2017年10月22日日曜日

衆院選挙とお笑いの動向

サッカーや野球を禁止するために設けられた広場中央の柵。すると子どもたちは、この柵をネット代わりに、テニスをし始めるのだった。笑える。

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「瀬山陽の『日本外史』は文学的表現が政治的権力とかかわらざるをえない一つの時代の起点に位置している。それは「文学が政治上の事業に附帯せしめられた時代」にちがいなかったが、一方、文学がその無力を自覚することによって、政治を批判する姿勢を獲得した時代でもある。この「有用」の世界と「無用」の世界との緊張関係を激化させつつ、幕末の文学は明治維新に到達し、「文学から政治へ」というサイクルを終える。維新から明治二十年代にかけては逆に「政治から文学へ」というサイクルが始まるのであって、いわゆる文学極衰論争は政治と文学の緊張関係が弛緩の兆しを示し始めた時点、いいかえれば政治的近代の挫折から、文学的近代の庶出子が生誕する時点で発生するのである。文学極衰論争をうけつぐ形で争われた愛山と透谷の二つの文学史は、この二つのサイクルの終結点から逆にさかのぼって、近代文学への転換期をトータルに把握しようという野心的な意図を潜在させていたのだ。
「近世から近代へ」という問題を、戯作小説から近代小説へという脈絡のうちに模索しようとする文学史は、逍遥の『小説神髄』ないしは不知庵の「現代文学」にあらわれていた文学概念を、逆に幕末に延長する操作によって構成されている。幕末から明治にかけて演じられた政治と文学の苛烈な劇を切りすててしまったこのような文学史は、もはや何程の可能性も残されていないであろう。」(前田愛著作集第一巻「幕末・維新期の文学」 筑摩書房)

今回の衆議院選挙結果がどうなるか、この文章を書き始める日中の時点ではわからないが、どんな結果になっても、大勢は変わらないだろう。私自身は、先ほど投票に行って、小選挙区では立憲民主党の候補、比例では共産党に入れてきたが、棄権を呼びかけているそうな東浩紀氏のような態度でも、充分結果に反映される、いいかえれば、結果などどうでもいいような選挙であると、私は考えている。その結果を受けて、ずるずる時勢にながされていくのではなく、坂口安吾的に前に進んで行く現実的な文脈づくりを、政治家にはしてほしいものだ。が、何が「現実」的なのか、人間にとってリアルとは何なのか、そこに基づいた現実政策とはどのようなものなのか、政治ジャーナリズムの世界では合意がない。というか、文学界ではマイナーとはいえ少なくとも議論しえる了解事項はあっても、結局は政治レベルには反映されてゆくところまでは、影響力なく衰退してしまった、ということなのだろう。

今回、私が興味をもち、もっと突っ込んでみる必要があると感じたのは、20・30代での投票動向である。選挙前の世論調査によると(「朝日新聞」10/19朝刊)、18~29歳では41%が自民支持(60代では27%)、安倍内閣の続投支持でも前者が49%で、後者は60%が不支持だという。安倍総理の以前からの街頭演説でも、「わたしたちを支持しているのは実は若者たちなのです!」と、何か証拠でもあげたように特異そうに声を張り上げているシーンもTV放映されていたようにおもう。この若者と高齢者との落差は、統計的に意味がある、とかいう差異を超えているだろう。この落差を、どうとらえたらいいのだろう?

中学2年になる息子が、お笑い番組ばかりみているので、これはどういうことなのか、と調べてみたくなって、吉村誠著『お笑い芸人の言語学』(ナカニシヤ出版)というのを読んでみた。東大の社会学部を出て放送界に就職し今は大学講師をしている書き手らしいが、文学的な教養がすっとんで書かれているので、そこへの突っ込みどころがそのまま問題点として明確になってきて、興味深い。
たとえば吉村氏は、新聞はエリートの書き言葉社会で、テレビは民衆の話し言葉の社会だ、という。が、たとえば夏目漱石が大学の先生から新聞社へ転職したとき、気が狂ったのかと騒がれたというが、それはむろんエリート社会を捨てて自ら民衆の生活へと降りていったからである。ニーチェによる大衆の定義は、新聞を読むような人たちである。エリートは、新聞など読まないのだ。私も早稲田大学の英文学の授業で、先生から、「ジャーナリスト」という字義通りな意味は「その日暮らし」ということだからね、と講義されている。明治政権のエスタブリッシュメントからもれた佐幕派のもと武士たちが、民権運動を盾に浮浪者的・ジャーナル的に始めたのがその大勢だったろう。もちろん、武士は識字率の高いインテリともいえる。が、この転換期の文脈抜きにして、新聞がエリート/テレビが民衆(生活者)、と短絡的につなげていると、もしかして、次の時代には、テレビ(でニュースを見る)のがエリート/スマホ(で趣味だけ覗くの)が民衆、ということになりかねない。吉村氏は、テレビでもニュースが「標準語」的なエリート志向で、そういう体制への抵抗として「方言」にこだわった「お笑い芸人」の姿勢(番組)を評価するのだが、その文脈だけけでは、趣味的世界が独特のスラング社会を縮約形成してゆくように、今度はそこが抵抗の拠点、と理解されるのだろうか? あるいは実際的にも、若きロックフェラーは、自分がフェミニズム運動を支援し資金援助するのは、女性が働きに出て子どもが独り家に残れば、勉強なんかせずテレビをみるだけのバカになっていくから社会を支配しやすくなるからだ、と言うような事を公言していたが、そんなエスタブリッシュメントの言葉を聞いたら、無邪気に民衆的なテレビが時代を変えていく力を潜在させていると期待することはできないだろう。

もともと近代社会とは、ラテン語(漢語)の聖書(原文)を方言(のちの国語)に翻訳してみせることから普及したネーションな運動であろう。それは俗語革命が基調であった。
日本では明治時代、人々の主体性、人民の主権性の思想を普及させるためにも模索されたのが、言文一致の運動だった。これは、書くことと言う(話す)ことを近づけようとする試みともいえるのだろうが、もちろんそういう書き言葉の世界の運動である。それが、なお識字率の低い明治時代(参照;前田愛「近代読者の成立」)、一般民衆とはかけ離れていたという事実性は確かであるだろう。が、漱石がそうであるように、エリート社会に属することもできた者でさえ抵抗していたのだ。ならば、抵抗の拠点を、実体的なスラングの場所、社会に求めるのは早とちりではないか? だから、抵抗の仕方もまた、生活の言葉に近づければいい、それを取り入れればいい、という安楽さも文学的に自覚されて、むしろ読ませない書き言葉としての抵抗の姿を見せる運動ものちに現れただろう。とにかく、まずは書き言葉の世界で「生活」を取り戻してゆくような生きた運動が始められたとしても、それはエリートなエスタブリッシュメントな社会で、民衆とは関係ないとはいえない。当時はなおほど遠かったとしても。必要なのは、そこにあったエリートの苦闘を、民衆たる「お笑い芸人」が参考にすることだろう。エリートがお笑いを参考にしたように。前掲書で前田愛氏は、言文一致に苦闘していた二葉亭は、落語家の円朝の「噺」から学びとって文体を作っていったのだと指摘している。それは、「外在的リズム」をもった「身振りとしての言語」である。しかし、であるがゆえに、その文の調べには、「滑稽めかした声、演技された声、誇張された声」が響いてしまう。当時は、新聞も家族(近所)みんなに聞こえるよう声をだして読んでやるのが普通だった。音読にはよくても、黙読には堪えない、ということが次なる問題となってくる社会の趨勢であった(らしい)。

