2016年5月21日土曜日

中学部活動問題の中身

「 日本が対米従属をやめたら自前で核兵器を持って中国に戦争を仕掛けるという懸念が国際的に存在するが、これは今のところ杞憂だ。日本は以前から国内的に、米国に頼らず自力でどこかの国と対抗(競争、論争、戦争)する気力を国民が持たないようにする教育的な仕掛けが作られている。日本で権力を握る官僚機構は、好戦性や闘争心をできるだけ削ぐ教育を長く続けており、日本は自力で外国と能動的に対立できない国になっている。喧嘩や論争を好む若者は昔よりはるかに少ない。喧嘩や議論が好きなのは、官僚が無力化教育を開始する前に大人になった中高年(じじい)ばかりだ。この無力化の教育策は、対米従属の永続を目的としていたのだろうが、米国が覇権を失って中国が台頭する中で、日本を中国に立ち向かわない、中国やその他の国と競争・論争・戦争できない国にしている。これは「平和主義」でなく「従属主義」として日本で機能している。(「トランプ台頭と軍産イスラエル瓦解」田中宇の国際ニュース解説)

息子が中学生になって、ジュニア・サッカーから、ジュニア・ユースとくくられるサッカー・カテゴリーに入った。民間のクラブチームにいくか、中学校の部活動にいくか、と選択肢が出てきたが、クラブには通うのも大変で、本人が部活動への入部を選択した。住んでいる団地の踊り場から校庭が見えるので、私は気分転換に部屋を出たときなどその部活動の様を覗いていたのだが、サッカー部は活動しているのかが心配だった。軟式テニス部と、体育館でのバレーだかバスケは熱心にやっているのはわかる。が、野球、サッカーとなると、校庭にその練習風景を見たことがない。が、新入生入ってくるとわかった4月から、サッカー部が突然活発になる。顧問も熱心だそうで、今は週末には練習試合を組んでくれるので、私としては、ひと安心。

が、この中学部活問題、今でも問題なのだというのには驚いた。先月4/28の朝日新聞の論壇時評に、小熊英二氏の「日本の非効率  「うさぎ跳び」から卒業を」という特集記事がある。そして五回ほどかけて、中学部活への生徒、父兄、先生などへのアンケート結果が論評されていた。私は、先生方の間で、以前にはなかった、教育委員会用の日報だのなんだのとの提出事務作業が増加して、部活どころじゃない問題があるのは聞き知っていたが、いまだに、私が中学生だった40年前と同様な「しごき問題」としてそれがあるというのには、びっくりした。というか、その前提の当然さにびっくりした。植木屋として練馬区の中学校庭にもあちこち手入れに入ったが、放課後校庭を利用して部活動をやっている中学など、ほんの数校で、この活発さが売りなんだろうなと思われるくらいそれが特別なことで、ほとんどは、しんとしている。たまに、体育館内で、バレー部とかバスケ部から元気な声が聞こえてくる程度である。今年のゴールデンウィークの時にも、息子をつれて、私が通学した群馬の小学・中学校まで歩いてみた。家から片道40分。往くだけならまだしも、往復となれば大変だと、息子も地方と都心部の違いを実感したようだった。中学の校庭では、部活動が行われていた。サッカー、テニス、私がいた野球部……群馬で一番の優勝回数と県大会出場回数を誇る軍隊のようなところだったが、今はほそぼそと、という感じだった。これが実体だろう? 先生が大変なのは、部活以前に、ストレスを増長させるマニュアル(安全対策=口実作り)が導入されたからだろう。部活だけをとりだしてアンケートをしても、問題の実態は浮き彫りされないだろう。

が、この年代、サッカーに限っていえば、だいぶサッカーをやってきた少年たちがやめていく、サッカー自体を。民間のクラブチームに入って、しぼられるのだか、しごかれるのだか、私にはわからないが。すぐ近所にグランドがあれば通うだけでも楽になるが、この新宿・中野区近辺の子供たちでも、自転車で1時間くらいかけてクラブの練習へと通っている。部活が軟になったぶん、民間クラブが「うさぎ跳び」体制を引き継いでいるのだろうか? やめて、中学の部活動には再入部はしない、「プライド」が許さない、となるのだとある父兄は言っていた。その気持ちはわかるが、そういう気持ちを発生させてしまう体制は、そのままでは子供たちに、小熊氏の言う「見当違いの努力」をさせてきたということになってしまうだろう。そしてそれこそ、「日本の非効率」である。

