2024年7月27日土曜日

山田いく子リバイバル(3)ー2

 


山田いく子1995.11.15「事件、あるいは出来事」in 音羽 (youtube.com)

 

中学生時代から私と結婚するまでの間に、いく子へ宛てられた手紙をすべて読み終えてから、山田いく子リバイバル(3)を訂正した。その音羽での公演での、絶望に沈むようないく子の姿をみて、これは男と喧嘩別れになったのか、と推定し、さらに、公演のちらしから、紙を引き裂く群舞パフォーマンスが、いく子振り付け・出演のものであり、そのタイトルが『事件、あるいは出来事』であると知れたからだ。私は、はじめてそのビデオ録画を目にしたときは、いく子と性格が似ている人がいるからこの公演に参加したのだろう、と思っていたが、長い髪にパーマをかけた女性が、いく子本人だったのである。自傷行為的な破壊と、絶望に虚脱していくダンス。最近、いく子の遺した、1986年から2021年までの手帳を読み終えて、その外的な成り行きが鮮明になってしまった。

 

海外旅行へ行くにさいし手掛けたものが、習慣になったものらしいその40年近くにわたる手帳は、みなmade in Great Britain by Charles Letts & Co Ltdによるものとこだわりがある。

 

私の推測通りとはいえ、それ以上の強度をもった「出来事」、「トレンディー・ドラマ」であったのだ。

 

なんと、いく子が、二十歳のころストーカーのような行為をして家族に謝罪の年賀状を書いたおそらく五歳は年上の男の申し出を了解したのは、中上健次追悼の熊野大学で、柄谷行人の涙を見て感動し千葉のアパートに帰ってきた翌日だったのである(妹の結婚からはじまったいく子の三十歳前後は、あせりから来る行動を起こしては失望しを繰り返した。傷心旅行としてトルコへニューヨークへといった。そうした過程で、憧れの柄谷にあい、そして熊野大学での質疑応答での自分の質問は柄谷から冷たくあしらわれた――)いく子に相手にされなかった男は、お金持ちの子息なのだろうが、すぐにお金持ちの資産家のもとへ婿にいったものとおもわれる。苗字が変わるからだ。が、結婚後も、もしかしたら新婚旅行のドイツから、いく子になお手紙をだしたりしていたのだ。その10数年後、いく子から了解を受けた男は、さっそく薔薇の花束とダイヤのピアスをもってあらわれる。その時の笑みを浮かべるいく子の写真も残っているのだが、バレーの練習スタジオまで送迎してくれるこの男のことを、いく子は手帳に「アッシー」と書きつける。妹さんの記憶では、「県庁」と姉があだ名で呼んでいた、筑波大で天文学を専攻した人とつきあっていたことがある、と私は聞いているが、それはこの男のことだった(もしかしたら、いく子の派遣先の「県庁」で顔見知りになり、おっかけとして、中大法の通信教育にも通ったのかもしれない。背が高く、運動能力も高いと筋肉からわかる。「天文学」というキーワードから、私は同一人物と同定できる記憶根拠をもつ。)しかしそれは、不倫の関係だったのだ。いく子は、「結婚」を前提にお付き合いしている人がいると友達に書いているが、それは、強がりであり見栄であったろう。いく子は、中学生の頃から、結婚は妥協だ、という考えをもっていた。この「妥協」という意味がどういうものなのか、好きになった男以外と生活手段で結婚するのが妥協なのか、キャリアを諦めるということなのか、とか判然とはまだしていない。がこの男とは、「離婚」するからとの口約束でずるずるいっている、ということである。彼が、いく子に費やした額は半端ではない。たとえば、一枚55万円するロシアのブーニンのピアノコンサートに二人でいっている(あきれるようにその値段を私に言った時の表情を思いだすことができる)。ダイヤの指輪も送っている。乗っている車は「ワーゲン」だったろうと、私は推定できる根拠を記憶にもっている。その男と、この音羽の公演の前日に、いく子は大喧嘩をしたのだ。

 

この音羽の「作品」は、自傷行為に走る自我の炸裂、という表現水準にとどまっているようにみえる。が、ここには、のちのいく子の代表作になっていく振りのテーマがあちこちに見られる。そこから推論できるのは、いく子のこの男との関係がすなわち男性社会との闘争であって、その抽象化された問いが、心理表現次元にはとどまらせない作品として昇華されていっているのでは、ということだ。音羽の「事件、あるいは出来事」には、のちの「レストレスドリーム」で使用する音楽も引用されている。

 

がこの関係、男女関係にとっては中途半端な(いく子は「小心で繊細」な人だと友に言ったが、この大胆な行為にでる男の頭ははげあがっており、女性を性的対象としか見ない手紙文句ばかりである)、いく子にとっては矛盾を生きていく苦悩は、ピナ・バウシュの香港公演を二人で見に行ったその際に爆発する。たぶん、ピナのダンスをみて、我に返ったのだ。いく子は、男がくれたダイヤの指輪を、道端か川に放り投げたのだろう。「捨てた日」と手帳にはあり、空のケースだけが残っている。しかもこの頃、1997年は、のちにNAMのコアメンバーともなる男たちとの交流もはじまっており、NAM結成への萌芽もうかがわれたかもしれない。その男たちは、金のことなど知ったことかという主義で生きているような者たちである。ならば、いく子の刺し違えるような接近戦の態度は、矛盾というより、虚偽意識になっていくだろう。いく子は、自分に正直に返ることを決然と選ぶことになったのだ。

 

が男はおさまらなかった。99万円をもってアパートにやってきたりした(それを受け取ったかどうかはわからない。少なくとも、その時期に銀行への入金はなく、あくまでいく子はガツガツであり、当時の仕事は端末入力の派遣だ。かといって、大金を部屋においておく性格ではない。しかもこの頃、泥棒に入られてヴィトンのバッグや財布を盗まれている)。いく子はアパートの鍵を変えようとするが、不動産屋から、女としてわきが甘い、男に合鍵を渡すのがわるい、と嫌味を言われている。男も、自分がいく子に愛されているわけではないと気づいている。筆記体の英文で、あなたが私のことをどう思っているかわからないが、良かれ悪しかれ、私はあなたを愛している、と書いている。そうこうするうちに、男は、「離婚」した。これはどうも、男の奥さんが、夫と子供も捨てるように別れを迫ったのでは、という成り行きにうかがえる。子供は、たぶん、思春期を迎えている女の子なのでは、と私は推定している。その子は家出し、東京の郊外で保護され、施設で庇護された。男は、渋谷の中心街から江東区の見晴らしのよいマンションの方へ引っ越すが、いく子はその手伝いにいっている。さらに、江原組の公演での群舞に、男を誘って参加させている(もう一度確認がいるが、私はこの手帳をみるまで、この年まで仲が続いていたのか、ならばなんで終わったのだ、と疑問に思っていた)。その意味を解読してみると、もしかして、復讐なのでは、という気がしてくる。男を、観衆の前でさらしものにしてみせること。妹さんによると、姉は、わたしは執念深いのだ、と言っていたという。以後、男の記述は手帳から消える。