<有明が幼稚な鑑賞力で高誦したという『佳人之奇遇』は美妙が排斥した「吟ずる」読み方で読まれたのであった。それは蘆花が『黒い眼と茶色の目』でいきいきと描き出しているように、学校・寄宿舎・私塾・政治結社等の精神的共同体の内部で集団的・共同的に享受された。このような享受の場は自由民権運動の敗退とともに失われて、享受の単位は家庭ないしは個人に縮小する。美妙が読者に要請した「通常の談話態(はなしぶり)」のように読む読み方は『小説神髄』が提示した「親子相ならびて巻をひらき朗読するに堪へ」る改良された戯作、その具体的実現としての硯友社文学に対応するであろう。新聞小説であり、家庭小説である。硯友社文学の優勢のまえに『あひびき』の読者が少数者であったことは否むべくもない。しかし、近代読者の系譜はじつにこの少数者の中から辿られる。それは漢文崩しの華麗な文体のリズムに陶酔して政治的情熱を昂揚させる書生達でもなく、雅俗折衷体の美文を節面白く朗読する家長の声に聞き入る明治の家族達でもない。作者の詩想と密着した内在的リズムを通して、作者ないしは作中人物に同化を遂げる孤独な読者なのである。>(前田愛・前掲書)

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で、平成時代ももうすぐ終わろうとしている我が家はどうか?

ルソーのような「孤独者」にあこがれる父親が、新聞を読んでぼそっと見解なるものをつぶやくと、2LDKのDKの所にいた女房が、「また気味のわるいわけのわからんことをいって!」とすかさず反撃してくる。1Lのところにいた私は、「別に俺の意見を言っているんじなくて、一般教養的な、前提となる現実の話をしてんだよ」と、その意見を補強するために、ときにはなんらかの書物を取り出して読み上げる。すると、「また誰々が言ってるか! 自分の意見はないのか!」と食ってかかってくる。障子戸を開けたままにしているので、1LとDKはつながっている。私と同じ1Lでお笑い番組を見ていた息子は、テレビにイヤホンをつけて聞き始める。それに気づいた女房は「いつまで見てるの! バカになるからイヤなんだよ!」と怒鳴りつける。「うるさいよ!」といって息子は立ち上がると、漫画本をもって隣の1Lへいって襖戸をしめたりする。そうして夜になれば、その襖の向こうの一部屋で、家族三人が川の字になって寝ているのだった。……この都会の団地にも、息子の同級生は何人もいる。兄弟・姉妹がいる家族だって。じいさんやばあさんがいる家というか部屋もある。やはり私は、前田氏の前掲書から引用したくなる。<この読み手と聞き手とからなる共同的な読書の方式は、日本の「家」の生活様式と無関係ではないと考える。それは夙にラフカディオ・ハーンが「日本人の生活には内密ということが、どんな種類のものも殆んど全くない。(中略)そして紙の壁と日光との此世界では、誰も一緒に居る男や女を憚りもせず、恥づかしがりもせぬ。為す事は総て、或る意味に於いて、公に為すのである。個人的習慣、特癖(もしあれば)、弱点、好き嫌ひ、愛するもの悪むもの、悉く誰にも分らずには居らぬ。悪徳も美徳も隠す事が出来ぬ。隠そうにも隠すべき場所が絶対に無いのである。」と指摘したところのプライヴァシィーの欠如を基調としている。>

子どもが、独りで読書などしないのは、もっともな条件なのだ。子ども部屋を獲得した昭和から、江戸の平和へと退潮していった平成。が、選挙闘争は、国土の防衛問題が焦点となるくらいだから、明治時代への移行みたいだ。つまり若者は、なお江戸時代から激動しはじめた時代をみている。しかし両親や老人には、敗戦の名残が、昭和の感覚がある。殿様が没落し、社会が変わってしまう、しまえることを知っている。しかも、自分たちが受けた教育には、昭和の軍隊的なものも濃厚だった。けれども、子どもたちは、知らない。殿様は、そのまま殿様であって、自分も自分だ。自分を変えていく、変えていける暴力的な力の発揮を許された感覚がない。ましてや、他人に対する暴力など。学校では、いじめか引きこもりだ。引き込もれる子は子供部屋を持っている。ときおり切れた奴がでてくるが、いつのまにかどこかにいなくなってしまう。テレビの事件でも、そうやって犯人がつかまっていく。それは余分な人たちで、やはり殿様は殿様、金持ちは金持ち、貧乏人は貧乏人、そう、世の中も言っている。それを変えて行く、というのは余分な余興なのだ。ニュースの事件がお笑い番組の余興みたいに。ぼくは1Lの隅でDSをやってるのが楽しい。アベくんも、アベくんなんだろうな。他にも政党ってあるみたいだけど、それも、余分ってことじゃないの?

2017年10月14日土曜日

遺体

「ようするに、先カンブリア時代は捕食の実験段階のようなもので、大半を占めていたのは平和を好む菜食主義者だったが、そうした連中も、たまたま動物の死体に出くわせば、喜んでごちそうにあずかっていたということなのだ。肉の味を覚えつつあったというところだろう。」(『眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く』アンドリュー・パーカー著 渡辺正隆/今西康子訳 草思社)

先々週、草野球チームの元監督さんが亡くなった。59歳になる直前だったそうだ。私が植木屋さんに入って間もなくの27歳頃のときに、親方を通してその監督さんから呼ばれて、以来、仕事で樹から落ちてケガをする43歳頃まで、ずっとその新宿区は下町にあたる界隈のチームで野球を続けていたことになる。ケガも落ち着き、ぎっくり腰にもならなくなった去年から、そのチームの一員がはじめた別のチームで野球をまたはじめたが、元監督さんも選手としてかつてそのチームにも所属していたから、ここのところは、試合のたびに訪れてベンチに座りくだを播く元監督さんとは顔をあわしていた。歩くのもままならない状態なので、近所の球場へ来るのにも、タクシーでやってきた。本格的な野球経験のない人だったが、もしこの人に草野球へと誘われなかったら、私はもはや野球とは縁がなかっただろう。私にとって、高校野球の経験はつらいもので、テレビでスポーツ番組をみることさえもが忌避反応になっていたのである。職場地区の草野球チームに参加することで、私の後遺症は癒えていった。おそらく30歳もすぎてからの帰省中に、甲子園をテレビで見ていた私に、「おまえ見れるようになったのかい」と母がふともらしたことがある。気づている素振りを見せることもなかった母の一言に、洞察力があるんだな、と思ったものだ。
元監督さんは、荒行あとで悟りを開いた坊さんのように、静かに棺の中に納まっていた。私がそんな連想をしたのは、最近高野山での千日行を終えて聖となった僧のニュースをみていて、その坊さんの容姿と似たものを感じたからだろう。実際、白血病の移植手術の後遺症ということで、肺の機能が極度に低下していたため、病院に担ぎこまれたときは相当苦しがっていたらしい。「抗生物質は効かなかったらもう時間の問題になる」と医者からも言われていたので、覚悟はできていて、自分の棺をかつぐ若衆の位置を弟に口述筆記させていた。2・3日意識がなくなっていた状態がつづいたあとで、息をひきとったそうだ。その日の斎場で、野球仲間とともにその遺体と面会した。斎場自体が、元監督さんが暮らした草野球チームの界隈地区にあるのだが、土葬される天皇以外の皇室縁者の火葬場になるところだ。苦行を超えてこそ刻まれるような穏やかだが芯の入った表情……しかし、そこにはもう、魂がない、ここにはない、という衝撃を受ける。間近に遺体を見つめるのは、20代の頃の、父方の祖母のとき以来だが、当時は、特別な感慨はなかったろう。私は、棺を足方向から見つめる斜め上辺りを見回してみたりした。死後の霊が、そこら辺から集まった人を見降ろしているというような、風説を確かめてみたくもなった。がそれにしても、遺体はあまりに物体的であって、魂や霊などという存在自体を否定しているような衝迫性を湛えている。私は、ゾシマ長老の腐敗する遺体にうろたえるアリョーシャの描写をしたドストエフスキーのことを思ったりした。そこにある遺体は、あの世への信頼を懐疑的にさせてくる。