ヨーロッパでのサッカー体制は、まさに効率的である。

<スペインでは地域別、年代別、レベル別にリーグ戦が設けられているため、すべてのリーグで毎週、真剣勝負が繰り広げられています。各チームは毎年のように戦力をコントロールしているため、チーム内には必要十分な選手数しか存在しません。したがって、「補欠」という概念もほぼ存在しません。
 だからこそ彼らは、毎年のように”ふるい”にかけられ、1年という非常に短いサイクルの中で、大人たちと同じような緊張感をもって戦っているのです。喩えるなら、「実力至上主義の狩猟民族」といったところでしょうか。>(「松村尚登著『サッカー上達の科学』 講談社ブルーバック)

しかし、ならば、日本もそれを真似て、「効率的」にすればよいか? する、とはどういうことか? それは、レベル分けもなくどのチームやコーチもが隙あらば優勝を狙える戦国下剋上的な情勢にあって、そのチーム間、コーチ間のしがらみを、一気に消してヒエラルキーを成立させる試みになる、ということだ。いわば、革命である。現在日本の大枠のサッカー体制は、Jリーグ・代表レベルからの階層構造はできているけれど、それは、以前このブログでも言及した、堀田哲爾氏のような、カリスマ的な人格者が、根回しをしながら周りをねじ伏せてこれたからだろう。それは「革命」的にではなく、いわば「独裁」的になされた。だから恨みもかって失脚させられたのかもしれない。が、人格に頼らないのならば、「革命」的にやるのか? たとえば、やめた子供たちが、「サッカーさせろ!」とプラカードかかげてデモでもするのか? それがいいことか? 独裁にしろ革命にしろ、血なまぐさい事態である。しかし、ヨーロッパの組織が効率的なのは、それを経験してきているからだろう。それを真似るとは、効率化すればいい、とはだから安易には言えないのだ。

まずは、実体に即した状況認識を正確に持つことだ。それがなければ、持続的な改革のプランもわからない。朝日新聞の記事は、その実態を反映させるものだろうか? 私には、何か意図的な操作が感じられる。民主主義の実質を求める高校生デモとかの記事にしても、本当にそれが実体なのか、怪しんでいる。既存の体制に置き換えようと世論操作している文体に伺える。シールズとかいう若者の運動も、当初は、そんな体制からのズレの意識を当事者が持ったことから始まっているはずである。ズレてるのが、わからないのか? 気付いていないのか? いや、気付くのを怖がっているような…。

例題として、最近の所属少年クラブのコーチ間のメールやり取りを掲載する。私のメールに、東大サッカー部卒のコーチの返答。

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<今日の練習、親子スポーツで足裏のマメつぶれ、腰痛もあったので、リタイアしてしまいました。申し訳ありません。
で、家で横になりながら、練習前に買ってきたジュニア育成レベルの新書を読んでいたのですが、お薦めとして紹介したいとおもいます。
「サッカー上達の科学」(村松尚登著・講談社ブルーバック・900円)
著者は、1966年よりバルサの育成コーチに携わり、2009年より日本にて活動し、現在水戸ホーリーホックのアカデミー・コーチをしている人です。
私はこのコーチの著作を既に何冊か読んでいて、新しい暗記内容が、ドイツ、ブラジル、そして今度スペインへと変わっていくいかにもな日本的現象だなというのが感想の一つだったのですが、今度のは、その指導方法の機能不全からの反省がフィードバックされていて面白いです。社会や家庭環境の違いから、どのような子供たちのモチベーションの違いがうまれ、ゆえにそのままの練習メニューの輸入では実質がでないと、具体的なアイデアもだして、ネットで動画も見れるようになっているようです。
ヨーロッパ視察での池上正さんの知見は、ちょっと古くなっているとおもいます。<プレーヤーズ・ファースト>という日本の理解度にしても、それはアメリカ民主主義では個人の武器保持が認められているのは、大統領を民主が暗殺できるようにという、フランス革命の<友愛>の原理(任侠)に通じていることは考慮されていませんね。プレーヤーズ・ファーストという中世の騎士道からきているだろう言葉を日本語に訳すと、「一匹狼」が近いのではないか、ということも、スペインの子供たちの現実主義的な意識の、本書の紹介からも、想像できるかもしれません。池上氏の指導風景をDVDでみると、おそらく〇〇さんのような職人気質で、それこそが民主主義の原理的基礎になっていると、共感していますが。どうも長くなりました。>

