「ただでさえ山賊などの多い鈴鹿の山を、飼いならした馬に銀の鞍を置いてお乗りになったのでは、かえって道中の邪魔になろうというので、御馬は宿の亭主に与えられ、座主は裾を引いた長絹の法衣に、檳樃創りの裏なしの草履をはかれ、経超僧都は衵のうえに黒衣をまとい、水晶の珠数を手に持たれたが、もう足も進まないそのありさまを見ては、誰しもこれは落人だなと思わない者があろうはずもなかった。それでも日吉山王権現の御加護によるのだろうか、路上に出会う木樵や草刈などが御手を引き御腰を押して、宮はことなく鈴鹿の山を越えられたのであった。」(「太平記」 『日本の古典15』河出書房新社)
雨つづきの日、ホウ・シャオシェン監督の映画『黒衣の刺客』を見に行く。
上映時間までまだ余裕があったので、紀伊国屋書店に立ち寄る。哲学関連コーナーは、「戦争」にまつわる本が集積されている。もうすぐ戦争が起きるぞ、といわんばかりに。立ち読みで同感した意見は、佐藤優氏の、「もう世界大戦ははじまっているのかもしれません。」というもの。ならばすでに時機を逸しているのかもしれないが、この「戦争」にまつわる特集をのぞいていると私の頭も混乱してきて、三冊ほど買うはめになる。古市憲寿著『誰も戦争を教えられない』(講談社α文庫)、小熊英二著『生きて帰ってきた男』(岩波新書)、西谷修著『夜の鼓動にふれて』(ちくま学芸文庫)。
そうして、映画を観た。
新聞の紹介などでは、物語性は希薄で、映像美でみせる趣向、という論調が目立ったが、私には、これは明確に政治的なメッセージだろう、とおもわれた。現今の、とくには東アジア情勢に対する、いち芸術家の応答だ。それは、単純に、ストーリーをおってみればわかる。
中国は唐の時代。辺境に接する地方では、中央から派遣された節度使(県知事のようなものだろう…)が独立的な動き、勢力をもち始めている(現今の中国も、そうであろう)。中央と地方の平和維持のため、独立的な節度使を暗殺する動きがでてくる。その節度使と従妹であり婚約者でもあった女刺客は、なかなか殺せない。節度使である夫を操ることで権力を維持しようとする正妻は、懐妊した側室を参謀の西洋人らしき男を使って暗殺しようとするが失敗し、影であやつる参謀は殺される。その正妻―西洋人参謀は、辺境に左遷されてゆく女刺客の養父の暗殺も企てていたが、その危うい現場で、遣唐使としてきていた日本人青年の果敢な介入もあって失敗する。女刺客は、節度使を暗殺する密命を辞退し、その現場で出会った日本人青年を、新羅まで送る仕事に同行する。その最後の出発シーンで、はじめて刺客は笑みをみせる。
映画おわって、幕に出演者のリストが流れるさいのバック音楽には、映画中、独立的なシーンとして挿入・演奏されていた、唐の踊りと日本の舞い、いわば唐の楽と雅楽とが融合された音楽がながれていた。ということは、この映画の主張、願いもまた、そういうことだろう。中国、朝鮮、そして日本と、仲良くやれ、いい関係はできるはずだ、われわれはすでに、そうした歴史文脈をもっているではないか、ということだ。
こうした政治的メッセージ性を、映画の物語背後に感じたのは、2003年に日本公開された、張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『HERO(英雄)』以来だ。あれは、中国の天安門事件に対する応答だった。興味深いのは、どちらの著名監督も、「刺客」(テロリスト)をとりあげていることだ。ここには、司馬遷の「史記」以来の、なにか中国の伝統的な文脈があるのだろう。そしてその刺客の視点を通して、現権力を、暴力的・暴言的に批判するのではなく、自分たちの正統的な歴史的振舞いを喚起することで、戒める、権力の方向性を誘導修正させていかせる意図をもつような、どこか冷静・沈着した姿勢を感じさせる。
雨のなか、同じ新宿の通りでは、安全保障関連法をめぐる、反対デモ行進があったようだ。少なくとも、今の私は、とても今の反戦デモみたいなものに参加しようという気が起きない。理由はよくわからないが、気分がおきない。すでに、世界大戦ははじまっているよ。現憲法護持下でも。そしてならば、戦争にはしっかりと参加しなくてはならない。個々人の意志と考えで、参加しなくてはならない。シリアからの難民を受け入れる体制を表明したらどうか、という意見が出ているが、そうした意識が、参戦態度というものだろう。戦争に参加すること、おそらくはどうも、それだけが、人類を反戦させる経験意識を高じさせるのだから。反戦している自分は、戦争には無関与な正当性を握っているという意識で国民の大半がやり過ごすなら、また日本は世界から取り残され、遅れた意識のまま孤立するしかなくなるだろう。というか、そういう、敗戦ではなく、終戦被害者意識が、そのカラクリが、いまのデモに結びついているような気がする。それは、かつての世界大戦でさえ、ひとりひとりが、しっかりと参戦できてこなかったことを意味しているだろう。
われわれは、またその過ちを、繰り返すのだろうか?
関連 ダンス&パンセ2004 11/11
2015年9月20日日曜日
2015年9月2日水曜日
日本少年サッカーにおける文化的現状
「そもそも、日本の文化領域においては、ハイカルチャーだろうとサブカルチャーだろうと、日本に「なる」ことに尽力するよりも、むしろ日本ならざる何かに「変身」することに高い評価が与えられてきた。…(略)…しかも、問題なのは、こうしたモラルも目的もない変身願望がいわゆる「神国」思想と平気で両立することである。日本はしばしば別物になりたがる。しかし、その変身願望の背後には、海に囲まれた日本の同一性が脅かされることは決してないという暗黙の安心感がある。日本が唯一無二であることは厳密に証明するまでもなく、当然の前提として捉えられているから、いくら変身願望を語ってもアイデンティティーの真の危機に見舞われることもない。逆に、この「自然」な唯一無二性に頭までどっぷり浸かってしまえば、むやみに高い自己評価――神国日本――が出現するのも、ある意味で当然のことだろう。したがって、日本以外の何ものかに変身したがることと、日本を無反省のままに唯一無二の神国と考えることは、結局コインの裏表だと言わねばならない。そこに欠けているのは、日本が長年かけて蓄積してきた経験とは何であり、そのストックを現代の課題とどうぶつけていけばよいかを考える、粘り強い「証明」の作業なのである。今日、日本について思考することは、一所懸命に日本に「なる」というアクションを含まねばならない。」(福嶋亮大著『復興文化論 日本的創造の系譜』 青土社)
先月末に、U-12ワールドチャレンジ2015大会が行われ、その準決勝からの試合を、同じ年代の新宿代表の子供たちとみた。準決勝で東京都選抜がバルセロナFCに1-1の末PK戦で勝ち、決勝では、同じくスペインはカタルーニャ地方からきたエスパニョールに0-0のあとPK戦で敗れた。私には、これは東京都選抜を日本育成現状の象徴と考えるなら、バルサに勝ったからといって、とても喜んでいられはしないだろう、というのが第一印象だった。その印象はすぐには言語化されなかったが、トレセン制度から即席的に選んで一週間の仕上げで大会に臨んだ指導者たちも、おそらくそうした危機感をもったのではないか、ということが、大会後の取材記事で想像される。
バルサ以外のチームは、まあ小学生の上手な子たちのチームだな、まだボールコントロールのミスも目立つし、という感じだ。一方バルサだけは、もうプロそのもの、ただそのレギュラーにはなお遠いだけだろう、といった感じだ。1対1での駆引きを含めたボールコントロールのレベルが違う。ミスがほとんどないように見える。これでスピードとパワーがついてチーム戦術的な動きがマスターされたら、とても太刀打ちできず、ボールに触れなくなるんではないか、という恐ろしさ、つまり彼ら子供たちの伸びしろが強く感じられてくるのだ。逆に他のチーム、とくに選抜東京チームは、理屈的にはなおボールコントロールレベルでまだまだなのだから、伸びしろはこちらのほうがあるはずなのに、そういう風な印象を受けない。もうこの子供たちは目いっぱいなんではないか、と心配されてくるのである。東京選抜の子供たちは、本当に必死になって、フィールドを走っていた。しかし、そうした全体的な印象に、躍動していくもの、大人として成長していく落ち着き、子供たち自身には意識できないだろう雰囲気的な何かが、生きていないのである。取材記事によれば、バルサおよび決勝でのPK戦でも、誰一人俺が蹴るといわなかったどころか、失敗を恐れ辞退したり、だったという。おそらく、各自が所属するクラブチームでだったなら、そんなことはなかっただろう。が、こうした重圧下で、彼らの意識を超えて出てきてしまうものがあるのだ。バルサの子たちは、PK戦になったとき、試合途中選手交代をめぐり中断があったのに、ロスタイムが少ないのはおかしいと猛然と主審、審判団へ抗議をはじめた。バルサのコーチは試合後のインタビューでそれを謝罪したが、規則を律儀に推進するよう試合進行する審判団をはじめ、むろん審判に異議など唱えない日本の子供たちとの違い自体は問題ではない。勝ちたいという同じ気持ちが、表にでるか裏に秘められるか、の違いだけだ。そして謙虚なのは、いわば日本文化の地としての表象であり、良さでもあるだろう。が、そうした遠慮、思慮深さ――自分が今感じている重圧ではPKをはずしてしまう可能性があると冷静に自己分析してしまう、ここは代表チームだから俺よりあいつが、あるいは誰が蹴っても、とまわりの空気を読み始めてしまう――、いわば内向的な在り方が、悪い方向で機能していく、させていく世の中の風潮、雰囲気が、各クラブの育成中に、すでにして挿入されてしまっているのだ。(そしておそらく、そうした子を選抜・スカウティングするようになってしまっている。)すべての試合に「負けられない戦いがある」と放映するテレビとうメディアの作る営業方針も、そうした風潮を地固めしているだろう。つまり、技術以前の在り方、いや正確にえば、技術を成立させる私たちの在り方自体が、おかしくなっているのである。
取材記事には、アルゼンチンからのチームのコーチの発言がある。南米、とくにアルゼンチンの選手は、球際で激しく体を入れてとりあう。ボールに足をだすのではなく、まずガツンと体を当ててくるのが習わしだ。が、そんなことは教えてはいないのだ、とコーチは言う。「それがアルゼンチンの文化なんだ」と。バルサの8番、これはこのチームにとって、伝統的にゲームメイクするのに特権的に選ばれた選手がつける背番号だ。今回のチームでは、とても背の小さな、ジャマイカ・レゲエー風の風貌をもった子だった。日本人の感覚では、とてもなぜ彼が中盤の底に選ばれているのかわからない。このわからなさは、こちらがサッカーをよく知らないことからくるだけではなく、バルサが勝ち負けを超えて、こういう持ち味をもった選手をここにおく、というポリシーを一貫させていることからくるだろう。その8番のチャビくん、東京戦で、ファールで勝ち取ったPKを外してしまった。それが、敗因の大きな理由となってしまった。3位決定戦では、ベンチスタートからだった。中盤の底には、6番、シャビではなくイニエスタの背番号をつけた大柄な選手がはいった。一見では、この選手のほうが機能しているようにみえただろう。が後半、チャビくんがはいる。コーチは信頼し、成長させようとしているのだ。試合まえ、ベンチに向かう途中、ずっとチャビくんの肩を抱きながら、優しく何かを語りかけながら歩いていった。その姿は、清水市での草サッカー大会での、生き残った少年団のコーチの指導姿を思い起こさせた。バルサも、いまのポゼッション・スタイルで、はじめから勝てていたわけではなかった。自分たちに何ができるかを検証し、その自覚のもとに子供たちから教え始め、たとえそれで負けても、基本原理・哲学を変えてはこなかったのだ。それが、第一世代的なシャビやイニエスタといった選手で花開いたのである。次には、その育成方に危機感をもったドイツが試みはじめた。それが、その第一世代的なゲッツェで前回のワールドカップを制した。かつては、小学生レベルでは、日本の子供たちは世界に負けていなかった。清水代表も、全勝で遠征から帰って来たのだ。だから問題は、それ以後に開き始める育成制度だと指摘されてきたのだが、そうした問題把握が間違っていることが証明されてしまっているのが昨今だということになる。ワールドチャレンジを戦った西が丘のスタンドには、バルサのスクールに通う子供・父兄ように、特別指定席が設けられていた。東京戦、そんな子供たちが、「バルサ! バルサ!」と応援コールをおくる。もしアルゼンチンからボカ・ジュニアーズのチームが来ていたら、南米コーチのラテンのノリで、踊るような声援や応援歌が聞こえただろうか? しかし、バルサをコールする声援は尻すぼみになる。おそらく子供たちは、東京(日本)相手に戦う自分たちの応援の在り方に、何か奇妙なものを感じ取ったのだろう。日本では、スペインのほかにも、オランダやドイツからのスクールがたくさん営業している。そうした風潮にのっかって、諸外国チームの一員として、日本に対して応援してしまう自分たちの存在のおかしさに、彼らは黙ってしまった、ということになるかもしれない。清水FCの代表チームに選抜されプロになり、ドイツでも活躍し、いまは川崎フロンターレの監督をしている風間氏は、サッカーは「一」を教えられれば、あとは教えなくとも二、三、四と覚えられてゆく(サッカーだけではないが…)、そして最初の「一」とは、技術ではなく、「物事の本質や人間というもの」なのだ、と発言している。スペインで教えられる「一」と、ドイツで教えられる「一」は違うのである。日本の大工や植木屋は、木を切るさい、ノコギリを引いて切るが、欧米では、押して切る。ノコギリの歯自体がそうできてもいる。純粋な技術などないのだ。ボールを奪う際にも、アルゼンチンは体を当てる、教えなくても、そのようにやってしまうようになる。チャビくんが一番評価されている能力は、セカンド・ディフェンダーとしてのカバーリングの予知能力だ。最初にボールを奪いにいったものの後ろにつくポジションニングのすごさ。しかし、ドイツでは1対1を重視するので、基本的にカバーにはいかないのだ。ならば、日本における「一」は? 私たちの原理とはなんだ? そのうち、まさにその「一」に迷ってチャランポラな戦い方をする日本代表チームがでてくるだろう。というか、もう出てき始めている、ということではないか?