しかしそう懐疑的になっても、私は、仕事中でも、この強い個性的な人格をもつ監督さんのことを意識せざるをえなかった。白血病になってからは、髪を伸ばし、染め、見るからに、内田裕也というロックンローラーにそっくりだった。だから街や病院でも間違わられてサインを求められると、そのまま、「にょろにょろ」と適当なサインを何食わぬ顔でやってのけられる人である。女性からは毛嫌いされていたが、そのことも平気な沙汰で、キャバレーで知り合ったフィリピーナをフィリピンまで求婚しに訪れ、その妹の方がよくなったと求婚者を急に変えて、しかもまんまと騙されて帰国してくることにも平然としていた。内心はわからないが、自分はもう世間からはそう見下されている、見下されてきたものなのだ、という開き直りの強さがあって、それが男たちにはどこか愛嬌と尊敬の念を抱かせていたかもしれない。そんな彼の霊が、私を誘いに来るのではないか、身近な人の死はつづく、という迷信の存在を、私は遺体の衝撃を忘れるように、用心した。ちょうど、高木剪定の危険作業が仕事では続いていた。「○○さん、俺を連れてくんじゃなくて、守ってくれよな」、そんなことを思いながら、木を切っていた。

そして、女房の母親が死んだ。通夜も葬儀もせず、遺影も線香もなく、老人ホームから町屋の斎場へと送られ、死の翌日に火葬された。住まい近所の斎場で1週間ほど待ってから荼毘に付された監督さんと、同じ日だった。私は午前中は監督さんを見送り、午後は義理の母の遺体に対面した。ふくよかだった面影はなく、やせこけて、ミイラ同然、そう私はおもった。息子の一希は、どう感じたのだろう? 何も感じてないようにうかがえた。焼き終えるまでの待ち時間が耐えきれず、散歩に行ってくると斎場を出て行き、骨を拾う儀式には居なかった。だいぶん経っても戻ってこないので、私も周辺を捜しにいった。駅の繁華街の方ではなく、むしろ自然がある方を選ぶだろうと、土手越えの歩道橋を渡ると自然公園があるらしいとわかったが、これ以上時間をかけて捜しにいくとすれ違うだろうと思われ、引き返した。斎場入口まえで、息子と出くわした。「白鳥がいたよ」と息子は言う。「エサやりに慣れてるのか、口笛を吹いたら、寄って来た。」

私はそのとき、息子に不平を言ったが、しばらくしてふと、その白鳥が祖母だったのではないか、私たちが骨を拾っているあいだ、息子はおばあちゃんと会っていたのかもしれない、そんな思いがひらめいた。そんな閃きを信じているのか、そう想うことであの遺体の現実から逃避しようとしているのか、私には判然としなかった。

2017年9月23日土曜日

映画『ひかりのたび dream of illumination』を観る――北朝鮮情勢をめぐって(2)

「絓 …(略)…柳田は基本的に天皇制は祖先崇拝ということで、縮小した敗戦後の「日本」の版図をまとめた。この祖先崇拝というのは、基本的に呪物としてのコメを作る農民をベースにしてるわけです。農民ってのは先祖代々土地に縛り付けられているから、祖先を崇拝するわけだ、と。それで農業で食っている人口は戦後はまだ四~五〇パーセントくらいはいたんですか。敗戦後も、農民人口は明治維新時と変わってない。で、農民ベースに考えれば、祖先崇拝=天皇制は護持できると、柳田は、あるいは戦後日本は、考えたわけでしょう。…(略)」
「絓 ところが、ドゥルーズ/ガタリの戦争機械というのは、本来的にはそれをまったく外部的なものだと想定しているから、「土地」への執着がないということになるわけですね。こうしたドゥルーズ/ガタリ的な考えに由来して、日本でも、一時は(今も?)「ストリート系」と呼ばれる運動がもてはやされました。「だめ連」とか「素人の乱」とかは、その代表的なものだし、いわゆるニューアカ以後の若い学者たちが、いろいろ意味づけしていました。おれは、ストリート系の運動の意義を認めないわけではないけれど、「土地なきパルチザン」というのは、本当に可能なのか、かなり疑問なところがあります。詳述は省くけれども、それはつまり、キャンパスでビラも撒けないことを良しとするSEALDsに帰結してしまったわけでしょう。」(堀内哲編『生前退位ー天皇制廃止ー共和制日本へ』第三書館」)

先週だったか、映画「ひかりのたび」を、雨の中、観に行く。新宿駅まえの通りは、神輿をかつぐ祭りの男女でごったがえしていた。私は、監督の澤田サンダー氏のことは知らないが、副島氏がHPで推奨していたことと、撮影場所が地元の群馬(中之条)だということもあって、観に行く気になった。鑑賞後、モノクロで静かな断片性で終わるこの映画を、どう受け止めていいのかとまどった。副題に、光の夢、とあるのだが、なんでそうなのだかわからない。最後、高3のひとり娘がバイトするレストランが夜の暗闇に消えていくのだが、その背後の森で、懐中電灯か何かの光が踊るように点滅して動き回っているのがうかがえたのだが、それはどこか手旗信号か、モールス信号のようで、注意深い鑑賞者へメッセージを伝えているのか、とも思えた。もしかしたら、「illumination」とは、啓蒙の意味の方なのかもしれない。では、だとしたら、何を?
映画上映の時間にはまだ間があったので、紀伊国屋書店に立ち寄っていた。その際買ってきたのが、上引用の著作である。そして帰宅後読みながら、まさにこの映画の解説になっているのではないかと、思えてきた。とくには、引用した絓氏の発言などにである。

映画のストーリーは、水資源にもなる山を代々受け継いできた元町長をはじめとした地元の人間と、そこへアメリカ人の注文でそれらの土地を買占めに派遣されてきた、不動産ブローカーとの人間模様である。冒頭、自転車に乗った女子高生、ブローカーの娘が、山林を背景に広がる田んぼ脇の坂道を疾走するところからはじまる。その構図からして、この映画の社会背景が、新自由主義的なグロバーリズムと、絓氏が指摘する戦後柳田的な日本の伝統的体制との相克が意識されていることが伝えられている。元町長もしまいには、奥さんの病気や選挙での敗北を受けて借金をおい、土地を手離すことになる。ブローカーは、職務的な忍従と優しさで客を獲得していったようだが、その仕事上の誠実さを評価されながらも、「やっぱり売らないほうがいい」と悔いを残す客の意識において嫌悪されている。元町長も、売り払ったことを町の人々に知られたくない、わからないように引っ越しをしてくれと、苦し紛れのような哀願をし、東京への転属を告げるブローカーを非難する。その一方で、娘は、はじめて一つ所に4年もの間とどまり友達もできたことから、たとえ父親の仕事でつらい目にあわせられることが予期できたとしても(学校で自転車がパンクさせられたりしている)、この地方にとどまって仕事を捜したいことを父親に告げる。東京や海外での進学を進める父と娘は、そんな進路をめぐって対立していたが、バイト先のレストランで、うたた寝をしていた父がコップの水をこぼして店員に平謝りを繰り返す様子をみて、娘はその滑稽さに安心したように微笑みを浮かべ、父に返す。父親も、娘が自分を受け入れ許してくれたような安心感を得たように、ほっとした笑みを返す。この二人の微笑みが、町長をはじめとした地元の人のネガティブな感情、醜さとも受け取れる様子とモノクロ的な対照さを際立たせている、といえようか。