※追記;99万円を男がもってきたのではなく、手帳の数字は、逆に、いく子が貸したのだ、とわかった。もしかして逆かという想像もあって、通帳をみると、プラスではなく、引き出されているのだ。つまり、手帳の文字・数列の意味が逆になるのだ。給与が月15万もいかないいく子が、計200万円くらいを貸していることになる。(たぶん返ってはいない。そのまま数百円の貯金にまでなる。)香港旅行後いく子に突き放された男は、妻からも離婚されて金に困るようになったのか、いく子にたかっているのだ。引っ越しの金も、いく子がだしたということなのだ。男は、病気になり入院し、事故にもあっている。がいく子は、事務的な対応をしてやることで、冷然と復讐していたのかもしれない。が哀れみもあるのだろう、男を「さん」づけ表記で記帳したりするようになる。男は、自らすがるようにして、江原組の群舞の仲間に入ろうとしたのかもしれない。

 

そんな成り行きを日付とともに知ることは、私にはショックだった。だいぶまえ、いく子と男との関係を知ったとき、妹さんが、「いく子はマサキさんとイツキくんにあって、ほんとうに幸せそうだった。若い頃いろいろあっても、総体的にはよかったのだ」と言ってくれた。今回も、ちょうど手帳を読んで動揺しているとき、いく子が私と結婚するまでの二十年来文通していた友達から私の「中上健次ノート」を読み終えたという連絡を受けた(彼女はいく子と一緒にあの熊野大学に参加した和歌山の女性で、そこで素晴らしい質問をしている)。そしてわたしがいくちゃんからきいた男の話は、「植木職人と結婚するの」ということのみだ、という。それが記憶違い、忘却であることは、残された手紙から明らかなのだが、私が、私との結婚が、いく子のダンスを変えた、あるいは、あの自傷行為から連なったテーマ群を終わりにした、ということはダンスのタイトルからして明らかだった。その私は、いく子の手帳の中では、「2001.3/3 NAM拡大会議 学習会 菅原さん(新事務所)」として登場してくる。日付までは忘れていたが、私は、その初めてのいく子との出会いを覚えている。飛騨さんが私のメールを読んで、学習会でのチューター役にと誘って、私は、ルソーをめぐって何か話したのだ。それは、教育(『エミール』)と植木剪定の関連だったかもしれない。その話を、いく子は近寄ってきてくれて、面白い、だったか、とにかく認めてくれる言葉をくれたのだ。

 

が実は、私は、その熊野大学へ参加しようとしていたのだ。まだ植木屋にはいりたてだったこともあってか、いかない決断をしたときの、家賃2万円の部屋の、かけっぱなしのカーテンの緑色の光を思い出すことができる。もしそのとき、私が参加していたら、35歳のいく子と出会うことになったのである。しかしそうなっていたら、私といく子が共演し、結婚にまでいたるということはなかっただろう。

 

がその10年後、私たちはNAMで出会い、結婚し、男の子を授かった。その息子への教育過程、漢字の書き取りや九九の暗算が始まるころから、いく子の虐待的な勉強見がはじまり、止めにはいる私と喧嘩が頻繁するようになった。いく子は手帳に、「離婚」と書き込んだりしている(がのちに、これは「更年期」だからかもと反省したりしているが)。いく子は、私の知的なあり方をばかにするようになった。3.11での放射能問題、最近のコロナ・ワクチンをめぐる見解、ウクライナでの戦争評価、とう、どれも意見は食い違った。が、ウイルスの脊髄感染で一月半の入院の間、私の『中上健次ノート』を読んだ。退院後の亡くなるまでのひと月の間、読んだと聞いたわけではないが、なにかの拍子に、「実験、それもいい」と真剣な眼差しで私をみつめてきた。だから、読んでくれたのだな、と私は知り、退院後の私との付き合い方を、いく子が変えようとしていることからも、推定していた(ウクライナ評価に関しても、あなたが正しかった、と発言した。また、わたしと結婚してくれたことに「感謝している」とも言い、そのよそよそしい単語に私は言葉を失った)。が私は、いく子が反応したところは、「通俗小説と真理」の部分、いわば「トレンディー・ドラマ」的な生きざまを揶揄した部分であろうと思っていた。そういう意味で、彼女は反省したのだろうと。が、一月前か、いく子が二十歳の頃、中大通信教育でのサークル新聞に書いていたエセーや詩を発見した。そこには、すでに、私が中上ノートで抽出した、『軽蔑』での真知子の思想、「羽衣の思想」が書き込まれていたのだ。

 

もしいく子が、もっと生きながらえていたら、もう一度、私とのコラボレーションを発動する動機を回復し、二十歳の頃の洞察をもって、ダンス作品を作り始めたであろうと、私はおもう。その二十歳のころからの男との「どろなわ」的な関係終焉のあと、いく子は1999年11月、和歌山出身の女性が主催する徳島の酒蔵跡にて『事件、あるいは出来事』という、女たちのシンボリックな連携の作品を発表する。そしてその翌年の20009月、江東区佐賀町のソーホーで、やはり『事件、あるいは出来事』というタイトルをもった、ホロコーストという人類の惨事を寓意したような作品を制作する。もはや、個人心理に限定されない芸術を提出した。

 

    いく子は、熊野大学に初めて参加した翌年2月の深谷正子のダンス・カンパニー公演『NOISY MAJORITY』で、「ある日、クチナシの花はいいました」という作品(口無しが話す、ということ)を発表している。これは、いきなりその熊野大学に参加したときのことを語りはじめることからはじまったらしい。そして、その後の演出でも、観客の度肝を抜いた、と複数の友人たちが報告の手紙を書いている。残念ながら、このVHSビデオはテープが切れてしまってみることができていない。修復してDVDデータに転換してくれるサービスもあるようなので、やってみることにするが。また、以上はまだ、いく子の遺品すべてに目を通してからのものではない。まだ、17歳から30歳すぎまでの一番プライベートな日記群があるのだ。おそらく、二十歳後の、あの男との関係も記入されているだろう。いく子の思想の核は、二十歳までにはすでにできあがっていた。それまでの思春期が、おそらく、再燃した水俣病「事件」の対応に追われ出した父母との関係に、問題となる「出来事」があるのだろう。私はまだ、それらをよむメンタルができていない。私は、泣いてばかりいる。

