2011年11月26日土曜日

論理と実践

「小出裕章の間違った行動提起については、彼一人の問題ではないので、きちんと批判しておきたいと思います。/問題は三つあります。/まず第一に、この行動提起は、問題を極端に個人化してしまっているということです。消費者が買うか買わないか、買いましょう、と言っているだけなのです。ここでは、放射能汚染の全体が見落とされています。あらためて言うまでもないことですが、物流には起点と終点があり、起点とは生産者、終点とはごみと下水の処理です。消費者が何かを買うということは、起点での農業・水産業を可能にし、終点でのごみ・下水処理を要請します。放射性物質を含んだ食品を買うといことは、それを生産するために消費者以上に被曝する人々がいて、被曝しながらの作業を継続させてしまうということです。そして放射性物質を含んだ食品を食べる人々は、使わなかった野菜くずや食べたあとに排泄する屎尿を、地域の公共施設に負担させます。ごみ焼却や下水処理といった作業の従事者は、福島から遠く離れた場所で思いがけない被曝労働を負わされてしまうことになる。そうした作業全体が「責任を引き受けるべき老人」によって担われているかというと、そうではありません。現場で働く若者たちは、小出氏らが勝手に引き受けようとしたもののために、望まない被曝労働を強いられるのです。」(矢部史郎著「3.11以前と以後」『atプラス10』太田出版)

科学的と称される事実をめぐる真偽ではなく、それを引き受けた(「解釈」した)者の態度(実践)が潜在させている論理(展開)の現実(実際)を批判する矢部氏の上記引用のような発言は、今回の事態の最中で、私にははじめて触れた発想で、説得的であると感じた。低線量は「安全か、危険か」というような二者択一を迫る科学に対しても、その二項対立の中では「危険」の立場に分類されてしまうとしても、問題としているのが原子力を扱う社会のあり方自体への批判なのであるから、たとえ低線量が安全である、とするのが科学だとしても、それを批判する構えは変わらない。氏が事故以前の著書『原子力都市』で抽出してみせたのは、原子力を扱うということが、どれほど社会を管理していくものになるのか、原子力技術とが、徹底的な社会管理の対策技術なのだ、ということだ。そして今回の事故で、「私たちはみな原子力に関する知識などまったくない、しかし、原子力政策というものがどういうものであるかはみな知っている」ようになってしまった。科学的真偽ではなく、それを成立させてきた権力のカラクリに私たちは直面しているのだ。確かに、私たちは放射能が恐いというよりは、こんなにもいい加減な国家運営の下で現在も進行・侵食形で生きさせられていることが恐いのではないか? 原発に反対する本音は、国家を止めてくれ、ということなのだが、それがどんなことかよくわからないので、原発を止めてくれ、と言っているのではないか?

しかし私は矢部氏の論理態度を説得的と感じるけれども、その実践態度に疑問を覚えてしまう。これは論理的反駁といった疑義ではなくて、理論的な社会運動を体験したことからくる印象である。つまり、論理的に反駁してみせることが、実践的に正しいのか、ということだ。もう少し原理的に言うと、その筆者に潜在的な思考の型を抽出して問題露呈することが必要なことであったとしても、それをそのまま実践過程に結び付けて批判してみせることが、現実実際上いいことなのか、意義あることなのか? それは、自己の知的優越さを論証して競うメディアの中だけの議論なのではないか、ということだ。たとえば、氏は言う。<結果として、小出氏らの主観的な「決意」は、政府が号令する「食べて応援」を容認し、追随するものだと思います。それは原子力国家を論難しているように見えて、実質的には、原子力国家との対決を回避しているのです。いま東北・関東の母親たちが子どもを連れて避難し、あるいは公園や学校を計測し、全国の親たちが学校給食を監視し、ごみ焼却場に問い合わせ、食品検査や土壌検査を独自に進めている、そうした実質的な戦争状態があるかたわらで、小出氏らはただなげやりに「食べるしかない」と言うのです。彼がこの問題について矢面に立って闘うことはないでしょう。彼らは批判的ポーズをとるだけであって、偽の、口先だけの、戦争ごっこに興じているのです。>――しかし実際、「母親」たちはその小出氏から活力をもらって実践しているのではないだろうか。近所で講演をしてもらうこと等でネットワークを作ったりしているのではないだろうか? だとしたら、というか、私のまわりではそう見えるのだが、小出氏の実践が「意味のない」こととは思えない。知的議論上無効だと論駁されても、実践的に意味のないことなどあるのか? どうなっていくのかが不透明なのが社会なのであってみれば、それはこうなるという論理展開の想定(潜在)は、実際にはその論理上の中だけに必要な手続きである。社会での自他の言動は、どう展開されてどんな意味をもたされていくのかわからない。それを肯定というよりは、その想定外を想定している気構え(寛容と緊張)が持てない論理態度は、実践態度として弱いのではないか? 矢部氏は、「フランス現代思想」は核の脅威のもとで営まれたのであり、そのことがドゥルーズやガタリの「国家装置」や「管理社会」という概念提起させたのだと指摘している。なるほど、と私は思う。同時に、このエセーでの結末文、<テレビや新聞がどんなに国民的号令をかけても、彼らはもう相手にしません。「専門家」の権威を信じていないし、性別に絡めた道徳的な非難中傷などまったく怖れません。それは、都市が教育し都市住民が獲得した、ハビトゥスであり知性なのです。こうした人々が、これからの戦争状態のなかで主導的役割を果たす前衛になるでしょう。彼女・彼らは粛々と放射線を測定し、被害の実態を告発し、避難民となり、避難民と結合していくのです。>……この物言いに、私は「分子革命」あるいは、「マルチチュード」といったフランス思想を連想する。つまり、なにか小さなロマンチズムである。文体上の期待、といおうか。むろんこの読後感は、論理的反駁などといったものではなく、単に私が氏の文体から感じた類推にすぎない。

この間の日曜日、「なかのアクション」主催の飯田哲也氏の講演をきいてきた。そこで飯田氏が呈示してくれた資料にびっくりさせられた。それは、「緊急災害対策本部」があの3月11日22時35分現在にネット上で公開していた随時速報で、おそらく現場の吉田所長からファクスされてきたものをそのままあげたものなのではないかというのだが……〔東京電力(株)福島第一原発 緊急対策情報〕〇2号機のTAF(有効燃料頂部)到達予想 21時40分頃と評価。炉心損傷開始予想:22時20分頃 RPV(原子炉圧力容器)破損予想:23時50分頃〇1号機は評価中――専門家が2号機にいわれたこの三つの情報をみれば、ネット上で公開された時刻には、すでに燃料棒が露出し溶融をはじめ、あと一時間ちょっとで圧力釜も壊れる、と評価報告を受けているのだから、何が起きてもおかしくないと思うのだそうだ。にもかかわらず、斑目班長は爆発はないと総理に断言し、翌朝ヘリで一緒に上空視察。無知の恐さ知らず、というのだろうか? 現場責任者からすれば、死ぬのは俺たちだけでいいからあとは来るな、といったはずなのに、一番の責任者が二人もそろって現れたのにはびっくりしたことだろう。しかし、いまなおこんなわけのわからないことが進行中なのだ。私は、ドストエフスキーの『白痴』での、ムイシュキンと花瓶のエピソードのことを思い出してしまう。君はパーティーでその花瓶を割ってしまうのではないかね、と言われたムイシュキンは、本当に割ってしまうような強迫観念にかられて、そして本当に割ってしまうのである! 私はこの挿話がどんな意味をもっているのか、心理学上もどんな心的規制が働いているとされるのか知らないが、やけにリアルに読めたのである。おばかな日本国家が、本当にもう一度やってしまうのではないかと怯えながら、本当にやってしまうのではないかと推論してしまうのである!

