2024年2月20日火曜日

トイレ


  横になっていた。体がほてっているのは、銭湯帰りのままいつのまにか、寝込んでしまったからなのかもしれない。ということは、体が冷えずにいたということだから、夏なのかもしれない。だけど、暑く感じているわけでもないことを思えば、春や秋なのかもしれない。時間が、ゆっくりと過ぎていた。薄暗い部屋が、上京してから住み込んだアパートだとはわかっていた。足元向うの押し入れがあいていて、暗い穴が、祠のようにひっそりとしている。よく近所の猫が、知らない間に入っていて、隠れていた。正岐の頭の向う、横にと、仰向いて眠っていた自分の顔をのぞいていた。布団をかけていたときは、胸の上にも、まるまって寝ているのもいた。もう十年近く、布団は干していない。ということは、もう学生時代のことではなく、フリーターとなって、アルバイトで生活をしていたころのことなのかもしれない。布団を干そうにも、どこに? 狭い路地道に面した窓をあけて、さびれた金網にかけてみることはできる。部屋の出入口は、その金網が切れた、路地道がT字路にあたるところにある。扉を開け放すと、銭湯や、さらにはコンクリで固められ堀の深い細長い川へとつづく商店街を抜ける路地道がくだっていて、買い物客や、川向うの高台には、大学のキャンパスもあるから、ここを抜け道として使う学生たちが、のぞいてくるかもしれない。しかし部屋は薄暗いのだから、もうじき、夜なのかもしれない。しんとしていた。押し入れの隣の、ちょっとした台所流しの窓も、破れた緑色のカーテンを暗くしていて、明るい気配がない。体が、軽くなってくる。起きようか、起きまいか、迷っていると、体が浮いた。いや、目を持った魂が抜け出たみたいに、すっと視界が上昇して、天井の高さにまでくると、見下ろしてきた。住み始めるまえから置きっぱなしの、タンスのような、勉強机がある。寝ていた頭上のあたりには、ミニコンポがある。かけっぱなしにしたままのラジオから、荘重な音楽が流れ続けていて、昭和天皇の最期を伝えていたと気づかされたこともあった。枕元の電灯の横、部屋の角には、小さな冷蔵庫がある。突き当りの、薄汚れて煤けているようになった壁。その真ん中を、引き戸がふさいでいる。視界が、その戸の方へとズームしてゆく。戸を開ければ、隣の部屋のものと共有するコンクリの土間があって、そこにスリッパを置いていたはず。右手側にまたドアがあって、トイレになっている。トイレに入れば、また、ドアがあった。それは、外の通りへと通じていた。日曜日の朝、大家さんが自転車でやってきて、外から入って、掃除をしてゆく。たまに、かちあってしまう。開けられては困るので、ドアノブをおさえて、トントンと、ノックをする。そんなときの、恐怖心のようなものが、こみあげてきた。トイレへと導くドアを、視界があけた。

 正岐は、また横になっていた。天井をみている。あの時も、天井をみていたのだとおもった。父が階段をのぼってやってきて、上京するまでは兄が使っていたこの子供部屋にはいってきた。「どうして、学校にいかないんだ?」父は聞いていきて、あの時は、狂っていたのに、もう狂っていないんだな、といぶかしがると、天井がひっくり返って、壁になった。細かい銀紙のようなものがちりばめられていて、ピカピカしているから、幼稚園児くらいの子供のころ、この二階家が増改築されるまえの、平屋建ての頃のことなのだろう。「誰も信じてくれない」正岐は、その壁の方を向いて、体を丸めて、泣いていた。二段ベッドのはしごに足をかけて、顔をだした父が、「だいじょうぶだよ、そんなことないよ」と、やさしい声をかけてきた。「誰も信じてくれない」、正岐は、泣き続けたままだった。何を信じてくれというのだろう? 次男坊だった正岐は、初めての赤ん坊として溺愛された長男と、甘やかされた末っ子の間にはさまれて、母から、邪見に扱われたことがあったのだろうか? おもちゃが欲しいって、わんわん泣いて、お店の床に大の字になって動かないんだから、大変だったのよ、と言った母はそのとき、どうしたのだろうか? 男ばかり三人兄弟のなかで、正岐は、女の子がわりとなった。いつも、母について、買い物にでかけ、ご飯を作るのを手伝った。ピアノの稽古を受けた。母も、買い物でよその奥さんに出会わしたとき、この子が女の子がわりなんですよ、と話し込んでいた。その母を、殺したのだと、正岐は思い出した。父は、もういなかった。