2024年7月12日金曜日

スラヴォイ・ジジェク『戦時から目覚めよ』と大澤真幸『我々の死者と未来の他者』

 


「言い換えれば、過去を遡って解釈し直すことはいくらでもできるが、未来に関してはそれができない。だからと言って、未来を変えることが不可能なわけではない。未来を変えるためには、まず、別の未来に向かう道が開けるように過去を解釈し直し、過去を(「理解する」のではなく)変えるべきである。」(『戦時から目覚めよ』スラヴォイ・ジジェク著 富永晶子訳 NHK出版新書)

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「普通、私たちは、現在の傾向のそのままの延長戦上に未来を予期する。この場合の未来は、現在の継続である。しかし、現在から断絶し根本的に新しいものとして未来を想定できたとしたらどうだろうか。そのような想定に確信をもてる者からは、現在の惰性の中に生きている者には見ることができない過去が見えるはずだ。」「「未来を変えること」と「過去をまったく異なるものとして見出すこと」とは、別のことではない。両者は同じことの二つの側面である。支配的な解釈とは異なった過去の現実を見出すことができるとしたら、その人はすでに、現在から断絶した新しい未来を「来るべきもの」として確信し、そこから過去を見ている。あるいはこう言ってもよいだろう。失われた<我々の死者>を見出し、救い出すこと、<未来の他者>に応答することとは、別のことではない、と。<我々の死者>への視線と<未来の他者>への視線は緊密に結びついているのである。」(大澤真幸著『我々の死者と未来の他者』 インターナショナル新書)


まず、ジジェクからはじめよう。

コロナ対策やウクライナでの戦争をめぐる、ジジェクの思考前提的な現状認識は、主に日本での情報から状況認識するわれわれとは、異なっているように思われる。ジジェクは、コロナ対策やワクチンの世界的促進は不徹底(特に途上国への)であり、ウクライナへの支援も曖昧なまま終始している、と認識している。が、日本からみれば、MRNAを使った新ワクチンの接種者は日本では9割前後くらいなようだったし(再確認していないので不正確数値)、その処置普及の徹底化の方へ世界も動いていたようにみえた。ウクライナへの支援に関しても、日本は欧米と足並みをそろえての強気な全面支持を表明している、が日本の実際は、9条規定や地政学的な遠さから積極的な支援策が打ち出せないでいる、というようにみえる。

が、イデオロギー的な掛け声レベルでなく、実際の現場を考慮するならば、欧米でのワクチン接種拒否者は4割近くをしめ(接種者が9割前後になるのは人口の少ない国(だったと思う)、ウクライナへの軍事支援は限定的なものに終始している。そして、ジジェクのこの論考が書かれた頃よりさらに最近の実際自体はより露わになりはじめ、新ワクチンに関しては製造会社を告発する裁判闘争が欧米では散見しはじめ、ウクライナへの支援も陰りがみえはじめた。が、日本では、今でもその現状を指摘するだけでも、陰謀論の変質者と思われてしまうきらいがあるだろう。

新ワクチン接種後の、年間の超過死亡者数の急激な増加は、状況証拠的にはワクチン接種が一番なのに、科学的には原因不明と棚上げされているのが現状のようにみえる。

熊本での水俣病もそうだった。状況証拠的にはチッソの排水に何かある、とはっきりしているのに、正確な原因物質や因果関係が不明だと、企業と国、そして当初はマスコミもが結託的に防御対策を放置していたのである。つまり、状況証拠は科学ではないと人も国も動かない。しかし、日本ではそうした戦後高度成長期の経験から東電の原発事故等あったのに、無邪気に大企業の言葉を信じて自らの腕を差し出して病気になっていく。これは、科学以前の話だろう。そういう意味では、欧米(と曖昧な言い方しかできないが)の民衆は、政治的な掛け声にやすやすとは相乗りせず、自らの身体性で抵抗し、マスクなどもはずしてサッカー観戦してきたようにみえる。で、そうした中で、ジジェクはどこにいるのだろう? 彼の認識は、要は掛け声(イデオロギー)の上に終始しているようだ。ならばその思考は、現実をとらえていると言い得るのか? しかし、形式的な論理的整理は、緻密であり、参照になる。


大澤真幸も、当初はそんな風だった、と私は印象を受けていた。

当人は覚えているはずもないが、私は、彼と面識がある。たしか、岡崎乾二郎の『経験の条件』の出版記念会の二次会、歌舞伎町かどこかの少し大きめのバーである。そこで、大澤氏はまずひとり滔々と『経験の条件』の解釈を述べていた。で述べ終わると、用があるので、と足早に店をあとにしていった。私は彼が颯爽と消えていったあとで、「今の大澤さんの話は、間違ってますよね?」と発言した。真向いに座っていた浅田彰が、「まあ大澤さんはああやって整理してみるのがいつもだから」みたいな返答を返してきた。NAMプロジェクトの延長のようでもあったので、むろんそこには柄谷行人もいた。


しかし最近の大澤真幸の作品を読んでいると、「整理」にはとどまらない仕事を打ち出しているように思われる。継続中の『<世界史>の哲学』は柄谷の『探求』での「普遍―単独」「一般―特殊」という四象限図式の敷衍だし、今回の上の新書も、柄谷のその「他者論」の不備をより具体的な文脈で補足していったようなものにみえる。柄谷は『探求』公刊後、死者や未来の者も他者なんだ、と言いはじめたりしていたのだが、そうなる筋道がその論考につけられているとはとても思えなかった。どうしてそうなる? と素朴な読者は怪訝におもったはずだ。しかしいい悪いという話ではなく、竹田青嗣がいうように柄谷は「指摘」しているだけだとしても、たしか中島一夫が「柄谷行人」とはネットワークのことなんだと言っていたように、その「指摘」を受けて突っ込みを開始する各分野の知識人がでてくる。そういえば、その中島一夫が、最近のブログで、柄谷の「意味という病」はそう意味を排する病なんだ、と書いていた。私も同感だ。私の言葉では、「意味という病」はロマンチズムのバリエーションである。このストイックな左翼態度が、一般他者(意味)を排斥する禁欲主義や、マルクス主義的な絶対観念からの逃避は転向だとかいう潔癖主義、他者に出会いたかったら外国語を勉強しろだのというエリート主義を瀰漫させていた。妻のいく子の友達は、女にとってお嫁にいくとは外国にいくようなものなのだから、そうしたインテリの考えはおかしい、と手紙に書いていたが、正しい。岡崎乾二郎も、NAMの芸術系の会合で、長嶋茂雄の「ぶ~んと振れ」の「ぶ~ん」は専門用語なんだ、とそんな柄谷態度を暗に批判していただろう。辞書的な定義ととっくみあっても実際の言葉など覚えられるわけがない。その世界にはいって、その運用に身をおいて、はじめてその意味がわかるようになるだろう。植木屋の「さっと切れ」「ざあ~っと「ぱっと」「ばっと」「ちょんちょん」などの親方の言葉も、専門用語だが、それは定義し辞書化してみても運用などできるわけもない。


