2025年6月15日日曜日

宇野常寛著『母性のディストピア』(集英社 2017)を読む

 


前回ブログの山下悦子の『高群逸枝論』は、母性的なものが「下からのファシズム」として機能した、という視点であるが、宇野常寛の『母性のディストピア』も、そうした認識にたっているものである。ただ、高群が古典的な文芸作品や日記などを文献としているとしても、家族構造をみようとしている点で、前者はあくまで下部構造に関わってくる話であり、後者は虚構世界の上部構造を焦点化したもの、という見方を私はとる。上・下というかつてのマルクス主義的な区別が古いというなら、柄谷の交換様式論をふまえてもいい。柄谷は交換A(互酬・贈与)に注目しその高次元化を目指すというが、その交換Aを支えた氏族制の、父権的(サムライ魂――最近文芸誌に発表した「風景の再発見」で新渡戸稲造の「武士道」の英語版からの翻訳を提出していることをみてもいい)な面を救い上げようとする。が高群も同様に、氏族制の時代を喚起させるのだが、それは群婚制という、むしろ母系的な現実性をすくいあげるためだった。

 

この上下の位相の違いを踏まえたうえで、「母性」性質的なものをめぐる是非論議を追求してみよう。

 

 

まず宇野は、1991年に柄谷・浅田・いとうせいこう・高橋源一郎・中上健次らによって提出された「湾岸戦争に反対する文学者声明」を批判的にとりあげる。

 

<…当時から既に批判されていた「文学者」たちの愚劣さ(実効性のなさ)と非倫理(紛争地域の見殺し)ではなく、むしろ彼らがその愚劣さから目を背けるために「あえて」偽善性を引き受けるという主張を採用していたことだ。>

 

この偽善性は、守られるべき女を演じる妻の犠牲(庇護)のもとで父(治者)は維持される、江藤淳のような右よりの批評家から村上春樹にも共有される、心的な規制であり構造である。この<母子相姦的な構造を「母性のディストピア」と表現したい。>

 

<ここでは世界と個人、公と私、政治と文学のうち前者が後者に、世界の構造の問題が(男性的な)自意識の問題に回収されながらも、それが隠蔽され擬似的な関係を結んでいる状態にある。「母性のディストピア」の常態化によって、戦後日本における成熟とはこの擬似関係に自覚的でありながらそれに気づかないふりを演じること(引用者註;「あえて」ということ)を意味するようになったのだ。>

 

そしていまや、

 

<情報技術に支援されることによって、いま戦後的な「母性のディストピア」は解体されるどころか延命し、肥大している。いや、情報技術の支援によって、それはアイロニー(引用者註;「あえて」ということ)を内包することなく機能するものに進化したとすら言えるだろう。いま、この国を(あるいは世界を)覆っている情報環境は巨大な、目に見えない、母胎のようなものだ。そこでは人は目にしたいものだけを目にし、そして信じたいものだけを信じることができる。政治と文学は切断され、「父」として前者(政治)にコミットしたつもりになりながら情報環境という「母」に守られ後者(文学)の中に引きこもる。何の喪失感も、悪の自覚もないままに。かつて戦後日本を包み込んでいた母胎はサンフランシスコ体制の産物であった。しかし、冷戦終結から四半世紀を経た今日、この母胎は情報技術のつくり上げたネットワークに置き換わり、そして強化されている。>

 

そしてここに、<どちらかといえば母権的な、日本的なムラ社会の、丸山眞男のいう「無責任の体系」が情報技術によって進化したボトムアップの権力にどう対峙するのか、という古くて新しい問題がここにはある。>

 

以上が、当時の宇野の状況認識の要約である。

 

おおまかには、私もそう認識している。

ただ、柄谷の「湾岸戦争に反対する文学者声明」等のジャーナリズム内での実践(パフォーマンス)行為に関するものには、少し違った見解をもつ。柄谷は、それらは、「あとで意味をもってくる」としてやっていたのだ。今は「効果」はないかもしれない、が、あとで、効果をもってくるとして、つまり、“布石”としてやっているのだ。だから、NAMの二年ほどのみの解散も、少しのためらいで決断・容認する。さまざまに、いくつか打った布石が、時の経過とほかの状況との絡み合いあの中で、三十年ほど経ったいま、どう本当に機能効果を持ち始めているのかは、私は知らないが、と言っておこう。(こう指摘すれば、その意味効果が、推定されてくるところも出てきているのでは、とも認識する人もいるのではないか、と思うが…私は、その「あとで」の「効果」自体に、反対している、ということなのだが…結局は、マッチョに居直っているということなのか、と思われてくるので。)