ゆえに、だろうか、評価は、故郷を守る地元の人間倫理よりも、故郷のないと言える親子の、自立していこうとするひたむきな態度に、好印象がでるようだ。たとえば、まさに柳田の『遠野物語・山の人生』をあげて、この作品を評価している学者もいる。おそらく、アーティストの澤田氏も、世間的な勧善懲悪(よそ者を叩く)に疑義を呈したい態度の方が強い傾きがあるだろう。それが、「啓蒙(illumination)」ということであり、作者の公平への願い(dream)なのかもしれない。

が、故郷とは、あるいは「土地」とは、そういうものだろうか?

このブログ「北朝鮮情勢をめぐって」で、私はプーチンの、「北朝鮮は雑草を食ってでも、自分たちが安全だと思えるまで核開発をつづけるだろう」という発言を引用した。暗黙には、本土決戦も辞さない覚悟だろう、ということを含むだろう。私は、ニュースで、勇ましい体制側の意志を暗唱してみせる北朝鮮の民衆のその言葉を、文字通り受け止める気にはならない。植木屋に成り初めのころ、中国は上海からきた青年と一緒に働いていたが、その彼が、毛沢東が死んだときみんな号泣していたけど、あれは嘘泣きだからね、と言っていたのを思い出す。戦時中の日本でも、天皇に対し、似たような面従腹背だったろう。しかしそんな本音と、「雑草を食って」でも命令を遂行していく態度とは両立する。現に、ジャングルでの日本兵だの、そうだったと言えるわけだ。同じように、今の日本人は、内心はアメリカのことを「ふざけんな」と思っていても、自分たちが「雑草」を食うようになっても、アメリカに貢いでいくだろう。こっちは体張って戦争をしているんだぞ、だすものだせ、との脅しに屈する習慣性、その脅しを道理として変換させて自分を安定化させていたほうが、自分を変える勇気をもつより楽なことだろう。「雑草」を食うなどと経済的には不合理な現実を突きつけられても、自分のメンタル的な合理性にまず従ってしまう傾向を、人はみせるだろう。――しかしならば、現在、日本はアメリカの脅しから逃げる現実的な文脈があるか? 沖縄基地問題をめぐり鳩山氏が総理を辞めることになって以来、そう言い張る潜勢力が沈滞してしまったように伺える。短期的には、戦争させられるならその参加を縮小させ、金を出させられるならその金額を値切る、ぐらいのことしかできそうにない。いやそうやる勇気ぐらいはもった政治家は誰なのかな、と探ってみることぐらいだけが、現実関与として有効、というようにしか私には見えない。来月の選挙で、共産党が政権をとるぐらいにでも躍進すれば、また自立を志向する現実的文脈、大義名分がだせるかもしれない。そういう現実的変化なくアメリカへモノ申しても、人間的に道理がわからないおかしな奴、としか思われまい。

しかし、選挙を通した代表制(間接民主主義)だけが、現実有効な文脈、潜勢力を作っていくわけではないだろう。しかしその実践は、あくまで中・長期的な持続意志によるしかない。冒頭著作の編集者の堀内氏は、現に「共和制」を目指して運動している実践家だから、短期も長期もないかもしれない。が、現在ある選択に辟易している私には、そうした道筋を示して手続きしている氏の作業を知って、だいぶ共感する。私もこのブログで、9条よりも天皇条項のほうが問題で、そっちを改革する方が先だ、とか表明してきた。「共和制」という言葉も、使ったかもしれない。ただ私のそれは、坂口安吾の、「人間にできることは少しづつ強くなることだけだ」という言葉への共感による。安吾の天皇制批判は、その制度が日本人を真に「堕落」することを防いでいる、邪魔している、逆にいえば、天皇を差別化して日本人が甘えている、防波堤として利用しているということにあったろう。さらに哲学的につめれば、その態度は、スピノザの自然観を私には思わせたが、それも、浪人中から学生中によく読んだ、柄谷行人氏の『探究』経由である。

本土決戦……覚悟していようといまいと、その戦争を仕掛けようと回避しようと、すでに公的に言ってしまった言葉の習性に押されてやってしまう事態になる、というのが人間の歴史(「言葉と悲劇」=柄谷)でもあるようだ。ジャーナリストの間では、すでに今回の北朝鮮との戦争は、表向きの過激な舌合戦とは別に、対話・交渉解決へ向けて動いている、という話もでている(世に倦む日日や田中宇の国際ニュース解説)。絓氏の「土地」への現実感は、イスラエルを連想させ、澤田氏のそれは、ISな感じ、と言えるのだろうか? 実践的な運動経験もほぼなく、次男坊だからというわけでもないが地元を離れて暮らしている私には、ブローカー親子への共感、もちろん、逆境にもめけず微笑んだ、そういうシーンに促されてだろうが、遊動民的な在り方への共感の方が生活実感だ。しかし地元といっても、その多くの人びとが、ちょっと前世代からそうなっただけであり、群馬の山民も、もとは移住民だったはずで、私の職場が三代目だといっても、じいさん世代は旅人的な渡り職人、非常民である。しかし確かに、闘うには、根城があったほうが有効なのかもしれない。植木屋として独立しようにも、脚立や道具、トラックを駐車できる土地が確保されていなければ仕方ない。暴力団世界でも、新地に進出する場合は、事務所を持つようだ。大阪からはじまった柄谷氏中心のNAMでも、東京に事務所を開いて、私は最後は事務所番みたいな活動をしたことがあったが、なんもおこらなかった。

澤田氏の、この「土地」をめぐる葛藤、農民的なロマンチックな祖国と、やはりローマン的にもみえる遊動民的な居候性――その描写が、嫌味なく受け止められるのは、やはりあの少女の笑み、による気がする。別段、コップの水をこぼしたのが父親ではなくとも、それを大した問題だと平謝りする人の真面目さを滑稽なものとして受け止めた上でほほ笑む、ことはリアルな話だと、私には思える。つまり、彼女の態度は、父―娘という家族関係を超えて、より普遍的な位相から発したもののように、私は受け止める。滑稽として受け止める客観性、自分を突き放した冷静さと、だからあざ笑うのでもばかにするのでもなく、ほほ笑むという寛容性、他者を受け入れる振舞い、彼女が、そんな倫理を実践できたのは、何故だろうか? おそらく、「土地」とは関係がないだろう。単に、面白いことがみれたのだ、滑稽なことが。だから、彼女はまず、自分を他者として見出し受け入れただろう。それが可能だったのは、彼女が、「土地」から遊動している在り方だったからだろうか?

北朝鮮の民衆は、真面目にインタビューに返答する。現体制と金委員長を称えるその身振りは滑稽である。おそらく多くの日本人は、その様を軽蔑する。しかし彼女は、ほほ笑むのだ。

このほほ笑みは、「土地」にまつわるものから来るのだろうか?

