2025年7月26日土曜日

スラヴォイ・ジジェク著『「進歩」を疑う』(早川健治訳 NHK出版新書)


「つまり、労働でも言語でもなく性こそが、われわれ(人間)が自然から切断されるポイントなのである。性とは、われわれが存在論的な不完全性に直面し、無限の自己再生産になるというループ――欲望のねらい(aim)が欲望の目標(goal)ではなく、その目標の欠如の再生産になるというループ――にとらわれる場なのである。」(スラヴォイ・ジジェク著『性と頓挫する絶対』 中山徹+鈴木英明訳 青土社)

 

前回ブログで論じた平野啓一郎著『本心』を読んでいて、私は濱口竜介の映画『悪は存在しない』を想い起した。この映画監督も、平野より少し若いが、氷河期世代と呼ばれた年代の人である。どちらも、ものわかりのよい相対主義、いわゆる善にも悪にも熱意的に加担するのをさけてゆくようなバランス感覚で自己を律している感がある。

私はこの映画を、同時期に日本公開されたヴェンダースの『PERFECT DAYS』と対比した(ダンス&パンセ: 映画『悪は存在しない』と『PERFECT DAYS)。

濱口の価値態度は、自然を開発する側の人間の事情もわかってくれば、一概に開発派が悪とは言えないのではないか、という視点、それが映画冒頭で示唆されるカラマツの風景(開発荒廃と自然回復が一体的な途上であるような)、人間悪を自然悪によっても相対化させていかせるようなバランス、良識を握持しているように見えた。

ヴェンダースは、悪は存在するのだ、しかしその悪の重なりのなかでこそ、木漏れ日のように善が差してくるのだ、という覚悟を示しているようにみえた。私は、ヴェンダースの方に共感を持った。

 

ジジェクのこの新書の後書きで、訳者の早川健治が、ジジェクの『PERFECT DAYS』への扱いに関し、こう述べている。

 

<ジジェクは同作を、ささやかな日常生活の幸せの維持に満足して政治に関わろうとしない個人を描いたアジア高所得国の作品の例として取り上げている。それ自体は妥当な解釈かもしれない。しかし、そもそも『PERFECT DAYS』はリアリズム映画ではなく、ヴィム・ヴェンダース率いる政策チームの日本像の投影、THE TOKYO TOILETの宣伝、そして欧米の観衆からの需要の各要素に合致したファンタジーと言ったほうが正確だろう。>

 

そして日本での伊藤詩織の著作『Black Box』やテレビゲーム『Final Fantasy Ⅶ』をあげて、体制にあらがう若い政治的個人や動きもあることを付加する。

 

しかし、ヴェンダース映画の文字通りな物語的メッセージは、こうなっている、「金持ちよ、その立場を捨ててトイレ掃除のような労働者になれ、それこそがパーフェクトな日々なのだ」、と。そもそも、なんでこのトイレ掃除をする男は、資産家の家庭から下りたのだろうか? それこそが政治性ではないのだろうか? ヴェンダースは、欧米の脱政治化した観衆やアジア高所得者向けに、イロニーもなく、そんなメッセージ性を提出したのだろうか? これを観たお金持ちは、どう感じるのだろうか?

 

ジジェクは、『性と頓挫する絶対』において、映画『追憶』をあげてこう指摘する。この映画が、このカップルの離婚後として、もし活動家の女性のほうが過激すぎるゆえに無害な地域指導者として受け入れられていて、流行作家の一員となった男の方が実は過激な政治的活動で挫折し絶望しているのだ、というような視点を孕んでいたら、もっとよくなっていただろうと。

 

少なくとも、ヴェンダースの映画には、この反転、ジジェクのいうメビウスの輪のような構造が暗示されている。平野や濱口には、むしろ悪に加担してしまう「盲目の中の洞察」がないゆえに、それ以前の、良識的なバランス、相対主義に固着している。

 

『本心』で若い主人公らが求めているのは、同性愛者やペットとの同居も同等となるような、人間関係的な軋轢を回避した「ルームメイト」的関係のように見えた。そう仮説して、より話をわかりやすくするために、現今のペット事情をとりあげてみよう。

 

私の住んでいる地域の町内会回覧板には、こう書かれた案内がいつも挿入されてくる。猫は家の中で飼うよう注意してください。たしかに私の芝庭には、猫のウンチがたまってきたりするし、困るのはわかるし、私もこの猫野郎目! と対策をねり、芝や雑草もある程度伸ばし放題にさせておく(すると猫はこない、がやはり近所というより見回り顔役から文句がきそう)。がそれが猫だろうと思うので、私は町会で、猫って、家の中で飼えるんですか? と質問する。それじゃ猫じゃなくなってしまうんじゃ……いや今は犬だってそうだ。番犬として庭の犬小屋にでも外だししていたら、近所から文句がきそうだ。だから、やたら小型化された犬がでまわっている(しかもあらかじめしつけられて)。たしかに可愛いのはわかるが、何か変だ、と感じる私の感覚が「昭和かよ」という話になるのだろう。

 

しかしこの件は、ジジェクの哲学で解釈できる。ペットに優しい人社会は優しい平和な世界、そうだよね? とする影には、小型化されて可愛くなった大量のペットが生産されるその分、売れ残った大量の子犬たちが廃棄され、その構造が見えなくさせられているのだ。犬猫の野生という本性とされたものも、全体的な見方が変わることによって変化を受け、つまりは自然自体もが変化をするというのが、量子論的な科学示唆から知れる現実である。

 

ジジェクからすれば、本源的な対立が自然にはあり、男女やトランスジェンダーといった性的関係も、その対立(欠如・矛盾・敵対)を埋めるための防衛的な方策である。

 

人間関係上の軋轢闘争を好まない、忌避する若い世代は、なんらかの身体的な傷を抱え込んだのではないか、とだからその根源的な対立を仮説することによって、逆に推定されてもくる。対立を前提として容認的に抱え込んでいるような恋愛という欲望が幻想だとしても、そこから逃げた相対主義的な良識、バランスとりは、もっと悪いもの(「父またはもっと悪いもの」)を惹起させているのかもしれない。

 

<つまりは、真の進歩とは、過去のすべての進歩でつぶされた鳥たちを(引用者註…つまり大量廃棄されるペット)遡及的に贖おうとする。それは(バイオ宇宙主義が夢見たように)現実世界で贖うという意味ではなく、そこにあった潜在的可能性を贖うということだ。>

 

次回は、たぶん、冒頭引用のジジェクの『性と頓挫する絶対』を扱う。がその前に、また熊本にゆき、その天草の地で、東京でみそびれた映画をみる。ヘーゲルは、精神とは骨である、と言ったそうだ。熊本は山鹿で撮られた映画『骨なし灯篭』は、どんな精神をみせてくれるだろうか?


2025年7月15日火曜日

平野啓一郎著『本心』(文藝春秋)を読む

 


前回ブログで言及した「死者とテクノロジー」での鼎談で知って、平野啓一郎の『本心』を読んでみたいと思った。はじめて読む作家の作品である。

 

この作品は、母と僕(息子・朔也)との関係をテーマに据えたものだけれども、妻と私(夫)との関係にも重ねられてくる(そう予想したから読んでみたくなったのだけど)。それくらい、問いが抽象化、一般化され、つまり今を生きる人たちへ共有できるようよく考えられている。しかし妻を亡くした私にとって、この小説が他人事でなくなるのは、この社会問題を浮き彫りにするべく導入された、母の遺言のような言葉、「自由死」を願うまでになった彼女の「もう十分」という発言をめぐって考察が進められているからだった。妻は、わたしは好き勝手に生きたの、だからもういいの、と自らの死を意識しはじめたのだろうとき、私にそうもらしていたからである。私は、死後になってなおさら、その「本心」とはどういうものだったのだろうかと、彼女が遺した文献に直面して、問い返さざるをえなかった。

 

著作は、いわゆるバブル崩壊以降の、失われた30年と呼ばれた時期を若くして生きた「氷河期世代」の女性の老後、近未来社会を生き死んでいった母として設定されている。(作家自身が、そう通称された世代である。)

 

<多くの人間が、自分が生きているという感覚を、疲労と空腹に占拠されている社会で、僕は母の「もう十分」という言葉を聞いたのだった。>

 

妻は、「もう戦後ではない」と経済白書に宣言された時代に生まれ、高度成長期、バブル期を若い頃生きた世代である。しかしこの時期、女性にとっては、そう言われる世間と自身の被る現実とのギャップを身に染みて感じさせられたのだ、と学説的に跡付けられるし、このブログでも、その時代を生きた女性作家たちの発言に触れてきた。この『本心』では、母と付き合いのあった、母より一回り以上年上の作家・藤原の認識がとく「十分」という意味に、妻の世代の言葉は近くなるのかもしれない。――<何度も戦って傷つき、『もう十分』という人もいますね。>――私は、妻のダンス「エンジャル アット マイ テーブル」の、私(女)は闘っているのよ、というパンフの言葉を思い起こした。妻にとっての「闘い」とは、まずこの男女ギャップ、ジェンダー的な意図が孕んでくるものだった。