2011年11月19日土曜日

人と体制

「からからと鈴懸の枯葉転がれる 音をし聞きて 冬の喪に入る

枝伐られて すぐに葉繁れる鈴懸よ 斬られし腕の生えるごとし」(坂口弘著『常しえの道』 角川書店)

住んでいる団地の欅5本を、自分で切ることになる。もう7階まで頂上の枝が届き始めたその様を、これからどう伸びていくのだろうと、6階に住む部屋からデッサンしていた木だ。今年にはいってまもなくに銀杏から落ちたさい、それを余め知らせるように壁からはたと落ちた絵の枝だ。息子の誕生日に買った青い手乗りインコが、不吉に騒ぐようだったら、どうしようかとおもっていた。また逆に、この青い鳥は私を守るために遣わされたはずだから、落ちることもないだろう、とおもっていた。仕事も怪我で満足にできない時分、息子の友達づてで、団地の草刈に呼ばれたのだった。なんだ植木屋さんか、20年もやっているんだって、ならば角の欅が坂下の団地のBSアンテナの障害になっているから剪定予定になっているんだ、だから見積もりに参加できないか、と声をかけられたのだった。親方は、7万円とだした。団地の緑化委員はそれを見てたまげて、いや住人の申し出だからと低く見積もる必要はないですからと再度要求し、じゃあ10万円と……しかし、よその業者は、人力ではのぼれず、ユニックもはいらず、おまけに高圧線上に枝がかかっているから、鳶に頼んで足場をかけるとかで、その一本で80万円以上の話なのだった。私としては、あの角のはのぼれる、しかし他のものはのぼれないと親方に報告しておいた。緑化委員の人も、苦情のある角の欅を短く剪定するのはいいとしても、他のを伐れというのなら、裁判で受けてたつ、とかいう話だったのだが、こんなに見積もりが安いのならと、5本ではいくらになるのかという理事会の話になって、いくつかの業者の見積もりと比較しても、でかいのは一本あたり十分の一近く、全体の金額でも比較にならない位なので、全部やってもらおう、枯葉の苦情がひどいから、葉の落ちるまえに、という話になったのだった。自然樹形で縮約するような剪定は無理だし無意味なので、一度寸胴切りにしてから仕立て直す、ということにする。それならできるかな、とまだ地下足袋は足の腫れがひききっていないので履けず、運動靴でのぼっていく。見た目ではよく読めなくとも、二連のハシゴを木によりかけた段階で、すぐ終る、とみえてくる。3日で全部の作業をおわらす。結局、親方をふくめた手元二人をつけて、すべて一人でのぼって切り下ろしたのだった。無事安全に作業をおえたとき、ピー太くんに感謝した。

こういう作業をしていると、かならず、「なんで切るんだ」「商売のためか」「ばかものめが!」と声をあらげたり嫌味をいってきたりする人がでてくる。原発作業員よりも、「ただちに」死ぬ確率は高いのだし、それは見ればわかるだろうとおもうのだが、いわゆるヒューマンな人たちには、同情の余地はないのだろう。自然というものに対する理念的な思い違い、自然(樹木)を剪定する技術にたいする無知、そういう理論的に簡単に反駁できるような議論はおいとくとして(「里山」がまったく自然ではなく、手を入れたものであることを考慮すればすぐに理解できること――)、問題なのは、切ってしまうという体制側の人間として、目の前の下っ端労働者がいる、ということである。この労働者の顔をまえに、単に「ばか」と言ってすませられるような態度なら、そうした人たちの反動を食らうだけだろうから、(左翼)実践としてはそれこそ「ばか」な観念インテリになってしまうだろう。しかし、<体制>と<人(労働者)>を分けて実践するような理論(やり方)を具体的に考えて整理し、それを区分け不能であらざるをえない現実の中で実践してみることは、複雑に錯綜した運動であるように思われる。しかしそうした理論的なおもいやりがないと、末端の労働者はすぐに観念の偽善(言葉が浮ついていること)に気づくし、意地(死ん)でも理念とそれに寄りかかる者たちを攻撃するだろう。それは、なお福島原発の現場にとどまり作業をおこなっている者たちに、商売のためか、利権のためか、「ばかものめが!」と嫌味を飛ばすことが世の中でどんな実践になりうるのか、と考えてみればわかるだろう。

……しかし、東京の植木屋さんの仕事も、庭木の手入れというより、こりゃ除染作業だな、と日々おもうようになる。雨どいの下だの、小学校の芝生養生シートとかに検出されてくる線量率の報道に接していると、あまり事故現場30キロ圏内とかわらない。そういうところを、マスクもせず、箒やブローで埃をもうもうと噴き上げて掃除しているのだから、若い人の間では、数年後になんか症状がでそうな状態だ。しかしそのときでも、われわれ労働者の被曝が話題になることはないだろう。むしろ、体制に屈従するしかないバカな怠け者だからだろう、とおもわれるのだろうか?

*東京の都の許認可を受けて営業している植木残財処理場では、チップにした木材のはけ口が流通ストップしているために、残財の山となっている、と捨て場にいってきた職人が言っている。どうも、普段は牛の敷き藁や堆肥としてリサイクルされるようになっているのだが、牛が被曝するというので、東京のそれは引き受ける農家なり業者がいなくなっているのだ。都がどういう対策を考えているのかわからないが、牛ではないヒトであるわれわれは、それでも住民の苦情処理のためにと、せっせとあいかわらぬ除染剪定をしている、ということになるのである。

2011年11月3日木曜日

科学と文体

「母親は、人生の意味を失ったりはしていない。「死因は真性白血病」と書かれた死亡診断書を見せながら「私は原発には絶対反対です。ソ連の原発はすべて閉鎖してやりたいです……」と言う。「私の娘は助からなかったけれど、どうか他の子供たちは助けてやって下さい。私もこれからは他の子供たちを助けていきたいと思っているのです」と言った。私ははっとして彼女の顔を見る。とても今子供を亡くした親の言葉とは思えなかったのだ。でもそのような思いなしには、娘の死が犬死になってしまうと考えたに違いない。娘が浮かばれないのだ。娘の尊厳を守るためにも、悲しみを克服するためにも、人は他の人々の悲しみと希望とつながろうとする。」(広河隆一著『チェルノブイリ報告』 岩波新書)


「どうやって新しいネコを見つけたお話ししましょう。私のワーシカがいなくなってしまったの。一日待ち、二日待ち、一ヶ月待った。私はひとりぼっちになるところだったよ。話し相手がいなくなるところだった。村を歩き、ひとさまの庭でネコを呼んでみた。「ワーシカ、ムールカ……ワーシカ! ムールカ!」。私は歩きに歩き、二日間呼びつづけた。三日目に店の近くにネコがすわっておりました。目を見つめ合いましたよ。ネコもうれしそうだったが、私もうれしかった。ネコはことばがしゃべれないだけなんですよ。「さあ、おいで、うちに行こう」。すわったまま「ニャー」。なんとかして説得しようと思った。「こんなところにひとりでいてどうするんだい? オオカミに食われちまうよ、殺されちまうよ。おいで、私のうちには卵やサーロ〔豚脂身のベーコン〕があるよ」。私が先にたって歩くとネコがあとからついてくる。「ニャー」「お前にサーロを切ってあげようね」「ニャー」「ふたりでくらそうね」「ニャー」「お前の名はワーシカだよ」「ニャー」こうして私らもうふた冬もいっしょに越したんですよ。」(『チェルノブイリの祈り 未来の物語』スベトラーナ・アレクシェービッチ著・松本妙子訳 岩波書店)