<ご紹介ありがとうございます。
池上正さんの著作の意義の一部は、私を含めた古い体育会育ちの弊害除去にもあって、これが一掃されれば一つの役割を終えるような気もしないでもないですね。
村松尚登さんの本は、以前、図書館にあったものを読んだことある気がしますが、もう一度読んでみます。>
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「私を含めた古い体育会育ちの弊害除去」……こういう意識を、新しい教科書を作る会は、「自虐史観」と呼んでいたわけだ。まさに、「自虐」である。しかし、「自虐」もできないような奴らよりマシである。このコーチは、そう身をもって示して、自省できないで「うさぎ跳び」体制でやろうとする他コーチを批判している。しかし、「自虐」自体がいいわけではない。また、一気に革命的にそれを払拭するのが実践的によくなることとも思われない、というか、それは歴史的経験知だ。革命(的なデモ)が起きないことに、怯えたり引け目を感じる必要などまったくない。それよりも、前提となるような現状の認識の正確さを追求することから、目を逸らすような身振りこそが問題である。

2016年5月2日月曜日

怪物と反復――柄谷行人の『憲法の無意識』を読む


「ある意味で、現在の憲法の下での自衛隊員は、徳川時代の武士に似ています。彼らは兵士であるが、兵士ではない。あるいは、兵士ではないが、兵士である。このような人たちが海外の戦場に送られたらどうなるでしょうか。彼らは戦わねばならないし、戦ってはならない。そのようなダブルバインド(二重拘束)の状態に置かれています。それは、たんに戦場で戦うのとは別の苦痛を与えます。先ほどいったように、イラク戦争に送られた自衛隊員のうち五四名が「戦力」でなかったにもかかわらず帰国後に自殺したということがそれを示しています。
 すでに明らかでしょうが、戦後憲法一条と九条の先行形態として見いだすべきものは、明治憲法ではなく、徳川の国制(憲法)です。先にいったように、戦後憲法は明治憲法における改正手続きに従い帝国議会で承認されたということになっていますが、そのような連続性は仮構であって、本当は、そこに切断があります。それは「八月革命」と呼ぶべき変化なのです。特に、象徴天皇をいう憲法一条と、戦争放棄をいう九条は明治憲法にないものです。が、それは日本史においてまったく新しいものだとはいえない。ある意味で、明治以前のものへの回帰なのです。」(柄谷行人著『憲法の無意識』 岩波新書)

前回ブログ、田口氏のディドロ論からの「怪物」という言葉を受けて、私は、ニーチェの次の言葉を引き出した。

<怪物と闘う者は、怪物にならないよう注意しなくてはならない。深淵をのぞきこむ者は、深淵にのぞかれているのだ。>(『善悪の彼岸』 引用文は私の記憶による)

それはもう一つの、ニーチェの箴言を引き連れてくる。(引用文は記憶により、文献名は忘却、『権力への意志』だったか?)

<攻撃的人間は、己を襲撃する。>

「攻撃的人間」とは、自然を「怪物」と認識でき、自らを「怪物」と化して自然の深淵の縁にたち続けてそれを覗き込む、認識しつづけうる者である。そのとき、その者の「攻撃」は、自分自身の内へと折り返されている。……そうみれば、この「怪物」とが、攻撃欲動(=死の衝動・タナトス)の内向化としての強迫反復を人間の根源的な原理性の症候とみた、フロイトの精神分析に基礎を置いた柄谷氏の上の論理と重なってくることが明白になるだろう。自衛隊員は、自然の遷移のなかで里におりてきて、己に敵意をむき出しにして出没するケモノたちから農作物を確保しようと設けた電気柵が、図らずも部外者を殺してしまったことを苦に自殺してしまった最近の過疎地の村民に似ている。なるほど、それは多数者ではない。この自衛隊員54名の自殺という数を、客観的な統計計算で処理すれば、10万人中1年平均の自殺割合は33人ちょっととなって、日本での一般的平均数値とほとんどかわらず、年平均が50人近くとなる農林業関係者の自殺割合と比較したら、低くなるのだろう。しかし、ディドロ的、あるいはエピクロス(マルクス)的な実践態度からすれば、そのような客観視な態度とは、自然(現実)を解釈しているだけである。私たちは、その1名の農民の自殺から、54名の自殺から、その具体的な経緯とともに、衝撃を受けないだろうか?(常識的に考えれば、農林業従事者の自殺は高齢の生活苦からくるだろうが、給料をちゃんともらっているはずの隊員の自殺が、純粋にメンタル的苦痛からくるだろうことは想像できる。ならば、数字的な比較も意味がない。)―― 「それが普通(平均)じゃん」とその数値を自分に言い聞かせても、それが「自己の平安」をかき乱していることを解決してくれるだろうか? 心に発生したわだかまりを、解消してくれるだろうか?

