2011年12月17日土曜日

この日本で、誰ができるだろう? (中上健次と民衆)

「有力な豪族の連合を基礎として成立した古代王朝は、やがて集権化の傾向を強めて、直接的な支配の範囲を拡大する。豪族たちも、中央の権力を背景として領主化して、広大な土地と人民とを所有するようになる。群小の古代的な氏族はしだいにこれに抵抗する力を失って解体し、領主のもとに直属する民衆となり、公民となった。久しく氏族の閉鎖性の中に眠りつづけてきたかれらは、こうしてしだいにその氏族の核を離れ、白日のもとに解放された。しかしその解放は、同時により強力な政治的支配への従属を意味した。民衆は、自由のよろこびを獲得するとともに、また新しい時代へのおそれを抱かずにはいられなかった。そのよろこびとおそれとのうちに、古代歌謡の世界が成立する。」(『白川静著作集9』「詩経」 平凡社)


私が学生の頃よく読んだといえるのは、柄谷行人のほうであって、中上健次ではなかった。しかし二十も半ば過ぎから新宿の植木職人として働きはじめてからは、その職場の環境から、中上氏の小説世界がリアルにみえはじめた。当時の学生時の読み方といえば、記号論的読解やエクリチュールといった方法が主で、私もそれに類した中上作品論を書いたこともあったが、よくいって秋行の「空虚(がらんどう)」さと自分の「空虚」さを重ねあわせているのがマシな程度で、空々しいものだった。しかし東京に残存しているような新宿の世界に、紀州の田舎で展開されていたその作品の主人公たちが影のように付きまとい始めたのである。親方の家族は、まさに女(姉)たちがしゃべりまくる世界だし、そこに出入りする職人たちは、祖父の世代が博徒や岡引、若い衆たちも『地の果て――』以降の中上作品に出てくるチンピラくずれや、地元でのチーマーとかに通じる徒党を組むものたち。私はいま中上氏が生きていたなら、オレオレ詐欺の世界を描くだろう、と想像する。とにかくも、私は氏の作品を、唯物論だの物語論だのではなく、まずは普通のリアリアズムが基調素材な作品として読めないかと苦心してきた。そういう考慮を抱懐している者として、前回ブログで言及した守安敏司氏の『中上健次論』は、まさに作品の主人公への対等な共感から発せられているが故に、私には新鮮だったのである。

<漁師の多くは体に入れ墨をいれていた。幼い私がその理由を聞くと、漁師は、もし海で死んで「土左衛門」になっても、この入れ墨で身元が判明するからだ、と教えてくれた。次の夏、昨年同じ漁師仲間だった人が船に乗っていないので聞くと、去年の秋に船から落ちて死んだ、と言う。こともなげに死んだと言う。/日頃優しい漁師が、船上で漁になると目の色が変わり喧嘩腰になる。酒が入ると、暴力はいけませんよと生ったるいことを教えられていた私がびっくりするような大立ち回りもいくどか目にした。/生活の糧を大自然の海に求めて毎日を暮らす。漁があるかないかはまったく運任せの博打のようなものである。こうした優しくまた気性の荒い漁師の生きかたを見て以来、私はスポーツと称して魚釣りをやる人間を基本的に好きになれないのだ。…(略)…繰り返すが、私は中上と同じ風景を体感していたことになる。風景だけでなく、中上の作品の登場人物の語り口調、例えば私が海岸でひとり本などを読んでいる時に、漁師の子どもが、「敏司君、何しとるん。海に入ろらい。」と誘ってくれる口調とまったくと言っていいほど同じであるのだが、その口調にも、また私の接した気性の荒い漁師たちとよく似た中上作品の登場人物の姿にも、私は表しようのない親しみを感じてしまうのである。>(守安敏司著『中上健次論』解放出版社)

その守安氏の、中上氏の知友である柄谷氏への批判は辛辣である。要は、柄谷は事実(作品年代順)をに反して自分の都合のいい切り口を物語っているにすぎない、ということである。中上の全集を読み通したわけでもない私には、守安氏の編年的な読みは勉強になるけれども、ではその守安氏は、何を言いたいのか? 他人の揚げ足取りではなく、自分が中上作品を通して読者に訴えたい意味はなんなのだろうか、と思ってしまった。なんで中上論を書いてみたくなったか、その原因はわかる。ではその結果として、何がでてくるのか? 生産的なものは? ……そうなれば、たとえ事実(史実)では証明できなくとも、抽象力という方法論によって、作品という素材を前方へ編集しなおして呈示する、という柄谷氏の読み方のほうが、たとえ間違っていても生産的であるかもしれない、となる。たしかに柄谷氏は、部落問題を一向宗起源説で切り、秀吉の刀狩りをヨーロッパと資本主義的なスパンにおいて同時代的と捉えうる「市民(自治)」の去勢と読んだ。部落史も、日本史も、事実的にはそうではない、という。しかし、『刀狩り』(岩波新書)で論証した藤木氏も指摘しているように、それはもともと「象徴的」な統制の仕方だった。つまり、藤木氏はあくまで「象徴的」にすぎず、全面的な展開とは言い難い刀狩りだったと言う。が、「象徴的」であるがゆえに「去勢」として重要なのであって、たとえそれが顕在(全般)的に事実とはいえないにせよ、以後そういう方向(サンス)で意味(センス)をもっていってしまった、というところに歴史の潜勢力があった、と抽象(読解)するならば、この精神分析的な柄谷氏の方法論は是であろう、というのが私の公平な意見である。また、小説家の端くれとして私が言うなら、作品を通時(編年・事実)的に読解することに依拠するだけでは人間の創造力を、あるいは潜在力を把握しきれない、とおもう。この作品を書き始めたならば、すでにその作品では書き得ないものにもまたすぐに突き当たってくるので、次の作品は並列的に派生してくるのではないか、と私は経験する。これでは書き得ないものをこの作品のなかに書き込もうという無限運動的な反復として、プルーストやジョイスがいたのかもしれないが、また小説の起源はその書くことの不可能性につきまとわれてそれを手放さず、と『ドン・キホーテ』やなんやかやが生れた、というのは文学教養のイロハでもあるだろう。

