「広島・長崎の原爆投下を経験した日本は、敗戦後、アメリカ合衆国の「核の傘」に参入し、原発を保持、増設して「世界第三位の原子力大国」としての道を歩み続けてきた。また、その原子力産業から必然的に生まれ落ちた放射性廃棄物の「捨て場」に困った日本の政府は、太平洋に「核のごみ」を投棄しようとすら試みてきた…(略)…。一方、パラオの住民たちは、冷戦期の度重なる核実験の被害当事者として、原爆、原発、核廃棄物のすべてに対し、民主主義的な方法としての「住民投票」によってはっきりと拒否を表明してみせたのである。この明確なコントラストを通して明らかになるのは、元々は「核」の被害者であったはずの日本人が、アメリカ合衆国主導の核戦略体制の中で加害者の立場に方向転換していった、という歴史的経緯であり、しかもその核戦略体制の内側にとどまる限り、日本人の加害者性は常に既に発揮され続けるだろう、という将来的予測である。」(佐藤嘉幸・田口卓臣著『脱原発の哲学』 人文書院)
三日前の14日朝刊に、でかでかと「天皇陛下 「生前退位」」などとよくわからぬ見出しがのった。そりゃ死んでからは退位できないからな、と思いながら記事を読んでみると、まるきり”事実”がわからない。事実、と読んでいいものは、一面をめくって読み進めた終わりのほうに、「宮内庁は否定」とその次長の言葉が小さく紹介されているもののみ(「毎日新聞による)。じゃあ今まで読んできたのはなんだったのだ、と読み返してみると、「…意向を宮内庁関係者に示されてることが、政府関係者への取材で分かった」と書き出してある。何が「分かった」のか? 事実は、何も伝えていない。長々と伝えているのは、天皇の仕事はつかれるねえ、年取って大変なんだよ、というヒューマンな話である。そのために号外のような特集記事なのか? ……翌日の新聞では、「宮内庁関係者が…」となって、「関係者」でいいのなら、俺だってそれに値するかもしれないぞ、だいたい、いつそう言ったというのかもわからない、もちろん、「生前退位」などという四字熟語を天皇が使うはずがない、何年前にそんなようなことをもらしたことを、この今をとらえて、解釈としては事実になりうる逸話を流したのではないか?
ネット検索してみると、NHKが第一報道者だったようで、私がもった素朴な疑問を、他の識者も投げかけている。だとすると、なんのために? さらに翌日新聞、トルコで「クーデタ」とある。国営放送は占拠された。ふと、日本のこれも、そういうことなのではないか、という気がしてきた。改憲をにらんで勝利した政権側が、本当に民心を掌握しているのか不安なので、それを確認、確実にするために、クーデタを企てたのではないか、と。実際、このNHKに先駆けだか抜け駆けだかされて、各社簡単に「事実」の裏をとることもなく踊らされた、ということではないか? 第一次クーデタ、成功なんではないか? 天皇側の動き、国民の沈黙の質、マスコミの流れ、次の作戦を練れる情報はとれ、さらに、また何事もなかったかのように、「事実」を糾弾しようにもマスメディア自体が不用意に乗っかってしまったのだから追求の体裁もとれず、次の手を地道に打っていく時間が与えられている。「本気で改憲する気なのか?」、その疑いが強くなる。宮内庁を信用していない天皇自身側が、そこを飛ばして意向をリークさせるなどという真逆の想定は、現天皇の人格をみると、考えにくい。だから、私は、政権側からのしかけだ、とおもう。ということは、現天皇を退位させてやりたい、そのヒューマンな思いやりにかこつけて、しかけたいことがある、ということか?