あのイラク戦争のとき、私は赤ん坊だったイツキをバギーに乗せて、反戦デモに参加したことがある。そのとき、バギーにくくりつけた幟(のぼり)には、「自衛隊員を見殺しにするな!」と書かれていた。女房からは、それじゃ戦争に賛成しているんだか反対しているんだかわからないからやめにしてくれ、と苦言されたが、それがあの戦争に対する私の一番の気持ちだった。日常的には死ぬ確率は私の方が高いかもしれないが、通行人の真上で作業しているのにもかかわらず誰にもきづかれないようにして(通行人の)安全確保し、それでも落下し、死傷していくのは悲しいもので、植木屋として自衛隊員の境遇は他人事ではなかった。「誰かやめにしてくれ、戦争にいかせないでくれ、俺は仕事だからいかねばならない、だから誰か止めてくれ!」私には、そんな少数者の中の多数者の声が聞こえてくるような気がした。自殺してしまった隊員は、その緊張に耐えきれず、自然の深淵に落下してしまったのだろう。この現実を、統計的に処理できるのか? してよいのか?

柄谷氏は戦争に反対している。「現在の新自由主義的段階も、やはり戦争を通して終息する蓋然性が高い」が、「それは最悪のシナリオです。現在の状況は、世界戦争を経なければ解決できないというわけではありません。真の解決はむしろ、世界戦争を阻止することによってこそもたらされるものだと思います。その場合、日本がなすべきでありかつなしうる唯一のことは、憲法九条を文字通り実行することです。」「形の上で九条を護るだけなら、九条があっても何でもできるような体制になってしまいます。」だから、「最もリアリスティックなやり方は、憲法九条を掲げ、かつ、それを実行することです。」――なるほど、それはよろしい。国連や世界的な場所で、明日から、今日から九条を実行する! と、総理大臣なり大使なりが、宣言したことにしよう!

私が、たとえば中国の政策立案の地位にいる者だったならば、そんな日本の宣言を受けて、どう考えるだろうか? まず、こいつらが本気かどうか、確かめるだろう。その行動は、なお軍隊を一番強く持っている時のほうがよい。九条(武装解除)を実行に移すにせよ、一気には物理的に無理なので、時間差がでるはずである。その差を利用していこう。だからまずは、軍隊が減縮されるまえに、とっとと尖閣諸島を占拠してしまおう。国連には、日本が宣言を出す前に我々の当然な主張を実行すべき計画されていたことで、それを粛々と履行した事務的作業だと言っておこう。日本に賛同する弱小国が少しづつでてくるだろうとしても、そのスピードも緩和させて、時間稼ぎができるだろう。もし日本が軍隊を送って牽制してこようものなら、あいつらの揚げ足をとって、あの宣言の意味を骨抜きにしてやろう。そして日本が我慢して、なお平静を保つなら、次はフィリピン海域に近いシーレーンを封鎖して、無断通行する船舶から通行税払えとちょっと脅してみよう。同盟国たるアメリカが介入でもしてくるなら、北朝鮮を動かして、日本の港に無断で船舶交易させ、それを警察力で阻止しようものなら、テロ的な事態と、ミサイル攻撃もあるよ、と脅させてみるのもいいだろう。北朝鮮船員が死傷でもしたら、民間人の安全確保のためと、日本海側のどこか離れ島を占領させてもいいかもしれない。ロシアも北方領土問題あるから、介入させようか? そうすれば、アメリカには、沖縄だけでなく、北海道にも基地があったほうがいいんじゃない、自衛隊の基地をそのまま使ってもらえば、とかこちらに取り組む懐柔策も打てるかもしれない。そうでなくとも、九条なんか実施しているなと日本に圧力をかけてくれるだろう。そうなれば、東アジア地域において、利益配分できる軍事的安定もそれなりの期間稼げるかもしれない。日本が九条を文字通り実行してくれるなら、まさにその間戦争せずとも、侵略せずとも、バランスがたもてるな。そういけば、その過程で、日本になびくかにみえた国際世論は、驚きから称賛にうつる前に、傍観者になってくれるだろう。……

まあ要は、沖縄からアメリカの基地だします! と宣言したあとの鳩山首相の顛末を想起しておこう。なんで、あんな体たらくに、いとも簡単に、なってしまうのだろう?

