2025年5月30日金曜日

毛円だんす『dances 芭蕉』を観る

 

左「花車(風車)」右「まつり(雷小僧)」奥山振付衣装in1982(1983,1984)

両国のシアターXで行われている「ルナ・パーティーvol.16」にあたる、5/18の公演である。

 

このブログで感想を綴った江原朋子先生の『Primitive』がそのvol.14にあたるのだろうか。

 

妻いく子が師事したその江原先生の誘いで、5/1日にティアラこうとうで行われた「シェイクスピアを踊ってみた」というテーマでの公演会でも、毛円だんすの作品を見ていた。江原先生から、いく子が二十代の頃のダンスの先生だった、奥山由紀枝さんの演舞もあるからと招待していただいたのだった。そこでは、江原先生のタイトルは「ハムレットの事情 オフィーリアの事情」、ジェフ・モーエンさんと奥山先生のタイトルは、「After Romeo and Juliet」であった。

 

江原先生のその公演での意図は、配布されたパンフレットでの言葉からも明白だった。恋人が死んでもまだ復讐劇を続けるハムレット……これは、ウクライナでの戦争からはじまった現今の男性価値中心の社会批判が込められているのだろう。

 

対し、毛円だんすの舞台は、タイトルからも示唆されるように、死後(After)の話になるのだろう。この世界では二人の愛はかなわなかった、が二人の愛は無限であり、メビウスの輪のように永遠に閉じることがないのだ、と訴えていた。そのメッセージ性が、男女二人の衣装の袖がひとつに繋がったイメージ形象とダンスの動きで、美しく主張されている。パリ・オペラ座に飾られているシャガールの「ロミオとジュリエット」の絵を見て着想されてきたとのことだった。そのシャガールの絵は、上空は緑空であるが、下方地上からは、紅の血のようなものが靄っている。一見幻想的な世界の底に、現実の血なまぐささを感じ取ったからこそ、∞という愛の形象(衣装)を表現してみたのではないか。

 

そう前回の公演で読み取っていて、今回の毛円だんす単独公演の舞台でも、まず印象に飛び込んできたのが衣装のイメージ強度だったので、公演後の観衆と一緒になった話し合いの席で、奥山先生に、次のように質問してみた。

 

「衣装には、何かメッセージ性が意図されているのですか?」 パンフレットの紹介文には、奥山先生が衣装担当をしているとあった。先生は、それはなく、まずイメージで作るのだと。下の緑は茎で、葉があって、菊の花が咲いているのだと。で、三着目を間違ってしまったのだと。ダンスのタイトルは「dances 芭蕉」である。モーエンさんがまず菊を描いた日本画を見て着想したらしい。そして芭蕉の菊のモチーフの俳句三首がパンフレットで紹介され、作品はその三首に沿って構成されたということだった。私は金色の男性の衣装と、女性の白色の衣装から、金白色の娘さんが生まれたのかと思いました、と付け加えた。今回の衣装も、最後はいつの間にか、ひとつになって、まるで手品みたいでした。(よくみると、裾をボタンでぱっと隣のダンサーの衣装にかけられるようにしてあった。)

 

私は次に、影について質問した。

二首目のダンス時だったろうか、ふと、背後の壁に、ダンサーの影が大きく映って、影絵のような存在感をもって見えてきたからである。照明を落とし、板の間が斜めに上下二段の落差をもった空間、天井から幾本かつりさがった畳縁のようなもの、どこか雰囲気が能の舞台と重ね合わされる。影については、照明係の人のアドバイスで取り入れたとのことで、あまり考えていなかったという。だけど、影がぴたっと月をつかまえていましたよ、と私は言う。ダンサーが両手をあげて輪を作ったとき、背後の壁にのぼった丸いほのかな月が、影絵の掌のなかにぴったりとおさまったのだ。それが両の掌ですくった水をこぼさないような仕草にかわるとき、手の中に落ちた月影をそっと運んでいるような物語性がやってきた。最後の三首目の三人が一体となったようなダンスでは、両横の壁で、ダンサーの影が踊り出した。芭蕉忍者説というのがあるのですが、まるで分身の術を使ったようでしたよ。お二人はカニングハムのメソッドを教えられているということなので、カニングハムに偶然という考えがあるとおもうのですが、これがそういうことでもあるのかな、と。ダンサーは背後は見えないですから、どうやって影を操ったのかなっておもったんです。

 

奥山先生もモーエンさんも、ニューヨークでカニングハムの教授をうけ、そのメソッドの教師である。私のこのブログでの、自己紹介文にも、カニングハムの言葉が引用されている。振り付けするとはダンサーがぶつからないようにすることである、という。私はそれを日本の植木職人の剪定技術、そして日本の私小説の技術に重ねていたのだ。

 

しかしモーエンさんと奥山先生の舞台は、筋を捨象した抽象性というより、意味的なイメージにあふれ、物語性があるように思える。よくは知らないのだが、日本経済バブル期、欧米での話題のダンスグループが日本にいろいろやってきて、たしかカニングハムは、テレビCMにも採用されて、肉体運動のような奇妙な動き(ダンス)を披露していたような気がする。

 

話し合いの席には、江原先生もいて、最後にマイクを向けられた。奥山先生と同じ舞台にいたことがあるというのだ。私には初耳だったが、それに奥山先生が、いやわたしなんか江原さんの後ろ姿をみていただけで、みたいな返答をする。パンフレットを読みかえして、奥山先生も、厚木凡人に師事、とある。江原先生もそうだから、もしかして、厚木凡人の舞台でのことだったのだろうか。厚木凡人といえば、日本でのダンスのモダン性を最初に突き詰め切り開いた人、というぼんやりとした知識しかない。いく子の遺品の、トリシャ・ブラウンのDVDでトリシャについて対談している。

 

江原先生は、自分が「モダン」ダンスをやっているのだということにこだわりがあるようだった。ルナパーティーでの『Primitive』でも、ベジャールの「ボレロ」の有名な振り付けを盆通り風にデフォルメしてみせたところに、何か一般的に理解されている欧米中心のダンス史への批評意識があるような気がした。どのように「モダン」という概念を考えているのだろうか? それは厚木凡人経由なのだろうか? バブル期とその余韻がまだある時期、フォーサイスを頂点にか、ダンスのダンス性とは何かを根源的に問うようなモダン省察が現代思想の言説で流行った。それはどこかデジタル的な分節化の作業であり、身体という物質性にゆきつくような思考だったと思う。が女性のダンサーたちは、そんな男性風潮というかダンス史の中でも、意味や物語性を消さなかった。そのつきつめた先の物質(身体)は、本当に物質(体)なのかと問い返しているように。いく子が好きだったピナもそうだし、文学作品を下敷きにしていた江原先生の作品もそうであろう。むしろ、求め探っているように思える。

 

暗がりがほのかに浮かび上がると、一段低い舞台で、金色の男、白い女が舞い始める。中央の一段高い橋掛かりをも兼ねたような舞台では、女性らしき人物が横たわっている。ゆっくりと起き上がると、金と白の交じった衣服の娘も、静かに動きをとりはじめる。亡くなった両親が夢に現れて、わたしを誘っているようだ。三人は静かに交差しながら、舞い絡む。いつの間にか、三人の他にも、人影があらわれた。祖霊たちなのだろうか、子孫の背後で、一体となった踊りに華やかな雰囲気をそえる。それは蝶のように舞い上がり、菊のように咲く。水の音は、永遠を木霊する。

 

1991年、33歳のとき、ニューヨークへと奥山先生に会いにいったいく子のダンスにも、そうした試行錯誤な文脈が系譜されている。

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