子供の誕生お祝いにと、インコを買った。青い鳥だ。ピー太くん、と呼んでいる。生まれたてから育てたので、今は手乗りになっている。子供はすぐに手でつかもうとするので嫌がってなかなかよりつかないが、私とは、朝食のトーストをいっしょに食べ、夕食ではこちらの箸の上にのってバランスをとっている。なんでまた急に小鳥を飼うことにしたのかは知らないが、女房の子供の頃になにかあったのかもしれない。寝言で、鳥に「ごめんね」とあやまっていた。私も父親が好きなので家にはいつもい、今でも実家では飼われているが、自分が可愛がって育てた、という記憶はない。ある時の文鳥は、やたら増えていったという記憶と、あるときは青大将にみんな飲み込まれてしまって、鳥籠の巣の中で、腹を膨らました蛇がどぐろを巻いて寝ていた、という思い出がある。しかしこう中年の大人になってから飼ってみると、言葉が通じない、だけど擦り寄ってくる、気まぐれだけど他意がない、というようなところからか、人あいてよりもずっとこちらの感情を移入できるようなきがしてくる。先月の志村動物園のテレビで、震災写真としても印象に残った、瓦礫のなかにうずくまって泣き叫んでいる若い女性の写真、傍らに赤い長靴……のは、実は肉親等が亡くなったからではなく、自閉症的だった自分と出遭って一緒に暮らすことになった捨て犬がいなくなって、というのだった。私は一瞬拍子抜けしたが、小鳥を飼ってからは、むしろなおさらそれ故に、と思うようになっている。幸いその犬は無事で、数キロ先の流された家の前で、ずっとその女性を待っているところを保護されたのだそうだ。……緊急避難ということで、飼い牛を置き捨てて逃げなくてはならなかった原発事故現場の農家の気持ちとはどんなものだろう?

低レベル放射能は危険視しなくていい、積算100ミリシーベルト未満に憂う必要はない、という臨床医、現場の医者の意見もある。その一人である東大病院の中川恵一氏の『放射線のひみつ』(朝日出版)を読んでみる。その主張の依拠するところには、疫学的統計事実だけではなく、生態的な文脈もがあるようである。――「しかし、私たちの細胞は、放射線によるダメージに「慣れて」います。そもそも、生命が地球上に誕生した38億年前から、私たちの祖先はずっと放射線をあび続けてきました。放射線によるDNAの切断は、突然変異を誘発する原因の一つですが、突然変異が起らなければ進化が起りません。自然放射線の存在は、進化の原動力とも言えるかもしれません。」

こうなると、やはり素人は不安になってくる。放射性物資の存在が限りなく消滅し、やっと低レベルな放射線量になったからこそ、その地球の表面にだけ生態圏ができ、われわれ生物が生きていることができる、というのも事実だからだ。「慣れて」いるのも事実かもしれないが、その影響がなくなってきたから我々は生きている、というのも事実だろう。どっちが<科学>なのだろうか? どっちの真実も科学なのだろうか? 事実としては、どっちも信用できそうだ。ならば、なのに、どうしてこうも対応(実践)の物言いが正反対になってしまうのだろうか? その現実(錯綜)を前に、不安と混乱にならない人がいるだろうか?

私、あるいは我々が、どう生きたいのか、その倫理・思想的な立場、前提(原理)があらかじめ決められていないと、事実もまた扱うことができない、ということの確認なのかもしれない。「事実というものはない、あるのは解釈だけだ」といったニーチェの近代批判の哲学にあるような。しかしまた、思想とは、そう明確な内容にあるものではないとしたら? 私の読んだ感じでは、つまりその文体から判断すると、意見が正反対な、低レベル放射線を問題視する小出氏とそうはさせまいとする中川氏は似ており、これまたそう意見が正反対な武田氏と山下氏が似ている。前者たちは誠実だが、後者たちにはいかがわしきところがみえる、というのが私の文学的判断である。前者には思想があるが、後者にはない、といってもいい。それは言っている内容や論理からくるのではなく、その物いいの力、感触からくる。読書量の少ない人たちはそのような判断の仕方をしないのかもしれないが、世間ではみなそうやって人を洞察しているはずだ。つまり言っていることではなく、その言い方によって。だから私は、言葉に誠実な小出氏と中川氏の両方をとる。反原発の立場をとりながら、放射能におびえない、ということだ。そしてその静かな覚悟、受容とは、つまり受苦的な思想とは、原発事故で愛娘や愛ネコをうしなった母親やおばあさんの、あの冒頭引用した言葉の姿勢に近いものなのではないだろうか?

2011年9月21日水曜日

口先と存在(デモと現実)

「夢の中で息子の声が響いたということは、父親には、こどもの身体に火が燃え移ったことよりも恐ろしいことだった。だからこそ、夢は耐え切れず破れたのだ。父親は目覚めると駆けつけて炎を消しただろう。だが、彼の内側に飛び火して燃えているその恐ろしいものがそれで消えたはずはない。息子の声はなおも父親の胸を抉るものとしてくすぶり続けただろう。ならば、夢から飛び火したそれは、蝋燭から息子に火が移ろうとしていた現実よりもリアルな出来事ではないか。ドストエフスキーの「おかしな男」も言う。「彼らはわたしをからかう、だってそりゃ夢にすぎないじゃないか、と。だが、この夢がわたしに大文字の真理を告げ知らせてくれたのであれば、夢であるかないかなど、どちらだって同じではないか」。ちなみに、ここで「真理」とは「おのれみずからのごとく他を愛せよ」なのである。」(山城むつみ著『ドストエフスキー』 講談社)

子供たちはキラキラしている。日曜日のサッカー練習から帰ってくると、一希は突然声をあげて泣きはじめた。ミニゲーム練習直後のミーティングで、いつのまにかディフェンダーをまかされてしまうチームメイトの男の子から、ずばずばと欠点を指摘されたのだ。いつもおとなしい彼の、突然の口火は、一希をびっくりさせただろう。その前日の試合は、監督からじきじきに、20年来使っているという黄色いキャプテンマークを託されて望んだのだった。しかし低学年とはいえ背も大きく、ひとりひとりが自分の役割とボールへの執着を覚えはじめている新宿のクラブチームとの戦いは、さんざんだった。一勝ニ敗。簡単にドリブル突破ができないことに直面すると、一希の足は呆然としたように鈍くなる。守備にも走らなくなる。そうなれば、常に自陣に追い込まれ、シュートの応酬だ。後半はキーパーにまわさせる。中心選手がいなくなったチームメイトは、なんとかパスをまわしはじめてサッカーらしくなってくるが、前に進んでいかない。シュートの応酬はさらに増える。キーパーとして一希は相当はねかえした。そして自分のいないフィールドで、今まで活躍を抑えられていた他の子どもがなんとかシュートを決める。ベンチコーチを任された父親としては、そうやって一人一人がゴールを決め、一皮向けて成長していく環境を作ってやる。しまいにはベンチに控えさせられて、「俺をださせてくれ!」と訴えはじめた一希を、若いコーチが出場させてやる。やっと切れがもどって決勝点を決める。しかしまた、一希のドリブルがはいると、チームとの連携がその分遅くなり、なおさらドリブルも思い通りにいかなくなると、力を抜いて足が止まる。「交代させるぞ!」私はおもわず叫んでいた。この身体的怒りはどこからくるのだろう? サッカーをやったこともない私が、サッカーコーチや父兄からベンチを任されたのも、自分の子供をえこひいきせず、他の子供たちと公平にみられる「大人」であるからだろう。しかしその公平的な感覚が、どこからくるのか、と内省してみると、それは私にも覗けないおぞましい世界からやってくるようにおもえる。