それにしても、中上氏の作中の共同体や、主人公や、『地の果て――』いこうで登場した若者たちの世界は、今はもうないのだろうか? 現実性が希薄で、残っていたとしても、もう意味(潜勢力)など持ち得ない代物なのだろうか?……どうも私には、そうはみえない。だから、中上作品の素材を、現在から将来へ向けて、そのセンス(方向・意味)を抽出して編集呈示したくなるのだ。たとえば、リビアでカダフィがたおれた。民衆兵士がひきずりまわした。気に食わない奴をやっちまえ、生意気だった女を犯しちまえ……と統制がきかない社会になっている、と報道で読むと、私は自分の職場の世界を連想してしまう。おそらく彼らが、カダフィにつくかつかないかは偶然で、思想的にはどちらでもよい、がそれゆえに、上からの統制がゆるんだ途端に、アナーキックな衝動が赤ん坊の泣き叫びのように発散されるだろう。日本でもその可能性は十分ある。しかしその世界の人間が価値とするものは、右左で思想化するならば右になろうが、それは上からの言うことに服従する、ということではなくて、たとえば、太平洋戦争が終ったとわかっていても、生き残った若者たちが小船にのって日本刀を武器に敵の艦船へ向けて出撃していって捕まった、というような人たちの価値である。私は、そんな史実もあったのだという映像をみたとき、その出撃まで、おそらくもはや先輩後輩程度の階級しかなくなったその生き残った若者たちの間で、どんな会話がなされて決行されたかが、聞こえてくるようだった。それはとても、勇ましい会話ではないのだ。国は負けたけどさ、そんなことじゃなくて、俺たちはさ……泣く泣く意地を張ってみせる突撃なのだ。赤ん坊がまだない我を張るように。が、彼らは列記とした大人である。それは気まぐれではなくて、もっと堅固な価値なのだ。そうとする仲間、共同体である。私の知っている範囲から推定すると、オレオレ詐欺も、地方から東京にでてきた見ず知らずの若者をアルバイトとしてやとって悪いことをするのは危険なので、そうした共同価値が生きている世界の仕業である。地方での者がかかわるとあっても、先輩後輩関係が生きていて、秘密を守っているかどうかが監視でき、簡単にはばっくれることができない付き合いがなくてはならないだろう。そこでの価値は、暗黙に資本主義世界に対抗している。騙し取って受けとった配分を、みんな遊ぶ金に費やしてしまうとしても。もちろん、私が言っているのは下っ端の使われる人たちの世界のことである。しかし、カダフィをたおしたのが「民衆」だというなら、私にはそれも「民衆」、いやそれこそアラブ革命の「民衆」の近傍に位置する者たちに思えてくるのである。彼らは、一度立ち上がったら、引き返せない、殺されるので。戦うしかない、泣く泣く意地を張って。そういうことを、この日本で、誰ができるだろう?

2011年12月9日金曜日

テクノロジーとカタストロフィー


「十六世紀末の日本の刀狩りによせる研究者たちの通念は、およそ次のようなものであった。豊臣秀吉の政権は、分裂していた戦国の国家の軍事統合に成功して、すべての暴力装置を集中独占すると、その力を背景に、武装解除をめざして、農村からあらゆる武器を徹底的に没収し、民衆を完全に無抵抗にしてしまった、と。/この見方は、いま、ほとんど国民の通念ともいえるほど根強く、「強大な国家、みじめな民衆」という通念は、十七世紀以後の徳川政権というアジア的な専制国家像を形づくるのに、決定的な影響を与えてきた。しかし、民衆の徹底した武装解除という奔放なイメージは、刀狩り研究の大きな欠落と空白に支えられて、じつに自在であった。だが、この通念ははたして事実であったか。「みじめな民衆」像ははたして実像であったか。」(藤木久志著『刀狩り――武器を封印した民衆――』 岩波新書)



七歳になる息子と一緒にその赤ん坊の時からのビデオクリップをみていてびっくりした。これまでも毎年2回くらいは、その私のHP上にも一希のプロフィールとしてアップしてある映像を息子はみてきたはずなのに、あたかもいまはじめて見るように見入り、5歳の頃に撮った自身がダンスをする姿をみて、げらげら笑いこけながらも、「こんなの見たくない! こんな格好つけ<いっちゃん>はいやだよ、もうやめてよ!」と言い出したのである。たしか半年ほどまえは、そんな反応もなく、素直にそれが自分なのかと受け入れていたのに。私は、親が子のビデオや写真をとりまくっているこのデジタル社会の環境の中で、子供はどう自身の記憶とつきあっていくのだろうかといぶかっていた。覚えたくもない思い出の暗記過剰になって、自分がおかしくなっていくのじゃないだろうかと心配もしていた。とくにその推定は、私の学生時代の教養の中でも、たとえば音楽家の坂本竜一氏と文芸批評家の柄谷行人氏などが、テクノロジー(シンセサイザー)が感性を解体するとか話していたので、科学技術の変革によって制度としての感性も変容していくのだ、とされていた延長にもあたるので、憂慮は知的な正当性を得ているとおもっていた。が今回の息子の様をみていて、それはどうも違うようだぞ、しかも、最近の自分の意見もこのブログなどで展開してきたように、サル的にというか人類的にというか、むしろ変わらない部分のほうが大きいのではないか、と思い当たったのだった。どうも、少なくとも人間は、自分という何かを維持していくために、都合よく本当に忘却してしまうようにできているのではないか、と。七歳の一希の自己嫌悪は、思春期に特有の、たとえばテープレコーダーの自身の声を聞いて違和を覚えるとかの症状と同じものなのだろうか? 「我は他者なり」というような存在論的次元への自意識化というような。…たしかに存在論的な、といえるのかもしれないが、どうももっと身体規制的な、つまりは遺伝的な生存本能に近いようなものにみえる。つまり自分を狂わすのではなく、あくまで健全な育成である。が、私はそこから、ベックがいった「全的なカタストロフィー」という意味のことを考えた。HP上の観覧記で倉数茂氏の『私自身であろうとする衝動』(以文社)の感想でその言葉にふれて、気になっていたからだろう。



私はそこで、今回の大震災や原発惨事を、かわいそうだが運が悪かったのだ、とみなされるしかないとする確率論的な社会観の是認は、悲惨を他人事としてみられることですんだ(戦後)平和ボケ時代の延長のままなのではないか、しかし我々は、もう他人事(部分的な)としてすまされない我が事(全的な)の事態として受容せざるをえない時代に転換してしまっているのではないか、といった。山城むつみ氏の『ドストエフスキー』を引用しながら、モーセの時代のように、と。つまり、ベックの認識背景にも、実はそんな平和ボケに回収されてすんでしまうのではない、「全的なカタストロフィー」が前提とされているのだから、と。しかし、「全的」とはなんだ? モーセが感受したものは、その現場・地域においての話じゃないか? 今回の震災や原発事故だって、日本だけのものじゃないか? かわいそうだが仕方のないこと、と募金やエールが飛んでくるのではないのか? テレビやパソコンで世界中の悲惨が受信できようと、そのテクノロジーの社会自体が、まさに平和ボケでしかありえない我々の感性を規定してしまっているのじゃないか?……



つまり、ここで、一希の出番なのだ。どんなにデジタルなテクノロジーが人間(子供)の脳髄を暗記過剰にさせようと、人間(子供)は忘れてしまう。それがなかった昔と同じように。つまり、あのモーセが世界を感受したように。この本源(健全)的な身体規制において、部分というのはありえない、のだ。今ここが、全的に更新されていくのである。もし一希(子供)が世界(他の地域や他の悲惨)と交わるとしたら、この一点においてである。というか、その一点でしか合点できない。子供に戦争の悲惨さや社会の恐さなどを説教しても理解されないのはそのためだ。一希は津波で死んでいった人々の映像をみても他人事である。しかし彼は、なぜか深く理解している。まさに当事者と同じ者として。忘れるのは、むしろその深い理解のためかもしれない。しかし忘れるとは、それを懐深くしまいこむことだとしたら? 大切なものとして。「全的なカタストロフィー」とは、それゆえ、「今ここの更新」という一点において感受される世界体験のことだろう。私にもそんな能力があるはずなのだが、平和ボケのほうが大きいのだろう。が、忘れていたその体験が、今回呼び覚まされたのではないか、ということなのだ。実際、3.11以降、気分的にそれ以前と同じではいられない。この変な感覚が、そのうち平和な日常感覚にもどっていくような気がしない。どこか、関節がはずれたようなのに、その箇所がまだつかめていないような……四十肩で生活している感じに似ている。(「腕があがらんが、どこか変だなあ」、と。)これは、私だけではないだろう。