最近における大澤の柄谷批判は、柄谷の思考が古典物理レベルにとどまっていて、それでは現実の実際に切り込んでいけない、量子力学をふまえた思考を展開していかないと、というところにあるようだ。この上の新書も、量子論をふまえた論考である。大澤の量子力学の理解や、そこを正確に補足する論理学理解の間違いを指摘する学者もいるようだが、意義ある指摘には私にはおもえない。少なくとも、世界の知識人たるジジェクと同じ視点を提出している。そのジジェクが、現状認識においてわれわれとずれるのは、われわれが現場から遠い島国にいるから、というよりも、東欧にいるジジェクが現場(前線)から近いところにいるからかもしれない。ウクライナの支援の掛け声(イデオロギー)を本当に実施してくれないと、津波のような巨人軍が攻めてくる、という身の恐怖が、認識以前の前提になっているからかもしれないのである。


2024年6月16日日曜日

劉慈欣著『三体』(早川書房)3巻を読む

 


これは、物理学ではまだ未解決な「3体問題」とは関係ないだろう。むしろ、解説でも言及しているような、宇宙人とはなんで出会えないのかを問うた「フェルミのパラドックス」の方に関わっているだろう。そして作者がだしたSF的解答は、SF的というより、あくまで中国の歴史的身体を拡張したもののようにみえる。タイトルにある「体」は、物理ではなく、歴史である。

私はこの身体性の問題を、トリシャ・ブラウンというダンサーの身体性とぶつける。妻のいく子が無意識に提出した問題文脈に従って。

がその前に、この三巻本を、その問題意識に抽出させる方向で要約する。新しく文を書くのは面倒なので、すでにラインでやりとりしたもののコピペですます。

※※※   ※※※   ※※※

第Ⅰ巻「三体」 中国は文化大革命で父を殺された娘・葉文潔は、左遷された天文研究所で、恒星太陽を3つもつ惑星に住む宇宙人との極秘コンタクトに成功する。葉文潔からそのやり取りを教えられた男は、環境破壊を止められない地球人に見切りをつけ、三体星界から地球の科学文明以上の技術を入手すべく、陰謀的な組織を作り策謀する。が、三体星界自体が破滅の危機にあるため、移住しえる天体を探していたのだった。さらに、宇宙界での現実法則は、より過酷だった。その宇宙の真実に気づいた葉文潔は、教え子のルジオに、宇宙社会学を追求せよと遺言する。


第Ⅱ巻「黒暗森林」 ルジオが到達した宇宙の真理とは、果てしない宇宙では、他人に出会うという終着がないので、信用することが不可能という「猜疑連鎖」から導かれてくる論理的帰結だった。そこからは、他人の位置を知ったならば瞬時に抹殺せよ、という実践的命題が導かれる。そのように、地球の位置を知った三体星界は、地球を征服すべく艦隊を派遣していた。さらに、量子力学の応用で、智子という瞬時に情報を入手しえる粒子を地球に張り巡らせた。が、三体星人は、外に現れた情報は全て知りえるが、人の心の中は読めない、人間界なら人が良すぎるという弱点があることがわかった。そこで編み出された作戦が「面壁計画」。選ばれた数人が、心の中で策謀し、そこに全面的な支援と実行をたくしたのだ。ルジオがその一人に選ばれていた。なんで自分が選ばれたのかわからない彼は、愛する人と山に籠もり、そして三体艦隊を迎え打つ未来へと、人類が獲得した「冬眠技術」によって眠りにつく。


第Ⅲ巻「死神永世」 人類は、「面壁計画」とは別に、スパイを三体星に送り込むことも合作した。光速で飛ばすための軽さとして脳みそだけにしても、三体文明は復元できるだろう。それには、ルジオのあとを継いだ程心の男友人が選ばれていた。

 三体艦隊を迎え打つべく太陽系の縁へと派遣されていた地球艦隊もあった。が偵察機と思われた水滴型の兵器により、瞬く間に壊滅された。逃げ延びた数艦は、逃亡者として地球戦艦「万有引力」に追跡されるが、燃料の切れる太陽系の外で、彼ら自身が「猜疑連鎖」に襲われ、瞬殺した「藍色空間」だけが他艦の燃料を奪い生き延びる。「万有引力」との追跡劇も、しかし後から追尾してきた三体兵器の水滴によって、両者終わりかと思われたなか、他者は地獄であるという宇宙の公理から導きだされる、新たな定理、命題実践を手にいれる。宇宙での戦いは、3次元世界のみによって行われるのではないのだ。彼らは、宇宙戦場の跡地に残った4次元空間戦術によって水滴を無用化する。

がその間、地球は三体ロボット智子一人に征服されていた。全人類はオーストラリアに強制移住させられ、共食いして生きよ、と指示される。そこまで追い込まれたのは、ルジオのあとを継いだ程心が、三体の位置を宇宙に知らせることをためらったからだった。が、水滴を倒した「万有引力」が、地球の惨状を知り告知した。他の知性体に位置を知られた三体星界は、光一粒で破壊され、艦隊は逃亡し、智子も地球を去った。

が、ということは、地球の位置も知られたので、破壊されるのは時間の問題となった。光一粒で太陽を破壊するという攻撃をかわすには、地球を脱出し、木星の裏に隠れることだ。が、攻撃者が使用したのは、2次元攻撃だった。紙切れのようなものが果てしなく拡張し、太陽系も一筆の巻絵のようにつぶれてしまった。そうなってしまったのも、またもや心優しい程心のミス。宇宙をさまよう三体艦隊でスパイとなった友人からの暗号物語の解読ができても、それが教えた技術開発をストップさせてしまったからだった。リスクをおかしてまで木星裏の平和を壊すべきでないと。が、ルジオがひそかに、その技術、光速艇の開発を実行していた。程心は、光速艇で太陽系を脱出し、スパイとなった友人がプレゼントしてくれていた恒星へとむかい、そこで「万有引力」の乗組員と出会い、宇宙戦争の有り様を知らされる。