一希はいわば、自分の足元しかみえないいまの身体的くせと、他の子供の身体との連携をどうするかでとまどっている。すぐボールのまわりで団子になる(他の子のボールを横取りしにいく)その様を、後でみていたおとなしい子に指摘されたのだ。泣きじゃくる一希にむけて、私はいう。「弱い子は、よくみえているんだよ。口先でいっても、人の心は動かないよ。人をなめていはいけない。いっちゃんはキャプテンに選ばれたんだよ。」……しかし実は、私はこの言葉を女房に向けて投げていた。二人の性格に似ているところがあるからかもしれない。口先がうまく都合がいいというか……。私は、女房と市民活動への関わりの自己欺瞞を指摘していたのである。いまおまえが、子供の給食の放射能がどうの、東北支援がどうの、公園の草っパラや生活クラブでの活動がどうの、といっても、ではおまえの当初の反応、初動体制はどうだったか? 私がフクシマ原発は爆発するかもしれないと、団地トイレの自然換気口をハンカチと新聞紙で目張りしているのをバカにし、しかも4月に入るやそのハンカチを私への嫌がらせのように登校する子供にもたせ、家での団欒で子供がプールの水を抜く前にみんなでヤゴ捕りやったというのを聞いてびっくりして女房に確かめると「だからなに? 心配なら自分で抗議にいけ」と無関心。が、だいぶあとで、関わる市民グループの間でも問題化したのか、なんだかおまえが一番口だけ達者係りなようだ。しかし、他の人たちはみえているんだぞ、それがどんな動機からきているのかを。親方の息子は、女房を評そうとして口をにごらせたことがあった、私は推論した、言いたかったのは、「お嬢さんなんですね」、ということだったろう。おまえが生活クラブにいるのも、その階層にいることでなにか回復させたい自己があるからなのだ。自分が水俣病をおこしたチッソの役員の娘であり、通産官僚族の親類世界にいたことがまず自らの身体反応を作っているのだ。おまえが事故当初、東電びいきな判断をしていたのは、自分のそんな子供時代の何かが壊されるからなのだ、そしてその破損を修復するために、市民左翼的な階層に参加しえている、根源的な反応(身体のくせ)をごまかすために、原発事故の事象を利用して騒いでいる……そのことを、「お嬢さん」ではない参加者たちは見抜いている。人をなめてはいけない。しかしまた、現に大学での「お嬢さん」階層に属しているエリート旦那の奥さんがたは、おまえがそこにいることに違和を抱いているだろう。おまえの自意識がどうであれ、もはやおまえは末端の労働者の女房なのだ。そう存在してしまうことと、自分がありたいこととの意識とのズレを自覚できないとき、人はイデオロギー(口先)に染まる(陥る)のである。――「運動の指導者になりたい人たちはたくさんいます。この人たちはテーマは何でもよいのです。人をたくさん集めて何かをする大衆運動が好きなのです。これは、集団行動するサルの習性ですから、人がこのようにするのは当然で、非難すべきことではありません。」(槌田敦著『エコロジー神話の功罪――サルとして感じ、人として歩め』 星雲社)

泣きじゃくる子供と、熱中症で熱があるとその子を抱える母をあとにして、私ひとりで、9/19日の「さよなら原発」のデモにいってくる。人よりも、私には、のぼりの旗がめだった。そのためか、ここは、時代劇によくみる、戦国時代の戦場というか、その歴史に従属している空間であるようにみえてきた。私がここにいることは、何事であろうか? どういうことであろうか? 「福島県の子供たちは、熱中症にもなれないんだぞ。自分のことばかりではなく、パスをだすんだ。」そう子供にいうことで女房に言い聞かせて家をでた私は、のぼりで埋まる空間に埋まっていた。「自分を愛するように隣人を愛せ」……あの怒声、身体の反応、他の子供たちとの公平の感覚は、どこからきたのだろう? 私はその試合中、私が少年野球をしていたときの父との関係を思い出した。監督をしていた私の父親も、むしろ息子には厳格だったほうだろう。ならば、父はなぜそうなのか? 私はこの怒り、不公平感を、三人兄弟のなかで、女の子代わりになっていた私への母のえこひいき――こっそりお菓子をくれるとかの――に原因をさぐっていた。ならばその怒りとは、「私を男としてあつかえ!」ということなのだろうか? 「女(娘)として支配しようとするな!」ということなのだろうか? 女房(娘)とその母との関係は、まさに長女と母とのすさまじき関係であり、あったようである。会えば喧嘩する。その娘を、私よりも10歳以上も年上のその女を、私は「妹」と感じていた。そう暗示したいつかの発言を、女房は理解したと暗示してきたことがあった。つまりわれわれは、親子という縦割りの関係を出た者どうしの、「兄ー妹」という、連帯的な同志関係の感性として築かれたのである。女房の気性の振幅は、だから私が「男=支配」から降りたところからきているのかもしれず(つまり私を「女」として認めろ! あるいは老いへのあがき…)、逆に、それでいて、私が「男=支配」として出現することがあることからの嫌がらせ(こちらに気づかせるためのあてこすり)、ということなのかもしれない。……となれば、身体からの怒りとは、公平を要求する女たちからの怒りなのかもしれない。それが、父という審級を貫いてやってくる。「自分を愛するように隣人を愛せ」。……腰を痛めて原宿駅で脱落した私は、家に帰って寝転びながら、図書館から借りて読みかけの、冒頭引用の山城氏の『ドストエフスキー』を読んだ。そのイエスの「愛」の言葉が、「復活」という現実に結びついているという論理に目が覚めて。この3.11の大災害で、わが子を失った父親の嘆きのなかに、わが子の「復活」が現実でありうることを知って。