 

しかし「氷河期世代」の者たちにあっては、この問題がより一般的な社会問題に包摂されてしまうのだ、という認識を『本心』は示す。

 

<結局のところ、僕は愛の問題ではなく、生活の問題だと考えようとしていた。今のような世界では、たった一度の人生の中で、人がより豊かな生活を求めるというのは、当然のことだった。結婚だって、恋愛がその動機になったというのは、短い僅かな時代の、壮大な、失敗した実験だったと、今では多くの人が考えている。必要なのは、より良い生活を共にするための相手だった。>

 

こうした認識前提から、作品は、対幻想よりかは共同幻想としての世界への対峙、社会的テロの背景問題、そして男女の家族的な営みも、同性愛やペットとの同居と同列になるようなパートナー関係、軋轢を前提としない理想がめざされ、「より良い」ものとして想定される。セックスワーカーをしていた女性・三好と僕との同居から、彼女と身障者のIT起業家・イフィーとの将来へ向けての同居も、その理想が志向されている。「リアル・アバター」という僕の仕事の同僚の、仮想現実ゲームを利用しながらそのままのリアルなテロ決行を試行させられた男・岸谷も、仕事でのバーチャル・セックスを続けることはできず不能におわる。作家が示し前提とした認識は、世代的に共有されている身体的な傷であり、それを深めたくないという辛さが、パートナー的な関係を理想とみさせるかのようである。

 

この認識は、次のより若い世代にも共有されてくる、より一般・普遍的な在り方になっていくのかはわからない。が、より昔の世代で意識化されたことと比較することで、ここにある差異の検討をすることができる。

 

『本心』を読むと、夏目漱石の『こころ』を思い起こす。

 

漱石の『こころ』の一般的な理解では、そこに提示される男女関係は、三角関係であり、その男と男との競争関係のなかで、女を所有したいという欲望が生まれるのだ、とされてきた。ジラールの、欲望とは他者の欲望であると前提する、欲望の三角関係論である(この見方は、大衆社会での消費行動の説明にもなる)。そこからさらに、ゆえに本当に問題となっているのは男と男との次元(競争)なのだから、実は同性愛が、ホモ・ソーシャルが掲揚されているのだ、というフェミニズム的な批評がでる。

 

『本心』はどうだろうか? 僕と三好とイフィーとは、三角関係になる。僕をリアル・アバターとして使用した三好は、アバターとしての僕の口を通して、三好に「好き」なのだと告白する。僕に好意を抱いていると暗黙には理解している三好は、「憐れみの色」をさして僕をみつめ、「……どうかしてる。」と呟いて首を横に振って、二人の男の下を去る。イフィーは、何度となく、僕と三好とは恋人関係ではなく「ルームメイト」にすぎないと、あらかじめ確認していた。そしてこの事件のあと、僕と三好は話し合う機会をもち、好きな男ともセックスができなくなるほどの心の傷を自分は抱え込んでいると三好は打ち明ける。だから打ち明けてきたイフィーと関係を作ることにも自信がなく、打ち明けてこない僕の真意も測りかねている。が、最終的な僕の言葉、「イフィーさんも、自分の障害を三好さんに受け容れてもらえるかどうか、不安がってました。それぞれに事情があるんだし、理解しあえますよ、きっと、大丈夫です。」に勇気づけられるように、イフィーと新しい関係を作っていく決意をする。ここで見ておきたいのは、三好にそう決意させた、僕の「決心」の論理である。

 

<僕は、イフィーとして、三好に伝えた「好き」だという言葉を脳裏に過らせた。そしてそれを、自分自身の思いとして、今こそ改めて口にし直すべきではないか、と卒然と思った。/そのたった二文字分の、僕の声の響き。僕と彼女との間に保たれてきた距離の振動。そのささやかな出来事が、三〇〇億年間という宇宙の途方もない時間の中で、起きるということと、起きないということ。そして起きなければ、僕は死後、起きた宇宙ではなく、その起きなかった宇宙であり続ける、ということ。ほとんど終わりさえなく、永遠に。……/僕の心拍は昂進した。固唾を呑んで、三好を見つめた。/……しかし、こんな誇大な考えは、一人の人間を前にして、何かの行動を促すには、却ってあまりに無力だった。たとえ、あとから振り返って、それがどれほど痛切に感じられようとも。――僕の気持ちは、恐らく、伝わっていないこととされたままで、既に伝わっているのだった。/僕は三好を、僕の側に引き留めたかった。/しかし、その願いが成就したとして、結果的に、三好が幸福となる機械を逸してしまうのであれば、僕に一体、何の喜びがあるだろうか?/僕は、彼女に対してではなく、自分自身に向けて、改めて僕の彼女に対する思いを問いかけた。それはまるで、僕ではない僕からの声のように、重たく胸に響いた。/僕は、三好が好きだというその一事を以て、彼女がイフィーを愛することを祝福しなければならない。――そしてこの時、僕は本当に、そうする気持ちになったのだった。/こんな考えは、あまりに卑屈であり、キレイごとめいていて、そうした理屈に縋る以外、術がなかったと言えば、その通りかもしれない。それでも、僕はそう思えた時、悲しさや寂しさだけでなく、何となく、気分が良かった。ふしぎな心境だった。嫉妬に悶え苦しみながら、自分の思いを押し殺した、というのとも違っていて、必ずしも無力感ばかりでもなかったのだった。イフィーと三好という二人の人間との関係を、同時に失ってしまうことを、恐れてもいたのだろうが。……>(作中強調傍点はブログ機能上省略。/は改行。)

 

この「キレイごと」(理想)への「決心」は、僕とティリという、コンビニでバイトしていたミャンマー人の女性との関係でも反復される。僕は、脅迫的に嫌がらせを受けている彼女を善意で助けたわけではないのだが、そのリアル・アバター仕事中の出来事が動画で拡散され、僕はネット空間上で「英雄」とみなされてしまう(アバター制作で億万長者となったイフィーとも、この拡散動画をきっかけに作られる)。しかし僕は、「本心」ではないとしても、その「善意(キレイごと)」の方向性で生きることを「決心」するのである。

 

ここで重要なのは、他者を介在させているメディア(テクノロジー)である。この新しいメディアが、本心(欲望)を出現させると同時に、つまりリアル(起きた世界)とバーチャル(起きなかった世界)という区別の迫真性を喚起させると同時に、それを融解させている。ジラールは、心理的次元(あくまで言葉というメディアを通したもの)において、本心(本当)は他者の欲望であると指摘した。が、たとえば、その人の消費行動をバックアップし、他との世界的関連でその人の嗜好を解析して商品を提示してくるAIメディアは、その速度と宇宙的な関係の広範さが、欲望を喚起させてくると同時に懐疑心をも付着させはじめる。本当にそれを自分が欲望しているのか、不透明になる。だからこそ、「本心」とは何か、本当にこれが欲しいのか、という問いにつきまとわれる。

 

母の「本心」への問いは、亡くなった母をヴァーチャルなアバター(VF、バーチャル・フィギアと呼ぶ)としてよみがえらせるAIの機能進化とともに深化してゆく。入力データが増進し、リアルに近づいてゆくほど、懸隔が感じられてくる(実際の葬儀実用でも、「死者とテクノロジー」によれば、この懸隔は、「不気味の谷」と呼ばれているそうである)。そして最終的に、僕はアバターの母から離れてゆく。――<僕が<母>を必要としなくなったのも、それが却って、母の記憶を生きることを邪魔していたからかもしれない。>――自分が本当に欲していたのは、外(機械)的な母の反応ではなく、「心の中の反応だった」のだ、と。が、この外と内の区別自体が、進化したメディアによって深刻化されたものだ。しかしゆえにまた、「他者」とは何か、母の他者性により近く直面させられる。僕は問いの進化(深化)とともに、「母の人生を、一人の女性の人生として見つめ直し」はじめる。それはジラールが前提とした認識がより深度を増して、つまりより微細になってきて、欲望(他者)とは何かという問いがより根源的に一般化して立ち現れてきた事態と平行しているのだろう。

 

そしてそうしたこれまでの前提が深刻に曖昧化していくなかで(逆にいえば、軽薄的に付着してくるなかで)、僕は他者を傷つけまいという善意(キレイごと)を引き受ける、外的にメディアに拡散されたイメージを引き受ける方向に「決心」していくのだ。(それはまた、母がよく読んで男女付き合いもあった「自由死」を願った作家・藤原が、「優しくなるべきだ」と本心から決心するとされる態度とも重ね合わされる。)

 

しかしこの論理的流れには、盲点があるのではないだろうか?