が、宇宙戦争はそこまでもやってきた。巻き込まれた程心と乗組員は、時空をさまよい、何億年後かの同じ惑星に着陸する。それを見込んで、スパイ友人が時間の外に脱出するカプセル宇宙と智子を過去から送っていた。二人はそこでやりすごそうとするが、宇宙から何百万もの言語でメッセージがはいる。そこには、三体語や地球語もある。宇宙の質量は一定なので、カプセル小宇宙が時の外に物資を運びだしてしまったままだと、宇宙は新たなビッグバン、新たな宇宙ができなくなり、ただ膨張して終わってしまう。だから物資を大宇宙に返して帰還せよ、カプセルには記憶だけを残せ。そうすれば、新しい宇宙で、新しい文明が、われわれの記憶を復元してくれるだろうと。

程心らは、そのメッセージに従った。カプセル宇宙で生き延びることを智子はすすめたが、地球人の優しさ、小さな世界に引きこもるのではなく、他人に開かれ、他人を信じるために、宇宙への帰還を選択したのだ。


※※※


「後書き解説では、ホラ話、とも言っていますが、ハンパない。たぶんそれは、「水滸伝」などもそうですが、中国が絶滅の歴史を繰り返してきているからなのだと思います。例えば、ウクライナやイスラエルの戦争で、民間人避難の人道回廊作ったりとやりとりしますが、日本人の感覚だと、そうやって戦争するなら権力者と軍隊だけで違うところでやれば、とか思ってしまいますし、逆に、やるからには玉砕覚悟で、となってしまう。がそれは、絶滅の怖さ悲惨さが、なお歴史文化に血肉化してない甘えなんだと思います。大陸の人たちは、その真実現実を知っているので、面倒くさい論理段階的な手続きをふむ。本当に、怖いわけです。が、その血肉化されてしまった文明の倫理に、錯誤の固定化があるのでは、と思います。三体では、記憶というのは、あくまで文字、外在化された物質やデータで、つまりは内面が忖度できない三体星人が、中国人のカリカチュアなんですね。 が、実際に宇宙人に会った人たちの最近の取材からは、宇宙人が霊であることが共有的な事実としてわかっています。漱石が影響受けたスウェデンボルグなども、他天体の霊と交信しているのです。アインシュタインまでの古典物理学でなく、量子力学からの新物理学は、霊の存在を示唆します。が「三体」は、それもまた外在的・唯物論的な古典物質に還元する。しかし、前世の記憶をもって生まれて来てしまう人が出てくるのは、見えない記憶がリサイクルされていること、それは古典物理的な物質と理解してはいけないのではないかと思います。 結婚後、私はいく子にこういったことがあります。「おまえを妹と感じる」、バカにされるのかと思ったら、「わかってる」と真面目に答えるので、こっちが面食らった。霊の原理はわかりませんが、かつての消えた物質はまた集まってくるように感じます。」

2024年6月3日月曜日

「徒然に」――山田いく子リバイバル(18)



 

*いく子は、熊本の方の中・高一貫校で、文芸サークルに所属していたことがあったようである(まだ未確定)。それが、こうした編集業務へのアイデアや参加につながっているのだろうか。しかし、秋号における詩は、前号の散文以上に、おどろくべきものだ。その落差が。まだ二十歳の彼女は、何を抱え込んでいたのだろう? この二つの号に(どうもこの二号で終わったようなのだが)、のちにダンスで表現していくことになる問題意識、NAMへの参加への思想的必然性のようなものが、すでにうかがわれる。

が、何よりも私を驚かせたのは、そのきれいでしっかりした文字である。新聞は、手書きが反映される印刷物である。いく子は、小学2年生には、ほぼ初段級なみな書道書体を身につけていた。知り合ってからの丸文字しか知らない私には、その完璧な形に瞠目したが、その字体は、まだ二十歳には発揮されていたのだ。が、年賀状書きなどでは、丸文字に近い。その二重性、二重人格的なものを、いく子は抱え込んだ。しかし私は、息子が二十歳になったとき、いく子がそこから解放されてゆくきっかけをつかんだ、と洞察している。

 

***   ***   ***

 

季刊サークル・ニュース‘78秋の号(中大スポーツ芸術サークル)  9月24日発行

 

徒然に      山田いく子

 

美しいといえばそれは美しくなくなる。

悲しいといえばそれは悲しくなくなる。

言葉の総称性と事象の刹那的なものが

かみあわなくなったことなのでしょう。

言葉にできないときのその気持ちを言葉に行為に

表現に変えるには、なんらかのものとの比較によって

生じるのだから経験や思考は必要とします。

そして別にある日突然にわかる時のために

そのもやもやを心にとめておくべきで、無理に表現

してはならない。

また表現できずにあるとき、人は狂人となるんじゃないか。

できない時は、できないままでもよいはず。

しかしある日、言葉にしたのを真理だと思ったら、その時

その刹那は確かに正しいが、それを定義づけ胸に常に

持ち出す時は、その真理は醜いものとかわり始める。

言葉に出たときそれは一つの性格が加えられる。

その時本来のものと離れ始めたのではないか。

人は自身を他人を空間を定義づけたがる。

それは刹那には正しいが言葉に出された性格は、

徐々に醜く変わってゆく。

正義は流動的であり、もしくは刹那に動めくものの上に

動的平衡をとるもの――いえいえ正義だけでなく

美も真理も言葉も。

決めつけたときに物は人は醜く変わってゆく。

その意味で私は人を真理をいみ憎む。

 

 

待つ   パンダ(いく子の高校時のあだ名)

 

tel tel tel

雨ふり坊主

Telぼうず

 

 

祈祷

 

神様  私を殺さないで下さい、

神様  私を殺さないで下さい、

神様  私を殺さないで下さい、

神様  私を殺さないで下さい、

 

 

幻想  (註; 鉛筆で、―忘却― と付け足されている、あるいは、変更したいのか)

 

―こよいの月夜

 金木犀へさそわれつつに― 

白き光りに

白き衣が舞い病む中を

竹姫の御殿に

夕鶴が飛びたったそうな。

飛びたったそうな。


※月夜、金木犀の匂にさそわれて、病んだ私が外へとでるなか、かぐや姫のいる月へと、羽を使い果たした夕鶴が、かぐや姫のもとへと飛び立っていった、おそらく、精魂尽き果たした私も月のもとへと帰りたい、ということだろう。最期、私の中上論を読んだとき、いく子は、自分の二十歳の詩を思い出せただろうか?)