私は、スクール的な方向、純粋技術を仮想している現状、その寄せ集め的な、「雑種文化」(加藤周一)をそのまま現状追認していく方向から、良いサッカー、面白いサッカーが出来上がってくるとはおもえない。審判に抗議したり、ファウルまがいのプレーを真剣さの証しとしてとらえて推奨しだす「変身願望」がいいとおもわない。中田英寿やイチローが説くように、謙虚のまま、大人しいままでいい。あんなのはベースボールじゃないと批判されても、イチローはポテンヒットや内安打を技術的に量産しつづけた。こんなのサッカーじゃない、と本場の人たちから言われても続けられる私たちの「一」とはどのようなものだろうか? 縄文時代からでなくとも、日本と総合されてもいい文化的なまとまりの歴史は古い。すでにあるに決まっている。風間氏も、それを当時の清水市の指導者たちに認めたのだ。しかしその在り方は、決して自然(条件、島国だからと)に、自明なものとして発生してきたわけではない。その継承者たちは、世相が風潮に負けて、実際の試合や大会で勝てなくなっても、「語り」つづけている。つまり現状に抗って。敗戦になった戦争を語りつづける生存者のように。あくまで、日本の文化も、いまある自然への抵抗としてだけ反復される。おそらくバルセロナFCも、そうやって自分たちを「復興」してきたのである。
先月末に、U-12ワールドチャレンジ2015大会が行われ、その準決勝からの試合を、同じ年代の新宿代表の子供たちとみた。準決勝で東京都選抜がバルセロナFCに1-1の末PK戦で勝ち、決勝では、同じくスペインはカタルーニャ地方からきたエスパニョールに0-0のあとPK戦で敗れた。私には、これは東京都選抜を日本育成現状の象徴と考えるなら、バルサに勝ったからといって、とても喜んでいられはしないだろう、というのが第一印象だった。その印象はすぐには言語化されなかったが、トレセン制度から即席的に選んで一週間の仕上げで大会に臨んだ指導者たちも、おそらくそうした危機感をもったのではないか、ということが、大会後の取材記事で想像される。
バルサ以外のチームは、まあ小学生の上手な子たちのチームだな、まだボールコントロールのミスも目立つし、という感じだ。一方バルサだけは、もうプロそのもの、ただそのレギュラーにはなお遠いだけだろう、といった感じだ。1対1での駆引きを含めたボールコントロールのレベルが違う。ミスがほとんどないように見える。これでスピードとパワーがついてチーム戦術的な動きがマスターされたら、とても太刀打ちできず、ボールに触れなくなるんではないか、という恐ろしさ、つまり彼ら子供たちの伸びしろが強く感じられてくるのだ。逆に他のチーム、とくに選抜東京チームは、理屈的にはなおボールコントロールレベルでまだまだなのだから、伸びしろはこちらのほうがあるはずなのに、そういう風な印象を受けない。もうこの子供たちは目いっぱいなんではないか、と心配されてくるのである。東京選抜の子供たちは、本当に必死になって、フィールドを走っていた。しかし、そうした全体的な印象に、躍動していくもの、大人として成長していく落ち着き、子供たち自身には意識できないだろう雰囲気的な何かが、生きていないのである。取材記事によれば、バルサおよび決勝でのPK戦でも、誰一人俺が蹴るといわなかったどころか、失敗を恐れ辞退したり、だったという。おそらく、各自が所属するクラブチームでだったなら、そんなことはなかっただろう。が、こうした重圧下で、彼らの意識を超えて出てきてしまうものがあるのだ。バルサの子たちは、PK戦になったとき、試合途中選手交代をめぐり中断があったのに、ロスタイムが少ないのはおかしいと猛然と主審、審判団へ抗議をはじめた。バルサのコーチは試合後のインタビューでそれを謝罪したが、規則を律儀に推進するよう試合進行する審判団をはじめ、むろん審判に異議など唱えない日本の子供たちとの違い自体は問題ではない。勝ちたいという同じ気持ちが、表にでるか裏に秘められるか、の違いだけだ。そして謙虚なのは、いわば日本文化の地としての表象であり、良さでもあるだろう。が、そうした遠慮、思慮深さ――自分が今感じている重圧ではPKをはずしてしまう可能性があると冷静に自己分析してしまう、ここは代表チームだから俺よりあいつが、あるいは誰が蹴っても、とまわりの空気を読み始めてしまう――、いわば内向的な在り方が、悪い方向で機能していく、させていく世の中の風潮、雰囲気が、各クラブの育成中に、すでにして挿入されてしまっているのだ。(そしておそらく、そうした子を選抜・スカウティングするようになってしまっている。)すべての試合に「負けられない戦いがある」と放映するテレビとうメディアの作る営業方針も、そうした風潮を地固めしているだろう。つまり、技術以前の在り方、いや正確にえば、技術を成立させる私たちの在り方自体が、おかしくなっているのである。
取材記事には、アルゼンチンからのチームのコーチの発言がある。南米、とくにアルゼンチンの選手は、球際で激しく体を入れてとりあう。ボールに足をだすのではなく、まずガツンと体を当ててくるのが習わしだ。が、そんなことは教えてはいないのだ、とコーチは言う。「それがアルゼンチンの文化なんだ」と。バルサの8番、これはこのチームにとって、伝統的にゲームメイクするのに特権的に選ばれた選手がつける背番号だ。今回のチームでは、とても背の小さな、ジャマイカ・レゲエー風の風貌をもった子だった。日本人の感覚では、とてもなぜ彼が中盤の底に選ばれているのかわからない。このわからなさは、こちらがサッカーをよく知らないことからくるだけではなく、バルサが勝ち負けを超えて、こういう持ち味をもった選手をここにおく、というポリシーを一貫させていることからくるだろう。その8番のチャビくん、東京戦で、ファールで勝ち取ったPKを外してしまった。それが、敗因の大きな理由となってしまった。3位決定戦では、ベンチスタートからだった。中盤の底には、6番、シャビではなくイニエスタの背番号をつけた大柄な選手がはいった。一見では、この選手のほうが機能しているようにみえただろう。が後半、チャビくんがはいる。コーチは信頼し、成長させようとしているのだ。試合まえ、ベンチに向かう途中、ずっとチャビくんの肩を抱きながら、優しく何かを語りかけながら歩いていった。その姿は、清水市での草サッカー大会での、生き残った少年団のコーチの指導姿を思い起こさせた。バルサも、いまのポゼッション・スタイルで、はじめから勝てていたわけではなかった。自分たちに何ができるかを検証し、その自覚のもとに子供たちから教え始め、たとえそれで負けても、基本原理・哲学を変えてはこなかったのだ。それが、第一世代的なシャビやイニエスタといった選手で花開いたのである。次には、その育成方に危機感をもったドイツが試みはじめた。それが、その第一世代的なゲッツェで前回のワールドカップを制した。かつては、小学生レベルでは、日本の子供たちは世界に負けていなかった。清水代表も、全勝で遠征から帰って来たのだ。だから問題は、それ以後に開き始める育成制度だと指摘されてきたのだが、そうした問題把握が間違っていることが証明されてしまっているのが昨今だということになる。ワールドチャレンジを戦った西が丘のスタンドには、バルサのスクールに通う子供・父兄ように、特別指定席が設けられていた。東京戦、そんな子供たちが、「バルサ! バルサ!」と応援コールをおくる。もしアルゼンチンからボカ・ジュニアーズのチームが来ていたら、南米コーチのラテンのノリで、踊るような声援や応援歌が聞こえただろうか? しかし、バルサをコールする声援は尻すぼみになる。おそらく子供たちは、東京(日本)相手に戦う自分たちの応援の在り方に、何か奇妙なものを感じ取ったのだろう。日本では、スペインのほかにも、オランダやドイツからのスクールがたくさん営業している。そうした風潮にのっかって、諸外国チームの一員として、日本に対して応援してしまう自分たちの存在のおかしさに、彼らは黙ってしまった、ということになるかもしれない。清水FCの代表チームに選抜されプロになり、ドイツでも活躍し、いまは川崎フロンターレの監督をしている風間氏は、サッカーは「一」を教えられれば、あとは教えなくとも二、三、四と覚えられてゆく(サッカーだけではないが…)、そして最初の「一」とは、技術ではなく、「物事の本質や人間というもの」なのだ、と発言している。スペインで教えられる「一」と、ドイツで教えられる「一」は違うのである。日本の大工や植木屋は、木を切るさい、ノコギリを引いて切るが、欧米では、押して切る。ノコギリの歯自体がそうできてもいる。純粋な技術などないのだ。ボールを奪う際にも、アルゼンチンは体を当てる、教えなくても、そのようにやってしまうようになる。チャビくんが一番評価されている能力は、セカンド・ディフェンダーとしてのカバーリングの予知能力だ。最初にボールを奪いにいったものの後ろにつくポジションニングのすごさ。しかし、ドイツでは1対1を重視するので、基本的にカバーにはいかないのだ。ならば、日本における「一」は? 私たちの原理とはなんだ? そのうち、まさにその「一」に迷ってチャランポラな戦い方をする日本代表チームがでてくるだろう。というか、もう出てき始めている、ということではないか?