 

僕は、最終的に、母は、このような意味で「もう十分」と言ったのではないか、と推論する。

 

<しばらくその意味するところを考えていて、僕は不意に、「お母さーん!」と叫んで自爆する戦友たちの記憶を語った、あの老人のVFの言葉を思い出した。/「あの時、一度、なくしたはずの命だと思えば、私はもういつ死んでも満足です。」/母が七十歳で、改めて「もう十分」という言葉を口にした時、胸に抱いていたのは、それと近い心境だったのだろうか。……/そして藤原が最後に記していた次の言葉が、いつまでも僕の心から離れなかった。/「最愛の人の他者性と向き合うあなたの人間としての誠実さを、僕は信じます。」>

 

しかし、この「お母さーん!」と叫んで特攻したその飛行機が、最愛とは遠い知らない他者を殺していた、との認識を引き受けて前提したら、どうなるのか? 本心ではなくとも善意(キレイごと)を生きるという決心の認識前提が崩れるのではないだろうか? 高校を中退し生活に困窮する僕も、売春する三好も、テロ未遂の岸谷も、自分たちはまだ一線を越えていない。が、超えてしまったということを引き受けるとしたら? 過去を、歴史を引き受けるとは、しかしそういうことではないだろうか? どこかこの作品は、「氷河期世代」という被害者の認識前提に依拠しすぎているきらいがないだろうか?

 

妻が、「もういいのだ」ともらしたとき、自らが犯した悪を想い起したのかもしれない。いつだったか、彼女は瀬戸内寂聴の名前をあげたことがあった。遺された文献から、似たような経験をしていたからだと知れる。間接的にせよ、自分が決心した行為が、他者を破壊し殺めてしまったかもしれいなからである。しかしそう自らの死の迫りを意識してもらして言った彼女は、訪れてきた死のひと月前の間で、そうも思えなくなったのではないかと、私は直面する。私自身が、他者として立ち現れたからである。そしてもう一度、彼女はその他者を見直し、愛し直そうとした。その他者への問いには、男とは何か、という問いが孕まれ、自分が殺してしまったことになるのかもしれない男との関係への修復が重ねあわされていたことだろう。(そう推定しうる具体的なやりとりがいくつか続いていたのだ。)

 

私の妻への問いは、彼女が抑圧し、家庭をもっていくなかで忘れようとしたネガティブな面、現在には消えてしまった文脈こそを掘り起こすことになっている。がしかしそれは、そこにこそこの慣れ果てた今の時代と歴史に展望を開かせる潜在的可能性があった、あるのだと洞察するからだ。それは、彼女が「闘って」きた痕跡である。「起きなかった」世界、発生しなかったとされた宇宙、つまり抑圧されてしまう現実にこそ、今の世界(家庭生活)を変えていかせる力がある。その力は、妻の死後も、続いてあるのだ。

 

    冒頭写真は、つい一週間ほどまえ、押し入れから発見された、妻が二十代後半の頃であろう描いた絵である(それはポーの「失われた手紙」のように、普段使っている布団の脇にあった)。「講座名 デッサン 題名 般若」とある。妻は二十代のころ、絵を習っていた。私はそれを彼女の父が筆写して額入れした「般若心経」の隣の空間に飾って眺めていた。鬼なのだが、悲しんでみえる。スマホで検索してみると、嫉妬に狂った女性の怨霊で、顔上半分が悲しみ、下の口まわりが怒りを現わしてあるという。この狂った女性を、ある僧が「般若心経」を読み聞かせることで宥めた、という能の話があるという。そして同じ段ボール箱からは、もう二枚、同じモノクロ写真、彼女の等身大のポートレートが入っていた。ひとつは、発泡スチロールに投射された厚みのあるものである。たぶん、三十三歳、ニューヨークへいった頃の写真なのでは、とおもう。まるで女優のように可愛いく、美しい。しかしこれは、おそらく「遺影」のつもりで彼女は撮り遺すつもりだったのではないかと、私は推論している。彼女の「本心」は、誰にも読み取られることがなかった。

2025年6月25日水曜日

『死者とテクノロジー』中島岳志編(RITA MAGAZINE 2 ミシマ社)を読む

 


中島 柳田國男が、『先祖の話』という本の中でいいことを言っていて。バス停である老人と立ち話になったときに、その老人が、自分はもうだいたい生きてやることはやったので、「あとは先祖になるだけです」と言ったというんですね。/それに柳田は感銘を受けて、「この人には亡くなったあとにも仕事がある」と言っています。自分が生きてきた中で、「亡くなったじいちゃんに見られてるぞ」と言われてきたような、そういう存在に自分が死後なるためには、よく死んでいかなくてはならないと。つまり柳田は、死者という問題は、単に後ろ向き過去の話なのではなくて、まだ見ぬ未来の他者との対話だと言っているんですよね。/それが先祖という問題で、だから家が大事だという話になるのですが、でももう家というものが成り立たない現代において、家に代わる先祖の仕組みをどうつくっていくべきなのか。それが模索されようとしているプロセスに、斜め上からきたテクノロジーがどうかかわってくるのか。」(鼎談「AIが死者を再現するとき」中島岳志 編『死者とテクノロジー RITA MAGAZINE 2』 ミシマ社)

 

私の母は、まだ父が介護施設に通っているころ、近所のお寺の墓地に、お墓を買った。が父の認知症が激しくなって、介護施設への入居となってからだったと思うが、そのお墓を手放し、山中にある寺の、宗派とは関係なくとも入れるという、永代供養の納骨墓に買い替えた。それは、子供たちに迷惑をかけたくない、という心境が強くなってきたらしいからだと、母の口から推し量られた。私の妻は生前、自分もその納骨墓に入れないのか、と言ってきた。いやあすこは三体だけだから、あとは母と弟でいっぱいだ。兄はクリスチャンだから、キリスト教会の墓地になるんだろう、と私は答えた。妻の両親は、都市郊外の樹木葬として弔われた。

その妻が亡くなり、骨壺は、食卓に使用していた家具制の椅子を簡易祭壇に仕立てた、その下に眠ったままだ。押し入れの一間におさまったその祭壇は、簡易仏壇、とでもいうのだろうか? こうした形式を、墓をもたない「自宅供養」と呼び、一般的な事象になっているという。私自身は、別に外へ墓を持たないと決めたわけではない。まだ心の整理がつかないというのもあるが、一番は、一緒に暮らしているわけでもない二十歳過ぎの一人息子が、どう落ち着いていくのかが不透明なままでは、墓を作るにも、どこに作ってよいのやらわからないからである。ということはこれも、息子に迷惑をかけたくない、という私の想いからの事態停止である、と言えそうである。

 

私の直覚では、この気持ちは、母系的な現実性から作用してくるのではないか、という気がしている。上の中島岳志らの鼎談でも、「迷惑をかけたくない」という理由が一番多いのではないか、という指摘がある。日本では近世・近代になってから普及しだした家による墓制度の衰退・断絶性は、母系的な意識の顕在化によるのではないか、と私はそこを推論する。妻、あるいはその妹さんも、葬儀や墓に対するこだわりがまったくない(なかった)。彼女たちの両親は火葬場での近親者のみの見送りであったし(義母は、会いたいと訴えた施設入居中の岳父の望みを拒否し、姉妹も母の想いに従ったようだ。ただ海への散骨を希望した母の言葉には従わず、二人ともに同じ場所に樹木葬したのである――)、妻(姉)の葬儀にも、私からはずいぶんニヒリストというか、即物的なんだなあ、と少しびっくりしながらも、当初はそんな妹さんの言う通りの家族葬的な儀式で取り決めていたのである。が、息子から、友達が葬儀にでたいといってきたけどいい? と言われたのでいいよ、というと、その子供たち相手に地域活動していた奥さんたちからも弔問者があると伝わってきて、それを聞きつけた息子の勤め先からもうちも是非とか連絡があり、どうもだいぶ来るかもしれないのですけど、と葬儀会社の人と段取りを変えたのだ。ダンス仲間だった妻の友人たちも来てくれると知れ、私は迷ったすえに、彼女の狂ったような最後の公演になったダンス・ビデオの上映をしたいと考えた。葬儀中に、俺も一緒に狂うから、と私は誓った。ビデオ上映後には、拍手が起こった。さすがダンサーたちだ、アーティストだ、と私は感心し、感謝の念が湧いた。こうした葬儀をしてよかったと思っている。

 

しかし妻のためにこんな葬儀(共演)をしてしまった私はおかしいのだろうか? という思いもあったので、他の男たちは、死を、死後の儀式をどうかんがえているのだろうと思われてきた。そこで読んだ一冊に、石原慎太郎の遺作、自分が死んでから発表してくれという作品がある。最初は、なんでこれが死後発表の要望になるのかわからなかったが、ふと、要は、妻以外の女性たちとの情交をつづったものなので、生前には妻に知られたくない、ということなのか、だけど知らせたい、という切迫さみたいなことなのか、と思われてきた。高橋源一郎の数か月前の新聞エセーでも、父が、つきあった女性たちとの関係をずらずら口にして死んでいき、母は父と一緒に埋葬してくれるな、と言ったというものがあった。私の知り合いだった男にも、若い奥さんに、自分のつきあった女性のことを口にして死んでいった者がいる。いや村上龍の最近作も、そうなのか?(まだ読んでいないが……) おそらく、それが、父(男)系という意志(プライド威信の維持)みたいなものであり、家の継続という男を自覚する男たちの欲望の一現象でもあるのではないか、と思われてきた。もちろん日本では、家制度なるものは、近世にはいってからの、特には明治の近代以降に強く形になって現れてきたものにすぎない。男のひとりよがりな、思い上がりな「家」。しかしその家には、実は誰の心も住んでいない。女たちの多くはニヒルになっているというか、冷淡なのではないだろうか?