2017年9月7日木曜日

夢のつづき(7)――ドストエフスキーをめぐって

「メッシがパナシナイコスのゴールへと走るあいだ、シャビ、イニエスタ、ペドロは、ディフェンス陣の数学的特性を解析したわけではない。おそらく、自分の行動について頭で考えてもいなかっただろう。スペースへと動き、足元にボールを直接パスするという単純な法則に従っただけだ。試合後の分析で、彼らのパス・ネットワークの数学的な規則性を絶賛することはいくらでもできるが、一連の動きは彼らのプレイスタイルから生まれたものだ。天敵から逃れるために一瞬で広がるという魚群の動きが、個々の魚の動きから生まれるのと同じで、ゴールも選手たちの一連の単純な動きから生まれるのだ。
 先ほどのメッシのゴール、そして多くのゴールは、はるか昔につくられた一連の法則から生まれた。バルセロナは、選手の育成組織として名高い「アヤックス・アカデミー」にならってラ・マシアを設立したとき、アヤックスだけでなく何百、何千万年という進化によって裏づけられたシステムを取り入れていたのだ。粘菌は三角形の使い方をマスターし、魚は速度の調整や空間の使い方をマスターした。バルセロナはこうしたスキルすべてをマスターできる選手を育てたかった。ラ・マシアが若い選手に教えなければならなかったのは、高度な幾何学ではなく、正しい運動の法則だった。こうしたパス、動き、身のこなしの法則は、練習場で確率されたものだ。メッシはペナルティー・エリアの外側でパナシナイコスの9人の選手と相対したとき、頭で考える必要もなかった。メッシは、彼にとって世界一単純で自然な動きを実行したまでなのだ。」(デイヴィッド・サンプター著『サッカー・マティクス』 千葉敏生訳 光文社)

エマニュエル・トッドの家族人類学とされる考察を読みながら、中学生の頃から読み始めていたドストエフスキーをめぐる中断されていた思考をおもいだしていた。私がこの世界文学的作家において気にかけていたことは、いくつかあるが、なかでも一番素朴なものが、『カラマーゾフの兄弟』における、三人兄弟のあり様だった。長男が一途になって、次男が懐疑的になって、三男が素直な感じの子になる、そう物語的に設定される。いやそれが物語としてではなく、現に三人兄弟の次男坊であった私は、自分の兄弟だけでなく、身近に知っている友人たちの三兄弟、三姉妹においても、似たような傾向があると気づいていたからだ。そうして、そこから物語世界を参照してみると、三匹の子豚やシンデレラ、ジョン・ウェイン主演のエルダー兄弟など、いろいろ当てはまることがありそうなのだ。日本の昔話や逸話にはなかなかみつからないのだが、三本の矢はだいぶちがうが、鎌倉幕府を開いた源頼朝三兄弟は、そう言えなくもない。もちろん、実際問題として、たとえばサッカーなどでは、サッカーを果敢に初めに試みた長男よりも、次男の方が日和見的になって、それが周りとの関係でポジショニングをとっていくこのスポーツにはむいてくる、とかの傾向は発生しやすい。長男だけのチームだとボールしか見ていない子の集まりになるが、次男坊がいるとシステムが安定する、三男とかの末っ子となると、もう単に甘えん坊に近くなるので、違った次元で大変になる、とかは私自身の指導下でも見受けられるものである。が、とにかくも、私は、この類型的なるものはなんなのだろう、というのがこの大作の一番の疑問だったのである。

トッドを読むことで、三十年以上も前のそんな疑問に、一つの解釈が出てくることに気づいた。人類にとって原初的に想定される核家族の変遷的な在り方の一つに、末子相続的な型がみられるという。長男、次男、と家を出て行くので、両親の面倒をみるのが末っ子になってくる自然的推移があるのだと。この原初的バイアスに、後の文明発生地としての、父性原理を明確にした共同体的家族なるものがぶつかる。もちろんロシアも属すユーラシアの中心付近とは、その文明発生地に近い。ゆえに、トッドによれば、ロシアが共産主義という父権的な共同体家族主義を全面的に受容するようになるのは、当然な事態である。しかしもちろん、原初のバイアスがなくなるわけではない。また、地域によっては、そのバイアスは強く残存したりしているので、受容の強弱葛藤に、まだら的なグラデーションが伺えるようになる。ドストエフスキーの時代にあっては、あるいは作品にあっては、文明的(共同体家族)な皇帝と教会、それを転換(代行)させようと企てる社会主義と、そして異端的な宗派との葛藤である。亀山郁夫氏などによれば、三男坊のアリョーシャは、異端的な宗派の方から、社会主義に関わり、皇帝暗殺をたくらむグループへと接触することになるだろう、というような話になる。いいかえれば、核家族的なバイアスを担う末っ子的な役割存在をなぞっていくのだ。そしてむろん、この末っ子が説く思想、価値、愛とは、ゆえに原初的な核家族的なものが核になる。

<いずれにせよ、このトッドの分析は、階級が消え、もはや個人と国家しか残っていないように見える現代世界にも、アイデンティティの核として家族(家族形態)がしぶとく生き残っていることを示している。ぼくがいま家族の概念の再構築あるいは脱構築が必要だと判断する背景には、このような研究の動向がある。…(略)…
 家族についてふたたび考えようという僕の提案は、じつは以上の柄谷の試みを更新するものとしても提示されている(第一章の冒頭で、観光客論は柄谷の他者論の更新なのだと記していたことを思い起こしてほしい)。柄谷が国家(ステート)と資本のあとに贈与に戻ったように、ぼくは国家(ネーション)と個人のあとに家族に戻る。柄谷が贈与が支える新しいアソシエーションについて考えたように、ぼくは家族的連帯が支える新しいマルチチュードについて考える。つまりは、ぼくがここで考えたいのは、家族そのものではなく、柄谷の言葉を借りれば、その「高次元での回復」なのである。>(東浩紀著『ゲンロン0 観光客の哲学』genron)
 
そうして、東氏は、この著作の最後を、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を素材に論考した。そしてこの論考の動機の一つは、山城むつみ氏の「カラマーゾフ」を素材にしたドストエフスキー論への応答でもあるという。私の当時の理解では、山城氏は、むしろ、3.11での原発災害を受けて東氏が説いた確率論的世界観への批判として、ドストエフスキー論を提出したのである。原発の災厄に見舞われた親たちは、なんで自分の子どもが犠牲にならなくてはならないのか、と苦悶しただろう、それは、放射能がそうは襲ってこない地域の子どもを抱える親にとっても、身を切るような煩悶だったはずだ。そうした最中に、山城氏はわが子の「復活」を「カラマーゾフの兄弟」から読み込んだのである。私はそれを読んで、救われたような気がしたのを覚えている。ブログにも書き込んだ。私の文脈で、トッド氏と柄谷氏が交錯したのは、封建制、「私の中の日本軍(部活)」、ということをめぐる思考過程からだったろう。いま、改めて、3.11の騒動の最中に書かれた山城氏のドストエフスキー論に動かされて記したブログを読むと、その冒頭引用が、<夢>の記述であることに気づかされる。その記述を、時季を経た今さらの文脈で読み返してみると、このフロイトによってファミリーロマンスとして解釈され、あくまで近代的な仮説として理解されてきた夢が、実は、人類の原初的なバイアス、抵抗の痕跡・衝動なのではないかと伺われてくる。ならば、核家族の核(価値・思想)とは、「おのれみずからのごとく他を愛せよ」、ということになるだろう。