元総理森氏、オリンピック選手が君が代を大きな声で歌わないことに釘をさすように苦言を呈したようだ。静かに黙想して試合前の集中に備えさすようなメロディーだろうし、そういう選手がいることはアスリートとして不思議ではない。オペラのように君が代歌ったら、それこそ不謹慎だろう。が、誰も文句の声をあげていないようだ。が、シラケてはいるだろう。一希の中学でも、その運動会、けが人がでるからと組体操はやめて「集団行動」をやるのだという。もうそういうのに適さないほど軟弱になったから体操もできなくなっているというのに、方針だけが形骸的に維持されてゆこうとする。公開学習での「道徳」の授業になると、お母さん方はみな帰っていくそうだ。そんなシラケ、もう日本は実質的には北朝鮮のようにはなりえない、と気づいているはずなのに、認めたくないのか? いや、まだ民心を掌握できる、立て直せる、その道筋、シナリオは通せる、操作できると睨んでのクーデタなのだろう。
「憲法の無意識」を説く柄谷氏によれば、天皇の象徴性を担保する憲法1条と、戦争放棄の9条はセットであるという。ならば、9条をかえるために、1条を動かそうというのではないか? 1条の実質を憲法を変えずに変質できれば、9条の実質も変えられるという論理回路があるのかもしれない。あるいは、本当に、そこまで変える、からめ手としてはあまりに直結的な1条の変更で国民の関心をそっちにひきつけ、自然9条も自動的に変更されていくようなセットな論理が、あるのだろうか? 柄谷氏によれば、9条を条文化した日本には、戦争放棄をさせていく「世界史的使命」があるのだという。それは、原爆落とされた被害者としての訴えの延長にあるようなものではあるまい。やはり、佐藤・田口氏らが説く「加害者」としての自覚から、世界へと訴ええる説得の論理、道筋を見出し作っていかなくては、誰もそんなご都合主義な話をききやしないだろう。原発輸出していながら、自分は戦争に加担しませんということか、経済だめになってきたから、軍事費には金だしたくないということか、と世俗的に理解されてしまうだけだろう。ならばやはり、「被害」と「加害」を結ぶセットな論理が、見出されていなくてはならない。
現アベ政権は、それに似た論理、道筋を、手にしているということだろうか? そのシナリオどおりなクーデタが、敢行され始めた、ということだろうか? 日本人には禁断の手であった、天皇を政治的に利用できるという、「元首」化への道。自民憲法案。(……植草一秀氏がいうように、都知事選のために、そんな禁じ手をしたというなら、それこそ噴飯ものだ。)その、第一手かもしれない報道リークをやった「政治的関係者」は、戦犯者だが、国民は、黙っていてよいのか?
*安倍政権とは対立的な自民党内の動き、という見方もあるようである。
2016年7月17日日曜日
トータルフットボール、教育制度と戦術
「その日は、夜になっても、マンションの中庭の桜にとまった蝉が、鳴き止まなかった。午後八時を過ぎ、やがて九時になっても、外灯が明るいせいなのか、蝉は鳴き続けた。遼介はその蝉の鳴き声を聞きながら、オッサの言葉を思い出していた。
――蝉はいいよな。あんなふうに自由に叫べてさ。おれも……、蝉になりてえよ。
ぼんやりと、ベッドに横になって天井を見つめていた。そんなことが自分の周りで起きていたのかと思った。なにも知らなかったし、知ろうとしなかった自分が嫌になった。和樹の話を聞いたときに、もっと手を打つべきことはあったような気がした。
木暮に言われた言葉を思い出していた。
「キャプテンとして、気づいているこのチームの問題点を書き出してきてくれ」
自分はなにも気づいていなかった。
おれたちは、チームメイトのはずなのに。」(はらだみずき著『サッカーボーイズ 14歳 蝉時雨のグランド』 角川書店)
もうすぐ13歳になる息子の一希が、なかなか本を読むようにならないので、図書館での推薦図書にもなっていた、はらだみずき氏の「サッカーボーイズ」を借りてくる。小学生向けのサッカー選手自伝しか読まないよりは、まだこっちのほうがましだろうと。が、漢字が多いらしく、あっというまに流し読みがおわってしまう。「要は、弱いチームが強いチームに勝っていくんでしょ、よくある話だよ」あらすじも知らなかった私としては、「話だけじゃなくて、実際におまえがいたチームは、そうやって勝っていったろう? こっちとの対戦試合で、風邪で休んだから、おまえが代表に行っている間のチーム成長がみれなかっただけだ。