「自由と法学について」――山田いく子リバイバル(17)

 


いく子の、20歳からの、いく子宛の手紙を読み始めた。その一枚目が、中央大通信教育のサークルの紙新聞だった。発行責任者から送られており、編集責任者は、いく子だった。

ひと月前の週刊誌で、松田聖子が中大通教の法学部を卒業し、卒業するのは難しいのだと記事にあった。いく子はたぶん、卒業はしなかっただろう。が、クラスの華だったのではないかと思う。ちょうどNHKの朝ドラ「虎に翼」をやっているが、その主人公の女性のように、はっきりものを言う華やかな女性だったのだろう。次は、秋号から抜粋する。

 

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季刊 サークル・ニュース’78夏の号(中大通教スポーツ芸術サークル)

昭和53年6月25日発行

 

自由と法学について     山田いく子

 

 自由と法学この対称的とされたもの、若ものとして限りなく自由を求めながら、かつ法学を志した今、そこで感じ始めた矛盾というより初心として思うことを書き綴りたい。何故ならば、漠然とさせておくままなら、私は既成の法学に甘んじてしまうことになるのだから。

 秩序とか規則は(狭義における法)共同体の利益を先行させ、個人に義務を押しつける。その意味で個人の自由をうばう。憲法には自由の保障があり、法体系には諸々の権利を認めながら、法についてそんなものを感じる。法に対する意識が弱い。それは何故なのか?

 立法化された法以外に私たちを規制してくるもの(規則)はさらに多い。今まで中・高校において規則というものにどんなイメージをいだいてきたか。学校差にもよるでしょうが、かつての校則を読みなおしてみるとよい。校風として、自由・博愛をときながら、校則には罰則と禁止だけ、さらに明文化されていないものすらあったことを思いだせるだろう。もちろん現在中・高校は諸々の問題をかかえており、一概におかしいとも言えない。法が私たちを守ってくれるというよりも、生活をきつくしめあげていた。私たちは幼いころから、法に対する不信をもって生活してきたのではないか。

 憲法と一般法との関係を聞いたことがない人でも、道徳と法を対にした言葉を耳にしたことがあるでしょう。法を破っても仁義をつくすことを美徳化したものを見たことがあろう。私たちは法以前の問題として道徳を思わされる。しかし道徳教育の主眼は忠臣教育・家族制の尊重それから押しつけがましい善教育であった。今なお残骸が残り、因習の範を出ないものが往来する。そしてそこに権利の意識はない。また道徳には各人の自由がない。自分より他人を優先させ、自己に忍耐を強いる意味において。

 特にアメリカを例をとってみる。「ここは自由の国だ」ラジオ・映画等で誰もが聞いている言葉であろう。そして彼らは、その自由の由来・歴史を知り、それを守るために法が制定されている。もちろん奔放な自由による諸害…犯罪の多発・人種偏見、また孤独を含み決して、アメリカを崇拝するわけではないが、しかし彼らには守るべきものがある。それから生活が生まれ行動が起こり連体を持つ。法以前の問題としてそこにある。

 ある人が言っていたことに犯罪をおかさない理由として、本人の回りの環境・とりまく集団…親・兄弟・知人…それらに抑制されることで犯罪をおかさないと聞いた。しかしこれは逆の場合にも適用される。自由を求め現在から新しいことに向かうのを何かを求めてラジカルに動こうとするのを前の集団は抑制しようともつとめる。自由を抑制するのだ。

 「法は支配者階級による体制擁護だ」ということも聞いたことがある。そしてこれは特に日本で強いのではなかろうか。日本社会の弊害として何度も繰り返されているように私たちは社会管理を上層部にあずけている。道徳も忠臣教育化され、道という響きにさえ嫌悪を覚える人が少なくないはずだ。日本における共同体の比重は重い。共同体は静的状態を維持したがる。その静的状態を保護するため各人を規則でしばる…。

 法治国家という言葉に甘えてはいけない。私たちは何を守るために法を制定したのか。それを知らなければ、支配者階級・官僚による勝手な法解釈が行なわれ、そしていつかまた戦争ファシズムへとつながって行くかもしれないのだから。法を定義づけるのは私たちなのだ。自由と平等とそして平和のために…。

 

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恋歌三題     パンダ(註;いく子の千葉の高校でのあだ名)

 

挽歌

髪に優しく触れたとて それは愛とは言わぬ

涙をためてむせびたとて それは愛とは言わぬ

 

  哀歌

右にいきゃ  あの人にあえる

右にいきゃ  あの人にあえる

右にいきゃ  あの人にあえる

右にいきゃ  あの人にあえる

………………

右にいきゃ あの人にあえた

 

  初歌

雨ふり窓から 風が吹く

雨の数だけ 思い出す

たくさんのたくさんの 貴方様

2024年5月13日月曜日

映画『悪は存在しない』と『PERFECT DAYS』


 千葉劇場で、上記の映画を立て続けに見ることになった。

はじめに見ていたのは、『悪は存在しない』(濱口竜介)の方。でどちらの映画も冒頭、樹木の枝の重なりを、下から見上げるように写し、モノクロで提示しているところに、まず比較が動き始めた。が『悪は―』の樹木はアカマツやカラマツの林、『PERFECT-』の方は、常緑樹、という違いがある。そしてどちらも、孤独な男が主人公である。


 浅田彰が、濱口の前作『ドライブマイカー』を評して、いわば「広島」を使う凡庸さ、口の聞けない主人公の取り扱い方の平凡さを、批判していた。私は、浅田が引用参照してみせたより過激な映画のことを知らないが、この浅田の切り口自体が凡庸であると感じた。結局浅田は、PC的観点を批判してきながら、自身も「前衛」という理想差異の基準仮説から、平準的に受容されえる人々を裁いているのだ。世間的には右翼的なメディアに発言の隙間を見出したりしても、やはりジジェクのいう「今日の「左派」」なのだろう。(「大規模な社会的連帯を目指す代わりに、将来味方になりそうな者さえ偽りの道徳に基づく厳格な基準によってふるい落とし、あらゆる場所に性差別や人種差別を見出すことで、新たな敵を作り続けている人々」(『戦時から目覚めよ』NHK出版新書)