私たちは夢の中にいる。家族の中にいる。しかしならば、その関係は、環境適応の中にあるわけではない。夢の中にあるのだ。メッシが夢の中で打つシュートは、ゴールへと向かわないだろう。

2017年9月6日水曜日

北朝鮮情勢をめぐって

「私は、否、私だけでなく前線の兵士は、戦場の人間を二種類にわける。その一つは戦場を殺す場所だと考えている人である。三光作戦の藤田中将のように「戦争とは殲滅だ」といい、浅海特派員のように「戦場は百人斬り競争の場」だと書き、また本多氏のようにそれが、すなわち「殺人ゲーム」が戦場の事実だと主張する――この人々は、いわば絶対安全の地帯から戦場を見ている人たちである。だがもう一つの人びとにとっては、戦場が殺す場所ではなく、殺される場所であり、殲滅する場所でなく殲滅される場所なのである。
 その人びとはわれわれであり、全戦の兵士たちである。彼らにとって戦場とは「殺される場所」以外の何ものでもない。そして何とかして殺されまいと、必死になってあがく場所なのである。ここに、前線の兵士に、敵味方を超えた不思議な共感がある。私たちがジャングルを出て、アメリカ軍に収容されたとき一番親切だったのは、昨日まで殺し合っていた前線の兵士だった。これは非常に不思議ともいえる経験で、後々まで収容所で語り合ったものである。」(山本七平著『私の中の日本軍』 文春文庫)

私が、現在のきな臭い北朝鮮情勢をめぐる状況のなかで、中学生になる息子に一番まず伝えておきたいことは、「人はその時突然変わる」、ということにこだわった漱石の認識になるだろう。部活のサッカー部にも、韓国からきた下級生がいるそうだ。まだ日本に来て一年目なので、日本語もままならないので、部活をやめるかもしれない、という話を息子からきかされている。大久保でのヘイトスピーチをみても、おそらく、北朝鮮と韓国の区別を、日本人が明確にしうる歴史経緯は内面化されていないだろう。戦前・戦時中も、昨日まで仲良く遊んでいた在日の子どもたちに対し、国の明白な態度変更とともに、子どもたちもが突然と変貌して排他的になったことが伝えられている。そうでなくとも、すでに私は、子どもたちへ教える少年サッカークラブでも、いわゆる昔の運動部的に子どもをいじる(しごく)ことでチームを強くしていこうとする指導の体制になってきたようなので、私は引退すると表明している。父兄にしても、また半分のコーチにしても、そういう方針でチームが強くなるわけでもなければ、そういうふうに子どもを強くすることに疑問な声なのが多数的なのだが、結局は強気なことを言うコーチの方針にバイアスがかかっていく。別にそうした方針に興味のない親は、単に練習に子どもを参加させることに熱心でもないし、参加したら参加したで、体力ないからとマラソンをさせられるのでは、子どもも面白くないので、来なくなる。そしてそうした成り行きの自然性を、そんなコーチも認識している。がゆえに、なおさらかたくなに、その正しい方針を貫くことが、大きくは世のため人のため、と思っているらしいのである。そしてその想念が、暗黙には日本的というか世間的な理念的前提、ということに若い親たちもが共有しているので、声をあげるのではなく、単にそこから遠ざかるか適当に距離をおいてかかわる。子どもには頑張ってもらいたいので、素直に手なずけるしつけの難しさもあって、それを他人がやってくれるのならと、黙って見過ごしていくことによって、少数派のコーチの声がヘゲモニーとして通ることになる。私も、息子がもうそこにいない現場で、権力闘争のようなことをする気力はない。

少年サッカーの一地区理事会でも、私ぐらいの世代だと、大半は野球部だったりするが、部活は「軍隊」のようだった、という比喩は共有される。そしてそこでも、強気な発言をする少数派が、体制・風潮を作ってしまう。山本七平氏の冒頭にあげた著作などを読んでいても、そう述懐されている。そして私自身が、そんな声高の少数派の一人であったろう。戦時中だったら、そのまま大人になれたかもしれない。が、戦後の民主主義的な原理も発育させていた旧制の中学から進学校になった高校では、建前上は後輩に対するシメのような儀式はやはりあったのだが、進学校に入学してくる者たちのほとんどは要領を得た個人主義的な地区のエリート―なので、そんな集団儀式には冷めているのだった。シメを行うのは、山本七平氏が初年兵への体罰をするのは2年目の兵士だと指摘しているように、部活でも2年生の役割だった。3年生は、見ているだけだ。2年生の私は、頭のいい子どもたちの要領のよさと、そういう者たちのニヒルさこそがここでは風潮を作っていくらしいことに不安と疑問、同時に中学までの自分を懐疑しはじめていたけれど、それまでに肉体化された習慣と、むしろまわりの冷めた二リルさに対抗するように、新入生に声をあらげた。「自分の声だって聞こえなくなるんだぞ!」と、すでにレギュラーで試合にも出ていた私は、スタンドの応援でかき消される声を例にだして、球拾いする下級生に、なっとらん、と叱っていたのだった。すでに自分でいいながら空々しい憂悶を抱え込んでいたが、自分はその葛藤を処理できなかった。今では、その時の自分、あるいは中学までの軍隊的部活を全否定的に対処することはできないと知的認識しているので、もっと方法的に対処して、サッカーを通して、子どもたちに指導してきたことになるだろう。といっても、その方法が自覚されてくるまでには、息子がまだ低学年の頃には、おもわず軍隊的な名残でやってしまって、その瞬間すぐさま知的に内省されて修正する、そんな過程を通らねばならなかった。私の父親には、そんな修正は必要がなかった。しかし、もともと無理がある強要指導になるので、いつしかは優しい父の地のままになる。が、知的対決をしていないので、もし父が若返ったら、やはり同じ教育を繰り返す他ないだろう。

プーチン大統領は、北朝鮮は、自らが安全と感じるまで雑草を食ってでも核開発をつづけるだろう、と発言しているようだ。彼らが戦後の日本人のように身代わり早い習性の人たちなのか、本土決戦をも辞さない覚悟な者たちなのか、は知らないが、私たち日本人は、プーチンが披露した北朝鮮の気概を理解できる過去(文脈)は持っている。その痕跡経緯は、若い世代でもなおなくなっていない、と私はおもう。が、そこから自分の立場を探り言語化する営み、訓練、知的対決をしてきただろうか? 単に、長いものに巻かれて当たりさわりのないことをいってその場をやりすごしていく、そんな良い子の態度の文脈しかみえない。潜在的には、日本の思想史を振り返ってみても、連綿とつづいた模索があるのだが、現実に働きうる潜勢力としてはどこかへいってしまったようにうかがえる。もはや、戦争はしょうがない、それが諦めではなく、良い子の理性的な判断としてあるようなマスメディアの風潮に伺える。だから、戦争を肯定する声高の少数派がでたら、自分のやましさから押し黙ることになるだろう。やましさとは、本当はしたくない、暗い世の中はいやだな、と生理的に思うことだが、理性的、冷静な判断で戦争を是とする趨勢の中で、そんな私事的なこと、弱音は声に出してはいけないのではないか、と黙ってしまうのである。そして声高の少数派には、「戦争反対」と叫ぶいわゆる運動家の人たちも入ってしまうだろう。それは、自分の過去を、私の中学時代までを全面的に否定することで現在の私を定立している人たちのようなものだ。自分の弱さにとどまって対決することをすり抜けて居直ってしまった反動家の言葉に、人を説得させる認識が孕まれているとは、私はおもわない。ただ、それでも戦争を遂行させる声高の人たちよりはマシなのかも、とおもうだけである。しかし、あの戦争を遂行させた軍隊と、戦後の民主主義を遂行させてきた勢力が、実は同じ穴のムジナだったとは、戦後の日本思想で自覚されてきたことではなかったか。

戦争になっても、いつも通りでいろよ、私が息子に言えるのは、とりあえず、そんなことだけだ。結局は、私は、そんなことしか考えてこなかったのか?