 ベッドのはしごを降りて、戸の方へへと向かった。ということは、父は、戸を閉めていってくれたんだな、と思い、一度は兄が鍵をとりつけてもいた引き戸を開けた。隣の畳敷きの子供部屋とをつなげる踊り場にでて、まだ弟は寝ているのだな、と思った。二人でその部屋で眠っていた時、夜中に目覚めた正岐は、寝入った弟のまぶたを無理やりあけてみた。眼球が、ぎょろぎょろと動いていた。白、黒、と繰り返された。今はそんな時ではないだろうと、正岐は、階段下を覗き込んだ。ほの明るい暗闇のなかで、階段の底には、ほの暖かい日だまりがあるようにみえる。正岐は、す~っと降りてゆく。そうだ、あの時も、こうやって、降りて行った。降りて、どこへゆこうか? 箱のような黒いピアノが、部屋の闇の底で、輝いている。もうやなんだ、ぼくは男の子だよ! 泣きながら、ピアノを弾いていた。近所の女の子と、連弾をやる。発表会。クリスマスには、とんがり帽子をかぶって、輪になったみんながプレゼントをぐるぐると渡してまわす。ぼくのは誰のものだろう? おしっこが近くなる。リビングを仕切るドアがみえる。またす~っと、その扉を開いた。この向うに、母がいるはずだ。暗い廊下。明かりはないのに、廊下の床にならんだ板の長方形が浮き出て見える。あの時も、こうして、向かったんだ。母は、まだいるだろうか? 突き当りの洗面台の鏡は、何も映していないままだった。そこを左に折れると、左側のドアがお風呂場で、右側のドアがトイレ。母は、お風呂にいるはずだ。あの時も、そうだった。す~っとまた、トイレのドアをくぐった。和式の便器の白い底に、黄色のような、茶褐色の、粘土で作ったような大きなうんちが横たわっている。「誰がしたんだよ! もう飯なんか食ってられねえよ! こんな仕事なんかやだよ!」夜勤の荷物担ぎをしていたとき、夜の食堂に入ってきた、よその組で班長をやっている若者が叫んだ。正岐はそこで、やっていいものか迷ってきた。もう深い穴は糞尿でいっぱいで、便器の下まできていた。汲み取り屋さんにはまだ頼んでいないんだな、と思いながら、前にあったタンクのレバーを引いて、水を流した。茶色く濁った水が、底の方からどっと流れてきて、便器からあふれだしてきた。それは洪水のようになって、正岐の方に迫ってきた。

 

 酔いが、まだ残っていた。後味の悪さを覚えながら、閉めた扉むこうの、トイレの水の流れる音を聞いた。もう昼近くになっているのだろう。寝床に使っている畳敷きの部屋には戻らず、隣の台所のあるリビングを過ぎて、奥の、勉強机や本棚を置いた部屋のカーテンを開けた。11階建ての団地の6階からなので、青空が大きく広がって見える。ベランダのベージュ色のペンキを塗られた鉄製の手すりの少し上だけ、駅に続くマンションや駅前の高層タワーの頂上が連なっている。何年かまえまでは、ここから富士山も大きく見えた。がいまは駅前開発でできたタワーマンションがさえぎって、その裾の部分だけが、滑り台の端のように降りているのがみえるだけ。息を深く吸って、胸のむかつきを調整してみる。この後味の悪さは、昨夜、草野球仲間たちと久しぶりに飲んだアルコールのせいだけでもなく、繰り返されるというよりは、ぶりかえされてくる夢をまた見ることになったからなのだろう。

 洪水の夢、竜巻に追いかけられる夢、熊に追われる夢、そして、トイレにあふれる大便の夢。いつから、そんな夢を繰り返すことになったのだろう? 山手線か何かの電車に乗って、ぐるぐると迷って、あげくは東京駅に近いと感覚されるいつもと同じ駅で慌てて降りて、そこから違う電車に乗り換えて、行き過ぎてしまったとまた草地が道端に生える郊外で降りて、田舎道から大通りへと出て、行き交う自動車の間を抜けて、混雑する人々の、買い物客であふれたビル街の中の路地道へと入る。そうだ、ここからならわかると、どうも池袋のサンシャインタワーへの街路を連想させる高層ビルの間を縫って、さびれた飲み街のような場所に迷い込んで、一軒の引き戸をあけると、そこが、上京してから一番最初に住んだアパートだったりするのだった。さっきの夢も、もしかして、そうやってたどり着いたのかもしれなかった。

