だの物語論だのではなく、まずは普通のリアリアズムが基調素材な作品として読めないかと苦心してきた。そういう考慮を抱懐している者として、前回ブログで言及した守安敏司氏の『中上健次論』は、まさに作品の主人公への対等な共感から発せられているが故に、私には新鮮だったのである。

<漁師の多くは体に入れ墨をいれていた。幼い私がその理由を聞くと、漁師は、もし海で死んで「土左衛門」になっても、この入れ墨で身元が判明するからだ、と教えてくれた。次の夏、昨年同じ漁師仲間だった人が船に乗っていないので聞くと、去年の秋に船から落ちて死んだ、と言う。こともなげに死んだと言う。/日頃優しい漁師が、船上で漁になると目の色が変わり喧嘩腰になる。酒が入ると、暴力はいけませんよと生ったるいことを教えられていた私がびっくりするような大立ち回りもいくどか目にした。/生活の糧を大自然の海に求めて毎日を暮らす。漁があるかないかはまったく運任せの博打のようなものである。こうした優しくまた気性の荒い漁師の生きかたを見て以来、私はスポーツと称して魚釣りをやる人間を基本的に好きになれないのだ。…(略)…繰り返すが、私は中上と同じ風景を体感していたことになる。風景だけでなく、中上の作品の登場人物の語り口調、例えば私が海岸でひとり本などを読んでいる時に、漁師の子どもが、「敏司君、何しとるん。海に入ろらい。」と誘ってくれる口調とまったくと言っていいほど同じであるのだが、その口調にも、また私の接した気性の荒い漁師たちとよく似た中上作品の登場人物の姿にも、私は表しようのない親しみを感じてしまうのである。>(守安敏司著『中上健次論』解放出版社)

その守安氏の、中上氏の知友である柄谷氏への批判は辛辣である。要は、柄谷は事実(作品年代順)をに反して自分の都合のいい切り口を物語っているにすぎない、ということである。中上の全集を読み通したわけでもない私には、守安氏の編年的な読みは勉強になるけれども、ではその守安氏は、何を言いたいのか? 他人の揚げ足取りではなく、自分が中上作品を通して読者に訴えたい意味はなんなのだろうか、と思ってしまった。なんで中上論を書いてみたくなったか、その原因はわかる。ではその結果として、何がでてくるのか? 生産的なものは? ……そうなれば、たとえ事実(史実)では証明できなくとも、抽象力という方法論によって、作品という素材を前方へ編集しなおして呈示する、という柄谷氏の読み方のほうが、たとえ間違っていても生産的であるかもしれない、となる。たしかに柄谷氏は、部落問題を一向宗起源説で切り、秀吉の刀狩りをヨーロッパと資本主義的なスパンにおいて同時代的と捉えうる「市民(自治)」の去勢と読んだ。部落史も、日本史も、事実的にはそうではない、という。しかし、『刀狩り』(岩波新書)で論証した藤木氏も指摘しているように、それはもともと「象徴的」な統制の仕方だった。つまり、藤木氏はあくまで「象徴的」にすぎず、全面的な展開とは言い難い刀狩りだったと言う。が、「象徴的」であるがゆえに「去勢」として重要なのであって、たとえそれが顕在(全般)的に事実とはいえないにせよ、以後そういう方向(サンス)で意味(センス)をもっていってしまった、というところに歴史の潜勢力があった、と抽象(読解)するならば、この精神分析的な柄谷氏の方法論は是であろう、というのが私の公平な意見である。また、小説家の端くれとして私が言うなら、作品を通時(編年・事実)的に読解することに依拠するだけでは人間の創造力を、あるいは潜在力を把握しきれない、とおもう。この作品を書き始めたならば、すでにその作品では書き得ないものにもまたすぐに突き当たってくるので、次の作品は並列的に派生してくるのではないか、と私は経験する。これでは書き得ないものをこの作品のなかに書き込もうという無限運動的な反復として、プルーストやジョイスがいたのかもしれないが、また小説の起源はその書くことの不可能性につきまとわれてそれを手放さず、と『ドン・キホーテ』やなんやかやが生れた、というのは文学教養のイロハでもあるだろう。

