2022年9月23日金曜日

杉田俊介著『橋川文三とその浪曼』(河出書房新社)を読む


千葉へ移住前の中野区の本屋でこの本をみかけたのは数か月前になろう。

私も、去年、電子出版本の試作として、初めて値をつけてみた『人を喰う話』(摂津正さんとの共著)に、「瀰漫する日本浪曼派――シン・エヴァンゲリオン批判」なる予備考で、橋川文三の『日本浪曼派批判序説』を使用していた。ので、そのタイトルが気になり、手にとってみたのだ。が、その時は購入にはいたらなかった。

 

著者の杉田俊介という名前をみて、この人はフリーター問題に関して、何か実践をやっていた人ではなかったろうか、という想起がよぎったからである。たしかその件の著作に関し、私はこのブログだったかその前のHPかで、肯定的に感想を綴ったことがある。だから、その後の杉田氏の活動のことはまったく知らなかったので、文学論との関連が結びつかず、ためらったのだ。分厚いし、高いし。

 が、スマホで色々読んでいたある時、中島一夫氏の文芸批評ブログで、杉田氏のこの作品について週刊読書人で書評を書いた、とあった。ということは、杉田氏は、もともと文学畑が専門の人なんだなと合点し、もうすぐ引っ越しで図書館に行く暇もなくなるだろうからと、購入することにした。そして自分の問題を整理するためにも、その感想をメモしておこうと考えた。

 

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私自身は、橋川文三の作品は、『-序説』しか読んでいない。シン・エヴァンゲリオンを映画館でみて、これは無邪気に薄められた日本浪曼派的な心情なのではないかと思い、そこで橋川文三にそれを批判する本があったな、読んでみよう、という気になり、柄谷経由のより一般的なロマン派理解で理解できるところでこの映画は切れてしまうじゃないか、と即席的な例解として書いてみたものだ。

 そもそも、私は、日本浪曼派の親玉だという保田與重郎の作品を理解できたことがなかった。これのどこに、日本的なロマンの問題(心情)があるのかわからない。私にとって、日本近代文学上、日本的ロマンとして共感しうるのは、太宰や安吾といった無頼派系の人の作品=文体からである。私は群馬=上州育ちだから、萩原朔太郎の「帰郷」という詩にある、「まだ上州の山は見えずや」に感応する。そして帰省時に、故郷の山並みの風景姿をみて(いや山に限らず海でもいいと思うが)、なにかほっとする感情を抱くのは、私だけでもないだろう。しかしそれは、もう故郷に心情的には帰れない、無理してまた居住でもしたら頭がおかしくなってしまう、もう自分はそこから切れてしまっている、という感情の方が強いからだ。つまり、一匹狼的な無頼である。そこから、高倉健が出てくるような、任侠映画にある、大衆受けした浪人のロマンがでてくる。私にとっての日本的浪曼とは、そういう文脈理解である。保田じゃない。彼の作品に感応し特攻していったという青年たちとは、やはりインテリの優等生だろう。

 そしてその日本浪曼的な大衆心情は、じっと我慢の子であるが、ついには、黙ってらりゃあいい気になりやがって、てめえら人間じゃあねえ、叩き切ったる、と真珠湾的な奇襲攻撃をしかけ、みなが拍手喝采、溜飲をさげる、ような状態にもなる、と想像するのだ。そしてSNSを通じて大勢になる日本的なポリコレ的揚げ足取りは、そんな大衆になりきれないエリート優等生の裏返されたロマン的心情であり、言行不一致をあげつらう裏返された言霊信仰、物事が文字どおりでないと気のすまない左翼みせかけの右翼、天皇なき天皇制心情である、と私には見える。

 

私は新宿区の職人街、かつては歌舞伎町などにも鉄砲玉となるような人たちを供給していたような地域の人たちと付き合ってきた。草野球仲間でも、街宣カーで出動する、赤尾敏の愛国党系の右翼団体の家系の親分もいて、そこに関わる若い人たちのことも、深くではないが、肌感覚でわかる。イデオロギーだの、そんな話ではない。