危うくおまえら代表が負けるところだったんだけど…」と、息子にそのシラケた思い込みの誤りをわからせることができなかったことを歯がゆくおもい黙ってしまう。私が小学生のときを振り返っても、特別に勝ちにこだわる真剣さなどまだなかったし、その姿勢を、父親が黙って忍耐していたと今思い起こすことができた。そして中学生になっても、そんな一希の発言に伺えるような冷めた自意識、現実とお話しの世界とは違うものだという自意識など、私は発生させてはいなかった。もっと愚直に、自分の世界に没頭した野球バカになっていった。だから、読まずに返すのはもったいないと手にしてから、はらだ氏の「サッカーボーイズ」シリーズの読書にのめり込みながら、私は、自身の小学6年から中学卒業までの出来事をストーリに重ね合わせながら振り返ることになった。
たしかに、「自分はなにも気づいていなかった」。後輩から同級生まで、野球部員は暴力団に金を供与するよう脅されていて、資金源みたいになっていたこと。そういう外の現実との関係に葛藤しながら、「チームメート」が中学野球をしていたこと。そういう関連のなかで、先輩―後輩のいじめというか犯罪につながるような暴力があったこと。そして純粋に野球を追求していた「キャプテン」の私には、迷惑がかからないようその情報は遮断されていたこと。高校に入って、だから私には一気にその外の空気が入ってきたのだ。佐藤優氏は、浦和高校は外務省のようだった、と振り返る発言をしているが、私が感得したのも、そんなものだ。進学校にあったそれは、中学生の時代のものとは中身は違う。しかし自分が知らないものの間でみんなが生きてきた、現にそうやって生きていることを感じ知ったことの衝撃と動揺は、私を引き籠らせた。私にはその空気がイヤであって、それを世間と捉えはじめたとき、この世界で生きるのが嫌になる。以来27歳ぐらいまで、それに慣れるのに時間が必要だったことになる。そして慣れても、それに適応的に埋没していることではないだろう。むしろ敵対する、抵抗しながらやり過ごしていく内面的な術と、知的な、思考の対応の自分用の型が形成されてきたということだろう。結局はなお、私は中学生時代のように、自分の世界に没頭して生きているのである。その没頭が、それを守るためにも、技術的に、戦術的になっただけだ。
すでに一希の中学のクラス、学年でも、不登校の子供たち、「引きこもり」と言われえる子供たちが何人か出始めているという。小学卒業まで、よく遊びにいっていた家の子もそうだというので、「どうしてだろうね?」と一希に問うてみると、「それが俺にもまるきりわからないんだよ」と言う。私は、嘘だと洞察している。一希は、自分が「空気」に同調し乗っかているほうの人間なので、その理由を突き詰めたくない立場、みなとの関係を維持したいのだ。見て見ない振りだ。もちろん、引きこもった子供のその理由を詮索しても、しょうもないことである。一定の割合で、そういう子供たちはでることだろう。が、その割合は決して低くない。だとしたら、それはなぜなのか、と問うと同時に、子供の内面に問うことなく、物理的に対処する方策を練らなければならない。
はらだみずき氏の「サッカーボーイズ」シリーズ、主人公たち13歳から15歳までの全4巻になる作品が面白いのは、単に子供たちの内面的なロマンを追ったストーリ作りというよりも、よく小学生や中学生のクラブ事情を取材し、その外的な事実関連、現実との間でどう今の子供たちが葛藤していくのかのが、典型的な配置で提示されていることであろう。小学生クラブでの、コーチ間の方針葛藤などの小説背景逸話などを読んでいると、まさに私がいるクラブでの、コーチ同士のやりとりのようである。運動部根性的な勝利至上主義か、子供の自由を尊重する池上正主義か――小学生年代では、後者に軍配があがったようにみえる。が、クラブチームと、中学の部活動という分断された制度現実のなかで、その両立場のあり方が、そんな単純な構図にはあてはまらない、複雑な文脈において出現していることが提出される。子供の自由闊達なサッカーとしてオランダのトータルフットボールが小学年代では理念的に参照されたが、なんでその理想を挫折させて現実路線がフィードバックされる必要があるのか、部活あがりの鬼コーチの逸話をとおして説得される。物語を通して、日本の、日本での子供たちのサッカーの在り方が検討追求されていっている観がある。