 正岐は、台所にもどって、コーヒーをいれようと思う。それとも、カップラーメンにしておこうか。とりあえず、ヤカンに水をいれて、お湯をたくことにする。ひとりで住むには広い2LDKの物件だった。本を読むので、たまってくると、置き所がなくなってくる。寝床と書斎が一緒になってくるのも、どこか耐えられなくなっていた。本棚や、床に積み置かれた書籍のビルのような連なりは、どこか、夢のつづきのような、洪水があふれてくるイメージを呼び起こした。それでは、寝ても覚めても、同じ世界にいるみたい。世俗の、実際の世界にいることが正岐は嫌だった。その世界を成立させているそもそもの世間が、なお正岐には嫌だった。世間は、男と女でもつれあっている。なんで談合ってあるんですかね? 正岐は、植木職人の世界に入る前は、営業をやっていて、よく仕事上の話し合いの場所を設けていたという年上の職人にきいてみた。草野球も一緒にやっている彼は、「それは女が好きだからだよ」、と端的に答える。「銀座とかでよくやったな。」と、懐かし気に付け加える。

 草野球のチーム自体が、男の品定めのような場所になっていた。チームメイトの恋人なり奥さんが、年頃のまだ若い女友達をときおり連れてきて、応援にやってきた。がそれは、お見合い相手を探す一環でもあるらしいとわかってくる。そしてどうも、女の子たちは、みな正岐を指名しているらしいのだった。「いや彼は別口なんだ」と、ひそひそ声で説明しているチームメイトの声が聞こえる。ヤンキー的な若者たちが多い中で、律儀そうな正岐の姿は、目立つのかもしれない。仕事でも、自分ほどのベテランで、現場をまかされていると、接待のゴルフや酒の付き合いに巻き込まれていてもおかしくない。が正岐は別格で、いわば超然としているのだろう。みなを公平にあつかって、つるまない。作業能率が桁違いなので、不平を言ってやめられても困るからか、付き合いが悪くても、そのまま通ってきたのだった。

 もしかしたら、直希も、そういうことで独り身でいるのだろうか? 正岐は、カップラーメンにお湯をつぎながら、考え始める。中学生の時から、バレンタインデーのチョコレートをけっこうもらってたから、もてないわけじゃないだろう。むしろ、一番最初に結婚してもよい感じだったのに。いつだったか、兄の慎吾に、その件を聞いてみたことがあった。「まわりの女が尻軽で、ふしだらだから、面倒になったみたいだよ。」知ったように言われたその返事は、以外な感じがした。高卒でできる仕事につく人たちの世界は、モラル的な抑制も弱いから、そんな周りになるのかな、と思ったが、大学に進学した正岐の学生時代も、実はそういう周りだったのかな、と振り返られた。まだバブル時代だった。男の方がすぐに誰と寝たと言いふらすし、女性の態度も変わるので、それはすぐにわかるけれど、正岐には気にするどころではなかった。自分のことで、精一杯だった。どうして、母を、殺してしまったのだろう?

 草野球の応援にくる女の子たちも、いろいろな経験を積んでいるだろうけれど、ふしだらな感じはしない。男女まじった酒の席では、パンツをおろした男のペニスを、みなのまえで食いつく女の話もきく。芸能界にかかわっている若い衆もいるから、一度、ドラマや映画、コマーシャルでもいくつも起用されている女優がグランドにやってきたこともあった。いろいろ週刊誌で取り沙汰されるけれど、ふしだら、という感じを受けるということは、どういうことなのだろう? 

 しかしまだ、素人の世界のことだからマシなのかもしれない。野球仲間には、やくざ者もいた。性的にもアピールのある女性がくれば、明白なターゲットとなった。銀座のキャバレーに勤めているという若い女性がやってきた。サラリーマンの営業時代の接待で、その界隈に詳しいあの職人さんが、その勤め先の町名を聞くだけで、そこ三流じゃん、と挑発し、彼女もそれを自覚しているからか、口ごもってうつむく。やくざ者二人が、男どうしの打ち合わせを始める。後日、ひいひい言ってたよ、と酒の席で報告がはいる。3人でやったらしかった。そんな話の数日後、その男二人のうちの一人と、彼女が街を歩いているのにでくわした。男の方と目が合ったので、正岐は自転車を止めて、挨拶をした。彼は組員ではなく、ハンサムな遊び人で、娘ばかりの子供を5人くらいもった妻帯者だった。大きな目をした彼女が、ちらっとこちらを見上げた。ふたことみこと、何か彼と話して、「じゃあいきますね」と、団地の方へ自転車を走らせた。「え~っつ!」という叫びのような声が、後ろから聞こえた。その日以来、彼女は2度と、草野球の応援に来ることはなかった。