それにしても、中上氏の作中の共同体や、主人公や、『地の果て――』いこうで登場した若者たちの世界は、今はもうないのだろうか? 現実性が希薄で、残っていたとしても、もう意味(潜勢力)など持ち得ない代物なのだろうか?……どうも私には、そうはみえない。だから、中上作品の素材を、現在から将来へ向けて、そのセンス(方向・意味)を抽出して編集呈示したくなるのだ。たとえば、リビアでカダフィがたおれた。民衆兵士がひきずりまわした。気に食わない奴をやっちまえ、生意気だった女を犯しちまえ……と統制がきかない社会になっている、と報道で読むと、私は自分の職場の世界を連想してしまう。おそらく彼らが、カダフィにつくかつかないかは偶然で、思想的にはどちらでもよい、がそれゆえに、上からの統制がゆるんだ途端に、アナーキックな衝動が赤ん坊の泣き叫びのように発散されるだろう。日本でもその可能性は十分ある。しかしその世界の人間が価値とするものは、右左で思想化するならば右になろうが、それは上からの言うことに服従する、ということではなくて、たとえば、太平洋戦争が終ったとわかっていても、生き残った若者たちが小船にのって日本刀を武器に敵の艦船へ向けて出撃していって捕まった、というような人たちの価値である。私は、そんな史実もあったのだという映像をみたとき、その出撃まで、おそらくもはや先輩後輩程度の階級しかなくなったその生き残った若者たちの間で、どんな会話がなされて決行されたかが、聞こえてくるようだった。それはとても、勇ましい会話ではないのだ。国は負けたけどさ、そんなことじゃなくて、俺たちはさ……泣く泣く意地を張ってみせる突撃なのだ。赤ん坊がまだない我を張るように。が、彼らは列記とした大人である。それは気まぐれではなくて、もっと堅固な価値なのだ。そうとする仲間、共同体である。私の知っている範囲から推定すると、オレオレ詐欺も、地方から東京にでてきた見ず知らずの若者をアルバイトとしてやとって悪いことをするのは危険なので、そうした共同価値が生きている世界の仕業である。地方での者がかかわるとあっても、先輩後輩関係が生きていて、秘密を守っているかどうかが監視でき、簡単にはばっくれることができない付き合いがなくてはならないだろう。そこでの価値は、暗黙に資本主義世界に対抗している。騙し取って受けとった配分を、みんな遊ぶ金に費やしてしまうとしても。もちろん、私が言っているのは下っ端の使われる人たちの世界のことである。しかし、カダフィをたおしたのが「民衆」だというなら、私にはそれも「民衆」、いやそれこそアラブ革命の「民衆」の近傍に位置する者たちに思えてくるのである。彼らは、一度立ち上がったら、引き返せない、殺されるので。戦うしかない、泣く泣く意地を張って。そういうことを、この日本で、誰ができるだろう?

2011年12月9日金曜日

テクノロジーとカタストロフィー


「十六世紀末の日本の刀狩りによせる研究者たちの通念は、およそ次のようなものであった。豊臣秀吉の政権は、分裂していた戦国の国家の軍事統合に成功して、すべての暴力装置を集中独占すると、その力を背景に、武装解除をめざして、農村からあらゆる武器を徹底的に没収し、民衆を完全に無抵抗にしてしまった、と。/この見方は、いま、ほとんど国民の通念ともいえるほど根強く、「強大な国家、みじめな民衆」という通念は、十七世紀以後の徳川政権というアジア的な専制国家像を形づくるのに、決定的な影響を与えてきた。しかし、民衆の徹底した武装解除という奔放なイメージは、刀狩り研究の大きな欠落と空白に支えられて、じつに自在であった。だが、この通念ははたして事実であったか。「みじめな民衆」像ははたして実像であったか。」(藤木久志著『刀狩り――武器を封印した民衆――』 岩波新書)