一つの定位置に拘束されない、みんなで守ってみんなで攻める、アイデアあふれた自由闊達なトータルフットボール……しかしこのトータルさは、自然にはでてこない。各自の運動量が過酷に増加するので、生半端なモチベーションでは成立しない。つまり、相当洗練された人為で動機形成がなされているのだ。夏の暑い中、ひたすらボール(獲物)へのアプローチをこまめに反復するなど、ライオンはしない。日陰での昼寝、体力温存が自然である。子供だってそうだ、ということが、子供の自由さを理想視するコーチ陣にはみえない。だから理想どおりいかないと、反動化するか、それも自由と自己弁解、理論放棄するようになる。しかし、なんでオランダでは、それが成立し、いまやヨーロッパでは普及しているのか? 今回のユーロ大会から見えるのは、それが決して子供の量、
サッカーをする人数が多ければそれだけ能力のある子もそこに集まるので、走れるようになる、という統計的な現実ではないということだ。善戦したアイスランドの国民人口数は35万人ほど、ウェールズや北アイルランドなども700万ほどだというから、千葉県代表といった人口密度だろう。そこからして、日本が勝てなくなってきた理由は、少子化ということではない。サッカーに対する理解度と動機の質だ。私には、それがサッカーだけで、そのクラブ活動を通してだけで形成されてくるとは思えなかった。文化の違いや、民衆自身の革命のあるなしの違い、という理由は抽象的すぎる。
オランダの小学校は、1970年ころに顕著になってきたいじめ問題を深刻に考えて、教育制度の改革をおこなってきたのだそうだ。一人の先生が教壇に立って、大勢の生徒が個人用の勉強机を前に先生の方を向いている、そうした集団一斉授業という形式に問題があると分析・認識し、自習やグループ学習の組み合わせがメインとなっていくようになったという。写真をみると、先生は床に座っていたりするのだが、先生の自己検証チェックリストなるものをみると、なんだかサッカーのボランチの動きができているかどうかが問われているようだ。日本人がみたら、静かな学級崩壊がおこっているのではないかと勘違いしそうだ。しかもそんな学校が自由に設立でき、私立でも公立と同じ補助金額が支援されるという。教材も、バラエティーに用意されているという。だから、子供は近所にも小学校が色々あったりするので、自分にあうものを選択できるのだという。年齢なり学年なりが違う子や、いわゆる障害のある子も一緒に学習するようになってきているという。そして、受験がない。子供たち一人一人を生き生きさせる工夫が制度化されている。そんな風潮は、イギリスが相変わらずな古典的様式の傾向があるとしても、ヨーロッパ全般に受け入れられた方向性であるらしい。
もちろん、昨今の急激な移民増加の現実は、そうした制度を突き崩しているのかもしれない。アフリカの戦争現実に巻き込まれた子供は、もう大人に対して「はい」しか言わなくなっているという。寛容的な教育の先端にいるオランダが、今回ユーロ大会に予選落ちしたのには、次なる現実が覆いかぶさってきていることと関係があるのかもしれない。
しかし日本は、それ以前だ。受験に集約された集団一斉授業しかないのであれば、一定の相当な割合で、それが嫌な子は出続ける。フリースクールといえど、支援もなく、結局は受験の基準に追いやられる。一人一人の個人的な動機付けなど、持てる余地がない。なんで、自分は勉強するのか? なんでサッカーをするのか? その自分に納得のいく動機付けを持たせるには、その個人に即した成長スピードを認めてやらなくてはならない。その差異の、個人の尊重だけが、自分が生かされているという全体への尊重へと、つまりは他者への尊敬へと通じている。その回路が、100人の力を100%ではなく、120%にするのだ。トータルフットボールとは、そうした複雑な回路の総合力のことだろう。だからそれはくまで、個人の私的な世界没頭が礎になっている。だからこそ、この世界に対する関係が、戦術的になる。
――蝉はいいよな。あんなふうに自由に叫べてさ。おれも……、蝉になりてえよ。
ぼんやりと、ベッドに横になって天井を見つめていた。そんなことが自分の周りで起きていたのかと思った。なにも知らなかったし、知ろうとしなかった自分が嫌になった。和樹の話を聞いたときに、もっと手を打つべきことはあったような気がした。
木暮に言われた言葉を思い出していた。
「キャプテンとして、気づいているこのチームの問題点を書き出してきてくれ」
自分はなにも気づいていなかった。
おれたちは、チームメイトのはずなのに。」(はらだみずき著『サッカーボーイズ 14歳 蝉時雨のグランド』 角川書店)
