2024年6月3日月曜日

「徒然に」――山田いく子リバイバル(18)



 

*いく子は、熊本の方の中・高一貫校で、文芸サークルに所属していたことがあったようである(まだ未確定)。それが、こうした編集業務へのアイデアや参加につながっているのだろうか。しかし、秋号における詩は、前号の散文以上に、おどろくべきものだ。その落差が。まだ二十歳の彼女は、何を抱え込んでいたのだろう? この二つの号に(どうもこの二号で終わったようなのだが)、のちにダンスで表現していくことになる問題意識、NAMへの参加への思想的必然性のようなものが、すでにうかがわれる。

が、何よりも私を驚かせたのは、そのきれいでしっかりした文字である。新聞は、手書きが反映される印刷物である。いく子は、小学2年生には、ほぼ初段級なみな書道書体を身につけていた。知り合ってからの丸文字しか知らない私には、その完璧な形に瞠目したが、その字体は、まだ二十歳には発揮されていたのだ。が、年賀状書きなどでは、丸文字に近い。その二重性、二重人格的なものを、いく子は抱え込んだ。しかし私は、息子が二十歳になったとき、いく子がそこから解放されてゆくきっかけをつかんだ、と洞察している。

 

***   ***   ***

 

季刊サークル・ニュース‘78秋の号(中大スポーツ芸術サークル)  9月24日発行

 

徒然に      山田いく子

 

美しいといえばそれは美しくなくなる。

悲しいといえばそれは悲しくなくなる。

言葉の総称性と事象の刹那的なものが

かみあわなくなったことなのでしょう。

言葉にできないときのその気持ちを言葉に行為に

表現に変えるには、なんらかのものとの比較によって

生じるのだから経験や思考は必要とします。

そして別にある日突然にわかる時のために

そのもやもやを心にとめておくべきで、無理に表現

してはならない。

また表現できずにあるとき、人は狂人となるんじゃないか。

できない時は、できないままでもよいはず。

しかしある日、言葉にしたのを真理だと思ったら、その時

その刹那は確かに正しいが、それを定義づけ胸に常に

持ち出す時は、その真理は醜いものとかわり始める。

言葉に出たときそれは一つの性格が加えられる。

その時本来のものと離れ始めたのではないか。

人は自身を他人を空間を定義づけたがる。

それは刹那には正しいが言葉に出された性格は、

徐々に醜く変わってゆく。

正義は流動的であり、もしくは刹那に動めくものの上に

動的平衡をとるもの――いえいえ正義だけでなく

美も真理も言葉も。

決めつけたときに物は人は醜く変わってゆく。

その意味で私は人を真理をいみ憎む。

 

 

待つ   パンダ(いく子の高校時のあだ名)

 

tel tel tel

雨ふり坊主

Telぼうず

 

 

祈祷

 

神様  私を殺さないで下さい、

神様  私を殺さないで下さい、

神様  私を殺さないで下さい、

神様  私を殺さないで下さい、

 

 

幻想  (註; 鉛筆で、―忘却― と付け足されている、あるいは、変更したいのか)

 

―こよいの月夜

 金木犀へさそわれつつに― 

白き光りに

白き衣が舞い病む中を

竹姫の御殿に

夕鶴が飛びたったそうな。

飛びたったそうな。


※月夜、金木犀の匂にさそわれて、病んだ私が外へとでるなか、かぐや姫のいる月へと、羽を使い果たした夕鶴が、かぐや姫のもとへと飛び立っていった、おそらく、精魂尽き果たした私も月のもとへと帰りたい、ということだろう。最期、私の中上論を読んだとき、いく子は、自分の二十歳の詩を思い出せただろうか?)

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