柄谷氏は、終戦後の「八月革命」(ポツダム宣言授受)を、徳川体制の反復に結びつける。戦わ
(え)ない兵士の平和な世界の反復実現。が、豊臣から徳川へと継承された去勢たる刀狩りなど、実質的には実現されなかったのである。ただそれは、「象徴的な」意味、方向づけはもった(2011.12のブログ「テクノロジーとカタストロフィー」・「この日本で、誰ができるだろう?(中上健次と民衆」)。その限りでは、柄谷氏の歴史認識の枠が正しいとしても、その実質が実現されたのは、「八月革命」(他人任せ)によってのみで、江戸時代からの農民は(兵士ではなく)、武器を隠し持っていた。だから、武士といえど、その自治区にはそう容易には介入できなかったのだ。明治期においてさえ実はそうであって、そうした庶民の封建的な独立自尊のメンタリティーが個人内でも解体されてしまったのは、戦後においてであり、反復ではない。形式(憲法)的反復と、実質的な反復の差異。つまり、私たちは、もはや、徳川憲法の反復を、実質的には、できなくなっているのではないだろうか? 武士(自衛隊)的なレベルではなく、それへと暗躍的に抵抗する庶民位相の欠如が、「革命」によって実現されてしまったあとでは。その「革命」が他人本意であったことは、私たちから、封建と官僚の実践的区別という経験知を奪っていないか? 徳川の平和とは、武士は情けなくなっても(官僚になっても)、庶民が健在だったことから保たれていた均衡である。だから、次の明治維新では、武士というよりもその下層階級から、世界と戦っていける人材も生まれたのだ。あるいはただの漁民でも。一方、私たちはどうなのだ?

私は、この形式的な反復における実質的な差異の問題把握を、マルクスの「ユダヤ人問題によせて」の論考にみる。特殊利害(柄谷氏のいう中間団体)にもなってしまう封建的な独立自尊の精神が、「革命」によってどう変容し官僚化されてしまったのかを、歴史的というよりは構造の内側(内実)の変移・移行といった経緯として分析してみせるそのヨーロッパでの過程(個人化、いわゆる人権の普及)は、戦後にこそあてはまるように私にはみえる。柄谷氏はちょっと前まで、去勢されて人権化された個人を、封建的なメンタリティーから批判していく傾向があったが(封建―民主としての文字通りな系譜を実装するアメリカ民衆個人の武器保持、その下剋上精神をそれゆえに認める発言もしていた――)、いまはそう落とし込まれた集合無意識の力の方に力点を置いているように見える、のがこの『憲法の無意識』である。しかし、私は、その日本の力を当てにすることはできない。疑っている。かつて柄谷氏は、形式主義者の悲哀として、スイングの型を覚えても実際のボールは打てるようにはならない、と認識披露していたが、私は今もそうおもう。9条実践、やってみればいい。口で言うのは、簡単だ、バカならできるだろう、国連だろうがどこだろうが。が、自分たちの今もっている力能を把握して、その後どうなるのか、だからどうしていくのか、その持続的な緻密な準備なくしてやることは、その9条ゆえに、より悲惨というより惨めな結果になるだろう。問題なのは、それを実質的にできる人材がいるかどうかなのだ、そういう子供たちを、私たちは育成できているのか、ということなのだ。子供にサッカーを教えるにも、封建と官僚の実践的区別が経験(歴史)的にできていないことから、インサイドキックを型から教えるか遊びから入るか、とコーチ間で議論沸騰してしまう。しかし、無意識(構造)に任せていること、その型への信頼(反復)は、単に空振りに終わるだけであろう。そしてこの混乱は、実践的なレベルだけ、ということではない。マルクスが、「生みの苦しみを和らげることができる」というとき、それは理論的なレベルの話である。その理論レベルの軽薄さが、この九条問題にも表れているだろう。もっと詰めなくては、自衛隊員は、「二重拘束」のまま死んでいくのだ。苦しみが和らげられることもなく。空念仏で、人が救えるものか? 九条をもって打って出るとは、準備なしでの無手勝流(=「盲目の中の洞察」=「自然の狡知」)という戦争後の結果任せ、ということでは済まない、むしろ「自然の狡知」という事後的現実の事前的な理性的・意識的使用という二律背反(「二重拘束」)を超えていく意志が必要になるのである。そんな覚悟が、私たちにあるか?