2017年8月31日木曜日

夢のつづき(6)

「人間がネコを認識するときに「目や耳の形」「ひげ」「全体の形状」「鳴き声」「毛の模様」「肉球のやわらかさ」などを「特徴量」として使っていたとしても、コンピューターはまったく別の「特徴量」からネコという概念をつかまえるかもしれない。人間がまだ言語化していない、あるいは認識していない「特徴量」をもってネコを見分ける人工知能があったとしても、それはそれでかまわない、というのが私の立場だ。
 そもそも、センサー(入力)のレベルで違っていたら、同じ「特徴量」になるはずがない。人間には見えない赤外線や紫外線、小さすぎて見えない物体、動きが速すぎて見えない物体、人間には聞こえない高音や低音、イヌにしか嗅ぎ分けられない匂い、そうした情報もコンピューターが取り込んだとしたら、そこから出てくるものは、人間の知らない世界だろう。そうやってできた人工知能は、もしかしたら「人間の知能」とは別のものかもしれないが、間違いなく「知能」であるはずだ。」
「そして、そうして得た世界に関する本質的な抽象化をたくみに利用することによって、種としての人類が生き残る確率を上げている。つまり、人間という種全体がやっていることも、個体がやっているものごとの抽象化も、統一的な視点でとらえることができるかもしれない。「世界から特徴量を発見し、それを生存に活かす」ということである。…(略)…私の研究室では、ディープランニングをこうした選択と淘汰のメカニズムによって実現しようという研究を行っている。組織の進化も、生物の進化も、脳の中の構造の変化も、実は同じメカニズムで行われているのではないか。そう考えると、個人と組織、そして種との関係性は思ったよりも密であり、そして「システムの生存」というひとつの目的に向けて、備わっているのかもしれない。」(松尾豊著『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』 kadokawa)

アパートをさがしている。どうも(たしか)、夫婦げんかをしたからなようだ。そこで、学校を休んで、東京の街中を歩いてさがしている。(ということは、私は息子のイツキの立場に重なっている、ということか? そもそもこの夢は、その日の午前、イツキと女房で勉強をめぐるバトルがはじまったことを受けているのだろう。前もって逃亡を防ごうと女房は自転車を隠していたので、イツキは激しい雨の中、歩いて知り合いのジイサン・バアサンの所へ避難しに行っていた。)今住んでいるアパートは、私が学生の頃借りていたもののようにオンボロだ。どうも(たしか)、豊島区の方に近い街中に、いいアパートをみつけた。(ということは、「初夢」として見た今年の夢のつづきでも、あるらしい。)年があけたら、移ろうとおもう。保証金は払ってきたが、夫婦喧嘩か、仕事がうまくいったら、引っ越す必要がなくなるかもと、状況を見るために、しばらく(年末のことのようだ)、実家に帰ることにする。母との折り合いがつけば、移らなくともすむような気がする。洪水が起きる。ナイル川が氾濫する。その規模を示す世界地図、アフリカを中心とした地図が解説として映像に出てくる。洪水は、アフリカ大陸の西側までは広がらず、借りてきたアパートは大丈夫だとわかり、安心である。(どうも、西側のナイジェリアの辺にアパートはあるらしい。)というか、洪水になってもそこまでいかないという知識が前もってあるようで、平然なようだ。母が、以前のオンボロ・アパートを訪れたことがあるように、新しいアパートに移ったら、やはりまた訪れてくるだろうか、と思ったりしている。(女房と母が重なっているようだ。)そうこう思っているうちに、夢に気づき、目をつむったまま、この夢の分析をはじめていた。洪水を恐れていない。また寝ると、忘れてしまうので、起きてメモにした。4時半ごろ。寝たのは10時ころか。映像の少ない夢。というか、これは夢なのだろうか? わかりやすすぎる。その雰囲気も、夢の中というよりは、意識的な感じだった。浅い眠り。

その晩(つまりは、夢を見るまえ)、NHKの「ファミリー・ヒストリー」での、オノ・ヨーコの特集をみていた(女房も大会社の社長の娘だったので、重ねているのだろう)。「あの子は(サッカーでは)立ってるだけ、(勉強では)写しているだけ。一生懸命やることを覚えさせるのが大切だ」と、なにかの拍子でまた夫婦喧嘩になって、女房、以前の「人として最低限のことは覚えさせる」という論理とは違った理屈で、自分の暴力を正当化してみせる。そこで私が反論した理屈。「オノ・ヨーコが、結婚して子供ができたら、九九が覚えられないといって蹴とばすか? そうやって子供を追いつめるか? 黒沢美香が、子どもを産んでそんなふうになるか? そうした途端、自分がやってきたダンスが偽物だった、まがいものだった、ということになってしまうんだぞ。」「そう生きるには、覚悟が必要なのよ」「俺は文学をやっている。就活などしたことがない。今日ここで喧嘩していられるのも、植木屋で仕事がないからだ。あの時死んでたら、いまどうなっている?」――その二日後か、お盆で帰省した際、母がイツキのことを心配しているから電話をかけてくれと兄からメールを受けていたので、実家に電話した。母は、私と女房が、私がプリントしてきた谷川岳の地図をめぐりちょっとしたいざこざになった際、イツキが下を向いて悲しい表情をみせた、という。「あれは、虐待でしょ。(と、実家に帰った際も宿題をやらせようとする女房とイツキのやりとりを、何年もみてきたので。)児童相談所に言ったほうがいいのではないの?」「あれでも、だいぶおさまってきてる。」「何かあったら、こっちに避難させてもいいから」「突発的なことがないかぎりは、大丈夫だよ。」

夢は、「システムの生存」が私たちの目的なのかどうか疑わせしめる。死への衝迫の感触は、環境適応とは別の論理、潮流の在り処を私たちにほの見えさせてくれているように思える。

2017年8月19日土曜日

夢のつづき(5)

「人間の記憶はある種のビッグデータ処理機と見なしてよいと思う。サヴァン症候群の患者は、記銘力と芸術的能力において特異な才能を持っていると言われている。…(略)…サヴァン症候群の患者は、驚くべき量と正確さの記憶力を示す。一方、健常者の記憶は正確ではないし、裁判での証言者の記憶は不正確である。証言者の記憶は解釈の都合で如何様にも歪んでしまう。これは人間の記憶特性である。コンピューターのように一次元のメモリアドレスから正確に参照される類の記憶とは異なる。その代り人間の記憶は脳という記憶空間内に、幾重にも重なって畳み込まれていると考えられる。このとき潜在意味分析の如く特異値分解でキーベクトルを与えたときに想起される内容が人間の記憶と同一視することができると考えるならば、人間の記憶とビッグデータとは親和性が高い(人間の長期記憶と潜在的意味分析、あるいはその元となった特異値分解)と考えることができよう。さらに自動符号化によって抽象化が起こると考えるならば、…(略)」(浅川伸一著『ディープラーニング、ビッグデータ、機械学習 あるいはその心理学』 新曜社)