一希のげらげら笑いを見ての「今ここ」と「世界」という飛躍的な概念連結の連想……ときたところで、今日、というかさっき、守安敏司氏の『中上健次論』(解放出版社)を読み終える。「今ここ」の肯定、といえば、やはり中上健次か、ということで。その守安氏の柄谷批判は、冒頭引用した、藤木氏の『刀狩り』論の構えと似ている。つまり、藤木氏が、秀吉の刀狩りによって民衆が骨抜きにされたというのは史実ではない、とするように、柄谷が中上作品に読んだ、一向一揆の部落起源説に対するまずは事実的な是正批判からの開始である。



<繰り返されるこの柄谷の主張は、完全な誤りである。もともと、当時、細工とは河原者と呼ばれた賤民であった人々が一向宗徒となり、信長と戦い、敗北し、後に、穢多や皮(革)田と呼ばれたのである。つまり、被差別部落になったのである。言いかえれば、賤民でなかった良民が一向宗になり、被差別部落とされた資料は、現在までのところ一切存在しないのである。故に、被差別部落が「近世市民革命」(近世に市民が存在したかどうかは、ばからしくて問う気にもなれないが)の敗北で成立し、「浜村孫一」の敗北で成立したとするのは決定的な誤謬である。…(略)…また、超時代的に言ったとしても、被差別部落民がそうでない地域と比して、特別温かかったり、冷たかったりするわけではない。ここに至っては、ある種、柄谷の差別性すら感じてしまうが、そんなことは、常識的に考えても判断のつくことである。>(前掲書)


柄谷氏の言説が説得的なのは、その文脈が、たとえば、日本ではデモが少ないじゃないか、といういかにもわれわれが首肯せざるをえない現実との関連において形成されてくるからである。やはり一揆から「刀狩り」され江戸体制で確立された制度的感性がなお我々を支配しているのかな、と。しかし「民衆(市民)」とが、中上の作品にでてくるような、「今ここ」しか知らないような馬鹿みたいな主人公だったらどうだろう? あるいは、守安氏が「はじめに」で触れてみせる、<また私の接した気性の荒い漁師たちとよく似た中上作品の登場人物>のような者たちだったら? 『刀狩り』の藤木氏は、それが実際に武器をとるということよりも、むしろ尊厳を骨抜きにさせていくための「象徴的な行為」としてあったと指摘しているが、人間<(作家)の歴史(作品)>にとって重要なのは、「事実」ではなく、それ以前的に「今」をどうするかという意味や思想であったとしたら? なんで「今」デモがないのか? 私自身は、そんな柄谷氏の認識前提自体に懐疑的だが、次回のブログは、守安氏の中上論を中心に、そこら辺について追求してみよう。

2011年11月26日土曜日

論理と実践

「小出裕章の間違った行動提起については、彼一人の問題ではないので、きちんと批判しておきたいと思います。/問題は三つあります。/まず第一に、この行動提起は、問題を極端に個人化してしまっているということです。消費者が買うか買わないか、買いましょう、と言っているだけなのです。ここでは、放射能汚染の全体が見落とされています。あらためて言うまでもないことですが、物流には起点と終点があり、起点とは生産者、終点とはごみと下水の処理です。消費者が何かを買うということは、起点での農業・水産業を可能にし、終点でのごみ・下水処理を要請します。放射性物質を含んだ食品を買うといことは、それを生産するために消費者以上に被曝する人々がいて、被曝しながらの作業を継続させてしまうということです。そして放射性物質を含んだ食品を食べる人々は、使わなかった野菜くずや食べたあとに排泄する屎尿を、地域の公共施設に負担させます。ごみ焼却や下水処理といった作業の従事者は、福島から遠く離れた場所で思いがけない被曝労働を負わされてしまうことになる。そうした作業全体が「責任を引き受けるべき老人」によって担われているかというと、そうではありません。現場で働く若者たちは、小出氏らが勝手に引き受けようとしたもののために、望まない被曝労働を強いられるのです。」(矢部史郎著「3.11以前と以後」『atプラス10』太田出版)

科学的と称される事実をめぐる真偽ではなく、それを引き受けた(「解釈」した)者の態度(実践)が潜在させている論理(展開)の現実(実際)を批判する矢部氏の上記引用のような発言は、今回の事態の最中で、私にははじめて触れた発想で、説得的であると感じた。低線量は「安全か、危険か」というような二者択一を迫る科学に対しても、その二項対立の中では「危険」の立場に分類されてしまうとしても、問題としているのが原子力を扱う社会のあり方自体への批判なのであるから、たとえ低線量が安全である、とするのが科学だとしても、それを批判する構えは変わらない。氏が事故以前の著書『原子力都市』で抽出してみせたのは、原子力を扱うということが、どれほど社会を管理していくものになるのか、原子力技術とが、徹底的な社会管理の対策技術なのだ、ということだ。そして今回の事故で、「私たちはみな原子力に関する知識などまったくない、しかし、原子力政策というものがどういうものであるかはみな知っている」ようになってしまった。科学的真偽ではなく、それを成立させてきた権力のカラクリに私たちは直面しているのだ。確かに、私たちは放射能が恐いというよりは、こんなにもいい加減な国家運営の下で現在も進行・侵食形で生きさせられていることが恐いのではないか? 原発に反対する本音は、国家を止めてくれ、ということなのだが、それがどんなことかよくわからないので、原発を止めてくれ、と言っているのではないか?

しかし私は矢部氏の論理態度を説得的と感じるけれども、その実践態度に疑問を覚えてしまう。これは論理的反駁といった疑義ではなくて、理論的な社会運動を体験したことからくる印象である。つまり、論理的に反駁してみせることが、実践的に正しいのか、ということだ。もう少し原理的に言うと、その筆者に潜在的な思考の型を抽出して問題露呈することが必要なことであったとしても、それをそのまま実践過程に結び付けて批判してみせることが、現実実際上いいことなのか、意義あることなのか? それは、自己の知的優越さを論証して競うメディアの中だけの議論なのではないか、ということだ。たとえば、氏は言う。<結果として、小出氏らの主観的な「決意」は、政府が号令する「食べて応援」を容認し、追随するものだと思います。それは原子力国家を論難しているように見えて、実質的には、原子力国家との対決を回避しているのです。いま東北・関東の母親たちが子どもを連れて避難し、あるいは公園や学校を計測し、全国の親たちが学校給食を監視し、ごみ焼却場に問い合わせ、食品検査や土壌検査を独自に進めている、そうした実質的な戦争状態があるかたわらで、小出氏らはただなげやりに「食べるしかない」と言うのです。彼がこの問題について矢面に立って闘うことはないでしょう。彼らは批判的ポーズをとるだけであって、偽の、口先だけの、戦争ごっこに興じているのです。>――しかし実際、「母親」たちはその小出氏から活力をもらって実践しているのではないだろうか。近所で講演をしてもらうこと等でネットワークを作ったりしているのではないだろうか? だとしたら、というか、私のまわりではそう見えるのだが、小出氏の実践が「意味のない」こととは思えない。知的議論上無効だと論駁されても、実践的に意味のないことなどあるのか? どうなっていくのかが不透明なのが社会なのであってみれば、それはこうなるという論理展開の想定(潜在)は、実際にはその論理上の中だけに必要な手続きである。社会での自他の言動は、どう展開されてどんな意味をもたされていくのかわからない。それを肯定というよりは、その想定外を想定している気構え(寛容と緊張)が持てない論理態度は、実践態度として弱いのではないか? 矢部氏は、「フランス現代思想」は核の脅威のもとで営まれたのであり、そのことがドゥルーズやガタリの「国家装置」や「管理社会」という概念提起させたのだと指摘している。なるほど、と私は思う。同時に、このエセーでの結末文、<テレビや新聞がどんなに国民的号令をかけても、彼らはもう相手にしません。「専門家」の権威を信じていないし、性別に絡めた道徳的な非難中傷などまったく怖れません。それは、都市が教育し都市住民が獲得した、ハビトゥスであり知性なのです。こうした人々が、これからの戦争状態のなかで主導的役割を果たす前衛になるでしょう。彼女・彼らは粛々と放射線を測定し、被害の実態を告発し、避難民となり、避難民と結合していくのです。>……この物言いに、私は「分子革命」あるいは、「マルチチュード」といったフランス思想を連想する。つまり、なにか小さなロマンチズムである。文体上の期待、といおうか。むろんこの読後感は、論理的反駁などといったものではなく、単に私が氏の文体から感じた類推にすぎない。