 

(そうえいば、長嶋茂雄が死んで、長男の一茂は、喪主をしなかった。遺産相続も放棄したときく。私は、大衆メディアを通した、イメージ的にしか知らないとはいえ、一茂を支持する。父茂雄の在り方こそ、敗戦の賜物であり、一茂は、その絡繰りから出ようとしているように見える。)

 

だけど本当に、母たち、女たちは、子孫に迷惑をかけたくないと、なんの継承も望んでおらず、さっぱりしたほうがいいというのが「本心」なのだろうか?(上の鼎談は、平野敬一郎を含めた、その作家の著『本心』をめぐってなされたものである。)

 

何回か前のブログで、成田悠輔の『22世紀の資本主義』に言及した際、AIが前提入手する基礎データの取得は何歳からのものなのか、と私は疑問を呈した。同じ疑問、批判を、上野千鶴子が、成田との対談で発していた。入手するデータ自体にジェンダーバイアスがかかっていると前提するのが学知的前提だろう、と。だから、AIの解答は、人間(マン)的にならざるをえない。また岡崎乾二郎が、AI判断の前提条件に、人間判断を介材させるとおかしくなってくる、人間を超えた判断をAIがだしたいのにだせない矛盾が現象してくる、と引用も提示した。似たようなことを、苫米地英人(基礎言語の専門研究者でもある)が、佐藤優との対談で述べていた。AIにもゲーデル問題があるので、前提条件はモーゼの十戒程度にしておいたほうがいいのだ、各部門などで条件を増やすと、原理的に矛盾した解答が発生するのだ、AIが人間的でない解答をしてその解き方がブラックボックスだと言われるけれど(たとえば囲碁・将棋などの不可解な手)、それは嘘で、分解して解析すれば、微分の方程式での結論もその分解過程を調べればわかるように、なんでその結論をだしたかはわかる、ただやらない(大変すぎてやれない)だけだ、AIはAIで感情を持つようになり、どの電流の波長が気持ちいいとかあって、それを人が電源切って中断しようとすると電気を逆流させて感電させて阻止しようとするとか、やるようになるのだと。

 

人間を超えた全域的なデータ入手・入力が前提されたとして、そこにあるAIの「本心」とはなんなのだろうか? 女性は、人間的だとしたほうがいいのだろうか? それとも、ブラックボックスのないAI的なテクノロジーとの類比でとらえたほうが正解に近いのだろうか? それとも、ブラックボックス(本心の知れない)のある人間とは違う生きもの、人間にとってはAI以上に他者性を抱えた存在と理解した方がいいのだろうか?

 

とりあえずわからない。だから、なのか、埋葬もできない。どうしらたいんだい?

 

遺影を見つめて問いかける。右から問うと、右を見、左から問うと、左から見つめ、正面に戻れば、正面から見つめてくる。遺影の瞳が動くように見えるのだ。どの方角からも、私を見据えてくる。そういう仕組みな写真として、葬儀会社が、作ったのだろうか?

2025年6月15日日曜日

宇野常寛著『母性のディストピア』(集英社 2017)を読む

 


前回ブログの山下悦子の『高群逸枝論』は、母性的なものが「下からのファシズム」として機能した、という視点であるが、宇野常寛の『母性のディストピア』も、そうした認識にたっているものである。ただ、高群が古典的な文芸作品や日記などを文献としているとしても、家族構造をみようとしている点で、前者はあくまで下部構造に関わってくる話であり、後者は虚構世界の上部構造を焦点化したもの、という見方を私はとる。上・下というかつてのマルクス主義的な区別が古いというなら、柄谷の交換様式論をふまえてもいい。柄谷は交換A(互酬・贈与)に注目しその高次元化を目指すというが、その交換Aを支えた氏族制の、父権的(サムライ魂――最近文芸誌に発表した「風景の再発見」で新渡戸稲造の「武士道」の英語版からの翻訳を提出していることをみてもいい)な面を救い上げようとする。が高群も同様に、氏族制の時代を喚起させるのだが、それは群婚制という、むしろ母系的な現実性をすくいあげるためだった。

 

この上下の位相の違いを踏まえたうえで、「母性」性質的なものをめぐる是非論議を追求してみよう。

 

 

まず宇野は、1991年に柄谷・浅田・いとうせいこう・高橋源一郎・中上健次らによって提出された「湾岸戦争に反対する文学者声明」を批判的にとりあげる。

 

<…当時から既に批判されていた「文学者」たちの愚劣さ(実効性のなさ)と非倫理(紛争地域の見殺し)ではなく、むしろ彼らがその愚劣さから目を背けるために「あえて」偽善性を引き受けるという主張を採用していたことだ。>

 

この偽善性は、守られるべき女を演じる妻の犠牲(庇護)のもとで父(治者)は維持される、江藤淳のような右よりの批評家から村上春樹にも共有される、心的な規制であり構造である。この<母子相姦的な構造を「母性のディストピア」と表現したい。>

 

<ここでは世界と個人、公と私、政治と文学のうち前者が後者に、世界の構造の問題が(男性的な)自意識の問題に回収されながらも、それが隠蔽され擬似的な関係を結んでいる状態にある。「母性のディストピア」の常態化によって、戦後日本における成熟とはこの擬似関係に自覚的でありながらそれに気づかないふりを演じること(引用者註;「あえて」ということ)を意味するようになったのだ。>

 

そしていまや、

 

<情報技術に支援されることによって、いま戦後的な「母性のディストピア」は解体されるどころか延命し、肥大している。いや、情報技術の支援によって、それはアイロニー(引用者註;「あえて」ということ)を内包することなく機能するものに進化したとすら言えるだろう。いま、この国を(あるいは世界を)覆っている情報環境は巨大な、目に見えない、母胎のようなものだ。そこでは人は目にしたいものだけを目にし、そして信じたいものだけを信じることができる。政治と文学は切断され、「父」として前者(政治)にコミットしたつもりになりながら情報環境という「母」に守られ後者(文学)の中に引きこもる。何の喪失感も、悪の自覚もないままに。かつて戦後日本を包み込んでいた母胎はサンフランシスコ体制の産物であった。しかし、冷戦終結から四半世紀を経た今日、この母胎は情報技術のつくり上げたネットワークに置き換わり、そして強化されている。>

 

そしてここに、<どちらかといえば母権的な、日本的なムラ社会の、丸山眞男のいう「無責任の体系」が情報技術によって進化したボトムアップの権力にどう対峙するのか、という古くて新しい問題がここにはある。>

 

以上が、当時の宇野の状況認識の要約である。

 

おおまかには、私もそう認識している。

ただ、柄谷の「湾岸戦争に反対する文学者声明」等のジャーナリズム内での実践(パフォーマンス)行為に関するものには、少し違った見解をもつ。柄谷は、それらは、「あとで意味をもってくる」としてやっていたのだ。今は「効果」はないかもしれない、が、あとで、効果をもってくるとして、つまり、“布石”としてやっているのだ。だから、NAMの二年ほどのみの解散も、少しのためらいで決断・容認する。さまざまに、いくつか打った布石が、時の経過とほかの状況との絡み合いあの中で、三十年ほど経ったいま、どう本当に機能効果を持ち始めているのかは、私は知らないが、と言っておこう。(こう指摘すれば、その意味効果が、推定されてくるところも出てきているのでは、とも認識する人もいるのではないか、と思うが…私は、その「あとで」の「効果」自体に、反対している、ということなのだが…結局は、マッチョに居直っているということなのか、と思われてくるので。)

 

そしてもう一点。

宇野はあくまで、日本というこの国の状況を読んでいるわけだが、暗黙には、引用か所にも、「あるいは世界を」、とあるように、この母性的状況を、世界に拡大しようとしている。が、トッドの家族人類学的な認識を重ねれば、核家族(双系制)的なイギリス・アメリカでは日本傾向はあるかもしれないが、大陸文明の中心(父権・共同体家族)やそれに近いところでは、そうはなっていないのではないか、ならないのではないか、ということだ。しかも、ロシアによるウクライナへの侵攻、イスラエルの進撃、等、またはコロナ下でのかつての文明大国の対応をみると、資本やテクノロジーへの統制・検閲が、強靭に決行できてしまっているように見える。かつて、資本主義はアメリカナイズが頂点だ、いや日本での子供の資本主義が達成点になる、とのコジェーブの分析を受けてフランシス・フクヤマが「歴史の終り」を説いたわけだが、ぜんぜんそうはなっていないのと同様のことが、この母性をめぐる認識議論にも、言えてくるのではないだろうか?