 杉田氏の三島由紀夫をめぐる論考を読むと、私には、三島がやはりバカに見えてきてしまう。たとえていえば、甲子園に出場する高校球児たちの感動的な姿をみて、純粋にそういう若人たちがいると本気で思ってしまうようなアホ臭さ。そんな糞真面目な奴いるわけねえだろう。おそらく、三島が実際に徴兵されて軍隊生活を送っていたら、目が覚めたろう。が、純粋ではなく、不真面目であるからといって、真剣さがないわけではないのだ。ブログだかHPだかでも綴ったが、敗戦の通知を受けても降伏せず、小舟を漕いで切り込んでいった末端の若い兵士たちもいたそうだが、私には、ジャングルに潜みながら、もはや上官も死んでただ先輩―後輩関係だけがあるようなグループのなかで、どんな会話がなされたのか、聞こえてくるようだ。俺たちはバカだろう、やるしかねえよな、いやそこまでやらなくても、いやだって、おかしいだろう? わかったよ、と泣く泣く突撃するのだ。彼らは、「天皇陛下万歳!」を叫んで突っ込んでいったのかもしれない、が、そんなのは、他に言うことがないからの口パクの合言葉だ。おそらく大概の若者はそんな言葉は叫ばないだろうが、叫ぶものも、やけっぱちな気合入れだろう。ただ、ヤンキーの、下っ端で生きてきた者の意地があるのだ。

 

宮台真司が、クリントイーストウッドの映画に出てくる主人公は、平凡でどこにもいる人なんだけど、それがそのままで英雄的な行為をみせる、その逆転の現実を描いているんだ、と講釈していたと思うが、そうした理解に近い。

 が、だからといって、三島を非難するわけにもいかない。なぜなら、まさに戦争中が、一番多感な青春時だったからだ。おそらく、その時期に戦争という狂気に呑み込まれたものは、もう、もどれない。いや、もどれなくても、とにかく平和時になって、頭を冷やす時期があった。橋川文三は、あるいは吉本隆明も、頭を冷やしたわけだろう。

 

私は、中学時代まで、「純粋」に野球をやっていた。そこは、軍隊のようだった。が旧制中学からの進学高校に入って、そこで、戦後民主主義のような洗礼を受けた。自主練が中心だった。私の頭は混乱した。今からおもえば、燃え尽き症候群という症状だ。これは、私が息子と一緒に少年サッカーを教えていたときでも、そう陥る子供もいることを確認した。代表チームに選ばれて、仲間と団結した厳しい練習を卒業し、いざ生ぬるい中学部活動や、あるいは技術偏重のテクニカルなクラブ・チームにいくと、不適応になって引きこもり、そのまま学校へも行けなくなる。一身にして二世を経る、という福沢諭吉の認識経験が、そうしたところでも反復されているのだ。

 吉本は、こんな夢を見た、と言ってなかったか。突撃の命令があったので突撃したら、突撃しているのは自分だけだった、と。私も、似た経験をした。純粋だったのだ。が、頭を冷やした。アルバイトでの外国人と一緒に仕事をすることや、東京の職人たちの世界に触れていくことが、そんな純粋さを再考・熟考させた。

 

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中島一夫氏の文芸ブログ、「文学は故郷を失ったことなどない」や「アンチ・オイディプスはまだ早い」は、杉田氏の作品への応答などではないかと推察される。書評での紹介をこえて、杉田氏の作品が露呈させてきた問題を引き継いで綴ったような論考である。

 

杉田氏の問い、<共和制=真の一般意志のために、天皇制なき民主主義を見出すことができるか>――中島氏によれば、三島は、文学がその実践にならない、なれないことを理解していた、と。ベンヤミンの仕事を参照して言えるように、演劇という実践だけが、その回路をもつ。<三島の死とは、いわば演劇実践によって文学の「外」に出ることだった。「死なないですむ」芸道=文学=仮構の「外」にしか、「現実の権力と仮構の権力(純粋芸道)との真の対決闘争もな」いのである。>

 私には、理論的な話をこえて、中島氏の話はリアルに感ずる。それは、早稲田二文にいた私の、数すくない、付き合いあった友人たちは、みな演劇科だったからだ。文学系は、「純粋」かもしれないが大人しい。演劇系は、活動的で、面白い。ひとり、脚本家としてそれなりに著名となった者もいる。要は、文学は活動的ではない、それを目指している人たち自身が。

 三島の、死への演劇の「最後の五秒」、三島は、若い森田必勝に「むりやり」遂行に追い込まれたのではないか、と中島氏は理論的に推察している。杉田氏の作品では、<三島は今際のきわに「森田お前はやめろ」と叫んだという>話が紹介されている。私には、森田が、ヤンキーの意地で、言葉だけの文学を突き上げたのではないか、と思えてくる。

 しかし、ヤンキーがやけっぱちにせよ「天皇!」と叫ぶとき、それは現場の声であって、「一般意志」ではない。天皇なき民主主義が、本当に必要な「一般意志」であらねばならないのなら、その声以前の心情的なものに、別の言葉を与えなくてはならない。ということは、そうするメタレベルな、超越的な思考立場が必要だ、ということだ。三島は、それがわかっていた、と。だから若者から突き上げられて、むりやりでもその拳を食って、「みやびじゃ」と、演劇を遂行した。……純粋貫徹、言霊一致である。が、いいとは思わない。三島個人はしょうがなかっただろう。戦中派で、もう、もどれない心情破壊を抱え込んでいたのかもしれないから。が、若者を巻き込むべきでなかった。