この間の日曜日、「なかのアクション」主催の飯田哲也氏の講演をきいてきた。そこで飯田氏が呈示してくれた資料にびっくりさせられた。それは、「緊急災害対策本部」があの3月11日22時35分現在にネット上で公開していた随時速報で、おそらく現場の吉田所長からファクスされてきたものをそのままあげたものなのではないかというのだが……〔東京電力(株)福島第一原発 緊急対策情報〕〇2号機のTAF(有効燃料頂部)到達予想 21時40分頃と評価。炉心損傷開始予想:22時20分頃 RPV(原子炉圧力容器)破損予想:23時50分頃〇1号機は評価中――専門家が2号機にいわれたこの三つの情報をみれば、ネット上で公開された時刻には、すでに燃料棒が露出し溶融をはじめ、あと一時間ちょっとで圧力釜も壊れる、と評価報告を受けているのだから、何が起きてもおかしくないと思うのだそうだ。にもかかわらず、斑目班長は爆発はないと総理に断言し、翌朝ヘリで一緒に上空視察。無知の恐さ知らず、というのだろうか? 現場責任者からすれば、死ぬのは俺たちだけでいいからあとは来るな、といったはずなのに、一番の責任者が二人もそろって現れたのにはびっくりしたことだろう。しかし、いまなおこんなわけのわからないことが進行中なのだ。私は、ドストエフスキーの『白痴』での、ムイシュキンと花瓶のエピソードのことを思い出してしまう。君はパーティーでその花瓶を割ってしまうのではないかね、と言われたムイシュキンは、本当に割ってしまうような強迫観念にかられて、そして本当に割ってしまうのである! 私はこの挿話がどんな意味をもっているのか、心理学上もどんな心的規制が働いているとされるのか知らないが、やけにリアルに読めたのである。おばかな日本国家が、本当にもう一度やってしまうのではないかと怯えながら、本当にやってしまうのではないかと推論してしまうのである!

2011年11月19日土曜日

人と体制

「からからと鈴懸の枯葉転がれる 音をし聞きて 冬の喪に入る

枝伐られて すぐに葉繁れる鈴懸よ 斬られし腕の生えるごとし」(坂口弘著『常しえの道』 角川書店)

住んでいる団地の欅5本を、自分で切ることになる。もう7階まで頂上の枝が届き始めたその様を、これからどう伸びていくのだろうと、6階に住む部屋からデッサンしていた木だ。今年にはいってまもなくに銀杏から落ちたさい、それを余め知らせるように壁からはたと落ちた絵の枝だ。息子の誕生日に買った青い手乗りインコが、不吉に騒ぐようだったら、どうしようかとおもっていた。また逆に、この青い鳥は私を守るために遣わされたはずだから、落ちることもないだろう、とおもっていた。仕事も怪我で満足にできない時分、息子の友達づてで、団地の草刈に呼ばれたのだった。なんだ植木屋さんか、20年もやっているんだって、ならば角の欅が坂下の団地のBSアンテナの障害になっているから剪定予定になっているんだ、だから見積もりに参加できないか、と声をかけられたのだった。親方は、7万円とだした。団地の緑化委員はそれを見てたまげて、いや住人の申し出だからと低く見積もる必要はないですからと再度要求し、じゃあ10万円と……しかし、よその業者は、人力ではのぼれず、ユニックもはいらず、おまけに高圧線上に枝がかかっているから、鳶に頼んで足場をかけるとかで、その一本で80万円以上の話なのだった。私としては、あの角のはのぼれる、しかし他のものはのぼれないと親方に報告しておいた。緑化委員の人も、苦情のある角の欅を短く剪定するのはいいとしても、他のを伐れというのなら、裁判で受けてたつ、とかいう話だったのだが、こんなに見積もりが安いのならと、5本ではいくらになるのかという理事会の話になって、いくつかの業者の見積もりと比較しても、でかいのは一本あたり十分の一近く、全体の金額でも比較にならない位なので、全部やってもらおう、枯葉の苦情がひどいから、葉の落ちるまえに、という話になったのだった。自然樹形で縮約するような剪定は無理だし無意味なので、一度寸胴切りにしてから仕立て直す、ということにする。それならできるかな、とまだ地下足袋は足の腫れがひききっていないので履けず、運動靴でのぼっていく。見た目ではよく読めなくとも、二連のハシゴを木によりかけた段階で、すぐ終る、とみえてくる。3日で全部の作業をおわらす。結局、親方をふくめた手元二人をつけて、すべて一人でのぼって切り下ろしたのだった。無事安全に作業をおえたとき、ピー太くんに感謝した。

こういう作業をしていると、かならず、「なんで切るんだ」「商売のためか」「ばかものめが!」と声をあらげたり嫌味をいってきたりする人がでてくる。原発作業員よりも、「ただちに」死ぬ確率は高いのだし、それは見ればわかるだろうとおもうのだが、いわゆるヒューマンな人たちには、同情の余地はないのだろう。自然というものに対する理念的な思い違い、自然(樹木)を剪定する技術にたいする無知、そういう理論的に簡単に反駁できるような議論はおいとくとして(「里山」がまったく自然ではなく、手を入れたものであることを考慮すればすぐに理解できること――)、問題なのは、切ってしまうという体制側の人間として、目の前の下っ端労働者がいる、ということである。この労働者の顔をまえに、単に「ばか」と言ってすませられるような態度なら、そうした人たちの反動を食らうだけだろうから、(左翼)実践としてはそれこそ「ばか」な観念インテリになってしまうだろう。しかし、<体制>と<人(労働者)>を分けて実践するような理論(やり方)を具体的に考えて整理し、それを区分け不能であらざるをえない現実の中で実践してみることは、複雑に錯綜した運動であるように思われる。しかしそうした理論的なおもいやりがないと、末端の労働者はすぐに観念の偽善(言葉が浮ついていること)に気づくし、意地(死ん)でも理念とそれに寄りかかる者たちを攻撃するだろう。それは、なお福島原発の現場にとどまり作業をおこなっている者たちに、商売のためか、利権のためか、「ばかものめが!」と嫌味を飛ばすことが世の中でどんな実践になりうるのか、と考えてみればわかるだろう。

……しかし、東京の植木屋さんの仕事も、庭木の手入れというより、こりゃ除染作業だな、と日々おもうようになる。雨どいの下だの、小学校の芝生養生シートとかに検出されてくる線量率の報道に接していると、あまり事故現場30キロ圏内とかわらない。そういうところを、マスクもせず、箒やブローで埃をもうもうと噴き上げて掃除しているのだから、若い人の間では、数年後になんか症状がでそうな状態だ。しかしそのときでも、われわれ労働者の被曝が話題になることはないだろう。むしろ、体制に屈従するしかないバカな怠け者だからだろう、とおもわれるのだろうか?