ならば、今の私が、自衛隊員に言えることはなんであろうか? ――<怪物と闘う怪物になれ! そして、怪物は己を襲撃する。自殺で、いいんだ。>……「交換A」(互酬と贈与)たる部族社会の首狩り系譜にある切腹の気概を、集団的な形式の実質(「交換D」)として導くこと、9条とが、サムライ精神の集団的な表現――漱石の言う「明治の精神」とは、実質的な「江戸の精神」であろう――であることの、理論的な道筋であることを論証すること。私たちがヒトとして本来もっている力は、その時々の形式によって、弱まりこそすれ、なくなりはしないだろう。しかし子供のやる気を引き出すのと一緒で、それには丁寧で根気のいる持続的な時間を必要とするだろう。

最後に、マルクスの上指摘の文章個所を引用しておく。

< 謎は簡単に解ける。
 政治的解放は、それと同時に、国民にとって疎遠な国家政体、つまり王侯権力がその基礎を置いている旧社会の解体でもある。政治的革命は市民社会の革命である。それではこの旧社会とはどんな性格のものだったのだろうか? 一言で言えば、それは封建制であったと特徴づけることができよう。古い市民社会は、直接に政治的性格を帯びていた。つまり、たとえば財産、家族、労働様式といった市民生活のさまざまな要素は、領主権とか身分とか職業団体といった形をとって、国家生活の要素へと高められていたのである。こういった要素は、そういう形で、個々人の国家全体への関係、つまり彼らの政治的関係、さらに言えば、彼が社会の他の構成部分から隔離され排除されている、そういう関係を規定していた。というのは、上述した民衆生活の組織化は、所有や労働を社会的要素へ高めるのではなくて、むしろ国家全体からの、その隔離を完成させ、社会の中に特殊な社会をつくり出したからである。とはいえ、市民社会のさまざまの生活条件は、たとえ封建制という意味であったにせよ、いぜんとして政治的だった。それらは個々人を国家全体から閉め出し、国家全体に対する彼の所属団体の特殊な関係を、民衆の生活に対する彼自身の一般的(allgemein)関係に変えるとともに、個々人の特殊な市民的活動や状況を彼の一般的な(allgemein)活動や状況に変えてしまった。他方こういった組織化の帰結として、国家という統一体、つまり国家という統一体の意識、意志、行動、つまり普遍的(allgemein)国家権力の方も、必然的に同じような仕方で、民衆から切り離された支配者とその家来たちの特殊な仕事になってしまっていた。
 この支配権力を打倒し、国の仕事を人民の仕事へと高めた政治革命、政治的国家を普遍的仕事として、つまり現実的な国家として建て直した政治革命は、共同存在という在り方から人民を引き離してきたすべての身分、職業団体、同業組合、さまざまの特権といったその分離の表現形態を粉砕した。それによって政治革命は、市民社会の政治的性格を廃棄したのである。それは、市民社会をその単純な構成部分に分解した。つまり一方では個々人に、他方ではそういう個々人の生活内容である市民的状況を形づくっている物質的、精神的要素へと分解した。政治革命は、いわば封建社会のときにはその各種の袋小路へと分割解体され、散らばっていた政治的精神を解き放った。つまりそれは、散らばっていた政治的精神を結集し、市民生活との混交から解放し、共同存在の領域として確立した。そこでは政治的精神は、市民生活のあのさまざまな特殊な要素から理念上独立した普遍的な、人民の仕事となっている。特定の生活活動や特定の生活状況は、たんに個人的な意味しか持たないものに格下げされてしまった。それらはもう国家全体に対する個人の普遍的関係を規定するものではない。公的な仕事そのものがむしろ各個人の普遍的な仕事となり、政治的機能が各自の普遍的機能になった。
 しかしながら、国家の理念主義(イデアリスムス)の完成は、同時に市民社会の物質主義(マテリアリスムス)の完成である。政治的軛を脱することは、同時に、市民社会の利己的精神を縛りつけていたさまざまの絆を振り払うことでもあった。政治的解放は同時に、市民社会の政治からの解放、普遍的内容を持つかのような見せかけ自身からの解放であった。
 封建社会はその基盤へ、人間へと解体された。ただしその場合の人間とは、現実にその基盤をなしていた人間、つまり利己的な人間にほかならない。
 こういう人間、市民社会の成員である人間が、今や政治的国家の基礎である。そういう人間が、政治的国家によって、各種の人権に関して承認されているのだ。>(「ユダヤ人問題によせて」『マルクス・コレクションⅠ』 筑摩書房)