七歳になる息子と一緒にその赤ん坊の時からのビデオクリップをみていてびっくりした。これまでも毎年2回くらいは、その私のHP上にも一希のプロフィールとしてアップしてある映像を息子はみてきたはずなのに、あたかもいまはじめて見るように見入り、5歳の頃に撮った自身がダンスをする姿をみて、げらげら笑いこけながらも、「こんなの見たくない! こんな格好つけ<いっちゃん>はいやだよ、もうやめてよ!」と言い出したのである。たしか半年ほどまえは、そんな反応もなく、素直にそれが自分なのかと受け入れていたのに。私は、親が子のビデオや写真をとりまくっているこのデジタル社会の環境の中で、子供はどう自身の記憶とつきあっていくのだろうかといぶかっていた。覚えたくもない思い出の暗記過剰になって、自分がおかしくなっていくのじゃないだろうかと心配もしていた。とくにその推定は、私の学生時代の教養の中でも、たとえば音楽家の坂本竜一氏と文芸批評家の柄谷行人氏などが、テクノロジー(シンセサイザー)が感性を解体するとか話していたので、科学技術の変革によって制度としての感性も変容していくのだ、とされていた延長にもあたるので、憂慮は知的な正当性を得ているとおもっていた。が今回の息子の様をみていて、それはどうも違うようだぞ、しかも、最近の自分の意見もこのブログなどで展開してきたように、サル的にというか人類的にというか、むしろ変わらない部分のほうが大きいのではないか、と思い当たったのだった。どうも、少なくとも人間は、自分という何かを維持していくために、都合よく本当に忘却してしまうようにできているのではないか、と。七歳の一希の自己嫌悪は、思春期に特有の、たとえばテープレコーダーの自身の声を聞いて違和を覚えるとかの症状と同じものなのだろうか? 「我は他者なり」というような存在論的次元への自意識化というような。…たしかに存在論的な、といえるのかもしれないが、どうももっと身体規制的な、つまりは遺伝的な生存本能に近いようなものにみえる。つまり自分を狂わすのではなく、あくまで健全な育成である。が、私はそこから、ベックがいった「全的なカタストロフィー」という意味のことを考えた。HP上の観覧記で倉数茂氏の『私自身であろうとする衝動』(以文社)の感想でその言葉にふれて、気になっていたからだろう。



私はそこで、今回の大震災や原発惨事を、かわいそうだが運が悪かったのだ、とみなされるしかないとする確率論的な社会観の是認は、悲惨を他人事としてみられることですんだ(戦後)平和ボケ時代の延長のままなのではないか、しかし我々は、もう他人事(部分的な)としてすまされない我が事(全的な)の事態として受容せざるをえない時代に転換してしまっているのではないか、といった。山城むつみ氏の『ドストエフスキー』を引用しながら、モーセの時代のように、と。つまり、ベックの認識背景にも、実はそんな平和ボケに回収されてすんでしまうのではない、「全的なカタストロフィー」が前提とされているのだから、と。しかし、「全的」とはなんだ? モーセが感受したものは、その現場・地域においての話じゃないか? 今回の震災や原発事故だって、日本だけのものじゃないか? かわいそうだが仕方のないこと、と募金やエールが飛んでくるのではないのか? テレビやパソコンで世界中の悲惨が受信できようと、そのテクノロジーの社会自体が、まさに平和ボケでしかありえない我々の感性を規定してしまっているのじゃないか?……