私は、スクール的な方向、純粋技術を仮想している現状、その寄せ集め的な、「雑種文化」(加藤周一)をそのまま現状追認していく方向から、良いサッカー、面白いサッカーが出来上がってくるとはおもえない。審判に抗議したり、ファウルまがいのプレーを真剣さの証しとしてとらえて推奨しだす「変身願望」がいいとおもわない。中田英寿やイチローが説くように、謙虚のまま、大人しいままでいい。あんなのはベースボールじゃないと批判されても、イチローはポテンヒットや内安打を技術的に量産しつづけた。こんなのサッカーじゃない、と本場の人たちから言われても続けられる私たちの「一」とはどのようなものだろうか? 縄文時代からでなくとも、日本と総合されてもいい文化的なまとまりの歴史は古い。すでにあるに決まっている。風間氏も、それを当時の清水市の指導者たちに認めたのだ。しかしその在り方は、決して自然(条件、島国だからと)に、自明なものとして発生してきたわけではない。その継承者たちは、世相が風潮に負けて、実際の試合や大会で勝てなくなっても、「語り」つづけている。つまり現状に抗って。敗戦になった戦争を語りつづける生存者のように。あくまで、日本の文化も、いまある自然への抵抗としてだけ反復される。おそらくバルセロナFCも、そうやって自分たちを「復興」してきたのである。
2015年9月1日火曜日
身を以って
「超自我はたんに「父」の内面化としてあるのではない。たとえば、親は子供に攻撃性を抑制するようにきびしくしつけることができるだろう。が、それはしばしば暴力的な人間を育てることになる。逆に、フロイトが指摘したように、非常に寛大な親に育てられた子供が強い倫理観(超自我)をもつことがある。この場合、親は子供に強制しなかったとしても、身を以って子供に示したのである。したがって、フロイトは、超自我は親そのものではなく、親の超自我を規範として形成されると考えた。親が攻撃性を自制するような超自我をもつとき、それは子供に伝わる。また、超自我が個人だけでなく、集団にもありうるのは、そのためである。それが文化=文明だといってよい。」(柄谷行人著「Dの研究[第3回] 宗教と社会主義(承前)」『atプラス』25号)
引き続き「at」を読んでいて、上のような柄谷氏の言葉にであった。親(大人)たちの言う内容ではなく、その身振りや仕草が、つまりは「身を以って」示してしまうことが、子供に継承されていく、と。前々回のブログ「価値について」で、似たようなことを私は言ったが、それは、近代的な現状から、ネガティブな傾きでの言及だった。また、思想の型として、言論内容よりも身振りにこそ歴史を動かしている文化的継承があるとは、考古学でも、民俗学でもとられてきた一つの発想であるとは、教養的なことでもあるだろう。柄谷氏は、その親の身振り=文化を、戦争に反対する、つまりは暴力に訴える行いを「嫌悪」および「恥」と感じるフロイトの文化理解と結合させるのだが、その接合の仕方自体が新しいのかもしれない。私も、「戦争」を、「罪深さを訴えたり、法的・政治的に禁じることによってではない」発想へのとっかかりとして、フロイトのその引用箇所に言及したWEB絵本を息子の一希と一緒に書いたけれど、ここでは、もっと具体的に、ならば親として私は息子にどう振る舞えばいいのか、と思い悩んだ。
厳しくしつけると子供は暴力的になる場合があるのなら、暴力的な親を見て育つと子供はどうなるのだろう? 私は、なお自制的な家庭環境を作れているとは、とても言えないだろう。減っているとはいえ、夫婦喧嘩は絶えない。新宿の代表チームの母親は、グランドわきで叫び散らす女房を大人しくさせようとなだめたりで、ずっと自制的なようにみえる。彼女自身たちも大学でなのか、頭もかしこそう。子供も大人しい。恥ずかしがりやだ。一希といえば、恥も外聞もないように、お笑い芸にいそがしい。他の親たちは、一希が感情表現豊かなのも、まさに親子そろって川の字で寝ているような下層の家庭環境あってこそ、とおもっているかもしれない。一希は、自制的な自分をもてるようになるだろうか? しかし、私よりかもっと暴力的な職人階級の息子たちは、気性の激しさはそのままでも、年相応に大人しくなっていくようにおもわれる。むろんそうなっていくのは、階層の一般的状況ではなくて、各家庭での親の愛情の真実性如何に、その成長の度合いや質が関わっているだろう。最近のドメスティック・バイオレンスとは、共同体的な関係が崩れてきたところによる、社会から孤立した家族関係が誘発しているだろうから、同じ暴力でも似て非なる在り方かもしれない。逆に、一見自制的な良家の子弟は、見かけは節度あっても、それが他者への関与を忌避する偽善の装いになったりもする傾向があるかもしれない。そう想像しえてみて想起するのは、ヨーロッパのサッカー・クラブチームが、ペットの犬でも、かわいいからと生まれてすぐに売りにだすと大人になってからもキャンキャン吠えて躾けられなくなるので、3か月は母犬と一緒にさせておくように、U-12歳のジュニア世代は、地元の子供たちだけを育成し、才能があるからといって外からの子供を受け入れるのは成分的に規制している、資本の技術とは一線を画そうとする科学忠実的な文化であろうとすることである。となると、大切なのは、まさに言語習得以前の、ヒトが生まれてから3年ぐらいまでの子育てだ、その期間愛情をしっかりそそいでやれば、のちの人生の逆境でも乗り切れる人間に勝手に育っていくものなのだ、という通論、科学的というよりは、大衆の自然性を経験的に肯定する吉本隆明氏に近くなる。
が、たとえそうだとしても、それはなお形だけの話であって、その中身が重要なのだ、というのが柄谷氏の言わんとしていることであろう。なぜなら、そうやって育った子供は、互酬的な交換Aの心性を反復するだけであって(それ自体、個人の心身としては健全なものであろう――)、それを”高次元”で、交換Dとして反復するわけではない、とされるからである。われわれの文化=文明自体が、そこまでに一般化されて、つまりは意識的に進歩しているわけではないのだから、自然的には、戦争を封じるような多勢的な子供たちが育ってくるわけではないのである。カント的にいえば、なおわれわれは幼児であって、成熟した大人からはほど遠いのが現状だということだ。
しかし、「高次元」とはなんであろう? 私はその物言いについひっかかるのだが、フロイトの反戦論と結びつけられたそれは、戦争を避けていかせるヒトの関係性として理解できるから、なるほどそれは高尚な交換形態、ということになるのかもしれない。物言いはかわれども、その趣旨は、私が「身を以って」示す価値こそが子供に伝わってしまうと指摘した前々回のブログ「価値について」の以下の言葉と同じなのかもしれない。――<そこでは、子供のころは文字通り長屋住まいで過ごした職人たちがいた。彼らは、隣の家の醤油は我が家のもの、みたいな共同所有を前提にしてきた人たちであり、ゆえに、あとから世の当然となった私的所有が前提の社会から、自分たちが取り残されていることに半ば自覚的である。私は、自他の区別がつかない赤ん坊のようなところのあるそんな意識世界に批判的でもあるけれど、偽物な個人主義としか思えない今の世の風潮よりかは、マシな方向へ向けての前提としてなさねばならない価値の一面だろうと思っている。>
つまり、互酬的な交換形態Aは、前提としなくてならないが、それはもっとマシな方へ向けて、ということだ。それが、「高尚」な交換形態Dと同等なのか、正確には私にはわからないが、物言い違えど発想の在り方は同等なようだ。
で、マシな方向へむけて、私自身は、具体的にどうしようというのか? ひとえに、夫婦喧嘩をしないこと(とくに子供のまえでは)。その影響で、力をつけて反抗期にはいった子供が女房をぶっ殺したり、逆に女房が子供を殺したり、といった事態を避けなくてはならない。しかし、こうした具体的な発想のなかに、後退戦がそのままで文化的な頽落というワナにはまってしまう可能性も大だ、ということは自覚しておくべきなのだろう。福島亮大氏の『復興文化論 日本的創造の系譜』(青土社)によれば、結局日本人の文学は、ホモソーシャルな「男どうしの絆」としての「われわれ」をみせただけで、私の特異性にこだわることに傾き、ゆえに「連帯よりも他者化」に精を出すことになると指摘している。ポストモダン風にいえば、文化的な地がスキゾ的、ということであろう。――「昨今では「声に出して読みたい日本語」式のマッチョな声が国民的同質性をでっちあげようとする。こうしたマッチョな声が出てくるのは、それだけ日本近代文学の社会的な「声」――<わたし>の固有性と<われわれ>の連帯性を結び直す声――が幽(かそけ)きものであったことを暗示している。」家族的な互酬関係でさえ、バラバラな方向へのバイアスが強い、集団文化的な他者化、孤立化に負けている、ということだ。私や女房は親である以前に子供だが、高齢な両親との関係というよりは生活を、具体的にどうするのか、ということも問い詰められている。そこでも自然にほったらかしていれば、スキゾ的な無関心な関係に逃走する、しやすい、ということになるだろう。しかし、だからこそ、この一番身近な集団性、連帯性から、つまりは家族からやり直してみよう、というのが、私のNAMプロジェクトだったはずだ。一から「身を以って」やり直してみること、それは後退戦だが、そこまで頽落する必要があったのだ。
引き続き「at」を読んでいて、上のような柄谷氏の言葉にであった。親(大人)たちの言う内容ではなく、その身振りや仕草が、つまりは「身を以って」示してしまうことが、子供に継承されていく、と。前々回のブログ「価値について」で、似たようなことを私は言ったが、それは、近代的な現状から、ネガティブな傾きでの言及だった。また、思想の型として、言論内容よりも身振りにこそ歴史を動かしている文化的継承があるとは、考古学でも、民俗学でもとられてきた一つの発想であるとは、教養的なことでもあるだろう。柄谷氏は、その親の身振り=文化を、戦争に反対する、つまりは暴力に訴える行いを「嫌悪」および「恥」と感じるフロイトの文化理解と結合させるのだが、その接合の仕方自体が新しいのかもしれない。私も、「戦争」を、「罪深さを訴えたり、法的・政治的に禁じることによってではない」発想へのとっかかりとして、フロイトのその引用箇所に言及したWEB絵本を息子の一希と一緒に書いたけれど、ここでは、もっと具体的に、ならば親として私は息子にどう振る舞えばいいのか、と思い悩んだ。
厳しくしつけると子供は暴力的になる場合があるのなら、暴力的な親を見て育つと子供はどうなるのだろう? 私は、なお自制的な家庭環境を作れているとは、とても言えないだろう。減っているとはいえ、夫婦喧嘩は絶えない。新宿の代表チームの母親は、グランドわきで叫び散らす女房を大人しくさせようとなだめたりで、ずっと自制的なようにみえる。彼女自身たちも大学でなのか、頭もかしこそう。子供も大人しい。恥ずかしがりやだ。一希といえば、恥も外聞もないように、お笑い芸にいそがしい。他の親たちは、一希が感情表現豊かなのも、まさに親子そろって川の字で寝ているような下層の家庭環境あってこそ、とおもっているかもしれない。一希は、自制的な自分をもてるようになるだろうか? しかし、私よりかもっと暴力的な職人階級の息子たちは、気性の激しさはそのままでも、年相応に大人しくなっていくようにおもわれる。むろんそうなっていくのは、階層の一般的状況ではなくて、各家庭での親の愛情の真実性如何に、その成長の度合いや質が関わっているだろう。最近のドメスティック・バイオレンスとは、共同体的な関係が崩れてきたところによる、社会から孤立した家族関係が誘発しているだろうから、同じ暴力でも似て非なる在り方かもしれない。逆に、一見自制的な良家の子弟は、見かけは節度あっても、それが他者への関与を忌避する偽善の装いになったりもする傾向があるかもしれない。そう想像しえてみて想起するのは、ヨーロッパのサッカー・クラブチームが、ペットの犬でも、かわいいからと生まれてすぐに売りにだすと大人になってからもキャンキャン吠えて躾けられなくなるので、3か月は母犬と一緒にさせておくように、U-12歳のジュニア世代は、地元の子供たちだけを育成し、才能があるからといって外からの子供を受け入れるのは成分的に規制している、資本の技術とは一線を画そうとする科学忠実的な文化であろうとすることである。となると、大切なのは、まさに言語習得以前の、ヒトが生まれてから3年ぐらいまでの子育てだ、その期間愛情をしっかりそそいでやれば、のちの人生の逆境でも乗り切れる人間に勝手に育っていくものなのだ、という通論、科学的というよりは、大衆の自然性を経験的に肯定する吉本隆明氏に近くなる。