2016年5月1日日曜日

自然哲学の基礎的自然<安定から怪物へ>――内山節(5)

「こうして、「太陽の下に新しきものなし」の自明性を、その内側から食い破る新しい標語がもたらされた。すなわち、「太陽の下に新しからざるものなし」というエピクロス主義的な標語が、である。本書ではくりかえし、ディドロの思考が「他者の言葉」に寄生し、同質化しておきながら、さまざまな手法を介してそこから離脱していくプロセスを追跡したが、この独特の思考の運動は、いわば偏差から「新しきもの」を創出する自然のアレゴリーだったのである。
 今や結論を述べることができるだろう。アドルノ&ホルクハイマーが執拗に問いつづけたのは、「太陽の下に新しきものなし」が、どのように抑圧的に機能するのか、という問いだった。それに対してディドロが関心を寄せたのは、当の標語にどのように亀裂がもたらされるのか、ということである。ディドロにとって、「新しきもの」とは、同質性の体系に開いた裂け目の向こう側から生まれ出てくる何かのことだった。そして、その何かが生成する瞬間に立ち会うことは、近代的な「統一科学」の同語反復に抗して、偏差と逸脱に満ちた「怪物的思考」を導入することを意味していたのである。」(田口卓臣著『怪物的思考 近代思想の転覆者ディドロ』 講談社選書メチエ)


「自然はひとつに客観的に実在するものであるとともに、第二に人間の主体との関係において存在しているものである。「全体の自然は物体と空虚とである」というエピクロスの表現はそのことをあらわしている。とすると自然哲学が問題にしなければならないものは、まずこの人間の主体との関係において存在している自然の問題なのではなかったか。そしてそのことを考察するには、自然と人間の関係とは何かを、そこでの主体とは何かを問わなければならないはずなのである。そのことによってエピクロスが<空虚>と表現した自然を現実的世界のなかで検討しなければならないのである。」(内山節著『自然と人間の哲学』 岩波書店 1988年)

<上野村での収穫が野生動物のためになくなっても、内山氏は、困らないだろう、上野村の人たちには死活問題になるから、電気柵でも設けるかもしれない。が、なかには、そうすることを拒否し、餓死を選んでいく村人はいないだろうか?(最近、その電気柵で人を殺してしまったのを苦に、自殺してしまった人がでた事件があったが……) あるいはそこで、その村人は、主体(電気柵)とそれを越えていこうとする非主体(餓死)との間で、揺らがないだろうか? その揺らぎの手つきでなされた耕作は、もはや労働ではないだろう。目的は、宙づりにされているのだ。そのとき、彼は「自然と人間の交通」を越えて、「自然と自然の交通」の境に足を踏み入れている。彼は、彼と自然を交換する。そんな交換は、これまでも人知れず反復されてきたにちがいない。その交換が成立するかどうかは、彼の、彼らの死という贈り物をどう受け止めていくのかの、私たち如何によるのではなかろうか? そうした交換、自然との交通こそが、文化を発生させた。フグを食って死んでいった人々の集積(安吾)、銃後に置いてけぼりにされた小人や女たちの残飯処理工夫の果てからの料理の発生(ホッファー)。戦争という悲惨が人類を市民として成熟させていくという「自然の狡知」(カント)。それは、労働ではない、裏切られた目的から不本意に出没する亡霊、見境もなく揺れ探り動くゾンビの伸ばされた両の手。自爆テロが、斬首が、虐殺が、自棄が、自殺が、阿呆どもが呼び覚ましてしまう善後の現実。非主体的な実践に思いを馳せないで、この現実の矛盾解決に、参与できるのだろうか?>(4/8ブログ、内山節ノート(3)