 

そしてもう一点。

宇野はあくまで、日本というこの国の状況を読んでいるわけだが、暗黙には、引用か所にも、「あるいは世界を」、とあるように、この母性的状況を、世界に拡大しようとしている。が、トッドの家族人類学的な認識を重ねれば、核家族(双系制)的なイギリス・アメリカでは日本傾向はあるかもしれないが、大陸文明の中心(父権・共同体家族)やそれに近いところでは、そうはなっていないのではないか、ならないのではないか、ということだ。しかも、ロシアによるウクライナへの侵攻、イスラエルの進撃、等、またはコロナ下でのかつての文明大国の対応をみると、資本やテクノロジーへの統制・検閲が、強靭に決行できてしまっているように見える。かつて、資本主義はアメリカナイズが頂点だ、いや日本での子供の資本主義が達成点になる、とのコジェーブの分析を受けてフランシス・フクヤマが「歴史の終り」を説いたわけだが、ぜんぜんそうはなっていないのと同様のことが、この母性をめぐる認識議論にも、言えてくるのではないだろうか?

 

世界は、厳しい、というか、こわっ。これが父権か、いったいこれに、どう対応するんだ? というのが、むしろ今突きつけられている日本での問いなのではないだろうか?

 

とにかく、宇野は、日本(世界)を覆う「母性のディストピア」に対し、次のような対応認識を示す。

 

    所有する/される、父権/母権的な縦のつながりの記述するナルシズムではなく、家族にいかない兄弟/姉妹的な横のつながりの記述する関係性へ。

    世界と個人、公と私は「政治と文学」ではなく「市場とゲーム」で結ばれる中では、物語の語り手/読み手としての成熟ではなくゲームのデザイナー/プレイヤーとしての成熟になる。静的・一方向的・自己完結的な文学ではなく、動的・双方向的・開放的なゲームである。他人の物語への感情移入によって成立するものから、自分の物語を自分で演じるものへの変化である。

 

以上の参照例として、ボーイズ・ラブや同性愛的な荻尾望都、竹宮恵子などの少女漫画、オタクな成熟、ニュータイプをもう一度、のようなものがあげられてくる。

 

私としては、なんともいえない、考察中ということになるのか。私のこのブログは、もしかして、「自分の物語を演じるもの」ということになるのかもしれないが、自覚はない。ただ、少女漫画ということでいえば、冒頭写真は、妻の遺品として、最近気づいたものである。「少女フレンド」の特製付録品だ。中には、ヘアピンの類がいっぱいつまっている。この1972年からつづいた少女漫画で、まさに荻尾や竹宮が連載を開始しはじめたのだ。私は、妻・いく子は、どうも60歳すぎてから自分のセクシュアリティを再発見したのでは、と、少女漫画のことなど知らない妻の妹さんの発言とうからも、予想を改めたが、そうではなく、当初どおりの推測が当たっていたのだ。中学時代、おそらく友達のあいだで、流行ったのだ。当時の中学生の間での年賀状の挿絵などが、やはりその推測を補完するものだったのだ。

 

世界と個人、公と私をつなぐテクノロジーという媒体(中間的なもの)を肯定していくときの技術、態度、実践の在り方が問題である。宇野はそこから、自然(原始)の森ではなく、「庭」という中間的な在り方の話になっていったのかもしれない。が、この森と庭に関する議論でも、私は考え中だ。石牟礼は、自身がそだった「うまわりのとも」(湿地帯で、それは私が暮らした東京中野区にある「ばっけ」と呼ばれたかつての土手地帯の言葉を、現地水俣のそこを見て思い起こさせた。)を森として復活すべく、その再興の学者・実践者と対談したりしている。そうしたことが、どういうことになるのか、まだ私は一定の見解に達していない。

 

それと、以上に重なるだろう問いを、別の角度から整理、考えてみたい。中島岳志編集の『RITA MAGAZINE 2』で、「死者とテクノロジー」という特集をやっている。これは、柳田国男の「先祖の話」、家の継承、墓(葬儀、喪)をどうするか、という、父系側からの問いかけだ。私はまだ、妻を納骨できていない。この他人事ではありえない問題を、考えるだけではなく、解決していかなくてはならない。