が、たとえそうだとしても、それはなお形だけの話であって、その中身が重要なのだ、というのが柄谷氏の言わんとしていることであろう。なぜなら、そうやって育った子供は、互酬的な交換Aの心性を反復するだけであって(それ自体、個人の心身としては健全なものであろう――)、それを”高次元”で、交換Dとして反復するわけではない、とされるからである。われわれの文化=文明自体が、そこまでに一般化されて、つまりは意識的に進歩しているわけではないのだから、自然的には、戦争を封じるような多勢的な子供たちが育ってくるわけではないのである。カント的にいえば、なおわれわれは幼児であって、成熟した大人からはほど遠いのが現状だということだ。
しかし、「高次元」とはなんであろう? 私はその物言いについひっかかるのだが、フロイトの反戦論と結びつけられたそれは、戦争を避けていかせるヒトの関係性として理解できるから、なるほどそれは高尚な交換形態、ということになるのかもしれない。物言いはかわれども、その趣旨は、私が「身を以って」示す価値こそが子供に伝わってしまうと指摘した前々回のブログ「価値について」の以下の言葉と同じなのかもしれない。――<そこでは、子供のころは文字通り長屋住まいで過ごした職人たちがいた。彼らは、隣の家の醤油は我が家のもの、みたいな共同所有を前提にしてきた人たちであり、ゆえに、あとから世の当然となった私的所有が前提の社会から、自分たちが取り残されていることに半ば自覚的である。私は、自他の区別がつかない赤ん坊のようなところのあるそんな意識世界に批判的でもあるけれど、偽物な個人主義としか思えない今の世の風潮よりかは、マシな方向へ向けての前提としてなさねばならない価値の一面だろうと思っている。>
つまり、互酬的な交換形態Aは、前提としなくてならないが、それはもっとマシな方へ向けて、ということだ。それが、「高尚」な交換形態Dと同等なのか、正確には私にはわからないが、物言い違えど発想の在り方は同等なようだ。
で、マシな方向へむけて、私自身は、具体的にどうしようというのか? ひとえに、夫婦喧嘩をしないこと(とくに子供のまえでは)。その影響で、力をつけて反抗期にはいった子供が女房をぶっ殺したり、逆に女房が子供を殺したり、といった事態を避けなくてはならない。しかし、こうした具体的な発想のなかに、後退戦がそのままで文化的な頽落というワナにはまってしまう可能性も大だ、ということは自覚しておくべきなのだろう。福島亮大氏の『復興文化論 日本的創造の系譜』(青土社)によれば、結局日本人の文学は、ホモソーシャルな「男どうしの絆」としての「われわれ」をみせただけで、私の特異性にこだわることに傾き、ゆえに「連帯よりも他者化」に精を出すことになると指摘している。ポストモダン風にいえば、文化的な地がスキゾ的、ということであろう。――「昨今では「声に出して読みたい日本語」式のマッチョな声が国民的同質性をでっちあげようとする。こうしたマッチョな声が出てくるのは、それだけ日本近代文学の社会的な「声」――<わたし>の固有性と<われわれ>の連帯性を結び直す声――が幽(かそけ)きものであったことを暗示している。」家族的な互酬関係でさえ、バラバラな方向へのバイアスが強い、集団文化的な他者化、孤立化に負けている、ということだ。私や女房は親である以前に子供だが、高齢な両親との関係というよりは生活を、具体的にどうするのか、ということも問い詰められている。そこでも自然にほったらかしていれば、スキゾ的な無関心な関係に逃走する、しやすい、ということになるだろう。しかし、だからこそ、この一番身近な集団性、連帯性から、つまりは家族からやり直してみよう、というのが、私のNAMプロジェクトだったはずだ。一から「身を以って」やり直してみること、それは後退戦だが、そこまで頽落する必要があったのだ。
2015年8月23日日曜日
日本サッカーの語り
「清水がサッカーの街として本物であれば、サッカーで人が育たないといけない。かつて堀田先生に育てられた次代の清水を担う方々がこれからどういう選択をして、どこまで力を発揮できるか。サッカーの街の力が試されるときに差し掛かっている。日本サッカーの低迷期に清水が果たした役割は凄く大きかったと思う。だけど、今後さらなる飛躍が望まれるいまの時代に、その役割を清水に求める人はいない。少年の数が減り、大都市圏のクラブチームとは圧倒的にパイが違う中でそれでも僕らはこれぞサッカーの街清水という何かをしめさなきゃいけない。…」(梅田明宏著『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー50年史』 現代書館)
東京オリンピックに向け、国立競技場をどう再開発するかの議論をめぐり、大澤真幸氏はその案のひとつ、建築家の磯崎新氏のものを論じるにあたり、まずは民俗学者折口信夫氏の敗戦時の思考を引用することからはじめている(「皇居前広場のテオーロス 祝祭都市構想 プラットフォーム2020に寄せて」『atプラス』25号)。要は、日本が戦争に負けたのは、「日本人の掲げる神道が普遍宗教ではない」からで、逆にアメリカの青年たちは中世の「十字軍における彼らの祖先の情熱をもって、この戦争に努力してゐる」からではなかったか、と。
私は、このブログ上で、日本のサッカーが強くなりにくいのは、ヨーロッパ起源のサッカーにとってゴールとはゴッドであり、それを目指す唯一の真実の道を解明する科学として、神に近づく進歩の信仰として実践されてしまうので、真剣さの位相がちがうからだ、と発言してきた。そして日本の少年サッカーの育成上の現場でも、勝つためのサッカーと、子供優先のプレイヤーズ・ファーストという議論が理論体系的にまとめられないまま分裂していて、集団に一つの真剣さを導入しきれていない、その基本方針的な曖昧さが、父権的な父親存在の希薄さという現在の家族関係的な環境と重なって、目先の結果利益をあげることで自己安心を確保しようとする母親的な在り方の優勢に後押しされて、問題把握されることもなく現状肯定されている、と指摘してきた。静岡の清水FCという地域代表選抜チームが解散に追い込まれていく要因の大きな一つも、顔の見える関係=中間団体的な人間関係(父権的な顔役が睨みをきかせられる――)が、より一般的な価値の平準・均質化にともない(地域性、顔役になりうるような個性、差異の排除――)、素人の親でもが指導に口をだせる、愚痴を言えるようになって、「親で潰された団の指導者が何人も」でてきたことによる。またそうした社会の資本化、一般的な価値形態の普及は、逆に経済的な格差をうむ。「遠征費や金銭的な部分での負担」をおえなくなったり、核家族化、共働きが増えたことで、「やるなら地元の少年団まで、できれば清水FCに入ってほしくないという保護者の声が増えて」くる。もちろんその傾向と、逆に子供に特技を特価させて将来の利益を見込んで先行投資し、スクール系列のクラブの方へ入部させる潮流とは同じ構造の表裏である。
日本の社会的地盤が、もともと父権的には弱く、母系制も強く残存並列したものであるかどうかといった議論はここではどこけておこう。とにかくも、原発事故後に顕著になったように、母親的なヒステリックな声のほうが今の世の潮流で、それを抑え込もうと父権的に振る舞おうとする権力側の議論は浮ついている、という現状認識からはじめる。もちろん、戦後父権的な影響が一定期間続いたのは、長く見ても明治以降、とくには戦時中のスパルタ教育の残存であり、清水FCのような中間団体が成立しえたのも、日本の地盤にあっては、特異な一時期のためであって、そこを象徴的にとりだしても長い目でみれば意味がない、という意見は成立するだろう。が、たとえば、大澤氏が折口氏の引用からはじめたその論評で、基調に置くのは中上健次氏の小説群、とくには、その『地の果て 至上の時』の読解指摘である。
<この小説で、龍造は、秋幸の敵どころか、逆に、秋幸に対して友好的であり、秋幸に敬意を示しさえする。最後に父殺しがなされるべきなのに、あろうことか、龍造は自殺してしまうのだ。このとき、秋幸は「違う」と叫ぶのだが、この言葉の解釈は小説読解の鍵となる。さまざまな解釈があるが、浅田彰・柄谷行人が言うことが、正鵠を射ているように思われる。すなわち、自分がそれに抵抗することによって存在理由を得ていた父的な権威(第三者の審級)が自滅してしまったことの当惑や怒りの表現が、「違う」という叫びである、と。
父的なものと母的なものの葛藤を、精神分析学はオイディプス・コンプレックスと呼んだ。このことからもわかるように、この葛藤は、近代的な「内面」の条件である。と同時に、これは、近代小説の条件でもある。近代小説は、この葛藤を動力源として、「内面」のドラマを紡ぎだすのだ。
『地の果て 至上の時』は、この葛藤がもはや成り立ち得ないことを最後に示したと解釈することができる。つまり、それは、近代的な個人の「内面」と近代小説の超越論的な条件が崩壊する瞬間を、秋幸とその父龍造とのすれ違った対決を通じて描いているのだ。…(略)…もう一度、浅田彰の見事な要約を引こう。「一方において、父を殺し自らがそれを乗り越えて行くという近代の物語が不可能になったということ、他方において、それに先立つ一見神話的な定型的物語が何度も反復されるしかないということ、この二つは、いわば同じ事態の別の表れである」。>
しかし、こうした指摘は、単に文学作品読解として提示されたのではない。ソ連の崩壊に象徴されるような、歴史的な転換的、特異点として導入されたものである。資本主義の拡大・その一般価値の普及とともに、二項対立な思考枠組みを支えていたともいえる米ソの対立構造がなし崩しになってしまった、ソ連と言う父が自己崩壊(自殺)してしまった、ゆえに、父権的な大きな物語が成立しなくなってしまった、と分析されたのである。ならば、日本の現状の出自を押さえることよりも、世界自体がそうなってしまったのだという大枠の現状から考えることが、より重要になるだろう。そこには、日本が勝てないだけではない、そもそも、勝つこと自体がどういうことなのか、その是非根本が問われてきている歴史があるということなのだ。その地点において、私達がどう振る舞うのか、と問う時、日本の文脈がどうのという話は後退するだろう。が、また、私(たち)は、そこから考えなくてはならず、そこにおいてだけ間近で、より正確に考えられるだろう。
そして私は、子供の付き添いでいった旧清水市で見てきた。生き残った少年団チームのコーチの「語り」を。”指導”ではない、私はまさしく、あれを「語り」として見たのである。先日のブログでも、そう用語した。それはなお感じたことを書いただけであったが、知り合いの健太郎氏がさっそくそこに反応してくれた。――<物語は母が子に語るものとされるけれど、父もしくは男の語る物語、中上的なサーガ(叙事詩)の繰り返しというものは、男が(も)語るものではという気がします。男もすなる物語。琵琶法師の語る平家物語。>