*東京の都の許認可を受けて営業している植木残財処理場では、チップにした木材のはけ口が流通ストップしているために、残財の山となっている、と捨て場にいってきた職人が言っている。どうも、普段は牛の敷き藁や堆肥としてリサイクルされるようになっているのだが、牛が被曝するというので、東京のそれは引き受ける農家なり業者がいなくなっているのだ。都がどういう対策を考えているのかわからないが、牛ではないヒトであるわれわれは、それでも住民の苦情処理のためにと、せっせとあいかわらぬ除染剪定をしている、ということになるのである。

2011年11月3日木曜日

科学と文体

「母親は、人生の意味を失ったりはしていない。「死因は真性白血病」と書かれた死亡診断書を見せながら「私は原発には絶対反対です。ソ連の原発はすべて閉鎖してやりたいです……」と言う。「私の娘は助からなかったけれど、どうか他の子供たちは助けてやって下さい。私もこれからは他の子供たちを助けていきたいと思っているのです」と言った。私ははっとして彼女の顔を見る。とても今子供を亡くした親の言葉とは思えなかったのだ。でもそのような思いなしには、娘の死が犬死になってしまうと考えたに違いない。娘が浮かばれないのだ。娘の尊厳を守るためにも、悲しみを克服するためにも、人は他の人々の悲しみと希望とつながろうとする。」(広河隆一著『チェルノブイリ報告』 岩波新書)


「どうやって新しいネコを見つけたお話ししましょう。私のワーシカがいなくなってしまったの。一日待ち、二日待ち、一ヶ月待った。私はひとりぼっちになるところだったよ。話し相手がいなくなるところだった。村を歩き、ひとさまの庭でネコを呼んでみた。「ワーシカ、ムールカ……ワーシカ! ムールカ!」。私は歩きに歩き、二日間呼びつづけた。三日目に店の近くにネコがすわっておりました。目を見つめ合いましたよ。ネコもうれしそうだったが、私もうれしかった。ネコはことばがしゃべれないだけなんですよ。「さあ、おいで、うちに行こう」。すわったまま「ニャー」。なんとかして説得しようと思った。「こんなところにひとりでいてどうするんだい? オオカミに食われちまうよ、殺されちまうよ。おいで、私のうちには卵やサーロ〔豚脂身のベーコン〕があるよ」。私が先にたって歩くとネコがあとからついてくる。「ニャー」「お前にサーロを切ってあげようね」「ニャー」「ふたりでくらそうね」「ニャー」「お前の名はワーシカだよ」「ニャー」こうして私らもうふた冬もいっしょに越したんですよ。」(『チェルノブイリの祈り 未来の物語』スベトラーナ・アレクシェービッチ著・松本妙子訳 岩波書店)

子供の誕生お祝いにと、インコを買った。青い鳥だ。ピー太くん、と呼んでいる。生まれたてから育てたので、今は手乗りになっている。子供はすぐに手でつかもうとするので嫌がってなかなかよりつかないが、私とは、朝食のトーストをいっしょに食べ、夕食ではこちらの箸の上にのってバランスをとっている。なんでまた急に小鳥を飼うことにしたのかは知らないが、女房の子供の頃になにかあったのかもしれない。寝言で、鳥に「ごめんね」とあやまっていた。私も父親が好きなので家にはいつもい、今でも実家では飼われているが、自分が可愛がって育てた、という記憶はない。ある時の文鳥は、やたら増えていったという記憶と、あるときは青大将にみんな飲み込まれてしまって、鳥籠の巣の中で、腹を膨らました蛇がどぐろを巻いて寝ていた、という思い出がある。しかしこう中年の大人になってから飼ってみると、言葉が通じない、だけど擦り寄ってくる、気まぐれだけど他意がない、というようなところからか、人あいてよりもずっとこちらの感情を移入できるようなきがしてくる。先月の志村動物園のテレビで、震災写真としても印象に残った、瓦礫のなかにうずくまって泣き叫んでいる若い女性の写真、傍らに赤い長靴……のは、実は肉親等が亡くなったからではなく、自閉症的だった自分と出遭って一緒に暮らすことになった捨て犬がいなくなって、というのだった。私は一瞬拍子抜けしたが、小鳥を飼ってからは、むしろなおさらそれ故に、と思うようになっている。幸いその犬は無事で、数キロ先の流された家の前で、ずっとその女性を待っているところを保護されたのだそうだ。……緊急避難ということで、飼い牛を置き捨てて逃げなくてはならなかった原発事故現場の農家の気持ちとはどんなものだろう?

低レベル放射能は危険視しなくていい、積算100ミリシーベルト未満に憂う必要はない、という臨床医、現場の医者の意見もある。その一人である東大病院の中川恵一氏の『放射線のひみつ』(朝日出版)を読んでみる。その主張の依拠するところには、疫学的統計事実だけではなく、生態的な文脈もがあるようである。――「しかし、私たちの細胞は、放射線によるダメージに「慣れて」います。そもそも、生命が地球上に誕生した38億年前から、私たちの祖先はずっと放射線をあび続けてきました。放射線によるDNAの切断は、突然変異を誘発する原因の一つですが、突然変異が起らなければ進化が起りません。自然放射線の存在は、進化の原動力とも言えるかもしれません。」

こうなると、やはり素人は不安になってくる。放射性物資の存在が限りなく消滅し、やっと低レベルな放射線量になったからこそ、その地球の表面にだけ生態圏ができ、われわれ生物が生きていることができる、というのも事実だからだ。「慣れて」いるのも事実かもしれないが、その影響がなくなってきたから我々は生きている、というのも事実だろう。どっちが<科学>なのだろうか? どっちの真実も科学なのだろうか? 事実としては、どっちも信用できそうだ。ならば、なのに、どうしてこうも対応(実践)の物言いが正反対になってしまうのだろうか? その現実(錯綜)を前に、不安と混乱にならない人がいるだろうか?