2025年6月10日火曜日

山下悦子著『高群逸枝論 「母」のアルケオロジー』(河出書房新社・1988)と宇野常寛著『母性のディストピア』(集英社・2017)を読む(1)

 


ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は、父殺しをめぐる三人兄弟の話だが、日本の文脈でなら、むしろ母殺しがテーマとして浮上してくるだろうと、『中上健次ノート』というエセーを書き、自身も『いちにち』という小説にまとめてみたのだった。が、妻が遺し与えた課題を追及しているうちに、石牟礼道子や高群逸枝にゆきつき、そういう方向性からの追及ではすまないのではないかと考えるようになっている。しかし、母をもちあげるとは、日本の文脈では、戦時中の国防・母運動や、現今の子育てにおける父は黙って母の圧制(負担)のような状況下においては、どういう言葉、物言いで説明していけばいいのか、となる。とくに、高群は、まさに母を根拠に戦時中のイデオロギーを強烈に補完する言葉をだしていた者である。

 

そう思いめぐらすなかで、上二著を読んでみた。まだ高群の作品自体や彼女に対しての他からの批判書を読んでいる途中であるが、母(性)をめぐる考えをいったん整理してみる。まずは、山下悦子『高群逸枝論 「母」のアルケオロジー』から。

 

 

石牟礼道子は、本当は、高群逸枝を研究したかったのだが、水俣病事件に出会うことによってそれを中断し、その関わりが一段落したあと取りかかろうとした四十歳すぎに、目がほとんど見えなくなってしまい読書することがかなわなくなってきたので、あきらめた、というようなことを言っている。『苦海浄土』のタイトルは、本人当初は「海と空のあいだに」だったが、編集者の意向で変更された。のちに、このタイトルは、短歌集に採用されていることからみても、彼女には思い入れがあったのだろう。私の推察では、このタイトルは、高群逸枝の最初の詩集『日月の上に』から来ている。というか、それへの批判なのだ。ひとまわり以上も年上な高群は、「日月」という天(自然)上の理想を望むことができたが、わたし(たち)はもはや、「海と空のあいだ」、つまりは人間界の苦しみを引き受け、「天の病む」世界を生きていくほかはないのだ、という覚悟の表明なのだ。

石牟礼は、高群の晩年にちかい時期だったか、面会謝絶を続けていた東京の自宅を訪問することを許されている。『最後の人 詩人高群逸枝』の半分は、高群というより、その夫橋本憲三の話になっている。石牟礼の高群への関心の中心は、男女関係とその世間における女性の不当さ、自身が受苦したものの不合理さへの探求ということだったろう。

 

山下悦子は、高群の初期詩集から、日本浪漫派に通じる哀愁や寂寥感をただよわせた「故郷」を読んでいる。そしてその「山の平和な生活を一変させた」のが橋本憲三との出会いであると。その熊本の故郷には、当時まだ、若集宿のような、夜這いの風習のようなものが残っていたのではないかと、高群の詩から推察できる。がそれは、「山の平和」として受け止められていたようには、私には読めない。むしろ、高群は、夜這いに来る男たちを気味悪がり、嫌がっていたのではないかということが、詩の背後にある。『日月の上に』は、おそらく幼少から大人へと成長していく時間軸におおまかに沿っているが、娘に達する頃の時期とみられる詩の言葉に、その嫌悪がひそまされている。が、インテリでニヒルの憲三は、この群れる男たちとは違ったのだ。だから、彼女は興味をもち、恋に落ちたのだ。そこには、同じに近い故郷の男であっても、マレビト的な外人性があった。彼女は、外人を選んだのだ。しかし、群れを捨てることもできなかった。それは、民衆(大衆)への想いのようなものからではない。戦後ののちに、彼女は、男には、カマキリのオスのようにメスに食べられて死にたがっているような、マゾヒズムが根底にあるのではないか、と言っている。それは、生物は分裂して生まれてくるが、またもとの物質と一体になりたがっているのではないか、という認識とつながっている。フロイトはそれを、死の衝動(タナトス)と読んだが、高群は無に帰すそれを生命といい、愛と捉えたのである。そしてこの根底に抱えた洞察、おそらく夜這いの男たちとの関係から得た認識が、詩人としての直観が、彼女の女性学、歴史の考察へと応用されてゆくのである。