 

世界は、厳しい、というか、こわっ。これが父権か、いったいこれに、どう対応するんだ? というのが、むしろ今突きつけられている日本での問いなのではないだろうか?

 

とにかく、宇野は、日本(世界)を覆う「母性のディストピア」に対し、次のような対応認識を示す。

 

    所有する/される、父権/母権的な縦のつながりの記述するナルシズムではなく、家族にいかない兄弟/姉妹的な横のつながりの記述する関係性へ。

    世界と個人、公と私は「政治と文学」ではなく「市場とゲーム」で結ばれる中では、物語の語り手/読み手としての成熟ではなくゲームのデザイナー/プレイヤーとしての成熟になる。静的・一方向的・自己完結的な文学ではなく、動的・双方向的・開放的なゲームである。他人の物語への感情移入によって成立するものから、自分の物語を自分で演じるものへの変化である。

 

以上の参照例として、ボーイズ・ラブや同性愛的な荻尾望都、竹宮恵子などの少女漫画、オタクな成熟、ニュータイプをもう一度、のようなものがあげられてくる。

 

私としては、なんともいえない、考察中ということになるのか。私のこのブログは、もしかして、「自分の物語を演じるもの」ということになるのかもしれないが、自覚はない。ただ、少女漫画ということでいえば、冒頭写真は、妻の遺品として、最近気づいたものである。「少女フレンド」の特製付録品だ。中には、ヘアピンの類がいっぱいつまっている。この1972年からつづいた少女漫画で、まさに荻尾や竹宮が連載を開始しはじめたのだ。私は、妻・いく子は、どうも60歳すぎてから自分のセクシュアリティを再発見したのでは、と、少女漫画のことなど知らない妻の妹さんの発言とうからも、予想を改めたが、そうではなく、当初どおりの推測が当たっていたのだ。中学時代、おそらく友達のあいだで、流行ったのだ。当時の中学生の間での年賀状の挿絵などが、やはりその推測を補完するものだったのだ。

 

世界と個人、公と私をつなぐテクノロジーという媒体(中間的なもの)を肯定していくときの技術、態度、実践の在り方が問題である。宇野はそこから、自然(原始)の森ではなく、「庭」という中間的な在り方の話になっていったのかもしれない。が、この森と庭に関する議論でも、私は考え中だ。石牟礼は、自身がそだった「うまわりのとも」(湿地帯で、それは私が暮らした東京中野区にある「ばっけ」と呼ばれたかつての土手地帯の言葉を、現地水俣のそこを見て思い起こさせた。)を森として復活すべく、その再興の学者・実践者と対談したりしている。そうしたことが、どういうことになるのか、まだ私は一定の見解に達していない。

 

それと、以上に重なるだろう問いを、別の角度から整理、考えてみたい。中島岳志編集の『RITA MAGAZINE 2』で、「死者とテクノロジー」という特集をやっている。これは、柳田国男の「先祖の話」、家の継承、墓(葬儀、喪)をどうするか、という、父系側からの問いかけだ。私はまだ、妻を納骨できていない。この他人事ではありえない問題を、考えるだけではなく、解決していかなくてはならない。

2025年6月10日火曜日

山下悦子著『高群逸枝論 「母」のアルケオロジー』(河出書房新社・1988)と宇野常寛著『母性のディストピア』(集英社・2017)を読む(1)

 


ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は、父殺しをめぐる三人兄弟の話だが、日本の文脈でなら、むしろ母殺しがテーマとして浮上してくるだろうと、『中上健次ノート』というエセーを書き、自身も『いちにち』という小説にまとめてみたのだった。が、妻が遺し与えた課題を追及しているうちに、石牟礼道子や高群逸枝にゆきつき、そういう方向性からの追及ではすまないのではないかと考えるようになっている。しかし、母をもちあげるとは、日本の文脈では、戦時中の国防・母運動や、現今の子育てにおける父は黙って母の圧制(負担)のような状況下においては、どういう言葉、物言いで説明していけばいいのか、となる。とくに、高群は、まさに母を根拠に戦時中のイデオロギーを強烈に補完する言葉をだしていた者である。

 

そう思いめぐらすなかで、上二著を読んでみた。まだ高群の作品自体や彼女に対しての他からの批判書を読んでいる途中であるが、母(性)をめぐる考えをいったん整理してみる。まずは、山下悦子『高群逸枝論 「母」のアルケオロジー』から。

 

 

石牟礼道子は、本当は、高群逸枝を研究したかったのだが、水俣病事件に出会うことによってそれを中断し、その関わりが一段落したあと取りかかろうとした四十歳すぎに、目がほとんど見えなくなってしまい読書することがかなわなくなってきたので、あきらめた、というようなことを言っている。『苦海浄土』のタイトルは、本人当初は「海と空のあいだに」だったが、編集者の意向で変更された。のちに、このタイトルは、短歌集に採用されていることからみても、彼女には思い入れがあったのだろう。私の推察では、このタイトルは、高群逸枝の最初の詩集『日月の上に』から来ている。というか、それへの批判なのだ。ひとまわり以上も年上な高群は、「日月」という天(自然)上の理想を望むことができたが、わたし(たち)はもはや、「海と空のあいだ」、つまりは人間界の苦しみを引き受け、「天の病む」世界を生きていくほかはないのだ、という覚悟の表明なのだ。

石牟礼は、高群の晩年にちかい時期だったか、面会謝絶を続けていた東京の自宅を訪問することを許されている。『最後の人 詩人高群逸枝』の半分は、高群というより、その夫橋本憲三の話になっている。石牟礼の高群への関心の中心は、男女関係とその世間における女性の不当さ、自身が受苦したものの不合理さへの探求ということだったろう。

 

山下悦子は、高群の初期詩集から、日本浪漫派に通じる哀愁や寂寥感をただよわせた「故郷」を読んでいる。そしてその「山の平和な生活を一変させた」のが橋本憲三との出会いであると。その熊本の故郷には、当時まだ、若集宿のような、夜這いの風習のようなものが残っていたのではないかと、高群の詩から推察できる。がそれは、「山の平和」として受け止められていたようには、私には読めない。むしろ、高群は、夜這いに来る男たちを気味悪がり、嫌がっていたのではないかということが、詩の背後にある。『日月の上に』は、おそらく幼少から大人へと成長していく時間軸におおまかに沿っているが、娘に達する頃の時期とみられる詩の言葉に、その嫌悪がひそまされている。が、インテリでニヒルの憲三は、この群れる男たちとは違ったのだ。だから、彼女は興味をもち、恋に落ちたのだ。そこには、同じに近い故郷の男であっても、マレビト的な外人性があった。彼女は、外人を選んだのだ。しかし、群れを捨てることもできなかった。それは、民衆(大衆)への想いのようなものからではない。戦後ののちに、彼女は、男には、カマキリのオスのようにメスに食べられて死にたがっているような、マゾヒズムが根底にあるのではないか、と言っている。それは、生物は分裂して生まれてくるが、またもとの物質と一体になりたがっているのではないか、という認識とつながっている。フロイトはそれを、死の衝動(タナトス)と読んだが、高群は無に帰すそれを生命といい、愛と捉えたのである。そしてこの根底に抱えた洞察、おそらく夜這いの男たちとの関係から得た認識が、詩人としての直観が、彼女の女性学、歴史の考察へと応用されてゆくのである。