浅田氏が指摘する中上氏の反復する物語を語るのは、「オリュウノオバ」としての、母性としてのものである。が、「男もすなる物語」とは、中上氏の『奇蹟』に登場する「トモノオジ」のものだ。私が清水市のコーチから感得したのも、そこにある、どこか哀愁や悔恨を秘めたトーンである。これはコーチングじゃない、もっと深い人間の営みとして、彼らはフィールドに、校庭に立っているのではないか、と。
大澤氏が抽出してくるのも、男の語り、トモノオジの語りの在り方であり、そこに見出される未来へ向けての振る舞いの可能性だ。
<この小説を特徴づけているのは、強烈な悔恨、悔恨の時間だ。「あのときああしていればこうはならなかったのに(タイチは死ななかったのに、イクオは自殺しなかったのに)」という悔恨だ。『千年の愉楽』でも、オリュノオバは、早死にしていく若者たちについて哀惜の感情をもっているが、しかし、それはギリシア悲劇の場合と同じで、最終的には、その帰結を必然化した運命――この場合には高貴にして穢れている「中本の血」――を肯定する感覚に裏打ちされていた。しかし、『奇蹟』の悔恨は、違う。「運命」としての受容が完全に拒否されているのだ。だから、過去を見る目は、決して癒されない悔恨の感情を伴うことになる。
悔恨するということは、現在のわれわれが、過去に、現実の経路とは別の可能性を、<他なる可能性>を見出している、ということである(「ああしていれば……」)。その<他なる可能性>は、過去においては見えていなかった。少なくとも、現実味のある選択肢としては自覚されていなかった。しかし、現在のわれわれは、それが十分にありえた可能性であることを知っている。ここで、「現在のわれわれ」は、過去から見ると、<未来の他者>であることに留意すべきだ。>
大澤氏は、こうした視点から、磯崎氏の「祝祭都市構想」に期待を寄せる。というか、「現在のわれわれが過去を悔恨するときと同じように、その<未来の他者>(の視点をもったテオーロス)は、彼らにとっての過去にあたる現在のわれわれに、<他なる可能性>があることを発見させる>ことを目的とすべき構想に、つまりはギリシャ時代のオリンピック本来の目的を反復すべくよう努めるべきと提言しているわけだ。私は、磯崎氏の国立競技場再開発からはじまった設計案が、そのような実践と重なり結びつくのかは知らない。しかし私は、清水市での草サッカー大会という一地域の祝祭
を観戦し、そこに残存した悔恨の語りに、なにか未来への可能性を感得してきたのである。
ちなみに、これも同じ知人の指摘で初めて知ったことなのだが、日本サッカー界の「キング」こと三浦和良の家族関係をなぞると、まるでカズ氏が中上氏の主人公・アキユキにみえてくる。私には、磯崎氏の大きな設計物語よりも、カズ=アキユキの匿名的な振舞い=語りのほうが、次なるオリンピックやワールドカップへむけて、脱構築された現状をさらに脱構築的に建設していく可能性があるように感得する。
東京オリンピックに向け、国立競技場をどう再開発するかの議論をめぐり、大澤真幸氏はその案のひとつ、建築家の磯崎新氏のものを論じるにあたり、まずは民俗学者折口信夫氏の敗戦時の思考を引用することからはじめている(「皇居前広場のテオーロス 祝祭都市構想 プラットフォーム2020に寄せて」『atプラス』25号)。要は、日本が戦争に負けたのは、「日本人の掲げる神道が普遍宗教ではない」からで、逆にアメリカの青年たちは中世の「十字軍における彼らの祖先の情熱をもって、この戦争に努力してゐる」からではなかったか、と。
私は、このブログ上で、日本のサッカーが強くなりにくいのは、ヨーロッパ起源のサッカーにとってゴールとはゴッドであり、それを目指す唯一の真実の道を解明する科学として、神に近づく進歩の信仰として実践されてしまうので、真剣さの位相がちがうからだ、と発言してきた。そして日本の少年サッカーの育成上の現場でも、勝つためのサッカーと、子供優先のプレイヤーズ・ファーストという議論が理論体系的にまとめられないまま分裂していて、集団に一つの真剣さを導入しきれていない、その基本方針的な曖昧さが、父権的な父親存在の希薄さという現在の家族関係的な環境と重なって、目先の結果利益をあげることで自己安心を確保しようとする母親的な在り方の優勢に後押しされて、問題把握されることもなく現状肯定されている、と指摘してきた。静岡の清水FCという地域代表選抜チームが解散に追い込まれていく要因の大きな一つも、顔の見える関係=中間団体的な人間関係(父権的な顔役が睨みをきかせられる――)が、より一般的な価値の平準・均質化にともない(地域性、顔役になりうるような個性、差異の排除――)、素人の親でもが指導に口をだせる、愚痴を言えるようになって、「親で潰された団の指導者が何人も」でてきたことによる。またそうした社会の資本化、一般的な価値形態の普及は、逆に経済的な格差をうむ。「遠征費や金銭的な部分での負担」をおえなくなったり、核家族化、共働きが増えたことで、「やるなら地元の少年団まで、できれば清水FCに入ってほしくないという保護者の声が増えて」くる。もちろんその傾向と、逆に子供に特技を特価させて将来の利益を見込んで先行投資し、スクール系列のクラブの方へ入部させる潮流とは同じ構造の表裏である。
日本の社会的地盤が、もともと父権的には弱く、母系制も強く残存並列したものであるかどうかといった議論はここではどこけておこう。とにかくも、原発事故後に顕著になったように、母親的なヒステリックな声のほうが今の世の潮流で、それを抑え込もうと父権的に振る舞おうとする権力側の議論は浮ついている、という現状認識からはじめる。もちろん、戦後父権的な影響が一定期間続いたのは、長く見ても明治以降、とくには戦時中のスパルタ教育の残存であり、清水FCのような中間団体が成立しえたのも、日本の地盤にあっては、特異な一時期のためであって、そこを象徴的にとりだしても長い目でみれば意味がない、という意見は成立するだろう。が、たとえば、大澤氏が折口氏の引用からはじめたその論評で、基調に置くのは中上健次氏の小説群、とくには、その『地の果て 至上の時』の読解指摘である。
<この小説で、龍造は、秋幸の敵どころか、逆に、秋幸に対して友好的であり、秋幸に敬意を示しさえする。最後に父殺しがなされるべきなのに、あろうことか、龍造は自殺してしまうのだ。このとき、秋幸は「違う」と叫ぶのだが、この言葉の解釈は小説読解の鍵となる。さまざまな解釈があるが、浅田彰・柄谷行人が言うことが、正鵠を射ているように思われる。すなわち、自分がそれに抵抗することによって存在理由を得ていた父的な権威(第三者の審級)が自滅してしまったことの当惑や怒りの表現が、「違う」という叫びである、と。
父的なものと母的なものの葛藤を、精神分析学はオイディプス・コンプレックスと呼んだ。このことからもわかるように、この葛藤は、近代的な「内面」の条件である。と同時に、これは、近代小説の条件でもある。近代小説は、この葛藤を動力源として、「内面」のドラマを紡ぎだすのだ。
『地の果て 至上の時』は、この葛藤がもはや成り立ち得ないことを最後に示したと解釈することができる。つまり、それは、近代的な個人の「内面」と近代小説の超越論的な条件が崩壊する瞬間を、秋幸とその父龍造とのすれ違った対決を通じて描いているのだ。…(略)…もう一度、浅田彰の見事な要約を引こう。「一方において、父を殺し自らがそれを乗り越えて行くという近代の物語が不可能になったということ、他方において、それに先立つ一見神話的な定型的物語が何度も反復されるしかないということ、この二つは、いわば同じ事態の別の表れである」。>
しかし、こうした指摘は、単に文学作品読解として提示されたのではない。ソ連の崩壊に象徴されるような、歴史的な転換的、特異点として導入されたものである。資本主義の拡大・その一般価値の普及とともに、二項対立な思考枠組みを支えていたともいえる米ソの対立構造がなし崩しになってしまった、ソ連と言う父が自己崩壊(自殺)してしまった、ゆえに、父権的な大きな物語が成立しなくなってしまった、と分析されたのである。ならば、日本の現状の出自を押さえることよりも、世界自体がそうなってしまったのだという大枠の現状から考えることが、より重要になるだろう。そこには、日本が勝てないだけではない、そもそも、勝つこと自体がどういうことなのか、その是非根本が問われてきている歴史があるということなのだ。その地点において、私達がどう振る舞うのか、と問う時、日本の文脈がどうのという話は後退するだろう。が、また、私(たち)は、そこから考えなくてはならず、そこにおいてだけ間近で、より正確に考えられるだろう。
そして私は、子供の付き添いでいった旧清水市で見てきた。生き残った少年団チームのコーチの「語り」を。”指導”ではない、私はまさしく、あれを「語り」として見たのである。先日のブログでも、そう用語した。それはなお感じたことを書いただけであったが、知り合いの健太郎氏がさっそくそこに反応してくれた。――<物語は母が子に語るものとされるけれど、父もしくは男の語る物語、中上的なサーガ(叙事詩)の繰り返しというものは、男が(も)語るものではという気がします。男もすなる物語。琵琶法師の語る平家物語。>
浅田氏が指摘する中上氏の反復する物語を語るのは、「オリュウノオバ」としての、母性としてのものである。が、「男もすなる物語」とは、中上氏の『奇蹟』に登場する「トモノオジ」のものだ。私が清水市のコーチから感得したのも、そこにある、どこか哀愁や悔恨を秘めたトーンである。これはコーチングじゃない、もっと深い人間の営みとして、彼らはフィールドに、校庭に立っているのではないか、と。
大澤氏が抽出してくるのも、男の語り、トモノオジの語りの在り方であり、そこに見出される未来へ向けての振る舞いの可能性だ。
<この小説を特徴づけているのは、強烈な悔恨、悔恨の時間だ。「あのときああしていればこうはならなかったのに(タイチは死ななかったのに、イクオは自殺しなかったのに)」という悔恨だ。『千年の愉楽』でも、オリュノオバは、早死にしていく若者たちについて哀惜の感情をもっているが、しかし、それはギリシア悲劇の場合と同じで、最終的には、その帰結を必然化した運命――この場合には高貴にして穢れている「中本の血」――を肯定する感覚に裏打ちされていた。しかし、『奇蹟』の悔恨は、違う。「運命」としての受容が完全に拒否されているのだ。だから、過去を見る目は、決して癒されない悔恨の感情を伴うことになる。
悔恨するということは、現在のわれわれが、過去に、現実の経路とは別の可能性を、<他なる可能性>を見出している、ということである(「ああしていれば……」)。その<他なる可能性>は、過去においては見えていなかった。少なくとも、現実味のある選択肢としては自覚されていなかった。しかし、現在のわれわれは、それが十分にありえた可能性であることを知っている。ここで、「現在のわれわれ」は、過去から見ると、<未来の他者>であることに留意すべきだ。>
大澤氏は、こうした視点から、磯崎氏の「祝祭都市構想」に期待を寄せる。というか、「現在のわれわれが過去を悔恨するときと同じように、その<未来の他者>(の視点をもったテオーロス)は、彼らにとっての過去にあたる現在のわれわれに、<他なる可能性>があることを発見させる>ことを目的とすべき構想に、つまりはギリシャ時代のオリンピック本来の目的を反復すべくよう努めるべきと提言しているわけだ。私は、磯崎氏の国立競技場再開発からはじまった設計案が、そのような実践と重なり結びつくのかは知らない。しかし私は、清水市での草サッカー大会という一地域の祝祭
を観戦し、そこに残存した悔恨の語りに、なにか未来への可能性を感得してきたのである。
ちなみに、これも同じ知人の指摘で初めて知ったことなのだが、日本サッカー界の「キング」こと三浦和良の家族関係をなぞると、まるでカズ氏が中上氏の主人公・アキユキにみえてくる。私には、磯崎氏の大きな設計物語よりも、カズ=アキユキの匿名的な振舞い=語りのほうが、次なるオリンピックやワールドカップへむけて、脱構築された現状をさらに脱構築的に建設していく可能性があるように感得する。