 

演劇は、そういうものなのか? みんなを巻き込んで、場を創造していく。上(天皇)からではなく、下からそこを、真のネーション、共同性を形成していく装置として。一人ひとりがバラバラで虚しくならないように。…が本当に、そんなものがいいのか? 必要なのか? ……三島のその劇的な死にざまは、磔にされた神、という転倒の衝撃と私にはだぶってくる。だから、もし本当に、天皇(日本人の一般意志を収奪しているとされる)が、日本人という枠をこえて、普遍的な神としての超越性を得たいならば、その必要があるというならば、イエスや三島をこえた、よりわけのわからない死に方、「俺だって人間だぞ!」と叫びながら、「人間よ、人間よ、なんで私を見捨てるのか」と独り言ちるような、劇的な結末を迎えなくてはならないのだろう。と、論理図式でなるとおもうのだが、それが、いいのか?

 

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柄谷行人がNAMをはじめた頃、日本語の表記体系の漢字かな交じり文を、双系性という人類学的な分析概念で解こうとする議論があったが(共同討議「「日本精神分析」再論」(『批評空間』2002Ⅲ―3))、結局のところ、それは日本が「島国」だから、という地理的な要因に収れんしてしまう。だから、と決断=実践として、NAMがはじまった、はじめた、と。そして柄谷は、「大和魂」という言葉を喚起させて、それで実践していくことを肯う対談もどこかで行っていた。

 たしかに、柄谷の講演は、演劇的だった。はじめて早稲田大の文化祭でその模様を見て、度肝を抜かれたのを覚えている。お行儀が悪い。

 がその解散後、もう一度柳田国男などを再考したりして、日本的現実=自然を、より世界史的な、普遍性の水準で理解しようとする理論営みに入ったわけだ。

 私自身は、このブログでも繰り返してきたように、NAMの終わりごろに知ったエマニュエル・トッドで解析してきた。こっちのほうが、よりもともこうもなくなるだろう。要は、日本は、核家族的な、猿から人へに近い始原の家族形態が多分に残っている周辺的な場所なんだと。その理論を敷衍すれば、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』も、文明的な共同体家族と、ロシアにおける核家族の残存との闘争、葛藤とみえてくる。シンデレラにせよ、三匹の子豚にせよ、エルダー兄弟にせよ、三人兄弟のうち長男ではなく末っ子が救世主的な位置に立つのは、核家族の名残としての想像力であり、文明への抵抗なのだ。『罪と罰』とかなら、グノーシス的な思想や、分離派といった異端宗教の挿入が、それにあたるだろう。

 

ここでようやく、杉田氏の、最後の章の言葉を引用できる。

 

<三島もまた現人神への愛憎の先で、天皇制を踏み抜いて誰もが神になるための道を行動的に示そうとした。しかし橋川の場合、三島とは目線が微妙に違う。日本を郷土の寄せ集めとして「くに」=島国として見つめ、それがアジアへと、世界史へと普遍的に開かれていくのを見つめるからだ。そのとき戦死者たちもまた、日本国家のための神ではなく、この地球のため、人類のための神々の一員となる。>

 

理論的には曖昧な、杉田氏のロマン心情の吐露のような言葉だが、私は共感できる。「アジア」というのは私にはわからないが、中上健次は、日本人の一億総玉砕という思想は、カンボジアはポルポト派の大虐殺と連なっているのだ、と発言していたのを思い出す。現今のウクライナでは、マリウポリ製鉄所をめぐる戦闘などは、硫黄島での戦いを想起させるが、アゾフ大隊の司令官は、SNSで助けてくれと呼びかけて、玉砕はしなかった。これも、すでに他民族からの虐殺経験を幾度も経ざるを得なかった大陸系の倫理感なのだろうと、私は推論する。

 

橋川は、島国日本という周辺のさらなる周辺の「対馬」という故郷をより緻密にみようとしはじめていたわけだ。その視線の先に夢見られる「くに」では、誰もが神になりえ、地球のため、人類のための一員として生きているだろう。……しかし、夢であってはならないだろう。いまや、テニスの大坂なおみだって日本人だし、100メートル走のサニブラウンだってバスケの八村塁だって、見かけだけでなく、いわゆる日本育ちの心情とは異なっているのではないか。彼らを、いわゆる「在日」の憂き目につぶしてしまうことを繰り返してはならない。それは、夢ではなく、必要な具体性として目に見える。そこを見ないで、あくまで日本育ちの、私なら上州人気質の内在的批判という文脈だけにこだわるならば、雑多なものを文化的に抱擁するだけの「神々の微笑」に頽落してしまうだろう。

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