2019年4月8日月曜日

屑屋再考案2

前回ブログで、納戸と化した母の部屋(家)に言及したことで、以下のプロジェクトを考案したことがあったのを思い出した。

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――反戦リフォームプロジェクト――
屑屋再考案


<――昨夜は三浦軍曹の夢を見ました。ぼんやりした夢ですが、眼を覚ましたとき、ことによると彼は生きて還っているのではないかという気がしました。大工の棟梁だったという軍曹のことですが……。>(『軍旗はためく下に』結城 昌治著 中公文庫)


「仁義なき闘い」の映画監督深作欣二氏の作品に、上記に引用した小説を映画化したものがある。それは、「敵前逃亡」により処刑されたとされるため、「戦没者遺族援護法」の施行にあたって遺族年金がおりなかった妻が、その南太平洋の戦場で、実際に夫に何があったのかの事実を、残存兵を探し歩きながら聞き出してゆく物語である。彼女は、ようやくのこと重い口を開いた生き残り帰還兵から、戦場で生起していた壮絶悲惨な現実を知ってゆくことになる。テレビで見ただけのこの映画が、私の脳裏に深く刻み付けられているのは、その最後のシーンによってである。いったい戦争が終わってどのくらい時がたっているのか、その寡黙で夢遊病者のような生き残り兵が、いま何をやって生き延びているのか、定かではなかった。が、とつとつとあの戦争の光景を語りはじめた彼をカメラが少しずつズームをさげて写し出していくとき、鑑賞中気がかりになってくるそんな疑問が一望の下に明白となるのだ。彼は都会のゴミを収集していた屑屋であり、そのオンボロの崩れ落ちそうな小屋の向こうに、新宿の高層ビルの群れが蜃気楼のように浮かびあがるのである。
私にはどうしても、このテーマパークでも言及した、実家の裏に小屋を構えて屑屋をしていた元軍人の男のことを思わずにはいられなかった。彼は二度目の世界大戦に出兵した軍曹である。戦争後は、肉親とは縁を切ったようにこの自力で立ち上げたトタン屋根の家に引きこもったのだ。軍人年金は支給されていたので、その病死が明らかになると、12人の遺族がその土地を含めた遺産相続に名乗りをあげたという。
両親や近隣住民は、不衛生だからと役所に苦情を申し出て、撤去してもらおうと考えているようだ。役人が見に来て、山と積まれた冷蔵庫などの廃棄に100万円くらいかかるだろうと洩らしていったという。それゆえ、何も手をつけられないままだ。そこで、私は考えはじめた。国家がアホな強権を発動させて、自衛隊員を中東の砂漠へと派遣し、人民を男気な妄想に仕えさそうとしているこの時勢の最中で、靖国には回収されない一人の人間の軋みを残すことはできないだろうか? 私は、その衛生的に消されようとしてる霊の声に応答し、廃墟に木霊してみようとするべく、反戦プロジェクトを立ち上げることにした



(実)家には、三日居続けるのは難しい。女房など、里帰りしてもすぐに親と喧嘩して引き返してくることになる。(母-娘関係は特別か?)そこには、なにか重苦しくなるような、<不気味なもの=親しいもの>という精神分析上指摘されてきているような、見えない空間が成立しているのだ。
母親は、隣家の屑屋を気味悪がっている。元軍曹を、「聖人」とも呼ぶのだが。実家にそのまま連結するのは、あまりにこの世俗感情を逆なでしてしまって、時期早々ということになるだろう。しかし、この廃墟との関連がうまくなければ、本当の不気味さは隠蔽されるだけで、逆に凶暴な荒廃を精神にもたらすだろう。うまく幽霊をこの世に召還させてつきあっておく必要があるのだ。
以下は、とりえずのメモであり、現在の作業は、よりイメージ化するためのデッサンや模型作り。弟が、法務省からこの土地の登記簿をコピーしてくれる。


<アイデア雑記 >
1)トイレに基礎堀および駐車場床掘りで出た土をいれ、ネムノキの植栽。肥やしに転換。
2)リヤカーを、記念館入り口への、にじり口に。その取っ手の勾配線が、屋根の勾配に。
3)旧玄関を家内側からあけると、坪庭になっている。
4)残存ゴミをつかって、メモリアル彫刻を作る。ベンチも。看板も。(公募する?)
5)新築屋根資材は、空き缶の?葺き風。
6)宿泊施設にもなるようにする。(周りは管理放棄された農業地。真向かいは農協が住宅地に法的転換したが売れずに草ぼうぼう。)
7)メインな機能は、書斎。
8)幽霊がでればいい。(まわりが怖がるので、実家とは接続しない。)
2005.5.22

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上の案は、結局は東京に行ったきりのような次男坊の私に対する母の警戒、信頼がないために挫折した。が、今回、雑草予防のために敷かれたジャリ空き地に、お隣の息子二人の駐車を許可したのだが、ゴミや吸い殻は平気で捨てるやで、出て行ってもらいたい、ということになった。が、息子たちは窃盗の前科もあるチンピラなので、弟もそんなこと言うと自分の車のタイヤをパンクさせられるのでは、と動けない。ので、チンピラどころかヤクザ者と一緒に仕事していた私の出番となる。私としては、電機工の長男や自動車整備士の次男らとうまくコミュニケートとっていたほうがよくなると思うが、とりあえず、メンタル的に弱くなっている母の気持ちを安定させなくてはならない。ので、畑が欲しいという母の要望に応えるため、とにかくも、穴を掘ることにした。
とりあえず、屑屋さんの跡地の変遷を、写真でたどる。

まず更地にしてジャリに有刺鉄線

母がブルーなんとかというコーンを植え、でかくなる。私が車入り
やすいよう、コンクリ平板等を使って、出入り口を付け足した。

作業開始。車で踏まれた砕石層は硬い。しかも、30㎝ぐらい深さがある。
というか、他の現場で余った砕石か、見積もりどおりの大量の石ころを、
地面の上に撒き転圧しただけだから、地盤が高い。掘り取った石ころの
量がすごく高くなる。人力では無理かとあきらめようかと一瞬おもう。
隣地側は踏圧弱いとわかり、そこから崩すことに。納戸と化した母の部屋
へのもぐら道のよう。

日に3時間ほど掘る。それ以上は、50過ぎの体にはきついようだ。鋤も壊れたが、
三日ほどでこの位。あとその調子で、三日ほどやれば、10平米くらいの土が現れ
るだろう。がここまでやって、弟が重労働だと業者に頼もうとする。もともと、
門扉やフェンスを作ろうと計画があったが、親の介護費とうで金を余分に使うの
はもったいない。しかも、ユンボでやって黒土放り込むだけだから、いい畑にな
らず、修正のほうに時間がかかるだろう。景観もよくならない。黒土は火山灰土
で肥沃ではない。そうした土の実験観察もしたい。ジャリも捨てるのではなく、
洪水予防の緑の土手に変換しようとおもっている。一気にジャリとりしたら、除草
のメンテナンスの方が大変になる。母には、もうそんなことはできないと弟も了解
し、私の穴掘りが続行することに。隣の息子たちは、路駐することに。そうした
田舎の人間関係の解法も、なお容易には見だせないだろう。

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