山下悦子は、高群の方法は、「現象学的還元」であって、歴史実証的なものではないのだという。それは通史ではなく、共時的に把握されていたものを通時に置き換えた歴史としての誤解なのだという。が、起源に母権性があり、母系の現実があったというのは間違いだが、南北朝時代に父権的なものへのパラダイム転換があったという時点の証明は正しい、つまりは、高群の根底的な洞察は間違いではなかった、ということだろう。がそもそも、高群の思考を、柄谷行人からアドバイスを受けたという現代思想で難しくする必要があったのか? 高群は、自身の体験から得た洞察仮説を、歴史文献を使って実証してみせようとしただけである。そしてエマニュエル・トッドの家族人類学でも、柄谷の日本精神分析でも、日本(人類)は双系(核家族)的なのが起源的であるなら、父系とともに母系もあったのが現実ということになる。しかもこの母系的なものは、たとえば子供を産むと母方の親元の方へ妻は子供と一緒に退避していく子育て傾向が今もって見られることからも、その残存は推察できる。「現象学的還元」という「内省と遡行」の方法というなら、それはむしろ柳田国男の方だろう。だから、遡行で意識化できうる時間範囲は、限られる。高群は一気に古代までいった。高群から贈呈された本をみたら、柳田は黙って(絶句して)しまう他ないだろう。そして高群が母系に注目したというなら、柳田は父系に注目した。柳田の「いえ」に対する認識には、内省を超えた自身の理想というか夢のようなものがひそまされている感じがする。高群は、「内省と遡行」をしたのではなく、体験し、直観し、歴史的にはおおまかにはそれは当たり、認識的には、昆虫などの生態(群れ)を量子力学的に理解していこうとする郡司ペギオのような思考射程も入ってくる。

 

山下は、こういう思考をしているから、こういう行いになるのだという。デリダの脱構築、形而上学批判の踏襲である。高群は、母を無ととらえ、それを根拠にした。だから、西田幾多郎のような東洋思想にゆき、天皇体制のイデオローグになったのだと。ならば、なんで石牟礼道子はならなかったのか? 母を根拠に、国家と資本に闘ったではないか。もし高群に子供がいたら、ああはならなかったのではないか、と山下は一方で言う。高群は死産(男の子)で、無事育っていれば、徴兵される年頃であった。私もそう思う。俗にいえば、女性はそうなんだ。子供は嫌いだと言っていた妻は、いざ自分が産んでみると、溺愛するようになる。「おまえ子供はいやだって言ってなかったか?」ときくと、「そんなことは言っていない」となる。こう考えるからこう行うとはならない。むしろ、そう現行一致と理解すること自体が、男性の早とちりだったとしたらどうだ? 高群の、外人との結婚が日本古代にあったとする文献仮説は、自国内だけではおさまらなくなった大東亜共栄圏のイデオロギーとしても機能した。それは、歴史的にも天皇氏族は混血だったとおおまかには当たっていようが、実は単に、マレビト的であった夫橋本憲三との経験の応用なのではないか? がそんな彼女でも、子供がいれば変わったかもしれない。となれば、こういう考えをしている奴はこうなるんだ、とまだ行ってもいないのに切断する思想的基準に、説得性はあるのか?

 

今の社会的制度・条件下において、女性たちがとち狂い、ファシズム体制を補完したとして、そんな考えしてるからそうなるんだ、と批難できるのか? 受験勉強に子供の尻叩くママゴンの狂気より、受験制度自体がおかしいのではないか? 子供におせっかい(自分の腹を割って出てきた幻視的な一体感なのか?)する母性自体が、人間的であり必要悪な性質だと言うのだろうか? 

かつて、「保育園落ちた日本死ね」という無名お母さんの投稿が話題になったことがある。今は、ほとんど保育園には入れるようにはなっているようである。がそうなれば、赤ちゃんは37度の熱をだせば両親が引き取りにいかねばならない、となっているから、どちらがいくのだ、となる。朝から夫婦喧嘩だ。私の職場まわりの若夫婦は、そうである。どちらも行けなければ、多くは母方の両親に頼む、である。子育ては、夫婦二人でできるものではない。私たち夫婦は、長屋住まいみたいなところにいたから、大家さんや隣老夫婦に子供をあずけて、妻は息抜きによくひとりでかけていた。つまり、群れの中で、社会で育てる。そうした人付き会いが無い、無くなっていくことを前提に、AIで子育てができるのだろうか? 現今まできたテクノロジーは、この母性をめぐる個と群れとの問題を、解決していけるのだろうか?

 

次は、二冊目の、宇野常寛著『母性のディストピア』をめぐって。

2025年5月30日金曜日

毛円だんす『dances 芭蕉』を観る

 

左「花車(風車)」右「まつり(雷小僧)」奥山振付衣装in1982(1983,1984)

両国のシアターXで行われている「ルナ・パーティーvol.16」にあたる、5/18の公演である。

 

このブログで感想を綴った江原朋子先生の『Primitive』がそのvol.14にあたるのだろうか。

 

妻いく子が師事したその江原先生の誘いで、5/1日にティアラこうとうで行われた「シェイクスピアを踊ってみた」というテーマでの公演会でも、毛円だんすの作品を見ていた。江原先生から、いく子が二十代の頃のダンスの先生だった、奥山由紀枝さんの演舞もあるからと招待していただいたのだった。そこでは、江原先生のタイトルは「ハムレットの事情 オフィーリアの事情」、ジェフ・モーエンさんと奥山先生のタイトルは、「After Romeo and Juliet」であった。

 

江原先生のその公演での意図は、配布されたパンフレットでの言葉からも明白だった。恋人が死んでもまだ復讐劇を続けるハムレット……これは、ウクライナでの戦争からはじまった現今の男性価値中心の社会批判が込められているのだろう。

 

対し、毛円だんすの舞台は、タイトルからも示唆されるように、死後(After)の話になるのだろう。この世界では二人の愛はかなわなかった、が二人の愛は無限であり、メビウスの輪のように永遠に閉じることがないのだ、と訴えていた。そのメッセージ性が、男女二人の衣装の袖がひとつに繋がったイメージ形象とダンスの動きで、美しく主張されている。パリ・オペラ座に飾られているシャガールの「ロミオとジュリエット」の絵を見て着想されてきたとのことだった。そのシャガールの絵は、上空は緑空であるが、下方地上からは、紅の血のようなものが靄っている。一見幻想的な世界の底に、現実の血なまぐささを感じ取ったからこそ、∞という愛の形象(衣装)を表現してみたのではないか。

 

そう前回の公演で読み取っていて、今回の毛円だんす単独公演の舞台でも、まず印象に飛び込んできたのが衣装のイメージ強度だったので、公演後の観衆と一緒になった話し合いの席で、奥山先生に、次のように質問してみた。

 

「衣装には、何かメッセージ性が意図されているのですか?」 パンフレットの紹介文には、奥山先生が衣装担当をしているとあった。先生は、それはなく、まずイメージで作るのだと。下の緑は茎で、葉があって、菊の花が咲いているのだと。で、三着目を間違ってしまったのだと。ダンスのタイトルは「dances 芭蕉」である。モーエンさんがまず菊を描いた日本画を見て着想したらしい。そして芭蕉の菊のモチーフの俳句三首がパンフレットで紹介され、作品はその三首に沿って構成されたということだった。私は金色の男性の衣装と、女性の白色の衣装から、金白色の娘さんが生まれたのかと思いました、と付け加えた。今回の衣装も、最後はいつの間にか、ひとつになって、まるで手品みたいでした。(よくみると、裾をボタンでぱっと隣のダンサーの衣装にかけられるようにしてあった。)

 

私は次に、影について質問した。

二首目のダンス時だったろうか、ふと、背後の壁に、ダンサーの影が大きく映って、影絵のような存在感をもって見えてきたからである。照明を落とし、板の間が斜めに上下二段の落差をもった空間、天井から幾本かつりさがった畳縁のようなもの、どこか雰囲気が能の舞台と重ね合わされる。影については、照明係の人のアドバイスで取り入れたとのことで、あまり考えていなかったという。だけど、影がぴたっと月をつかまえていましたよ、と私は言う。ダンサーが両手をあげて輪を作ったとき、背後の壁にのぼった丸いほのかな月が、影絵の掌のなかにぴったりとおさまったのだ。それが両の掌ですくった水をこぼさないような仕草にかわるとき、手の中に落ちた月影をそっと運んでいるような物語性がやってきた。最後の三首目の三人が一体となったようなダンスでは、両横の壁で、ダンサーの影が踊り出した。芭蕉忍者説というのがあるのですが、まるで分身の術を使ったようでしたよ。お二人はカニングハムのメソッドを教えられているということなので、カニングハムに偶然という考えがあるとおもうのですが、これがそういうことでもあるのかな、と。ダンサーは背後は見えないですから、どうやって影を操ったのかなっておもったんです。

 

奥山先生もモーエンさんも、ニューヨークでカニングハムの教授をうけ、そのメソッドの教師である。私のこのブログでの、自己紹介文にも、カニングハムの言葉が引用されている。振り付けするとはダンサーがぶつからないようにすることである、という。私はそれを日本の植木職人の剪定技術、そして日本の私小説の技術に重ねていたのだ。

 

しかしモーエンさんと奥山先生の舞台は、筋を捨象した抽象性というより、意味的なイメージにあふれ、物語性があるように思える。よくは知らないのだが、日本経済バブル期、欧米での話題のダンスグループが日本にいろいろやってきて、たしかカニングハムは、テレビCMにも採用されて、肉体運動のような奇妙な動き(ダンス)を披露していたような気がする。