 洗脳のためのアンカーを打つように、男根を使うようだった。彼女だけではなく、他にも幾人か見てきた。目が、もうおかしくなる。中毒者になってしまうようだった。いやでいやでしょうがないのに、逃げられなくなる。その嫌な男をみると、体の芯が抜けてしまう。頭では嫌なのに、体が欲してしまって、言うことを聞かない。男の方は、それが狙いらしかった。「あなたのことは嫌いでしょうがないのに、体がだめなのよ、そう女に言わせなくてちゃだめさ」。

 正岐には、遠い世界だった。しかしその世界への嫌悪は、青春時、それ以前の世界と直面した時の嫌だな、入っていきたくないな、という感じを上書きしただけだった。高校は、県下でも一番の進学校で、男子校だった。その要領のいい官僚予備軍のような世俗社会と、やくざ者や草野球の世界でみられた世間は、直結しているというか、同じ重なりに感じられた。大学になどはいれば、なおさらだった。どこもかしこも、同じだった。気味が悪かった。もしかして、そんな感じが、あの糞尿の姿となって、夢に現れてくるのかもしれなかった。

しかし気味が悪いからといって、その当人である男や女たちを、ふしだらとは受け止められなかった。嫌なのは、その個別なことではなく、それらが織り成す相のようなもので、見えてくる印象に近いものだった。世相、という言葉もある。だから、それら個別の人々と、正岐は普通には付き合えているのだし、それを成立させているものがふしだらな素材であっても、その組み合わせ次第では、もっと違った印象を与える形になるのかもしれなかった。ただそうだとしても、正岐には、そこに参加していく意欲はわかなかった。欲望自体が、空々しかった。女性を性的な眼差しでみてみても、そう見るのが普通だからと強制されているようでいて、嘘くさかった。たぶん、自分はもっと無邪気な目で、男を、女を、世間を見ていた。がその無邪気さは、許されていない。正岐には心地よい無邪気さを守るために、青春時に止まってしまった時計をそのままにして、世界から距離を置いているのかもしれない。仕事やなんやで時間をとられるほど、正岐は独りになる時間が欲しくなった。欲しいというより、本当に、頭がおかしくなってきそうで、じっくりとクールダウンしないことには、逆に病気になってしまいそうだった。そういう意味では、参加しないのではなく、参加できないのだろう。そして参加できない自分は、「え~っつ!」と叫ぶ女の子たちに、どうしようもなかった。そして男たちも、こいつはそういう奴だとわかっていて、だから、「あいつは別格だから」と言うのだろう。ペルーの友人たちの付き合いで、六本木の夜の街のなかで、歌舞伎町のやくざな世界の中で、そうやって、自分は知り合う男たちから守られてきたような気がする。「あいつは、本当に悪い奴だからつきあうな、ほっとけ」と、正岐に話しかけてくる男をマリオたちはどけた。そしてマリオたちの店をつぶしにはいったやくざ者たちもが、正岐の前でおどおどし、手を出さなかったのは、正岐が世界から距離をもった存在であることを了解してしまったからなのかもしれなかった。一緒につるまないこと、つるめないことを自覚して、世界をいつも同じ距離から、遠くから、無邪気に、無関心に、だからこその公平な近さであることは、逆に男たちを、その世界を脅かし、暴力をおさめさせ、平和へとなだめていくようだった。

正岐は、そのことをも、自覚しているのかもしれなかった。世の仕事など、する気もなかった。まだ時間があるから、暇があるから、空いた時間があるから、やっているにすぎなかった。部屋にこもり、本を読み、考えたことを書き留めている。いつかそれを、書き得る時がやって来たら、一つの形に造りあげたい。集めた材料をくねりあわせ、組固めて、彫刻を象るように、人々の思考や夢を刷新していかせる壮大な形を目に見えるようにしたい。そうすれば、ふしだらな素材たちではあっても、世界を変えていかせる印象に、衝撃になるのではなかろうか?

 

 食卓の椅子に座って、カップラーメンをすする。昨夜の、焼き鳥屋のとんちゃんで食べたものの消化しきれていない残りが、胃の中で、また暖かいものに触れて、動き始めるような感じがする。食うことが嫌なら、食を減らせばよい、世間が嫌なら、付き合いを減らせばよい。そうやってでも、生きていかなければならない。もう五十を半ばになって、耐えていけるのだろうか? いや今まで、ここまで生きていられているのは、どうしてだろう? そっちのほうが不思議ではないか? 嫌悪、嫌悪、嫌悪……吐き気、吐き気、吐き気、…憎悪。この世界とのそんな感触が、自分の自殺をふせいできているのだろうか?

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