<『ヨブ記』にあるのは《邪悪で不正な人々が安逸を貪っているすぐ傍らで、善良で正しく生きようとしている人に災厄が降りかかるというような不公平がこの世に存在するのはなぜなのか》という、この問い以外はすべて神学的なおしゃべりにすぎなくなってしまうような人生の難問だが、『カラマーゾフの兄弟』はこの問いの全重量を《何の罪もないこのこどもに災難が襲いかかるのはなぜか》という一点で支えようとしている。…(略)…《ほかでもないこのイリューシャにこのような不幸が降りかかってこの子が死なねばならないのはなぜなのか》。これはヨブの《なぜ》である。むろん、そこに理由などない。ただの確率的問題があるだけだ。しかし、そんなことは分かっているのだ。分かっていても《なぜ》は消えないのだ。否応なく確率的位相に放り込まれ、それにほんとうに苦しんでいる人は、世界の基底に確率性を見出す洞察で満足したりはしない。…(略)…それは《私のこどもが私のこどもであるのはなぜなのか》と問うことに等しい。親子の愛が問題なのではない。モラルではなくて「存在」が問題なのだ。…(略)…「ぼくは死んだら、いい子をもらってよ、ほかの子を……あの子たちの中からいちばんいい子を自分で選んで、イリューシャと呼んでさ、ぼくのかわりに愛してあげてよ…」(略)…「ほかの子」にはどの子がなってもいい。…(略)…十二人ほどのこどもたちのうちどの子でもかまわないのだ。彼らは今、追善供養のプリンを食べるためにスネギリョフの家に戻ろうとしている。「こどもたち」というルーレットは、アリョーシャを中心に水平に回転している。盛んにはじけ飛んでいる玉もやがては静止するだろう。どの子の上で玉は止まるのか。繰り返すが、どの子でもありうる。しかし、だから賭けるのがルーレットではないか。カルタショフ少年に賭けよう。こどもたちは、ヤシの木のまわりを高速度で回転したトラたちのように、すでに個体性を失ってバターのように流動しているが、それでもカルタショフ「らしい」ひとりの特異性(単数性)は聞き分けられるのだ。ちょうど新生児室の赤ん坊たちはどれも似たりよったりで個体性をほとんど持たず識別不能だが、笑顔ひとつ、泣き方ひとつ、しぐさひとつ、しかめている顔ひとつとってもどれひとつ同じものはなく、それぞれ異なる単数の出来事が不断に感受できるように。カルタショフ「らしい」その「ひとり」が、スネギリョフにおけるイリューシャという固有名のアクシスを寸断し「わが子」という絆を断ち切って介入するならば、そしてスネギリョフとイリューシャとの親子関係を任意の「こども」との関係として全く新しく再組織するような「邂逅」を来たしさえするならば、その場合には、死後に「別の世界」で蘇生などしなくても、「この世界」の中の非ユークリッド的な地点でイリューシャの「復活」は起こるだろう。逆に、たとえこどもたちとスネギリョフが死後のいつか、ふたたび生を受けて死からよみがえり、もう一度、イリューシャと会ってうきうきと語り合えるとしても、平行線が交わるような非ユークリッド的「邂逅」が「この世界」において起っていなかったのなら、死後の世界でのそんな蘇生があっても何の意味もない。こどもには「別の世界」は問題にならない。「この世界」だけが問題だ。こどもが生きている、どんな目的もどんな終わりもない世界が「この世界」なのだ。残忍でありうる力によって善良な彼らは、その善良でありうる力によって残忍さにまみれながらもこのエンドなき世界を、疲れを知らずに動きまわっている。不定冠詞のこども(a child)の場所は定冠詞の世界(the world)だけなのだ。>(前掲書)

2011年9月10日土曜日

自由(=自治・主体)へ向くまえに(=ために)

「ワールドカップの優勝国には、共通点があるのを知ってますか?」「歴代優勝国は、すべて自国の監督が率いているんですよ」「南アフリカでの岡田監督は、土壇場の決断力でチームをベスト16まで持っていってくれた。自国の監督というのは、ワールドカップの結果に関わらず、大会が終っても自分の国に住むわけですよね。代表監督の仕事ぶりによって、自分の価値が上がることもあれば、ひどく傷ついてしまうことだってある。背負うものが、ものすごく重いんです。一生を賭けていると言ってもいいぐらいで。その一方で、外国監督はどうか。そこまでのリスクはないわけです。契約満了となれば、自分の国へ帰っていく。街を歩いていても、指をさされるようなことはないですよね」「ワールドカップという舞台のパラグアイ戦のようなゲームが、最後の最後の土壇場になってくると、メンタルが戦いの成否を分ける。本当の意味でチームがまとまって、心がひとつになっているか。最後の一滴までエネルギーを絞り出せるか、というところにかかってくる。覚悟を持って戦うチームが勝つと思うんです。その覚悟はどこから生まれるのかと言えば、自分が育ってきた国や生まれ故郷への誇り、自分が育ったチームの監督、自分の家族に対する責任、応援してくれる人たちへの感謝といったものです。ワールドカップの優勝国がすべて自国の監督に率いられているのは、自分たちのDNAに訴えかけるような一体感があるからだと、僕は思うんです」(山本昌邦・戸塚啓著『世界基準サッカーの戦術と技術』 新星出版社)

前回ブログを引き継いで言えば、マッカーサーをマレ人とみる民俗学的見方がかつてあったかもしれないとしても、われわれがそんな素直に来客を神としてあがめられる意識を維持しているわけでもなく、むしろ、外人頼みではあまりに情けない、という世俗現実主義なズレの意識をいまや抱え込んでしまうのが、とくには敗戦からの高度成長を成し遂げた日本人の感性として普通であるだろう。しかし、ということはやはり、そのズレには、つけ込まれる弱さがある、ということも確かだ、ということだ。この主体性(決断力)ということに関し、次のような分析整理を引用しておこう。

<ただし、菅首相は、一度だけ、一瞬だけ、レーニンのように振る舞ったときがある。浜岡原発の稼動停止を要請したとき――というより事実上命令したとき、である。このとき、首相は、自分より上位の審級に、停止の許可を求めようとはしなかった。純粋に自分自身で決断し、自分自身によって自分の命令を権威付けたのである。浜岡原発への停止要請によって、国民の脱原発への支持率が一挙に上昇した原因は、この点にある。その瞬間だけ、国民は、新しい第三者の審級が出現し、脱原発へと向けた実効的な行動を許可しているのではないか、と感じたのだ。>……(この箇所への註として)<菅首相が浜岡原発の停止を要請したのは、アメリカ政府からの圧力があったからだ、と述べている者もいる。私には、真相はわからない。いずれにせよ、「総理の中部電力への要請=命令がアメリカの指令に基づいているように感じられた」という事実は、ここでの私の主張を裏付けるものである。確かに、もしほんとうにアメリカ政府の圧力が理由で、首相の要請が発せられたのだとすれば、「首相は上位の審級の意向を顧慮しなかった」という認定は事実に反するものとなろう。この場合、第三者の審級は、言うまでもなく、アメリカである。しかし、仮にそういうことがあったとしても、そのことは一般の国民にはわからないことだ。むしろ、多くの国民は、菅首相が中部電力への要請を表明したとき、首相のところに第三者の審級が降臨しているのを直観したのだ。その上で、その第三者の審級と菅首相とを重ね合わせることがどうしてもできなかった一部の国民は、首相のさらに背後に本当の第三者の審級を――アメリカという形態で――見出そうとしたのである。「アメリカ云々」の噂がかなりの人に説得力があるように感じられたという事実こそ、むしろあの瞬間(だけ)菅首相の身体の場所に第三者の審級が現前しているのを多くの国民が感じていたことの証拠である。>(大澤真幸著「可能なる革命」第3回 『atプラス09』太田出版)