2015年8月20日木曜日
全国草サッカー大会、清水遠征から
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| 岡小学校の校庭=サッカー場 |
「要するに当時の指導者は子どもが育んだ発想を潰さなかった。頭ごなしに叱り付けたら可能性は縮まってしまう。そういう知恵みたいなものや発想の柔軟性みたいなものはこのとき身に付けた。…(略)…指導者は子どもに考えさせることを覚えさせれば、あとは子ども自身が好きなものを見付けてやっていく。サッカーは一がわかれば、二、三、四ってわかっていく。でも最初の一がわからないと何もわからない。だけどその一を教えるのは難しい。当時の指導者たちが凄かったところは、それを何もないところから見出したところ。あの方たちは物事の本質や人間というものが本当によく見えていた。そんな部分はいまの自分の中にも生きていると思う。」(梅田明宏著『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五〇年史』 現代書館)
静岡は旧清水市を中心とした草サッカー大会への四泊五日の応援から帰って来た。息子の所属する新宿内藤チームの成績は、256参加チーム中39位というものだったらしい。結果よりも、親としては、一人ひとりが自分の持っている力を全部だしきって、チームとしては持っている以上の120%の力を発揮する子供たちの姿がみたい、「火事場の糞力」みたいな、とは、娘を送り出している父兄の一人と確認しあったことだった。が、なんかそうした頑張りには遠く、「ここまで来て、なにも変わらずに東京まで帰っていく可能性もありますよね」、とも話した方での成り行きだったような。実力相応というよりも、勝ちあがっていった最後2試合はPK戦。運よくここまでいったな、とりあえず、歴代の代表とくらべても3位、と結果は恥ずかしくはない。が、その中身だ。「イツキがベンチからまだまだだぞ!、 と声張り上げても、試合に出てる選手が誰も答えない。人をあげつらうような口ばかり達者で、頭でっかちで、簡単に見切ってあきらめてしまう、そういうのずる賢いっていうんですよ。」と娘を送り出している父兄は言う。「勝ち負けの結果よりも、一生懸命頑張れるチームになってほしいですよね。」と。
日本ではサッカー王国と呼ばれた現静岡市内の清水区にまで長い応援にでかけてみようと思った理由のひとつは、上記引用にもあるサッカー地区の歴史を、肌で感じることができるかな、それで何か見えることがあるかな、という動機だった。見えてきた、といってもいいのかもしれない。おそらくそれは、小学校単位でのクラブチームに残っているのだろう、指導者の姿だった。新宿が宿舎に到着してすぐの練習試合会場及び相手チームの、岡小サッカースポーツ少年団、そして最初の公式ミニカップリーグ戦の会場となったチームの飯田東小のクラブ、両者はいい結果を残しているわけではないけれども、引用した風間氏の指摘した精神が継承されているように見えた。岡小の少し高いだみ声をひびかせながらのコーチ、主審をする自分のもとにいま教えたい選手にビブスを着せて、フィールド中央から全体をみせながら語りかけるような愛情に満ちた姿、飯田小の試合前アップ練習では、コーチが自らキーパーをしながら、放たれたシュートをはじきながらその一球一球を語っていく様子……結果を残していくチームのほとんどは、スクールあがりのクラブチームだ。優勝した新座片山は、ちがうかもしれない。同じ宿舎になった一希は、その名物監督・鬼コーチを間近に見て、「見るからにこわかった」と言っている。食事も、他のチームの子らがふざけあいながらのなかで、一丸と黙々と食べていたそうだ。そこには、子供のひとりひとりの存在を肯定してくれる確固さとしての愛情がある。
新宿の代表チームに欠けているのは、まず技術以前に、それを身に付けていく前提として必要なその愛情、信念、自信だ。自分のやっているプレーに、自信がもててない、これでいいのかな、と不安のなかでやっている。私には、こうした症状は、応援にくるのがほぼすべて母親で、父親の影が薄い、そうした環境要因的なメンタリティーに起因しているようにみえる。それは以前から感じていたものなので、今大会は黙って観戦しているだけでなく、東京ではリーグ優勝を争うチームコーチ然として、声をだそうとおもっていた。女性のヒステリックな悲鳴ではなく、男性の声・トーンを耳にするだけで落ちついてくるだろうと。背番号10がゴール間近でシュートをはずす。メンタル的な問題ではない。ラストパスの角度や相手の体の入れ方からして難易度が高いのだ。が、次の瞬間、「俺はだめだな」というように肩を落とす仕草がみえる。「OKだ! それを続けろ! 次入るぞ!」と声をだす。すると、最終ラインに残っていたキャプテン、チームメイトをあげつらって不平不満ばかり口にだして若い監督からもしぼられているキャプテンがこちらに顔を向けて反応し、つぶやくように繰り返す。「つぎ、はいるぞ。」……10番は、父兄との懇親会のとき、「自分は決定力がないので、それをつけたい」と言っていた。試合中でも、母親があいつがあすこではずすから、とよくこぼしていた。母親のそんな愚痴をきいてすりこまれてしまったのだろう。そしてチーム全体がそんなふうに。だから、その結果のでなかった自分たちのプレーを、いい悪いではなく、ただ肯定していく声の抑揚に、キャプテンはたまげたのだ。そういうチームでも、それなりの賢さと技術があれば、それなりの結果は残せる。しかし、その先に進めるだろうか? なんとなくついていく自己愛的な技術ではなく、殻を破っていくような飛躍していく成長。その頑張りを続けていくためには、心がしっかりしていなくては、結局自分のそのときの限度に直面したとき、これは無理だなと賢く立ち回って、くじけてしまう、ということになっていることにも気付けない。
いま手倉森監督がひきいるオリンピック世代の日本代表、すごく大人しく、黙々と練習する真面目な選手がほとんどだそうだ。だから、監督は敢えて、ユース出ではなく、大学クラブ活動出の遠藤選手をキャプテンに据えたのだそうだ。それだけでは、チーム力が発揮されないだろうと。少年チームにも、似たような症状がつづいていないだろうか? スクールクラブの若いコーチは、なにか若手官僚のようにみえる。情熱的だが、考えている幅が小さくみえる。黙々と真面目に技術習得に集中する環境に欠けているのは、人に共感する、他人と力を広げていく作用だ。その感化する力を、テストの結果だけをめざしていたわけではなかったかつての熱血教師、堀田氏のような存在の雰囲気が、なお清水地区に残っているように感じられた。むろん、人格の大きさが、人々に影響を与えてしまうような世間的社会は、とくに政治の世界では、むしろ排除されてきた不可逆な歴史かもしれない。しかし、肯定的な感化作用を根底で欠如させた合理的な社会には、割り切った人間関係があるだけで、それしか知らず育った子供たちが、この不合理に満ちた世界で、やっていけるのだろうか?
2015年8月19日水曜日
価値について
「集団の中で価値観は重要だ。価値観を持たない者は何者でもない。それらはあなたをより強く確固たるものにする。私の価値観は、家族と子供の時プレーしていたベレスで植えつけられた。…(略)…子供の時に教えられた価値観というのは、サッカー選手になるかどうかとは関係なく、その後の人生の指針になる。成長した後で変えたり、正しい方向へ向かわせようとするのは難しい。だからこそ、小さい時から道徳を教えなくてはいけない。監督としてサッカーを教えるよりも大事なくらいだ。あなたが子どもたちに示す人生の価値観は、サッカーの実践よりも重要だ。」(『シメオネ超効果』 ディエゴ・シメオネ著 木村浩嗣訳)
夏休みに入って、一希のもとに、つまりこの2LDKの狭い団地部屋に、同じ地域クラブの子供たちではなく、新宿代表の、他の地区、もっと階層のエリート的な地区の子弟が頻繁に遊びにくるようになった。おそらく、気兼ねなく家に入れるのが、珍しいのだろう。同じ団地に住んでいる子の家には、いま父親がいるからだめだとかで立ち寄れなくなったりする。その父親も私と同じ地域クラブのパパコーチなのだが、ふとそうした親たちの仕草、たとえば、新しく買ったデジカメを子供が勝手にいじろうとすると叱ったり、といったところに、私との本当の、実際実践的な、身体的な価値の違いがあるのだな、と気づかされる。父親のパソコンを勝手に友達と使えることなどありえないだろう。だから、そんなパパコーチが、ひとりでドリブルばかりしてないで仲間にパスをだせ、チーム全員で戦って勝利を目指すんだ、と言っても、子供たちは説得力を感じないだろう。子供たちほど、その言っている内容ではなく、その行為が、本当に意味してしまうことに敏感である。サッカーでは、その分野の知識としてパスサッカーをやるようになっても、実際の生活態度において、言葉ではなく、行為が意味してきた価値観を学んでいってしまうだろう。今の風潮なら、私的所有を当然な前提とし、我が物にするよう頭を使う賢さや立ち回りだ。しかしなお小学六年生にすぎない子供たちは、その狭い個人利害、関心に基づいた自分たちへの対応、反応環境が好きではない、それよりこっちのほうが面白い、と我が家にやってくるのだろう。
しかし、なんで私は、私的所有にこだわらないような感性=価値を体現してしまっているのだろう? 自身はやはり、プチブル出で、少年野球からは集団主義的な価値を教育されてきても、それは頭でっかちなだけになっただけであって、親からは個人主義的な価値を行為指示されてきたとおもう。ただ、進学時や、地元のエリート校に入って顕著に意識されてきたその風潮への違和感、おそらくは我が家にやってくる子供たちが感じるだろう羨望と蔑視の混在した気分に通じるだろうそこに、私は正直に立ち止まって引きこもったのだ。子供部屋に。そこで独学的に意識化したものは、偶然にも、上京して暮らした六畳一間だけの安アパート裏にあった植木職人の家に勤めることになって、実践的に体得されていくことになった。そこでは、子供のころは文字通り長屋住まいで過ごした職人たちがいた。彼らは、隣の家の醤油は我が家のもの、みたいな共同所有を前提にしてきた人たちであり、ゆえに、あとから世の当然となった私的所有が前提の社会から、自分たちが取り残されていることに半ば自覚的である。私は、自他の区別がつかない赤ん坊のようなところのあるそんな意識世界に批判的でもあるけれど、偽物な個人主義としか思えない今の世の風潮よりかは、マシな方向へ向けての前提としてなさねばならない価値の一面だろうと思っている。
それは、社会主義的ということだろうか? 資本主義が私的所有に基づくというのなら。私は、そうした外的な主義主張のことはわからない。ただ、この2LDK団地、林芙美子の作品では乞食村と言及されていたその跡地(追いだし地)に建てられた当時としてはモダンな建物の周辺で、女房の近所づきあいからはじまった生活クラブに入会しているのだから、外的にもそうに近い、ということになるのかもしれない。そしてその女房は、熊本で水俣病を起こした会社の社長の娘だったらしく、その家での価値に反抗し家出したような状態で、そのとき、NAMという左翼運動で知り合い、ということだから、内的に獲得してきている価値でも、外的な価値でも、そうに近くなっている、ということなのかもしれない。ただし、生活上の共同所有社会は、右翼ともいえるので、私の言動は、そう受け取られている向きもあるようだが、私自身は、そうした外的な事柄は理解しずらく、どうでもいい。
そんな偶然、この人生の価値運動は、だから運命的に続いている。一希には、とりあえず、引きこもれる子供部屋は、もうない。
私たちは、どこへゆくだろうか?