もうすぐ13歳になる息子の一希が、なかなか本を読むようにならないので、図書館での推薦図書にもなっていた、はらだみずき氏の「サッカーボーイズ」を借りてくる。小学生向けのサッカー選手自伝しか読まないよりは、まだこっちのほうがましだろうと。が、漢字が多いらしく、あっというまに流し読みがおわってしまう。「要は、弱いチームが強いチームに勝っていくんでしょ、よくある話だよ」あらすじも知らなかった私としては、「話だけじゃなくて、実際におまえがいたチームは、そうやって勝っていったろう? こっちとの対戦試合で、風邪で休んだから、おまえが代表に行っている間のチーム成長がみれなかっただけだ。危うくおまえら代表が負けるところだったんだけど…」と、息子にそのシラケた思い込みの誤りをわからせることができなかったことを歯がゆくおもい黙ってしまう。私が小学生のときを振り返っても、特別に勝ちにこだわる真剣さなどまだなかったし、その姿勢を、父親が黙って忍耐していたと今思い起こすことができた。そして中学生になっても、そんな一希の発言に伺えるような冷めた自意識、現実とお話しの世界とは違うものだという自意識など、私は発生させてはいなかった。もっと愚直に、自分の世界に没頭した野球バカになっていった。だから、読まずに返すのはもったいないと手にしてから、はらだ氏の「サッカーボーイズ」シリーズの読書にのめり込みながら、私は、自身の小学6年から中学卒業までの出来事をストーリに重ね合わせながら振り返ることになった。
たしかに、「自分はなにも気づいていなかった」。後輩から同級生まで、野球部員は暴力団に金を供与するよう脅されていて、資金源みたいになっていたこと。そういう外の現実との関係に葛藤しながら、「チームメート」が中学野球をしていたこと。そういう関連のなかで、先輩―後輩のいじめというか犯罪につながるような暴力があったこと。そして純粋に野球を追求していた「キャプテン」の私には、迷惑がかからないようその情報は遮断されていたこと。高校に入って、だから私には一気にその外の空気が入ってきたのだ。佐藤優氏は、浦和高校は外務省のようだった、と振り返る発言をしているが、私が感得したのも、そんなものだ。進学校にあったそれは、中学生の時代のものとは中身は違う。しかし自分が知らないものの間でみんなが生きてきた、現にそうやって生きていることを感じ知ったことの衝撃と動揺は、私を引き籠らせた。私にはその空気がイヤであって、それを世間と捉えはじめたとき、この世界で生きるのが嫌になる。以来27歳ぐらいまで、それに慣れるのに時間が必要だったことになる。そして慣れても、それに適応的に埋没していることではないだろう。むしろ敵対する、抵抗しながらやり過ごしていく内面的な術と、知的な、思考の対応の自分用の型が形成されてきたということだろう。結局はなお、私は中学生時代のように、自分の世界に没頭して生きているのである。その没頭が、それを守るためにも、技術的に、戦術的になっただけだ。
すでに一希の中学のクラス、学年でも、不登校の子供たち、「引きこもり」と言われえる子供たちが何人か出始めているという。小学卒業まで、よく遊びにいっていた家の子もそうだというので、「どうしてだろうね?」と一希に問うてみると、「それが俺にもまるきりわからないんだよ」と言う。私は、嘘だと洞察している。一希は、自分が「空気」に同調し乗っかているほうの人間なので、その理由を突き詰めたくない立場、みなとの関係を維持したいのだ。見て見ない振りだ。もちろん、引きこもった子供のその理由を詮索しても、しょうもないことである。一定の割合で、そういう子供たちはでることだろう。が、その割合は決して低くない。だとしたら、それはなぜなのか、と問うと同時に、子供の内面に問うことなく、物理的に対処する方策を練らなければならない。
はらだみずき氏の「サッカーボーイズ」シリーズ、主人公たち13歳から15歳までの全4巻になる作品が面白いのは、単に子供たちの内面的なロマンを追ったストーリ作りというよりも、よく小学生や中学生のクラブ事情を取材し、その外的な事実関連、現実との間でどう今の子供たちが葛藤していくのかのが、典型的な配置で提示されていることであろう。小学生クラブでの、コーチ間の方針葛藤などの小説背景逸話などを読んでいると、まさに私がいるクラブでの、コーチ同士のやりとりのようである。運動部根性的な勝利至上主義か、子供の自由を尊重する池上正主義か――小学生年代では、後者に軍配があがったようにみえる。が、クラブチームと、中学の部活動という分断された制度現実のなかで、その両立場のあり方が、そんな単純な構図にはあてはまらない、複雑な文脈において出現していることが提出される。子供の自由闊達なサッカーとしてオランダのトータルフットボールが小学年代では理念的に参照されたが、なんでその理想を挫折させて現実路線がフィードバックされる必要があるのか、部活あがりの鬼コーチの逸話をとおして説得される。物語を通して、日本の、日本での子供たちのサッカーの在り方が検討追求されていっている観がある。