 

ヴェンダースの『PERHECT-』も、リベラル的なインテリ階層から、PC的観点によって批判されていた。車に乗って高速で行く清掃員はいないはずだし貧しくない、結局はきれいに東京を撮影しただけだ、と。この差異無限というか、無間地獄というか、悪循環というか……。現場で生活してきた私は見知っているが、工事現場などのガードマンで、仕事をしなくても生活できていける相当なお金持ちの高齢者がいたりするのだ。頭を下げ、怒らない。そうした彼に何があったのか知らないが、それはまさに、『PERFECT-』の主人公のようだろう。

 

濱口の『悪は存在しない』からはじめよう。前作『ドライブ-』で撮った広島は、たそがれの中の広島であり、原爆ドームだった。それは、もう広島という象徴が終わることを意味、暗示していた。私たちはその後、核先制攻撃も辞さないというプーチンの戦争に直面した。この悪の世界の中を、人間は生き延びられるのか、そこで生きるとはどういうことか? 濱口は、まずはその問い自体の前提を、もう一度自然に返してみることで相対化しようとした。『悪は―』の冒頭での、枯れ枝が目立つ山林のモノクロ風景は、そのことを暗喩している。その見上げられた森林のシルエットは、荒廃的である。そもそも、アカマツの林とは、すでに人間が開拓し、荒れ地になっていることの証左なのだ。そして自然の推移でも、日が当たらなくなった下枝は枯れてゆき、ゆえに、上に大きく、横に広がろうとして、木は成長する。そして各枝も、日が当たるように求めて伸びるので、原則的には、各枝は他の枝の邪魔をしない、が自然でも、時折はそうした他を邪魔してくる枝は発生する。が時間がたてば、邪魔された方の枝や樹木は枯れてなくなるので、一つの樹木の中だけでなく、森全体が安定的な共存状態になる。

が、庭などの狭い空間で木を維持するとなれば、本来10メートルや20メートルになる木を、3・4メートルの高さに反復・維持しなくては、という無理な必要が生じる。だから枝を剪定するわけだが、枝を切れば、木は生き延びようと反発し、自然的とは言えない無秩序的な枝の出方をするようになる。

日本の植木職人の技術とは、日が差さない枝は枯れる、という自然の法則的な現実(公理)を、先回り的に踏襲していくことなのだ。マニュアル的に、切除する枝には、名前がついている。交差枝、絡み枝、立枝、徒長枝、など。その機能的に名付けられた枝は、どれも他の枝を邪魔し、将来的には、下枝を枯らしてしまう枝である。木を大きくするならば、そのままでいい。が、小さいままで自然形を維持したいのなら、下枝(低い位置にある枝)が枯れてしまうのは、その実現が妨げられることになるので、自然の公理を仮説的に受け入れ、つまり枯れる枝と見切りをつけて、でかくさせていく枝を前もって剪定していくのである。下手に手入れすればするほど、切除すべき枝がたくさん生えてくる、となる。だから、素人あとの手入れは、ばさばさ切る必要がでてくるが、上手な人のあとだと、必要な枝だけで構成されているので、どこに手を入れていいのか、判断に悩み、考える時間が多くなるのだ。

 

濱口は、人間悪を、自然悪の中において、まず相対化してみようとした、ように見える。人の悪は、そんなにも悪いのか、と。枯れる、ということが悪であるならば、自然にも悪はあるではないか、と。が、現在を動かしている資本は、すでに昔開発され荒れ地となった山を自然なものと勘違いし、そこをレクリエーションな享楽的な場所として再開発しようとする。その山に住んでいる住民も、実は地元の人などというものではなく、都会からの移住民である。だから、その対立は、開発対再開発の対立にしかならず、自然に見えた移住民は、そのことの自覚を持つゆえ、あらたな悪への全面対決する根拠をもつことができない。地域で便利屋を営む男の孤独、妻になんらかの理由で先立たれてしまった男の孤独には、個人的な心理次元をこえた、社会的な苦悩、人々の影がつきまとう。

 

凡庸な、平凡に見える普通の人々の暮らしの中に、その心奥に、現実の複雑さがあるのだ、と静かに提示してみせる手腕は、『ドライブ・マイ・カー』を継承している。

 

ヴェンダースの『PERFECT-』となれば、都会のど真ん中の自然である。東京は渋谷の公園の樹木だ。ここでは、自然は自然だが、自然そのものではないことは、自明的になろう。が、ヴェンダースは、そこにこそ、自然の発芽を認めたのだ。これも理由は定かではないが、お金持ちの出自からドロップアウトし、都会のトイレを清掃して回る孤独な男は、公園の片隅で発芽したモミジの若木を採集して、盆栽のように育てている。それは、アカマツやカラマツで占められる、自然遷移途中の山林の、荒廃したシルエットよりも、常緑樹の樹冠で覆われた公園のシルエットの方がずっと人の感性に良い、善である、という提示の仕方と比例している。主人公は、そのシルエットを、アナログのカメラで、白黒で撮影するのが趣味である。さらに、現像された写真は、どれもがいい、というわけでもなく、感性的にそぐわないのは破り捨てられ、良い、と思われたものだけが、年月をシールされたステンレス製の缶の中に整理・保存される。この孤独な都会の人の営みにこそ、自然があるのではないか? 樹木も、年輪を刻むではないか? ヴェンダースが、都会の中の、センスの良いトイレをロケ地に選択したのにも、同じような洞察があるだろう。

 

公園も、主人公の住むアパートも、神社の近くにあるか、その敷地にある。毎朝、竹ぼうきで道を履く人のその箒の音が、目覚まし時計のようである。男は、昼食の、いつもと同じサンドイッチと牛乳を、神社の境内でとる。鳥居をくぐったところで、頭をさげる。同じようにベンチに座ってサンドイッチを食べるOLと、目があってどぎまぎする。そんな毎日の、同じような繰り返しの中に、人々の暮らしの中に、現実の複雑さが濃縮されている。

 

影は、重なると、濃くなるんですかね? と、孤独な男が静かに想いをよせていたスナックの女性の元夫と、会話をする。なりますよ、と孤独な男が答える。影が重なるのに、濃くならないわけがない、変わらないなんてことが、あるわけがない! 男は激高したように言い、同意してみせた元夫と、影踏みの遊びで、たわむれもする。

 

常緑樹の樹冠ではいっそうはっきりするのだが、一本の木の枝がそうであるように、木と木もぶつからない。だから、お互い住み分けたような輪郭を作る。だから、葉と葉、枝と枝、木と木の間に隙間ができて、そこから日が差すようになっている。ヴェンダースは、この「木漏れ日」に注目した。そういう表現のある日本語に注目した。若木や陰樹の低木が育つのは、この木漏れ日による。舞踏家の田中泯のホームレスとしての起用も、彼の経歴存在に、木漏れ日としての希望を見たからではないか?