私の情勢認識は大澤氏のものとは違うが、その問題設定は共有することができる。当時のこのブログでも発言したことだが、私は、菅首相の決断は中途半端なものであり、「要請」という他人に下駄をあずけるような形式自体がいかにも日本的な曖昧さをなぞったもの。が、法的にそんな権限が総理にもないというのならば仕方がない、勇断だ、というものだった。(が後に、環境エネルギー政策研究所の飯田氏の指摘によれば、「要請」ではなく、端的に「命令」することも法的には可能だったそうである。)世論調査の脱原発支持率上昇ということにしても、それはそんな首相の決断とは関係なく、被災避難する福島県の人たちの惨状が、関西方面の人にもわかるようになってきたから、というものである。またアメリカの介在、ということに関しても、私は副島氏が、官邸の後にあるホテルから通じた秘密地下通路を行き来し、大統領からの全権委任を受けた〇〇という政治家が様々な支持をだしているのだ、という話も、明治以降の日本の歴史や、現今の他の第3世界や被植民地国の様を想像すれば、十分ありうることだと認識する。しかし、現実の問題とは、そうした事実にはない、あるいは、それではすまされないと認識するがゆえに、私は大澤氏のような問題設定を共有するのである。しかしまた、その現実設定が、事実(裏話)をいかがわしき噂として見向きせずともよい高尚なものだ、ということでは全然ない、と考える。なぜなら実践とは、単に下世話で世俗的な次元においてしかありえないからだ。人々がデモをするのは、政治家の行きすぎた賄賂といった腐敗、官僚や財界人の行きすぎた内輪びいき、自治を阻害する行きすぎた権力行使、こういったありきたりのものに対してだろう。こうした世俗の活動なくして、われわれの精神は健全さを保てない。つまりそこにこそ、逆に現実的なものへのアプローチが実践的につながっている、ということなのだ。
ラカン派の精神科医というべきなのか、斉藤環氏は、次のように発言している。

<しかし人災としての「フクシマ」はそうではない。それは予防可能な人災でありながら、いまだ測定不可能な被害をもたらした。この測定不可能こそが潜在性の領域であり、それゆえこの潜在性は、その意味も定位も定かではないまま「フクシマ」という表記のもとで象徴化される。これこそが潜在性の現実化にほかならない。/「フクシマ」の潜在性は、われわれの「日常というプログラム」を書き換える。この日常の多層性に”放射能というレイヤー”が強制的に挿入されたのである。さきに引用した浅田彰の言葉に戻るなら、この日常の多層性は「フクシマ」によって豊かにされた、と言うべきだろうか。/たとえば「分裂病」のような、完全には予防不可能な潜在性の問題については、そのように言いうるかもしれない。現実的には治療の対象でありながらも、その存在そのものは「肯定」するほかはないということ。逆説的な言い方になるが、こうした肯定のもとにおいて、分裂病の治療という「可能性」について、われわれは考えることができる。/しかし「原発事故」はそうではない。それは予防可能な潜在性の「現実」化にほかならず、まさにその予防可能性において「否定」されなければならないからだ。…(略)…ならば、はたして被災した時間は修復できるのだろうか。最大の処方箋は”政治”しかない。全面的な脱原発へと向けた現実的選択へ踏み切ること。それは科学ではなく思想の選択であり、論理性よりも象徴性を優先させる選択でもある。だとすればそれは、はっきりと政治の領分なのだから。/繰り返し強調してきたように、もはや原発との共存は、少なくともそれを選択することは、この列島においては、分断された時間と破壊された想像力を温存することしか意味しない。だとすれば、何の恥辱も感ずることなしに、そうした選択は不可能である。/ふたたび「未来」を回復するには、われわれにはまだ「時計の針を巻き戻せる」ことを示す以外に手段がない。そのための脱原発であり、かくして「フクシマ」の潜在性は、このうえなく強い否定のもとで象徴化されるべきなのである。>(「”フクシマ”、あるいは被災した時間」『新潮』2011.9月号)

あの宝島社のマッカーサーの広告をみて、もはやイロニーに陥らず、それがなんのことかわからない、その白痴的な健忘症を手に入れたとき、私たち日本人は健全になるだろう。つまり過去から自由になるためには、ひとつひとつの段階をクリアし、日常において自信を回復させていくしかない。被災避難したフクシマの農家が被曝した牛を連れて東京の街中をデモをする。それがまったく健全な道筋であることをわれわれは疑えない、そのように、もはや当事者としてのわれわれが、街中の闘争で勝ち、自信を反復させていけるかが、現実(潜在)的なものの領分(最後の審判=審級)をこの世界に降臨させるのである。

2011年9月2日金曜日

放射能と(再)占領

「チェルノブイリの事故からすでに五年が経過した現在、被害者が何万人に上り、爆発事故のあった半径三〇キロの範囲内だけでなく、その地域のみならず共和国全体がまるごと放射能に汚染されたことが判明している。私は、真実を求めた当時のたたかいがどれほど重要だったか、一九八六年四月のあのころよりはるかにはっきりと見えるようになった。あのとき、たたかいに負けたことで、われわれは自信を失った。過去に何度も繰り返したように、この世で最も尊ばなければならない価値である「人間の命」を、無視してしまったからだ。」(『希望』エドアルド・シュワルナゼ著 朝日新聞社)


前回のブログでも述べたが、福島県からの帰りに、借りた線量計で計った私が住んでいる中野区の上高田団地の一時間あたりの線量率は、0.11から0.13マイクロシーベルトだった。練馬区の東大泉からこの団地まで、だいたいはその間で推移していた。これは、われわれが福島県の夏井川上流地点、福島第一原発事故現場から約40km近辺であろう地点で測定した値0.14に近いということだ。ここ中野区の団地から3kmほどの新宿区の百人町で調査公表している文科賞のデータでは、地上1メートル地点での測定で、0.07マイクロシーベルト毎時くらいとなっている。この差が何なのか、どういう意味をもっているのか、私にはわからない。しかしさらに、新聞で公表している全国の環境放射線量は、東京よりも大阪で高く0.08前後で推移し、愛媛県では0.08以上で推移しているのが最近である。この誰の目にみえる差がどういうものなのか、マスメディアは何も解説してくれない。これでは素人には、ミステリアスJapanである。おそらく、なお何かを隠しているのだろう。前回ブログで紹介した小出氏への質疑応答の中で、原発事故現場の地上亀裂から水蒸気がもれているという情報もあるが、それと小出氏の推定するメルトスルーとは関係があるとおもうかどうか、という質問があったが、小出氏は、そういう情報があることは知っているが、正確にはわからない、という返答であったとおもう。ちなみに、私は知らなかったが、その地下から水蒸気がでている、という報道とは、以下のものかもしれない。<8/17 Russia Today 福島第一・地面から水蒸気が噴き出している>……たしか、7月中での報道では、建屋を覆うシートの対策のことが盛んに広報されていて、1号機では8月中にやるとかいっていたはずで、その鉄骨を組む予行演習の様も放映されていたが、それはどうなったのだろうか? もし、このRussia Todayの報道が真実なら、そんな作業も現場ではできなくなってしまったのだろうか? となれば、むろん、小出氏が主張していたような地下ダム、融けた燃料が地下水に流れて拡散しないように防ぐ工事施工など、なおさらできないということだろう。しかし今さらになって、お手上げとはいえまい。

ペレストロイカに関わったシュワルナゼ元ソ連外相によれば、冒頭引用にあるように、チェルノブイリ事故時の情報開示の是非をめぐる内輪の抗争において、ペレストロイカ派は負けた、と言っている。これは、大統領だったゴルバチョフの認識とは根本的に違う認識なようだ。ゴルバチョフは、旧体制の弊害の露呈を認めたが、当時政府がほんとうに事実関係を知らなかったのであり、情報開示をめぐる守旧派や党官僚たちとの闘争のことは、その自伝では述べていない。だから、その時点で、改革の現実を認めても、すでにそこで負けたのだ、というシュワルナゼのような認識はない。シュワルナゼは、ゴルバチョフをこう評価している。――<人間として、父として、夫として、そして最後に彼の同僚として、私は大統領がフォロス(クリミア地方の大統領の別荘がある村)の宮殿の牢獄に拘禁されるという七十二時間にわたる悪夢を見ていた。彼は非常事態国家委員の囚われ人だった。しかし、彼が帰還し記者会見に姿を見せたとき、私には彼が以前のままの囚われ人であることが分かった。彼は自らの性格、思考、行動様式に囚われたままだった。いま私はきっぱりと断言できる。非常事態国家委員会を育んできたのは、ほかのだれでもない、彼自身なのだということを。彼は自分の不注意と決断力のなさ、賛成したり反対したりぐらつく傾向、人を見る目のなさ、本当の同盟者に対する無関心さ、民主勢力に対する不信感、国民という名の要塞を信じないことなどによって、非常事態国家委員会を育んできたのだ。国民のほうは、彼が導入したペレストロイカによって変わっていたというのに。>(前掲書)