夏休みに入って、一希のもとに、つまりこの2LDKの狭い団地部屋に、同じ地域クラブの子供たちではなく、新宿代表の、他の地区、もっと階層のエリート的な地区の子弟が頻繁に遊びにくるようになった。おそらく、気兼ねなく家に入れるのが、珍しいのだろう。同じ団地に住んでいる子の家には、いま父親がいるからだめだとかで立ち寄れなくなったりする。その父親も私と同じ地域クラブのパパコーチなのだが、ふとそうした親たちの仕草、たとえば、新しく買ったデジカメを子供が勝手にいじろうとすると叱ったり、といったところに、私との本当の、実際実践的な、身体的な価値の違いがあるのだな、と気づかされる。父親のパソコンを勝手に友達と使えることなどありえないだろう。だから、そんなパパコーチが、ひとりでドリブルばかりしてないで仲間にパスをだせ、チーム全員で戦って勝利を目指すんだ、と言っても、子供たちは説得力を感じないだろう。子供たちほど、その言っている内容ではなく、その行為が、本当に意味してしまうことに敏感である。サッカーでは、その分野の知識としてパスサッカーをやるようになっても、実際の生活態度において、言葉ではなく、行為が意味してきた価値観を学んでいってしまうだろう。今の風潮なら、私的所有を当然な前提とし、我が物にするよう頭を使う賢さや立ち回りだ。しかしなお小学六年生にすぎない子供たちは、その狭い個人利害、関心に基づいた自分たちへの対応、反応環境が好きではない、それよりこっちのほうが面白い、と我が家にやってくるのだろう。
しかし、なんで私は、私的所有にこだわらないような感性=価値を体現してしまっているのだろう? 自身はやはり、プチブル出で、少年野球からは集団主義的な価値を教育されてきても、それは頭でっかちなだけになっただけであって、親からは個人主義的な価値を行為指示されてきたとおもう。ただ、進学時や、地元のエリート校に入って顕著に意識されてきたその風潮への違和感、おそらくは我が家にやってくる子供たちが感じるだろう羨望と蔑視の混在した気分に通じるだろうそこに、私は正直に立ち止まって引きこもったのだ。子供部屋に。そこで独学的に意識化したものは、偶然にも、上京して暮らした六畳一間だけの安アパート裏にあった植木職人の家に勤めることになって、実践的に体得されていくことになった。そこでは、子供のころは文字通り長屋住まいで過ごした職人たちがいた。彼らは、隣の家の醤油は我が家のもの、みたいな共同所有を前提にしてきた人たちであり、ゆえに、あとから世の当然となった私的所有が前提の社会から、自分たちが取り残されていることに半ば自覚的である。私は、自他の区別がつかない赤ん坊のようなところのあるそんな意識世界に批判的でもあるけれど、偽物な個人主義としか思えない今の世の風潮よりかは、マシな方向へ向けての前提としてなさねばならない価値の一面だろうと思っている。
それは、社会主義的ということだろうか? 資本主義が私的所有に基づくというのなら。私は、そうした外的な主義主張のことはわからない。ただ、この2LDK団地、林芙美子の作品では乞食村と言及されていたその跡地(追いだし地)に建てられた当時としてはモダンな建物の周辺で、女房の近所づきあいからはじまった生活クラブに入会しているのだから、外的にもそうに近い、ということになるのかもしれない。そしてその女房は、熊本で水俣病を起こした会社の社長の娘だったらしく、その家での価値に反抗し家出したような状態で、そのとき、NAMという左翼運動で知り合い、ということだから、内的に獲得してきている価値でも、外的な価値でも、そうに近くなっている、ということなのかもしれない。ただし、生活上の共同所有社会は、右翼ともいえるので、私の言動は、そう受け取られている向きもあるようだが、私自身は、そうした外的な事柄は理解しずらく、どうでもいい。
そんな偶然、この人生の価値運動は、だから運命的に続いている。一希には、とりあえず、引きこもれる子供部屋は、もうない。
私たちは、どこへゆくだろうか?
2015年7月8日水曜日
サッカースクールと学級崩壊、あるいは、ギリシャ債務問題
「松本より一足早く西ドイツ留学を果たした宇野勝は、1971(昭和四六)年二月に日本人で初めて西ドイツサッカー協会公認のデブロム・フットボール・レアラー(サッカー教員の免状)を取得した。帰国後、読売クラブを経て、1973(昭和四八)年から日本蹴球協会の技術職員となった。そのとき立場上、全清水の西ドイツ遠征の橋渡し役を務めているが、一〇戦全勝を果たした全清水の育成の方向性には早くから疑問を感じていた。
「僕は全清水が絶対に勝つと思っていた。たとえば西ドイツではこの年代では指導者が勝たそうなんて意識はなくて、将来どんな選手に育つかしか考えていない。ましてシステムやチーム戦術なんて教えていない。あくまで伸びる指導をする中で勝てればいいという方針だった。
宇野の眼には、清水の指導方針はこれと正反対に映っていた。結果としてこの方針の違いがサッカー先進国とのその後の伸びしろの違いに繋がっていると感じていただけに、宇野はこの頃堀田とそのことでよく議論をしたという。」(梅田明宏著『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五〇年史』 現代書館)
なかなか息子一希との決戦の日が来ない。雨のせいもあるが、運動会とう学校の行事等が重なって、組み合わせが成立しないのだ。そしてとうとう、夏休みがやってくる。強いクラブチームは、その長い休暇を利用して、合宿や全国規模の親善大会に参加する予定を組んでいる。一希の所属する新宿代表チームも、お盆中の一週間ほどかけて、清水市でのサッカー大会に出場する。去年はそういうクラブ事情があちこちで出てきたということが把握されていなかったので、組み合わせ後にそんな新しい流れが出てきたと知ることとなって、組み合わせ日程をやり直すはめになったから、今年は事前アンケートがとられた。そこで、私のいるクラブ内のコーチメールに、以下の日は参加不可能になる、という通知でよろしいですね、という確認メールが新ヘッドコーチからとどく。学校行事、クラブのイベントに重なるからダメ、ということに交じって、中心選手の四名が他のサッカースクールの合宿に参加するため全日本予選日程参加には不可、というものがあった。私は、中心選手だけがチームのメンバーなのではないのだから、試合成立に必要な人数がそろうなら、勝ち負けはともかく、参加するのが原則。しかし、これまでの経験から、夏休み初期の三連休ともなれば家族旅行とうでその人数もそろわない危うさ(試合棄権敗北)があるから、そんな理由で本当に通るのなら、それでもいいでしょう、と返答した。すると、ヤンキーあがりのコーチが、こんな「我見」など聞きたくない、「子供たち」が休むといっているのだから不参加でいいではないか、と応答し、ブラジル帰りのコーチがそのヤンキー・メールに一言も付け加えないで転送してくるという皮肉をきかした仕打ちをしてくる。私は、その二週間ほど前のコーチ会でも、すでに大人の間でも、四十歳前後以下の世代では、「ホーム」という共同主観が崩れているのを確認していたから、またか、との再認識に、怒る気も起きない。一希がクラブを卒業したら、パパコーチの私はコーチとして残るのか? という他のコーチからの問いかけに、「子供がいなくなってから2・3年はつきあう、というのが普通かな、とどこかのクラブのパパコーチが言っていたのを立ち聞きしたんですが、まあそれが、日本人の義理人情ですかね。」と答えた。それに、新宿区の副理事として審判部長を務めている前監督だけが、アハハとこたえた。他のものは? 「いやそんなことないですよ」と、怯えた様子……そこには、それならば自分も子供といっしょにすぐに逃げられないではないか、ということと、重鎮的に睨みを聞かしているような私からまだ解放されないのか、という二重の怯えが読み取れた。ブラジル帰りのコーチは、「もっと代表にいった息子についていってあげたらどうですかね」、ともいう。自分も長男のときにそうしたように。私にとっては、一希がいないあいだ、一希を慕って入部してきた同級生たちを、下手だから、しっかりしていないからという理由で試合にださず(大差になっても)、下級生のほうがうまいから、とバイアスがかかる実践から守ってやる、その一身で留守を守っているのだ。もちろん、一希とともにいなくなっていいのなら、喜んでそうするだけだ。そして、そういう平然とした個人主義が、地域(ホーム)を大切にする欧米や南米の個人と似て非なるものだということを、彼らは知っているのだろうか? あのコーチは、ブラジル社会で、何を見てきたのだろうか? 今でも連絡とりあう友達はいるのだろうか?