私、あるいは我々が、どう生きたいのか、その倫理・思想的な立場、前提(原理)があらかじめ決められていないと、事実もまた扱うことができない、ということの確認なのかもしれない。「事実というものはない、あるのは解釈だけだ」といったニーチェの近代批判の哲学にあるような。しかしまた、思想とは、そう明確な内容にあるものではないとしたら? 私の読んだ感じでは、つまりその文体から判断すると、意見が正反対な、低レベル放射線を問題視する小出氏とそうはさせまいとする中川氏は似ており、これまたそう意見が正反対な武田氏と山下氏が似ている。前者たちは誠実だが、後者たちにはいかがわしきところがみえる、というのが私の文学的判断である。前者には思想があるが、後者にはない、といってもいい。それは言っている内容や論理からくるのではなく、その物いいの力、感触からくる。読書量の少ない人たちはそのような判断の仕方をしないのかもしれないが、世間ではみなそうやって人を洞察しているはずだ。つまり言っていることではなく、その言い方によって。だから私は、言葉に誠実な小出氏と中川氏の両方をとる。反原発の立場をとりながら、放射能におびえない、ということだ。そしてその静かな覚悟、受容とは、つまり受苦的な思想とは、原発事故で愛娘や愛ネコをうしなった母親やおばあさんの、あの冒頭引用した言葉の姿勢に近いものなのではないだろうか?

2011年9月21日水曜日

口先と存在(デモと現実)

「夢の中で息子の声が響いたということは、父親には、こどもの身体に火が燃え移ったことよりも恐ろしいことだった。だからこそ、夢は耐え切れず破れたのだ。父親は目覚めると駆けつけて炎を消しただろう。だが、彼の内側に飛び火して燃えているその恐ろしいものがそれで消えたはずはない。息子の声はなおも父親の胸を抉るものとしてくすぶり続けただろう。ならば、夢から飛び火したそれは、蝋燭から息子に火が移ろうとしていた現実よりもリアルな出来事ではないか。ドストエフスキーの「おかしな男」も言う。「彼らはわたしをからかう、だってそりゃ夢にすぎないじゃないか、と。だが、この夢がわたしに大文字の真理を告げ知らせてくれたのであれば、夢であるかないかなど、どちらだって同じではないか」。ちなみに、ここで「真理」とは「おのれみずからのごとく他を愛せよ」なのである。」(山城むつみ著『ドストエフスキー』 講談社)

子供たちはキラキラしている。日曜日のサッカー練習から帰ってくると、一希は突然声をあげて泣きはじめた。ミニゲーム練習直後のミーティングで、いつのまにかディフェンダーをまかされてしまうチームメイトの男の子から、ずばずばと欠点を指摘されたのだ。いつもおとなしい彼の、突然の口火は、一希をびっくりさせただろう。その前日の試合は、監督からじきじきに、20年来使っているという黄色いキャプテンマークを託されて望んだのだった。しかし低学年とはいえ背も大きく、ひとりひとりが自分の役割とボールへの執着を覚えはじめている新宿のクラブチームとの戦いは、さんざんだった。一勝ニ敗。簡単にドリブル突破ができないことに直面すると、一希の足は呆然としたように鈍くなる。守備にも走らなくなる。そうなれば、常に自陣に追い込まれ、シュートの応酬だ。後半はキーパーにまわさせる。中心選手がいなくなったチームメイトは、なんとかパスをまわしはじめてサッカーらしくなってくるが、前に進んでいかない。シュートの応酬はさらに増える。キーパーとして一希は相当はねかえした。そして自分のいないフィールドで、今まで活躍を抑えられていた他の子どもがなんとかシュートを決める。ベンチコーチを任された父親としては、そうやって一人一人がゴールを決め、一皮向けて成長していく環境を作ってやる。しまいにはベンチに控えさせられて、「俺をださせてくれ!」と訴えはじめた一希を、若いコーチが出場させてやる。やっと切れがもどって決勝点を決める。しかしまた、一希のドリブルがはいると、チームとの連携がその分遅くなり、なおさらドリブルも思い通りにいかなくなると、力を抜いて足が止まる。「交代させるぞ!」私はおもわず叫んでいた。この身体的怒りはどこからくるのだろう? サッカーをやったこともない私が、サッカーコーチや父兄からベンチを任されたのも、自分の子供をえこひいきせず、他の子供たちと公平にみられる「大人」であるからだろう。しかしその公平的な感覚が、どこからくるのか、と内省してみると、それは私にも覗けないおぞましい世界からやってくるようにおもえる。

一希はいわば、自分の足元しかみえないいまの身体的くせと、他の子供の身体との連携をどうするかでとまどっている。すぐボールのまわりで団子になる(他の子のボールを横取りしにいく)その様を、後でみていたおとなしい子に指摘されたのだ。泣きじゃくる一希にむけて、私はいう。「弱い子は、よくみえているんだよ。口先でいっても、人の心は動かないよ。人をなめていはいけない。いっちゃんはキャプテンに選ばれたんだよ。」……しかし実は、私はこの言葉を女房に向けて投げていた。二人の性格に似ているところがあるからかもしれない。口先がうまく都合がいいというか……。私は、女房と市民活動への関わりの自己欺瞞を指摘していたのである。いまおまえが、子供の給食の放射能がどうの、東北支援がどうの、公園の草っパラや生活クラブでの活動がどうの、といっても、ではおまえの当初の反応、初動体制はどうだったか? 私がフクシマ原発は爆発するかもしれないと、団地トイレの自然換気口をハンカチと新聞紙で目張りしているのをバカにし、しかも4月に入るやそのハンカチを私への嫌がらせのように登校する子供にもたせ、家での団欒で子供がプールの水を抜く前にみんなでヤゴ捕りやったというのを聞いてびっくりして女房に確かめると「だからなに? 心配なら自分で抗議にいけ」と無関心。が、だいぶあとで、関わる市民グループの間でも問題化したのか、なんだかおまえが一番口だけ達者係りなようだ。しかし、他の人たちはみえているんだぞ、それがどんな動機からきているのかを。親方の息子は、女房を評そうとして口をにごらせたことがあった、私は推論した、言いたかったのは、「お嬢さんなんですね」、ということだったろう。おまえが生活クラブにいるのも、その階層にいることでなにか回復させたい自己があるからなのだ。自分が水俣病をおこしたチッソの役員の娘であり、通産官僚族の親類世界にいたことがまず自らの身体反応を作っているのだ。おまえが事故当初、東電びいきな判断をしていたのは、自分のそんな子供時代の何かが壊されるからなのだ、そしてその破損を修復するために、市民左翼的な階層に参加しえている、根源的な反応(身体のくせ)をごまかすために、原発事故の事象を利用して騒いでいる……そのことを、「お嬢さん」ではない参加者たちは見抜いている。人をなめてはいけない。しかしまた、現に大学での「お嬢さん」階層に属しているエリート旦那の奥さんがたは、おまえがそこにいることに違和を抱いているだろう。おまえの自意識がどうであれ、もはやおまえは末端の労働者の女房なのだ。そう存在してしまうことと、自分がありたいこととの意識とのズレを自覚できないとき、人はイデオロギー(口先)に染まる(陥る)のである。――「運動の指導者になりたい人たちはたくさんいます。この人たちはテーマは何でもよいのです。人をたくさん集めて何かをする大衆運動が好きなのです。これは、集団行動するサルの習性ですから、人がこのようにするのは当然で、非難すべきことではありません。」(槌田敦著『エコロジー神話の功罪――サルとして感じ、人として歩め』 星雲社)