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「事物の認識はこの関係によってこそ行われるのであって、実は見かけ上の類似性などは意味をもたないのである。抽象とは外観に現れたかたちの抽出ではなく、この具体性にもとづいた認識であり、判断である。」(岡崎乾二郎「抽象の力」)

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「もう一度出発点に立ち返って、機械の画像認識を向上させるために何が必要かを考えてみたい。図7・4を見ると我々は、画像には幼児の顔が写っていて、その子が何か(スクリュードライバー…引用者註)を手に持ってこちらに向けている、という状況を理解できる。畳み込みネットワークを使って制限ボルツマンマシンを重ねれば、この状況を察するユニットが形成されるのだろうか? 素朴には答えはノーであろう。このような状況をモデルに理解させるためには、古典的な人工知能の手法を取り入れて宣言的知識をシステムに与えたくなる。
 しかし、そうする前にまだなすべき仕事は残されている。マーガレット・ウォリトン(Warrinngton. 1975)は、意味記憶が視覚的記述と機能的記述に分かれている可能性を指摘した。すなわち神経心理学的には、視覚の対語は聴覚でも運動でもなく、機能である。人間の意味記憶障害では動物と非動物とに大別される。動物は視覚的に記述されることが多い。トラとチーターの違いは、主として視覚情報の違いによる。ところがイスとテーブルの視覚情報にはそれほど差がない。同じ素材で作られていて、同じ色をしていることもあり、同じ場所に存在し、どちらも四足であり、かつ、大きさもそれほど違わない。縁日で売っているミドリガメとゾウガメの大きさの違いの方が極端である。イスとテーブルの違いは主として、どのように使われるかという機能によって判別される。…(略)…視覚情報だけでなく機能情報も同時に与えて制限ボルツマンマシンで多層化して視覚情報に機能情報を連携させれば、動物と非動物の二重乖離という神経心理学的症状を説明するモデルができるだろう。その知識を使えば、ディープラーニングは図7・4の画像をスクリュードライバーと認識できるのではないかと思われる。」(浅川・同上)

・もし、健常者をぶんなぐってサヴァン症候群が成立するなら(事故でもいいが)、それは異常さの中に普遍性が見えてくる、ということではないだろうか? 私が主観(自我・意志)を超えて、捨てて、ぼんやりとモノを見ているときにこそ脳みその力が発揮されているのだとしたら? モノを見ている者が、私以上の者だったら?

・心理学的視点から、「機能」に着目したのは面白いとおもった。が、「機能」は一義的だろうか? さらに、この図7・4の赤ん坊は、それをスクリュードライバーとして使っているのか? そんな通例的な「機能」ではなく、その道具の有限性的な限定から、想像力豊かに「機能」を新しく創りはじめている、というのが赤ん坊(子ども)の現実だろう。たとえ私たは、その新しさを、既存の社会的枠組みに触れたときにだけ、「ああそうしようとしていたのか」、と新鮮な感動を覚えるだけであっても。つまり大概な用法は、理解できないのだろう。

・中学生棋士で有名になった藤井氏が、モンテッソーリ教育を受けていたことが注目されている。→<しかし《フレーベルの教育遊具》は、その演習が、あまりに詳細な操作方法まで指定されていたことによって形式的すぎる、儀式的であるという批判もされていた。ここまで詳細に事物との関わりに指示を与えてしまうと、児童の自発性、自由はむしろ抑制されるのではないか。後続するモンテッソーリの《教育遊具》はそもそもマリア・モンテッソーリ(1870-1952)が知的障がい児の知能向上育成にあげた驚異的な成果をもとに発想されており、事細かな指示がいっさいなくても、ただ遊具と具体的に接していれば自動的に思考や感情が促されるように工夫されていた[fig.109]。まさにモンテッソーリの《教育遊具》は主知的な指導がなくても事物が身体を触発し、知性を生成させるという発想に基づいていたのである。

《感覚教育》として知られる、そのメソッドは以下のようなものだった。身体的な運動およびその感覚から、抽象的な概念、法則性の理解を自動的に促すこと。そして身体的な交渉、試行錯誤を繰り返すことで、その過程で与えられる具体的な感覚、感性的感受から高度な抽象概念の習得へと導くこと。すなわち事物との関わりこそ知性を維持し育成するきっかけになる。むしろ知性を誘うのは事物である。人は事物に触発され考えさせられるのだ。触発すなわち事物が与える感覚が人間を育てる。>(岡崎・同上)
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私も、子どもへのサッカー指導から、オランダのトータルフットボールがどうして実践しうるのか、と調べてみて、その新しい教育実践のことについて知った→<オランダでは、1960年対後半、そうした制度から、いじめ問題が深刻化しました。オランダ人は、その原因を、近代国家によって導入された一斉集団授業という形式に問題があると原因特定しました。それゆえ、学校創立に自由を与え、生徒が一定数集まって場所もあると証明できれば、私立でも公立と同じく予算をだし、先生の給与全額を国が負担するという政策をとったのです。結果、ドイツはナチス政権下で弾圧されていた新しい教育理論を採用する人たちがあらわれ、一つの地区に色々な方針を実践する小学校が現れた。要約的にいえば、授業から「学習」という形態に移行し、それは近代以前の日本の寺小屋に近いです。教壇はもうなく、1から3年までが一緒の部屋 で勉強し、先生は個人の発達レベルにあわせた課題を与えて、定期的に、4人ぐらいのグループを作った机の間を見回ったり、床にすわっています。宿題を終えた子は廊下にでてもっと好きな勉強を一人ではじめたり、先生がレベルの高い自習問題をあたえます。そしてこの風潮は、なお数量的には主流にはならないとはいえ、EUを離脱したイギリスを除いて、ヨーロッパの理念的なメインストリームになっているといっていいとおもいます(最近の難民問題で次の課題に直面しはじめていますが)。なんで私がそんなことを知っているかというと、サッカーのクラブ活動だけで、トータルフットボールなどという、全員が一丸となって休まず走り通すモチベーションを育成することなどできないな、もっと子供が時間をすごす小学校に問題があるのではないかと、中野区の図書館程度でですが、調べたからです。>(D&P2016.9, 2016.8)……というか最近は、小学校以上に「いじめ」を通り越した不登校が中学に入った途端びっくりするくらい増加するようなので(息子もその兆候あり)、もう一度探ってみようとおもっている。

・コンピューターはなぜそんな手を打てるのか、もはや人間にはブラックボックスになっているという。人がやれば何万年とかかってしまう場数経験を踏んだ上なので、私たちにはわからないのだと。が、そういう経験値レベルでのわからなさなら、遺伝子や身体レベルまで考慮したら、私がなんでこうしてしまったのかさえ、ブラックボックスである。しかし本当は、グーグルは、解析できるらしい。何年かしたら(おそらくはつまり、儲けを確保したら)、その解析本を出版するかもしれないらしい。しかしそんな参考書、ハウツー・テキストをみずども、すでに若い人たちは、コンピューター相手にゲームをしているのが日常的なのだから、何万年かの経験値をとり込んでいるのである。難しく正しい歴史的経緯など知らなくとも、そのノウハウ的結果、すなわち知恵はついてくる。コンピューターとまた互角に張り合える時期はくるだろうが、しかし、その時は、人間と自動車が競争しても意味がないように、疲れを知らない機械相手に戦っても、面白い見世物にはならないだろう。お笑いにはなるかもしれないが。