つまり、ここで、一希の出番なのだ。どんなにデジタルなテクノロジーが人間(子供)の脳髄を暗記過剰にさせようと、人間(子供)は忘れてしまう。それがなかった昔と同じように。つまり、あのモーセが世界を感受したように。この本源(健全)的な身体規制において、部分というのはありえない、のだ。今ここが、全的に更新されていくのである。もし一希(子供)が世界(他の地域や他の悲惨)と交わるとしたら、この一点においてである。というか、その一点でしか合点できない。子供に戦争の悲惨さや社会の恐さなどを説教しても理解されないのはそのためだ。一希は津波で死んでいった人々の映像をみても他人事である。しかし彼は、なぜか深く理解している。まさに当事者と同じ者として。忘れるのは、むしろその深い理解のためかもしれない。しかし忘れるとは、それを懐深くしまいこむことだとしたら? 大切なものとして。「全的なカタストロフィー」とは、それゆえ、「今ここの更新」という一点において感受される世界体験のことだろう。私にもそんな能力があるはずなのだが、平和ボケのほうが大きいのだろう。が、忘れていたその体験が、今回呼び覚まされたのではないか、ということなのだ。実際、3.11以降、気分的にそれ以前と同じではいられない。この変な感覚が、そのうち平和な日常感覚にもどっていくような気がしない。どこか、関節がはずれたようなのに、その箇所がまだつかめていないような……四十肩で生活している感じに似ている。(「腕があがらんが、どこか変だなあ」、と。)これは、私だけではないだろう。



一希のげらげら笑いを見ての「今ここ」と「世界」という飛躍的な概念連結の連想……ときたところで、今日、というかさっき、守安敏司氏の『中上健次論』(解放出版社)を読み終える。「今ここ」の肯定、といえば、やはり中上健次か、ということで。その守安氏の柄谷批判は、冒頭引用した、藤木氏の『刀狩り』論の構えと似ている。つまり、藤木氏が、秀吉の刀狩りによって民衆が骨抜きにされたというのは史実ではない、とするように、柄谷が中上作品に読んだ、一向一揆の部落起源説に対するまずは事実的な是正批判からの開始である。



<繰り返されるこの柄谷の主張は、完全な誤りである。もともと、当時、細工とは河原者と呼ばれた賤民であった人々が一向宗徒となり、信長と戦い、敗北し、後に、穢多や皮(革)田と呼ばれたのである。つまり、被差別部落になったのである。言いかえれば、賤民でなかった良民が一向宗になり、被差別部落とされた資料は、現在までのところ一切存在しないのである。故に、被差別部落が「近世市民革命」(近世に市民が存在したかどうかは、ばからしくて問う気にもなれないが)の敗北で成立し、「浜村孫一」の敗北で成立したとするのは決定的な誤謬である。…(略)…また、超時代的に言ったとしても、被差別部落民がそうでない地域と比して、特別温かかったり、冷たかったりするわけではない。ここに至っては、ある種、柄谷の差別性すら感じてしまうが、そんなことは、常識的に考えても判断のつくことである。>(前掲書)


柄谷氏の言説が説得的なのは、その文脈が、たとえば、日本ではデモが少ないじゃないか、といういかにもわれわれが首肯せざるをえない現実との関連において形成されてくるからである。やはり一揆から「刀狩り」され江戸体制で確立された制度的感性がなお我々を支配しているのかな、と。しかし「民衆(市民)」とが、中上の作品にでてくるような、「今ここ」しか知らないような馬鹿みたいな主人公だったらどうだろう? あるいは、守安氏が「はじめに」で触れてみせる、<また私の接した気性の荒い漁師たちとよく似た中上作品の登場人物>のような者たちだったら? 『刀狩り』の藤木氏は、それが実際に武器をとるということよりも、むしろ尊厳を骨抜きにさせていくための「象徴的な行為」としてあったと指摘しているが、人間<(作家)の歴史(作品)>にとって重要なのは、「事実」ではなく、それ以前的に「今」をどうするかという意味や思想であったとしたら? なんで「今」デモがないのか? 私自身は、そんな柄谷氏の認識前提自体に懐疑的だが、次回のブログは、守安氏の中上論を中心に、そこら辺について追求してみよう。