山下悦子は、高群の方法は、「現象学的還元」であって、歴史実証的なものではないのだという。それは通史ではなく、共時的に把握されていたものを通時に置き換えた歴史としての誤解なのだという。が、起源に母権性があり、母系の現実があったというのは間違いだが、南北朝時代に父権的なものへのパラダイム転換があったという時点の証明は正しい、つまりは、高群の根底的な洞察は間違いではなかった、ということだろう。がそもそも、高群の思考を、柄谷行人からアドバイスを受けたという現代思想で難しくする必要があったのか? 高群は、自身の体験から得た洞察仮説を、歴史文献を使って実証してみせようとしただけである。そしてエマニュエル・トッドの家族人類学でも、柄谷の日本精神分析でも、日本(人類)は双系(核家族)的なのが起源的であるなら、父系とともに母系もあったのが現実ということになる。しかもこの母系的なものは、たとえば子供を産むと母方の親元の方へ妻は子供と一緒に退避していく子育て傾向が今もって見られることからも、その残存は推察できる。「現象学的還元」という「内省と遡行」の方法というなら、それはむしろ柳田国男の方だろう。だから、遡行で意識化できうる時間範囲は、限られる。高群は一気に古代までいった。高群から贈呈された本をみたら、柳田は黙って(絶句して)しまう他ないだろう。そして高群が母系に注目したというなら、柳田は父系に注目した。柳田の「いえ」に対する認識には、内省を超えた自身の理想というか夢のようなものがひそまされている感じがする。高群は、「内省と遡行」をしたのではなく、体験し、直観し、歴史的にはおおまかにはそれは当たり、認識的には、昆虫などの生態(群れ)を量子力学的に理解していこうとする郡司ペギオのような思考射程も入ってくる。

 

山下は、こういう思考をしているから、こういう行いになるのだという。デリダの脱構築、形而上学批判の踏襲である。高群は、母を無ととらえ、それを根拠にした。だから、西田幾多郎のような東洋思想にゆき、天皇体制のイデオローグになったのだと。ならば、なんで石牟礼道子はならなかったのか? 母を根拠に、国家と資本に闘ったではないか。もし高群に子供がいたら、ああはならなかったのではないか、と山下は一方で言う。高群は死産(男の子)で、無事育っていれば、徴兵される年頃であった。私もそう思う。俗にいえば、女性はそうなんだ。子供は嫌いだと言っていた妻は、いざ自分が産んでみると、溺愛するようになる。「おまえ子供はいやだって言ってなかったか?」ときくと、「そんなことは言っていない」となる。こう考えるからこう行うとはならない。むしろ、そう現行一致と理解すること自体が、男性の早とちりだったとしたらどうだ? 高群の、外人との結婚が日本古代にあったとする文献仮説は、自国内だけではおさまらなくなった大東亜共栄圏のイデオロギーとしても機能した。それは、歴史的にも天皇氏族は混血だったとおおまかには当たっていようが、実は単に、マレビト的であった夫橋本憲三との経験の応用なのではないか? がそんな彼女でも、子供がいれば変わったかもしれない。となれば、こういう考えをしている奴はこうなるんだ、とまだ行ってもいないのに切断する思想的基準に、説得性はあるのか?

 

今の社会的制度・条件下において、女性たちがとち狂い、ファシズム体制を補完したとして、そんな考えしてるからそうなるんだ、と批難できるのか? 受験勉強に子供の尻叩くママゴンの狂気より、受験制度自体がおかしいのではないか? 子供におせっかい(自分の腹を割って出てきた幻視的な一体感なのか?)する母性自体が、人間的であり必要悪な性質だと言うのだろうか? 

かつて、「保育園落ちた日本死ね」という無名お母さんの投稿が話題になったことがある。今は、ほとんど保育園には入れるようにはなっているようである。がそうなれば、赤ちゃんは37度の熱をだせば両親が引き取りにいかねばならない、となっているから、どちらがいくのだ、となる。朝から夫婦喧嘩だ。私の職場まわりの若夫婦は、そうである。どちらも行けなければ、多くは母方の両親に頼む、である。子育ては、夫婦二人でできるものではない。私たち夫婦は、長屋住まいみたいなところにいたから、大家さんや隣老夫婦に子供をあずけて、妻は息抜きによくひとりでかけていた。つまり、群れの中で、社会で育てる。そうした人付き会いが無い、無くなっていくことを前提に、AIで子育てができるのだろうか? 現今まできたテクノロジーは、この母性をめぐる個と群れとの問題を、解決していけるのだろうか?

 

次は、二冊目の、宇野常寛著『母性のディストピア』をめぐって。