もし、地域組織とも学校行事とも所属クラブの事情とも関係ない、プライベートなサッカースクールの(合宿)ために、その地域ボランティア組織が運営するリーグ戦には不参加という理由が平然と通る、ということが容認されるならば、その意味は、論理的にどんな展開を予測させるだろうか? 形式的には、その理由は、子供が家族旅行で休むからその日の試合を組むのはやめにしてくれ、それでOK、ということと同じだ。トレセンでも、休んでよいのは、Jリーグのジュニアユースのテストにいくときだけ、とかに限定、念を押されている。そうしなければ、地域とは関係ない、ブランド力ある海外の著名チームの営むスクール等に子供たちが行って開催している練習が不成立になってしまう危うさがあるからだ。そして、現今は、学校よりも進学塾、という傾向と同じで、サッカーをさせる親たちが、目先の、小学生での上達・勝敗結果を見たいがために、年々そのバイアスは強くなっているだろう。そうした先を突き詰めるとどうなるか? 日本代表になった選手の小学生のときのホームチームはボカ・ジュニアーズ、だけどいまそのクラブは、採算がとれなくなったためにアルゼンチンに帰って日本にはありません、とかになるのだろうか? 著名なクラブやスクールを小学生のときから、プロ選手のように父・母が選んでくれるままに渡り歩いて、自分と最後まで戦ってくれた小学校の仲間はいない、それで、ホームという拠り所もなくして、ワールドカップという土壇場で強く戦える代表選手になれるのだろうか? ブランド力や資本力で地域に大店舗参入し、地元の店は閉じ、採算とれなくなるとよそへゆく、残るはさびれたシャッター街……「学校の勉強なんかできるのはあたりまえでしょ!」と女房は宿題をこなして喜んでいる一希を叱るが、ということは、学校よりも塾のほうが価値があるということを暗黙に訴え教えているということ、似たような勉強を二か所でしなくてはならないのならば、どちらかが余暇的に機能しなくては子供の神経・緊張はもたないだろう、だから、昔は塾のほうが余興だったが、今は学校のほうがそうになって、クラス授業が成り立たず、学級が崩壊しているのだ。目先・足先のうまさ、ドリブル、シザーズ、マルセイユ・ルーレット、ドリル、模試、テスト結果。……
わかって、「子供たちのために」、と言っているのだろうか? ……そんな暗黙には言ってはいけない事、あるいは禁じ手を平然とボランティア組織に提出していられる、そこまで共同主観(以心伝心の伝統意識)が崩壊しているとは。新宿区で組み合わせ日程をエクセルで組んでいる元パパコーチだって、もう引退させてくれ! と悲鳴をあげながらやっている。それは、平然とした個人主義者がシニックに見るように、そういうのが好きな権力志向の大人たちがやっているボランティアなどではない。むしろ暴力(権力)的なのだが、それでも、共同主観的にここまでの線まではいい、子供がやめたらぱっといなくなるのではなく2・3年はつきあわなくちゃ、という暗黙の共通理解があればこそやってやれる自発性なのだ。それを平然と踏みにじってOKとするならば、誰がそんな連中のためにやるか、となるのは当然である。日本サッカー協会の組織といえど、現場はそうした戦国時代の石垣みたいなもので、末端で支えているボランタリーな石が抜けてしまえば、一瞬にしてガラガラと崩れ落ちるだろう。一つの区やブロックが崩れたら、他にも伝染してゆくだろう。
***** ***** ***** *****
もちろんEUは、この伝染の現実性がわかっている。だから、ギリシャをうまくおさえこみたい。そしてもちろん、ギリシャ国民も、自分たちの借金なるものが、ドイツ資本を中心に仕組まれた高利貸しのサラ金要領だということを見抜いている。地元の店を、職場を、シャッター街化していったカラクリに自覚的である。だから、ならば、民主主義発祥の本場の力、ほんものの民主主義とはどういうものかおもいしらせてやる、とドイツ資本中心の、民主主義が建前のヨーロッパにし返しているのだ。民意の結果を表にださせたくなかったEUは、とりあえず国民投票妨害には失敗した。……とにかくも、わかっているもの同士の、腹の探り合い、駆引きが、成立している。おもしろいサッカーの試合のように。
で、日本人は、自分たちが国に預けている郵便貯金でも金融商品に気兼ねなく投資し、その采配にも民間資本が参入してもOK、と平然とした個人主義を受け入れている日本人は、わかっているのだろうか? これから陥れられる状況は、ギリシャと似てくるかもしれない。ある意味、それは生き延びるために不可避的なことかもしれない。しかし、根こそぎもっていかれるのではなく、自分たちの生活していけるぶんは親分に貢ぐのではなく、確保しなくてはならない。もちろん、黙っていても、もっていかれるだけだ。しかしそれには、わかっていなくてならない。そうでなくては、試合に、駆引きにもならない。ということを、わかって、「子供たちのために」、とあのコーチたちは言っているのだろうか?
「僕は全清水が絶対に勝つと思っていた。たとえば西ドイツではこの年代では指導者が勝たそうなんて意識はなくて、将来どんな選手に育つかしか考えていない。ましてシステムやチーム戦術なんて教えていない。あくまで伸びる指導をする中で勝てればいいという方針だった。
宇野の眼には、清水の指導方針はこれと正反対に映っていた。結果としてこの方針の違いがサッカー先進国とのその後の伸びしろの違いに繋がっていると感じていただけに、宇野はこの頃堀田とそのことでよく議論をしたという。」(梅田明宏著『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五〇年史』 現代書館)
なかなか息子一希との決戦の日が来ない。雨のせいもあるが、運動会とう学校の行事等が重なって、組み合わせが成立しないのだ。そしてとうとう、夏休みがやってくる。強いクラブチームは、その長い休暇を利用して、合宿や全国規模の親善大会に参加する予定を組んでいる。一希の所属する新宿代表チームも、お盆中の一週間ほどかけて、清水市でのサッカー大会に出場する。去年はそういうクラブ事情があちこちで出てきたということが把握されていなかったので、組み合わせ後にそんな新しい流れが出てきたと知ることとなって、組み合わせ日程をやり直すはめになったから、今年は事前アンケートがとられた。そこで、私のいるクラブ内のコーチメールに、以下の日は参加不可能になる、という通知でよろしいですね、という確認メールが新ヘッドコーチからとどく。学校行事、クラブのイベントに重なるからダメ、ということに交じって、中心選手の四名が他のサッカースクールの合宿に参加するため全日本予選日程参加には不可、というものがあった。私は、中心選手だけがチームのメンバーなのではないのだから、試合成立に必要な人数がそろうなら、勝ち負けはともかく、参加するのが原則。しかし、これまでの経験から、夏休み初期の三連休ともなれば家族旅行とうでその人数もそろわない危うさ(試合棄権敗北)があるから、そんな理由で本当に通るのなら、それでもいいでしょう、と返答した。すると、ヤンキーあがりのコーチが、こんな「我見」など聞きたくない、「子供たち」が休むといっているのだから不参加でいいではないか、と応答し、ブラジル帰りのコーチがそのヤンキー・メールに一言も付け加えないで転送してくるという皮肉をきかした仕打ちをしてくる。私は、その二週間ほど前のコーチ会でも、すでに大人の間でも、四十歳前後以下の世代では、「ホーム」という共同主観が崩れているのを確認していたから、またか、との再認識に、怒る気も起きない。一希がクラブを卒業したら、パパコーチの私はコーチとして残るのか? という他のコーチからの問いかけに、「子供がいなくなってから2・3年はつきあう、というのが普通かな、とどこかのクラブのパパコーチが言っていたのを立ち聞きしたんですが、まあそれが、日本人の義理人情ですかね。」と答えた。それに、新宿区の副理事として審判部長を務めている前監督だけが、アハハとこたえた。他のものは? 「いやそんなことないですよ」と、怯えた様子……そこには、それならば自分も子供といっしょにすぐに逃げられないではないか、ということと、重鎮的に睨みを聞かしているような私からまだ解放されないのか、という二重の怯えが読み取れた。ブラジル帰りのコーチは、「もっと代表にいった息子についていってあげたらどうですかね」、ともいう。自分も長男のときにそうしたように。私にとっては、一希がいないあいだ、一希を慕って入部してきた同級生たちを、下手だから、しっかりしていないからという理由で試合にださず(大差になっても)、下級生のほうがうまいから、とバイアスがかかる実践から守ってやる、その一身で留守を守っているのだ。もちろん、一希とともにいなくなっていいのなら、喜んでそうするだけだ。そして、そういう平然とした個人主義が、地域(ホーム)を大切にする欧米や南米の個人と似て非なるものだということを、彼らは知っているのだろうか? あのコーチは、ブラジル社会で、何を見てきたのだろうか? 今でも連絡とりあう友達はいるのだろうか?
もし、地域組織とも学校行事とも所属クラブの事情とも関係ない、プライベートなサッカースクールの(合宿)ために、その地域ボランティア組織が運営するリーグ戦には不参加という理由が平然と通る、ということが容認されるならば、その意味は、論理的にどんな展開を予測させるだろうか? 形式的には、その理由は、子供が家族旅行で休むからその日の試合を組むのはやめにしてくれ、それでOK、ということと同じだ。トレセンでも、休んでよいのは、Jリーグのジュニアユースのテストにいくときだけ、とかに限定、念を押されている。そうしなければ、地域とは関係ない、ブランド力ある海外の著名チームの営むスクール等に子供たちが行って開催している練習が不成立になってしまう危うさがあるからだ。そして、現今は、学校よりも進学塾、という傾向と同じで、サッカーをさせる親たちが、目先の、小学生での上達・勝敗結果を見たいがために、年々そのバイアスは強くなっているだろう。そうした先を突き詰めるとどうなるか? 日本代表になった選手の小学生のときのホームチームはボカ・ジュニアーズ、だけどいまそのクラブは、採算がとれなくなったためにアルゼンチンに帰って日本にはありません、とかになるのだろうか? 著名なクラブやスクールを小学生のときから、プロ選手のように父・母が選んでくれるままに渡り歩いて、自分と最後まで戦ってくれた小学校の仲間はいない、それで、ホームという拠り所もなくして、ワールドカップという土壇場で強く戦える代表選手になれるのだろうか? ブランド力や資本力で地域に大店舗参入し、地元の店は閉じ、採算とれなくなるとよそへゆく、残るはさびれたシャッター街……「学校の勉強なんかできるのはあたりまえでしょ!」と女房は宿題をこなして喜んでいる一希を叱るが、ということは、学校よりも塾のほうが価値があるということを暗黙に訴え教えているということ、似たような勉強を二か所でしなくてはならないのならば、どちらかが余暇的に機能しなくては子供の神経・緊張はもたないだろう、だから、昔は塾のほうが余興だったが、今は学校のほうがそうになって、クラス授業が成り立たず、学級が崩壊しているのだ。目先・足先のうまさ、ドリブル、シザーズ、マルセイユ・ルーレット、ドリル、模試、テスト結果。……
わかって、「子供たちのために」、と言っているのだろうか? ……そんな暗黙には言ってはいけない事、あるいは禁じ手を平然とボランティア組織に提出していられる、そこまで共同主観(以心伝心の伝統意識)が崩壊しているとは。新宿区で組み合わせ日程をエクセルで組んでいる元パパコーチだって、もう引退させてくれ! と悲鳴をあげながらやっている。それは、平然とした個人主義者がシニックに見るように、そういうのが好きな権力志向の大人たちがやっているボランティアなどではない。むしろ暴力(権力)的なのだが、それでも、共同主観的にここまでの線まではいい、子供がやめたらぱっといなくなるのではなく2・3年はつきあわなくちゃ、という暗黙の共通理解があればこそやってやれる自発性なのだ。それを平然と踏みにじってOKとするならば、誰がそんな連中のためにやるか、となるのは当然である。日本サッカー協会の組織といえど、現場はそうした戦国時代の石垣みたいなもので、末端で支えているボランタリーな石が抜けてしまえば、一瞬にしてガラガラと崩れ落ちるだろう。一つの区やブロックが崩れたら、他にも伝染してゆくだろう。
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もちろんEUは、この伝染の現実性がわかっている。だから、ギリシャをうまくおさえこみたい。そしてもちろん、ギリシャ国民も、自分たちの借金なるものが、ドイツ資本を中心に仕組まれた高利貸しのサラ金要領だということを見抜いている。地元の店を、職場を、シャッター街化していったカラクリに自覚的である。だから、ならば、民主主義発祥の本場の力、ほんものの民主主義とはどういうものかおもいしらせてやる、とドイツ資本中心の、民主主義が建前のヨーロッパにし返しているのだ。民意の結果を表にださせたくなかったEUは、とりあえず国民投票妨害には失敗した。……とにかくも、わかっているもの同士の、腹の探り合い、駆引きが、成立している。おもしろいサッカーの試合のように。
で、日本人は、自分たちが国に預けている郵便貯金でも金融商品に気兼ねなく投資し、その采配にも民間資本が参入してもOK、と平然とした個人主義を受け入れている日本人は、わかっているのだろうか? これから陥れられる状況は、ギリシャと似てくるかもしれない。ある意味、それは生き延びるために不可避的なことかもしれない。しかし、根こそぎもっていかれるのではなく、自分たちの生活していけるぶんは親分に貢ぐのではなく、確保しなくてはならない。もちろん、黙っていても、もっていかれるだけだ。しかしそれには、わかっていなくてならない。そうでなくては、試合に、駆引きにもならない。ということを、わかって、「子供たちのために」、とあのコーチたちは言っているのだろうか?
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