一つの定位置に拘束されない、みんなで守ってみんなで攻める、アイデアあふれた自由闊達なトータルフットボール……しかしこのトータルさは、自然にはでてこない。各自の運動量が過酷に増加するので、生半端なモチベーションでは成立しない。つまり、相当洗練された人為で動機形成がなされているのだ。夏の暑い中、ひたすらボール(獲物)へのアプローチをこまめに反復するなど、ライオンはしない。日陰での昼寝、体力温存が自然である。子供だってそうだ、ということが、子供の自由さを理想視するコーチ陣にはみえない。だから理想どおりいかないと、反動化するか、それも自由と自己弁解、理論放棄するようになる。しかし、なんでオランダでは、それが成立し、いまやヨーロッパでは普及しているのか? 今回のユーロ大会から見えるのは、それが決して子供の量、
サッカーをする人数が多ければそれだけ能力のある子もそこに集まるので、走れるようになる、という統計的な現実ではないということだ。善戦したアイスランドの国民人口数は35万人ほど、ウェールズや北アイルランドなども700万ほどだというから、千葉県代表といった人口密度だろう。そこからして、日本が勝てなくなってきた理由は、少子化ということではない。サッカーに対する理解度と動機の質だ。私には、それがサッカーだけで、そのクラブ活動を通してだけで形成されてくるとは思えなかった。文化の違いや、民衆自身の革命のあるなしの違い、という理由は抽象的すぎる。
オランダの小学校は、1970年ころに顕著になってきたいじめ問題を深刻に考えて、教育制度の改革をおこなってきたのだそうだ。一人の先生が教壇に立って、大勢の生徒が個人用の勉強机を前に先生の方を向いている、そうした集団一斉授業という形式に問題があると分析・認識し、自習やグループ学習の組み合わせがメインとなっていくようになったという。写真をみると、先生は床に座っていたりするのだが、先生の自己検証チェックリストなるものをみると、なんだかサッカーのボランチの動きができているかどうかが問われているようだ。日本人がみたら、静かな学級崩壊がおこっているのではないかと勘違いしそうだ。しかもそんな学校が自由に設立でき、私立でも公立と同じ補助金額が支援されるという。教材も、バラエティーに用意されているという。だから、子供は近所にも小学校が色々あったりするので、自分にあうものを選択できるのだという。年齢なり学年なりが違う子や、いわゆる障害のある子も一緒に学習するようになってきているという。そして、受験がない。子供たち一人一人を生き生きさせる工夫が制度化されている。そんな風潮は、イギリスが相変わらずな古典的様式の傾向があるとしても、ヨーロッパ全般に受け入れられた方向性であるらしい。
もちろん、昨今の急激な移民増加の現実は、そうした制度を突き崩しているのかもしれない。アフリカの戦争現実に巻き込まれた子供は、もう大人に対して「はい」しか言わなくなっているという。寛容的な教育の先端にいるオランダが、今回ユーロ大会に予選落ちしたのには、次なる現実が覆いかぶさってきていることと関係があるのかもしれない。
しかし日本は、それ以前だ。受験に集約された集団一斉授業しかないのであれば、一定の相当な割合で、それが嫌な子は出続ける。フリースクールといえど、支援もなく、結局は受験の基準に追いやられる。一人一人の個人的な動機付けなど、持てる余地がない。なんで、自分は勉強するのか? なんでサッカーをするのか? その自分に納得のいく動機付けを持たせるには、その個人に即した成長スピードを認めてやらなくてはならない。その差異の、個人の尊重だけが、自分が生かされているという全体への尊重へと、つまりは他者への尊敬へと通じている。その回路が、100人の力を100%ではなく、120%にするのだ。トータルフットボールとは、そうした複雑な回路の総合力のことだろう。だからそれはくまで、個人の私的な世界没頭が礎になっている。だからこそ、この世界に対する関係が、戦術的になる。
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