泣きじゃくる子供と、熱中症で熱があるとその子を抱える母をあとにして、私ひとりで、9/19日の「さよなら原発」のデモにいってくる。人よりも、私には、のぼりの旗がめだった。そのためか、ここは、時代劇によくみる、戦国時代の戦場というか、その歴史に従属している空間であるようにみえてきた。私がここにいることは、何事であろうか? どういうことであろうか? 「福島県の子供たちは、熱中症にもなれないんだぞ。自分のことばかりではなく、パスをだすんだ。」そう子供にいうことで女房に言い聞かせて家をでた私は、のぼりで埋まる空間に埋まっていた。「自分を愛するように隣人を愛せ」……あの怒声、身体の反応、他の子供たちとの公平の感覚は、どこからきたのだろう? 私はその試合中、私が少年野球をしていたときの父との関係を思い出した。監督をしていた私の父親も、むしろ息子には厳格だったほうだろう。ならば、父はなぜそうなのか? 私はこの怒り、不公平感を、三人兄弟のなかで、女の子代わりになっていた私への母のえこひいき――こっそりお菓子をくれるとかの――に原因をさぐっていた。ならばその怒りとは、「私を男としてあつかえ!」ということなのだろうか? 「女(娘)として支配しようとするな!」ということなのだろうか? 女房(娘)とその母との関係は、まさに長女と母とのすさまじき関係であり、あったようである。会えば喧嘩する。その娘を、私よりも10歳以上も年上のその女を、私は「妹」と感じていた。そう暗示したいつかの発言を、女房は理解したと暗示してきたことがあった。つまりわれわれは、親子という縦割りの関係を出た者どうしの、「兄ー妹」という、連帯的な同志関係の感性として築かれたのである。女房の気性の振幅は、だから私が「男=支配」から降りたところからきているのかもしれず(つまり私を「女」として認めろ! あるいは老いへのあがき…)、逆に、それでいて、私が「男=支配」として出現することがあることからの嫌がらせ(こちらに気づかせるためのあてこすり)、ということなのかもしれない。……となれば、身体からの怒りとは、公平を要求する女たちからの怒りなのかもしれない。それが、父という審級を貫いてやってくる。「自分を愛するように隣人を愛せ」。……腰を痛めて原宿駅で脱落した私は、家に帰って寝転びながら、図書館から借りて読みかけの、冒頭引用の山城氏の『ドストエフスキー』を読んだ。そのイエスの「愛」の言葉が、「復活」という現実に結びついているという論理に目が覚めて。この3.11の大災害で、わが子を失った父親の嘆きのなかに、わが子の「復活」が現実でありうることを知って。

<『ヨブ記』にあるのは《邪悪で不正な人々が安逸を貪っているすぐ傍らで、善良で正しく生きようとしている人に災厄が降りかかるというような不公平がこの世に存在するのはなぜなのか》という、この問い以外はすべて神学的なおしゃべりにすぎなくなってしまうような人生の難問だが、『カラマーゾフの兄弟』はこの問いの全重量を《何の罪もないこのこどもに災難が襲いかかるのはなぜか》という一点で支えようとしている。…(略)…《ほかでもないこのイリューシャにこのような不幸が降りかかってこの子が死なねばならないのはなぜなのか》。これはヨブの《なぜ》である。むろん、そこに理由などない。ただの確率的問題があるだけだ。しかし、そんなことは分かっているのだ。分かっていても《なぜ》は消えないのだ。否応なく確率的位相に放り込まれ、それにほんとうに苦しんでいる人は、世界の基底に確率性を見出す洞察で満足したりはしない。…(略)…それは《私のこどもが私のこどもであるのはなぜなのか》と問うことに等しい。親子の愛が問題なのではない。モラルではなくて「存在」が問題なのだ。…(略)…「ぼくは死んだら、いい子をもらってよ、ほかの子を……あの子たちの中からいちばんいい子を自分で選んで、イリューシャと呼んでさ、ぼくのかわりに愛してあげてよ…」(略)…「ほかの子」にはどの子がなってもいい。…(略)…十二人ほどのこどもたちのうちどの子でもかまわないのだ。彼らは今、追善供養のプリンを食べるためにスネギリョフの家に戻ろうとしている。「こどもたち」というルーレットは、アリョーシャを中心に水平に回転している。盛んにはじけ飛んでいる玉もやがては静止するだろう。どの子の上で玉は止まるのか。繰り返すが、どの子でもありうる。しかし、だから賭けるのがルーレットではないか。カルタショフ少年に賭けよう。こどもたちは、ヤシの木のまわりを高速度で回転したトラたちのように、すでに個体性を失ってバターのように流動しているが、それでもカルタショフ「らしい」ひとりの特異性(単数性)は聞き分けられるのだ。ちょうど新生児室の赤ん坊たちはどれも似たりよったりで個体性をほとんど持たず識別不能だが、笑顔ひとつ、泣き方ひとつ、しぐさひとつ、しかめている顔ひとつとってもどれひとつ同じものはなく、それぞれ異なる単数の出来事が不断に感受できるように。カルタショフ「らしい」その「ひとり」が、スネギリョフにおけるイリューシャという固有名のアクシスを寸断し「わが子」という絆を断ち切って介入するならば、そしてスネギリョフとイリューシャとの親子関係を任意の「こども」との関係として全く新しく再組織するような「邂逅」を来たしさえするならば、その場合には、死後に「別の世界」で蘇生などしなくても、「この世界」の中の非ユークリッド的な地点でイリューシャの「復活」は起こるだろう。逆に、たとえこどもたちとスネギリョフが死後のいつか、ふたたび生を受けて死からよみがえり、もう一度、イリューシャと会ってうきうきと語り合えるとしても、平行線が交わるような非ユークリッド的「邂逅」が「この世界」において起っていなかったのなら、死後の世界でのそんな蘇生があっても何の意味もない。こどもには「別の世界」は問題にならない。「この世界」だけが問題だ。こどもが生きている、どんな目的もどんな終わりもない世界が「この世界」なのだ。残忍でありうる力によって善良な彼らは、その善良でありうる力によって残忍さにまみれながらもこのエンドなき世界を、疲れを知らずに動きまわっている。不定冠詞のこども(a child)の場所は定冠詞の世界(the world)だけなのだ。>(前掲書)

2011年9月10日土曜日

自由(=自治・主体)へ向くまえに(=ために)

「ワールドカップの優勝国には、共通点があるのを知ってますか?」「歴代優勝国は、すべて自国の監督が率いているんですよ」「南アフリカでの岡田監督は、土壇場の決断力でチームをベスト16まで持っていってくれた。自国の監督というのは、ワールドカップの結果に関わらず、大会が終っても自分の国に住むわけですよね。代表監督の仕事ぶりによって、自分の価値が上がることもあれば、ひどく傷ついてしまうことだってある。背負うものが、ものすごく重いんです。一生を賭けていると言ってもいいぐらいで。その一方で、外国監督はどうか。そこまでのリスクはないわけです。契約満了となれば、自分の国へ帰っていく。街を歩いていても、指をさされるようなことはないですよね」「ワールドカップという舞台のパラグアイ戦のようなゲームが、最後の最後の土壇場になってくると、メンタルが戦いの成否を分ける。本当の意味でチームがまとまって、心がひとつになっているか。最後の一滴までエネルギーを絞り出せるか、というところにかかってくる。覚悟を持って戦うチームが勝つと思うんです。その覚悟はどこから生まれるのかと言えば、自分が育ってきた国や生まれ故郷への誇り、自分が育ったチームの監督、自分の家族に対する責任、応援してくれる人たちへの感謝といったものです。ワールドカップの優勝国がすべて自国の監督に率いられているのは、自分たちのDNAに訴えかけるような一体感があるからだと、僕は思うんです」(山本昌邦・戸塚啓著『世界基準サッカーの戦術と技術』 新星出版社)