 

人々の影の重なりは、濃くなる、そうなって変わるはずである。人々の重なりである社会も、変われるずである。言い換えれば、悪の重なりは、さらなる悪(再開発)は、善を再生させることもあるのではないか? 隙間から漏れる日差しいう善が、悪と共存するように生まれているのではないか、ということだろう。もはや私たちは、悪から逃れられない。みなが「チッソは私である」であり、アイヒマンなのだ。そこに、自然という絶対的差異としての理想基準をもってくるのは、無自覚な偽善にすぎない。再開発しかないのだが、それでも、木漏れ日のような善が私たちを射し、悪を改善し共生しうる道が、技術があるのではないか? (日本の植木職人の手入れ技術のような? 庭という人為世界を認めた上で、自然の公理をふまえた定理を導き出す実践。)「悪は存在する」からこそ「PERFECT」な日々になるのではないか?

 

少なくともヴェンダースは、その影の中の、それを通した光、絶望(孤独)の中の希望、悪の中の善を、この日本のど真ん中に見つけだせる、と提示してみせたかったのだろう。それが、真実であるかどうかは、わからない。私がわかるのは、私もまた、都会を走る車の中での、あの必死に泣くのをこらえて微笑もうとする男と同じ現実を生きている、ということだ。

 

2024年5月4日土曜日

『チッソは私であった 水俣病の思想』(緒方正人著 河出文庫)

 


「父、植民地のお代官だったのだ、水俣でしか通用しない知性だ」(2006.9.11

「父の友達は皆体を悪くしている、それが水俣だ、みんな自分に向かったからだ、うちの父だけが外にむけて、発散させた。(私が被害をうけた、と)」(2006.10.5)

 「一九五九年に「漁民一揆」でチッソに押しかけたときでも、自転車やバイクを排水溝に放り込んだり窓ガラスを叩き割ったりしただけです。命に関わる一番大事なところでは、いつも殺されても殺さなかった。これは事実です。

 なぜそういうことができたのか考えさせられますが、それはこういうことじゃないかと思います。魚を毎日たくさん獲って、それで自分たちが生き長らえる。魚によって養われ、海によって養われている。一年に二、三遍は鶏も絞めて食って、あるいは何年かに一遍は山兎でも捕まえて食っている。そういう、生き物を殺して食べて生きている。生かされているという暮らしの中で、殺生の罪深さを知っていたんじゃないかと思います。このことがなによりも加害者たちと違うところです。…(略)…

 では、なぜ闘いが必要だったのかということですが、おそらく、そのような水俣の漁民や被害者たちの精神世界からの呼びかけこそ、闘いの最も肝心なところではなかったのか。つまり、命の尊さ、命の連なる世界に一緒に生きていこうという呼びかけが、水俣病事件の問いの核心ではないのかと思っています。その問いは決して加害者たちだけに向けられたものではなくて、それこそあらゆる方向に発せられていると思います。」

 

「小さいときに親父を殺されて、チッソをダイナマイトで爆破してやりたいと思っていた自分が、今、チッソに対してほとんど恨みを持っていません。そして私は、チッソや行政の人たち、あるいは水俣被害者が拡がっていく当時、特にチッソ擁護に加担したといわれる人たちを含めて、ともに救われたいと思います。

 私は、今、水俣病患者として水俣病を語っているわけでもなくて、水俣病患者として生きているわけでもありません。私の願いは、人として生きたい、一人の「個」に帰りたいというこの一点だけです。水俣病事件の四十年、戦後五十年、私たちを支配し、まるで奴隷下に置くかのようなこの「システム社会」が肥大化してきて、自分の命の源がどこにあって、どういうふうに生きていくのか、もうわからん如なってしもうたそのときに、生まれ育った不知火の海と、そこに連なる山々や天草の島々、その連なる世界の中に、自分ひとり連なって生かされているという実感をともなって感じたとき、本当に生きているという気がするわけです。」

 

「私は一九九五年にアウシュヴィッツに行って来ましたが、以前からドイツとポーランドを訪れたいと思っていました。それは、自分がもしドイツにその時いたとしたら同じことをしたじゃなかろうかという気持ちがあったからです。自分がヒットラーの親衛隊の一員であったりドイツ軍だったり、或いは一般市民であったりしても同じことをしたんじゃないか。水俣病のことを考えても、チッソの中にもし自分がいたとしたら同じことをしたんじゃないか。…(略)…

 私は以前は、戦争と水俣病とは別の問題だと思っていたし、長崎や沖縄の問題とも別の問題だと思っていたんです。ところがどうもそうじゃないと思うようになったんですね。実は私も決してまともな男じゃなく、昔家出したこともあるし、右翼に拾われて熊本に二年ばかしおったこともあるし、患者の運動に参加し、そこで逮捕されたりいろんなこともありましたけども、そうやっていく中で、やっぱり本当の自分というのはなんだろうかと思うようになったんです。それまでは、そんなこと考えないでおったんです。ところがその問いが始まってから、今まで持ちあわせとったのがボロボロ崩れ落ちていく。恐くはありましたけども、命を懸けてでもそのことを知りたいと思ったんですね。ですから水俣病の事から、実は戦争の問題を考えるようになり、沖縄や広島・長崎の問題も少しわかるようになり、様々な社会事件や薬害事件や、日本国内だけじゃなくて、あちこちで起きる民族同士の対立の問題や宗教戦争や、いろんなことを考えるようになりました。ですから、水俣病事件というのはチッソを問うていたという言い方もありますけども、おのれが問われていた気がします。このことが水俣病に遭遇した自分の体験の中で一番気付かされたことだと思います。ですから、たしかに私の小さいころの親父は、非常に苦しんで目の前で狂って死んでいきましたけども、そのことが少し自分の中で意味をもってきたという気がしているわけです。」

 

※ 映画「ピアノ・レッスン」を受けて、その背景となる暴力の反復構造と、私たち身内のことに思いをはせていたとき、アートのパンフレットだとおもっていたものが、カレンダー形式の一日一行日記であると気づいた。息子が、三歳、四歳の時のものである。