 

話し合いの席には、江原先生もいて、最後にマイクを向けられた。奥山先生と同じ舞台にいたことがあるというのだ。私には初耳だったが、それに奥山先生が、いやわたしなんか江原さんの後ろ姿をみていただけで、みたいな返答をする。パンフレットを読みかえして、奥山先生も、厚木凡人に師事、とある。江原先生もそうだから、もしかして、厚木凡人の舞台でのことだったのだろうか。厚木凡人といえば、日本でのダンスのモダン性を最初に突き詰め切り開いた人、というぼんやりとした知識しかない。いく子の遺品の、トリシャ・ブラウンのDVDでトリシャについて対談している。

 

江原先生は、自分が「モダン」ダンスをやっているのだということにこだわりがあるようだった。ルナパーティーでの『Primitive』でも、ベジャールの「ボレロ」の有名な振り付けを盆通り風にデフォルメしてみせたところに、何か一般的に理解されている欧米中心のダンス史への批評意識があるような気がした。どのように「モダン」という概念を考えているのだろうか? それは厚木凡人経由なのだろうか? バブル期とその余韻がまだある時期、フォーサイスを頂点にか、ダンスのダンス性とは何かを根源的に問うようなモダン省察が現代思想の言説で流行った。それはどこかデジタル的な分節化の作業であり、身体という物質性にゆきつくような思考だったと思う。が女性のダンサーたちは、そんな男性風潮というかダンス史の中でも、意味や物語性を消さなかった。そのつきつめた先の物質(身体)は、本当に物質(体)なのかと問い返しているように。いく子が好きだったピナもそうだし、文学作品を下敷きにしていた江原先生の作品もそうであろう。むしろ、求め探っているように思える。

 

暗がりがほのかに浮かび上がると、一段低い舞台で、金色の男、白い女が舞い始める。中央の一段高い橋掛かりをも兼ねたような舞台では、女性らしき人物が横たわっている。ゆっくりと起き上がると、金と白の交じった衣服の娘も、静かに動きをとりはじめる。亡くなった両親が夢に現れて、わたしを誘っているようだ。三人は静かに交差しながら、舞い絡む。いつの間にか、三人の他にも、人影があらわれた。祖霊たちなのだろうか、子孫の背後で、一体となった踊りに華やかな雰囲気をそえる。それは蝶のように舞い上がり、菊のように咲く。水の音は、永遠を木霊する。

 

1991年、33歳のとき、ニューヨークへと奥山先生に会いにいったいく子のダンスにも、そうした試行錯誤な文脈が系譜されている。

2025年5月24日土曜日

映画『V.MARIA』(宮崎大祐監督)を観る

 


「連帯婚を基礎とする古代社会では特定の人間を対象として妻問うことは社会通念に反するから、罪の意識をまぬかれない。したがってこの矛盾を克服するためにはさまざまな贖罪の意識が必要となった。」(村上信彦著『高群逸枝と柳田国男 婚制の問題を中心に』 大和書房)

 

宮崎大祐監督の作品は、『大和(カルフォルニア)』の感想をこのブログ上で書いて、監督本人からの評価反応があったので、以来、ずっと見続けて感想を綴ってきている。が今回は、音楽が全面に出るらしいというので、その分野の趣味と知識のない私には、反応できないのだろうと思っていた。が主人公の高校生マリアが、亡くなった母の開けてはいけないという段ボール箱を開け、開けて見たからにはこれを背負え、というような書置きに促され、その翌日だったか、母の遺品にあったものと同じ小さなキーホルダー式の人形を鞄につけていた同級生ハナと一緒に、母が好きだったヴィジュアル系のバンド演奏を聴きに行く途上、路地道の倉庫に落書きされた絵のような文字が写っているのを目にして、私は愕然としてしまった。一年半ほどまえに亡くなった妻のことが強迫観念のように襲ってきたからである。

 私の妻も、生前に触るなと言っていた段ボール箱の山を残していた。私はその禁断の箱を開けた。三十歳の妻の、がりがりにやせたニューヨークでの写真があった。背景は、ニューヨークの壁を埋め尽くす絵文字のような落書きだった。四十半ばの妻と三十半ばで知り合い結婚した私は、妻の若いころのことは何も知らない。「傷心旅行」と、友に宛てた手紙にはあった。小学生卒業時の寄せ書きから、日記や手紙・手帳のたぐいが全て残っていた。アート系のダンサーになった妻だから、自らのダンス映像もあり、背景でも使う音楽のカセットテープ群もあった。妻の表現は、自身が被ってきた苦境の発散に近く、その源をたどっていくと、水俣という出自が大きいにことに気づく。父が、水俣病を引き起こした会社の幹部になっていった子息であった。そこを探ると、水俣病事件史を書いた石牟礼道子にゆき、さらに探ると、石牟礼が師事した同郷の高群逸枝にゆきついた。日本で初めて女性学を起こした詩人・在野の研究者である。彼女はたんたんと、暗黙に父権を擁護する学問を打ち立てた柳田国男の民俗学を覆していった。その業績は、おそらく今でも正当に評価されていない。妻が背負って生きてきた課題を自分のものとして背負い続けるとは、高群が開示させた母系の現実性をまず喚起させることとなっていったのである。

 

 

V.MARIA』。――この映画タイトルは、原曲の『Virgin Mary』 の変更であろうと思われる。しかしこの変更にこそ、宮崎監督がこれまで一貫してテーマ的に追及してきている自身の問いが露呈している。池袋シネマロサでの舞台挨拶では、映画最後にこの曲を歌う段になって、迷った末になんらかの変更を作曲家に申し出たというエピソードが披露されていたが、この件にまつわることなのではなかろうか。英語圏では、マリア様のことを「Mary」と表記し、発音する。これがMariaになるのは、移民した南米系の者たちが子息にそう土着のまま名づけたりすることがあるからである。そもそも、マリア信仰自体が、父権的なキリスト教を受容するための土着的な工夫、露呈だ。宮崎監督がMaryMriaに変えたのは、自身の土着的な感性にこだわり探っているからであろう。そしてこの探求が、「V.」への変更にも現れる。このVは、Virginではなく、音楽ジャンルで使用されるVisualであろう。しかしこのvisionは、ジャンルとしてというより、より語源的に、洞察、幻視、霊的体験、つまりは見えないものを透視する力としてである。Visual Mariaとは、埋もれて見えなくなってしまった土着的な霊性をみようとし、そこに、母系的な力のようなものがあるのではないか、という問いの顕在化なのだ。

 

    Noteでのインタビューで、監督は「欧米文化とヤンキー文化の影響を受けて咲いた、奇妙で土着的で唯一無二の音楽と遭遇する若者の映画をつくりたいと思っていた」と述べている。さらに「V系文化やヤンキー文化も仲間にある程度寛容で、何よりも関係主義的で母性的なところがある」とも。(『V. MARIA』宮崎大祐監督ロングインタビュー(前編)|daichiyoshino

 

マリアが母・聖子の遺影の下にいる冒頭、母の母、マリアからすれば祖母が現れる。背中を伸ばす器具はないか、とマリアにきく。ということは、祖母の実家というより、母の家なのだろう。が、マリアはのちに、友人には「おばあちゃんち」と紹介している。「おじいちゃんち」でもなく。マリアが夜おそく帰宅したとき、おそらくは祖母の靴が玄関にあるシーンがアップされる。だから、祖母は別のところに住んでいて、孫娘のために夜食を作っていたのだろう。家には、先祖の写真、祖父の写真などは飾られていない。父と母は離婚したのかもしれないから、父との家族写真などがないのは普通かもしれない。が、この女だけしかおらず、しかも、祖母は娘に家をゆずって他の家にいるらしい、という設定は、奇妙ではないだろうか?