前回ブログを引き継いで言えば、マッカーサーをマレ人とみる民俗学的見方がかつてあったかもしれないとしても、われわれがそんな素直に来客を神としてあがめられる意識を維持しているわけでもなく、むしろ、外人頼みではあまりに情けない、という世俗現実主義なズレの意識をいまや抱え込んでしまうのが、とくには敗戦からの高度成長を成し遂げた日本人の感性として普通であるだろう。しかし、ということはやはり、そのズレには、つけ込まれる弱さがある、ということも確かだ、ということだ。この主体性(決断力)ということに関し、次のような分析整理を引用しておこう。

<ただし、菅首相は、一度だけ、一瞬だけ、レーニンのように振る舞ったときがある。浜岡原発の稼動停止を要請したとき――というより事実上命令したとき、である。このとき、首相は、自分より上位の審級に、停止の許可を求めようとはしなかった。純粋に自分自身で決断し、自分自身によって自分の命令を権威付けたのである。浜岡原発への停止要請によって、国民の脱原発への支持率が一挙に上昇した原因は、この点にある。その瞬間だけ、国民は、新しい第三者の審級が出現し、脱原発へと向けた実効的な行動を許可しているのではないか、と感じたのだ。>……(この箇所への註として)<菅首相が浜岡原発の停止を要請したのは、アメリカ政府からの圧力があったからだ、と述べている者もいる。私には、真相はわからない。いずれにせよ、「総理の中部電力への要請=命令がアメリカの指令に基づいているように感じられた」という事実は、ここでの私の主張を裏付けるものである。確かに、もしほんとうにアメリカ政府の圧力が理由で、首相の要請が発せられたのだとすれば、「首相は上位の審級の意向を顧慮しなかった」という認定は事実に反するものとなろう。この場合、第三者の審級は、言うまでもなく、アメリカである。しかし、仮にそういうことがあったとしても、そのことは一般の国民にはわからないことだ。むしろ、多くの国民は、菅首相が中部電力への要請を表明したとき、首相のところに第三者の審級が降臨しているのを直観したのだ。その上で、その第三者の審級と菅首相とを重ね合わせることがどうしてもできなかった一部の国民は、首相のさらに背後に本当の第三者の審級を――アメリカという形態で――見出そうとしたのである。「アメリカ云々」の噂がかなりの人に説得力があるように感じられたという事実こそ、むしろあの瞬間(だけ)菅首相の身体の場所に第三者の審級が現前しているのを多くの国民が感じていたことの証拠である。>(大澤真幸著「可能なる革命」第3回 『atプラス09』太田出版)

私の情勢認識は大澤氏のものとは違うが、その問題設定は共有することができる。当時のこのブログでも発言したことだが、私は、菅首相の決断は中途半端なものであり、「要請」という他人に下駄をあずけるような形式自体がいかにも日本的な曖昧さをなぞったもの。が、法的にそんな権限が総理にもないというのならば仕方がない、勇断だ、というものだった。(が後に、環境エネルギー政策研究所の飯田氏の指摘によれば、「要請」ではなく、端的に「命令」することも法的には可能だったそうである。)世論調査の脱原発支持率上昇ということにしても、それはそんな首相の決断とは関係なく、被災避難する福島県の人たちの惨状が、関西方面の人にもわかるようになってきたから、というものである。またアメリカの介在、ということに関しても、私は副島氏が、官邸の後にあるホテルから通じた秘密地下通路を行き来し、大統領からの全権委任を受けた〇〇という政治家が様々な支持をだしているのだ、という話も、明治以降の日本の歴史や、現今の他の第3世界や被植民地国の様を想像すれば、十分ありうることだと認識する。しかし、現実の問題とは、そうした事実にはない、あるいは、それではすまされないと認識するがゆえに、私は大澤氏のような問題設定を共有するのである。しかしまた、その現実設定が、事実(裏話)をいかがわしき噂として見向きせずともよい高尚なものだ、ということでは全然ない、と考える。なぜなら実践とは、単に下世話で世俗的な次元においてしかありえないからだ。人々がデモをするのは、政治家の行きすぎた賄賂といった腐敗、官僚や財界人の行きすぎた内輪びいき、自治を阻害する行きすぎた権力行使、こういったありきたりのものに対してだろう。こうした世俗の活動なくして、われわれの精神は健全さを保てない。つまりそこにこそ、逆に現実的なものへのアプローチが実践的につながっている、ということなのだ。
ラカン派の精神科医というべきなのか、斉藤環氏は、次のように発言している。

<しかし人災としての「フクシマ」はそうではない。それは予防可能な人災でありながら、いまだ測定不可能な被害をもたらした。この測定不可能こそが潜在性の領域であり、それゆえこの潜在性は、その意味も定位も定かではないまま「フクシマ」という表記のもとで象徴化される。これこそが潜在性の現実化にほかならない。/「フクシマ」の潜在性は、われわれの「日常というプログラム」を書き換える。この日常の多層性に”放射能というレイヤー”が強制的に挿入されたのである。さきに引用した浅田彰の言葉に戻るなら、この日常の多層性は「フクシマ」によって豊かにされた、と言うべきだろうか。/たとえば「分裂病」のような、完全には予防不可能な潜在性の問題については、そのように言いうるかもしれない。現実的には治療の対象でありながらも、その存在そのものは「肯定」するほかはないということ。逆説的な言い方になるが、こうした肯定のもとにおいて、分裂病の治療という「可能性」について、われわれは考えることができる。/しかし「原発事故」はそうではない。それは予防可能な潜在性の「現実」化にほかならず、まさにその予防可能性において「否定」されなければならないからだ。…(略)…ならば、はたして被災した時間は修復できるのだろうか。最大の処方箋は”政治”しかない。全面的な脱原発へと向けた現実的選択へ踏み切ること。それは科学ではなく思想の選択であり、論理性よりも象徴性を優先させる選択でもある。だとすればそれは、はっきりと政治の領分なのだから。/繰り返し強調してきたように、もはや原発との共存は、少なくともそれを選択することは、この列島においては、分断された時間と破壊された想像力を温存することしか意味しない。だとすれば、何の恥辱も感ずることなしに、そうした選択は不可能である。/ふたたび「未来」を回復するには、われわれにはまだ「時計の針を巻き戻せる」ことを示す以外に手段がない。そのための脱原発であり、かくして「フクシマ」の潜在性は、このうえなく強い否定のもとで象徴化されるべきなのである。>(「”フクシマ”、あるいは被災した時間」『新潮』2011.9月号)

あの宝島社のマッカーサーの広告をみて、もはやイロニーに陥らず、それがなんのことかわからない、その白痴的な健忘症を手に入れたとき、私たち日本人は健全になるだろう。つまり過去から自由になるためには、ひとつひとつの段階をクリアし、日常において自信を回復させていくしかない。被災避難したフクシマの農家が被曝した牛を連れて東京の街中をデモをする。それがまったく健全な道筋であることをわれわれは疑えない、そのように、もはや当事者としてのわれわれが、街中の闘争で勝ち、自信を反復させていけるかが、現実(潜在)的なものの領分(最後の審判=審級)をこの世界に降臨させるのである。