※ 内山氏の「自然と人間との交通」観は、安定的である。それは、土作りを基本として種を播いておけば収穫できた、ある意味、一時的な歴史に、高度成長期の間に規定されている。商品価値の高い杉を植えるという林業が盛んであったので、ケモノが人を嫌って里におりてこず(また狼も明治期に絶滅させられていたので深山の安全帯もあり)、ゆえに里人は気兼ねなく収穫できたのである。が、いまや針葉樹も荒れ倒れて次の自然遷移がはじまったが、ドングリなんかよりも、人里にあったイモや柿の実の方がいい、そして人もいないも同然、とケモノが自然化した里に下りてきた。人間にとってはまた、主体的には収まりきらない自然の多様(差異)化と逸脱がはじまったのだ。が、それこそが、実は人間の歴史には前提的な自然だった。そこでのサバイバルに必要になるのは、怪物化した自然にも対応できる、「怪物的思考」なのである。マルクスが、エピクロスに認めたのも、そのような「抽象的な可能性」に満ち満ちた「自然と人間との交通」、いやもはや主体を脱主体化してしまったような、つまりはとりあえず「アレゴリー」的関係とたとえられる、「自然と自然との交通」なのである。


「 ここでもエピクロスはデモクリトスとまっこうから対立する。偶然は現実的なものであるが、現実的なものは可能性としての価値しかない。そして抽象的な可能性は、実在的な可能性とは正反対のものである。実在的な可能性は悟性と同じように、厳密な限界のうちに制約されている。ところが抽象的な可能性は空想と同じように、制約にしたがわない。
 実在的な可能性は、その客体が必然的で現実的なものであることを示そうとする。しかし抽象的な可能性は、説明しようとする客体とはかかわらない。この可能性は、対象を説明しようとする主体だけにかかわるのである。客体は、可能なもの、考えられるものであればよいのである。抽象的に可能なもの、考えられるだけのものは、考える主体にとって制約になるものではない。これは主体を制限するものではなく、躓きの石となるものではない。そして抽象的な可能性が現実的であるかどうかは、主体にとってはどうでもよいことである。主体は対象としての対象には、関心を向けていないからである。
 だからエピクロスは、個々の自然現象の説明においては、限りなく無頓着にふるまう。」

「 エピクロスの認める唯一の規則は、感覚で知覚することと矛盾した説明をしてはならないというものであることは明らかだろう。抽象的に可能であるということは、矛盾していないということであり、そのためにも矛盾は避けねばならないのである。結局のところエピクロスは、自分の説明方法は自然の認識そのものを目的とするものではなく、自己意識の平安(アタラクシア)だけを目指していることを認めている。」(マルクス「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」『マルクス・コレクションⅠ』 筑摩書房 中山元・他訳)

※ 内山氏の最近のファッションを写真で伺うと、いかにもな和服作業着である。植木屋でも江戸風にハッピを着てやる人達もいるが、私はシマホで買った作業着だ。そういう身振りからみても、氏の「自己意識の平安」が、どういう様態に収まるものかが知れてくるような気がする。しかし、「怪物的思考」を実践するエピクロスの「平安」とは、そんな収まりのよいようなものではないだろうことは論理的に想像できる。むしろ、「平安」とは狂気であろう。

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田口氏の、冒頭引用の著作をめぐって書こうとしたところで、熊本地震がおき、気力が揺らいでしまった。9.11、3.11、そしてまたか、という感じだ。2週間以上たってもなお収まらない大地の揺れを、熊本や九州近辺の人たちは、まさに自然を「怪物的」と感じているかもしれない。ニーチェは、怪物と戦う者は怪物にならないように注意しなければ、と箴言したが、その意味は、もちろんゆえに理性的に振る舞え、ということではさらさらない。こちらも怪物にならなければ戦えないのだ、だから怪物となれ、しかし、そのまま狂気(深淵)に陥るな、ツラトゥストラの道化師の綱渡りのように、できれば軽快に、その深淵の縁を走りぬいて生きよ、と言っているのだ。ニーチェ自身は失敗し、「善悪の彼岸」に飲み込まれてしまった。大地とともに私たちの気力が揺らぐとき、私たちもまた、前後不覚に陥って、この自然の深淵に飲み込まれてしまわないとも限らないのだ。

次回は、その田口氏の「怪物的思考」を土台に、柄谷行人氏の『憲法の無意識』(岩波新書)に触れてみる。