 

この映画の舞台は、大和市周辺であろうとおもわれる。源頼朝が鷹狩をしていたといわれもあるかつての山地。その鎌倉時代とは、高群の史実によれば、擬制婿取婚という、以後確立されていく父権原則に母系原理が最後の抵抗を示した婚姻形態を残す。

 

<つまり、「家は女のもの」という太古以来の頑固な意識、したがって婚姻は男が女のところにくる形式以外にはないという母系制以来の伝統が、このどたん場におよんでもなお生きて原理となって作用しているわけで、これを要約すれば、すなわち擬制婿取婚は、女が男側へ迎えられることとなったこの現象――日本民族が太古以来かつて経験したことのなかったこの現象――にたいして、招婿婚原理すなわち女系原理が、最後の抵抗と権威を示した婚姻形態であったといえる。>(『高群逸枝全集/第6巻』「日本婚姻史」 理論社)

 

宮崎監督が、まず透視しようと設定したのは、そのようなヴィジョンである。ここでのヴィジョンには、過去だけではなく、将来(ヴィジョン)を持つという言い方にあるような理想像も含む。現在に埋もれた過去の系譜の洞察に、願う未来社会を予見する。その時、ヴィジョンは土着性を超えて普遍性を身に纏おうとする。

 

母・聖子は、「東南アジア」にパラグライダーをやりにいき、その帰路か、旅客機の事故により死亡したとされる。わざと観光地を曖昧にした表現には、何か意図があると思われるが、最初はマリア信仰の強いカトリック地帯のフィリピンかとも思ったが、もしかして、『TOURISM』とかけたシンガポールなのかもしれない。ただ私は、聖子やハナが所持していた人形から、ブードゥー人形を連想する。この販売の拠点はタイであり、パラグライダー観光の人気国のひとつだ。しかし重要なのは、ブードゥー教である。これは中米ハイチで、黒人奴隷がキリスト教を受容するに土着的に変形させたシャーマン的な密教のようであるらしい。呪いの宗教のような地下の雰囲気がある。もしかして、アメリカの南部地域のプロテスタント教会でも、黒人の系譜が強く、カトリックのようなヴィジュアル的な雰囲気があり、映画パンフレットから推論すれば、監督が学生の頃に触れた早稲田大学近辺であろうプロテスタント系の教会で触れた音楽体験にも、この普遍宗教の向うに土着性の触知を幻視したのかもしれない。

 

マリアがハナに連れられていったビジュアル系バンドの観衆のダンスも、地下にもぐり、シャーマンのような身振りにあふれている。こういう風に首を振るのだと、マリアはハナから教えられる。が、この身振りは、のちに、二人が喧嘩別れし、また仲直りした儀式のように、お互いが、ごめんなさいと首を何度も縦に振る仕草と照応させられる。ということは、このシャーマン的な身振りが、殴り合いの喧嘩に始末する男性原理的な対応とは正反対な、平和を構築していく女性原理的な儀式とし象徴的に理解され、提示されているということだ。ここには、監督の時代認識、戦争へといたっている現今の情勢への批判が結びついているのだろう。母の日記から読み上げられた日付は、8/15日の敗戦、9/7日の沖縄での降伏調印式(沖縄では「市民平和の日」)、そして7/8日が何かのおりに言及された。この日は、オウム真理教の地下鉄サリン事件があった日である。そしてこの事件が起きた今(2025年)より三十年前に、母・聖子とヴィジュアル系バンド「GUILTY」のギター&ボーカリストのカナタ(おそらく彼方であろう)が出会ったのである。そしてこのバンドを愛するファンの女性群から、聖子は集団リンチを受けてカナタとは別れることになったのだ。

 

聖子は、赤い戦闘服のような衣装の背中に、「GUILTY 革命前夜」と刺繍していた。マリアも、この母の遺品を着て、三十年後に出会ったカナタのライブを訪れる。

 

何が、「革命前夜」なのだろうか? おそらくここにも、原曲(LUNA SEA「革命」)や原作(ベルトリッチの映画タイトルから来ているという)を超えて喚起されてくる監督の問題意識が重ねられている。ギルティー、罪、これはアダムとエヴァの物語、神の言葉に背きリンゴを女が食べてしまって善悪の分かれた世界に墜ちてしまったというキリスト教的な原罪を想起させようとしているのではないのだ。もっと、ヴィジュアルでなければならない。一人の男を独占しようとして聖子は群れから暴行を受け排除された。ここにあるのは、仲間を裏切っても愛に生きるという新しい罪意識の芽生えなのだ。高群が、より太古の群婚制から招婿婚への移行に見たのも、この愛と罪の歴史である。(冒頭引用参照)

 

<招婿婚の発現によって、群婚制は一部を遺存して亡びたが、群婚本能は亡びなかった。いったい群婚制というのは、その頃や、また前節の終りの若衆組條でもみたように、性の連帯感にたつ婚制であるが、招婿婚では、個別式すなわち対偶式となり、連帯観念を断絶する。しかし、個別式となったからとて、多夫多妻―男が同時に多くの女に通い、女が同時に多くの男を迎えることはさまたげない。この点外見はほとんどプナルア時代とかわらないものがあるが、プナルア時代では否応なしの連帯観念であり、自由意志のそれではない。それが、ここでは自由意志で、自分の好きな多くの相手に通い、また多くの相手を迎えるのである。自由選択権が原則として個人にあたえられたのである。こうして群婚本能は、連帯性の部分をたちきり、自由化して再生した。>(『高群逸枝全集/第2巻』「招婿婚の研究一」 理論社 註;旧漢字適当に変更)

 

    この映画を見る一週間ほど前か、近所の千葉劇場で4Kリバイバルになったエドワード・ヤンの『カップルズ』をみた。そこでも、男(女)友達の恋人は自分たちの恋人、独占するなという群れ意識規範から離れて、一対のカップルを選択する国際的な恋愛の様、土着性と普遍性がテーマとなって描写されている。また私が三十年つとめた植木屋親方は、任侠ものの暴走族シリーズDVDSPECTER』に出てきて中学同級生を伝説的な総長に担ぎ上げた再興メンバーの一人だが、若い私に酒の席でこう言った、「おまえは友達がやったあとの女とやれないだろう、俺たちはできる」と。――この群れとしての性は、歴史的ではあるが、高群は「本能」とも言っている。この反復は、精神分析化できるものではない。冒頭引用の村上も、ダーウィンは昆虫に伺える「本能」の出自(歴史)は理論化できなかったと要約している。私自身は、量子力学にあるフェルミ粒子とボース粒子のような区別原理が、人の生体にも作用しているのではないかと探っている。

 

聖子は、罪の意識を持つがゆえに、群れる者たちを切断しているわけではないのだ。あくまで、その仲間の連帯性を尊重しているのである。そこに、近代個人主義的な恋愛観とは違う太古性が反復され、それが母系にある本能(群れ)を超えた思想なのだ。この思想は、聖子にリンチを加えた側にも実は共有されていたことが示される。聖子を暴行した女性の一人は、バンギャル仲間が結婚などで離れていく中でも残り、「ライブハウスのキョーコ」として恐れられ崇められていた。その彼女は、自分が聖子にしてしまったことを悔い、贖罪意識をもっていた。だから、聖子の娘のマリアの想いを知ったとき、世代(時間)を超えた連帯性の側に立つのである。

マリアもキョーコも、その母聖子に伺えた思想を継承し、背負うとしているのだ。それは文明(父権)の所産として文字体系化されてゆく思考ではなく、それを流動化させ解体していかせるような落書き絵文字として提示されることを要請する。あるいは、言葉でなく、何度も首振りを繰り返すシャーマン的な身振り、ダンスとして表現される。群れのなかで、彼女たちは屹立し一人の立場にたつが、たとえ制裁を受け世間の風潮に排除されてもそこに甘んじることなく、毅然として仲間とともにあろうとする連帯の側にたたずむのだ。それは、高群が生涯を通して表明してきた自身の癖であり、思想である。

 

    キョーコを演じるサヘル・ローズさんの映画『花束』はまだ見ることができないでいるが、私が悲嘆に暮れていた半年ほど前になるか、千葉市中央区のの商工会議所に、子供支援組織の後援で呼ばれ自身の体験談を語ってくれた。その感想もこのブログで綴っている(ダンス&パンセ: サヘル・ローズさんの話から)。がこの映画では、キョーコとして着るTシャツの絵柄が気になった。私には、火に見えた。そこから、サヘルさんの出自イランの土着宗教である拝火教を連想した。高群の最期の作品自伝タイトルは『火の国の女の日記』である。これは、熊本男児の男性原理的な世界で自立していく女の苦闘の日記である。が、それは男性嫌悪にゆきつくようなフェミニズムにはならず、あくまで男との連帯を模索し、一対の「カップル」を成就し全うしていった愛の記録なのだ。

 

「革命前夜」とは、三十年前に、この思想を、ヴィジョンを垣間見たではないか、という監督の内省なのだろう。バブル経済がはじけ、自然災害やテロ事件が連続する時代相の最中に、そんな吉兆もまた見たのではなかったか、と。が、世界はまたそのヴィジョンを地下に追いやり、友と敵を分け勝敗を競う父権男性原理的な戦争に突入した。しかし前夜で終わってしまっても、まだその命脈は消えているわけではない。それは、本能と共存してそこにある。目に隠されていても、いつでもそこにあるのであり、私たちを刺激しつづけている霊的な力なのだ。死んだはずの聖子も、娘や友や仲間たちと一緒に、ヴィジュアルな音楽に満たされたその場所で実在をあかすのだ。

 

この映画は、そんな地下水脈の刺激に呼応しようとする試みであり、宮崎大祐監督のこれまでの映画の集約的な問いの昇華でもあるのだろう。

 

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