さてわれわれ日本人はどうだろうか? 民主党が政権をとり革命といわれ、フクシマ原発事故が起こり、変わっただろうか? 今日9/2(金)の新聞広告に、見開きすべてを使った宝島社の広告がでている。「いい国つくろう、何度でも」とコピー文句をうたったその広告写真は、パイプくわえたマッカーサーが航空機から降り、まさに日本に上陸しようとしている、あの敗戦を象徴する有名な写真である。これを目にしてびっくりしない日本の大人はいないだろう。こんな広告を作った会社の真意は私にはわからない。広報では、敗戦や災害などの苦境を<不屈の精神と協調性>で乗り越えてきた日本人の歴史を喚起し、<日本人が本来もっている力を呼び覚ましたいと思いました>とある。しかし、写っているのは外国人。裏社会のことに関してよく書籍をだす出版社のことをおもうと、コピーは字義通りとしても、その写真とのずれから、表の意味を素直に受け取るわけにはいかない。素人ブログでも、こんな時期だから復興の力強さというのはわかるけど野田氏とマッカーサーを比べても……という意見になるようだ。つまりどうみても、日本人の感性では、イロニーにしかうつらない。つまりどういうことか? 写真どおり、この震災・原発事故後の日本は、敗戦し、アメリカに占領されようとしている、何度というか、もう一度、ということだ。この広告は、私たち日本人が触れたくない裏の現実を露呈させようとしている(というか、何か知っているのではないか? 近いうち、何か暴露本をだすのではないか?)。民主党代表選挙の得票率の内実をみても、これは菅氏と小沢氏が争ったときの票数と似ている。松下政経塾あがりの、毎朝駅前演説していたという律儀な人で、財務大臣あがり……ほんとに危機を乗り越えようとしているのかわからない、というか、この機に及んでそういう律儀ものを選んだ民主党議員の内訳は、あやしくなるばかりである。私は、原発事故後の負けを認めない菅元総理への不信任決議投票のときの、民主党から破門された松木議員の姿を思い出す。菅氏の煙幕演説で急遽変更され内輪で取り決めた不信任案否決の白札をもって壇上にあがった彼は、突然頭をふってポケットに隠し持っていた青札を入れた。初心どおり、首相へ不信任の票を投げ入れたのだ。私には、隣室で篭城していた小沢氏とともに、これら政治家の姿から、白虎隊や天狗党といった幕末の武士の様を連想した。われわれが松木氏を取り返す、と投票後の民主党執行部の処置に、福島県の子どもを疎開させようと決議案前の衆参議員大会で菅首相に訴えた原口元大臣は言ってみせたが、その気概はなお生きているのだろうか? ソ連では、エリチィンというとんでもない型破りな男がでてきた。ロシアの民衆も、魂をもった者の方を支援したのだ。日本はどうだろうか?……おそらくアメリカをはじめとした支配勢力は、日本国土をこのまま放射能づけにして日本人の行動を不能にさせたままに、いかにわれわれが敗戦で築いた財産を簒奪するかを考えているのだろう。全国に拡散されるままの線量計の数値が、そう物語り始めているようにみえる。

2011年8月28日日曜日

「食べる」vs「食べない」を克服するために 2

昨日27日土曜日、東京は台東区でおこなわれた市民集会に参加してきた。主催は<核・原子力のない未来をめざす市民集会実行委員会>だそうで、その第二回目。講師として、元原子炉設計者の田中三彦氏、子供を被曝から守る福島ネットワークの中手聖一氏、京都大学原子炉実験所の小出裕章氏。前回ブログで、その小出氏が、「食べる」派の論理を訴えているのではないか、と私は示唆したが、ちょうどその集会での資料に、小出氏がチェルノブイリ事故後に書いた文章があった。(1989.1/12)。今回は、どうも生活クラブかなにかの冊子に寄稿したのだろうその「弱い人たちを踏台にした『幸せ』」と題し、「汚染された食べ物を誰が食べるのか」と副題されたその文章を引用・紹介してみることにする。市民集会の講演では、そうしたたぐいの話にはふれていなかったが、その短いエセーは、生活思想といったもので、全文紹介したくなるような話である。なお、その紹介あとに、東和町の菅野氏から購入した『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ)からも、私の心にふれたニ、三の記述を追加しておこう。 (引用中の/は、実際文章上では行変えを意味します。)

小出裕章氏………<残念ながら、チェルノブイリの事故は、すでに過去形で起ってしまいました。そして、そうであるかぎり、食糧が汚染することももう避けられません。従って、いま私たちに許されている選択は、汚染した食糧はいったい誰が食べるべきなのかというたった一つしかないのです。/日本はいま、世界一の金持ち国ですから、いざ本気になれば、それなりに汚染食糧を国内に入れないようにすることは可能です。でも、日本に入ってこなかったからといって、放射能で汚染した食糧がこの世からなくなってくれるわけではないのです。それは、他の誰かが食べさせられることになるだけです。>

<私的にことになりますが、私は一五年前から、連れ合いと二人で生活するようになりました。でも、この猛烈な差別・選別の競争社会の中で、『わが子』をもつということに強い抵抗を感じ、子供を作らずに長いあいだ二人で過ごしてきました。しかし、さまざまな葛藤の末に子供を作ることを決心し、五年前に太郎を、その後、次郎、三四郎と三人の子供を迎えました。彼らが私たちのところにやってきてから、私は改めて子供の個性の多様さ、そして面白さを知ることができました。(正直いうと、あまり面白すぎて、もう毎日へとへとです。)そして、どの子供もその多様さを尊重しながら、公平に個性を伸ばしたいと、ますます強く望むようになりました。/次郎は、生まれながらにいわゆる先天的な障害を背負って生れました。それは次郎の個性であり、それをただそのまま受け入れて、次郎とともに生きて行くことを私は切望しましたが、残念ながら、私たちが次郎の生命を守れたのはわずか半年しかありませんでした。/一人ひとりの子供たちは、自らの個性を選択して生れて来るわけではないのに、次郎の場合がそうであったように、生物体としての個性の面でも現実の社会はまことに過酷なものです。その上、私たちは、私たち自身に責任がある社会的な面での差別・選別を子供たちの上に何重にも重くのしかけています。>

<チェルノブイリ事故以降、私は自分自身の手で汚染の実態を調べてきましたし、放射能の恐ろしさについても、誰よりもよく知っているつもりです。私は、もちろん、放射能で汚れた食べ物を食べたくありません。しかし、日本という国は、原発を三六基も動かし、一人当たりでは世界平均の二倍以上のエネルギーを浪費している国です。そして、私自身はこのニ〇年、原子力利用に反対してきたとはいえ、いま現在、原子力の電気を利用するこの国に生活している事実を否定できません。また残念ながら、今の私には、日本が拒否した場合の汚染食料を貧しい国々に押しつけることを、具体的に阻止する力も方策もありません。そうであるかぎり、私には放射能で汚れた食べ物を自らが食べる以外の選択はできませんでした。/私は、チェルノブイリ事故以前から、スパゲッティはイタリア屋、チーズはヨーロッパ産を好んで食べました。事故以降、それらが汚染されていることをもちろん私は知っていますが、私はそれらを敢えて避けずに、食べ続けています。原子力を選択するとはどういうことなのかを自分の身体に刻み込むために、そして、その痛みを忘れないことによって一刻も早く原子力を廃絶させるために、私はその選択を続けたいと思っています。/もちろん、一人ひとりの選択は多様であるべきで、すべての人々に私と同じ選択を迫るつもりはありません。当然のことながら、日本の国内で汚染食糧をどう取り扱うかという問題も、とても大切な問題です。しかし、日本の国に汚染食糧を入れないように求めることだけは決定的に間違っていると私は思います。>

<私に手紙をくれた子供たちはどの子もとても深くものごとを考えています。そのすべてをこの紙面で紹介できないのが残念ですが、彼らが出し続けている学級通信にはこんなことも書いてありました。「ぼくたちは、今いろいろなことを考えようとしているけど、おとなになったら、今のおとなみたいに考えなくなるんじゃないかなあと思いました。」私は、全世界の子供たちに、そして原子力を選んだことに責任がない大人たちには、汚染食糧を食べさせたくありません。そのために日本の大人たちはいったい何をすべきなのか、そして何をしてはならないのか、皆さん一人ひとりにもう一度考えて欲しいと思っています。>

明峰哲夫氏(農業生物学研究室)………<「天国」では、人は自然の姿のうち自分に都合のよい部分だけ”つまみ食い”してきました。明るい、温かい、美しい、清い……。「故郷」では生きるためには、自然がみせるすべての姿をそのまま受け入れなければなりません。/人が自然と一体となって生きるには、自然は自分と不即不離の関係にあり、その不都合な部分だけを捨てることはできないという覚悟が必要です。自分の身体の一部が具合悪くなっても、それだけを捨てることができないように。/「3.11」により、土も海も汚染されてしまいました。人は、そこからひとまず退却しなければなりません。けれども、汚染が比較的軽微な周辺地域では、そこにとどまるという選択もあります。「邪悪」なものは徹底して「排除」するという感性は、私たちが「天国」で身につけてきたものです。「故郷」では、「邪悪」なるものも「受容」できる感性が必要です。/ここで大切なことは、何が「邪悪」なのか、「邪悪」をどの程度受け入れるべきかは、基本的にはその人の判断で決めるということです。「天国」では、その判断は政治家や科学者に委ねられていました。「故郷」では、その判断は一人ひとりの人間の選択として行われるのです。ここでもまた人は”胆力”とでもいうべき総合的な判断力と決断力が試されます。/「故郷」の再生。そのためには何よりも種子と、それを播く人が必要です。私たちはまた明日になれば、種子を播き続けなければならないのです。>(「天国はいらない、故郷を与えよ」)

秋山豊寛氏(ジャーナリスト・宇宙飛行士)………<利権集団は、機会さえあれば、自らの利益を拡大しようと狙っています。その集団は、国際的ネットワークに支えられています。今回のレベル7の原発事故にしても、このあと「焼け太り」を狙っているのは確実です。浜岡原発の一時停止などは、あとで二歩前進するための一歩後退にすぎません。「敵強ければ、すなわち退く」という昔ながらの兵法に従っただけ。ノドもとを過ぎて人びとが熱さを忘れるのを待っているのです。…(略)…最大の問題は「経済成長がなければ、豊かになれない」という認識です。現在の世界のシステムが、ほぼ、こうした認識を基本につくられているという意味で、この部分は強敵です。しかも、「成長にはエネルギーが不可欠」という言説が伴っています。/ここで問い直さねばならない基本的テーマが浮かんで来ます。/「私たちは、経済成長がなければ豊かになれないのか」/「豊かさ」を「どのように捉えるのか」は、ここ数十年、基本的な問いかけとして、ことあるごとに登場しました。「ものの消費に基づく経済の成長には限界がある」という問題が提起されたのは、1970年代初めでした。/その後、ソビエトの崩壊や中国の変化など地球表面での「市場」の拡大は続き、「成長の限界」は、まだ「臨界」に達するには余裕があるような空気が支配しています。「原発ルネッサンス」などという言説が隆盛を極めたのは、つい最近のこと。「脱原発」への道のりは、険しく、厳しいのです。/とはいっても、希望はあります。それは、人びとの気づきです。洗脳され、「それしかない」と汚染された脳を清浄化することです。さらに多くの人びとが真の豊かさに気づくことから、「脱原発」は始まるはずです。>

渥美京子氏(ジャーナリスト)………<電力だけでなく、東京の食を担ってきてくれた福島の大地。汚れてしまったから、汚染されていない土地の食べものを買って食べましょうという発想を、私は拒否したい。危険な原発を福島に押し付け、豊かさと便利さを享受してきた東京の人間は、大地の汚染をどう引き受けるかを考えなくてはいけない。もう子どもを産むことのない私は、福島の彼らが作ってくれたものを食べようと決めた。/だが、それは覚悟だけでできることではない。台所に立つたびに、容易なことではないと実感する。私には中学生の息子がいて、できるだけ汚染されていない大地で採れたものを食べさせたいと考えている。キュウリやトマトなら産地を分けて別の皿に盛ればいいが、ご飯はそうはいかない。炊飯釜が2つ必要になる。野菜の煮物は別々の材料を用いて、別々の鍋で作ることになる。/とんでもない手間がかかる。生活に即した実現可能な方法を考えなければ、日々の忙しさにかまけて覚悟倒れになりかねない。放射性物質を除去するための調理方法の研究や、免疫力を上げる食事の工夫も、これからの課題となるだろう。/悲しい現実ではあるが、放射能の時代を生きることになってしまった。現実を見据え、できるかぎりのことをしながら、前向きに生きるしかない。/これ以上、東北人を死なせてはいけない。そのためには、彼の地の恵みに育ててもらったおとなが責任を取るしかない。覚悟して食べるのだ。未来はその延長線上にのみ開かれる。>

*追記報告; 冒頭写真は、福島氏の街路樹。事故後、放射能対策として、新しく植え替えて、その下に、ひまわりを植えたのだろう。庁舎のまわりでは、平均して毎時1~2マイクロシーベルトだったが、排水溝にたまった松の枯葉近くでは、3マイクロを超えていた。

グループが測ってきた放射線量の主な地点のものを、以下にメモしておこう。単位はみなマイクロシーベルト毎時である。:いわき市夏井川河口0.2、ひろの町0.7、夏井川上流0.14、東和町0.3、山際町(福島第一より30km地点)1.68、浪江町(21km地点)9.1―――ちなみに、この10万円ちょっとするという線量計では(東和町で使用のものは100万円をこえるというものだった)、東京の練馬区東大泉近辺で0.1マイクロをこえ、私が住む中野区上高田の団地でも、似たようなものだった。子どもの遊ぶ砂場でも同じ。ただ、団地の建物内に入り風がふくと、その数値が0.13とあがるところが、やはり何かそこにある、というリアりティーを感じさせてきた。